正法眼藏隨聞記第一

侍者懷弉編

 

一 一日示して云く、續高僧傳の中に、或禪師の會下に一僧あり。金像の佛と亦佛舎利とをあがめ用ひて、衆寮等にありても常に燒香禮拜し恭敬供養しき。有時禪師の云く、汝ぢが崇る處の佛像舎利は、後には汝がために不是あらんと。其の僧うけがはず。師云く、是れ天魔波旬の作す處なり、早く是を棄つべし。其の僧憤然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸て云く、汝箱を開て是を見べしと。其の僧いかりながら是を開てみれば、毒蛇わだかまりて臥りと。是を以て思ふに、佛像舎利は如來の遺像遺骨なれば恭敬すべしと云へども、また偏に是を仰ひて得悟すべしと思はば還て邪見なり。天魔毒蛇の所領となる因縁なり。佛説の功徳は定まれる事なれば、人天の福分となること生身と等しかるべし。總じて三寶の境界を恭敬供養すれば罪滅び功徳を得、また惡趣の業をも消し人天の果をも感ずることは實なり。是によりて法の悟りを得んと思ふは僻見なり。佛子と云は佛教に順じて直に佛位に到る爲なれば、只教に隨て工夫辨道すべきなり。其の教に順ずる實の行と云は即今の叢林の宗とする只管打坐なり。是を思ふべし。

 

二 亦云く、戒行持齋を守護すべければとて、強て宗として是を修行に立て、是によりて得道すべしと思ふも、亦これ非なり。只是れ衲僧の行履、佛子の家風なれば、隨ひ行ふなり。是れを能事と云へばとて、必ずしも宗とする事なかれ。然あればとて破戒放逸なれと云には非ず。若亦かの如く執せば邪見なり、外道なり。只佛家の儀式、叢林の家風なれば、隨順しゆくなり。是を宗とする事、宋土の寺院に寓せし時に、衆僧にも見へ來らず。實の得道のためには只坐禪工夫、佛祖の相傳なり。是によりて一門の同學五眼房故葉上僧正の弟子が、唐土の禪院にて持齋をかたく守りて戒經を終日誦せしをば、教て捨てしめたりしなり。

 懷弉問て云く、叢林學道の儀式は百丈の淸規を守るべきか。然あれば、彼れはじめに受戒護戒を以て先とすと見へたり。亦今の傳來相承は根本戒をさづくとみへたり。當家の口訣、面授にも、西來相傳の戒を學人にさづく。是便ち今の菩薩戒なり。然あるに今の戒經に日夜に是を誦せよと云へり。何ぞ是を誦するを捨てしむるや。

 師云く、しかなり。學人最とも百丈の規繩を守るべし。然あるに其の儀式は受戒謹戒坐禪等なり。晝夜に戒經を誦し專ら戒を護持すと云は、古人の行履に隨て祗管打坐すべきなり。坐禪の時何れの戒か持たざる、何れの功徳か來らざる。古人行じおける處の行履、皆深き心なり。私しの意樂を存ぜずして、衆に隨ひ古人の行履に任せて行じゆくべきなり。

 

三 有時示して云く、佛照禪師の會下に一僧ありて、病患のとき肉食を思ふ。照是を許して食せしむ。ある夜自ら延壽堂に行て見たまへば、燈火幽にして病僧亦肉を食す。時に、一鬼病僧の頭べの上にのりいて件の肉を食す。僧は我が口に入ると思へども、我は食せずして頭上の鬼が食するなり。然しより後は病僧の肉食を好むをば鬼に領ぜられたりと知て是を許しきと。是につゐて思ふに、許すべきか許すべからざるか斟酌あるべし。五祖演の會にも肉食のことあり。許すも制するも古人の心皆具意趣あるべきなり。

 

四 一日示して云く、人其家に生れ其道に入らば、先づ其家業を修すべしと、知べきなり。我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修するは即ち非なり。今も出家人として便ち佛家に入り僧侶とならば須く其業を習ふべし。其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてて知識の教に隨ふなり。其大意は貪欲無きなり。貪欲なからんと思はば先づ須く吾我を離るべきなり。吾我を離るるには、無常を觀ずる是れ第一の用心なり。世人多く、我はもとより、人にもよしと云はれ思はれんと思ふなり。然あれども能も云はれ思はれざるなり。次第に我執を捨て知識の言に隨ひゆけば、精進するなり。理をば心得たるやうに云て、さはさにあれども我は其事を捨ゑぬと云て、執し好み修するは、彌よ沈淪するなり。禪僧の能くなる第一の用心は、只管打坐すべきなり。利鈍賢愚を論ぜず、坐禪すれば自然によくなるなり。

 

五 示して云く、廣學博覧はかなふべからざることなり。一向に思ひ切で止べし。唯一事につゐて用心故實をも習ひ先達の行履をも尋ねて、一行を專らはげみて、人師先達の氣色すまじきなり。

 

六 或時弉問て云く、如何是不昧因果底道理。師云く、不動因果なり。云くなんとしてか脱落せん。師云く、因果歴然なり。云くかくの如くならば因果を引起すや、果因を引起すや。師云く、總てかくの如くならば、かの南泉の猫兒を斬るがごとき、大衆既に道ひ得ず、便ち猫兒を斬却しおはりぬ。後に趙州頭に草鞋を戴きて出たりし、亦一段の儀式なり。亦云く、我れ若し南泉なりせば即ち云べし、道ひ得たりとも便ち斬却せん、道ひ得ずとも便ち斬却せん、何人か猫兒をあらそふ、何人か猫兒を救ふと。大衆に代て云ん、既に道ひ得ず、和尚猫兒を斬却せよと。亦大衆に代て云ん、和尚只一刀兩段を知て一刀一段を知らずと。弉云く、如何是一刀一段。師云く、猫兒是。亦云く、大衆不對の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫兒を放下してまし。古人の云く、大用現前して軌則を存ぜずと。亦云く、今の斬猫は是便ち佛法の大用現前なり。或は一轉語なり。若一轉語にあらずば山河大地妙淨明心と云べからず。亦即心是佛とも云べからず。便ち此一轉語の言下にて猫兒即佛身と見よ。亦此詞を聽て學人も頓に悟入すべし。亦云く、此斬猫兒即是佛行なり。喚で何とか云べき。云く、喚で斬猫と云べし。弉云く、是れ罪相なりや否や。云く、罪相なり。弉云く、なにとしてか脱落せん。云く、別別無見なり。云く、別解脱戒とはかくの如を云か。云く、然り。亦云く、ただしかくの如きの料簡、たとひ好事なりとも無らんにはしかじ。

 弉問て云く、犯戒の語は受戒已後の所犯を云か、唯亦未受已前の罪相をも犯戒と云べきか。如何ん。

 師答て云く、犯戒の名は受後の所犯を云べし。未受已前所作の罪相をば只罪相罪業と云て犯戒と云べからず。

 問て云く、四十八輕戒の中に未受戒の所犯を犯と名くと見ゆ。如何ん。

 答て云く、然らず。彼は未受戒の者、今ま受戒せんとする時所造のつみを懺悔するに、今の戒にのぞめて、前に十戒等を授かりて犯し、後ち亦輕戒を犯ずるをも犯戒と云なり。以前所造の罪を犯戒と云にはあらず。

 問て云く、今受戒せんとする時、まへに造りし所の罪を懺悔せんが爲に、未受戒の者に十重四十八輕戒を教へて讀誦せしむべしと見へたり。亦下の文に、未受戒の前にして説戒すべからずと。此の二處の相違如何。

 答て云く、受戒と誦戒とは別なり。懺悔のために戒經を誦するは猶是念經なり。故に未受者戒經を誦せんとす。彼が爲に戒經を説かんこと咎あるべからず。下の文に、利養の爲のゆゑに未受戒の前にして是を説ことを制するなり。今受戒の者に懺悔せしめん爲には最も是を教ゆべし。

 問て云く、受戒の時は七逆の受戒を許さず。先の戒の中には逆罪も懺悔すべしと見ゆ。如何ん。

 答て云く、實に懺悔すべし。受戒の時許さざることは、且く抑止門とて抑ゆる義なり。亦上の文は、破戒なりとも還得受せば淸淨なるべし。懺悔すれば淸淨なり、未受に同からず。

 問て云く、七逆すでに懺悔を許さば、亦受戒すべきか。如何ん。

 答て云く、然あり。故僧正自ら所立の義なり。既に懺悔を許す、亦是受戒すべし。逆罪なりとも、くひて受戒せば授くべし。況や菩薩はたとひ自身は破戒の罪を受とも、他の爲には受戒せしむべきなり。

 

七 夜話に云く、惡口を以て僧を呵嘖し毀呰すること莫れ。設ひ惡人不當なりとも左右なく惡くみ毀ることなかれ。先づいかにわるしと云とも、四人已上集會しぬればこれ僧體にて國の重寶なり。最も歸敬すべきものなり。若は住持長老にてもあれ、若は師匠知識にてもあれ、弟子不當ならば慈悲心老婆心にて教訓誘引すべし。其時設ひ打べきをば打ち、呵嘖すべきをば呵嘖すとも、毀呰謗言の心を發すべからず。先師天童淨和尚住持のとき、僧堂にて衆僧坐禪の時、眠りを誡しむるに、履を以て打ち謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるるを喜び讚歎しき。有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、今は衆を辞し菴に住し.て老を扶けて居るべけれども、衆の知識として各の迷を破り道を授けんがために住持人たり。是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、竹箆打擲等のことを行ず。是頗る怖れあり。然あれども、佛に代て化儀を揚る式なり。諸兄弟慈悲を以て是を許し給へと言ば、衆僧皆流涕しき。此の如きの心を以てこそ衆をも接し化をも宣べけれ。住持長老なればとて、亂に衆を領じ我が物に思ふて呵嘖するは非なり。況や其人にあらずして人の短處を云ひ他の非を謗るは非なり。能能用心すべきなり。他の非を見て惡ししと思ふて慈悲を以て化せんと思はば、腹立まじきやうに方便して、傍ら事を云ふやうにてこしらふべきなり。

 

八 亦物語に云く、故鎌倉の右大將、始め兵衛佐にて有し時、内裡の邊に一日はれの會に出仕の時、一人の不當人ありき。其時の大納言おほせて云く、是を制すべしと。大將の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の將軍なりと。大納言の云く、近か近かなればなりと。大將の云く、其の人に非ずと。是れ美言なり。此の心にて後には世をも治められしなり。今の學人も其心あるべし。其人にあらずして人を呵すること莫れ。

 

九 夜話に云く、昔魯仲連と云ふ將軍ありき。平原君が國に在て能く朝敵をたひらぐ。平原君賞して數多の金銀等を與へしかば、魯仲連辞して云く只だ將軍のみちなれば敵を能く討のみなり、賞を得て物をとらん爲に非ずと云て、敢て取らずと云ふ。魯仲連が廉直とて名譽のことなり。俗猶を賢なるは我れ其の人として其の道の能をなすばかりなり。かはりを得んと思はず。學人の用心もかくの如くなるべし。佛道に入り佛法の爲に諸事を行じて代に所得あらんと思ふべからず。内外の諸教に皆無所得なれとのみ勸むるなり。

 

一〇 法談の次に示して云く、設使我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事を云を、理を攻て云ひ勝はあしきなり。亦我は現に道理と思へども吾が非にこそと云てはやくまけてのくもあしばやなり。只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無爲にして止みぬるが好きなり。耳に聽入れぬやうにして忘るれば、人も忘れて嗔らざるなり。第一の用心なり。

 

一一 示して云く、無常迅速なり。生死事大なり。且く存命の際だ、業を修し學を好まば、只佛道を行じ佛法を學すべきなり。文筆詩歌等其の詮なき事なれば捨べき道理なり。佛法を學し佛道を修するにも、猶を多般を兼學すべからず。況や教家の顯密の聖教、一向にさしおくべきなり。佛祖の言語すら多般を好み學すべからず。一事を專らにせんすら、鈍根劣器の者はかなふべからず。況や多事を兼て心操をととのへざらんは不可なり。

 

一二 示して云く、昔し智覺禪師と云し人の發心出家のこと。此の師は初は官人なり。才幹に富み正直の賢人なり。國司たりし時官錢をぬすみて施行す。傍人是を帝に奏す。帝聞て大に驚怪す。諸臣も皆あやしむ。罪過すでに輕からず、死罪におこなはるべしと定まりぬ。爰に帝議して云く、此臣は才人なり、賢者なり。今ことさらに此罪を犯す、若し深き心あるか。頸を截んとき、悲み愁へたる氣色あらば速かに截べし。若し其の氣色なくんば定めて深き心あらん、截べからずと。勅使引去て截んとする時少も愁る氣色なし、還て喜ぶ氣色あり。自ら云く、今生の命は一切衆生に施すと。勅使驚き怪て帝に奏聞す。帝云く、然り、定て深き心有ん、此事あるべしと兼て是を知と。依て其志を問。師云く、官を辞して命を捨て施を行じて衆生に縁を結び、生を佛家に受て一向に佛道を行ぜんと思ふと。帝是を感じて許して出家せしむ。故に延壽と名を賜ふ。殺すべきをとどむる故なり。今の衲子も是らほどの心を發すべきなり。命を輕じ衆生を憐む心深くして身を佛制に任せんと思ふ心を發すべし。若し先きより此の心一念も有らば失なはじと保つべし。是れほどの心、一度おこさずして佛法を悟ることは有べからざるなり。

 

一三 夜話に云く、祖席に禪話をこころへる故實は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞ばに隨ひて改めもて行なり。假令佛と云は、我が本より知たりつるやうは、相好光明具足し説法利生の徳ありし釋迦彌陀等を佛と知たりとも、知識若し佛と云は蝦蟆蚯蚓ぞと云はば、蝦蟆蚯蚓を是ぞ佛と信じて日比の知解を捨つべきなり。此の蚯蚓の上に佛の相好光明、種種の佛の所具の徳を求むるも猶情見あらたまらざるなり。只當時の見ゆる處を佛と知なり。若し此の如く詞に隨て情見本執をあらためもて行かば自ら契ふ處ろあるべきなり。然あるに近代の學者、自らの情見を執し己見を本として佛とはかふこそあるべけれと思ひ、亦吾が存ずるやうに差へば、さはあるまじいなんどと云て、自らが情量に似たることやあらんと迷ひありくほどに、大方佛道の精進なきなり。亦身を惜まずして百尺の竿頭に上りて、手足を放て一歩を進めよと云ふ時は、命ちありてこそ佛道も學すべけれと云て、眞實に知識に隨順せざるなり。能能思量すべきなり。

 

一四 夜話に云く、世間の人も衆事を兼學していづれも能くせざらんよりは、只一事を能くして人前にしてもしつべきほどに學すべきなり。況や出世の佛法は、無始より以來修習せざる法なり。故に今もうとし。我性も拙なし。高廣なる佛法にことの多般を兼ぬれば、一事をも成すべからず。一事を專にせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努力學人一事を專らにすべし。

 弉問て云く、若し然らば何ごといかなる行が、佛法に專ら好み修すべき。師云く、機に隨ひ根に順ふべしと云へども、今祖席に相傳して專らする處ろは坐禪なり。此の行、能く衆機を兼ね上中下根ひとしく修し得べき法なり。我れ大宋天童先師の會下にして此道理を聞て後ち、晝夜に定坐して極熱極寒には發病しつべしとて、諸僧しばらく放下しき。我れ其の時自ら思はく、設ひ發病して死すべくとも、猶只是れを修すべし。病ひ無ふして修せず、此の身をいたはり用ひてなんの用ぞ。病ひして死せば本意なり。大宋國の善知識の會下にて修し死に死してよき僧にさばくられたらんは、先づ勝縁なり。日本にて死せば、是れほどの人に如法佛家の儀式にて沙汰すべからず。修行していまだ契悟せざらん先に死せば、結縁として生を佛家に受くべし。修行せずして身を久く持ても詮無きなり。なんの用ぞ。況や身を全ふし病ひ起らじと思はんほどに、知らず亦海にも入り横死にもあはん時は、後悔いかん。此の如く案じつづけて、思ひ切で晝夜端坐せしに、一切に病ひ發らず。今各も一向に思ひきりて修して見よ。十人は十人ながら得道すべきなり。先師天童の勸めかくの如し。

 

一五 示して云く、人は思ひ切で命をも棄て、身肉手足をも截ことは、中々せらるるなり。然あれば世間の事を思ふに、名利執心の爲にも多くかくの如く思ひ切なり。只依り來る時に事に觸れ物に隨て心品を調ふること難きなり。學者身命を捨ると思ふて且くおししづめて、云ふべきことをも修すべきことをも、道理に順ずるか順ぜざるかと案じて、道理に順ぜば云ひ若は行じもすべきなり。

 

一六 示して云く、學道の人衣糧を煩ふこと莫れ。只佛制を守て、世事を營むこと莫れ。佛の言く、衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。いづれの世にか此の二事の盡ること有ん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふこと莫れ。露命の且く存ぜるあひだ、佛道を思て餘事をこととすること莫れ。

 有人問て云く、名利の二道は捨離し難しと云へども、行道の大なる礙りなれば捨てずんばあるべからず。故へに是を捨つ。衣糧の二事は小縁なりと云へども行者の大事なり。糞掃衣常乞食は是れ上根の所行、亦是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故に其煩ひ無し。我が國の寺院には常什物なし。乞食の儀も即ち絶て傳はらず。下根不堪の身いかがせん。然あらば予が如きは、檀信の信施を貪らんとするも、虛受の罪隨ひ來る。田商士工を營むは是れ邪命食なり。只天運に任せんとすれば果報亦貧道なり。飢寒來らん時、是を愁ひとして行道を礙へつべし。或人諌めて云く、儞が行儀はなはだし、時を知らず機をかへり見ざるに似たり。下根なり、末世なり。かくの如く修行せば亦退轉の因縁となりぬべし。或は一檀那をも相かたらひ、若は一外護をもちぎりて、閑居靜處にして一身をたすけて、衣糧に煩ふこと無く靜に佛道を行ずべし。是れ便ち財物等を貪るに非ず。暫時の活計を具して修行すべしと。此の詞を聞くと云へどもいまだ信用せず。かくの如きの用心いかん。

 答て云く、但夫れ衲子の行履、佛祖の家風を學ぶべし。三國ことなりといへども眞實學道の者いまだ此の如きの事あらず。只心を世事に執着すること莫れ。一向に道を學すべきなり。佛の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ、乞食の餘分は飢たる衆生に施せ、設ひ受け來るとも寸分も貯ふべからず。況や馳走あらんや。外典に云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと。設ひ飢へ死に寒へ死すとも、一日一時なりとも佛教に隨ふべし。萬劫千生、幾回か生じ幾度か死せん。皆な是れ世縁妄執の故へなり。今生一度佛制に隨て餓死せん、是れ永劫の安樂なるべし。いかに況や未だ一大藏教の中にも三國傳來の佛祖、一人も飢へ死にし寒へ死にしたる人ありときかず。世間衣糧の資具は生得の命分ありて求に依ても來らず、求ざれども來らざるにも非ず。只任運にして心に挾むこと莫れ。末法なりと謂ふて今生に道心發さずば、何れの生にか得道せん。設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只隨分に學道すべきなり。外典に云く、西施毛嬙にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎緑耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、龍肝鳳髓にあらざれども味を好む者は味を好む。只隨分の賢を用るのみなり。俗なを此の儀あり。佛家亦かくの如くなるべし。況や亦佛二

十年の福分を以て末法の我らに施す。是に依て天下の叢林、人天の供養絶へず。如來神通の福徳自在なるも、馬麥を食して夏を過しましましき。末法の弟子、登に是を慕はざらんや。

 問て云く、破戒にして虛く人天の供養を受け、無道心にして徒に如來の福分を費やさんより、在家人に隨ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん。

 答て云く、誰か云ひし破戒無道心なれと。只強て道心を發し佛法を行ずべきなり。いかに況や持戒破戒を論ぜず、初心後心を分かたず、齋しく如來の福分を與ふとは見へたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見へず。誰人か初めより道心ある。只かくの如く發し難きを發し、行じがたきを行ずれば、自然に増進するなり。人人皆な佛性あり。徒づらに卑下すること莫れ。亦文選に云、一國は一人の爲に興る、、先賢は後愚の爲に癈ると。言ふこころは、國に賢者一人出來れば其の國興る、愚人ひとり出來れば先賢のあと癈るるなり。是を思ふべし。

 

一七 雜話の次でに云く、世間の男女老少、多く交會婬色等の事を談ず。是を以心を慰むるとし興言とすることあり。一旦意をも遊戲し徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁斷すべきことなり。俗猶よき人、まことしき人の、禮儀をも存じげにげにしき談の時、出來らざることなり。只亂酔放逸なる時の談なり。況や僧は專ら佛道を思ふべし。雜話は希有異體の亂僧の云ふことなり。宋土の寺院なんどには都て雜談をせざれば、其やうなることをも云はざるなり。吾が國も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出來らず。滅後にも在世の時の門弟子等少々殘りとどまりたりし時は、一切に云はざりき。近ごろ此の七八年より以來、今ま出の若き人たち時々談ずるなり。存外の次第なり。聖教の中にも、麁強惡業令人覺悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云處の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり。況やかくの如きの言語はことばに引れて即ち心も起りつべし。最も用心すべきなり。故さらにかくなん云はじとせずとも、惡きこと』知りなば漸々に對治すべきなり。

 

一八 夜話に云く、世人多く善事を作す時は人に知られんと思ひ、惡事を作す時は人に知れじと思ふに依て、此の心冥衆の心に合はざるに依て、所作の善事には感應なく、密に作す所の惡事には罰あるなり。是に仍て還て自ら謂く、善事には驗しなし、佛法の利益すくなしと思へるなり。是れ即ち邪見なり。最も改むべし。人も知らざる時に密に善事をなし、惡事を錯りて、後には發露してとがを悔ふ。かくの如くすれば便ち密々になす處の善事には感應あり、露るる惡事は懺悔せられて罪み滅する故に、自然に現益もあるなり。當果をも亦知るべし。

 爰に有る在家人來りて問て云く、近代在家人衆僧を供養じ佛法を歸敬するに、多く不吉のこと出來るに依て、邪見起り三寶に歸せじと思ふ、いかんと。

答て云く、是は衆僧佛法の咎にはあらず、便ち在家人自らの錯なり。其の故は、假令人目ばかりに持戒持齋の僧をば貴び供養じ、破戒無斷の飲酒食肉等するをば不當なりと思ふて供養せず。此の差別の心寔とに佛意にそむけり。故に歸敬の功もむなしく感應もなきなり。戒の中にも處々に此の心を誡めたり。僧ならば徳の有無を擇らまず只供養ずべきなり。殊に其の外相を以て内徳の有無を決定すべからず。末世の比丘いささか外相尋常ならぬ處見ゆれども、亦是れにまされる惡心も惡事もあるなり。然る間だ、よき僧あしき僧を差別し思ふこと無ふして、佛弟子なれば貴びて平等の心にて供養歸敬もせば、必ず佛意に契て利益もひろかるべし。亦冥機冥應顯機顯應等の四句あることを思ふべし。亦現生後報等の三時業のこともあり。是らの道理能々學すべきなり。

 

一九 夜話に云く、若し人來て用事を云ふ中に、或ひは人にものをこひ、或は訴訟等のことをも云んとて、一通の状をも所望すること出で來ること有んに、其の時我は非人なり、遁世籠居の身なれば、在家等の人に非分のことを云んは非なりとて、眼前の人の所望をかなへずば、實に非人の法には似たれども、其の心中をさぐるに、猶我れは遁世非人なり、非分のことを人に云はば人定めてわるく思ひてんと云ふ道理を思ふて、聽かずんば、なを是れ我執名聞なり。只其の時に望んで能々思量して、眼前の人の爲に一分の利益となるべき事をば、人のあしく思はんことをも顧みずなすべきなり。此のこと非分なり、わるしとて、疎みもし中をもたがはんも、かくの如くの不覺の知音、中たがはん事何か苦るしかるべき。外には非分の僻事をすると人には見ゆるとも、内には我執を破り名聞を捨つる、第一の用心なり。佛菩薩は人の來て請ふときは身肉手足をも截れり。況や人來て一通の状をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり。人々ひじりならず、非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞をすててて一分の人の利益とならば眞實の道に相應すべきなり。古人も其の義あるかと見ゆること多し。我も其の義を思ふて、少々檀那知音の思ひかけざる事を人に申傳へて給はれと云事をば、文み一通遣りて一分の利益を作すは易きことなり。

 弉問て云く、此こと寔に然り。ただし善事にて人の利益とならんことを人にも云ひ傳へんは最ともなるべし。若し僻事を以て人の所帯を取んと思ひ、或ひは人の爲にあしき事を云んをば、云ひ傳ふべきや如何ん。

師云く、理非等のことは我が知るべきに非ず。只一通の状を乞へば與ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ人にも云ひ状にも載すべけれ。請け敢て沙汰せん人こそ理非をば明らむべけれ。吾が分上にあらぬ此の如きのことを、理を枉てその人に云んことも亦非なり。亦現の僻事なれども我を大事にも思ふ人にて此の人のぼんことは善惡たがへじと思ふほどの智者ありて、檀那の處へひがことを以て不得心の所望をなさば、其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の状には、去り難く申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり。一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり。此の如くのこと、人に對面をもし出來ることにつきて能々思量すべきなり。所詮は事に觸て名聞我執を捨つべきなり。

 

二〇 夜話に云く、今ま世出世間の人、多分は善事をなしてはかまへて人に知られんと思ひ惡事を作しては人に知られじと思ふ。是に依て内外不相應のこと出來たる。あいかまへて内外相應し、錯まりを悔ひ、實徳をかくして外相をかざらず、好事をば他人にゆづり惡事をば己れにむかふる志氣あるべきなり。

問て云く、實徳を藏し外相を飾らざらんこと、寔とに然るべし。但し佛菩薩は大悲利生を以て本とす。無智の道俗等、外相の不善を見て是を謗り難ぜば、謗僧の罪を感ぜん。實徳を知らずとも外相を見て貴とび供養ぜば、一分の福分たるべし。是ら斟酌いかなるべきぞ。

答て云く、外相を飾らずとて即ち放逸ならば亦是れ道理に差ふ。實徳を藏すと云ふて在家等の前にて惡行を現ぜん、亦是れ破戒の甚だしきなり。只希有の道心者、道者の由を人に知られんと思ひ、身にある失を人に知られじと思へども、諸天善神及び三寶の冥に知見する處なり。夫をば愧ずして世人に貴とびられんと思ふ意ろを誡むるなり。只時にのぞみ事に觸て、興法の爲め利生の爲に諸事を斟酌すべきなり。擬して後に云ひ思て後に行じて、卒暴なること莫れとなり。一切のことにのぞんで道理を案ずべきなり。念々止まらず、日々遷流して無常迅速なること、眼前の道理なり。知識經卷の教へを待つべからず。只念々に明日を期することなく、當日當時ばかりを思ふて、後日は太だ不定なり。知り難ければ、只今日ばかり存命のほど佛道に隨はんと思ふべきなり。佛道に隨ふと云は興法利生の爲に身命を捨てて諸事を行じもてゆくなり。

問て曰く、佛教のすすめに隨はば乞食等を行ずべきか如何ん。

答ふ、然あるべし。たぶし是れは土風に隨て斟酌あるべし。なににても利生も廣く我が行もすすまんかたにつくべきなり。是らの作法、道路不淨にして佛衣を着して經行せばけがれつべし。亦人民貧窮にして次第乞食もかなふべからず。行道も退きつべく利益も廣からざらんか。只土風をまぼり尋常に佛道を行じ居たらば、上下の輩がら自ら供養を作し、自行化他成就せん。此の如きの事も、時に望み事に觸て道理を思量して、人目を思はず自らの益を忘て、佛道利生の爲に能やうに計らふべし。

 

二一 示して云く、學道の人、世情を捨つべきについて、重々の用心あるべし。世をすて家をすて身をすて心を捨つるなり。能々思量すべきなり。世を遁て山林に隠居すれども、吾が重代の家を絶やさず家門親族のことを思ふもあり。亦世をものがれ家をもすてて親族境界をも遠離すれども、我が身を思て苦るしからんことをばせじ、病ひ起るべからん事は佛道なりとも行ぜじと思ふも、いまだ身を捨ざるなり。亦身をも惜まず難行苦行すれども、心佛道に入らずして我が心に差ふことをば佛道なれどもせじと思ふは、心を捨ざるなり。

 

正法眼藏隨聞記第二

侍者懷弉編

 

一 示して云く、行者先づ心をだにも調伏しつれば、身をも世をも捨ることは易きなり。只言語につけ行儀につけて人目を思ひて、此の事は惡事なれば人あしく思ふべしとてなさず、我れ此の事をせんこそ佛法者と人は見んとて事に觸て善きことをせんとするも、猶を世情なり。然あればとて亦恣ひままに我が心に任せて惡事をするは、一向の惡人なり。所詮惡心を忘れ我が身を忘れて、只一向に佛法の爲にすべきなり。向ひ來らんごとに隨て用心すべきなり。初心の行者は先づ世情なりとも人情なりとも惡事をば心に制し、善事をば身に行ずるが、便ち身心を捨つるにて有なり。

 

二 示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、獨りの貧人來りて云く、我が家貧ふして絶煙數日におよぶ。夫婦子息兩三人餓死しなんとす。慈悲を以て是れを救ひ給へと云ふ。其の時房中に都て衣食財物等無し。思慮をめぐらすに計略つきぬ。時に薬師の像を造らんとて光の料に打のべたる銅少分ありき。是れを取て自ら打をり、束ねまるめて彼の賓客にあたへて云く、是を以て食物にかへて餓をふさぐべしと。彼の俗よろこんで退出しぬ。時に門弟子等難じて云く、正しく是れ佛像の光なり。これを以て俗人に與ふ。佛物己用の罪如何ん。僧正の云く、誠に然り。但し佛意を思ふに佛は身肉手足を割きて衆生に施こせり。現に餓死すべき衆生には設ひ佛の全體を以て與ふるとも佛意に合ふべし。亦云く、我れは此の罪に依て惡趣に墮すべくとも、只衆生の飢へを救ふべしと云云。先達の心中のたけ今の學人も思ふべし。忘るること莫れ。

亦有る時、僧正の門弟の僧等の云く、今の建仁寺の寺ら屋敷、川原に近し。後代に水難ありぬべしと。僧正の云く、我れ寺の後代の亡失、是れを思ふべからず。西天の祇園精舎もいしずゑばかりとどまれり。然あれども寺院建立の功徳失すべからず。亦當時一年半年の行道、其の功徳莫大なるべしと。今ま是れを思ふに、寺院の建立寔に一期の大事なれば、未來際をも兼て難無きやうにとこそ思ふべけれども、さる心中にも亦此の如きの道理、存ぜられたる心のたけ、寔に是れを思ふべし。

 

三 夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、土民等帝を謗ずることありと。帝云く、寡人仁ありて人に謗ぜられば愁ひとすべからず、仁無ふして人に讚ぜられば是れを愁ふべしと。俗猶をかくの如し。僧は最も此の心あるべし。慈悲あり道心ありて愚癡人に誹謗せられんは苦しかるべからず、無道心にて人に有道と思はれん、是れを能能つつしむべし。

亦示して云く、隋の文帝の云く、密々に徳を修して飽けるをまつ。言ふ心は、よき道徳を修して、あけるをまちて民をいつくしうするとなり。僧猶を是に及ばずんばもつとも用心すべきなり。只内に道業を修すれば、自然に道徳外にあらはれて、人に知れんことを期せずのぞまずして、只もつぱら佛教にしたがひ祖道に隨がひゆけば、人自づから道徳に歸するなり。ここに學人の錯まり出で來るやうは、人にたつとばれ財寶いで來るを以て、道徳のあらはれたると自からも思ひ人も知り思ふなり。是れ即ち天魔波旬のつきたると心にしりて、最も思量すべし。教の中に是は魔の所爲と云なり。いまだ聞かず、三國の例、財寶にとみ愚人の歸敬をもつて道徳とすべきことを。道心者と云ふは昔しより三國みな貧にして、身をくるしくし一切を省約して慈あり道あるを、まことの行者と云ふなり。徳のあらはるると云も、財寶にゆたかに供養にほこるを云にあらず。徳の顯はるるに三重あるべし。先づは其の人其の道を修するなりと知らるるなり。次には其の道を慕ふ者いで來る。後には其の道をおなじく學し同じく行ずる、是を道徳のあらはるると云ふなり。

 

四 夜話に云く、學道の人は人情を棄べきなり。人情をすつると云は佛法に隨がひ行くなり。世人をほく小乘根性にて、善惡をわきまへ是非を分ちて是をとり非をすつるは、みな是れ小乘根性なり。只先づ世情をすてて佛道に入るべし。佛道に入には、我こころに善惡を分けてよしと思ひあししと思ふことをすてて、我が身よからん我が意ろなにとあらんと思ふ心をわすれて、善くもあれ惡くもあれ佛祖の言語行履に隨がひゆくなり。吾が心に善しと思ひ亦世人のよしと思ふこと、必らずしも善からず。然あれば人めもわすれ吾が意ろをもすてて、佛教に隨がひゆくなり。身もくるしく心も愁ふるとも、我が身心をば一向にすてたるものなればと思ふて、苦るしくうれへつべきことなりとも、佛祖先徳の行履ならばなすべきなり。此の事はよきこと佛道にかなひたらめと思ふて、なしたく行じたくとも、もし佛祖の行履に無からん事はなすべからず。是れ必らず法門をもよくこころへたるにてあるなり。吾が心にも亦本より習ひ來たる法門の思量をば棄てて、只今見る所ろの祖師の言語行履に次第に心ろを移しもてゆくなり。かくのごとくすれば智慧もすすみ悟りも開くるなり。本より學せし處ろの教家文字の功もすつべき道理あらば棄てて、今まの義につきて見るべきなり。法門を學する事は本より出離得道のためなり。我が所學多年の功つめり、なんぞたやすく捨てんと猶を心ろ深く思ふ、即ち此の心を生死繋縛の心と云ふなり。能々思量すべし。

 

五 夜話に云く、故建仁寺僧正の傳をば顯兼中納言入道の書れたるなり。其の時辞することばに云く、儒者に書かせらるべきなり。そのゆへは、儒者はもとより身をわすれて幼なき時きより長となるまで學問を本とす。故にかき出したるものに誤まり無きなり。直の人は身の出仕交衆を本として、かたはらことに學問をもするあひだ、自から好人あれども、文筆のみちにも誤まり出で來るなりと。是を思ふに普しの人は外典の學問も身をわすれて學するなり。

亦云く、故公胤僧正の云く、道心と云ふは一念三千の法門なんどを胸の中に學し入れてもちたるを道心と云ふなり。なにと無く笠を頸に懸て迷ひありくをば天狗魔縁の行と云ふなり。

 

六 夜話に云く、故僧正の云く、衆僧各所用の衣糧等の事、予があたふると思ふ事なかれ。皆な是れ諸天の供ずる所ろなり。吾れは取り次ぎ人にあたりたるばかりなり。亦各一期の命分具足す。奔走すること莫れ。吾が恩と思ふこと莫れと常にすすめられける。是れ第一の美言とをぼゆるなり。亦大宋宏智禪師の會下天童は常住物千人の用途なり。然あれば堂中七百人堂外三百人にて千人につもる常住物なるに、好き長老の住したる故へに、諸方の僧雲集して堂中千人なり。其外に五六百人あるなり。知事の人、宏智に訴たへて云く、常住物は千人の分なり、衆僧多く集まりて用途不足なり、枉げてはなたれんと申ししかば、宏智云く、人人みな口ちあり、汝ちが事にあづからず、歎くこと莫れと云云。今ま是を思ふに、人人皆生得の衣食あり。思念によりても出で來らず、求めざれば來らざるにもあらず。在家人すらなを運に任かせて忠を思ひ孝を學す。いかに況や出家人はすべて他事を管ぜんや。釋尊遺付の福分あり、諸天應供の衣食あり、亦天然生得の命分あり。求めず思はずとも任運に命分あるべきなり。直饒ひ走り求めて寶らをもちたりとも、無常忽ちに來らん時如何ん。故へに學人は只須からく餘事を心うにとどめず、一向に學道すべきなり。亦ある人の云く、末世邊土の佛法興隆は、閑居靜處をかまへ衣食等の外護にわづらひなく、衣食具足して佛法修行せば、利益も廣かるべしと。今まこれを思ふに然らず。それに附ては、有相著我の諸人あつまり學せんほどに、その中には一人も發心の人は出來るまじ。利養につき財欲にふけりて、縱ひ千萬人集りたらんも、一人無からんに猶おとるべし。惡道の業因のみ自ら積て、佛法の氣分なきゆへなり。もし淸貧艱難にして、或ひは乞食し、あるひは果蓏等を食して、常に飢饉して學道せんに、是れを聞て若し一人も來り學せんと思ふ人あらんこそ、誠との道心者、佛法興隆ならめとおぼゆれ。艱難淸貧によりてもし一人もなからんと、衣食ゆたかにして諸人あつまりて佛法の無からんとは、只八兩と半斤となり。

亦云く、當世の人、多く造像起塔等の事を佛法興隆と思へり。是れ亦非なり。直饒ひ高堂大觀玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず。只在家人の財寶を佛界に入れて善事をなす福分なり。亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは仏法興隆にはあらざるなり。たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し一と時の坐禪をも行ぜんこそ、誠の佛法にてあらめ。今ま僧堂を立んとて勸進をもし隨分にいとなむ事は、必ずしも佛法興隆と思はず。只當時學道する人もなくいたづらに日月を送るあひだ、只あらんよりはと思ふて、迷徒の結縁ともなれかし、亦當時學道の徒がらの坐禪の道場のためなり、亦思ひ始めたる事のならぬとても恨みあるべからず、只柱ら一本なりとも立てて置たらば、後來も、かく思ひくはだてたれども成らざりけりと見んも、苦るしかるべからずと思ふなり。

 

七 亦ある人勸めて云く、佛法興隆のために關東に下向すべしと。

答て云く、然らず。若し佛法に志しあらば、山川江海を渡りても來て學すべし。其の志ざし無らん人に往き向ふて勸むるとも、聞き入れんこと不定なり。只我が資縁のために人を誑惑せんか、亦財寶を貪らんがためか。其れは身の苦しみなればいかでもありなんと覺ゆるなり。

 

八 亦云く、學道の人、教家の書籍をよみ外典等を學すべからず。見るべくんば語録等を見るべし。其の餘はしばらく是を置べし。近代の禪僧、頌を作くり法語を書かんがために文筆等をこのむ、是れ便ち非なり。頌につくらずとも心に思はんことを書出し、文筆ととのはずとも法門をかくべきなり。是をわるしとて見ざらんほどの無道心の人は、よく文筆を調へていみじき秀句ありとも、只言語ばかりを翫あそんで理を得べからず。我れ本と幼少の時より好のみ學せしことなれば、今もややもすれば外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるるを、詮なき事と存ずれば、一向にすつべき由を思ふなり。

 

九 一日示して云く、吾れ在宋の時禪院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧道者にてありしが、我に問て云く、語録を見てなにの用ぞ。答て云く、古人の行李を知ん。僧の云く、何の用ぞ。云く郷里にかへりて人を化せん。僧の云く、なにの用ぞ。云く利生のためなり。僧の云く、畢竟じて何の用ぞと。予後に此の理を案ずるに、語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聽かしめん、皆な是れ自行化他のために畢寛じて無用なり。只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず。故に彼の僧、畢寛じてなにの用ぞとは云ひける。是れ眞實の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり。

 

一〇 夜話に云く、眞實内徳なふして人に貴びらるべからず。此の國の人は眞實の内徳をば知らずして、外相を以て人を貴とぶほどに、無道心の學人は、即ち惡道にひきおとされて魔の眷屬となるなり。人に貴とびられんは安き事なり。中々身を捨て世をそむく由を以てなすは、外相ばかりの假令なり。只なにともなく世間の人の樣にて内心を調へもてゆくが、是れ實の道心者なり。然あれば古人の云く、内ち空しふして外したがふと。云心は、内心は我心なふして、外相は他に隨がひもてゆくなり。我が身我が心と云ふ事を一向に忘れて佛法に入て、佛法のおきてに任かせて行じもてゆけば、内外ともによく今も後もよきなり。佛法の中にもそぞろに身をすて世をすつればとて、棄つべからざる事をすつるは非なり。此の土の佛法者道心者を立る人の中にも、身をすつるとて、人はいかにも見よと思ひて、ゆへ無く身をわるくふるまひ、或は亦世を執せぬとて、雨にもぬれながら行きなんどするは、内外ともに無益なるを、世間の人はすなはち此らを、貴き人かな世を執せぬなんど思へるなり。中に佛制を守りて戒律の儀をも存じ、自行化他佛制にまかせて行ずるをば、かへりて名聞利養げなるとて人も管ぜざるなり。夫れが却て吾がためには佛教にも隨ひ内外の徳も成ずるなり。

 

一一 夜話に云く、學道の人、世間の人に智者もの知りとしられては無用なり。眞實求道の人の一人もあらん時は、我が知る所の佛祖の法を説かざることあるべからず。直饒ひ我を殺ろさんとしたる人なりとも、眞實の道を聽んとて誠との心を以て問はば、怨心をわすれて是が爲に説べきなり。其外か教家の顯密及び内外の典籍等の事、知りたる氣色しては全く無用なり。人來りて此の如きの事を問はば、知らずと答へたらんに一切に苦るしかるべからざるなり。其れをもの知らぬはわるしと人も思ひ、愚人と自らも覺ゆる事を傷んで、ものを知らんとて博く内外典を學し、剩すさへ世間世俗の事をも知らんと思ふて諸事を好み學し、あるひは人にも知りたる由をもてなすは、究めて僻事なり。學道のために眞實に無用なり。知りたるを知らざる氣色するも、むつかしくやうがましければ、却てあたる氣色にてあしきなり。本とより知らざらんは苦るしからざることなり。我れ幼少の時、外典等を好み學しき。夫れがのち入宋傳法するまでも、内外の書籍を開き方語を通ずるまでも、大切の用事、亦世間のためにも、尋常ならざる事なり。俗なんども尋常ならざる事に思ひたる、かたがたの用事にてありけれども、今ま熟つら思ふに、學道のさはりにてあるなり。只聖教を見るとも文に見ゆる所ろの理を次第に心ろ得てゆかば、其の道理を得つべきなり。然るに先づ文章を見、對句韻聲なんどを見て、よきぞあしきぞと心に思ふて、後に理をば心得るなり。然あれば中々知らずして、初めより道理を心ろえて行かばよかるべきなり。法語等を書くにも、文章におほせて書んとし、韻聲差へば礙へられなんどするは、知りたる咎なり。語言文章はいかにもあれ、思ふ儘の理を顆々と書きたらんは、後來も文はわろしと思ふとも、理だにも聞ゑたらば道のためには大切なり。餘の才學も此くの如し。傳へ聞く、故高野の空阿彌陀佛は、本は顯密の碩徳なりき。遁世の後ち念佛の門に入て後に、眞言師ありて來て密宗の法門を問けるに、彼の人答へて云く、皆わすれおはりぬ、一字もおぼへずとて、答へられざりけるなり。是らこそ道心の手本となるべけれ。などかは少々覺へではあるべき。然あれども無用なる事をば云はざりけるなり。一向念佛の日はさこそ有べけれと覺ゆるなり。今の學者も此の心あるべし。縱ひもと教家の才學等ありとも皆忘れたらんは好事なり。況や今ま學すること努々あるべからず。宗門の語録等、猶を眞實參學の道者は見るべからず。其の餘は是を以て知るべし。

 

一二 一夜話に云く、今此國の人は、多分、或ひは行儀につけ、或ひは言語につけ、善惡是非世人の見聞識知を思ふて、其の事をなさば人惡しく思ひてん、其の事は人善しと思ひてんと、乃至向後までをも執するなり。是れ全く非なり。世間の人必ずしも善とすることあたはず。人はいかにも思はば思へ、狂人とも云へ、我が心に佛道に順じたらんことをばなし。佛道に順ぜずんば行ぜずして、一期をも過ごさば、世間の人はいかに思ふとも苦るしかるべからず。遁世と云は世人の情を心にかけざるなり。ただ佛祖の行履菩薩の慈悲を學して、諸天善神の冥に照す所を慚愧して、佛制に任せて行じもてゆかば、一切苦るしかるまじきなり。さればとて亦人の惡ししと思ひ云んも苦るしかるべからずとて、放逸にして惡事を行じて人を愧ざるは、是れ亦非なり。ただ人目にはよらずして一向に佛法に依て行ずべきなり。佛法の中には亦然のごときの放逸無慚をば制するなり。

 

一三 亦云く、世俗の禮にも、人の見ざる處あるひは暗室の中なれども、衣服等をきかゆる時も、亦坐臥する時にも放逸に隠處なんどをも藏くさず無禮なるをば、天に慚ぢず鬼に慚ぢずとてそしるなり。只だ人の見る時と同くかくすべき處をもかくし、はづべきことをもはづるなり。佛法の中も亦戒律かくのごとし。然あれば道者は内外を論ぜず、明暗を擇ばず、佛制を心に存じて人の見ず、知らざればとて惡事を行ずべからざるなり。

一四 一日學人問て云く、某甲なを學道を心にかけて年月を經るといへども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道は聰明靈利に依らず、有智明敏を用ひずと云ふ。然あれば我が身、下根劣器なればとて卑下すべきにもあらずときこへたり。若し故實用心を存ずべき樣ありや、如何ん。

示して云く、然あり。有智高才を用ひず、靈利聰明によらぬは、まことの學道なり。あやまりて盲聾癡人のごとくになれとすすむるは非なり。學道は是れ全く多聞高才を用ひぬ故へに、下根劣器と嫌ふべからず。誠の學道はやすかるべきなり。然あれども大栄國の叢林にも、一師の會下の數百千人の中に、まことの得道得法の人はわつかに一人二人なり。然あれば故實用心もあるべきなり。今ま是を案ずるに志の至と至らざるとなり。眞實の志しを發して隨分に參學する人、得ずと云ふことなきなり。その用心の樣は、何事を專らにしその行を急にすべしと云ことは、次のことなり。先づ只欣求の志しの切なるべきなり。譬へば重き寶をぬすまんと思ひ、強き敵をうたんと思ひ、高き色にあはんと思ふ心あらん人は、行住坐臥、ことにふれおりに隨て、種種の事はかはり來るとも其れに隨て、隙を求め心に懸くるなり。この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなきなり。此の如く道を求る志し切になりなば、或は只管打坐の時、或は古人の公案に向はん時、若は知識に逢はん時、實の志しを以て行ずる時、高くとも射つべく深くとも釣りぬべし。是れほどの心ろ發らずして、佛道の一念に生死の輪廻をきる大事をば如何んが成ぜん。若し此の心あらん人は、下智劣根をも云はず、愚癡惡人をも論ぜず、必ず悟りを得べきなり。亦此の志しをおこす事は切に世間の無常を思ふべきなり。此の事は亦只假令の觀法なんどにすべきことにあらず。亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず。眞實に眼前の道理なり。人のおしへ、聖教の文、證道の理を待つべからず。朝に生じて夕ふべに死し、昨日みし人今日はなきこと、眼に遮ぎり耳にちかし。是は他のうへにて見聞することなり。我が身にひきあてて道理を思ふに、たとひ七旬八旬に命を期すべくとも、終に死ぬべき道理に依て死す。其の間の憂へ樂しみ、恩愛怨敵等を思ひとげばいかにでもすごしてん。只佛道を信じて涅槃の眞樂を求むべし。況や年長大せる人、半ばに過ぬる人は、餘年幾く計りなれば學道ゆるくすべきや。此の道理も猶のびたる事なり。眞實には、今日今時こそかくのごとく世間の事をも佛道の事をも思へ、今夜明日よりいかなる重病をも受て、東西をも辨へぬ重苦の身となり、亦いかなる鬼神の怨害をもうけて頓死をもし、いかなる賊難にもあひ怨敵も出來て殺害奪命せらるることもやあらんずらん。實に不定なり。然あれば是れほどにあだなる世に、極て不定なる死期をいつまで命ちながらゆべきとて、種種の活計を案じ、剰さへ他人のために惡をたくみ思て、いたづらに時光を過すこと、極めておろかなる事なり。此の道理眞實なればこそ、佛も是れを衆生の爲に説きたまひ、祖師の普説法語にも此の道理のみを説る。今の上堂請益等にも、無常迅速生死事大と云ふなり。返返も此の道理を心にわすれずして、只今日今時ばかりと思ふて時光をうしなはず、學道に心をいるべきなり。其の後は眞實にやすきなり。性の上下と根の利鈍は全く論ずべからざるなり。

 

一五 夜話に云く、人多く遁世せざることは、我が身をむさぼるに似て我が身を思はざるなり。是れ便ち遠慮なきなり。亦是れ善知識にあはざるに依てなり。縱ひ利養を思ふとも常樂の益を得て龍天の供養を得んことを願ひ、名聞を思ふとも佛祖の名を得古徳の名を得ば、後賢も是れを聞ては慕ふべきなり。

 

一六 夜話に云く、古人の云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと。いま學道の人も此の心あるべきなり。曠劫多生の間だ、いくたびか徒らに生じ徒らに死せしに、まれに人身を受けてたまたま佛法にあへる時此の身を度せずんば、何れの生にか此身を度せん。縫ひ身を惜みたもちたりともかなふべからず。ついに捨てて行く命ちを一日片時なりとも佛法のために捨てたらんは、永劫の樂因なるべし。後のこと明日の活計を思ふて棄つべき世を捨てず、行ずべき道を行ぜずして、徒らに日夜を過すは、口惜きことなり。只思ひきりて、明日の活計なくば飢へ死にもせよ、寒ごへ死にもせよ、今日一日道を聞て佛意に隨て死せんと思ふ心を、まづ發すべきなり。然るときんば道を行じ得んこと一定なり。此の心なければ、世をそむき道を學する樣なれども、猶しり足をふみて夏冬の衣服等のことをした心にかけて、明日猶明年の活命を思ふて佛法を學せんは、萬劫千生學すともかなふべしともおぼへず。亦さる人もやあらんずらん、存知の意趣、佛祖の教へにはあるべしともおぼへざるなり。

 

一七 夜話に云く、學人は必ずしぬべきことを思ふべき道理は勿論なり。たとひ其のことをば思はずとも、暫く先づ光陰を徒らに過さじと思ひて、無用のことをなして徒らに時を過さず、詮あることをなして時を過すべきなり。其のなすべきことの中にも、亦一切のこといづれか大切なると云ふに、佛祖の行履の外はみな無用なりと知るべし。

 

一八 或る時弉問て云く、衲子の行履、舊損の衲衣等を綴り補ふてすてざれば、ものを貪惜するに似たり。亦舊きをすてて新しき隨て用れば、新しきを貪求する心あり。兩ながら咎あり。畢竟じていかんが用心すべき。

答て云く、貪惜貪求の二つをだにも離れなば、兩頭どもに失なからん。ただし、破たるを綴て久からしめて、新きをむさぼらずんば、可ならんか。

 

一九 夜話の次に、弉問て云く、父母の報恩等の事は作すべきや。

示して云く、孝順は最用なる所なり。然あれども其の孝順に在家出家の別あり。在家は孝經等の説を守て生につかへ死につかふること、世人みな知れり。出家は恩をすてて無爲に入る故に、出家の作法は恩を報ずるに一人にかぎらず、一切衆生をひとしく父母のごとく恩深しと思ふて、なす處の善根を法界にめぐらす。別して今生一世の父母にかぎらば無爲の道にそむかん。日日の行道、時時の參學、只佛道に隨順しもてゆかば、其れを眞實の孝道とするなり。忌日の追善中陰の作善なんどは皆在家に用ふる所ろなり。衲子は父母の恩の深きことをば實の如くしるべし。餘の一切も亦かくの如しと知るべし。別して一日を占てことに善を修し、別して一人を分て廻向するは、佛意にあらざるか。戒經の父母兄弟死亡之日の文は、且く在家に蒙むらしむるか。大宋叢林の衆僧、師匠の忌日には其儀式あれども、父母の忌日は是を修したりとも見へざるなり。

 

二〇 一日示して云く、人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなり。世間の人の馬より落る時、いまだ地におちつかざる間に種種の思ひ起る。身をも損じ命ちをも失するほどの大事出來る時は、誰人も才學念慮を廻すなり。其時は利根も鈍根も同くものを思ひ義を案ずるなり。然あれば今夜死に明日死ぬべしと思ひ、あさましきことに逢ふたる思ひを作して、切にはげまし志をすすむるに、悟りをえずと云ふことなきなり。中々世智辨聰なるよりも鈍根なるやうにて切なる志しを發する人、速に悟りを得るなり。如來在世の周梨槃特のごときは一偈を讀誦することも難かりしかど根性切なるによりて一夏に證を取りき。只今ばかり我が命は存ずるなり。死なざる先きに悟を得んと切に思ふて佛法を學せんに、一人も得ざるはあるべからざるなり。

 

二一 一夜示して云く、大宋の禪院に麥米等をそろへて惡きをさけ善きをとりて飯等にすることあり。是れを或る禪師の云く、直饒ひ我が頭をうち破ること七分にすとも、米をそろふることなかれと、頌につくり戒めたり。此のこころは、僧は齋食等をととのへて食することなかれ、只有るにしたがひてよければよくて食し、惡きをもきらはずして食すべきなり。只檀那の信施、淸淨なる常住食を以て、餓を除き命をささへて行道するばかりなり。味ひを以て善惡を擇ぶことなかれと謂ふなり。今ま我が會下の徒衆も此の心あるべし。

 

二二 因に問て云く、學人若し自己これ佛法なり、外に向て求むべからずとききて、深く此の言を信じて、向來の修行參學を放下して、本性に任せて善惡の業をなして一期を過さん、此の見解いかん。

示して云く、此の見解、言と理と相違せり。外に向て求むべからずと云て、行を捨て學を放下せば、此の放下の行を以て所求ありときこへたり。これ覓めざるにはあらず。只行學もとより佛法なりと證して、無所求にして、世事惡業等は我が心になしたくともなさず、學道修行の懶うきをもいとひかへりみず、此行を以て打成一片に修して、道成ずるも果を得るも我が心より求ることなふして行ずるをこそ、外に向て覓ることなかれと云道理にはかなふべけれ。南嶽の磚を磨して鏡となせしも、馬祖の作佛を求めしを戒めたり。坐禪を制するにはあらざるなり。坐はすなはち佛行なり、坐はすなはち不爲なり。是れ便ち自己の正體なり。此の外別に佛法の求むべき無きなり。

 

二三 一日請益の次でに云く、近代の僧侶、多く世俗に隨ふべしと云ふ。今思ふに然あらず。世間の賢すらなを民俗にしたがふことをけがれたることと云ひて、屈原の如きんば世は擧て皆よへり我は獨り醒たりとて、民俗に隨はずして、終に滄浪に歿す。況や佛法は事と事とみな世俗に違背せるなり。俗は髪を飾る、僧は髪を剃る、俗は多く食す、僧は一食す。皆そむけり。然して後に還て大安樂の人となるなり。故へに僧は一切世俗にそむけるなり。

 

二四 一日示して云く、治世の法は、上み天子より下も庶民に到るまで、各皆な其の官に居する者は其の業を修す。其の人にあらずして其の官に居するを亂天の事と云ふ。政道が天意に合う時は世すみ民やすきなり。故へに帝は三更の三點に起させ給ひて治世の時としましませり。たやすからざることなり。佛の法も只職のかはり業の異なるばかりなり。國王は自ら思量を以て政道をはからひ、先規をかんがへ、有道の臣を覓めて、政ごと天意に相合ふ時、是を治世と云ふなり。若し是を怠れば天に背き世亂れ民苦るしむなり。其れより以下、諸の公卿大夫士庶民皆各の司どる所ろの業あり。其れに順がふを人とは云なり。其れに背くは天事を亂る故に天の刑を蒙るなり。然あれば佛法の學人も、世を離れ家を出ればとて徒らに身を安すんぜんと思ふこと片時もあるべからず。初めは利あるに似たれども後には大いに害あるなり。出家の作法に順て全く其の職を治め其の業を修すべきなり。世間の治世は先規有道をかんがへ求れども、先聖先達のたしかに相傳したる例なければ自ら其の時の例に隨ふこともあれども、佛子はたしかなる先規教文顯然なり。亦相承傳來の知識現在せり。我れに思量あり。四威儀の中において一一に先規を思ひ先達に隨ひ修行せんになじかは道を得ざるべき。俗は天意に合はんと思ひ、衲子は佛意に合はんと思ふ。修業ひとしくして得果すぐれたれば一得永得ならん。かくの如く大安樂の爲に、一世幻化の此身を苦しめて佛意に隨んは、唯行者の心にあるべし。然ありと云へども亦そぞろに身を苦しめなすべからざることをなせと佛教には勸むることなきなり。戒行律儀に隨がひ以てゆけば、自然に身やすく行儀も尋常に人めもやすきなり。ほどに只今案の我見の身の安樂を捨てて、一向に佛制に順ずべきなり。

 

二五 亦云く、我れ大宋天童禪院に寓居せし時、淨老宵には二更の三點まで坐禪し、曉は四更の二點三點よりおきて坐禪す。長老と共に僧堂裡に坐す。一夜も懈怠なし。其の間だ衆僧多く眠る。長老巡り行て睡眠する僧をば或ひは拳を以て打ち、或ひは履をぬいで打ち、恥かしめ進めて眠りを醒す。猶を眠る時は照堂に行て鐘を打ち、行者を召し蠟燭をともしなんどして、卒時に普説して云く、僧堂裡に集り居て徒らに眠りて何の用ぞ。然あらば何ぞ出家して入叢林するや。見ずや、世間の帝王官人、何人か身をたやすくする。君は王道を治め臣は忠節を盡し、乃至庶民は田を開き鍬を取るまでも何人かたやすくして世を過す。是れをのがれて叢林に入て空く時光を過して、畢寛じて何の用ぞ。生死事大なり、無常迅速なりと教家も禪家も同く勸む。今夕明旦如何なる死をか受け如何なる病をかうけん。且く存ずるほど、佛法を行ぜず、睡り臥して空く時を過すこと最も愚なり。かくの如くなる故に佛法は衰へ行くなり。諸方佛法の盛んなりし時は、叢林皆坐禪を專らにせしなり。近代諸方坐禪を勸めざれば佛法澆薄しゆくなりと。かくの如くの道理を以て衆僧をすすめて坐禪せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり。今の學人も彼の風を思ふべし。亦或る時き、近仕の侍者等云く、僧堂裡の衆僧、眠りつかれて或ひは病ひ起り退心も起りつべし、これ坐の久き故か、坐禪の時剋を縮められばやと申しければ、長老大に

嗔りて云く、然あるべからず。無道心の者の假令に僧堂に居するは半時片時なりとも猶を眠るべし。道心ありて修行の志し有らんは、長からんにつけていよいよ喜び修せんずるなり。我れ弱かかりし時諸方の長老を歴觀せしに、ある長老此の如く勸めて云く、已前は眠る僧をば拳も欠なんとするほどに打ちたるが、今は老後になりてちからよはくなりて、つよくも打ち得ざるほどに、よき僧も出來らざるなり。諸方の長老も坐を緩く勸る故に佛法は衰微せるなり。我は彌よ打べきなり、とのみ示されしなり。

 

二六 亦云く、道を得ることは心を以て得るか、身を以て得るか。教家等にも身心一如と云て、身を以て得るとは云へども、猶一如の故にと云ふ。しかあれば正く身の得ることはたしかならず。今我が家は身心ともに得るなり。其の中に心を以て佛法を計校する間は、萬劫千生得べからず。心を放下して知見解會を捨る時得るなり。見色明心聞聲悟道の如きも、猶を身の得るなり。然あれば心の念慮知見を一向に捨て只管打坐すれば道は親しみ得なり。然あれば道を得ることは正しく身を以て得るなり。是に依て坐を專らにすべしと覺へて勸むるなり。

 

正法眼藏隨聞記第三

侍者懷弉編

 

一 示して云く、學道の人、身心を放下して一向に佛法に入るべし。古人云く、百尺竿頭如何進歩と。然あれば百尺の竿頭にのぼりて、足をはなたば死ぬべしと思ふて、つよく取つく心のあるなり。其れを一歩を進めよと云ふは、よもあしからじと思ひ切で、身命を放下するやうに、度世の業よりはじめて一身の活計に到るまで、思ひすつべきなり。其れを捨てざらんほどはいかに頭燃を拂ふて學道するやうなりとも、道を得ることはかなふべからざるなり。たぶ思ひ切で身心ともに放下すべきなり。

 

二 有る時、さる比丘尼問て云く、世間の女房なんどだにも佛法とて勤學す。比丘尼の身には少少の不可ありとも、何ぞ佛法にかなはざるべきと覺ゆ。いかんと。

示して云く、此の義、然あらず。在家の女人は其の身ながら佛法を學して得る事はありとも、出家の人、出家の心なからんは得べからず。佛法の人を擇ぶにはあらず、人の佛法に入らざればなり。出家在家の義其の心ろ異なるべし。在家人の出家人の心あるは出離すべし、出家人の在家人の心あるは二重のひがことなり。用心大に異なるべきことなり。作すことの難きにはあらず、能くすることの難きなり。出離得道の行は人ごとに心にかけたるには似たれども、能くする人まれなればなり。生死事大なり、無常迅速なり。心を緩くすることなかれ。世を捨てば實とに世を捨つべきなり。假名はいかにてもありなんとおぼ

ゆるなり。

 

三 夜話に云く、今時世人を見る中に、果報もよく家をも起す人は、皆心の正直に人の爲によき人なり。故に家をも保ち子孫までも昌ゆるなり。心に曲節ありて人の爲に惡き人は、設ひ一旦は果報もよく家を保てる樣なれども、終にはあしきなり。設ひ亦一期は無事にして過す樣なれども、子孫必ず衰微するなり。亦人のために善きことをして、其の人によしと思はれ喜びられんと思ふてするはあしきに比すれば勝ぐれたるに似たれども、猶を是は自身を思ふて人のために眞によきにはあらざるなり。其の人には知られざれども、人のために好き事をなし、乃至未來までも誰れが爲と思はざれども、人の爲によからん事をしをきなんどするを誠との善人とは云ふなり。況や衲僧は是にこへたる心をもつべきなり。衆生を思ふ事親疎を分かたず、平等に濟度の心を存じ、世出世間の利益すべて自利を思はず人にも知られず喜こびられずとも、只人の爲によきことを心の中に作して、我れはかくの如くの心もちたると人に知られざるなり。此の故實はまづ世を捨て身を捨つべきなり。我が身をだにも眞實に捨てぬれば、人によく思はれんと謂ふ心は無きなり。然あればとて亦人はなにとも思はば思へとて、惡しきことを行じ放逸ならんは亦佛意に背くなり。只よき事を行じ人の爲に善事をなして代りを得んと思ひ我が名を顯はさんと思はずして、眞實無所得にして、利生の事をなす。即ち吾我を離るる、第一の用心なり。此の心を存ぜんと思はばまづ無常を思ふべし。一期は夢の如し。光陰は早く移る。露の命ちは消へ易し。時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど、聊かのことにつけても人の爲によく佛意に順はんと思ふべきなり。

 

四 夜話に云く、學道の人は最も貧なるべし。世人を見るに財ある人はまづ嗔恚恥辱の二つの難定めて來るなり。寶らあれば人是を奪ひ取らんと思ふ、我は取られじとする時、嗔恚たちまちに起る。或は是を論じて問答對決に及びつゐには闘諍合戦をいたす。かくの如くのあひだに嗔恚も起り恥辱も來るなり。貧にして貪ぼらざる時は先づ此の難を免れて安樂自在なり。證拠眼前なり。教文を待べからず。爾のみならず古聖先賢是を誇り諸天佛祖皆な是を恥かしむ。然あるに愚癡なる人は財寶を貯へそこばくの嗔恚謹をいだくこと、恥辱の中の恥辱なり。貧しふして道を思ふは先賢古聖の仰ぐ所、諸佛諸祖の喜ぶ所ろなり。近來佛法の衰微しゆくこと眼前にあり。予始て建仁寺に入りし時見しと、後七八年過て見しと、次第にかはりゆくことは、寺の衆寮に塗籠をおき、各各器物を持し美服を好み財物を貯へ、放逸の言語を好み、問訊禮拜等の衰微することを以て思ふに、餘所も推察せらるるなり。佛法者は衣盂の外に財寶等を一切持べからず。なにを置んが爲に塗籠をしつらふべきぞ。人にかくすほどの物をばもつべからざるなり。盗賊等を怖るる故にこそかくし置んと思へ、捨て持たざれば還てやすきなり。人をば殺すとも人には殺されじと思ふ時こそ、身も苦しく用心もせらるれ、人は我れを殺すとも我れは報を加へじと思ひ定めつれば、用心もせられず盗賊も愁へられざるなり。時として安樂ならずと云ふことなし。

 

五 一日示して云く、宋土の海門禪師、天童の長老たりし時、會下に元首座と云僧ありき。この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり。有時夜る方丈に參じて、燒香禮拜して云く、請ずらくは某甲に後堂首座を許せと。時に禪師、流涕して云く、我れ小僧たりし時より未だ此の如きの事を聞かず。汝坐禪僧として首座長老を所望すること、大ひなる錯なり。なんぢ既に悟道せること、我れにも越へたり。然あるに首座を望むこと、是れ昇進の爲か。許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし。その心操卑劣なり。誠に是を以て餘の未悟の僧は推察せられたり。佛法の衰微せること、是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す。是れに愧て辞すといへども猶終に首座に請ず。其の後元首座、.此の詞ばを記録して自らを愧しめて師の美言を顯はす。今ま是を案ずるに、昇進を望み物のかしらとなり長老とならんと思ふことをば、古人是を慙しむ。只道を悟らんとのみ思ふて、餘事あるべからず。

 

六 有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり。破損せる故へに濕氣あがり、風霧冷かにして玉體おかされつべし。臣下等造作すべき由を奏しければ、帝の言く、時き農節なり。民定めて愁ひあるべし。秋を待て造るべし。濕氣に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり。天地に背かば身あるべからず、民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし。天地に合はば身を侵すべからずと云ふて、終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり。俗すら猶かくの如く民を思ふこと自身に超へたり。況や佛子は如來の家風を受て、一切衆生を一子の如くに憐むべし。我に属する侍者、所從なればとて呵嘖し煩はすべからず。いかに況や同學等侶、耆年宿老等をば恭敬すること、如來の如くすべしと、戒文分明なり。然あれば今の學人も、人には色にいでて知られずとも、心の内に上下親疎を分たず、人の爲によからんと思ふべきなり。大小の事につけて人を煩はして人の心を破ること有るべからざるなり。如來在世に外道多く如來を謗り惡みき。佛弟子問て云く、如來はもとより柔和を本とし慈悲を心とす、一切衆生ひとしく恭敬すべし、何が故にか此の如く隨はざる衆生あるや。佛の言く、吾れ昔し衆を領ぜし時、多く呵嘖羯磨を以て弟子をいましめき、是れに依て今かくの如しと、律の中かに見へたり。然あれば即ち設ひ住持長老として衆を領じたりとも、弟子の非をただしいさめん時、呵嘖の詞ばを用ひるべからず。ただ柔和の詞ばを以て誡め勸むとも隨ふべくんば隨ふべきなり。況や學人親族兄弟等の爲にあらき言ばを以て人を惡く呵嘖することは、一向にやむべきなり。能々意を用ふべし。

 

七 亦示して云く、衲子の用心は佛祖の行履を守るべし。第一には、先づ財寶を貪ぼるべからず。其の故は如來の慈悲深重なること、喩へを以ても量り難し。然あるに彼の所爲行履、皆是れ衆生の爲なり。一微塵計りも衆生の爲に利益ならざるべき事を行はせ給はず。其の故は佛は是れ輪王太子にてましませば、即位し給ひて一天をも御意にまかさせたまひ寶を以て弟子を憐れみ所領を以て弟子をはごくみ給ふべきに、何に故に位を捨てて自ら乞食を行じ給ふや。是決定末世の衆生の爲に弟子の行道のためにも利益となる因縁あるべき故に、財寶を貯へず乞食を行じおき給へり。爾しよりこのかた、天竺漢土の祖師の、よぎと人にも知られしは、みな貧窮乞食なさしめ給ふなり。況や我が門の祖師皆な財寶を貯ふべからずとのみ勸むるなり。教家にも此宗を讚ずるには先づ貧をほめ、傳來の書録にも貧を記してほむるなり。いまだ財寶に富み豐かにして佛法を行ずるとは聞かず。皆よき佛法者と云は、或は布衲衣常乞食なり。禪門をよき宗と云ひ禪僧を他に異なりとする、初の興りはむかし教院律院等に雜居せし時にも、身を捨てて貧人なるを以てなり。宗門の家風先づ此のことを存知すべし。聖教の文理を待べきにあらず。我身も田園等を持たる時もありき。亦財寶を領ぜし時もありき。彼の時の身心と此のころ貧ふして衣盂にともしき時とを比するに、當時の心すぐれたりと覺ゆる、是れ現證なり。

 

八 亦云く、古人の云く、其の人に似かずんば其の風を語ること莫れと。云心ろは其の人の徳を學ばず知ずして、其の人の失あるを見て、其の人はよけれども其の事は惡しさよ、惡き事をよき人もするかなと思ふべからずとなり。只其の人の徳を取て失を取ることなかれ。君子は徳を取て失を取らずと云ふは、此の心ろなり。

 

九 一日示して云く、人は必ず陰徳を修すべし。陰徳を修すれば必ず冥加顯益あるなり。設ひ泥木塑像の麁惡なりとも佛像をば敬ふべし。黄巻赤軸の荒品なりとも經教をば歸敬すべし。破戒無斷の僧侶なりとも僧體をば仰信すべし。内心に信心を以て敬禮すれば必ず顯福を蒙るなり。破戒無慙の僧、疎相の佛、麁品の經なればとて、不信無禮なれば必ず罰を蒙るなり。然あるべき如來の遺法にて、人天の福分となりたる佛像經巻僧侶なり。故に歸敬すれば必ず益あり。不信なれば罪を受るなり、いかに希有に淺猿くとも三寶の境界をば歸敬すべきなり。禪僧は善を修せず功徳を用ひずと云ふて、惡行を好むは究めたるひが事なり。先規いまだ惡行を好むことをきかず。丹霞天然禪師は木佛を焼く、是れらこそ惡事と見へたれども、一段の説法の施設なり。彼の師の行状の記を見るに、坐するに必ず儀あり、立するに必ず禮あり、常に貴き賓客に向へるが如し。暫時の坐にも必ず跏趺して叉手す。常住物を守ること眼睛の如くす。勤修するものあれば必ずこれを賀す。少善なれども是を重くす。常途の行状、ことに勝れたり。彼の記をとどめて今の世までも叢林の亀鑑とするなり。爾のみならず、諸ろの有道の師、先規悟道の祖を見聞するに、皆戒行を守り威儀をととのへ、設ひ少善といへども是を重くす。いまだ悟道の師の善根を忽諸することを聽かず。故に學人祖道に隨はんと恩はば、必ず善根を輕しめざれ。信仰を專らにすべし。佛祖の行道は必ず衆善の聚まる處なり。諸法皆佛法なりと通達しつる上は、惡は決定惡にして佛祖の道に遠ざかり、善は決定善にして佛道の縁となると知るべし。若しかくの如くならばなんぞ三寶の境界を重くせざらんや。

 

一〇 亦云く、今ま佛祖の道を行ぜんと思はば、所期も無く所求も無く所得もなふして、無利に先聖の道を行じ祖祖の行履を行ずべきなり。所求を斷じ佛果を望むべからざればとて、修行を止め本の惡行に住まらば、却て是れ本の所求にとどまり本の窠臼に墮するなり。全く一分の所期を存ぜずして只人天の福分とならんとて、僧の威儀を守り、濟度利生の行履を思ひ、衆善をこのみ修して、本の惡をすてて、今の善にとどこほらずして、一期行じもてゆかば、是を古人も打破漆桶底と云ふなり。佛祖の行履と云は此の如くなり。

 

一一 一日僧來て學道の用心を問ふ。次でに示して云く、學道の人は先須く貧なるべし。財おほければ必ず其の志を失ふ。在家學道のもの猶を財寶にまとはり居處をむさぼり眷屬に交はれば、設ひ其の志しありと云へども障道の因縁多し。古來俗人の參學する多けれども、其の中によしと云ふも猶を僧には及ばず。僧は三衣一鉢の外は財寶をもたず、居處を思はず、衣食を貪らざる間だ、一向に學道すれば分分に皆得益あるなり。其のゆへは貧なるが道に親きなり。龐公は俗人なれども僧におとらず、禪席に名をとぶめたるは、かの人參禪のはじめ家の財寶を持ち出して海に沈めんとす。人是れを諌めて云く、人にも與へ佛事にも用ひらるべしと。時に他に對して云く、我已に冤なりと思ひて是れを捨つ。冤としりて何ぞ人に與ふべき。寶らは身心を愁へしむるあたなりと云ひて、つゐに海に入れ了りぬ。然ふして後ち、活命の爲には笊をつくりて賣て過けるなり。俗なれどもかくの如く財寶を捨ててこそ、善人とも云れけれ。いかに況や僧は一向にすつべきなり。

 

一二 僧の云く、唐土の寺院には定まりて僧祇物あり常住物等ありて置れたれば、僧の爲に行道の資縁となりて其の煩ひなし。此の國は其の義なければ、一向捨棄せられては中中行道の違亂とやならん。かくの如くの衣食資縁を思ひあててあらばよしと覺ゆ、いかん。

示して云く、然あらず。中中唐土よりは此の國の人は無理に僧を供養じ非分に人に物を與ふることあるなり。先づ人は知らず、我れは此の事を行じて道理を得たるなり。一切一物も持たず、思ひあてがふことも無ふして、十餘年過ぎ了りぬ。一分も財を貯へんと思ふこそ大事なれ。僅の命をいくるほどのことは、いかにと思ひ貯へざれども天然としてあるなり。人皆な生分あり、天地是れを授く。我れ走り求めざれども必ず有なり。況や佛子は如來遺囑の福分あり、不求自得なり。只一向にすてて道を行ぜば、天然これあるべし。是れ現證なり。

 

一三 亦云く、學道の人、多分云ふ、若し其のことをなさば世人是を謗ぜんかと。此の條太だ非なり。世間の人いかに誘ずるとも、佛祖の行履、聖教の道理にてだにもあらば依行ずべし。設ひ世人擧つてほむるとも、聖教の道理ならず、祖師も行ぜざることならば、依行すべからず。其れ故に世人の親疎我れをほめ我れを誹ればとて彼の人の心ろに隨ひたりとも、我が命終の時惡業にも引れ惡道へ落なん時、彼の人いかにも救ふべからず。亦設ひ諸人に誘ぜられ惡まるるとも、佛祖の道に依行せば、眞實に我れをたすけられんずれば、人の謗ずればとて道を行ぜざるべからず。亦かくの如く謗じ讚ずる人、必ずしも佛祖の行を通達し證得せるにあらず。なにとしてか佛祖の道を世の善惡を以て判ずべき。然あれば世人の情には順ふべからず。只佛道に依行すべき道理ならば一向に依行すべきなり。

 

一四 亦ある僧云く、某甲老母現在せり。我れは即ち一子なり。ひとへに某甲が扶持に依りて度世す。恩愛もことに深し。孝順の志しも深し。是れに依ていささか世に隨ひ人に隨ふて、他の恩力を以て母の衣糧にあつ。我れ若し遁世籠居せば母は一日の活命も存じ難し。是れに依て世間にありて一向佛道に入らざらんことも難事なり。若し猶も捨てて道に-入るべき道理あらば其の旨いかなるべきぞ。

示して云く、此こと難事なり。他人のはからひに非ず。ただ自ら能々思惟して誠に佛道に志し有らば、いかなる支度方便をも案じて母儀の安堵活命をも支度して佛道に入らば、兩方倶によき事なり。切に思ふことは必ずとぐるなり。強き敵、深き色、重き寶らなれども、切に思ふ心ふかければ、必ず方便も出來る樣あるべし。是れ天地善神の冥加もありて必ず成ずるなり。曹溪の六祖は新州の樵人にて薪を充て母を養ひき。一日市にして客の金剛經を誦するを聽て發心し、母を辞して黄梅に參ぜし時、銀子十兩を得て母儀の衣糧にあてたりと見ゑたり。是れも切に思ひける故に天の與へたりけるかと覺ゆ。能々思惟すべし。

是れ最ともの道理なり。母儀の一期を待て其の後障碍なく佛道に入らば次第本意の如くにして神妙なり。しかあれども亦知らず、老少不定なれば、若し老母は久くとどまりて我は先に去ること出來らん時に、支度相違せば、表れは佛道に入らざることをくやみ、老母は是れを許さざる罪に沈て、兩人倶に益なふして互に罪を得ん時いかん。若し今生を捨てて佛道に入りたらば、老母は設ひ餓死すとも、一子を放るして道に入らしめたる功徳、豈に得道の良縁にあらざらんや。尤も曠劫多生にも捨て難き恩愛なれども、今生人身を受て佛教にあへる時捨てたらば、眞實報恩者の道理なり。なんぞ佛意にかなはざらんや。一子出家すれば七世の父母得道すと見えたり。何ぞ一世の浮生の身を思ふて永劫安樂の因を空く過さんやと云道理もあり。是らを能々自ら計らふべし。

 

正法眼藏隨聞記第四

侍者懷弉編

 

一 一日參學の次でに示して云く、學道の人は、自解を執することなかれ。設ひ會する所ろありとも、若し亦決定よからざる事もやあらん、亦是よりもよき義もやあらんと思ふて、廣く知識をも訪ひ、先人の言をも尋ぬべきなり。亦先人の言なりともかたく執する事なかれ。若し是もあしくもやあるらん、信ずるにつけてもと思て、次第にすぐれたる事あらば其れにつくべきなり。

 

二 亦云く、南陽の忠國師、紫璘供奉に問ふ、甚の處よりか來る。奉云、城南より來る。師云、城南の艸何色をか作す。奉云、黄色を作す。師乃ち童子に問ふ、城南の艸何色を作す。子云、黄色を作す。師云、祇這の童子も亦簾前に紫を賜て御に對し玄を談ず。しかあれば童子も國皇の師として眞色を答ふべし。汝が見所常途に超へずとなり。後來有人の云く、供奉が常途に超へざる過、甚れの處にかある。童子も同く眞色を説く。是れこそ眞の知識たらめと云て、國師の義を用ひず。故に知ぬ、必しも古人の言ばを用ひず、只寔との道理を存ずべきなり。疑心はあしき事なれども、亦信ずまじきことをかたく執して、尋ぬべき義をも問はざるはあしきなり。

 

三 亦示して云く、學人の第一の用心は先づ我見を離るべし。我見を離るると云ふは、此の身を執すべからず。設ひ古人の語話を究め常坐鐵石の如くなりとも、此の身に著して離れずんば、萬劫千生にも佛祖の道を得べからず。いかに況や、權實の教法、顯密の正教を悟り得たりと云とも、身を執するこころを離れずんば徒らに他の寶を數て自ら半錢の分なし。只請ふらくは學人靜坐して、道理を以て此の身の始終を尋ぬべし。身體髪膚は父母の二滴、一息とどまりぬれば山野に離散して終に泥土となる。何を持てか身と執せん。況や法を以て見れば、十八界の聚散、いづれの法をか決定して我が身とせん。教内教外別なりとも、我が身の始終不可得なることを行道の用心とすること、是れ同じし。先づ此の道理に達すれば寔の佛道顯然なるものなり。

 

四 一日示して云く、古人云く、善者に親近すれば、霧露の中に行くが如し、衣を濕せずと雖も、時時に潤有り。謂ふ心は、善人になるれば覺ゑざるに善人となるなり。普し倶胝和尚に仕へし一人の童子のごときは、いつ學しいつ修したりとも見へず覺へざれども、久參に近づいたる故に悟道す。坐禪も自然に久くせば忽然として大事を發明して、坐禪の正門なることを知るべきなり。

 

五 嘉禎二年臘月除夜、始て懷弉を興聖寺の首座に請ず。即ち小參の次で、初て秉拂を首座に請ふ。是れ興聖寺最初の首座なり。小參の趣きは、宗門の佛法傳來の事を擧揚するなり。初祖西來して、少林に居して機をまち、時を期して面壁して坐せしに、某の歳の窮臘に神光來參しき。初祖最上乘の器なりと知て接待して、衣法共に相承傳來して、兒孫天下に流布し、正法今日に弘通す。當寺始て首座を請じ、今日初て秉拂を行なはしむ。衆の少きを憂ふること莫れ。身の初心なるを顧みることなかれ。汾陽は僅に六七人、藥山は十衆に滿たざるなり。然あれども皆佛祖の道を行じき。是を叢林のさかんなると云き。見ずや、竹の聲に道を悟り、桃の花に心を明らむ。竹豈に利鈍あり迷悟あらんや。花何ぞ淺深あり賢愚あらん。花は年年に開くれども人みな得悟するに非ず。竹は時時に響けども聞く者盡く證道するにあらず。ただ久參修持の功により、辨道勤勞の縁を得て、悟道明心するなり。是れ竹の聲の獨り利なるにあらず。亦花の色の殊に深きにあらず。竹の響き妙なりと云へども自ら鳴らず、瓦らの縁をまちて聲を起こす。花の色ろ美なりと云へども獨り開くるにあらず、春風を得て開るなり。學道の縁もまたかくの如し。此の道は人人具足なれども、道を得る事は衆縁による。人人利なれども、道を行ずることは衆力を以てす。ゆゑに今ま心をひとつにし志をもつぱらにして、參究尋覓すべし。玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。いつれの玉か初より光りある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。自ら卑下して學道をゆるくすることなかれ。古人の云く、光陰空くわたることなかれと。今問ふ、時光は惜むによりてとどまるか。惜めどもとどまらざるか。すべからくしるべし。時光は空くわたらず、人は空くわたることを。人も時光とおなじくいたづらに過すことなく、切に學道せよと云ふなり。かくのごとく參究を同心にすべし。我れ獨り擧揚するも容易にするにあらざれども、佛祖行道の儀、大概みなかくの如くなり。如來の開示に隨ひて得道するもの多けれども、亦阿難によりて悟道する人もありき。新首座非器なりと卑下することなかれ。洞山の麻三斤を擧揚して同衆に示すべしと云て、座を下て後ち再び鼓を鳴らして首座秉拂す。是れ興聖最初の秉拂なり。懷弉懷 三十九の歳なり。

 

六 一日示して云く、俗人の云く、何人か好衣を望まざらん、誰人か重味を貪ぼらざらん。然あれども道を存ぜんと思ふ人は、山に入り雲に眠り寒むきをも忍び飢へをも忍ぶ。先人苦るしみなきに非ず、是れを忍びで道を守ればなり。後人是れを聽て道を慕ひ徳を仰ぐなり。俗すら賢なるは猶をかくの如し。佛道豈に然らざらんや。古人もみな金骨にはあらず。在世もことごとく上器にはあらず。大小の律藏によりて諸の比丘をかんがふるに、不可思議の不當の心を起すもありき。然あれども後には皆得道し羅漢となれりと見へたり。しかあれば載れらも賤く拙なしと云ふとも、發心修行せば決定得道すべしと知て、即ち發心するなり。古へも皆な苦を忍び寒にたゑて、愁ひながら修行せしなり。今の學者苦るしく愁るとも只しひて學道すべきなり。

 

七 示して云く、學道の人、悟を得ざることは即ちただ舊見を存ずるゆへなり。本より誰がおしへたりとも知らざれども、心と云は念慮知覺なりと思ひ、心は草木なりと云へば信ぜず。佛と云へば相好光明あらんずると思ふて、佛は瓦礫と説けば耳を驚かす。かくのごときの執見、父も相傳せず、母も教授せず、只無理自然に久く人のことばにつきて信じ來れることなり。然あれば今も佛祖決定の説なれば、あらためて心は艸木と云はば便艸木を心と知り、佛は瓦礫といはば瓦礫を便ち佛なりと信じて、本執をあらため去らば、道を得べきなり。古人の云く、日月あきらかなれども浮雲是れをおほふ、叢蘭茂せんとすれども秋風吹て是れをやぶると。貞觀政要にこれを引て、賢王と惡臣とに喩ふ。今ま云く、浮雲おほふとも久しからず。秋風破ぶるとも亦開くべし。臣わるくとも王の賢強くんば轉ぜらるべからず。今ま佛道を存ぜんことも亦かくの如くなるべし。いかに惡心おこるとも、かたく守り久く保たば、浮雲もきえ秋風も止まるべきの道理なり。

 

八 一日示して云く、學人初心のときは、道心ありても無ても、經論聖教等を能々見るべし、まなぶべし。我れ始てまさに無常によりて聊か道心を發し、終に山門を辞して遍く諸方を訪ひ道を修せしに、建仁寺に寓せし中間、正師にあはず善友なき故に、迷て邪念を起しき。教道の師も、先づ學問先達にひとしくしてよき人と成り國家にしられ天下に名譽せん事を教訓する故に、教法等を學するにも、先づ此の國の上古の賢者にひととを思ひ、大師等にも同じからんと思ひき。因に高僧傳續高僧傳等を披見して、大唐の高僧、佛法者の樣子を見しに、今の師のおしへの如くにはあらず。亦我が起せるやうなる心は皆經論傳記等にはいとひにくみけりと思ひしより、やうやく道理をかんがふれば、名聞を思ふとも、當代下劣の人によしと思はれんよりも、只上古の賢者、向後の善人をはづべし。ひとしからんことを思ふとも、此國の人よりも唐土天竺の先達高僧をはぢて、彼にひとしからんと思ふべし。乃至諸天冥衆諸佛菩薩等にひとしからんとこそ思ふべけれと。この道理を得て後には此の國の大師等は土瓦の如くにおぼへて、從來の身心皆あらためき。佛の一期の行儀を見れば、王位をすてて山林に入り、成道の後も一期乞食すと見へたり。律に云く、知家非家捨家出家と云云。古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと。云こころは、共に慢心なり。高ふしても下らんことを忘るることなかれ。安すふしても危からん事を忘るることなかれ。今日存ずるとも明日もと思ふことなかれ。死の至てちかくあやふきこと脚下にあり。

 

九 示して云く、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり。此こにつかはるる老尼公ありけるが、當時いやしげにして在るをはづる顔にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る。たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覺へぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり。皆人の思はくは此の心あるかと覺ゆるなり。道心の無きほども知られたり。是れらの心を改ためて少し人には似るべきなり。亦有る入道の究て無道心なるあり。去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと佛神に祈誓せよと云はんと思ふ。定て彼れ腹立して中をたがふことあらん。然あれども道心を發さざらんには得意にてもたがひに詮なかるべし。

 

一〇 示して云く、古へに三たび復さふして後に云へと。云ふ心は、凡そものを云はんとする時も、事を行ぜんとする時も、必ずみたび復さふして後に言行すべしとなり。先儒のおもはくは、三度び思ひかへりみるに三度びながら善ならば云ひ行なへと云ふなり。宋土の賢人等の心ろは、三度び復さふずと云は、幾度も復せと謂ふ心なり。言ばよりさきに思ひ、行よりさきに思ひ、思ふたびごとにかならず善ならば言行すべきとなり。衲子も亦必ず然かあるべし。我が思ふことも言ふこともあしきことあるべき故に、まづ佛道に合ふや否やとかへりみ、自他の爲に益ありやいなやと能々思ひかへりみて後に、善なるべくんば行ひもし言ひもすべきなり。行者しかくのごとく心を守らば、一期佛意に背かざるべし。予昔年初て建仁寺に入りし時は、僧衆隨分に三業を守て、佛道の爲め利他のために惡きことをば、云はじせじと各各志ざせしなり。僧正の徳の餘殘ありしほどはかくの如くなりき。今時は其の儀なし。今の學者しるべし。決定して自他の爲め佛道の爲に詮あるべきことならば、身をわすれても言ひもしは行ひもすべきなり。其の詮なきことは言行すべからず。宿老耆年の言行する時は、末臘の人は言とばをまじゆべからず。是れ佛制なり。能々是れを思ふべし。身をわすれて道を思ふことは俗なを此の心ろあり。むかし趙の藺相如と云ひし者は、下賤の人なりしかども、賢なるによりて趙王にめしつかはれて天下の事をおこなひき。趙王の使ひとして、趙璧と云玉を秦の國へつかはさしめたまふ。彼の璧を十五城にかへんと秦王の云し故に、相如にもたせてつかはすに、餘の臣下議して云く、是れほどの寶を相如ごときの賤人に持たせてつかはすこと、國に人なきに似たり。餘臣のはぢなり。後代のそしりなるべし。みちにて此の相如を殺して璧を奪ひ取らんと議しけるを、ときの人ひそかに相如にかたりて、此のたびの使を辞して命を保つべしと云ひければ相如云く、某がし敢て辞すべからず。相如王の使として璧を持て秦にむかふに、佞臣の爲に殺されたると後代に聞へんは、我ためによろこびなり。我が身は死すとも賢の名は殘るべしと云て、終にむかひぬ。餘臣も此の言ばを聽て、我れら此の人をうちうることあるべからずとて、とどまりぬ。相如ついに秦王に見へて璧を秦王にあたふるに、秦王十五城をあたふまじき氣色見へたり。時に相如、はかりごとを以て秦王にかたりて云く、その璧にきずあり、我れ是れを示さんと云て、璧をこひ取て後に相如が云く、王の氣色を見るに十五城を惜める氣色あり、然あらば我が頭べを以て此の璧を銅柱にあててうちわりてんと云て、嗔れる眼を以て王を見て銅柱のもとによる氣色、まことに王をも犯しつべかりし。時に秦王の云く、汝ぢ璧をわることなかれ、十五城を與ふべし、あひはからはんほど汝ぢ璧を持ベしと云しかば、相如ひそかに人をして璧を本國へかへしぬ。後に亦澠池と云ふ處にて趙王と秦王とあそびしに、趙王は琵琶の上手なり。秦王命じて彈ぜしむ。趙王相如にも云ひ合せずして即ち琵琶を彈じき。時に相如、趙王の秦王の命に隨へることを嗔て、我行て秦王に簫を吹かしめんと云て、秦王につげて云く、王は簫の上手なり、趙王聞んことをねがふ、王吹たまふべしと云しかば、秦王是れを辞す。相如が云く、王若し辞せば王をうつべしと云ふ。時に秦の將軍、劒を以て近づきよる。相如これをにらむに兩目ほころびさけてげり。將軍恐て劒をぬかずして歸りしかば、秦王ついに簫を吹くと云へり。亦後に相如大臣となりて天下の事を行ひし時に、かたはらの大臣、我れにまかさぬ事をそねみて相如をうたんと擬する時に、相如は處々ににげかくれ、わざと參内の時も參會せず、おぢおそれたる氣色なり。時に相如が家人いはく、かの大臣をうたんこと易きことなり、なんが故にかおぢかくれさせたまふと云ふ。相如が云く、我れ彼をおそるるにあらず。我が眼を以て秦の將軍をも退け、秦の璧をも奪ひき。彼の大臣うつべきこと云ふにも足らず。然あれどもいくさを起しつはものを集むることは敵國を防ぐためなり。今ま左右の大臣として國を守るもの、若し二人なかをたがひていくさを起して一人死せば一方欠くべし。然あらば隣國喜びていくさを起すべし。かるがゆへに二人ともに全ふして國を守らんと思ふ故に、彼れといくさを起さずと云ふ。かの大臣、此のことばを聞てはぢて還て來り拜して、二人共に和して國をおさめしなり。相如身をわすれて道を存ずることかくの如し。今ま佛道を存ずることも彼の相如が心の如くなるべし。寧しろ道ありては死すとも道無ふしていくることなかれと云云。

 

一一 示して云く、善惡と云ふこと定め難し。世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ。麁布糞掃衣をわるしと云ふ。佛法には此れをよしとし淸しとし、金銀錦綾をわるしとしけがれたりとす。かくの如く一切のことにわたりて皆然り。予が如きも聊か韻聲をととのへ文字をかきすぐるるを俗人等は尋常ならぬことに云もあり。亦有人は、出家學道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり。いづれをか定めて善として取り惡としてすつべきぞ。文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品の中におくを惡と云ふと。亦云く、苦を受くべきを惡と云ふ、樂をまねくべきを善と云ふと。かくの如く子細に分別して眞實の善を見て行じ、眞實の惡を見てすつべきなり。僧は淸淨の中より來れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとしきよきとするなり。

 

一二 示して云く、世間の人多分云く、學道のこころざしあれども世は末世なり、人は下劣なり、如法の修行にはたゆべからず、只隨分にやすきにつきて結縁を思ひ、他生に開悟を期すべしと。今ま云ふ、此の言は全く非なり。佛教に正像末を立ること暫く一途の方便なり.在世の比丘必ずしも皆すぐれたるにあらず。不可思議に希有にあさましく下根なるもありき。故に佛け種々の戒法等をまふけ玉ふこと、皆わるき衆生下根の爲なり。人人皆な佛法の器なり。かならず非器なりと思ふことなかれ。依行せば必ず證得得べきなり。既に心あれば善惡を分別しつべし。手あり足あり合掌歩行にかけたる事あるべからず。しかあれば佛法を行ずるには器をえらぶべきにあらず。人界の生は皆な是れ器量なり。餘の畜生等の生にてはかなふべからず。學道の人只明日を期することなかれ。今日今時ばかり佛法に隨て行じゆくべきなり。

 

一三 示して云く、俗の云く、城を傾むくることは、中にささやき言と出來るに依るなりと。亦云く、家に兩言ある時は針をも買ふことなし、家に兩言なき時は金をも買ふあたひありと。俗猶を家をたもち城を守るに、同心ならざれば終にほろぶと云へり。況や出家人は、一師に學して水乳の和合せるが如くすべし。亦六和敬の法あり。各の各の寮々をかまへて身をへだてて心ろ心ろに學道の用心することなかれ。一船にのりて海をわたるが如し。同心に威儀を同ふし、たがひに非を改め、是に隨て同く學道すべきなり。是れ佛在世より行じ來れる儀式なり。

 

一四 示して云く、楊岐山の會禪師はじめ住持の時、寺院舊損して僧のわづらひありし時、知事申して云く、修理あるべしと。會の云く、堂閣破ぶれたりとも露地樹下にはまさるべし。一方破ぶれてもらば、一方のもらぬ處に屈して坐禪すべし。堂宇造作によりて僧衆悟りを得べくんば、金玉を以てもつくるべし。悟は居所の善惡にはよらず、只坐禪の功の多少にあるべしと。翌日の上堂に云く、楊岐乍ち住して屋壁疎なり、滿床盡く布く雪の眞珠、項を縮却して暗に嗟嵯吁す、良久して云く翻て憶ふ古人樹下の居と。ただ佛道のみにあらず、政道も亦かくの如し。唐の太宗はいやをつくらず。龍牙云く、學道は先づ須く且く貧を學すべし、貧を學て貧にして後に道方に親しと云ふ。昔し釋尊より今に至るまで、眞實學道の人たからにゆたかなりとは聞かず見ざるなり。

 

一五 一日有る客僧問て云く、近代遁世の法は各の各の齋料等のことをかまへ用意して、後のわづらひなきやうに支度す。是れ小事なりと云へども學道の資縁なり。かけぬればことの違亂出來る。今師の御樣を承り及ぶには、一切其の支度なく只天運にまかすと。若し實にかくのごとくならば後時の違亂あらんか、いかん。

答て云く、事皆な先證あり。敢て私曲を存ずるにあらず。西天東地の佛祖、皆かくの如し。白毫一分の福の盡る期あるべからず。何ぞ私に活計をいたさん。亦明日の事はいかにすべしとも定め圖り難し。此の樣は佛祖のみな行じ來れる所ろにて私なし。若し事と闕如して絶食せば其の時にのぞんで方便をもめぐらさめ。兼て是を思ふべきことにはあらざるなり。

 

一六 示して云く、傳へ聞く、實否は知らざれども、故持明院の中納言入道、あるとき秘藏の太刀を盗まれたりけるに、士ひの中に犯人ありけるを、餘の士ひ沙汰し出してまひらせたりしに、入道の云へらく、此れは我が太刀にあらず、ひがことなりとてかへされたり。決定その太刀なれども、士ひの恥辱を思ふてかへされたりと人皆な是を知りけれども、其の時は無爲にしてすぎけり。故に子孫も繁昌せり。俗なを心ろある人はかくの如し。いはんや出家人、必ずしも此の心あるべし。出家人はもとより身に財寶なければ、智慧功徳を以てたからとす。他の無道心なるひがことなんどを、直に面てにあらはして非におとすべからず、方便を以て彼れのはらたつまじき樣に云ふべきなり。暴惡なるは其の法久しからずと云ふ。設ひ法を以て呵嘖するとも、あらき言葉なるは法も久しからざるなり。小人下器はいささかも人のあらき言ばに必ず即ちはらたち、恥辱を思ふなり。大人上器には似るべからず。大人はしかあらず。設ひ打たるれども報を思はず。今我國には小人多し。つつしまずんばあるべからざるなり。

 

正法眼藏隨聞記第五

侍者懷弉編

 

一 一日示して云く、佛法の爲には身命を惜むことなかれ。俗猶を道の爲には身命をすて、親族をかへりみず忠を盡し節を守る。是を忠臣とも云ひ賢者とも云ふなり。昔し漢の高祖隣國といくさを起す時、ある臣下の母敵國にありき。官軍も二た心ろ有らんかと疑ひき。高祖も、かれ若し母を思ひて敵國へさることもやあらんずらん、若しさあらば軍やぶるべしとてあやぶむ。爰に彼の母も、我が子もし我れによりて我が國へ來ることもやあらんかとおもひ、誡ていはく、われによりていくさの忠をゆるくすることなかれ、我れもしいきていたらば汝ぢ二た心ろもやあらんと云ひて、劒に身をなげてうせてげり。其の子本よりふた心ろなかりしかば、其のいくさに忠節を致す志し深かりけると云ふ。況や衲子の佛道を存ずるも、必しも二た心無き時、まことに佛道に契ふべし。佛道には慈悲智慧本よりそなはる人もあり。設ひ無きひとも學すれば得なり。只身心を倶に放下して、佛法の大海に廻向して、佛法の教に任せて、私曲を存ずることなかれ。亦漢の高祖の時、ある賢臣の云く、政道の理亂はなはの結ぼふれるを解が如し。急にすべからず。能々むすびめを見てとくべしと。佛道も亦かくの如し。能々道理を心得て行ずべきなり。法門を能く心ろふる人は、必ず強き道心ある人よく心得なり。いかに利智聰明なる人も、無道心にして吾我をも離れえず名利をも棄えぬ人は、道者ともならず、正理をも心ろ得ぬなり。

 

二 示して云く、學道の人は吾我の爲に佛法を學することなかれ。只佛法の爲に佛法を學すべきなり。其の故實は我が身心を一物ものこさず放下して佛法の大海に廻向すべきなり。其の後は一切の是非管ずることなく、我が心を存ずることなく、なし難く忍び難きことなりとも、佛法の爲につかはれてしひて此れをなすべし。我が心に強てなしたきことなりとも、佛法の道理なるべからざる事は放捨すべきなり。穴な賢こ。佛道修行の功を以てかはりに善果を得んと思ふことなかれ。只一度佛道に廻向しつる上は再び自己をかへりみず、佛法のおきてに任せて行じゆひて、私曲を存ずることなかれ。先證皆かくの如し。心にねがひ求ることなければ即ち大安樂なり。世間の人も、他にまじはらず己れが家ばかりにて生長したる人は、心のままにふるまひ己が心を先として、人目をしらず、人の心を兼ざる人は、必ずしもあしきなり。學道の用心も亦かくのごとし。衆にまじはり師に順じて我見を立せず、心をあらためゆけば、たやすく道者となるなり。學道は先ずべからく貧を學すべし。名をすて利をすて、一切諂らふことなく、萬事なげすつれば、必ずよき道人となるなり。大宋國によき僧と人にも知られたる人は、皆貧窮人なり。衣服もやぶれ諸縁も乏しきなり。往日天童山の書記、道如上座と云し人は、官人宰相の子なり。しかれども親族をも遠離し世利を貪らざりしかば、衣服のやつれ破壞したること目もあてられざりしかども、道徳人に知られて名巒大寺の書記とも成られしなり。予あるとき如上座に問て云く、和尚は官人の子息にて富貴の種族なり、何ぞ身にちかづくる物皆下品にして貧窮なるや。

如上座答て云く、僧となればなり。'

三 一日示して云く、俗人の云く、寶はよく身を害する怨なり、昔も是れあり、今も是れ有りと。云ふこころは、昔し一人の俗人あり。一人の美女をもてり。時に威勢ある人是を請ふ。彼の夫是を惜む。終に兵を起して其家を囲めり。既に奪ひ取れんとする時、夫が云く、我れ汝が爲に命を失ふと。女が云く、我れも夫の爲に命を失はんと云て、高樓より落で死す。そののち彼の夫うちもらされて、後に物語りにせしとなり。亦云く、昔し一人の賢人、州吏として國政を行ふ。時に息男あり。官事によりて父を辞し、拜して去る。時に父一疋の縑を與ふ。息の云く、君は高亮なり、此の縑いづくよりか得たるや。父云く、俸禄のあまりなりと。息さりて皇帝に奉りまいらせてその由を奏す。帝太だ其の賢なることを感じたまふ。息男申さく、父は名をかくす、我れは名を顯はす、眞に父の賢勝れたりと。此の心は、一疋の縑は是れ少分なれども、賢人は私用せざること聞へたり。亦寔の賢人は名をかくす。俸禄なれば使用するよしを云ふなり。俗人猶を然り。況や學道の衲子、私を存ずることなかれ。亦寔の道を好まば道者の名をかくすべきなり。亦云、仙人ありき。或人問て云く、如何がして仙を得ん。仙人の云く、仙を得んと思はば仙道を好むべしと。然れば學人も佛祖の道を得んと思はば須く佛祖の道を好むべし。

 

四 示して云く、普し國王あり。國を治て後ちに諸の臣下に問ふ。我好く國を治む、よく賢なりやと。諸臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと。時に一臣ありて云く、帝は賢ならずと。帝の云く、故は如何。臣が云く、國を治て後ち、帝の弟に與へずして息に與ふと。帝の心にかなはずしてをひ立られて後、亦一臣に問、朕よく仁なりや。臣が云く、甚だ仁なり。帝の云く、其の故いかん。臣が云く、仁君には必ず忠臣あり。忠臣は直言あるなり。前きの臣太だ直言なり。是れ忠臣なり。仁君にあらずんば得じと。帝是を感じて即ち前きの臣をめしかへさるるなり。亦云く、秦の始皇のとき、太子の花園をひろめんとの玉ふ。臣の云く、最もよし、花園ひろふして鳥獸多く集りたらば、鳥獸を以て隣國の軍を防ぐべしやと。是に依て其の事止まりぬ。亦宮殿を作り柱を漆にぬらんと言ふ。臣の云く、最も然るべし、柱をぬりたらんには敵とどまらんかと。然あれば其の事も止りぬ。儒教の心はかくのごとくたくみに言を以て惡事をとどめ善事すすめしなり。衲子の人を化する意巧も其の心有べきなり。

 

五 一日僧問て云く、智者の無道心なると無智の有道心なると、始終いかん。答て云く、無智の有道心は終に退すること多し。智慧ある人は無道心なれども終には道心を起すなり。當世も現證是れ多し。然あれば先づ道心の有無を云はず、學道を勤むべきなり。道を學せば只だ貧なるべし。内外の書籍を見るに、貧ふして居所もなく、或は滄浪の水に浮び、或は首陽の山にかくれ、或は樹下露地に端坐し、或は塚間深山に卓菴する人もあり。亦富貴にして財多く、朱漆をぬり金玉をみがきて宮殿等を造るもあり。倶に典籍にのせたり。然といへども後代をすすむるには皆貧にして財なきを以て本とす。訕りて罪業を誡むるには、富て財多きを驕奢の者と云て誹れるなり。

六 示して云く、出家人は必ず人の施を受て喜ぶことなかれ。亦受ざることなかれ。故僧正の云く、人の供養を得て喜ぶは佛制にたがふ。喜ばざるは檀越の心にたがふ。此の故實用心は、我に供養ずるに非ず、.三寶に供養ずるなり。かるがゆへに彼の返事には、此の供養は三寶定て納受有るべしと言ふべきなり。

 

七 示して云く、古へに謂ゆる君子の力は牛に勝れり、然あれども牛とあらそはずと。今の學人、我が智慧才學人に勝れたりと存ずるとも、人と諍論を好むことなかれ。亦惡口を以て人を呵嘖し、怒目を以て人を見ることなかれ。今時の人、多く財をあたへ恩を施せども、嗔恚を現じ惡口を以て謗言する故に、必ず逆心を起すなり。昔眞淨文和尚、衆に示して云く、我むかし雲峰とちぎりをむすんで學道せしとき、雲峰同學と法門を論じ、衆寮にてたがひに高聲に論談し、つゐには互に惡口に及び諠譁しき。諍論已ににやんで雲峰我れに謂て云く、我と汝と同心同學なり、契約淺からず、何が故ぞ我れ人とあらそふに口入をせざるやと。我れそのとき揖して恐惶せるのみなり。其の後彼も一方の善知識たり、我れも今住持たり。往日おもへらく、雲峰の論議、畢竟無用なり。況や諍論は定りて僻事なり。諍て何の用ぞと思ひしかば、我は無言にして止りぬと云云。今の學人もこれを思ふべし。學道勤勞の志しあらば時光を惜て學道すべし。何の暇まありてか人と諍論すべき。畢竟じて自他共に無益なり。法門すらしかなり。何かに況や世間の事において無益の論をなさんや。君子の力ら牛にも勝れりといへども牛と諍そはず。我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論じて人を掠め難ずべからず。若し眞實の學道の人ありて法を問はば、法を惜むべからず。爲に開示すべし。然あれども猶それも三度問はれて一度答ふべし。多言閑語することなかれ。我れも此の眞淨の語を見しより後、尤も此咎は我身にもあり、是れ我をいさめらるると思ひし故に、以後終に他と法門の諍論せざるなり。

 

八 示して云く、古人多くは云ふ、光陰空く度ること莫れ。亦云く、時光徒らに過すことなかれと。今學道の人須く寸陰を惜むべし。露命消やすし、時光速かにうつる、暫くも存ずる間だ餘事を管ずることなかれ。唯須く道を學すべし。今時の人、或は父母の恩を捨て難しと云ひ、或は主君の命に背き難しと云ひ、或は妻子眷屬に離れ難しと云ひ、或は眷屬等の活命存じ難しと云ひ、或は世人誹謗しつべしと云ひ、或は貧ふして道具調ひ難しと云ひ、或は非器にして學道に堪がたしと云ふ。かくのごとく識情を廻らして、主君父母をも離れえず、妻子眷屬をもすてえず、世情に隨ひ財寶を貪ぼるほどに、一生空く過して、正しく命終の時に當ては後悔すべし。須く靜坐して道理を案じ、速かに道心を起さんことを決定すべし。主君父母も我に悟りを與ふべからず。妻子眷屬も我が苦みを救ふべからず。財寶も我が生死輪廻を截斷すべからず。世人も我をたすくべきにあらず。非器なりと云て修せずんば何れの劫にか得道せんや。只須く萬事を放下して一向に學道すべし。後時を存ずることなかれ。

 

九 示して云く、學道は須く吾我を離るべし。設ひ千經萬論を學し得たりとも、我執を離れずんば終に魔坑に落べし。古人の云く、若し佛法の身心なくんばいつくんぞ佛となり祖と成らんと云云。我を離るふと云は、我が身心を佛法の大海に抛向して、苦しく愁ふるとも佛法に隨て修行するなり。若し乞食をせば人是をわるしみにくしと思はんずるなれど、かくのごとく思ふ間だはいかにしても佛法に入得ざるなり。世の情見をすべて忘れて、唯道理に任せて學道すべし。我身の器量を顧み佛法に契ふまじなんど思ふも、我執を持たる故なり。人目を顧み人情を憚かるは、即ち我執の本なり。只佛法を學すべし。世情に隨ふことなかれ。

 

一〇 一日弉問て云く、叢林勤學の行履と云は如何。

示して云く、只管打坐なり。或は樓上、或は閣下に定を營み、人に交はりて雜談せず、聾者の如く瘂者の如くにして、常に獨坐を好むべきなり。

 

一一 一日參の次に示して云く、泉大道の云く、風に向て坐し日に向て眠る。時の人の錦を被たるに勝りたりと云云。是の言は古人の語なりといへども少し疑ひあり。時の人と云は世間貪利の人を云か。若し然らば敵對最も下れり。何ぞ云に足らん。若しは學道の人を云か。然らば何ぞ錦を被たるに勝れりと云ふや。此の心を察するに、猶を錦を重もんずる心有かと聞へり。聖人は然あらず。金玉と瓦礫と、齊く執することなし。故に釋迦如來、牧牛女が乳粥を得て食し、馬麥を得て食す。いづれも等くす。法に輕重なし、人に淺深あり。當世金玉を人に與ふれば、重しとして取らず。亦木石などをば輕として是を受て愛す。金玉本とより土の中より得たり。木石も大地より生ぜり。何ぞ一つをば重しとて取らず、一つをば輕しとて愛せん。此の心を案ずるに、重きを得ては執する心あらんか。輕きを得ても愛する心あらば咎は等しかるべし。是れ學人の用心すべき事なり。

 

一二 示して云く、先師全和尚、入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿闍梨重病起り、病床にしづみ既に死せんとす。其の時かの師云く、我既に老病起り死去せんこと近きにあり、今度暫く入宋をとどまりたまひて、我が老病を扶けて、冥路を弔ひて、然して死去の後其の本意をとげらるべしと。時に先師弟子法類等を集めて議評して云く、我れ幼少の時雙親の家を出て後より、此の師の養育を蒙ていま成長せり。其の養育の恩最も重し。亦出世の法門大小權實の教文、因果をわきまへ是非をしりて、同輩にもこえ名譽を得たること、亦佛法の道理を知て今入宋求法の志しを起すまでも、偏に此の師の恩に非ずと云ことなし。然るに今年すでに老極して、重病の床に臥たまへり。餘命存じがたし。再會期すべきにあらず。故にあながちに是を留めたまふ。師の命もそむき難し。今ま身命を顧みず入宋求法するも、菩薩の大悲利生の爲なり。師の命を背て宋土に行ん道理有りや否や。各の思はるる處をのべらるべしと。時に諸弟人人皆云く、今年の入宋は留まらるべし。師の老病死已に極れり。死去決定せり。今年ばかり留りて明年入宋あらば、師の命を背かず重恩をもわすれず。今ま一年半年入宋遅きとても何んの妨げかあらん。師弟の本意相違せず。入宋の本意も如意なるべしと。時に我れ末臘にて云く、佛法の悟り今はさてかふこそありなんと思召さるる儀ならば、御留り然あるべしと。先師の云く、然あるなり、佛法修行これほどにてありなん。始終かくのごとくならば、即ち出離得道たらんかと存ずと。我が云く、其の儀ならば御留りたまひてしかあるべしと。時にかくのごとく各の總評し了て、先師の云く、おのおのの評議、いつれもみな留まるべき道理ばかりなり。我れが所存は然あらず。今度留りたりとも、決定死ぬべき人ならば其に依て命を保つべきにもあらず。亦われ留りて看病外護せしによりたりとて苦痛もやむべからず。亦最後に我あつかひすすめしによりて、生死を離れらるべき道理にもあらず。只一旦命に隨て師の心を慰むるばかりなり。是れ即ち出離得道の爲には一切無用なり。錯て我が求法の志しをさえしめられば、罪業の因縁とも成ぬべし。然あるに若し入宋求法の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば、一人有漏の迷情に背くとも、多人得道の因縁と成りぬべし。此の功徳もしすぐれば、すなはちこれ師の恩をも報じつべし。設ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生生の顔つきるべからず。玄奘三藏のあとを思ふべし。一人の爲にうしなひやすき時を空く過さんこと、佛意に合なふべからず。故に今度の入宋一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき。先師にとりて眞實の道心と存ぜしこと、是らの道理なり。然あれば今の學人も、或は父母の爲、或は師匠の爲とて、無益の事を行じて徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる佛道をさしをきて、空く光陰を過すことなかれ。時に弉問て云く、眞實求法の爲には有爲の父母師匠の恩愛の障縁を一向にすつべき道理は、まことに然かあるべし。ただし、父母師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、亦菩薩の行を存ぜん時は、自利をさしをきて利他を先とすべきか。然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人、其の仁に當りたるを、自らの修行ばかりを思ひて渠を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか。ただ大士の善行をきらふべかず。縁に隨ひ事に觸れて佛法を存ずべきか。もしこれらの道理によらば、亦止りてたずくべきか。何ぞ獨り求法を思ひて老病の師を扶けざるや、いかん。示して云く、利他の行も、自利り行も、ただ劣なる方を捨てて勝なる方をとらば、大士の善行なるべし。老病を扶けんとて水菽の孝をいたすは、只今生暫時の妄愛迷情の喜びばかりなり。迷情の有爲に背いて無爲の道を學せんは、設ひ遺恨は蒙ることありとも、出世の勝縁と成べし。是を思へ是を思へ。

 

一三 一日示して云く、世間の人多く云ふ、某し師の言ばを聞けども我が心に叶はずと。此の言は非なり。知らず其のここいかん。若しは聖教等の道理の我が心に違背して非なりと思か。これは一向の凡愚なり。亦は師の云へる言が我が心に契はざるか。若し然あらばなんぞはじめより師に問ふや。亦日來の情見を以て云か。もししかあらば是れは無始よりこのかたの妄念なり。學道の用心と云ふは、我が心にたがへども師の言ば聖教の言理ならば全く其に隨て、本の我見をすててあらためゆくべし。此の心が學道第一の故實なり。われ昔日、我が朋輩の中に我見を執して知識をとぶらひける者ありき。我が心に違するをば心得ずと云て、我見にあひかなふをば執して、一生空くすぎて佛法を會せざりけり。我れそれを見て智發してしりぬ、學道は然あるべからずと。かく思ひて師の言ばに隨て、全く道理を得て、其後看經の次でに、或る經に云く、佛法を學せんと思はぶ三世の心を相續することなかれと。誠に知ぬ、さきの諸念舊見を記持せずして次第にあらためゆくべきなりと云ことを。書に云く、忠言逆耳。いふこころは、我爲に忠有べきことばは必ず耳に違するなり。違するとも強ひて隨ひ行ぜば畢竟じて益有べきなり。

 

一四 一日雜談の次でに示して云く、人の心本より善惡なし。善惡は縁に隨て起る。喩へば人發心して山林に入る時は、林下はよし人間は惡しとおぼゆ。亦退屈の心にて山林を出る時は、山林は惡しとおぼゆ。是れ即ち決定して心に定相なし。縁に隨て兎も角もなるなり。かるが故に善縁にあへば心よくなり、惡縁に近づけば心惡くなるなり。我が心本より惡しと思ふことなかれ。只善縁に隨ふべきなり。

 

一五 亦云く、人の心は決定人の言ばに隨ふと存ず。大論に云く、喩へば愚人の手に摩尼珠をもてるが如し。人是を見て、汝下劣なり、自ら手に物をもてり、と云を聞ておもはく、珠はおしし、名聞は深し、我は下劣ならんとおもふ。思ひ煩ふて、猶を只名聞にひかれ、人の言ばについて珠を捨て他人にとらしめんと思ふほどに、終に珠を失ふと云云。人の心はかくのごとし。一定.此の言ば我爲によしと思へども、名聞にさへられてそれに順はざるもあり。亦一定我爲にあしき事と思ひながらも、名聞の爲なれば先づ隨ふ人もあり。惡にも善にも隨ふときは、心は善惡につるるなり。故にいかにもとより惡き心なりとも、善知識に隨ひ良人に馴るれば、自然に心もよくなるなり。惡人に近づけば、我心にも初は惡しと思へども、終にその人のこころに隨ひ、馴るほどにおぼへず、やがて實に惡く成なり。亦人の心ろ決定して他に物をとらせじと思へども、他人強てこひぬれば、にくしとおもひいやながらも與ふるなり。亦決定して與へんと思へども、便宜なく時すぎぬれば、亦やむ事も有なり。然あれば學人たとひ道心なくとも、良人に近づき善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞見るべきなり。この言ば一度聞たらば重て聞べからずと思ふことなかれ。道心一度起したる人も、同じ事なれども聞たびごとに心みがかれて、いよいよ精進するなり。亦無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度度聞ぬれば霧露の中に行が如くいつぬるるとも覺へざれども自然に衣のうるほふが如くに、良人の言ばをいくたびも聞けば、自然にはづる心も起り實の道心も起るなり。故に知たる上にも聖教をばいくたびも見るべし。師の言ばも聞たる上にも重て聞べし。いよいよふかき心有べきなり。學道の爲にさはりと成べき事をば重て是に近づくべからず。善友にはくるしくわびしくとも近づきて行道すべきなり。

 

一六 示して云く、大慧禪師、ある時尻に腫物出ぬれば、医師此を見て大事の物なりと云ふ。慧の云く、大事の物ならば死ぬべきや否や。医師云く、ほとんどあやふかるべし。慧の云く、若し死ぬべくんば彌よ坐禪すべしと云て、猶を強て坐しければ、其の腫物うみつぶれて別の事なかりき。古人の心かくのごとし。病をうけては彌よ坐禪せしなり。今の人病なふして坐禪ゆるくすべからず。病は心に隨て轉ずるかと覺ゆ。世間にしやくりする人に、虛言してわびつべき事を謝つげぬれば、それをわびしつべき事に思ひ心に入て陳ぜんとするほどに、忘れて其のしやくり留りぬ。我もそのかみ入宋の時、船中にて痢病せしに、惡風出來て船中さはぎける時、やまふ亡心れて止りぬ。是を以て思ふに學道勤勞して他事を忘るれば、病も起るまじきかと覺るなり。

 

一七 示して云く、俗の野諺に云く、啞せず聾せざれば家公とならずと。云こころは、人の毀謗をきかず人の不可をいはざれば、よく我が事を成ずるなり。かくのごとくなる人を家の大人とするなりと。是れ野諺なりといへども、是を取て衲僧の行履に用ゆべし。他のそしりにとりあはず、他の恨みにとりあはず、他の是非をいはずして、如何んが道を行ぜん。徹骨徹髓の者は是を得べきなり。

 

一八 示して云く、大慧禪師の云く、學道は須く人の千萬貫の錢を債ひけるが、一文をも持たざるに、乞責らるる時の心の如くすべし、若しこの心あれば、道を得ることやすしといへり。信心銘に云く、至道かたきことなし、唯だ揀擇を嫌ふと。揀擇の心だに放下しぬれば、直下に承當するなり。揀擇の心を放下すると云は、我をはなるるなり。佛道を行じて代りに利益を得ん爲に佛法を學すと思ふことなかれ。只佛法の爲に佛法を修行すべきなり。縱ひ千經萬論を學し得て坐禪の床を坐破するとも、此の心なくんば佛祖の道を得べからず。只すべからく身心を放下して、佛法の中に置て、他に隨ひて舊見なければ、即ち直下に承當するなり。

 

一九 示して云く、古人の云く、所有の庫司の財穀をば、因を知り果を知る知事に分付して、司を分ち局を列ねて是を司さどらしむと。いふこころは、主人は寺院の大小の事、都て管ぜず、只管工夫打坐して大衆を勸むべきゆへなり。亦云く、良田萬頃よりも薄芸身に忙隨んにはしかず、施恩は報をのぞまず、人に與へて侮る事なかれ、口を守ること鼻の如くすれば、萬禍も及ばずと云り。行高ければ人自ら重んじ、才多ければ人自ら歸伏するなり。深く耕して淺くうゆる、猶を天災あり。己を利して人を損ずる、豐に果報なからんや。學道の人話頭を見る時、目を近づけ力を盡して能々見るべし。

 

二〇 示して云く、古人の云く、百尺の竿頭にさらに一歩をすすむべしと。此の心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なを手足をはなちてすなはち身心を放下するが如くすべし。是に付て重々の事あり。今時の人は世をのがれ家を出ぬるに似たれども、其の行履をかんがふればなを實とに出家の遁世にてはなきなり。いはゆる出家と云ふは、第一まつ吾我名利を離るべきなり。是を離れずんば行道は頭然を拂ひ精進は翹足をしるとも、只無理の勤苦のみにて出離にはあらざるなり。大宋國にも、離れ難き恩愛を離れ捨て難き世財を捨て、叢林にまじはり祖席をふる人あれども、審細に此の故實を知らずして行ずる故に、道をも悟らず心をも明めずして、徒らに一期空く過すもあり。その故は、人の心も初めは道心を起して僧にもなり知識にも隨へども、佛となり祖とならん事をば思はずして、身の貴く我が寺の貴ときよしを施主檀那にも知られ親類眷屬にもいひきかせて、人にたふとびられ供養ぜられんと思ひ、剰へ衆僧は皆な無當不善なれども我れ獨り道心もあり善人なる由を方便して云ひきかせ思ひしらせんとする樣もあり。是れ等は云ふに足ざるもの、五闡提等の惡比丘のごとし。決定地獄に落る心ばへなり。これをものもしらぬ一向の在家人は、道心者貴き人なりと思へり。此れを少したちいでて施主檀那をも貪らず父母妻子をも捨てはてて、叢林に交りて行道するもあれども、本性懶墮懈怠なる者は、ありのままに懈怠する事も慙かしければ、長老首座等の見る時は相かまへて行道するよしをなして、見ざる時は事に觸れて怠り徒らにおくるもあり。是は在家にしてさのみ無當ならんよりはよけれども、猶を吾我名利を捨得ざるなり。亦總じて師の心もかねず首座兄弟の見るをも見ざるをも顧みず、常に思はく、佛道は人の爲ならず身の爲なりとて、我身心こそ佛となり祖とはならんと眞實に勤め營む人もあり。是は以前の人人よりはまことの道者かと覺れども、これも猶を我が身よくならんと思ひて修する故に、なをいまだ吾我を離れず。亦諸佛菩薩に隨喜せられんことを思ひ、佛果菩提を成ぜんことを思ふも、我欲名利の心なをすて得ざる故なり。此等まではいまだ百尺の竿頭を離れず、とりつきたるが如し。只身心を佛法になげすてて、更に悟道得法までをも望む事なく修行するを以て、是を不汚染の行人とは云なり。有佛の處にもとどまることをえず、無佛の處をも急に走過すと云ふは、此の心ろなり。

 

二一 示して云く、衣食の事は兼てより思ひあてがふことなかれ。若し失食絶烟せば、其の時に臨で乞食せん。その人に用事いはんなど思ひ設けたるも、即ち物を貯る邪命食にて有なり。衲子は雲の如く定れる住所もなく、水の如くに流れゆきて、よる處もなきをこぞ僧とは云ふなり。縱ひ衣鉢の外に一物も持たずとも、一人の檀那をも賴み一類の親族をも賴むは、即ち自他ともに縛住せられて不淨食にてあるなり。かくのごとくの不淨食等を以てやしなひもちたる身心にて、諸佛淸淨の大法を悟らんと思ふとも、とても契ふまじきなり。たとへば藍にそめたる物は青く、檗にそめたる物は黄なるが如く、邪命食を以てそめたる身心は即ち邪命身なるべし。此の身心を以て佛法をのぞまば、沙を壓して油を求が如し。只時にのぞみて兎も角も道理に契ふやうにはからふべきなり。かねてとかく思ひたくはふるは、皆たがふことなり。能々思量すべきなり。

 

二二 示して云く、學人各知るべし、人人大なる非あり、僑奢是れ第一の非なり。内外の典籍に是を等しく戒めたり。外典に云く、貧ふして諂らはざるはあれども富で奢らざるはなしといひて、なを富を制して奢らざらん事を思ふなり。最もこれ大事なり。よくよくこれを思ふべし。我が身下賤にして高貴の人におとらじと思ひ、人に勝れんと思ふは、憍慢のはなはだしきものなり。しかあれど是は戒めやすし。亦世間に自體財寶に豐かに福分もある人は、眷屬も囲遶し人もゆるす。それを是とし憍るゆへに、傍らの賤き人はこれを見てうらやみいたむべし。人のいたみを自體富貴の人、いかやうにかつつしむべきや。かくの如き人は戒めがたく、その身も愼むことならざるなり。亦心に憍心はなけれども、ありのままにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり。是をよくつつしむを憍奢をつつしむとは云ふなり。我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはばからざるを、憍心と云なり。外典に云く、貧家の前を車に乘て過ることなかれと。しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人のまへをばはばかるべしと云云。内典も亦かくの如し。然あるに今の學人僧侶は、智慧法門を以て人に勝べきと思ふなり。必ずしも此を以て憍ることなかれ。我より劣れる人のうへの非義を云ひ、或は先人傍輩等の非義をしりていひ誹謗するは、是れ憍奢のはなはだしきなり。古人の云く、智者の邊にしてはまくるとも、愚者の邊にして勝べからずと云云。我れがよく知たる事を人の惡く心得たりとも、他の非を云ふは亦是れ我れが非なり。法門をいふとも先人先輩を誹らず、亦愚癡蒙昧なる人のうらやみねたみつべきところにては、能々是を思惟すべし。予も建仁寺に寓せし時、人多く法門等を問ひき。その中には非義も通患も有しかども、此の儀をふかく存じて只ありのままに法の徳を語りて、他の非をいはず無爲にしてやみにき。愚者の執見ふかきは、我が先徳の非を云とて、かならず嗔恚を起すなり。智慧ある人の眞實なるは、佛法の道理をだにもこころへぬれば、人はいはざれども我が非及び我が先徳の非をも思ひしりてあらたむるなり。かくのごとき等の事よくよく思ひしるべし。

 

二三 示して云く、學道の最要は坐禪これ第一なり。大宋の人多く得道することみな坐禪のちからなり。一問不通にて無才愚癡の人も、坐禪をもはらすればその禪定の功によりて多年の久學聰明の人にも勝るるなり。しかあれば學人は祇管打坐して他を管ずることなかれ。佛祖の道は只坐禪なり。他事に順ずべからず。ときに 問て云く、打坐と看讀と、ならべて此を學するに、語録公案等を見るには、百千に一つも聊か心得ることも出來るなり。坐禪にはそれほどのことの驗しもなし。然かあれども猶を坐禪を好むべきか。答て云く、公案話頭を見て聊か知覺有る樣なりとも、それは佛祖の道にとをざかる因縁なり。無所得無所悟にて端坐して時を移さば、即祖道なるべし。古人も看語祇管坐禪ともに勸めたれども、猶を坐をもはらにすすめしなり。亦話頭に依てさとりをひらきたる人あれども、其れも坐の功に依りてさとりのひらくる因縁なり。まさしき功は坐によるべし。

 

正法眼藏隨聞記第六

侍者懷弉編

 

一 示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし。予在宋の時、天童の淨和尚、侍者に請ずるにいはく、元子は外國人たりといへども器量人なりと云て請ず。予堅く此を辞す。其故は、和國に聞へん爲にも學道の稽古の爲にも大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外國人として大叢林の侍者たらんこと、大國に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、淨和尚聞て、國を重んじ人を愧ることを感じ、許して更に請じ玉はざりしなり。

 

二 示して云く、或る人の云く、我は病者なり、非器なり、學道にはたえず、法門の最要を聞て獨住隠居して身をやしなひ病をたすけて、一生を終へんと思ふと。これは太だ非なり。先聖必ずしも金骨にあらず。古人豈に咸く皆上器ならんや。滅後を思へばいくばくならず、在世を考るに人人みな俊なるにあらず。善人もあり惡人もあり。比丘衆の中に不可思議の惡行なるもあり、最下品の器量もあり。しかあれども卑下しやめりなんと稱して道心をおこさず、非器なりと云て學道せざるはなし。今生に若し學道修行せずんば、何れの生にか器量の人となり無病の者と成て學道せんや。只身命を賴りみず發心修行するこそ、學道の最要なれ。

 

三 示して云く、學道の人、衣食を貪ることなかれ。人人皆食分あり、命分あり、非分の食命を求るとも得べからず。況や學佛道の人にはおのづから施主の供養あり。常乞食たゆべからず、亦常住物もこれあり、私の營みにあらず。果蓏と乞食と信心施との三種の食は、皆な是れ淸淨食なり。其の餘の田商士工の四種の食は、皆不淨の邪命食なり。出家人の食分にあらず。昔し一人の僧あり、死して冥途に行く。閻王の云く、此の人は命分いまだつきず、かへすべしと。冥官云く、命分つきずといへども食分すでに盡く。王の云く、荷葉を食せしむべしと。しかりしよりその僧よみがへりて後ち、人中の食物食することをえず、只荷葉のみを食して殘命を保てり。しかあれば出家は學佛のちからによりて食分も盡べからず。白毫の一相、二十年の遺因、歴劫に受用すとも盡べきにあらず。ただ行道を專らにして、衣食を求むべきにはあらざるなり。身體血肉だによくもてば、心も隨てよくなると醫方等にも見へたり。いはんや學道の人、持戒梵行して仏祖の行履に任て身を治むれば、心も隨て調ふなり。學道の人、言ばを發せんとする時は、三度顧て自利利他の爲に利あるべくんば是を云べし。利なからん言語は止まるべし。かくのごときの事も一度にはゑがたし。心にかけて漸々に習ふべきなり。

 

四 雜話の次でに示して云く、學道の人、衣食にわづらふことなかれ。此の國は邊地小國なりといへども、昔も今も顯密の二教に名をゑ、後代にも人にも知られたる人おほし。或は詩歌管絃の家、文武學芸の才、勘違を嗜む人もおほし。かくの如き人人未だ一人も衣食に豐かなりと云ことを聞かず。皆貧を忍び他事を忘れて一向に其の道を好むゆへに、其の名をも得るなり。いはんや祖門學道の人は、渡世を捨てて一切名利に走らず。何としてか豐かなるべきぞ。大宋國の叢林には末代なりといへども學道の人千萬人ある中に、或は遠方より來り、或は郷土より出たるも有り。いづれも多分は貧なり。しかあれどもいまだ貧をうれへとせず。只悟道の未だしきことをのみ愁へて、或は樓上、或は閣下に坐して、考妣に喪するが如くにして一向に佛道を修するなり。まのあたり見しことは、西川の僧遠方より來れりし故に、所持の物なし。纔に墨二三丁もてり。そのあたひ兩百文、此國の兩三十文にあたれるを持て、唐土の紙の下品なる極めて弱きを買ひとりて、襖ま或は袴などに作てきぬれば、起ち居に破るるおとしてあさましきをも顧みずうれへざるなり。或る人の云く、汝郷里にかへりて道具裝束ととのへよと。答て云く、郷里遠方なり、路次の間に光陰を空ふして學道の時を失せんことを憂ふと云て、猶更に寒をも愁へずして學道せしなり。しかある故に大國にはよき人も出來るなり。

 

五 示して云く、傳へ聞く、昔日霊鷲山の開山の時は、寺貧窮にして或は絶烟し或は緑豆飯をむして食して日を送て學道せしかども、後には一千五百人の僧、常に斷へざるなり。普しの人はかくのごとし。今もまたかくのごとくなるべし。僧の損ずることは多く富貴より起るなり。如來在世調達が嫉妬を起せしことも、日に五百車の供養より起れり。唯自らを損ずるのみに非ず、亦他をして惡をなさしむる因縁なり。實の學道の人、何としてか富貴なるべき。たとひ淨信の供養も多くつもらば恩の思ひを作して報を思ふべし。此の國の人は亦我が爲に利を思ひて施をいたす。笑ひて向へる者によく與るはさだまれる世の道理なり。只他の心にしたがはんとしてなさばこれ學道の障りなるべし。只飢を忍び寒を忍で一向に學道すべきなり。

 

六 一日示して云く、古人の云く、聞くべし、見るべし、得るべし。亦云く、得ずんば見るべし、見ずんば聞べしと。云ふ心は、聞んよりは見るべし、見んよりは得るべし、未だ得ずんば見るべし、未だ見ずんば聞べしとなり。

 

七 亦云く、學道の用心は只本執を放下すべし。まづ身の威儀をさきとしてあらたむれば心も隨ふて改まるなり。先づ律儀戒行を守れば心も隨ふて改まるべし。宋土には、俗人等の常の習ひに、父母に孝養の爲に宗廟にて各各聚會し泣まねをするほどに、終には實に泣なり。學道の人も、初めより道心なくとも、只しひて佛道を好み學せば終には實の道心も起るべきなり。初心學道の人は、只衆に隨ふてて行道すべきなり。はやく用心故實等を學し知らんと思ふことなかれ。用心故實等のことも、只獨り山にも入り市にもかくれて行ぜん時、あやまりなく能く知たるは好きことなり。衆に隨ふて行ぜば道を得べきなり。たとへば船にのりて行には、我は漕ゆくやうをも知ざれども、よき船師に任せてゆけば知たるも知ざるも彼の岸に至るが如し。善知識に隨て衆と共に行じて私しなければ自然に道人となるなり。學道の人、たとひ悟りを得ても、今は至極と思ふて行道をやむることなかれ。道は無窮なり。悟りても猶行道すべし。むかし良遂座主の麻谷に參ずる因縁を思ふべし。

 

八 示して云く、學道の人は後日をまちて行道せんと思ふことなかれ。ただ今日今時をすごさずして日日時時を勤むべきなり。爰にある在家人、長病せしが、去年の春のころ予にあひちぎりて云く、當時の病ひ療治せば必定妻子を捨て寺の邊に庵室をかまへむすんで、一月兩度の布薩にあひ、日日行道法門談義を見聞して、隨分に戒行を守りて生涯を送らんと云ひき。その後種々に療治せしに依て少き減氣あり。しかれども亦再發ありて日月空くすごしき。今年正月より俄に大事になりて、苦痛次第にせむるほどに、日來支度する庵室の道具をはこびて作るほどのひまもなき故に、先づ人の庵室をかりて在せしが、わづかに一兩月の中に死し去りぬ。前夜に菩薩戒をうけ三寶に歸して臨終よくして終りぬれば、在家にて妻子に恩愛を惜み狂亂して死せんよりは尋常ならねども、去年思ひよりたりし時に在家を離て寺にちかづき僧になれて行道しておはりたらば、すぐれたらましと存ずるにつけても、佛道修行は後日を待まじき事と覺るなり。身の病者なれば病ひを治して後より修行せんと思は無道心のいたす處なり。四大和合の身は誰か病無からん。古人必ずしも金骨にあらず。只志しだに至りぬれば他事を忘れて行ずるなり。大事身の上に來れば必ず小事を忘るる習ひなり。佛道は一大事なれば、一生に窮めんと思ひて日日時時を空くすごさじと思ふべきなり。古人の云く、光陰虛く度ることなかれと云云。病を治せんと營むほどに除かずして増氣し苦痛いよいよせめば、少しも痛のかるかりし時に行道せんと思ふべし。強き痛みを受ては尚を重くならざるさきにと思ふべし。重く成ては死せざるさきにと思ふべきなり。病を治するに減ずるもあり増ずるもあり。亦治せざれども減じ、治するに増ずるもあり。これを能能思ひ分くべきなり。行道の人、居所等を支度し衣鉢等を調へて後に行道せんと思ふことなかれ。貧窮の人、衣鉢資具にともしくして調ふを待ほどに、次第に臨終ちかづきよるはいかん。ゆへに居所を待ち衣鉢を調へて後に行道せんと欲せば、一生空く過すべきなり。只衣鉢等はなけれども、在家も佛道は行ずるぞかしと思ひて行ずべきなり。亦衣鉢等は只有べき僧體のかざりなればなり。實の仏道行者はそれにもよらず、より來らば有るに任すべし。あながちに求ることなかれ。有ぬべきを持じとも思ふべからず。病も治しつべきを、わざと死せんと思ひて治せざるも外道の見なり。佛道の爲には命を惜むことなかれ。亦惜まざることなかれ。より來らば灸治一所煎薬一種なんど用ひん事は、行道の障りともならじ。行道をさしおきて、病を治するをさきとして後に修行せんと思ふは非なり。

 

九 示して云く、海中に龍門と云處ありて、洪波しきりにたつなり。諸の魚ども彼の處を過ぬれば、必ず龍となるなり。故に龍門と云なり。いま思ふ、彼の處洪波も他所にことならず、水も同くしわはゆき水なり。然れども定まれる不思議にて、魚ども彼の處を渡れば必ず龍と成る。魚の鱗もあらたまらず、身も同じ身ながら、たちまちに龍となるなり。衲子の儀式も亦かくのごとし。處も他所にことならねども、叢林に入りぬれば必ずしも佛と成り祖となるなり。食も人と同く喫し、衣も同く服し、飢を除き寒を禦ぐことも齋しけれども、只髪を剃り袈裟を着して食を齋粥にすれば、忽ちに衲子と成るなり。成佛作祖、遠く求むべきにあらず。只叢林に入と入ざるとは、彼の龍門を過ると過ざるとの別の如し。亦俗の云く、我れ金を賣れども人の買ふなしと。佛祖の道も亦かくのごとし。道を惜むにはあらず、常に與ふれども人の得ざるなり。道を得ることは根の利鈍にはよらず。人人皆法を悟るべきなり。精進と懈怠とによりて得道の遅速あり。進怠の不同は志しの至ると至らざるとなり。志しの至らざることは無常を思はざる故なり。念念に死去す、畢竟じて且くも留まらず。暫く存ぜる間だ、時光を空くすごすことなかれ。古語に云ふ、倉にすむ鼠み食に飢へ、田を耕す牛草に飽かずと。云心は、.食の中にありながら食にうえ、草の中に住しながら草に乏し。人もかくのごとし。佛道の中に有りながら道にかなはざるものなり。名利希求の心止まざれば、一生安樂ならざるなり。

 

一〇 示して云く、道者の行は善行惡行につき皆おもはくあり。凡人の量る所にあらず。昔し慧心僧都、一日庭前に草を食ふ鹿を、人をして打ち追はしむ。時に或る人問て云く、師慈悲なきに似り、草を惜みて畜生を惱ますか。僧都の云く、しかあらず、吾れ若し是を打ち追はずんば此の鹿ついに人になれて、惡人に近づかん時は必ず殺されん。この故にうちおふなりと。これ鹿を打追は、慈悲なきに似たれども内心は慈悲の深き道理、かくのごとし。

 

一一 一日示して云く、人ありて法門を問ひ、或は修行の法要を問ことあらば、衲子はかならず實を以て是を答べし。若は他の非器を顧み、或は初心末學の人にて心得べからずとして、方便不實を以て答ふべからず。菩薩戒の心は、縱ひ小乘の器ありて小乘の道を問ふとも、只大乘を以て答ふべきなり。如來一期の化儀も亦同じ。方便の權教は實に無益なり。只最後の實教のみ實に益あり。しかあれば他の得不得を論ぜず、只實を以て答ふべきなり。若し箇中の人を見ば、實徳を以て是を見るべし。外相假徳を以てこれを見るべからず。昔し孔子に一人あり、來て歸す。孔子問て云く、汝ぢ何を以てか來て我に歸するや。云く、君子參内の時此を見しに、顒顒として威勢あり、故に歸す。ときに孔子弟子に命じて乘物裝束金銀財物等を取出して此を與へて、汝は我に歸するにあらずと云てかへせり。亦云く、宇治の關白殿、ある時鼎殿に到て火を焚所を見玉へば、鼎殿是を見て云ふ、いかなる者ぞ案内なく御所の鼎殿へ入ると云て、追出されて後關白殿先の惡き衣服等をぬぎかへて、顒顒として裝束して出たまふ時、さきの鼎殿、はるかに見て恐れ入てにげにき。時に殿下、裝束を竿の先にかけ拜せられけり。人これを問ふ。答て云く、吾れ他人に貴びらるること我が徳にはあらず、只此の裝束ゆへなりと云へり。おろかなる者の人を貴ぶことかくのごとし。經教の文字字等を貴ぶことも亦かくのごとくなり。古人の云く、言とば天下に滿れども口過なく、行天下に遍けれども怨害なしと。是れ即ち云べき所を云ひ、行ふべき事を行ふ故なり。是れは至徳要道の言行なり。世間の言行も私曲を以てはからひ行ふは、おそらくは過のみあらん。衲子の言行は先證是れ定れり。私曲を存ずべからず。佛祖行じ來れる道なり。學道の人各各自ら己身を顧るべし。身を顧ると云は吾が此の身心いか樣に持べきぞと顧るべし。然るに衲子はすでに是れ釋子なり。如來の風儀を慣ふべきなり。身口意の威儀は先佛行じ來れる作法あり。各各其の儀に隨ふべし。俗すら猶を服は法に應じ、言は行に隨ふべしと云へり。況や衲子は一切私を用ふべからず。

 

一二 示して云く、當世學道する人、多分法を聞く時、先づ能く領解する由を知られんと思ひ、答の言ばのよからん樣を思ふほどに、聞くことばが耳を過すなり。總じて詮ずる處、道心なく吾我を存ずるゆへなり。只須く先づ吾我を忘れて、入の云はんことを能く聞得て後に靜に案じて、難もあり不審もあらば追ても難じ、心得たらば重て師に呈すべし。當座に損ずる由を呈せんとするは法を能も聞得ざるなり。

 

一三 示して云く、唐の太宗の時、異國より千里の馬を獻ぜり。帝これを得て喜ばずして自ら謂へらく、縱ひ我れ獨り千里の馬に乘て千里を行とも、隨ふ臣なくんば其の詮なきなりと。故に魏徴を召して此を問ひ玉へば、徴云く、帝の心と同じと。依て彼の馬に金帛をおほせて返さしむ。世間の帝王だにも無用のものをば畜へたまはずしてかへせり。況や衲子は衣鉢の外は決定して無用なり。無用の物是を貯てなににかせん。俗すら猶を一道を專らに嗜むものは、田苑莊園等を持することを要とせず。只一切國土の人を百姓眷屬ともするなり。相の法橋子息に遺囑す、ただすべからく當道をもつぱらはげますべしと云へり。況や佛子は萬事を捨て專ら一事を嗜むべし。是れ第一の用心なり。

 

一四 示して云く、學道の人、參師聞法の時に、能々極めて聞き重て聞て決定すべし。問ふべきを問はず、云ふべきを云ずして過しなば、必ず我れが損なるべし。師は必ず弟子の問を待て言を發するなり。心得たることをもいくたびも問て決定すべきなり。師も弟子に好く心得たるかと問て、云ひきかすべきなり。

 

一五 示して云く、道者の用心は常の人に異ることあり。故建仁寺の僧正在世の時に、寺中絶食することありき。時に一人の檀那、僧正を請じて絹一疋を施す。僧正歓喜して人にももたしめず、自ら取て懷中して寺に歸て知事に與へて云く、明旦の淨粥等に作すべしと。然るに有る俗人の所より所望して云く、愧がましき事有て絹二三疋入用あり、少々にてもあらば給はるべき由を申す。僧正即ちさきつかたの絹を取返してすなはちこれを與ふ。時に知事の僧も衆僧も思の外に不審するなり。後に僧正云く、各は僻事とこそ思はるらん。然れども吾が思はくは、衆僧は面々佛道の志し有て集れり。一日絶食して餓死するとも苦しがるべからず。世に交れる人のさしあたりて事欠る苦惱を扶けたらんは、各の爲にも利益すぐれたるべしと云へり。まことに道者の案じ入たることかくの如し。

 

一六 示して云く、佛々粗々、皆な本は凡夫なり。凡夫の時は必しも惡業もあり、惡心もあり、鈍もあり、癡もあり。然あれども盡く改めて知識に隨て修行せしゆへに、皆佛祖と成しなり。今の人も然あるべし。我が身愚鈍なればとて卑下することなかれ。今生に發心せずんば何の時を待てか行道すべきや。今強て修せば必ずしも道を得べきなり。

 

一七 示して云く、帝道の故實の諺に云く、虛襟に非ざれば忠言をいれずと。云心は己見を存ぜずして忠臣の言ばに隨て道理にまかせて帝道を行はるるなり。衲子の學道の用心故實も亦かくのごとくなるべし。わづかも己見を存ぜば、師の言ば耳に入ざるなり。師の言ば耳に入ざれば、師の法を得ざるなり。只法門の異見を忘るるのみにあらず、世事及び飢寒等を忘れて一向に身心を淸めて聞く時、親く聞得るなり。かくのごとく聞く時は、道理も不審も明らめらるるなり。眞實の得道と云は、從來の身心を放下して只直下に他に隨ひゆけば、即まことの道人となるなり。是れ第一の故實なり。