有即ち是れ無、無即ち是れ有、
若し是くの如くならずんば、必ず守ることを須いざれ。
一即一切、一切即一、
但能く是くの如くならば、何ぞ不畢を慮ばからん。
信心不二、不二信心、
言語道斷、去來今に非ず。
三祖大師は言う、「有」は「無」である、「一」は「一切」である、「信」と「心」は分けようがない、と。
「有」と言ったって「無」と言ったって「今」「本來」のことを言おうとしているにすぎないのだ。「一(部分)」と言ったって「一切(全体)」と言ったって「今」「本來」のことを言おうとしているだけだ。「信」という動詞も「心」という主語も「今」「本來」のことを言おうとして言えていない。
言語は「去來」過去と未來しか語ることができない。「今」を語ることはできないのである。坐禪は「今」を語るのである。坐禪しか「今」を語ることができないのである。
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