目次

辨道話

七十五巻正法眼藏

正法眼藏第一 現成公案

正法眼藏第二 摩訶般若波羅蜜

正法眼藏第三 佛性

正法眼藏第四 身心學道

正法眼藏第五 卽心是佛

正法眼藏第六 行佛威儀

正法眼藏第七 一顆明珠

正法眼藏第八 心不可得

正法眼藏第九 古佛心

正法眼藏第十 大悟

正法眼藏第十一 坐禪儀

正法眼藏第十二 坐禪箴

正法眼藏第十三 海印三昧

正法眼藏第十四 空華

正法眼藏第十五 光明

正法眼藏第十六 行持 上

正法眼藏第十六 行持 下

正法眼藏第十七 恁麼

正法眼藏第十八 觀音

正法眼藏第十九 古鏡

正法眼藏第二十 有時

正法眼藏第二十一 授記

正法眼藏第二十二 全機

正法眼藏第二十三 都機

正法眼藏第二十四 畫餠

正法眼藏第二十五 谿聲山色

正法眼藏第二十六 佛向上事

正法眼藏第二十七 夢中説夢

正法眼藏第二十八 禮拜得髓

正法眼藏第二十九 山水經

正法眼藏第三十 看經

正法眼藏第三十一 諸惡莫作

正法眼藏第三十二 傳衣

正法眼藏第三十三 道得

正法眼藏第三十四 佛教

正法眼藏第三十五 神通

正法眼藏第三十六 阿羅漢

正法眼藏第三十七 春秋

正法眼藏第三十八 葛藤

正法眼藏第三十九 嗣書

正法眼藏第四十 栢樹子

正法眼藏第四十一 三界唯心

正法眼藏第四十二 説心説性

正法眼藏第四十三 諸法實相

正法眼藏第四十四 佛道

正法眼藏第四十五 密語

正法眼藏第四十六 無情説法

正法眼藏第四十七 佛經

正法眼藏第四十八 法性

正法眼藏第四十九 陀羅尼

正法眼藏第五十 洗面

正法眼藏第五十一 面授

正法眼藏第五十二 佛祖

正法眼藏第五十三 梅花

正法眼藏第五十四 洗淨

正法眼藏第五十五 十方

正法眼藏第五十六 見佛

正法眼藏第五十七 遍參

正法眼藏第五十八 眼睛

正法眼藏第五十九 家常

正法眼藏第六十 三十七品菩提分法

正法眼藏第六十一 龍吟

正法眼藏第六十二 祖師西來意

正法眼藏第六十三 發菩提心

正法眼藏第六十四 優曇華

正法眼藏第六十五 如來全身

正法眼藏第六十六 三昧王三昧

正法眼藏第六十七 轉法輪

正法眼藏第六十八 大修行

正法眼藏第六十九 自證三昧

正法眼藏第七十 虛空

正法眼藏第七十一 鉢盂

正法眼藏第七十二 安居

正法眼藏第七十三 他心通

正法眼藏第七十四 王索仙陀婆

正法眼藏第七十五 出家

十二巻正法眼藏

正法眼藏第一 出家功徳

正法眼藏第二 受戒

正法眼藏第三 袈裟功徳

正法眼藏第四 發菩提心

正法眼藏第五 供養諸佛

正法眼藏第六 歸依佛法僧寶

正法眼藏第七 深信因果

正法眼藏第八 三時業

正法眼藏第九 四馬

正法眼藏第十 四禪比丘

正法眼藏第十一 一百八法明門

正法眼藏第十二 八大人覺

辨道話

 諸佛如來、ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。

 この三昧に遊化するに、端坐參禪を正門とせり。この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、證せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならむや。かたればくちにみつ、縱横きはまりなし。諸佛のつねにこのなかに住持たる、各各の方面に知覺をのこさず。群生のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覺に方面あらはれず。

 いまをしふる功夫辨道は、證上に萬法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超關脱落のとき、この節目にかかはらむや。

 予發心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。ちなみに建仁の全公をみる。あひしたがふ霜華すみやかに九廻をへたり。いささか臨濟の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足として、ひとり無上の佛法を正傳せり。あへて餘輩のならぶべきにあらず。

 予かさねて大宋國におもむき、知識を兩浙にとぶらひ、家風を五門にきく。つひに大白峰の淨禪師に參じて、一生參學の大事ここにをはりぬ。それよりのち、大宋紹定のはじめ、本郷にかへりしすなはち、弘法衆生をおもひとせり。なほ重擔をかたにおけるがごとし。

 しかあるに、弘通のこころを放下せん激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄して、まさに先哲の風をきこえむとす。ただし、おのずから名利にかかはらず、道念をさきとせん眞實の參學あらむか。いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解をおほひ、むなしく自狂にゑうて、ひさしく迷郷にしづまん、なにによりてか般若の正種を長じ、得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、いづれの山川をかとぶらはむ。これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋國にして禪林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持せしを、しるしあつめて、參學閑道の人にのこして、佛家の正法をしらしめんとす。これ眞訣ならむかも。いはく、

 大師釋尊、靈山會上にして法を迦葉につけ、祖祖正傳して、菩提達磨尊者にいたる。尊者、みづから神丹國におもむき、法を慧可大師につけき。これ東地の佛法傳來のはじめなり。

 かくのごとく單傳して、おのづから六祖大鑑禪師にいたる。このとき、眞實の佛法まさに東漢に流演して、節目にかかはらぬむねあらはれき。ときに六祖に二位の神足ありき。南嶽の懷讓と靑原の行思となり。ともに佛印を傳持して、おなじく人天の導師なり。その二派の流通するに、よく五門ひらけたり。いはゆる法眼宗、潙仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨濟宗なり。見在、大宋には臨濟宗のみ天下にあまねし。五家ことなれども、ただ一佛心印なり。

 大宋國も後漢よりこのかた、教籍あとをたれて一天にしけりといへども、雌雄いまださだめざりき。祖師西來ののち、直に葛藤の根源をきり、純一の佛法ひろまれり。わがくにも又しかあらむ事をこひねがふべし。

 いはく、佛法を住持せし諸祖ならびに諸佛、ともに自受用三昧に端坐依行するを、その開悟のまさしきみちとせり。西天東地、さとりをえし人、その風にしたがえり。これ、師資ひそかに妙術を正傳し、眞訣を稟持せしによりてなり。

 宗門の正傳にいはく、この單傳正直の佛法は、最上のなかに最上なり、參見知識のはじめより、さらに燒香禮拜念佛修懺看經をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することをえよ。

 もし人、一時なりといふとも、三業に佛印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな佛印となり、盡虛空ことごとくさとりとなる。ゆゑに、諸佛如來をしては本地の法樂をまし、覺道の莊嚴をあらたにす。および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明淨にして、大解脱地を證し、本來面目現ずるとき、諸法みな正覺を證會し、萬物ともに佛身を使用して、すみやかに證會の邊際を一超して、覺樹王に端坐し、一時に無等等の大法輪を轉じ、究竟無爲の深般若を開演す。

 これらの等正覺、さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふがゆゑに、この坐禪人、確爾として身心脱落し、從來雜穢の知見思量を截斷して、天眞の佛法に證會し、あまねく微塵際そこばくの諸佛如來の道場ごとに佛事を助發し、ひろく佛向上の機にかうぶらしめて、よく佛向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地草木、牆壁瓦礫みな佛事をなすをもて、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、みな甚妙不可思議の佛化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。この水火を受用するたぐひ、みな本證の佛化を周旋するゆゑに、これらのたぐひと共住して同語するもの、またことごとくあひたがひに無窮の佛徳そなはり、展轉廣作して、無盡、無間斷、不可思議、不可稱量の佛法を、遍法界の内外に流通するものなり。しかあれども、このもろもろの當人の知覺に昏ぜざらしむることは、靜中の無造作にして直證なるをもてなり。もし、凡流のおもひのごとく、修證を兩段にあらせば、おのおのあひ覺知すべきなり。もし覺知にまじはるは證則にあらず、證則には迷情およばざるがゆゑに。

 又、心境ともに靜中の證入悟出あれども、自受用の境界なるをもて、一塵をうごかさず、一相をやぶらず、廣大の佛事、甚深微妙の佛化をなす。この化道のおよぶところの草木土地、ともに大光明をはなち、深妙法をとくこと、きはまるときなし。草木牆壁は、よく凡聖含靈のために宣揚し、凡聖含靈はかへつて草木牆壁のために演暢す。自覺覺他の境界、もとより證相をそなへてかけたることなく、證則おこなはれておこたるときなからしむ。

 ここをもて、わづかに一人一時の坐禪なりといへども、諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆゑに、無盡法界のなかに、去來現に、常恆の佛化道事をなすなり。彼彼ともに一等の同修なり、同證なり。ただ坐上の修のみにあらず、空をうちてひびきをなすこと、撞の前後に妙聲綿綿たるものなり。このきはのみにかぎらむや、百頭みな本面目に本修行をそなへて、はかりはかるべきにあらず。

 しるべし、たとひ十方無量恆河沙數の諸佛、ともにちからをはげまして、佛知慧をもて、一人坐禪の功徳をはかりしりきはめんとすといふとも、あへてほとりをうることあらじ。

 

 いまこの坐禪の功徳、高大なることをききをはりぬ。おろかならむ人、うたがうていはむ、佛法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禪をすすむるや。

 しめしていはく、これ佛法の正門なるをもてなり。

 

 とうていはく、なんぞひとり正門とする。

 しめしていはく、

大師釋尊、まさしく得道の妙術を正傳し、又三世の如來、ともに坐禪より得道せり。このゆゑに正門なることをあひつたへたるなり。しかのみにあらず、西天東地の諸祖、みな坐禪より得道せるなり。ゆゑにいま正門を人天にしめす。

 

 とうていはく、あるいは如來の妙術を正傳し、または祖師のあとをたづぬるによらむ、まことに凡慮のおよぶにあらず。しかはあれども、讀經念佛はおのづからさとりの因緣となりぬべし。ただむなしく坐してなすところなからむ、なにによりてかさとりをうるたよりとならむ。

 しめしていはく、なんぢいま諸佛の三昧、無上の大法を、むなしく坐してなすところなしとおもはむ、これを大乘を謗ずる人とす。まどひのいとふかき、大海のなかにゐながら水なしといはむがごとし。すでにかたじけなく、諸佛自受用三昧に安坐せり。これ廣大の功徳をなすにあらずや。あはれむべし、まなこいまだひらけず、こころなほゑひにあることを。

 おほよそ諸佛の境界は不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いはむや不信劣智のしることをえむや。ただ正信の大機のみ、よくいることをうるなり。不信の人は、たとひをしふともうくべきことかたし。靈山になほ退亦佳矣のたぐひあり。おほよそ心に正信おこらば修行し參學すべし。しかあらずは、しばらくやむべし。むかしより法のうるほひなきことをうらみよ。

 又、讀經念佛等のつとめにうるところの功徳を、なんぢしるやいなや。ただしたをうごかし、こゑをあぐるを、佛事功徳とおもへる、いとはかなし。佛法に擬するにうたたとほく、いよいよはるかなり。又、經書をひらくことは、ほとけ頓漸修行の儀則ををしへおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず證をとらしめむとなり。いたづらに思量念度をつひやして、菩提をうる功徳に擬せんとにはあらぬなり。おろかに千萬誦の口業をしきりにして佛道にいたらむとするは、なほこれながえをきたにして、越にむかはんとおもはんがごとし。又、圓孔に方木をいれんとせんとおなじ。文をみながら修するみちにくらき、それ醫方をみる人の合藥をわすれん、なにの益かあらん。口聲をひまなくせる、春の田のかへるの、晝夜になくがごとし、つひに又益なし。いはむやふかく名利にまどはさるるやから、これらのことをすてがたし。それ利貪のこころはなはだふかきゆゑに。むかしすでにありき、いまのよになからむや、もともあはれむべし。

 ただまさにしるべし、七佛の妙法は、得道明心の宗匠に、契心證會の學人あひしたがうて正傳すれば、的旨あらはれて稟持せらるるなり。文字習學の法師のしりおよぶべきにあらず。しかあればすなはち、この疑迷をやめて、正師のをしへにより、坐禪辨道して諸佛自受用三昧を證得すべし。

 

 とうていはく、いまわが朝につたはれるところの法花宗、華嚴教、ともに大乘の究竟なり。いはむや眞言宗のごときは、毘盧遮那如來したしく金剛薩埵につたへて師資みだりならず。その談ずるむね、卽心是佛、是心作佛というて、多劫の修行をふることなく、一座に五佛の正覺をとなふ、佛法の極妙といふべし。しかあるに、いまいふところの修行、なにのすぐれたることあれば、かれらをさしおきて、ひとへにこれをすすむるや。

 しめしていはく、しるべし、佛家には教の殊劣を對論することなく法の淺深をえらばず、ただし修行の眞僞をしるべし。草花山水にひかれて佛道に流入することありき、土石沙礫をにぎりて佛印を稟持することあり。いはむや廣大の文字は萬象にあまりてなほゆたかなり、轉大法輪又一塵にをさまれり。しかあればすなはち、卽心卽佛のことば、なほこれ水中の月なり、卽坐成佛のむね、さらに又かがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかはるべからず。いま直證菩提の修行をすすむるに、佛祖單傳の妙道をしめして、眞實の道人とならしめんとなり。

 又、佛法を傳授することは、かならず證契の人をその宗師とすべし。文字をかぞふる學者をもてその導師とするにたらず。一盲の衆盲をひかんがごとし。いまこの佛祖正傳の門下には、みな得道證契の哲匠をうやまひて、佛法を住持せしむ。かるがゆゑに、冥陽の神道もきたりし歸依し、證果の羅漢もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさづけずといふことなし。餘門にいまだきかざるところなり。ただ、佛弟子は佛法をならふべし。

 又しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず、とこしなへに受用すといへども、承當することをえざるゆゑに、みだりに知見をおこす事をならひとして、これを物とおふによりて、大道いたづらに蹉過す。この知見によりて、空花まちまちなり。あるいは十二輪轉、二十五有の境界とおもひ、三乘五乘、有佛無佛の見、つくる事なし。この知見をならうて、佛法修行の正道とおもふべからず。しかあるを、いまはまさしく佛印によりて萬事を放下し、一向に坐禪するとき、迷悟情量のほとりをこえて、凡聖のみちにかかはらず、すみやかに格外に逍遥し、大菩提を受用するなり。かの文字の筌罤にかかはるものの、かたをならぶるにおよばむや。

 

 とうていはく、三學のなかに定學あり、六度のなかに禪度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す。いまの坐禪も、そのひとつなるべし、なにによりてか、このなかに如來の正法あつめたりといふや。

 しめしていはく、いまこの如來一大事の正法眼藏、無上の大法を、禪宗となづくるゆゑに、この問きたれり。

 しるべし、この禪宗の號は、神丹以東におこれり、竺乾にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ佛正法をしらず、坐禪を宗とする婆羅門となづけき。のち代代の諸祖、みなつねに坐禪をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、實をしらず、ひたたけて坐禪宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡して、ただ禪宗といふなり。そのこころ、諸祖の廣語にあきらかなり。六度および三學の禪定にならべていふべきにあらず。

 この佛法の相傳の嫡意なること、一代にかくれなし。如來、むかし靈山會上にして、正法眼藏涅槃妙心、無上の大法をもて、ひとり迦葉尊者にのみ付法せし儀式は、現在して上界にある天衆、まのあたりにみしもの存ぜり、うたがふべきにたらず。おほよそ佛法は、かの天衆、とこしなへに護持するものなり、その功いまだふりず。

 まさにしるべし、これは佛法の全道なり、ならべていふべき物なし。

 

 とうていはく、佛家なにによりてか、四儀のなかに、ただし坐にのみおほせて禪定をすすめて證入をいふや。

 しめしていはく、むかしよりの諸佛、あひつぎて修行し、證入せるみち、きはめしりがたし。ゆゑをたづねば、ただ佛家のもちゐるところをゆゑとしるべし。このほかにたづぬべからず。ただし、祖師ほめていはく、坐禪はすなはち安樂の法門なり。はかりしりぬ、四儀のなかに安樂なるゆゑか。いはむや、一佛二佛の修行のみちにあらず、諸佛諸祖にみなこのみちあり。

 

 とうていはく、この坐禪の行は、いまだ佛法を證會せざせんものは、坐禪辨道してその證をとるべし。すでに佛正法をあきらめえん人は、坐禪なにのまつところかあらむ。

 しめしていはく、癡人のまへにゆめをとかず、山子の手には舟棹をあたへがたしといへども、さらに訓をたるべし。

 それ、修證は一つにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。佛法には修證これ一等なり。いまも證上の修なるゆゑに、初心の辨道すなはち本證の全體なり。かるがゆゑに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに證をまつおもひなかれとをしふ、直指の本證なるがゆゑなるべし。すでに修の證なれば、證にきはなく、證の修なれば、修にはじめなし。ここをもて釋迦如來、迦葉尊者、ともに證上の修に受用せられ、達磨大師、大鑑高祖、おなじく證上の修に引轉せらる。佛法住持のあと、みなかくのごとし。

 すでに證をはなれぬ修あり、われらさいはひに一分の妙修を單傳せる、初心の辨道すなはち一分の本證を無爲の地にうるなり。しるべし、修をはなれぬ證を染汚せざらしめんがために、佛祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば本證手の中にみてり、本證を出身すれば、妙修通身におこなはる。

 又、まのあたり大宋國にしてみしかば、諸方の禪院みな坐禪堂をかまへて、五百六百および一二千僧を安じて、日夜に坐禪をすすめき。その席主とせる傳佛心印の宗師に、佛法の大意をとぶらひしかば、修證の兩段にあらぬむねをきこえき。

 このゆゑに、門下の參學のみにあらず、求法の高流、佛法のなかに眞實をねがはむ人、初心後心をえらばず、凡人聖人を論ぜず、佛祖のをしへにより、宗匠の道をおうて、坐禪辨道すべしとすすむ。

 きかずや、祖師のいはく、修證はすなはちなきにあらず、染汚することはえじ。

 又いはく、道をみるもの、道を修すと。しるべし、得道のなかに修行すべしといふことを。

 

 とうていはく、わが朝の先代に、教をひろめし諸師、ともにこれ入唐傳法せしとき、なんぞこのむねをさしおきて、ただ教をのみつたへし。

 しめしていはく、むかしの人師、この法をつたへざりしことは、時節のいまだいたらざりしゆゑなり。

 

 とうていはく、かの上代の師、この法を會得せりや。

 しめしていはく、會せば通じてむ。

 

 とうていはく、あるがいはく、生死をなげくことなかれ、生死を出離するにいとすみやかなるみちあり。いはゆる心性の常住なることわりをしるなり。そのむねたらく、この身體は、すでに生あればかならず滅にうつされゆくことありとも、この心性はあへて滅する事なし。よく生滅にうつされぬ心性わが身にあることをしりぬれば、これを本來の性とするがゆゑに、身はこれかりのすがたなり、死此生彼さだまりなし。心はこれ常住なり、去來現在かはるべからず。かくのごとくしるを、生死をはなれたりとはいふなり。このむねをしるものは、從來の生死ながくたえて、この身をはるとき性海にいる。性海に朝宗するとき、諸佛如來のごとく妙徳まさにそなはる。いまはたとひしるといへども、前世の妄業になされたる身體なるがゆゑに、諸聖とひとしからず。いまだこのむねをしらざるものは、ひさしく生死にめぐるべし。しかあればすなはち、ただいそぎて心性の常住なるむねを了知すべし。いたづらに閑坐して一生をすぐさん、なにのまつところかあらむ。

 かくのごとくいふむね、これはまことに諸佛諸祖の道にかなへりや、いかむ。

 しめしていはく、いまいふところの見、またく佛法にあらず。先尼外道が見なり。

 いはく、かの外道の見は、わが身、うちにひとつの靈知あり、かの知、すなはち緣にあふところに、よく好惡をわきまへ、是非をわきまふ。痛痒をしり、苦樂をしる、みなかの靈知のちからなり。しかあるに、かの靈性は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにむまるるゆゑに、ここに滅すとみゆれども、かしこの生あれば、ながく滅せずして常住なりといふなり。かの外道が見、かくのごとし。

 しかあるを、この見をならうて佛法とせむ、瓦礫をにぎつて金寶とおもはんよりもなほおろかなり。癡迷のはづべき、たとふるにものなし。大唐國の慧忠國師、ふかくいましめたり。いま心常相滅の邪見を計して、諸佛の妙法にひとしめ、生死の本因をおこして、生死をはなれたりとおもはむ、おろかなるにあらずや。もともあはれむべし。ただこれ外道の邪見なりとしれ、みみにふるべからず。

 ことやむことをえず、いまなほあはれみをたれて、なんぢが邪見をすくはば、しるべし、佛法にはもとより身心一如にして、性相不二なりと談ずる、西天東地おなじくしれるところ、あへてたがふべからず。いはむや常住を談ずる門には萬法みな常住なり、身と心とをわくことなし。寂滅を談ず門には諸法みな寂滅なり。性と相とをわくことなし。しかあるを、なんぞ身滅心常といはむ、正理にそむかざらむや。しかのみならず、生死はすなはち涅槃なりと覺了すべし。いまだ生死のほかに涅槃を談ずることなし。いはむや、心は身をはなれて常住なりと領解するをもて、生死をはなれたる佛智に妄計すといふとも、この領解智覺の心は、すなはちなほ生滅して、またく常住ならず。これはかなきにあらずや。

 嘗觀すべし、身心一如のむねは、佛法のつねの談ずるところなり。しかあるに、なんぞ、この身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらむ。もし、一如なるときあり、一如ならぬときあらば、佛説おのづから虛妄にありぬべし。又、生死はのぞくべき法ぞとおもへるは、佛法をいとふつみとなる。つつしまざらむや。

 しるべし、佛法に心性大總相の法門といふは、一大法界をこめて、性相をわかず、生滅をいふことなし。菩提涅槃におよぶまで、心性にあらざるなし。一切諸法、萬象森羅ともに、ただこれ一心にして、こめずかねざることなし。このもろもろの法門、みな平等一心なり。あへて異違なしと談ずる、これすなはち佛家の心性をしれる樣子なり。

 しかあるをこの一法に身と心とを分別し、生死と涅槃とをわくことあらむや。すでに佛子なり、外道の見をかたる狂人のしたのひびきを、みみにふるることなかれ。

 

 とうていはく、この坐禪をもはらせむ人、かならず戒律を嚴淨すべしや。

 しめしていはく、持戒梵行は、すなはち禪門の規矩なり、佛祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。

 

 とうていはく、この坐禪をつとめん人、さらに眞言止觀の行をかね修せん、さまたげあるべからずや。

 しめしていはく、在唐のとき、宗師に眞訣をききしちなみに、西天東地の古今に、佛印を正傳せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといひき。まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。

 

 とうていはく、この行は、在俗の男女もつとむべしや、ひとり出家人のみ修するか。

 しめしていはく、祖師のいはく、佛法を會すること、男女貴賎をえらぶべからずときこゆ。

 

 とうていはく、出家人は、諸緣すみやかにはなれて、坐禪辨道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して無爲の佛道にかなはむ。

 しめしていはく、おほよそ、佛祖あはれみのあまり、廣大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を證入せしめんがためなり、人天たれかいらざらむものや。ここをもて、むかしいまをたづぬるに、その證これおほし。しばらく、代宗順宗の帝位にして、萬機いとしげかりし、坐禪辨道して佛祖の大道を會通す。李相國、防相國、ともに輔佐の臣位にはむべりて、一天の股肱たりし、坐禪辨道して佛祖の大道に證入す。ただこれこころざしのありなしによるべし、身の在家出家にかかはらじ。又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。いはむや世務は佛法をさふとおもへるものは、ただ世中に佛法なしとのみしりて、佛中に世法なき事をいまだしらざるなり。

 ちかごろ大宋に馮相公といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりてみづからをいふに、いはく、

 公事之餘喜坐禪、

 少曾將脇到牀眠。

 雖然現出宰宦相、

 長老之名四海傳。

 (公事の餘に坐禪を喜む、曾て脇を將て牀に到して眠ること少し。然しか宰宦相と現出せりと雖も、長老の名、四海に傳はる。)

 これは、宦務にひまなかりし身なれども、佛道にこころざしふかければ、得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし。

 大宋國には、いまのよの國王大臣、士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門文家、いづれも參禪學道をこころざせり。こころざすもの、かならず心地を開明することおほし。これ世務の佛法をさまたげざる、おのづからしられたり。

 國家に眞實の佛法弘通すれば、諸佛諸天ひまなく衞護するがゆゑに、王化太平なり。聖化太平なれば、佛法そのちからをうるものなり。

 又、釋尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の會下には、獦者樵翁さとりをひらく。いはむやそのほかの人をや。ただ正師の教道をたづぬべし。

 

 とうていはく、この行は、いま末代惡世にも、修行せば證をうべしや。

 しめしていはく、教家に名相をこととせるに、なほ大乘實教には、正像末法をわくことなし。修すればみな得道すといふ。いはむやこの單傳の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。證の得否は、修せむもの、おのづからしらむこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし。

 

 とうていはく、あるがいはく、佛法には、卽心是佛のむねを了達しぬるがごときは、くちに經典を誦せず、身に佛道を行ぜざれども、あへて佛法にかけたるところなし。ただ佛法はもとより自己にありとしる、これを得道の全圓とす。このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず。いはむや坐禪辨道をわづらはしくせむや。

 しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こころあらむもの、たれかこのむねををしへむに、しることなからむ。

 しるべし、佛法はまさに自他の見をやめて學するなり。もし、自己卽佛としるをもて得道とせば、釋尊むかし化道にわづらはじ。しばらく古徳の妙則をもて、これを證すべし。

 

 むかし、則公監院といふ僧、法眼禪師の會中にありしに、法眼禪師とうていはく、則監寺、なんぢわが會にありていくばくのときぞ。

 則公がいはく、われ師の會にはむべりて、すでに三年をへたり。

 禪師のいはく、なんぢはこれ後生なり、なんぞつねにわれに佛法をとはざる。

 則公がいはく、それがし和尚をあざむくべからず。かつて靑峰の禪師のところにありしとき、佛法におきて安樂のところを了達せり。

 禪師のいはく、なんぢいかなることばによりてか、いることをえし。

 則公がいはく、それがしかつて靑峰にとひき、いかなるかこれ學人の自己なる。靑峰のいはく、丙丁童子來求火。

 法眼のいはく、よきことばなり。ただしおそらくはなんぢ會せざらむことを。

 則公がいはく、丙丁は火に屬す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと會せり。

 禪師のいはく、まことにしりぬ、なんぢ會せざりけり。佛法もしかくのごとくならば、けふまでつたはれじ。

 ここに則公懆悶して、すなはちたちぬ。中路にいたりておもひき、禪師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり。わが非をいさむる、さだめて長處あらむ。禪師のみもとにかへりて懺悔禮謝してとうていはく、いかなるかこれ學人の自己なる。

 禪師のいはく、丙丁童子來求火と。

 則公、このことばのしたに、おほきに佛法をさとりき。

 あきらかにしりぬ、自己卽佛の領解をもて佛法をしれりといふにはあらずといふことを。もし自己卽佛の領解を佛法とせば、禪師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。ただまさに、はじめ善知識をみむより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禪辨道して、一知半解を心にとどむることなかれ。佛法の妙術、それむなしからじ。

 

 とうていはく、乾唐の古今をきくに、あるいはたけのこゑをききて道をさとり、あるいははなのいろをみてこころをあきらむる物あり、いはむや、

釋迦大師は、明星をみしとき道を證し、阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめしのみならず、六代よりのち、五家のあひだに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。かれらかならずしも、かつて坐禪辨道せるもののみならむや。

 しめしていはく、古今に見色明心し、聞聲悟道せし當人、ともに辨道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし。

 

 とうていはく、西天および神丹國は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、佛法を教化するに、いとはやく會入す。我朝は、むかしより人に仁智すくなくして、正種つもりがたし。蕃夷のしからしむる、うらみざらむや。又このくにの出家人は、大國の在家人にもおとれり。擧世おろかにして、心量狹少なり。ふかく有爲の功を執して、事相の善をこのむ。かくのごとくのやから、たとひ坐禪すといふとも、たちまちに佛法を證得せむや。

 しめしていはく、いふがごとし。わがくにの人、いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。たとひ正直の法をしめすとも、甘露かへりて毒となりぬべし。名利におもむきやすく、惑執とらけがたし。しかはあれども、佛法に證入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず。佛在世にも、てまりによりて四果を證し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり。ただし、正信のたすくるところ、まどひをはなるるみちあり。また、癡老の比丘默坐せしをみて、設齋の信女さとりをひらきし、これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、ただしこれ正信にたすけられたり。

 また、釋教の三千界にひろまること、わづかに二千餘年の前後なり。刹土のしなじななる、かならずしも仁智のくににあらず。人またかならずしも利智聰明のみあらむや。しかあれども、如來の正法、もとより不思議の大功徳力をそなへて、ときいたればその刹土にひろまる。人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。わが朝は仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして、佛法を會すべからずとおもふことなかれ。いはむや、人みな般若の正種ゆたかなり、ただ承當することまれに、受用することいまだしきならし。

 

 さきの問答往來し、賓主相交することみだりがはし。いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる。しかありとも、このくに、坐禪辨道におきて、いまだその宗旨つたはれず、しらむとこころざさむもの、かなしむべし。このゆゑに、いささか異域の見聞をあつめ、明師の眞訣をしるしとどめて、參學のねがはむにきこえむとす。このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草草にすべからず。

 おほよそ我朝は、龍海の以東にところして、雲煙はるかなれども、欽明用明の前後より秋方の佛法東漸する、これすなはち人のさいはひなり。しかあるを名相事緣しげくみだれて、修行のところにわづらふ。いまは破衣裰盂を生涯として、靑巖白石のほとりに茅をむすむで、端坐修練するに、佛向上の事たちまちにあらはれて、一生參學の大事すみやかに究竟するものなり。これすなはち龍牙の誡敕なり、鷄足の遺風なり。その坐禪の儀則は、すぎぬる嘉禄のころ撰集せし普勸坐禪儀に依行すべし。

 曾禮、佛法を國中に弘通すること、王敕をまつべしといへども、ふたたび靈山の遺囑をおもへば、いま百萬億刹に現出せる王公相將、みなともにかたじけなく佛敕をうけて、夙生に佛法を護持する素懷をわすれず、生來せるものなり。その化をしくさかひ、いづれのところか佛國土にあらざらむ。このゆゑに、佛祖の道を流通せむ、かならずしもところをえらび緣をまつべきにあらず、ただ、けふをはじめとおもはむや。

 しかあればすなはち、これをあつめて、佛法をねがはむ哲匠、あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せむ參學の眞流にのこす。ときに、

 寛喜辛卯中秋日   入宋傳法沙門道元記

 

辨道話

 

七十五巻正法眼藏

正法眼藏第一 現成公案

 諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。

 萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。

 佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。

 しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。

 自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬法すすみて自己を修證するはさとりなり。迷を大悟するは諸佛なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸佛のまさしく諸佛なるときは、自己は諸佛なりと覺知することをもちゐず。しかあれども證佛なり、佛を證しもてゆく。

 身心を擧して色を見取し、身心を擧して聲を聽取するに、したしく會取すれども、かがみに影をやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。一方を證するときは一方はくらし。

 佛道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に證せらるるなり。萬法に證せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。

 人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の邊際を離却せり。法すでにおのれに正傳するとき、すみやかに本分人なり。

 人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を亂想して萬法を辨肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に歸すれば、萬法のわれにあらぬ道理あきらけし。

 たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際斷せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる佛轉なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。

 人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを罣礙せざること、滴露の天月を罣礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を撿點し、天月の廣狹を辨取すべし。

 身心に法いまだ參飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。たとへば、船にのりて山なき海中にいでて四方をみるに、ただまろにのみみゆ、さらにことなる相みゆることなし。しかあれど、この大海、まろなるにあらず、方なるにあらず、のこれる海徳つくすべからざるなり。宮殿のごとし、瓔珞のごとし。ただわがまなこのおよぶところ、しばらくまろにみゆるのみなり。かれがごとく、萬法またしかあり。塵中格外、おほく樣子を帶せりといへども、參學眼力のおよぶばかりを見取會取するなり。萬法の家風をきかんには、方圓とみゆるほかに、のこりの海徳山徳おほくきはまりなく、よもの世界あることをしるべし。かたはらのみかくのごとくあるにあらず、直下も一滴もしかあるとしるべし。

 うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭頭に邊際をつくさずといふ事なく、處處に踏翻せずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。以水爲命しりぬべし、以空爲命しりぬべし。以鳥爲命あり、以魚爲命あり。以命爲鳥なるべし、以命爲魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修證あり、その壽者命者あること、かくのごとし。

 しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。このところをうれば、この行李したがひて現成公案す。このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆゑにかくのごとくあるなり。

 しかあるがごとく、人もし佛道を修證するに、得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり。これにところあり、みち通達せるによりて、しらるるきはのしるからざるは、このしることの、佛法の究盡と同生し、同參するゆゑにしかあるなり。得處かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。證究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも現成にあらず、見成これ何必なり。

 麻浴山寶徹禪師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、風性常住無處不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。

 師いはく、なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらずと。

 僧いはく、いかならんかこれ無處不周底の道理。

 ときに、師、あふぎをつかふのみなり。

 僧、禮拜す。

 

 佛法の證驗、正傳の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、佛家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を參熟せり。

 

正法眼藏見成公案第一

 

 これは天福元年中秋のころ、かきて鎭西の俗弟子楊光秀にあたふ。

 

 建長壬子拾勒

 

 

正法眼藏第二 摩訶般若波羅蜜

 觀自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり。五蘊は色受想行識なり、五枚の般若なり。照見これ般若なり。この宗旨の開演現成するにいはく、色卽是空なり、空卽是色なり、色是色なり、空卽空なり。百草なり。萬象なり。般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼耳鼻舌身意、色聲香味觸法、および眼耳鼻舌身意識等なり。また四枚の般若あり、苦集滅道なり。また六枚の般若あり、布施、淨戒、安忍、精進、靜慮、般若なり。また一枚の般若波羅蜜、而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去現在未來なり。また般若六枚あり、地水火風空識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる、行住坐臥なり。

 

 釋迦牟尼如來會中有一苾蒭、竊作是念、我應敬禮甚深般若波羅蜜多。此中雖無諸法生滅、而有戒蘊、定蘊、慧蘊、解脱蘊、解脱知見蘊施設可得、亦有預流果、一來果、不還果、阿羅漢果施設可得、亦有獨覺菩提施設可得、亦有無上正等菩提施設可得、亦有佛法僧寶施設可得、亦有轉妙法輪、度有情類施設可得。(釋迦牟尼如來の會中に一の苾蒭あり、竊かに是の念を作さく、我れ甚深般若波羅蜜多を敬禮すべし。此の中に諸法の生滅無しと雖も、而も戒蘊、定蘊、慧蘊、解脱蘊、知見蘊の施設可得有り、また預流果、一來果、不還果、阿羅漢果の施設可得有り、また獨覺菩提の施設可得有り、また無上正等菩提の施設可得有り、また佛法僧寶の施設可得有り、また轉妙法輪、度有情類の施設可得有り。)

 佛知其念、告苾蒭言、如是如是。甚深般若波羅蜜、微妙難測。(佛、其の念を知して、苾蒭に告げて言く、是の如し、是の如し。甚深般若波羅蜜は、微妙なり、難測なり。)

 而今の一苾蒭の竊作念は、諸法を敬禮するところに、雖無生滅の般若、これ敬禮なり。この正當敬禮時、ちなみに施設可得の般若現成せり。いわゆる戒定慧乃至度有情類等なり、これを無といふ。無の施設、かくのごとく可得なり。これ甚深微妙難測の般若波羅蜜なり。

 

 天帝釋問具壽善現言、大徳、若菩薩摩訶薩、欲學甚深般若波羅蜜多、當如何學。(天帝釋、具壽善現に問うて言く、大徳、若し菩薩摩訶薩、甚深般若波羅蜜多を學せんと欲はば、まさに如何が學すべき。)

 善現答言、憍尸迦、若菩薩摩訶薩、欲學甚深般若波羅蜜多、當如虛空學。(憍尸迦、もし菩薩摩訶薩、甚深般若波羅蜜多を學せんと欲はば、まさに虛空の如く學すべし。)

 しかあれば、學般若これ虛空なり、虛空は學般若なり。

 天帝釋、復白佛言、世尊、若善男子善女人等、於此所説甚深般若波羅蜜多、受持讀誦、如理思惟、爲他演説、我當云何而守護。唯願世尊、垂哀示教。(天帝釋、また佛に白して言さく、世尊、若し善男子善女人等、此の所説の甚深般若波羅蜜多に於て、受持讀誦し、如理思惟し、他の爲に演説せんに、我れまさに云何が守護すべき。ただ願はくは世尊、哀を垂れ示し教へましませ。)

 爾時具壽善現、謂天帝釋言、憍尸迦、汝見有法可守護不。(爾の時に具壽善現、天帝釋に謂つて言く、憍尸迦、汝、法の守護すべき有ると見るや不や。)

 天帝釋言、不也、大徳、我不見有法是可守護。(不や、大徳、我れ法の是れ守護すべき有ることを見ず。)

 善現言、憍尸迦、若善男子善女人等、作如是説、甚深般若波羅蜜多、卽爲守護。若善男子善女人等、作如所説、甚深般若波羅蜜多、常不遠離。當知、一切人非人等、伺求其便、欲爲損害、終不能得。(憍尸迦、若し善男子善女人等、是の如くの説をなさば、甚深般若波羅蜜多、卽守護すべし。若し善男子善女人等、所説の如くなさば、甚深般若波羅蜜多、常に遠離せず。まさに知るべし、一切人非人等、其の便を伺求して、損害を爲さんと欲んに、終に得ること能はじ。)

 憍尸迦、若欲守護、作如所説。甚深般若波羅蜜多、諸菩薩者無異、爲欲守護虛空。(憍尸迦、若し守護せんと欲はば、所説の如くなすべし。甚深般若波羅蜜多と、諸菩薩とは異なること無し、欲守護虛空と爲す。)

 しるべし、受持讀誦、如理思惟、すなはち守護般若なり。欲守護は受持讀誦等なり。

 

 先師古佛云、

 渾身似口掛虛空、

 不問東西南北風、

 一等爲他談般若。

 滴丁東了滴丁東。

 (先師古佛云く、渾身口に似て虛空に掛り、東西南北の風を問はず、一等他と般若を談ず。滴丁東了滴丁東。)

 これ佛祖嫡嫡の談般若なり。渾身般若なり、渾他般若なり、渾自般若なり、渾東西南北般若なり。

 

 釋迦牟尼佛言、舍利子、是諸有情、於此般若波羅蜜多、應如佛住供養禮敬。思惟般若波羅蜜多、應如供養禮敬佛薄伽梵。所以者何。般若波羅蜜多、不異佛薄伽梵、佛薄伽梵、不異般若波羅蜜多。般若波羅蜜多、卽是佛薄伽梵。佛薄伽梵、卽是般若波羅蜜多。何以故。舍利子、一切如來應正等覺、皆由般若波羅蜜多得出現故。舍利子、一切菩薩摩訶薩、獨覺、阿羅漢、不還、一來、預流等、皆由般若波羅蜜多得出現故。舍利子、一切世間十善業道、四靜慮、四無色定、五神通、皆由般若波羅蜜多得出現故。(舍利子、是の諸の有情、此の般若波羅蜜多に於て、佛の住したまふが如く供養し禮敬すべし。般若波羅蜜多を思惟すること、應に佛薄伽梵を供養し禮敬するが如くすべし。所以は何。般若波羅蜜多は、佛薄伽梵に異ならず、佛薄伽梵は般若波羅蜜多に異ならず。般若波羅蜜多は卽ち是れ佛薄伽梵なり。佛薄伽梵は卽ち是れ般若波羅蜜多なり。何を以ての故に。舍利子、一切の如來應正等覺は、皆般若波羅蜜多より出現することを得るが故に。舍利子、一切の菩薩摩訶薩、獨覺、阿羅漢、不還、一來、預流等は、皆般若波羅蜜多によりて出現することを得るが故に。舍利子、一切世間の十善業道、四靜慮、四無色定、五神通は、皆般若波羅蜜多によりて出現することを得るが故に。)

 しかあればすなはち、佛薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨、不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは佛薄伽梵の現成せるなり。問取すべし、參取すべし。供養禮敬する、これ佛薄伽梵に奉覲承事するなり。奉覲承事の佛薄伽梵なり。

 

正法眼藏摩訶般若波羅蜜第二

 

 爾時天福元年夏安居日在觀音導利院示衆

 寛元二年甲辰春三月廿一日侍越宇吉峰精舍侍司書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第三 佛性

 釋迦牟尼佛言、一切衆生、悉有佛性、如來常住、無有變易。

 これ、われらが大師釋尊の師子吼の轉法輪なりといへども、一切諸佛、一切祖師の頂𩕳眼睛なり。參學しきたること、すでに二千一百九十年[當日日本仁治二年辛丑歳]正嫡わづかに五十代[至先師天童淨和尚]、西天二十八代、代代住持しきたり、東地二十三世、世世住持しきたる。十方の佛祖、ともに住持せり。

 世尊道の一切衆生、悉有佛性は、その宗旨いかん。是什麼物恁麼來(是れ什麼物か恁麼に來る)の道轉法輪なり。あるいは衆生といひ、有情といひ、群生といひ、群類といふ。 悉有の言は衆生なり、群有也。すなはち悉有は佛性なり。悉有の一悉を衆生といふ。正當恁麼時は、衆生の内外すなはち佛性の悉有なり。單傳する皮肉骨髓のみにあらず、汝得吾皮肉骨髓なるがゆゑに。

 しるべし、いま佛性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は佛語なり、佛舌なり。佛祖眼睛なり、衲僧鼻孔なり。悉有の言、さらに始有にあらず、本有にあらず、妙有等にあらず、いはんや緣有妄有ならんや。心境性相等にかかはれず。しかあればすなはち、衆生悉有の依正、しかしながら業増上力にあらず、妄緣起にあらず、法爾にあらず、神通修證にあらず。もし衆生の悉有、それ業増上および緣起法爾等ならんには、諸聖の證道および諸佛の菩提、佛祖の眼睛も、業増上力および緣起法爾なるべし。しかあらざるなり。盡界はすべて客塵なし、直下さらに第二人あらず、直截根源人未識、忙忙業識幾時休(直に根源を截るも未だ識らず、忙忙たる業識幾時か休せん)なるがゆゑに。妄緣起の有にあらず、徧界不曾藏のゆゑに。徧界不曾藏といふは、かならずしも滿界是有といふにあらざるなり。徧界我有は外道の邪見なり。本有の有にあらず、亙古亙今のゆゑに。始起の有にあらず、不受一塵のゆゑに。條條の有にあらず、合取のゆゑに。無始有の有にあらず、是什麼物恁麼來のゆゑに。始起有の有にあらず、吾常心是道のゆゑに。まさにしるべし、悉有中に衆生快便難逢なり。悉有を會取することかくのごとくなれば、悉有それ透體脱落なり。

 佛性の言をききて、學者おほく先尼外道の我のごとく邪計せり。それ、人にあはず、自己にあはず、師をみざるゆゑなり。いたづらに風火の動著する心意識を佛性の覺知覺了とおもへり。たれかいふし、佛性に覺知覺了ありと。覺者知者はたとひ諸佛なりとも、佛性は覺知覺了にあらざるなり。いはんや諸佛を覺者知者といふ覺知は、なんだちが云云の邪解を覺知とせず、風火の動靜を覺知とするにあらず、ただ一兩の佛面祖面、これ覺知なり。

 往往に古老先徳、あるいは西天に往還し、あるいは人天を化導する、漢唐より宋朝にいたるまで、稻麻竹葦のごとくなる、おほく風火の動著を佛性の知覺とおもへる、あはれむべし、學道轉疎なるによりて、いまの失誤あり。いま佛道の晩學初心、しかあるべからず。たとひ覺知を學習すとも、覺知は動著にあらざるなり。たとひ動著を學習すとも、動著は恁麼にあらざるなり。もし眞箇の動著を會取することあらば、眞箇の覺知覺了を會取すべきなり。佛之與性、達彼達此(佛と性と、彼に達し、此に達す)なり。佛性かならず悉有なり、悉有は佛性なるがゆゑに。悉有は百雜碎にあらず、悉有は一條鐵にあらず。拈拳頭なるがゆゑに大小にあらず。すでに佛性といふ、諸聖と齊肩なるべからず、佛性と齊肩すべからず。

 ある一類おもはく、佛性は草木の種子のごとし。法雨のうるひしきりにうるほすとき、芽莖生長し、枝葉花果もすことあり。果實さらに種子をはらめり。かくのごとく見解する、凡夫の情量なり。たとひかくのごとく見解すとも、種子および花果、ともに條條の赤心なりと參究すべし。果裏に種子あり、種子みえざれども根莖等を生ず。あつめざれどもそこばくの枝條大圍となれる、内外の論にあらず、古今の時に不空なり。しかあれば、たとひ凡夫の見解に一任すとも、根莖枝葉みな同生し同死し、同悉有なる佛性なるべし。

 

 佛言、欲知佛性義、當觀時節因緣、時節若至、佛性現前。(佛性の義を知らんと欲はば、まさに時節の因緣を觀ずべし。時節若し至れば、佛性現前す。)

 いま佛性義をしらんとおもはばといふは、ただ知のみにあらず、行ぜんとおもはば、證せんとおもはば、とかんとおもはばとも、わすれんとおもはばともいふなり。かの説、行、證、忘、錯、不錯等も、しかしながら時節の因緣なり。時節の因緣を觀ずるには、時節の因緣をもて觀ずるなり、拂子拄杖等をもて相觀するなり。さらに有漏智、無漏智、本覺、始覺、無覺、正覺等の智をもちゐるには觀ぜられざるなり。

 當觀といふは、能觀所觀にかかはれず、正觀邪觀等に準ずべきにあらず、これ當觀なり。當觀なるがゆゑに不自觀なり、不他觀なり、時節因緣聻なり、超越因緣なり。佛性聻なり、脱體佛性なり。佛佛聻なり、性性聻なり。

 時節若至の道を、古今のやから往往におもはく、佛性の現前する時節の向後にあらんずるをまつなりとおもへり。かくのごとく修行しゆくところに、自然に佛性現前の時節にあふ。時節いたらざれば、參師問法するにも、辨道功夫するにも、現前せずといふ。恁麼見取して、いたづらに紅塵にかへり、むなしく雲漢をまぼる。かくのごとくのたぐひ、おそらくは天然外道の流類なり。いはゆる欲知佛性義は、たとへば當知佛性義といふなり。當觀時節因緣といふは、當知時節因緣といふなり。いはゆる佛性をしらんとおもはば、しるべし、時節因緣これなり。時節若至といふは、すでに時節いたれり、なにの疑著すべきところかあらんとなり。疑著時節さもあらばあれ、還我佛性來(我れに佛性を還し來れ)なり。しるべし、時節若至は、十二時中不空過なり。若至は、既至といはんがごとし。時節若至すれば、佛性不至なり。しかあればすなはち、時節すでにいたれば、これ佛性の現前なり。あるいは其理自彰なり、おほよそ時節の若至せざる時節いまだあらず、佛性の現前せざる佛性あらざるなり。

 

 第十二祖馬鳴尊者、第十三祖のために佛性海をとくにいはく、

 山河大地、皆依建立、三昧六通、由茲發現。(山河大地皆依つて建立し、三昧六通茲に由つて發現す。)

 しかあれば、この山河大地、みな佛性海なり。皆依建立といふは、建立せる正當恁麼時、これ山河大地なり。すでに皆依建立といふ、しるべし、佛性海のかたちはかくのごとし。さらに内外中間にかかはるべきにあらず。恁麼ならば、山河をみるは佛性をみるなり、佛性をみるは驢腮馬觜をみるなり。皆依は全依なり、依全なりと會取し不會取するなり。

 三昧六通由茲發現。しるべし、諸三昧の發現來現、おなじく皆依佛性なり。全六通の由茲不由茲、ともに皆依佛性なり。六神通はただ阿笈摩教にいふ六神通にあらず。六といふは、前三三後三三を六神通波羅蜜といふ。しかあれば、六神通は明明百草頭、明明佛祖意なりと參究することなかれ。六神通に滯累せしむといへども、佛性海の朝宗に罣礙するものなり。

 

 五祖大滿禪師、蘄州黄梅人也。無父而生、童兒得道、乃栽松道者也。初在蘄州西山栽松、遇四祖出遊。告道者、吾欲傳法與汝、汝已年邁、若待汝再來、吾尚遲汝。(五祖大滿禪師は、蘄州黄梅の人なり、父無くして生る、童兒にして道を得たり、乃ち栽松道者なり。初め蘄州の西山に在りて松を栽ゑしに、四祖の出遊に遇ふ。道者に告ぐ、吾れ汝に傳法せんと欲へば、汝已に年邁ぎたり。若し汝が再來を待たば、吾れ尚汝を遲つべし。)

 師諾。遂往周氏家女托生。因抛濁港中。神物護持、七日不損、因收養矣。至七歳爲童兒、於黄梅路上逢四祖大醫禪師。(師、諾す。遂に周氏家の女に往いて托生す。因みに濁港の中に抛つ。神物護持して七日損せず。因みに收りて養へり。七歳に至るまで童兒たり、黄梅路上に四祖大醫禪師に逢ふ。)

 祖見師、雖是小兒、骨相奇秀、異乎常童。(祖、師を見るに、是れ小兒なりと雖も、骨相奇秀、常の童に異なり。)

 祖見問曰、汝何姓。(汝何なる姓ぞ。)

 師答曰、姓卽有、不是常姓。(姓は卽ち有り、是れ常の姓にあらず。)

 祖曰、是何姓。(是れ何なる姓ぞ。)

 師答曰、是佛性。(是れ佛性。)

 祖曰、汝無佛性。(汝に佛性無し。)

 師答曰、佛性空故、所以言無。(佛性空なる故に、所以に無と言ふ。)

 祖識其法器、俾爲侍者、後付正法眼藏。居黄梅東山、大振玄風。(祖、其の法器なるを識つて、侍者たらしめて、後に正法眼藏を付す。黄梅東山に居して、大きに玄風を振ふ。)

 しかあればすなはち、祖師の道取を參究するに、四祖いはく、汝何性は、その宗旨あり。むかしは何國人の人あり、何姓の姓あり。なんぢは何姓と爲説するなり。たとへば吾亦如是、汝亦如是と道取するがごとし。

 五祖いはく、姓卽有、不是常姓。

 いはゆるは、有卽姓は常姓にあらず、常姓は卽有に不是なり。

 四祖いはく是何姓は、何は是なり、是を何しきたれり。これ姓なり。何ならしむるは是のゆゑなり。是ならしむるは何の能なり。姓は是也、何也なり。これを蒿湯にも點ず、茶湯にも點ず、家常の茶飯ともするなり。

 五祖いはく、是佛性。

 いはくの宗旨は、是は佛性なりとなり。何のゆゑに佛なるなり。是は何姓のみに究取しきたらんや、是すでに不是のとき佛性なり。しかあればすなはち是は何なり、佛なりといへども、脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり。その姓すなはち周なり。しかあれども、父にうけず祖にうけず、母氏に相似ならず、傍觀に齊肩ならんや。

 四祖いはく、汝無佛性。

 いはゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども、無佛性なりと開演するなり。しるべし、學すべし、いまはいかなる時節にして無佛性なるぞ。佛頭にして無佛性なるか、佛向上にして無佛性なるか。七通を逼塞することなかれ、八達を摸𢱢することなかれ。無佛性は一時の三昧なりと修習することもあり。佛性成佛のとき無佛性なるか、佛性發心のとき無佛性なるかと問取すべし、道取すべし。露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし、佛性をしても問取せしむべし。

 しかあればすなはち、無佛性の道、はるかに四祖の祖室よりきこゆるものなり。黄梅に見聞し、趙州に流通し、大潙に擧揚す。無佛性の道、かならず精進すべし、趦趄することなかれ。無佛性たどりぬべしといへども、何なる標準あり、汝なる時節あり、是なる投機あり、周なる同生あり、直趣なり。

 五祖いはく、佛性空故、所以言無。

 あきらかに道取す、空は無にあらず。佛性空を道取するに、半斤といはず、八兩といはず、無と言取するなり。空なるゆゑに空といはず、無なるゆゑに無といはず、佛性空なるゆゑに無といふ。しかあれば、無の片片は空を道取する標榜なり、空は無を道取する力量なり。いはゆるの空は、色卽是空の空にあらず。色卽是空といふは、色を強爲して空とするにあらず、空をわかちて色を作家せるにあらず。空是空の空なるべし。空是空の空といふは、空裏一片石なり。しかあればすなはち、佛性無と佛性空と佛性有と、四祖五祖、問取道取。

 

 震旦第六祖曹谿山大鑑禪師、そのかみ黄梅山に參ぜしはじめ、五祖とふ、なんぢいづれのところよりかきたれる。

 六祖いはく、嶺南人なり。

 五祖いはく、きたりてなにごとをかもとむる。

 六祖いはく、作佛をもとむ。

 五祖いはく、嶺南人無佛性、いかにしてか作佛せん。

 この嶺南人無佛性といふ、嶺南人は佛性なしといふにあらず、嶺南人は佛性ありといふにあらず、嶺南人、無佛性となり。いかにしてか作佛せんといふは、いかなる作佛をか期するといふなり。

 おほよそ佛性の道理、あきらむる先達すくなし。諸阿笈摩教および經論師のしるべきにあらず。佛祖の兒孫のみ單傳するなり。佛性の道理は、佛性は成佛よりさきに具足せるにあらず、成佛よりのちに具足するなり。佛性かならず成佛と同參するなり。この道理、よくよく參究功夫すべし。三二十年も功夫參學すべし。十聖三賢のあきらむるところにあらず。衆生有佛性、衆生無佛性と道取する、この道理なり。成佛以來に具足する法なりと參學する正的なり。かくのごとく學せざるは佛法にあらざるべし。かくのごとく學せずば、佛法あへて今日にいたるべからず。もしこの道理あきらめざるには、成佛をあきらめず、見聞せざるなり。このゆゑに、五祖は向他道するに、嶺南人無佛性と爲道するなり。見佛聞法の最初に、難得難聞なるは、衆生無佛性なり。或從知識、或從經卷するに、きくことのよろこぶべきは衆生無佛性なり。一切衆生無佛性を、見聞覺知に參飽せざるものは、佛性いまだ見聞覺知せざるなり。六祖もはら作佛をもとむるに、五祖よく六祖を作佛せしむるに、他の道取なし、善巧なし。ただ嶺南人無佛性といふ。しるべし、無佛性の道取聞取、これ作佛の直道なりといふことを。しかあれば、無佛性の正當恁麼時すなはち作佛なり。無佛性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作佛せざるなり。

 六祖いはく、人有南北なりとも、佛性無南北なり。この道取を擧して、句裏を功夫すべし。南北の言、まさに赤心に照顧すべし。六祖道得の句に宗旨あり。いはゆる人は作佛すとも、佛性は作佛すべからずといふ一隅の搆得あり。六祖これをしるやいなや。

 四祖五祖の道取する無佛性の道得、はるかに㝵礙の力量ある一隅をうけて、迦葉佛および釋迦牟尼佛等の諸佛は、作佛し轉法するに、悉有佛性と道取する力量あるなり。悉有の有、なんぞ無無の無に嗣法せざらん。しかあれば、無佛性の語、はるかに四祖五祖の室よりきこゆるなり。このとき、六祖その人ならば、この無佛性の語を功夫すべきなり。有無の無はしばらくおく、いかならんかこれ佛性と問取すべし、なにものかこれ佛性とたづぬべし。いまの人も、佛性とききぬれば、いかなるかこれ佛性と問取せず、佛性の有無等の義をいふがごとし、これ倉卒なり。しかあれば、諸無の無は、無佛性の無に學すべし。六祖の道取する人有南北、佛性無南北の道、ひさしく再三撈摝すべし、まさに撈波子に力量あるべきなり。六祖の道取する人有南北佛性無南北の道、しづかに拈放すべし。おろかなるやからおもはくは、人間には質礙すれば南北あれども、佛性は虛融にして南北の論におよばずと、六祖は道取せりけるかと推度するは、無分の愚蒙なるべし。この邪解を抛却して、直須勤學すべし。

 

 六祖示門人行昌云、無常者卽佛性也、有常者卽善惡一切諸法分別心也。(六祖、門人行昌に示して云く、無常は卽ち佛性なり、有常は卽ち善惡一切諸法分別心なり。)

 いはゆる六祖道の無常は、外道二乘等の測度にあらず。二乘外道の鼻祖鼻末、それ無常なりといふとも、かれら窮盡すべからざるなり。しかあれば、無常のみづから無常を説著、行著、證著せんは、みな無常なるべし。今以現自身得度者、卽現自身而爲説法(今、自身を現ずるを以て得度すべき者には、卽ち自身を現じて而も爲に法を説く)なり、これ佛性なり。さらに或現長法身、或現短法身なるべし。常聖これ無常なり、常凡これ無常なり。常凡聖ならんは、佛性なるべからず。小量の愚見なるべし、測度の管見なるべし。佛者小量身也、性者小量作也。このゆゑに六祖道取す、無常者佛性也(無常は佛性なり)。

 常者未轉なり。未轉といふは、たとひ能斷と變ずとも、たとひ所斷と化すれども、かならずしも去來の蹤跡にかかはれず、ゆゑに常なり。

 しかあれば、草木叢林の無常なる、すなはち佛性なり。人物身心の無常なる、これ佛性なり。國土山河の無常なる、これ佛性なるによりてなり。阿耨多羅三藐三菩提これ佛性なるがゆゑに無常なり、大般涅槃これ無常なるがゆゑに佛性なり。もろもろの二乘の小見および經論師の三藏等は、この六祖の道を驚疑怖畏すべし。もし驚疑せんことは、魔外の類なり。

 

 第十四祖龍樹尊者、梵云那伽閼刺樹那。唐云龍樹亦龍勝、亦云龍猛。西天竺國人也。至南天竺國。彼國之人、多信福業。尊者爲説妙法。聞者逓相謂曰、人有福業、世間第一。徒言佛性、誰能覩之。(第十四祖龍樹尊者、梵に那伽閼刺樹那と云ふ。唐には龍樹また龍勝と云ふ、また龍猛と云ふ。西天竺國の人なり。南天竺國に至る。彼の國の人、多く福業を信ず。尊者、爲に妙法を説く。聞く者、逓相に謂つて曰く、人の福業有る、世間第一なり。徒らに佛性を言ふ、誰か能く之を覩たる。)

 尊者曰、汝欲見佛性、先須除我慢。(汝佛性を見んと欲はば、先づ須らく我慢を除くべし。)

 彼人曰、佛性大耶小耶。(佛性大なりや小なりや。)

 尊者曰く、佛性非大非小、非廣非狹、無福無報、不死不生。(佛性大に非ず小に非ず、廣に非ず狹に非ず、福無く報無く、不死不生なり。)

 彼聞理勝、悉廻初心。(彼、理の勝たることを聞いて、悉く初心を廻らす。)

 尊者復於座上現自在身、如滿月輪。一切衆會、唯聞法音、不覩師相。(尊者、また坐上に自在身を現ずること、滿月輪の如し。一切衆會、唯法音のみを聞いて、師相を覩ず。)

 於彼衆中、有長者子迦那提婆、謂衆會曰、識此相否。(彼の衆の中に、長者子迦那提婆といふもの有り、衆會に謂つて曰く、此の相を識るや否や。)

 衆會曰、而今我等目所未見、耳無所聞、心無所識、身無所住。(衆會曰く、而今我等目に未だ見ざる所、耳に聞く所無く、心に識る所無く、身に住する所無し。)

 提婆曰、此是尊者、現佛性相、以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如滿月。佛性之義、廓然虛明。(此れは是れ尊者、佛性の相を現して、以て我等に示す。何を以てか之を知る。蓋し、無相三昧は形滿月の如くなるを以てなり。佛性の義は廓然虛明なり)

 言訖輪相卽隱。復居本座、而説偈言、(言ひ訖るに、輪相卽ち隱る。また本座に居して、偈を説いて言く、)

 身現圓月相、

 以表諸佛體、

 説法無其形、

 用辯非聲色。

 (身に圓月相を現じ、以て諸佛の體を表す、説法其の形無し、用辯は聲色に非ず。

 しるべし、眞箇の用辯は聲色の卽現にあらず。眞箇の説法は無其形なり。尊者かつてひろく佛性を爲説する、不可數量なり。いまはしばらく一隅を略擧するなり。

 汝欲見佛性、先須除我慢。この爲説の宗旨、すごさず辨肯すべし。見はなきにあらず、その見これ除我慢なり。我もひとつにあらず、慢も多般なり、除法また萬差なるべし。しかあれども、これらみな見佛性なり。眼見目覩にならふべし。

 佛性非大非小等の道取、よのつねの凡夫二乘に例諸することなかれ。偏枯に佛性は廣大ならんとのみおもへる、邪念をたくはへきたるなり。大にあらず小にあらざらん正當恁麼時の道取に罣礙せられん道理、いま聽取するがごとく思量すべきなり。思量なる聽取を使得するがゆゑに。

 しばらく尊者の道著する偈を聞取すべし、いはゆる身現圓月相、以表諸佛體なり。すでに諸佛體を以表しきたれる身現なるがゆゑに圓月相なり。しかあれば、一切の長短方圓、この身現に學習すべし。身と現とに轉疎なるは、圓月相にくらきのみにあらず、諸佛體にあらざるなり。愚者おもはく、尊者かりに化身を現ぜるを圓月相といふとおもふは、佛道を相承せざる黨類の邪念なり。いづれのところのいづれのときか、非身の他現ならん。まさにしるべし、このとき尊者は高座せるのみなり。身現の儀は、いまのたれ人も坐せるがごとくありしなり。この身、これ圓月相現なり。身現は方圓にあらず、有無にあらず、隱顯にあらず、八萬四千蘊にあらず、ただ身現なり。圓月相といふ、這裏是甚麼處在、説細説麤月(這裏是れ甚麼の處在ぞ、細と説き、麤と説く月)なり。この身現は、先須除我慢なるがゆゑに、龍樹にあらず、諸佛體なり。以表するがゆゑに諸佛體を透脱す。しかあるがゆゑに、佛邊にかかはれず。佛性の滿月を形如する虛明ありとも、圓月相を排列するにあらず。いはんや用辯も聲色にあらず、身現も色身にあらず、蘊處界にあらず。蘊處界に一似なりといへども以表なり、諸佛體なり。これ説法蘊なり、それ無其形なり。無其形さらに無相三昧なるとき身現なり。一衆いま圓月相を望見すといへども、目所未見なるは、説法蘊の轉機なり、現自在身の非聲色なり。卽隱、卽現は、輪相の進歩退歩なり。復於座上現自在身の正當恁麼時は、一切衆會、唯聞法音するなり、不覩師相なるなり。

 尊者の嫡嗣迦那提婆尊者、あきらかに滿月相を識此し、圓月相を識此し、身現を識此し、諸佛性を識此し、諸佛體を識此せり。入室瀉缾の衆たとひおほしといへども、提婆と齊肩ならざるべし。提婆は半座の尊なり、衆會の導師なり、全座の分座なり。正法眼藏無上大法を正傳せること、靈山に摩訶迦葉尊者の座元なりしがごとし。龍樹未廻心のさき、外道の法にありしときの弟子おほかりしかども、みな謝遣しきたれり。龍樹すでに佛祖となれりしときは、ひとり提婆を附法の正嫡として、大法眼藏を正傳す。これ無上佛道の單傳なり。しかあるに、僭僞の邪群、ままに自稱すらく、われらも龍樹大士の法嗣なり。論をつくり義をあつむる、おほく龍樹の手をかれり、龍樹の造にあらず。むかしすてられし群徒の、人天を惑亂するなり。佛弟子はひとすぢに、提婆の所傳にあらざらんは、龍樹の道にあらずとしるべきなり。これ正信得及なり。しかあるに、僞なりとしりながら稟受するものおほかり。謗大般若の衆生の愚蒙、あはれみかなしむべし。

 迦那提婆尊者、ちなみに龍樹尊者の身現をさして衆會につげていはく、此是尊者、現佛性相、以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如滿月。佛性之義、廓然虛明(此れは是れ尊者、佛性の相を現じて、以て我等に示すなり。何を以てか之れを知る。蓋し、無相三昧は形滿月の如くなるを以てなり。佛性の義は、廓然として虛明)なり。

 いま天上人間、大千法界に流布せる佛法を見聞せる前後の皮袋、たれか道取せる、身現相は佛性なりと。大千界にはただ提婆尊者のみ道取せるなり。餘者はただ、佛性は眼見耳聞心識等にあらずとのみ道取するなり。身現は佛性なりとしらざるゆゑに道取せざるなり。祖師のをしむにあらざれども、眼耳ふさがれて見聞することあたはざるなり。身識いまだおこらずして、了別することあたはざるなり。無相三昧の形如滿月なるを望見し禮拜するに、目未所覩なり。佛性之義、廓然虛明なり。

 しかあれば身現の説佛性なる、虛明なり、廓然なり。説佛性の身現なる、以表諸佛體なり。いづれの一佛二佛か、この以表を佛體せざらん。佛體は身現なり、身現なる佛性あり。四大五蘊と道取し會取する佛量祖量も、かへりて身現の造次なり。すでに諸佛體といふ、蘊處界のかくのごとくなるなり。一切の功徳、この功徳なり。佛功徳はこの身現を究盡し、嚢括するなり。一切無量無邊の功徳の往來は、この身現の一造次なり。

 しかあるに、龍樹提婆師資よりのち、三國の諸方にある前代後代、ままに佛學する人物、いまだ龍樹提婆のごとく道取せず。いくばくの經師論師等か、佛祖の道を蹉過する。大宋國むかしよりこの因緣を畫せんとするに、身に畫し心に畫し、空に畫し、壁に畫することあたはず、いたづらに筆頭に畫するに、法座上に如鏡なる一輪相を圖して、いま龍樹の身現圓月相とせり。すでに數百歳の霜華も開落して、人眼の金屑をなさんとすれども、あやまるといふ人なし。あはれむべし、萬事の蹉跎たることかくのごときなる。もし身現圓月相は一輪相なりと會取せば、眞箇の畫餠一枚なり。弄他せん、笑也笑殺人なるべし。かなしむべし、大宋一國の在家出家、いづれの一箇も、龍樹のことばをきかずしらず、提婆の道を通ぜずみざること。いはんや身現に親切ならんや。圓月にくらし、滿月を虧闕せり。これ稽古のおろそかなるなり、慕古いたらざるなり。古佛新佛、さらに眞箇の身現にあうて、畫餠を賞翫することなかれ。

 しるべし、身現圓月相の相を畫せんには、法座上に身現相あるべし。揚眉瞬目それ端直なるべし。皮肉骨髓正法眼藏、かならず兀坐すべきなり。破顔微笑つたはるべし、作佛作祖するがゆゑに。この畫いまだ月相ならざるには、形如なし、説法せず、聲色なし、用辯なきなり。もし身現をもとめば、圓月相を圖すべし。圓月相を圖せば、圓月相を圖すべし、身現圓月相なるがゆゑに。圓月相を畫せんとき、滿月相を圖すべし、滿月相を現すべし。しかあるを、身現を畫せず、圓月を畫せず、滿月相を畫せず、諸佛體を圖せず、以表を體せず、説法を圖せず、いたづらに畫餠一枚を圖す、用作什麼(用て什麼にか作ん)。これを急著眼看せん、たれか直至如今飽不飢ならん。月は圓形なり、圓は身現なり。圓を學するに一枚錢のごとく學することなかれ、一枚餠に相似することなかれ。身相圓月身なり、形如滿月形なり。一枚錢、一枚餠は、圓に學習すべし。

 

 予、雲遊のそのかみ、大宋國にいたる、嘉定十六年癸未秋のころ、はじめて阿育王山廣利禪寺にいたる。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の變相を畫せるをみる。このとき領覽なし。のちに寶慶元年乙酉夏安居のなかに、かさねていたるに、西蜀の成桂知客と、廊下を行歩するついでに、

 予、知客にとふ。這箇是什麼變相(這箇は是れ什麼の變相ぞ)。

 知客いはく、龍樹身現圓月相(龍樹の身現圓月相なり)。かく道取する顔色に鼻孔なし、聲裏に語句なし。

 予いはく、眞箇是一枚畫餠相似(眞箇に是れ一枚の畫餠に相似せり)。

 ときに知客、大笑すといへども、笑裏無刀、破畫餠不得(笑裏に刀無く、畫餠を破すること不得)なり。

 すなはち知客と予と、舍利殿および六殊勝地等にいたるあひだ、數番擧揚すれども、疑著するにもおよばず。おのづから下語する僧侶も、おほく都不是なり。

 予いはく、堂頭にとふてみん。ときに堂頭は大光和尚なり。

 知客いはく、他無鼻孔、對不得。如何得知(他は鼻孔無し、對へ得じ。如何でか知ることを得ん)。

 ゆゑに光老にとはず。恁麼道取すれども、桂兄も會すべからず。聞説する皮袋も道取せるなし。前後の粥飯頭みるにあやしまず、あらためなほさず。又、畫することうべからざらん法はすべて畫せざるべし。畫すべくは端直に畫すべし。しかあるに、身現の圓月相なる、かつて畫せるなきなり。

 おほよそ佛性は、いまの慮知念覺ならんと見解することさめざるによりて、有佛性の道にも、無佛性の道にも、通達の端を失せるがごとくなり。道取すべきと學習するもまれなり。しるべし、この疎怠は癈せるによりてなり。諸方の粥飯頭、すべて佛性といふ道得を、一生いはずしてやみぬるもあるなり。あるいはいふ、聽教のともがら佛性を談ず、參禪の雲衲はいふべからず。かくのごとくのやからは、眞箇是畜生なり。なにといふ魔黨の、わが佛如來の道にまじはりけがさんとするぞ。聽教といふことの佛道にあるか、參禪といふことの佛道にあるか。いまだ聽教參禪といふこと、佛道にはなしとしるべし。

 

 杭州鹽官縣齊安國師は、馬祖下の尊宿なり。ちなみに衆にしめしていはく、一切衆生有佛性。

 いはゆる一切衆生の言、すみやかに參究すべし。一切衆生、その業道依正ひとつにあらず、その見まちまちなり。凡夫外道、三乘五乘等、おのおのなるべし。いま佛道にいふ一切衆生は、有心者みな衆生なり、心是衆生なるがゆゑに。無心者おなじく衆生なるべし、衆生是心なるがゆゑに。しかあれば、心みなこれ衆生なり、衆生みなこれ有佛性なり。草木國土これ心なり、心なるがゆゑに衆生なり、衆生なるがゆゑに有佛性なり。日月星辰これ心なり、心なるがゆゑに衆生なり、衆生なるがゆゑに有佛性なり。國師の道取する有佛性、それかくのごとし。もしかくのごとくにあらずは、佛道に道取する有佛性にあらざるなり。いま國師の道取する宗旨は、一切衆生有佛性のみなり。さらに衆生にあらざらんは、有佛性にあらざるべし。しばらく國師にとふべし、一切諸佛有佛性也無(一切諸佛、有佛性なりや也無や)。かくのごとく問取し、試驗すべきなり。一切衆生卽佛性といはず、一切衆生、有佛性といふと參學すべし。有佛性の有、まさに脱落すべし。脱落は一條鐵なり、一條鐵は鳥道なり。しかあれば、一切衆生有衆生なり。これその道理は、衆生を説透するのみにあらず、佛性をも説透するなり。國師たとひ會得を道得に承當せずとも、承當の期なきにあらず。今日の道得、いたづらに宗旨なきにあらず。又、自己に具する道理、いまだかならずしもみづから會得せざれども、四大五陰もあり、皮肉骨髓もあり。しかあるがごとく、道取も、一生に道取することもあり、道取にかかれる生生もあり。

 

 大潙山大圓禪師、あるとき衆にしめしていはく、一切衆生無佛性。

 これをきく人天のなかに、よろこぶ大機あり、驚疑のたぐひなきにあらず。釋尊説道は一切衆生悉有佛性なり、大潙の説道は一切衆生無佛性なり。有無の言理、はるかにことなるべし、道得の當不、うたがひぬべし。しかあれども、一切衆生無佛性のみ佛道に長なり。鹽官有佛性の道、たとひ古佛とともに一隻の手をいだすににたりとも、なほこれ一條拄杖兩人舁なるべし。

 いま大潙はしかあらず、一條拄杖呑兩人なるべし。いはんや國師は馬祖の子なり、大潙は馬祖の孫なり。しかあれども、法孫は、師翁の道に老大なり、法子は、師父の道に年少なり。いま大潙道の理致は、一切衆生無佛性を理致とせり。いまだ曠然繩墨外といはず。自家屋裏の經典、かくのごとくの受持あり。さらに摸𢱢すべし、一切衆生なにとしてか佛性ならん、佛性あらん。もし佛性あるは、これ魔黨なるべし。魔子一枚を將來して、一切衆生にかさねんとす。佛性これ佛性なれば、衆生これ衆生なり。衆生もとより佛性を具足せるにあらず。たとひ具せんともとむとも、佛性はじめてきたるべきにあらざる宗旨なり。張公喫酒李公醉(張公酒を喫すれば李公醉ふ)といふことなかれ。もしおのづから佛性あらんは、さらに衆生あらず。すでに衆生あらんは、つひに佛性にあらず。

 このゆゑに百丈いはく、説衆生有佛性、亦謗佛法僧。説衆生無佛性、亦謗佛法僧。(衆生に佛性有りと説くもまた佛法僧を謗ず。衆生に佛性無しと説くもまた佛法僧を謗ずるなり)。しかあればすなはち、有佛性といひ無佛性といふ、ともに謗となる。謗となるといふとも、道取せざるべきにはあらず。

 且問儞、大潙、百丈しばらくきくべし。謗はすなはちなきにあらず、佛性は説得すやいまだしや。たとひ説得せば、説著を罣礙せん。説著あらば聞著と同參なるべし。また、大潙にむかひていふべし。一切衆生無佛性はたとひ道得すといふとも、一切佛性無衆生といはず、一切佛性無佛性といはず、いはんや一切諸佛無佛性は夢也未見在(夢にもまた未だ見ざること在る)なり。試擧看(試みに擧げて看よ)。

 

 百丈山大智禪師示衆云、佛是最上乘、是上上智。是佛道立此人、是佛有佛性、是導師。是使得無所礙風、是無礙慧。於後能使得因果、福智自由。是作車運載因果。處於生不被生之所留、處於死不被死之所礙、處於五陰如門開。不被五陰礙、去住自由、出入無難。若能恁麼、不論階梯勝劣、乃至蟻子之身、但能恁麼、盡是淨妙國土、不可思議。(百丈山大智禪師、衆に示して云く、佛は是れ最上乘なり、是れ上上智なり。是れ佛道立此人なり、是れ佛有佛性なり、是れ導師なり。是れ使得無所礙風なり、是れ無礙慧なり。於後能く因果を使得す、福智自由なり。是れ車となして因果を運載す。生に處して生に留められず、死に處して死に礙へられず、五陰に處して門の開るが如し。五陰に礙へられず、去住自由にして、出入無難なり。若し能く恁麼なれば、階梯勝劣を論ぜず、乃至蟻子之身も、但能く恁麼ならば、盡く是れ淨妙國土、不可思議なり)。

 これすなはち百丈の道處なり。いはゆる五蘊は、いまの不壞身なり。いまの造次は門開なり、不被五陰礙なり。生を使得するに生にとどめられず、死を使得するに死にさへられず。いたづらに生を愛することなかれ、みだりに死を恐怖することなかれ。すでに佛性の處在なり、動著し厭却するは外道なり。現前の衆緣と認ずるは使得無礙風なり。これ最上乘なる是佛なり。この是佛の處在、すなはち淨妙國土なり。

 

 黄檗南泉在茶堂内坐。南泉問黄檗、定慧等學、明見佛性。此理如何。(黄檗南泉の茶堂の内に在つて坐す。南泉、黄檗に問ふ、定慧等學、明見佛性。此の理如何。)

 黄檗云、十二時中不依倚一物始得。(十二時中一物にも依倚せずして始得ならん。)

 南泉云く、莫便是長老見處麼。(便ち是れ長老の見處なることなきや。)

 黄檗曰く、不敢。

 南泉云、醤水錢且致、草鞋錢教什麼人還。(醤水錢は且く致く、草鞋錢は什麼人をしてか還さしめん。)

 黄檗便休。(黄檗便ち休す。)

 いはゆる定慧等學の宗旨は、定學の慧學をさへざれば、等學するところに明見佛性のあるにはあらず、明見佛性のところに、定慧等學の學あるなり。此理如何と道取するなり。たとへば、明見佛性はたれか所作なるぞと道取せんもおなじかるべし。佛性等學、明見佛性、此理如何と道取せんも道得なり。

 黄檗いはく、十二時中不依倚一物といふ宗旨は、十二時中たとひ十二時中に處在せりとも、不依倚なり。不依倚一物、これ十二時なるがゆゑに佛性明見なり。この十二時中、いづれの時節到來なりとかせん、いづれの國土なりとかせん。いまいふ十二時は、人間の十二時なるべきか、他那裏に十二時のあるか、白銀世界の十二時のしばらくきたれるか。たとひ此土なりとも、たとひ他界なりとも、不依倚なり。すでに十二時中なり、不依倚なるべし。

 莫便是長老見處麼といふは、これを見處とはいふまじやといふがごとし。長老見處麼と道取すとも、自己なるべしと囘頭すべからず。自己に的當なりとも、黄檗にあらず。黄檗かならずしも自己のみにあらず、長老見處は露廻廻なるがゆゑに。

 黄檗いはく、不敢。

 この言は、宋土に、おのれにある能を問取せらるるには、能を能といはんとても、不敢といふなり。しかあれば、不敢の道は不敢にあらず。この道得はこの道取なること、はかるべきにあらず。長老見處たとひ長老なりとも、長老見處たとひ黄檗なりとも、道取するには不敢なるべし。一頭水牯牛出來道吽吽(一頭の水牯牛出で來りて吽吽と道ふ)なるべし。かくのごとく道取するは、道取なり。道取する宗旨さらに又道取なる道取、こころみて道取してみるべし。

 南泉いはく、醤水錢且致、草鞋錢教什麼人還。

 いはゆるは、こんづのあたひはしばらくおく、草鞋のあたひはたれをしてかかへさしめんとなり。この道取の意旨、ひさしく生生をつくして參究すべし。醤水錢いかなればかしばらく不管なる、留心勤學すべし。草鞋錢なにとしてか管得する。行脚の年月にいくばくの草鞋をか踏破しきたれるとなり。いまいふべし、若不還錢、未著草鞋(若し錢を還さずは、未だ草鞋を著かじ)。またいふべし、兩三輪。この道得なるべし、この宗旨なるべし。

 黄檗便休。これは休するなり。不肯せられて休し、不肯にて休するにあらず。本色衲子しかあらず。しるべし休裏有道は、笑裏有刀のごとくなり。これ佛性明見の粥足飯足なり。

 この因緣を擧して、潙山、仰山にとうていはく、莫是黄檗搆他南泉不得麼(是れ黄檗他の南泉を搆すること得ざるにあらずや)。

 仰山いはく、不然。須知、黄檗有陷虎之機(然らず。須く知るべし、黄檗陷虎之機有ることを)。

 潙山いはく、子見處、得恁麼長(子が見處、恁麼に長ずること得たり)。

 大潙の道は、そのかみ黄檗は南泉を搆不得なりやといふ。

 仰山いはく、黄檗は陷虎の機あり。すでに陷虎することあらば、捋虎頭なるべし。

 陷虎捋虎、異類中行。明見佛性也、開一隻眼。佛性明見也、失一隻眼。速道速道。佛性見處、得恁麼長(虎を陷れ虎を捋る。異類中に行く。佛性を明見しては一隻眼を開き、佛性明見すれば一隻眼を失す。速やかに道へ、速やかに道へ。佛性の見處、恁麼に長ずることを得たり)なり。

 このゆゑに、半物全物、これ不依倚なり。百千物、不依倚なり、百千時、不依倚なり。このゆゑにいはく、籮籠一枚、時中十二。依倚不依倚、如葛藤倚樹。天中及全天、後頭未有語(籮籠は一枚、時中は十二、依倚も不依倚も、葛藤の樹に依が如し。天中と全天と、後頭未だ語あらず)なり。

 

 趙州眞際大師にある僧とふ、狗子還有佛性也無(狗子にまた佛性有りや無や)。

 この問の意趣あきらむべし。狗子とはいぬなり。かれに佛性あるべしと問取せず、なかるべしと問取するにあらず。これは、鐵漢また學道するかと問取するなり。あやまりて毒手にあふ、うらみふかしといへども、三十年よりこのかた、さらに半箇の聖人をみる風流なり。

 趙州いはく、無。

 この道をききて、習學すべき方路あり。佛性の自稱する無も恁麼なるべし、狗子の自稱する無も恁麼道なるべし、傍觀者の喚作の無も恁麼道なるべし。その無わづかに消石の日あるべし。

 僧いはく、一切衆生皆有佛性、狗子爲甚麼無(一切衆生皆佛性有り、狗子甚麼としてか無き)。

 いはゆる宗旨は、一切衆生無ならば、佛性も無なるべし、狗子も無なるべしといふ、その宗旨作麼生、となり。狗子佛性、なにとして無をまつことあらん。

 趙州いはく、爲他有業識在(他に業識在ること有るが爲なり)。

 この道旨は、爲他有は業識なり。業識有、爲他有なりとも、狗子無、佛性無なり。業識いまだ狗子を會せず、狗子いかでか佛性にあはん。たとひ雙放雙収すとも、なほこれ業識の始終なり。

 

 趙州有僧問、狗子還有佛性也無。(趙州に僧有って問ふ、狗子にまた佛性有りや無や)。

 この問取は、この僧、搆得趙州の道理なるべし。しかあれば、佛性の道取問取は、佛祖の家常茶飯なり。

 趙州いはく、有。

 この有の樣子は、教家の論師等の有にあらず、有部の論有にあらざるなり。すすみて佛有を學すべし。佛有は趙州有なり、趙州有は狗子有なり、狗子有は佛性有なり。

 僧いはく、既有、爲甚麼却撞入這皮袋(既に有ならば、甚麼としてか却この皮袋に撞入する)。

 この僧の道得は、今有なるか、古有なるか、既有なるかと問取するに、既有は諸有に相似せりといふとも、既有は孤明なり。既有は撞入すべきか、撞入すべからざるか。撞入這皮袋の行履、いたづらに蹉過の功夫あらず。

 趙州いはく、爲他知而故犯(他、知りて故に犯すが爲なり)。

 この語は、世俗の言語としてひさしく途中に流布せりといへども、いまは趙州の道得なり。いふところは、しりてことさらをかす、となり。この道得は、疑著せざらん、すくなかるべし。いま一字の入あきらめがたしといへども、入之一字も不用得なり。いはんや欲識庵中不死人、豈離只今這皮袋(庵中不死の人を識らんと欲はば、豈只今のこの皮袋を離れんや)なり。不死人はたとひ阿誰なりとも、いづれのときか皮袋に莫離なる。故犯はかならずしも入皮袋にあらず、撞入這皮袋かならずしも知而故犯にあらず。知而のゆゑに故犯あるべきなり。しるべし、この故犯すなはち脱體の行履を覆藏せるならん。これ撞入と説著するなり。脱體の行履、その正當覆藏のとき、自己にも覆藏し、他人にも覆藏す。しかもかくのごとくなりといへども、いまだのがれずといふことなかれ、驢前馬後漢。いはんや、雲居高祖いはく、たとひ佛法邊事を學得する、はやくこれ錯用心了也。

 しかあれば、半枚學佛法邊事ひさしくあやまりきたること日深月深なりといへども、これ這皮袋に撞入する狗子なるべし。知而故犯なりとも有佛性なるべし。

 

 長沙景岑和尚の會に、竺尚書とふ、蚯蚓斬爲兩段、兩頭倶動。未審、佛性在阿那箇頭(蚯蚓斬れて兩段と爲る、兩頭倶に動く。未審、佛性阿那箇頭にか在る)。

 師云く、莫妄想(妄想すること莫れ)。

 書曰く、爭奈動何(動をいかがせん)。

 師云く、只是風火未散(只是れ風火の未だ散ぜざるなり)。

 いま尚書いはくの蚯蚓斬爲兩段は、未斬時は一段なりと決定するか。佛祖の家常に不恁麼なり。蚯蚓もとより一段にあらず、蚯蚓きれて兩段にあらず。一兩の道取、まさに功夫參學すべし。

 兩頭倶動といふ兩頭は、未斬よりさきを一頭とせるか、佛向上を一頭とせるか。兩頭の語、たとひ尚書の會不會にかかはるべからず、語話をすつることなかれ。きれたる兩段は一頭にして、さらに一頭のあるか。その動といふに倶動といふ、定動智拔ともに動なるべきなり。

 未審、佛性在阿那箇頭。佛性斬爲兩段、未審、蚯蚓在阿那箇頭といふべし。この道得は審細にすべし。兩頭倶動、佛性在阿那箇頭といふは、倶動ならば佛性の所在に不堪なりといふか。倶動なれば、動はともに動ずといふとも、佛性の所在は、そのなかにいづれなるべきぞといふか。

 師いはく、莫妄想。この宗旨は、作麼生なるべきぞ。妄想することなかれ、といふなり。しかあれば、兩頭倶動するに、妄想なし、妄想にあらずといふか、ただ佛性は妄想なしといふか。佛性の論におよばず、兩頭の論におよばず、ただ妄想なしと道取するか、とも參究すべし。

 動ずるはいかがせんといふは、動ずればさらに佛性一枚をかさぬべしと道取するか、動ずれば佛性にあらざらんと道著するか。

 風火未散といふは、佛性を出現せしむるなるべし。佛性なりとやせん、風火なりとやせん。佛性と風火と、倶出すといふべからず、一出一不出といふべからず、風火すなはち佛性といふべからず。ゆゑに長沙は蚯蚓有佛性といはず、蚯蚓無佛性といはず。ただ莫妄想と道取す、風火未散と道取す。佛性の活計は、長沙の道を卜度すべし。風火未散といふ言語、しづかに功夫すべし。未散といふは、いかなる道理かある。風火のあつまれりけるが、散ずべき期いまだしきと道取するに、未散といふか。しかあるべからざるなり。風火未散はほとけ法をとく、未散風火は法ほとけをとく。たとへば一音の法をとく時節到來なり。説法の一音なる、到來の時節なり。法は一音なり、一音の法なるゆゑに。

 又、佛性は生のときのみにありて、死のときはなかるべしとおもふ、もとも少聞薄解なり。生のときも有佛性なり、無佛性なり。死のときも有佛性なり、無佛性なり。風火の散未散を論ずることあらば、佛性の散不散なるべし。たとひ散のときも佛性有なるべし、佛性無なるべし。たとひ未散のときも有佛性なるべし、無佛性なるべし。しかあるを、佛性は動不動によりて在不在し、識不識によりて神不神なり、知不知に性不性なるべきと邪執せるは、外道なり。

 無始劫來は、癡人おほく識神を認じて佛性とせり、本來人とせる、笑殺人なり。さらに佛性を道取するに、拕泥滯水なるべきにあらざれども、牆壁瓦礫なり。向上に道取するとき、作麼生ならんかこれ佛性。還委悉麼(また委悉すや)。

 三頭八臂。

正法眼藏佛性第三

 

 同四年癸卯正月十九日書寫之 懷弉

 爾時仁治二年辛丑十月十四日在雍州觀音導利興聖寶林寺示衆

              再治御本之奥書也

 正嘉二年戊午四月二十五日以再治御本交合了

 

 

正法眼藏第四 身心學道

 佛道は、不道を擬するに不得なり、不學を擬するに轉遠なり。

 南嶽大慧禪師のいはく、修證はなきにあらず、染汚することえじ。

 佛道を學せざれば、すなはち外道闡提等の道に墮在す。このゆゑに、前佛後佛かならず佛道を修行するなり。

 佛道を學習するに、しばらくふたつあり。いはゆる心をもて學し、身をもて學するなり。

 心をもて學するとは、あらゆる諸心をもて學するなり。その諸心といふは、質多心、汗栗駄心、矣栗駄心等なり。又、感應道交して、菩提心をおこしてのち、佛祖の大道に歸依し、發菩提心の行李を習學するなり。たとひいまだ眞實の菩提心おこらずといふとも、さきに菩提心をおこせりし佛祖の法をならふべし。これ發菩提心なり、赤心片片なり、古佛心なり、平常心なり、三界一心なり。

 これらの心を放下して學道するあり、拈擧して學道するあり。このとき、思量して學道す、不思量して學道す。あるいは金襴衣を正傳し、金襴衣を稟受す。あるいは汝得吾髓あり、三拜依立而立あり。碓米傳衣する、以心學心なり。剃髪染衣、すなはち囘心なり、明心なり。踰城し入山する、出一心、入一心なり。山の所入なる、思量箇不思量底なり。世の所捨なる、非思量なり。これを眼睛に團じきたること二三斛、これを業識に弄しきたること千萬端なり。かくのごとく學道するに、有功に賞おのづからきたり、有賞に功いまだいたらざれども、ひそかに佛祖の鼻孔をかりて出氣せしめ、驢馬の脚蹄を拈じて印證せしむる、すなはち萬古の榜樣なり。

 しばらく山河大地日月星辰、これ心なり。この正當恁麼時、いかなる保任か現前する。山河大地といふは、山河はたとへば山水なり。大地は此處のみにあらず、山もおほかるべし、大須彌小須彌あり。横に處せるあり、豎に處せるあり。三千界あり、無量國あり。色にかかるあり、空にかかるあり。河もさらにおほかるべし、天河あり、地河あり、四大河あり、無熱池あり。北倶廬州には四阿耨達池あり。海あり、池あり。地はかならずしも土にあらず、土かならずしも地にあらず。土地もあるべし、心地もあるべし、寶地もあるべし。萬般なりといふとも、地なかるべからず、空と地とせる世界もあるべきなり。日月星辰は人天の所見不同あるべし、諸類の所見おなじからず。恁麼なるがゆゑに、一心の所見、これ一齊なるなり。これらすでに心なり。内なりとやせん、外なりとやせん。來なりとやせん、去なりとやせん。生時は一點を増ずるか、増ぜざるか。死には一塵をさるか、さらざるか。この生死および生死の見、いづれのところにかおかんとかする。向來はただこれ心の一念二念なり。一念二念は一山河大地なり、二山河大地なり。山河大地等、これ有無にあらざれば大小にあらず、得不得にあらず、識不識にあらず、通不通にあらず、悟不悟に變ぜず。

 かくのごとくの心、みづから學道することを慣習するを、心學道といふと決定信受すべし。この信受、それ大小有無にあらず。いまの知家非家、捨家出家(家、家に非ずと知りて捨家出家す)の學道、それ大小の量にあらず、遠近の量にあらず。鼻祖鼻末にあまる、向上向下にあまる。展事あり、七尺八尺なり。投機あり、爲自爲他なり。恁麼なる、すなはち學道なり。學道は恁麼なるがゆゑに、牆壁瓦礫これ心なり。さらに三界唯心にあらず、法界唯心にあらず、牆壁瓦礫なり。咸通年前につくり、咸通年後にやぶる、拕泥滯水なり、無繩自縛なり。玉をひくちからあり、水にいる能あり。とくる日あり、くだくるときあり、極微にきはまる時あり。露柱と同參せず、燈籠と交肩せず。かくのごとくなるゆゑに赤脚走して學道するなり、たれか著眼看せん。翻筋斗して學道するなり、おのおの隨他去あり。このとき、壁落これ十方を學せしむ、無門これ四面を學せしむ。

 發菩提心は、あるいは生死にしてこれをうることあり、あるいは涅槃にしてこれをうることあり、あるいは生死涅槃のほかにしてこれをうることあり。ところをまつにあらざれども、發心のところにさへられざるあり。境發にあらず、智發にあらず、菩提心發なり、發菩提心なり。發菩提心は、有にあらず無にあらず、善にあらず惡にあらず、無記にあらず。報地によりて緣起するにあらず、天有情はさだめてうべからざるにあらず。ただまさに時節とともに發菩提心するなり、依にかかはれざるがゆゑに。發菩提心の正當恁麼時には、法界ことごとく發菩提心なり。依を轉ずるに相似なりといへども、依にしらるるにあらず。共出一隻手なり、自出一隻手なり、異類中行なり。地獄、餓鬼、畜生、修羅等のなかにしても發菩提心するなり。

 赤心片片といふは、片片なるはみな赤心なり。一片兩片にあらず、片片なるなり。

 荷葉團團團似鏡、菱角尖尖尖似錐(荷葉團團、團なること鏡に似たり、菱角尖尖、尖なること錐に似たり)。

 かがみににたりといふとも片片なり、錐ににたりといふとも片片なり。

 古佛心といふは、むかし僧ありて大證國師にとふ、いかにあらむかこれ古佛心。

 ときに國師いはく、牆壁瓦礫。

 しかあればしるべし、古佛心は牆壁瓦礫にあらず、牆壁瓦礫を古佛心といふにあらず、古佛心それかくのごとく學するなり。

 平常心といふは、此界他界といはず、平常心なり。昔日はこのところよりさり、こんにちはこのところよりきたる。さるときは漫天さり、きたるときは盡地きたる。これ平常心なり。平常心この屋裡に開門す、千門萬戸一時開閉なるゆゑに平常なり。いまこの蓋天蓋地は、おぼえざることばのごとし、噴地の一聲のごとし。語等なり、心等なり、法等なり。壽行生滅の刹那に生滅するあれども、最後身よりさきはかつてしらず。しらざれども、發心すれば、かならず菩提の道にすすむなり。すでにこのところあり、さらにあやしむべきにあらず。すでにあやしむことあり、すなはち平常なり。

 

 身學道といふは、身にて學道するなり。赤肉團の學道なり。身は學道よりきたり、學道よりきたれるは、ともに身なり。盡十方界是箇眞實人體なり、生死去來眞實人體なり。この身體をめぐらして、十惡をはなれ、八戒をたもち、三寶に歸依して捨家出家する、眞實の學道なり。このゆゑに眞實人體といふ。後學かならず自然見の外道に同ずることなかれ。

 百丈大智禪師のいはく、若執本淸淨本解脱自是佛、自是禪道解者、卽屬自然外道(若し本淸淨、本解脱、自は是れ佛、自は是れ禪道の解と執せば、卽ち自然外道に屬す)。

 これら閑家の破具にあらず、學道の積功累徳なり。𨁝跳して玲瓏八面なり、脱落して如藤倚樹なり。或現此身得度而爲説法なり、或現他身得度而爲説法なり、或不現此身得度而爲説法なり、或不現他身得度而爲説法なり、乃至不爲説法なり。

 しかあるに棄身するところに揚聲止響することあり、捨命するところに斷腸得髓することあり。たとひ威音王よりさきに發足學道すれども、なほこれみづからが兒孫として増長するなり。

 盡十方世界といふは、十方面ともに盡界なり。東西南北四維上下を十方といふ。かの表裏縱横の究盡なる時節を思量すべし。思量するといふは、人體はたとひ自他に罣礙せらるといふとも、盡十方なりと諦觀し、決定するなり。これ未曾聞をきくなり。方等なるゆゑに、界等なるゆゑに。人體は四大五蘊なり、大塵ともに凡夫の究盡するところにあらず、聖者の參究するところなり。又、一塵に十方を諦觀すべし、十方は一塵に嚢括するにあらず。あるいは一塵に僧堂佛殿を建立し、あるいは僧堂佛殿に、盡界を建立せり。これより建立せり、建立これよりなれり。

 恁麼の道理、すなはち盡十方界眞實人體なり。自然天然の邪見をならふべからず。界量にあらざれば廣狹にあらず。盡十方界は八萬四千の説法蘊なり、八萬四千の三昧なり、八萬四千の陀羅尼なり。八萬四千の説法蘊、これ轉法輪なるがゆゑに、法輪の轉處は、亙界なり、亙時なり。方域なきにあらず、眞實人體なり。いまのなんぢ、いまのわれ、盡十方界眞實人體なる人なり。これらを蹉過することなく學道するなり。たとひ三大阿僧祇劫、十三大阿僧祇劫、無量阿僧祇劫までも、捨身受身しもてゆく、かならず學道の時節なる進歩退歩學道なり。禮拜問訊するすなはち、動止威儀なり。枯木を畫圖し、死灰を磨塼す。しばらくの間斷あらず。暦日は短促なりといへども學道は幽遠なり。捨家出家せる風流たとひ蕭然なりとも、樵夫に混同することなかれ。活計たとひ競頭すとも、佃戸に一齊なるにあらず。迷悟善惡の論に比することなかれ、邪正眞僞の際にとどむることなかれ。

 生死去來眞實人體といふは、いはゆる生死は凡夫の流轉なりといへども、大聖の所脱なり。超凡越聖せん、これを眞實體とするのみにあらず。これに二種七種のしなあれども、究盡するに、面面みな生死なるゆゑに恐怖すべきにあらず。ゆゑいかんとなれば、いまだ生をすてざれども、いますでに死をみる。いまだ死をすてざれども、いますでに生をみる。生は死を罣礙するにあらず、死は生を罣礙するにあらず、生死ともに凡夫のしるところにあらず。生は栢樹子のごとし。死は鐵漢のごとし。栢樹はたとひ栢樹に礙せらるとも、生はいまだ死に礙せられざるゆゑに學道なり。生は一枚にあらず、死は兩疋にあらず。死の生に相對するなし、生の死に相待するなし。

 

 圜悟禪師曰く、生也全機現、死也全機現、逼塞太虛空、赤心常片片(生も全機現なり、死も全機現なり。太虛空に𨵩塞し、赤心常に片片たり)。

 この道著、しづかに功夫點撿すべし。圜悟禪師かつて恁麼いふといへども、なほいまだ生死の全機にあまれることをしらず。去來を參學するに、去に生死あり、來に生死あり、生に去來あり、死に去來あり。去來は盡十方界を兩翼三翼として飛去飛來す、盡十方界を三足五足として進歩退歩するなり。生死を頭尾として、盡十方界眞實人體はよく翻身囘腦するなり。翻身囘腦するに、如一錢大なり、似微塵裏なり、平坦坦地、それ壁立千仭なり、壁立千仭處、それ平坦坦地なり。このゆゑに南州北州の面目あり、これを撿して學道す。非想非非想の骨髓あり、これを抗して學道するのみなり。

 

正法眼藏身心學道第四

 

 爾時仁治三年壬寅重陽日在于寶林寺示衆

 仁治癸卯仲春初二日書寫 懷弉

 

 

正法眼藏第五 卽心是佛

 佛佛祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれるは卽心是佛のみなり。しかあるを、西天には卽心是佛なし、震旦にはじめてきけり。學者おほくあやまるによりて、將錯就錯せず。將錯就錯せざるゆゑに、おほく外道に零落す。

 いはゆる卽心の話をききて、癡人おもはくは、衆生の慮知念覺の未發菩提心なるを、すなはち佛とすとおもへり。これはかつて正師にあはざるによりてなり。

 外道のたぐひとなるといふは、西天竺國に外道あり、先尼となづく。かれが見處のいはくは、大道はわれらがいまの身にあり、そのていたらくは、たやすくしりぬべし。いはゆる苦樂をわきまへ、冷煖を自知し、痛癢を了知す。萬物にさへられず、諸境にかかはれず。物は去來し境は生滅すれども、靈知はつねにありて不變なり。この靈知、ひろく周遍せり。凡聖含靈の隔異なし。そのなかに、しばらく妄法の空花ありといへども、一念相應の知慧あらはれぬれば、物も亡じ、境も滅しぬれば、靈知本性ひとり了了として鎭常なり。たとひ身相はやぶれぬれども、靈知はやぶれずしていづるなり。たとへば人舍の失火にやくるに、舍主いでてさるがごとし。昭昭靈靈としてある、これを覺者知者の性といふ。これをほとけともいひ、さとりとも稱ず。自他おなじく具足し、迷悟ともに通達せり。萬法諸境ともかくもあれ、靈知は境とともならず、物とおなじからず、歴劫に常住なり。いま現在せる諸境も、靈知の所在によらば、眞實といひぬべし。本性より緣起せるゆゑには實法なり。たとひしかありとも、靈知のごとくに常住ならず、存沒するがゆゑに。明暗にかかはれず、靈知するがゆゑに。これを靈知といふ。また眞我と稱じ、覺元といひ、本性と稱ず。かくのごとくの本性をさとるを常住にかへりぬるといひ、歸眞の大士といふ。これよりのちは、さらに生死に流轉せず、不生不滅の性海に證入するなり。このほかは眞實にあらず。この性あらはさざるほど、三界六道は競起するといふなり、これすなはち先尼外道が見なり。

 大唐國大證國師慧忠和尚僧に問ふ、從何方來(何れの方より來れる)。

 僧曰、南方來(南方より來る)。

 師曰、南方有何知識(南方何の知識か有る)。

 僧曰、知識頗多(知識頗る多し)。

 師曰、如何示人(如何が人に示す)。

 僧曰、彼方知識、直下示學人卽心是佛。佛是覺義、汝今悉具見聞覺知之性、此性善能揚眉瞬目、去來運用。徧於身中、挃頭頭知、挃脚脚知、故名正遍知。離此之外、更無別佛。此身卽有生滅、心性無始以來、未曾生滅。身生滅者、如龍換骨、似蛇脱皮、人出故宅。卽身是無常、其性常也。南方所説、大約如此。(僧曰く、彼方の知識、直下に學人に卽心是佛と示す。佛は是れ覺の義なり、汝今、見聞覺知の性を悉具せり。此の性善能く揚眉瞬目し、去來運用す。身中に徧く、頭に挃るれば頭知り、脚に挃るれば脚知る、故に正遍知と名づく。此れを離るるの外、更に別の佛無し。此の身は卽ち生滅有り、心性は無始より以來、未だ曾て生滅せず。身、生滅するとは、龍の骨を換ふるが如く、蛇の皮を脱し、人の故宅を出づるに似たり。卽ち身は是れ無常なり、其の性は常なり。南方の所説、大約此の如し。)

 師曰く、若然者、與彼先尼外道、無有差別。彼云、我此身中有一神性、此性能知痛癢。身壞之時、神則出去。如舍被燒舍主出去。舍卽無常、舍主常矣。審如此者、邪正莫辨、孰爲是乎。吾比遊方、多見此色。近尤盛矣。聚却三五百衆、目視雲漢云、是南方宗旨。把他壇經改換、添糅鄙譚、削除聖意、惑亂後徒、豈成言教。苦哉、吾宗喪矣。若以見聞覺知、是爲佛性者、淨名不應云法離見聞覺知、若行見聞覺知、是則見聞覺知非求法也。(師曰く、若し然らば、彼の先尼外道と差別有ること無けん。彼が云く、我が此の身中に一神性有り、此の性能く痛癢を知る、身壞する時、神則ち出で去る。舍の焼かるれば舍主の出で去るが如し。舍は卽ち無常なり、舍主は常なりと。審すらくは此の如きは、邪正辨ずるなし、孰んが是とせんや。吾れ比遊方せしに、多く此の色を見き。近尤も盛んなり。三五百衆を聚却て、目に雲漢を視て云く、是れ南方の宗旨なりと。他の壇經を把つて改換して、鄙譚を添糅し、聖意を削除して後徒を惑亂す、豈言教を成らんや。苦哉、吾宗喪びにたり。若し見聞覺知を以て是を佛性とせば、淨名は應に法は見聞覺知を離る、若し見聞覺知を行ぜば是れ卽ち見聞覺知なり、法を求むるに非ずと云ふべからず。)

 大證國師は曹溪古佛の上足なり、天上人間の大善知識なり。國師のしめす宗旨をあきらめて、參學の龜鑑とすべし。先尼外道が見處としりてしたがふことなかれ。

 近代は大宋國に諸山の主人とあるやから、國師のごとくなるはあるべからず。むかしより國師にひとしかるべき知識いまだかつて出世せず。しかあるに、世人あやまりておもはく、臨濟徳山も國師にひとしかるべしと。かくのごとくのやからのみおほし。あはれむべし、明眼の師なきことを。

 

 いはゆる佛祖の保任する卽心是佛は、外道二乘のゆめにもみるところにあらず。唯佛祖與佛祖のみ卽心是佛しきたり、究盡しきたる聞著あり、行取あり、證著あり。

 佛百草を拈却しきたり、打失しきたる。しかあれども丈六の金身に説似せず。

 卽公案あり、見成を相待せず、敗壞を廻避せず。

 是三界あり、退出にあらず、唯心にあらず。

 心牆壁あり、いまだ泥水せず、いまだ造作せず。

 あるいは卽心是佛を參究し、心卽佛是を參究し、佛卽是心を參究し、卽心佛是を參究し、是佛心卽を參究す。かくのごとくの參究、まさしく卽心是佛、これを擧して卽心是佛に正傳するなり。かくのごとく正傳して今日にいたれり。いはゆる正傳しきたれる心といふは、一心一切法、一切法一心なり。

 このゆゑに古人いはく、若人識得心、大地無寸土(若し人、心を識得せば、大地に寸土無し)。

 しるべし、心を識得するとき、蓋天撲落し、迊地裂破す。あるいは心を識得すれば、大地さらにあつさ三寸をます。

 古徳云く、作麼生是妙淨明心。山河大地、日月星辰(作麼生ならんか是れ妙淨明心。山河大地、日月星辰)。

 あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。しかあれども、この道取するところ、すすめば不足あり、しりぞくればあまれり。山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし。生死去來心は生死去來のみなり。さらに迷なし、悟なし。牆壁瓦礫心は牆壁瓦礫のみなり。さらに泥なし、水なし。四大五蘊心は四大五蘊のみなり。さらに馬なし、猿なし。椅子拂子心は椅子拂子のみなり。さらに竹なし、木なし。かくのごとくなるがゆゑに、卽心是佛、不染汚卽心是佛なり。諸佛、不染汚諸佛なり。

 しかあればすなはち、卽心是佛とは、發心、修行、菩提、涅槃の諸佛なり。いまだ發心修行菩提涅槃せざるは、卽心是佛にあらず。たとひ一刹那に發心修證するも卽心是佛なり、たとひ一極微中に發心修證するも卽心是佛なり、たとひ無量劫に發心修證するも卽心是佛なり、たとひ一念中に發心修證するも卽心是佛なり、たとひ半拳裏に發心修證するも卽心是佛なり。しかあるを、長劫に修行作佛するは卽心是佛にあらずといふは、卽心是佛をいまだみざるなり、いまだしらざるなり、いまだ學せざるなり。卽心是佛を開演する正師を見ざるなり。

 いはゆる諸佛とは釋迦牟尼佛なり。釋迦牟尼佛これ卽心是佛なり。過去現在未來の諸佛、ともにほとけとなるときは、かならず釋迦牟尼佛となるなり。これ卽心是佛なり。

 

正法眼藏卽心是佛第五

 

 爾時延應元年五月二十五日在雍州宇治郡觀音導利興聖寶林寺示衆

 于時寛元三年乙巳七月十二日在越州吉田縣大佛寺侍者寮書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第六 行佛威儀

 諸佛かならず威儀を行足す、これ行佛なり。行佛それ報佛にあらず、化佛にあらず、自性身佛にあらず、他性身佛にあらず。始覺本覺にあらず、性覺無覺にあらず。如是等佛、たえて行佛に齊肩することうべからず。

 しるべし、諸佛の佛道にある、覺をまたざるなり。佛向上の道に行履を通達せること、唯行佛のみなり。自性佛等、夢也未見在なるところなり。この行佛は、頭頭に威儀現成するゆゑに、身前に威儀現成す、道前に化機漏泄すること、亙時なり、亙方なり、亙佛なり亙行なり。行佛にあらざれば、佛縛法縛いまだ解脱せず、佛魔法魔に黨類せらるるなり。

 佛縛といふは、菩提を菩提と知見解會する、卽知見、卽解會に卽縛せられぬるなり。一念を經歴するに、なほいまだ解脱の期を期せず、いたづらに錯解す。菩提をすなはち菩提なりと見解せん、これ菩提相應の知見なるべし。たれかこれを邪見といはんと想憶す、これすなはち無繩自縛なり。縛縛綿綿として樹倒藤枯にあらず。いたづらに佛邊の窠窟に活計せるのみなり。法身のやまふをしらず、報身の窮をしらず。

 教家經師論師等の佛道を遠聞せる、なほしいはく、卽於法性、起法性見、卽是無明(法性に卽して法性の見を起す、卽ち是れ無明なり)。この教家のいはくは、法性に法性の見おこるに、法性の縛をいはず、さらに無明の縛をかさぬ、法性の縛あることをしらず。あはれむべしといへども、無明縛のかさなれるをしれるは、發菩提心の種子となりぬべし。いま行佛、かつてかくのごとくの縛に縛せられざるなり。

 かるがゆゑに我本行菩薩道、所成壽命、今猶未盡、復倍上數(我れ本より菩薩道を行じて、成る所の壽命、今なほ未だ盡きず、また上の數に倍せり)なり。

 しるべし、菩薩の壽命いまに連綿とあるにあらず、佛壽命の過去に布遍せるにあらず。いまいふ上數は、全所成なり。いひきたる今猶は、全壽命なり。我本行たとひ萬里一條鐵なりとも、百年抛却任縱横なり。

 しかあればすなはち、修證は無にあらず、修證は有にあらず、修證は染汚にあらず。無佛無人の處在に百千萬ありといへども、行佛を染汚せず。ゆゑに行佛の修證に染汚せられざるなり。修證の不染汚なるにはあらず、この不染汚、それ不無なり。

 

 曹谿いはく、祗此不染汚、是諸佛之所護念、汝亦如是、吾亦如是、乃至西天諸祖亦如是(ただ此の不染汚、是れ諸佛の所護念なり、汝もまた是の如し、吾もまた是の如し、乃至西天の諸祖もまた是の如し)。

 しかあればすなはち汝亦如是のゆゑに諸佛なり、吾亦如是のゆゑに諸佛なり。まことにわれにあらず、なんぢにあらず。この不染汚に、如吾是吾、諸佛所護念、これ行佛威儀なり。如汝是汝、諸佛所護念、これ行佛威儀なり。吾亦のゆゑに師勝なり、汝亦のゆゑに資強なり。師勝資強、これ行佛の明行足なり。しるべし、是諸佛之所護念と、吾亦なり、汝亦なり。曹谿古佛の道得、たとひわれにあらずとも、なんぢにあらざらんや。行佛之所護念、行佛之所通達、それかくのごとし。かるがゆゑにしりぬ、修證は性相本末等にあらず。行佛の去就これ果然として佛を行ぜしむるに、佛すなはち行ぜしむ。

 ここに爲法捨身あり、爲身捨法あり。不惜身命あり、但惜身命あり。法のために法をすつるのみにあらず、心のために法をすつる威儀あり。捨は無量なること、わするべからず。佛量を拈來して大道を測量し度量すべからず。佛量は一隅なり、たとへば花開のごとし。心量を擧來して威儀を摸索すべからず、擬議すべからず。心量は一面なり、たとへば世界のごとし。一莖草量、あきらかに佛祖心量なり。これ行佛の蹤跡を認ぜる一片なり。一心量たとひ無量佛量を包含せりと見徹すとも、行佛の容止動靜を量せんと擬するには、もとより過量の面目あり。過量の行履なるがゆゑに、卽不中なり、使不得なり、量不及なり。

 

 しばらく、行佛威儀に一究あり。卽佛卽自と恁麼來せるに、吾亦汝亦の威儀、それ唯我能にかかはれりといふとも、すなはち十方佛然の脱落、これ同條のみにあらず。かるがゆゑに、

 古佛いはく、體取那邊事、却來這裏行履(那邊の事を體取し、這裏に却來して行履せよ)。

 すでに恁麼保任するに、諸法、諸身、諸行、諸佛、これ親切なり。この行法身佛、おのおの承當に罣礙あるのみなり。承當に罣礙あるがゆゑに、承當に脱落あるのみなり。眼礙の明明百草頭なる、不見一法、不見一物と動著することなかれ。這法に若至なり、那法に若至なり。拈來拈去、出入同門に行履する、徧界不曾藏なるがゆゑに、世尊の密語密證密行密付等あるなり。

 出門便是草、入門便是草、萬里無寸草(門を出づれば是れ草、門を入るも是れ草、萬里無寸草無し)なり。入之一字、出之一字、這頭也不用得、那頭也不用得(入の一字、出の一字、這頭も不用得、那頭も不用得)なり。いまの把捉は、放行をまたざれども、これ夢幻空花なり。たれかこれを夢幻空花と將錯就錯せん。進歩也錯、退歩也錯、一歩也錯、兩歩也錯なるがゆゑに錯錯なり。天地懸隔するがゆゑに至道無難なり。威儀儀威、大道體寛と究竟すべし。

 しるべし、出生合道出なり、入死合道入なり。その頭正尾正に、玉轉珠囘の威儀現前するなり。佛威儀の一隅を遣有するは、盡乾坤大地なり、盡生死去來なり。塵刹なり、蓮花なり。これ塵刹蓮花、おのおの一隅なり。

 

 學人おほくおもはく、盡乾坤といふは、この南瞻部洲をいふならんと擬せられ、又この一四洲をいふならんと擬せられ、ただ又神丹一國おもひにかかり、日本一國おもひにめぐるがごとし。又、盡大地といふも、ただ三千大千世界とおもふがごとし、わづかに一洲一縣をおもひにかくるがごとし。盡大地盡乾坤の言句を參學せんこと、三次五次もおもひめぐらすべし、ひろきにこそはとてやみぬることなかれ。この得道は、極大同小、極小同大の超佛越祖なるなり。大の有にあらざる、小の有にあらざる、疑著ににたりといへども威儀行佛なり。佛佛祖祖の道趣する盡乾坤の威儀、盡大地の威儀、ともに不曾藏を徧界と參學すべし。徧界不曾藏なるのみにはあらざるなり。これ行佛一中の威儀なり。

 佛道を説著するに、胎生化生等は佛道の行履なりといへども、いまだ濕生卵生等を道取せず。いはんやこの胎卵濕化生のほかになほ生あること、夢也未見在なり。いかにいはんや胎卵濕化生のほかに、胎卵濕化生あることを見聞覺知せんや。いま佛佛祖祖の大道には、胎卵濕化生のほかの胎卵濕化生あること、不曾藏に正傳せり、親密に正傳せり。この道得、きかずならはず、しらずあきらめざらんは、なにの儻類なりとかせん。すでに四生はきくところなり、死はいくばくかある。四生には四死あるべきか、又、三死二死あるべきか、又、五死六死、千死萬死あるべきか。この道理わづかに疑著せんも、參學の分なり。

 しばらく功夫すべし、この四生衆類のなかに、生はありて死なきものあるべしや。又、死のみ單傳にして、生を單傳せざるありや。單生單死の類の有無、かならず參學すべし。わづかに無生の言句をききてあきらむることなく、身心の功夫をさしおくがごとくするものあり。これ愚鈍のはなはだしきなり。信法頓漸の論にもおよばざる畜類といひぬべし。ゆゑいかんとなれば、たとひ無生ときくといふとも、この道得の意旨作麼生なるべし。さらに無佛無道無心無滅なるべしや、無無生なるべしや、無法界、無法性なるべしや、無死なるべしやと功夫せず、いたづらに水草の但念なるがゆゑなり。

 

 しるべし、生死は佛道の行履なり、生死は佛家の調度なり。使也要使なり、明也明得なり。ゆゑに諸佛はこの通塞に明明なり、この要使に得得なり。この生死の際にくらからん、たれかなんぢをなんぢといはん。たれかなんぢを了生達死漢といはん。生死にしづめりときくべからず、生死にありとしるべからず、生死を生死なりと信受すべからず、不會すべからず、不知すべからず。

 あるいはいふ、ただ人道のみに諸佛出世す、さらに餘方餘道には出現せずとおもへり。いふがごとくならば、佛在のところ、みな人道なるべきか。これは人佛の唯我獨尊の道得なり。さらに天佛もあるべし、佛佛もあるべきなり。諸佛は唯人間のみに出現すといはんは、佛祖の閫奥にいらざるなり。

 祖宗いはく、釋迦牟尼佛、自從迦葉佛所傳正法、往兜率天、化兜率陀天、于今有在(釋迦牟尼佛、迦葉佛の所にして正法を傳へてより、兜率天に往いて、兜率陀天を化して今に有在す)。

 まことにしるべし、人間の釋迦は、このとき滅度現の化をしけりといへども、上天の釋迦は于今有在にして化天するものなり。學人しるべし、人間の釋迦の千變萬化の道著あり、行取あり、説著あるは、人間一隅の放光現瑞なり。おろかに上天の釋迦、その化さらに千品萬門ならん、しらざるべからず。佛佛正傳する大道の、斷絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨、ひとり佛道のみに正傳せり。自餘の諸類、しらずきかざる功徳なり。行佛の設化するところには、四生あらざる衆生あり。天上人間法界等にあらざるところあるべし。行佛の威儀を覰見せんとき、天上人間のまなこをもちゐることなかれ、天上人間の情量をもちゐるべからず。これを擧して測量せんと擬することなかれ。十聖三賢なほこれをしらずあきらめず、いはんや人中天上の測量のおよぶことあらんや。人量短小なるには識智も短小なり、壽命短促なるには思慮も短促なり。いかにしてか行佛の威儀を測量せん。

 しかあればすなはち、ただ人間を擧して佛法とし、人法を擧して佛法を局量せる家門、かれこれともに佛子と許可することなかれ、これただ業報の衆生なり。いまだ身心の聞法あるにあらず、いまだ行道せる身心なし。從法生にあらず、從法滅にあらず、從法見にあらず、從法聞にあらず、從法行住坐臥にあらず。かくのごとくの儻類、かつて法の潤益なし。行佛は本覺を愛せず、始覺を愛せず、無覺にあらず、有覺にあらずといふ、すなはちこの道理なり。

 いま凡夫の活計する有念無念、有覺無覺、始覺本覺等、ひとへに凡夫の活計なり、佛佛相承せるところにあらず。凡夫の有念と諸佛の有念と、はるかにことなり、比擬することなかれ。凡夫の本覺と活計すると、諸佛の本覺と證せると、天地懸隔なり、比論の所及にあらず。十聖三賢の活計、なほ諸佛の道におよばず。いたづらなる算沙の凡夫、いかでかはかることあらん。しかあるを、わづかに凡夫外道の本末の邪見を活計して、諸佛の境界とおもへるやからおほし。

 

 諸佛いはく、此輩罪根深重なり、可憐愍者なり。

 深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重擔なり。この深重擔、しばらく放行して著眼看すべし。把定して自己を礙すといふとも、起首にあらず。いま行佛威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるるに、拕泥滯水の活路を通達しきたるゆゑに、無罣礙なり。上天にしては化天す、人間にしては化人す。花開の功徳あり、世界起の功徳あり。かつて間隙なきものなり。このゆゑに自他に迥脱あり、往來に獨拔あり。卽往兜率天なり、卽來兜率天なり、卽卽兜率天なり。卽往安樂なり、卽來安樂なり、卽卽安樂なり。卽迥脱兜率なり、卽迥脱安樂なり。卽打破百雜碎安樂兜率なり、卽卽把定放行安樂兜率なり、一口呑盡なり。

 

 しるべし、安樂兜率といふは、淨土天堂ともに輪廻することの同般なるとなり。行履なれば、淨土天堂おなじく行履なり。大悟なれば、おなじく大悟なり。大迷なれば、おなじく大迷なり。これしばらく行佛の鞋裏の動指なり。あるときは一道の放屁聲なり、放屎香なり。鼻孔あるは齅得す、耳處身處行履處あるに聽取するなり。又、得吾皮肉骨髓するときあり、さらに行得に他よりえざるものなり。

 了生達死の大道すでに豁達するに、ふるくよりの道取あり、大聖は生死を心にまかす、生死を身にまかす、生死を道にまかす、生死を生死にまかす。

 この宗旨あらはるる、古今のときにあらずといへども行佛の威儀忽爾として行盡するなり。道環として生死身心の宗旨すみやかに辨肯するなり。行盡明盡、これ強爲の爲にあらず、迷頭認影に大似なり。廻光返照に一如なり。その明上又明の明は、行佛に彌綸なり。これ行取に一任せり。この任任の道理、すべからく心を參究すべきなり。その參究の兀爾は、萬囘これ心の明白なり。三界ただ心の大隔なりと知及し會取す。この知及會取、さらに萬法なりといへども、自己の家郷を行取せり、當人の活計を便是なり。

 しかあれば、句中取則し、言外求巧する再三撈摝、それ把定にあまれる把定あり、放行にあまれる放行あり。その功夫は、いかなるかこれ生、いかなるかこれ死、いかなるかこれ身心、いかなるかこれ與奪、いかなるかこれ任違。それ同門出入の不相逢なるか、一著落在に藏身露角なるか。大慮而解なるか、老思而知なるか、一顆明珠なるか、一大藏教なるか、一條拄杖なるか、一枚面目なるか。三十年後なるか、一念萬年なるか。子細に撿點し、撿點を子細にすべし。撿點の子細にあたりて、滿眼聞聲、滿耳見色、さらに沙門壹隻眼の開明なるに、不是目前法なり、不是目前事なり。雍容の破顔あり、瞬目あり。これ行佛の威儀の暫爾なり。被物牽にあらず不牽物なり。緣起の無生無作にあらず、本性法性にあらず、住法位にあらず、本有然にあらず。如是を是するのみにあらず、ただ威儀行佛なるのみなり。

 しかあればすなはち、爲法爲身の消息、よく心にまかす。脱生脱死の威儀、しばらくほとけに一任せり。ゆゑに道取あり、萬法唯心、三界唯心。さらに向上に道得するに、唯心の道得あり、いはゆる牆壁瓦礫なり。唯心にあらざるがゆゑに牆壁瓦礫にあらず。これ行佛の威儀なる、任心任法、爲法爲身の道理なり。さらに始覺本覺等の所及にあらず。いはんや外道二乘、三賢十聖の所及ならんや。この威儀、ただこれ面面の不會なり、枚枚の不會なり。たとひ活鱍鱍地も條條聻なり。一條鐵か、兩頭動か。一條鐵は長短にあらず兩頭動は自他にあらず。この展事投機のちから、功夫をうるに、威掩萬法(威、萬法を掩ふ)なり、眼高一世(眼、一世に高し)なり、收放をさへざる光明あり、僧堂佛殿廚庫三門。さらに收放にあらざる光明あり、僧堂佛殿廚庫三門なり。さらに十方通のまなこあり、大地全收のまなこあり。心のまへあり、心のうしろあり。かくのごとくの眼耳鼻舌身意、光明功徳の熾然なるゆゑに、不知有を保任せる三世諸佛あり、却知有を投機せる貍奴白牯あり。この巴鼻あり、この眼睛あるは、法の行佛のとき、法の行佛をゆるすなり。

 

 雪峰山眞覺大師、衆に示して云く、三世諸佛、在火焰裏、轉大法輪(三世諸佛、火焰裏に在つて大法輪を轉ず)。

 玄沙院宗一大師云、火焰爲三世諸佛説法、三世諸佛立地聽(火焰ゝ三世諸佛の爲に説法するに、三世諸佛地に立ちて聽く)。

 圜悟禪師云、將謂猴白、更有猴黒、互換投機、神出鬼沒(將に謂へり猴白と、更に猴黒有り。互換の投機、神出鬼沒なり)。

 烈焰亙天佛説法、

 亙天烈焰法説佛。

 風前剪斷葛藤窠、

 一言勘破維摩詰。

 (烈焰亙天は、佛、法を説くなり、亙天烈焰は、法、佛を説くなり。風前に剪斷す葛藤窠、一言に勘破す維摩詰。)

 いま三世諸佛といふは、一切諸佛なり。行佛すなはち三世諸佛なり。十方諸佛、ともに三世にあらざるなし。佛道は三世をとくに、かくのごとく説盡するなり。いま行佛をたづぬるに、すなはち三世諸佛なり。たとひ知有なりといへども、たとひ不知有なりといへども、かならず三世諸佛なる行佛なり。

 しかあるに、三位の古佛、おなじく三世諸佛を道得するに、かくのごとくの道あり。しばらく雪峰のいふ三世諸佛、在火焰裏、轉大法輪といふ、この道理ならふべし。三世諸佛の轉法輪の道場は、かならず火焰裏なるべし。火焰裏かならず佛道場なるべし。經師論師きくべからず、外道二乘しるべからず。しるべし、諸佛の火焰は諸類の火焰なるべからず。又、諸類は火焰あるかなきかとも照顧すべし。三世諸佛の在火焰裏の化儀、ならふべし。火焰裏に處在する時は、火焰と諸佛と親切なるか、轉疎なるか。依正一如なるか、依報正報あるか。依正同條なるか、依正同隔なるか。轉大法輪は轉自轉機あるべし。展事投機なり、轉法法轉あるべし。すでに轉法輪といふ、たとひ盡大地これ盡火焰なりとも、轉火輪の法輪あるべし、轉諸佛の法輪あるべし、轉法輪の法輪あるべし、轉三世の法輪あるべし。

 しかあればすなはち、火焰は諸佛の轉大法輪の大道場なり。これを界量、時量、人量、凡聖量等をもて測量するは、あたらざるなり。これらの量に量ぜられざれば、すなはち三世諸佛、在火焰裏、轉大法輪なり。すでに三世諸佛といふ、これ量を超越せるなり。三世諸佛、轉法輪道場なるがゆゑに火焰あるなり。火焰あるがゆゑに諸佛の道場あるなり。

 

 玄沙いはく、火焰の三世諸佛のために説法するに、三世諸佛は立地聽法す。この道をききて、玄沙の道は雪峰の道よりも道得是なりといふ、かならずしもしかあらざるなり。しるべし、雪峰の道は、玄沙の道と別なり。いはゆる雪峰は、三世諸佛の轉大法輪の處在を道取し、玄沙は、三世諸佛の聽法を道取するなり。雪峰の道、まさしく轉法を道取すれども、轉法の處在かならずしも聽法不聽を論ずるにあらず。しかあれば、轉法にかならず聽法あるべしときこえず。又、三世諸佛、爲火焰説法といはず、三世諸佛、爲三世諸佛、轉大法輪といはず、火焰爲火焰、轉大法輪といはざる宗旨あるべし。轉法輪といひ、轉大法輪といふ、その別あるか。轉法輪は説法にあらず、説法かならずしも爲他あらんや。

 しかあれば、雪峰の道の、道取すべき道を道取しつくさざる道にあらず。

 

 雪峰の在火焰裏、轉大法輪、かならず委悉に參學すべし。玄沙の道に混亂することなかれ。雪峰の道を通ずるは、佛威儀を威儀するなり。火焰の三世諸佛を在裏せしむる、一無盡法界、二無盡法界の周遍のみにあらず。一微塵二微塵の通達のみにあらず。轉大法輪を量として、大小廣狹の量に擬することなかれ。轉大法輪は、爲自爲他にあらず、爲説爲聽にあらず。

 玄沙の道に、火焰爲三世諸佛説法、三世諸佛立地聽といふ、これは火焰たとひ爲三世諸佛説法すとも、いまだ轉法輪すといはず、また三世諸佛の法輪を轉ずといはず。三世諸佛は立地聽すとも、三世諸佛の法輪、いかでか火焰これを轉ずることあらん。爲三世諸佛説法する火焰、又轉大法輪すやいなや。玄沙もいまだいはず、轉法輪はこのときなりと。轉法輪なしといはず。しかあれども、想料すらくは、玄沙おろかに轉法輪は説法輪ならんと會取せるか。もししかあらば、なほ雪峰の道にくらし。火焰の三世諸佛のために説法のとき、三世諸佛立地聽法すとはしれりといへども、火焰轉法輪のところに、火焰立地聽法すとしらず。火焰轉法輪のところに、火焰同轉法輪すといはず。三世諸佛の聽法は、諸佛の法なり、他よりかうぶらしむるにあらず。火焰を法と認ずることなかれ、火焰を佛と認ずることなかれ、火焰を火焰と認ずることなかれ。まことに師資の道なほざりなるべからず。將謂赤鬚胡のみならんや、さらにこれ胡鬚赤なり。

 玄沙の道かくのごとくなりといへども、參學の力量とすべきところあり。いはゆる經師論師の大乘小乘の局量の性相にかかはれず、佛佛祖祖正傳せる性相を參學すべし。いはゆる三世諸佛の聽法なり。これ大小乘の性相にあらざるところなり。諸佛は機緣に逗する説法ありとのみしりて、諸佛聽法すといはず、諸佛修行すといはず、諸佛成佛すといはず。いま玄沙の道には、すでに三世諸佛立地聽法といふ、諸佛聽法する性相あり。かならずしも能説をすぐれたりとし、能聽是法者を劣なりといふことなかれ。説者尊なれば、聽者も尊なり。

 釋迦牟尼佛のいはく、

 若説此經、則爲見我、爲一人説、是則爲難。

 (若し此の經を説かんは、則ち我を見ると爲す、一人の爲に説くは、是れ則ち難しと爲す。)

 しかあれば、能説法は見釋迦牟尼佛なり、則爲見我は釋迦牟尼なるがゆゑに。

 又いはく、

 於我滅後、聽受此經、問其義趣、是則爲難。

 (我が滅後に於て、此の經を聽受し、其の義趣を問ふは、是れ則ち難しと爲す。)

 しるべし、聽受者もおなじくこれ爲難なり、勝劣あるにあらず。立地聽これ最尊なる諸佛なりといふとも、立地聽法あるべきなり、立地聽法これ三世諸佛なるがゆゑに。諸佛は果上なり、因中の聽法をいふにあらず、すでに三世諸佛とあるがゆゑに。しるべし、三世諸佛は火焰の説法を立地聽法して諸佛なり。一道の化儀、たどるべきにあらず。たどらんとするに、箭鋒相拄せり。火焰は決定して三世諸佛のために説法す。赤心片片として鐵樹花開世界香(鐵樹、花開いて世界香ばし)なるなり。且道すらくは、火焰の説法を立地聽しもてゆくに、畢竟じて現成箇什麼。いはゆるは智勝于師(智、師に勝る)なるべし、智等于師(智、師に等し)なるべし。さらに師資の閫奥に參究して三世諸佛なるなり。

 

 圜悟いはくの猴白と將謂する、さらに猴黒をさへざる、互換の投機、それ神出鬼沒なり。これは玄沙と同條出すれども、玄沙に同條入せざる一路もあるべしといへども、火焰の諸佛なるか、諸佛を火焰とせるか。黒白互換のこころ、玄沙の神鬼に出沒すといへども、雪峰の聲色、いまだ黒白の際にのこらず。しかもかくのごとくなりといへども、玄沙に道是あり、道不是あり。雪峰に道拈あり、道放あることをしるべし。

 いま圜悟さらに玄沙に同ぜず、雪峰に同ぜざる道あり、いはゆる烈焰亙天はほとけ法をとくなり、亙天烈焰は法ほとけをとくなり。

 この道は、眞箇これ晩進の光明なり。たとひ烈焰にくらしといふとも、亙天におほはれば、われその分あり、他この分あり。亙天のおほふところ、すでにこれ烈焰なり。這箇をきらうて用那頭は作麼生なるのみなり。

 よろこぶべし、この皮袋子、むまれたるところは去聖方遠なり、いけるいまは去聖時遠なりといへども、亙天の化導なほきこゆるにあへり。いはゆるほとけ法をとく事は、きくところなりといへども、法ほとけをとくことは、いくかさなりの不知をかわづらひこし。

 しかあればすなはち、三世の諸佛は三世に法をとかれ、三世の諸法は三世に佛にとかるるなり。葛藤窠の風前に剪斷する亙天のみあり。一言は、かくるることなく、勘破しきたる、維摩詰をも非維摩詰をも。しかあればすなはち、法説佛なり、法行佛なり、法證佛なり。佛説法なり、佛行佛なり、佛作佛なり。かくのごとくなる、ともに行佛の威儀なり。亙天亙地、亙古亙今にも、得者不輕微、明者不賎用なり。

 

正法眼藏行佛威儀第六

 

 仁治二年辛丑十月中旬記于觀音導利興聖寶林寺

                   沙門道元

 

 

正法眼藏第七 一顆明珠

 裟婆世界大宋國、福州玄沙山院宗一大師、法諱師備、俗姓者謝なり。在家のそのかみ釣魚を愛し、舟を南臺江にうかべて、もろもろのつり人にならひけり。不釣自上の金鱗を不待にもありけん。唐の咸通のはじめ、たちまちに出塵をねがふ。舟をすてて山にいる。そのとし三十歳になりけり。浮世のあやうきをさとり、佛道の高貴をしりぬ。つひに雪峰山にのぼりて、眞覺大師に參じて、晝夜に辨道す。

 あるときあまねく諸方を參徹せんため、嚢をたづさへて出嶺するちなみに、脚指を石に築著して、流血し、痛楚するに、忽然として猛省していはく、是身非有、痛自何來(是の身有に非ず、痛み何れよりか來れる)。

 すなはち雪峰にかへる。

 雪峰とふ、那箇是備頭陀(那箇か是れ備頭陀)。

 玄沙いはく、終不敢誑於人(終に敢へて人を誑かさず)。

 このことばを雪峰ことに愛していはく、たれかこのことばをもたざらん、たれかこのことばを道得せん。

 雪峰さらにとふ、備頭陀なんぞ徧參せざる。

 師いはく、達磨不來東土、二祖不往西天(達磨東土に來らず、二祖西天に往かず)といふに、雪峰ことにほめき。

 ひごろはつりする人にてあれば、もろもろの經書、ゆめにもかつていまだ見ざりけれども、こころざしのあさからぬをさきとすれば、かたへにこゆる志氣あらはれけり。雪峰も、衆のなかにすぐれたりとおもひて、門下の角立なりとほめき。ころもはぬのをもちゐ、ひとつをかへざりければ、ももつづりにつづれけり。はだへには紙衣をもちゐけり、艾草をもきけり。雪峰に參ずるほかは、自餘の知識をとぶらはざりけり。しかあれども、まさに師の法を嗣するちから、辨取せりき。

 

 つひにみちをえてのち、人にしめすにいはく、盡十方世界、是一顆明珠。

 ときに僧問、承和尚有言、盡十方世界是一顆明珠。學人如何會得(承るに和尚言へること有り、盡十方世界は是れ一顆の明珠と。學人如何が會得せん)。

 師曰、盡十方世界是一顆明珠、用會作麼(盡十方世界は是れ一顆の明珠、會を用ゐて作麼)。

 師、來日却問其僧(來日却つて其の僧に問ふ)、盡十方世界是一顆明珠、汝作麼生會(盡十方世界は是れ一顆の明珠、汝作麼生か會せる)。

 僧曰、盡十方世界是一顆明珠、用會作麼(盡十方世界は是れ一顆の明珠、會を用ゐて作麼)。

 師曰く、知、汝向黒山鬼窟裏作活計(知りぬ、汝黒山鬼窟裏に向つて、活計を作すことを)。

 いま道取する盡十方世界是一顆明珠、はじめて玄沙にあり。その宗旨は、盡十方世界は、廣大にあらず微小にあらず、方圓にあらず、中正にあらず、活鱍鱍にあらず露廻廻にあらず。さらに、生死去來にあらざるゆゑに生死去來なり。恁麼のゆゑに、昔日曾此去(昔日は曾て此より去り)にして、而今從此來(而今は此より來る)なり。究辨するに、たれか片片なりと見徹するあらん、たれか兀兀なりと撿擧するあらん。

 盡十方といふは、逐物爲己、逐己爲物(物を逐ひて己と爲し、己を逐ひて物と爲す)の未休なり。情生智隔(情生ずれば智隔たる)を隔と道取する、これ囘頭換面なり、展事投機なり。逐己爲物のゆゑに未休なる盡十方なり。機先の道理なるゆゑに機要の管得にあまれることあり。

 是一顆珠は、いまだ名にあらざれども道得なり、これを名に認じきたることあり。一顆珠は、直須萬年なり。亙古未了なるに、亙今到來なり。身今あり、心今ありといへども明珠なり。彼此の草木にあらず、乾坤の山河にあらず、明珠なり。

 學人如何會得。この道取は、たとひ僧の弄業識に相似せりとも、大用現、是大軌則なり。すすみて一尺水、一尺波を突兀ならしむべし。いはゆる一丈珠、一丈明なり。

 いはゆるの道得を道取するに、玄沙の道は盡十方世界是一顆明珠、用會作麼なり。この道取は、佛は佛に嗣し、祖は祖に嗣し、玄沙は玄沙に嗣する道得なり。嗣せざらんと廻避せんに、廻避のところなかるべきにあらざれども、しばらく灼然廻避するも、道取生あるは現前の蓋時節なり。

 玄沙來日問其僧、盡十方世界是一顆明珠、汝作麼生會。

 これは道取す、昨日説定法なる、今日二枚をかりて出氣す。今日説不定法なり、推倒昨日點頭笑なり。

 僧曰、盡十方世界是一顆明珠、用會作麼。

 いふべし騎賊馬逐賊(賊馬に騎て賊を逐ふ)なり。

 古佛爲汝説するには異類中行なり。しばらく廻光返照すべし、幾箇枚の用會作麼かある。試道するには、乳餠七枚、菜餠五枚なりといへども、湘之南、潭之北の教行なり。

 玄沙曰、知、汝向黒山鬼窟裏作活計。

 しるべし、日面月面は往古よりいまだ不換なり。日面は日面とともに共出す、月面は月面とともに共出するゆゑに、若六月道正是時、不可道我性熱(若し六月に正に是れ時と道ふも、我が姓は熱と道ふべからず)なり。

 しかあればすなはち、この明珠の有始無始は無端なり。盡十方世界一顆明珠なり、兩顆三顆といはず。全身これ一隻の正法眼なり、全身これ眞實體なり、全身これ一句なり、全身これ光明なり、全身これ全心なり。全身のとき、全身の罣礙なし。圓陀陀地なり、轉轆轆なり。明珠の功徳かくのごとく見成なるゆゑに、いまの見色聞聲の觀音彌勒あり、現身説法の古佛新佛あり。

 正當恁麼時、あるいは虛空にかかり、衣裏にかかる、あるいは頷下にをさめ、髻中にをさむる、みな盡十方世界一顆明珠なり。ころものうらにかかるを樣子とせり、おもてにかけんと道取することなかれ。髻中頷下にかかるを樣子とせり、髻表頷表に弄せんと擬することなかれ。醉酒の時節にたまをあたふる親友あり、親友にはかならずたまをあたふべし。たまをかけらるる時節、かならず醉酒するなり。

 既是恁麼は、盡十方界にてある一顆明珠なり。しかあればすなはち、轉不轉のおもてをかへゆくににたれども、すなはち明珠なり。まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。明珠はかくのごとくきこゆる聲色あり。既得恁麼なるには、われは明珠にはあらじとたどらるるは、たまにはあらじとうたがはざるべきなり。たどりうたがひ、取舍する作無作も、ただしばらく小量の見なり、さらに小量に相似ならしむるのみなり。

 愛せざらんや、明珠かくのごとくの彩光きはまりなきなり。彩彩光光の片片條條は盡十方界の功徳なり。たれかこれを攙奪せん。行市に塼をなぐる人あらず、六道の因果に不落有落をわづらふことなかれ。不昧本來の頭正尾正なる、明珠は面目なり、明珠は眼睛なり。

 しかあれども、われもなんぢも、いかなるかこれ明珠、いかなるかこれ明珠にあらざるとしらざる百思百不思は、明明の草料をむすびきたれども、玄沙の法道によりて、明珠なりける身心の樣子をもききしり、あきらめつれば、心これわたくしにあらず、起滅をたれとしてか明珠なり、明珠にあらざると取舍にわづらはん。たとひたどりわづらふとも、明珠にあらぬにあらず、明珠にあらぬがありておこさせける行にも念にもにてはあらざれば、ただまさに黒山鬼窟の進歩退歩、これ一顆明珠なるのみなり。

 

正法眼藏一顆明珠第七

 

 爾時嘉禎四年四月十八日雍州宇治縣觀音導利興聖寶林寺示衆

 寛元元年癸卯閏七月二十三日書寫越州吉田郡志比莊吉峰寺院主房侍者比丘懷弉

 

 

正法眼藏第八 心不可得

 釋迦牟尼佛言、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。

 これ佛祖の參究なり。不可得裏に過去現在未來の窟籠を剜來せり。しかれども、自家の宿籠をもちゐきたれり。いはゆる自家といふは、心不可得なり。而今の思量分別は、心不可得なり。使得十二時の渾身、これ心不可得なり。佛祖の入室よりこのかた、心不可得を會取す。いまだ佛祖の入室あらざれば、心不可得の問取なし、道著なし、見聞せざるなり。經師論師のやから、聲聞緣覺のたぐひ、夢也未見在なり。

 

 その驗ちかきにあり、いはゆる徳山宣鑑禪師、そのかみ金剛般若經をあきらめたりと自稱す、あるいは周金剛王と自稱す。ことに靑龍疏をよくせりと稱ず。さらに十二擔の書籍を撰集せり、齊肩の講者なきがごとし。しかあれども、文字法師の末流なり。あるとき、南方に嫡嫡相承の無上佛法あることをききて、いきどほりにたへず、經疏をたづさへて山川をわたりゆく。ちなみに龍潭の信禪師の會にあへり。かの會に投ぜんとおもむく、中路に歇息せり。ときに老婆子きたりあひて、路側に歇息せり。

 ときに鑑講師とふ。なんぢはこれなに人ぞ。

 婆子いはく、われは買餠の老婆子なり。

 徳山いはく、わがためにもちひをうるべし。

 婆子いはく、和尚もちひをかうてなにかせん。

 徳山いはく、もちひをかうて點心にすべし。

 婆子いはく、和尚のそこばくたづさへてあるは、それなにものぞ。

 徳山いはく、なんぢきかずや、われはこれ周金剛王なり。金剛經に長ぜり、通達せずといふところなし。わがいまたづさへたるは、金剛經の解釋なり。

 かくいふをききて、婆子いはく、老婆に一問あり、和尚これをゆるすやいなや。

 徳山いはく、われいまゆるす。なんぢ、こころにまかせてとふべし。

 婆子いはく、われかつて金剛經をきくにいはく、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。いまいづれの心をか、もちひをしていかに點ぜんとかする。和尚もし道得ならんには、もちひをうるべし。和尚もし道不得ならんには、もちひをうるべからず。

 徳山ときに茫然として祇對すべきところをおぼえざりき。婆子すなはち拂袖していでぬ。つひにもちひを徳山にうらず。

 うらむべし、數百軸の釋主、數十年の講者、わづかに弊婆の一問をうるに、たちまちに負處に墮して、祇對におよばざること。正師をみると正師に師承せると、正法をきけると、いまだ正法をきかず正法をみざると、はるかにこのなるによりて、かくのごとし。

 徳山このときはじめていはく、畫にかけるもちひ、うゑをやむるにあたはずと。

 いまは龍潭に嗣法すと稱ず。

 つらつらこの婆子と徳山と相見する因緣をおもへば、徳山のむかしあきらめざることは、いまきこゆるところなり。龍潭をみしよりのちも、なほ婆子を怕却しつべし。なほこれ參學の晩進なり、超證の古佛にあらず。婆子そのとき徳山を杜口せしむとも、實にその人なること、いまださだめがたし。そのゆゑは、心不可得のことばをききては、心、うべからず、心、あるべからずとのみおもひて、かくのごとくとふ。徳山もし丈夫なりせば、婆子を勘破するちからあらまし。すでに勘破せましかば、婆子まことにその人なる道理もあらはるべし。徳山いまだ徳山ならざれば、婆子その人なることもいまだあらはれず。

 現在大宋國にある雲衲霞袂、いたづらに徳山の對不得をわらひ、婆子が靈利なることをほむるは、いとはかなかるべし、おろかなるなり。そのゆゑは、婆子を疑著する、ゆゑなきにあらず。いはゆるそのちなみ、徳山道不得ならんに、婆子なんぞ徳山にむかうていはざる、和尚いま道不得なり、さらに老婆にとふべし、老婆かへりて和尚のためにいふべし。

 かくのごとくいひて、徳山の問をえて、徳山にむかうていふこと道是ならば、婆子まことにその人なりといふことあらはるべし。問著たとひありとも、いまだ道處あらず。むかしよりいまだ一語をも道著せざるをその人といふこと、いまだあらず。いたづらなる自稱の始終、その益なき、徳山のむかしにてみるべし。いまだ道處なきものをゆるすべからざること、婆子にてしるべし。

 こころみに徳山にかはりていふべし、婆子まさしく恁麼問著せんに、徳山すなはち婆子にむかひていふべし、恁麼則儞莫與吾賣餠(恁麼ならば則ち儞吾が與に餠を賣ること莫れ)。

 もし徳山かくのごとくいはましかば、伶利の參學ならん。

 婆子もし徳山とはん、現在心不可得、過去心不可得、未來心不可得。いまもちひをしていづれの心をか點ぜんとかする。

 かくのごとくとはんに、婆子すなはち徳山にむかふていふべし、和尚はただもちひの心を點ずべからずとのみしりて、心のもちひを點ずることをしらず、心の心を點ずることをもしらず。

 恁麼いはんに、徳山さだめて擬議すべし。當恁麼時、もちひ三枚を拈じて徳山に度與すべし。徳山とらんと擬せんとき、婆子いふべし、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。

 もし又徳山展手擬取せずば、一餠を拈じて徳山をうちていふべし、無魂屍子、儞莫茫然(無魂の屍子、儞茫然なること莫れ)。

 かくのごとくいはんに、徳山いふことあらばよし、いふことなからんには、婆子さらに徳山のためにいふべし。ただ拂袖してさる、そでのなかに蜂ありともおぼえず。徳山も、われはいふことあたはず、老婆わがためにいふべしともいはず。

 しかあれば、いふべきをいはざるのみにあらず、とふべきをもとはず。あはれむべし、婆子徳山、過去心、未來心、現在心、問著道著、未來心不可得なるのみなり。

 おほよそ徳山それよりのちも、させる發明ありともみえず、ただあらあらしき造次のみなり。ひさしく龍潭にとぶらひせば、頭角觸折することもあらまし、頷珠を正傳する時節にもあはまし。わづかに吹滅紙燭をみる、傳燈に不足なり。

 しかあれば、參學の雲水、かならず勤學なるべし、容易にせしは不是なり、勤學なりしは佛祖なり。おほよそ心不可得とは、畫餠一枚を買弄して、一口に咬著嚼著するをいふ。

正法眼藏第八

 

 爾時仁治二年辛丑夏安居于雍州宇治郡觀音導利興聖寶林寺示衆

 

 

正法眼藏第九 古佛心

 祖宗の嗣法するところ、七佛より曹谿にいたるまで四十祖なり。曹谿より七佛にいたるまで四十佛なり。七佛ともに向上向下の功徳あるがゆゑに、曹谿にいたり七佛にいたる。曹谿に向上向下の功徳あるがゆゑに、七佛より正傳し、曹谿より正傳し、後佛に正傳す。ただ前後のみにあらず、釋迦牟尼佛のとき、十方諸佛あり。靑原のとき南嶽あり、南嶽のとき靑原あり。乃至石頭のとき江西あり。あひ罣礙せざるは不礙にあらざるべし。かくのごとくの功徳あること、參究すべきなり。

 向來の四十位の佛祖、ともにこれ古佛なりといへども、心あり身あり、光明あり國土あり、過去久矣あり、未曾過去あり。たとひ未曾過去なりとも、たとひ過去久矣なりとも、おなじくこれ古佛の功徳なるべし。古佛の道を參學するは、古佛の道を證するなり。代代の古佛なり。いはゆる古佛は、新古の古に一齊なりといへども、さらに古今を超出せり、古今に正直なり。

 

 先師曰く、與宏智古佛相見(宏智古佛と相見す)。

 はかりしりぬ、天童の屋裏に古佛あり、古佛の屋裏に天童あることを。

 

 圜悟禪師曰く、稽首曹谿眞古佛(稽首す、曹谿眞の古佛)。

 しるべし、釋迦牟尼佛より第三十三世はこれ古佛なりと稽首すべきなり。圜悟禪師に古佛の莊嚴光明あるゆゑに、古佛と相見しきたるに、恁麼の禮拜あり。しかあればすなはち、曹谿の頭正尾正を草料して、古佛はかくのごとくの巴鼻なることをしるべきなり。この巴鼻あるは、この古佛なり。

 

 疎山曰く、大庾嶺頭有古佛、放光射到此間(大庾嶺頭に古佛有り、放光此間に射到す)。

 しるべし、疎山すでに古佛と相見すといふことを。ほかに參尋すべからず。古佛の有處は、大庾嶺頭なり。古佛にあらざる自己は古佛の出處をしるべからず。古佛の在處をしるは古佛なるべし。

 

 雪峰いはく、趙州古佛。

 しるべし、趙州たとひ古佛なりとも、雪峰もし古佛の力量を分奉せられざらんは、古佛に奉覲する骨法を了達しがたからん。いまの行履は、古佛の加被によりて、古佛に參學するには、不答話の功夫あり。いはゆる雪峰老漢、大丈夫なり。古佛の家風および古佛の威儀は、古佛にあらざるには相似ならず、一等ならざるなり。しかあれば、趙州の初中後善を參學して、古佛の壽量を參學すべし。

 

 西京光宅寺大證國師は、曹谿の法嗣なり。人帝天帝、おなじく恭敬尊重するところなり。まことに神丹國に見聞まれなるところなり。四代の帝師なるのみにあらず、皇帝てづからみづから車をひきて參内せしむ。いはんやまた帝釋宮の請をえて、はるかに上天す。諸天衆のなかにして、帝釋のために説法す。

 國師因僧問、如何是古佛心(如何にあらんか是れ古佛心)。

 師云、牆壁瓦礫。

 いはゆる問處は、這頭得恁麼といひ、那頭得恁麼といふなり。この道得を擧して問處とせるなり。この問處、ひろく古今の道得となれり。

 このゆゑに、花開の萬木百草、これ古佛の道得なり、古佛の問處なり。世界起の九山八海、これ古佛の日面月面なり、古佛の皮肉骨髓なり。さらに又古心の行佛なるあるべし、古心の證佛なるあるべし、古心の作佛なるあるべし。佛古の爲心なるあるべし。古心といふは、心古なるがゆゑなり。心佛はかならず古なるべきがゆゑに、古心は椅子竹木なり。盡大地覓一箇會佛法人不可得(盡大地、一箇の佛法を會する人を覓むるに不可得)なり、和尚喚這箇作甚麼(和尚這箇を喚んで甚麼とか作ん)なり。いまの時節因緣および塵刹虛空、ともに古心にあらずといふことなし。古心を保任する、古佛を保任する、一面目にして兩頭保任なり、兩頭畫圖なり。

 師いはく、牆壁瓦礫。

 いはゆる宗旨は、牆壁瓦礫にむかひて道取する一進あり、牆壁瓦礫なり。道出する一途あり、牆壁瓦礫の牆壁瓦礫の許裏に道著する一退あり。これらの道取の現成するところの圓成十成に、千仭萬仭の壁立せり、迊地迊天の牆立あり、一片半片の瓦蓋あり、乃大乃小の礫尖あり。かくのごとくあるは、ただ心のみにあらず、すなはちこれ身なり、乃至依正なるべし。

 しかあれば、作麼生是牆壁瓦礫と問取すべし、道取すべし。答話せんには、古佛心と答取すべし。かくのごとく保任してのちに、さらに參究すべし。いはゆる牆壁はいかなるべきぞ。なにをか牆壁といふ、いまいかなる形段をか具足せると、審細に參究すべし。造作より牆壁を出現せしむるか、牆壁より造作を出現せしむるか。造作か、造作にあらざるか。有情なりとやせん、無情なりや。現前すや、不現前なりや。かくのごとく功夫參學して、たとひ天上人間にもあれ、此土他界の出現なりとも、古佛心は牆壁瓦礫なり、さらに一塵の出頭して染汚する、いまだあらざるなり。

 

 漸源仲興大師、因僧問、如何是古佛心(如何なるか是れ古佛心)。

 師云く、世界崩壞(世界崩壞す)。

 僧曰く、爲甚麼世界崩壞(甚麼としてか世界崩壞なる)。

 師云く、寧無我身(寧ろ我身無からん)。

 いはゆる世界は、十方みな佛世界なり。非佛世界いまだあらざるなり。崩壞の形段は、この盡十方界に參學すべし、自己に學することなかれ。自己に參學せざるゆゑに、崩壞の當恁麼時は、一條兩條、三四五條なるがゆゑに無盡條なり。かの條條、それ寧無我身なり。我身は寧無なり。而今を自惜して、我身を古佛心ならしめざることなかれ。

 まことに七佛以前に古佛心壁豎す、七佛以後に古佛心才生す、諸佛以前に古佛心花開す、諸佛以後に古佛心結果す、古佛心以前に古佛心脱落なり。

 

正法眼藏古佛心第九

 

 爾時寛元元年癸卯四月二十九日在六波羅蜜寺示衆

 寛元二年甲辰五月十二日在越州吉峰庵下侍司書寫 懷弉

 

正法眼藏第十 大悟

 佛佛の大道、つたはれて綿密なり。祖祖の功業、あらはれて平展なり。このゆゑに大悟現成し、不悟至道し、省悟弄悟し、失悟放行す。これ佛祖家常なり。擧拈する使得十二時あり、抛却する被使十二時あり。さらにこの關棙子を跳出する弄泥團もあり、弄精魂もあり。大悟より佛祖かならず恁麼現成する參學を究竟すといへども、大悟の渾悟を佛祖とせるにはあらず、佛祖の渾佛祖を渾大悟なりとにはあらざるなり。佛祖は大悟の邊際を跳出し、大悟は佛祖より向上に跳出する面目なり。

 しかあるに、人根に多般あり。

 いはく、生知。これは生じて生を透脱するなり。いはゆるは、生の初中後際に體究なり。

 いはく、學而知。これは學して自己を究竟す。いはゆるは、學の皮肉骨髓を體究するなり。

 いはく、佛知者あり。これは生知にあらず、學知にあらず。自他の際を超越して、遮裏に無端なり、自他知に無拘なり。

 いはく、無師知者あり。善知識によらず、經卷によらず、性によらず、相によらず、自を撥轉せず、他を囘互せざれども露堂堂なり。これらの數般、ひとつを利と認し、ふたつを鈍と認ぜざるなり。多般ともに多般の功業を現成するなり。

 しかあれば、いづれの情無情か生知にあらざらんと參學すべし。生知あれば生悟あり、生證明あり、生修行あり。しかあれば、佛祖すでに調御丈夫なる、これを生悟と稱じきたれり。悟を拈來せる生なるがゆゑにかくのごとし。參飽大悟する生悟なるべし。拈悟の學なるゆゑにかくのごとし。

 しかあればすなはち、三界を拈じて大悟す、百草を拈じて大悟す、四大を拈じて大悟す、佛祖を拈じて大悟す、公案を拈じて大悟す。みなともに大悟を拈來して、さらに大悟するなり。その正當恁麼時は而今なり。

 

 臨濟院慧照大師云、大唐國裏、覓一人不悟者難得(大唐國裏、一人の不悟者を覓むるに難得なり)。

 いま慧照大師の道取するところ、正脈しきたれる皮肉骨髓なり、不是あるべからず。

 大唐國裏といふは自己眼睛裏なり。盡界にかかはれず、塵刹にとどまらず。遮裏に不悟者の一人をもとむるに難得なり。自己の昨自己も不悟者にあらず、他己の今自己も不悟者にあらず。山人水人の古今、もとめて不悟を要するにいまだえざるべし。學人かくのごとく臨濟の道を參學せん、虛度光陰なるべからず。

 しかもかくのごとくなりといへども、さらに祖宗の懷業を參學すべし。いはく、しばらく臨濟に問すべし、不悟者難得のみをしりて、悟者難得をしらずは、未足爲是なり。不悟者難得をも參究せるといひがたし。たとひ一人の不悟者をもとむるには難得なりとも、半人の不悟者ありて面目雍容、巍巍堂堂なる、相見しきたるやいまだしや。たとひ大唐國裏に一人の不悟者をもとむるに難得なるを究竟とすることなかれ。一人半人のなかに兩三箇の大唐國をもとめこころみるべし。難得なりや、難得にあらずや。この眼目をそなへんとき、參飽の佛祖なりとゆるすべし。

 

 京兆華嚴寺寶智大師[嗣洞山諱休靜]、因僧問、大悟底人却迷時如何(京兆華嚴寺の寶智大師[洞山に嗣す、諱は休靜]、因みに僧問ふ、大悟底人却つて迷ふ時如何)。

 師云、破鏡不重照、落花難上樹(破鏡重ねて照らさず、落花樹に上り難し)。

 いまの問處は、問處なりといへども示衆のごとし。華嚴の會にあらざれば開演せず、洞山の嫡子にあらざれば、加被すべからず。まことにこれ參飽佛祖の方席なるべし。

 いはゆる大悟底人は、もとより大悟なりとにはあらず、餘外に大悟してたくはふるにあらず。大悟は公界におけるを、末上の老年に相見するにあらず。自己より強爲して牽挽出來するにあらざれども、かならず大悟するなり。不迷なるを大悟とするにあらず、大悟の種草のためにはじめて迷者とならんと擬すべきにもあらず。大悟人さらに大悟す、大迷人さらに大悟す。大悟人あるがごとく、大悟佛あり、大悟地水火風空あり、大悟露柱燈籠あり。いまは大悟底人と問取するなり。大悟底人却迷時如何の問取、まことに問取すべきを問取するなり。華嚴きらはず叢席に慕古す、佛祖の勳業なるべきなり。

 しばらく功夫すべし、大悟底人の却迷は、不悟底人と一等なるべしや。大悟底人却迷の時節は、大悟を拈來して迷を造作するか。他那裏より迷を拈來して、大悟を蓋覆して却迷するか。また大悟底人は一人にして大悟をやぶらずといへども、さらに却迷を參ずるか。また大悟底人の却迷といふは、さらに一枚の大悟を拈來するを却迷とするかと、かたがた參究すべきなり。また大悟也一隻手なり、却迷也一隻手なるか。いかやうにても、大悟底人の却迷ありと聽取するを、參來の究徹なりとしるべし。却迷を親曾ならしむる大悟ありとしるべきなり。

 しかあれば、認賊爲子を却迷とするにあらず、認子爲賊を却迷とするにあらず。大悟は認賊爲賊なるべし、却迷は認子爲子なり。多處添些子を大悟とす。少處減些子、これ却迷なり。しかあれば、却迷者を摸著して把定了に大悟底人に相逢すべし。而今の自己、これ却迷なるか、不迷なるか、撿點將來すべし。これを參見佛祖とす。

 師云、破鏡不重照、落花難上樹。

 この示衆は、破鏡の正當恁麼時を道取するなり。しかあるを、未破鏡の時節にこころをつかはして、しかも破鏡のことばを參學するは不是なり。いま華嚴道の破鏡不重照、落花難上樹の宗旨は、大悟底人不重照といひ、大悟底人難上樹といひて、大悟底人さらに却迷せずと道取すると會取しつべし。しかあれども、恁麼の參學にあらず。人のおもふがごとくならば、大悟底人家常如何とら問取すべし。これを答話せんに、有却迷時とらいはん。而今の因緣、しかにはあらず。大悟底人、却迷時、如何と問取するがゆゑに、正當却迷時を未審するなり。恁麼時節の道取現成は、破鏡不重照なり、落花難上樹なり。落花のまさしく落花なるときは、百尺の竿頭に昇進するとも、なほこれ落花なり。破鏡の正當破鏡なるゆゑに、そこばくの活計見成すれども、おなじくこれ不重照の照なるべし。破鏡と道取し落花と道取する宗旨を拈來して、大悟底人却迷時の時節を參取すべきなり。

 これは大悟は作佛のごとし、却迷は衆生のごとし。還作衆生(還つて衆生と作る)といひ、從本垂迹(本より迹を垂る)とらいふがごとく學すべきにはあらざるなり。かれは大覺をやぶりて衆生となるがごとくいふ。これは大悟やぶるるといはず、大悟うせぬるといはず、迷きたるといはざるなり。かれらにひとしむべからず。まことに大悟無端なり、却迷無端なり。大悟を罣礙する迷あらず。大悟三枚を拈來して、小迷半枚をつくるなり。ここをもて、雪山の雪山のために大悟するあり、木石は木石をかりて大悟す。諸佛の大悟は衆生のために大悟す、衆生の大悟は諸佛の大悟を大悟す、前後にかかはれざるべし。而今の大悟は、自己にあらず他己にあらず、ききたるにあらざれども填溝塞壑なり。さるにあらざれども切忌隨他覓(切に忌む、他に隨つて覓むることを)なり。なにとしてか恁麼なる。いはゆる隨他去なり。

 

 京兆米胡和尚、令僧問仰山、今時人、還假悟否(京兆米胡和尚、僧をして仰山に問はしむ、今時の人、還て悟を假るや否や)。

 仰山云、悟卽不無、爭奈落第二頭何(仰山云く、悟は卽ち無きにあらず、第二頭に落つることを爭奈何ん)。

 僧廻擧似米胡。胡深肯之(僧廻りて米胡に擧似す。胡、深く之を肯せり)。

 いはくの今時は、人人の而今なり。令我念過去未來現在(我をして過去、未來、現在を念ぜしむ)いく千萬なりとも、今時なり、而今なり。人の分上は、かならず今時なり。あるいは眼睛を今時とせるあり、あるいは鼻孔を今時とせるあり。

 還假悟否。この道しづかに參究して、胸襟にも換却すべし、頂𩕳にも換却すべし。

 近日大宋國禿子等いはく、悟道是本期(悟道是れ本期なり)。かくのごとくいひていたづらに待悟す。しかあれども、佛祖の光明にてらされざるがごとし。ただ眞善知識に參取すべきを、懶惰にして蹉過するなり。古佛の出世にも度脱せざりぬべし。

 いまの還假悟否の道取は、さとりなしといはず、ありといはず、きたるといはず、かるやいなやといふ。今時人のさとりはいかにしてさとれるぞと道取せんがごとし。たとへばさとりをうといはば、ひごろはなかりつるかとおぼゆ。さとりきたれりといはば、ひごろはそのさとり、いづれのところにありけるぞとおぼゆ。さとりになれりといはば、さとり、はじめありとおぼゆ。かくのごとくいはず、かくのごとくならずといへども、さとりのありやうをいふときに、さとりをかるやとはいふなり。

 しかあるを、さとりといふはいはる、しかあれども、第二頭へおつるぞいかにかすべきといひつれば、第二頭もさとりなりといふなり。第二頭といふは、さとりになりぬるといひや、さとりをうといひや、さとりきたれりといはんがごとし。なりぬといふも、きたれりといふも、さとりなりといふなり。しかあれば、第二頭におつることをいたみながら、第二頭をなからしむるがごとし。さとりのなれらん第二頭は、またまことの第二頭なりともおぼゆ。しかあれば、たとひ第二頭なりとも、たとひ百千頭なりとも、さとりなるべし。第二頭あれば、これよりかみに第一頭のあるをのこせるにはあらぬなり。たとへば、昨日のわれをわれとすれども、昨日はけふを第二人といはんがごとし。而今のさとり、昨日にあらずといはず、いまはじめたるにあらず、かくのごとく參取するなり。しかあれば、大悟頭黒なり、大悟頭白なり。

 

正法眼藏大悟第十

 

 爾時仁治三年壬寅春正月二十八日住觀音導利興聖寶林寺示衆

 而今寛元二年甲辰春正月二十七日錫駐越宇吉峰古寺而書示於人天大衆

 同二年甲辰春三月二十日侍越宇吉峰精舍堂奥次書寫之 懷弉

 

正法眼藏第十一 坐禪儀

 參禪は坐禪なり。

 坐禪は靜處よろし。坐蓐あつくしくべし。風烟をいらしむる事なかれ、雨露をもらしむることなかれ、容身の地を護持すべし。かつて金剛のうへに坐し、盤石のうへに坐する蹤跡あり、かれらみな草をあつくしきて坐せしなり。坐處あきらかなるべし、晝夜くらからざれ。冬暖夏涼をその術とせり。

 諸緣を放捨し、萬事を休息すべし。善也不思量なり、惡也不思量なり。心意識にあらず、念想觀にあらず。作佛を圖する事なかれ、坐臥を脱落すべし。

 飮食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃をはらふがごとく坐禪をこのむべし。黄梅山の五祖、ことなるいとなみなし、唯務坐禪のみなり。

 坐禪のとき、袈裟をかくべし、蒲團をしくべし。蒲團は全跏にしくにはあらず、跏趺のなかばよりはうしろにしくなり。しかあれば、累足のしたは坐蓐にあたれり、脊骨のしたは蒲團にてあるなり。これ佛佛祖祖の坐禪のとき坐する法なり。

 あるいは半跏趺坐し、あるいは結果趺坐す。結果趺坐は、みぎのあしをひだりのももの上におく。ひだりの足をみぎのもものうへにおく。あしのさき、おのおのももとひとしくすべし。參差なることをえざれ。半跏趺坐は、ただ左の足を右のもものうへにおくのみなり。

 衣衫を寛繋して齊整ならしむべし。右手を左足のうへにおく。左手を右手のうへにおく。ふたつのおほゆび、さきあひささふ。兩手かくのごとくして身にちかづけておくなり。ふたつのおほゆびのさしあはせたるさきを、ほそに對しておくべし。

 正身端坐すべし。ひだりへそばだち、みぎへかたぶき、まへにくぐまり、うしろへあふのくことなかれ。かならず耳と肩と對し、鼻と臍と對すべし。舌は、かみの顎にかくべし。息は鼻より通ずべし。くちびる齒あひつくべし。目は開すべし、不張不微なるべし。

 かくのごとく身心をととのへて、欠氣一息あるべし。兀兀と坐定して思量箇不思量底なり。不思量底如何思量。これ非思量なり。これすなはち坐禪の法術なり。

 坐禪は習禪にはあらず、大安樂の法門なり。不染汚の修證なり。

 

正法眼藏坐禪儀第十一

 

 爾時寛元元年癸卯冬十一在越州吉田縣吉峰精舍示衆

 

 

正法眼藏第十二 坐禪箴

                        觀音導利興聖寶林寺

 藥山弘道大師、坐次有僧問、兀兀地思量什麼(藥山弘道大師、坐次に、有る僧問ふ、兀兀地什麼をか思量せん)。

 師云、思量箇不思量底(箇の不思量底を思量す)。

 僧云、不思量底如何思量(不思量底、如何が思量せん)。

 師云、非思量。

 大師の道かくのごとくなるを證して、兀坐を參學すべし、兀坐正傳すべし。兀坐の佛道につたはれる參究なり。兀兀地の思量ひとりにあらずといへども、藥山の道は其一なり。いはゆる思量箇不思量底なり、思量の皮肉骨髓なるあり、不思量の皮肉骨髓なるあり。

 僧のいふ、不思量底如何思量。

 まことに不思量底たとひふるくとも、さらにこれ如何思量なり。兀兀地に思量なからんや、兀兀地の向上なにによりてか通ぜざる。賎近の愚にあらずは、兀兀地を問著する力量あるべし、思量あるべし。

 大師いはく、非思量。

 いはゆる非思量を使用すること玲瓏なりといへども、不思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり。非思量にたれあり、たれ我を保任す。兀兀地たとひ我なりとも、思量のみにあらず、兀兀地を學頭するなり。兀兀地たとひ兀兀地なりとも、兀兀地いかでか兀兀地を思量せん。しかあればすなはち、兀兀地は佛量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、會量にあらざるなり。藥山かくのごとく單傳すること、すでに釋迦牟尼佛より直下三十六代なり。藥山より向上をたづぬるに、三十六代に釋迦牟尼佛あり。かくのごとく正傳せる、すでに思量箇不思量底あり。

 しかあるに、近年おろかなる杜撰いはく、功夫坐禪、得胸襟無事了、便是平穩地也(功夫坐禪は、胸襟無事なることを得了りぬれば、便ち是れ平穩地なり)。この見解、なほ小乘の學者におよばず、人天乘よりも劣なり。いかでか學佛法の漢とはいはん。見在大宋國に恁麼の功夫人おほし、祖道の荒蕪かなしむべし。

 又一類の漢あり、坐禪辨道はこれ初心晩學の要機なり、かならずしも佛祖の行履にあらず。行亦禪、坐亦禪、語默動靜體安然(行もまた禪、坐もまた禪、語默動靜に體安然)なり。ただいまの功夫のみにかかはることなかれ。臨濟の餘流と稱ずるともがら、おほくこの見解なり。佛法の正命つたはれることおろそかなるによりて恁麼道するなり。なにかこれ初心、いづれか初心にあらざる、初心いづれのところにかおく。

 しるべし、學道のさだまれる參究には、坐禪辨道するなり。その榜樣の宗旨は、作佛をもとめざる行佛あり。行佛さらに作佛にあらざるがゆゑに、公案見成なり。身佛さらに作佛にあらず、籮籠打破すれば坐佛さらに作佛をさへず。正當恁麼のとき、千古萬古、ともにもとよりほとけにいり魔にいるちからあり。進歩退歩、したしく溝にみち壑にみつ量あるなり。

 

 江西大寂禪師、ちなみに南嶽大慧禪師に參學するに、密受心印よりこのかた、つねに坐禪す。

 南嶽あるとき大寂のところにゆきてとふ、大徳、坐禪圖箇什麼(坐禪は箇の什麼を圖る)。

 この問、しづかに功夫參學すべし。そのゆゑは、坐禪より向上にあるべき圖のあるか、坐禪より格外に圖すべき道のいまだしきか、すべて圖すべからざるか。當時坐禪せるに、いかなる圖か現成すると問著するか。審細に功夫すべし。彫龍を愛するより、すすみて眞龍を愛すべし。彫龍、眞龍ともに雲雨の能あること學習すべし。遠を貴することなかれ、遠を賎することなかれ、遠に慣熟なるべし。近を賎することなかれ、近を貴することなかれ、近に慣熟なるべし。目をかろくすることなかれ、目をおもくすることなかれ。耳をおもくすることなかれ、耳をかろくすることなかれ、耳目をして聰明ならしむべし。

 江西いはく、圖作佛(作佛を圖る)。

 この道、あきらめ達すべし。作佛と道取するは、いかにあるべきぞ。ほとけに作佛せらるるを作佛と道取するか、ほとけを作佛するを作佛と道取するか、ほとけの一面出、兩面出するを作佛と道取するか。圖作佛は脱落にして、脱落なる圖作佛か。作佛たとひ萬般なりとも、この圖に葛藤しもてゆくを圖作佛と道取するか。

 しるべし、大寂の道は、坐禪かならず圖作佛なり、坐禪かならず作佛の圖なり。圖は作佛より前なるべし、作佛より後なるべし、作佛の正當恁麼時なるべし。且問すらくは、この一圖、いくそばくの作佛を葛藤すとかせん。この葛藤、さらに葛藤をまつふべし。このとき、盡作佛の條條なる葛藤、かならず盡作佛の端的なる、みなともに條條の圖なり。一圖を廻避すべからず。一圖を廻避するときは、喪身失命するなり。喪身失命するとき、一圖の葛藤なり。

 南嶽ときに一塼をとりて石上にあててとぐ。

 大寂つひにとふにいはく、師、作什麼(師、什麼をか作す)。

 まことに、たれかこれを磨塼とみざらん、たれかこれを磨塼とみん。しかあれども、磨塼はかくのごとく作什麼と問せられきたるなり。作什麼なるは、かならず磨塼なり。此土他界ことなりといふとも、磨塼いまだやまざる宗旨あるべし。自己の所見を自己の所見と決定せざるのみにあらず、萬般の作業に參學すべき宗旨あることを一定するなり。しるべし、佛をみるに佛をしらず、會せざるがごとく、水をみるをもしらず、山をみるをもしらざるなり。眼前の法、さらに通路あるべからずと倉卒なるは、佛學にあらざるなり。

 南嶽いはく、磨作鏡(磨して鏡と作す)。

 この道旨、あきらむべし。磨作鏡は、道理かならずあり。見成の公案あり、虛設なるべからず。塼はたとひ塼なりとも、鏡はたとひ鏡なりとも、磨の道理を力究するに、許多の榜樣あることをしるべし。古鏡も明鏡も、磨塼より作鏡をうるなるべし、もし諸鏡は磨塼よりきたるとしらざれば、佛祖の道得なし、佛祖の開口なし、佛祖の出氣を見聞せず。

 大寂いはく、磨塼豈得成鏡耶(磨塼豈に鏡を成すことを得んや)。

 まことに磨塼の鐵漢なる、他の力量をからざれども、磨塼は成鏡にあらず、成鏡たとひ聻なりとも、すみやかなるべし。

 南嶽いはく、坐禪豈得作佛耶(坐禪豈に作佛を得んや)。

 あきらかにしりぬ、坐禪の作佛をまつにあらざる道理あり、作佛の坐禪にかかはれざる宗旨かくれず。

 大寂いはく、如何卽是(如何にして卽ち是ならん)。

 いまの道取、ひとすぢに這頭の問著に相似せりといへども、那頭の卽是をも問著するなり。たとへば、親友の親友に相見する時節をしるべし。われに親友なるはかれに親友なり。如何、卽是、すなはち一時の出現なり。

 南嶽いはく、如人駕車、車若不行、打車卽是、打牛卽是(人の車を駕するが如き、車若し行かずは、車を打つが卽ち是か、牛を打つが卽ち是か)。

 しばらく、車若不行といふは、いかならんかこれ車行、いかならんかこれ車不行。たとへば、水流は車行なるか、水不流は車行なるか。流は水の不行といふつべし、水の行は流にあらざるもあるべきなり。しかあれば、車若不行の道を參究せんには、不行ありとも參ずべし、不行なしとも參ずべし、時なるべきがゆゑに。若不行の道、ひとへに不行と道取せるにあらず。打車卽是、打牛卽是といふ、打車もあり、打牛もあるべきか。打車と打牛とひとしかるべきか、ひとしからざるべきか。世間に打車の法なし、凡夫に打車の法なくとも、佛道に打車の法あることをしりぬ、參學の眼目なり。たとひ打車の法あることを學すとも、打牛と一等なるべからず、審細に功夫すべし。打牛の法たとひよのつねにありとも、佛道の打牛はさらにたずね參學すべし。水牯牛を打牛するか、鐵牛を打牛するか、泥牛を打牛するか、鞭打なるべきか、盡界打なるべきか、盡心打なるべきか、打併髓なるべきか、拳頭打なるべきか。拳打拳あるべし、牛打牛あるべし。

 大寂無對なる、いたづらに蹉過すべからず。抛塼引玉あり、囘頭換面あり。この無對さらに攙奪すべからず。

 南嶽、又しめしていはく、汝學坐禪、爲學坐佛(汝坐禪を學せば、坐佛を學すと爲す)。

 この道取を參究して、まさに祖宗の要機を辨取すべし。いはゆる學坐禪の端的いかなりとしらざるに、學坐佛としりぬ。正嫡の兒孫にあらずよりは、いかでか學坐禪の學坐佛なると道取せん。まことにしるべし、初心の坐禪は最初の坐禪なり、最初の坐禪は最初の坐佛なり。

 坐禪を道取するにいはく、若學坐禪、禪非坐臥(若し坐禪を學せば、禪は坐臥に非ず)。

 いまいふところは、坐禪は坐禪なり、坐臥にあらず。坐臥にあらずと單傳するよりこのかた、無限の坐臥は自己なり。なんぞ親疎の命脈をたづねん、いかでか迷悟を論ぜん、たれか智斷をもとめん。

 南嶽いはく、若學坐佛、佛非定相(若し坐佛を學せば、佛は定相に非ず)。

 いはゆる道取を道取せんには恁麼なり。坐佛の一佛二佛のごとくなるは、非定相を莊嚴とせるによりてなり。いま佛非定相と道取するは、佛相を道取するなり。非定相佛なるがゆゑに、坐佛さらに廻避しがたきなり。しかあればすなはち、佛非定相の莊嚴なるゆゑに、若學坐禪すなはち坐佛なり。たれか無住法におきて、ほとけにあらずと取捨し、ほとけなりと取捨せん。取捨さきより脱落せるによりて坐佛なるなり。

 南嶽いはく、汝若坐佛、卽是殺佛(汝若し坐佛せば、卽是殺佛なり)。

 いはゆるさらに坐佛を參究するに、殺佛の功徳あり。坐佛の正當恁麼時は殺佛なり。殺佛の相好光明は、たづねんとするにかならず坐佛なるべし。殺の言、たとひ凡夫のごとくにひとしくとも、ひとへに凡夫と同ずべからず。又坐佛の殺佛なるは、有什麼形段(什麼なる形段か有る)と參究すべし。佛功徳すでに殺佛なるを拈擧して、われらが殺人未殺人をも參學すべし。

 若執坐相、非達其理(若し坐相を執せば、その理に達するに非ず)。

 いはゆる執坐相とは、坐相を捨し、坐相を觸するなり。この道理は、すでに坐佛するには、不執坐相なることえざるなり。不執坐相なることえざるがゆゑに、執坐相はたとひ玲瓏なりとも、非達其理なるべし。恁麼の功夫を脱落身心といふ。いまだかつて坐せざるものにこの道のあるにあらず。打坐時にあり、打坐人にあり、打坐佛にあり、學坐佛にあり。ただ人の坐臥する坐の、この打坐佛なるにあらず。人坐のおのづから坐佛佛坐に相似なりといへども、人作佛あり、作佛人あるがごとし。作佛人ありといへども、一切人は作佛にあらず、ほとけは一切人にあらず。一切佛は一切人のみにあらざるがゆゑに、人かならず佛にあらず、佛かならず人にあらず。坐佛もかくのごとし。

 南嶽江西の師勝資強、かくのごとし。坐佛の作佛を證する、江西これなり。作佛のために坐佛をしめす、南嶽これなり。南嶽の會に恁麼の功夫あり、藥山の會に向來の道取あり。

 しるべし、佛佛祖祖の要機とせるは、これ坐佛なりといふことを。すでに佛佛祖祖とあるは、この要機を使用せり。いまだしきは夢也未見在なるのみなり。おほよそ西天東地に佛法つたはるるといふは、かならず坐佛のつたはるるなり。それ要機なるによりてなり。佛法つたはれざるには坐禪つたはれず、嫡嫡相承せるはこの坐禪の宗旨のみなり。この宗旨いまだ單傳せざるは佛祖にあらざるなり。この一法あきらめざれば萬法あきらめざるなり、萬行あきらめざるなり。法法あきらめざらんは明眼といふべからず、得道にあらず。いかでか佛祖の今古ならん。ここをもて佛祖かならず坐禪を單傳すると一定すべし。

 佛祖の光明に照臨せらるるといふは、この坐禪を功夫參究するなり。おろかなるともがらは、佛光明をあやまりて、日月の光明のごとく、珠火の光耀のごとくあらんずるとおもふ。日月の光耀は、わづかに六道輪廻の業相なり、さらに佛光明に比すべからず。佛光明といふは、一句を受持聽聞し、一法を保任護持し、坐禪を單傳するなり。光明にてらさるるにおよばざれば、この保任なし、この信受なきなり。

 

 しかあればすなはち、古來なりといへども、坐禪を坐禪なりとしれるすくなし。いま現在大宋國の諸山に、甲刹の主人とあるもの、坐禪をしらず、學せざるおほし。あきらめしれるありといへども、すくなし。諸寺にもとより坐禪の時節さだまれり。住持より諸僧ともに坐禪するを本分の事とせり、學者を勸誘するにも坐禪をすすむ。しかあれども、しれる住持人はまれなり。このゆゑに、古來より近代にいたるまで、坐禪銘を記せる老宿一兩位あり、坐禪儀を撰せる老宿一兩位あり。坐禪箴を記せる老宿一兩位あるなかに、坐禪銘、ともにとるべきところなし、坐禪儀、いまだその行履にくらし。坐禪をしらず、坐禪を單傳せざるともがらの記せるところなり。景徳傳燈録にある坐禪箴、および嘉泰普燈録にあるところの坐禪銘等なり。あはれむべし、十方の叢林に經歴して一生をすごすといへども、一坐の功夫あらざることを。打坐すでになんぢにあらず、功夫さらにおのれと相見せざることを。打坐すでになんぢにあらず、功夫さらにおのれと相見せざることを。これ坐禪のおのれが身心をきらふにあらず、眞箇の功夫をこころざさず、倉卒に迷醉せるによりてなり。かれらが所集は、ただ還源返本の樣子なり、いたづらに息慮凝寂の經營なり。觀練薰修の階級におよばず、十地等覺の見解におよばず、いかでか佛佛祖祖の坐禪を單傳せん。宋朝の録者あやまりて録せるなり、晩學すててみるべからず。

 坐禪箴は、大宋國慶元府太白名山天童景徳寺、宏智禪師正覺和尚の撰せるのみ佛祖なり、坐禪箴なり、道得是なり。ひとり法界の表裏に光明なり、古今の佛祖に佛祖なり。前佛後佛この箴に箴せられもてゆき、今祖古祖この箴より現成するなり。かの坐禪箴は、すなはちこれなり。

 

 坐禪箴     敕謚宏智禪師正覺撰

 佛佛要機、祖祖機要。

 (佛佛の要機、祖祖の機要)

 不觸事而知、不對緣而照。

 (事を觸せずして知り、緣に對せずして照らす)

 不觸事而知、其知自微。

 (事を觸せずして知る、其の知自ら微なり)

 不對緣而照、其照自妙。

 (緣に對せずして照す、其の照自ら妙なり)

 其知自微、曾無分別之思。

 (其の知自ら微なるは、曾て分別の思ひ無し)

 其照自妙、曾無毫忽之兆。

 (其の照自ら妙なるは、曾て毫忽の兆し無し)

 曾無分別之思、其知無偶而奇。

 (曾て分別の思無き、其の知無偶にして奇なり)

 曾無毫忽之兆、其照無取而了。

 (曾て毫忽の兆し無き、其の照取ること無くして了なり)

 水淸徹底兮、魚行遲遲。

 (水淸んで底に徹つて、魚の行くこと遲遲)

 空闊莫涯兮、鳥飛杳杳。

 (空闊くして涯りなし、鳥の飛ぶこと杳杳なり)

 いはゆる坐禪箴の箴は、大用現前なり、聲色向上威儀なり、父母未生前の節目なり。莫謗佛祖好(佛祖を謗ずること莫くんば好し)なり、未免喪身失命(未だ免れず喪身失命することを)なり、頭長三尺頚短二寸なり。

 佛佛要機

 佛佛はかならず佛佛を要機とせる、その要機現成せり、これ坐禪なり。

 祖祖機要

 先師無此語なり。この道理これ祖祖なり。法傳衣傳あり。おほよそ囘頭換面の面面、これ佛佛要機なり。換面囘頭の頭頭、これ祖祖機要なり。

 不觸事而知

 知は覺知にあらず、覺知は小量なり。了知の知にあらず、了知は造作なり。かるがゆゑに、知は不觸事なり、不觸事は知なり。遍知と度量すべからず、自知と局量すべからず。その不觸事といふは、明頭來明頭打、暗頭來暗頭打なり、坐破孃生皮なり。

 不對緣而照

 この照は照了の照にあらず、靈照にあらず、不對緣を照とす。照の緣と化せざるあり、緣これ照なるがゆゑに。不對といふは、遍界不曾藏なり、破界不出頭なり。微なり、妙なり、囘互不囘互なり。

 其知自微、曾無分別之思

 思の知なる、かならずしも他力をからず。其知は形なり、形は山河なり。この山河は微なり、この微は妙なり、使用するに活鱍鱍なり。龍を作するに、禹門の内外にかかはれず。いまの一知わづかに使用するは、盡界山河を拈來し、盡力して知するなり。山河の親切にわが知なくは、一知半解あるべからず。分別思量のおそく來到するとなげくべからず。已曾分別なる佛佛、すでに現成しきたれり。曾無は已曾なり、已曾は現成なり。しかあればすなはち、曾無分別は、不逢一人なり。

 其照自妙、曾無毫忽之兆

 毫忽といふは盡界なり。しかあるに、自妙なり、自照なり。このゆゑに、いまだ將來せざるがごとし。目をあやしむことなかれ、耳を信ずべからず、直須旨外明宗、莫向言中取則(直に旨外に宗を明らむべし、言中に向つて則を取ること莫れ)なるは、照なり。このゆゑに無偶なり、このゆゑに無取なり。これを奇なりと住持しきたり、了なりと保任しきたるに、我却疑著(我れ却つて疑著せり)なり。

 水淸徹底兮、魚行遲遲

 水淸といふは、空にかかれる水は淸水に不徹底なり。いはんや器界に泓澄する、水淸の水にあらず。邊際に涯岸なき、これを徹底の淸水とす。うをもしこの水をゆくは行なきにあらず。行はいく萬程となくすすむといへども不測なり、不窮なり。はかる岸なし、うかむ空なし、しづむそこなきがゆゑに測度するたれなし。測度を論ぜんとすれば徹底の淸水のみなり。坐禪の功徳、かの魚行のごとし。千程萬程、たれか卜度せん。徹底の行程は、擧體の不行鳥道なり。

 空闊莫涯兮、鳥飛杳杳

 空闊といふは、天にかかれるにあらず。天にかかれる空は闊空にあらず。いはんや彼此に普遍なるは闊空にあらず。隱顯に表裏なき、これを闊空といふ。とりもしこの空をとぶは飛空の一法なり。飛空の行履、はかるべきにあらず。飛空は盡界なり、盡界飛空なるがゆゑに。この飛、いくそばくといふことしらずといへども、卜度のほかの道取を道取するに、杳杳と道取するなり。直須足下無絲去なり。空の飛去するとき、鳥も飛去するなり。鳥の飛去するに、空も飛去するなり。飛去を參究する道取にいはく、只在這裏なり。これ兀兀地の箴なり。いく萬程か只在這裏をきほひいふ。

 

 宏智禪師の坐禪箴かくのごとし。諸代の老宿のなかに、いまだいまのごとくの坐禪箴あらず。諸方の臭皮袋、もしこの坐禪箴のごとく道取せしめんに、一生二生のちからをつくすとも道取せんことうべからざるなり。いま諸方にみえず、ひとりこの箴のみあるなり。

 先師上堂の時、尋常に云く、宏智、古佛なり。自餘の漢を恁麼いふこと、すべてなかりき。知人の眼目あらんとき、佛祖をも知音すべきなり。まことにしりぬ、洞山に佛祖あることを。

 いま宏智禪師より後八十餘年なり、かの坐禪箴をみて、この坐禪箴を撰す。いま仁治三年壬寅三月十八日なり。今年より紹興二十七年十月八日にいたるまで、前後を算數するに、わづかに八十五年なり。いま撰する坐禪箴、これなり。

 坐禪箴

 佛佛要機、祖祖機要。

 (佛佛の要機、祖祖の機要)

 不思量而現、不囘互而成。

 (不思量にして現じ、不囘互にて成ず)

 不思量而現、其現自親。

 (不思量にして現ず、其の現自ら親なり)

 不囘互而成、其成自證。

 (不囘互にして成ず、其の成自ら證なり)

 其現自親、曾無染汚。

 (其の現自ら親なり、曾て染汚無し)

 其成自證、曾無正偏。

 (其の成自ら證なり、曾て正偏無し)

 曾無染汚之親、其親無委而脱落。

 (曾て染汚無きの親、其の親無にして脱落なり)

 曾無正偏之證、其證無圖而功夫。

 (曾て正偏無きの證、其の證無圖にして功夫なり)

 水淸徹地兮、魚行似魚。

 (水淸んで徹地なり、魚行いて魚に似たり)

 空闊透天兮、鳥飛如鳥。

 (空闊透天なり、鳥飛んで鳥の如し)

 宏智禪師の坐禪箴、それ道未是にあらざれども、さらにかくのごとく道取すべきなり。おほよそ佛祖の兒孫、かならず坐禪を一大事なりと參學すべし。これ單傳の正印なり。

 

正法眼藏坐禪箴第十二

 

 

正法眼藏第十三 海印三昧

 諸佛諸祖とあるに、かならず海印三昧なり。この三昧の游泳に、説時あり、證時あり、行時あり。海上行の功徳、その徹底行あり。これを深深海底行なりと海上行するなり。流浪生死を還源せしめんと願求する、是什麼心行にはあらず。從來の透關破節、もとより諸佛諸祖の面面なりといへども、これ海印三昧の朝宗なり。

 佛言、但以衆法、合成此身。起時唯法起、滅時唯法滅。此法起時、不言我起。此法滅時、不言我滅。

 前念後念、念念不相待。前法後法、法法不相對。是卽名爲海印三昧。

 (佛言はく、但衆法を以て此身を合成す。起時は唯法の起なり、滅時は唯法の滅なり。此の法起る時、我起ると言はず。此の法滅する時、我滅すと言はず。

 前念後念、念念不相待なり。前法後法、法法不相對なり。是れを卽ち名づけて海印三昧とす。)

 

 この佛道を、くはしく參學功夫すべし。得道入證はかならずしも多聞によらず、多語によらざるなり。多聞の廣學はさらに四句に得道し、恆沙の徧學、つひに一句偈に證入するなり。いはんやいまの道は、本覺を前途にもとむるにあらず、始覺を證中に拈來するにあらず。おほよそ本覺等を現成せしむるは佛祖の功徳なりといへども、始覺本覺等の諸覺を佛祖とせるにはあらざるなり。

 いはゆる海印三昧の時節は、すなはち但以衆法の時節なり、但以衆法の道得なり。このときを合成此身といふ。衆法を合成せる一合相、すなはち此身なり。此身を一合相とせるにあらず、衆法合成なり。合成此身を此身と道得せるなり。

 起時唯法起。この法起、かつて起をのこすにあらず。このゆゑに、起は知覺にあらず、知見にあらず、これを不言我起といふ。我起を不言するに、別人は此法起と見聞覺知し、思量分別するにはあらず。さらに向上の相見のとき、まさに相見の落便宜あるなり。起はかならず時節到來なり、時は起なるがゆゑに。いかならんかこれ起なる、起也なるべし。

 すでにこれ時なる起なり。皮肉骨髓を獨露せしめずといふことなし。起すなはち合成の起なるがゆゑに、起の此身なる、起の我起なる、但以衆法なり。聲色と見聞するのみにあらず、我起なる衆法なり、不言なる我起なり。不言は不道にはあらず、道得は言得にあらざるがゆゑに、起時は此法なり、十二時にあらず。此法は起時なり、三界の競起にあらず。

 古佛いはく、忽然火起。この起の相待にあらざるを、火起と道取するなり。

 古佛いはく、起滅不停時如何(起滅不停の時如何)。

 しかあれば、起滅は我我起、我我滅なるに不停なり。この不停の道取、かれに一任して辨肯すべし。この起滅不停時を佛祖の命脈として斷續せしむ。起滅不停時は是誰起滅(是れ誰が起滅ぞ)なり。是誰起滅は、應以此身得度者なり、卽現此身なり、而爲説法なり。過去心不可得なり、汝得吾髓なり、汝得吾骨なり。是誰起滅なるゆゑに。

 此法滅時、不言我滅。まさしく不言我滅のときは、これ此法滅時なり。滅は法の滅なり。滅なりといへども法なるべし。法なるゆゑに客塵にあらず、客塵にあらざるゆゑに不染汚なり。ただこの不染汚、すなはち諸佛諸祖なり。汝もかくのごとしといふ、たれか汝にあらざらん。前念後念あるはみな汝なるべし。吾もかくのごとしといふ、たれか吾にあらざらん。前念後念はみな吾なるがゆゑに。この滅に多般の手眼を莊嚴せり。いはゆる無上大涅槃なり、いはゆる謂之死(之を死と謂ふ)なり、いはゆる執爲斷(執して斷と爲す)なり、いはゆる爲所住(所住と爲す)なり。いはゆるかくのごとくの許多手眼、しかしながら滅の功徳なり。滅の我なる時節に不言なると、起の我なる時節に不言なるとは、不言の同生ありとも、同死の不言にはあらざるべし。すでに前法の滅なり、後法の滅なり。法の前念なり、法の後念なり。爲法の前後法なり、爲法の前後念なり。不相待は爲法なり、不相待は法爲なり。不相對ならしめ、不相待ならしむるは八九成の道得なり。滅の四大五蘊を手眼とせる、拈あり收あり。滅の四大五蘊を行程とせる、進歩あり相見あり。このとき、通身是手眼、還是不足なり。遍身是手眼、還是不足なり。

 おほよそ滅は佛祖の功徳なり。いま不相對と道取あり、不相待と道取あるは、しるべし、起は初中後起なり。官不容針、私通車馬(官には針を容れず、私に車馬を通ず)なり。滅を初中後に相待するにあらず、相對するにあらず。從來の滅處に忽然として起法すとも、滅の起にはあらず、法の起なり。法の起なるゆゑに不對待相なり。また滅と滅と相待するにあらず、相對するにあらず。滅も初中後滅なり、相逢不拈出、擧意便知有(相逢ふては拈出せず、意を擧すれば便ち有ることを知る)なり。從來の起處に忽然として滅すとも、起の滅にあらず、法の滅なり。法の滅なるがゆゑに不相對待なり。たとひ滅の是卽にもあれ、たとひ起の是卽にもあれ、但以海印三昧、名爲衆法なり。是卽の修證はなきにあらず、只此不染汚、名爲海印三昧なり。

 三昧は現成なり、道得なり。背手摸枕子の夜間なり。夜間のかくのごとく背手摸枕子なる、摸枕子は億億萬劫のみにあらず、我於海中、唯常宣説妙法華經なり。不言我起なるがゆゑに我於海中なり。前面も一波纔動萬波隨なる常宣説なり、後面も萬波纔動一波隨の妙法華經なり。たとひ千尺萬尺の絲綸を卷舒せしむとも、うらむらくはこれ直下垂なることを。いはゆるの前面後面は我於海面なり。前頭後頭といはんがごとし。前頭後頭といふは頭上安頭なり。海中は有人にあらず、我於海は世人の住處にあらず、聖人の愛處にあらず。我於ひとり海中にあり。これ唯常の宣説なり。この海中は中間に屬せず、内外に屬せず、鎭常在説法華經なり。東西南北に不居なりといへども、滿船空載月明歸(滿船空しく月明を載せて歸る)なり。この實歸は便歸來なり。たれかこれを滯水の行履なりといはん。ただ佛道の劑限に現成するのみなり。これを印水の印とす。さらに道取す、印空の印なり。さらに道取す、印泥の印なり。印水の印、かならずしも印海の印にはあらず、向上さらに印海の印なるべし。これを海印といひ、水印といひ、泥印といひ、心印といふなり。心印を單傳して印水し、印泥し、印空するなり。

 

 曹山元證大師、因僧問、承教有言、大海不宿死屍、如何是海(承る教に言へること有り、大海死屍を宿せずと。如何なるか是れ海)。

 師云、包含萬有。

 僧云、爲什麼不宿死屍(什麼と爲てか死屍を宿せざる)。

 師云く、絶氣者不著。

 僧曰く、既是包含萬有、爲什麼絶氣者不著(既に是れ包含萬有、什麼と爲てか絶氣の者不著なる)。

 師云く、萬有非其功絶氣(萬有、その功、絶氣に非ず)。

 この曹山は、雲居の兄弟なり。洞山の宗旨、このところに正的なり。いま承教有言といふは、佛祖の正教なり。凡聖の教にあらず、附佛法の小教にあらず。

 大海不宿死屍。いはゆる大海は、内海外海等にあらず、八海等にはあらざるべし。これらは學人のうたがふところにあらず。海にあらざるを海と認ずるのみにあらず、海なるを海と認ずるなり。たとひ海と強爲すとも、大海といふべからざるなり。大海はかならずしも八功徳水の重淵にあらず、大海はかならずしも鹹水等の九淵にあらず。衆法は合成なるべし。大海かならずしも深水のみにてあらんや。このゆゑに、いかなるか海と問著するは、大海のいまだ人天にしられざるゆゑに、大海を道著するなり。これを問著せん人は、海執を動著せんとするなり。

 不宿死屍といふは、不宿は明頭來明頭打、暗頭來暗頭打なるべし。死屍は死灰なり、幾度逢春不變心(幾度か春に逢ふも心を變ぜず)なり。死屍といふは、すべて人人いまだみざるものなり。このゆゑにしらざるなり。

 師いはく包含萬有は、海を道著するなり。宗旨の道得するところは、阿誰なる一物の萬有を包含するといはず、包含、萬有なり。大海の萬有を包含するといふにあらず。包含萬有を道著するは、大海なるのみなり。なにものとしれるにあらざれども、しばらく萬有なり。佛面祖面と相見することも、しばらく萬有を錯認するなり。包含のときは、たとひ山なりとも高高峰頭立のみにあらず。たとひ水なりとも深深海底行のみにあらず。收はかくのごとくなるべし、放はかくのごとくなるべし。佛性海といひ、毘盧藏海といふ、ただこれ萬有なり。海面みえざれども、游泳の行履に疑著する事なし。

 たとへば、多福一叢竹を道取するに、一莖兩莖曲なり。三莖四莖斜なるも、萬有を錯失せしむる行履なりとも、なにとしてかいまだいはざる、千曲萬曲なりと。なにとしてかいはざる、千叢萬叢なりと。一叢の竹、かくのごとくある道理、わすれざるべし。曹山の包含萬有の道著、すなはちなほこれ萬有なり。

 僧のいはく爲什麼絶氣者不著は、あやまりて疑著の面目なりといふとも、是什麼心行なるべし。從來疑著這漢なるときは、從來疑著這漢に相見するのみなり。什麼處在に爲什麼絶氣者不著なり。爲什麼不宿死屍なり。這頭にすなはち既是包含萬有、爲什麼絶氣者不著なり。しるべし、包含は著にあらず、包含は不宿なり。萬有たとひ死屍なりとも、不宿の直須萬年なるべし。不著の這老僧一著子なるべし。

 曹山の道すらく萬有非其功絶氣。いはゆるは、萬有はたとひ絶氣なりとも、たとひ不絶氣なりとも、不著なるべし。死屍たとひ死屍なりとも、萬有に同參する行履あらんがごときは包含すべし、包含なるべし。萬有なる前程後程、その功あり、これ絶氣にあらず。いはゆる一盲引衆盲なり。一盲引衆盲の道理は、さらに一盲引一盲なり、衆盲引衆盲なり。衆盲引衆盲なるとき、包含萬有、包含于包含萬有なり。さらにいく大道にも萬有にあらざる、いまだその功夫現成せず、海印三昧なり。

 

正法眼藏海印三昧第十三

 

 仁治三年壬寅孟夏二十日記于觀音導利興聖寶林寺

 寛元元年癸卯書寫之 懷弉

 

正法眼藏第十四 空華

 高祖道、一花開五葉、結果自然成。

 この華開の時節、および光明色相を參學すべし。一華の重は五葉なり、五葉の開は一華なり。一華の道理の通ずるところ、吾本來此土、傳法救迷情なり。光色の尋處は、この參學なるべきなり。結果任儞結果なり、自然成をいふ。自然成といふは、修因感果なり。公界の因あり、公界の果あり。この公界の因果を修し、公界の因果を感ずるなり。自は己なり、己は必定これ儞なり、四大五蘊をいふ。使得無位眞人のゆゑに、われにあらず、たれにあらず。このゆゑに不必なるを自といふなり。然は聽許なり。自然成すなはち華開結果の時節なり、傳法救迷の時節なり。たとへば、優鉢羅華の開敷の時處は、火裏火時なるがごとし。鑽火焰火みな優鉢羅華の開敷處なり、開敷時なり。もし優鉢羅華の時處にあらざれば、一星火の出生するなし、一星火の活計なきなり。しるべし、一星火に百千朶の優鉢羅花ありて、空に開敷し、地に開敷するなり。過去に開敷し、現在に開敷するなり。火の現時現處を見聞するは、優鉢羅花を見聞するなり。優鉢羅華の時處をすごさず見聞すべきなり。

 古先いはく、優鉢羅華火裏開。

 しかあれば、優鉢羅華はかならず火裏に開敷するなり。火裏をしらんとおもはば、優鉢羅華開敷のところなり。人見天見を執して、火裏をならはざるべからず。疑著せんことは、水中に蓮花の生ぜるも疑著しつべし。枝條に諸華あるをも疑著しつべし。又疑著すべくは、器世間の安立も疑著しつべし。しかあれども疑著せず。佛祖にあらざれば花開世界起をしらず。華開といふは、前三三後三三なり。この員數を具足せんために、森羅をあつめていよよかにせるなり。

 この道理を到來せしめて、春秋をはかりしるべし。ただ春秋に華果あるにあらず、有時かならず花果あるなり。華果ともに時節を保任せり、時節ともに花果を保任せり。このゆゑに百草みな華果あり、諸樹みな華果あり。金銀銅鐵珊瑚頗梨樹等、みな華果あり。地水火風空樹みな花果あり。人樹に花あり、人花に花あり、枯木に花あり。かくのごとくあるなかに、世尊道、虛空華あり。

 しかあるを、少聞少見のともがら、空華の彩光葉華いかなるとしらず、わづかに空華と聞取するのみなり。しるべし、佛道に空華の談あり、外道は空華の談をしらず、いはんや覺了せんや。ただし、諸佛諸祖、ひとり空華地華の開落をしり、世界華等の開落をしれり。空華地華世界花等の經典なりとしれり。これ學佛の規矩なり。佛祖の所乘は空華なるがゆゑに、佛世界および諸佛法、すなはちこれ空華なり。

 しかあるに、如來道の翳眼所見は空華とあるを傳聞する凡愚おもはくは、翳眼といふは、衆生の顚倒のまなこをいふ。病眼すでに顚倒なるゆゑに、淨虛空に空花を見聞するなりと消息す。この理致を執するによりて、三界六道、有佛無佛、みなあらざるをありと妄見するとおもへり。この迷妄の眼翳もしやみなば、この空華みゆべからず。このゆゑに空本無華と道取すると活計するなり。あはれむべし、かくのごとくのやから、如來道の空華の時節始終をしらず。諸佛道の翳眼空華の道理、いまだ凡夫外道の所見にあらざるなり。諸佛如來、この空華を修行して衣座室をうるなり、得道得果するなり。拈華し瞬目する、みな翳眼空花の現成する公案なり。正法眼藏涅槃妙心いまに正傳して斷絶せざるを翳眼空華といふなり。菩提涅槃、法身自性等は、空華の開五葉の兩三葉なり。

 釋迦牟尼佛言、亦如翳人、見空中華、翳病若除、華於空滅(また翳人の空中の華を見るが如し、翳病若し除こほれば、華空に滅す)。

 この道著、あきらむる學者いまだあらず。空をしらざるがゆゑに空華をしらず、空華をしらざるがゆゑに翳人をしらず、翳人をみず、翳人にあはず、翳人ならざるなり。翳人と相見して、空華をもしり、空華をもみるべし。空華をみてのちに、華於空滅をもみるべきなり。ひとたび空花やみなば、さらにあるべからずとおもふは、小乘の見解なり。空華みえざらんときは、なににてあるべきぞ。ただ空花は所捨となるべしとのみしりて、空花ののちの大事をしらず、空華の種熟脱をしらず。

 いま凡夫の學者、おほくは陽氣のすめるところ、これ空ならんとおもひ、日月星辰のかかれるところを空ならんとおもへるによりて假令すらくは、空華といはんは、この淸氣のなかに、浮雲のごとくして、飛花の風にふかれて東西し、および昇降するがごとくなる彩色のいできたらんずるを、空花といはんずるとおもへり。能造所造の四大、あはせて器世間の諸法、ならびに本覺本性等を空花といふとは、ことにしらざるなり。又諸法によりて能造の四大等ありとしらず、諸法によりて器世間は住法位なりとしらず、器世間によりて諸法ありとばかり知見するなり。眼翳によりて空花ありとのみ覺了して、空花によりて眼翳あらしむる道理を覺了せざるなり。

 しるべし、佛道の翳人といふは本覺人なり、妙覺人なり、諸佛人なり、三界人なり、佛向上人なり。おろかに翳を妄法なりとして、このほかに眞法ありと學することなかれ。しかあらんは小量の見なり。翳花もし妄法ならんは、これを妄法と邪執する能作所作、みな妄法なるべし。ともに妄法ならんがごときは、道理の成立すべきなし。成立する道理なくは、翳華の妄法なること、しかあるべからざるなり。悟の翳なるには、悟の衆法、ともに翳莊嚴の法なり。迷の翳なるには、迷の衆法、ともに翳莊嚴の法なり。しばらく道取すべし、翳眼平等なれば空花平等なり、翳眼無生なれば空華無生なり、諸法實相なれば翳花實相なり。過現來を論ずべからず、初中後にはかかはれず。生滅に罣礙せざるゆゑに、よく生滅をして生滅せしむるなり。空中に生じ、空中に滅す。翳中に生じ、翳中に滅す。華中に生じ、花中に滅す。乃至諸餘の時處もまたまたかくのごとし。

 空華を學せんこと、まさに衆品あるべし。翳眼の所見あり、明眼の所見あり。佛眼の所見あり、祖眼の所見あり。道眼の所見あり、瞎眼の所見あり。三千年の所見あり、八百年の所見あり。百劫の所見あり、無量劫の所見あり。これらともにみな空花をみるといへども、空すでに品品なり、華また重重なり。

 まさにしるべし、空は一草なり、この空かならず花さく、百草に花さくがごとし。この道理を道取するとして、如來道は空本無華と道取するなり。本無花なりといへども、今有花なることは、桃李もかくのごとし、梅柳もかくのごとし。梅昨無華、梅春有華と道取せんがごとし。しかあれども、時節到來すればすなはちはなさく花時なるべし、花到來なるべし。この花到來の正當恁麼時、みだりなることいまだあらず。

 梅柳の花はかならず梅柳にさく。花をみて梅柳をしる、梅柳をみて花をわきまふ。桃李の花いまだ梅柳にさくことなし。梅柳の花は梅柳にさき、桃李の花は桃李にさくなり。空花の空にさくも、またまたかくのごとし。さらに餘草にさかず、餘樹にさかざるなり。空花の諸色をみて、空菓の無窮なるを測量するなり。空花の開落をみて、空花の春秋を學すべきなり。空花の春と餘花の春と、ひとしかるべきなり。空花のいろいろなるがごとく、春時もおほかるべし。このゆゑに古今の春秋あるなり。空花は實にあらず、餘花はこれ實なりと學するは、佛教を見聞せざるものなり。空本無華の説をききて、もとよりなかりつる空花のいまあると學するは、短慮少見なり。進歩して遠慮あるべし。

 祖師いはく、華亦不曾生。この宗旨の現成、たとへば華亦不曾生、花亦不曾滅なり。花亦不曾花なり、空亦不曾空の道理なり。華時の前後を胡亂して、有無の戲論あるべからず。華はかならず諸色にそめたるがごとし、諸色かならずしも華にかぎらず。諸時また靑黄赤白等のいろあるなり。春は花をひく、華は春をひくものなり。

 

 張拙秀才は、石霜の俗弟子なり。悟道の頌をつくるにいはく、

 光明寂照遍河沙(光明寂照、河沙に遍し)。

 この光明、あらたに僧堂佛殿廚庫山門を現成せり。遍河沙は光明現成なり、現成光明なり。

 凡聖含靈共我家(凡聖含靈、共に我が家)。

 凡夫賢聖なきにあらず、これによりて凡夫賢聖を謗ずることなかれ。

 一念不生全體現(一念不生にして全體現ず)。

 念念一一なり。これはかならず不生なり、これ全體全現なり。このゆゑに一念不生と道取す。

 六根纔動被雲遮(六根纔かに動ずれば雲に遮へらる)。

 六根はたとひ眼耳鼻舌身意なりとも、かならずしも二三にあらず、前後三三なるべし。動は如須彌山なり、如大地なり、如六根なり、如纔動なり。動すでに如須彌山なるがゆゑに、不動また如須彌山なり。たとへば、雲をなし水をなすなり。

 斷除煩惱重増病(煩惱を斷除すれば重ねて病を増す)。

 從來やまふなきにあらず、佛病祖病あり。いまの智斷は、やまふをかさね、やまふをます。斷除の正當恁麼時、かならずそれ煩惱なり。同時なり、不同時なり。煩惱かならず斷除の法を帶せるなり。

 趣向眞如亦是邪(眞如に趣向するも亦た是れ邪なり)。

 眞如を背する、これ邪なり。眞如に向する、これ邪なり。眞如は向背なり、向背の各各にこれ眞如なり。たれかしらん、この邪の亦是眞如なることを。

 隨順世緣無罣礙(世緣に隨順して罣礙無し)。

 世緣と世緣と隨順し、隨順と隨順と世緣なり。これを無罣礙といふ。罣礙不罣礙は、被眼礙に慣習すべきなり。

 涅槃生死是空華(涅槃と生死と是れ空華)。

 涅槃といふは、阿耨多羅三藐三菩提なり。佛祖および佛祖の弟子の所住これなり。生死は眞實人體なり。この涅槃生死は、その法なりといへども、これ空花なり。空華の根莖枝葉、花果光色、ともに空花の花開なり。空花かならず空菓をむすぶ、空種をくだすなり。いま見聞する三界は、空花の五葉開なるゆゑに不如三界、見於三界なり。この諸法實相なり、この諸法華相なり。乃至不測の諸法、ともに空花空果なり、梅柳桃李とひとしきなりと參學すべし。

 

 大宋國福州芙蓉山靈訓禪師、初參歸宗寺至眞禪師問、如何是佛(大宋國福州芙蓉山靈訓禪師、初め歸宗寺の至眞禪師に參じて問ふ、如何ならんか是れ佛)。

 歸宗云、我向汝道、汝還信否(我れ汝に向つて道はんに、汝また信ずるや否や)。

 師云、和尚誠言、何敢不信(和尚の誠言、何ぞ敢て信ぜざらん)。

 歸宗云、卽汝便是(卽ち汝便ち是なり)。

 師云、如何保任(如何が保任せん)。

 歸宗云、一翳在眼、空花亂墜(一翳眼に在れば、空花亂墜す)。

 いま歸宗道の一翳在眼空花亂墜は、保任佛の道取なり。しかあればしるべし、翳花の亂墜は諸佛の現成なり、眼空の花果は諸佛の保任なり。翳をもて眼を現成せしむ、眼中に空花を現成し、空花中に眼を現成せり。空花在眼、一翳亂墜。一眼在空、衆翳亂墜なるべし。ここをもて、翳也全機現、眼也全機現、空也全機現、花也全機現なり。亂墜は千眼なり、通身眼なり。おほよそ一眼の在時在處、かならず空花あり、眼花あるなり。眼花を空花とはいふ、眼花の道取、かならず開明なり。このゆゑに、

 

 瑯山廣照大師いはく、奇哉十方佛、元是眼中花。欲識眼中花、元是十方佛。欲識十方佛、不是眼中華。欲識眼中花、不是十方佛。於此明得、過在十方佛、若未明得、聲聞作舞、獨覺臨粧(奇なる哉十方佛、元より是れ眼中の花なり。眼中の花を識らんと欲はば、元是れ十方佛なり。十方佛を識らんと欲はば、是れ眼中華にあらず。眼中花を識らんと欲はば、是れ十方佛にあらず。此に於て明得すれば、過十方佛に在り。若し未だ明得せずは、聲聞作舞し、獨覺臨粧す)。

 しるべし、十方佛の實ならざるにあらず、もとこれ眼中花なり。十方諸佛の住位せるところは眼中なり、眼中にあらざれば諸佛の住處にあらず。眼中花は、無にあらず有にあらず、空にあらず實にあらず、おのづからこれ十方佛なり。いまひとへに十方諸佛と欲識すれば眼中花にあらず、ひとへに眼中花と欲識すれば十方諸佛にあらざるがごとし。かくのごとくなるゆゑに、明得未明得、ともに眼中花なり、十方佛なり。欲識および不是、すなはち現成の奇哉なり、大奇なり。

 佛佛祖祖の道取する、空華地華の宗旨、それ恁麼の逞風流なり。空華の名字は經師論師もなほ聞及すとも、地華の命脈は、佛祖にあらざれば見聞の因緣あらざるなり。

 地花の命脈を知及せる佛祖の道取あり。

 

 大宋國石門山の慧徹禪師は、梁山下の尊宿なり。ちなみに僧ありてとふ、如何是山中寶(如何ならんか是れ山中の寶)。

 この問取の宗旨は、たとへば、如何是佛(如何ならんか是れ佛)と問取するにおなじ、如何是道と問取するがごとくなり。

 師いはく、空華從地發、蓋國買無門無(空華地より發け、蓋國買ふに門無し)。

 この道取、ひとへに自餘の道取に準的すべからず。よのつねの諸方は、空花の空花を論ずるには、於空に生じてさらに於空に滅するとのみ道取す。從空しれる、なほいまだあらず。いはんや從地としらんや。ただひとり石門のみしれり。從地といふは、初中後つひに從地なり。發は開なり。この正當恁麼のとき、從盡大地發なり、從盡大地開なり。

 蓋國買無門は、蓋國買はなきにあらず、買無門なり。從地發の空華あり、從花開の盡地あり。

 しかあればしるべし、空華は、地空ともに開發せしむる宗旨なり。

 

正法眼藏空華第十四

 

 爾時寛元元年癸卯三月十日在觀音導利興聖寶林寺示衆

 

 

正法眼藏第十五 光明

 大宋國湖南長沙招賢大師、上堂示衆云、

 盡十方界、是沙門眼。

 (盡十方界、是れ沙門の眼)

 盡十方界、是沙門家常語。

 (盡十方界、是れ沙門の家常語)

 盡十方界、是沙門全身。

 (盡十方界、是れ沙門の全身)

 盡十方界、是自己光明。

 (盡十方界、是れ自己の光明)

 盡十方界、自己在光明裏。

 (盡十方界、自己の光明裏に在り)

 盡十方界、無一人不是自己。

 (盡十方界、一人として是れ自己にあらざる無し)

 佛道の參學、かならず勤學すべし。轉疎轉遠なるべからず。これによりて光明を學得せる作家、まれなるものなり。

 震旦國、後漢の孝明皇帝、帝諱は莊なり、廟號は顯宗皇帝とまうす。光武皇帝の第四の御子なり。孝明皇帝の御宇、永平十年戊辰のとし、摩騰迦、竺法蘭、はじめて佛教を漢國に傳來す。焚經臺のまへに道士の邪徒を降伏し、諸佛の神力をあらはす。それよりのち、梁武帝の御宇、普通年中にいたりて、初祖みづから西天より南海の廣州に幸す。これ正法眼藏正傳の嫡嗣なり、釋迦牟尼佛より二十八世の法孫なり。ちなみに嵩山の少室峰少林寺に掛錫しまします。法を二祖太祖禪師に正傳せりし、これ佛祖光明の親曾なり。それよりさきは佛祖の光明を見聞せるなかりき、いはんや自己の光明をしれるあらんや。たとひその光明は頂𩕳より擔來して相逢すといへども、自己の眼睛に參學せず。このゆゑに、光明の長短方圓をあきらめず、光明の卷舒斂放をあきらめず。光明の相逢を猒却するゆゑに、光明と光明と轉疎轉遠なり。この疎遠たとひ光明なりとも、疎遠に罣礙せらるるなり。

 轉疎轉遠の臭皮袋おもはくは、佛光も自己光明も、赤白靑黄にして火光水光のごとく、珠光玉光のごとく、龍天の光のごとく、日月の光のごとくなるべしと見解す。或從知識し、或從經卷すといへども、光明の言教をきくには、螢光のごとくならんとおもふ、さらに眼睛頂𩕳の參學にあらず。漢より隋唐宋および而今にいたるまで、かくのごとくの流類おほきのみなり。文字の法師に習學することなかれ、禪師胡亂の説、きくべからず。

 いはゆる佛祖の光明は盡十方界なり、盡佛盡祖なり、唯佛與佛なり。佛光なり、光佛なり。佛祖は佛祖を光明とせり。この光明を修證して、作佛し、坐佛し、證佛す。このゆゑに、此光照東方萬八千佛土の道著あり。これ話頭光なり。此光は佛光なり、照東方は東方照なり。東方は彼此の俗論にあらず、法界の中心なり、拳頭の中央なり。東方を罣礙すといへども、光明の八兩なり。此土に東方あり、他土に東方あり、東方に東方ある宗旨を參學すべし。萬八千といふは、萬は半拳頭なり、半卽心なり。かならずしも十千にあらず、萬萬百萬等にあらず。佛土といふは、眼睛裡なり。照東方のことばを見聞して、一條白練去を東方へひきわたせらんがごとくに憶想參學するは學道にあらず。盡十方界は東方のみなり、東方を盡十方界といふ。このゆゑに盡十方界あるなり。盡十方界と開演する話頭すなはち萬八千佛土の聞聲するなり。

 

 唐憲宗皇帝は、穆宗、宣宗、兩皇帝の帝父なり。敬宗、文宗、武宗、三皇帝の祖父なり。佛舍利を拜請して、入内供養のちなみに、夜放光明あり。皇帝大悅し、早朝の群臣、みな賀表をたてまつるにいはく、陛下の聖徳聖感なり。

 ときに一臣あり、韓愈文公なり。字は退之といふ。かつて佛祖の席末に參學しきたれり。文公ひとり賀表せず。

 憲宗皇帝宣問す、群臣みな賀表をたてまつる、卿なんぞ賀表せざる。

 文公奏對す、微臣かつて佛書をみるにいはく、佛光は靑黄赤白にあらず。いまのこれ龍神衞護の光明なり。

 皇帝宣問す、いかにあらんかこれ佛光なる。

 文公無對なり。

 いまこの文公、これ在家の士俗なりといへども、丈夫の志氣あり。囘天轉地の材といひぬべし。かくのごとく參學せん、學道の初心なり。不如是學は非道なり。たとひ講經して天花をふらすとも、いまだこの道理にいたらずは、いたづらの功夫なり。たとひ十聖三賢なりとも、文公と同口の長舌を保任せんとき、發心なり修證なり。

 しかありといへども、韓文公なほ佛書を見聞せざるところあり。いはゆる佛光非靑黄赤白等の道、いかにあるべしとか學しきたれる。卿もし靑黄赤白をみて佛光にあらずと參學するちからあらば、さらに佛光をみて靑黄赤白とすることなかれ。憲宗皇帝もし佛祖ならんには、かくのごとくの宣問ありぬべし。

 しかあれば明明の光明は百草なり。百草の光明、すでに根莖枝葉、花菓光色、いまだ與奪あらず。五道の光明あり、六道の光明あり。這裏是什麼處在なればか、説光説明する。云何忽生山河大地なるべし。長沙道の盡十方界、是自己光明の道取を審細に參學すべきなり。光明、自己、盡十方界を參學すべきなり。

 生死去來は光明の去來なり。超凡越聖は、光明の藍朱なり。作佛作祖は、光明の玄黄なり。修證はなきにあらず、光明の染汚なり。草木牆壁、皮肉骨髓、これ光明の赤白なり。烟霞水石、鳥道玄路、これ光明の廻環なり。自己の光明を見聞するは、値佛の證驗なり、見佛の證驗なり。盡十方界は是自己なり。是自己は盡十方界なり。廻避の餘地あるべからず。たとひ廻避の地ありとも、これ出身の活路なり。而今の髑髏七尺、すなはち盡十方界の形なり、象なり。佛道に修證する盡十方界は、髑髏形骸、皮肉骨髓なり。

 

 雲門山大慈雲匡眞大師は、如來世尊より三十九世の兒孫なり。法を雪峰眞覺大師に嗣す。佛衆の晩進なりといへども、祖席の英雄なり。たれか雲門山に光明佛の未曾出世と道取せん。

 あるとき、上堂示衆云、人人盡有光明在、看時不見暗昏昏、作麼生是諸人光明在(人人盡く光明の在る有り、看る時見ず暗昏昏なり。作麼生ならんか是れ諸人の光明在ること)。

 衆無對(衆、對ふること無し)。

 自代云(自ら代て云く)、僧堂佛殿廚庫三門。

 いま大師道の人人盡有光明在は、のちに出現すべしといはず、往世にありしといはず、傍觀の現成といはず。人人、自有、光明在と道取するを、あきらかに聞持すべきなり。百千の雲門をあつめて同參せしめ、一口同音に道取せしむるなり。人人、盡有、光明在は、雲門の自構にあらず、人人の光明みづから拈光爲道なり。人人盡有光明とは、渾人自是光明在なり。光明といふは人人なり。光明を拈得して、依報正報とせり。光明盡有人人在なるべし、光明自是人人在なり、人人自有人人在なり、光光自有光光在なり、有有盡有有有在なり、盡盡有有盡盡在なり。

 しかあればしるべし、人人盡有の光明は、現成の人人なり。光光、盡有の人人なり。しばらく雲門にとふ、なんぢなにをよんでか人人とする、なにをよんでか光明とする。

 雲門みづからいはく、作麼生是光明在。

 この問著は、疑殺話頭の光明なり。しかあれども、恁麼道著すれば、人人、光光なり。

 ときに衆無對。

 たとひ百千の道得ありとも、無對を拈じて道著するなり。これ佛祖使用傳の正法眼藏涅槃妙心なり。

 雲門自代云、僧堂佛殿廚庫三門。

 いま道取する自代は、雲門に自代するなり、大衆に自代するなり、光明に自代するなり。僧堂佛殿廚庫三門に自代するなり。しかあれども、雲門なにをよんでか僧堂佛殿廚庫三門とする。大衆および人人をよんで僧堂佛殿廚庫三門とすべからず。いくばくの僧堂佛殿廚庫三門かある。雲門なりとやせん、七佛なりとやせん。四七なりとやせん、二三なりとやせん。拳頭なりとやせん、鼻孔なりとやせん。いはくの僧堂佛殿廚庫三門、たとひいづれの佛祖なりとも、人人をまぬかれざるものなり。このゆゑに人人にあらず。しかありしよりこのかた、有佛殿の無佛なるあり、無佛殿の無佛なるあり。有光佛あり、無光佛あり。無佛光あり、有佛光あり。

 

 雪峰山眞覺大師、示衆云、僧堂前、與諸人相見了也(僧堂前に、諸人と相見し了れり)。

 これすなはち雪峰の通身是眼睛時なり、雪峰の雪峰を覰見する時節なり。僧堂の僧堂と相見するなり。

 保福、擧問鵞湖、僧堂前且置、什麼處望州亭、烏石嶺相見(保福、擧して鵞湖に問ふ、僧堂前は且く置く、什麼の處か望州亭、烏石嶺の相見なる)。

 鵞湖、驟歩歸方丈(鵞湖、驟歩して方丈に歸る)。

 保福、便入僧堂(保福便ち僧堂に入る)。

 いま歸方丈、入僧堂、これ話頭出身なり。相見底の道理なり、相見了也僧堂なり。

 

 地藏院眞應大師云、典座入庫堂(典座庫堂に入る)。

 この話頭は、七佛已前事なり。

 

正法眼藏光明第十五

 

 仁治三年壬寅夏六月二日夜、三更四點、示衆于觀音導利興聖寶林寺。于時梅雨霖霖、簷頭滴滴。作麼生是光明在。大家未免雲門道覰破

 寛元甲辰臘月中三日在越州大佛寺之侍司書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第十六 行持 上

 佛祖の大道、かならず無上の行持あり。道環して斷絶せず、發心修行、菩提涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。このゆゑに、みづからの強爲にあらず、他の強爲にあらず、不曾染汚の行持なり。

 この行持の功徳、われを保任し、他を保任す。その宗旨は、わが行持、すなはち十方の匝地漫天みなその功徳をかうむる。他もしらず、われもしらずといへども、しかあるなり。このゆゑに、諸佛諸祖の行持によりてわれらが行持見成し、われらが大道通達するなり。われらが行持によりて諸佛の行持見成し、諸佛の大道通達するなり。われらが行持によりて、この道環の功徳あり。これによりて、佛佛祖祖、佛住し、佛非し、佛心し、佛成じて斷絶せざるなり。この行持によりて日月星辰あり、行持によりて大地虛空あり、行持によりて依正身心あり、行持によりて四大五蘊あり。行持これ世人の愛處にあらざれども、諸人の實歸なるべし。過去現在未來の諸佛の行持によりて、過去現在未來の諸佛は現成するなり。その行持の功徳、ときにかくれず、かるがゆゑに發心修行す。その功徳、ときにあらはれず、かるがゆゑに見聞覺知せず。あらはれざれども、かくれずと參學すべし。隱顯存沒に染汚せられざるがゆゑに、われを見成する行持、いまの當隱に、これいかなる緣起の諸法ありて行持すると不會なるは、行持の會取、さらに新條の特地にあらざるによりてなり。緣起は行持なり、行持は緣起せざるがゆゑにと、功夫參學を審細にすべし。かの行持を見成する行持は、すなはちこれわれらがいまの行持なり。行持のいまは自己の本有元住にあらず、行持のいまは自己に去來出入するにあらず。いまといふ道は、行持よりさきにあるにはあらず、行持現成するをいまといふ。

 しかあればすなはち、一日の行持、これ諸佛の種子なり、諸佛の行持なり。この行持に諸佛見成せられ、行持せらるるを、行持せざるは、諸佛をいとひ、諸佛を供養せず、行持をいとひ、諸佛と同生同死せず、同學同參せざるなり。いまの花開葉落、これ行持の見成なり。磨鏡破鏡、それ行持にあらざるなし。このゆゑに行持をさしおかんと擬するは、行持をのがれんとする邪心をかくさんがために、行持をさしおくも行持なるによりて、行持におもむかんとするは、なほこれ行持をこころざすににたれども、眞父の家郷に寶財をなげすてて、さらに他國跰の窮子となる。跰のときの風水、たとひ身命を喪失せしめずといふとも、眞父の寶財なげすつべきにあらず。眞父の法財なほ失誤するなり。このゆゑに、行持はしばらくも懈倦なき法なり。

 

 慈父大師釋迦牟尼佛、十九歳の佛壽より、深山に行持して、三十歳の佛壽にいたりて、大地有情同時成道の行持あり。八旬の佛壽にいたるまで、なほ山林に行持し、精藍に行持す。王宮にかへらず、國利を領ぜず、布僧伽梨を衣持し、在世に一經するに互換せず、一盂在世に互換せず。一時一日も獨處することなし。人天の閑供養を辭せず、外道の訕謗を忍辱す。おほよそ一化は行持なり、淨衣乞食の佛儀、しかしながら行持にあらずといふことなし。

 

 第八摩訶迦葉尊者は、釋尊の嫡嗣なり。生前もはら十二頭陀を行持して、さらにおこたらず。十二頭陀といふは、

 一者不受人請、日行乞食。亦不受比丘僧一飯食分錢財(一つには人の請を受けず、日に乞食を行ず。亦比丘僧の一飯食分の錢財を受けず)。

 二者止宿山上、不宿人舍郡縣聚落(二つには山上に止宿して、人舍郡縣聚落に宿せず)。

 三者不得從人乞衣被、人與衣被亦不受。但取丘塚間死人所棄衣、補治衣之(三つには人に從つて衣被を乞ふことを得ず、人の與ふる衣被をも亦受けず。但丘塚間の、死人の棄つる所の衣を取つて、補治して之を衣る)。

 四者止宿野田中樹下(四つには野田の中の樹下に止宿す)。

 五者一日一食。一名僧迦僧泥(五つには一日に一食す。一は僧迦僧泥と名づく)。

 六者晝夜不臥、但坐睡經行。一名僧泥沙者傴(六つには晝夜不臥なり、但坐睡經行す。一は僧泥沙者傴と名づく)。

 七者有三領衣、無有餘衣。亦不臥被中(七つには三領衣を有ちて、餘衣を有すること無し。亦被中に臥せず)。

 八者在塚間、不在佛寺中、亦不在人間。目視死人骸骨、坐禪求道(八つには塚間に在んで、佛寺の中に在まず、亦人間に在まず。目に死人骸骨を視て、坐禪求道す)。

 九者但欲獨處。不欲見人、亦不欲與人共臥(九つには但獨處を欲ふ。人を見んと欲はず、亦人と共に臥せんと欲はず)。

 十者先食果蓏、却食飯。食已不得復食果蓏(十には先に果蓏を食し、却りて飯を食す。食し已りて復果蓏を食することを得ず)。

 十一者但欲露臥、不在樹下屋宿(十一には但だ露臥を欲ふ、樹下屋宿に在まず)。

 十二者不食肉、亦不食醍醐。麻油不塗身(十二には肉を食せず、亦醍醐を食せず。麻油身に塗らず)。

 これを十二頭陀といふ。摩訶迦葉尊者、よく一生に不退不轉なり。如來の正法眼藏を正傳すといへども、この頭陀を退することなし。

 あるとき佛言すらく、なんぢすでに年老なり、僧食を食すべし。

 摩訶迦葉尊者いはく、われもし如來の出世にあはずは、辟支佛となるべし、生前に山林に居すべし。さいはひに如來の出世にあふ、法のうるひあり。しかりといふとも、つひに僧食を食すべからず。

 如來稱讃しまします。

 あるいは迦葉、頭陀行持のゆゑに、形體憔悴せり。衆みて輕忽するがごとし。ときに如來、ねんごろに迦葉をめして、半座をゆづりまします。迦葉尊者、如來の座に坐す。しるべし、摩訶迦葉は佛會の上座なり。生前の行持、ことごとくあぐべからず。

 

 第十波栗濕縛尊者は、一生脇不至席なり。これ八旬老年の辨道なりといへども、當時すみやかに大法を單傳す。これ光陰をいたづらにもらさざるによりて、わづかに三箇年の功夫なりといへども、三菩提の正眼を單傳す。尊者の在胎六十年なり、出胎白髪なり。

 誓不屍臥、名脇尊者。乃至暗中手放光明、以取經法(誓つて屍臥せず、脇尊者と名づく。乃至暗中に手より光明を放つて、以て經法を取る)。

 これ生得の奇相なり。

 脇尊者、生年八十、垂捨家染衣。城中少年、便誚之曰、愚夫朽老、一何淺智。夫出家者、有二業焉。一則習定、二乃誦經。而今衰耄、無所進取。濫迹淸流、徒知飽食(脇尊者、生年八十にして、捨家染衣せんと垂。城中の少年、便ち之を誚めて曰く、愚夫朽老なり、一に何ぞ淺智なる。夫れ出家は、二業有り。一には則ち習定、二には乃ち誦經なり。而今衰耄せり、進取する所無けん。濫に淸流に迹し、徒に飽食することを知らんのみ)。

 時脇尊者、聞諸譏議、因謝時人、而自誓曰、我若不通三藏理、不斷三界欲、不得六神通、不具八解脱、終不以脇至於席(時に脇尊者、諸の譏議を聞いて、因みに時の人に謝して、而も自ら誓て曰く、我れ若し三藏の理を通ぜず、三界の欲を斷ぜず、六神通を得ず、八解脱を具せずは、終に脇を以て席に至けじ)。

 自爾之後、唯日不足、經行宴坐、住立思惟。晝則研習理教、夜乃靜慮凝神。綿歴三歳、學通三藏、斷三界欲、得三明智。時人敬仰、因號脇尊者(爾より後、唯日も足らず、經行宴坐し、住立思惟す。晝は則ち理教を研習し、夜は乃ち靜慮凝神す。三藏を綿歴するに、學三藏を通じ、三界の欲を斷じ、三明の智を得。時の人敬仰して、因に脇尊者と號す)。

 しかあれば、脇尊者處胎六十年はじめて出胎せり。胎内に功夫なからんや。出胎よりのち八十にならんとするに、はじめて出家學道をもとむ。託胎よりのち一百四十年なり。まことに不群なりといへども、朽老は阿誰よりも朽老ならん。處胎にて老年あり、出胎にても老年なり。しかあれども、時人の譏嫌をかへりみず、誓願の一志不退なれば、わづかに三歳をふるに、辨道現成するなり。たれか見賢思齊をゆるくせむ、年老耄及をうらむることなかれ。

 この生しりがたし、生か、生にあらざるか。老か、老にあらざるか。四見すでにおなじからず、諸類の見おなじからず。ただ志氣を專修にして、辨道功夫すべきなり。辨道に生死をみるに相似せりと參學すべし、生死に辨道するにはあらず。いまの人、あるいは五旬六旬におよび、七旬八旬におよぶに、辨道をさしおかんとするは至愚なり。生來たとひいくばくの年月と覺知すとも、これはしばらく人間の精魂の活計なり、學道の消息にあらず。壯齡耄及をかへりみることなかれ、學道究辨を一志すべし。脇尊者に齊肩なるべきなり。

 塚間の一堆の塵土、あながちにをしむことなかれ、あながちにかへりみることなかれ。一志に度取せずば、たれかたれをあはれまん。無主の形骸いたづらに徧野せんとき、眼睛をつくるがごとく正觀すべし。

 

 六祖は新州の樵夫なり、有識と稱じがたし。いとけなくして父を喪す、老母に養育せられて長ぜり。樵夫の業を養母の活計とす。十字の街頭にして一句の聞經よりのち、たちまちに老母をすてて大法をたづぬ。これ奇代の大器なり、拔群の辨道なり。斷臂たとひ容易なりとも、この割愛は大難なるべし、この棄恩はかろかるべからず。黄梅の會に投じて八箇月、ねぶらず、やすまず、晝夜に米をつく。夜半に衣鉢を正傳す。得法已後、なほ石臼をおひありきて、米をつくこと八年なり。出世度人説法するにも、この石臼をさしおかず、希世の行持なり。

 

 江西馬祖の坐禪することは二十年なり。これ南嶽の密印を稟受するなり。傳法濟人のとき、坐禪をさしおくと道取せず。參學のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。普請作務のところに、かならず先赴す。老にいたりて懈倦せず。いまの臨濟は江西の流なり。

 

 雲巖和尚と道悟と、おなじく藥山に參學して、ともにちかひをたてて、四十年わきを席につけず、一味參究す。法を洞山の悟本大師に傳付す。

 洞山いはく、われ、欲打成一片、坐禪辨道已二十年(一片に打成せんと欲して、坐禪辨道すること已に二十年なり)。

 いまその道、あまねく傳付せり。

 

 雲居山弘覺大師、そのかみ三峰庵に住せしとき、天廚送食す。大師あるとき洞山に參じて、大道を決擇して、さらに庵にかへる。天使また食を再送して師を尋見するに、三日をへて師をみることをえず。天廚をまつことなし、大道を所宗とす。辨肯の志氣、おもひやるべし。

 

 百丈山大智禪師、そのかみ馬祖の侍者とありしより、入寂のゆふべにいたるまで、一日も爲衆爲人の勤仕なき日あらず。かたじけなく一日不作、一日不食のあとをのこすといふは、百丈禪師すでに年老臘高なり。なほ普請作務のところに、壯齡と同じく勵力す。衆、これをいたむ。人、これをあはれむ。師、やまざるなり。つひに作務のとき、作務の具をかくして師にあたへざりしかば、師、その日一日不食なり。衆の作務にくははらざることをうらむる意旨なり。これを百丈の一日不作、一日不食のあとといふ。いま大宋國に流傳せる臨濟の玄風ならびに諸方叢林、おほく百丈の玄風を行持するなり。

 

 鏡淸和尚住院のとき、土地神かつて師顔をみることをえず、たよりをえざるによりてなり。

 三平山義忠禪師、そのかみ天廚送食す。大巓をみてのちに、天神また師をもとむるに、みることあたはず。

 

 後大潙和尚いはく、我二十年在潙山、喫潙山飯、屙潙山屙、不參潙山道。只牧得一頭水牯牛、終日露廻廻也(我れ二十年潙山に在て、潙山の飯を喫し、潙山の屙を屙し、潙山道に參ぜず。只一頭の水牯牛を牧得して、終日露廻廻なり)。

 しるべし、一頭の水牯牛は二十年在潙山の行持より牧得せり。この師、かつて百丈の會下に參學しきたれり。しづかに二十年中の消息おもひやるべし、わするる時なかれ。たとひ參潙山道する人ありとも、不參潙山道の行持はまれなるべし。

 

 趙州觀音院眞際大師從諗和尚、とし六十一歳なりしに、はじめて發心求道をこころざす。瓶錫をたづさへて行脚し、遍歴諸方するに、つねにみづからいはく、七歳童兒、若勝我者、我卽問伊。百歳老翁、不及我者、我卽教他(七歳の童兒なりとも、若し我れよりも勝れば、我卽ち伊に問ふべし。百歳の老翁も、我に及ばざれば、我卽ち他を教ふべし)。

 かくのごとくして南泉の道を學得する功夫、すなはち二十年なり。年至八十のとき、はじめて趙州城東觀音院に住して、人天を化導すること四十年來なり。いまだかつて一封の書をもて檀那につけず。僧堂おほきならず、前架なし、後架なし。あるとき、牀脚をれき。一隻の燒斷の燼木を、繩をもてこれをゆひつけて、年月を經歴し修行するに、知事この牀脚をかへんと請ずるに、趙州ゆるさず。古佛の家風、きくべし。

 趙州の趙州に住することは八旬よりのちなり、傳法よりこのかたなり。正法正傳せり、諸人これを古佛といふ。いまだ正法正傳せざらん餘人は師よりもかろかるべし、いまだ八旬にいたらざらん餘人は師よりも強健なるべし。壯年にして輕爾ならんわれら、なんぞ老年の崇重なるとひとしからん。はげみて辨道行持すべきなり。

 四十年のあひだ世財をたくはへず、常住に米穀なし。あるいは栗子椎子をひろふて食物にあつ、あるいは旋轉飯食す。まことに上古龍象の家風なり、戀慕すべき操行なり。

 あるとき衆にしめしていはく、儞若一生不離叢林、不語十年五載、無人換儞作唖漢、已後諸佛也不奈儞何(儞若し一生叢林を離れず、不語なること十年五載ならんには、人の儞を喚んで唖漢と作る無し、已後には諸佛も也不奈儞何ならん)。これ行持をしめすなり。

 しるべし、十年五載の不語、おろかなるに相似せりといへども、不離叢林の功夫によりて、不語なりといへども唖漢にあらざらん。佛道かくのごとし。佛道聲をきかざらんは、不語の不唖漢なる道理あるべからず。しかあれば、行持の至妙は不離叢林なり。不離叢林は脱落なる全語なり。至愚のみづからは不唖漢をしらず、不唖漢をしらせず。阿誰か遮障せざれども、しらせざるなり。不唖漢なるを得恁麼なりときかず、得恁麼なりとしらざらんは、あはれむべき自己なり。不離叢林の行持、しづかに行持すべし。東西の風に東西することなかれ。十年五載の春風秋月、しらざれども聲色透脱の道あり。その道得、われに不知なり、われに不會なり。行持の寸陰を可惜許なりと參學すべし。不語を空然なるとあやしむことなかれ。入之一叢林なり、出之一叢林なり。鳥路一叢林なり、徧界一叢林なり。

 

 大梅山は慶元府にあり。この山に護聖寺を草創す、法常禪師その本元なり。禪師は襄陽人なり。かつて馬祖の會に參じてとふ、如何是佛と。

 馬祖云く、卽心是佛と。

 法常このことばをききて、言下大悟す。ちなみに大梅山の絶頂にのぼりて人倫に不群なり、草庵に獨居す。松實を食し、荷葉を衣とす。かの山に少池あり、池に荷おほし。坐禪辨道すること三十餘年なり。人事たえて見聞せず、年暦おほよそおぼえず、四山靑又黄のみをみる。おもひやるにはあはれむべき風霜なり。

 師の坐禪には、八寸の鐵塔一基を頂上におく、如載寶冠なり。この塔を落地却せしめざらんと功夫すれば、ねぶらざるなり。その塔いま本山にあり、庫下に交割す。かくのごとく辨道すること、死にいたりて懈倦なし。

 かくのごとくして年月を經歴するに、鹽官の會より一僧きたりて、山にいりて拄杖をもとむるちなみに、迷山路して、はからざるに師の庵所にいたる。不期のなかに師をみる、すなはちとふ、和尚、この山に住してよりこのかた、多少時也。

 師いはく、只見四山靑又黄(只四山の靑又黄なるを見るのみ)。

 この僧またとふ、出山路、向什麼處去(出山の路、什麼の處に向ひてか去かん)。

 師いはく、隨流去(流れに隨ひて去くべし)。

 この僧あやしむこころあり。かへりて鹽官に擧似するに、鹽官いはく、そのかみ江西にありしとき、一僧を曾見す。それよりのち消息をしらず。莫是此僧否(是れ此の僧に莫ずや否や)。

 つひに僧に命じて、師を請ずるに出山せず。偈をつくりて答するにいはく、

 摧殘枯木倚寒林、

 幾度逢春不變心。

 樵客遇之猶不顧、

 郢人那得苦追尋。

 (摧殘の枯木寒林に倚る、幾度か春に逢うて心を變ぜず。樵客之に遇うて猶顧みず、郢人那ぞ苦に追尋することを得ん。)

 つひにおもむかず。これよりのちに、なほ山奥へいらんとせしちなみに、有頌するにいはく、

 一池荷葉衣無盡、

 數樹松花食有餘。

 剛被世人知住處、

 更移茅舍入深居。

 (一池の荷葉衣るに盡くること無し、數樹の松花食するに餘有り。剛世人に住處を知らる、更に茅舍を移して深居に入る。)

 つひに庵を山奥にうつす。

 あるとき、馬祖ことさら僧をつかはしてとはしむ、和尚そのかみ馬祖を參見せしに、得何道理、便住此山(何の道理を得てか便ち此山に住する)なる。

 師いはく、馬祖、われにむかひていふ、卽心是佛。すなはちこの山に住す。

 僧いはく、近日は佛法また別なり。

 師いはく、作麼生別なる。

 僧いはく、馬祖いはく、非心非佛とあり。

 師いはく、這老漢、ひとを惑亂すること了期あるべからず。任他非心非佛、我祗管卽心是佛(さもあらばあれ非心非佛、我れは祗管に卽心是佛なり)。

 この道をもちて馬祖に擧似す。

 馬祖いはく、梅子熟也(梅子熟せり)。

 この因緣は、人天みなしれるところなり。天龍は師の神足なり、倶胝は師の法孫なり。高麗の迦智は、師の法を傳持して本國の初祖なり。いま高麗の諸師は師の遠孫なり。

 生前には一虎一象、よのつねに給侍す、あひあらそはず。師の圓寂ののち、虎象いしをはこび、泥をはこびて師の塔をつくる。その塔いま護聖寺に現存せり。

 師の行持、むかしいまの知識とあるは、おなじくほむるところなり。劣慧のものはほむべしとしらず。貪名愛利のなかに佛法あらましと強爲するは小量の愚見なり。

 

 五祖山の法演禪師いはく、師翁はじめて楊岐に住せしとき、老屋敗椽して、風雨之敝はなはだし。ときに冬暮なり、殿堂ことごとく舊損せり。そのなかに僧堂ことにやぶれ、雪霰滿牀、居不遑處(雪霰牀に滿ちて、居、處るに遑あらず)なり。雪頂の耆宿なほ澡雪し、厖眉の尊年、皺眉のうれへあるがごとし。衆僧やすく坐禪することなし。衲子、投誠して修造せんことを請ぜしに、師翁却之いはく、我佛有言、時當減劫、高岸深谷、遷變不常。安得圓滿如意、自求稱足(我佛言へること有り、時、減劫に當つて、高岸深谷、遷變して常ならず。安くんぞ圓滿如意にして、自ら稱足なるを求むることを得ん)ならん。古往の聖人、おほく樹下露地に經行す。古來の勝躅なり、履空の玄風なり。なんだち出家學道する、做手脚なほいまだおだやかならず。わづかにこれ四五十歳なり、たれかいたづらなるいとまありて豐屋をこととせん。つひに不從なり。

 翌日に上堂して、衆にしめしていはく、

 楊岐乍住屋壁疎、

 滿牀盡撒雪珍珠。

 縮却項、暗嗟嘘、

 翻憶古人樹下居。

 (楊岐乍めて住す屋壁疎かなり、滿牀盡く雪の珍珠を撒らす。項を縮却て、暗に嗟嘘す、翻つて憶ふ、古人樹下に居せしことを。)

 つひにゆるさず。

 しかあれども、四海五湖の雲衲霞袂、この會に掛錫するを、ねがふところとせり。耽道の人おほきことをよろこぶべし。この道、こころにそむべし、この語、みに銘すべし。

 演和尚、あるときしめしていはく、行無越思、思無越行(行は思を越ゆることなく、思は行を越ゆることなし)。

 この語、おもくすべし。日夜思之、朝夕行之(日夜に之を思ひ、朝夕に之を行ふ)、いたづらに東西南北の風にふかるるがごとくなるべからず。いはんやこの日本國は、王臣の宮殿なほその豐屋にあらず、わづかにおろそかなる白屋なり。出家學道の、いかでか豐屋に幽棲するあらん。もし豐屋をえたるは、邪命にあらざるなし、淸淨なるまれなり。もとよりあらんは論にあらず、はじめてさらに經營することなかれ。草庵白屋は、古聖の所住なり、古聖の所愛なり。晩學したひ參學すべし、たがゆることなかれ。黄帝尭舜等は、俗なりといへども草屋に居す、世界の勝躅なり。

 尸子曰、欲觀黄帝之行、於合宮。欲觀尭舜之行、於總章。黄帝明堂以草蓋之、名曰合宮。舜之明堂以草蓋之、名曰總章(尸子曰く、黄帝の行を觀んと欲はば、合宮に於てすべし。尭舜の行を觀んと欲はば、總章に於てすべし。黄帝の明堂は草を以て之を蓋く、名づけて合宮と曰ふ。舜の明堂は草を以て之を蓋く、名づけて總章と曰ふ)。

 しるべし、合宮總章はともに草をふくなり。いま黄帝尭舜をもてわれらにならべんとするに、なほ天地の論にあらず。これなほ草蓋を明堂とせり。俗なほ草屋に居す、出家人いかでか高堂大觀を所居に擬せん。慚愧すべきなり。古人の樹下に居し、林間にすむ、在家出家ともに愛する所住なり。黄帝は崆峒道人廣成の弟子なり、廣成は崆峒といふ巖のなかにすむ。いま大宋國の國王大臣、おほくこの玄風をつたふるなり。

 しかあればすなはち、塵勞中人なほかくのごとし。出家人いかでか塵勞中人より劣ならん、塵勞中人よりもにごれらん。向來の佛祖のなかに、天の供養をうくるおほし。しかあれども、すでに得道のとき、天眼およばず、鬼神たよりなし。そのむね、あきらむべし。天衆神道もし佛祖の行履をふむときは、佛祖にちかづくみちあり。佛祖あまねく天衆神道を超證するには、天衆神道はるかに見上のたよりなし、佛祖のほとりにちかづきがたきなり。

 南泉いはく、老僧修行のちからなくして鬼神に覰見せらる。しるべし、無修の鬼神に覰見せらるるは、修行のちからなきなり。

 

 太白山宏智禪師正覺和尚の會に、護伽藍神いはく、われきく、覺和尚この山に住すること十餘年なり。つねに寢堂にいたりてみんとするに、不能前なり、未之識なり。

 まことに有道の先蹤にあひあふなり。この天童山は、もとは小院なり。覺和尚の住裡に、道士觀、尼寺、教院等を掃除して、いまの景徳寺となせり。

 師、遷化ののち、左朝奉大夫侍御史王伯庠、因に師の行業記を記するに、ある人いはく、かの道士觀、尼寺、教院をうばひて、いまの天童寺となせることを記すべし。御史いはく不可也。此事非僧徳矣(不可なり、此の事、僧徳に非ず)。ときの人、おほく侍御史をほむ。

 しるべし、かくのごとくの事は俗の能なり、僧の徳にあらず。おほよそ佛道に登入する最初より、はるかに三界の人天をこゆるなり。三界の所使にあらず、三界の所見にあらざること、審細に咨問すべし。身口意および依正をきたして功夫參究すべし。佛祖行持の功徳、もとより人天を濟度する巨益ありとも、人天さらに佛祖の行持にたすけらるると覺知せざるなり。

 いま佛祖の大道を行持せんには、大隱小隱を論ずることなく、聰明鈍癡をいとふことなかれ。ただながく名利をなげすてて、萬緣に繋縛せらるることなかれ。光陰をすごさず、頭燃をはらふべし。大悟をまつことなかれ、大悟は家常の茶飯なり。不悟をねがふことなかれ、不悟は髻中の寶珠なり。ただまさに家郷あらんは家郷をはなれ、恩愛あらんは恩愛をはなれ、名あらんは名をのがれ、利あらんは利をのがれ、田園あらんは田園をのがれ、親族あらんは親族をはなるべし。名利等なからんも又はなるべし。すでにあるをはなる、なきをもはなるべき道理あきらかなり。それすなはち一條の行持なり。生前に名利をなげすてて一事を行持せん、佛壽長遠の行持なり。いまこの行持、さだめて行持に行持せらるるなり。この行持あらん身心、みづからも愛すべし、みづからもうやまふべし。

 

 大慈寰中禪師いはく、説得一丈、不如行取一尺。説得一尺、不如行取一寸(一丈を説得せんよりは、一尺を行取せんに如かず。一尺を説得せんよりは、一寸を行取せんに如かず)。

 これは、時人の行持おろそかにして佛道の通達をわすれたるがごとくなるをいましむるににたりといへども、一丈の説は不是とにはあらず、一尺の行は一丈説よりも大功なりといふなり。なんぞただ丈尺の度量のみならん、はるかに須彌と芥子との論功もあるべきなり。須彌に全量あり、芥子に全量あり。行持の大節、これかくのごとし。いまの道得は寰中の自爲道にあらず、寰中の自爲道なり。

 

 洞山悟本大師道、説取行不得底、行取説不得底(行不得底を説取し、説不得底を行取す)。

 これ高祖の道なり。その宗旨は、行は説に通ずるみちをあきらめ、説の行に通ずるみちあり。しかあれば、終日とくところに終日おこなふなり。その宗旨は、行不得底を行取し、説不得底を説取するなり。

 雲居山弘覺大師、この道を七通八達するにいはく、説時無行路、行時無説路。

 この道得は、行説なきにあらず、その説時は、一生不離叢林なり。その行時は、洗頭到雪峰前なり。説時無行路、行時無説路、さしおくべからず、みだらざるべし。

 古來の佛祖いひきたれることあり、いはゆる若人生百歳、不會諸佛機、未若生一日、而能決了之(若し人、生きて百歳あらんも、諸佛の機を會せずは、未だ生きて一日にして、能く之を決了せんには若かじ)。

 これは一佛二佛のいふところにあらず、諸佛の道取しきたれるところ、諸佛の行取しきたれるところなり。百千萬劫の囘生囘死のなかに、行持ある一日は、髻中の明珠なり、同生同死の古鏡なり。よろこぶべき一日なり、行持力みづからよろこばるるなり。行持のちからいまだいたらず、佛祖の骨髓うけざるがごときは、佛祖の身心ををしまず、佛祖の面目をよろこばざるなり。佛祖の面目骨髓、これ不去なり、如去なり、如來なり、不來なりといへども、かならず一日の行持に稟受するなり。しかあれば、一日はおもかるべきなり。いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。たとひ百歳の日月は聲色の奴婢と馳走すとも、そのなか一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり。この一日の身命はたふとぶべき身命なり。たふとぶべき形骸なり。かるがゆゑに、いけらんこと一日ならんは、諸佛の機を會せば、この一日を曠劫多生にもすぐれたりとするなり。このゆゑに、いまだ決了せざらんときは、一日をいたづらにつかふことなかれ。この一日はをしむべき重寶なり。尺璧の價直に擬すべからず、驪珠にかふることなかれ。古賢をしむこと身命よりもすぎたり。

 しづかにおもふべし、驪珠はもとめつべし、尺璧はうることもあらん。一生百歳のうちの一日は、ひとたびうしなはん、ふたたびうることなからん。いづれの善巧方便ありてか、すぎにし一日をふたたびかへしえたる。紀事の書にしるさざるところなり。もしいたづらにすごさざるは、日月を皮袋に包含して、もらさざるなり。しかあるを、古聖先賢は、日月ををしみ光陰ををしむこと、眼睛よりもをしむ、國土よりもをしむ。そのいたづらに蹉過するといふは、名利の浮世に濁亂しゆくなり。いたづらに蹉過せずといふは、道にありながら道のためにするなり。

 すでに決了することをえたらん、又一日をいたづらにせざるべし。ひとへに道のために行取し、道のために説取すべし。このゆゑにしりぬ、古來の佛祖いたづらに一日の功夫をつひやさざる儀、よのつねに觀想すべし。遲遲花日も明窓に坐しておもふべし、蕭蕭雨夜も白屋に坐してわするることなかれ。光陰なにとしてかわが功夫をぬすむ。一日をぬすむのみにあらず、多劫の功徳をぬすむ。光陰とわれと、なんの怨家ぞ。うらむべし、わが不修のしかあらしむるなるべし。われ、われとしたしからず、われ、われをうらむるなり。佛祖も恩愛なきにあらず、しかあれどもなげすてきたる。佛祖も諸緣なきにあらず、しかあれどもなげすてきたる。たとひをしむとも、自他の因緣をしまるべきにあらざるがゆゑに。われもし恩愛をなげすてずは、恩愛かへりてわれをなげすつべき云爲あるなり。恩愛をあはれむべくは恩愛をあはれむべし。恩愛をあはれむといふは、恩愛をなげすつるなり。

 

 南嶽大慧禪師懷讓和尚、そのかみ曹谿に參じて、執侍すること十五秋なり。しかうして傳道授業すること、一器水瀉一器(一器の水を一器に寫す)なることをえたり。古先の行履、もとも慕古すべし。十五秋の風霜、われをわづらはすおほかるべし。しかあれども純一に究辨す、これ晩進の龜鏡なり。寒爐に炭なく、ひとり虛堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する、たとひ一知半解なくとも、無爲の絶學なり。これ行持なるべし。

 おほよそ、ひそかに貪名愛利をなげすてきたりぬれば、日日に行持の積功のみなり。このむね、わするることなかれ。説似一物卽不中は、八箇年の行持なり。古今まれなりとするところ、賢不肖ともにこひねがふ行持なり。

 

 香嚴の智閑禪師は、大潙に耕道せしとき、一句を道得せんとするに數番つひに道不得なり。これをかなしみて、書籍を火にやきて、行粥飯僧となりて年月を經歴しき。のちに武當山にいりて、大證の舊跡をたづねて結草爲庵し、放下幽棲す。一日わづかに道路を併淨するに、礫のほどばしりて竹にあたりて聲をなすによりて、忽然として悟道す。のちに香嚴寺に住して、一盂一衲を平生に不換なり。奇巖淸泉をしめて、一生偃息の幽棲とせり。行跡おほく本山にのこれり。平生に山をいでざりけるといふ。

 

 臨濟院慧照大師は、黄檗の嫡嗣なり。黄檗の會にありて三年なり。純一に辨道するに、睦州陳尊宿の教訓によりて、佛法の大意を黄檗にとふこと三番するに、かさねて六十棒を喫す。なほ勵志たゆむことなし。大愚にいたりて大悟することも、すなはち黄檗睦州兩尊宿の教訓なり。祖席の英雄は臨濟徳山といふ。しかあれども、徳山いかにしてか臨濟におよばん。まことに臨濟のごときは群に群せざるなり。そのときの群は、近代の拔群よりも拔群なり。行業純一にして行持拔群せりといふ、幾枚幾般の行持なりとおもひ、擬せんとするに、あたるべからざるものなり。

 師在黄檗、與黄檗栽杉松次、黄檗問師曰、深山裏、栽許多樹作麼(師、黄檗に在りしとき、黄檗と與に杉松を栽うる次でに、黄檗、師に問うて曰く、深山の裏に、許多の樹を栽ゑて作麼)。

 師曰、一與山門爲境致、二與後人作標榜、乃將鍬拍地兩下(師曰く、一には山門の與に境致と爲し、二には後人の與に標榜と作す、乃ち鍬を將て地を拍つこと兩下す)。

 黄檗拈起拄杖曰、雖然如是、汝已喫我三十棒了也(黄檗拄杖を拈起して曰く、然も是の如くなりと雖も、汝已に我が三十棒を喫し了れり)。

 師作嘘嘘聲(師、嘘嘘聲をなす)。

 黄檗曰、吾宗到汝大興於世(黄檗曰く、吾が宗汝に到つて大きに世に興らん)。

 しかあればすなはち、得道ののちも杉松などをうゑけるに、てづからみづから鍬柄をたづさへけるとしるべし。吾宗到汝大興於世、これによるべきものならん。栽松道者の古蹤、まさに單傳直指なるべし。黄檗も臨濟とともに栽樹するなり。黄檗のむかしは、捨衆して、大安精舍の勞侶に混迹して、殿堂を掃洒する行持あり。佛殿を掃洒し、法堂を掃洒す。心を掃洒すると行持をまたず、ひかりを掃洒すると行持をまたず。裴相國と相見せし、この時節なり。

 

 唐宣宗皇帝は、憲宗皇帝第二の子なり。少而より敏黠なり。よのつねに結跏趺坐を愛す。宮にありてつねに坐禪す。穆宗は宣宗の兄なり。穆宗在位のとき、早朝罷に、宣宗すなはち戲而して、龍牀にのぼりて、揖群臣勢をなす。大臣これをみて心風なりとす。すなはち穆宗に奏す。穆宗みて宣宗を撫而していはく、我弟乃吾宗之英冑也(我が弟は乃ち吾が宗の英冑なり)。ときに宣宗、としはじめて十三なり。

 穆宗は長慶四年晏駕あり。穆宗に三子あり、一は敬宗、二は文宗、三は武宗なり。敬宗父位をつぎて、三年に崩ず。文宗繼位するに、一年といふに、内臣謀而、これを易す。武宗卽位するに、宣宗いまだ卽位せずして、をひのくににあり。武宗つねに宣宗をよぶに癡叔といふ。武宗は會昌の天子なり。佛法を癈せし人なり。武宗あるとき宣宗をめして、昔日ちちのくらゐにのぼりしことを罰して、一頓打殺して、後花園のなかにおきて、不淨を潅するに復生す。

 つひに父王の邦をはなれて、ひそかに香嚴禪師の會に參して、剃頭して沙彌となりぬ。しかあれど、いまだ不具戒なり。志閑禪師をともとして遊方するに、盧山にいたる。因に志閑みづから瀑布を題していはく、

 穿崖透石不辭勞、

 遠地方知出處高。

 (崖を穿ち石を透して勞を辭せず、遠地方に知るぬ出處の高きことを。)

 この兩句をもて、沙彌を釣他して、これいかなる人ぞとみんとするなり。沙彌これを續していはく、

 谿澗豈能留得住、

 終歸大海作波涛。

 (谿澗豈能く留め得て住めんや、終に大海に歸して波涛と作る。)

 この兩句をみて、沙彌はこれつねの人にあらずとしりぬ。

 のちに杭州鹽官齊安國師の會にいたりて書記に充するに、黄檗禪師、ときに鹽官の首座に充す。ゆゑに黄檗と連單なり。黄檗、ときに佛殿にいたりて禮佛するに、書記いたりてとふ、不著佛求、不著法求、不著僧求、長老用禮何爲(佛に著いて求めず、法に著いて求めず、僧に著いて求めず、長老禮を用ゐて何にかせん)。

 かくのごとく問著するに、黄檗便掌して、沙彌書記にむかひて道す、不著佛求、不著法求、不著僧求、常禮如是事(佛に著て求めず、法に著て求めず、僧に著て求めず、常に如是の事を禮す)。

 かくのごとく道しをはりて、又掌すること一掌す。

 書記いはく、太麁生なり。

 黄檗いはく、遮裏是什麼所在、更説什麼麁細(遮裏は是れ什麼なる所在なればか、更に什麼の麁細をか説く)。

 また書記を掌すること一掌す。

 書記ちなみに休去す。

 武宗ののち、書記つひに還俗して卽位す。武宗の癈佛法を癈して、宣宗すなはち佛法を中興す。宣宗は卽位在位のあひだ、つねに坐禪をこのむ。未卽位のとき、父王のくにをはなれて、遠地の谿澗に遊方せしとき、純一に辨道す。卽位ののち、晝夜に坐禪すといふ。まことに父王すでに崩御す、兄帝また晏駕す、をひのために打殺せらる。あはれむべき窮子なるがごとし。しかあれども、勵志うつらず辨道功夫す、奇代の勝躅なり、天眞の行持なるべし。

 

 雪峰眞覺大師義存和尚、かつて發心よりこのかた、掛錫の叢林および行程の接待、みちはるかなりといへども、ところをきらはず、日夜の坐禪おこたることなし。雪峰草創の露堂堂にいたるまで、おこたらずして坐禪と同死す。咨參のそのかみは九上洞山、三到投子する、奇世の辨道なり。行持の淸嚴をすすむるには、いまの人おほく雪峰高行といふ。雪峰の昏昧は諸人とひとしといへども、雪峰の伶俐は、諸人のおよぶところにあらず。これ行持のしかあるなり。いまの道人、かならず雪峰の澡雪をまなぶべし。しづかに雪峰の諸方に參學せし筋力をかへりみれば、まことに宿有靈骨の功徳なるべし。

 いま有道の宗匠の會をのぞむに、眞實請參せんとするとき、そのたより、もとも難辨なり。ただ二十、三十箇の皮袋にあらず、百千人の面面なり。おのおの實歸をもとむ、授手の日くれなんとす、打舂の夜あけなんとす。あるいは師の普説するときは、わが耳目なくしていたづらに見聞をへだつ。耳目そなはるときは、師またときをはりぬ。耆宿尊年の老古錐すでに拊掌笑呵呵のとき、新戒晩進のおのれとしては、むしろのすゑを接するたよりなほまれなるがごとし。堂奥にいるといらざると、師決をきくときかざるとあり。光陰は矢よりもすみやかなり、露命は身よりももろし。師はあれどもわれ參不得なるうらみあり、參ぜんとするに師不得なるかなしみあり。かくのごとくの事、まのあたりに見聞せしなり。

 大善知識かならず人をしる徳あれども、耕道功夫のとき、あくまで親近する良緣まれなるものなり。雪峰のむかし洞山にのぼれりけんにも、投子にのぼれりけんにも、さだめてこの事煩をしのびけん。この行持の法操あはれむべし、參學せざらんはかなしむべし。

 

正法眼藏行持第十六 上

 

 仁治癸卯正月十八日書寫了

 同三月八日校點了 懷弉

 

 

正法眼藏第十六 行持 下

 眞丹初祖の西來東土は、般若多羅尊者の教敕なり。航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや、雲煙いくかさなりの嶮浪なりとかせん。不知のくににいらんとす、身命ををしまん凡類、おもひよるべからず。これひとへに傳法救迷情の大慈よりなれる行持なるべし。傳法の自己なるがゆゑにしかあり、傳法の遍界なるがゆゑにしかあり。盡十方界は眞實道なるがゆゑにしかあり、盡十方界自己なるがゆゑにしかあり、盡十方界盡十方界なるがゆゑにしかあり。いづれの生緣か王宮にあらざらん、いづれの王宮か道場をさへん。このゆゑにかくのごとく西來せり。救迷情の自己なるゆゑに驚疑なく、怖畏せず。救迷情の遍界なるゆゑに驚疑せず、怖畏なし。ながく父王の國土を辭して、大舟をよそほうて、南海をへて廣州にとづく。使船の人おほく、巾瓶の僧あまたありといへども、史者失録せり。著岸よりこのかた、しれる人なし。すなはち梁代の普通八年丁未歳九月二十一日なり。

 廣州の刺史蕭昂といふもの、主禮をかざりて迎接したてまつる。ちなみに表を修して武帝にきこゆる、蕭昂が勤恪なり。武帝すなはち奏を覽じて、欣悅して、使に詔をもたせて迎請したてまつる。すなはちそのとし十月一日なり。

 初祖金陵にいたりて、梁武と相見するに、

 梁武とふ、朕卽位已來、造寺寫經度僧、不可勝紀、有何功徳(朕卽位よりこのかた、造寺寫經度僧、勝げて紀すべからず、何の功徳か有る)。

 師曰、竝無功徳(竝びに功徳無し)。

 帝曰、何以無功徳(何の以にか功徳無き)。

 師曰、此但人天小果、有漏之因。如影隨形、雖有非實(此れは但人天の小果、有漏の因なり。影の形に隨ふが如し、有りと雖も實に非ず)。

 帝曰、如何是眞功徳(如何ならんか是れ眞の功徳なる)。

 師曰、淨智妙圓、體自空寂。如是功徳、不以世求(淨智妙圓、體自ら空寂なり。是の如き功徳は、世を以て求めず)。

 帝又問、如何是聖諦第一義諦(如何ならんか是れ聖諦第一義諦)。

 師曰く、廓然無聖。

 帝曰く、對朕者誰(朕に對する者は誰そ)。

 師曰く、不識。

 帝、不領悟。師、知機不契(帝領悟せず。師、機の不契なるを知る)。

 ゆゑにこの十月十九日、ひそかに江北にゆく。そのとし十一月二十三日、洛陽にいたりぬ。嵩山少林寺に寓止して、面壁而坐、終日默然なり。しかあれども、魏主も不肖にしてしらず、はぢつべき理もしらず。

 

 師は南天竺の刹利種なり、大國の皇子なり。大國の王宮、その法ひさしく慣熟せり。小國の風俗は、大國の帝者に爲見のはぢつべきあれども、初祖、うごかしむるこころあらず。くにをすてず、人をすてず。ときに菩提流支の訕謗を救せず、にくまず。光統律師が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。かくのごとくの功徳おほしといへども、東地の人物、ただ尋常の三藏および經論師のごとくにおもふは至愚なり。小人なるゆゑなり。あるいはおもふ、禪宗とて一途の法門を開演するが、自餘の論師等の所云も、初祖の正法もおなじかるべきとおもふ。これは佛法を濫穢せしむる小畜なり。

 初祖は釋迦牟尼佛より二十八世の嫡嗣なり、父王の大國をはなれて、東地の衆生を救濟する、たれのかたをひとしくするかあらん。もし、

祖師西來せずは、東地の衆生いかにしてか佛正法を見聞せん。いたづらに名相の沙石にわづらふのみならん。いまわれらがごときの邊地遠方の披毛戴角までも、あくまで正法をきくことをえたり。いまは田夫農父、野老村童までも見聞する、しかしながら祖師航海の行持にすくはるるなり。西天と中華と、土風はるかに勝劣せり、方俗はるかに邪正あり。大忍力の大慈にあらずよりは、傳持法藏の大聖、むかふべき處在にあらず。住すべき道場なし、知人の人まれなり。しばらく嵩山に掛錫すること九年なり。人これを壁觀婆羅門といふ。史者これを習禪の列に編集すれども、しかにはあらず。佛佛嫡嫡相傳する正法眼藏、ひとり祖師のみなり。

 

 石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。經行嵩山之下、倚杖於少林。面壁燕坐而已、非習禪也。久之人莫測其故。因以達磨爲習禪。夫禪那、諸行之一耳。何足以盡聖人。而當時之人、以之、爲史者、又從而傳於習禪之列、使與枯木死灰之徒爲伍。雖然、聖人非止於禪那、而亦不違禪那。如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽(石門の林間録に云く、菩提達磨、初め梁より魏に之く。嵩山の下に經行し、少林に倚杖す。面壁燕坐するのみなり、習禪には非ず。久しくなりて人其の故を測ること莫し。因て達磨を以て習禪とす。夫れ禪那は、諸行の一のみなり。何ぞ以て聖人を盡すに足らん。而も當時の人、之を以てし、爲史の者、又從へて習禪の列に傳ね、枯木死灰の徒と伍ならしむ。然りと雖も、聖人はただ禪那のみ非ず、而も亦禪那に違せず。易の陰陽より出でて、而も亦陰陽に違せざるが如し)。

 梁武初見達磨之時、卽問、如何是聖諦第一義(梁武初めて達磨を見し時、卽ち問ふ、如何ならんか是れ聖諦第一義)。

 答曰、廓然無聖。

 進曰、對朕者誰(朕に對する者は誰そ)。

 又曰、不識。

 使達磨不通方言、則何於是時、使能爾耶(使達磨方言に不通ならんには、則ち何ぞ是の時に於て、能くしかあらしむるにいたらんや)。

 しかあればすなはち、梁より魏へゆくことあきらけし。嵩山に經行して少林に倚杖す。面壁燕坐すといへども、習禪にはあらざるなり。一卷の經書を將來せざれども、正法傳來の正主なり。しかあるを、史者あきらめず、習禪の篇につらぬるは、至愚なり、かなしむべし。

 かくのごとくして嵩山に經行するに、犬あり、尭をほゆ。あはれむべし、至愚なり。たれのこころあらんか、この慈恩をかろくせん。たれのこころあらんか、この恩を報ぜざらん。世恩なほわすれず、おもくする人おほし、これを人といふ。祖師の大恩は父母にもすぐるべし、祖師の慈愛は親子にもたくらべざれ。

 われらが卑賎おもひやれば、驚怖しつべし。中土をみず、中華にむまれず、聖をしらず、賢をみず、天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。開闢よりこのかた化俗の人なし、國をすますときをきかず。いはゆるは、いかなるか淸、いかなるか濁としらざるによる。二柄三才の本末にくらきによりてかくのごとくなり。いはんや五才の盛衰をしらんや。この愚は、眼前の聲色にくらきによりてなり。くらきことは、經書をしらざるによりてなり、經書に師なきによりてなり。その師なしといふは、この經書いく十卷といふことをしらず、この經いく百偈、いく千言としらず、ただ文の説相をのみよむ。いく千偈、いく萬言といふことをしらざるなり。すでに古經をしり、古書をよむがごときは、すなはち慕古の意旨あるなり。慕古のこころあれば、古經きたり現前するなり。漢高祖および魏太祖、これら天象の偈をあきらめ、地形の言をつたへし帝者なり。かくのごときの經典あきらむるとき、いささか三才あきらめきたるなり。いまだかくのごとくの聖君の化にあはざる百姓のともがらは、いかなるを事君とならひ、いかなるを事親とならふとしらざれば、君子としてもあはれむべきものなり。親族としてもあはれむべきなり。臣となれるも子となれるも、尺璧もいたづらにすぎぬ、寸陰もいたづらにすぎぬるなり。かくのごとくなる家門にむまれて、國土のおもき職なほさづくる人なし、かろき官位なほをしむ。にごれるときなほしかあり、すめらんときは見聞もまれならん。かくのごときの邊地、かくのごときの卑賎の身命をもちながら、あくまで如來の正法をきかんみちに、いかでかこの卑賎の身命ををしむこころあらん。をしんでのちになにもののためにかすてんとする。おもくかしこからん、なほ法のためにをしむべからず、いはんや卑賎の身命をや。たとひ卑賎なりといふとも、爲道爲法のところにをしまずすつることあらば、上天よりも貴なるべし、輪王よりも貴なるべし、おほよそ天神地祇、三界衆生よりも貴なるべし。

 しかあるに初祖は南天竺國香至王の第三皇子なり。すでに天竺國の帝胤なり、皇子なり。高貴のうやまふべき、東地邊國には、かしづきたてまつるべき儀もいまだしらざるなり。香なし、花なし、坐褥おろそかなり、殿臺つたなし。いはんやわがくには、遠方の絶岸なり、いかでか大國の皇をうやまふ儀をしらん。たとひならふとも、迂曲してわきまふべからざるなり。諸侯と帝者と、その儀ことなるべし、その禮も輕重あれどもわきまへしらず。自己の貴賎をしらざれば、自己を保任せず。自己を保任せざれば、自己の貴賎もともあきらむべきなり。初祖は釋尊第二十八世の附法なり。道にありてよりこのかた、いよいよおもし。かくのごとくなる大聖至尊、なほ師敕によりて身命ををしまざるは傳法のためなり、救生のためなり。眞丹國には、いまだ初祖西來よりさきに嫡嫡單傳の佛子をみず、嫡嫡面授の祖面を面授せず、見佛いまだしかりき。のちにも初祖の遠孫のほか、さらに西來せざるなり。曇花の一現はやすかるべし、年月をまちて算數しつべし、初祖の西來はふたたびあるべからざるなり。しかあるに、祖師の遠孫と稱ずるともがらも、楚國の至愚にゑうて、玉石いまだわきまへず、經師論師を齊肩すべきとおもへり。少聞薄解によりてしかあるなり。宿殖般若の正種なきやからは祖道の遠孫とならず、いたづらに名相の邪路に跰するもの、あはれむべし。

 梁の普通よりのち、なほ西天にゆくものあり、それなにのためぞ。至愚のはなはだしきなり。惡業のひくによりて、他國に跰するなり。歩歩に謗法の邪路におもむく、歩歩に親父の家郷を逃逝す、なんだち西天にいたりてなんの所得かある。ただ山水に辛苦するのみなり。西天の東來する宗旨を學せずは、佛法の東漸をあきらめざるによりて、いたづらに西天に迷路するなり。佛法をもとむる名稱ありといへども、佛法をもとむる道念なきによりて、西天にしても正師にあはず、いたづらに論師經師にのみあへり。そのゆゑは、正師は西天にも現在せれども、正法をもとむる正心なきによりて、正法なんだちが手にいらざるなり。西天にいたりて正師をみたるといふたれか、その人いまだきこえざるなり。もし正師にあはば、いくそばくの名稱をも自稱せん。なきによりて自稱いまだあらず。

 また眞丹國にも、祖師西來よりのち、經論に倚解して、正法をとぶらはざる僧侶おほし。これ經論を披閲すといへども經論の旨趣にくらし。この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の惡業力なり。今生つひに如來の眞訣をきかず、如來の正法をみず、如來の面授にてらされず、如來の佛心を使用せず、諸佛の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。隋唐宋の諸代、かくのごときのたぐひおほし、ただ宿殖般若の種子ある人は、不期に入門せるも、あるは算沙の業を解脱して、祖師の遠孫となれりしは、ともに利根の機なり、上上の機なり、正人の正種なり。愚蒙のやから、ひさしく經論の草庵に止宿するのみなり。しかあるに、かくのごとくの嶮難あるさかひを辭せずといはず、

初祖西來する玄風、いまなほあふぐところに、われらが臭皮袋を、をしんでつひになににかせん。

 香嚴禪師いはく、

 百計千方只爲身、

 不知身是塚中塵。

 莫言白髪無言語、

 此是黄泉傳語人。

 (百計千方只身の爲なり、知らず、身は是れ塚の中の塵なること。言ふこと莫れ白髪に言語無しと、此れは是れ黄泉傳語の人なり。)

 しかあればすなはち、をしむにたとひ百計千方をもてすといふとも、つひにはこれ塚中一堆の塵と化するものなり。いはんやいたづらに小國の王民につかはれて、東西に馳走いるあひだ、千辛萬苦いくばくの身心をかくるしむる。義によりては身命をかろくす、殉死の禮わすれざるがごし。恩につかはるる前途、ただ暗頭の雲霧なり。小臣につかはれ、民間に身命をすつるもの、むかしよりおほし。をしむべき人身なり、道器となりぬべきゆゑに。いま正法にあふ、百千恆沙の身命をすてても正法を參學すべし。いたづらなる小人と、廣大深遠の佛法と、いづれのためにか身命をすつべき。賢不肖ともに進退にわづらふべからざるものなり。

 しづかにおもふべし、正法よに流布せざらんときは、身命を正法のために抛捨せんことをねがふともあふべからず。正法にあふ今日のわれらをねがふべし、正法にあうて身命をすてざるわれらを慚愧せん。はづべくは、この道理をはづべきなり。しかあれば、

祖師の大恩を報謝せんことは、一日の行持なり。自己の身命をかへりみることなかれ。禽獸よりもおろかなる恩愛、をしんですてざることなかれ。たとひ愛惜すとも、長年のともなるべからず。あくたのごとくなる家門、たのみてとどまることなかれ。たとひとどまるとも、つひの幽棲にあらず。むかし佛祖のかしこかりし、みな七寶千子をなげすて、玉殿朱樓をすみやかにすつ。涕唾のごとくみる、糞土のごとくみる。これらみな、古來の佛祖の古來の佛祖を報謝しきたれる知恩報恩の儀なり。病雀なほ恩をわすれず、三府の環よく報謝あり。窮龜なほ恩をわすれず、餘不の印よく報謝あり。かなしむべし、人面ながら畜類よりも愚劣ならんことは。

 いまの見佛聞法は、佛祖面面の行持よりきたれる慈恩なり。佛祖もし單傳せずは、いかにしてか今日にいたらん。一句の恩なほ報謝すべし、一法の恩なほ報謝すべし。いはんや正法眼藏無上大法の大恩、これを報謝せざらんや。一日に無量恆河沙の身命すてんこと、ねがふべし。法のためにすてんかばねは、世世のわれら、かへりて禮拜供養すべし。諸天龍神ともに恭敬尊重し、守護讃歎するところなり、道理それ必然なるがゆゑに。

 西天竺國には、髑髏をうり髑髏をかふ婆羅門の法、ひさしく風聞せり。これ聞法の人の髑髏形骸の功徳おほきことを尊重するなり。いま道のために身命をすてざれば、聞法の功徳いたらず。身命をかへりみず聞法するがごときは、その聞法成熟するなり。この髑髏は、尊重すべきなり。いまわれら、道のためにすてざらん髑髏は、他日にさらされて野外にすてらるとも、たれかこれを禮拜せん、たれかこれを賣買せん。今日の精魂、かへりてうらむべし。鬼の先骨をうつありき、天の先骨を禮せしあり。いたづらに塵土に化するときをおもひやれば、いまの愛惜なし、のちのあはれみあり。もよほさるるところは、みん人のなみだのごとくなるべし。いたづらに塵土に化して人にいとはれん髑髏をもて、よくさいはひに佛正法を行持すべし。

 このゆゑに、寒苦をおづることなかれ、寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。ただ不修をおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、暑熱いまだ道をやぶらず。不修よく人をやぶり、道をやぶる。麥をうけ、蕨をとるは、道俗の勝躅なり。血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。ただまさに行持なる一日は、諸佛の行履なり。

 

 眞丹第二祖大祖正宗普覺大師は、神鬼ともに嚮慕す、道俗おなじく尊重せし高徳の師なり、曠達の士なり。伊洛に久居して群書を博覽す。くにのまれなりとするところ、人のあひがたきなり。法高徳重のゆゑに、神物倏見して、祖にかたりていふ、

 將欲受果、何滯此耶。大道匪遠、汝其南矣(將に受果を欲はば、何ぞ此に滯るや。大道遠きに匪ず、汝其れ南へゆくべし)。

 あくる日、にはかに頭痛すること刺がごとし。其師洛陽龍門香山寶靜禪師、これを治せんとするときに、

 空中有聲曰、此乃換骨、非常痛也(空中に聲有りて曰く、此れ乃ち骨を換ふるなり、常の痛みに非ず)。

 祖遂以見神事、白于師。師視其頂骨、卽如五峰秀出矣。乃曰、汝相吉祥、當有所證。神汝南者、斯則少林寺達磨大士、必汝之師也(祖遂に見神の事を以て、師に白す、師その頂骨を視るに、卽ち五峰の秀出せるが如し。乃ち曰く、汝が相、吉祥なり、當に所證有るべし。神の汝南へゆけといふは、斯れ則ち少林寺の達磨大士、必ず汝が師なり)。

 この教をききて、祖すなはち少室峰に參ず。神はみづからの久遠修道の守道神なり。このとき窮臈寒天なり。十二月初九夜といふ。天大雨雪ならずとも、深山高峰の冬夜は、おもひやるに、人物の窓前に立地すべきにあらず。竹節なほ破す、おそれつべき時候なり。しかあるに、大雪匝地、埋山沒峰なり。破雪して道をもとむ、いくばくの嶮難なりとかせん。つひに祖室にとづくといへども、入室ゆるされず、顧眄せざるがごとし。この夜、ねぶらず、坐せず、やすむことなし。堅立不動にしてあくるをまつに、夜雪なさけなきがごとし。ややつもりて腰をうづむあひだ、おつるなみだ滴滴こほる。なみだをみるになみだをかさぬ、身をかへりみて身をかへりみる。

 自惟すらく、

 昔人求道、敲骨取髓、刺血濟饑。布髪淹泥、投崖飼虎。古尚若此、我又何人(昔の人、道を求むるに、骨を敲ちて髓を取り、血を刺して饑ゑたるを濟ふ。髪を布きて泥を淹ひ、崖に投げて虎に飼ふ。古尚此の若し、我又何人ぞ)。

 かくのごとくおもふに、志氣いよいよ勵志あり。

 いまいふ古尚若此、我又何人を、晩進もわすれざるべきなり。しばらくこれをわするるとき、永劫の沈溺あるなり。

 かくのごとく自惟して、法をもとめ道をもとむる志氣のみかさなる。澡雪の操を操とせざるによりて、しかありけるなるべし。遲明のよるの消息、はからんとするに肝膽もくだけぬるがごとし。ただ身毛の寒怕せらるるのみなり。

 初祖、あはれみて昧旦にとふ、汝久立雪中、當求何事(汝、久しく雪中に立つて、當に何事をか求むる)。

 かくのごとくきくに、二祖、悲涙ますますおとしていはく、惟願和尚、慈悲開甘露門、廣度群品(惟し願はくは和尚、慈悲をもて甘露門を開き、廣く群品を度すべし)。

 かくのごとくまうすに、

 初祖曰、諸佛無上妙道、曠劫精勤、難行能行、非忍而忍。豈以小徳小智、輕心慢心、欲冀眞乘、徒勞勤苦(諸佛無上の妙道は、曠劫に精勤して難行能行す、非忍にして忍なり。豈小徳小智、輕心慢心を以て、眞乘を冀はんとせん、徒勞に勤苦ならん)。

 このとき、二祖ききていよいよ誨勵す。ひそかに利刀をとりて、みづから左臂を斷て、置于師前するに、初祖ちなみに二祖これ法器なりとしりぬ。

 乃曰、諸佛最初求道、爲法忘形。汝今斷臂吾前、求亦可在(諸佛、最初に道を求めしとき、法の爲に形を忘じき。汝今臂を吾が前に斷ず、求むること亦可なること在り)。

 これより堂奥にいる。執侍八年、勤勞千萬、まことにこれ人天の大依怙なるなり、人天の大導師なるなり。かくのごときの勤勞は、西天にもきかず、東地はじめてあり。

 破顔は古をきく、得髓は祖に學す。しづかに觀想すらくは、初祖いく千萬の西來ありとも、二祖もし行持せずば、今日の飽學措大あるべからず。今日われら正法を見聞するたぐひとなれり、祖の恩かならず報謝すべし。その報謝は、餘外の法はあたるべからず、身命も不足なるべし、國城もおもきにあらず。國城は他人にもうばはる、親子にもゆづる。身命は無常にもまかす、主君にもまかす、邪道にもまかす。しかあれば、これを擧して報謝に擬するに不道なるべし。ただまさに日日の行持、その報謝の正道なるべし。

 いはゆるの道理は、日日の生命を等閑にせず、わたくしにつひやさざらんと行持するなり。そのゆゑはいかん。この生命は、前來の行持の餘慶なり、行持の大恩なり。いそぎ報謝すべし。かなしむべし、はづべし、佛祖行持の功徳分より生成せる形骸を、いたづらなる妻子のつぶねとなし、妻子のもちあそびにまかせて、破落ををしまざらんことは。邪狂にして身命を名利の羅刹にまかす。名利は一頭の大賊なり。名利をおもくせば名利をあはれむべし。名利をあはれむといふは、佛祖となりぬべき身命を、名利にまかせてやぶらしめざるなり。妻子親族あはれまんことも、またかくのごとくすべし。名利は夢幻空花と學することなかれ、衆生のごとく學すべし。名利をあはれまず、罪報をつもらしむることなかれ。參學の正眼、あまねく諸方をみんこと、かくのごとくなるべし。

 世人のなさけある、金銀珍玩の蒙惠なほ報謝す、好語好聲のよしみ、こころあるはみな報謝のなさけをはげむ。如來無上の正法を見聞する大恩、たれの人面か、わするるときあらん。これをわすれざらん、一生の珍寶なり。この行持を不退轉ならん形骸髑髏は、生時死時、おなじく七寶塔におさめ、一切人天皆應供養の功徳なり。かくのごとく大恩ありとしりなば、かならず草露の命をいたづらに零落せしめず、如山の徳をねんごろに報ずべし。これすなはち行持なり。

 この行持の功は、祖佛として行持するわれありしなり。おほよそ初祖二祖、かつて精藍を草創せず、薙草の繁務なし。および三祖四祖もまたかくのごとし。五祖六祖の寺院を自草せず、靑原南嶽もまたかくのごとし。

 

 石頭大師は草庵を大石にむすびて石上に坐禪す。晝夜にねぶらず、坐せざるときなし。衆務を虧闕せずといへども、十二時の坐禪かならずつとめきたれり。いま靑原の一派の天下に流通すること、人天を利潤せしむることは、石頭大力の行持堅固のしかあらしむるなり。いまの雲門法眼のあきらむるところある、みな石頭大師の法孫なり。

 

 第三十一祖大醫禪師は、十四歳のそのかみ、三祖大師をみしより、服勞九載なり。すでに佛祖の祖風を嗣續するより、攝心無寐にして脅不至席なること僅六十年なり。化、怨親にかうぶらしめ、徳、人天にあまねし。眞丹の第四祖なり。

 貞觀癸卯歳、太宗嚮師道味、欲瞻風彩、詔赴京。師上表遜謝、前後三返、竟以疾辭。第四度、命使曰、如果不赴、卽取首來。使至山諭旨。師乃引頚就刄、神色儼然。使異之、廻以状聞。帝彌加歎慕。就賜珍繒、以遂其志(貞觀癸卯の歳、太宗、師の道味を嚮び、風彩を瞻んとして、赴京を詔す。師、上表して遜謝すること前後三返、竟に疾を以て辭す。第四度、使に命じて曰く、如果して赴せずは、卽ち首を取りて來れ。使、山に至つて旨を諭す。師乃ち頚を引いて刄に就く、神色儼然たり。使、之を異とし、廻つて状を以て聞す。帝彌加歎慕す。珍繒を就賜して、以てその志を遂ぐ)。

 しかあればすなはち、四祖禪師は身命を身命とせず、王臣に親近せざらんと行持せる行持、これ千歳の一遇なり。太宗は有義の國主なり、相見のものうかるべきにあらざれども、かくのごとく先達の行持はありけると參學すべきなり。人主としては、引頚就刄して身命ををしまざる人物をも、なほ歎慕するなり。これいたづらなるにあらず、光陰ををしみ、行持を專一にするなり。上表三返、奇代の例なり。いま澆季には、もとめて帝者にまみえんとねがふあり。

 高宗永徽辛亥歳、閏九月四日、忽垂誡門人曰、一切諸法悉皆解脱。汝等各自護念、流化未來。言訖安坐而逝。壽七十有二、塔于本山。明年四月八日、塔戸無故自開、儀相如生。爾後、門人不敢復閉(高宗の永徽辛亥の歳、閏九月四日、忽ちに門人に垂誡して曰く、一切諸法は悉く皆解脱なり。汝等各自護念すべし、未來を流化すべし。言ひ訖りて安坐して逝す。壽七十有二。本山に塔たつ。明年四月八日、塔の戸、故無く自ら開く、儀相生ける如し。爾後、門人敢てまた閉ぢず)。

 しるべし、一切諸法悉皆解脱なり、諸法の空なるにあらず、諸法の諸法ならざるにあらず、悉皆解脱なる諸法なり。いま四祖には、未入塔時の行持あり、既在塔時の行持あるなり。生者かならず滅ありと見聞するは小見なり、滅者は無思覺と知見せるは小聞なり。學道にはこれらの小聞小見をならふことなかれ。生者の滅なきもあるべし、滅者の有思覺なるもあるべきなり。

 福州玄沙宗一大師、法名師備、福州閩縣人也。姓謝氏。幼年より垂釣をこのむ。小艇を南臺江にうかめて、もろもろの漁者になれきたる。唐の咸通のはじめ、年甫三十なり。たちまちに出塵をねがふ。すなはち釣舟をすてて、芙蓉山靈訓禪師に投じて落髪す。豫章開元寺道玄律師に具足戒をうく。

 布衲芒履、食纔接氣、常終日宴坐。衆皆異之。與雪峰義存、本法門昆仲、而親近若師資。雪峰以其苦行、呼爲頭陀(布衲芒履なり、食は纔かに氣を接す、常に終日宴坐す。衆皆之を異なりとす、雪峰義存と、本と法門の昆中なり、而して親近すること師資の若し。雪峰其の苦行を以て、呼んで頭陀と爲す)。

 一日雪峰問曰、阿那箇是備頭陀(一日、雪峰問ふて曰く、阿那箇か是れ備頭陀)。

 師對曰、終不敢誑於人(師對へて曰く、終に敢て人を誑かさず)。

 異日雪峰召曰、備頭陀何不徧參去(異日雪峰召んで曰く、備頭陀何ぞ徧參去せざる)。

 師曰く、達磨不來東土、二祖不往西天。

 雪峰然之。

 つひに象骨山にのぼるにおよんで、すなはち師と同力締構するに、玄徒臻萃せり。師の入室咨決するに、晨昏にかはることなし。諸方の玄學のなかに所未決あるは、かならず師にしたがひて請益するに、雪峰和尚いはく、備頭陀にとふべし。師まさに仁にあたりて不讓にしてこれをつとむ。拔群の行持にあらずよりは、恁麼の行履あるべからず。終日宴坐の行持、まれなる行持なり。いたづらに聲色に馳騁することはおほしといへども、終日の宴坐はつとむる人まれなるなり。いま晩學としては、のこりの光陰のすくなきことをおそりて、終日宴坐、これをつとむべきなり。

 

 長慶の慧稜和尚は、雪峰下の尊宿なり。雪峰と玄沙とに往來して、參學すること僅二十九年なり。その年月に蒲團二十枚を坐破す。いまの人の坐禪を愛するあるは、長慶をあげて慕古の勝躅とす。したふはおほし、およぶすくなし。しかあるに、三十年の功夫むなしからず、あるとき涼簾を卷起せしちなみに、忽然として大悟す。

 三十來年かつて郷土にかへらず、親族にむかはず、上下肩と談笑せず、專一に功夫す。師の行持は三十年なり。疑滯を疑滯とせること三十年、さしおかざる利機といふべし、大根といふべし。勵志の堅固なる、傳聞するは或從經卷なり。ねがふべきをねがひ、はづべきをはぢとせん、長慶に相逢すべきなり。實を論ずれば、ただ道心なく、操行つたなきによりて、いたづらに名利には繋縛せらるるなり。

 

 大潙山大圓禪師は、百丈の授記より、直に潙山の峭絶にゆきて、鳥獸爲伍して結草修練す。風雪を辭勞することなし。橡栗充食せり。堂宇なし、常住なし。しかあれども、行持の見成すること四十來年なり。のちには海内の名藍として龍象蹴踏するものなり。

 梵刹の現成を願ぜんにも、人情をめぐらすことなかれ、佛法の行持を堅固にすべきなり。修練ありて堂閣なきは古佛の道場なり、露地樹下の風、とほくきこゆ。この處在、ながく結界となる。まさに一人の行持あれば、諸佛の道場につたはるなり。末世の愚人、いたづらに堂閣の結構につかるることなかれ。佛祖いまだ堂閣をねがはず。自己の眼目いまだあきらめず、いたづらに殿堂精藍を結構する、またく諸佛の佛宇を供養せんとにはあらず、おのれが名利の窟宅とせんがためなり。潙山のそのかみの行持、しづかにおもひやるべきなり。おもひやるといふは、わがいま潙山にすめらんがごとくおもふべし。深夜のあめの聲、こけをうがつのみならんや、巖石を穿却するちからもあるべし。冬天のゆきの夜は、禽獸もまれなるべし、いはんや人煙のわれをしるあらんや。命をかろくし法をおもくする行持にあらずは、しかあるべからざる活計なり。薙草すみやかならず、土木いとなまず。ただ行持修練し、辨道功夫あるのみなり。あはれむべし、正法傳持の嫡祖、いくばくか山中の嶮岨にわづらふ。潙山をつたへきくには、池あり、水あり、こほりかさなり、きりかさなるらん。人物の堪忍すべき幽棲にあらざれども、佛道と玄奥と、化、成ずることあらたなり。かくのごとく行持しきたれりし道得を見聞す、身をやすくしてきくべきにあらざれども、行持の勤勞すべき報謝をしらざれば、たやすくきくといふとも、こころあらん晩學、いかでかそのかみの潙山を、目前のいまのごとくおもひやりてあはれまざらん。

 この潙山の行持の道力化功によりて、風輪うごかず、世界やぶれず。天衆の宮殿おだいかなり、人間の國土も保持せるなり。潙山の遠孫にあらざれども、潙山は祖宗なるべし。のちに仰山きたり侍奉す。仰山、もとは百丈先師のところにして、問十答百の鶖子なりといへども、潙山に參侍して、さらに看牛三年の功夫となる。近來は斷絶し、見聞することなき行持なり。三年の看牛、よく道得を人にもとめざらしむ。

 

 芙蓉山の楷祖、もはら行持見成の本源なり。國主より定照禪師號ならびに紫袍をたまふに、祖、うけず、修表具辭す。國主とがめあれども、師、つひに不受なり。米湯の法味つたはれり。芙蓉山に庵せしに、道俗の川湊するもの、僅數百人なり。日食粥一杯なるゆゑに、おほく引去す。師、ちかふて赴齋せず。あるとき衆にしめすにいはく、

 夫出家者、爲厭塵勞。求脱生死、休心息念、斷絶攀緣。故名出家。豈可以等閑利養、埋沒平生。直須兩頭撒開、中間放下。遇聲遇色、如石上栽華。見利見名、似眼中著屑。況從無始以來、不是不曾經歴、又不是不知次第、不過翻頭作尾。止於如此、何須苦苦貪戀。如今不歇、更待何時。所以先聖、教人只要盡却。今時能盡今時、更有何事。若得心中無事、佛祖猶是冤家。一切世事、自然冷淡、方始那邊相應(夫れ出家は、塵勞を厭はん爲なり。脱生死を求め、休心息念し攀緣を斷絶す。故に出家と名づく。豈に等閑の利養を以て、平生を埋沒す可けんや。直に須らく兩頭撒開し、中間放下すべし。聲に遇ひ色に遇ふも、石上華を栽うるが如し。利を見名を見るも、眼中に著屑に似たるべし。況んや無始より以來、是れ曾て經歴せざるにあらず、又是れ次第を知らざるにあらず、翻頭作尾に過ぎず。止此の如くなるに於て、何ぞ須らく苦苦に貪戀せん。如今歇めずは、更に何れの時をか待たん。所以に先聖、人をして只要ず盡却せしむ。今時能く今時を盡さば、更に何事か有らん。若し心中の無事を得れば、佛祖も猶是れ冤家なるがごとし。一切世事、自然冷淡なり、方に始めて那邊相應す)。

 儞不見、隱山至死、不肯見人。趙州至死、不肯告人、匾擔拾橡栗爲食、大梅以荷葉爲衣、紙衣道者は只披紙、玄太上座只著布。石霜置枯木堂、與衆坐臥、只要死了儞心。投子使人辨米、同煮共餐、要得省取儞事。且從上諸聖、有如此榜樣。若無長處、如何甘得。諸仁者、若也於斯體究、的不虧人。若也不肯承當、向後深恐費力(儞見ずや、隱山死に至るまで人に見えんことを肯せず。趙州は死に至るまで人に告げんことを肯せず。匾擔は橡栗を拾つて食とし、大梅は荷葉を以て衣とし、紙衣道者は只だ紙を披る、玄太上座は只だ布を著る。石霜は枯木堂を置きて衆と與に坐臥す。只儞が心を死了せんことを要す。投子は人をして米を辨じ、同煮共餐せしむ、儞が事を省取することを要得す。且く從上の諸聖、此の如くの榜樣有り。若し長處無くんば、如何甘得せん。諸仁者、若也斯に於て體究すれば、的不虧人なり。若也承當を肯せずは、向後深く恐らくは費力せん)。

 山僧行業無取、忝主山門。豈可坐費常住、頓忘先聖附屬。今者輙欲略學古人爲住持體例。與諸人議定、更不下山、不赴齋、不發化主。唯將本院莊課一歳所得、均作三百六十分、日取一分用之、更不隨人添減。可以備飯則作飯、作飯不足則作粥。作粥不足、則作米湯。新到相見、茶湯而已、更不煎點。唯置一茶堂、自去取用。務要省緣、專一辨道(山僧行業取無くして、忝く山門を主す。豈に坐ら常住を費やし、頓に先聖の附屬を忘る可けんや。今は輙ち古人の住持たる體例に略學せんとす。諸人と議定して更に山を下らず、齋に赴かず、化主を發せず。唯、本院の莊課一歳の所得を將て、均しく三百六十分に作して、日に一分を取つて之を用ゐる、更に人に隨つて添減せず。以て飯に備すべきには則ち作飯す、作飯不足なれば則ち作粥す。作粥不足なれば、則ち米湯に作る。新到の相見は、茶湯のみなり、更に煎點せず。唯一の茶堂を置いて、自去取用す。務要省緣し、專一に辨道す)。

 又況活計具足、風景不疎。華解笑、鳥解啼。木馬長鳴、石牛善走。天外之靑山寡色、耳畔之鳴泉無聲。嶺上猿啼、露濕中霄之月。林間鶴唳、風囘淸曉之松。春風起時枯木龍吟、秋葉凋而寒林花散。玉階鋪苔蘚之紋、人面帶煙霞之色。音塵寂爾、消息宛然。一味蕭條、無可趣向(又況んや活計具足し、風景疎ならず。華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す。木馬長く鳴き、石牛善く走る。天外の靑山色寡く、耳畔の鳴泉聲無し。嶺上猿啼んで露中霄の月を濕らす。林間鶴唳いて風淸曉の松を囘る。春風起こる時枯木龍吟す、秋葉凋みおちて寒林花を散ず。玉階苔蘚の紋を鋪き、人面煙霞の色を帶す。音塵寂爾にして、消息宛然なり。一味蕭條として、趣向すべき無し)。

 山僧今日、向諸人面前説家門。已是不著便、豈可更去陞堂入室、拈槌豎拂、東喝西棒、張眉努目、如癇病發相似。不唯屈沈上座、況亦辜負先聖(山僧今日、諸人の面前に向つて家門を説く。已に是れ不著便なり、豈に更に去いて陞堂し入室し、拈槌豎拂し、東喝西棒し、張眉怒目して、癇病發相似の如くなるべけんや。唯上座を屈沈するのみにあらず、況に亦先聖を辜負せん)。

 儞不見、達磨西來、到少室山下、面壁九年。二祖至立雪斷臂、可謂受艱辛。然而達磨不曾措了、二祖不曾問著一句。還喚達磨作不爲人得麼、喚二祖做不求師得麼。山僧毎至説著古聖做處、便無覺地容身。慚愧後人軟弱。又況百味珍羞、逓相供養、道我四事具足、方可發心。只恐做手脚不迭、便是隔生隔世去也。時光似箭、深爲可惜。雖然如是、更在他人從長相度。山僧也強教儞不得(儞見ずや、達磨西來して、少室山の下に到つて、面壁九年す。二祖立雪斷臂するに至るまで、謂つべし、艱辛を受くと。然れども達磨曾て措了せず、二祖曾て一句を問著せず。還つて達磨を喚んで不爲人と作んや、二祖を喚んで不求師と做んや。山僧古聖の做處を説著するに至る毎に、便ち地の容身すべき無きを覺ゆ。慚愧づらくは後人軟弱なること。又況に百味珍羞、逓に相供養し、道ふ、我れは四事具足して、方に發心すべしと。只恐らくは做手脚不迭にして、便ち是れ隔生隔世せん。時光箭に似たり、深く可惜たり。然も是の如くなりと雖も、更に他人の從長して相度する在らん。山僧也強ひて儞に教ふること不得なり)。

 諸人者、還見古人偈麼(諸人者、還古人の偈を見るや)、

 山田脱粟飯、

 野菜淡黄齏、

 喫則從君喫、

 不喫任東西。

 (山田脱粟の飯、野菜淡黄の齏、喫することは則ち君の喫するに從す、喫せざれば東西に任す。)

 伏惟同道、各自努力。珍重(伏して惟んみれば同道、各自努力よや。珍重)。

 これすなはち祖宗單傳の骨髓なり。

 高祖の行持おほしといへども、しばらくこの一枚を擧するなり。いまわれらが晩學なる、芙蓉高祖の芙蓉山に修練せし行持、したひ參學すべし。それすなはち祇園の正儀なり。

 

 洪州江西開元寺大寂禪師、諱道一、漢州十方縣人なり。南嶽に參侍すること十餘載なり。あるとき、郷里にかへらんとして半路にいたる。半路よりかへりて燒香禮拜するに、南嶽ちなみに偈をつくりて馬祖にたまふにいはく、

 勸君莫歸郷、

 歸郷道不行。

 竝舍老婆子、

 説汝舊時名。

 (勸君すらく歸郷すること莫れ、歸郷は道行はれず。竝舍の老婆子、汝が舊時の名を説かん。)

 この法話をたまふに、馬祖、うやまひたまはりて、ちかひていはく、われ生生にも漢州にむかはざらんと誓願して、漢州にむかひて一歩をあゆまず。江西に一往して十方を往來せしむ。わづかに卽心卽佛を道得するほかに、さらに一語の爲人なし。しかありといへども南嶽の嫡嗣なり、人天の命脈なり。

 いかなるかこれ莫歸郷。莫歸郷とはいかにあるべきぞ。東西南北の歸去來、ただこれ自己の倒起なり。まことに歸郷道不行なり。道不行なる歸郷なりとや行持する、歸郷にあらざるとや行持する、歸郷なにによりてか道不行なる。不行にさへらるとやせん、自己にさへらるとやせん。

 竝舍老婆子は説汝舊時名なりとはいはざるなり。竝舍老婆子、説汝舊時名なりといふ道得なり。南嶽いかにしてかこの道得ある、江西いかにしてかこの法語をうる。その道理は、われ向南行するときは大地おなじく向南行するなり、餘方もまたしかあるべし。須彌大海を量としてしかあらずと疑殆し、日月星辰に格量して猶滯するは小見なり。

 

 第三十二祖大滿禪師は黄梅人なり。俗姓は周氏なり。母の姓を稱なり。師は無父而生なり。たとへば、李老君のごとし。七歳傳法よりのち、七十有四にいたるまで、佛祖正法眼藏、よくこれを住持し、ひそかに衣法を慧能行者に付屬する、不群の行持なり。衣法を神秀にしらせず、慧能に付屬するゆゑに正法の壽命不斷なるなり。

 

 先師天童和尚は越上人事なり。十九歳にして教學をすてて參學するに、七旬におよんでなほ不退なり。嘉定の皇帝より紫衣師號をたまはるといへどもつひにうけず、修表辭謝す。十方の雲衲ともに崇重す、遠近の有識ともに隨喜するなり。皇帝大悅して御茶をたまふ。しれるものは奇代の事と讃歎す、まことにこれ眞實の行持なり。そのゆゑは、愛名は犯禁よりもあし。犯禁は一事の非なり、愛名は一生の累なり。おろかにしてすてざることなかれ、くらくしてうくることなかれ。うけざるは行持なり、すつるは行持なり。六代の祖師、おのおの師號あるは、みな滅後の敕謚なり、在世の愛名にあらず。しかあれば、すみやかに生死の愛名をすてて、佛祖の行持をねがふべし。貪愛して禽獸にひとしきことなかれ。おもからざる吾我をむさぼり愛するは禽獸もそのおもひあり、畜生もそのこころあり。名利をすつることは人天もまれなりとするところ、佛祖いまだすてざるはなし。

 あるがいはく、衆生利益のために貪名愛利すといふ、おほきなる邪説なり。附佛法の外道なり、謗正法の魔黨なり。なんぢいふがごとくならば、不貪名利の佛祖は利生なきか。わらふべし、わらふべし。又、不貪の利生あり、いかん。又そこばくの利生あることを學せず、利生にあらざるを利生と稱ずる、魔類なるべし。なんぢに利益せられん衆生は、墮獄の種類なるべし。一生のくらきことをかなしむべし、愚蒙を利生に稱ずることなかれ。しかあれば、師號を恩賜すとも上表辭謝する、古來の勝躅なり、晩學の參究なるべし。まのあたり先師をみる、これ人にあふなり。

 先師は十九歳より離郷尋師、辨道功夫すること、六十五歳にいたりてなほ不退不轉なり。帝者に親近せず、帝者にみえず。丞相と親厚ならず、官員と親厚ならず。紫衣師號を表辭するのみにあらず、一生まだらなる袈裟を搭せず、よのつねに上堂入室、みなくろき袈裟裰子をもちゐる。

 衲子を教訓するにいはく、參禪學道は第一有道心、これ學道のはじめなり。いま二百來年、祖師道すたれたり、かなしむべし。いはんや一句を道得せる皮袋すくなし。某甲そのかみ徑山に掛錫するに、光佛照そのときの粥飯頭なりき。上堂していはく、佛法禪道かならずしも他人の言句をもとむべからず、ただ各自理會。かくのごとくいひて、僧堂裏都不管なりき、雲水兄弟也都不管なり。祗管與官客相見追尋(祗管に官客と相見追尋)するのみなり。佛照、ことに佛法の機關をしらず、ひとへに貪名愛利のみなり。佛法もし各自理會ならば、いかでか尋師訪道の老古錐あらん。眞箇是光佛照、不曾參禪也(眞箇是れ光佛照、曾て參禪せざるなり)。いま諸方長老無道心なる、ただ光佛照箇子也。佛法那得他手裏有(佛法那んぞ他が手裏に有ることを得ん)。可惜、可惜。

 かくのごとくいふに、佛照兒孫おほくきくものあれど、うらみず。

 又いはく、參禪者身心脱落也、不用燒香禮拜念佛修懺看經、祗管坐始得(參禪は身心脱落なり、燒香禮拜念佛修懺看經を用ゐず、祗管に坐して始得なり)。

 まことに、いま大宋國の諸方に、參禪に名字をかけ、祖宗の遠孫と稱ずる皮袋、ただ一、二百のみにあらず、稻麻竹葦なりとも、打坐を打坐に勸誘するともがら、たえて風聞せざるなり。ただ四海五湖のあひだ、先師天童のみなり。諸方もおなじく天童をほむ、天童諸方をほめず。又すべて天童をしらざる大刹の主もあり。これは中華にむまれたりといへども、禽獸の流類ならん。參ずべきを參ぜず、いたづらに光陰を蹉過するがゆゑに。あはれむべし、天童をしらざるやからは、胡説亂道をかまびすしくするを佛祖の家風と錯認せり。

 

 先師よのつねに普説す、われ十九載よりこのかた、あまねく諸方の叢林をふるに、爲人師なし。十九載よりこのかた、一日一夜も不礙蒲團の日夜あらず。某甲未住院よりこのかた、郷人とものがたりせず。光陰をしきによりてなり。掛錫の所在にあり、庵裏寮舍すべていりてみることなし。いはんや游山翫水に功夫をつひやさんや。雲堂公界の坐禪のほか、あるいは閣上、あるいは屏處をもとめて、獨子ゆきて、穩便のところに坐禪す。つねに袖裏に蒲團をたづさへて、あるいは岩下にも坐禪す。つねにおもひき、金剛座を坐破せんと。これ、もとむる所期なり。臀肉の爛壞するときどきもありき。このとき、いよいよ坐禪をこのむ。某甲今年六十五載、老骨頭懶、不會坐禪なれども、十方兄弟をあはれむによりて、住持山門、曉諭方來、爲衆傳道なり。諸方長老、那裏有什麼佛法なるゆゑに。

 かくのごとく上堂し、かくのごとく普説するなり。

 又、諸方の雲水の人事の産をうけず。

 

 趙提擧は嘉定聖主の胤孫なり。知明州軍州事、管内勸農使なり。先師を請じて州府につきて陞座せしむるに、銀子一萬鋌を布施す。

 先師、陞座了に、提擧にむかうて謝していはく、某甲依例出山陞座、開演正法眼藏涅槃妙心、謹以薦福先公冥府。只是銀子、不敢拜領。僧家不要這般物子。千萬賜恩、依舊拜還(某甲例に依つて出山して陞座し、正法眼藏涅槃妙心を開演す。謹んで以て先公の冥府に薦福す。只だ是の銀子、敢へて拜領せじ。僧家、這般の物子を要せず。千萬賜恩、舊に依つて拜還せん)。

 提擧いはく、和尚、下官悉以皇帝陛下親族、到處且貴、寶貝見多。今以先父冥福之日、欲資冥府。和尚如何不納。今日多幸、大慈大悲、卒留小襯(和尚、下官悉く皇帝陛下の親族なるを以て、到る處に且つ貴なり、寶貝見に多し。今、先父の冥福の日を以て、冥府に資せんと欲ふ。和尚如何不納めたまはざる。今日多幸、大慈大悲をもて、小襯を卒留したまへ)。

 先師曰、提擧台命且嚴、不敢遜謝。只有道理、某甲陞座説法、提擧聰聽得否(提擧の台命且つ嚴なり、敢へて遜謝せず。只し道理有り、某甲陞座説法す、提擧聰かに聽得すや否や)。

 提擧曰、下官只聽歡喜(下官只だ聽いて歡喜す)。

 先師いはく、提擧聰明、照鑑山語、不勝皇恐。更望台臨、鈞候萬福。山僧陞座時、説得甚麼法。試道看。若道得、拜領銀子一萬鋌、若道不得、便府使收銀子(提擧聰明にして、山語を照鑑す、皇恐に勝へず。更に望むらくは台臨、鈞候萬福。山僧陞座の時、甚麼の法をか説得する。試道看。若し道ひ得ば、銀子一萬鋌を拜領せん。若し道ひ得ずは、便ち府使銀子を收めよ)。

 提擧起向先師曰、卽辰伏惟、和尚法候、動止萬福。

 先師いはく、這箇是擧來底、那箇是聽得底(這箇は是れ擧し來る底、那箇か是れ聽得底なる)。

 提擧擬議。

 先師いはく、先公冥福圓成、襯施且待先公台判(先公冥福圓成なり、襯施は且く先公の台判を待つべし)。

 かくのごとくいひて、すなはち請暇するに、提擧いはく、未恨不領、且喜見師(未だ不領なるをば恨みず、且喜ぶ師を見ることを)。

 かくのごとくてひて、先師をおくる。浙東浙西の道俗、おほく讃歎す。このこと、平侍者が日録にあり。

 平侍者いはく、這老和尚、不可得人。那裏容易得見(這の老和尚は、不可得人なり。那裏にか容易く見ることを得ん)。

 たれか諸方にうけざる人あらん、一萬鋌の銀子。ふるき人のいはく、金銀珠玉、これをみんこと糞土のごとくみるべし。たとひ金銀のごとくみるとも、不受ならんは衲子の風なり。先師にこの事あり、餘人にこのことなし。

 先師つねにいはく、三百年よりこのかた、わがごとくなる知識いまだいでず。諸人審細に辨道功夫すべし。

 

 先師の會に、西蜀の綿州人にて、道昇とてありしは道家流なり。徒儻五人、ともにちかうていはく、われら一生に佛祖の大道を辨取すべし。さらに郷土にかへるべからず。

 先師ことに隨喜して、經行道業ともに衆僧と一如ならしむ。その排列のときは比丘尼のしもに排立す、奇代の勝躅なり。

 又、福州の僧、その名善如、ちかひていはく、善如平生さらに一歩をみなみにむかひてうつすべからず。もはら佛祖の大道を參ずへし。

 先師の會に、かくのごとくのたぐひあまたあり。まのあたりみしところなり。餘師のところになしといへども、大宋國の僧宗の行持なり。われらにこの心操なし、かなしむべし。佛法にあふときなほしかあり、佛法にあはざらんときの身心、はぢてもあまりあり。

 しづかにおもふべし、一生いくばくにあらず、佛祖の語句、たとひ三三兩兩なりとも、道得せんは佛祖を道得せるならん。ゆゑはいかん。佛祖は身心如一なるがゆゑに、一句兩句、みな佛祖のあたたかなる身心なり。かの身心きたりてわが身心を道得す。正當道取時、これ道得きたりてわが身心を道取するなり。此生道取累生身なるべし。かるがゆゑに、ほとけとなり祖となるに、佛をこゑ祖をこゆるなり。三三兩兩の行持の句、それかくのごとし。いたづらなる聲色の名利に馳騁することなかれ。馳騁せざれば、佛祖單傳の行持なるべし。すすむらくは大隱小隱、一箇半箇なりとも、萬事萬緣をなげすてて、行持を佛祖に行持すべし。

 

佛祖行持

 

 仁治三年壬寅四月五日書于觀音導利興聖寶林寺

 

 

正法眼藏第十七 恁麼

 雲居山弘覺大師は、洞山の嫡子なり。釋迦牟尼佛より三十九世の法孫なり、洞山宗の嫡祖なり。

 一日示衆云、欲得恁麼事、須是恁麼人。既是恁麼人、何愁恁麼事。

 いはゆるは、恁麼事をえんとおもふは、すべからくこれ恁麼人なるべし。すでにこれ恁麼人なり、なんぞ恁麼事をうれへん。この宗旨は、直趣無上菩提、しばらくこれを恁麼といふ。この無上菩提のていたらくは、すなはち盡十方界も無上菩提の少許なり。さらに菩提の盡界よりもあまるべし。われらもかの盡十方界のなかにあらゆる調度なり。なにによりてか恁麼あるとしる。いはゆる身心ともに盡界にあらはれて、われにあらざるゆゑにしかありとしるなり。

 身すでにわたくしにあらず、いのちは光陰にうつされてしばらくもとどめがたし。紅顔いづくへかさりにし、たづねんとするに蹤跡なし。つらつら觀ずるところに、往事のふたたびあふべからざるおほし。赤心もとどまらず、片片として往來す。たとひまことありといふとも、吾我のほとりにとどこほるものにあらず。恁麼なるに、無端に發心するものあり。この心おこるより、向來もてあそぶところをなげすてて、所未聞をきかんとねがひ、所未證を證せんともとむる、ひとへにわたくしの所爲にあらず。しるべし、恁麼人なるゆゑにしかあるなり。なにをもつてか恁麼人にてありとしる、すなはち恁麼事をえんとおもふによりて恁麼人なりとしるなり。すでに恁麼人の面目あり、いまの恁麼事をうれふべからず。うれふるもこれ恁麼事なるがゆゑに、うれへにあらざるなり。又恁麼事の恁麼あるにも、おどろくべからず。たとひおどろきあやしまるる恁麼ありとも、さらにこれ恁麼なり。おどろくべからずといふ恁麼あるなり。これただ佛量にて量ずべからず、心量にて量ずべからず、法界量にて量ずべからず、盡界量にて量ずべからず。ただまさに既是恁麼人、何愁恁麼事なるべし。このゆゑに、聲色の恁麼は恁麼なるべし、身心の恁麼は恁麼なるべし、諸佛の恁麼は恁麼なるべきなり。たとへば、因地倒者(地に因りて倒るる者)のときを恁麼なりと恁麼會なるに、必因地起(必ず地に因りて起く)の恁麼のとき、因地倒をあやしまざるなり。

 

 古昔よりいひきたり、西天よりいひきたり、天上よりいひきたれる道あり。いはゆる若因地倒、還因地起、離地求起、終無其理(若し地に因りて倒るるは、還た地に因りて起く、地を離れて起きんと求むるは、終に其の理無けん)。

 いはゆる道は、地によりてたふるるものはかならず地によりておく、地によらずしておきんことをもとむるは、さらにうべからずとなり。しかあるを擧拈して、大悟をうるはしとし、身心をもぬくる道とせり。このゆゑに、もし、いかなるか諸佛成道の道理なると問著するにも、地にたふるるものの地によりておくるがごとしといふ。これを參究して向來をも透脱すべし、末上をも透脱すべし、正當恁麼時をも透脱すべし。大悟不悟、却迷失迷、被悟礙、被迷礙。ともにこれ地にたふるるものの、地によりておくる道理なり。これ天上天下の道得なり、西天東地の道得なり、古往今來の道得なり、古佛新佛の道得なり。この道得、さらに道未盡あらず、道虧闕あらざるなり。

 しかあれども、恁麼會のみにして、さらに不恁麼會なきは、このことばを參究せざるがごとし。たとひ古佛の道得は恁麼つたはれりといふとも、さらに古佛として古佛の道を聞著せんとき、向上の聞著あるべし。いまだ西天に道取せず、天上に道取せずといへども、さらに道著の道理あるなり。いはゆる地によりてたふるるもの、もし地によりておきんことをもとむるには、無量劫をふるに、さらにおくべからず。まさにひとつの活路よりおくることをうるなり。いはゆる地によりてたふるるものは、かならず空によりておき、空によりてたふるるものは、かならず地によりておくるなり。もし恁麼あらざらんは、つひにおくることあるべからず。諸佛諸祖、みなかくのごとくありしなり。

 もし人ありて恁麼とはん、空と地と、あひさることいくそばくぞ。

 恁麼問著せんに、かれにむかひて恁麼いふべし、空と地と、あひさること十萬八千里なり。若因地倒、必因空起、離空求起、終無其理、若因空倒、必因地起、離地求起、終無其理(地に因りて倒るるがごときは、必ず空に因りて起く。空を離れて起きんと求むるは終に其の理無けん。空に因りて倒るるがごときは、必ず地に因りて起く。地を離れて起きんと求むるは終に其の理無けん)。

 もしいまだかくのごとく道取せざらんは、佛道の地空の量、いまだしらざるなり、いまだみざるなり。

 

 第十七代の祖師、僧伽難提尊者、ちなみに伽耶舍多、これ法嗣なり。あるとき、殿にかけてある鈴鐸の、風にふかれてなるをききて、伽耶舍多にとふ、風のなるとやせん、鈴のなるとやせん。

 伽耶舍多まうさく、風の鳴にあらず、鈴の鳴にあらず、我心の鳴なり。

 僧伽難提尊者いはく、心はまたなにぞや。

 伽耶舍多まうさく、ともに寂靜なるがゆゑに。

 僧伽難提尊者いはく、善哉善哉、わが道を次べきこと、子にあらずよりはたれぞや。

 つひに正法眼藏を傳付す。

 これは風の鳴にあらざるところに、我心鳴を學す。鈴のなるにあらざるとき、我心鳴を學す。我心鳴はたとひ恁麼なりといへども、倶寂靜なり。

 西天より東地につたはれ、古代より今日にいたるまで、この因緣を學道の標準とせるに、あやまるたぐひおほし。

 伽耶舍多の道取する風のなるにあらず、鈴のなるにあらず、心のなるなりといふは、能聞の恁麼時の正當に念起あり、この念起を心といふ。この心念もしなくは、いかでか鳴響を緣ぜん。この念によりて聞を成ずるによりて、聞の根本といひぬべきによりて、心のなるといふなり。これは邪解なり。正師のちからをえざるによりてかくのごとし。たとへば、依主隣近の論師の釋のごとし。かくのごとくなるは佛道の玄學にあらず。

 しかあるを、佛道の嫡嗣に學しきたれるには、無上菩提正法眼藏、これを寂靜といひ、無爲といひ、三昧といひ、陀羅尼といふ道理は、一法わづかに寂靜なれば、萬法ともに寂靜なり。風吹寂靜なれば鈴鳴寂靜なり。このゆゑに倶寂靜といふなり。心鳴は風鳴にあらず、心鳴は鈴鳴にあらず、心鳴は心鳴にあらずと道取するなり。親切の恁麼なるを究辨せんよりは、さらにただいふべし、風鳴なり、鈴鳴なり、吹鳴なり、鳴鳴なりともいふべし。何愁恁麼事のゆゑに恁麼あるにあらず、何關恁麼事なるによりて恁麼なるなり。

 

 第三十三祖大鑑禪師、未剃髪のとき、廣州法性寺に宿するに、二僧ありて相論するに、一僧いはく、幡の動ずるなり。

 一僧いはく、風の動ずるなり。

 かくのごとく相論往來して休歇せざるに、六祖いはく、風動にあらず、幡動にあらず、仁者心動なり。

 二僧ききてすみやかに信受す。

 この二僧は西天よりきたれりけるなり。しかあればすなはち、この道著は風も幡も動も、ともに心にてあると、六祖は道取するなり。まさにいま六祖の道をきくといへども、六祖の道をしらず。いはんや六祖の道得を道取することをえんや。爲甚麼恁麼道(甚麼としてか恁麼道ふ)。

 いはゆる仁者心動の道をききて、すなはち仁者心動といはんとしては、仁者心動と道取するは、六祖をみず、六祖をしらず、六祖の法孫にあらざるなり。いま六祖の兒孫として、六祖の道を道取し、六祖の身體髪膚をえて道取するには、恁麼いふべきなり。いはゆる仁者心動はさもあらばあれ、さらに仁者動といふべし。爲甚麼恁麼道。

 いはゆる動者動なるがゆゑに、仁者仁者なるによりてなり。既是恁麼人なるがゆゑに恁麼道なり。

 六祖のむかしは新州の樵夫なり。山をもきはめ、水をもきはむ。たとひ靑松の下に功夫して根源を截斷せりとも、なにとしてか明窓のうちに從容して、照心の古教ありとしらん。澡雪たれにかならふ。いちにありて經をきく、これみづからまちしところにあらず、他のすすむるにあらず。いとけなくして父を喪し、長じては母をやしなふ。しらず、このころもにかかれりける一顆珠の乾坤を照破することを。たちまちに發明せしより、老母をすてて知識をたづぬ、人のまれなる儀なり。恩愛のたれかかろからん。法をおもくして恩愛をかろくするによりて棄恩せしなり。これすなはち有智若聞、卽能信解(智有るもの若し聞かば、卽ち能く信解す)の道理なり。

 いはゆる智は、人に學せず、みづからおこすにあらず。智よく智につたはれ、智すなはち智をたづぬるなり。五百の蝙蝠は智おのづから身をつくる。さらに身なし、心なし。十千の游魚は智したしく身にてあるゆゑに、緣にあらず、因にあらずといへども、聞法すれば卽解するなり。きたるにあらず、入にあらず。たとへば、東君の春にあふがごとし。智は有念にあらず、智は無念にあらず。智は有心にあらず、智は無心にあらず。いはんや大小にかかはらんや、いはんや迷悟の論ならんや。いふところは、佛法はいかにあることともしらず、さきより聞取するにあらざれば、したふにあらず、ねがふにあらざれども、聞法するに、恩をかろくし身をわするるは、有智の身心すでに自己にあらざるがゆゑにしかあらしむるなり。これを卽能信解といふ。しらず、いくめぐりの生死にか、この智をもちながら、いたづらなる塵勞にめぐる。なほし石の玉をつつめるが、玉も石につつまれりともしらず、石も玉をつつめりともしらざるがごとし。人これをしる、人これを採。これすなはち玉の期せざるところ、石のまたざるところ、石の知見によらず、玉の思量にあらざるなり。すなはち人と智とあひしらざれども、道かならず智にきかるるがごとし。

 無智疑怪、卽爲永失(智無きは疑怪す、卽ち爲めに永く失ふ)といふ道あり。智かならずしも有にあらず、智かならずしも無にあらざれども、一時の春松なる有あり、秋菊なる無あり。この無智のとき、三菩提みな疑怪となる、盡諸法みな疑怪なり。このとき永失卽爲なり。所聞すべき道、所證なるべき法、しかしながら疑怪なり。われにあらず、徧界かくるるところなし。たれにあらず、萬里一條鐵なり。たとひ恁麼して抽枝なりとも、十方佛土中、唯有一乘法なり。たとひ恁麼して葉落すとも、是法住法位、世間相常住なり。既是恁麼事なるによりて、有智と無智と、日面と月面となり。

 恁麼人なるがゆゑに、六祖も發明せり。つひにすなはち黄梅山に參じて大滿禪師を拜するに、行堂に投下せしむ。晝夜に米を碓こと、わづかに八箇月をふるほどに、あるとき夜ふかく更たけて、大滿みづからひそかに碓房にいたりて六祖にとふ、米白也未(米白まれりや未だしや)と。

 六祖いはく、白也未有篩在(白けれども未だ篩ること有らず)。

 大滿つゑして臼をうつこと三下するに、六祖、箕にいれる米をみたび簸る。このときを、師資の道あひかなふといふ。みづからもしらず、他も不會なりといへども、傳法傳衣、まさしく恁麼の正當時節なり。

 

 南嶽山無際大師、ちなみに藥山とふ、三乘十二分教某甲粗知。嘗聞南方直指人心、見性成佛、實未明了。伏望和尚、慈悲指示(三乘十二分教は某甲粗知れり。嘗て聞く、南方の直指人心、見性成佛、實に未だ明了ならず。伏望すらくは和尚、慈悲をもて指示したまはんことを)。

 これ藥山の問なり。藥山は本爲講者なり。三乘十二分教は通利せりけるなり。しかあれば、佛法さらに昧然なきがごとし。むかしは別宗いまだおこらず、ただ三乘十二分教をあきらむるを教學の家風とせり。いまの人おほく鈍致にして、各各の宗旨をたてて佛法を度量する、佛道の法度にあらず。

 大師いはく、恁麼也不得、不恁麼也不得、恁麼不恁麼總不得、汝作麼生(恁麼も不得、不恁麼も不得なり、恁麼不恁麼摠に不得なり。汝作麼生)。

 これすなはち大師の藥山のためにする道なり。まことにそれ恁麼不恁麼摠不得なるゆゑに、恁麼不得なり、不恁麼不得なり。恁麼は恁麼をいふなり。有限の道用にあらず、無限の道用にあらず、恁麼は不得に參學すべし、不得は恁麼に問取すべし。這箇の恁麼および不得、ひとへに佛量のみにかかはれるにあらざるなり。會不得なり、悟不得なり。

 

 曹谿山大鑑禪師、ちなみに南嶽大慧禪師にしめすにいはく、是什麼物恁麼來。

 この道は、恁麼はこれ不疑なり、不會なるがゆゑに、是什麼物なるがゆゑに、萬物まことにかならず什麼物なると參究すべし。一物まことにかならず什麼物なると參究すべし。什麼物は疑著にはあらざるなり、恁麼來なり。

 

正法眼藏恁麼第十七

 

 爾時仁治三年壬寅三月二十日在于觀音導利興聖寶林寺示衆

 寛元元年癸卯四月十四日書寫之侍者寮 懷弉

 

 

正法眼藏第十八 觀音

 雲巖無住大師、問道吾山修一大師、大悲菩薩、用許多手眼作麼(雲巖無住大師、道吾山修一大師に問ふ、大悲菩薩、許多の手眼を用ゐて作麼)。

 道悟曰、如人夜間背手摸枕子(人の夜間に手を背にして枕子を摸するが如し)。

 雲巖曰、我會也、我會也(我會せり、我會せり)。

 道悟曰、汝作麼生會(汝作麼生か會せる)。

 雲巖曰、遍身是手眼。

 道悟曰、道也太殺道、祗得八九成(道ふことは太殺道へり、ただ道得すること八九成なり)。

 雲巖曰、某甲祗如此(某甲はただ此の如し)、師兄作麼生。

 道悟曰、通身是手眼。

 道得觀音は、前後の聞聲ままにおほしといへども、雲巖道悟にしかず。觀音を參學せんとおもはば、雲巖道悟のいまの道也を參究すべし。いま道取する大悲菩薩といふは、觀世音菩薩なり、觀自在菩薩ともいふ。諸佛の父母とも參學す、諸佛よりも未得道なりと參學することなかれ。過去正法明如來也。

 しかあるに、雲巖道の大悲菩薩、用許多手眼作麼の道を擧拈して、參究すべきなり。觀音を保任せしむる家門あり、觀音を未夢見なる家門あり。雲巖に觀音あり、道悟と同參せり。ただ一兩の觀音のみにあらず、百千の觀音、おなじく雲巖に同參す。觀音を眞箇に觀音ならしむるは、ただ雲巖會のみなり。所以はいかん。雲巖道の觀音と、餘佛道の觀音と、道得道不得なり。餘佛道の觀音はただ十二面なり、雲巖しかあらず。餘佛道の觀音はわづかに千手眼なり、雲巖しかあらず。餘佛道の觀音はしばらく八萬四千手眼なり、雲巖しかあらず。なにをもつてかしかありとしる。

 いはゆる雲巖道の大悲菩薩用許多眼は、許多の道、ただ八萬四千手眼のみにあらず、いはんや十二および三十二三の數般のみならんや。許多は、いくそばくといふなり。如許多の道なり、種般かぎらず。種般すでにかぎらずは、無邊際量にもかぎるべからざるなり。用許多のかず、その宗旨かくのごとく參學すべし。すでに無量無邊の邊量を超越せるなり。いま雲巖道の許多手眼の道を拈來するに、道悟さらに道不著といはず、宗旨あるべし。

 雲巖道悟はかつて藥山に同參の齊肩より、すでに四十年の同行として、古今の因緣を商量するに、不是處は剗却し是處は證明す。恁麼しきたれるに、今日は許多手眼と道取するに、雲巖道取し、道悟證明する、しるべし、兩位の古佛、おなじく同道取せる許多手眼なり。許多手眼は、あきらかに雲巖道悟同參なり。いまは用作麼を道悟に問取するなり。この問取を、經師論師ならびに十聖三賢等の問取にひとしめざるべし。この問取は、道取を擧來せり、手眼を擧來せり。いま用許多手眼作麼と道取するに、この功業をちからとして成佛する古佛新佛あるべし。使許多手眼作麼とも道取しつべし、作什麼とも道取し、動什麼とも道取し、道什麼とも道取ありぬべし。

 道悟いはく、如人夜間背手摸枕子。

 いはゆる宗旨は、たとへば人の夜間に手をうしろにして枕子を摸𢱢するがごとし。摸𢱢するといふは、さぐりもとむるなり。夜間はくらき道得なり。なほ日裡看山と道取せんがごとし。用手眼は、如人夜間背手摸枕子なり。これをもて用手眼を學すべし。夜間を日裡よりおもひやると、夜間にして夜間なるときと、檢點すべし。すべて晝夜にあらざらんときと、檢點すべきなり。人の摸枕子せん、たとひこの儀すなはち觀音の用手眼のごとくなる、會取せざれども、かれがごとくなる道理、のがれのがるべきにあらず。

 いまいふ如人の人は、ひとへに譬喩の言なるべきか。又この人は平常の人にして、平常の人なるべからざるか。もし佛道の平常人なりと學して、譬喩のみにあらずは、摸枕子に學すべきところあり。枕子も咨問すべき何形段あり。夜間も、人天晝夜の夜間のみなるべからず。しるべし、道取するは取得枕子にあらず、牽挽枕子にあらず、推出枕子にあらず。夜間背手摸枕子と道取する道悟の道底を檢點せんとするに、眼の夜間をうる、見るべし、すごさざれ。手のまくらをさぐる、いまだ劑限を著手せず。背手の機要なるべくは、背眼すべき機要のあるか。夜間をあきらむべし。手眼世界なるべきか、人手眼のあるか、ひとり手眼のみ飛霹靂するか、頭正尾正なる手眼の一條兩條なるか。もしかくのごとくの道理を檢點すれば、用許多手眼はたとひありとも、たれかこれ大悲菩薩、ただ手眼菩薩のみきこゆるがごとし。

 恁麼いはば、手眼菩薩、用許多大悲菩薩作麼と問取しつべし。しるべし、手眼はたとひあひ罣礙せずとも、用作麼は恁麼用なり、用恁麼なり。恁麼道得するがごときは、徧手眼は不曾藏なりとも、徧手眼と道得する期をまつべからず。不曾藏の那手眼ありとも、這手眼ありとも、自己にはあらず、山海にはあらず、日面月面にあらず、卽心是佛にあらざるなり。

 雲巖道の我會也、我會也は、道悟の道を我會するといふにあらず。用恁麼の手眼を道取に道得ならしむるには、我會也、我會也なり。無端用這裡なるべし、無端須入今日なるべし。

 道悟道の儞作麼生會は、いはゆる我會也、たとひ我會也なるを罣礙するにあらざれども、道悟に儞作麼生會の道取あり。すでにこれ我會儞會なり、眼會手會なからんや。現成の會なるか、未現成の會なるか。我會也の會を我なりとすとも、儞作麼生會に儞あることを功夫ならしむべし。

 雲巖道の遍身是手眼の出現せるは、夜間背手摸枕子を講誦するに、遍身これ手眼なりと道取せると參學する觀音のみおほし。この觀音たとひ觀音なりとも、未道得なる觀音なり。雲巖道の遍身是手眼といふは、手眼是身遍といふにあらず。遍はたとひ遍界なりとも、身手眼の正當恁麼は、遍の所遍なるべからず。身手眼にたとひ遍の功徳ありとも、攙奪行市の手眼にあらざるべし。手眼の功徳は、是と認ずる見取行取説取あらざるべし。手眼すでに許多といふ、千にあまり、萬にあまり、八萬四千にあまり、無量無邊にあまる。ただ遍身是手眼のかくのごとくあるのみにあらず、度生説法もかくのごとくなるべし、國土放光もかくのごとくなるべし。かるがゆゑに、雲巖道は遍身是手眼なるべし、手眼を遍身ならしむるにはあらずと參學すべし。遍身是手眼を使用すといふとも、動容進止せしむといふとも、動著することなかれ。

 道悟道取す、道也太殺道、祗道得八九成。

 いはくの宗旨は、道得は太殺道なり。太殺道といふは、いひあていひあらはす、のこれる未道得なしといふなり。いますでに未道得のつひに道不得なるべきのこりあらざるを道取するときは、祗道得八九成なり。

 いふ意旨の參學は、たとひ十成なりとも、道未盡なる力量にてあらば參究にあらず。道得は八九成なりとも、道取すべきを八九成に道取すると、十成に道取するとなるべし。當恁麼の時節に、百千萬の道得に道取すべきを、力量の妙なるがゆゑに些子の力量を擧して、わづかに八九成に道得するなり。たとへば、盡十方界を百千萬力に拈來するあらんも、拈來せざるにはすぐるべし。しかあるを、一力に拈來せんは、よのつねの力量なるべからず。いま八九成のこころ、かくのごとし。しかあるを、佛祖の祗道得八九成の道をききては、道得十成なるべきに、道得いたらずして八九成といふと會取す。佛法もしかくのごとくならば、今日にいたるべからず。いはゆるの八九成は、百千といはんがごとし、許多といはんがごとく參學すべきなり。すでに八九成と道取す、はかりしりぬ、八九にかぎるべからずといふなり。佛祖の道話、かくのごとく參學するなり。

 雲巖道の某甲祗如是、師兄作麼生は、道悟のいふ道得八九成の道を道取せしむるがゆゑに、祗如是と道取するなり。これ不留朕迹なりといへども、すなはち臂長衫袖短(臂長くして衫の袖短し)なり、わが適來の道を道未盡ながらさしおくを、某甲祗如是といふにはあらず。

 道悟いはく、通身是手眼。

 いはゆる道は、手眼たがひに手眼として通身なりといふにあらず、手眼の通身を通身是手眼といふなり。

 しかあれば、身はこれ手眼なりといふにはあらず。用許多手眼は、用手用眼の許多なるには、手眼かならず通身是手眼なるなり。用許多身心作麼と問取せんには、通身是作麼なる道得もあるべし。いはんや雲巖の遍と道悟の通と、道得盡、道未盡にはあらざるなり。雲巖の遍と道悟の通と、比量の論にあらずといへども、おのおの許多手眼は恁麼の道取あるべし。しかあれば、釋迦老子の道取する觀音はわづかに千手眼なり、十二面なり、三十三身、八萬四千なり。雲巖道悟の觀音は許多手眼なり。しかあれども、多少の道にはあらず。雲巖道悟の許多手眼の觀音を參學するとき、一切諸佛は觀音の三昧を成八九成するなり。

 

正法眼藏觀音第十八

 

 爾時仁治三年壬寅四月二十六日示

 

 いま佛法西來よりこのかた、佛祖おほく觀音を道取するといへども、雲巖道悟におよばざるゆゑに、ひとりこの觀音を道取す。

 永嘉眞覺大師に、不見一法名如來、方得名爲觀自在(一法を見ざるを如來と名づく、方に名づけて觀自在と爲すことを得たり)の道あり。如來と觀音と、卽現此身なりといへども、他身にはあらざる證明なり。

 麻谷臨濟に正手眼の相見あり。許多の一一なり。

 雲門に見色明心、聞聲悟道の觀音あり。いづれの聲色か見聞の觀世音菩薩にあらざらん。

 百丈に入理の門あり、楞嚴會に圓通觀音あり、法華會に普門示現觀音あり。みな與佛同參なり、與山河大地同參なりといへども、なほこれ許多手眼の一二なるべし。

 

 仁治壬寅仲夏十日書寫之 懷弉

 

正法眼藏第十九 古鏡

 諸佛諸祖の受持し單傳するは古鏡なり。同見同面なり、同像同鑄なり、同參同證す。胡來胡現、十萬八千、漢來漢現、一念萬年なり。古來古現し、今來今現し、佛來佛現し、祖來祖現するなり。

 第十八祖伽耶舍多尊者は、西域の摩提國の人なり。姓は鬱頭藍、父名天蓋、母名方聖。母氏かつて夢見にいはく、ひとりの大神、おほきなるかがみを持してむかへりと。ちなみに懷胎す、七日ありて師をむめり。師、はじめて生ぜるに肌體みがける瑠璃のごとし。いまだかつて洗浴せざるに自然に香潔なり。いとけなくより閑靜をこのむ、言語よのつねの童子にことなり。うまれしより一の淨明の圓鑑、おのづから同生せり。

 圓鑑とは圓鏡なり、奇代の事なり。同生せりといふは、圓鑑も母氏の胎よりむめるにはあらず。師は胎生す、師の出胎する同時に、圓鑑きたりて、天眞として師のほとりに現前して、ひごろの調度のごとくありしなり。この圓鑑、その儀よのつねにあらず。童子むかひきたるには圓鑑を兩手にささげきたるがごとし、しかあれども童面かくれず。童子さりゆくには圓鑑をおほうてさりゆくがごとし、しかあれども童身かくれず。童子睡眠するときは圓鑑そのうへにおほふ、たとへば花蓋のごとし。童子端坐のときは圓鑑その面前にあり。おほよそ動容進止にあひしたがふなり。しかのみにあらず、古來今の佛事、ことごとくこの圓鑑にむかひてみることをう。また天上人間の衆事諸法、みな圓鑑にうかみてくもれるところなし。たとへば、經書にむかひて照古照今をうるよりも、この圓鑑よりみるはあきらかなり。

 しかあるに、童子すでに出家受戒するとき、圓鑑これより現前せず。このゆゑに近里遠方、おなじく奇妙なりと讃歎す。まことに此裟婆世界に比類すくなしといふとも、さらに他那裡に親族かくのごとくなる種胤あらんことを莫怪なるべし、遠慮すべし。まさにしるべし、若樹若石に化せる經卷あり、若田若里に流布する知識あり。かれも圓鑑なるべし。いまの黄紙朱軸は圓鑑なり、たれか師をひとへに希夷なりとおもはん。

 あるとき出遊するに、僧伽難提尊者にあうて、直にすすみて難提尊者の前にいたる。尊者とふ、汝が手中なるはまさに何の所表かある。有何所表を問著にあらずとききて參學すべし。

 師いはく、諸佛大圓鑑、内外無瑕翳、兩人同得見、心眼皆相似(諸佛の大圓鑑は内外瑕翳なし。兩人同じく得見あり、心と眼と皆相似たり)。

 しかあれば、諸佛大圓鑑、なにとしてか師と同生せる。師の生來は大圓鑑の明なり。諸佛はこの圓鑑に同參同見なり。諸佛は大圓鑑の鑄像なり。大圓鑑は、智にあらず理にあらず、性にあらず相にあらず。十聖三賢等の法のなかにも大圓鑑の名あれども、いまの諸佛の大圓鑑にあらず。諸佛かならずしも智にあらざるがゆゑに諸佛に智慧あり。智慧を諸佛とせるにあらず。

 參學しるべし、智を説著するは、いまだ佛道の究竟説にあらざるなり。すでに諸佛大圓鑑たとひわれと同生せりと見聞すといふとも、さらに道理あり。いわゆるこの大圓鑑、この生に接すべからず、他生に接すべからず。玉鏡にあらず銅鏡にあらず、肉鏡にあらず髓鏡にあらず。圓鑑の言偈なるか、童子の説偈なるか。童子この四句の偈をとくことも、かつて人に學習せるにあらず。かつて或從經卷にあらず、かつて或從知識にあらず。圓鑑をささげてかくのごとくとくなり。師の幼稚のときより、かがみにむかふを常儀とせるのみなり。生知の辯慧あるがごとし。大圓鑑の童子と同生せるか、童子の大圓鑑と同生せるか、まさに前後生もあるべし。大圓鑑は、すなはち諸佛の功徳なり。

 このかがみ、内外にくもりなしといふは、外にまつ内にあらず、内にくもれる外にあらず。面背あることなし、兩箇おなじく得見あり。心と眼とあひにたり。相似といふは、人の人にあふなり。たとひ内の形像も、心眼あり、同得見あり。たとひ外の形像も、心眼あり、同得見あり。いま現前せる依報正報、ともに内に相似なり、外に相似なり。われにあらず、たれにあらず、これは兩人の相見なり、兩人の相似なり。かれもわれといふ、われもかれとなる。

 心と眼と皆相似といふは、心は心に相似なり、眼は眼に相似なり。相似は心眼なり。たとへば心眼各相似といはんがごとし。いかならんかこれ心の心に相似せる。いはゆる三祖六祖なり。いかならんかこれ眼の眼に相似なる。いはゆる道眼被眼礙(道眼、眼の礙を被る)なり。

 いま師道得する宗旨かくのごとし。これはじめて僧伽難提尊者に奉覲する本由なり。この宗旨を擧拈して、大圓鑑の佛面祖面を參學すべし、古鏡の眷屬なり。

 

 第三十三祖大鑑禪師、かつて黄梅山の法席に功夫せしとき、壁書して祖師に呈する偈にいはく、

 菩提本無樹、

 明鏡亦非臺。

 本來無一物、

 何處有塵埃。

 (菩提もと樹無し、明鏡また臺に非ず。本來無一物、何れの處にか塵埃有らん。)

 しかあれば、この道取を學取すべし。大鑑高祖、よの人これを古佛といふ。

 圜悟禪師いはく、稽首曹谿眞古佛。

 しかあればしるべし、大鑑高祖の明鏡をしめす、本來無一物、何處有塵埃なり。明鏡非臺、これ命脈あり、功夫すべし。明明はみな明鏡なり。かるがゆゑに明頭來明頭打といふ。いづれのところにあらざれば、いづれのところなし。いはんやかがみにあらざる一塵の、盡十方界にのこれらんや。かがみにあらざる一塵の、かがみにのこらんや。しるべし、盡界は塵刹にあらざるなり、ゆゑに古鏡面なり。

 

 南嶽大慧禪師の會に、ある僧とふ、

 如鏡鑄像、光歸何處(鏡の像の鑄るが如き、光何れの處にか歸す)。

 師云、大徳未出家時相貌、向甚麼處去(大徳未出家時の相貌、甚麼の處に向つてか去る)。

 僧曰、成後爲甚麼不鑑照(成りて後、甚麼としてか鑑照せざる)。

 師云、雖不鑑照、瞞他一點也不得(鑑照せずと雖も、他の一點をも瞞ずること、又不得なり)。

 いまこの萬像は、なにものとあきらめざるに、たづぬれば鏡を鑄成せる證明、すなはち師の道にあり。鏡は金にあらず玉にあらず、明にあらず像にあらずといへども、たちまちに鑄像なる、まことに鏡の究辨なり。

 光歸何處は、如鏡鑄像の如鏡鑄像なる道取なり。たとへば、像歸像處(像は像の處に歸す)なり、鑄能鑄鏡(鑄は能く鏡を鑄る)なり。大徳未出家時相貌、向甚麼處去といふは、鏡をささげて照面するなり。このとき、いづれの面面かすなはち自己面ならん。

 師いはく、雖不鑑照、瞞他一點也不得といふは、鑑照不得なり、瞞他不得なり。海枯不到露底(海枯れて底を露はすに到らず)を參學すべし、莫打破、莫動著(打破すること莫れ、動著すること莫れ)なり。しかありといへども、さらに參學すべし、拈像鑄鏡(像を拈じて鏡を鑄る)の道理あり。當恁麼時は、百千萬の鑑照にて、瞞瞞點點なり。

 

 雪峰眞覺大師、あるとき衆にしめすにいはく、

 要會此事、我這裡如一面古鏡相似。胡來胡現、漢來漢現(此の事を會せんと要せば、我這裡、一面の古鏡の如く相似なり。胡來胡現し、漢來漢現す)。

 時玄沙出問、忽遇明鏡來時如何(時に玄沙出でて問ふ、忽ちに明鏡來に遇はん時、如何)。

 師云、胡漢倶隱(胡漢倶に隱る)。

 玄沙曰、某甲卽不然(某甲は卽ち然らず)。

 峰云、儞作麼生。

 玄沙曰、請和尚問(請すらくは和尚問ふべし)。

 峰云、忽遇明鏡來時如何(忽ち明鏡來に遇はん時如何)。

 玄沙曰、百雜碎。

 しばらく雪峰道の此事といふは、是什麼事と參學すべし。しばらく雪峰の古鏡をならひみるべし。如一面古鏡の道は、一面とは、邊際ながく斷じて、内外さらにあらざるなり。一珠走盤の自己なり。いま胡來胡現は、一隻の赤鬚なり。漢來漢現は、この漢は、混沌よりこのかた、盤古よりのち、三才五才の現成せるといひきたれるに、いま雪峰の道には、古鏡の功徳の漢現せり。いまの漢は漢にあらざるがゆゑに、すなはち漢現なり。いま雪峰道の胡漢倶隱、さらにいふべし、鏡也自隱なるべし。

 玄沙道の百雜碎は、道也須是恁麼道(道ふことは須らく是れ恁麼道なるべし)なりとも、比來責儞、還吾碎片來。如何還我明鏡來(比雷儞に責む、吾れに碎片を還し來れと。如何が我れに明鏡を還し來る)なり。

 黄帝のとき十二面の鏡あり、家訓にいはく、天授なり。又廣成子の崆峒山にして與授せりけるともいふ。その十二面のもちゐる儀は、十二時に時時に一面をもちゐる、又十二月に毎月毎面にもちゐる、十二年に年年面面にもちゐる。いはく、鏡は廣成子の經典なり。黄帝に傳授するに、十二時等は鏡なり。これより照古照今するなり。十二時もし鏡にあらずよりは、いかでか照古あらん。十二時もし鏡にあらずは、いかでか照今あらん。いはゆる十二時は十二面なり、十二面は十二鏡なり、古今は十二時の所使なり。この道理を指示するなり。これ俗の道取なりといへども、漢現の十二時中なり。

 軒轅黄帝膝行進崆峒、問道乎廣成子(軒轅黄帝、膝行して崆峒に進んで、道を廣成子に問ふ)。

 于時廣成子曰、鏡是陰陽本、治身長久。自有三鏡、云天、云地、云人。此鏡無視無聽。抱神以靜、形將自正。必靜必淸、無勞汝形、無搖汝精、乃可以長生(時に廣成子曰く、鏡は是れ陰陽の本、身を治めて長久なり。自ら三鏡有り、云く天、云く地、云く人。此の鏡、無視なり、無聽なり。神を抱めて以て靜に、形、將に自ら正しからんとす。必ず靜にし必ず淸にし、汝が形を勞すること無く、汝が精を搖すことが無くんば、乃ち以て長生すべし)。

 むかしはこの三鏡をもちて、天下を治し、大道を治す。この大道にあきらかなるを天地の主とするなり。俗のいはく、太宗は人をかがみとせり。安危理亂、これによりて照悉するといふ。三鏡のひとつをもちゐるなり。人を鏡とするとききては、博覽ならん人に古今を問取せば、聖賢の用舍をしりぬべし、たとへば、魏徴をえしがごとく、房玄齡をえしがごとしとおもふ。これをかくのごとく會取するは、太宗の人を鏡とすると道取する道理にはあらざるなり。人をかがみとすといふは、鏡を鏡とするなり、自己を鏡とするなり。五行を鏡とするなり、五常を鏡とするなり。人物の去來をみるに、來無迹、去無方を人鏡の道理といふ。賢不肖の萬般なる、天象に相似なり。まことに經緯なるべし。人面鏡面、日面月面なり。五嶽の精および四涜の精、世をへて四海をすます、これ鏡の慣習なり。人物をあきらめて經緯をはかるを太宗の道といふなり、博覽人をいふにはあらざるなり。

 日本國自神代有三鏡、璽之與劔、而共傳來至今。一枚在伊勢大神宮、一枚在紀伊國日前社、一枚在内裡内侍所(日本國、神代より三鏡有り。璽と劔と、而も共に傳來して今に至る。一枚は伊勢大神宮に在り、一枚は紀伊國日前社に在り、一枚は内裏内侍所に在り)。

 しかあればすなはち、國家みな鏡を傳持すること、あきらかなり。鏡をえたるは國をえたるなり。人つたふらくは、この三枚の鏡は、神位とおなじく傳來せり、天神より傳來せりと相傳す。しかあれば、百練の銅も陰陽の化成なり。今來今現、古來古現ならん。これ古今を照臨するは、古鏡なるべし。

 雪峰の宗旨は、新羅來新羅現、日本來日本現ともいふべし。天來天現、人來人現ともいふべし。現來をかくのごとくの參學すといふとも、この現いまわれらが本末をしれるにあらず、ただ現を相見するのみなり。かならずしも來現をそれ知なり、それ會なりと學すべきにあらざるなり。いまいふ宗旨は、胡來は胡現なりといふか。胡來は一條の胡來にて、胡現は一條の胡現なるべし。現のための來にあらず。古鏡たとひ古鏡なりとも、この參學あるべきなり。

 玄沙出てとふ、たちまちに明鏡來にあはんに、いかん。

 この道取、たづねあきらむべし。いまいふ明の道得は、幾許なるべきぞ。いはくの道は、その來はかならずしも胡漢にはあらざるを、これは明鏡なり、さらに胡漢と現成すべからずと道取するなり。明鏡來はたとひ明鏡來なりとも、二枚なるべからざるなり。たとひ二枚にあらずといふとも、古鏡はこれ古鏡なり、明鏡はこれ明鏡なり。古鏡あり明鏡ある證驗、すなはち雪峰と玄沙と道取せり。これを佛道の性相とすべし。この玄沙の明鏡來の道話の七通八達なるとしるべし。八面玲瓏なること、しるべし。逢人には卽出なるべし、出卽には接渠なるべし。しかあれば、明鏡の明と古鏡の古と、同なりとやせん、異なりとやせん。明鏡に古の道理ありやなしや、古鏡に明の道理ありやなしや。古鏡といふ言によりて、明なるべしと學することなかれ。宗旨は吾亦如是あり、汝亦如是あり。西天諸祖亦如是の道理、はやく練磨すべし。祖師の道得に、古鏡は磨ありと道取す。明鏡もしかるべきか、いかん。まさにひろく諸佛諸祖の道にわたる參學あるべし。

 雪峰道の胡漢倶隱は、胡も漢も、明鏡時は倶隱なりとなり。この倶隱の道理、いかにいふぞ。胡漢すでに來現すること、古鏡を相罣礙せざるに、なにとしてかいま倶隱なる。古鏡はたとひ胡來胡現、漢來漢現なりとも、明鏡來はおのづから明鏡來なるがゆゑに、古鏡現の胡漢は倶隱なるなり。しかあれば、雪峰道にも古鏡一面あり、明鏡一面あるなり。正當明鏡來のとき、古鏡現の胡漢を罣礙すべからざる道理、あきらめ決定すべし。いま道取する古鏡の胡來胡現、漢來漢現は、古鏡上に來現すといはず、古鏡裡に來現すといはず、古鏡外に來現すといはず、古鏡と同參來現すといはず。この道を聽取すべし。胡漢來現の時節は、古鏡の胡漢を現來せしむるなり、胡漢倶隱ならん時節も、鏡は存取すべきと道得せるは、現にくらく、來におろそかなり。錯亂といふにおよばざるものなり。

 ときに玄沙いはく、某甲はすなはちしかあらず。

 雪峰いはく、なんぢ作麼生。

 玄沙いはく、請すらくは和尚とふべし。

 いま玄沙のいふ請和尚問のことば、いたづらに蹉過すべからず。いはゆる和尚問の來なる、和尚問の請なる、父子の投機にあらずは、爲甚如此(甚と爲てか此の如くなる)なり。すでに請和尚問ならん時節は、恁麼人さだめて問處を若會すべし。すでに問處の霹靂するには、無廻避處なり。

 雪峰いはく、忽遇明鏡來時如何。

 この問處は、父子ともに參究する一條の古鏡なり。

 玄沙いはく、百雜碎。

 この道取は、百千萬に雜碎するとなり。いはゆる忽遇明鏡來時は百雜碎なり。百雜碎を參得せんは明鏡なるべし。明鏡を道得ならしむるに、百雜碎なるべきがゆゑに。雜碎のかかれるところ、明鏡なり。さきに未雜碎なるときあり、のちにさらに不雜碎ならん時節を管見することなかれ。ただ百雜碎なり。百雜碎の對面は孤峻の一なり。しかあるに、いまいふ百雜碎は、古鏡を道取するか、明鏡を道取するか。更請一轉語(更に一轉語を請ふ)なるべし。また古鏡を道取するにあらず、明鏡を道取するにあらず。古鏡明鏡はたとひ問來得なりといへども、玄沙の道取を擬議するとき、砂礫牆壁のみ現前せる舌端となりて、百雜碎なりぬべきか。碎來の形段作麼生。

 萬古碧潭空界月。

 

 雪峰眞覺大師と三聖院慧然禪師と行次に、ひとむれの獼猴をみる。ちなみに雪峰いはく、この獼猴、おのおの一面の古鏡を背せり。

 この語よくよく參學すべし。獼猴といふはさるなり。いかならんか雪峰のみる獼猴。かくのごとく問取して、さらに功夫すべし。經劫をかへりみることなかれ。おのおの一面の古鏡を背せりとは、古鏡たとひ諸佛祖面なりとも、古鏡は向上にも古鏡なり。獼猴おのおの面面に背せりといふは、面面に大面小面あらず、一面古鏡なり。背すといふは、たとへば、繪像の佛のうらをおしつくるを、背すとはいふなり。獼猴の背を背するに、古鏡にて背するなり。使得什麼糊來(什麼なる糊をか使得し來る)。こころみにいはく、さるのうらは古鏡にて背すべし、古鏡のうらは獼猴にて背するか。古鏡のうらを古鏡にて背す、さるのうらをさるにて背す。各背一面のことば、虛設なるべからず。道得是の道得なり。しかあれば、獼猴か、古鏡か。畢竟作麼生道。われらすでに獼猴か、獼猴にあらざるか。たれにか問取せん。自己の獼猴にある、自知にあらず、他知にあらず。自己の自己にある、摸𢱢およばず。

 三聖いはく、歴劫無名なり、なにのゆゑにかあらはして古鏡とせん。

 これは、三聖の古鏡を證明せる一面一枚なり。歴劫といふは、一心一念未萌以前なり、劫裡の不出頭なり。無名といふは、歴劫の日面月面、古鏡面なり、明鏡面なり。無名眞箇に無名ならんには、歴劫いまだ歴劫にあらず。歴劫すでに歴劫にあらずは、三聖の道得これ道得にあらざるべし。しかあれども、一念未萌以前といふは今日なり。今日を蹉過せしめず練磨すべきなり。まことに歴劫無名、この名たかくきこゆ。なにをあらはしてか古鏡とする、龍頭蛇尾。

 このとき三聖にむかひて、雪峰いふべし、古鏡古鏡と。

 雪峰恁麼いはず、さらに瑕生也といふは、きずいできぬるとなり。いかでか古鏡に瑕生也ならんとおぼゆれども、古鏡の瑕生也は、歴劫無名とらいふをきずとせるなるべし、古鏡の瑕生也は全古鏡なり。三聖いまだ古鏡の瑕生也の窟をいでざりけるゆゑに、道來せる參究は一任に古鏡瑕なり。しかあれば、古鏡にも瑕生なり、瑕生なるも古鏡なりと參學する、これ古鏡を參學するなり。

 三聖いはく、有什麼死急、話頭也不識(什麼の死急か有らん、話頭も不識)。

 いはくの宗旨は、なにとしてか死急なる。いはゆるの死急は、今日か明日か、自己か他門か。盡十方界か、大唐國裡か。審細に功夫參學すべきものなり。話頭也不識は、話といふは、道來せる話あり、未道得の話あり、すでに道了也の話あり。いまは話頭なる道理現成するなり。たとへば、話頭も大地有情同時成道しきたれるか。さらに再全の錦にはあらざるなり。かるがゆゑに不識なり。對朕者不識なり、對面不相識なり。話頭はなきにあらず、祗是不識(祗是れ不識)なり、不識は條條の赤心なり、さらにまた明明の不見なり。

 雪峰いはく、老僧罪過。

 いはゆるは、あしくいひにけるといふにも、かくいふこともあれども、しかはこころうまじ。老僧といふことは、屋裡の主人翁なり。いはゆる餘事を參學せず、ひとへに老僧を參學するなり。千變萬化あれども、神面鬼面あれども、參學は唯老僧一著なり。佛來祖來、一念萬年あれども、參學は唯老僧一著なり。罪過は住持事繁なり。

 おもへばそれ、雪峰は徳山の一角なり、三聖は臨濟の神足なり。兩位の尊宿、おなじく系譜いやしからず、靑原の遠孫なり、南嶽の遠派なり。古鏡を住持しきたれる、それかくのごとし。晩進の龜鑑なるべし。

 

 雪峰示衆云、世界闊一丈、古鏡闊一丈。世界闊一尺、古鏡闊一尺(世界闊きこと一丈なれば、古鏡闊きこと一丈なり。世界闊きこと一尺なれば、古鏡闊きこと一尺なり)。

 時玄沙、指火爐云、且道、火爐闊多少(時に玄沙、火爐を指して云く、且く道ふべし、火爐闊きこと多少ぞ)。

 雪峰云、似古鏡闊(古鏡の闊きに似たり)。

 玄沙云、老和尚脚跟未點地在(老和尚、脚跟未だ地に點かざること在り)。

 一丈、これを世界といふ、世界はこれ一丈なり。一尺、これを世界とす、世界これ一尺なり。而今の一丈をいふ、而今の一尺をいふ。さらにことなる尺丈にはあらざるなり。

 この因緣を參學するに、世界のひろさは、よのつねにおもはくは、無量無邊の三千大千世界および無盡法界といふも、ただ小量の自己にして、しばらく隣里の彼方をさすがごとし。この世界を拈じて一丈とするなり。このゆゑに雪峰いはく、古鏡闊一丈、世界闊一丈。

 この一丈を學せんには、世界闊の一端を見取すべし。

 又古鏡の道を聞取するにも、一枚の薄氷の見をなす、しかにはあらず。一丈の闊は世界の闊一丈に同參なりとも、形興かならずしも世界の無端に齊肩なりや、同參なりやと功夫すべし。古鏡さらに一顆珠のごとくにあらず。明珠を見解することなかれ、方圓を見取することなかれ。盡十方界たとひ一顆明珠なりとも、古鏡にひとしかるべきにあらず。

 しかあれば、古鏡は胡漢の來現にかかはれず、縱横の玲瓏に條條なり。多にあらず、大にあらず、闊はその量を擧するなり、廣をいはんとにはあらず。闊といふは、よのつねの二寸三寸といひ、七箇八箇とかぞふるがごとし。佛道の算數には、大悟不悟と算數するに、二兩三兩をあきらめ、佛佛祖祖と算數するに、五枚十枚を見成す。一丈は古鏡闊なり、古鏡闊は一枚なり。

 玄沙のいふ火爐闊多少、かくれざる道得なり。千古萬古にこれを參學すべし。いま火爐をみる、たれ人となりてかこれをみる。火爐をみるに、七尺にあらず、八尺にあらず。これは動執の時節話にあらず、新條特地の現成なり。たとへば是什麼物恁麼來なり。闊多少の言きたりぬれば、向來の多少は多少にあらざるべし。當處解脱の道理、うたがはざりぬべし。火爐の諸相諸量にあらざる宗旨は、玄沙の道をきくべし。現前の一團子、いたづらに落地せしむることなかれ、打破すべし。これ功夫なり。

 雪峰いはく、如古鏡闊。

 この道取、しづかに照顧すべし。火爐闊一丈といふべきにあらざれば、かくのごとく道取するなり。一丈といはんは道得是にて、如古鏡闊は道不是なるにあらず。如古鏡闊の行履をかがみるべし。おほく人のおもはくは、火爐闊一丈といはざるを道不是とおもへり。闊の獨立をも功夫すべし、古鏡の一片をも鑑照すべし。如如の行李をも蹉過せしめざるべし。動容揚古路、不墮悄然機なるべし。

 玄沙いはく、老漢脚跟未點地在。

 いはくのこころは、老漢といひ、老和尚といへども、かならず雪峰にあらず。雪峰は老漢なるべきがゆゑに。脚跟といふはいづれのところぞと問取すべきなり、脚跟といふはなにをいふぞと參究すべし。參究すべしといふは、脚跟とは正法眼藏をいふか、虛空をいふか、盡地をいふか、命脈をいふか、幾箇あるものぞ。一箇あるか、半箇あるか、百千萬箇あるか。恁麼勤學すべきなり。

 未點地在は、地といふは、是恁麼物なるぞ。いまの大地といふ地は、一類の所見に準じて、しばらく地といふ。さらに諸類、あるいは不思議解脱法門とみるあり、諸佛諸行道とみる一類あり。しかあれば、脚跟の點ずべき地は、なにものをか地とせる。地は實有なるか、實無なるか。又おほよそ地といふものは、大道のなかに寸許もなかるべきか。問來問去すべし、道他道己すべし。脚跟は點地也是なる、不點地也是なる。作麼生なればか未點地在と道取する。大地無寸土の時節は、點地也未、未點地也未なるべし。

 しかあれば、老漢脚跟未點地在は、老漢の消息なり、脚跟の造次なり。

 

 婺州金花山國泰院弘瑫禪師、ちなみに僧とふ、古鏡未磨時如何(古鏡未だ磨せざる時、如何)。

 師云、古鏡。

 僧云、磨後如何。

 師云、古鏡。

 しるべし、いまいふ古鏡は、磨時あり、未磨時あり、磨後あれども、一面に古鏡なり。しかあれば、磨時は古鏡の全古鏡を磨するなり。古鏡にあらざる水銀等を和して磨するにあらず。磨自、自磨にあらざれども、磨古鏡なり。未磨時は古鏡くらきにあらず。くろしと道取すれども、くらきにあらざるべし、活古鏡なり。おほよそ鏡を磨して鏡となす、塼を磨して鏡となす。塼を磨して塼となす、鏡を磨して塼となす。磨してなさざるあり、なることあれども磨することえざるあり。おなじく佛祖の家業なり。

 

 江西馬祖むかし南嶽に參學せしに、南嶽かつて心印を馬祖に密受せしむ。磨塼のはじめのはじめなり。馬祖、傳法院に住してよのつねに坐禪すること、わづかに十餘歳なり。雨夜の草庵、おもひやるべし、封雪の寒牀におこたるといはず。

 南嶽あるとき馬祖の庵にいたるに、馬祖侍立す。

 南嶽とふ、汝近日作什麼。

 馬祖いはく、近日道一祗管打坐するのみなり。

 南嶽いはく、坐禪なにごとをか圖する。

 馬祖いはく、坐禪は作佛を圖す。

 南嶽すなはち一片の塼をもちて、馬祖の庵のほとりの石にあてて磨す。

 馬祖これをみてすなはちとふ、和尚、作什麼。

 南嶽いはく、磨塼。

 馬祖いはく、磨塼用作什麼。

 南嶽いはく、磨作鏡。

 馬祖いはく、磨塼豈得成鏡耶。

 南嶽いはく、坐禪豈得作佛耶。

 この一段の大事、むかしより數百歳のあひだ、人おほくおもふらくは、南嶽ひとへに馬祖を勸勵せしむると。いまだかならずしもしかあらず。大聖の行履、はるかに凡境を出離せるのみなり。大聖もし磨塼の法なくは、いかでか爲人の方便あらん。爲人のちからは佛祖の骨髓なり。たとひ構得すとも、なほこれ家具なり。家具調度にあらざれば佛家につたはれざるなり。いはんやすでに馬祖を接することすみやかなり。はかりしりぬ、佛祖正傳の功徳、これ直指なることを。まことにしりぬ、磨塼の鏡となるとき、馬祖作佛す。馬祖作佛するとき、馬祖すみやかに馬祖となる。馬祖の馬祖となるとき、坐禪すみやかに坐禪となる。かるがゆゑに、塼を磨して鏡となすこと、古佛の骨髓に住持せられきたる。

 しかあれば、塼のなれる古鏡あり、この鏡を磨しきたるとき、從來も未染汚なるなり。塼のちりあるにはあらず、ただ塼なるを磨塼するなり。このところに、作鏡の功徳の現成する、すなはち佛祖の功夫なり。磨塼もし作鏡せずは、磨鏡も作鏡すべからざるなり。たれかはかることあらん、この作に作佛あり、作鏡あることを。又疑著すらくは、古鏡を磨するとき、あやまりて塼と磨しなすことのあるべきか。磨時の消息は、餘時のはかるところにあらず。しかあれども、南嶽の道、まさに道得を道得すべきがゆゑに、畢竟じてすなはちこれ磨塼作鏡なるべし。

 いまの人も、いまの塼を拈じ磨してこころみるべし、さだめて鏡とならん。塼もし鏡とならずは、人ほとけになるべからず。塼を泥團なりとかろしめば、人も泥團なりとかろからん。人もし心あらば、塼も心あるべきなり。たれかしらん、塼來塼現の鏡子あることを。又たれかしらん、鏡來鏡現の鏡子あることを。

 

正法眼藏古鏡第十九

 

 仁治二年辛丑九月九日觀音導利興聖寶林寺示衆

 同四年癸卯正月十三日書寫于栴檀林裡

 

 

正法眼藏第二十 有時

 古佛言、

 有時高高峰頂立、

 有時深深海底行。

 有時三頭八臂、

 有時丈六八尺。

 有時拄杖拂子、

 有時露柱燈籠。

 有時張三李四、

 有時大地虛空。

 いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。丈六金身これ時なり、時なるがゆゑに時の莊嚴光明あり。いまの十二時に習學すべし。三頭八臂これ時なり、時なるがゆゑにいまの十二時に一如なるべし。十二時の長遠短促、いまだ度量せずといへども、これを十二時といふ。去來の方跡あきらかなるによりて、人これを疑著せず、疑著せざれどもしれるにあらず。衆生もとよりしらざる毎物毎事を疑著すること一定せざるがゆゑに、疑著する前程、かならずしもいまの疑著に符合することなし。ただ疑著しばらく時なるのみなり。

 われを排列しおきて盡界とせり、この盡界の頭頭物物を時時なりと覰見すべし。物物の相礙せざるは、時時の相礙せざるがごとし。このゆゑに同時發心あり、同心發時あり。および修行成道もかくのごとし。われを排列してわれこれをみるなり。自己の時なる道理、それかくのごとし。

 恁麼の道理なるゆゑに、盡地に萬象百草あり、一草一象おのおの盡地にあることを參學すべし。かくのごとくの往來は、修行の發足なり。到恁麼の田地のとき、すなはち一草一象なり、會象不會象なり、會草不會草なり。正當恁麼時のみなるがゆゑに、有時みな盡時なり、有草有象ともに時なり。時時の時に盡有盡界あるなり。しばらくいまの時にもれたる盡有盡界ありやなしやと觀想すべし。

 しかあるを、佛法をならはざる凡夫の時節にあらゆる見解は、有時のことばをきくにおもはく、あるときは三頭八臂となれりき、あるときは丈六金身となれりき。たとへば、河をすぎ、山をすぎしがごとくなりと。いまはその山河、たとひあるらめども、われすぎきたりて、いまは玉殿朱樓に處せり、山河とわれと、天と地となりとおもふ。

 しかあれども、道理この一條のみにあらず。いはゆる山をのぼり河をわたりし時にわれありき、われに時あるべし。われすでにあり、時さるべからず。時もし去來の相にあらずは、上山の時は有時の而今なり。時もし去來の相を保任せば、われに有時の而今ある、これ有時なり。かの上山渡河の時、この玉殿朱樓の時を呑却せざらんや、吐却せざらんや。

 三頭八臂はきのふの時なり、丈六八尺はけふの時なり。しかあれども、その昨今の道理、ただこれ山のなかに直入して、千峰萬峰をみわたす時節なり、すぎぬるにあらず。三頭八臂もすなはちわが有時にて一經す、彼方にあるににたれども而今なり。丈六八尺も、すなはちわが有時にて一經す、彼處にあるににたれども而今なり。

 しかあれば、松も時なり、竹も時なり。時は飛去するとのみ解會すべからず、飛去は時の能とのみは學すべからず。時もし飛去に一任せば、間隙ありぬべし。有時の道を經聞せざるは、すぎぬるとのみ學するによりてなり。要をとりていはば、盡界にあらゆる盡有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり。

 

 有時に經歴の功徳あり。いはゆる今日より明日に經歴す、今日より昨日に經歴す、昨日より今日に經歴す。今日より今日に經歴す、明日より明日に經歴す。經歴はそれ時の功徳なるがゆゑに。

 古今の時、かさなれるにあらず、ならびつもれるにあらざれども、靑原も時なり、黄檗も時なり、江西も石頭も時なり。自他すでに時なるがゆゑに、修證は諸時なり。入泥入水おなじく時なり。いまの凡夫の見、をよび見の因緣、これ凡夫のみるところなりといへども、凡夫の法にあらず、法しばらく凡夫を因緣せるのみなり。この時、この有は、法にあらずと學するがゆゑに、丈六金身はわれにあらずと認ずるなり。われを丈六金身にあらずとのがれんとする、またすなはち有時の片片なり、未證據者の看看なり。

 いま世界に排列せるむまひつじをあらしむるも、住法位の恁麼なる昇降上下なり。ねずみも時なり、とらも時なり、生も時なり、佛も時なり。この時、三頭八臂にて盡界を證し、丈六金身にて盡界を證す。それ盡界をもて盡界を界盡するを、究盡するとはいふなり。丈六金身をもて丈六金身するを、發心修行菩提涅槃と現成する、すなはち有なり、時なり。盡時を盡有と究盡するのみ。さらに剩法なし、剩法これ剩法なるがゆゑに。たとひ半究盡の有時も、半有時の究盡なり。たとひ蹉過すとみゆる形段も有なり。さらにかれにまかすれば、蹉過の現成する前後ながら、有時の住位なり。住法位の活鱍鱍地なる、これ有時なり。無と動著すべからず、有と強爲すべからず。時は一向にすぐるとのみ計功して、未到と解會せず。解會は時なりといへども、他にひかるる緣なし。去來と認じて、住位の有時と見徹せる皮袋なし。いはんや透關の時あらんや。たとひ住位を認ずとも、たれか既得恁麼の保任を道得せん。たとひ恁麼と道得せることひさしきを、いまだ面目現前を模𢱢せざるなし。凡夫の有時なるに一任すれば、菩提涅槃もわづかに去來の相のみなる有時なり。

 おほよそ籮籠とどまらず有時現成なり。いま右界に現成し左方に現成する天王天衆、いまもわが盡力する有時なり。その餘外にある水陸の衆有時、これわがいま盡力して現成するなり。冥陽に有時なる諸類諸頭、みなわが盡力現成なり、盡力經歴なり。わがいま盡力經歴にあらざれば、一法一物も現成することなし、經歴することなしと參學すべし。

 經歴といふは、風雨の東西するがごとく學しきたるべからず。盡界は不動轉なるにあらず、不進退なるにあらず、經歴なり。經歴は、たとへば春のごとし。春に許多般の樣子あり、これを經歴といふ。外物なきに經歴すると參學すべし。たとへば、春の經歴はかならず春を經歴するなり。經歴は春にあらざれども、春の經歴なるがゆゑに、經歴いま春の時に成道せり。審細に參來參去すべし。經歴をいふに、境は外頭にして、能經歴の法は東にむきて百千世界をゆきすぎて、百千劫をふるとおもふは、佛道の參學、これのみを專一にせざるなり。

 

 藥山弘道大師、ちなみに無際大師の指示によりて江西大寂禪師に參問す、三乘十二分教、某甲ほぼその宗旨をあきらむ。如何是祖師西來意(如何ならんか是れ祖師西來意)。

 かくのごとくとふに大寂禪師いはく、

 有時教伊揚眉瞬目(ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしむ)、

 有時不教伊揚眉瞬目(ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしめず)。

 有時教伊揚眉瞬目者是(ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしむる者是)、

 有時教伊揚眉瞬目者不是(ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしむる者不是なり)。

 藥山ききて大悟し、大寂にまうす、某甲かつて石頭にありし、蚊子の鐵牛にのぼれるがごとし。

 大寂の道取するところ、餘者とおなじからず。眉目は山海なるべし、山海は眉目なるゆゑに。その教伊揚は山をみるべし、その教伊瞬は海を宗すべし。是は伊に慣習せり、伊は教に誘引せらる。不是は不教伊にあらず、不教伊は不是にあらず、これらともに有時なり。

 山も時なり、海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず、山海の而今に時あらずとすべからず。時もし壞すれば山海も壞す、時もし不壞なれば山海も不壞なり。この道理に、明星出現す、如來出現す、眼睛出現す、拈花出現す。これ時なり。時にあらざれば不恁麼なり。

 

 葉縣の歸省禪師は臨濟の法孫なり、首山の嫡嗣なり。あるとき大衆にしめしていはく、

 有時意到句不到(有る時は意到りて句到らず)、

 有時句到意不到(有る時は句到りて意到らず)。

 有時意句兩倶到(有る時は意句兩つ倶に到る)、

 有時意句倶不到(有る時は意句倶到らず)。

 意句ともに有時なり、到不到ともに有時なり。到時未了なりといへども不到時來なり。意は驢なり、句は馬なり。馬を句とし、驢を意とせり。到それ來にあらず、不到これ未にあらず。有時かくのごとくなり。到は到に罣礙せられて不到に罣礙せられず。不到は不到に罣礙せられて到に罣礙せられず。意は意をさへ、意をみる。句は句をさへ、句をみる。礙は礙をさへ、礙をみる。礙は礙を礙するなり、これ時なり。礙は他法に使得せらるるといへども、他法を礙する礙いまだあらざるなり。我逢人なり、人逢人なり、我逢我なり、出逢出なり。これらもし時をえざるには、恁麼ならざるなり。

 又、意は現成公案の時なり、句は向上關棙の時なり。到は脱體の時なり、不到は卽此離此の時なり。かくのごとく辨肯すべし、有時すべし。

 

 向來の尊宿ともに恁麼いふとも、さらに道取すべきところなからんや。いふべし

 意句半到也有時、

 意句半不到也有時。

 かくのごとく參究あるべきなり。

 教伊揚眉瞬目也半有時、

 教伊揚眉瞬目也錯有時、

 不教伊揚眉瞬目也錯錯有時。

 恁麼のごとく參來參去、參到參不到する、有時の時なり。

 

正法眼藏有時第二十

 

 仁治元年庚子開冬日書于興聖寶林寺

 寛元癸卯夏安居書寫 懷弉

 

 

正法眼藏第二十一 授記

 佛祖單傳の大道は授記なり。佛祖の參學なきものは、夢也未見なり。その授記の時節は、いまだ菩提心をおこさざるものにも授記す。無佛性に授記す、有佛性に授記す。有身に授記し、無身に授記す。諸佛に授記す。諸佛は諸佛の授記を保任するなり。得授記ののちに作佛すと參學すべからず、作佛ののちに得授記すと參學すべからず。授記時に作佛あり、授記時に修行あり。このゆゑに、諸佛に授記あり、佛向上に授記あり。自己に授記す、身心に授記す。授記に飽學措大なるとき、佛道に飽學措大なり。身前に授記あり、身後に授記あり。自己にしらるる授記あり、自己にしられざる授記あり。他をしてしらしむる授記あり、他をしてしらしめざる授記あり。

 まさにしるべし、授記は自己を現成せり。授記これ現成の自己なり。このゆゑに、佛佛祖祖、嫡嫡相承せるは、これただ授記のみなり。さらに一法としても授記にあらざるなし。いかにいはんや山河大地、須彌巨海あらんや。さらに一箇半箇の張三李四なきなり。かくのごとく參究する授記は、道得一句なり、聞得一句なり。不會一句なり、會取一句なり。行取なり、説取なり。退歩を教令せしめ、進歩を教令せしむ。いま得坐披衣、これ古來の得授記にあらざれば現成せざるなり。合掌頂戴なるがゆゑに現成は授記なり。

 佛言、それ授記に多般あれども、しばらく要略するに八種あり。いはゆる、

 瓔珞第九、八種授記あり。

 一者 自己知、他不知。

 己知他不知者、發心自誓未廣及人、未得四無所畏、未得善權故(己知他不知とは、發心自誓未だ廣く人に及ばず、未だ四無所畏を得ず、未だ善權を得ざるが故に)。

 二者 衆人盡知、自己不知。

 衆人盡知、己不知者、發心廣大得無畏善權故(衆人盡知、己不知とは、發心廣大にして無畏善權を得るが故に)。

 三者 自己衆人、倶知。

 皆知者、位在七地、無畏善權、得空觀故(皆知とは、位七地に在りて、無畏善權、空觀を得るが故に)。

 四者 自己衆人、倶不知。

 皆不知者、未入七地、未得無著行(皆不知とは、未だ七地に入らず、未だ無著の行を得ず)。

 五者 近覺、遠不覺。

 遠者不覺者、彌勒是也。諸根具足、不捨如來無著行故(遠者不覺とは彌勒是れなり。諸根具足し如來無著の行を捨せざるが故に)。

 六者、遠覺、近不覺。

 近者不覺者、此人未能演説賢聖之行、師子膺是也(近者不覺とは、此の人未だ賢聖の行を演説すること能はず、師子膺是れなり)。

 七者、倶覺。

 近遠倶覺者、諸根具足、不捨無著之行、柔順菩薩是也(近遠倶覺とは、諸根具足するも無著の行を捨てず、柔順菩薩是れなり)。

 八者、倶不覺。

 近遠倶不覺者、未得善權、不能悉知如來藏、等行菩薩是也(近遠倶不覺とは、未だ善權を得ず、如來藏を悉く知ること能はず、等行菩薩是れなり)。

 餘經又云、

 近知者。

 從現佛得記也、如彌勒等(現佛に從ひて記を得るなり、彌勒等の如し)。

 遠知者。

 不從今佛、從當佛得記。如佛語弊魔、彌勒當四汝記(今佛に從はず、當佛に從ひて記を得。佛、弊魔に、彌勒當に汝に記を與ふべしと語りたまふが如し)。

 遠近倶知者。

 今當佛倶與記也(今當の佛、倶に記を與へたまふなり)。

 近遠倶不知者。

 今當佛倶不記也(今當の佛、倶に記したまはざるなり)。

 かくのごとく授記あり。

 しかあれば、いまこの臭皮袋の精魂に識度せられざるには授記あるべからずと活計することなかれ、未悟の人面にたやすく授記すべからずといふことなかれ。よのつねにおもふには、修行功滿じて作佛決定する時授記すべしと學しきたるといへども、佛道はしかにはあらず。或從知識して一句をきき、或從經卷して一句をきくことあるは、すなはち得授記なり。これ諸佛の本行なるがゆゑに、百草の善根なるがゆゑに。もし授記を道取するには、得記人みな究竟人なるべし。しるべし、一塵なほ無上なり、一塵なほ向上なり。授記なんぞ一塵ならざらん、授記なんぞ一法ならざらん、授記なんぞ萬法ならざらん、授記なんぞ修證ならざらん、授記なんぞ佛祖ならざらん、授記なんぞ功夫辨道ならざらん、授記なんぞ大悟大迷ならざらん。授記はこれ吾宗到汝、大興于世なり、授記はこれ汝亦如是、吾亦如是なり。授記これ標榜なり、授記これ何必なり。授記これ破顔微笑なり、授記これ生死去來なり。授記これ盡十方界なり、授記これ徧界不曾藏なり。

 

 玄沙院宗一大師、侍雪峰行次、雪峰指面前地云、這一片田地、好造箇無縫塔(玄沙院宗一大師、雪峰に侍して行く次でに、雪峰、面前の地を指して云く、這の一片の田地、好し、箇の無縫塔を造らんに)。

 玄沙曰、高多少(高さ多少ぞ)。

 雪峰乃上下顧視(雪峰乃ち上下に顧視す)。

 玄沙云、人天福報卽不無、和尚靈山授記、未夢見在(人天の福報は卽ち無きにあらず、和尚靈山の授記、未夢見在なり)。

 雪峰云、儞作麼生。

 玄沙曰、七尺八尺。

 いま玄沙のいふ和尚靈山授記、未夢見在は、雪峰に靈山の授記なしといふにあらず、雪峰に靈山の授記ありといふにあらず、和尚靈山授記、未夢見在といふなり。

 靈山の授記は、高著眼なり。吾有正法眼藏涅槃妙心、附囑摩訶迦葉なり。しるべし、靑原の石頭に授記せしときの同參は、摩訶迦葉も靑原の授記をうく、靑原も釋迦の授記をさづくるがゆゑに、佛佛祖祖の面面に、正法眼藏附囑有在なることあきらかなり。ここをもて、曹谿すでに靑原に授記す、靑原すでに六祖の授記をうくるとき、授記に保任せる靑原なり。このとき、六祖諸祖の參學、正直に靑原の授記によりて行取しきたれるなり。これを明明百草頭、明明佛祖意といふ。

 しかあればすなはち、佛祖いづれか百草にあらざらん、百草なんぞ吾汝にあらざらん。至愚にしておもふことなかれ、みづからに具足する法は、みづからかならずしるべしと、みるべしと。恁麼にあらざるなり。自己の知する法、かならずしも自己の有にあらず。自己の有、かならずしも自己のみるところならず、自己のしるところならず。しかあれば、いまの知見思量分にあたはざれば自己にあるべからずと疑著することなかれ。いはんや靈山の授記といふは、釋迦牟尼佛の授記なり。この授記は、釋迦牟尼佛の釋迦牟尼佛に授記しきたれるなり。授記の未合なるには授記せざる道理なるべし。その宗旨は、すでに授記あるに授記するに罣礙なし、授記なきに授記するに剩法せざる道理なり。虧闕なく、剩法にあらざる、これ諸佛祖の諸佛祖に授記しきたれる道理なり。

 このゆゑに古佛いはく、

 古今擧拂示東西、

 大意幽微肯易參。

 此理若無師教授、

 欲將何見語玄談。

 (古今擧拂して東西に示す、大意幽微にして肯つて參ずること易からんや。此の理若し師の教授無くんば、何れの見を將てか玄談を語らんとするや。)

 いまの玄沙の宗旨を參究するに、無縫塔の高多少を量するに、高多少の道得あるべし。さらに五百由旬にあらず、八萬由旬にあらず。これによりて、上下を顧視するをきらふにあらず。ただこれ人天の福報は卽不無なりとも、無縫塔高を顧視するは、釋迦牟尼佛の授記にはあらざるのみなり。釋迦牟尼佛の授記をうるは、七尺八尺の道得あるなり。眞箇の釋迦牟尼佛の授記を點撿することは七尺八尺の道得をもて撿點すべきなり。しかあればすなはち、七尺八尺の道得を是不是せんことはしばらくおく、授記はさだめて雪峰の授記あるべし、玄沙の授記あるべきなり。いはんや授記を擧して無縫塔高の多少を道得すべきなり。授記にあらざらんを擧して佛法を道得するは、道得にはあらざるべきなり。

 自己の眞箇に自己なるを會取し聞取し道取すれば、さだめて授記の現成する公案あるなり。授記の當陽に、授記と同參する功夫きたるなり。授記を究竟せんために、如許多の佛祖は現成正覺しきたれり。授記の功夫するちから、諸佛を推出するなり。このゆゑに、唯以一大事因緣故出現といふなり。その宗旨は、向上には非自己かならず非自己の授記をうるなり。このゆゑに、諸佛は諸佛の授記をうるなり。

 おほよそ授記は、一手を擧して授記し、兩手を擧して授記し、千手眼を擧して授記し、授記せらる。あるいは優曇花を擧して授記す、あるいは金襴衣を拈じて授記する、ともにこれ強爲にあらず、授記の云爲なり。内よりうる授記あるべし、外よりうる授記あるべし。内外を參究せん道理は、授記に參學すべし。授記の學道は萬里一條鐵なり。授記の兀坐は一念萬年なり。

 

 古佛いはく、相繼得成佛、轉次而授記(相繼いで成佛することを得て、轉次に而も授記せん)。

 いはくの成佛は、かならず相繼するなり。相繼する少許を成佛するなり。これを授記の轉次するなり。轉次は轉得轉なり、轉次は次得次なり。たとへば造次なり。造次は施爲なり。その施爲は、局量の造身にあらず、局量の造境にあらず、度量の造作にあらず、造心にあらざるなり。まさに造境不造境、ともに轉次の道理に一任して究辨すべし。造作不造作、ともに轉次の道理に一任して究辨すべし。いま諸佛諸祖の現成するは施爲に轉次せらるるなり。祖師の西來する施爲に轉次せらるるなり。いはんや運水般柴は、轉次しきたるなり。卽心是佛の現生する轉次なり。卽心是佛の滅度する、一滅度二滅度をめづらしくするにあらず、如許多の滅度を滅度すべし、如許多の成道を成道すべし、如許多の相好を相好すべし。これすなはち相繼得成佛なり、相繼得滅度等なり。相繼得授記なり、相繼得轉次なり。轉次は本來にあらず、ただ七通八達なり。いま佛面祖面の面面に相見し、面面に相逢するは相繼なり。佛授記祖授記の轉次する、廻避のところ、間隙にあらず。

 

 古佛いはく、我今從佛聞、授記莊嚴事、及轉次受決、身心遍歡喜(我れ今佛に從ひたてまつりて、授記莊嚴の事、及び轉次に決を受けんことを聞きて、身心遍く歡喜せり)。

 いふところは、授記莊嚴事、かならず我今從佛聞なり。我今從佛聞の及轉次受決するといふは、身心遍歡喜なり。及轉次は我今なるべし。過現當の自他にかかはるべからず、從佛聞なるべし。從他聞にあらず。迷悟にあらず、衆生にあらず、草木國土にあらず、從佛聞なるべし。授記莊嚴事なり、及轉次受決なり。轉次の道理、しばらくも一隅にとどまりぬることなし。身心遍歡喜しもてゆくなり。歡喜なる及轉次受決、かならず身と同參して遍參し、心と同參して遍參す。さらに又、身はかならず心に遍ず、心はかならず身に遍ずるゆゑに身心遍といふ。すなはちこれ徧界徧方、徧身徧心なり。これすなはち特地一條の歡喜なり。その歡喜、あらはに寐寤を歡喜せしめ、迷悟を歡喜せしむるに、おのおのと親切なりといへども、おのおのと不染汚なり。かるがゆゑに、轉次而受決なる、授記莊嚴事なり。

 釋迦牟尼佛、因藥王菩薩告八萬大士、藥王、汝見是大衆中、無量諸天、龍王、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人與非人、及比丘比丘尼、優婆塞優婆夷、求聲聞者、求辟支佛者、求佛道者、如是等類、咸於佛前、聞妙法華經一偈一句、乃至一念隨喜者、我皆與授記。當得阿耨多羅三藐三菩提(釋迦牟尼佛、藥王菩薩に因りて八萬大士に告げたまはく、藥王、汝、是の大衆の中の無量の諸天、龍王、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人と非人と、及び比丘比丘尼、優婆塞優婆夷、聲聞を求むる者、辟支佛を求むる者、佛道を求むる者を見るに、是の如き等の類、咸く佛の前に於て、妙法華經の一偈一句を聞きて、乃至一念も隨喜せん者に、我れ皆授記を與ふべし。當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし)。

 しかあればすなはち、いまの無量なる衆會、あるいは天王龍王、四部、八部、所求所解ことなりといへども、たれか妙法にあらざらん一句一偈をきかしめん。いかならんなんぢが乃至一念も、他法を隨喜せしめん。如是等類といふは、これ法華類なり。咸於佛前といふは、咸於佛中なり。人與非人の萬像に錯認するありとも、百草に下種せるありとも、如是等類なるべし。如是等類は、我皆與授記なり。我皆與授記の頭正尾正なる、すなはち當阿耨多羅三藐三菩提なり。

 

 釋迦牟尼佛告藥王、又如來滅度之後、若有人聞妙法華經、乃至一偈一句、一念隨喜者、我亦與授阿耨多羅三藐三菩提記(釋迦牟尼、佛藥王に告げたまはく、又、如來滅度の後、若し人有つて妙法華經を聞きて、乃至一偈一句に、一念も隨喜せん者に、我れ亦た阿耨多羅三藐三菩提の記を與授すべし)。

 いまいふ如來滅度之後は、いづれの時節到來なるべきぞ。四十九年なるか、八十年中なるか。しばらく八十年中なるべし。若有人聞妙法華經、乃至一偈一句、一念隨喜といふは、有智の所聞なるか、無智の所聞なるか。あやまりてきくか、あやまらずしてきくか。爲他道せば、若有人の所聞なるべし。さらに有智無智等の諸類なりとすることなかれ。いふべし、聞法華經はたとひ甚深無量なるいく諸佛智慧なりとも、きくにはかならず一句なり、きくにかならず一偈なり、きくにかならず一念隨喜なり。このとき、我亦與授阿耨多羅三藐三菩提記なるべし。亦與授記あり、皆與授記あり。蹉過の張三に一任せしむることなかれ、審細の功夫に同參すべし。句偈隨喜を若有人聞なるべし。皮肉骨髓を頭上安頭するにいとまあらず。見授阿耨多羅三藐三菩提記は、我願既滿なり、如許皮袋なるべし、衆望亦足なり、如許若有人聞ならん。念松枝の授記あり、念優曇華の授記あり。念瞬目の授記あり、念破顔の授記あり、靸鞋を轉授せし蹤跡あり。そこばくの是法非思量分別之所能解(是の法は思量分別の能く解する所に非ず)なるべし。我身是也の授記あり、汝身是也の授記あり。この道理、よく過去現在未來を授記するなり。授記中の過去現在未來なるがゆゑに、自授記に現成し、他授記に現成するなり。

 

 維摩詰、謂彌勒言、彌勒、世尊授仁者記、一生當得阿耨多羅三藐三菩提、爲用何生得受記乎。過去耶、未來耶、現在耶。若過去生、過去生已滅。若未來生、未來生未至。若現在生、現在生無住。如佛所説、比丘、汝今卽時、亦生亦老亦滅。若以無生得受記者、無生卽是正位。於正位中、亦無受記、亦無得阿耨多羅三藐三菩提。云何彌勒受一生記乎。爲從如生得受記耶、爲從如滅得受記耶。若以如生得受記者、如無有生。若以如滅得受記者、如無有滅。一切衆生皆如也、一切法亦如也。衆聖賢亦如也。至於彌勒亦如也。若彌勒得受記者、一切衆生亦應受記。所以者何、夫如者不二不異。若彌勒得阿耨多羅三藐三菩提者、一切衆生皆亦應得。所以者何、一切衆生卽菩提相(維摩詰、彌勒に謂て言く、彌勒、世尊の仁者に記を授け、一生に當に阿耨多羅三藐三菩提を得べしとは、何れの生を用て受記を得るとやせん。過去なりや、未來なりや、現在なりや。若し過去生といはば、過去生は已に滅す。若し未來生といはば、未來生は未至なり。若し現在生といはば、現在生は住すること無し。佛の所説の如くならば、比丘、汝今の卽時は、亦生亦老亦滅なり。若し無生を以て受記を得といはば、無生は卽ち是れ正位なり。正位中に於て、また受記無し。また阿耨多羅三藐三菩提を得べきこと無し。云何ぞ彌勒一生の記を受くるや。如生より受記を得とせんるや、如滅より受記を得とせんや。若し如生を以て受記を得といはば、如は生有ること無し。若し如滅を以て受記を得といはば、如は滅有ること無し。一切衆生、皆な如なり、一切の法も亦た如なり。衆の聖賢も亦た如なり。彌勒に至るまでも亦た如なり。若し彌勒受記を得るとなれば、一切衆生も亦た應に受記すべし。所以何となれば、夫れ、如は不二、不異なり。若し彌勒阿耨多羅三藐三菩提を得ば、一切衆生も皆亦た應に得べし。所以何となれば、一切衆生は卽ち菩提の相なり)。

 維摩詰の道取するところ、如來これを不是といはず。しかあるに、彌勒の得受記、すでに決定せり。かるがゆゑに、一切衆生の得受記、おなじく決定すべし。衆生の受決あらずは、彌勒の受記あるべからず。すでに一切衆生、卽菩提相なり。菩提の、菩提の授記をうるなり。受記は今日生佛の慧命なり。しかあれば、一切衆生は彌勒と同發心するゆゑに同受記なり、同成道なるべし。ただし、維摩道の於正位中、亦無受記は、正位卽授記をしらざるがごとし、正位卽菩提といはざるがごとし。また過去生已滅、未來生未至、現在生無住とらいふ。過去かならずしも已滅にあらず、未來かならずしも未至にあらず、現在かならずしも無住にあらず、無住未至已滅等を過未現と學すといふとも、未至のすなはち過現來なる道理、かならず道取すべし。

 しかあれば、生滅ともに得記する道理あるべし、生滅ともに得菩提の道理あるなり。一切衆生の授記をうるとき、彌勒も授記をうるなり。

 しばらくなんぢ維摩にとふ、彌勒は衆生と同なりや異なりや。試道看。

 すでに若彌勒得記せば、一切衆生も得記せんといふ、彌勒、衆生にあらずといはば、衆生は衆生にあらず、彌勒も彌勒にあらざるべし。いかん。正當恁麼時、また維摩にあらざるべし。維摩にあらずは、この道得用不著ならん。

 しかあればいふべし、授記の一切衆生をあらしむるとき、一切衆生および彌勒はあるなり。授記よく一切をあらしむべし。

 

正法眼藏授記第二十一

 

 仁治三年壬寅孟夏四月二十五日記于觀音導利興聖寶林寺

 寛元二年甲辰正月廿日書寫之在于越州吉峰寺侍者寮

 

 

正法眼藏第二十二 全機

 諸佛の大道、その究盡するところ、透脱なり、現成なり。その透脱といふは、あるいは生も生を透脱し、死も死を透脱するなり。このゆゑに、出生死あり、入生死あり。ともに究盡の大道なり。捨生死あり、度生死あり。ともに究盡の大道なり。現成これ生なり、生これ現成なり。その現成のとき、生の全現成にあらずといふことなし、死の全現成にあらずといふことなし。

 この機關、よく生ならしめよく死ならしむ。この機關の現成する正當恁麼時、かならずしも大にあらず、かならずしも小にあらず。遍界にあらず、局量にあらず。長遠にあらず、短促にあらず。いまの生はこの機關にあり、この機關はいまの生にあり。

 生は來にあらず、生は去にあらず。生は現にあらず、生は成にあらざるなり。しかあれども、生は全機現なり、死は全機現なり。しるべし、自己に無量の法あるなかに、生あり、死あるなり。

 しづかに思量すべし、いまこの生、および生と同生せるところの衆法は、生にともなりとやせん、生にともならずとやせん。一時一法としても、生にともならざることなし、一事一心としても、生にともならざるなし。

 生といふは、たとへば、人のふねにのれるときのごとし。このふねは、われ帆をつかひわれかぢをとれり。われさををさすといへども、ふねわれをのせて、ふねのほかにわれなし。われふねにのりて、このふねをもふねならしむ。この正當恁麼時を功夫參學すべし。この正當恁麼時は、舟の世界にあらざることなし。天も水も岸もみな舟の時節となれり、さらに舟にあらざる時節とおなじからず。このゆゑに、生はわが生ぜしむるなり、われをば生のわれならしむるなり。舟にのれるには、身心依正、ともに舟の機關なり。盡大地、盡虛空、ともに舟の機關なり。生なるわれ、われなる生、それかくのごとし。

 

 圜悟禪師克勤和尚云、生也全機現、死也全機現。

 この道取、あきらめ參究すべし。參究すといふは、生也全機現の道理、はじめをはりにかかはれず、盡大地盡虛空なりといへども、生也全機現をあひ罣礙せざるのみにあらず、死也全機現をも罣礙せざるなり。死也全機現のとき、盡大地盡虛空なりといへども、死也全機現をあひ罣礙せざるのみにあらず、生也全機現をも罣礙せざるなり。このゆゑに、生は死を罣礙せず、死は生を罣礙せざるなり。盡大地盡虛空、ともに生にもあり、死にもあり。しかあれども、一枚の盡大地、一枚の盡虛空を、生にも全機し、死にも全機するにはあらざるなり。一にあらざれども異にあらず、異にあらざれども卽にあらず、卽にあらざれども多にあらず。このゆゑに、生にも全機現の衆法あり、死にも全機現の衆法あり。生にあらず死にあらざるにも全機現あり。全機現に生あり、死あり。このゆゑに、生死の全機は、壯士の臂を屈伸するがごとくにもあるべし。如人夜間背手摸枕子にてもあるべし。これに許多の神通光明ありて現成するなり。

 正當現成のときは、現成に全機せらるるによりて、現成よりさきに現成あらざりつると見解するなり。しかあれども、この現成よりさきは、さきの全機現なり。さきの全機現ありといへども、いまの全機現を罣礙せざるなり。このゆゑにしかのごとくの見解、きほひ現成するなり。

 

正法眼藏全機第二十二

 

 于時仁治三年壬寅十二月十七日在雍州六波羅蜜寺側前雲州刺史幕下示衆

 同四年癸卯正月十九日書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第二十三 都機

 諸月の圓成すること、前三三のみにあらず、後三三のみにあらず。圓成の諸月なる、前三三のみにあらず、後三三のみにあらず。このゆゑに、

 釋迦牟尼佛言く、佛眞法身、猶若虛空。應物現形、如水中月(佛の眞法身は、猶し虛空の若し。物に應じて形を現はす、水中の月の如し)。

 いはゆる如水中月の如如は水月なるべし。水如、月如、如中、中如なるべし。相似を如と道取するにあらず、如は是なり。佛眞法身は虛空の猶若なり。この虛空は、猶若の佛眞法身なり。佛眞法身なるがゆゑに、盡地盡界、盡法盡現、みづから虛空なり。現成せる百草萬像の猶若なる、しかしながら佛眞法身なり、如水如月なり。月のときはかならず夜にあらず、夜かならずしも暗にあらず。ひとへに人間の小量にかかはることなかれ。日月なきところにも晝夜あるべし、日月は晝夜のためにあらず。日月ともに如如なるがゆゑに、一月兩月にあらず、千月萬月にあらず。月の自己、たとひ一月兩月の見解を保任すといふとも、これは月の見解なり、かならずしも佛道の道取にあらず、佛道の知見にあらず。しかあれば、昨夜たとひ月ありといふとも、今夜の月は昨月にあらず、今夜の月は初中後ともに今夜の月なりと參究すべし。月は月に相嗣するがゆゑに、月ありといへども新舊にあらず。

 

 盤山寶積禪師云、心月孤圓、光呑萬象。光非照境、境亦非存。光境倶亡、復是何物(心月孤圓、光、萬象を呑めり。光、境を照らすに非ず、境亦た存ずるに非ず。光境倶に亡ず、復た是れ何物ぞ)。

 いまいふところは、佛祖佛子、かならず心月あり。月を心とせるがゆゑに。月にあらざれば心にあらず、心にあらざる月なし。孤圓といふは、虧闕せざるなり。兩三にあらざるを萬象といふ。萬象これ月光にして萬象にあらず。このゆゑに光呑萬象なり。萬象おのづから月光を呑盡せるがゆゑに、光の光を呑却するを、光呑萬象といふなり。たとへば、月呑月なるべし、光呑月なるべし。ここをもて、光非照境、境亦非存と道取するなり。得恁麼なるゆゑに、應以佛身得度者のとき、卽現佛身而爲説法なり。應以普現色身得度者のとき、卽現普現色身而爲説法なり。これ月中の轉法輪にあらずといふことなし。たとひ陰精陽精の光象するところ、火珠水珠の所成なりとも、卽現現成なり。この心すなはち月なり、この月おのづから心なり。佛祖佛子の心を究理究事すること、かくのごとし。

 

 古佛いはく、一心一切法、一切法一心。

 しかあれば、心は一切法なり、一切法は心なり。心は月なるがゆゑに、月は月なるべし。心なる一切法、これことごとく月なるがゆゑに、遍界は遍月なり。通身ことごとく通月なり。たとひ直須萬年の前後三三、いづれか月にあらざらん。いまの身心依正なる日面佛月面佛、おなじく月中なるべし。生死去來ともに月にあり。盡十方界は月中の上下左右なるべし。いまの日用、すなはち月中の明明百草頭なり、月中の明明祖師心なり。

 

 舒州投子山慈濟大師、因僧問、月未圓時如何(月未圓なる時、如何)。

 師云、呑却三箇四箇(三箇四箇を呑却す)。

 僧云、圓後如何(圓なる後、如何)。

 師云、吐却七箇八箇(七箇八箇を吐却す)。

 いま參究するところは、未圓なり、圓後なり、ともにそれ月の造次なり。月に三箇四箇あるなかに、未圓の一枚あり。月に七箇八箇あるなかに、圓後の一枚あり。呑却は三箇四箇なり。このとき、月未圓時の見成なり。吐却は七箇八箇なり。このとき、圓後の見成なり。月の月を呑却するに、三箇四箇なり。呑却に月ありて現成す、月は呑却の見成なり。月の月を吐却するに、七箇八箇あり。吐却に月ありて現成す。月は吐却の現成なり。このゆゑに、呑却盡なり、吐却盡なり。盡地盡天吐却なり、蓋天蓋地呑却なり。呑自呑他すべし、吐自吐他すべし。

 

 釋迦牟尼佛告金剛藏菩薩言、譬如動目能搖湛水、又如定眼猶廻轉火。雲駛月運、舟行岸移、亦復如是(釋迦牟尼佛、金剛藏菩薩に告げて言はく、譬へば動目の能く湛水を搖がすが如く、又、定眼のなほ火を廻轉せしむるが如し。雲駛れば月運り、舟行けば岸移る、亦復是の如し)。

 いま佛演説の雲駛月運、舟行岸移、あきらめ參究すべし。倉卒に學すべからず、凡情に順ずべからず。しかあるに、この佛説を佛説のごとく見聞するものまれなり。もしよく佛説のごとく學習するといふは、圓覺かならずしも身心にあらず、菩提涅槃にあらず、菩提涅槃かならずしも圓覺にあらず、身心にあらざるなり。

 いま如來道の雲駛月運、舟行岸移は、雲駛のとき、月運なり。舟行のとき、岸移なり。

 いふ宗旨は、雲と月と、同時同道して同歩同運すること、始終にあらず、前後にあらず。舟と岸と、同時同道して同歩同運すること、起止にあらず、流轉にあらず。たとひ人の行を學すとも、人の行は起止にあらず、起止の行は人にあらざるなり。起止を擧揚して人の行に比量することなかれ。雲の駛も月の運も、舟の行も岸の移も、みなかくのごとし。おろかに小量の見に局量することなかれ。雲の駛は東西南北をとはず、月の運は晝夜古今に休息なき宗旨、わすれざるべし。舟の行および岸の移、ともに三世にかかはれず、よく三世を使用するものなり。このゆゑに、直至如今飽不飢(直に如今に至るまで飽いて飢ゑず)なり。

 しかあるを、愚人おもはくは、雲のはしるによりて、うごかざる月をうごくとみる、舟のゆくによりて、うつらざる岸をうつるとみゆると見解せり。もし愚人のいふがごとくならんは、いかでか如來の道ならん。佛法の宗旨、いまだ人天の小量にあらず。ただ不可量なりといへども、隨機の修行あるのみなり。たれか舟岸を再三撈摝せざらん、たれか雲月を急著眼看せざらん。

 しるべし、如來道は、雲を什麼法に譬せず、月を什麼法に譬せず、舟を什麼法に譬せず、岸を什麼法に譬せざる道理、しづかに功夫參究すべきなり。月の一歩は如來の圓覺なり、如來の圓覺は月の運爲なり。動止にあらず、進退にあらず。すでに月運は譬喩にあらざれば、孤圓の性相なり。

 しるべし、月の運度はたとひ駛なりとも、初中後にあらざるなり。このゆゑに第一月、第二月あるなり。第一、第二、おなじくこれ月なり。正好修行これ月なり、正好供養これ月なり、拂袖便行これ月なり。圓尖は去來の輪轉にあらざるなり。去來輪轉を使用し、使用せず、放行し、把定し、逞風流するがゆゑに、かくのごとくの諸月なるなり。

 

正法眼藏都機第二十三

 

 仁治癸卯端月六日書于觀音導利興聖寶林寺 沙門

 寛元癸卯解制前日書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第二十四 畫餠

 諸佛これ證なるゆゑに、諸物これ證なり。しかあれども、一性にあらず、一心にあらず。一性にあらず一心にあらざれども、證のとき、證證さまたげず現成するなり。現成のとき、現現あひ接することなく現成すべし。これ祖宗の端的なり。一異の測度を擧して參學の力量とすることなかれ。

 このゆゑにいはく、一法纔通萬法通(一法纔かに通ずれば萬法通ず)、いふところの一法通は、一法の從來せる面目を奪却するにあらず、一法を相對せしむるにあらず、一法を無對ならしむるにあらず。無對ならしむるはこれ相礙なり。通をして通の礙なからしむるに、一通これ、萬通これ、なり。一通は一法なり、一法通、これ萬法通なり。

 

 古佛言、畫餠不充飢。

 この道を參學する雲衲霞袂、この十方よりきたれる菩薩聲聞の名位をひとつにせず、かの十方よりきたれる神頭鬼面の皮肉、あつくうすし。これ古佛今佛の學道なりといへども、樹下草庵の活計なり。このゆゑに家業を正傳するに、あるいはいはく、經論の學業は眞智を熏修せしめざるゆゑにしかのごとくいふといひ、あるいは三乘一乘の教學さらに三菩提のみちにあらずといはんとして恁麼いふなりと見解せり。おほよそ假立なる法は眞に用不著なるをいはんとして、恁麼の道取ありと見解する、おほきにあやまるなり。祖宗の功業を正傳せず、佛祖の道取にくらし。この一言をあきらめざらん、たれか餘佛の道取を參究せりと聽許せん。

 畫餠不能充飢と道取するは、たとへば、諸惡莫作、衆善奉行と道取するがごとし、是什麼物恁麼來と道取するがごとし、吾常於是切といふがごとし。しばらくかくのごとく參學すべし。

 畫餠といふ道取、かつて見來せるともがらすくなし、知及せるものまたくあらず。なにとしてか恁麼しる、從來の一枚二枚の臭皮袋を勘過するに、疑著におよばず、親覲におよばず。ただ隣談に側耳せずして不管なるがごとし。

 畫餠といふは、しるべし、父母所生の面目あり、父母未生の面目あり。米麺をもちゐて作法せしむる正當恁麼、かならずしも生不生にあらざれども、現成道成の時節なり。去來の見聞に拘牽せらるると參學すべからず。餠を畫する丹雘は、山水を畫する丹雘とひとしかるべし。いはゆる山水を畫するには靑丹をもちゐる。畫餠を畫するには米麺をもちゐる。恁麼なるゆゑに、その所用おなじ、功夫ひとしきなり。

 しかあればすなはち、いま道著する畫餠といふは、一切の糊餠菜餠乳餠燒餠糍餠等、みなこれ畫圖より現成するなり。しるべし、畫等餠等法等なり。このゆゑに、いま現成するところの諸餠、ともに畫餠なり。このほかに畫餠をもとむるには、つひにいまだ相逢せず、未拈出なり。一時現なりといへども一時不現なり。しかあれども、老少の相にあらず、去來の跡にあらざるなり。しかある這頭に、畫餠國土あらはれ、成立するなり。

 不充飢といふは、飢は十二時使にあらざれども、畫餠に相見する便宜あらず。畫餠を喫著するに、つひに飢をやむる功なし。飢に相待せらるる餠なし。餠に相待せらるる餠あらざるがゆゑに、活計つたはれず、家風つたはれず。飢も一條拄杖なり、横擔豎擔、千變萬化なり。餠も一身心現なり、靑黄赤白、長短方圓なり。いま山水を畫するには、靑綠丹雘をもちゐ、奇巖怪石をもちゐ、七寶四寶をもちゐる。餠を畫する經營もまたかくのごとし。人を畫するには四大五蘊をもちゐる、佛を畫するには泥龕土塊をもちゐるのみにあらず、三十二相をもちゐる、一莖草をもちゐる、三祇百劫の熏修をもちゐる。かくのごとくして、壹軸の畫佛を圖しきたれるゆゑに、一切諸佛はみな畫佛なり。一切畫佛はみな諸佛なり。畫佛と畫餠と撿點すべし。いづれか石烏龜、いづれか鐵拄杖なる。いづれか色法、いづれか心法なると、審細に功夫參究すべきなり。恁麼功夫するとき、生死去來はことごとく畫圖なり。無上菩提すなはち畫圖なり。おほよそ法界虛空、いづれも畫圖にあらざるなし。

 

 古佛言、道成白雪千扁去、畫得靑山數軸來(道は成る白雪千扁去る、畫し得たり靑山數軸來る)。

 これ大悟話なり。辨道功夫の現成せし道底なり。しかあれば、得道の正當恁麼時は、靑山白雪を數軸となづく、畫圖しきたれるなり。一動一靜しかしながら畫圖にあらざるなし。われらがいまの功夫、ただ畫よりえたるなり。十號三明、これ一軸の畫なり。根力覺道、これ一軸の畫なり。もし畫は實にあらずといはば、萬法みな實にあらず。萬法みな實にあらずは、佛法も實にあらず。佛法もし實なるには、畫餠すなはち實なるべし。

 

 雲門匡眞大師、ちなみに僧とふ、いかにあらんかこれ超佛越祖之談。

 師いはく、糊餠。

 この道取、しづかに功夫すべし。糊餠すでに現成するには、超佛越祖の談を説著する祖師あり、聞著せざる鐵漢あり、聽得する學人あるべし、現成する道著あり。いま糊餠の展事投機、かならずこれ畫餠の二枚三枚なり。超佛越祖の談あり、入佛入魔の分あり。

 

 先師道、修竹芭蕉入畫圖(修竹芭蕉畫圖に入る)。

 この道取は、長短を超越せるものの、ともに畫圖の參學ある道取なり。修竹は長竹なり。陰陽の運なりといへども、陰陽をして運ならしむるに、修竹の年月あり。その年月陰陽、はかることうべからざるなり。大聖は陰陽を覰見すといへども、大聖、陰陽を測度する事あたはず。陰陽ともに法等なり、測度等なり、道等なるがゆゑに。いま外道二乘の心目にかかはる陰陽にはあらず。これは修竹の陰陽なり、修竹の歩暦なり、修竹の世界なり。修竹の眷屬として、十方諸佛あり。しるべし、天地乾坤は、修竹の根莖枝葉なり。このゆゑに天地乾坤をして長久ならしむ。大海須彌、盡十方界をして堅牢ならしむ。拄杖竹箆をして一老一不老ならしむ。芭蕉は、地水火風空、心意識智慧を根莖枝葉、花果光色とせるゆゑに、秋風を帶して秋風にやぶる。のこる一塵なし、淨潔といひぬべし。眼裏に筋骨なし、色裡に膠𦡬あらず。當處の解脱あり。なほ速疾に拘牽せられざれば、須叟刹那等の論におよばず。この力量を擧して、地水火風を活計ならしめ、心意識智を大死ならしむ。かるがゆゑに、この家業に春秋冬夏を調度として受業しきたる。

 いま修竹芭蕉の全消息、これ畫圖なり。これによりて、竹聲を聞著して大悟せんものは、龍蛇ともに畫圖なるべし。凡聖の情量と疑著すべからず。那竿得恁麼長なり、這竿得恁麼短なり。這竿得恁麼長なり、那竿得恁麼短なり。これみな畫圖なるがゆゑに、長短の圖、かならず相符するなり。長畫あれば、短畫なきにあらず。この道理、あきらかに參究すべし。ただまさに盡界盡法は畫圖なるがゆゑに、人法は畫より現じ、佛祖は畫より成ずるなり。

 しかあればすなはち、畫餠にあらざれば充飢の藥なし、畫飢にあらざれば人に相逢せず。畫充にあらざれば力量あらざるなり。おほよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、畫飢にあらざれば不得なり、不道なるなり。しばらく這箇は畫餠なることを參學すべし。この宗旨を參學するとき、いささか轉物物轉の功徳を身心に究盡するなり。この功徳いまだ現前せざるがごときは、學道の力量いまだ現成せざるなり。この功徳を現成せしむる、證畫現成なり。

 

正法眼藏畫餠第二十四

 

 爾時仁治三年壬寅十一月初五日在于觀音導利興聖寶林寺示衆

 仁治壬寅十一月初七日在興聖客司書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第二十五 谿聲山色

 阿耨菩提に傳道受業の佛祖おほし、粉骨の先蹤卽不無なり。斷臂の祖宗まなぶべし、掩泥の毫髪もたがふることなかれ。各各の脱殼うるに、從來の知見解會に拘牽せられず、曠劫未明の事、たちまちに現前す。恁麼時の而今は、吾も不知なり、誰も不識なり、汝も不期なり、佛眼も覰不見なり。人慮あに測度せんや。

 大宋國に、東坡居士蘇軾とてありしは、字は子瞻といふ。筆海の眞龍なりぬべし、佛海の龍象を學す。重淵にも游泳す。曾雲にも昇降す。あるとき、廬山にいたりしちなみに、溪水の夜流する聲をきくに悟道す。偈をつくりて、常總禪師に呈するにいはく、

 谿聲便是廣長舌、

 山色無非淸淨身。

 夜來八萬四千偈、

 他日如何擧似人。

 (谿聲便ち是れ廣長舌、山色淸淨身に非ざること無し、夜來八萬四千偈、他日如何が人に擧似せん。)

 この偈を總禪師に呈するに、總禪師、然之す。總は照覺常總禪師なり、總は黄龍慧南禪師の法嗣なり、南は慈明楚圓禪師の法嗣なり。

 居士、あるとき佛印禪師了元和尚と相見するに、佛印、さづくるに法衣佛戒等をもてす。居士、つねに法衣を搭して修道しき。居士、佛印にたてまつるに無價の玉帶をもてす。ときの人いはく、凡俗所及の儀にあらずと。

 しかあれば、聞谿悟道の因緣、さらにこれ佛流の潤益なからんや。あはれむべし、いくめぐりか現身説法の化儀にもれたるがごとくなる。なにとしてかさらに山色をみ、谿聲をきく、一句なりとやせん、半句なりとやせん、八萬四千偈なりとやせん。うらむべし、山水にかくれたる聲色あること。又よろこぶべし、山水にあらはるる時節因緣あること。舌相も懈倦なし、身色あに存沒あらんや。しかあれども、あらはるるときをやちかしとならふ、かくれたるときをやちかしとならはん。一枚なりとやせん、半枚なりとやせん。從來の春秋は山水を見聞せざりけり、夜來の時節は山水を見聞することわづかなり。いま、學道の菩薩も、山流水不流より學入の門を開すべし。

 この居士の悟道せし夜は、そのさきのひ、總禪師と無情説法話を參問せしなり。禪師の言下に翻身の儀いまだしといへども、谿聲のきこゆるところは、逆水の波浪たかく天をうつものなり。しかあれば、いま谿聲の居士をおどろかす、谿聲なりとやせん、照覺の流瀉なりとやせん。うたがふらくは照覺の無情説法話、ひびきいまだやまず、ひそかに谿流のよるの聲にみだれいる。たれかこれ一升なりと辨肯せん、一海なりと朝宗せん。畢竟じていはば、居士の悟道するか、山水の悟道するか。たれの明眼あらんか、長舌相、淸淨身を急着眼せざらん。

 

 又香嚴智閑禪師、かつて大潙大圓禪師の會に學道せしとき、大潙いはく、なんぢ聰明博解なり。章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。

 香嚴、いはんことをもとむること數番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年來たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年來のあつむる書をやきていはく、畫にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に佛法を會せんことをのぞまじ、ただ行粥飯僧とならんといひて、行粥飯して年月をふるなり。行粥飯僧といふは、衆僧に粥飯を行益するなり。このくにの陪饌役送のごときなり。

 かくのごとくして大潙にまうす、智閑は身心昏昧にして道不得なり、和尚わがためにいふべし。

 大潙のいはく、われ、なんぢがためにいはんことを辭せず。おそらくはのちになんぢわれをうらみん。

 かくて年月をふるに、大證國師の蹤跡をたづねて武當山にいりて、國師の庵のあとにくさをむすびて爲庵す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併淨するちなみに、かはらほとばしりて竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、瞎然として大悟す。沐浴し、潔齋して、大潙山にむかひて燒香禮拜して、大潙にむかひてまうす、大潙大和尚、むかしわがためにとくことあらば、いかでかいまこの事あらん。恩のふかきこと、父母よりもすぐれたり。つひに偈をつくりていはく、

 一撃亡所知、

 更不自修治。

 動容揚古路、

 不墮悄然機。

 處處無蹤跡、

 聲色外威儀。

 諸方達道者、

 咸言上上機。

 (一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。動容古路を揚ぐ、悄然の機に墮せず。處處蹤跡無し、聲色外の威儀なり。諸方達道の者、咸く上上の機と言はん。)

 この偈を大潙に呈す。

 大潙いはく、此子徹也(此の子、徹せり)。

 

 又、靈雲志勤禪師は三十年の辨道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。ときに春なり。桃花のさかりなるをみて、忽然として悟道す。偈をつくりて大潙に呈するにいはく、

 三十年來尋劔客、

 幾囘葉落又抽枝。

 自從一見桃花後、

 直至如今更不疑。

 (三十年來尋劔の客、幾囘か葉落ち又枝を抽んづる。一たび桃花を見てより後、直に如今に至るまで更に疑はず)。

 大潙いはく、從緣入者、永不退失(緣より入る者は、永く退失せじ)。

 すなはち許可するなり。いづれの入者か從緣せざらん、いづれの入者か退失あらん。ひとり勤をいふにあらず。つひに大潙に嗣法す。山色の淸淨身にあらざらん、いかでか恁麼ならん。

 

 長沙景岑禪師に、ある僧とふ、いかにしてか山河大地を轉じて自己に歸せしめん。

 師いはく、いかにしてか自己を轉じて山河大地に歸せしめん。

 いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所歸に罣礙すべきにあらず。

 

 琅の廣照大師慧覺和尚は、南嶽の遠孫なり。あるとき、教家の講師子璿とふ、淸淨本然、云何忽生山河大地(云何が忽ちに山河大地を生ずる)。

 かくのごとくとふに、和尚しめすにいはく、淸淨本然、云何忽生山河大地。

 ここにしりぬ、淸淨本然なる山河大地を山河大地とあやまるべきにあらず。しかあるを、經師かつてゆめにもきかざれば、山河大地を山河大地としらざるなり。

 

 しるべし山色谿聲にあらざれば、拈花も開演せず、得髓も依位せざるべし。谿聲山色の功徳によりて、大地有情同時成道し、見明星悟道する諸佛あるなり。かくのごとくなる皮袋、これ求法の志氣甚深なりし先哲なり。その先蹤、いまの人、かならず參取すべし。いまも名利にかかはらざらん眞實の參學は、かくのごときの志氣をたつべきなり。遠方の近來は、まことに佛法を求覓する人まれなり。なきにはあらず、難遇なるなり。たまたま出家兒となり、離俗せるににたるも、佛道をもて名利のかけはしとするのみおほし。あはれむべし、かなしむべし、この光陰ををしまず、むなしく黒暗業に賣買すること。いづれのときかこれ出離得道の期ならん。たとひ正師にあふとも、眞龍を愛せざらん。かくのごとくのたぐひ、先佛これを可憐憫者といふ。その先世に惡因あるによりてしかあるなり。生をうくるに爲法求法のこころざしなきによりて、眞法をみるとき眞龍をあやしみ、正法にあふとき正法にいとはるるなり。この身心骨肉、かつて從法而生ならざるによりて、法と不相應なり、法と不受用なり。祖宗師資、かくのごとく相承してひさしくなりぬ。菩提心はむかしのゆめをとくがごとし。あはれむべし、寶山にうまれながら寶財をしらず、寶財をみず、いはんや法財をえんや。もし菩提心をおこしてのち、六趣四生に輪轉すといへども、その輪轉の因緣、みな菩提の行願となるなり。

 しかあれば、從來の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすぎざるあひだに、いそぎて發願すべし。

 ねがわくはわれと一切衆生と、今生より乃至生生をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて佛法を受持せん、つひに大地有情ともに成道することをえん。

 かくのごとく發願せば、おのづから正發心の因緣ならん。この心術、懈倦することなかれ。

 又この日本國は、海外の遠方なり、人のこころ至愚なり。むかしよりいまだ聖人むまれず、生知むまれず、いはんや學道の實士まれなり。道心をしらざるともがらに、道心ををしふるときは、忠言の逆耳するによりて、自己をかへりみず、他人をうらむ。

 おほよそ菩提心の行願には、菩提心の發未發、行道不行道を世人にしられんことをおもはざるべし、しられざらんといとなむべし。いはんやみづから口稱ぜんや。いまの人は、實をもとむることまれなるによりて、身に行なく、こころにさとりなくとも、他人のほむることありて、行解相應せりといはん人をもとむるがごとし。迷中又迷、すなはちこれなり。この邪念、すみやかに抛捨すべし。

 學道のとき見聞することかたきは、正法の心術なり。その心術は、佛佛相傳しきたれるものなり。これを佛光明とも、佛心とも相傳するなり。如來在世より今日にいたるまで、名利をもとむるを學道の用心とするににたるともがらおほかり。しかありしも、正師のをしへにあひて、ひるがへして正法をもとむれば、おのづから得道す。いま學道には、かくのごとくのやまふのあらんとしるべきなり。たとへば、初心始學にもあれ、久修練行にもあれ、傳道授業の機をうることもあり、機をえざることもあり。慕古してならふ機あるべし、訕謗してならはざる魔もあらん。兩頭ともに愛すべからず、うらむべからず。いかにしてかうれへなからん、うらみざらん。

 いはく、三毒を三毒としれるともがらまれなるによりて、うらみざるなり。いはんやはじめて佛道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。いはく、はじめて發心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす。かつて國王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり。しかあるに、いまかくのごとくの因緣あり、本期にあらず、所求にあらず、人天の繋縛にかかはらんことを期せざるところなり。しかあるを、おろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、佛法の功徳いたれりとよろこぶ。國王大臣の歸依しきりなれば、わがみちの見成とおもへり。これは學道の一魔なり、あはれむこころをわするべからずといふとも、よろこぶことなかるべし。

 みずや、ほとけののたまはく、如來現在、猶多怨嫉(如來の現在にすら猶怨嫉多し)の金言あることを。愚の賢をしらず、小畜の大聖をあたむこと、理かくのごとし。又、西天の祖師、おほく外道二乘國王等のためにやぶられたるを。これ外道のすぐれたるにあらず、祖師に遠慮なきにあらず。

 初祖西來よりのち、嵩山に掛錫するに、梁武もしらず、魏主もしらず。ときに兩箇のいぬあり、いはゆる菩提流支三藏と光統律師となり。虛名邪利の、正人にふさがれんことをおそりて、あふぎて天日をくらまさんと擬するがごとくなりき。在世の達多よりもなほはなはだし。あはれむべし、なんぢが深愛する名利は、祖師これを糞穢よりもいとふなり。かくのごとくの道理、佛法の力量の究竟せざるにはあらず、良人をほゆるいぬありとしるべし。ほゆるいぬをわづらふことなかれ、うらむることなかれ。引導の發願すべし、汝是畜生、發菩提心と施設すべし。先哲いはく、これはこれ人面畜生なり。

 又、歸依供養する魔類もあるべきなり。

 前佛いはく、不親近國王、王子、大臣、官長、婆羅門、居士(國王、王子、大臣、官長、婆羅門、居士に親近せざれ)。

 まことに佛道を學習せん人、わすれざるべき行儀なり。菩薩初學の功徳、すすむにしたがうてかさなるべし。

 又むかしより、天帝きたりて行者の志氣を試驗し、あるいは魔波旬きたりて、行者の修道をさまたぐることあり。これみな名利の志氣はなれざるとき、この事ありき。大慈大悲のふかく、廣度衆生の願の老大なるには、これらの障礙あらざるなり。

 修行の力量おのづから國土をうることあり、世運の達せるに相似せることあり。かくのごとくの時節、さらにかれを辨肯すべきなり。かれに瞌睡することなかれ。愚人これをよろこぶ、たとへば癡犬の枯骨をねぶるがごとし。賢聖これをいとふ、たとへば世人の糞穢をおづるににたり。

 

 おほよそ初心の情量は、佛道をはからふことあたはず、測量すといへどもあたらざるなり。初心に測量せずといへども、究竟に究盡なきにあらず。徹地の堂奥は初心の淺識にあらず。ただまさに先聖の道をふまんことを行履すべし。このとき、尋師訪道するに、梯山航海あるなり。導師をたづ、ね知識をねがふには、從天降下なり、從地湧出なり。

 その接渠のところに、有情に道取せしめ、無情に道取せしむるに、身處にきき、心處にきく。若將耳聽は家常の茶飯なりといへども、眼處聞聲これ何必不必なり。見佛にも、自佛他佛をもみ、大佛小佛をみる。大佛にもおどろきおそれざれ、小佛にもあやしみわづらはざれ。いはゆる大佛小佛を、しばらく山色谿聲と認ずるものなり。これに廣長舌あり、八萬偈あり。擧似迥脱なり、見徹獨拔なり。このゆゑに俗いはく、彌高彌堅なり、先佛いはく、彌天彌綸なり。春松の操あり、秋菊の秀ある、卽是なるのみなり。

 善知識この田地にいたらんとき、人天の大師なるべし。いまだこの田地にいたらず、みだりに爲人の儀を存ぜん、人天の大賊なり。春松しらず、秋菊みざらん、なにの草料かあらん、いかが根源を截斷せん。

 

 又、心も肉も、懈怠にもあり、不信にもあらんには、誠心をもはらして前佛に懺悔すべし。恁麼するとき前佛懺悔の功徳力、われをすくひて淸淨ならしむ。この功徳、よく無礙の淨信精進を生長せしむるなり。淨信一現するとき、自他おなじく轉ぜらるるなり。その利益、あまねく情非情にかうぶらしむ。その大旨は、

 願はわれたとひ過去の惡業おほくかさなりて、障道の因緣ありとも、佛道によりて得道せりし諸佛諸祖、われをあはれみて、業累を解脱せしめ、學道さはりなからしめ、その功徳法門、あまねく無盡法界に充滿彌綸せらんあはれみをわれに分布すべし。

 佛祖の往昔は吾等なり、吾等が當來は佛祖ならん。佛祖を仰觀すれば一佛祖なり、發心を觀想するにも一發心なるべし。あはれみを七通八達せんに、得便宜なり、落便宜なり。このゆゑに龍牙のいはく、

 昔生未了今須了、

 此生度取累生身。

 古佛未悟同今者、

 悟了今人卽古人。

 (昔生に未だ了ぜずは今須らく了ずべし、此生に累生身を度取す。古佛も未悟なれば今者に同じ、悟了せば今人卽ち古人なり。)

 しづかにこの因緣を參究すべし、これ證佛の承當なり。

 かくのごとく懺悔すれば、かならず佛祖の冥助あるなり。心念身儀發露白佛すべし、發露のちから罪根をして銷殞せしむるなり。これ一色の正修行なり、正信心なり、正信身なり。

 正修行のとき、谿聲谿色、山色山聲、ともに八萬四千偈ををしまざるなり。自己もし名利身心を不惜すれば、谿山また恁麼の不惜あり。たとひ谿聲山色八萬四千偈を現成せしめ、現成せしめざることは夜來なりとも、谿山の谿山を擧似する盡力未便ならんは、たれかなんぢを谿聲山色と見聞せん。

 

正法眼藏谿聲山色第二十五

 

 爾時延應庚子結制後五日在觀音導利興聖寶林寺示衆

 寛元癸卯結制前佛誕生日在同寺侍司書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第二十六 佛向上事

 高祖筠州洞山悟本大師は、潭州雲巖山無住大師の親嫡嗣なり。如來より三十八位の祖向上なり、自己より向上三十八位の祖なり。

 大師、有時示衆云、體得佛向上事、方有些子語話分(佛向上の事を體得して、方に些子語話の分有り)。

 僧便問、如何是語話(如何ならんか是れ語話)。

 大師云、語話時闍梨不聞(語話の時、闍梨不聞なり)。

 僧曰、和尚還聞否(和尚また聞くや否や)。

 大師云、待我不語話時卽聞(我が不語話の時を待つて、卽ち聞くべし)。

 いまいふところの佛向上事の道、大師その本祖なり。自餘の佛祖は、大師の道を參學しきたり、佛向上事を體得するなり。まさにしるべし、佛向上事は、在因にあらず、果滿にあらず。しかあれども、語話時の不聞を體得し參徹することあるなり。佛向上にいたらざれば佛向上を體得することなし、語話にあらざれば佛向上事を體得せず。相顯にあらず、相隱にあらず。相與にあらず、相奪にあらず。このゆゑに、語話現成のとき、これ佛向上事なり。佛向上事現成のとき、闍梨不聞なり。闍梨不聞といふは、佛向上事自不聞なり。すでに語話時闍梨不聞なり。しるべし、語話それ聞に染汚せず、不聞に染汚せず。このゆゑに聞不聞に不相干なり。

 不聞裏藏闍梨なり、語話裡藏闍梨なりとも、逢人不逢人、恁麼不恁麼なり。闍梨語話時、すなはち闍梨不聞なり。その不聞たらくの宗旨は、舌骨に罣礙せられて不聞なり、耳裡に罣礙せられて不聞なり。眼睛に照穿せられて不聞なり、身心に塞却せられて不聞なり。しかあるゆゑに不聞なり。これらを拈じてさらに語話とすべからず。不聞すなはち語話なるにあらず、語話時不聞なるのみなり。高祖道の語話時闍梨不聞は、語話の道頭道尾は、如藤倚藤なりとも、語話纏語話なるべし、語話に罣礙せらる。

 僧いはく、和尚還聞否。

 いはゆるは、和尚を擧して聞語話と擬するにあらず、擧聞さらに和尚にあらず、語話にあらざるがゆゑに。しかあれども、いま僧の疑議するところは、語話時に卽聞を參學すべしやいなやと咨參するなり。たとへば、語話すなはち語話なりやと聞取せんと擬し、還聞これ還聞なりやと聞取せんと擬するなり。しかもかくのごとくいふとも、なんぢが舌頭にあらず。

 洞山高祖道の待我不語話時卽聞、あきらかに參究すべし。いはゆる正當語話のとき、さらに卽聞あらず。卽聞の現成は、不語話のときなるべし。いたづらに不語話のときをさしおきて、不語話をまつにはあらざるなり。卽聞のとき、語話を傍觀とするにあらず、眞箇に傍觀なるがゆゑに。卽聞のとき、語話さりて一邊の那裡に存取せるにあらず、語話のとき、卽聞したしく語話の眼睛裏に藏身して霹靂するにあらず。しかあればすなはち、たとひ闍梨にても、語話時は不聞なり。たとひ我にても、不語話時卽聞なる、これ方有些子語話分なり、これ體得佛向上事なり。たとへば、語話時卽聞を體得するなり。このゆゑに、待我不語話時卽聞なり。しかありといへども、佛向上事は、七佛已前事にあらず、七佛向上事なり。

 

 高祖悟本大師示衆云、須知有佛向上人(須らく佛向上人有ることを知るべし)。

 時有僧問、如何是佛向上人(如何ならんか是れ佛向上人)。

 大師云、非佛。

 雲門云、名不得、状不得、所以言非(名づくること得ず、状どること得ず、所以に非と言ふ)。

 保福云、佛非。

 法眼云、方便呼爲佛(方便に呼んで佛と爲す)。

 おほよそ佛祖の向上に佛祖なるは、高祖洞山なり。そのゆゑは、餘外の佛面祖面おほしといへども、いまだ佛向上の道は夢也未見なり。徳山臨濟等には爲説すとも承當すべからず。巖頭雪峰等は粉碎其身すとも喫拳すべからず。高祖道の體得佛向上事、方有些子語話分、および須知有佛向上人等は、ただ一二三四五の三阿僧祇、百大劫の修證のみにては、證究すべからず。まさに玄路の參學あるもの、その分あるべし。

 すべからく佛向上人ありとしるべし。いはゆるは、弄精魂の活計なり。しかありといへども、古佛を擧してしり、拳頭を擧起してしる。すでに恁麼見得するがごときは、有佛向上人をしり、無佛向上人をしる。而今の示衆は佛向上人となるべしとにあらず、佛向上人と相見すべしとにあらず。ただしばらく佛向上人ありとしるべしとなり。この關棙子を使得するがごときは、まさに有佛向上人を不知するなり、無佛向上人を不知するなり。その佛向上人、これ非佛なり。いかならんか非佛と疑著せられんとき、思量すべし、佛より以前なるゆゑに非佛といはず、佛よりのちなるゆゑに非佛といはず、佛をこゆるゆゑに非佛なるにあらず。ただひとへに佛向上なるゆゑに非佛なり。その非佛といふは、脱落佛面目なるゆゑにいふ、脱落佛身心なるゆゑにいふ。

 

 東京淨因枯木禪師[嗣芙蓉、諱法成]、示衆云、知有佛祖向上事、方有説話分。諸禪徳、且道、那箇是佛祖向上事。有箇人家兒子、六根不具、七識不全、是大闡提、無佛種性。逢佛殺佛、逢祖殺祖。天堂收不得、地獄攝無門。大衆還識此人麼。良久曰、對面不仙陀、睡多饒寐語(東京淨因枯木禪師[芙蓉に嗣す、諱は法成]、示衆に云く、佛祖向上の事有ることを知らば、方に説話の分有り。諸禪徳、且道すべし、那箇か是れ佛祖向上の事なる。箇の人家の兒子有り、六根不具、七識不全、是れ大闡提、無佛種性なり。佛に逢ひては佛を殺し、祖に逢ひては祖を殺す。天堂も收むること得ず、地獄も攝するに門無し。大衆還た此の人を識るや。良久して曰く、對面仙陀にあらず、睡多くして寐語饒なり)。

 いはゆる六根不具といふは、眼睛被人換却木槵子了也、鼻孔被人換却竹筒了也、髑髏被人借作屎杓了也、作麼生是換却底道理(眼睛人に木槵子と換却せられ了りぬ、鼻孔人に竹筒と換却せられ了りぬ、髑髏人に借りて屎杓と作され了りぬ。作麼生ならんか是れ換却底の道理)。

 このゆゑに六根不具なり。不具六根なるがゆゑに爐鞴裏を透過して金佛となれり、大海裏を透過して泥佛となれり、火焰裡を透過して木佛となれり。

 七識不全といふは、破木杓なり。殺佛すといへども逢佛す。逢佛せるゆゑに殺佛す。天堂にいらんと擬すれば天堂すなはち崩壞す、地獄にむかへば地獄たちまちに破裂す。このゆゑに、對面すれば破顔す、さらに仙陀なし。睡多なるにもなほ寐語おほし。しるべし、この道理は、擧山匝地兩知己、玉石全身百雜碎なり。枯木禪師の示衆、しづかに參究功夫すべし、卒爾にすることなかれ。

 雲居山弘覺大師、參高祖洞山。山問、闍梨、名什麼(雲居山弘覺大師、高祖洞山に參ず。山問ふ、闍梨、名は什麼ぞ)。

 雲居曰、道膺。

 高祖又問、向上更道(向上更に道ふべし)。

 雲居曰、向上道卽不名道膺(向上に道はば、卽ち道膺と名づけず)。

 洞山道、吾在雲巖時祗對無異也(吾れ雲巖に在りし時祗對せしに異なること無し)。

 いま師資の道、かならず審細にすべし。いはゆる向上不名道膺は、道膺の向上なり。適來の道膺に向上の不名道膺あることを參學すべし。向上不名道膺の道理現成するよりこのかた、眞箇道膺なり。しかあれども、向上にも道膺なるべしといふことなかれ。たとひ高祖道の向上更道をきかんとき、領話を呈するに向上更名道膺と道著すとも、すなはち向上道なるべし。なにとしてかしかいふ。いはく、道膺たちまちに頂𩕳に跳入して藏身するなり。藏身すといへども露影なり。

 

 曹山本寂禪師、參高祖洞山。山問、闍梨、名什麼(曹山本寂禪師、高祖洞山に參ず。山問ふ、闍梨、名は什麼ぞ)。

 曹山云、本寂。

 高祖云、向上更道(向上更に道ふべし)。

 曹山云、不道(道はじ)。

 高祖云、爲甚麼不道(甚麼と爲てか道はざる)。

 師云、不名本寂(本寂と名づけず)。

 高祖然之(高祖然之す)。

 いはく、向上に道なきにあらず、これ不道なり。爲甚麼不道、いはゆる不名本寂なり。しかあれば、向上の道は不道なり、向上の不道は不名なり。不名の本寂は向上の道なり。このゆゑに、本寂不名なり。しかあれば、非本寂あり、脱落の不名あり、脱落の本寂あり。

 

 盤山寶積禪師云、向上一路、千聖不傳。

 いはくの向上一路は、ひとり盤山の道なり。向上事といはず、向上人といはず、向上一路といふなり。その宗旨は、千聖競頭して出來すといへども、向上一路は不傳なり。不傳といふは、千聖は不傳の分を保護するなり。かくのごとくも學すべし。さらに又いふべきところあり、いはゆる千聖千賢はなきにあらず、たとひ賢聖なりとも、向上一路は賢聖の境界にあらずと。

 

 智門山光祚禪師、因僧問、如何是佛向上事(智門山光祚禪師、因みに僧問ふ、如何ならんか是れ佛向上事)。

 師云、拄杖頭上挑日月(拄杖頭上日月を挑ぐ)。

 いはく、拄杖の日月に罣礙せらるる、これ佛向上事なり。日月の罣杖を參學するとき、盡乾坤くらし。これ佛向上事なり。日月是拄杖とにはあらず、拄杖頭上とは、全拄杖上なり。

 

 石頭無際大師の會に、天皇寺の道悟禪師とふ、如何是佛法大意(如何ならんか是れ佛法大意)。

 師云、不得不知。

 道悟云、向上更有轉處也無(向上更に轉處有りや無や)。

 師云、長空不礙白雲飛(長空白雲の飛ぶを礙へず)。

 いはく、石頭は曹谿の二世なり。天皇寺の道悟和尚は藥山の師弟なり。あるときとふ、いかならんか佛法大意。この問は、初心晩學の所堪にあらざるなり。大意をきかば、大意を會取しつべき時節にいふなり。

 石頭いはく、不得不知。しるべし、佛法は初一念にも大意あり、究竟位にも大意あり。その大意は不得なり。發心修行取證はなきにあらず、不得なり。その大意は不知なり。修證は無にあらず、修證は有にあらず、不知なり、不得なり。またその大意は、不得不知なり。聖諦修證なきにあらず、不得不知なり。聖諦修證あるにあらず、不得不知なり。

 道悟いはく、向上更有轉處也無。いはゆるは、轉處もし現成することあらば、向上現成す。轉處といふは方便なり、方便といふは諸佛なり、諸祖なり。これを道取するに、更有なるべし。たとひ更有なりとも、更無をもらすべきにあらず、道取あるべし。

 長空不礙白雲飛は、石頭の道なり。長空さらに長空を不礙なり。長空これ長空飛を不礙なりといへども、さらに白雲みづから白雲を不礙なり。白雲飛不礙なり、白雲飛さらに長空飛を礙せず。他に不礙なるは自にも不礙なり、面面の不礙を要するにはあらず、各各の不礙を存するにあらず。このゆゑに不礙なり。長空不礙白雲飛の性相を擧拈するなり。正當恁麼時、この參學眼を揚眉して、佛來をも覰見し、祖來をも相見す。自來をも相見し、他來をも相見す。これを問一答十の道理とせり。いまいふ問一答十は、問一もその人なるべし、答十もその人なるべし。

 

 黄檗云、夫出家人、須知有從上來事分。且如四祖下牛頭法融大師、横説豎説、猶未知向上關棙子。有此眼腦、方辨得邪正宗黨(黄檗云く、夫れ出家人は、須らく從上來事の分有ることを知るべし。且く四祖下の牛頭法融大師の如きは、横説豎説すれども、猶ほ未だ向上の關棙子を知らず。此の眼腦有つて、方に邪正の宗黨を辨得すべし)。

 黄檗恁麼道の從上來事は、從上佛佛祖祖、正傳しきたる事なり。これを正法眼藏涅槃妙心といふ。自己にありといふとも須知なるべし、自己にありといへども猶未知なり。佛佛正傳せざるは夢也未見なり。黄檗は百丈の法子として百丈よりもすぐれ、馬祖の法孫として馬祖よりもすぐれたり。おほよそ祖宗三四世のあひだ、黄檗に齊肩なるなし。ひとり黄檗のみありて牛頭の兩角なきことをあきらめたり。自餘の佛祖、いまだしらざるなり。

 牛頭山の法融禪師は、四祖下の尊宿なり。横説豎説、まことに經師論師に比するには、西天東地のあひだ、不爲不足なりといへども、うらむらくはいまだ向上の關棙子をしらざることを、向上の關棙子を道取せざることを。もし從上來の關棙子をしらざらんは、いかでか佛法の邪正を辨會することあらん。ただこれ學言語の漢なるのみなり。しかあれば、向上の關棙子をしること、向上の關棙子を修行すること、向上の關棙子を證すること、庸流のおよぶところにあらざるなり。眞箇の功夫あるところには、かならず現成するなり。

 いはゆる佛向上事といふは、佛にいたりて、すすみてさらに佛をみるなり。衆生の佛をみるにおなじきなり。しかあればすなはち、見佛もし衆生の見佛とひとしきは、見佛にあらず。見佛もし衆生の見佛のごとくなるは、見佛錯なり。いはんや佛向上事ならんや。しるべし、黄檗道の向上事は、いまの杜撰のともがら、領覽におよばざらん。ただまさに法道もし法融におよばざるあり、法道おのづから法融にひとしきありとも、法融に法兄弟なるべし。いかでか向上の關棙子をしらん。自餘の十聖三賢等、いかにも向上の關棙子をしらざるなり。いはんや向上の關棙子を開閉せんや。この宗旨は、參學の眼目なり。もし向上の關棙子をしるを、佛向上人とするなり、佛向上事を體得せるなり。

 

正法眼藏佛向上事第二十六

 

 爾時仁治三年壬寅三月二十三日在觀音導利興聖寶林寺示衆

 正元元年己未夏安居日以未再治御草本在永平寺書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第二十七 夢中説夢

 諸佛諸祖出興之道、それ朕兆已前なるゆゑに舊窠の所論にあらず。これによりて佛祖邊、佛向上等の功徳あり。時節にかかはれざるがゆゑに壽者命者、なほ長遠にあらず、頓息にあらず。はるかに凡界の測度にあらざるべし。法輪轉また朕兆已前の規矩なり。このゆゑに、大功不賞、千古榜樣なり。これを夢中説夢す。證中見證なるがゆゑに夢中説夢なり。

 この夢中説夢處、これ佛祖國なり、佛祖會なり。佛國佛會、祖道祖席は、證上而證、夢中説夢なり。この道取説取にあひながら佛會にあらずとすべからず、これ佛轉法輪なり。この法輪、十方八面なるがゆゑに、大海須彌、國土諸法現成せり。これすなはち諸夢已前の夢中説夢なり。徧界の彌露は夢なり、この夢すなはち明明なる百草なり。擬著せんとする正當なり、粉紜なる正當なり。このとき夢草中草説草等なり。これを參學するに、根莖枝葉、花果光色、ともに大夢なり。夢然なりとあやまるべからず。

 しかあれば、佛道をならはざらんと擬する人は、この夢中説夢にあひながら、いたづらにあるまじき夢草の、あるにもあらぬをあらしむるをいふならんとおもひ、まどひにまどひをかさぬるがごとくにあらんとおもへり。しかにはあらず。たとひ迷中又迷といふとも、まどひのうへのまどひと道取せられゆく道取の通霄の路、まさに功夫參學すべし。

 夢中説夢は諸佛なり、諸佛は風雨水火なり。この名號を受持し、かの名號を受持す。夢中説夢は古佛なり。乘此寶乘、直至道場なり。直至道場は乘此寶乘中なり。夢曲夢直、把定放行逞風流なり。正當恁麼の法輪、あるいは大法輪界を轉ずること、無量無邊なり。あるいは一微塵にも轉ず、塵中に消息不休なり。この道理、いづれの恁麼事を轉法するにも、怨家笑點頭なり。いづれの處所も恁麼事を轉法するゆゑに轉風流なり。このゆゑに、盡地みな驀地の無端なる法輪なり。徧界みな不昧の因果なり、諸佛の無上なり。しるべし、諸佛化道および説法蘊、ともに無端に建化し、無端に住位せり。去來の端をもとむることなかれ。盡從這裡去なり、盡從這裡來なり。このゆゑに、葛藤をうゑて葛藤をまつふ、無上菩提の性相なり。菩提の無端なるがごとく、衆生無端なり、無上なり。籠籮無端なりといへども、解脱無端なり。公案見成は放儞三十棒、これ見成の夢中説夢なり。

 しかあればすなはち、無根樹、不陰陽地、喚不響谷、すなはち見成の夢中説夢なり。これ人天の境界にあらず、凡夫の測度にあらず。夢の菩提なる、たれか疑著せん。疑著の所管にあらざるがゆゑに、認著するたれかあらん、認著の所轉にあらざるがゆゑに。この無上菩提、これ無上菩提なるがゆゑに夢これを夢といふ。中夢あり、夢説あり、説夢あり、夢中あるなり。夢中にあらざれば説夢なし、説夢にあらざれば夢中なし、説夢にあらざれば諸佛なし、夢中にあらざれば諸佛出世し轉妙法輪することなし。その法輪は、唯佛與佛なり、夢中説夢なり。ただまさに夢中説夢に無上菩提衆の諸佛諸祖あるのみなり。さらに法身向上事、すなはち夢中説夢なり。ここに唯佛與佛の奉覲あり。頭目髓腦、身肉手足を愛惜することあたはず、愛惜せられざるがゆゑに、賣金須是買金人なるを、玄之玄といひ、妙之妙といひ、證之證といひ、頭上安頭ともいふなり。これすなはち佛祖の行履なり。これを參學するに、頭をいふには人の頂上とおもふのみなり。さらに毘盧の頂上とおもはず、いはんや明明百草頭とおもはんや、頭聻をしらず。

 むかしより頭上安頭の一句、つたはれきたれり。愚人これをききて剩法をいましむる言語とおもふ。あるべからずといはんとては、いかでか頭上安頭することあらむといふを、よのつねのならひとせり。まことにそれあやまらざるか。説と現成する、凡聖ともにもちゐるに相違あらず。このゆゑに、凡聖ともに夢中説夢なる、きのふにても生ずべし、今日にても長ずべし。しるべし、きのふの夢中説夢は夢中説夢を夢中説夢と認じきたる。如今の夢中説夢は夢中説夢を夢中説夢と參ずる、すなはちこれ値佛の慶快なり。かなしむべし、佛祖明明百草の夢あきらかなる事、百千の日月よりもあきらかなりといへども、生盲のみざること。あはれむべし、いはゆる頭上安頭といふその頭は、すなはち百草頭なり、千種頭なり、萬般頭なり、通身頭なり。全界不曾藏頭なり、盡十方界頭なり。一句合頭なり、百尺竿頭なり。安も上も頭頭なると參ずべし、究すべし。

 しかあればすなはち、一切諸佛及諸佛阿耨多羅三藐三菩提、皆從此經出も、頭上安頭しきたれる夢中説夢なり。此經すなはち夢中説夢するに、阿耨菩提の諸佛を出興せしむ。菩提の諸佛、さらに此經をとく、さだまれる夢中説夢なり。夢因くらからざれば夢果不昧なり。ただまさに一槌千當萬當なり、千槌萬槌は一當半當なり。かくのごとくなるによりて、恁麼事なる夢中説夢あり、恁麼人なる夢中説夢あり、不恁麼事なる夢中説夢あり、不恁麼人なる夢中説夢ありとしるべし。しられきたる道理顯赫なり。いはゆるひめもすの夢中説夢、すなはち夢中説夢なり。

 このゆゑに古佛いはく、我今爲汝夢中説夢、三世諸佛也夢中説夢、六代祖師也夢中説夢(我れ今汝が爲に夢中説夢す、三世諸佛も也た夢中説夢す、六代祖師も也た夢中説夢す)。

 この道、あきらめ學すべし。いはゆる拈花瞬目すなはち夢中説夢なり、禮拜得髓すなはち夢中説夢なり。

 おほよそ道得一句、不會不識、夢中説夢なり。千手千眼、用許多作麼なるがゆゑに、見色見聲、聞色聞聲の功徳具足せり。現身なる夢中説夢あり、説夢説法蘊なる夢中説夢あり。把定放行なる夢中説夢なり。直指は説夢なり、的當は説夢なり。把定しても放行しても、平常の秤子を學すべし。學得するに、かならず目銖機𨨄あらはれて、夢中説夢しいづるなり。銖𨨄を論ぜず、平にいたらざれば、平の見成なし。平をうるに平をみるなり。すでに平をうるところ、物によらず、秤によらず、機によらず。空にかかれりといへども、平をえざれば平をみずと參究すべし。みづから空にかかれるがごとく、物を接取して空に遊化せしむる夢中説夢あり。空裡に平を現身す、平は秤子の大道なり。空をかけ物をかく、たとひ空なりとも、たとひ色なりとも、平にあふ夢中説夢あり。解脱の夢中説夢にあらずといふことなし。夢これ盡大地なり、盡大地は平なり。このゆゑに囘頭轉腦の無窮盡、すなはち夢裏證夢する信受奉行なり。

 

 釋迦牟尼佛言(釋迦牟尼佛言く)、

 諸佛身金色、百福相莊嚴。

 (諸佛の身金色にして、百福の相莊嚴あり)

 聞法爲人説、常有是好夢。

 (聞法爲人説するに、常に是の好夢有り)

 又夢作國王、捨宮殿眷屬、

 (又夢に國王と作つて、宮殿眷屬)

 及上妙五欲、行詣於道場。

 (及び上妙の五欲を捨て、道場に行詣す)

 在菩提樹下、而處師子座。

 (菩提樹下に在りて、師子の座に處し)

 求道過七日、得諸佛之智。

 (道を求むること七日に過りて、諸佛の智を得)

 成無上道已、起而轉法輪。

 (無上道を成じ已つて、起つて法輪を轉じ)

 爲四衆説法、逕千萬億劫。

 (四衆の爲に説法して、千萬億劫を逕)

 説無漏妙法、度無量衆生。

 (無漏の妙法を説いて、無量の衆生を度し)

 後當入涅槃、如煙盡燈滅。

 (後に當に涅槃入ること、煙盡燈滅の如くならん)

 若後惡世中、説是第一法。

 (若し後の惡世の中に、是の第一法を説かんに)

 是人得大利、如上諸功徳。

 (是の人大利を得ること、上の諸の功徳の如くならん)

 而今の佛説を參學して、諸佛の佛會を究盡すべし。これ譬喩にあらず。諸佛の妙法は、ただ唯佛與佛なるゆゑに、夢覺の諸法、ともに實相なり。覺中の發心修行菩提涅槃あり。夢裏の發心修行菩提涅槃あり。夢覺おのおの實相なり。大小せず、勝劣せず。

 しかあるを、又夢作國王等の前後の道著を見聞する古今おもはくは、説是第一法のちからによりて、夜夢のかくのごとくなると錯會せり。かくのごとく會取するは、いまだ佛説を曉了せざるなり。夢覺もとより如一なり、實相なり。佛法はたとひ譬喩なりとも實相なるべし。すでに譬喩にあらず、夢作これ佛法の眞實なり。釋迦牟尼佛および一切の諸佛諸祖、みな夢中に發心修行し、成等正覺するなり。しかあるゆゑに、而今の裟婆世界の一化の佛道、すなはち夢作なり。七日といふは、得佛智の量なり。轉法輪、度衆生、すでに逕千萬億劫といふ、夢中の消息たどるべからず。

 諸佛身金色、百福相莊嚴、聞法爲人説、常有是好夢といふ、あきらかにしりぬ、好夢は諸佛なりと證明せらるるなり。常有の如來道あり、百年の夢のみにあらず。爲人説は現身なり、聞法は眼處聞聲なり、心處聞聲なり。舊巣處聞聲なり、空劫已前聞聲なり。

 諸佛身金色、百福相莊嚴といふ、好夢は諸佛身なりといふこと、直至如今更不疑なり。覺中に佛化やまざる道理ありといへども、佛祖現成の道理、かならず夢作夢中なり。莫謗佛法の參學すべし。莫謗佛法の參學するとき、而今の如來道たちまちに現成するなり。

 

正法眼藏夢中説夢第二十七

 

 爾時仁治三年壬寅秋九月二十一日在雍州宇治郡觀音導利興聖寶林精舍示衆

 寛元元年癸卯三月廿三日書寫 侍者懷弉

 

 

正法眼藏第二十八 禮拜得髓

 修行阿耨多羅三藐三菩提の時節には、導師をうることもともかたし。その導師は、男女等の相にあらず、大丈夫なるべし、恁麼人なるべし。古今人にあらず、野狐精にして善知識ならん。これ得髓の面目なり、導利なるべし。不昧因果なり、儞我渠なるべし。

 すでに導師に相逢せんよりこのかたは、萬緣をなげすてて、寸陰をすごさず精進辨道すべし。有心にても修行し、無心にても修行し、半心にても修行すべし。

 しかあるを、頭燃をはらひ、翹足を學すべし。かくのごとくすれば、訕謗の魔黨にをかされず、斷臂得髓の祖、さらに他にあらず、脱落身心の師、すでに自なりき。

 髓をうること、法をつたふること、必定して至誠により、信心によるなり。誠心ほかよりきたるあとなし、内よりいづる方なし。ただまさに法をおもくし、身をかろくするなり。世をのがれ、道をすみかとするなり。いささかも身をかへりみること法よりおもきには、法つたはれず、道うることなし。その法をおもくする志氣、ひとつにあらず。他の教訓をまたずといへども、しばらく一二を擧拈すべし。

 いはく、法をおもくするは、たとひ露柱なりとも、たとひ燈籠なりとも、たとひ諸佛なりとも、たとひ野干なりとも、鬼神なりとも、男女なりとも、大法を保任し、吾髓を汝得せるあらば、身心を牀座にして、無量劫にも奉事するなり。身心はうることやすし、世界に稻麻竹葦のごとし、法はあふことまれなり。

 釋迦牟尼佛のいはく、無上菩提を演説する師にあはんには、種姓を觀ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。ただ般若を尊重するがゆゑに、日日に百千兩の金を食せしむべし、天食をおくりて供養すべし、天花を散じて供養すべし。日日三時、禮拜し恭敬して、さらに患惱の心を生ぜしむることなかれ。かくのごとくすれば、菩提の道、かならずところあり。われ發心よりこのかた、かくのごとく修行して、今日は阿耨多羅三藐三菩提をえたるなり。

 しかあれば、若樹若石もとかましとねがひ、若田若里もとかましともとむべし。露柱に問取し、牆壁をしても參究すべし。むかし、野干を師として禮拜問法する天帝釋あり、大菩薩の稱つたはれり、依業の尊卑によらず。

 しかあるに、不聞佛法の愚癡のたぐひおもはくは、われは大比丘なり、年少の得法を拜すべからず、われは久修練行なり、得法の晩學を拜すべからず、われは師號に署せり、師號なきを拜すべからず、われは法務司なり、得法の餘僧を拜すべからず、われは僧正司なり、得法の俗男俗女を拜すべからず、われは三賢十聖なり、得法せりとも、比丘尼等を禮拜すべからず、われは帝胤なり、得法なりとも、臣家相門を拜すべからずといふ。かくのごとくの癡人、いたづらに父國をはなれて他國の道路に跰するによりて、佛道を見聞せざるなり。

 

 むかし、唐朝趙州眞際大師、こころをおこして發足行脚せしちなみにいふ、たとひ七歳なりとも、われよりも勝ならば、われ、かれにとふべし。たとひ百歳なりとも、われよりも劣ならば、われ、かれををしふべし。

 七歳に問法せんとき、老漢禮拜すべきなり。奇夷の志氣なり、古佛の心術なり。得道得法の比丘尼出世せるとき、求法參學の比丘僧、その會に投じて禮拜問法するは、參學勝躅なり。たとへば、渇に飮にあふがごとくなるべし。

 震旦國の志閑禪師は臨濟下の尊宿なり。臨濟ちなみに師のきたるをみて、とりとどむるに、師いはく、領也。

 臨濟はなちていはく、旦放儞一頓。

 これより臨濟の子となれり。

 臨濟をはなれて末山にいたるに、末山とふ、近離甚處。

 師いはく、路口。

 末山いはく、なんぢなんぞ蓋却しきたらざる。

 師無語。すなはち禮拜して師資の禮をまうく。

 師、かへりて末山にとふ、いかならんかこれ末山。

 末山いはく、不露頂。

 師いはく、いかならんかこれ山中人。

 末山いはく、非男女等相。

 師いはく、なんぢなんぞ變ぜざる。

 末山いはく、これ野狐精にあらず、なにをか變ぜん。

 師、禮拜す。

 つひに發心して園頭をつとむること始終三年なり。のちに出世せりし時、衆にしめしていはく、われ臨濟爺爺のところにして半杓を得しき、末山孃孃のところにして半杓を得しき。ともに一杓につくりて喫しおはりて、直至如今飽餉餉なり。

 いまこの道をききて、昔日のあとを慕古するに、末山は高安大愚の神足なり、命脈ちからありて志閑の孃となる。臨濟は黄檗運師の嫡嗣なり、功夫ちからありて志閑の爺となる。爺とはちちといふなり、孃とは母といふなり。志閑禪師の末山尼了然を禮拜求法する、志氣の勝躅なり、晩學の慣節なり。撃關破節といふべし。

 

 妙信尼は仰山の弟子なり。仰山ときに廨院主を選するに、仰山、あまねく勤舊前資等にとふ、たれ人かその仁なる。

 問答往來するに、仰山つひにいはく、信淮子これ女流なりといへども大丈夫の志氣あり。まさに廨院主とするにたへたり。

 衆みな應諾す。

 妙信つひに廨院主に充す。ときに仰山の會下にある龍象うらみず。まことに非細の職にあらざれども、選にあたらん自己としては自愛しつべし。

 充職して廨院にあるとき、蜀僧十七人ありて、儻をむすびて尋師訪道するに、仰山にのぼらんとして薄暮に廨院に宿す。歇息する夜話に、曹谿高祖の風幡話を擧す。十七人おのおのいふこと、みな道不是なり。ときに廨院主、かべのほかにありてききていはく、十七頭瞎驢、をしむべし、いくばくの草鞋をかつひやす。佛法也未夢見在。

 ときに行者ありて、廨院主の僧を不肯するをききて十七僧にかたるに、十七僧ともに廨院主の不肯するをうらみず。おのれが道不得をはぢて、すなはち威儀を具し、燒香禮拜して請問す。

 廨院主いはく、近前來。

 十七僧、近前するあゆみいまだやまざるに、廨院主いはく、不是風動、不是幡動、不是心動。

 かくのごとく爲道するに、十七僧ともに有省なり。禮謝して師資の儀をなす。すみやかに西蜀にかへる。つひに仰山にのぼらず。まことにこれ三賢十聖のおよぶところにあらず、佛祖嫡嫡の道業なり。

 

 しかあれば、いまも住持および半座の職むなしからんときは、比丘尼の得法せらんを請すべし。比丘の高年宿老なりとも、得法せざらん、なにの要かあらん。爲衆の主人、かならず明眼によるべし。

 しかあるに、村人の身心に沈溺せらんは、かたくなにして、世俗にもわらひぬべきことおほし。いはんや佛法には、いふにたらず。又女人および姉姑等の、傳法の師僧を拜不肯ならんと擬するもありぬべし。これはしることなく、學せざるゆゑに、畜生にはちかく、佛祖にはとほきなり。

 一向に佛法に身心を投ぜんことを、ふかくたくはふるこころとせるは、佛法かならず人をあはれむことあるなり。おろかなる人天、なほまことを感ずるおもひあり。諸佛の正法、いかでかまことに感應するあはれみなからん。土石沙礫にも誠感の至神はあるなり。

 

 見在大宋國の寺院に、比丘尼の掛搭せるが、もし得法の聲あれば、官家より尼寺の住持に補すべき詔をたまふには、卽寺にて上堂す。住持以下衆僧、みな上參して立地聽法するに、問話も比丘僧なり、これ古來の規矩なり。

 得法せらんはすなはち一箇の眞箇なる古佛にてあれば、むかしのたれにて相見すべからず。かれわれをみるに、新條の特地に相接す。われかれをみるに、今日須入今日の相待なるべし。たとへば、正法眼藏を傳持せらん比丘尼は、四果支佛および三賢十聖もきたりて禮拜問法せんに、比丘尼この禮拜をうくべし。男兒なにをもてか貴ならん。虛空は虛空なり、四大は四大なり、五蘊は五蘊なり。女流も又かくのごとし、得道はいづれも得道す。ただし、いづれも得法を敬重すべし、男女を論ずることなかれ。これ佛道極妙の法則なり。

 又、宋朝に居士といふは、未出家の士夫なり。庵居して夫婦そなはれるもあり、又孤獨潔白なるもあり。なほ塵勞稠林といひぬべし。しかあれども、あきらむるところあるは、雲衲霞袂あつまりて禮拜請益すること、出家の宗匠におなじ。たとひ女人なりとも、畜生なりとも、又しかあるべし。

 佛法の道理いまだゆめにもみざらんは、たとひ百歳なる老比丘なりとも、得法の男女におよぶべきにあらず。うやまふべからず。ただ賓主の禮のみなり。佛法を修行し、佛法を道取せんは、たとひ七歳の女流なりとも、すなはち四衆の導師なり、衆生の慈父なり。たとへば龍女成佛のごとし。供養恭敬せんこと、諸佛如來にひとしかるべし。これすなはち佛道の古儀なり。しらず、單傳せざらんは、あはれむべし。

 

 延應庚子淸明日記觀音導利興聖寶林寺

 

 又、和漢の古今に、帝位にして女人あり。その國土、みなこの帝王の所領なり、人みなひの臣となる。これは、人をうやまふにあらず、位をうやまふなり。比丘尼も又その人をうやまふことは、むかしよりなし。ひとへに得法をうやまふなり。

 又、阿羅漢となれる比丘尼あるには、四果にしたがふ功徳みなきたる。功徳なほしたがふ、人天たれか四果の功徳よりもすぐれん。三界の諸天みなおよぶところにあらず、しかしながらすつるものとなる。諸天みなうやまふところなり。況や如來の正法を傳來し、菩薩の大心をおこさん、たれのうやまはざるかあらん。これをうやまはざらんは、おのれがをかしなり。おのれが無上菩提をうやまはざれば、謗法の愚癡なり。

 又わが國には、帝者のむすめ或は大臣のむすめの、后宮に準ずるあり、又皇后の院號せるあり。これら、かみをそれるあり、かみをそらざるあり。しかあるに、貪名愛利の比丘僧に似たる僧侶、この家門にわしるに、かうべをはきものにうたずと云ことなし。なほ主徒よりも劣なり、況やまた奴僕となりてとしをふるもおほし。あはれなるかな、小國邊地にうまれぬるに、如是の邪風ともしらざることは。天竺唐土にはいまだなし、我國にのみあり。悲しむべし、あながちに鬢髪をそりて如來の正法をやぶる、深重の罪業と云べし。これひとへに夢幻空花の世途をわするるによりて、女人の奴僕と繋縛せられたること、かなしむべし。いたづらなる世途のため、なほかくの如す。無上菩提のため、なんぞ得法のうやまふべきをうやまはざらん。これは法をおもくするこころざしあさく、法をもとむるこころざしあまねからざるゆゑなり。すでにたからをむさぼるとき、女人のたからにてあればうべからずとおもはず。法をもとめんときは、このこころざしにはすぐるべし。もししかあらば、草木牆壁も正法をほどこし、天地萬法も正法をあたふるなり。かならずしるべき道理なり。眞善知識にあふといへども、いまだこの志氣をたてて法をもとめざるときは、法水のうるほひかうぶらざるなり。審細に功夫すべし。

 又、いま至愚のはなはだしき人おもふことは、女流は貪婬所對の境界にてありとおもふこころをあらためずしてこれをみる。佛子如是あるべからず。婬所對の境となりぬべしとていむことあらば、一切男子も又いむべきか。染汚の因緣となることは、男も境となる、女も境緣となる。非男非女も境緣となる、夢幻空花も境緣となる。あるいは水影を緣として非梵行あることありき、あるいは天日を緣として非梵行ありき。神も境となる、鬼も境となる。その緣かぞへつくすべからず。八萬四千の境界ありと云ふ、これみなすつべきか、みるべからざるか。

 律云、男二所、女三所、おなじくこれ波羅夷不共住。

 しかあれば、婬所對の境になりぬべしとてきらはば、一切の男子と女人と、たがひにあひきらうて、さらに得度の期あるべからず。この道理、子細に撿點すべし。

 又、外道も妻なきあり。妻なしといへども、佛法に入らざれば邪見の外道なり。佛弟子も、在家の二衆は夫婦あり。夫婦あれども、佛弟子なれば、人中天上にも、肩をひとしくする餘類なし。

 又、唐國にも愚癡僧ありて願志を立するに云く、生生世世ながく女人をみることなからん。この願、なにの法にかよる。世法によるか、佛法によるか、外道の法によるか、天魔の法によるか。女人なにのとがかある、男子なにの徳かある。惡人は男子も惡人なるあり、善人は女人も善人なるあり。聞法をねがひ出離をもとむること、かならず男子女人によらず。もし未斷惑のときは、男子女人おなじく未斷惑なり。斷惑證理のときは、男子女人、簡別さらにあらず。又ながく女人をみじと願せば、衆生無邊誓願度のときも、女人をばすつべきか。捨てば菩薩にあらず、佛慈悲と云はんや。ただこれ聲聞の酒にゑふことふかきによりて、醉狂の言語なり。人天これをまことと信ずべからず。

 又、むかし犯罪ありしとてきらはば、一切發心の菩薩をもきらふべし。もしのちに犯罪ありぬべしとてきらはば、一切發心の菩薩をもきらふべし。如此きらはば、一切みなすてん。なにによりてか佛法現成せん。如是のことばは、佛法をしらざる癡人の狂言なり。かなしむべし、もしなんぢが願の如くにあらば、釋尊および在世の諸菩薩、みな犯罪ありけるか、又なんぢよりも菩提心あさかりけるか。しづかに觀察すべし、附法藏の祖師および佛在世の菩薩この願なくは、佛法にならふべき處やあると參學すべきなり。もし汝が願のごとくにあらば、女人を濟度せざるのみにあらず、得法の女人世にいでて、人天のために説法せんときも、來りてきくべからざるか。もし來りてきかずは、菩薩にあらず、すなはち外道なり。

 

 今大宋國をみるに、久修練行に似たる僧侶の、いたづらに海沙をかぞへて、生死海に流浪せるあり。女人にてあるとも、參尋知識し、辨道功夫して、人天の導師にてあるなり。餠をうらず、餠をすてし老婆等あり。あはれむべし、男子の比丘僧にてあれども、いたづらに教海のいさごをかぞへて、佛法はゆめにもいまだみざることを。

 およそ境をみては、あきらむることをならふべし。おぢてにぐるとのみならふは、小乘聲聞の教行なり。東をすてて西にかくれんとすれば、西にも境界なきにあらず。たとへにげぬるとおもふとあきらめざるにも、遠にても境なり、近にても境なり。なほこれ解脱の分にあらず。遠境はいよいよ深かるべし。

 又、日本國にひとつのわらひごとあり。いはゆる或は結界の地と稱じ、あるいは大乘の道場と稱じて、比丘尼女人等を來入せしめず。邪風ひさしくつたはれて、人わきまふることなし。稽古の人あらためず、博達の士もかんがふることなし。或は權者の所爲と稱じ、あるいは古先の遺風と號して、更に論ずることなき、笑はば人の腸も斷じぬべし。權者とはなに者ぞ。賢人か聖人か、神か鬼か、十聖か三賢か、等覺か妙覺か。又、ふるきをあらためざるべくは、生死流轉をばすつべからざるか。

 いはんや大師釋尊、これ無上正等覺なり。あきらむべきは、ことごとくあきらむ。おこなふべきは、ことごとくこれをおこなふ。解脱すべきはみな解脱せり。いまのたれか、ほとりにもおよばん。しかあるに、在世の佛會に、みな比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷等の四衆あり。八部あり、三十七部あり、八萬四千部あり。みなこれ佛界を結せること、あらたなる佛會なり。いづれの會か比丘尼なき、女人なき、八部なき。如來在世の佛會よりもすぐれて淸淨ならん結界をば、われらねがふべきにあらず、天魔界なるがゆゑに。佛會の法儀は、自界他方、三世千佛、ことなることなし。ことなる法あらんは、佛會にあらずとしるべし。

 いはゆる四果は極位なり。大乘にても小乘にても、極位の功徳は差別せず。然あるに、比丘尼の四果を證するおほし。三界のうちにも十方の佛土にも、いづれの界にかいたらざらん。たれかこの行履をふさぐことあらん。

 又、妙覺は無上位なり。女人すでに作佛す、諸方いづれのものか究盡せられざらん。たれかこれをふさぎて、いたらしめざらんと擬せん。すでに遍照於十方の功徳あり、界畔いかがせん。

 又、天女をもふさぎていたらしめざるか、神女もふさぎていたらしめざるか。天女神女もいまだ斷惑の類にあらず、なほこれ流轉の衆生なり。犯罪あるときはあり、なきときはなし。人女畜女も、罪あるときはあり、罪なきときはなし。天のみち、神のみち、ふさがん人はたれぞ。すでに三世の佛會に參詣す、佛所に參學す。佛所佛會にことならん、たれか佛法と信受せん。ただこれ誑惑世間人の至愚也。野干の、窟穴を人にうばはれざらんとをしむよりもおろかなり。

 又、佛弟子の位は、菩薩にもあれ、たとひ聲聞にもあれ、第一比丘、第二比丘尼、第三優婆塞、第四優婆夷、かくのごとし。この位、天上人間ともにしれり。ひさしくきこえたり。しかあるを、佛弟子第二の位は、轉輪聖王よりもすぐれ、釋提桓因よりもすぐるべし、いたらざる處あるべからず。いはんや小國邊土の國王大臣の位にならぶべきにあらず。いま比丘尼いるべからずと云道場をみるに、田夫野人農夫樵翁みだれ入る。況や國王、大臣、百官、宰相たれか入らざるあらん。田夫等と比丘尼と、學道を論じ、得位を論ぜんに、勝劣つひにいかん。たとひ世法にて論ずとも、たとひ佛法にて論ずとも、比丘尼のいたらん處へ、田夫野人あへていたるべからず。錯亂のはなはだしき、小國はじめてこのあとをのこす。あはれむべし、三界慈父の長子、小國にきたりて、ふさぎていたらしめざる處ありき。

 又、かの結界と稱ずる處にすめるやから、十惡おそるることなし、十重つぶさにをかす。ただ造罪界として不造罪人をきらふか。況や逆罪をおもきこととす。結界の地にすめるもの、逆罪もつくりぬべし。かくのごとくの魔界は、まさにやぶるべし。佛化を學すべし、佛界にいるべし。まさに佛恩を報ずるにてあらん。如是の古先、なんぢ結界の旨趣をしれりやいなや。たれよりか相承せりし、たれが印をかかうぶれる。

 いはゆるこの諸佛所結の大界にいるものは、諸佛も衆生も、大地も虛空も、繋縛を解脱し、諸佛の妙法に歸源するなり。しかあれば卽ち、この界をひとたびふむ衆生、しかしながら佛功徳をかうぶるなり。不違越の功徳あり、得淸淨の功徳あり。一方を結するとき、すなはち法界みな結せられ、一重を結するとき、法界みな結せらるるなり。あるいは水をもて結する界あり、或は心をもて結界することあり、或は空をもて結界することあり。かならず相承相傳ありて知るべきこと在り。

 況や結界のとき、灑甘露の後ち、歸命の禮をはり、乃至淨界等の後ち、頌に云、茲界遍法界、無爲結淸淨。

 この旨趣、いまひごろ結界と稱ずる古先老人知れりやいなや。おもふに、なんだち、結の中に遍法界の結せらるること、しるべからざるなり。しりぬ、なんぢ聲聞の酒にゑうて、小界を大事とおもふなり。願くはひごろの迷醉すみやかにさめて、諸佛の大界の遍界に違越すべからざる、濟度攝受に一切衆生みな化をかうぶらん、功徳を禮拜恭敬すべし。たれかこれを得道髓といはざらん。

 

正法眼藏禮拜得髓

 

 仁治元年庚子冬節前日書于興聖寺

 

 

正法眼藏第二十九 山水經

 而今の山水は、古佛の道現成なり。ともに法位に住して、究盡の功徳を成ぜり。空劫已前の消息なるがゆゑに、而今の活計なり。朕兆未萌の自己なるがゆゑに、現成の透脱なり。山の諸功徳高廣なるをもて、乘雲の道徳かならず山より通達す、順風の妙功さだめて山より透脱するなり。

 

 大陽山楷和尚示衆云、靑山常運歩、石女夜生兒。

 山はそなはるべき功徳の虧闕することなし。このゆゑに常安住なり、常運歩なり。その運歩の功徳、まさに審細に參學すべし。山の運歩は人の運歩のごとくなるべきがゆゑに、人間の行歩におなじくみえざればとて、山の運歩をうたがふことなかれ。

 いま佛祖の説道、すでに運歩を指示す、これその得本なり。常運歩の示衆を究辨すべし。運歩のゆゑに常なり。靑山の運歩は其疾如風よりもすみやかなれども、山中人は不覺不知なり、山中とは世界裏の花開なり。山外人は不覺不知なり、山をみる眼目あらざる人は、不覺不知、不見不聞、這箇道理なり。もし山の運歩を疑著するは、自己の運歩をもいまだしらざるなり、自己の運歩なきにはあらず、自己の運歩いまだしられざるなり、あきらめざるなり。自己の運歩をしらんがごとき、まさに靑山の運歩をもしるべきなり。

 靑山すでに有情にあらず、非情にあらず。自己すでに有情にあらず、非情にあらず。いま靑山の運歩を疑著せんことうべからず。いく法界を量局として靑山を照鑑すべしとしらず。靑山の運歩、および自己の運歩、あきらかに撿點すべきなり。退歩歩退、ともに撿點あるべし。

 未朕兆の正當時、および空王那畔より、進歩退歩に、運歩しばらくもやまざること、撿點すべし。運歩もし休することあらば、佛祖不出現なり。運歩もし窮極あらば、佛法不到今日ならん。進歩いまだやまず、退歩いまだやまず。進歩のとき退歩に乖向せず、退歩のとき進歩を乖向せず。この功徳を山流とし、流山とす。

 靑山も運歩を參究し、東山も水上行を參學するがゆゑに、この參學は山の參學なり。山の身心をあらためず、山の面目ながら廻途參學しきたれり。

 靑山は運歩不得なり、東山水上行不得なると、山を誹謗することなかれ。低下の見處のいやしきゆゑに、靑山運歩の句をあやしむなり。小聞のつたなきによりて、流山の語をおどろくなり。いま流水の言も七通八達せずといへども、小見小聞に沈溺せるのみなり。

 しかあれば、所積の功徳を擧せるを形名とし、命脈とせり。運歩あり、流行あり。山の山兒を生ずる時節あり、山の佛祖となる道理によりて、佛祖かくのごとく出現せるなり。

 たとひ草木土石牆壁の見成する眼睛あらんときも、疑著にあらず、動著にあらず、全現成にあらず。たとひ七寶莊嚴なりと見取せらるる時節現成すとも、實歸にあらず。たとひ諸佛行道の境界と見現成あるも、あながちの愛處にあらず。たとひ諸佛不思議の功徳と見現成の頂𩕳をうとも、如實これのみにあらず。各各の見成は各各の依正なり、これらを佛祖の道業とするにあらず、一隅の管見なり。

 轉境轉心は大聖の所呵なり、説心説性は佛祖の所不肯なり。見心見性は外道の活計なり、滯言滯句は解脱の道著にあらず。かくのごとくの境界を透脱せるあり、いはゆる靑山常運歩なり、東山水上行なり。審細に參究すべし。

 石女夜生兒は石女の生兒するときを夜といふ。おほよそ男石女石あり、非男女石あり。これよく天を補し、地を補す。天石あり、地石あり。俗のいふところなりといへども、人のしるところまれなるなり。生兒の道理しるべし。生兒のときは親子並化するか。兒の親となるを生兒現成と參學するのみならんや、親の兒となるときを生兒現成の修證なりと參學すべし、究徹すべし。

 

 雲門匡眞大師いはく、東山水上行。

 この道現成の宗旨は、諸山は東山なり、一切の東山は水上行なり。このゆゑに、九山迷盧等現成せり、修證せり。これを東山といふ。しかあれども、雲門いかでか東山の皮肉骨髓、修證活計に透脱ならん。

 いま現在大宋國に、杜撰のやから一類あり、いまは群をなせり。小實の撃不能なるところなり。かれらいはく、いまの東山水上行話、および南泉の鎌子話のごときは、無理會話なり。その意旨は、もろもろの念慮にかかはれる語話は佛祖の禪話にあらず。無理會話、これ佛祖の語話なり。かるがゆゑに、黄檗の行棒および臨濟の擧喝、これら理會およびがたく、念慮にかかはれず、これを朕兆未萌已前の大悟とするなり。先徳の方便、おほく葛藤斷句をもちゐるといふは無理會なり。

 かくのごとくいふやから、かつていまだ正師をみず、參學眼なし。いふにたらざる小獃子なり。宋土ちかく二三百年よりこのかた、かくのごとくの魔子六群禿子おほし。あはれむべし、佛祖の大道の癈するなり。これらが所解、なほ小乘聲聞におよばず、外道よりもおろかなり。俗にあらず僧にあらず、人にあらず天にあらず、學佛道の畜生よりもおろかなり。禿子がいふ無理會話、なんぢのみ無理會なり、佛祖はしかあらず。なんぢに理會せられざればとて、佛祖の理會路を參學せざるべからず。たとひ畢竟じて無理會なるべくは、なんぢがいまいふ理會もあたるべからず。しかのごときのたぐひ、宋朝の諸方におほし。まのあたり見聞せしところなり。あはれむべし、かれら念慮の語句なることをしらず、語句の念慮を透脱することをしらず。在宋のとき、かれらをわらふに、かれら所陳なし、無語なりしのみなり。かれらがいまの無理會の邪計なるのみなり。たれかなんぢにをしふる、天眞の師範なしといへども、自然の外道兒なり。

 しるべし、この東山水上行は佛祖の骨髓なり。諸水は東山の脚下に現成せり。このゆゑに、諸山くもにのり、天をあゆむ。諸水の頂𩕳は諸山なり、向上直下の行歩、ともに水上なり。諸山の脚尖よく諸水を行歩し、諸水を趯出せしむるゆゑに、運歩七縱八横なり、修證卽不無なり。

 

 水は強弱にあらず、濕乾にあらず、動靜にあらず、冷煖にあらず、有無にあらず、迷悟にあらざるなり。こりては金剛よりもかたし、たれかこれをやぶらん。融しては乳水よりもやはらかなり、たれかこれをやぶらん。しかあればすなはち、現成所有の功徳をあやしむことあたはず。しばらく十方の水を十方にして著眼看すべき時節を參學すべし。人天の水をみるときのみの參學にあらず、水の水をみる參學あり、水の水を修證するがゆゑに。水の水を道著する參究あり、自己の自己に相逢する通路を現成せしむべし。他己の他己を參徹する活路を進退すべし、跳出すべし。

 おほよそ山水をみること、種類にしたがひて不同あり。いはゆる水をみるに瓔珞とみるものあり。しかあれども瓔珞を水とみるにはあらず。われらがなにとみるかたちを、かれが水とすらん。かれが瓔珞はわれ水とみる。水を妙華とみるあり。しかあれど、花を水ともちゐるにあらず。鬼は水をもて猛火とみる、膿血とみる。龍魚は宮殿とみる、樓臺とみる。あるいは七寶摩尼珠とみる、あるいは樹林牆壁とみる、あるいは淸淨解脱の法性とみる、あるいは眞實人體とみる。あるいは身相心性とみる。人間これを水とみる、殺活の因緣なり。すでに隨類の所見不同なり、しばらくこれを疑著すべし。一境をみるに諸見しなじななりとやせん、諸象を一境なりと誤錯せりとやせん、功夫の頂𩕳にさらに功夫すべし。しかあればすなはち、修證辨道も一般兩般なるべからず、究竟の境界も千種萬般なるべきなり。さらにこの宗旨を憶想するに、諸類の水たとひおほしといへども、本水なきがごとし、諸類の水なきがごとし。しかあれども、隨類の諸水、それ心によらず身によらず、業より生ぜず、依自にあらず依他にあらず、依水の透脱あり。

 しかあれば、水は地水火風空識等にあらず、水は靑黄赤白黒等にあらず、色聲香味觸法等にあらざれども、地水火風空等の水、おのづから現成せり。かくのごとくなれば、而今の國土宮殿、なにものの能成所成とあきらめいはんことかたかるべし。空輪風輪にかかれると道著する、わがまことにあらず、他のまことにあらず。小見の測度を擬議するなり。かかれるところなくは住すべからずとおもふによりて、この道著するなり。

 

 佛言、一切諸法畢竟解脱、無有所住(一切諸法は畢竟解脱なり、所住有ること無し)。

 しるべし、解脱にして繋縛なしといへども諸法住位せり。しかあるに、人間の水をみるに、流注してとどまらざるとみる一途あり。その流に多般あり、これ人見の一端なり。いはゆる地を流通し、空を流通し、上方に流通し、下方に流通す。一曲にもながれ、九淵にもながる。のぼりて雲をなし、くだりてふちをなす。

 

 文子曰、水之道、上天爲雨露、下地爲江河(水の道、天に上りては雨露を爲す。地に下りては江河を爲す)。

 いま俗のいふところ、なほかくのごとし。佛祖の兒孫と稱ぜんともがら、俗よりもくらからんは、もともはづべし。いはく、水の道は水の所知覺にあらざれども、水よく現行す。水の不知覺にあらざれども、水よく現行するなり。

 上天爲雨露といふ、しるべし、水はいくそばくの上天上方へものぼりて雨露をなすなり。雨露は世界にしたがふてしなじななり。水のいたらざるところあるといふは小乘聲聞經なり、あるいは外道の邪教なり。水は火焰裏にもいたるなり、心念思量分別裏にもいたるなり、覺知佛性裏にもいたるなり。

 下地爲江河。しるべし、水の下地するとき、江河をなすなり。江河の精よく賢人となる。いま凡愚庸流のおもはくは、水はかならず江河海川にあるとおもへり。しかにはあらず、水のなかに江海をなせり。しかあれば、江海ならぬところにも水はあり、水の下地するとき、江海の功をなすのみなり。

 また、水の江海をなしつるところなれば世界あるべからず、佛土あるべからずと學すべからず。一滴のなかにも無量の佛國土現成なり。しかあれば、佛土のなかに水あるにあらず、水裏に佛土あるにあらず。水の所在、すでに三際にかかはれず、法界にかかはれず。しかも、かくのごとくなりといへども、水現成の公案なり。

 佛祖のいたるところには水かならずいたる。水のいたるところ、佛祖かならず現成するなり。これによりて、佛祖かならず水を拈じて身心とし、思量とせり。

 しかあればすなはち、水はかみにのぼらずといふは、内外の典籍にあらず。水之道は、上下縱横に通達するなり。しかあるに、佛經のなかに、火風は上にのぼり、地水は下にくだる。この上下は、參學するところあり。いはゆる佛道の上下を參學するなり。いはゆる地水のゆくところを下とするなり。下を地水のゆくところとするにあらず。火風のゆくところは上なり。法界かならずしも上下四維の量にかかはるべからざれども、四大五大六大等の行處によりて、しばらく方隅法界を建立するのみなり。無想天はかみ、阿鼻獄はしもとせるにあらず。阿鼻も盡法界なり、無想も盡法界なり。

 しかあるに、龍魚の水を宮殿とみるとき、人の宮殿をみるがごとくなるべし、さらにながれゆくと知見すべからず。もし傍觀ありて、なんぢが宮殿は流水なりと爲説せんときは、われらがいま山流の道著を聞著するがごとく、龍魚たちまちに驚疑すべきなり。さらに宮殿樓閣の欄堦露柱は、かくのごとくの説著ありと保任することもあらん。この料理、しづかにおもひきたり、おもひもてゆくべし。この邊表に透脱を學せざれば、凡夫の身心を解脱せるにあらず、佛祖の國土を究盡せるにあらず。凡夫の國土を究盡せるにあらず、凡夫の宮殿を究盡せるにあらず。

 いま人間には、海のこころ、江のこころを、ふかく水と知見せりといへども、龍魚等、いかなるものをもて水と知見し、水と使用すといまだしらず。おろかにわが水と知見するを、いづれのたぐひも水にもちゐるらんと認ずることなかれ。いま學佛のともがら、水をならはんとき、ひとすぢに人間のみにはとどこほるべからず。すすみて佛道のみづを參學すべし。佛祖のもちゐるところの水は、われらこれをなにとか所見すると參學すべきなり、佛祖の屋裏また水ありや水なしやと參學すべきなり。

 

 山は超古超今より大聖の所居なり。賢人聖人、ともに山を堂奥とせり、山を身心とせり。賢人聖人によりて山は現成せるなり。おほよそ山は、いくそばくの大聖大賢いりあつまれるらんとおぼゆれども、山はいりぬるよりこのかたは、一人にあふ一人もなきなり。ただ山の活計の現成するのみなり、さらにいりきたりつる蹤跡なほのこらず。世間にて山をのぞむ時節と、山中にて山にあふ時節と、頂𩕳眼睛はるかにことなり。不流の憶想および不流の知見も、龍魚の知見と一齊なるべからず。人天の自界にところをうる、他類これを疑著し、あるいは疑著におよばず。しかあれば、山流の句を佛祖に學すべし、驚疑にまかすべからず。拈一はこれ流なり、拈一はこれ不流なり。一囘は流なり、一囘は不流なり。この參究なきがごときは、如來正法輪にあらず。

 古佛いはく、欲得不招無間業、莫謗如來正法輪(無間の業を招かざることを得んと欲はば、、如來正法輪を謗ずること莫れ)。

 この道を、皮肉骨髓に銘ずべし、身心依正に銘ずべし。空に銘ずべし、色に銘ずべし。若樹若石に銘ぜり、若田若里に銘ぜり。

 おほよそ山は國界に屬せりといへども、山を愛する人に屬するなり。山かならず主を愛するとき、聖賢高徳やまにいるなり。聖賢やまにすむとき、やまこれに屬するがゆゑに、樹石鬱茂なり、禽獸靈秀なり。これ聖賢の徳をかうぶらしむるゆゑなり。しるべし、山は賢をこのむ實あり、聖をこのむ實あり。

 帝者おほく山に幸して賢人を拜し、大聖を拜問するは、古今の勝躅なり。このとき、師禮をもてうやまふ、民間の法に準ずることなし。聖化のおよぶところ、またく山賢を強爲することなし。山の人間をはなれたること、しりぬべし。崆峒華封のそのかみ、黄帝これを拜請するに、膝行して廣成にとふしなり。釋迦牟尼佛かつて父王の宮をいでて山へいれり。しかあれども、父王やまをうらみず、父王やまにありて太子ををしふるともがらをあやしまず。十二年の修道、おほく山にあり。法王の運啓も在山なり。まことに輪王なほ山を強爲せず。しるべし、山は人間のさかひにあらず、上天のさかひにあらず、人慮の測度をもて山を知見すべからず。もし人間の流に比準せずは、たれか山流山不流等を疑著せん。

 

 あるいはむかしよりの賢人聖人、ままに水にすむもあり。水にすむとき、魚をつるあり、人をつるあり、道をつるあり。これともに古來水中の風流なり。さらにすすみて自己をつるあるべし、釣をつるあるべし、釣につらるるあるべし、道につらるるあるべし。

 むかし徳誠和尚、たちまちに藥山をはなれて江心にすみしすなはち、華亭江の賢聖をえたるなり。魚をつらざらんや、人をつらざらんや、水をつらざらんや、みづからをつらざらんや。人の徳誠をみることをうるは、徳誠なり。徳誠の人を接するは、人にあふなり。

 世界に水ありいふのみにあらず、水界に世界あり。水中のかくのごとくあるのみにあらず、雲中にも有情世界あり、風中にも有情世界あり、火中にも有情世界あり、地中にも有情世界あり。法界中にも有情世界あり、一莖草中にも有情世界あり、一拄杖中にも有情世界あり。有情世界あるがごときは、そのところかならず佛祖世界あり。かくのごとくの道理、よくよく參學すべし。

 しかあれば、水はこれ眞龍の宮なり、流落にあらず。流のみなりと認ずるは、流のことば、水を謗ずるなり。たとへば非流と強爲するがゆゑに。水は水の如是實相のみなり、水是水功徳なり、流にあらず。一水の流を參究し、不流を參究するに、萬法の究盡たちまちに現成するなり。

 

 山も寶にかくるる山あり、澤にかくるる山あり、空にかくるる山あり、山にかくるる山あり、藏に藏山する參學あり。

 古佛云、山是山水是水。

 この道取は、やまこれやまといふにあらず、山これやまといふなり。しかあれば、やまを參究すべし、山を參窮すれば山に功夫なり。

 かくのごとくの山水、おのづから賢をなし、聖をなすなり。

 

正法眼藏山水經第二十九

 

 爾時仁治元年庚子十月十八日于時在觀音導利興聖寶林寺示衆

 

正法眼藏第三十 看經

 阿耨多羅三藐三菩提の修證、あるいは知識をもちゐ、あるいは經卷をもちゐる。知識といふは、全自己の佛祖なり。經卷といふは、全自己の經卷なり。全佛祖の自己、全經卷の自己なるがゆゑにかくのごとくなり。自己と稱ずといへども我儞の拘牽にあらず。これ活眼睛なり、活拳頭なり。

しかあれども念經、看經、誦經、書經、受經、持經あり。ともに佛祖の修證なり。しかあるに、佛經にあふことたやすきにあらず。於無量國中、乃至名字不可得聞(無量國の中に於て、乃至名字だも聞くこと得べからず)なり、於佛祖中、乃至名字不可得聞なり、於命脈中、乃至名字不可得聞なり。佛祖にあらざれば、經卷を見聞讀誦解義せず。佛祖參學より、かつかつ經卷を參學するなり。このとき、耳處、眼處、舌處、鼻處、身心塵處、到處、聞處、話處の聞、持、受、説經等の現成あり。爲求名聞故説外道論議(名聞を求めんが爲の故に、外道の論議を説く)のともがら、佛經を修行すべからず。そのゆゑは、經卷は若樹若石の傳持あり、若田若里の流布あり。塵刹の演出あり、虛空の開講あり。

 

 藥山曩祖弘道大師、久不陞堂(藥山曩祖弘道大師、久しく陞堂せず)。

 院主白云、大衆久思和尚慈晦(大衆久しく和尚の慈晦を思ふ)。

 山云、打鐘著(打鐘せよ)。

 院主打鐘、大衆才集(院主打鐘し、大衆才に集まる)。

 山陞堂、良久便下座、歸方丈(山、陞堂し、良久して便ち下座し、方丈に歸る)。

 院主隨後白云、和尚適來聽許爲衆説法、如何不垂一言(院主、後に隨つて、白して云く、和尚、適來爲衆説法を聽許せり、如何が一言を垂れざる)。

 山云、經有經師、論有論師、爭怪得老僧(經に經師有り、論に論師有り、爭か老僧を怪得せん)。

 曩祖の慈晦するところは、拳頭有拳頭師、眼睛有眼睛師なり。しかあれども、しばらく曩祖に拜問すべし、爭怪得和尚はなきにあらず、いぶかし、和尚是什麼師。

 

 韶州曹谿山、大鑑高祖會下、誦法花經僧法達來參(韶州曹谿山、大鑑高祖の會下に、誦法花經僧法達といふもの來參す)。

 高祖爲法達説偈云(高祖、法達が爲に説偈して云く)、

 心迷法華轉、心悟轉法華、

 (心迷は法華に轉ぜられ、心悟は法華を轉ず)

 誦久不明己、與義作讎家。

 (誦すること久しくして己れを明らめずは、義と讎家と作る)

 無念念卽正、有念念成邪、

 (無念なれば念は卽ち正なり、有念なれば念は邪と成る)

 有無倶不計、長御白牛車。

 (有無倶に計せざれば、長に白牛車を御らん)

 しかあれば、心迷は法花に轉ぜられ、心悟は法花を轉ず。さらに迷悟を跳出するときは、法花の法花を轉ずるなり。

 法達、まさに偈をききて踊躍歡喜、以偈贊曰(偈を以て贊じて曰く)、

 經誦三千部、曹谿一句亡。

 (經、誦すること三千部、曹谿の一句に亡す)

 未明出世旨、寧歇累生狂。

 (未だ出世の旨を明らめずは、寧んぞ累生の狂を歇めん)

 羊鹿牛權設、初中後善揚。

 (羊鹿牛權に設く、初中後善く揚ぐ)

 誰知火宅内、元是法中王。

 (誰か知らん火宅の内、もと是れ法中の王なることを)

 そのとき高祖曰、汝今後方可名爲念經僧也(汝、今より後、方に名づけて念經僧と爲すべし)。

 しるべし、佛道に念經僧あることを。曹谿古佛の直指なり。この念經僧の念は、有念無念等にあらず、有無倶不計なり。ただそれ從劫至劫手不釋卷、從晝至夜無不念時(劫より劫に至るも手に卷を釋かず、晝より夜に至りて念ぜざる時無し)なるのみなり。從經至經無不經(經より經に至りて經ならざる無し)なるのみなり。

 

 第二十七祖東印度般若多羅尊者、因東印度國王、請尊者齋次(第二十七祖、東印度の般若多羅尊者、因みに東印度國王、尊者を請じて齋する次に)、

 國王乃問、諸人盡轉經、唯尊者爲甚不轉(諸人盡く轉經す、ただ尊者のみ甚としてか轉ぜざる)。

 祖曰、貧道出息不隨衆緣、入息不居蘊界、常轉如是經、百千萬億卷、非但一卷兩卷(貧道は出息衆緣に隨はず、入息蘊界に居せず、常に如是經を轉ずること、百千萬億卷なり、ただ一卷兩卷のみに非ず)。

 般若多羅尊者は、天竺國東印度の種草なり。迦葉尊者より第二十七世の正嫡なり。佛家の調度ことごとく正傳せり。頂𩕳眼睛、拳頭鼻孔、拄杖鉢盂、衣法骨髓等を住持せり。われらが曩祖なり、われらは雲孫なり。いま尊者の渾力道は、出息の衆緣に不隨なるのみにあらず、衆緣も出息に不隨なり。衆緣たとひ頂𩕳眼睛にてもあれ、衆緣たとひ渾身にてもあれ、衆緣たとひ渾心にてもあれ、擔來擔去又擔來(擔ひ來り擔ひ去りて又擔ひ來る)、ただ不隨衆緣なるのみなり。不隨は渾隨なり。このゆゑに築著磕著なり。出息これ衆緣なりといへども、不隨衆緣なり。無量劫來、いまだ出息入息の消息をしらざれども、而今まさにはじめてしるべき時節到來なるがゆゑに不居蘊界をきく、不隨衆緣をきく。衆緣はじめて入息等を參究する時節なり。この時節、かつてさきにあらず、さらにのちにあるべからず。ただ而今のみにあるなり。

 蘊界といふは、五蘊なり。いはゆる色受想行識をいふ。この五蘊に不居なるは、五蘊いまだ到來せざる世界なるがゆゑなり。この關棙子を拈ぜるゆゑに、所轉の經ただ一卷兩卷にあらず、常轉百千萬億卷なり。百千萬億卷はしばらく多の一端をあぐといへども、多の量のみにあらざるなり。一息出の不居蘊界を百千萬億卷の量とせり。しかあれども、有漏無漏智の所測にあらず、有漏無漏法の界にあらず。このゆゑに、有智の智の測量にあらず、有知の智の卜度にあらず。無智の知の商量にあらず、無知の智の所到にあらず。佛佛祖祖の修證、皮肉骨髓、眼睛拳頭、頂𩕳鼻孔、拄杖拂子、𨁝跳造次なり。

 

 趙州觀音院眞際大師、因有婆子、施淨財、請大師轉大藏經(趙州觀音院眞際大師、因みに婆子有り、淨財を施して、大師に轉大藏經を請ず)。

 師下禪牀、遶一匝、向使者云、轉藏已畢(師、禪牀を下りて、遶ること一匝して、使者に向つて云く、轉藏已畢ぬ)。

 使者廻擧似婆子(使者、廻つて婆子に擧似す)。

 婆子曰、比來請轉一藏、如何和尚只轉半藏(比來轉一藏を請ず、如何が和尚只だ半藏を轉ずる)。

 あきらかにしりぬ。轉一藏半藏は婆子經三卷なり。轉藏已畢は趙州經一藏なり。おほよそ轉大藏經のていたらくは、禪牀をめぐる趙州あり、禪牀ありて趙州をめぐる。趙州をめぐる趙州あり、禪牀をめぐる禪牀あり。しかあれども、一切の轉藏は、遶禪牀のみにあらず、禪牀遶のみにあらず。

 

 益州大隋山神照大師、法諱法眞、嗣長慶寺大安禪師。因有婆子、施淨財、請師轉大藏經(益州大隋山神照大師、法諱は法眞、長慶寺の大安禪師に嗣す。因みに婆子有り、淨財を施して、師に轉大藏經を請ず)。

 師下禪牀一匝、向使者曰、轉大藏經已畢(師、禪牀を下りて一匝し、使者に向つて曰く、轉大藏經已畢ぬ)。

 使者歸擧似婆子(使者、歸つて婆子に擧似す)。

 婆子云、比來請轉一藏、如何和尚只轉半藏(比來轉一藏を請ず、如何が和尚只だ半藏を轉ずる)。

 いま大隋の禪牀をめぐると學することなかれ、禪牀の大隋をめぐると學することなかれ。拳頭眼睛の團圝のみにあらず、作一圓相せる打一圓相なり。しかあれども、婆子それ有眼なりや、未具眼なりや。只轉半藏たとひ道取を拳頭より正傳すとも、婆子さらにいふべし、比來請轉大藏經、如何和尚只管弄精魂(比來轉大藏經を請ず、如何が和尚只管に精魂を弄する)。あやまりてもかくのごとく道取せましかば、具眼睛の婆子なるべし。

 

 高祖洞山悟本大師、因有官人、設齋施淨財、請師看轉大藏經。大師下禪牀向官人揖。官人揖大師。引官人倶遶禪牀一匝、向官人揖。良久向官人云、會麼(高祖洞山悟本大師、因みに官人有り、齋を設け淨財を施し、師に看轉大藏經を請ず。大師、禪牀より下りて、官人に向つて揖す。官人、大師を揖す。官人を引いて倶に禪牀を遶ること一匝し、官人に向つて揖す。良久して、官人に向つて云く、會すや)。

 官人云、不會。

 大師云、我與汝看轉大藏經、如何不會(我れ汝が與に看轉大藏經せり、如何が不會なる)。

 それ我與汝看轉大藏經、あきらかなり。遶禪牀を看轉大藏經と學するにあらず、看轉大藏經を遶禪牀と會せざるなり。しかありといへども、高祖の慈晦を聽取すべし。

 この因緣、先師古佛、天童山に住せしとき、高麗國の施主、入山施財、大衆看經、請先師陞座(山に入りて財を施し、大衆看經し、先師に陞座を請ずる)のとき擧するところなり。擧しをはりて、先師すなはち拂子をもておほきに圓相をつくること一匝していはく、天童今日、與汝看轉大藏經。

 便擲下拂子下座(便ち拂子を擲下して下座せり)。

 いま先師の道處を看轉すべし、餘者に比準すべからず。しかありといふとも、看轉大藏經には、壹隻眼をもちゐるとやせん、半隻眼をもちゐるとやせん。高祖の道處と先師の道處と、用眼睛、用舌頭、いくばくをかもちゐきたれる。究辨看。

 

 曩祖藥山弘道大師、尋常不許人看經。一日、將經自看、因僧問、和尚尋常不許人看經、爲甚麼却自看(曩祖藥山弘道大師、尋常人に看經を許さず。一日、經を將て自ら看す、因みに僧問ふ、和尚尋常、人の看經するを許さず、甚麼としてか却つて自ら看する)。

 師云、我只要遮眼(我れは只だ遮眼せんことをを要するのみ)。

 僧云、某甲學和尚得麼(某甲和尚を學してんや)。

 師云、儞若看、牛皮也須穿(儞若し看せば、牛皮もまた穿るべし)。

 いま我要遮眼の道は、遮眼の自道處なり。遮眼は打失眼睛なり、打失經なり、渾眼遮なり、渾遮眼なり。遮眼は遮中開眼なり、遮裡活眼なり、眼裡活遮なり、眼皮上更添一枚皮(眼皮上更に一枚の皮を添ふ)なり。遮裡拈眼なり、眼自拈遮なり。しかあれば、眼睛經にあらざれば遮眼の功徳いまだあらざるなり。

 牛皮也須穿は、全牛皮なり、全皮牛なり、拈牛作皮なり。このゆゑに、皮肉骨髓、頭角鼻孔を牛の活計とせり。學和尚のとき、牛爲眼睛(牛を眼睛と爲す)なるを遮眼とす、眼睛爲牛(眼睛を牛と爲す)なり。

 

 冶父道川禪師云、

 億千供佛福無邊、

 爭似常將古教看。

 白紙上邊書墨字、

 請君開眼目前觀。

 (億千の供佛福無邊なり、爭か似かん、常に古教を將て看ぜんには。白紙上邊に墨字を書す、請すらくは君、眼を開いて目前に觀んことを。)

 しるべし、古佛を供すると古教をみると、福徳齊肩なるべし、福徳超過なるべし。古教といふは、白紙の上に墨字を書せる、たれかこれを古教としらん。當恁麼の道理を參究すべし。

 

 雲居山弘覺大師、因有一僧、在房内念經。大師隔窓問云、闍梨念底、是什麼經(雲居山弘覺大師、因みに一僧有り、房の内に在つて念經す。大師、窓を隔てて問うて云く、闍梨が念底、是れ什麼の經ぞ)。

 僧對曰、維摩經。

 師曰、不問儞維摩經、念底是什麼經(儞に維摩經を問はず、念底は是れ什麼の經ぞ)。

 此僧從此得入(此の僧、此れより得入せり)。

 大師道の念底是什麼經は、一條の念底、年代深遠なり、不欲擧似於念(念に擧似せんとは欲はず)なり。路にしては死蛇にあふ、このゆゑに什麼經の問著現成せり。人にあふては錯擧せず、このゆゑに維摩經なり。おほよそ看經は、盡佛祖を把拈しあつめて、眼睛として看經するなり。正當恁麼時、たちまちに佛祖作佛し、説法し、説佛し、佛作するなり。この看經の時節にあらざれば、佛祖の頂𩕳面目いまだあらざるなり。

 

 現在佛祖の會に、看經の儀則それ多般あり。いはゆる施主入山、請大衆看經(施主山に入り大衆を請じてする看經)、あるいは常轉請僧看經(常に僧を請じて轉ずる看經)、あるいは僧衆自發心看經等(僧衆自ら發心してする看經)なり。このほか大衆爲亡僧看經(大衆亡僧の爲にする看經)あり。

 施主入山、請僧看經は、當日の粥時より、堂司あらかじめ看經牌を僧堂前および衆寮にかく。粥罷に拜席を聖僧前にしく。ときいたりて僧堂前鐘を三會うつ、あるいは一會うつ。住持人の指揮にしたがふなり。

 鐘聲罷に、首座大衆、搭袈裟、入雲堂、就被位、正面而坐(首座大衆、袈裟を搭し、雲堂に入り、被位に就き、正面して坐す)。

 つぎに住持人入堂し、向聖僧問訊燒香罷、依位而坐(聖僧に向つて問訊し、燒香罷りて、位に依つて坐す)。

 つぎに童行をして經を行ぜしむ。この經、さきより庫院にととのへ、安排しまうけて、ときいたりて供達するなり。經は、あるいは經凾ながら行じ、あるいは盤子に安じて行ず。大衆すでに經を請じて、すなはちひらきよむ。

 このとき、知客いまし施主をひきて雲堂にいる。施主まさに雲堂前にて手爐をとりて、ささげて入堂す。手爐は院門の公界にあり。あらかじめ裝香して、行者をして雲堂前にまうけて、施主まさに入堂せんとするとき、めしによりて施主にわたす。手爐をめすことは、知客これをめすなり。入堂するときは、知客さき、施主のち、雲堂の前門の南頬よりいる。

 施主、聖僧前にいたりて、燒一片香、拜三拜あり。拜のあひだ、手爐をもちながら拜するなり。拜のあひだ、知客は拜席の北に、おもてをみなみにして、すこしき施主にむかひて、叉手してたつ。

 施主の拜をはりて、施主みぎに轉身して、住持人にむかひて、手爐をささげて曲躬し揖す。住持人は椅子にゐながら、經をささげて合掌して揖をうく。施主つぎに北にむかひて揖す。揖をはりて、首座のまへより巡堂す。巡堂のあひだ、知客さきにひけり。巡堂一匝して、聖僧前にいたりて、なほ聖僧にむかひて、手爐をささげて揖す。このとき、知客は雲堂の門限のうちに、拜席のみなみに、面を北にして叉手してたてり。

 施主、揖聖僧をはりて、知客にしたがひて雲堂前にいでて、巡堂前一匝して、なほ雲堂内にいりて、聖僧にむかひて拜三拜す。拜をはりて、交椅につきて看經を證明す。交椅は、聖僧のひだりの柱のほとりに、みなみにむかへてこれをたつ。あるいは南柱のほとりに、きたにむかひてたつ。

 施主すでに座につきぬれば、知客すべからく施主にむかひて揖してのち、くらゐにつく。あるいは施主巡堂のあひだ、梵音あり。梵音の座、あるいは聖僧のみぎ、あるいは聖僧のひだり、便宜にしたがふ。

 手爐には、沈香箋香の名香をさしはさみ、たくなり。この香は、施主みづから辨備するなり。

 施主巡堂のときは、衆僧合掌す。

 つぎに看經錢を俵す。錢の多少は、施主のこころにしたがふ。あるいは綿、あるいは扇等の物子、これを俵す。施主みづから俵す、あるいは知事これを俵す、あるいは行者これを俵す。俵する法は、僧のまへにこれをおくなり、僧の手にいれず。衆僧は、俵錢をまへに俵するとき、おのおの合掌してうくるなり。俵錢、あるいは當日の齋時にこれを俵す。もし齋時に俵するがごときは、首座施食ののち、さらに打槌一下して、首座施財す。

 施主囘向の旨趣を紙片にかきて、聖僧の左の柱に貼せり。

 雲堂裡看經のとき、揚聲してよまず、低聲によむ。あるいは經卷をひらきて文字をみるのみなり。句讀におよばず、看經するのみなり。

 かくのごとくの看經、おほくは金剛般若經、法華經普門品、安樂行品、金光明經等を、いく百千卷となく、常住にまうけおけり。毎僧一卷を行ずるなり。看經をはりぬれば、もとの盤、もしは凾をもちて、座のまへをすぐれば、大衆おのおの經を安ず。とるとき、おくとき、ともに合掌するなり。とるときは、まづ合掌してのちにとる。おくときは、まづ經を安じてのちに合掌す。そののち、おのおの合掌して、低聲に囘向するなり。

 もし常住公界の看經には、都鑑寺僧、燒香、禮拜、巡堂、俵錢、みな施主のごとし。手爐をささぐることも、施主のごとし。もし衆僧のなかに、施主となりて大衆の看經を請ずるも、俗施主のごとし。燒香、禮拜、巡堂、俵錢等あり。知客これをひくこと、俗施主のごとくなるべし。

 

 聖節の看經といふことあり。かれは、今上の聖誕の、假令もし正月十五日なれば、まづ十二月十五日より、聖節の看經はじまる。今日上堂なし。佛殿の釋迦佛のまへに、連牀を二行にしく。いはゆる東西にあひむかへて、おのおの南北行にしく。東西牀のまへに檯盤をたつ。そのうへに經を安ず。金剛般若經、仁王經、法華經、最勝王經、金光明經等なり。堂裡僧を一日に幾僧と請じて、齋前に點心をおこなふ。あるいは麺一椀、羮一杯を毎僧に行ず。あるいは饅頭六七箇、羮一分、毎僧に行ずるなり。饅頭これも椀にもれり。はしをそへたり、かひをそへず。おこなふときは、看經の座につきながら、座をうごかずしておこなふ。點心は、經を安ぜる檯盤に安排せり。さらに棹子をきたせることなし。行點心のあひだ、經は檯盤に安ぜり。點心おこなひをはりぬれば、僧おのおの座をたちて、嗽口して、かへりて座につく。すなはち看經す。粥罷より齋時にいたるまで看經す。齋時三下鼓響に座をたつ。今日の看經は、齋時をかぎりとせり。

 はじむる日より、建祝聖道場の牌を、佛殿の正面の東の簷頭にかく、黄牌なり。また佛殿のうちの正面の東の柱に、祝聖の旨趣を、障子牌にかきてかく、これ黄牌なり。住持人の名字は、紅紙あるいは白紙にかく。その二字を小片紙にかきて、牌面の年月日の下頭に貼せり。かくのごとく看經して、その御降誕の日にいたるに、住持人上堂し、祝聖するなり。これ古來の例なり。いまにふりざるところなり。

 また僧のみづから發心して看經するあり。寺院もとより公界の看經堂あり。かの堂につきて看經するなり。その儀、いま淸規のごとし。

 

 高祖藥山弘道大師、問高沙彌云、汝從看經得、從請益得(高祖藥山弘道大師、高沙彌に問うて云く、汝看經よりや得たる、請益よりや得たる)。

 高沙彌云、不從看經得、亦不從請益得(看經より得たるにあらず、また請益より得たるにあらず)。

 師云、大有人、不看經、不請益、爲什麼不得(大いに人有り、看經せず、請益せず、什麼としてか不得なる)。

 高沙彌云、不道他無、只是他不肯承當(他無しとは道はず、只だ是れ他の承當を肯せざるのみ)。

 佛祖の屋裡に承當あり、不承當ありといへども、看經請益は家常の調度なり。

 

正法眼藏看經第三十

 

 爾時仁治二年辛丑秋九月十五日在雍州宇治郡興聖寶林寺示衆

 寛元三年乙巳七月八日在越州吉田縣大佛寺侍司書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第三十一 諸惡莫作

 古佛云、諸惡莫作、衆善奉行、自淨其意、是諸佛教(諸惡を作すこと莫れ、衆善奉行すべし、自ら其の意を淨む、是れ諸佛の教なり)。

 これ七佛祖宗の通戒として、前佛より後佛に正傳す、後佛は前佛に相嗣せり。ただ七佛のみにあらず、是諸佛教なり。この道理を功夫參究すべし。いはゆる七佛の法道、かならず七佛の法道のごとし。相傳相嗣、なほ箇裡の通消息なり。すでに是諸佛教なり、百千萬佛の教行證なり。

 いまいふところの諸惡者、善性惡性無記性のなかに惡性あり。その性これ無生なり。善性無記性等もまた無生なり、無漏なり、實相なりといふとも、この三性の箇裡に、許多般の法あり。諸惡は、此界の惡と他界の惡と同不同あり、先時と後時と同不同あり、天上の惡と人間の惡と同不同なり。いはんや佛道と世間と、道惡道善道無記、はるかに殊異あり。善惡は時なり、時は善惡にあらず。善惡は法なり、法は善惡にあらず。法等惡等なり、法等善等なり。

 しかあるに、阿耨多羅三藐三菩提を學するに、聞教し、修行し、證果するに、深なり、遠なり、妙なり。この無上菩提を或從知識してきき、或從經卷してきく。はじめは、諸惡莫作ときこゆるなり。諸惡莫作ときこえざるは、佛正法にあらず、魔説なるべし。

 しるべし、諸惡莫作ときこゆる、これ佛正法なり。この諸惡つくることなかれといふ、凡夫のはじめて造作してかくのごとくあらしむるにあらず。菩提の説となれるを聞教するに、しかのごとくきこゆるなり。しかのごとくきこゆるは、無上菩提のことばにてある道著なり。すでに菩提語なり、ゆゑに語菩提なり。無上菩提の説著となりて聞著せらるるに轉ぜられて、諸惡莫作とねがひ、諸惡莫作とおこなひもてゆく。諸惡すでにつくられずなりゆくところに、修行力たちまち現成す。この現成は、盡地盡界、盡時盡法を量として現成するなり。その量は、莫作を量とせり。

 正當恁麼時の正當恁麼人は、諸惡つくりぬべきところに住し往來し、諸惡つくりぬべき緣に對し、諸惡つくる友にまじはるににたりといへども、諸惡さらにつくられざるなり。莫作の力量現成するゆゑに。諸惡みづから諸惡と道著せず、諸惡にさだまれる調度なきなり。一拈一放の道理あり。正當恁麼時、すなはち惡の人ををかさざる道理しられ、人の惡をやぶらざる道理あきらめらる。

 みづからが心を擧して修行せしむ、身を擧して修行せしむるに、機先の八九成あり、腦後の莫作あり。なんぢが心身を拈來して修行し、たれの身心を拈來して修行するに、四大五蘊にて修行するちから驀地に見成するに、四大五蘊の自己を染汚せず、今日の四大五蘊までも修行せられもてゆく。如今の修行なる四大五蘊のちから、上項の四大五蘊を修行ならしむるなり。山河大地、日月星辰までも修行せしむるに、山河大地、日月星辰、かへりてわれらを修行せしむるなり。一時の眼睛にあらず、諸時の活眼なり。眼睛の活眼にてある諸時なるがゆゑに、諸佛諸祖をして修行せしむ、聞教せしむ、證果せしむ。諸佛諸祖、かつて教行證をして染汚せしむることなきがゆゑに、教行證いまだ諸佛諸祖を罣礙することなし。このゆゑに佛祖をして修行せしむるに、過現當の機先機後に廻避する諸佛諸祖なし。衆生作佛作祖の時節、ひごろ所有の佛祖を罣礙せずといへども、作佛祖する道理を、十二時中の行住坐臥に、つらつら思量すべきなり。作佛祖するに衆生をやぶらず、うばはず、うしなふにあらず。しかあれども脱落しきたれるなり。

 善惡因果をして修行せしむ。いはゆる因果を動ずるにあらず、造作するにあらず。因果、あるときはわれらをして修行せしむるなり。この因果の本來面目すでに分明なる、これ莫作なり。無生なり、無常なり、不昧なり、不落なり。脱落なるがゆゑに。かくのごとく參究するに、諸惡は一條にかつて莫作なりけると現成するなり。この現成に助發せられて、諸惡莫作なりと見得徹し、坐得斷するなり。

 正當恁麼のとき、初中後、諸惡莫作にて現成するに、諸惡は因緣生にあらず、ただ莫作なるのみなり。諸惡は因緣滅にあらず、ただ莫作なるのみなり。諸惡もし等なれば諸法も等なり。諸惡は因緣生としりて、この因緣のおのれと莫作なるをみざるは、あはれむべきともがらなり。佛種從緣起なれば緣從佛種起なり。

 諸惡なきにあらず、莫作なるのみなり。諸惡あるにあらず、莫作なるのみなり。諸惡は空にあらず、莫作なり。諸惡は色にあらず、莫作なり。諸惡は莫作にあらず、莫作なるのみなり。たとへば、春松は無にあらず有にあらず、つくらざるなり。秋菊は有にあらず無にあらず、つくらざるなり。諸佛は有にあらず無にあらず、莫作なり。露柱燈籠、拂子拄杖等、有にあらず、無にあらず、莫作なり。自己は有にあらず無にあらず、莫作なり。恁麼の參學は、見成せる公案なり、公案の見成なり。主より功夫し、賓より功夫す。すでに恁麼なるに、つくられざりけるをつくりけるとくやしむも、のがれず、さらにこれ莫作の功夫力なり。

 しかあれば、莫作にあらばつくらまじと趣向するは、あゆみをきたにして越にいたらんとまたんがごとし。諸惡莫作は、井の驢をみるのみにあらず、井の井をみるなり。驢の驢をみるなり、人の人をみるなり、山の山をみるなり。説箇の應底道理あるゆゑに、諸惡莫作なり。佛眞法身、猶若虛空、應物現形、如水中月(佛の眞法身は、猶し虛空のごとし、物に應じて形を現はすこと、水中の月の如し)なり。應物の莫作なるゆゑに、現形の莫作あり、猶若虛空、左拍右拍なり。如水中月、被水月礙(水月に礙へらる)なり。これらの莫作、さらにうたがふべからざる現成なり。

 

 衆善奉行。この衆善は、三性のなかの善性なり。善性のなかに衆善ありといへども、さきより現成して行人をまつ衆善いまだあらず。作善の正當恁麼時、きたらざる衆善なし。萬善は無象なりといへども、作善のところに計會すること、磁鐵よりも速疾なり。そのちから、毘嵐風よりもつよきなり。大地山河、世界國土、業増上力、なほ善の計會を罣礙することあたはざるなり。

 しかあるに、世界によりて善を認ずることおなじからざる道理、おなじ認得を善とせるがゆゑに、如三世諸佛、説法之儀式(三世諸佛の説法の儀式の如し)。おなじといふは、在世説法ただ、時なり。壽命身量またときに一任しきたれるがゆゑに、説無分別法なり。

 しかあればすなはち、信行の機の善と、法行の機の善と、はるかにことなり。別法にあらざるがごとし。たとへば、聲聞の持戒は菩薩の破戒なるがごとし。

 衆善これ因緣生、因緣滅にあらず。衆善は諸法なりといふとも、諸法は衆善にあらず。因緣と生滅と衆善と、おなじく頭正あれば尾正なり。衆善は奉行なりといへども、自にあらず、自にしられず。他にあらず、他にしられず。自他の知見は、知に自あり、他あり、見の自あり、他あるがゆゑに、各各の活眼睛、それ日にもあり、月にもあり。これ奉行なり。奉行の正當恁麼時に、現成の公案ありとも、公案の始成にあらず、公案の久住にあらず、さらにこれを奉行といはんや。

 作善の奉行なるといへども、測度すべきにはあらざるなり。いまの奉行、これ活眼睛なりといへども、測度にはあらず。法を測度せんために現成せるにあらず。活眼睛の測度は、餘法の測度とおなじかるべからず。

 衆善、有無、色空等にあらず、ただ奉行なるのみなり。いづれのところの現成、いづれの時の現成も、かならず奉行なり。この奉行にかならず衆善の現成あり。奉行の現成、これ公案なりといふとも、生滅にあらず、因緣にあらず。奉行の入住出等も又かくのごとし。衆善のなかの一善すでに奉行するところに、盡法全身、眞實地等、ともに奉行せらるるなり。

 この善の因果、おなじく奉行の現成公案なり。因はさき、果はのちなるにあらざれども、因圓滿し、果圓滿す。因等法等、果等法等なり。因にまたれて果感ずといへども、前後にあらず、前後等の道あるがゆゑに。

 

 自淨其意といふは、莫作の自なり、莫作の淨なり。自の其なり、自の意なり。莫作の其なり、莫作の意なり。奉行の意なり、奉行の淨なり、奉行の其なり、奉行の自なり。かるがゆゑに是諸佛教といふなり。

 いはゆる諸佛、あるいは自在天のごとし。自在天に同不同なりといへども、一切の自在天は諸佛にあらず。あるいは轉輪王のごとくなり。しかあれども、一切の轉輪聖王の諸佛なるにあらず。かくのごとくの道理、功夫參學すべし。諸佛はいかなるべしとも學せず、いたづらに苦辛するに相似せりといへども、さらに受苦の衆生にして、行佛道にあらざるなり。莫作および奉行は、驢事未去、馬事到來なり。

 

 唐の白居易は、佛光如滿禪師の俗弟子なり。江西大寂禪師の孫子なり。杭州の刺史にてありしとき、鳥窠の道林禪師に參じき。ちなみに居易とふ、如何是佛法大意。

 道林いはく、諸惡莫作、衆善奉行。

 居易いはく、もし恁麼にてあらんは、三歳の孩兒も道得ならん。

 道林いはく、三歳孩兒縱道得、八十老翁行不得なり。

 恁麼いふに、居易すなはち拜謝してさる。

 まことに居易は、白將軍がのちなりといへども、奇代の詩仙なり。人つたふらくは、二十四生の文學なり。あるいは文殊の號あり、あるいは彌勒の號あり。風情のきこえざるなし、筆海の朝せざるなかるべし。しかあれども、佛道には初心なり、晩進なり。いはんやこの諸惡莫作、衆善奉行は、その宗旨、ゆめにもいまだみざるがごとし。

 居易おもはくは、道林ひとへに有心の趣向を認じて、諸惡をつくることなかれ、衆善奉行すべしといふならんとおもひて、佛道に千古萬古の諸惡莫作、衆善奉行の亙古亙今なる道理、しらずきかずして、佛法のところをふまず、佛法のちからなきがゆゑにしかのごとくいふなり。たとひ造作の諸惡をいましめ、たとひ造作の衆善をすすむとも、現成の莫作なるべし。

 おほよそ佛法は、知識のほとりにしてはじめてきくと、究竟の果上もひとしきなり。これを頭正尾正といふ。妙因妙果といひ、佛因佛果といふ。佛道の因果は、異熟等流等の論にあらざれば、佛因にあらずは佛果を感得すべからず。道林この道理を道取するゆゑに佛法あるなり。

 諸惡たとひいくかさなりの盡界に彌綸し、いくかさなりの盡法を呑却せりとも、これ莫作の解脱なり。衆善すでに初中後善にてあれば、奉行の性相體力等を如是せるなり。居易かつてこの蹤跡をふまざるによりて、三歳の孩兒も道得ならんとはいふなり。道得をまさしく道得するちからなくて、かくのごとくいふなり。

 あはれむべし、居易、なんぢ道甚麼なるぞ。佛風いまだきかざるがゆゑに。三歳の孩兒をしれりやいなや。孩兒の才生せる道理をしれりやいなや。もし三歳の孩兒をしらんものは、三世諸佛をもしるべし。いまだ三世諸佛をしらざらんもの、いかでか三歳の孩兒をしらん。對面せるはしれりとおもふことなかれ、對面せざればしらざるとおもふことなかれ。一塵をしれるものは盡界をしり、一法を通ずるものは萬法を通ず。萬法に通ぜざるもの、一法に通ぜず。通を學せるもの通徹のとき、萬法をもみる、一法をもみるがゆゑに、一塵を學するもの、のがれず盡界を學するなり。三歳の孩兒は佛法をいふべからずとおもひ、三歳の孩兒のいはんことは容易ならんとおもふは至愚なり。そのゆゑは、生をあきらめ死をあきらむるは佛家一大事の因緣なり。

 古徳いはく、なんぢがはじめて生下せりしとき、すなはち獅子吼の分あり。獅子吼の分とは、如來轉法輪の功徳なり、轉法輪なり。

 又古徳いはく、生死去來、眞實人體なり。

 しかあれば、眞實體をあきらめ、獅子吼の功徳あらん、まことに一大事なるべし、たやすかるべからず。かるがゆゑに、三歳孩兒の因緣行履あきらめんとするに、さらに大因緣なり。それ三世の諸佛の行履因緣と、同不同あるがゆゑに。

 居易おろかにして三歳の孩兒の道得をかつてきかざれば、あるらんとだにも疑著せずして、恁麼道取するなり。道林の道聲の雷よりも顯赫なるをきかず、道不得をいはんとしては、三歳孩兒還道得といふ。これ孩兒の獅子吼をもきかず、禪師の轉法輪をも蹉過するなり。

 禪師あはれみをやむるにあたはず、かさねていふしなり、三歳の孩兒はたとひ道得なりとも、八十の老翁は行不得ならんと。

 いふこころは三歳の孩兒に道得のことばあり、これをよくよく參究すべし。八十の老翁に行不得の道あり、よくよく功夫すべし。孩兒の道得はなんぢに一任す、しかあれども孩兒に一任せず。老翁の行不得はなんぢに一任す、しかあれども老翁に一任せずといひしなり。佛法はかくのごとく辨取し、説取し、宗取するを道理とせり。

 

正法眼藏諸惡莫作第卅一

 

 爾時延應庚子月夕在雍州宇治縣觀音導利興聖寶林寺示衆

 寛元元年癸卯三月下旬七日於侍司寮書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第三十二 傳衣

 佛佛正傳の衣法、まさに震旦に正傳することは、少林の高祖のみなり。高祖はすなはち釋迦牟尼佛より第二十八代の祖師なり。西天二十八代、嫡嫡あひつたはれ、震旦に六代、まのあたりに正傳す。西天東地都盧三十三代なり。

 第三十三代の祖、大鑑禪師、この衣法を黄梅の夜半に正傳し、生前護持しきたる。いまなほ曹谿山寶林寺に安置せり。諸代の帝王あひつぎて内裏に請入して供養す、神物護持せるものなり。

 唐朝の中宗肅宗代宗、しきりに歸内供養しき。請するにもおくるにも、勅使をつかはし、詔をたまふ。すなはちこれおもくする儀なり。代宗皇帝、あるとき佛衣を曹谿山におくる詔にいはく、

 今遣鎭國大將軍劉崇景、頂戴而送。朕爲之國寶。卿可於本寺安置、令僧衆親承宗旨者、嚴加守護、勿令遺墜(今、鎭國大將軍劉崇景をして、頂戴して送らしむ。朕、之を國寶とす。卿、本寺に安置し、僧衆の親しく宗旨を承けしものをして嚴しく守護を加へ、遺墜せしむることなからしむべし)。

 しかあればすなはち、數代の帝者、ともにくにの重寶とせり。まことに無量恆河沙の三千世界を統領せんよりも、この佛衣くににたもてるは、ことにすぐれたる大寶なり。卞璧に準ずべからざるものなり。たとひ傳國璽となるとも、いかでか傳佛の奇寶とならん。大唐よりこのかた瞻禮せる緇白、かならず信法の大機なり。宿善のたすくるにあらずよりは、いかでかこの身をもちて、まのあたり佛佛正傳の佛衣を瞻禮することあらん。信受する皮肉骨髓はよろこぶべし。信受することあたはざらんは、みづからなりといふとも、うらむべし、佛種子にあらざることを。

 俗なほいはく、その人の行李をみるは、すなはちその人を見なり。いま佛衣を瞻禮せんは、すなはち佛をみたてまつるなり。百千萬の塔を起立して、この佛衣に供養すべし。天上海中にも、こころあらんはおもくすべし。人間にも、轉輪聖王等のまことをしり、すぐれたるをしらんは、おもくすべきなり。

 あはれむべし、よよに國主となれるやから、わがくにに重寶のあるをしらざること。ままに道士の教にまどはされて、佛法を癈せるおほし。その時、袈裟をかけず、圓頂に葉巾をいただく。講ずるところは延壽長年の方なり。唐朝にもあり、宋朝にもあり。これらのたぐひは、國主なりといへども國民よりもいやしかるべきなり。

 しづかに觀察しつべし、わがくにに佛衣とどまりて現在せり。衣佛國土なるべきかとも思惟すべきなり。舍利等よりもすぐれたるべし。舍利は輪王にもあり、師子にもあり、人にもあり、乃至辟支佛等にもあり。しかあれども、輪王には袈裟なし、師子に袈裟なし、人に袈裟なし。ひとり諸佛のみに袈裟あり、ふかく信受すべし。

 いまの愚人、おほく舍利はおもくすといへども、袈裟をしらず、護持すべきとしれるものまれなり。これすなはち先來より袈裟のおもきことをきけるものまれなり、佛法正傳いまだきかざるがゆへにしかあるなり。

 つらつら釋尊在世をおもひやれば、わづかに二千餘年なり。國寶神器のいまにつたはれるも、これよりもすぎてふるくなれるもおほし。この佛法佛衣は、ちかくあらたなり。若田若里に展轉せんこと、たとひ五十展轉なれりとも、その益これ妙なるべし。かれなほ功徳あらたなり。この佛衣、かれとおなじかるべし。かれは正嫡より正傳せず、これは正嫡より正傳せり。

 しるべし、四句偈をきくに得道す、一句子をきくに得道す。四句偈および一句子、なにとしてか恁麼の靈驗ある。いはゆる佛法なるによりてなり。いま一頂衣九品衣、まさしく佛法より正傳せり。四句偈よりも劣なるべからず、一句法よりも驗なかるべからず。

 このゆゑに、二千餘年よりこのかた、信行法行の諸機ともに隨佛學者、みな袈裟を護持して身心とせるものなり。諸佛の正法にくらきたぐひは袈裟を崇重せざるなり。いま釋提桓因および阿那跋達多龍王等、ともに在家の天主なりといへども、龍王なりといへども、袈裟を護持せり。

 しかあるに、剃頭のたぐひ、佛子と稱ずるともがら、袈裟におきては、受持すべきものとしらず。いはんや體色量をしらんや、いはんや着用の法をしらんや。いはんやその威儀、ゆめにもいまだみざるところなり。

 

 袈裟をば、ふるくよりいはく除熱惱服となづく、解脱服となづく。おほよそ功徳はかるべからざるなり。龍鱗の三熱、よく袈裟の功徳より解脱するなり。諸佛成道のとき、かならずこの衣をもちゐるなり。まことに邊地にむまれ末法にあふといへども、相傳あると相傳なきと、たくらぶることあらば、相傳の正嫡なるを信受護持すべし。

 いづれの家門にか、わが正傳のごとく、まさしく釋迦の衣法ともに正傳せる。ひとり佛道のみにあり。この衣法にあはんとき、たれか恭敬供養をゆるくせん。たとひ一日に無量恆河沙の身命をすてて供養すべし。生生世世の値遇頂戴をも發願すべし。われら佛生國をへだつること十萬餘里の山海のほかにむまれて、邊方の愚蒙なりといへども、この正法をきき、この袈裟を一日一夜なりといへども受持し、一句一偈なりといへども參究する、これただ一佛二佛を供養せる福徳のみにはあるべからず、無量百千億のほとけを供養奉覲せる福徳なるべし。たとひ自己なりといへども、たふとぶべし、愛すべし、おもくすべし。祖師傳法の大恩、ねんごろに報謝すべし。畜類なほ恩を報ず、人類いかでか恩をしらざらん。もし恩をしらずは、畜類よりも劣なるべし、畜類よりも愚なるべし。

 この佛衣の功徳、その傳佛正法の祖師にあらざる餘人は、ゆめにもいまだしらざるなり。いはんや體色量をあきらむるにおよばんや。諸佛のあとをしたふべくは、まさにこれをしたふべし。たとひ百千萬代ののちも、この正傳を正傳せん、まさに佛法なるべし。證驗これあらたなり。

 

 俗なほいはく、先王の服にあらざれば服せず、先王の法にあらざればおこなはず。佛道もまたしかあるなり。先佛の法服にあらざればもちゐるべからず。もし先佛の法服にあらざらんほかは、なにを服してか佛道を修行せん、諸佛に奉覲せん。これを服せざらんは、佛會にいたりがたかるべし。

 後漢の孝明皇帝、永平年中よりこのかた、西天より東地に來到する僧侶くびすをつぎてたえず、震旦より印度におもむく僧侶、ままにきこゆれども、たれ人にあひて佛法を面授せりけるといはず。ただいたづらに論師および三藏の學者に習學せる名相のみなり。佛法の正嫡をきかず。このゆゑに、佛衣正傳すべきといひつたへるにもおよばず、佛衣正傳せりける人にあひあふといはず、傳衣の人を見聞すとかたらず。はかりしりぬ、佛家の閫奥にいらざりけるといふことを。これらのたぐひは、ひとへに衣服とのみ認じて、佛法の尊重なりとしらず、まことにあはれむべし。

 佛法藏相傳の正嫡に、佛衣も相傳相承するなり。法藏正傳の祖師は佛衣を見聞せざるなきむねは、人中天上あまねくしれるところなり。しかあればすなはち、佛袈裟の體色量を正傳しきたり、正見聞しきたり、佛袈裟の大功徳を正傳し、佛袈裟の身心骨髓を正傳すること、ただまさに正傳の家業のみにあり。もろもろの阿笈摩教の家風には、しらざるところなり。おのおの今案に自立せるは正傳にあらず、正嫡にあらず。

 

 わが大師釋迦牟尼如來、正法眼藏無上菩提を摩訶迦葉に附授するに、佛衣ともに傳附せりしより、嫡嫡相承して曹谿山大鑑禪師にいたるに三十三代なり。その體色量を親見親傳せること、家門ひさしくつたはれて、受持いまにあらたなり。すなはち五宗の高祖、おのおの受持せる、それ正傳なり。あるいは五十餘代、あるいは四十餘代、おのおの師資みだることなく、先佛の法によりて搭し、先佛の法によりて製することも、唯佛與佛の相傳し證契して、代代をふるに、おなじくあらたなり。

 

 嫡嫡相承する佛訓にいはくは、

 九條衣       三長一短 或四長一短

 十一條衣      三長一短 或四長一短

 十三條衣      三長一短 或四長一短

 十五條衣      三長一短

 十七條衣      三長一短

 十九條衣      三長一短

 二十一條衣     四長一短

 二十三條衣     四長一短

 二十五條衣     四長一短

 二百五十條衣    四長一短

 八萬四千條衣    八長一短

 いま略して擧するなり。このほか諸般の袈裟あるなり。ともにこれ僧伽梨衣なるべし。

 あるいは在家にしても受持し、あるいは出家にしても受持す。受持するといふは、着用するなり。いたづらにたたみもたらんずるにあらざるなり。たとひかみひげをそれども、袈裟を受持せず、袈裟をにくみいとひ、袈裟をおそるるは天魔外道なり。

 百丈大智禪師いはく、宿殖の善種なきものは袈裟をいむなり、袈裟をいとふなり、正法をおそれいとふなり。

 

 佛言、若有衆生、入我法中、或犯重罪、或墮邪見、於一念中、敬心尊重僧伽梨衣、諸佛及我、必於三乘授記。此人當得作佛。若天若龍、若人若鬼、若能恭敬此人袈裟少分功徳、卽得三乘不退不轉。若有鬼神及諸衆生、能得袈裟、乃至四寸、飮食充足。若有衆生、共相違反、欲墮邪見、念袈裟力、依袈裟力、尋生非心、還得淸淨。若有人在兵陣、持此袈裟少分、恭敬尊重、當得解脱(佛言く、若し衆生有つて、我が法の中に入つて、或いは重罪を犯し、或いは邪見に墮ちんに、一念の中に於て、敬心もて僧伽梨衣を尊重せば、諸佛及び我れ、必ず三乘に於て授記せん。此の人當に作佛することを得べし。若しは天、若しは龍、若しは人、若しは鬼、若し能く此の人の袈裟少分の功徳を恭敬せば、卽ち三乘の不退不轉を得ん。若し鬼神及び諸の衆生有つて、能く袈裟を得ること、乃至四寸もせば、飮食充足せん。若し衆生有つて、共に相違反して、邪見に墮ちんと欲んに、袈裟の力を念じ、袈裟の力に依らば、尋いで非心を生じ、還得淸淨ならん。若し人有つて兵陣に在らんに、此の袈裟の少分を持ちて、恭敬尊重せん、當に解脱を得べし)。

 しかあればしりぬ、袈裟の功徳、それ無上不可思議なり。これを信受護持するところに、かならず得授記あるべし、得不退あるべし。ただ釋迦牟尼佛のみにあらず、一切諸佛またかくのごとく宣説しましますなり。

 しるべし、ただ諸佛の體相、すなはち袈裟なり。

 かるがゆゑに、

 佛言、當墮惡道者、厭惡僧伽梨(佛言く、當に惡道に墮すべき者は僧伽梨を厭ひ惡む)。

 しかあればすなはち、袈裟を見聞せんところに、厭惡の念おこらんには、當墮惡道のわがみなるべしと、悲心を生ずべきなり、慚愧懺悔すべきなり。

 いはんや釋迦牟尼佛、はじめて王宮をいでて山にいらんとせし時、樹神ちなみに僧伽梨衣一條を擧して釋迦牟尼佛にまうす、この衣を頂戴すれば、もろもろの魔嬈をまぬがるるなり。時に釋迦牟尼佛、この衣をうけて、頂戴して十二年をふるに、しばらくもおかずといふ。これ阿含經等の説なり。

 あるいはいふ、袈裟はこれ吉祥服なり。これを服用するもの、かならず勝位にいたる。おほよそ世界にこの僧伽梨衣の現前せざる時節なきなり。一時の現前は長劫中事なり。長劫中の事は一時來なり。袈裟を得するは佛標幟を得するなり。このゆゑに、諸佛如來の袈裟を受持せざる、いまだあらず。袈裟を受持せしともがらの作佛せざる、あらざるなり。

 

 搭袈裟法

 偏袒右肩は常途の法なり、通兩肩搭の法もあり。兩端ともに左の臂肩にかさねくるに、前頭を表面にかさね、前頭を裏面にかさね、後頭を表面にかさね、後頭を裏面にかさぬる事、佛威儀の一時あり。この儀は、諸聲聞衆の見聞し相傳するところにあらず。諸阿笈摩教の經典に、もらしとくにあらず。

 おほよそ佛道に袈裟を搭する威儀は、現前せる傳正法の祖師、かならず受持せるところなり。受持かならずこの祖師に受持すべし。佛祖正傳の袈裟はこれすなはち佛佛正傳みだりにあらず。先佛後佛の袈裟なり、古佛新佛の袈裟なり。道を化し、佛を化す。過去を化し、現在を化し、未來を化するに、過去より現在に正傳し、現在より未來に正傳し、現在より過去に正傳し、過去より過去に正傳し、現在より現在に正傳し、未來より未來に正傳し、未來より現在に正傳し、未來より過去に正傳して、唯佛與佛の正傳なり。

 このゆゑに、祖師西來よりこのかた、大唐より大宋にいたる數百歳のあひだ、講經の達者、おのれが業を見徹せるもの、おほく教家律等のともがら、佛法にいるとき、從來舊巣の弊衣なる袈裟を抛却して、佛道正傳の袈裟を正受するなり。かの因緣、すなはち傳、廣、續、普燈等の録につらなれり。教律局量の小見を解脱して、佛祖正傳の大道をたふとみし、みな佛祖となれり。いまの人も、むかしの祖師をまなぶべし。

 

 袈裟を受持すべくは正傳の袈裟を正傳すべし、信受すべし。僞作の袈裟を受持すべからず。その正傳の袈裟といふは、いま少林曹谿より正傳せるは、これ如來より嫡嫡相承すること、一代も虧闕せざるところなり。このゆゑに、道業まさしく禀受し、佛衣したしく手にいれるによりてなり。

 佛道は佛道に正傳す、閑人の傳得に一任せざるなり。俗諺にいはく、千聞は一見にしかず、千見は一經にしかず。これをもてかへりみれば、千見萬聞たとひありとも、一得にしかず。佛衣正傳せるにしくべからざるなり。正傳あるをうたがふべくは、正傳をゆめにもみざらんは、いよいようたがふべし。佛經を傳聞せんよりは、佛衣正傳せらんはしたしかるべし。千經萬得ありとも、一證にしかじ。佛祖は證契なり。教律の凡夫にならふべからず。

 おほよそ祖門の袈裟の功徳は、正傳まさしく相承せり、本機まのあたりつたはれり。受持あひ嗣法して、いまにたえず。正受せる人、みなこれ證契傳法の祖師なり。十聖三賢にもすぐる、奉覲恭敬し、禮拜頂戴すべし。

 ひとたびこの佛衣正傳の道理、この身心に信受せられん、すなはち値佛の兆なり、學佛の道なり。不堪受是法ならん、悲生なるべし。この袈裟をひとたび身體におほはん、決定成菩提の護身符子なりと深肯すべし。一句一偈を信心にそめつれば、長劫の光明にして虧闕せずといふ。一法を身心にそめん、亦復如是なるべし。

 かの心念も無所住なり、我有にかかはれずといへども、その功徳すでにしかあり。身體も無所住なりといへどもしかあり。袈裟、無所從來なり、亦無所去なり。我有にあらず、他有にあらずといへども、所持のところに現住し、受持の人に加す。所得功徳もまたかくのごとくなるべし。

 

 作袈裟の作は、凡聖等の作にあらず。その宗旨、十聖三賢の究盡するところにあらず。宿殖の道種なきものは、一生二生乃至無量生を經歴すといへども、袈裟をみず、袈裟をきかず、袈裟をしらず。いかにいはんや受持することあらんや。ひとたび身體にふるる功徳も、うるものあり、えざるものあるなり。すでにうるはよろこぶべし、いまだえざらんはねがふべし、うべからざらんはかなしむべし。

 大千界の内外に、ただ佛祖の門下のみに佛衣つたはれること、人天ともに見聞普知せり。佛衣の樣子をあきらむることも、ただ祖門のみなり。餘門にはしらず。これをしらざらんものの、自己をうらみざらんは愚人なり。たとひ八萬四千の三昧陀羅尼をしれりとも、佛祖の衣法を正傳せず、袈裟の正傳をあきらめざらんは、諸佛の正嫡なるべからず。

 他界の衆生は、いくばくかねがふらん、震旦國に正傳せるがごとく佛衣まさしく正傳せんことを。おのれがくにに正傳せざること、はづるおもひあるらん、かなしむこころふかかるらん。

 まことに如來世尊の衣法正傳せる法に値遇する、宿殖般若の大功徳種子によるなり。いま末法惡時世は、おのれが正傳なきことをはぢず、正傳をそねむ魔儻おほし。おのれが所有所住は、眞實のおのれにあらざるなり。ただ正傳を正傳せん、これ學佛の直道なり。

 

 おほよそしるべし、袈裟はこれ佛身なり、佛心なり。また解脱服と稱じ、福田衣と稱ず。忍辱衣と稱じ、無相衣と稱ず。慈悲衣と稱じ、如來衣と稱じ、阿耨多羅三藐三菩提衣と稱ずるなり。まさにかくのごとく受持すべし。

 いま現在大宋國の律學と名稱ずるともがら、聲聞酒に醉狂するによりて、おのれが家門にしらぬいへを傳來することを慚愧せず、うらみず、覺知せず。西天より傳來せる袈裟、ひさしく漢唐につたはれることをあらためて、小量にしたがふる、これ小見によりてしかあり。小見のはづべきなり。もしいまなんぢが小量の衣をもちゐるがごときは、佛威儀おほく虧闕することあらん。佛儀を學傳せることのあまねからざるによりて、かくのごとくあり。

 如來の身心、ただ祖門に正傳して、かれらが家業に流散せざること、あきらかなり。もし萬一も佛儀をしらば、佛衣をやぶるべからず。文なほあきらめず、宗いまだきくべからず。

 

 又、ひとへに麁布を衣財にさだむ、ふかく佛法にそむく。ことに佛衣をやぶれり、佛弟子きるべきにあらず。ゆゑはいかん。布見を擧して袈裟をやぶれり。あはれむべし、小乘聲聞の見、まさに迂曲かなしむべきことを。なんぢが布見やぶれてのち佛衣現成すべきなり。いふところの絹布の用は、一佛二佛の道にあらず。諸佛の大法として、糞掃を上品淸淨の衣財とせるなり。そのなかに、しばらく十種の糞掃をつらぬるに、絹類あり、布類あり、餘帛の類もあり。絹類の糞掃をとるべからざるか、もしかくのごとくならば、佛道に相違す。絹すでにきらはば、布またきらふべし。絹布きらふべき、そのゆゑなににかある。絹絲は殺生より生ぜるときらふ、おほきにわらふべきなり。布は生物の緣にあらざるか。情非情の情、いまだ凡情の情を解脱せず、いかでか佛袈裟をしらん。

 又、化絲の説をきたして亂道することあり。又わらふべし。いづれか化にあらざる。なんぢ化をきくみみを信ずといへども、化をみる目をうたがふ。目に耳なし、耳に目なきがごとし。いまの耳目、いづれのところにかある。しばらくしるべし、糞掃をひろふなかに、絹ににたるあり、布のごとくなるあらん。これをもちゐんには、絹となづくべからず、布と稱ずべからず。まさに糞掃と稱ずべし。糞掃なるがゆゑに、糞掃にして絹にあらず、布にあらざるなり。たとひ人天の糞掃と生長せるありとも有情といふべからず、糞掃なるべし。たとひ松菊の糞掃となれるありとも非情といふべからず、糞掃なるべし。糞掃の絹布にあらず、珠玉をはなれたる道理をしるとき、糞掃衣は現成するなり、糞掃衣にはむまれあふなり。絹布の見いまだ零落せざるは、いまだ糞掃を夢也未見なり。たとひ麁布を袈裟として一生受持すとも、布見をおぼえらんは、佛衣正傳にあらざるなり。

 又、數般の袈裟のなかに、布袈裟あり、絹袈裟あり、皮袈裟あり。ともに諸佛のもちゐるところ、佛衣佛功徳なり。正傳せる宗旨あり、いまだ斷絶せず。しかあるを、凡情いまだ解脱せざるともがら、佛法をかろくし佛語を信ぜず、凡情に隨他去せんと擬する、附佛法の外道といふつべし、壞正法のたぐひなり。

 あるいはいふ、天人のをしへによりて佛衣をあらたむと。しかあらば天佛をねがふべし、又天の流類となれるか。佛弟子は佛法を天人のために宣説すべし、道を天人にとふべからず。あはれむべし、佛法の正傳なきは、かくのごとくなり。

 天衆の見と佛子の見と、大小はるかにことなることあれども、天くだりて法を佛弟子にとぶらふ。そのゆゑは、佛見と天見と、はるかにことなるがゆゑなり。律家聲聞の小見、すててまなぶことなかれ、小乘なりとしるべし。

 佛言、殺父殺母は懺悔しつべし、謗法は懺悔すべからず。

 おほよそ小見狐疑の道は佛の本意にあらず。佛法の大道は小乘およぶところなきなり。諸佛の大戒を正傳すること、附法藏の祖道のほかには、ありとしれるもなし。

 

 むかし黄梅の夜半に、佛の衣法すでに六祖の頂上に正傳す。まことにこれ傳法傳衣の正傳なり、五祖の人をしるによりてなり。四果三賢のやから、および十聖等のたぐひ、教家の論師經師等のたぐひは神秀にさづくべし、六祖に正傳すべからず。しかあれども、佛祖の佛祖を選する、凡情路を超越するがゆゑに、六祖すでに六祖となれるなり。しるべし、佛祖嫡嫡の知人知己の道理、なほざりに測量すべきところにあらざるなり。

 のちにある僧すなはち六祖にとふ、黄梅の夜半の傳衣、これ布なりとやせん、絹なりとやせん、帛なりとやせん、畢竟じてこれなにものとかせん。

 六祖いはく、これ布にあらず、これ絹にあらず、これ帛にあらず。

 曹谿高祖の道、かくのごとしとしるべし。佛衣は絹にあらず、布にあらず、屈眴にあらざるなり。しかあるを、いたづらに絹と認じ布と認じ、屈眴と認ずるは、謗佛法のたぐひなり。いかにしてか佛袈裟をしらん、いはんや善來得戒の機緣あり、かれらが所得の袈裟、さらに絹布の論にあらざるは佛道の佛訓なり。

 

 また商那和修が衣は、在家の時は俗服なり、出家すれば袈裟となる。この道理、しづかに思量功夫すべし。見聞せざるがごとくして、さしおくべきにあらず。いはんや佛佛祖祖正傳しきたれる宗旨あり。文字かぞふるたぐひ、覺知すべからず、測量すべからず。まことに佛道の千變萬化、いかでか庸流の境界ならん。三昧あり、陀羅尼あり。算沙のともがら、衣裏の寶珠をみるべからず。

 いま佛祖正傳せる袈裟の體色量を、諸佛の袈裟の正本とすべし。その例すでに西天東地、古往今來ひさしきなり。正邪を分別せし人、すでに超證しき。祖道のほかに袈裟を稱ずるありとも、いまだ枝葉とゆるす本祖あらず。いかでか善根の種子をきざさん、いはんや果實あらんや。

 われらいま曠劫以來いまだあはざる佛法を見聞するのみにあらず、佛衣を見聞し佛衣を學習し、佛衣を受持することをえたり。すなはちこれまさしく佛を見たてまつるなり。佛音聲をきく、佛光明をはなつ、佛受用を受用す。佛心を單傳するなり。得佛髓なり。

 

 傳衣

 

 予、在宋のそのかみ、長連牀に功夫せしとき、齊肩の隣單をみるに、毎曉の開靜のとき、袈裟をささげて頂上に安置し、合掌恭敬して、一偈を默誦す。ときに予、未曾見のおもひをなし、歡喜みにあまり、感涙ひそかにおちて襟をうるほす。阿含經を披閲せしとき、頂戴袈裟文をみるといへども、不分曉なり。いまはまのあたりにみる、ちなみにおもはく、あはれむべし、郷土にありしには、をしふる師匠なし、かたる善友にあはず。いくばくかいたづらにすぐる光陰ををしまざる、かなしまざらめやは。いまこれを見聞す、宿善よろこぶべし。もしいたづらに本國の諸寺に交肩せば、いかでかまさしく佛衣を著せる僧寶と隣肩なることをえん。悲喜ひとかたにあらず、感涙千萬行。

 ときにひそかに發願す、いかにしてかはわれ不肖なりといふとも、佛法の正嫡を正傳して、郷土の衆生をあはれむに、佛佛正傳の衣法を見聞せしめん。

 かのときの正信、ひそかに相資することあらば、心願むなしかるべからず。いま受持袈裟の佛子、かならず日夜に頂戴する勤修をはげむべし、實功徳なるべし。一句一偈を見聞することは、若樹若石の因緣もあるべし。袈裟正傳の功徳は、十方に難遇ならん。

 大宋嘉定十七年癸未冬十月中、三韓の僧二人ありて、慶元府にきたれり。一人いはく智玄、一人は景雲。この二人、ともにしきりに佛經の義をいひ、あまつさへ文學の士なり。しかあれども、袈裟なし、鉢盂なし、俗人のごとし。あはれむべし、比丘形なりといへども比丘法なきこと、小國邊地のゆゑなるべし。我朝の比丘形のともがら、他國にゆかんとき、かの二僧のごとくならん。

 釋迦牟尼佛、すでに十二年中頂戴してさしおきましまさざるなり。その遠孫として、これを學すべし。いたづらに名利のために天を拜し神を拜し、王を拜し臣を拜する頂門を、いま佛衣頂戴に廻向せん、よろこぶべき大慶なり。

 

 ときに仁治元年庚子開冬日記于觀音導利興聖寶林寺

               入宋傳法沙門 道元

 

 袈裟をつくる衣財、かならず淸淨なるをもちゐる。淸淨といふは、淨信檀那の供養するところの衣財、あるいは市にて買得するもの、あるいは天衆のおくるところ、あるいは龍神の淨施、あるいは鬼神の淨施、かくのごとくの衣財もちゐる。あるいは國王大臣の淨施、あるいは淨皮、これらもちゐるべし。

 また十種の糞掃衣を淸淨なりとす。

 いはゆる十種糞掃衣

 一者牛嚼衣

 二者鼠噛衣

 三者火燒衣

 四者月水衣

 五者産婦衣

 六者神廟衣

 七者塚間衣

 八者求願衣

 九者王職衣

 十者往還衣

 この十種を、ことに淸淨の衣財とせるなり。世俗には抛捨す、佛道にはもちゐる。世間と佛道と、その家業はかりしるべし。しかあればすなはち、淸淨をもとめんときは、この十種をもとむべし。これをえて、淨をしり、不淨を辨肯すべし。心をしり、身を辨肯すべし。この十種をえて、たとひ絹類なりとも、たとひ布類なりとも、その淨不淨を商量すべきなり。

 この糞掃衣をもちゐることは、いたづらに弊衣にやつれたらんがためと學するは至愚なるべし。莊嚴奇麗ならんがために、佛道に用着しきたれるところなり。佛道にやつれたる衣服とならはんことは、錦繍綾羅、金銀珍珠等の衣服の、不淨よりきたれるを、やつれたるとはいふなり。おほよそ此土他界の佛道に、淸淨奇麗をもちゐるには、この十種それなるべし。これ淨不淨の邊際を超越せるのみにあらず、漏無漏の境界にあらず。色心を論ずることなかれ、得失にかかはれざるなり。ただ正傳受持するはこれ佛祖なり。佛祖たるとき、正傳禀受するがゆゑに、佛祖としてこれを受持するは、身の現不現によらず、心の擧不擧によらず、正傳せられゆくなり。

 ただまさにこの日本國には、近來の僧尼、ひさしく袈裟を著せざりつることをかなしむべし、いま受持せんことをよろこぶべし。在家の男女、なほ佛戒を受得せんは、五條七條九條の袈裟を着すべし。いはんや出家人、いかでか著せざらん。はじめ梵王六天より、淫男淫女奴婢にいたるまでも、佛戒をうくべし、袈裟を著すべしといふ、比丘比丘尼これを著せざらんや。畜生なほ佛戒をうくべし、袈裟をかくべしといふ、佛子なにとしてか佛衣を著せざらん。

 しかあれば、佛子とならんは、天上人間、國王百官をとはず、在家出家、奴婢畜生を論ぜず、佛戒を受得し袈裟を正傳すべし。まさに佛位に正入する直道なり。

 

正法眼藏第三十二

 

 袈裟浣濯之時、須用衆末香花和水。灑乾之後、疊收安置高處、以香花而供養之。三拜然後、踞跪頂戴、合掌致信、唱此偈(袈裟浣濯の時、須らく衆末香花を水に和して用ゐるべし。灑乾の後、疊み收めて高處に安置し、香花を以て之に供養すべし。三拜し然して後、踞跪頂戴し、合掌致信して、此の偈を唱ふべし)。

 大哉解脱服、無相福田衣、

 披奉如來教、廣度諸衆生。三唱。

 而後立地、如披奉(而して後立地し、披奉すべし)。

 

 

正法眼藏第三十三 道得

 諸佛諸祖は道得なり。このゆゑに、佛祖の佛祖を選するには、かならず道得也未と問取するなり。この問取、こころにても問取す、身にても問取す。拄杖拂子にても問取す、露柱燈籠にても問取するなり。佛祖にあらざれば問取なし、道得なし、そのところなきがゆゑに。

 その道得は、他人にしたがひてうるにあらず、わがちからの能にあらず、ただまさに佛祖の究辨あれば、佛祖の道得あるなり。かの道得のなかに、むかしも修行し證究す、いまも功夫し辨道す。佛祖の佛祖を功夫して、佛祖の道得を辨肯するとき、この道得、おのづから三年、八年、三十年、四十年の功夫となりて、盡力道得するなり。

 [裡書云、三十年、二十年は、みな道得のなれる年月なり。この年月、ちからをあはせて道得せしむるなり。]

 このときは、その何十年の間も、道得の間隙なかりけるなり。しかあればすなはち、證究のときの見得、それまことなるべし。かのときの見得をまこととするがゆゑに、いまの道得なることは不疑なり。ゆゑに、いまの道得、かのときの見得をそなへたるなり。かのときの見得、いまの道得をそなへたり。このゆゑにいま道得あり、いま見得あり。いまの道得とかのときの見得と、一條なり、萬里なり。いまの功夫すなはち道得と見得とに功夫せられゆくなり。

 この功夫の把定の、月ふかく年おほくかさなりて、さらに從來の年月の功夫を脱落するなり。脱落せんとするとき、皮肉骨髓おなじく脱落を辨肯す、国土山河ともに脱落を辨肯するなり。このとき、脱落を究竟の寶所として、いたらんと擬しゆくところに、この擬到はすなはち現出にてあるゆゑに、正當脱落のとき、またざるに現成する道得あり。心のちからにあらず、身のちからにあらずといへども、おのづから道得あり。すでに道得せらるるに、めづらしくあやしくおぼえざるなり。

 しかあれども、この道得を道得するとき、不道得を不道するなり。道得に道得すると認得せるも、いまだ不道得底を不道得底と證究せざるは、なほ佛祖の面目にあらず、佛祖の骨髓にあらず。しかあれば、三拜依位而立の道得底、いかにしてか皮肉骨髓のやからの道得底とひとしからん。皮肉骨髓のやからの道得底、さらに三拜依位而立の道得に接するにあらず、そなはれるにあらず。いまわれと他と、異類中行と相見するは、いまかれと他と、異類中行と相見するなり。われに道得底あり、不道得底あり。かれに道得底あり、不道得底あり。道底に自他あり、不道底に自他あり。

 

 趙州眞際大師示衆云、儞若一生不離叢林、兀坐不道十年五載、無人喚作儞唖漢、已後諸佛也不及儞哉(趙州眞際大師、示衆に云く、儞若し一生叢林離なれば、兀坐不道ならんこと十年五載すとも、ひとの儞を唖漢と喚作すること無からん、已後には諸佛も也た儞に及ばじ)。

 しかあれば、十年五載の在叢林、しばしば霜華を經歴するに、一生不離叢林の功夫辨道をおもふに、坐斷せし兀坐は、いくばくの道得なり。不離叢林の經行坐臥、そこばくの無人喚作儞唖漢なるべし。一生は所從來をしらずといへども、不離叢林ならしむれば不離叢林なり。一生と叢林の、いかなる通霄路かある。ただ兀坐を辨肯すべし。不道をいとふことなかれ。不道は道得の頭正尾正なり。

 兀坐は一生、二生なり。一時、二時にあらず。兀坐して不道なる十年五載あれば、諸佛もなんぢをないがしろにせんことあるべからず。まことにこの兀坐不道は、佛眼也覰不見なり、佛力也牽不及なり。諸佛也不奈儞何なるがゆゑに。

 趙州のいふところは、兀坐不道の道取は、諸佛もこれを唖漢といふにおよばず、不唖漢といふにおよばず。しかあれば、一生不離叢林は、一生不離道得なり。兀坐不道十年五載は、道得十年五載なり。一生不離不道得なり、道不得十年五載なり。坐斷百千諸佛なり、百千諸佛坐斷儞なり。

 しかあればすなはち、佛祖の道得底は、一生不離叢林なり。たとひ唖漢なりとも、道得底あるべし、唖漢は道得なかるべしと學することなかれ。道得あるもの、かならずしも唖漢にあらざるにあらず。唖漢また道得あるなり。唖聲きこゆべし、唖語きくべし。唖にあらずは、いかでか唖と相見せん、いかでか唖と相談せん。すでにこれ唖漢なり、作麼生相見、作麼生相談。かくのごとく參學して、唖漢を辨究すべし。

 

 雪峰の眞覺大師の會に一僧ありて、やまのほとりにゆきて、草をむすびて庵を卓す。としつもりぬれど、かみをそらざりけり。庵裡の活計たれかしらん、山中の消息悄然なり。みづから一柄の木杓をつくりて、溪のほとりにゆきて水をくみてのむ。まことにこれ飮溪のたぐひなるべし。

 かくて日往月來するほどに、家風ひそかに漏泄せりけるによりて、あるとき僧きたりて庵主にとふ、いかにあらんかこれ祖師西來意。

 庵主云、谿深杓柄長(谿深くして杓柄長し)。

 とふ僧おくことあらず、禮拜せず、請益せず。やまにのぼりて雪峰に擧似す。

 雪峰ちなみに擧をききていはく、也甚奇怪、雖然如是、老僧自去勘過始得(也甚奇怪、然も是の如くなりと雖も、老僧自ら去いて勘過して始得なるべし)。

 雪峰のいふこころは、よさはすなはちあやしきまでによし、しかあれども、老僧みづからゆきてかんがへみるべしとなり。かくてあるに、ある日、雪峰たちまちに侍者に剃刀をもたせて卒しゆく。直に庵にいたりぬ。わづかに庵主をみるに、すなはちとふ、道得ならばなんぢが頭をそらじ。

 この間、こころうべし。道得不剃汝頭とは、不剃頭は道得なりときこゆ。いかん。この道得もし道得ならんには、畢竟じて不剃ならん。この道得、きくちからありてきくべし。きくべきちからあるもののために開演すべし。

 ときに庵主、かしらをあらひて雪峰のまへにきたれり。これも道得にてきたれるか、不道得にてきたれるか。雪峰すなはち庵主のかみをそる。

 この一段の因緣、まことに優曇の一現のごとし。あひがたきのみにあらず、ききがたかるべし。七聖十聖の境界にあらず、三賢七賢の覰見にあらず。經師論師のやから、神通變化のやから、いかにもはかるべからざるなり。佛出世にあふといふは、かくのごとくの因緣をきくをいふなり。

 しばらく雪峰のいふ道得不剃汝頭、いかにあるべきぞ。未道得の人これをききて、ちからあらんは驚疑すべし、ちからあらざらんは茫然ならん。佛と問著せず、道といはず、三昧と問著せず、陀羅尼といはず、かくのごとく問著する、問に相似なりといへども、道に相似なり。審細に參學すべきなり。

 しかあるに、庵主まことあるによりて、道得に助發せらるるに茫然ならざるなり。家風かくれず、洗頭してきたる。これ佛自智惠、不得其邊(佛自らの智慧、其の邊を得ず)の法度なり。現身なるべし、説法なるべし、度生なるべし、洗頭來なるべし。ときに雪峰もしその人にあらずは、剃刀を放下して呵呵大咲せん。しかあれども、雪峰そのちからあり、その人なるによりて、すなはち庵主のかみをそる。まことにこれ雪峰と庵主と、唯佛與佛にあらずよりは、かくのごとくならじ。一佛二佛にあらずよりは、かくのごとくならじ。龍と龍とにあらずよりは、かくのごとくならじ。驪珠は驪龍のをしむこころ懈倦なしといへども、おのづから解收の人の手にいるなり。

 しるべし、雪峰は庵主を勘過す、庵主は雪峰をみる。道得不道得、かみをそられ、かみをそる。しかあればすなはち、道得の良友は、期せざるにとぶらふみちあり。道不得のとも、またざれども知己のところありき。知己の參學あれば、道得の現成あるなり。

 

正法眼藏道得第三十三

 

 仁治三年壬寅十月五日書于觀音導利興聖寶林寺 沙門

 同三年壬寅十一月二日書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第三十四 佛教

 諸佛の道現成、これ佛教なり。これ佛祖の佛祖のためにするゆゑに、教の教のために正傳するなり。これ轉法輪なり。この法輪の眼睛裏に、諸佛祖を現成せしめ、諸佛祖を般涅槃せしむ。その諸佛祖、かならず一塵の出現あり、一塵の涅槃あり。盡界の出現あり、盡界の涅槃あり。一須臾の出現あり、多劫海の出現あり。しかあれども、一塵一須臾の出現、さらに不具足の功徳なし。盡界多劫海の出現、さらに補虧闕の經營にあらず。このゆゑに朝に成道して夕に涅槃する諸佛、いまだ功徳かけたりといはず。もし一日は功徳すくなしといはば、人間の八十年ひさしきにあらず。人間の八十年をもて十劫二十劫に比せんとき、一日と八十年とのごとくならん。此佛彼佛の功徳、わきまへがたからん。長劫壽量の所有の功徳と、八十年の功徳とを擧して比量せんとき、疑著するにもおよばざらん。このゆゑに、佛教はすなはち教佛なり、佛祖究盡の功徳なり。諸佛は高廣にして、法教は狹少なるにあらず。まさにしるべし、佛大なるは教大なり、佛小なるは教小なり。このゆゑにしるべし、佛および教は、大小の量にあらず、善惡無記等の性にあらず、自教教他のためにあらず。

 ある漢いはく、釋迦老漢、かつて一代の教典を宣説するほかに、さらに上乘一心の法を摩訶迦葉に正傳す、嫡嫡相承しきたれり。しかあれば、教は赴機の戲論なり、心は理性の眞實なり。この正傳せる一心を、教外別傳といふ。三乘十二分教の所談にひとしかるべきにあらず。一心上乘なるゆゑに、直指人心、見性成佛なりといふ。

 この道取、いまだ佛法の家業にあらず。出身の活路なし、通身の威儀あらず。かくのごとくの漢、たとひ數百千年のさきに先達と稱ずとも、恁麼の説話あらば、佛法佛道はあきらめず、通ぜざりけるとしるべし。ゆゑはいかん、佛をしらず、教をしらず、心をしらず、内をしらず、外をしらざるがゆゑに。そのしらざる道理は、かつて佛法をきかざるによりてなり。いま諸佛といふ本末、いかなるとしらず。去來の邊際すべて學せざるは、佛弟子と稱ずるにたらず。ただ一心を正傳して、佛教を正傳せずといふは、佛法をしらざるなり。佛教の一心をしらず、一心の佛教をきかず。一心のほかに佛教ありといふ、なんぢが一心、いまだ一心ならず。佛教のほかに一心ありといふ、なんぢが佛教いまだ佛教ならざらん。たとひ教外別傳の謬説を相傳すといふとも、なんぢいまだ内外をしらざれば、言理の符合あらざるなり。

 佛正法眼藏を單傳する佛祖、いかでか佛教を單傳せざらん。いはんや釋迦老漢、なにとしてか佛家の家業にあるべからざらん教法を施設することあらん。釋迦老漢すでに單傳の教法をあらしめん、いづれの佛祖かなからしめん。このゆゑに、上乘一心といふは、三乘十二分教これなり、大藏小藏これなり。

 しるべし、佛心といふは、佛の眼睛なり、破木杓なり、諸法なり、三界なるがゆゑに、山海國土、日月星辰なり。佛教といふは、萬像森羅なり。外といふは、這裏なり、這裏來なり。正傳は、自己より自己に正傳するがゆゑに、正傳のなかに自己あるなり。一心より一心に正傳するなり、正傳に一心あるべし。上乘一心は、土石砂礫なり、土石砂礫は一心なるがゆゑに、土石砂礫は土石砂礫なり。もし上乘一心の正傳といはば、かくのごとくあるべし。

 しかあれども、教外別傳を道取する漢、いまだこの意旨をしらず。かるがゆゑに、教外別傳の謬説を信じて、佛教をあやまることなかれ。もしなんぢがいふがごとくならば、教をば心外別傳といふべきか。もし心外別傳といはば、一句半偈つたはるべからざるなり。もし心外別傳といはずは、教外別傳といふべからざるなり。

 摩訶迦葉すでに釋尊の嫡子として法藏の教主たり。正法眼藏を正傳して佛道の住持なり。しかありとも、佛教は正傳すべからずといふは、學道の偏局なるべし。しるべし、一句を正傳すれば、一法の正傳せらるるなり。一句を正傳すれば、山傳水傳あり。不能離却這裡(這裏を離却すること能はず)なり。

 釋尊の正法眼藏無上菩提は、ただ摩訶迦葉に正傳せしなり。餘子に正傳せず、正傳はかならず摩訶迦葉なり。このゆゑに、古今に佛法の眞實を學する箇箇、ともにみな從來の教學を決擇するには、かならず佛祖に參究するなり。決を餘輩にとぶらはず。もし佛祖の正決をえざるは、いまだ正決にあらず。依教の正不を決せんとおもはんは、佛祖に決すべきなり。そのゆゑは、盡法輪の本主は佛祖なるがゆゑに。道有道無、道空道色(有と道ひ無と道ひ、空と道ひ色と道ふ)、ただ佛祖のみこれをあきらめ、正傳しきたりて、古佛今佛なり。

 巴陵因僧問、祖意教意、是同是別(是れ同か是れ別か)。

 師云、鷄寒上樹、鴨寒入水(鷄寒うして樹に上り、鴨寒うして水に入る)。

 この道取を參學して、佛道の祖宗を相見し、佛道の教法を見聞すべきなり。いま祖意教意と問取するは、祖意は祖意と是同是別と問取するなり。いま鷄寒上樹、鴨寒入水といふは、同別を道取すといへども、同別を見取するともがらの見聞に一任する同別にあらざるべし。しかあればすなはち、同別の論にあらざるがゆゑに、同別と道取しつべきなり。このゆゑに、同別と問取すべからずといふがごとし。

 

 玄沙因僧問、三乘十二分教卽不要、如何是祖師西來意(三乘十二分教は卽ち不要なり、如何ならんか是れ祖師西來意)。

 師云、三乘十二分教總不要(三乘十二分教總に不要なり)。

 いはゆる僧問の三乘十二分教卽不要、如何是祖師西來意といふ、よのつねにおもふがごとく、三乘十二分教は條條の岐路なり。そのほか祖師西來意あるべしと問するなり。三乘十二分教これ祖師西來意なりと認ずるにあらず。いはんや八萬四千法門蘊すなはち祖師西來意としらんや。しばらく參究すべし、三乘十二分教、なにとしてか卽不要なる。もし要せんときは、いかなる規矩かある。三乘十二分教を不要なるところに、祖師西來意の參學を現成するか。いたづらにこの問の出現するにあらざらん。

 玄沙いはく、三乘十二分教總不要。

 この道取は、法輪なり。この法輪の轉ずるところ、佛教の佛教に處在することを參究すべきなり。その宗旨は、三乘十二分教は佛祖の法輪なり、有佛祖の時處にも轉ず、無佛祖の時處にも轉ず。祖前祖後、おなじく轉ずるなり。さらに佛祖を轉ずる功徳あり。祖師西來意の正當恁麼時は、この法輪を總不要なり。總不要といふは、もちゐざるにあらず、やぶるるにあらず。この法輪、このとき、總不要輪の轉ずるのみなり。三乘十二分教なしといはず、總不要の時節を覰見すべきなり。總不要なるがゆゑに三乘十二分教なり。三乘十二分教なるがゆゑに三乘十二分教にあらず。このゆゑに、三乘十二分教、總不要と道取するなり。その三乘十二分教、そこばくあるなかの一隅をあぐるには、すなはちこれあり。

 

 三乘

 一者聲聞乘

 四諦によりて得道す。四諦といふは、苦諦、集諦、滅諦、道諦なり。これをきき、これを修行するに、生老病死を度脱し、般涅槃を究竟す。この四諦を修行するに、苦集は俗なり、滅道は第一義なりといふは、論師の見解なり。もし佛法によりて修行するがごときは、四諦ともに唯佛與佛なり。四諦ともに法住法位なり。四諦ともに實相なり、四諦ともに佛性なり。このゆゑに、さらに無性無作等の論におよばず、四諦ともに總不要なるゆゑに。

 二者緣覺乘

 十二因緣によりて般涅槃す。十二因緣といふは、一者無明、二者行、三者識、四者名色、五者六入、六者觸、七者受、八者愛、九者取、十者有、十一者生、十二者老死。

 この十二因緣を修行するに、過去現在未來に因緣せしめて、能觀所觀を論ずといへども、一一の因緣を擧して參究するに、すなはち總不要輪轉なり、總不要因緣なり。しるべし、無明これ一心なれば、行識等も一心なり。無明これ滅なれば、行識等も滅なり。無明これ涅槃なれば、行識等も涅槃なり。生も滅なるがゆゑに、恁麼いふなり。無明も道著の一句なり、識名色等もまたかくのごとし。しるべし、無明行等は、吾有箇斧子、與汝住山(吾れに箇の斧子有り、汝と與に住山せん)なり。無明行識等は、發時蒙和尚許斧子、便請取(發時和尚に斧子を許すことを蒙れり、便ち請取せん)なり。

 三者菩薩乘

 六波羅蜜の教行證によりて、阿耨多羅三藐三菩提を成就す。その成就といふは、造作にあらず、無作にあらず、始起にあらず、新成にあらず、久成にあらず、本行にあらず、無爲にあらず。ただ成就阿耨多羅三藐三菩提なり。

 六波羅蜜といふは、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪那波羅蜜、般若波羅蜜なり。これはともに無上菩提なり。無生無作の論にあらず。かならずしも檀をはじめとし般若ををはりとせず。

 經云、利根菩薩、般若爲初、檀爲終。鈍根菩薩、檀爲初、般若爲終(利根の菩薩は、般若を初めとし、檀を終りとす。鈍根の菩薩は、檀を初めとし、般若を終りとす)。

 しかあれども、羼提もはじめなるべし、禪那もはじめなるべし。三十六波羅蜜の現成あるべし。籮籠より籮籠をうるなり。

 波羅蜜といふは、彼岸到なり。彼岸は古來の相貌蹤跡にあらざれども、到は現成するなり、到は公案なり。修行の彼岸へいたるべしともおふことなかれ。彼岸に修行あるがゆゑに、修行すれば彼岸到なり。この修行、かならず徧界現成の力量を具足せるがゆゑに。

 

 十二分教

 一者素咀纜     此云契經

 二者祇夜      此云重頌

 三者和伽羅那    此云授記

 四者伽陀      此云諷誦

 五者憂陀那     此云無問自説

 六者尼陀那     此云因緣

 七者波陀那     此云譬喩

 八者伊帝目多伽   此云本事

 九者闍陀伽     此云本生

 十者毘佛略     此云方廣

 十一者阿浮陀達磨  此云未曾有

 十二者優婆提舍   此云論議

 如來則爲直説陰界入等假實之法、是名修多羅。

 或四五六七八九言偈、重頌世界陰入等事、是名祇夜。

 或直記衆生未來事、乃至記鴿雀成佛等、是名和伽羅那。

 或孤起偈、記世界陰入等事、是名伽陀。

 或無人問、自説世界事、是名優陀那。

 或約世界不善事、而結禁戒、是名尼陀那。

 或以譬喩説世界事、是名阿波陀那。

 或説本昔世界事、是名伊帝目多伽。

 或説本昔受生事、是名闍陀伽。

 或説世界廣大事、是名毘佛略。

 或説世界未曾有事、是名阿浮達摩。

 或問難世界事、是名優婆提舍。

 此是世界悉檀、爲悅衆生故、起十二部經。

(如來卽ち爲に直に陰界入等の假實の法を説きたまふ、是れを修多羅と名づく。

 或いは四、五、六、七、八、九言の偈をもて、重ねて世界陰入等の事を頌す、是れを祇夜と名づく。

 或いは直に衆生未來の事を記し、乃至鴿雀の成佛等を記す、是れを和伽羅那と名づく。

 或いは孤起偈をもて、世界陰入等の事を記す、是れを伽陀と名づく。

 或いは人問ふこと無く、自ら世界の事を説く、是れを優陀那と名づく。

 或いは世界不善の事に約して、禁戒を結す、是れを尼陀那と名づく。

 或いは譬喩を以て、世界の事を説く、是れを阿波陀那と名づく。

 或いは本昔世界の事を説く、是れを伊帝目多伽と名づく。

 或いは本昔受生の事を説く、是れを闍陀伽と名づく。

 或いは世界廣大の事を説く、是れを毘佛略と名づく。

 或いは世界の未曾有の事を説く、是れを阿浮陀達磨と名づく。

 或いは世界の事を問難す、是れを優婆提舍と名づく。

 此れは是れ世界悉檀なり、衆生を悅ばしめんが爲の故に、十二部經を起す。)

 十二部經の名、きくことまれなり。佛法のよのなかにひろまれるときこれをきく、佛法すでに滅するときはきかず。佛法いまだひろまらざるとき、またきかず。ひさしく善根をうゑて佛をみたてまつるべきもの、これをきく。すでにきくものは、ひさしからずして阿耨多羅三藐三菩提をうべきなり。

 この十二、おのおの經と稱ず。十二分教ともいひ、十二部經ともいふなり。十二分教おのおの十二分教を具足せるゆゑに、一百四十四分教なり。十二分教おのおの十二分教を兼含せるゆゑに、ただ一分教なり。しかあれども、億前億後の數量にあらず。これみな佛祖の眼睛なり、佛祖の骨髓なり、佛祖の家業なり、佛祖の光明なり、佛祖の莊嚴なり、佛祖の國土なり。十二分教をみるは佛祖をみるなり、佛祖を道取するは十二分教を道取するなり。

 しかあればすなはち、靑原の垂一足、すなはち三乘十二分教なり。南嶽の説似一物卽不中、すなはち三乘十二分教なり。いま玄沙の道取する總不要の意趣、それかくのごとし。この宗旨擧拈するときは、ただ佛祖のみなり。さらに半人なし、一物なし、一事未起なり。正當恁麼時、如何。いふべし總不要。

 

 あるいは九部といふあり。九分教といふべきなり。

 九部

 一者修多羅

 二者伽陀

 三者本事

 四者本生

 五者未曾有

 六者因緣

 七者譬喩

 八者祇夜

 九者優婆提舍

 この九部、おのおの九部を具足するがゆゑに、八十一部なり。九部おのおの一部を具足するゆゑに九部なり。歸一部の功徳あらずは、九部なるべからず。歸一部の功徳あるがゆゑに、一部歸なり。このゆゑに八十一部なり。此部なり、我部なり、拂子部なり、拄杖部なり、正法眼藏部なり。

 釋迦牟尼佛言、我此九部法、隨順衆生説。入大乘爲本、以故説是經(我が此の九部の法、衆生に隨順して説く。大乘に入らんにこれ爲本なり、故を以て是經を説く)。

 しるべし、我此は如來なり、面目身心あらはれきたる。この我此すでに九部法なり、九部法すなはち我此なるべし。いまの一句一偈は九部法なり。我此なるがゆゑに隨順衆生説なり。しかあればすなはち、一切衆生の生從這裏生、すなはち説是經なり。死從這裏死は、すなはち説是經なり。乃至造次動容、すなはち説是經なり。化一切衆生、皆令入佛道、すなはち説是經なり。この衆生は、我此九部法の隨順なり。この隨順は、隨他去なり、隨自去なり、隨衆去なり、隨生去なり、隨我去なり、隨此去なり。その衆生、かならず我此なるがゆゑに、九部法の條條なり。

 入大乘爲本といふは、證大乘といひ、行大乘といひ、聞大乘といひ、説大乘といふ。しかあれば、衆生は天然として得道せりといふにあらず、その一端なり。入は本なり、本は頭正尾正なり。ほとけ法をとく、法ほとけをとく。法ほとけにとかる、ほとけ法にとかる。火焰ほとけをとき、法をとく。ほとけ火焰をとき、法火焰をとく。

 是經すでに説故の良以あり、故説の良以あり。是經とかざらんと擬するに不可なり。このゆゑに以故説是經といふ。故説は亙天なり、亙天は故説なり。此佛彼佛ともに是經と一稱じ、自界他界ともに是經と故説す。このゆゑに説是經なり、是經これ佛教なり。しるべし、恆沙の佛教は竹箆拂子なり。佛教の恆沙は拄杖拳頭なり。

 おほよそしるべし、三乘十二分教等は、佛祖の眼睛なり。これを開眼せざらんもの、いかでか佛祖の兒孫ならん。これを拈來せざらんもの、いかでか佛祖の正眼を單傳せん。正法眼藏を體達せざるは、七佛の法嗣にあらざるなり。

 

正法眼藏佛教第三十四

 

 于時仁治三年壬寅十一月七日在雍州興聖精舍示衆

 

 

正法眼藏第三十五 神通

 かくのごとくなる神通は、佛家の茶飯なり、諸佛いまに懈倦せざるなり。これに六神通あり、一神通あり。無神通あり、最上通あり。朝打三千なり、暮打八百なるを爲體とせり。與佛同生せりといへども佛にしられず、與佛同滅すといへども佛をやぶらず。上天に同條なり、下天にも同條なり、修行取證、みな同條なり。同雪山なり、如木石なり。過去の諸佛は釋迦牟尼佛の弟子なり、袈裟をささげてきたり、塔をささげきたる。このとき釋迦牟尼佛いはく、諸佛神通不可思議なり。しかあればしりぬ、現在未來も亦復如是なり。

 

 大潙禪師は、釋迦如來より直下三十七世の祖なり、百丈大智の嗣法なり。いまの佛祖、おほく十方に出興せる、大潙の遠孫にあらざるなし、すなはち大潙の遠孫なり。

 大潙あるとき臥せるに、仰山來參す。大潙すなはち轉面向壁臥す。

 仰山いはく、慧寂これ和尚の弟子なり、形迹もちゐざれ。

 大潙おくるいきほひをなす。仰山すなはちいづるに、大潙召して寂子とめす。

 仰山かへる。

 大潙いはく、老僧ゆめをとかん、きくべし。

 仰山かうべをたれて聽勢をなす。

 大潙いはく、わがために原夢せよ、みん。

 仰山一盆の水、一條の手巾をとりてきたる。

 大潙つひに洗面す。洗面しをはりてわづかに坐するに、香嚴きたる。

 大潙いはく、われ適來寂子と一上の神通をなす。不同小小なり。

 香嚴いはく、智閑下面にありて、了了に得知す。

 大潙いはく、子、こころみに道取すべし。

 香嚴すなはち一椀の茶を點來す。

 大潙ほめていはく、二子の神通智慧、はるかに鶖子目連よりもすぐれたり。

 佛家の神通をしらんとおもはば、大潙の道取を參學すべし。

 不同小小のゆゑに、作是學者、名爲佛學、不是學者、不名佛學(是の學を作す者を名づけて佛學と爲し、是の學にあらざれば佛學と名づけず)なるべし。嫡嫡相傳せる神通智慧なり。さらに西天竺國の外道二乘の神通、および論師等の所學を學することなかれ。

 いま大潙の神通を學するに、無上なりといへども、一上の見聞あり。いはゆる臥次よりこのかた、轉面向壁臥あり、起勢あり、召寂子あり、説箇夢あり、洗面了纔坐あり、仰山又低頭聽あり、盆水來、手巾來あり。

 しかあるを、大潙いはく、われ適來寂子と一上の神通をなすと。

 この神通を學すべし。佛法正傳の祖師、かくのごとくいふ。説夢洗面といはざることなかれ、一上の神通なりと決定すべし。すでに不同小小といふ、小乘小量小見におなじかるべからず、十聖三賢等に同ずべきにあらず。かれらみな小神通をならひ、小身量のみをえたり。佛祖の大神通におよばず。これ佛神通なり、佛向上神通なり。この神通をならはん人は、魔外にうごかざるべからざるなり。經師論師いまだきかざるところ、きくとも信受しがたきなり。二乘外道經師論師等は小神通をならふ、大神通をならはず。諸佛は大神通を住持す、大神通を相傳す。これ佛神通なり。佛神通にあらざれば、盆水來、手巾來せず。轉面向壁臥なし、洗面了纔坐なし。

 この大神通のちからにおほはれて、小神通等もあるなり。大神通は小神通を接す、小神通は大神通をしらず。小神通といふは、いはゆる毛呑巨海、芥納須彌なり。また身上出水、身下出火等なり。又五通六通、みな小神通なり。これらのやから、佛神通は夢也未見聞在なり。五通六通を小神通といふことは、五通六通は修證に染汚せられ、際斷を時處にうるなり。在生にありて身後に現ぜず、自己にありて他人にあらず。此土に現ずといへども他土に現ぜず。不現に現ずといへども、現時に現ずることをえず。

 この大神通はしかあらず。諸佛の教行證、おなじく神通に現成せしむるなり。ただ諸佛の邊に現成するのみにあらず、佛向上にも現成するなり。神通佛の化儀、まことに不可思議なるなり。有身よりさきに現ず、現の三際にかかはれぬあり。佛神通にあらざれば、諸佛の發心修行菩提涅槃いまだあらざるなり。いまの無盡法界海の常不變なる、みなこれ佛神通なり。毛呑巨海のみにあらず、毛保任巨海なり、毛現巨海なり、毛吐巨海なり、毛使巨海なり。一毛に盡法界を呑却し吐却するとき、ただし一盡法界かくのごとくなれば、さらに盡法界あるべからずと學することなかれ。芥納須彌等もまたかくのごとし。芥吐須彌および芥現法界、無盡藏海にてもあるなり。毛吐巨海、芥吐巨海するに、一念にも吐却す、萬劫にも吐却するなり。萬劫一念、おなじく毛芥より吐却せるがゆゑに。毛芥はさらになによりか得せる。すなはちこれ神通より得せるなり。この得、すなはち神通なるがゆゑに、ただまさに神通の神通を出生するのみなり。さらに三世の存沒あらずと學すべきなり。諸佛はこの神通のみに遊戲するなり。

 

 龐居士蘊公は、祖席の偉人なり。江西石頭の兩席に參學せるのみにあらず、有道の宗師おほく相見し、相逢しきたる。あるときいはく、神通竝妙用、運水及搬柴。

 この道理、よくよく參究すべし。いはゆる運水とは、水を運載しきたるなり。自作自爲あり、他作教他ありて、水を運載せしむ。これすなはち神通佛なり。しることは有時なりといへども、神通はこれ神通なり。人のしらざるには、その法の癈するにあらず、その法の滅するにあらず。人はしらざれども、法は法爾なり。運水の神通なりとしらざれども、神通の運水なるは不退なり。

 搬柴とは、たきぎをはこぶなり。たとへば六祖のむかしのごとし。朝打三千にも神通としらず、暮打八百にも神通とおぼへざれども、神通の現成なり。

 まことに諸佛如來の神通妙用を見聞するは、かならず得道すべし。このゆゑに一切諸佛の得道、かならずこの神通力に成就せるなり。しかあれば、いま小乘の出水、たとひ小神通なりといふとも、運水の大神通なることを學すべし。運水搬柴はいまだすたれざるところ、人さしおかず。ゆゑにむかしよりいまにおよぶ、これよりかれにつたはれり。須臾も退轉せざるは神通妙用なり。これは大神通なり、小小とおなじかるべきにあらず。

 

 洞山悟本大師、そのかみ雲巖に侍せりしとき、雲巖とふ、いかなるかこれ价子神通妙用。

 ときに洞山叉手近前而立。

 又雲巖とふ、いかならんか神通妙用。

 洞山ときに珍重而出。

 この因緣、まことに神通の承言會宗なるあり。神通の事存凾蓋合なるあり。まさにしるべし、神通妙用は、まさに兒孫あるべし、不退なるものあり。まさに高祖あるべし、不進なるものなり。いたづらに外道二乘にひとしかるべきとおもはざれ。

 佛道に身上身下の神變神通あり。いま盡十方界は、沙門一隻の眞實體なり。九山八海、乃至性海、薩婆若海水、しかしながら身上身下身中の出水なり。又非身上非身下非身中の出水なり。乃至出火もまたかくのごとし。ただ水火風等のみにあらず、身上出佛なり、身下出佛なり。身上出祖なり、身下出祖なり。身上出無量阿僧祇劫なり、身下出無量阿僧祇劫なり。身上出法界海なり、身上入法界海なるのみにあらず、さらに世界國土を吐却七八箇し、呑却兩三箇せんことも、またかくのごとし。いま四大五大六大諸大無量大、おなじく出なり沒なる神通なり。呑なり吐なる神通なり。いまの大地虛空の面面なる、呑却なり、吐却なり。芥に轉ぜらるるを力量とせり、毛にかかれるを力量とせり。識知のおよばざるより同生して、識知のおよばざるを住持し、識知のおよばざるに實歸す。まことに短長にかかはれざる佛神通の變相、ひとへに測量を擧して擬するのみならんや。

 

 むかし五通仙人、ほとけに事奉せしとき、仙人とふ、佛有六通、我有五通、如何是那一通(佛に六通あり、我れに五通あり、如何ならんか是れ那一通)。

 ほとけ、ときに仙人を召していふ、五通仙人。

 仙人應諾す。

 佛言、那一通、爾問我。

 この因緣、よくよく參究すべし。仙人いかでか佛に有六通としる。佛有無量神通智慧なり、ただ六通のみにあらず。たとひ六通のみをみるといふとも、六通もきはむべきにあらず、いはんやその餘の神通におきて、いかでかゆめにもみん。

 しばらくとふ、仙人たとひ釋迦老子をみるといふとも、見佛すやいまだしや、といふべし。たとひ見佛すといふとも、釋迦老子をみるやいまだしや。たとひ釋迦老子をみることをえ、たとひ見佛すといふとも、五通仙人をみるやいまだしや、と問著すべきなり。この問處に用葛藤を學すべし、葛藤斷を學すべし。いはんや佛有六通、しばらく隣珍を算數するにおよばざるか。

 いま釋迦老子道の那一通、爾問我のこころ、いかん。仙人に那一通ありといはず、仙人になしといはず。那一通の通塞はたとひとくとも、仙人いかでか那一通を通ぜん。いかんとなれば、仙人に五通あれど、佛有六通のなかの五通にあらず。仙人通はたとひ佛通の所通に通破となるとも、仙通いかでか佛通を通ずることをえん。もし仙人、佛の一通をも通ずることあらば、この通より佛を通ずべきなり。仙人をみるに佛通に相似せるあり、佛儀をみるに仙通に相似せることあるは、佛儀なりといへども、佛神通にあらずとしるべきなり。通ぜざれば、五通みな佛とおなじからざるなり。

 たちまちに那一通をとふ、なにの用かある、となり。釋迦老子のこころは、一通をもとふべし、となり。那一通をとひ、那一通をとふべし、一通も仙人はおよぶところなし、となり。しかあれば、佛神通と餘者通とは、神通の名字おなじといへども、神通の名字はるかに殊異なり。ここをもて、

 

 臨濟院慧照大師云、古人云、如來擧身相、爲順世間情。恐人生斷見、權且立虛名。假言三十二、八十也空聲。有身非覺體、無相乃眞形(臨濟院慧照大師云く、古人云く、如來擧身の相は、世間の情に順ぜんが爲なり。人の斷見を生ぜんことを恐りて、權に且く虛名を立つ。假に三十二と言ふ、八十も也た空しき聲なり。有身は覺體にあらず、無相は乃ち眞形なり)。

 儞道、佛有六通、是不可思議。一切諸天、神仙、阿修羅、大力鬼、亦有神通、應是佛否。道流莫錯、祗如阿修羅與天帝釋戰、戰敗領八萬四千眷屬、入藕孔中藏。莫是聖否。如山僧所擧、皆是業通依通(儞道ふべし、佛に六通あるは、是れ不可思議なり。一切諸天、神仙、阿修羅、大力鬼も亦た神通あり、應に是れ佛なるべしや否や。道流、錯ること莫れ。ただ阿修羅と天帝釋と戰ふが如き、戰敗れて、八萬四千の眷屬を領じて、藕孔の中に入りて藏る。是れ聖なること莫しや否や。山僧の擧する所の如きは、皆是れ業通なり、依通なり)。

 夫如佛六通者不然。入色界不被色惑、入聲界不被聲惑、入香界不被香惑、入味界不被味惑、入觸界不被觸惑、入法界不被法惑。所以達六種色聲香味觸法、皆是空相、不能繋縛。此無依道人、雖是五蘊漏質、便是地行神道(夫れ、佛の六通の如きは然らず。色界に入つて色に惑はされず、聲界に入つて聲に惑はされず、香界に入つて香に惑はされず、味界に入つて味に惑はされず、觸界に入つて觸に惑はされず、法界に入つて法に惑はされず。所以に六種の色聲香味觸法皆是れ空相なるに達すれば、繋縛すること能はず。此れ無依の道人なり。是れ五蘊漏質なりと雖も、便ち是れ地行神道なり)。

 

 道流、眞佛無形、眞法無相。儞祗麼幻化上頭作模作樣、設求得者、皆是野狐精魅、竝不是眞佛、是外道見解(道流、眞佛は無形なり、眞法は無相なり。儞祗麼に幻化上頭に模を作し樣を作す。設ひ求得すとも、皆な是れ野狐精魅なり。竝びに是れ眞佛にあらず、是れ外道の見解なり)。

 しかあれば、諸佛の六神通は、一切諸天鬼神および二乘等のおよぶべきにあらず、はかるべきにあらざるなり。佛道の六通は、佛道の佛弟子のみ單傳せり、餘人の相傳せざるところなり。佛六通は佛道に單傳す、單傳せざるは佛六通をしるべからざるなり。佛六通を單傳せざらんは、佛道人なるべからずと參學すべし。

 

 百丈大智禪師云、眼耳鼻舌、各各不貪染一切有無諸法、是名受持四句偈、亦名四果。六入無迹、亦名六神通、祗如今但不被一切有無諸法礙、亦不依住知解、是名神通。不守此神通、是名無神通。如云無神通菩薩、蹤跡不可得尋、是佛向上人、最不可思議人、是自己天(百丈大智禪師云く、眼耳鼻舌、各各一切有無の諸法に貪染せず、是を受持四句偈と名づく、亦た四果と名づく。六入無迹なるを、亦た六神通と名づく。祗今但一切有無の諸法に礙へられず、亦た知解に依住せざるが如き、是を神通と名づく。此の神通を守らざる、是を無神通と名づく。云ふが如き無神通菩薩は、蹤跡尋ぬること得べからず、是れ佛向上人なり、最不可思議人なり、是れ自己天なり)。

 いま佛佛祖祖相傳せる神通、かくのごとし。諸佛神通は佛向上人なり、最不可思議人なり、是自己天なり、無神通菩薩なり。知解不依住なり、神通不守此なり、一切諸法不被礙なり。いま佛道に六神通あり、諸佛の傳持しきたれることひさし。一佛も傳持せざるなし、傳持せざれば諸佛にあらず。その六神通は、六入を無迹にあきらむるなり。無迹といふは、古人のいはく、六般神用空不空、一顆圓光非内外。非内外は無迹なるべし。無迹に修行し、參學し、證入するに、六入を動著せざるなり。動著せずといふは、動著するもの三十棒分あるなり。

 しかあればすなはち、六神通かくのごとく參究すべきなり。佛家の嫡嗣にあらざらん、たれかこのことわりあるべしともきかん。いたづらに向外の馳走を歸家の行履とあやまれるのみなり。又、四果は、佛道の調度なりといへども、正傳せる三藏なし。算沙のやから、跰のたぐひ、いかでかこの果實をうることあらん。得小爲足の類、いまだ參究の達せるにあらず。ただまさに佛佛相承せるのみなり。いはゆる四果は、受持四句偈なり。受持四句偈といふは、一切有無諸法におきて、眼耳鼻舌各各不貪染なるなり。不貪染は不染汚なり。不染汚といふは、平常心なり、吾常於此切なり。

 六通四果を佛道に正傳せる、かくのごとし。これと相違あらんは佛法にあらざらんとしるべきなり。しかあれば、佛道はかならず神通より達するなり。その達する、涓滴の巨海を呑吐する、微塵の高嶽を拈放する、たれか疑著することをえん。これすなはち神通なるのみなり。

 

正法眼藏神通第三十五

 

 爾時仁治二年辛丑十一月十六日在於觀音導利興聖寶林寺示衆

 寛元甲辰中春初一日書寫之在於越州吉峰侍者寮 懷弉

 

 

正法眼藏第三十六 阿羅漢

 諸漏已盡、無復煩惱、逮得己利、盡諸有結、心得自在(諸漏已に盡き、復た煩惱無く、己利を逮得して、諸の有結を盡し、心自在を得たり)。

 これ大阿羅漢なり、學佛者の極果なり。第四果となづく、佛阿羅漢あり。

 諸漏は沒柄破木杓なり。用來すでに多時なりといへども、已盡は木杓の渾身跳出なり。逮得己利は頂𩕳に出入するなり。盡諸有結は盡十方界不曾藏なり。心得自在の形段、これを高處自高平、低處自低平と參究す。このゆゑに、牆壁瓦礫あり。自在といふは、心也全機現なり。無復煩惱は未生煩惱なり、煩惱被煩惱礙をいふ。

 阿羅漢の神通智慧、禪定説法、化道放光等、さらに外道天魔等の論にひとしかるべからず。見百佛世界等の論、かならず凡夫の見解に準ずべからず。將謂胡鬚赤、更有赤鬚胡の道理なり。入涅槃は、阿羅漢の入拳頭裡の行業なり。このゆゑに涅槃妙心なり、無廻避處なり。入鼻孔の阿羅漢を眞阿羅漢とす、いまだ鼻孔に出入せざるは、阿羅漢にあらず。

 古云、我等今日、眞阿羅漢、以佛道聲、令一切聞(古く云く、我等今日、眞阿羅漢なり、佛道聲を以て、一切をして聞かしむ)。

 いま令一切聞といふ宗旨は、令一切諸法佛聲なり。あにただ諸佛及弟子のみを擧拈せんや。有識有知、有皮有肉、有骨有髓のやから、みなきかしむるを、令一切といふ。有識有知といふは、國土草木、牆壁瓦礫なり。搖落盛衰、生死去來、みな聞著なり。以佛道聲、令一切聞の由來は、渾界を耳根と參學するのみにあらず。

 

 釋迦牟尼佛言、若我弟子、自謂阿羅漢辟支佛者、不聞不知諸佛如來但教化菩薩事、此非佛弟子、非阿羅漢、非辟支佛(釋迦牟尼佛言く、若し我が弟子、自ら阿羅漢辟支佛なりと謂て、諸佛如來の但だ菩薩のみを教化したまふ事を知らず聞かずは、此れ佛弟子に非ず、阿羅漢に非ず、辟支佛に非ず)。

 佛言の但教化菩薩事は、我及十方佛、乃能知是事なり。唯佛與佛、乃能究盡、諸法實相なり。阿耨多羅三藐三菩提なり。しかあれば、菩薩諸佛の自謂も、自謂阿羅漢辟支佛者に一齊なるべし。そのゆゑはいかん。自謂すなはち聞知諸佛如來、但教化菩薩事なり。

 古云、聲聞經中、稱阿羅漢、名爲佛地(古に云く、聲聞經の中には、阿羅漢を稱じて、名づけて佛地となす)。

 いまの道著、これ佛道の證明なり。論師胸臆の説のみにあらず、佛道の通軌あり。阿羅漢を稱じて佛地とする道理をも參學すべし。佛地を稱じて阿羅漢とする道理をも參學すべきなり。阿羅漢果のほかに、一塵一法の剩法あらず、いはんや三藐三菩提あらんや。阿耨多羅三藐三菩提のほかに、さらに一塵一法の剩法あらず。いはんや四向四果あらんや。阿羅漢擔來諸法の正當恁麼時、この諸法、まことに八兩にあらず、半斤にあらず。不是心、不是佛、不是物なり。佛眼也覰不見なり。八萬劫の前後を論ずべからず。抉出眼睛の力量を參學すべし。剩法は渾法剩なり。

 

 釋迦牟尼佛言、是諸比丘比丘尼、自謂已得阿羅漢、是最後身、究竟涅槃、便不復志求阿耨多羅三藐三菩提。當知、此輩皆是増上慢人。所以者何、若有比丘、實得阿羅漢、若不信此法、無有是處(釋迦牟尼佛言く、是の諸の比丘比丘尼、自ら已に阿羅漢を得たり、是れ最後身なり、究竟涅槃なりと謂うて、便ち復た阿耨多羅三藐三菩提を志求せざらん。當に知るべし、此輩皆な是れ増上慢人なり。所以者何、若し比丘有つて、實に阿羅漢を得て、若し此の法を信ぜざらん、是の處有ること無けん)。

 いはゆる阿耨多羅三藐三菩提を能信するを、阿羅漢と證す。必信此法は、附囑此法なり、單傳此法なり、修證此法なり。實得阿羅漢は、是最後身、究竟涅槃にあらず、阿耨多羅三藐三菩提を志求するがゆゑに。志求阿耨多羅三藐三菩提は、弄眼睛なり、壁面打坐なり、面壁開眼なり。徧界なりといへども、神出鬼沒なり。亙時なりといへども、互換投機なり。かくのごとくなるを、志求阿耨多羅三藐三菩提といふ。このゆゑに、志求阿羅漢なり。志求阿羅漢は、粥足飯足なり。

 

 夾山圜悟禪師云、古人得旨之後、向深山茆茨石室、折脚鐺子煮飯喫十年二十年、大忘人世永謝塵寰。今時不敢望如此、但只韜名晦迹守本分、作箇骨律錐老衲、以自契所證、隨己力量受用。消遣舊業、融通宿習、或有餘力、推以及人、結般若緣、練磨自己脚跟純熟。正如荒草裡撥剔一箇半箇。同知有、共脱生死、轉益未來、以報佛祖深恩。抑不得已、霜露果熟、推將出世、應緣順適、開托人天、終不操心於有求。何況依倚貴勢、作流俗阿師、擧止欺凡罔聖、苟利圖名、作無間業。縱無機緣、只恁度世亦無業果、眞出塵羅漢耶(夾山圜悟禪師云く、古人得旨の後、深山茆茨石室に向いて、折脚の鐺子もて飯を煮ぎて喫ふこと十年二十年、大きに人の世を忘れ永く塵寰を謝す。今時敢て此の如くなるを望まず、但只名を韜み迹を晦まして本分を守り、箇の骨律錐の老衲と作つて、以て自ら所證に契ひ、己が力量に隨つて受用せん。舊業を消遣し、宿習を融通し、或し餘力有らば推して以て人に及ぼし、般若の緣を結び、自己の脚跟を練磨して純熟ならしめん。正に荒草裏に一箇半箇を撥剔するが如し。同じく有ることを知り、共に生死を脱し、轉た未來を益し、以て佛祖の深恩に報ぜん。抑已むことを得ず、霜露果熟して、推して將て出世し、緣に應じて順適し、人天を開托して、終に心を有求に操らず。何に況んや貴勢に依倚し、流俗の阿師と作つて、擧止凡を欺き聖を罔みし、利を苟り名に圖り、無間の業を作さんや。縱ひ機緣無からんにも、只だ恁く度世して亦た業果無き、眞の出塵の羅漢ならん)。

 しかあればすなはち、而今本色の衲僧、これ眞出塵阿羅漢なり。阿羅漢の性相をしらんことは、かくのごとくしるべし。西天の論師等のことばを妄計することなかれ。東地の圜悟禪師は、正傳の嫡嗣ある佛祖なり。

 

 洪州百丈山大智禪師云、眼耳鼻舌身意、各各不貪染一切有無諸法、是名受持四句偈、亦名四果(洪州百丈山大智禪師云く、眼耳鼻舌身意、各各一切有無諸法に貪染せず、是を受持四句偈と名づけ、亦た四果と名づく)。

 而今の自他にかかはれざる眼耳鼻舌身意、その頭正尾正、はかりきはむべからず。このゆゑに、渾身おのれづから不貪染なり、渾一切有無諸法に不貪染なり。受持四句偈、おのれづからの渾渾を不貪染といふ、これをまた四果となづく。四果は阿羅漢なり。

 しかあれば、而今現成の眼耳鼻舌身意、すなはち阿羅漢なり。構本宗末、おのづから透脱なるべし。始到牢關なるは受持四句偈なり、すなはち四果なり。透頂透底、全體現成、さらに絲毫の遺漏あらざるなり。畢竟じて道取せん、作麼生道。いはゆる、

 羅漢在凡、諸法教他罣礙。羅漢在聖、諸法教他解脱。須知、羅漢與諸法同參也。既證阿羅漢、被阿羅漢礙也。所以空王以前老拳頭也(羅漢凡に在るや、諸法他をして罣礙せしむ。羅漢聖に在るや、諸法他をして解脱せしむ。須らく知るべし、羅漢と諸法と同參なり。既に阿羅漢を證すれば、阿羅漢に礙へらる。所以に空王以前の老拳頭なり)。

 

正法眼藏阿羅漢第三十六

 

 爾時仁治三年壬寅夏五月十五日住于雍州宇治郡觀音導利興聖寶林寺示衆

 建治元年六月十六日書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第三十七 春秋

 洞山悟本大師、因僧問、寒暑到來、如何廻避(寒暑到來、如何が廻避せん)。

 師云、何不向無寒暑處去(何ぞ無寒暑の處に向つて去らざる)。

 僧云、如何是無寒暑處(如何ならんか是れ無寒暑處)。

 師云、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨(寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す)。

 この因緣、かつておほく商量しきたれり、而今おほく功夫すべし。佛祖かならず參來せり、參來せるは佛祖なり。西天東地古今の佛祖、おほくこの因緣を現成の面目とせり。この因緣の面目現成は、佛祖公案なり。

 しかあるに、僧問の寒暑到來、如何廻避、くはしくすべし。いはく、正當寒到來時、正當熱到來時の參詳看なり。この寒暑、渾寒渾暑、ともに寒暑づからなり。寒暑づからなるゆゑに、到來時は寒暑づからの頂𩕳より到來するなり、寒暑づからの眼睛より現前するなり。この頂𩕳上、これ無寒暑のところなり。この眼睛裏、これ無寒暑のところなり。

 高祖道の寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨は、正當到時の消息なり。いはゆる寒時たとひ道寒殺なりとも、熱時かならずしも熱殺道なるべからず。寒也徹蔕寒なり、熱也徹蔕熱なり。たとひ萬億の廻避を參得すとも、なほこれ以頭換尾なり。寒はこれ祖宗の活眼睛なり、暑はこれ先師の煖皮肉なり。

 

 淨因枯木禪師、嗣芙蓉和尚、諱法成和尚、云、衆中商量道、這僧問既落偏、洞山答歸正位。其僧言中知音、却入正來、洞山却從偏去。如斯商量、不唯謗涜先聖、亦乃屈沈自己。不見道、聞衆生解、意下丹靑、目前雖美、久蘊成病(淨因枯木禪師、芙蓉和尚に嗣す、諱は法成和尚、云く、衆中に商量して道ふ、この僧の問、既に偏に落つ、洞山の答は正位に歸す。其の僧、言中に音を知つて却つて正に入り來る。洞山却つて偏に從ひ去く。斯くの如く商量するは、唯だ先聖を謗涜するのみにあらず、亦た乃ち自己を屈沈す。道ふことを見ずや、衆生の解を聞くに、意下に丹靑す。目前美なりと雖も、久しく蘊んで病と成ると)。

 大凡行脚高士、欲窮此事、先須識取上祖正法眼藏。其餘佛祖言教、是什麼熱椀鳴聲。雖然如是、敢問諸人、畢竟作麼生是無寒暑處。還會麼(大凡行脚の高士、此の事を窮めんと欲はば、先づ須らく上祖の正法眼藏識取すべし。其の餘の佛祖の言教は、是れ什麼の熱椀鳴聲ぞ。然も是の如くなりと雖も、敢て諸人に問ふ、畢竟じて作麼生ならんか是れ無寒暑處。還た會すや)。

 玉樓巣翡翠、金殿鏁鴛鴦(玉樓に翡翠巣ひ、金殿鴛鴦鏁せり)。

 師はこれ洞山の遠孫なり。しかあるに、箇箇おほくあやまりて、偏正の窟宅にして高祖洞山大師を禮拜せんとすることを炯誡するなり。佛法もし偏正の商量より相傳せば、いかでか今日にいたらん。あるいは野猫兒、あるいは田厙奴、いまだ洞山の堂奥を參究せず。かつて佛法の道閫を行李せざるともがら、あやまりて洞山に偏正等の五位ありて人を接すといふ。これは胡説亂説なり、見聞すべからず。ただまさに上祖の正法眼藏あることを參究すべし。

 

 慶元府天童山、宏智禪師、嗣丹霞和尚、諱正覺和尚、云、若論此事、如兩家著碁相似。儞不應我著、我卽瞞汝去也。若恁麼體得、始會洞山意。天童不免下箇注脚(慶元府天童山、宏智禪師、丹霞和尚に嗣す、諱は正覺和尚、云く、若し此の事を論ぜば、兩家の著碁するが如くに相似なり。儞我が著に應ぜずは、我れ卽ち汝を瞞じ去らん。若し恁麼に體得せば、始めて洞山の意を會すべし。天童免がれず箇の注脚を下すことを)。

 しばらく、著碁はなきにあらず、作麼生是兩家。もし兩家著碁といはば、八目なるべし。もし八目ならん、著碁にあらず、いかん。いふべくはかくのごとくいふべし、著碁一家、敵手相逢なり。

 しかありといふとも、いま宏智道の儞不應我著、こころをおきて功夫すべし。身をめぐらして參究すべし。儞不應我著といふは、なんぢ、われなるべからずといふなり。我卽瞞汝去也、すごすことなかれ。泥裏有泥なり。蹈者あしをあらひ、また纓をあらふ。珠裏有珠なり、光明するに、かれをてらし、自をてらすなり。

 

 夾山圜悟禪師、嗣五祖法演禪師、諱克勤和尚(夾山圜悟禪師、五祖法演禪師に嗣す、諱は克勤和尚)、云、

 盤走珠、珠走盤。

 偏中正、正中偏。

 羚羊掛角無蹤跡、

 獵狗遶林空踧蹈。

 (盤、珠を走らせ、珠、盤に走る。偏中正、正中偏。羚羊角を掛けて蹤跡無し、獵狗林を遶りて空らに踧蹈す。)

 いま盤走珠の道、これ光前絶後、古今罕聞なり。古來はただいはく、盤にはしる珠の住著なきがごとし。羚羊いまは空に掛角せり、林いま獵狗をめぐる。

 

 慶元府雪竇山資聖寺明覺禪師、嗣北塔祚和尚、諱重顯和尚(慶元府雪竇山資聖寺明覺禪師、北塔祚和尚に嗣す。諱は重顯和尚)、云、

 垂手還同萬仭崖、

 正偏何必在安排。

 琉璃古殿照明月、

 忍俊韓獹空上階。

 (垂手還つて萬仭の崖に同じ、正偏何ぞ必ずしも安排すること在らん。琉璃の古殿明月照らす、忍俊の韓獹空らに階に上る。)

 雪竇は雲門三世の法孫なり。參飽の皮袋といひぬべし。いまも、かならずしもしかあるべからず。いま僧問山示の因緣、あながちに垂手不垂手にあらず、出世不出世にあらず。いはんや偏正の道をもちゐんや。偏正の眼をもちゐざれば、此因緣に下手のところなきがごとし。參請の巴鼻なきがごとくなるは、高祖の邊域にいたらず、佛法の大家を𩕳見せざるによれり。さらに草鞋を拈來して參請すべし。みだりに高祖の佛法は正偏等の五位なるべしといふこと、やみね。

 

 東京天寧長靈禪師守卓和尚云、

 偏中有正正中偏、

 流落人間千百年。

 幾度欲歸歸未得、

 門前依舊草芊芊。

 (偏中正有り正中偏、人間に流落すること千百年。幾度か歸らんとして歸ること未だ得ず、門前舊に依つて草芊芊。)

 これもあながちに偏正と道取すといへども、しかも拈來せり。拈來はなきにあらず、いかならんかこれ偏中有。

 

 潭州大潙佛性和尚、嗣圜悟、諱法泰(潭州大潙佛性和尚、圜悟に嗣す、諱は法泰)、云、

 無寒暑處爲君通、

 枯木生花又一重。

 堪笑刻舟求劒者、

 至今猶在冷灰中。

 (無寒暑の處君が爲に通ぜん、枯木花生くこと又一重。笑ふ堪し舟に刻して劒を求むる者、今に至りて猶ほ冷灰の中に在り。)

 この道取、いささか公案踏著戴著の力量あり。

 

 泐潭湛堂文準禪師云、

 熱時熱殺寒時寒、

 寒暑由來總不干。

 行盡天涯諳世事、

 老君頭戴猪皮冠。

 (熱時は熱殺し寒時は寒、寒暑由來總に不干なり。天涯を行盡して世事を諳んず、老君が頭に猪皮冠を戴す。)

 しばらくとふべし、作麼生ならんかこれ不干底道理。速道速道。

 

 湖州何山佛燈禪師、嗣太平佛鑑慧懃禪師、諱守珣和尚(湖州何山佛燈禪師、太平佛鑑慧懃禪師に嗣す、諱は守珣和尚)、云、

 無寒暑處洞山道、

 多少禪人迷處所。

 寒時向火熱乘涼、

 一生免得避寒暑。

 (無寒暑處洞山の道、多少の禪人か處所に迷ふ。寒時は火に向ひ熱には乘涼す、一生免得して寒暑を避れり。)

 この珣師は、五祖法演禪師の法孫といへども、小兒子の言語のごとし。しかあれども、一生免得避寒暑、のちに老大の成風ありぬべし。いはく、一生とは盡生なり、避寒暑は脱落身心なり。

 

 おほよそ諸方の諸代、かくのごとく鼓兩片皮をこととして頌古を供達すといへども、いまだ高祖洞山の邊事を覰見せず。いかんとならば、佛祖の家常には、寒暑いかなるべしともしらざるによりて、いたづらに乘涼向火とらいふ。ことにあはれむべし、なんぢ老尊宿のほとりにして、なにを寒暑といふとか聞取せし。かなしむべし、祖師道癈せることを。この寒暑の形段をしり、寒暑の時節を經歴し、寒暑を使得しきたりて、さらに高祖爲示の道を頌古すべし、拈古すべし。いまだしかあらざらんは、知非にはしかじ。俗なほ日月をしり、萬物を保任するに、聖人賢者のしなじなあり。君子と愚夫のしなじなあり。佛道の寒暑、なほ愚夫の寒暑とひとしかるべしと錯會することなかれ。直須勤學すべし。

 

正法眼藏春秋第三十七

 

 爾時寛元二年甲辰在越宇山奥再示衆

 逢佛時而轉佛鱗經。祖師道、衆角雖多一鱗足矣(逢佛の時にして佛鱗經を轉ず。祖師道はく、衆角多しと雖も一鱗に足れり)。

 

 

正法眼藏第三十八 葛藤

 釋迦牟尼佛の正法眼藏無上菩提を證傳せること、靈山會には迦葉大士のみなり。嫡嫡正證二十八世、菩提達磨尊者にいたる。尊者みづから震旦國に祖儀して、正法眼藏無上菩提を太祖正宗普覺大師に附囑し、二祖とせり。

 第二十八祖、はじめて震旦國に祖儀あるを初祖と稱ず、第二十九祖を二祖と稱ずるなり。すなはちこれ東土の俗なり。初祖かつて般若多羅尊者のみもとにして、佛訓道骨、まのあたり證傳しきたれり、根源をもて根源を證取しきたれり、枝葉の本とせるところなり。

 おほよそ諸聖ともに葛藤の根源を截斷する參學に趣向すといへども、葛藤をもて葛藤をきるを截斷といふと參學せず、葛藤をもて葛藤をまつふとしらず。いかにいはんや葛藤をもて葛藤に嗣續することをしらんや。嗣法これ葛藤としれるまれなり、きけるものなし。道著せる、いまだあらず。證著せる、おほからんや。

 

 先師古佛云、胡蘆藤種纏胡蘆(胡蘆藤種、胡蘆を纏ふ)。

 この示衆、かつて古今の諸方に見聞せざるところなり。はじめて先師ひとり道示せり。胡蘆藤の胡蘆藤をまつふは、佛祖の佛祖を參究し、佛祖の佛祖を證契するなり。たとへばこれ以心傳心なり。

 

 第二十八祖、謂門人云(第二十八祖、門人に謂て云く)、時將至矣、汝等盍言所得乎(時將に至りなんとす、汝等盍ぞ所得を言はざるや)。

 時門人道副曰(時に門人道副曰く)、如我今所見、不執文字、不離文字、而爲道用(我が今の所見の如きは、文字を執せず、文字を離れず、しかも道用をなす)。

 祖曰、汝得吾皮(汝、吾が皮を得たり)。

 尼總持曰、如我今所解、如慶喜見阿閦佛國、一見更不再見(我が今の所解の如きは、慶喜の阿閦佛國を見しに、一見して更に再見せざりしが如し)。

 祖曰、汝得吾肉(汝、吾が肉を得たり)。

 道育曰、四大本空、五陰非有、而我見處、無一法可得(四大本空なり、五陰有に非ず、しかも我が見處は、一法として得べき無し)。

 祖曰、汝得吾骨(汝、吾が骨を得たり)。

 最後慧可、禮三拜後、依位而立(最後に慧可、禮三拜して後、位に依つて立てり)。

 祖曰、汝得吾髓(汝、吾が髓を得たり)。

 果爲二祖、傳法傳衣(果して二祖として、傳法傳衣せり)。

 いま參學すべし、初祖道の汝得吾皮肉骨髓は、祖道なり。門人四員、ともに得處あり、聞著あり。その聞著ならびに得處、ともに跳出身心の皮肉骨髓なり、脱落身心の皮肉骨髓なり。知見解會の一著子をもて、祖師を見聞すべきにあらざるなり。能所彼此の十現成にあらず。しかあるを、正傳なきともがらおもはく、四子各所解に親疎あるによりて、祖道また皮肉骨髓の淺深不同なり。皮肉は骨髓よりも疎なりとおもひ、二祖の見解すぐれたるによりて、得髓の印をえたりといふ。かくのごとくいふいひは、いまだかつて佛祖の參學なく、祖道の正傳あらざるなり。

 しるべし、祖道の皮肉骨髓は、淺深に非ざるなり。たとひ見解に殊劣ありとも、祖道は得吾なるのみなり。その宗旨は、得吾髓の爲示、ならびに得吾骨の爲示、ともに爲人接人、拈草落草に足不足あらず。たとへば拈花のごとし、たとへば傳衣のごとし。四員のために道著するところ、はじめより一等なり。祖道は一等なりといへども、四解かならずしも一等なるべきにあらず。四解たとひ片片なりとも、祖道はただ祖道なり。

 おほよそ道著と見解と、かならずしも相委なるべからず。たとへば、祖師の四員の門人にしめすには、なんぢわが皮吾をえたりと道取するなり。もし二祖よりのち、百千人の門人あらんにも、百千道の説著あるべきなり。窮盡あるべからず。門人ただ四員あるがゆゑに、しばらく皮肉骨髓の四道取ありとも、のこりていまだ道取せず、道取すべき道取おほし。しるべし、たとひ二祖に爲道せんにも、汝得吾皮と道取すべきなり。たとひ汝得吾皮なりとも、二祖として正法眼藏を傳附すべきなり。得皮得髓の殊劣によれるにあらず。また道副道育總持等に爲道せんにも、汝得吾髓と道取すべきなり。吾皮なりとも、傳法すべきなり。祖師の身心は、皮肉骨髓ともに祖師なり。髓はしたしく、皮はうときにあらず。

 いま參學の眼目をそなへたらんに、汝得吾皮の印をうるは、祖師をうる參究なり。通身皮の祖師あり、通身肉の祖師あり、通身骨の祖師あり、通身髓の祖師あり。通身心の祖師あり、通身身の祖師あり、通心心の祖師あり。通祖師の祖師あり、通身得吾汝等の祖師あり。これらの祖師、ならびに現成して、百千の門人に爲道せんとき、いまのごとく汝得吾皮と説著するなり。百千の説著、たとひ皮肉骨髓なりとも、傍觀いたづらに皮肉骨髓の説著と活計すべきなり。もし祖師の會下に六七の門人あらば、汝得吾心の道著すべし、汝得吾身の道著すべし、汝得吾佛の道著すべし、汝得吾眼睛の道著すべし、汝得吾證の道著すべし。いはゆる汝は、祖なる時節あり、慧可なる時節あり、得の道理を審細に參究すべきなり。

 しるべし、汝得吾あるべし、吾得汝あるべし、得吾汝あるべし、得汝吾あるべし。祖師の身心を參見するに、内外一如なるべからず、渾身は通身なるべからずといはば、佛祖現成の國土にあらず。皮をえたらんは、骨肉髓をえたるなり。骨肉髓をえたるは、皮肉面目をえたり。ただこれを盡十方界の眞實體と曉了するのみならんや、さらに皮肉骨髓なり。このゆゑに得吾衣なり、汝得法なり。これによりて、道著も跳出の條條なり、師資同參す。聞著も跳出の條條なり、師資同參す。師資の同參究は佛祖の葛藤なり、佛祖の葛藤は皮肉骨髓の命脈なり。拈花瞬目、すなはち葛藤なり。破顔微笑、すなはち皮肉骨髓なり。

 さらに參究すべし、葛藤種子すなはち脱體の力量あるによりて、葛藤を纏遶する枝葉花果ありて、囘互不囘互なるがゆゑに、佛祖現成し、公案現成するなり。

 

 趙州眞際大師示衆云、迦葉傳與阿難、且道、達磨傳與什麼人(迦葉、阿難に傳與せり、且く道ふべし、達磨什麼人にか傳與せる)。

 因僧問、且如二祖得髓の如、又作麼生(且く二祖の得髓の如き、又作麼生)。

 師云、莫謗二祖(二祖を謗ずること莫れ)。

 師又云、達磨也有語、在外者得皮、在裡者得骨。且道、更在裏者得什麼(達磨也た語くこと有り、外に在る者は皮を得、裡に在る者は骨を得と。且く道ふべし、更に在裏の者は什麼をか得る)。

 僧問、如何是得髓底道理(如何ならんか是れ得髓底の道理)。

 師云、但識取皮、老僧者裡、髓也不立(但だ皮を識取すべし。老僧が者裡、髓も也た不立なり)。

 僧問、如何是髓(如何ならんか是れ髓)。

 師云、與麼卽皮也摸未著(與麼ならば卽ち、皮も也た摸未著なり)。

 しかあればしるべし、皮也摸未著のときは、髓也摸未著なり。皮を摸得するは、髓もうるなり。與麼卽皮也摸未著の道理を功夫すべし。如何是得髓底道理と問取するに、但識取皮、老僧遮裏、髓也不立と道取現成せり。識取皮のところ、髓也不立なるを、眞箇の得髓底の道理とせり。かるがゆゑに、二祖得髓、又作麼生の問取現成せり。迦葉傳與阿難の時節を當觀するに、阿難藏身於迦葉なり、迦葉藏身於阿難なり。しかあれども、傳與裏の相見時節には、換面目皮肉骨髓の行李をまぬかれざるなり。これによりて、且道、達磨傳與什麼人としめすなり。達磨すでに傳與するときは達磨なり、二祖すでに得髓するには達磨なり。この道理の參究によりて、佛法なほ今日にいたるまで佛法なり。もしかくのごとくならざらんは、佛法の今日にいたるにあらず。この道理、しづかに功夫參究して、自道取すべし、教他道取すべし。

 在外者得皮、在裏者得骨、且道、更在裏者得什麼。

 いまいふ外、いまいふ裏、その宗趣もとも端的なるべし。外を論ずるとき、皮肉骨髓ともに外あり。裏を論ずるとき、皮肉骨髓ともに裏あり。

 しかあればすなはち、いま四員の達磨、ともに百千萬の皮肉骨髓の向上を條條に參究せり。髓よりも向上あるべからずとおもふことなかれ。さらに三五枚の向上あるなり。

 趙州古佛のいまの示衆、これ佛道なり。自餘の臨濟徳山大潙雲門等のおよぶべからざるところ、いまだ夢見せざるところなり。いはんや道取あらんや。近來の杜撰の長老等、ありとだにもしらざるところなり。かれらに爲説せば、驚怖すべし。

 

 雪竇明覺禪師云、趙睦二州、是れ古佛なり。

 しかあれば、古佛の道は佛法の證驗なり。自己の曾道取なり。

 雪峰眞覺大師云、趙州古佛。

 さきの佛祖も古佛の讃歎をもて讃歎す、のちの佛祖も古佛の讃歎をもて讃歎す。しりぬ、古今の向上に超越の古佛なりといふことを。

 しかあれば、皮肉骨髓の葛藤する道理は、古佛の示衆する汝得吾の標準なり。この標格を功夫參究すべきなり。

 また初祖は西歸するといふ、これ非なりと參學するなり。宋雲が所見かならずしも實なるべからず、宋雲いかでか祖師の去就をみん。ただ祖師歸寂ののち、熊耳山にをさめたてまつりぬるとならひしるを、正學とするなり。

 

正法眼藏葛藤第三十八

 

 爾時寛元元年癸卯七月七日在雍州宇治郡觀音導利興聖寶林寺示衆

 寛元二年甲辰三月三日在越州吉田郡吉峰寺侍司書寫 懷弉

 

 

正法眼藏第三十九 嗣書

 佛佛かならず佛佛に嗣法し、祖祖かならず祖祖に嗣法する、これ證契なり、これ單傳なり。このゆゑに無上菩提なり。佛にあらざれば佛を印證するにあたはず。佛の印證をえざれば、佛となることなし。佛にあらずよりは、たれかこれを最尊なりとし、無上なりと印することあらん。

 佛の印證をうるとき、無師獨悟するなり、無自獨悟するなり。このゆゑに、佛佛證嗣し、祖祖證契すといふなり。この道理の宗旨は、佛佛にあらざればあきらむべきにあらず。いはんや十地等覺の所量ならんや。いかにいはんや經師論師等の測度するところならんや。たとひ爲説すとも、かれらきくべからず。

 佛佛相嗣するがゆゑに、佛道はただ佛佛の究盡にして、佛佛にあらざる時節あらず。たとへば、石は石に相嗣し、玉は玉に相嗣することあり。菊も相嗣あり、松も印證するに、みな前菊後菊如如なり、前松後松如如なるがごとし。かくのごとくなるをあきらめざるともがら、佛佛正傳の道にあふといへども、いかにある道得ならんとあやしむにおよばず。佛佛相嗣の祖祖證契すといふ領覽あることなし。あはれむべし、佛種族に相似なりといへども、佛子にあらざることを、子佛にあらざることを。

 

 曹谿あるとき衆にしめしていはく、七佛より慧能にいたるに四十祖あり、慧能より七佛にいたるに四十祖あり。

 この道理、あきらかに佛祖正嗣の宗旨なり。いはゆる七佛は、過去莊嚴劫に出現せるものあり、現在賢劫に出現せるもあり。しかあるを、四十祖の面授をつらぬるは、佛道なり、佛嗣なり。

 しかあればすなはち、六祖より向上して七佛にいたれば四十祖の佛嗣あり。七佛より向下して六祖にいたるに四十佛の佛嗣なるべし。佛道祖道、かくのごとし。證契にあらず、佛祖にあらざれば、佛智慧にあらず、祖究盡にあらず。佛智慧にあらざれば、佛信受なし。祖究盡にあらざれば、祖證契せず。しばらく四十祖といふは、ちかきをかつかつ擧するなり。

 これによりて、佛佛の相嗣すること、深遠にして、不退不轉なり、不斷不絶なり。その宗旨は、釋迦牟尼佛は七佛已前に成道すといへども、ひさしく迦葉佛に嗣法せるなり。降生より三十歳、十二月八日に成道すといへども、七佛以前の成道なり。諸佛齊肩、同時の成道なり。諸佛以前の成道なり、一切の諸佛より末上の成道なり。

 さらに迦葉佛は釋迦牟尼佛に嗣法すると參究する道理あり。この道理をしらざるは、佛道をあきらめず。佛道あきらめざれば佛嗣にあらず。佛嗣といふは、佛子といふことなり。

 

 釋迦牟尼佛、あるとき阿難にとはしむ、過去諸佛、これたれが弟子なるぞ。

 釋迦牟尼佛いはく、過去諸佛は、これ我釋迦牟尼佛の弟子なり。

 諸佛の佛義、かくのごとし。この諸佛に奉覲して、佛嗣し、成就せん、すなはち佛佛の佛道にてあるべし。

 この佛道、かならず嗣法するとき、さだめて嗣書あり。もし嗣法なきは天然外道なり。佛道もし嗣法を決定するにあらずよりは、いかでか今日にいたらん。これによりて、佛佛なるには、さだめて佛嗣佛の嗣書あるなり、佛嗣佛の嗣書をうるなり。その嗣書の爲體は、日月星辰をあきらめて嗣法す、あるいは皮肉骨髓を得せしめて嗣法す。あるいは袈裟を相嗣し、あるいは拄杖を相嗣し、あるいは松枝を相嗣し、あるいは拂子を相嗣し、あるいは優曇花を相嗣し、あるいは金襴衣を相嗣す。靸鞋の相嗣あり、竹箆の相嗣あり。

 これらの嗣法を相嗣するとき、あるいは指血をして書嗣し、あるいは舌血をして書嗣す。あるいは油乳をもてかき、嗣法する、ともにこれ嗣書なり。嗣せるもの、得せるもの、ともにこれ佛嗣なり。まことにそれ佛祖として現成するとき、嗣法かならず現成す。現成するとき、期せざれどもきたり、もとめざれども嗣法せる佛祖おほし。嗣法あるはかならず佛佛祖祖なり。

 第二十八祖、西來よりこのかた、佛道に嗣法ある宗旨を、東土に正聞するなり。それよりさきは、かつていまだきかざりしなり。西天の論師法師等、およばすしらざるところなり。および十聖三賢の境界およばざるところ、三藏義學の呪術師等は、あるらんと疑著するにもおよばず。かなしむべし、かれら道器なる人身をうけながら、いたづらに教網にまつはれて透脱の法をしらず、跳出の期を期せざることを。かるがゆゑに、學道を審細にすべきなり、參究の志氣をもはらすべきなり。

 

 道元在宋のとき、嗣書を禮拜することをえしに、多數の嗣書ありき。そのなかに惟一西堂とて、天童に掛錫せしは、越上の人事なり、前住廣福寺の堂頭なり。先師と同郷人なり。先師つねにいはく、境風は一西堂に問取すべし。

 あるとき西堂いはく、古蹟の可觀は人間の珍玩なり、いくばくか見來せる。

 道元いはく、見來すくなし。

 ときに西堂いはく、吾那裏に壹軸の古蹟あり。恁麼次第なり、與老兄看といひて、携來をみれば、嗣書なり。法眼下の嗣書にてありけるを、老宿の衣鉢のなかよりえたりけり。惟一長老のにはあらざりけり。かれにかきたりしは、

 初祖摩訶迦葉、悟於釋迦牟尼佛。釋迦牟尼佛、悟於迦葉佛。

 かくのごとくかきたり。

 道元これをみしに、正嫡の正嫡に嗣法あることを決定信受す。未曾見の法なり。佛祖の冥感して兒孫を護持する時節なり。感激不勝なり。

 

 雲門下の嗣書とて、宗月長老の天童の首座職に充せしとき、道元にみせしは、いま嗣書をうる人のつぎかみの師、および西天東地の佛祖をならべつらねて、その下頭に、嗣書をうる人の名字あり。諸佛祖より直にいまの新祖師の名字につらぬるなり。しかあれば、如來より四十餘代、ともに新嗣の名字へきたれり。たとへば、おのおの新祖にさづけたるがごとし。摩訶迦葉阿難陀等は、餘門のごとくにつらなれり。

 ときに道元、宗月首座にとふ、和尚、いま五家の宗派をつらぬるに、いささか同異あり。そのこころいかん。西天より嫡嫡相嗣せらば、なんぞ同異あらんや。

 宗月いはく、たとひ同異はるかなりとも、ただまさに雲門山の佛は、かくのごとくなると學すべし。

 釋迦老子、なにによりてか尊重他なる、悟道によりて尊重なり。雲門大師なにによりてか尊重他なる、悟道によりて尊重なり。

 道元この話をきくに、いささか領覽あり。

 いま江浙に大刹の主とあるは、おほく臨濟雲門洞山等の嗣法なり。しかあるに、臨濟の遠孫と自稱するやから、ままにくはだつる不是あり。いはく、善知識の會下に參じて、頂相壹幅、法語壹軸を懇請して、嗣法の標準にそなふ。しかあるに、一類の狗子あり、尊宿のほとりに法語頂相等を懇請して、かくしたくはふることあまたあるに、晩年におよんで、官家に陪錢し、一院を討得して、住持職に補するときは、法語頂相の師に嗣法せず、當代の名譽のともがら、あるいは王臣に親附なる長老等に嗣法するときは、得法をとはず、名譽をむさぼるのみなり。かなしむべし、末法惡時、かくのごとくの邪風あることを。かくのごとくのやからのなかに、いまだかつて一人としても佛祖の道を夢にも見聞せるあらず。

 おほよそ法語頂相等をゆるすことは、教家の講師および在家の男女等にもさづく、行者商客等にもゆるすなり。そのむね、諸家の録にあきらかなり。あるいはその人にあらざるが、みだりに嗣法の證據をのぞむによりて、壹軸の書をもとむるに、有道のいたむところなりといへども、なまじひに援筆するなり。しかのごときのときは、古來の書式によらず、いささか師吾のよしをかく。近來の法は、ただその師の會にて得力すれば、すなはちかの師を師と嗣法するなり。かつてその師の印をえざれども、ただ入室上堂に咨參して、長連牀にあるともがら、住院のときは、その師承を擧するにいとまあらざれども、大事打開するとき、その師を師とせるのみおほし。

 

 また龍門佛眼禪師淸遠和尚の遠孫にて、傳といふものありき。かの師傳藏主、また嗣書を帶せり。嘉定のはじめに、隆禪上座、日本國人なりといへども、かの傳藏やまひしけるに、隆禪よく傳藏を看病しけるに、勤勞しきりなるによりて、看病の勞を謝せんがために、嗣書をとりいだして、禮拜せしめけり。みがたきものなり。與儞禮拜といひけり。

 それよりこのかた、八年ののち、嘉定十六年癸未あきのころ、道元はじめて天童山に寓直するに、隆禪上座、ねんごろに傳藏主に請じて、嗣書を道元にみせし。その嗣書の樣は、七佛よりのち、臨濟にいたるまで、四十五祖をつらねかきて、臨濟よりのちの師は、一圓相をつくりて、そのなかにめぐらして、法諱と花字とをうつしかけり。新嗣はおはりに、年月の下頭にかけり。臨濟の尊宿に、かくのごとくの不同ありとしるべし。

 

 先師天童堂頭、ふかく人のみだりに嗣法を稱ずることをいましむ。先師の會は、これ古佛の會なり、叢林の中興なり。みづからもまだらなる袈裟をかけず。芙蓉山の道楷禪師の衲法衣つたはれりといへども、上堂陞座にもちゐず。おほよそ住持職として、まだらなる法衣、かつて一生のうちにかけず。こころあるも、物しらざるも、ともにほめき。眞善知識なりと尊重す。

 先師古佛、上堂するに、つねに諸方をいましめていはく、近來おほく祖道に名をかれるやから、みだりに法衣を搭し、長髪をこのみ、師號に署するを出世の舟航とせり。あはれむべし、たれかこれをすくはん。うらむらくは、諸方長老無道心にして、學道せざることを。嗣書嗣法の因緣を見聞せるものなほまれなり、百千人中一箇也無。これ祖道淩遅なり。

 かくのごとくよのつねにいましむるに、天下の長老うらみず。しかあればすなはち、誠心辨道することあらば、嗣書あることを見聞すべし。見聞することあるは學道なるべし。

 臨濟の嗣書は、まづその名字をかきて、某甲子われに參ずともかき、わが會にきたれりともかき、入吾堂奥ともかき、嗣吾ともかきて、ついでのごとく前代をつらぬるなり。かれもいささかいひきたれる法訓あり。いはゆる宗趣は、嗣はをはりはじめにかかはれず、ただ眞善知識を相見する的的の宗旨なり。臨濟にはかくのごとくかけるもあり。まのあたりみしによりてしるす。

 

 了派藏主者、威武人也。今吾子也。徳光參侍徑山杲和尚、徑山嗣夾山勤、勤嗣楊岐演、演嗣海會端、端嗣楊岐會、會嗣慈明圓、圓嗣汾陽照、照嗣首山念、念嗣風穴沼、沼嗣南院顒、顒嗣興化弉。弉是臨濟高祖之長嫡也(了派藏主は、威武の人なり。今吾が子なり。徳光は徑山杲和尚に參侍し、徑山は夾山勤に嗣し、勤は楊岐演に嗣し、演は海會端に嗣し、端は楊岐會に嗣し、會は慈明圓に嗣し、圓は汾陽照に嗣し、照は首山念に嗣し、念は風穴沼に嗣し、沼は南院顒に嗣し、顒は興化弉に嗣す。弉は是れ臨濟高祖の長嫡なり)。

 これは阿育王山佛照禪師徳光、かきて派無際にあたふるを、天童の住持なりしとき、小師僧知庚、ひそかにもちきたりて、了然寮にて道元にみせし。ときに大宋嘉定十七年甲申正月二十一日、はじめてこれをみる、喜感いくそばくぞ。すなはち佛祖の冥感なり、燒香禮拜して披看す。

 この嗣書を請出することは、去年七月のころ、師廣都寺、ひそかに寂光堂にて道元にかたれり。

 道元ちなみに都寺にとふ、如今たれ人かこれを帶持せる。

 都寺いはく、堂頭老漢那裏有相似。のちに請出ねんごろにせば、さだめてみすることあらん。

 道元このことばをききしより、もとむるこころざし、日夜に休せず。このゆゑに今年ねんごろに小師の僧智庚を請し、一片心をなげて請得せりしなり。

 そのかける地は、白絹の表背せるにかく。表紙はあかき錦なり。軸は玉なり。長九寸ばかり、闊七尺餘なり。閑人にはみせず。

 道元すなはち智庚を謝す、さらに卽時に堂頭に參じて燒香、禮拜無際和尚。

 ときに無際いはく、遮一段事、少得見知。如今老兄知得、便是學道之實歸也(この一段の事、見知すること得るもの少なし。如今老兄知得せり、便ち是れ學道の實歸なり)。

 ときに道元喜感無勝。

 

 のちに寶慶のころ、道元、台山鴈山等に雲遊するついでに、平田の萬年寺にいたる。ときの住持は福州の元鼒和尚なり。宗鑑長老退院ののち、鼒和尚補す、叢席を一興せり。

 人事のついでに、むかしよりの佛祖の家風往來せしむるに、大潙仰山の令嗣話を擧するに、長老いはく、曾看我箇裏嗣書也否。

 道元いはく、いかにしてかみることをえん。

 長老すなはちみづからたちて、嗣書をささげていはく、這箇はたとひ親人なりといへども、たとひ侍僧のとしをへたるといへども、これをみせしめず。これすなはち佛祖の法訓なり。しかあれども、元鼒ひごろ出城し、見知府のために在城のとき、一夢を感ずるにいはく、大梅山法常禪師とおぼしき高僧ありて、梅花一枝をさしあげていはく、もしすでに船舷をこゆる實人あらんには、花ををしむことなかれといひて、梅花をわれにあたふ。元鼒おぼえずして夢中に吟じていはく、未跨船舷、好與三十(未だ船舷を跨せざるに、好し、三十を與へんに)。しかあるに、不經五日、與老兄相見。いはんや老兄すでに船舷跨來、この嗣書また梅花綾にかけり。大梅のおしふるところならん。夢想と符合するゆゑにとりいだすなり。老兄もしわれに嗣法せんともとむや。たとひもとむとも、をしむべきにあらず。

 道元、信感おくところなし。嗣書を請ずべしといへども、ただ燒香禮拜して、恭敬供養するのみなり。ときに燒香侍者法寧といふあり、はじめて嗣書をみるといひき。

 道元ひそかに思惟しき、この一段の事、まことに佛祖の冥資にあらざれば見聞なほかたし。邊地の愚人として、なにのさいはひありてか數番これをみる。感涙霑袖。ときに維摩室大舍堂等に、閑闃無人なり。

 この嗣書は、落地梅綾のしろきにかけり。長九寸餘、闊一尋餘なり。軸子は黄玉なり、表紙は錦なり。

 道元、台山より天童にかへる路程に、大梅山護聖寺の旦過に宿するに、

大梅祖師きたり、開花せる一枝の梅花をさづくる靈夢を感ず。祖鑑もとも仰憑するものなり。その一枝花の縱横は、壹尺餘なり。梅花あに優曇花にあらざらんや。夢中と覺中と、おなじく眞實なるべし。道元在宋のあひだ、歸國よりのち、いまだ人にかたらず。

 

 いまわが洞山門下に、嗣書をかけるは、臨濟等にかけるにはことなり。佛祖の衣裏にかかれりけるを、靑原高祖したしく曹谿の几前にして、手指より淨血をいだしてかき、正傳せられけるなり。この指血に、曹谿の指血を合して書傳せられけると相傳せり。初祖二祖のところにも、合血の儀おこなはれけりと相傳す。これ吾子參吾などはかかず、諸佛および七佛のかきつたへられける嗣書の儀なり。

 しかあればしるべし、曹谿の血氣は、かたじけなく靑原の淨血に和合し、靑原の淨血、したしく曹谿の親血に和合して、まのあたり印證をうることは、ひとり高祖靑原和尚のみなり。餘祖のおよぶところにあらず。この事子をしれるともがらは、佛法はただ靑原のみに正傳せると道取す。

 

嗣書

 

 先師古佛天童堂上大和尚、しめしていはく、諸佛かならず嗣法あり、いはゆる、

釋迦牟尼佛者、迦葉佛に嗣法す、迦葉佛者、拘那含牟尼佛に嗣法す、拘那含牟尼佛者、拘留孫佛に嗣法するなり。かくのごとく佛佛相嗣して、いまにいたると信受すべし。これ學佛の道なり。

 ときに道元まうす、迦葉佛入涅槃ののち、釋迦牟尼佛はじめて出世成道せり。いはんやまた賢劫の諸佛、いかにしてか莊嚴劫の諸佛に嗣法せん。この道理いかん。

 先師いはく、なんぢがいふところは聽教の解なり、十聖三賢等の道なり、佛祖嫡嫡のみちにあらず。わが佛佛相傳のみちはしかあらず。

釋迦牟尼佛、まさしく迦葉佛に嗣法せり、とならひきたるなり。釋迦佛の嗣法してのちに、迦葉佛は入涅槃すと參學するなり。釋迦佛もし迦葉佛に嗣法せざらんは、天然外道とおなじかるべし。たれか釋迦佛を信ずるあらん。かくのごとく佛佛相嗣して、いまにおよびきたれるによりて、箇箇佛ともに正嗣なり。つらなれるにあらず、あつまれるにあらず。まさにかくのごとく佛佛相嗣すると學するなり。諸阿笈摩教のいふところの劫量壽量等にかかはれざるべし。もしひとへに釋迦佛よりおこれりといはば、わづかに二千餘年なり、ふるきにあらず。相嗣もわづかに四十餘代なり、あらたなるといひぬべし。この佛嗣は、しかのごとく學するにあらず。釋迦佛は迦葉佛に嗣法すると學し、迦葉佛は釋迦佛に嗣法せりと學するなり。かくのごとく學するとき、まさに諸佛諸祖の嗣法にてあるなり。

 このとき道元、はじめて佛祖の嗣法あることを稟受するのみにあらず、從來の舊窠をも脱落するなり。

 

 于時日本仁治二年歳次辛丑三月二十七日觀音導利興聖寶林寺 入宋傳法沙門道元記

 寛元癸卯九月二十四日掛錫於越前吉田縣吉峰古寺草庵 (花押)

 

 

正法眼藏第四十 栢樹子

 趙州眞際大師は、釋迦如來より第三十七世なり。六十一歳にして、はじめて發心し、いへをいでて學道す。このときちかひていはく、たとひ百歳なりとも、われよりもおとれらんは、われかれををしふべし。たとひ七歳なりとも、われよりもすぐれば、われかれにとふべし。恁麼ちかひて、南方へ雲遊す。道をとぶらひゆくちなみに、南泉にいたりて、願和尚を禮拜す。

 ちなみに南泉もとより方丈内にありて臥せるついでに、師、來參するにすなはちとふ、近離什麼處(近離什麼れの處ぞ)。

 師いはく、瑞像院。

 南泉いはく、還見瑞像麼(還た瑞像を見るや)。

 師いはく、瑞像卽不見、卽見臥如來(瑞像は卽ち見ず、卽ち臥如來を見る)。

 ときに南泉いましに起してとふ、儞はこれ有主沙彌なりや、無主沙彌なりや。

 師、對していはく、有主沙彌。

 南泉いはく、那箇是儞主。

 師いはく、孟春猶寒、伏惟和尚尊體、起居萬福。

 南泉すなはち維那をよびていはく、此沙彌別處安排(此の沙彌、別處に安排すべし)。

 かくのごとくして南泉に寓直し、さらに餘方にゆかず。辨道功夫すること三十年なり。寸陰をむなしくせず、雜用あることなし。つひに傳道受業よりのち、趙州の觀音院に住することも又三十年なり。その住持の事形、つねの諸方にひとしからず。

 或時いはく、

 烟火徒勞望四隣、

 饅頭子前年別。

 今日思量空嚥津、

 持念少、嗟歎頻。

 一百家中無善人、

 來者祗道覓茶喫、

 不得茶噇去又嗔。

 (烟火徒らに勞す四隣を望むを、饅頭、子前年より別れぬ。今日思量して空しく嚥津す、持念は少なく、嗟歎は頻なり。一百家中善人無し、來者祗だ道ふ茶を覓めて喫せんと、茶を得て噇はざれば去つて又嗔る。)

 あはれむべし、烟火まれなり、一味すくなし。雜味は前年よりあはず、一百家人きたれば茶をもとむ。茶をもとめざるはきたらず。將來茶人は一百家人にあらざらん。これ見賢の雲水ありとも、思齊の龍象なからん。

 

 あるときまたいはく、

 思量天下出家人、

 似我住持能有幾。

 土榻牀、破蘆

 老楡木枕全無被。

 尊像不燒安息香、

 灰裏唯聞牛糞氣。

 (天下の出家人を思量るに、我に似たる住持能く幾か有らん。土の榻牀、破れたる蘆、老楡の木枕全く被無し。尊像には燒かず安息香、灰裏には唯だ聞く牛糞の氣。)

 これらの道得をもて、院門の潔白しりぬべし。いまこの蹤跡を學習すべし。僧衆おほからず、不滿二十衆といふは、よくすることのかたきによりてなり。僧堂おほきならず、前架後架なし。夜間は燈光あらず、冬天は炭火なし。あはれむべき老後の生涯といひぬべし。古佛の操行、それかくのごとし。

 

 あるとき、連牀のあしのをれたりけるに、燼木をなはにゆひつけて年月をふるに、知事、つくりかへんと報ずるに、師、ゆるさざりけり。希代の勝躅なり。

 よのつねには、解齋粥米全無粒、空對閑窓與隙塵(解齋の粥米全く粒も無し、空しく閑窓と隙塵とに對ふ)なり。あるいはこのみをひろひて、僧衆もわが身も、茶飯の日用に活計す。いまの晩進、この操行を讃頌する、師の操行におよばざれども、慕古を心術とするなり。

 

 あるとき、衆にしめしていはく、われ南方にありしこと三十年、ひとすぢに坐禪す。なんだち諸人、この一段の大事をえんとおもはば、究理坐禪してみるべし。三年五年、二十年三十年せんに、道をえずといはば、老僧が頭をとりて、杓につくりて小便をくむべし。

 かくのごとくちかひける。

 まことに坐禪辨道は、佛道の直路なり、究理坐看すべし。

 のちに人いはく、趙州古佛なり。

 

 大師因有僧問、如何是祖師西來意(大師に因みに僧有つて問ふ、如何ならんか是れ祖師西來意)。

 師云、庭前栢樹子(庭前の栢樹子)。

 僧曰、和尚莫以境示人(和尚境を以て人に示すこと莫れ)。

 師云、吾不以境示人(吾れ境を以て人に示さず)。

 僧曰、如何是祖師西來意(如何ならんか是れ祖師西來意)。

 師云、庭前栢樹子(庭前の栢樹子)。

 この一則公案は、趙州より起首せりといへども、必竟じて諸佛の渾身に作家しきたれるところなり。たれかこれ主人公なり。

 いましるべき道理は、庭前栢樹子、これ境にあらざる宗旨なり。祖師西來意、これ境にあらざる宗旨なり。栢樹子、これ自己にあらざる宗旨なり。和尚莫以境示人なるがゆゑに。吾不以境示人なるがゆゑに。いづれの和尚か和尚にさへられん。さへられずは、吾なるべし。いづれの吾か吾にさへられん。たとひさへらるとも、人なるべし。いづれの境か西來意に罣礙せられざらん。境はかならず西來意なるべきがゆゑに。しかあれども、西來意の境をもちて相待せるにあらず。祖師西來意かならずしも正法眼藏涅槃妙心にあらざるなり。不是心なり、不是佛なり、不是物なり。

 いま、如何祖師西來意と道取せるは、問取のみにあらず、兩人同得見のみにあらざるなり。正當恁麼問時は、一人也未可相見なり、自己也能得幾なり。さらに道取するに、渠無不是なり。このゆゑに錯錯なり、錯錯なるがゆゑに將錯就錯なり。承虛接響にあらざらんや。豁達靈根無向背なるがゆゑに、庭前栢樹子なり。

 境にあらざれば栢樹子にあるべからず。たとひ境なりとも、吾不以境示人なり、和尚莫境示人なり。古祠にあらず。すでに古祠にあらざれば埋沒しもてゆくなり。すでに埋沒しもてゆくことあるは、還吾功夫來なり。還吾功夫來なるがゆゑに吾不以境示人なり。さらになにをもてか示人する、吾亦如是なるべし。

 

 大師有僧問、栢樹還有佛性也無(大師に、僧有りて問ふ、栢樹還た佛性有りや無や)。

 大師云、有(有り)。

 僧曰、栢樹幾時成佛(栢樹幾の時か成佛せん)。

 大師云、待虛空落地(虛空の落地するを待つべし)。

 僧曰、虛空幾時落地(虛空幾の時か地に落せん)。

 大師云、待栢樹子成佛(栢樹子の成佛を待つべし)。

 いま大師の道取を聽取し、這僧問取をすてざるべし。大師道の虛空落地時、および栢樹成佛時は、互相の相待なる道得にあらざるなり。栢樹を問取し、佛性を問取す。成佛を問取し、時節を問取す。虛空を問取し、落地を問取するなり。

 いま大師の向僧道するに、有と道取するは、栢樹佛性有なり。この道を通達して、佛祖の命脈を通暢すべきなり。いはゆる栢樹に佛性ありといふこと、尋常に道不得なり、未曾道なり。すでに有佛性なり、その爲體あきらむべし。有佛性なり、栢樹いまその次位の高低いかん。壽命身量の長短たづぬべし、種姓類族きくべし。さらに百千の栢樹、みな同種姓なるか、別種胤なるか。成佛する栢樹あり、修行する栢樹あり、發心する栢樹あるべきか。栢樹は成佛あれども、修行發心等を具足せざるか。栢樹と虛空と、有甚麼因緣なるぞ。栢樹の成佛、さだめて待儞落地時なるは、栢樹の樹功、かならず虛空なるか。栢樹の地位は、虛空それ初地か、果位か、審細に功夫參究すべし。我還問汝趙州老、儞亦一根枯栢樹(我れ還つて汝に問はん、趙州老、儞も亦た一根の枯栢樹なり)なれば、恁麼の活計を消息せるか。

 おほよそ栢樹有佛性は、外道二乘等の境界にあらず、經師論師等の見聞にあらざるなり。いはんや枯木死灰の言華に開演せられんや。ただ趙州の種類のみ參學參究するなり。いま趙州道の栢樹有佛性は、栢樹被栢樹礙也無(栢樹、栢樹に礙へらるや無や)なり、佛性被佛性礙也無(佛性、佛性に礙へらるや無や)なり。この道取、いまだ一佛二佛の究盡するところにあらず。佛面あるもの、かならずしもこの道得を究盡することうべからず。たとひ諸佛のなかにも、道得する諸佛あるべし、道不得なる諸佛あるべし。

 いはゆる待虛空落地は、あるべからざることをいふにあらず。栢樹子の成佛する毎度に、虛空落地するなり。その落地響かくれざること、百千の雷よりもすぎたり。栢樹成佛の時は、しばらく十二時中なれども、さらに十三時中なり。その落地の虛空は、凡聖所見の虛空のみにはあらず。このほかに一片の虛空あり、餘人所不見なり、趙州一箇見なり。虛空のおつるところの地、また凡聖所領の地にあらず。さらに一片地あり、陰陽所不到なり、趙州一箇到なり。虛空落地の時節、たとひ日月山河なりとも、待なるべし。たれか道取する、佛性かならず成佛すべしと。佛性は成佛以後の莊嚴なり。さらに成佛と同生同參する佛性もあるべし。

 しかあればすなはち、栢樹と佛性と、異音同調にあらず。爲道すらくは何必なり、作麼生と參究すべし。

 

正法眼藏栢樹子第四十

 

 爾時仁治三年壬寅五月菖節二十一日在雍州宇治郡觀音導利院示衆

 寛元元年癸卯七月三日丁未書寫于越州吉田郡志比莊吉峰寺院主房 懷弉

 

 

正法眼藏第四十一 三界唯心

 釋迦大師道、

 三界唯一心、心外無別法。

 心佛及衆生、是三無差別。

 一句の道著は一代の擧力なり、一代の擧力は盡力の全擧なり。たとひ強爲の爲なりとも、云爲の爲なるべし。このゆゑに、いま如來道の三界唯心は、全如來の全現成なり。全一代は全一句なり、三界は全界なり。三界はすなはち心といふにあらず。そのゆゑは、三界はいく玲瓏八面も、なほ三界なり。三界にあらざらんと誤著すといふとも、摠不著なり。内外中間、初中後際、みな三界なり。三界は三界の所見のごとし。三界にあらざるものの所見は、三界を見不正なり。三界には三界の所見を舊窠とし、三界の所見を新條とす。舊窠也三界見、新條也三界見なり。このゆゑに、

 

 釋迦大師道、不如三界、見於三界。

 この所見、すなはち三界なり、この三界は所見のごとくなり。三界は本有にあらず、三界は今有にあらず。三界は新成にあらず、三界は因緣生にあらず。三界は初中後にあらず。出離三界あり、今此三界あり。これ機關の機關と相見するなり、葛藤の葛藤を生長するなり。今此三界は、三界の所見なり。いはゆる所見は、見於三界なり。見於三界は、見成三界なり、三界見成なり、見成公案なり。よく三界をして發心修行菩提涅槃ならしむ。これすなはち皆是我有なり。このゆゑに、

 

 釋迦大師道、今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是吾子。

 いまこの三界は、如來の我有なるがゆゑに、盡界みな三界なり。三界は盡界なるがゆゑに、今此は過現當來なり。過現當來の現成は、今此を罣礙せざるなり。今此の現成は、過現當來を罣礙するなり。

 我有は、盡十方界眞實人體なり、盡十方界沙門一隻眼なり。衆生は盡十方界眞實體なり。一一衆生の生衆なるゆゑに衆生なり。

 悉是吾子は、子也全機現の道理なり。しかあれども、吾子ならず身體髪膚を慈父にうけて、毀破せず、虧闕せざるを、子現成とす。而今は父前子後にあらず、子先父後にあらず。父子あひならべるにあらざるを吾子の道理といふなり。與授にあらざれどもこれをうく、奪取にあらざれどもこれをえたり。去來の相にあらず、大小の量にあらず、老少の論にあらず、老少を佛祖老少のごとく保任すべし。父少子老あり、父老子少あり。父老子老あり、父少子少あり。ちちの老を學するは子にあらず、子の少をへざらんはちちにあらざらん。子の老少と、父の老少と、かならず審細に功夫參究すべし、倉卒なるべからず。父子同時に生現する父子あり、父子同時に現滅する父子あり。父子不同時に現生する父子あり、父子不同時に現滅する父子あり。慈父を罣礙せざれども吾子と現成せり、吾子を罣礙せずして慈父現成せり。有心衆生あり、無心衆生あり。有心吾子あり、無心吾子あり。かくのごとく、吾子、子吾、ことごとく釋迦慈父の令嗣なり。十方盡界にあらゆる過現當來の諸衆生は、十方盡界の過現當の諸佛なり。諸佛の吾子は衆生なり、衆生の慈父は諸佛なり。しかあればすなはち、百草の花果は諸佛の我有なり、巖石の大小は諸佛の我有なり。安處は林野なり、林野は已離なり。

 しかもかくのごとくなりといふとも、如來道の宗旨は吾子の道のみなり、其父の道いまだあらざるなり、參究すべし。

 

 釋迦牟尼佛道、諸佛應化法身、亦不出三界。三界外無衆生、佛何所化。是故我言、三界外別有一衆生界藏者、外道大有經中説、非七佛之所説(諸佛應化の法身も、また三界を出でず。三界の外に衆生無し、佛何の化する所かあらん。是の故に我れ言ふ、三界の外に別に一衆生界藏有りといふは、外道大有經中の説なり、七佛の所説に非ずと)。

 あきらかに參究すべし、諸佛應化法身は、みなこれ三界なり、無外なり。たとへば如來の無外なるがごとし、牆壁の無外なるがごとし。三界の無外なるがごとく、衆生無外なり。無衆生のところ、佛何所化なり。佛所化はかならず衆生なり。

 しるべし、三界外に一衆生界藏を有せしむるは、外道大有經なり、七佛經にあらざるなり。唯心は一二にあらず、三界にあらず。出三界にあらず、無有錯謬なり。有慮知念覺なり、無慮知念覺なり。牆壁瓦礫なり、山河大地なり。心これ皮肉骨髓なり、心これ拈花破顔なり。有心あり、無心あり。有身の心あり、無身の心あり。身先の心あり、身後の心あり。身を生ずるに胎卵濕化の種品あり、心を生ずるに胎卵濕化の種品あり。靑黄赤白これ心なり、長短方圓これ心なり。生死去來これ心なり、年月日時これ心なり。夢幻空花これ心なり、水沫泡焰これ心なり。春花秋月これ心なり、造次顛沛これ心なり。しかあれども毀破すべからず、かるがゆゑに諸法實相心なり、唯佛與佛心なり。

 

 玄沙院宗一大師、問地藏院眞應大師云(玄沙院宗一大師、地藏院眞應大師に問うて云く)、三界唯心、汝作麼生會。

 眞應指椅子曰、和尚喚遮箇作什麼(眞應、椅子を指して曰く、和尚遮箇を喚んで什麼とか作す)。

 大師云、椅子。

 眞應曰、和尚不會三界唯心(和尚三界唯心を會せず)。

 大師云、我喚遮箇作竹木、汝喚作什麼(我れ遮箇を喚んで竹木と作す、汝喚んで什麼とか作す)。

 眞應曰、桂琛亦喚作竹木(桂琛も亦た喚んで竹木と作す)。

 大師云、盡大地覓一箇會佛法人不可得(盡大地一箇の會佛法人を覓むるに不可得なり)。

 いま大師の問取する三界唯心、汝作麼生會は、作麼生會、未作麼生會、おなじく三界唯心なり。このゆゑに未三界唯心なるべし。

 眞應このゆゑに椅子をさしていはく、和尚喚遮箇作什麼。しるべし、汝作麼生會は、喚遮箇作什麼なり。

 大師道の椅子は、且道すべし、これ會三界語なりや、不會三界語なりや。三界語なりや、非三界語なりや。椅子道なりや、大師道なりや。かくのごとく試道看の道究すべし。試會看の會取あり、試參看の參究あるべし。

 眞應いはく、和尚不會三界唯心。

 この道、たとへば道趙州するなかの東門南門なりといへども、さらに西門北門あるべし。さらに東趙州南趙州あり。たとひ會三界唯心ありとも、さらに不會三界唯心を參究すべきなり。さらにまた會不會にあらざる三界唯心あり。

 大師道、我喚遮箇作竹木。

 この道取、かならず聲前句後に光前絶後の節目を參徹すべし。いはゆる我喚遮箇作竹木、いまの喚作よりさきは、いかなる喚作なりとかせん。從來の八面玲瓏に、初中後ともに竹木なりとやせん。いまの喚作竹木は、道三界唯心なりとやせん、不道三界唯心なりとやせん。しるべし、あしたに三界唯心を道取するには、たとひ椅子なりとも、たとひ唯心なりとも、たとひ三界なりとも、ゆふべに三界唯心を道取するには、我喚遮箇作竹木と道取せらるるなり。

 眞應道の桂琛亦喚作竹木、しるべし、師資の對面道なりといふとも、同參の頭正尾正なるべし。しかありといへども、大師道の喚遮箇作竹木と、眞應道の亦喚作竹木と、同なりや不同なりや、是なりや不是なりやと參究すべきなり。

 大師云、盡大地覓一箇會佛法人不可得。

 この道取をも審細に辨肯すべし。

 しるべし、大師もただ喚作竹木なり、眞應もただ喚作竹木なり。さらにいまだ三界唯心を會取せず、三界唯心を不會取せず。三界唯心を道取せず、三界唯心を不道取せず。

 しかもかくのごとくなりといへども、宗一大師に問著すべし、覓一箇會佛法人不可得はたとひ道著すとも、試道看、なにを喚作してか盡大地とする。

 おほよそ恁麼參究功夫すべきなり。

 

 爾時寛元元年癸卯閏七月初一日在越宇禪師峰頭示衆

 同年月廿五日書寫于院主坊 懷弉

 

正法眼藏三界唯心第四十一

 

 

正法眼藏第四十二 説心説性

 神山僧密禪師、與洞山悟本大師行次、悟本大師、指傍院曰(洞山悟本大師と行次に、悟本大師、傍院を指して曰く)、裏面有人説心説性(裏面に人有りて説心説性す)。

 僧密師伯曰、是誰(是れ誰そ)。

 悟本大師曰、被師伯一問、直得去死十分(師伯に一問せられて、直に去死十分なることを得たり)。

 僧密師伯曰、説心説性底誰(説心説性底は誰そ)。

 悟本大師曰、死中得活(死中に活を得たり)。

 説心説性は佛道の大本なり、これより佛佛祖祖を現成せしむるなり。説心説性にあらざれば、轉妙法輪することなし、發心修行することなし。大地有情同時成道することなし、一切衆生無佛性することなし。拈花瞬目は説心説性なり、破顔微笑は説心説性なり、禮拜依位而立は説心説性なり、祖師入梁は説心説性なり、夜半傳衣は説心説性なり。拈拄杖これ説心説性なり、横拂子これ説心説性なり。

 おほよそ佛佛祖祖のあらゆる功徳は、ことごとくこれ説心説性なり。平常の説心説性あり、牆壁瓦礫の説心説性あり。いはゆる心生種種法生の道理現成し、心滅種種法滅の道理現成する、しかしながら心の説なる時節なり、性の説なる時節なり。しかあるに、心を通ぜず、性に達せざる庸流、くらくして説心説性をしらず、談玄談妙をしらず、佛祖の道にあるべからざるといふ、あるべからざるとをしふ。説心説性を説心説性としらざるによりて、説心説性を説心説性とおもふなり。これことに大道の通塞を批判せざるによりてなり。

 

 後來、徑山大慧禪師宗杲といふありていはく、いまのともがら、説心説性をこのみ、談玄談妙をこのむによりて、得道おそし。但まさに心性ふたつながらなげすてきたり、玄妙ともに忘じきたりて、二相不生のとき、證契するなり。

 この道取、いまだ佛祖の縑緗をしらず、佛祖の列辟をきかざるなり。これによりて、心はひとへに慮知念覺なりとしりて、慮知念覺も心なることを學せざるによりて、かくのごとくいふ。性は澄湛寂靜なるとのみ妄計して、佛性法性の有無をしらず、如是性をゆめにもいまだみざるによりて、しかのごとく佛法を僻見せるなり。佛祖の道取する心は皮肉骨髓なり、佛祖の保任せる性は竹箆拄杖なり。佛祖の證契する玄は露柱燈籠なり、佛祖の擧拈する妙は知見解會なり。

 佛祖の眞實に佛祖なるは、はじめよりこの心性を聽取し、説取し、行取し、證取するなり。この玄妙を保任取し、參學取するなり。かくのごとくなるを學佛祖の兒孫といふ。しかのごとくにあらざれば學道にあらず。このゆゑに得道の得道せず、不得道のとき不得道ならざるなり。得不の時節、ともに蹉過するなり。たとひなんぢがいふがごとく、心性ふたつながら忘ずといふは、心の説あらしむる分なり、百千萬億分の少分なり。玄妙ともになげすてきたるといふ、談玄の談ならしむる分なり。この關棙子を學せず、おろかに忘ずといはば、手をはなれんずるとおもひ、身にのがれぬるとしれり。いまだ小乘の局量を解脱せざるなり、いかでか大乘の奥玄におよばん、いかにいはんや向上の關棙子をしらんや。佛祖の茶飯を喫しきたるといひがたし。

 參師勤恪するは、ただ説心説性を身心の正當恁麼時に體究するなり、身先身後に參究するなり。さらに二三のことなることなし。

 爾時初祖、謂二祖曰、汝但外息諸緣、内心無喘、心如牆壁、可以入道(爾の時に初祖、二祖に謂つて曰く、汝但だ外諸緣を息め、内心に喘ぐこと無く、心牆壁の如くにして以て道に入るべし)。

 二祖種種説心説性、倶不證契。一日忽然省得。果白初祖曰、弟子此囘始息諸緣(二祖種種に説心説性すれども、倶に證契せず。一日忽然として省得す。果に初祖に白して曰く、弟子此囘始めて諸緣を息めたり)。

 初祖知其已悟、更不窮詰、只曰、莫成斷滅否(初祖其の已に悟りたりと知つて、更に窮詰せず、只曰く、斷滅と成ること莫しや否や)。

 二祖曰、無(無なり)。

 初祖曰、子作麼生。

 二祖曰、了了常知、故言之不可及(了了として常に知る、故に言も及ぶべからず)。

 初祖曰、此乃從上諸佛諸祖、所傳心體、汝今既得、善自護持(此れ乃ち從上の諸佛諸祖、所傳の心體なり、汝今既に得たり、善く自ら護持すべし)。

 この因緣、疑著するものあり、擧拈するあり。二祖の初祖に參侍せし因緣のなかの一因緣、かくのごとし。二祖しきりに説心説性するに、はじめは相契せず。やうやく積功累徳して、つひに初祖の道を得道しき。庸愚おもふらくは、二祖はじめに説心説性せしときは證契せず、そのとが、説心説性するにあり。のちには説心説性をすてて證契せりとおもへり。心如牆壁、可以入道の道を參徹せざるによりて、かくのごとくいふなり。これことに學道の區別にくらし。

 ゆゑいかんとなれば、菩提心をおこし、佛道修行におもむくのちよりは、難行をねんごろにおこなふとき、おこなふといへども、百行に一當なし。しかあれども、或從知識、或從經卷して、やうやくあたることをうるなり。いまの一當はむかしの百不當のちからなり、百不當の一老なり。聞教修道得證、みなかくのごとし。きのふの説心説性は百不當なりといへども、きのふの説心説性の百不當、たちまちに今日の一當なり。行佛道の初心のとき、未練にして通達せざればとて、佛道をすてて餘道をへて佛道をうることなし。佛道修行の始終に達せざるともがら、この通塞の道理なることをあきらめがたし。

 佛道は、初發心のときも佛道なり、成正覺のときも佛道なり、初中後ともに佛道なり。たとへば、萬里をゆくものの、一歩も千里のうちなり、千歩も千里のうちなり。初一歩と千歩とことなれども、千里のおなじきがごとし。しかあるを、至愚のともがらはおもふらく、學佛道の時は佛道にいたらず、果上の時のみ佛道なりと。擧道説道をしらず、擧道行道をしらず、擧道證道をしらざるによりてかくのごとし。迷人のみ佛道修行して大悟すと學して、不迷の人も佛道修行して大悟すとしらずきかざるともがら、かくのごとくいふなり。證契よりさきの説心説性は、佛道なりといへども、説心説性して證契するなり。證契は迷者のはじめて大悟するをのみ證契といふと參學すべからず。迷者も大悟し、悟者も大悟し、不悟者も大悟し、不迷者も大悟し、證契者も證契するなり。

 しかあれば、説心説性は佛道の正直なり。杲公この道理に達せず、説心説性すべからずといふ、佛道の道理にあらず。いまの大宋國には、杲公におよべるもなし。

 

 高祖悟本大師、ひとり諸祖のなかの尊として、説心説性の説心説性なる道理に通達せり。いまだ通達せざる諸方の祖師、いまの因緣のごとくなる道取なし。

 いはゆる僧密師伯と大師と行次に、傍院をさしていはく、裏面有人、説心説性。

 この道取は、高祖出世よりこのかた、法孫かならず祖風を正傳せり、餘門の夢にも見聞せるところにあらず。いはんや夢にも領覽の方をしらんや。ただ嫡嗣たるもの正傳せり。この道理もし正傳せざらんは、いかでか佛道に達本ならん。いはゆるいまの道理は、

 或裏或面、有人人有、説心説性なり。面裏心説、面裏性説なり。

 これを參究功夫すべし。性にあらざる説いまになし、説にあらざる心いまだあらず。

 佛性といふは一切の説なり。無佛性といふは一切の説なり。佛性の性なることを參學すといふとも、有佛性を參學せざらんは學道にあらず、無佛性を參學せざらんは參學にあらず。説の性なることを參學する、これ佛祖の嫡孫なり。性は説なることを信受する、これ嫡孫の佛祖なり。

 心は疎動し、性は恬靜なりと道取するは外道の見なり。性は澄湛にして、相は遷移すると道取するは外道の見なり。佛道の學心學性しかあらず。佛道の行心行性は外道にひとしからず。佛道の明心明性は外道その分あるべからず。

 佛道には有人の説心説性あり、無人の説心説性あり。有人の不説心不説性あり、無人の不説心不説性あり。説心未説心、説性未説性あり。無人のときの説心を學せざれば、説心未到田地なり。有人のときの説心を學せざれば、説心未到田地なり。説心無人を學し、無人説心を學し、説心是人を學し、是人説心を學するなり。

 臨濟の道取する盡力はわづかに無位眞人なりといへども、有位眞人いまだ道取せず。のこれる參學、のこれる道取、いまだ現成せず、未到參徹地といふべし。説心説性は説佛説祖なるがゆゑに、耳處に相見し、眼處に相見すべし。

 ちなみに僧密師伯いはく、是誰。

 この道取を現成せしむるに、僧密師伯さきにもこの道取に乘ずべし、のちにもこの道取に乘ずべし。是誰は那裏の説心説性なり。しかあれば、是誰と道取せられんとき、是誰と思量取せられんときは、すなはち説心説性なり。この説心説性は、餘方のともがら、かつてしらざるところなり。子をわすれて賊とするゆゑに、賊を認して子とするなり。

 大師いはく、被師伯一問、直得去死十分。

 この道をきく參學の庸流おほくおもふ、説心説性する有人の、是誰といはれて、直得去死十分なるべし。そのゆゑは、是誰のことば、對面不相識なり、全無所見なるがゆゑに死句なるべし。かならずしもしかにはあらず。この説心説性は、徹者まれなりぬべし。十分の去死は一二分の去死にあらず、このゆゑに去死の十分なり。被問の正當恁麼時、たれかこれを遮天遮地にあらずとせん。照古也際斷なるべし、照今也際斷なるべし。照來也際斷なるべし、照正當恁麼時也際斷なるべし。

 僧密師伯いはく、説心説性底誰。

 さきの是誰といまの是誰と、その名は張三なりとも、その人は李四なり。

 大師いはく、死中得活。

 この死中は、直得去死を直指すとおもひ、説心説性底を直指して是誰とは、みだりに道取するにあらず。是誰は説心説性の有人を差排す、かならず十分の去死を萬期せずといふと參學することありぬべし。大師道の死中得活は、有人説心説性の聲色現前なり。またさらに十分の去死のなかの一兩分なるべし。活はたとひ全活なりとも、死の變じて活と現ずるにあらず。得活の頭正尾正に脱落なるのみなり。

 おほよそ佛道祖道には、かくのごとくの説心説性ありて參究せらるるなり。又且のときは十分の死を死して、得活の活計を現成するなり。

 しるべし、唐代より今日にいたるまで、説心説性の佛道なることをあきらめず、教行證の説心説性にくらくて、胡説亂道する可憐憫者おほし。身先身後にすくふべし。爲道すらくは、説心説性はこれ七佛祖師の要機なり。

 

正法眼藏第四十二

 

 爾時寛元元年癸卯在于日本國越州吉田縣吉峰寺示衆

 

 

正法眼藏第四十三 諸法實相

 佛祖の現成は究盡の實相なり。實相は諸法なり。諸法は如是相なり、如是性なり。如是身なり、如是心なり。如是世界なり、如是雲雨なり。如是行住坐臥なり、如是憂喜動靜なり。如是拄杖拂子なり、如是拈花破顔なり。如是嗣法授記なり。如是參學辨道なり。如是松操竹節なり。

 釋迦牟尼佛言、唯佛與佛、乃能究盡、諸法實相。所謂諸法、如是相、如是性、如是體、如是力、如是作、如是因、如是緣、如是果、如是報、如是本末究竟等。

 いはゆる如來道の本末究竟等は、諸法實相の自道取なり。闍梨自道取なり。一等の參學なり、參學は一等なるがゆゑに、唯佛與佛は諸法實相なり。諸法實相は唯佛與佛なり。唯佛は實相なり、與佛は諸法なり。諸法の道を聞取して、一と參じ、多と參ずべからず。實相の道を聞取して、虛にあらずと學し、性にあらずと學すべからず。實は唯佛なり、相は與佛なり。乃能は唯佛なり、究盡は與佛なり。諸法は唯佛なり、實相は與佛なり。諸法のまさに諸法なるを唯佛と稱ず。諸法のいまし實相なるを與佛と稱ず。

 しかあれば、諸法のみづから諸法なる、如是相あり、如是性あり。實相のまさしく實相なる、如是相あり、如是性あり。唯佛與佛と出現於世するは、諸法實相の説取なり、行取なり、證取なり。その説取は、乃能究盡なり。究盡なりといへども、乃能なるべし。初中後にあらざるゆゑに、如是相なり、如是性なり。このゆゑに初中後善といふ。

 乃能究盡といふは諸法實相なり。諸法實相は如是相なり。如是相は乃能究盡如是性なり。如是性は乃能究盡如是體なり。如是體は乃能究盡如是力なり。如是力は乃能究盡如是作なり。如是作は乃能究盡如是因なり。如是因は乃能究盡如是緣なり。如是緣は乃能究盡如是果なり。如是果は乃能究盡如是報なり。如是報は乃能究盡本末究竟等なり。

 本末究竟等の道取、まさに現成の如是なり。かるがゆゑに、果果の果は因果の果にあらず。このゆゑに、因果の果はすなはち果果の果なるべし。この果すなはち相性體力をあひ罣礙するがゆゑに、諸法の相性體力等、いく無量無邊も實相なり。この果すなはち相性體力を罣礙せざるがゆゑに、諸法の相性體力等、ともに實相なり。この相性體力等を、果報因緣等のあひ罣礙するに一任するとき、八九成の道あり。この相性體力等を、果報因緣等のあひ罣礙せざるに一任するとき、十成の道あり。

 いはゆるの如是相は一相にあらず。如是相は一如是にあらず。無量無邊、不可道不可測の如是なり。百千の量を量とすべからず、諸法の量を量とすべし、實相の量を量とすべし。そのゆゑは、唯佛與佛乃能究盡諸法實相なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實性なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實體なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實力なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實作なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實因なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實緣なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實果なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實報なり、唯佛與佛乃能究盡諸法實本末究竟等なり。

 かくのごとくの道理あるがゆゑに、十方佛土は唯佛與佛のみなり、さらに一箇半箇の唯佛與佛にあらざるなし。唯と與とは、たとへば體に體を具し、相の相を證せるなり。また性を體として性を存せるがごとし。このゆゑにいはく、

 我及十方佛、乃能知是事。

 しかあれば、乃能究盡の正當恁麼時と、乃能知是の正當恁麼時と、おなじくこれ面面の有時なり。我もし十方佛に同異せば、いかでか及十方佛の道取を現成せしめん。這頭に十方なきがゆゑに、十方は這頭なり。ここをもて、實相の諸法に相見すといふは、春は花にいり、人ははるにあふ。月はつきをてらし、人はおのれにあふ。あるいは人の水をみる、おなじくこれ相見底の道理なり。

 このゆゑに、實相の實相に參學するを佛祖の佛祖に嗣法するとす。これ諸法の諸法に授記するなり。唯佛の唯佛のために傳法し、與佛の與佛のために嗣法するなり。

 このゆゑに生死去來あり。このゆゑに發心修行菩提涅槃あり。發心修行菩提涅槃を擧して、生死去來眞實人體を參究し接取するに、把定し放行す。これを命脈として花開結果す。これを骨髓として迦葉阿難あり。

 風雨水火の如是相すなはち究盡なり。靑黄赤白の如是性すなはち究盡なり。この體力によりて轉凡入聖す、この果報によりて超佛越祖す。この因緣によりて、握土成金あり、この果報によりて傳法附衣あり。

 

 如來道、爲説實相印。

 いはゆるをいふべし、爲行實相印。爲聽實性印。爲證實體印。かくのごとく參究し、かくのごとく究盡すべきなり。その宗旨、たとへば珠の盤をはしるがごとく、盤の珠をはしるがごとし。

 

 日月燈明佛言、諸法實相義、已爲汝等説(已に汝等が爲に説けり)。

 この道取を參學して、佛祖はかならず説實相義を一大事とせりと參究すべし。佛祖は十八界ともに實相義を開説す。身心先、身心後、正當身心時、説實相性體力等なり。實相を究盡せず、實相をとかず、實相を會せず、實相を不會せざらんは、佛祖にあらざるなり。魔黨畜生なり。

 

 釋迦牟尼佛道、一切菩薩阿耨多羅三藐三菩提、皆屬此經。此經開方便門、示眞實相(一切菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は、皆此の經に屬す。此の經は方便門を開き、眞實相を示す)。

 いはゆる一切菩薩は一切諸佛なり。諸佛と菩薩と異類にあらず。老少なし、勝劣なし。此菩薩と彼菩薩と、二人にあらず、自他にあらず。過現當來箇にあらざれども、作佛は行菩薩道の法儀なり。初發心に成佛し、妙覺地に成佛す。無量百千萬億度作佛せる菩薩あり。作佛よりのちは、行を癈してさらに所作あるべからずといふは、いまだ佛祖の道をしらざる凡夫なり。

 いはゆる一切菩薩は一切菩薩の本祖なり。一切諸佛は一切菩薩の本師なり。この諸佛の無上菩提、たとひ過去に修證するも、現在に修證するも、未來に修證するも、身先に修證するも、心後に修證するも、初中後ともにこの經なり。能屬所屬、おなじくこの經なり。この正當恁麼時、これ此經の一切菩薩を證するなり。

 經は有情にあらず、經は無情にあらず。經は有爲にあらず、經は無爲にあらず。しかあれども、菩提を證し、人を證し、實相を證し、此經を證するとき、開方便門するなり。方便門は佛果の無上功徳なり。法住法位なり、世相常住なり。方便門は暫時の伎倆にあらず、盡十方界の參學なり。諸法實相を拈じ參學するなり。この方便門あらはれて、盡十方界に蓋十方界すといへども、一切菩薩にあらざればその境界にあらず。

 雪峰いはく、盡大地是解脱門、曳人不肯入(盡大地は是れ解脱門なり、人を曳けども肯て入らず)。

 しかあればしるべし、盡地盡界たとひ門なりとも、出入たやすかるべきにあらず。出入箇のおほきにあらず。曳入するにいらず、いでず。不曳にいらず、いでず。進歩のもの、あやまりぬべし。退歩のもの、とどこほりぬべし。又且いかん。人を擧して門に出入せしむれば、いよいよ門ととほざかる。門を擧して人にいるるには、出入の分あり。

 開方便門といふは、示眞實相なり。示眞實相は蓋時にして、初中後際斷なり。その開方便門の正當開の道理は、盡十方界に開方便門するなり。この正當時、まさしく盡十方界を覰見すれば、未曾見の樣子あり。いはゆる盡十方界を一枚二枚、三箇四箇拈來して、開方便門ならしむるなり。これによりて、一等に開方便門とみゆといへども、如許多の盡十方界は、開方便門の少許を得分して、現成の面目とせりとみゆるなり。かくのごとくの風流、しかしながら屬經のちからなり。

 示眞實相といふは、諸法實相の言句を盡界に風聞するなり、盡界に成道するなり。實相諸法の道理を盡人に領覽せしむるなり、盡法に現出せしむるなり。

 しかあればすなはち、四十佛四十祖の無上菩提、みな此經に屬せり。屬此經なり、此經屬なり。蒲團禪板の阿耨菩提なる、みな此に屬せり。拈花破顔、禮拜得髓、ともに皆屬此經なり、此經之屬なり。開方便門、示眞實相なり。

 

 しかあるを、近來大宋國杜撰のともがら、落處をしらず、寶所をみず。實相の言を虛説のごとくし、さらに老子莊子の言句を擧す。これをもて、佛祖の大道に一齊なりといふ。また三教は一致なるべしといふ。あるいは三教は鼎の三脚のごとし、ひとつもなければくつがへるべしといふ。愚癡のはなはだしき、たとへをとるに物あらず。

 かくのごときのことばあるともがらも佛法をきけりと、ゆるすべからず。ゆゑいかんとなれば、佛法は西天を本とせり。在世八十年、説法五十年、さかりに人天を化す。化一切衆生、皆令入佛道なり。それよりこのかた、二十八祖正傳せり。これをさかりなるとし、微妙最尊なるとせり。もろもろの外道天魔、ことごとく降伏せられをはりぬ。成佛作佛する人天、かずをしらず。しかあれども、いまだ儒教道教を震旦國にとぶらはざれば、佛道の不足といはず。もし決定して三教一致ならば、佛法出現せんとき、西天に儒宗道教等も同時に出現すべし。しかあれども、佛法は天上天下唯我獨尊なり。かのときの事、おもひやるべし、わすれあやまるべからず。三教一致のことば、小兒子の言音におよばず、壞佛法のともがらなり。かくのごとくのともがらのみおほきなり。あるいは人天の導師なるよしを現じ、あるいは帝王の師匠となれり。大宋佛法衰薄の時節なり。先師古佛、ふかくこのことをいましめき。

 かくのごときのともがら、二乘外道の種子なり。しかのごときの種類は、實相のあるべしとだにもしらずして、すでに二三百年をへたり。佛祖の正法を參學しては、流轉生死を出離すべしとのみいふ。あるいは佛祖の正法を參學するは、いかなるべし、ともしらざるおほし。ただ住院の稽古と思へり。あはれむべし、祖師道癈せることを。有道の尊宿、おほきになげくところなり。しかのごときのともがら所出の言句、きくべからず、あはれむべし。

 

 圜悟禪師いはく、生死去來、眞實人體。

 この道取を拈擧して、みづからをしり佛法を商量すべし。

 長沙いはく、盡十方界、眞實人體。盡十方界、自己光明裏。

 かくのごとくの道取、いまの大宋國の諸方長老等、およそ參學すべき道理となほしらず、いはんや參學せんや。もし擧しきたりしかば、ただ赤面無言するのみなり。

 

 先師古佛いはく、いま諸方長老は、照古なし、照今なし。佛法道理不曾有なり。盡十方界等恁麼擧、那得知。他那裏也未曾聽相似。

 これをききてのち、諸方長老に問著するに、眞箇聽來せるすくなし。あはれむべし、虛説にして職をけがせることを。

 

 應庵曇華禪師、ちなみに徳徽大徳にしめしていはく、若要易會、祗向十二時中起心動念處、但卽此動念、直下頓豁了不可得如大虛空、亦無虛空形段、表裏一如智境雙泯、玄解倶亡、三際平等。到此田地、謂之絶學無爲閑道人也(若し會し易からんことを要せば、十二時中の起心動念の處に祗向して、但だこの動念に卽して、直下頓に不可得なること大虛空の如く、亦虛空に形段無きことを豁了せば、表裏一如にして智境雙泯、玄解倶に亡じ、三際平等ならん。この田地に到る、之を絶學無爲の閑道人と謂ふ)。

 これは應庵老人盡力道得底句なり。これただ影をおうて休歇をしらざるがごとし。表裏一如ならんときは、佛法あるべからざるか。なにかこれ表裏。また虛空有形段を佛祖の道取とす。なにをか虛空とする。おもひやるに、應庵いまだ虛空をしらざるなり、虛空をみざるなり。虛空をとらざるなり、虛空をうたざるなり。

 起心動念といふ、心はいまだ動ぜざる道理あり。いかでか十二時中に起心あらん。十二時中には、心きたりいるべからず。十二心中に十二時きたらず、いはんや起心あらんや。動念とはいかん。念は動不動するか、動不動せざるか。作麼生なるか動、また作麼生なるか不動。なにをよんでか念とする。念は十二時中にあるか、念裏に十二時あるか、兩頭にあらざらんときあるべきか。

 十二時中に祗向せば易會ならんといふ、なにごとを易會すべきぞ。易會といふ、もし佛祖の道をいふか。しかあらば、佛道は易會難會にあらざるゆゑに、南嶽江西ひさしく師にしたがひて辨道するなり。

 頓豁了不可得といふ、佛祖道未夢見なり。恁麼の力量、いかでか要易會の所堪ならん。はかりしりぬ、佛祖の大道をいまだ參究しきたらずといふことを。佛法もしかくのごとくならば、いかでか今日にいたらん。

 應庵なほかくのごとし。いま現在せる諸山の長老のなかに、應庵のごとくなるものをもとめんに、歴劫にもあふべからず。まなこはうげなんとすとも、應庵とひとしき長老をばみるべからざるなり。ちかくの人はおほく應庵をゆるす。しかあれども、應庵に佛法およべりとゆるしがたし。ただ叢席の晩進なり、尋常なりといふべし。ゆゑはいかん。應庵は人しりぬべき氣力あるゆゑなり。いまあるともがらは人をしるべからず、みづからをしらざるゆゑに。應庵は未達なりといへども學道あり、いまの長老等は學道あらず。應庵はよきことばをきくといへども、みみにいらず、みみにみず。まなこにいらず、まなこにきかざるのみなり。應庵そのかみは恁麼なりとも、いまは自悟在なるらん。

 いまの大宋諸山の長老等は、應庵の内外をうかがはず、音容すべて境界にあらざるなり。しかのごとくのともがら、佛祖の道取せる實相は、佛祖の道なり、佛祖の道にあらずともしるべからず。このゆゑに、二三百年來の長老杜撰のともがら、すべて不見道來實相なり。

 

 先師天童古佛、ある夜間に方丈にして普説するにいはく、

 天童今夜有牛兒、

 黄面瞿曇拈實相。

 要買那堪無定價、

 一聲杜宇孤雲上。

 (天童今夜牛兒有り、黄面の瞿曇實相を拈ず。買はんと要するに那ぞ定價無かるべき、一聲の杜宇孤雲の上。)

 かくのごとくあれば、尊宿の佛道に長ぜるは實相をいふ。佛法をしらず、佛道の參學なきは實相をいはざるなり。

 この道取は、大宋寶慶二年丙戌春三月のころ、夜間やや四更になりなんとするに、上方に鼓聲三下きこゆ。坐具をとり、搭袈裟して、雲堂の前門よりいづれば、入室牌かかれり。まづ衆にしたがうて法堂上にいたる。法堂の西壁をへて、寂光堂の西階をのぼる。寂光堂の西壁のまへをすぎて、大光明藏の西階をのぼる。大光明藏は方丈なり。西屏風のみなみより、香臺のほとりにいたりて燒香禮拜す。入室このところに雁列すべしとおもふに、一僧もみえず。妙高臺は下簾せり、ほのかに堂頭大和尚の法音きこゆ。ときに西川の祖坤維那、きたりておなじく燒香禮拜しをはりて、妙高臺をひそかにのぞめば、滿衆たちかさなり、東邊西邊をいはず。ときに普説あり、ひそかに衆のうしろにいりたちて聽取す。

 大梅の法常禪師住山の因緣擧せらる。衣荷食松のところに、衆家おほくなみだをながす。靈山釋迦牟尼佛の安居の因緣、くはしく擧せらる。きくものなみだをながすおほし。

 天童山安居ちかきにあり、如今春間、不寒不熱、好坐禪時節也。兄弟如何不坐禪(如今春間、不寒不熱、好坐禪の時節なり。兄弟如何ぞ坐禪せざる)。

 かくのごとく普説して、いまの頌あり。頌をはりて、右手にて禪椅のみぎのほとりをうつこと一下していはく、入室すべし。

 入室話にいはく、杜鵑啼、山竹裂。

 かくのごとく入室語あり、別の話なし。衆家おほしといへども下語せず、ただ惶恐せるのみなり。

 この入室の儀は、諸方にいまだあらず。ただ先師天童古佛のみこの儀を儀せり。普説の時節は、椅子屏風を周匝して、大衆雲立せり。そのままにて、雲立しながら、便宜の僧家より入室すれば、入室をはりぬる人は、例のごとく方丈門をいでぬ。のこれる人は、ただもとのごとくたてれば、入室する人の威儀進止、ならびに堂頭和尚の容儀、および入室話、ともにみな見聞するなり。この儀いまだ他那裏の諸方にあらず。他長老は儀不得なるべし。他時の入室には、人よりはさきに入室せんとす。この入室には、人よりものちに入室せんとす。この人心道別、わすれざるべし。

 それよりこのかた、日本寛元元年癸卯にいたるに、始終一十八年、すみやかに風光のなかにすぎぬ。天童よりこのやまにいたるに、いくそばくの山水とおぼえざれども、美言奇句の實相なる、身心骨髓に銘じきたれり。かのときの普説入室は、衆家おほくわすれがたしとおもえり。この夜は、微月わづかに樓閣よりもりきたり、杜鵑しきりになくといへども、靜間の夜なりき。

 

 玄沙院宗一大師、參次聞燕根聲云(參次に燕子の聲を聞くに云く)、深談實相、善説法要。下座。

 尋後有僧請益曰(尋いで後に、僧有り請益して曰く)、某甲不會。

 師云、去、無人信汝(去れ、人の汝を信ずること無し)。

 いはゆる深談實相といふは、燕子ひとり實相を深談すると、玄沙の道ききぬべし。しかあれども、しかにはあらざるなり。參次に聞燕子聲あり。燕子の實相を深談するにあらず、玄沙の實相を深談するにあらず。兩頭にわたらざれども、正當恁麼、すなはち深談實相なり。

 しばらくこの一段の因緣を參究すべし。參次あり、聞燕子聲あり、深談實相、善説法要の道取あり、下座あり。尋後有僧請益曰、某甲不會あり。師云、去、無人信汝あり。

 某甲不會、かならずしも請益實相なるべからざれども、これ佛祖の命脈なり、正法眼藏の骨髓なり。

 しるべし、この僧たとひ請益して某甲會得と道取すとも、某甲説得と道取すとも、玄沙はかならず去、無人信汝と爲道すべきなり。會せるを不會と請益するゆゑに、去、無人信汝といふのにはあらざるなり。まことに、この僧にあらざらん張三李四なりとも、諸法實相なりとも、佛祖の命脈の正直に通ずる時處には、實相の參學、かくのごとく現成するなり。靑原の會下に、これすでに現成せり。

 しるべし、實相は嫡嫡相承の正脈なり。諸法は究盡參究の唯佛與佛なり、唯佛與佛は如是相好なり。

 

正法眼藏第四十三

 

 爾時寛元元年癸卯九月日在于日本越州吉峰寺示衆

 

正法眼藏第四十四 佛道

 曹谿古佛、あるとき衆にしめしていはく、慧能より七佛にいたるまで四十祖あり。

 この道を參究するに、七佛より慧能にいたるまで四十佛なり。佛佛祖祖を算數するには、かくのごとく算數するなり。かくのごとく算數すれば、七佛は七祖なり、三十三祖は三十三佛なり。曹谿の宗旨かくのごとし、これ正嫡の佛訓なり。正傳の嫡嗣のみ、その算數の法を正傳す。

 釋迦牟尼佛より曹谿にいたるまで三十四祖あり。この佛祖相承、ともに迦葉の如來にあひたてまつれりしがごとく、如來の迦葉をえましますがごとし。

 釋迦牟尼佛の迦葉佛に參學しましますがごとく、師資ともに于今有在なり。このゆゑに、正法眼藏まのあたり嫡嫡相承しきたれり。佛法の正命、ただこの正傳のみなり。佛法はかくのごとく正傳するがゆゑに、附囑の嫡嫡なり。

 しかあれば、佛道の功徳要機、もらさずそなはれり。西天より東地につたはれて、十萬八千里なり。在世より今日につたはれて二千餘載、この道理を參學せざるともがら、みだりにあやまりていはく、佛祖正傳の正法眼藏涅槃妙心、みだりにこれを禪宗と稱ず。祖師を禪祖と稱ず、學者を禪子と號す。あるいは禪和子と稱じ、あるいは禪家流の自稱あり。これみな僻見を根本とせる枝葉なり。西天東地、從古至今、いまだ禪宗の稱あらざるを、みだりに自稱するは、佛道をやぶる魔なり、佛祖のまねかざる怨家なり。

 

 石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。經行於嵩山之下、倚杖於少林。面壁燕坐而已、非習禪也。久之人莫測其故。因以達磨爲習禪。夫禪那諸行之一耳。何足以盡聖人。而當時之人、以之、爲史者、又從而傳於習禪之列、使與枯木死灰之徒爲伍。雖然聖人非止於禪那、而亦不違禪那。如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽(石門の林間録に云く、菩提達磨、初め梁より魏に之く。嵩山の下に經行し、少林に倚杖す。面壁燕坐するのみなり、習禪には非ず。久しくなりて人其の故を測ること莫し。因て達磨を以て習禪とす。夫れ禪那は、諸行の一つならくのみ。何ぞ以て聖人を盡すに足らん。而も當時の人、之を以てし、爲史の者、又從へて習禪の列に傳ね、枯木死灰の徒と伍ならしむ。然りと雖も、聖人は禪那のみに非ず、而も亦た禪那に違せず。易の陰陽より出でて、而も亦た陰陽に違せざるが如し)。

 第二十八祖と稱ずるは、迦葉大士を初祖として稱ずるなり。毘婆尸佛よりは第三十五祖なり。七佛および二十八代、かならずしも禪那をもて證道をつくすべからず。このゆゑに古先いはく、禪那は諸行のひとつならくのみ。なんぞもて聖人をつくすにたらん。

 この古先、いささか人をみきたれり、祖宗の堂奥にいれり、このゆゑにこの道あり。近日は大宋國の天下に難得なるべし、ありがたかるべし。たとひ禪那なりとも、禪宗と稱ずべからず、いはんや禪那いまだ佛法の摠要にあらず。

 しかあるを、佛佛正傳の大道を、ことさら禪宗と稱ずるともがら、佛道は未夢見在、未夢聞在なり、未夢傳在なり。禪宗を自號するともがらにも佛法あるらんと聽許することなかれ。禪宗の稱、たれか稱じきたる。諸佛祖師の禪宗と稱ずる、いまだあらず。しるべし、禪宗の稱は、魔波旬の稱ずるなり。魔波旬の稱を稱じきたらんは魔儻なるべし、佛祖の兒孫にあらず。

 

 世尊靈山百萬衆前、拈優曇花瞬目、衆皆默然。唯迦葉尊者、破顔微笑(世尊靈山百萬衆の前にして、拈優曇花瞬目したまふに、衆皆默然たり。唯迦葉尊者のみ破顔微笑せり)。

 世尊云、吾有正法眼藏涅槃妙心、竝以僧伽梨衣、附囑摩訶迦葉(世尊云はく、吾有正法眼藏涅槃妙心、竝びに僧伽梨衣を以て、摩訶迦葉に附囑す)。

 世尊の迦葉大士に附囑しまします、吾有正法眼藏涅槃妙心なり。このほかさらに吾有禪宗附囑摩訶迦葉にあらず。竝附僧伽梨衣といひて、竝附禪宗といはず。しかあればすなはち、世尊在世に禪宗の稱またくきこえず。

 

 初祖その時二祖にしめしていはく、諸佛無上妙道、曠劫精勤、難行苦行、難忍能忍。豈以小徳小智、輕心慢心、欲冀眞乘(諸佛無上の妙道は、曠劫に精勤して、難行苦行、難忍能忍なり。豈小徳小智、輕心慢心を以て、眞乘を冀はんとせん)。

 またいはく、諸佛法印、匪從人得(諸佛の法印は、人より得るに匪ず)。

 またいはく、如來以正法眼藏、附囑迦葉大士(如來、正法眼藏を以て、迦葉大士に附囑す)。

 いましめすところ、諸佛無上妙道および正法眼藏、ならびに諸佛法印なり。當時すべて禪宗と稱ずることなし、禪宗と稱ずべき因緣きこえず。いまこの正法眼藏は、揚眉瞬目して面授しきたる、身心骨髓をもてさづけきたる、身心骨髓に稟受しきたるなり。身先身後に傳授し稟受しきたり、心上心外に傳授し稟受するなり。

 世尊迦葉の會に禪宗の稱きこえず、初祖二祖の會に禪宗の稱きこえず。五祖六祖の會に禪宗の稱きこえず、靑原南嶽の會に禪宗の稱きこえず。いづれのときより、たれ人の稱じきたるとなし。學者のなかに、學者のかずにあらずして、ひそかに壞法盗法のともがら、稱じきたるならん。佛祖いまだ聽許せざるを、晩學みだりに稱ずるは、佛祖の家門を損するならん。又佛佛祖祖の法のほかに、さらに禪宗と稱ずる法のあるににたり。もし佛祖の道のほかにあらんは、外道の法なるべし。すでに佛祖の兒孫としては、佛祖の骨髓面目を參學すべし。佛祖の道に投ぜるなり。這裏を逃逝して、外道を參學すべからず。まれに人間の身心を保任せり、古來の辨道力なり。この恩力をうけて、あやまりて外道を資せん、佛祖を報恩するにあらず。

 

 大宋の近代、天下の庸流、この妄稱禪宗の名をききて、俗徒おほく禪宗と稱じ、達磨宗と稱じ、佛心宗と稱ずる、妄稱きほひ風聞して、佛道をみだらんとす。これは佛祖の大道いまだかつてしらず、正法眼藏ありとだにも見聞せず、信受せざるともがらの亂道なり。正法眼藏をしらんたれか、佛道をあやまり稱ずることあらん。このゆゑに、

 

 南嶽山石頭庵無際大師、上堂示大衆言、吾之法門、先佛傳受、不論禪定精進、唯達佛之知見(南嶽山石頭庵無際大師、上堂して大衆に示して言く、吾が法門は、先佛より傳受せり。禪定精進を論ぜず、唯佛の知見に達す)。

 しるべし、七佛諸佛より正傳ある佛祖、かくのごとく道取するなり。ただ吾之法門、先佛傳受と道現成す。吾之禪宗、先佛傳受と道現成なし。禪定精進の條條をわかず、佛之知見を唯達せしむ。精進禪定をきらはず、唯達せる佛之知見なり。これを吾有正法眼藏附囑とせり。吾之は吾有なり、法門は正法なり。吾之、吾有、吾髓は、汝得の附囑なり。

 無際大師は靑原高祖の一子なり、ひとり堂奥にいれり。曹谿古佛の剃髪の法子なり。しかあれば、曹谿古佛は祖なり、父なり。靑原高祖は、兄なり、師なり。佛道祖席の英雄は、ひとり石頭庵無際大師のみなり。佛道の正傳、ただ無際のみ唯達なり。道現成の果果條條、みな古佛の不古なり、古佛の長今なり。これを正法眼藏の眼睛とすべし、自餘に比準すべからず。しらざるもの、江西大寂に比するは非なり。

 しかあればしるべし、先佛傳受の佛道は、なほ禪定といはず、いはんや禪宗の稱論ならんや。あきらかにしるべし、禪宗と稱ずるは、あやまりのはなはだしきなり。つたなきともがら、有宗空宗のごとくならんと思量して、宗の稱なからんは、所學なきがごとくなげくなり。佛道かくのごとくなるべからず、かつて禪宗と稱ぜずと一定すべきなり。

 しかあるに、近代の庸流、おろかにして古風をしらず、先佛の傳受なきやから、あやまりていはく、佛法のなかに五宗の門風ありといふ。これ自然の衰微なり。これを拯濟する一箇半箇、いまだあらず。先師天童古佛、はじめてこれをあはれまんとす。人の運なり、法の達なり。

 

 先師古佛、上堂示衆云、如今箇箇祗管道、雲門法眼潙仰臨濟曹洞等、家風有別者、不是佛法也、不是祖師道也(先師古佛、上堂の示衆に云く、如今箇箇祗管に道ふ、雲門法眼潙仰臨濟曹洞等、家風別有りとは、是れ佛法にあらず、是れ祖師道にあらず)。

 この道現成は、千歳にあひがたし、先師ひとり道取す。十方にききがたし、圓席ひとり聞取す。しかあれば、一千の雲水のなかに、聞著する耳垜なし、見取する眼睛なし。いはんや心を擧してきくあらんや、いはんや身處に聞著するあらんや。たとひ自己の渾身心に聞著する、億萬劫にありとも、先師の通身心を擧拈して聞著し、證著し、信著し、脱落著するなかりき。あはれむべし、大宋一國の十方、ともに先師をもて諸方の長老等に齊肩なりとおもへり。かくのごとくおもふともがらを、具眼なりとやせん、未具眼なりとやせん。またあるいは、先師をもて臨濟徳山齊肩なりとおもへり。このともがらも、いまだ先師をみず、いまだ臨濟にあはずといふべし。先師古佛を禮拜せざりしさきは、五宗の玄旨を參究せんと擬す。先師古佛を禮拜せしよりのちは、あきらかに五宗の亂稱なるむねをしりぬ。

 しかあればすなはち、大宋國の佛法さかりなりしときは、五宗の稱なし。また五宗の稱を擧揚して、家風をきこゆる古人いまだあらず。佛法の澆薄よりこのかた、みだりに五宗の稱あるなり。これ人の參學おろかにして、辨道を親切にせざるによりてかくのごとし。雲箇水箇、眞箇の參究を求覓せんは、切忌すらくは五家の亂稱を記持することなかれ、五家の門風を記號することなかれ。いはんや三玄三要、四料簡、四照用、九帶等あらんや。いはんや三句、五位、十同眞智あらんや。

 釋迦老子の道、しかのごとくの小量ならず、しかのごとくを大量とせず、道現成せず、少林曹谿にきこえず。あはれむべし、いま末代の不聞法の禿子等、その身心眼睛くらくしていふところなり。佛祖の兒孫種子、かくのごとくの言語なかれ。佛祖の住持に、この狂言かつてきこゆることなし。後來の阿師等、かつて佛法の全道をきかず、祖道の全靠なく、本分にくらきともがら、わづかに一兩の少分に矜高して、かくのごとく宗稱を立するなり。立宗稱よりこのかたの小兒子等は、本をたづぬべき道を學せざるによりて、いたづらに末にしたがふなり。慕古の志氣なく、混俗の操行あり。俗なほ世俗にしたがふことをいやしとして、いましむるなり。

 文王問太公曰、君務擧賢。而不獲其功、世亂愈甚。以致危亡者何也(君務んで賢を擧ぐ。而も其の功を獲ず、世の亂れ愈甚し。以て危亡を致すは何ぞや)。

 太公曰、擧賢而不用、是以有擧賢之名也、無得賢之實也(賢を擧げて用ゐず、是を以て擧賢の名有つて、得賢の實無きなり)。

 文王曰、其失安在(其の失安くにか在る)。

 太公曰、其失在好用世俗之所譽、不得其眞實(其の失好んで世俗の譽むる所を用ゐるに在り、其の眞實を得ず)。

 文王曰、好用世俗之所譽者何也(好んで世俗の譽むる所を用ゐるは何ぞや)。

 太公曰、好聽世俗之所譽者、或以非賢爲賢、或以非智爲智、或以非忠爲忠、或以非信爲信。君以世俗所譽者爲賢智、以世俗之所毀者爲不肖。則多黨者進、少儻者退。是以群邪比周而蔽賢、忠臣死於無罪、邪臣虛譽以求爵位。是以世亂愈甚、故其國不免危亡(好んで世俗の譽むる所を聽かば、或いは賢に非ざるを以て賢と爲し、或いは智に非ざるを以て智と爲し、或いは忠に非ざるを以て忠と爲し、或いは信に非ざるを以て信と爲す。君世俗の譽むる所の者を以て賢智なりと爲、世俗の毀る所の者を以て不肖なりと爲。則ち黨多き者は進み、儻少なき者は退く。是を以て群邪比周して賢を蔽ひ、忠臣は罪無きに死し、邪臣は虛譽をもて爵位を求る。是を以て世亂れ愈甚し、故に其の國危亡を免れず)。

 俗なほその國その道の危亡することをなげく。佛法佛道の危亡せん、佛子かならずなげくべし。危亡のもとゐは、みだりに世俗にしたがふなり。世俗にほむるところをきく時は、眞賢をうることなし。眞賢をえんとおもはば、照後觀前の智略あるべし。世俗のほむるところ、いまだかならずしも賢にあらず、聖にあらず。世俗のそしるところ、いまだかならずしも賢にあらず、聖にあらず。しかありといへども、賢にしてそしりをまねくと、僞にしてほまれあると、三察するところ、混ずべからず。賢をもちゐざらんは國の損なり、不肖をもちゐんは國のうらみなり。

 いま五宗の稱を立するは、世俗の混亂なり。この世俗にしたがふものはおほしといへども、俗を俗としれる人すくなし。俗を化するを聖人とすべし、俗にしたがふは至愚なるべし。この俗にしたがはんともがら、いかでか佛正法をしらん、いかにしてか佛となり祖とならん。七佛嫡嫡相承しきたれり。いかでか西天にある依文解義のともがら五部を立するがごとくならん。

 しかあればしるべし、佛法の正命を正命とせる祖師は、五宗の家門あるとかつていはざるなり。佛道に五宗ありと學するは、七佛の正嗣にあらず。

 

 先師示衆云、近年祖師道癈、魔黨畜生多。頻頻擧五家門風、苦哉苦哉(先師示衆に云く、近年祖師道癈して、魔黨畜生多し。頻頻に五家の門風を擧す、苦哉苦哉)。

 しかあれば、はかりしりぬ、西天二十八代、東地二十二祖、いまだ五宗の家門を開演せざるなり。祖師とある祖師は、みなかくのごとし。五宗を立して各各の宗旨ありと稱ずるは、誑惑世間人のともがら、少聞薄解のたぐひなり。佛道におきて、各各の道を自立せば、佛道いかでか今日にいたらん。迦葉も自立すべし、阿難も自立すべし。もし自立する道理を正道とせば、佛法はやく西天に滅しなまし。各各自立せん宗旨、たれかこれ慕古せん。各各に自立せん宗旨、たれか正邪を決擇せん。正邪いまだ決擇せずは、たれかこれを佛法なりとし、佛法にあらずとせん。この道理あきらめずは、佛道と稱じがたし。五宗の稱は、各各祖師の現在に立せるにあらず。五宗の祖師と稱ずる祖師、すでに圓寂ののち、あるいは門下の庸流、まなこいまだあきらかならず、あしいまだあゆまざるもの、父にとはず、祖に違して、立稱じきたるなり。そのむねあきらかなり、たれ人もしりぬべし。

 

 大潙山大圓禪師は、百丈大智子なり。百丈と同時に潙山に住す。いまだ佛法を潙仰宗と稱ずべしといはず。百丈も、なんぢがときより潙山に住して潙仰宗と稱ずべしといはず。師と祖と稱ぜず、しるべし、妄稱といふことを。たとひ宗號をほしきままにすといふとも、あながちに仰山をもとむべからず。自稱すべくは自稱すべし。自稱すべからざるによりて、前來も自稱せず、いまも自稱なし。曹谿宗といはず、南嶽宗といはず、江西宗といはず、百丈宗といはず。潙山にいたりて曹谿にことなるべからず。曹谿よりもすぐるべからず、曹谿におよぶべからず。大潙の道取する一言半句、かならずしも仰山と一條拄杖兩人舁せず。宗の稱を立せんとき、潙山宗といふべし、大潙宗といふべし、潙仰宗と稱ずべき道理いまだあらず。潙仰宗と稱ずべくは、兩位の尊宿の在世に稱ずべし。在世に稱ずべからんを稱ぜざらんは、なにのさはりによりてか稱ぜざらん。すでに兩位の在世に稱ぜざるを、父祖の道を違して潙仰宗と稱ずるは、不孝の兒孫なり。これ大潙禪師の本懷にあらず、仰山老人の素意にあらず。正師の正傳なし、邪黨の邪稱なることあきらけし。これを盡十方界に風聞することなかれ。

 

 慧照大師は、講經の家門をなげすてて、黄檗の門人となれり。黄檗の棒を喫すること三番、あはせて六十拄杖なり。大愚のところに參じて省悟せり。ちなみに鎭州臨濟院に住せり。黄檗のこころを究盡せずといへども、相承の佛法を臨濟宗となづくべしといふ一句の道取なし、半句の道取なし。豎拳せず、拈拂せず。しかあるを、門人のなかの庸流、たちまちに父業をまぼらず、佛法をまぼらず、あやまりて臨濟宗の稱を立す。慧照大師の平生に結搆せん、なほ曩祖の道に違せば、その稱を立せんこと、豫議あるべし。いはんや、

 臨濟將示滅、囑三聖慧然禪師云、吾遷化後、不得滅却吾正法眼藏(臨濟將に滅を示さんとするに、三聖慧然禪師に囑して云く、吾れ遷化の後、吾が正法眼藏を滅却すること得ざれ)。

 慧然云、爭敢滅却和尚正法眼藏(爭か敢へて和尚の正法眼藏を滅却せん)。

 臨濟云、忽有人問汝、作麼生對(忽ちに人有つて汝に問はんに、作麼生か對せん)。

 慧然便喝。

 臨濟云、誰知吾正法眼藏、向這瞎驢邊滅却(誰か知らん吾が正法眼藏、這瞎驢邊に向つて滅却せんことを)。

 かくのごとく師資道取するところなり。臨濟いまだ吾禪宗を滅却することえざれといはず、吾臨濟宗を滅却することえざれといはず、吾宗を滅却することえざれといはず、ただ吾正法眼藏を滅却することえざれといふ。あきらかにしるべし、佛祖正傳の大道を禪宗と稱ずべからずといふこと、臨濟宗と稱ずべからずといふことを。さらに禪宗と稱ずること、ゆめゆめあるべからず。たとひ滅却は正法眼藏の理象なりとも、かくのごとく附囑するなり。向這瞎驢邊の滅却、まことに附囑の誰知なり。臨濟門下には、ただ三聖のみなり。法兄法弟におよぼし、一列せしむべからず。まさに明窓下安排なり。臨濟三聖の因緣は佛祖なり。今日臨濟の附囑は、昔日靈山の附囑なり。しかあれば、臨濟宗と稱ずべからざる道理あきらけし。

 

 雲門山匡眞大師、そのかみは陳尊宿に學す、黄檗の兒孫なりぬべし、のちに雪峰に嗣す。この師、また正法眼藏を雲門宗と稱ずべしといはず。門人また潙仰臨濟の妄稱を妄稱としらず、雲門宗の稱を新立せり。匡眞大師の宗旨、もし立宗の稱をこころざさば、佛法の身心なりとゆるしがたからん。いま宗の稱を稱ずるときは、たとへば帝者を匹夫と稱ぜんがごとし。

 

 淸涼院大法眼禪師は、地藏院の嫡嗣なり。玄沙院の法孫なり。宗旨あり、あやまりなし。大法眼は署する師號なり。これを正法眼藏の號として法眼宗の稱を立すべしといへることを、千言のなかに一言なし、萬句のうちに一句なし。しかあるを、門人また法眼宗の稱を立す。法眼もしいまを化せば、いまの妄稱、法眼宗の道をけづるべし。法眼禪師すでにゆきて、この患をすくふ人なし。たとひ千萬年ののちなりとも、法眼禪師に孝せん人は、この法眼宗の稱を稱とすることなかれ。これ本孝大法眼禪師なり。おほよそ雲門法眼等は、靑原高祖の遠孫なり、道骨つたはれ、法髓つたはれり。

 

 高祖悟本大師は雲巖に嗣法す、雲巖は藥山大師の正嫡なり、藥山は石頭大師の正嫡なり、石頭大師は靑原高祖の一子なり。齊肩の二三あらず、道業ひとり正傳せり。佛道の正命なほ東地にのこれるは、石頭大師もらさず正傳せりしちからなり。

 靑原高祖は、曹谿古佛の同時に、曹谿の化儀を靑原に化儀せり。在世に出世せしめて、出世を一世に見聞するは、正嫡のうへの正嫡なるべし、高祖のなかの高祖なるべし。雄參學、雌出世にあらず。そのときの齊肩、いま拔群なり。學者ことにしるべきところなり。

 曹谿古佛、ちなみに現般涅槃をもて人天を化せし席末に、石頭すすみて所依の師を請ず。古佛ちなみに尋思去としめして尋讓去といはず。しかあればすなはち、古佛の正法眼藏、ひとり靑原高祖の正傳なり。たとひ同得道の神足をゆるすとも、高祖はなほ正神足の獨歩なり。曹谿古佛、すでに靑原を、わが子を子ならしむ。子の父の、父の父とある、得髓あきらかなり。祖宗の正嗣なることあきらかなり。

 洞山大師、まさに靑原四世の嫡嗣として、正法眼藏を正傳し、涅槃妙心開眼す。このほかさらに別傳なし、別宗なし。大師かつて曹洞宗と稱ずべしと示衆する拳頭なし、瞬目なし。また門人のなかに庸流まじはらざれば、洞山宗と稱ずる門人なし、いはんや曹洞宗といはんや。

 曹洞宗の稱は、曹山を稱じくはふるならん、もししかあらば、雲居同安をもくはへのすべきなり。雲居は人中天上の導師なり、曹山よりも尊崇なり。はかりしりぬ、この曹洞の稱は、傍輩の臭皮袋、おのれに齊肩ならんとて、曹洞宗の稱を稱ずるなり。まことに、白日あきらかなれども、浮雲しもをおほふがごとし。

 

 先師いはく、いま諸方獅子の座にのぼるものおほし、人天の師とあるものおほしといへども、知得佛法道理箇渾無。

 このゆゑに、きほうて五宗の宗を立し、あやまりて言句の句にとどこほれるは、眞箇に佛祖の怨家なり。あるいは黄龍の南禪師の一派を稱じて黄龍宗と稱じきたれりといへども、その派とほからずあやまりをしるべし。おほよそ世尊現在、かつて佛宗と稱じましまさず、靈山宗と稱ぜず、祇園宗といはず、我心宗といはず、佛心宗といはず。いづれの佛語にか佛宗と稱ずる。いまの人、なにをもてか佛心宗と稱ずる。世尊なにのゆゑにか、あながちに心を宗と稱ぜん。宗なにによりてかかならずしも心ならん。もし佛心宗あらば佛身宗あるべし、佛眼宗あるべし。佛耳宗あるべし、佛鼻舌等宗あるべし。佛髓宗、佛骨宗、佛脚宗、佛國宗等あるべし。いまこれなし、しるべし、佛心宗の稱は僞稱なりといふこと。

 釋迦牟尼佛ひろく十方佛土中の諸法實相を擧拈し、十方佛土中をとくとき、十方佛土のなかに、いづれの宗を建立せりととかず。宗の稱もし佛祖の法ならば、佛國にあるべし、佛國にあらば佛説すべし。佛不説なり、しりぬ、佛國の調度にあらず。祖道せず、しりぬ、祖域の家具にあらずといふことを。ただ人にわらはるるのみにあらざらん、諸佛のために制禁せられん、また自己のためにわらはれん。つつしんで宗稱することなかれ、佛法に五家ありといふことなかれ。

 

 後來智聰といふ小兒子ありて、祖師の一道兩道をひろひあつめて、五家の宗派といひ、人天眼目となづく。人これをわきまへず、初心晩學のやから、まこととおもひて、衣領にかくしもてるもあり。人天眼目にあらず、人天の眼目をくらますなり。いかでか瞎却正法眼藏の功徳あらん。

 かの人天眼目は、智聰上座、淳煕戊申十二月のころ、天台山萬年寺にして編集せり。後來の所作なりとも、道是あらば聽許すべし。これは狂亂なり、愚暗なり。參學眼なし、行脚眼なし、いはんや見佛祖眼あらんや。もちゐるべからず。智聰といふべからず、愚蒙といふべし。その人をしらず、人にあはざるが言句をあつめて、その人とある人の言句をひろはず。しりぬ、人をしらずといふことを。

 震旦國の教學のともがら宗稱するは、齊肩の彼彼あるによりてなり。いま佛祖正法眼藏の附囑嫡嫡せり、齊肩あるべからず、混ずべき彼彼なし。かくのごとくなるに、いまの杜撰の長老等、みだりに宗の稱をもはらする自專のくはだて、佛道をおそれず。佛道はなんぢが佛道にあらず、諸佛祖の佛道なり、佛道の佛道なり。

 

 太公謂文王曰、天下者、非一人之天下、天下之天下也(太公、文王に謂て曰く、天下は一人の天下に非ず、天下の天下なり)。

 しかあれば、俗士なほこれ智あり、この道あり。佛祖屋裏兒、みだりに佛祖の大道を、ほしきままに愚蒙にしたがへて、立宗の自稱することなかれ。おほきなるをかしなり、佛道人にあらず。宗稱すべくは、世尊みづから稱じましますべし。世尊すでに自稱しましまさず、兒孫として、なにゆゑにか滅後に稱ずることあらん。たれ人か世尊よりも善巧ならん。善巧あらずは、その益なからん。もしまた佛祖古來の道に違背して、自宗を自立せば、たれかなんぢが宗を宗とする佛兒孫あらん。照古觀今の參學すべし、みだりなることなかれ。世尊在世に一毫もたがはざらんとする、なほ百千萬分の一分におよばざることをうれへ、およべるをよろこび、違せざらんとねがふを、遺弟の畜念とせるのみなり。これをもて多生の値遇奉覲をちぎるべし、これをもて多生の見佛聞法をねがふべし。ことさら世尊在世の化儀にそむきて宗の稱を立せん、如來の弟子にあらず、祖師の兒孫にあらず。重逆よりもおもし。たちまちに如來の無上菩提をおもくせず、自宗を自專する、前來を輕忽し、前來をそむくなり。前來もしらずといふべし。世尊在日の功徳を信ぜざるなり。かれらが屋裏に佛法あるべからず。

 しかあればすなはち、學佛の道業を正傳せんには、宗の稱を見聞すべからず。佛佛祖祖、附囑し正傳するは、正法眼藏無上菩提なり。佛祖所有の法は、みな佛附囑しきたれり、さらに剩法のあらたなるあらず。この道理、すなはち法骨道髓なり。

 

正法眼藏四十四

 

 爾時寛元元年癸卯九月十六日本國在越州吉田縣吉峰寺示衆

 

 

正法眼藏第四十五 密語

 諸佛之所護念の大道を見成公案するに、汝亦如是、吾亦如是、善自護持、いまに證契せり。

 雲居山弘覺大師、因官人送供問曰、世尊有密語有、迦葉不覆藏。如何是世尊密語(雲居山弘覺大師、因みに官人、供を送りて問うて曰く、世尊に密語有り、迦葉覆藏せずと。如何ならんか是れ世尊の密語)。

 大師召云、尚書。

 其人應諾(其の人應諾す)。

 大師云、會麼(會すや)。

 尚書曰、不會。

 大師云、汝若不會世尊密語、汝若會迦葉不覆藏(汝若し不會なるは世尊の密語なり、汝若し會ならんは迦葉不覆藏なり)。

 大師者、靑原五世の嫡孫と現成して、天人師なり、盡十方界の大善知識なり。有情を化し、無情を化す。四十六佛の佛嫡として、佛祖のために説法す。三峰庵主の住裏には、天廚送供す。傳法得道のときより、送供の境界を超越せり。

 いまの道取する世尊有密語、迦葉不覆藏は、四十六佛の相承といへども、四十六代の本來面目として、匪從人得なり、不從外來なり。不是本得なり、未嘗新條なり。この一段事の密語の現成なる、ただ釋迦牟尼世尊のみ密語あるにあらず、諸佛祖みな密語あり。すでに世尊なるは、かならず密語あり。密語あれば、さだめて迦葉不覆藏あり。百千の世尊あれば百千の迦葉ある道理を、わすれず參學すべきなり。參學すといふは、一時會取せんとおもはず、百廻千廻も審細功夫して、かたきものをきらんと經營するがごとくすべし。かたる人あらば、たちどころに會取すべしとおもふべからず。いま雲居山すでに世尊ならんに密語そなはり、不覆藏の迦葉あり。喚尚書、書應諾は、すなはち密語なりと參學することなかれ。

 大師ちなみに尚書にしめすにいはく、汝若不會、世尊密語、汝若會、迦葉不覆藏。いまの道取、かならず多劫の辨道功夫を立志すべし。

 なんぢもし不會なるは世尊の密語なりといふ、いまの茫然とあるを不會といふにあらず、不知を不會といふにあらず。なんじもし不會といふ道理、しづかに參學すべき處分を聽許するなり。功夫辨道すべし。さらにまた、なんぢもし會ならんはと道取する、いますでに會なるとにはあらず。

 佛法を參學するに多途あり。そのなかに、佛法を會し、佛法を不會する關棙子あり。正師をみざれば、ありとだにもしらず、いたづらに絶見聞の眼處耳處におほせて、密語ありと亂會せり。なんぢもし會なるゆゑに迦葉不覆藏なるといふにあらず、不會の不覆藏もあるなり。不覆藏はたれ人も見聞すべしと學すべからず。すでにこれ不覆藏なり、無處不覆藏ならん正恁麼時、こころみに參究すべし。

 しかあれば、みづからしらざらん境界を密語と參學しきたるにあらず、佛法を不會する正當恁麼時、これ一分の密語なり。これかならず世尊有なり、有世尊なり。

 しかあるを、正師の訓教をきかざるともがら、たとひ獅子座上にあれども、夢也未見者箇道理なり。かれらみだりにいはく、世尊有密語とは、靈山百萬衆前に拈花瞬目せしなり。そのゆゑに、有言の佛説は淺薄なり、名相にわたれるがごとし。無言説にして拈花瞬目する、これ密語施設の時節なり。百萬衆は不得領覽なり。このゆゑは、百萬衆のために密語なり。迦葉不覆藏といふは、世尊の拈花瞬目を、迦葉さきよりしれるがごとく破顔微笑するゆゑに、迦葉におほせて不覆藏といふなり。これ眞訣なり。箇箇相傳しきたれるなり。これをききてまことにおもふともがら、稻麻竹葦のごとく、九州に叢林をなせり。あはれむべし、佛祖の道の破癈せること、もととしてこれよりおこる。明眼漢、まさに一一に勘破すべし。

 もし世尊の有言を淺薄なりとせば、拈花瞬目も淺薄なるべし。世尊の有言もし名相なりとせば、學佛法の漢にあらず。有言は名相なることをしれりといへども、世尊に名相なきことをいまだしらず。凡情の未脱なるなり。佛祖は身心の所通みな脱落なり。説法なり、有言説なり、轉法輪す。これを見聞して得益するものおほし。信行法行のともがら、有佛祖處に化をかうぶり、無佛祖處に化にあづかるなり。百萬衆かならずしも拈花瞬目を拈花瞬目と見聞せざらんや。迦葉と齊肩なるべし、世尊と同生なるべし。百萬衆と百萬衆と同參なるべし、同時發心なるべし。同道なり、同國土なり。有知の智をもて見佛聞法し、無知の智をもて見佛聞法す。はじめて一佛をみるより、すすみて恆沙佛をみる。一一の佛會上、ともに百萬衆なるべし。各各の諸佛、ともに拈花瞬目の開演おなじときなるを見聞すべし。眼處くらからず、耳處聽利なり。心眼あり、身眼あり。心耳あり、身耳あり。

 迦葉の破顔微笑、儞作麼生會、試道看。

 なんだちがいふがごとくならば、これも密語といひぬべし。しかあれども、これを不覆藏といふ、至愚のかさなれるなり。

 

 のちに世尊いはく、吾有正法眼藏涅槃妙心、附囑摩訶迦葉。

 かくのごとくの道取、これ有言なりや、無言なりや。世尊もし有言をきらひ、拈花を愛せば、のちにも拈花すべし。迦葉なんぞ會取せざらん、衆會なんぞ聽取せざらん。かくのごときともがらの説話、もちゐるべからず。

 おほよそ世尊に密語あり、密行あり、密證あり。しかあるを、愚人おもはく、密は他人のしらず、みづからはしり、しれる人あり、しらざる人ありと、西天東地、古往今來、おもひいふは、いまだ佛道の參學あらざるなり。もしかくのごとくいはば、世間出世間の學業なきもののうへには密はおほく、遍學のものは密はすくなかりぬべし。廣聞のともがらは密あるべからざるか。いはんや天眼天耳、法眼法耳、佛眼佛耳等を具せんときは、すべて密語密意あるべからずといふべし。佛法の密語、密意、密行等は、この道理にあらず。人にあふ時節、まさに密語をきき、密語をとく。おのれをしるとき、密行をしるなり。いはんや佛祖よく上來の密意密語を究辨す。しるべし、佛祖なる時節、まさに密語密行きほひ現成するなり。

 いはゆる密は、親密の道理なり。無間斷なり、蓋佛祖なり。蓋汝なり、蓋自なり。蓋行なり、蓋代なり。蓋功なり、蓋密なり。密語の密人に相逢する、佛眼也覰不見なり。密行は自他の所知にあらず。密我ひとり能知す。密他おのおの不會す。密却在汝邊のゆゑに、全靠密なり、一半靠密なり。

 かくのごとくの道理、あきらかに功夫參學すべし。おほよそ爲人の處所、辨肯の時節、かならず擧似密なる、それ佛佛祖祖の正嫡なり。而今是甚麼時節のゆゑに、自己にも密なり、他己にも密なり。佛祖にも密なり、異類にも密なり。このゆゑに、密頭上あらたに密なり。かくのごとくの教行證、すなはち佛祖なるがゆゑに、透過佛祖密なり。しかあれば透過密なり。

 雪竇師翁示衆曰、

 世尊有密語、

 迦葉不覆藏。

 一夜落花雨、

 滿城流水香。

 (世尊密語有り、迦葉不覆藏。一夜落花の雨、滿城流水香ばし。)

 而今雪竇道の一夜落花雨、滿城流水香それ親密なり。これを擧似して、佛祖の眼睛鼻孔を撿點すべし。臨濟徳山のおよぶべきところにあらず。眼睛裏の鼻孔を參開すべし、耳處の鼻頭を尖聰ならしむるなり。いはんや耳鼻眼睛裏ふるきにあらず、あらたなるにあらざる渾身心ならしむ。これは花雨世界起の道理とす。

 師翁道の滿城流水香、それ藏身影彌露なり。かくのごとくあるがゆゑに、佛祖家裏の家常には、世尊有密語、迦葉不覆藏を參究透過するなり。七佛世尊、ほとけごとに、而今のごとく參學す。迦葉、釋迦、おなじく而今のごとく究辨しきたれり。

 

正法眼藏第四十五

 

 爾時寛元元年癸卯九月二十日在越州吉田縣吉峰古精舍示衆

 

 

正法眼藏第四十六 無情説法

 説法於説法するは、佛祖附囑於佛祖の見成公案なり。この説法は法説なり。有情にあらず、無情にあらず。有爲にあらず、無爲にあらず。有爲無爲の因緣にあらず、從緣起の法にあらず。しかあれども、鳥道に不行なり、佛衆に爲與す。大道十成するとき、説法十成す。法藏附囑するとき、説法附囑す。拈華のとき、拈説法あり。傳衣のとき、傳説法あり。このゆゑに、諸佛諸祖、おなじく威音王以前より説法に奉覲しきたり、諸佛以前より説法に本行しきたれるなり。説法は佛祖の理しきたるとのみ參學することなかれ。佛祖は説法に理せられきたるなり。この説法、わづかに八萬四千門の法蘊を開演するのみにあらず、無量無邊門の説法蘊あり。先佛の説法を後佛は説法すと參學することなかれ。先佛きたりて後佛なるにあらざるがごとく、説法も先説法を後説法とするにはあらず。このゆゑに、

 釋迦牟尼佛道、如三世諸佛、説法之儀式、我今亦如是、説無分別法(三世諸佛説法の儀式の如く、我れも今亦た是の如く無分別法を説く)。

 しかあればすなはち、諸佛の説法を使用するがごとく、諸佛は説法を使用するなり。諸佛の説法を正傳するがごとく、諸佛は説法を正傳するによりて、古佛より七佛に正傳し、七佛よりいまに正傳して無情説法あり。この無情説法に諸佛あり、諸祖あるなり。我今説法は、正傳にあらざる新條と學することなかれ。古來正傳は舊窠の鬼窟と證することなかれ。

 

 大唐國西京光宅寺大證國師、因僧問、無情還解説法否(無情また説法を解すや否や)。

 國師曰、常説熾然、説無間歇(常説熾然、説くに間歇無し)。

 僧曰、某甲爲甚麼不聞(某甲甚麼と爲てか聞かざる)。

 國師曰、汝自不聞、不可妨他聞者也(汝自ら聞かざるも、他の聞くを妨ぐべからざる者なり)。

 僧曰、未審、什麼人得聞(未審、什麼人か聞くことを得る)。

 國師曰、諸聖得聞(諸聖聞くことを得)。

 僧曰、和尚還聞否(和尚また聞くや否や)。

 國師曰、我不聞(我れ聞かず)。

 僧曰、和尚既不聞、爭知無情解説法(和尚既に聞かず、爭んぞ無情説法を解するを知らんや)。

 國師曰、賴我不聞。我若聞則齊於諸聖、汝卽不聞我説法(賴ひに我聞かず。我若し聞かば則ち諸聖に齊し、汝卽ち我が説法を聞かざらん)。

 僧曰、恁麼則衆生無分也(恁麼ならば則ち衆生無分なり)。

 國師曰、我爲衆生説、不爲諸聖説(我れは衆生の爲に説く、諸聖の爲に説かず)。

 僧曰、衆生聞後如何(衆生聞きて後如何)。

 國師曰、卽非衆生(卽ち衆生に非ず)。

 無情説法を參學せん初心晩學、この國師の因緣を直須勤學すべし。

 常説熾然、説無間歇とあり。常は諸時の一分時なり。説無間歇は、説すでに現出するがごときは、さだめて無間歇なり。無情説法の儀、かならずしも有情のごとくにあらんずると參學すべからず。有情の音聲および有情説法の儀のごとくなるべきがゆゑに、有情界の音聲をうばうて、無情界の音聲に擬するは佛道にあらず。無情説法かならずしも聲塵なるべからず。たとへば、有情の説法それ聲塵にあらざるがごとくなり。しばらく、いかなるか有情、いかなるか無情と、問自問他、功夫參學すべし。

 しかあれば、無情説法の儀、いかにかあるらんと審細に留心參學すべきなり。愚人おもはくは、樹林の鳴條する、葉花の開落するを無情説法と認ずるは、學佛法の漢にあらず。もししかあらば、たれか無情説法をしらざらん、たれか無情説法をきかざらん。しばらく廻光すべし。無情界には草木樹林ありやなしや、無情界は有情界にまじはれりやいなや。しかあるを、草木瓦礫を認じて無情とするは不遍學なり。無情を認じて草木瓦礫とするは不參飽なり。たとひいま人間の所見の草木等を認じて無情に擬せんとすとも、草木等も凡慮のはかるところにあらず。ゆゑいかんとなれば、天上人間の樹林、はるかに殊異あり、中國邊地の所生ひとしきにあらず。海裏山間の草木、みな不同なり。いはんや空におふる樹木あり、雲におふる樹木あり。風火等のなかに、所生長の百草萬樹、おほよそ有情と學しつべきあり、無情と認ぜられざるあり。草木の人畜のごとくなるあり。有情無情いまだあきらめざるなり。いはんや仙家の樹石花果湯水等、みるに疑著およばずとも、説著せんにかたからざらんや。ただわづかに神州一國の草木をみ、日本一州の草木を慣習して、萬方盡界もかくのごとくあるべしと擬議商量することなかれ。

 國師道、諸聖得聞。

 いはく、無情説法の會下には、諸聖立地聽するなり。諸聖と無情と、聞を現成し、説を現成せしむ。無情すでに諸聖のために説法す。聖なりや、凡なりや。あるいは無情説法の儀をあきらめをはりなば、諸聖の所聞かくのごとくありと體達すべし。すでに體達することをえては、聖者の境界をはかりしるべし。さらに超凡越聖の通宵路の行履を參學すべし。

 國師いはく、我不聞。

 この道も容易會なりと擬することなかれ。超凡越聖にして不聞なりや。擘破凡聖窠窟のゆゑに不聞なりや。恁麼功夫して、道取を現成せしむべし。

 國師いはく、賴我不聞。我若聞則、齊於諸聖。

 この擧似、これ一道兩道にあらず。賴我は凡聖にあらず、賴我は佛祖なるべきか。佛祖は超凡越聖するゆゑに、諸聖の所聞には一齊ならざるべし。

 國師道の汝卽不聞我説法の理道を修理して、諸佛諸聖の菩提を料理すべきなり。その宗旨は、いはゆる無情説法、諸聖得聞。國師説法、這僧得聞なり。この道理を、參學功夫の日深月久とすべし。

 しばらく國師に問著すべし、衆生聞後はとはず、衆生正當聞説法時、如何。

 

 高祖洞山悟本大師、參曩祖雲巖大和尚問曰、無情説法什麼人得聞(曩祖雲巖大和尚に參じて問うて曰く、無情説法は什麼人か聞くことを得る)。

 雲巖曩祖曰、無情説法、無情得聞(無情説法は無情聞くことを得)。

 高祖曰、和尚聞否(和尚聞くや否や)。

 曩祖曰、我若聞、汝卽不得聞吾説法也(我れ若し聞かば、汝卽ち吾が説法を聞くことを得ざらん)。

 高祖曰、若恁麼、卽某甲不聞和尚説法(若し恁麼ならば、卽ち某甲和尚の説法を不聞ならん)。

 曩祖曰、我説汝尚不聞、何況無情説法也(我れ説くもら汝なほ聞かず、何に況んや無情の説法をや)。

 高祖乃述偈呈曩祖曰(高祖乃ち偈を述して曩祖に呈するに曰く)、

 也太奇、也太奇、

 無情説法不思議。

 若將耳聽終難會、

 眼處聞聲方得知。

 (也太奇、也太奇、無情説法不思議なり。若將耳聽は終難會なり、眼處に聞聲して方に知ることを得ん。)

 いま高祖道の無情説法什麼人得聞の道理、よく一生多生の功夫を審細にすべし。いはゆるこの問著、さらに道著の功徳を具すべし。この道著の皮肉骨髓あり、以心傳心のみにあらず。以心傳心は初心晩學の辨肯なり。衣を擧して正傳し、法を拈じて正傳する關棙子あり。いまの人、いかでか三秋四月の功夫に究竟することあらん。高祖かつて大證道の無情説法諸聖得聞の宗旨を見聞せりといへども、いまさらに無情説法什麼人得聞の問著あり。これ肯大證道なりとやせん、不肯大證道なりとやせん。問著なりとやせん、道著なりとやせん。もし摠不肯大證爭得恁麼道、もし摠肯大證、爭解恁麼道なり。

 曩祖雲巖云、無情説法、無情得聞。

 この血脈を正傳して、身心脱落の參學あるべし。いはゆる無情説法、無情得聞は、諸佛説法、諸佛得聞の性相なるべし。無情説法を聽取せん衆會、たとひ有情無情なりとも、たとひ凡夫賢聖なりとも、これ無情なるべし。この性相によりて、古今の眞僞を批判すべきなり。たとひ西天より將來すとも、正傳まことの祖師にあらざらんは、もちゐるべからず。たとひ千萬年より習學すること聯綿なりとも、嫡嫡相承にあらずは嗣續しがたし。いま正傳すでに東土に通達せり、眞僞の通塞わきまへやすからん。たとひ衆生説法、衆生得聞の道取を聽取しても、諸佛諸祖の骨髓を稟受しつべし。雲巖曩祖の道を聞取し、大證國師の道を聽取して、まさに與奪せば、諸聖得聞の道取する諸聖は無情なるべし。無情得聞と道取する無情は諸聖なるべし。無情所説無情なり、無情説法卽無情なるがゆゑに。しかあればすなはち、無情説法なり、説法無情なり。

 高祖道の若恁麼、則某甲不聞和尚説法也。

 いまきくところの若恁麼は、無情説法、無情得聞の宗旨を擧拈するなり。無情説法、無情得聞の道理によりて、某甲不聞、和尚説法也なり。高祖このとき、無情説法の席末を接するのみにあらず、爲無情説法の志氣あらはれて衝天するなり。ただ無情説法を體達するのみにあらず、情説法の聞不聞を體究せり。すすみて有情説法の説不説、已説今説當説にも體達せしなり。さらに聞不聞の説法の、これは有情なり、これは無情なる道理あきらめをはりぬ。

 おほよそ聞法は、ただ耳根耳識の境界のみにあらず、父母未生已前、威音以前、乃至盡未來際、無盡未來際にいたるまでの擧力擧心、擧體擧道をもて聞法するなり。身先心後の聞法あるなり。これらの聞法、ともに得益あり。心識に緣ぜざれば聞法の益あらずといふことなかれ。心滅身沒のもの、聞法得益すべし。無心無身のもの、聞法得益すべし。諸佛諸祖、かならずかくのごとくの時節を經歴して、作佛し、成祖するなり。法力の身心に接する、凡慮いかにしてか覺知しつくさん。身心の際限、みづからあきらめつくすことをえざるなり。聞法功徳の、身心の田地に下種する、くつる時節あらず。つひに生長ときとともにして、果成必然なるものなり。

 愚人おもはくは、たとひ聞法おこたらずとも、解路に進歩なく、記持に不敢ならんは、その益あるべからず。人天の身心を擧して、博記多聞ならん、これ至要なるべし。卽座に忘記し、退席に茫然とあらん、なにの益かあらんとおもひ、なにの學功かあらんといふは、正師にあはず、その人をみざるゆゑなり。正傳の面授あらざるを、正師にあらずとはいふ。佛佛正傳しきたれるは正師なり。愚人のいふ心識に記持せられて、しばらくわすれざるは、聞法の功、いささか心識にも蓋心蓋識する時節なり。

 この正當恁麼時は、蓋身蓋身先、蓋心蓋心先、蓋心後、蓋因緣報業相性體力、蓋佛蓋祖、蓋自他、蓋皮肉骨髓等の功徳あり。蓋言説、蓋坐臥等の功徳現成して、彌綸彌天なるなり。

 まことにかくのごとくある聞法の功徳、たやすくしるべきにあらざれども、佛祖の大會に會して、皮肉骨髓を參究せん、説法の功力ひかざる時節あらず、聞法の法力かうぶらしめざるところあるべからず。かくのごとくして時節劫波を頓漸ならしめて、結果の現成をみるなり。かの多聞博記も、あながちになげすつべきにあらざれども、その一隅をのみ要機とするにはあらざるなり。參學これをしるべし、高祖これを體達せしなり。

 曩祖道、我説法汝尚不聞、何況無情説法也。

 これは高祖たちまちに證上になほ證契を證しもてゆく現成を、曩祖ちなみに開襟して、父祖の骨髓を印證するなり。

 なんぢなほ我説に不聞なり、これ凡流の然にあらず。無情説法たとひ萬端なりとも、爲慮あるべからずと證明するなり。このときの嗣續、まことに秘要なり。凡聖の境界、たやすくおよびうかがふべきにあらず。

 高祖ときに偈を理して雲巖曩祖に呈するにいはく、無情説法不思議は、也太奇、也太奇なり。

 しかあれば、無情および無情説法、ともに思議すべきことかたし。いはくの無情、なにものなりとかせん。凡聖にあらず、情無情にあらずと參學すべし。凡聖、情無情は、説不説、ともに思議の境界およびぬべし。いま不思議にして太奇なり、また太奇ならん凡夫賢聖の智慧心識、およぶべからず。天衆人間の籌量にかかはるにあらざるべし。

 若將耳聽終難會は、たとひ天耳なりとも、たとひ彌界彌時の法耳なりとも、將耳聽を擬するには、終難會なり。壁上耳、棒頭耳ありとも、無情説法を會すべからず。聲塵にあらざるがゆゑに。若將耳聽はなきにあらず、百千劫の功夫をつひやすとも、終難會なり。すでに聲色のほかの一道の威儀なり、凡聖のほとりの窠窟にあらず。

 眼處聞聲方得知。

 この道取を、箇箇おもはくは、いま人眼の所見する草木花鳥の往來を、眼處の聞聲といふならんとおもふ。この見處は、さらにあやまりぬ。またく佛法にあらず。佛法はかくのごとくいふ道理なし。

 高祖道の眼處聞聲の參學するには、聞無情説法聲のところ、これ眼處なり。現無情説法聲のところ、これ眼處なり。眼處さらにひろく參究すべし。眼處の聞聲は耳處の聞聲にひとしかるべきがゆゑに、眼處の聞聲は耳處の聞聲にひとしからざるなり。眼處に耳根ありと參學すべからず。眼卽耳と參學すべからず。眼裏聲現と參學すべからず。

 古云、盡十方界是沙門一隻眼。

 この眼處に聞聲せば、高祖道の眼處聞聲ならんと擬議商量すべからず。たとひ古人道の盡十方界一隻眼の道を學すとも、盡十方はこれ壹隻眼なり。さらに千手頭眼あり、千正法眼あり。千耳眼あり、千舌頭眼あり。千心頭眼あり。千通心眼あり、千通身眼あり。千棒頭眼あり、千身先眼あり、千心先眼あり。千死中死眼あり、千活中活眼あり。千自眼あり、千他眼あり。千眼頭眼あり、千參學眼あり。千豎眼あり、千横眼あり。

 しかあれば、盡眼を盡界と學すとも、なほ眼處に體究あらず。ただ聞無情説法を眼處に參究せんことを急務すべし。いま高祖道の宗旨は、耳處は無情説法に難會なり。眼處は聞聲す。さらに通身處の聞聲あり、遍身處の聞聲あり。たとひ眼處聞聲を體究せずとも、無情説法、無情得聞を體達すべし、脱落すべし。この道理つたはれるゆゑに、

 先師天童古佛道、胡蘆藤種纏胡蘆。

 これ曩祖の正眼のつたはれ、骨髓のつたはれる説法無情なり。一切説法無情なる道理によりて無情説法なり、いはゆる典故なり。無情は爲無情説法なり、喚什麼作無情。しるべし、聽無情説法者是なり。喚什麼作説法。しるべし、不知吾無情者是なり。

 

 舒州投子山慈濟大師[嗣翠微無學禪師、諱大同。明覺云、投子古佛](舒州投子山慈濟大師[翠微無學禪師に嗣す、諱は大同。明覺云く、投子古佛])、因僧問、如何是無情説法(如何にあらんか是れ無情説法)。

 師曰、莫惡口(惡口すること莫れ)。

 いまこの投子の道取するところ、まさしくこれ古佛の法謨なり、祖宗の治象なり。無情説法ならびに説法無情等、おほよそ莫惡口なり。しるべし、無情説法は、佛祖の總章これなり。臨濟徳山のともがらしるべからず、ひとり佛祖なるのみ參究す。

 

正法眼藏無情説法第四十六

 

 爾時寛元元年癸卯十月二日在越州吉田縣吉峰古寺示衆

 同癸卯十月十五日書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第四十七 佛經

 このなかに、教菩薩法あり、教諸佛法あり。おなじくこれ大道の調度なり。調度ぬしにしたがふ、ぬし調度をつかふ。これによりて、西天東地の佛祖、かならず或從知識、或從經卷の正當恁麼時、おのおの發意、修行、證果、かつて間隙あらざるものなり。發意も經卷知識により、修行も經卷知識による、證果も經卷知識に一親なり。機先句後、おなじく經卷知識に同參なり。機中句裏、おなじく經卷知識に同參なり。

 知識はかならず經卷を通利す。通利すといふは、經卷を國土とし、經卷を身心とす。經卷を爲他の施設とせり、經卷を坐臥經行とせり。經卷を父母とし、經卷を兒孫とせり。經卷を行解とせるがゆゑに、これ知識の經卷を參究せるなり。知識の洗面喫茶、これ古經なり。經卷の知識を出生するといふは、黄檗の六十拄杖よく兒孫を生長せしめ、黄梅の打三杖よく傳衣附法せしむるのみにあらず、桃花をみて悟道し、竹響をききて悟道する、および見明星悟道、みなこれ經卷の知識を生長せしむるなり。あるいはまなこをえて經卷をうる皮袋拳頭あり、あるいは經卷をえてまなこをうる木杓漆桶あり。

 いはゆる經卷は、盡十方界これなり。經卷にあらざる時處なし。勝義諦の文字をもちゐ、世俗諦の文字をもちゐ、あるいは天上の文字をもちゐ、あるいは人間の文字をもちゐ、あるいは畜生道の文字をもちゐ、あるいは修羅道の文字をもちゐ、あるいは百草の文字をもちゐ、あるいは萬木上の文字をもちゐる。このゆゑに、盡十方界に森森として羅列せる長短方圓、靑黄赤白、しかしながら經卷の文字なり、經卷の表面なり。これを大道の調度とし、佛家の經卷とせり。

 この經卷、よく蓋時に流布し、蓋國に流通す。教人の門をひらきて盡地の人家をすてず、教物の門をひらきて盡地の物類をすくふ。教諸佛し、教菩薩するに、盡地盡界なるなり。開方便門し、開住位門して、一箇半箇をすてず、示眞實相するなり。この正恁麼時、あるいは諸佛、あるいは菩薩の慮知念覺と無慮知念覺と、みづからおのおの強爲にあらざれども、この經卷をうるを、各面の大期とせり。

 必得是經のときは、古今にあらず、古今は得經の時節なるがゆゑに。盡十方界の目前に現前せるは、これ得是經なり。この經を讀誦通利するに、佛智、自然智、無師智、こころよりさきに現成し、身よりさきに現成す。このとき、新條の特地とあやしむことなし。この經のわれらに受持讀誦せらるるは、經のわれらを接取するなり。文先句外、向下節上の消息、すみやかに散花貫花なり。

 この經をすなはち法となづく。これに八萬四千の説法蘊あり。この經のなかに成等正覺の諸佛なる文字あり、現住世間の諸佛なる文字あり、入般涅槃の諸佛なる文字あり。如來如去、ともに經中の文字なり、法上の法文なり。拈花瞬目、微笑破顔、すなはち七佛正傳の古經なり。腰雪斷臂、禮拜得髓、まさしく師資相承の古經なり。つひにすなはち傳法附衣する、これすなはち廣文全卷を附囑せしむる時節至なり。みたび臼をうち、みたび箕の米をひる、經の經を出手せしめ、經の經に正嗣するなり。

 しかのみにあらず、是什麼物恁麼來、これ教諸佛の千經なり、教菩薩の萬經なり。説似一物卽不中、よく八萬蘊をとき、十二部をとく。いはんや拳頭脚跟、拄杖拂子、すなはち古經新經なり、有經空經なり。在衆辨道、功夫坐禪、もとより頭正也佛經なり、尾正也佛經なり。菩提葉に經し、虛空面に經す。

 おほよそ佛祖の一動兩靜、あはせて把定放行、おのれづから佛經の卷舒なり。窮極あらざるを、窮極の標準と參學するゆゑに、鼻孔より受經出經す、脚尖よりも受經出經す。父母未生前にも受經出經あり、威音王以前にも受經出經あり。山河大地をもて經をうけ經をとく。日月星辰をもて經をうけ經をとく。あるいは空劫已前の自己をして經を持し經をさづく。あるいは面目已前の身心をもて經を持し經をさづく。かくのごとくの經は、微塵を破して出現せしむ、法界を破していださしむるなり。

 

 第二十七祖般若多羅尊者道、貧道出息不隨衆緣、入息不居蘊界。常轉如是經、百千萬億卷。非但一卷兩卷(貧道は出息衆緣に隨はず、入息蘊界に居せず。常に如是經を轉ずること、百千萬億卷なり。但一卷兩卷のみにあらず)。

 かくのごとくの祖師道を聞取して、出息入息のところに轉經せらるることを參學すべし。轉經をしるがごときは、在經のところをしるべきなり。能轉所轉、轉經經轉なるがゆゑに、悉知悉見なるべきなり。

 

 先師尋常道、我箇裏、不用燒香禮拜念佛修懺看經、祗管打坐、辨道功夫、身心脱落(我が箇裏、燒香禮拜念佛修懺看經を用ゐず、祗管に打坐し、辨道功夫して身心脱落す)。

 かくのごとくの道取、あきらむるともがらまれなり。ゆゑはいかん。看經をよんで看經とすれば觸す、よんで看經とせざればそむく。不得有語、不得無語。速道、速道。

 この道理參學すべし。 この宗旨あるゆゑに、

 古人云、看經須具看經眼。

 まさにしるべし、古今にもし經なくは、かくのごときの道取あるべからず。脱落の看經あり、不用の看經あること、參學すべきなり。

 しかあればすなはち、參學の一箇半箇、かならず佛經を傳持して佛子なるべし。いたづらに外道の邪見をまなぶことなかれ。いま現成せる正法眼藏はすなはち佛經なるがゆゑに、あらゆる佛經は正法眼藏なり。一異にあらず、自他にあらず。しるべし、正法眼藏そこばくおほしといへども、なんだちことごとく開明せず。しかあれども、正法眼藏を開演す、信ぜざることなし。

 佛經もしかあるべし。そこばくおほしといへども、信受奉行せんこと、一偈一句なるべし。八萬を解會すべからず、佛經の達者にあらざればとて、みだりに佛經は佛法にあらずといふことなかれ。なんだちが佛祖の骨髓を稱じきこゆるも、正眼をもてこれをみれば、依文の晩進なり。一句一偈を受持せるにひとしかるべし、一句一偈の受持におよばざることもあるべし。この薄解をたのんで、佛正法を謗ずることなかれ。聲色の佛經よりも功徳なるあるべからず。聲色のなんぢを惑亂する、なほもとめむさぼる。佛經のなんぢを惑亂せざる、信ぜずして謗ずることなかれ。

 しかあるに、大宋國の一二百餘年の前後にあらゆる杜撰の臭皮袋いはく、祖師の言句、なほこころにおくべからず。いはんや經教は、ながくみるべからず、もちゐるべからず。ただ身心をして枯木死灰のごとくなるべし。破木杓、脱底桶のごとくなるべし。かくのごとくのともがら、いたづらに外道天魔の流類となれり。もちゐるべからざるをもとめてもちゐる、これによりて、佛祖の法むなしく狂顛の法となれり。あはれむべし、かなしむべし。たとひ破木杓、脱底桶も、すなはち佛祖の古經なり。この經の卷數部帙、きはむる佛祖まれなるなり。佛經を佛法にあらずといふは、佛祖の經をもちゐし時節をうかがはず、佛祖の從經出の時節を參學せず、佛祖と佛經との親疎の量をしらざるなり。かくのごとくの杜撰のやから、稻麻竹葦のごとし。獅子の座にのぼり、人天の師として、天下に叢林をなせり。杜撰は杜撰に學せるがゆゑに、杜撰にあらざる道理をしらず、しらざればねがはず。從冥入於冥、あはれむべし。いまだかつて佛法の身心なければ、身儀心操、いかにあるべしとしらず。有空のむねあきらめざれば、人もし問取するとき、みだりに拳頭をたつ。しかあれども、たつる宗旨にくらし。正邪のみちあきらめざれば、人もし問取すれば、拂子をあぐ。しかあれども、あぐる宗旨にあきらかならず。あるいは爲人の手をさづけんとするには、臨濟の四料簡四照用、雲門の三句、洞山の三路五位等を擧して、學道の標準とせり。

 

 先師天童和尚、よのつねにこれをわらうていはく、學佛あにかくのごとくならんや。佛祖正傳する大道、おほく心にかうぶらしめ、身にかうぶらしむ。これを參學するに、參究せんと擬するにいとまあらず。なんの間暇ありてか晩進の言句をいれん。まことにしるべし、諸方長老無道心にして、佛法の身心を參學せざることあきらけし。

 先師の示衆かくのごとし。まことに臨濟は黄檗の會下に後生なり。六十拄杖をかうぶりて、つひに大愚に參ず。老婆心話のしたに、從來の行履を照顧して、さらに黄檗にかへる。このこと、雷聞せるゆゑに、黄檗の佛法は臨濟ひとり相傳せりとおもへり。あまりさへ黄檗にもすぐれたりとおもへり。またくしかにはあらざるなり。臨濟はわづかに黄檗の會にありて隨衆すといへども、陳尊宿すすむるとき、なにごとをとふべしとしらずといふ。大事未明のとき、參學の玄侶として、立地聽法せんに、あにしかのごとく茫然とあらんや。しるべし、上上の機にあらざることを。また臨濟かつて勝師の志氣あらず、過師の言句きこえず。黄檗は勝師の道取あり、過師の大智あり。佛未道の道を道得せり、祖未會の法を會得せり。黄檗は超越古今の古佛なり。百丈よりも尊長なり、馬祖よりも英俊なり。臨濟にかくのごとくの秀氣あらざるなり。ゆゑはいかん。古來未道の句、ゆめにもいまだいはず。ただ多を會して一をわすれ、一を達して多にわづらふがごとし。あに四料簡等に道味ありとして、學法の指南とせんや。

 雲門は雪峰の門人なり。人天の大師に堪爲なりとも、なほ學地といふつべし。これらをもて得本とせん、ただこれ愁末なるべし。臨濟いまだきたらず、雲門いまだいでざりし時は、佛祖なにをもてか學道の標準とせし。かるがゆゑにしるべし、かれらが屋裏に佛家の道業つたはれざるなり。憑據すべきところなきがゆゑに、みだりにかくのごとく胡亂説道するなり。このともがら、みだりに佛經をさみす、人、これにしたがはざれ。もし佛經なげすつべくは、臨濟雲門をもなげすつべし。佛經もしもちゐるべからずは、のむべき水もなし、くむべき杓もなし。

 また高祖の三路五位は節目にて、杜撰のしるべき境界にあらず。宗旨正傳し、佛業直指せり。あへて餘門にひとしからざるなり。

 

 また杜撰のともがらいはく、道教儒教釋教、ともにその極致は一揆なるべし。しばらく入門の別あるのみなり。あるいはこれを鼎の三脚にたとふ。これいまの大宋國の諸僧のさかりに談ずるむねなり。もしかくのごとくいはば、これらのともがらがうへには、佛法すでに地をはらうて滅沒せり。また佛法かつて微塵のごとくばかりもきたらずといふべし。かくのごとくのともがら、みだりに佛法の通塞を道取せんとして、あやまりて佛經は不中用なり、祖師の門下に別傳の宗旨ありといふ。少量の機根なり。佛道の邊際をうかがはざるゆゑなり。佛經もちゐるべからずといはば、祖經あらんとき、もちゐるや、もちゐるべからずや。祖道に佛經のごとくなる法おほし。用捨いかん。もし佛道のほかに祖道ありといはば、たれか祖道を信ぜん。祖師の祖師とあることは、佛道を正傳するによりてなり。佛道を正傳せざらん祖師、たれか祖師といはん。初祖を崇敬することは、第二十八祖なるゆゑなり。佛道のほかに祖道をいはば、十祖二十祖たてがたからん。嫡嫡相承するによりて、祖師を恭敬するゆゑは、佛道のおもきによりてなり。佛道を正傳せざらん祖師は、なんの面目ありてか人天と相見せん。いはんやほとけをしたふしふかきこころざしをるがへして、あらたに佛道にあらざらん祖師にしたがひがたきなり。

 いま杜撰の狂者、いたづらに佛道を輕忽するは、佛道所有の法を決擇することあたはざるによりてなり。しばらくかの道教儒教をもて佛教に比する愚癡のかなしむべきのみにあらず、罪業の因緣なり、國土の衰弊なり。三寶の陵夷なるがゆゑに。孔老の道、いまだ阿羅漢に同ずべからず。いはんや等覺妙覺におよばんや。孔老の教は、わづかに聖人の視聽を大地乾坤の大象にわきまふとも、大聖の因果を一生多生にあきらめがたし。わづかに身心の動靜を無爲の爲にわきまふとも、盡十方界の眞實を無盡際斷にあきらむべからず。

 おほよそ孔老の教の佛經よりも劣なること、天地懸隔の論におよばざるなり。これをみだりに一揆に論ずるは、謗佛法なり、謗孔老なり。たとひ孔老の教に精微ありとも、近來の長老等、いかにしてかその少分をもあきらめん。いはんや萬期に大柄をとらんや。かれにも教訓あり、修練あり。いまの庸流たやすくすべきにあらず。修しこころむるともがら、なほあるべからず。一微塵なほ他塵に同ずべからず。いはんや佛經の奥玄ある、いまの晩進、いかでか辨肯することあらん。兩頭ともにあきらかならざるに、いたづらに一致の胡説亂道するのみなり。

 大宋いまかくのごとくのともがら、師號に署し、師職にをり、古今に無慚なるをもて、おろかに佛道を亂辨す。佛法ありと聽許しがたし。しかのごとくの長老等、かれこれともにいはく、佛經は佛道の本意にあらず、祖傳これ本意なり。祖傳に奇特玄妙つたはれり。

 かくのごとくの言句は、至愚のはなはだしきなり、狂顛のいふところなり。祖師の正傳に、またく一言半句としても、佛經に違せる奇特あらざるなり。佛經と祖道と、おなじくこれ釋迦牟尼佛より正傳流布しきたれるのみなり。ただし祖傳は、嫡嫡相承せるのみなり。しかあれども、佛經をいかでかしらざらん、いかでかあきらめざらん、いかでか讀誦せざらん。

 古徳いはく、なんぢ經にまどふ、經なんぢをまよはさず。

 古徳看經の因緣おほし。

 杜撰にむかふていふべし、なんぢがいふがごとく、佛經もしなげすつべくは、佛心もなげすつべし、佛身もなげすつべし。佛身心なげすつべくは、佛子なげすつべし。佛子なげすつべくは、佛道なげすつべし。佛道なげすつべくは、祖道なげすてざらんや。佛道祖道ともになげすてば、一枚の禿子の百姓ならん。たれかなんぢを喫棒の分なしとはいはん。ただ王臣の驅使のみにあらず、閻老のせめあるべし。近來の長老等、わづかに王臣の帖をたづさへて、梵刹の主人といふをもて、かくのごとくの狂言あり。是非を辨ずるに人なし。ひとり先師のみこのともがらをわらふ。餘山の長老等、すべてしらざるところなり。

 

 おほよそ異域の僧侶なれば、あきらむる道かならずあるらんとおもひ、大國の帝師なれば、達せるところさだめてあるらんとおもふべからず。異域の衆生かならずしも僧種にたへず。善衆生は善なり、惡衆生は惡なり。法界のいく三界も、衆生の種品おなじかるべきなり。

 また大國の帝師となること、かならずしも有道をえらばれず。帝者また有道をしりがたし、わづかに臣の擧をききて登用するのみなり。古今に有道の帝師あり、有道にあらざる帝師おほし。にごれる代に登用せらるるは無道の人なり、にごれる世に登用せられざるは有道の人なり。そのゆゑはいかん。知人のとき、不知人のとき、あるゆゑなり。黄梅のむかし、神秀あることをわすれざるべし。神秀は帝師なり。簾前に講法す、箔前に説法す。しかのみにあらず、七百高僧の上座なり。黄梅のむかし、盧行者あること、信ずべし。樵夫より行者にうつる、搬柴をのがるとも、なほ碓米を職とす。卑賎の身、うらむべしといへども、出俗越僧、得法傳衣、かつていまだむかしもきかざるところ、西天にもなし、ひとり東地にのこれる希代の高躅なり。七百の高僧もかたを比せず、天下の龍象あとをたづぬる分なきがごとし。まさしく第三十三代の祖位を嗣續して佛嫡なり。五祖、知人の知識にあらずは、いかでかかくのごとくならん。

 かくのごとくの道理、しづかに思惟すべし、卒爾にすることなかれ。知人のちからをえんことをこひねがふべし。人をしらざるは自他の大患なり、天下の大患なり。廣學措大は要にあらず。知人のまなこ、知人の力量、いそぎてもとむべし。もし知人のちからなくは、曠劫に沈淪すべきなり。

 しかあればすなはち、佛道にさだめて佛經あることをしり、廣文深義を山海に參學して、辨道の標準とすべきなり。

 

正法眼藏佛經第四十七

 

 爾時寛元元年癸卯秋九月庵居于越州吉田縣吉峰寺而示衆

 

正法眼藏第四十八 法性

 あるいは經卷にしたがひ、あるいは知識にしたがうて參學するに、無師獨悟するなり。無師獨悟は、法性の施爲なり。たとひ生知なりとも、かならず尋師訪道すべし。たとひ無生知なりとも、かならず功夫辨道すべし。いづれの箇箇か生知にあらざらん。佛果菩提にいたるまでも、經卷知識にしたがふなり。

 しるべし、經卷知識にあうて法性三昧をうるを、法性三昧にあうて法性三昧をうる生知といふ。これ宿住智をうるなり、三明をうるなり。これ阿耨菩提を證するなり。生知にあうて生知を習學するなり。無師智自然智にあうて、無師智自然智を正傳するなり。もし生知にあらざれば、經卷知識にあふといへども、法性をきくことをえず、法性を證することをえざるなり。大道は、如人飮水、冷暖自知の道理にはあらざるなり。一切諸佛および一切菩薩、一切衆生は、みな生知のちからにて、一切法性の大道をあきらむるなり。經卷知識にしたがひて法性の大道をあきらむるを、みづから法性をあきらむるとす。經卷これ法性なり、自己なり。知識これ法性なり、自己なり。法性これ知識なり、法性これ自己なり。法性自己なるがゆゑに、外道魔儻の邪計せる自己にはあらざるなり。法性には外道魔儻なし。ただ喫粥來、喫飯來、點茶來のみなり。

 しかあるに三二十年の久學と自稱するもの、法性の談を見聞するとき、茫然のなかに一生を蹉過す。飽叢林と自稱して、曲木の牀にのぼるもの、法性の聲をきき、法性の色をみるに、身心依正、よのつねに紛然の窟坑に昇降するのみなり。そのていたらくは、いま見聞する三界十方撲落してのち、さらに法性あらはるべし。かの法性は、いまの萬象森羅にあらずと邪計するなり。法性の道理、それかくのごとくなるべからず。この森羅萬象と法性と、はるかに同異の論を超越せり。離卽の談を超越せり。過現當來にあらず。斷常にあらず。色受想行識にあらざるゆゑに法性なり。

 

 洪州江西馬祖大寂禪師云、一切衆生、從無量劫來、不出法性三昧。長在法性三昧中、著衣喫飯、言談祗對。六根運用、一切施爲、盡是法性(一切衆生、無量劫よりこのかた、法性三昧を出でず。長く法性三昧中に在つて、著衣喫飯、言談祗對す。六根の運用、一切の施爲、盡く是れ法性なり)。

 馬祖道の法性は、法性道法性なり。馬祖と同參す、法性と同參なり。すでに聞著あり、なんぞ道著なからん。法性騎馬祖なり。人喫飯、飯喫人なり。法性よりこのかた、かつて法性三昧をいでず。法性よりのち、法性をいでず。法性よりさき、法性をいでず。法性とならびに無量劫は、これ法性三昧なり。法性を無量劫といふ。

 しかあれば、卽今の遮裏は法性なり。法性は卽今の遮裡なり。著衣喫飯は、法性三昧の著衣喫飯なり。衣法性現成なり、飯法性現成なり。喫法性現成なり、著法性現成なり。もし著衣喫飯せず、言談祗對せず、六根運用せず、一切施爲せざるは、法性三昧にあらず。不入法性なり。

 卽今の道現成は、諸佛相授して釋迦牟尼佛にいたり、諸祖正傳して馬祖にいたれり。佛佛祖祖、正傳授手して法性三昧に正傳せり。佛佛祖祖、不入にして法性を活鱍鱍ならしむ。文字の法師たとひ法性の言ありとも、馬祖道の法性にはあらず。不出法性の衆生、さらに法性にあらざらんと擬するちから、たとひ得處ありとも、あらたにこれ法性の三四枚なり。法性にあらざらんと言談祗對、運用施爲する、これ法性なるべきなり。

 無量劫の日月は、法性の經歴なり。現在未來もまたかくのごとし。身心の量を身心の量として、法性にとほしと思量するこの思量、これ法性なり。身心量を身心量とせずして、法性にあらずと思量するこの思量、これ法性なり。思量不思量、ともに法性なり。性といひぬれば、水も流通すべからず、樹も榮枯なかるべしと學するは外道なり。

 釋迦牟尼佛道、如是相、如是性。

 しかあれば、開花葉落、これ如是性なり。しかあるに、愚人おもはくは、法性界には開花葉落あるべからず。しばらく他人に疑問すべからず、なんぢが疑著を道著に依模すべし。他人の説著のごとく擧して、三復參究すべし。さきより脱出あらん向來の思量、それ邪思量なるにあらず、ただあきらめざるときの思量なり。あきらめんとき、この思量をして失せしむるにあらず。開花葉落、おのれづから開花葉落なり。法性に開花葉落あるべからずと思量せらるる思量、これ法性なり。依模脱落しきたれる思量なり。このゆゑに如法性の思量なり。思量法性の渾思量、かくのごとくの面目なり。

 馬祖道の盡是法性、まことに八九成の道なりといへども、馬祖いまだ道取せざるところおほし。いはゆる一切法性不出法性といはず、一切法性盡是法性といはず、一切衆生不出衆生といはず、一切衆生法性之少分といはず、一切衆生一切衆生之少分といはず、一切法性是衆生之五分といはず、半箇衆生半箇法性といはず、無衆生是法性といはず、法性不是衆生といはず、法性脱出法性といはず、衆生脱落衆生といはず、ただ衆生は法性三昧をいでずとのみきこゆ。法性は衆生三昧をいづべからずといはず、法性三昧の衆生三昧に出入する道著なし。いはんや法性の成佛きこえず、衆生證法性きこえず、法性證法性きこえず、無情不出法性の道なし。

 しばらく馬祖にとふべし、なにをよんでか衆生とする。もし法性よんで衆生とせば、是什麼物恁麼來なり。もし衆生をよんで衆生とせば、説似一物卽不中なり。速道速道。

 

正法眼藏法性第四十八

 

 于時寛元元年癸卯孟冬在越吉峰古精舍示衆

 

 

正法眼藏第四十九 陀羅尼

 參學眼あきらかなるは、正法眼あきらかなり。正法眼あきらかなるゆゑに、參學眼あきらかなることをうるなり。この關棙を正傳すること、必然として大善知識に奉覲するちからなり。これ大因緣なり、これ大陀羅尼なり。いはゆる大善知識は佛祖なり。かならず巾瓶に勤恪すべし。

 しかあればすなはち、擎茶來、點茶來、心要現成せり、神通現成せり。盥水來、瀉水來、不動著境なり、下面了知なり。佛祖の心要を參學するのみにあらず、心要裏の一兩位の佛祖に相逢するなり。佛祖の神通を受用するのみにあらず、神通裏の七八員の佛祖をえたるなり。これによりて、あらゆる佛祖の神通は、この一束に究盡せり。あらゆる佛祖の心要は、この一拈に究盡せり。このゆゑに、佛祖を奉覲するに、天華天香をもてする、不是にあらざれども、三昧陀羅尼を拈じて奉覲供養する、これ佛祖の兒孫なり。

 いはゆる大陀羅尼は、人事これなり。人事は大陀羅尼なるがゆゑに、人事の現成に相逢するなり。人事の言は、震旦の言音を依模して、世諦に流通せることひさしといふとも、梵天より相傳せず、西天より相傳せず、佛祖より正傳せり。これ聲色の境界にあらざるなり、威音王佛の前後を論ずることなかれ。

 その人事は、燒香禮拜なり。あるいは出家の本師、あるいは傳法の本師あり。傳法の本師すなはち出家の本師なるもあり。これらの本師にかならず依止奉覲する、これ咨參の陀羅尼なり。いはゆる時時をすごさず參侍すべし。

 安居のはじめをはり、冬年および月旦月半、さだめて燒香禮拜す。その法は、あるいは粥前、あるいは粥罷をその時節とせり。威儀を具して師の堂に參ず。威儀を具すといふは、袈裟を著し、坐具をもち、鞋襪を整理して、一片の沈箋香等を帶して參ずるなり。

 師前にいたりて問訊す。侍僧ちなみに香爐を裝し燭をたて、師もしさきより椅子に坐せば、すなはち燒香すべし。師もし帳裏にあらば、すなはち燒香すべし。師もしは臥し、もしは食し、かくのごときの時節ならば、すなはち燒香すべし。師もし地にたちてあらば、請和尚坐と問訊すべし。請和尚穩便とも請ず。あまた請坐の辭あり。和尚を椅子に請じ坐せしめてのちに問訊す。曲躬如法なるべし。問訊しをはりて、香臺の前面にあゆみよりて、帶せる一片香を香爐にたつ。香をたつるには、香あるいは衣襟にさしはさめることあり。あるいは懷中にもてるもあり。あるいは袖裏に帶せることもあり。おのおの人のこころにあり。問訊ののち、香を拈出して、もしかみにつつみたらば、右手へむかひて肩を轉じて、つつめる紙をさげて、兩手に香を擎て香爐にたつるなり。すぐにたつべし、かたぶかしむることなかれ。香をたてをはりて、叉手して、右へめぐりてあゆみて、正面にいたりて、和尚にむかひ曲躬如法問訊しをはりて、展坐具禮拜するなり。拜は九拜、あるいは十二拜するなり。拜しをはりて、收坐具して問訊す。あるいは一展坐具禮三拜して、寒暄をのぶることもあり。いまの九拜は寒暄をのべず、ただ一展三拜を三度あるべきなり。その儀、はるかに七佛よりつたはれるなり。宗旨正傳しきたれり。このゆゑにこの儀をもちゐる。かくのごとくの禮拜、そのときをむかふるごとに癈することなし。そのほか、法益をかうぶるたびごとには禮拜す。因緣を請益せんとするにも禮拜するなり。二祖そのかみ見處を初祖にたてまつりしとき、禮三拜するがごときこれなり。正法眼藏の消息を開演するに三拜す。

 しるべし、禮拜は正法眼藏なり。正法眼藏は大陀羅尼なり。請益のときの拜は、近來おほく頓一拜をもちゐる。古儀は三拜なり。法益の謝拜、かならずしも九拜十二拜にあらず。あるいは三拜、あるいは觸禮一拜なり。あるいは六拜あり。ともにこれ稽首拜なり。西天にはこれを最上禮拜となづく。あるいは六拜あり、頭をもて地をたたく。いはく、額をもて地にあててうつなり、血のいづるまでもす、これにも展坐具せるなり。一拜三拜六拜、ともに額をもて地をたたくなり。あるいはこれを頓首拜となづく。世俗にもこの拜あるなり。世俗には九品の拜あり。法益のとき、また不住拜あり。いはゆる禮拜してやまざるなり。百千拜までもいたるべし。ともにこれら佛祖の會にもちゐきたれる拜なり。

 おほよそこれらの拜、ただ和尚の指揮をまぼりて、その拜を如法にすべし。おほよそ禮拜の住世せるとき、佛法住世す。禮拜もしかくれぬれば、佛法滅するなり。

 傳法の本師を禮拜することは、時節をえらばず、處所を論ぜず拜するなり。あるいは臥時食時にも拜す、行大小時にも拜す。あるいは牆壁をへだて、あるいは山川をへだてても遥望禮拜するなり。あるいは劫波をへだてて禮拜す、あるいは生死去來をへだてて禮拜す、あるいは菩提涅槃をへだてて禮拜す。

 弟子小師、しかのごとく種種の拜をいたすといへども、本師和尚は答拜せず。ただ合掌するのみなり。おのづから奇拜をもちゐることあれども、おぼろげの儀にはもちゐず。かくの如くの禮拜のとき、かならず北面禮拜するなり。本師和尚は南面して端坐せり。弟子は本師和尚の面前に立地して、おもてを北にして、本師にむかひて本師を拜するなり。これ本儀なり。みづから歸依の正信おこれば、かならず北面の禮拜、そのはじめにおこなはると正傳せり。

 

 このゆゑに、世尊の在日に、歸佛の人衆天衆龍衆、ともに北面にして世尊を恭敬禮拜したてまつる。最初には、

阿若憍陳如[亦名拘隣]阿濕卑[亦名阿陛]摩訶摩南[亦名摩訶拘利]波提[亦名跋提]婆敷[亦名十力迦葉]

 この五人のともがら、如來成道ののち、おぼえずして起立し、如來にむかひたてまつりて、北面の禮拜を供養したてまつる。外道魔黨、すでに邪をすてて歸佛するときは、必定して自搆他搆せざれども、北面禮拜するなり。

 それよりこのかた、西天二十八代、東土の諸代の祖師の會にきたりて正法に歸する、みなおのづから北面の禮拜するなり。これ正法の肯然なり、師弟の搆意にあらず。これすなはち大陀羅尼なり。有大陀羅尼、名爲圓覺。有大陀羅尼、名爲人事。有大陀羅尼、現成禮拜なり。有大陀羅尼、其名袈裟なり。有大陀羅尼、是名正法眼藏なり。これを誦呪して盡大地を鎭護しきたる、盡方界を鎭成しきたる、盡時界を鎭現しきたる、盡佛界を鎭作しきたる、庵中庵外を鎭通しきたる。大陀羅尼かくのごとくなると參學究辨すべきなり。一切の陀羅尼は、この陀羅尼を字母とせり。この陀羅尼の眷屬として、一切の陀羅尼は現成せり。一切の佛祖、かならずこの陀羅尼門より、發心辨道、成道轉法輪あるなり。

 

 しかあれば、すでに佛祖の兒孫なり、この陀羅尼を審細に參究すべきなり。おほよそ爲釋迦牟尼佛衣之所覆は、爲十方一切佛祖衣之所覆なり。爲釋迦牟尼佛衣之所覆は、爲袈裟之所覆なり。袈裟は標幟の佛衆なり。この辨肯、難値難遇なり。まれに邊地の人身をうけて、愚蒙なりといへども、宿殖陀羅尼の善根力現成して、釋迦牟尼佛の法にむまれあふ。たとひ百草のほとりに自成他成の諸佛祖を禮拜すとも、これ釋迦牟尼佛の成道なり。釋迦牟尼佛の辨道功夫なり。陀羅尼神變なり。たとひ無量億千劫に古佛今佛を禮拜する、これ釋迦牟尼佛衣之所覆時節なり。ひとたび袈裟を身體におほふは、すでにこれ得釋迦牟尼佛之身肉手足、頭目髓腦、光明轉法輪なり。かくのごとくして袈裟を著するなり。これは現成著袈裟功徳なり。これを保任し、これを好樂して、ときとともに守護し搭著して、禮拜供養釋迦牟尼佛したてまつるなり。このなかにいく三阿僧祇劫の修行をも辨肯究盡するなり。

 釋迦牟尼佛を禮拜したてまつり、供養したてまつるといふは、あるいは傳法の本師を禮拜し供養し、剃髪の本師を禮拜し供養するなり。これすなはち見釋迦牟尼佛なり。以法供養釋迦牟尼佛なり。陀羅尼をもて釋迦牟尼佛を供養したてまつるなり。

 

 先師天童古佛しめすにいはく、あるいは雪のうへにきたりて禮拜し、あるいは糠のなかにありて禮拜する、勝躅なり、先蹤なり、大陀羅尼なり。

 

正法眼藏陀羅尼第四十九

 

 爾時寛元癸卯在越宇吉峰精舍示衆

 

 

正法眼藏第五十 洗面

 法華經云、以油塗身、澡浴塵穢、著新淨衣、内外倶淨(油を以て身に塗り、塵穢を澡浴し、新淨の衣を著し、内外倶に淨らかなり)。

 いはゆるこの法は、如來まさに法華會上にして、四安樂行の行人のためにときましますところなり。餘會の説にひとしからず、餘經におなじかるべからず。しかあれば、身心を澡浴して香油をぬり、塵穢をのぞくは第一の佛法なり。新淨の衣を著する、ひとつの淨法なり。塵穢を澡浴し、香油を身に塗するに、内外倶淨なるべし。内外倶淨とき、依報正報、淸淨なり。

 しかあるに、佛法をきかず、佛道を參せざる愚人いはく、澡浴はわづかにみのはだへをすすぐといへども、身内に五臟六腑あり。かれらを一一に澡浴せざらんは、淸淨なるべからず。しかあれば、あながちに身表を澡浴すべからず。かくのごとくいふともがらは、佛法いまだしらず、きかず、いまだ正師にあはず、佛祖の兒孫にあはざるなり。

 しばらくかくのごとくの邪見のともがらのことばをなげすてて、佛祖の正法を參學すべし。いはゆる諸法の邊際いまだ決斷せず、諸大の内外また不可得なり。かるがゆゑに、身心の内外また不可得なり。しかあれども、最後身の菩薩、すでにいまし道場に坐し、成道せんとするとき、まづ袈裟を洗浣し、つぎに身心を澡浴す。これ三世十方の諸佛の威儀なり。最後身の菩薩と餘類と、諸事みなおなじからず。その功徳智慧、身心莊嚴、みな最尊最上なり。澡浴洗浣の法もまたかくのごとくなるべし。いはんや諸人の身心、その邊際、ときにしたがうてことなることあり。いはゆる一坐のとき、三千界みな坐斷せらるる。このときかくのごとくなりといへども、自他の測量にあらず、佛法の功徳なり。その身心量また五尺六尺にあらず。五尺六尺はさだまれる五尺六尺にあらざるゆゑなり。所在も、此界他界、盡界無盡界等の有邊無邊にあらず。遮裏是什麼所在、説細説麁のゆゑに。心量また思量分別のよくしるべきにあらず、不思量不分別のよくきはむべきにあらず。身心量かくのごとくなるがゆゑに、澡浴量もかくのごとし。この量を拈得して修證する、これ佛佛祖祖の護念するところなり。計我をさきとすべからず、計我を實とすべからず。しかあればすなはち、かくのごとく澡浴し、浣洗するに、身量心量を究盡して淸淨ならしむるなり。たとひ四大なりとも、たとひ五蘊なりとも、たとひ不壞性なりとも、澡浴するみな淸淨なることをうるなり。これすなはちただ水をきたしすすぎてのち、そのあとは淸淨なるとのみしるべきにあらず。水なにとして本淨ならん、本不淨ならん。本淨本不淨なりとも、來著のところをして淨不淨ならしむといはず。ただ佛祖の修證を保任するとき、用水洗浣、以水澡浴等の佛法つたはれり。これによりて修證するに、淨を超越し、不淨を透脱し、非淨非不淨を脱落するなり。

 しかあればすなはち、いまだ染汚せざれども澡浴し、すでに大淸淨なるにも澡浴する法は、ひとり佛祖道のみに保任せり、外道のしるところにあらず。もし愚人のいふがごとくならば、五臟六腑を細塵に抹して卽空ならしめて、大海水をつくしてあらふとも、塵中なほあらはずは、いかでか淸淨ならん。空中をあらはずは、いかでか内外の淸淨を成就せん。愚夫また空を澡浴する法、いまだしらざるべし。空を拈來して空を澡浴し、空を拈來して身心を澡浴す。澡浴を如法に信受するもの、佛祖の修證を保任すべし。

 いはゆる佛佛祖祖、嫡嫡正傳する正法には、澡浴をもちゐるに、身心内外、五臟六腑、依正二報、法界虛空の内外中間、たちまちに淸淨なり。香花をもちゐてきよむるとき、過去、現在、未來、因緣行業、たちまちに淸淨なり。

 

 佛言、三沐三薰、身心淸淨。

 しかあれば、身をきよめ心をきよむる法は、かならず一沐しては一薰し、かくのごとくあひつらなれて、三沐三薰して、禮佛し轉經し、坐禪し經行するなり。經行をはりてさらに端坐坐禪せんとするには、かならず洗足するといふ。足けがれ觸せるにあらざれども、佛祖の法、それかくのごとし。

 それ三沐三薰すといふは、一沐とは一沐浴なり、通身みな沐浴す。しかうしてのち、つねのごとくして衣裳を著してのち、小爐に名香をたきにて、ふところのうちおよび袈裟坐處等に薰ずるなり。しかうしてのちまた沐浴してまた薰ず。かくのごとく三番するなり。これ如法の儀なり。このとき、六根六塵あらたにきたらざれども、淸淨の功徳ありて現前す。うたがふべきにあらず。三毒四倒いまだのぞこほらざれども、淸淨の功徳たちまちに現前するは佛法なり。たれか凡慮をもて測度せん、なにびとか凡眼をもて覰見せん。

 たとへば、沈香をあらひきよむるとき、片片にをりてあらふべからず。塵塵に抹してあらふべからず。ただ擧體をあらひて淸淨をうるなり。佛法にかならず浣洗の法さだまれり。あるいは身をあらひ心をあらひ、足をあらひ面をあらひ、目をあらひくちをあらひ、大小二行をあらひ、手をあらひ、鉢盂をあらひ、袈裟をあらひ、頭をあらふ。これらみな三世の諸佛諸祖の正法なり。

 佛法僧を供養したてまつらんとするには、もろもろの香をとりきたりては、まづみづからが兩手をあらひ、嗽口洗面して、きよきころもを著し、きよき盤に淨水をうけて、この香をあらひきよめて、しかうしてのちに佛法僧の境界には供養したてまつるなり。ねがはくは摩黎山の栴檀香を、阿那婆達池の八功徳水にてあらひて、三寶に供養したてまつらんことを。

 

 洗面は西天竺國よりつたはれて、東震旦國に流布せり。諸部の律にあきらかなりといふとも、なほ佛祖の傳持、これ正嫡なるべし。數百歳の佛佛祖祖おこなひきたれるのみにあらず、億千萬劫の前後に流通せり。ただ垢膩をのぞくのみにあらず、佛祖の命脈なり。

 いはく、もしおもてをあらはざれば、禮をうけ他を禮する、ともに罪あり。自禮禮他、能禮所禮、性空寂なり、性脱落なり。かるがゆゑに、かならず洗面すべし。

 洗面の時節、あるいは五更、あるいは昧旦、その時節なり。先師の天童に住せしときは、三更の三點を、その時節とせり。裙褊衫を著し、あるいは直裰を著して、手巾をたづさへて洗面架におもむく。

 手巾は一幅の布、ながさ一丈二尺なり。そのいろ、しろかるべからず、しろきは制す。

 三千威儀經に云、當用手巾有五事(當に手巾を用ゐるに五事有るべし)。

 一者當拭上下頭(一つには當に上下の頭にて拭ふべし)。

 二者當用一頭拭手、以一頭拭面(二つには當に一の頭を用ては手を拭ふべし、一の頭を以ては面を拭ふべし)。

 三者不得持拭鼻(三つには持つて鼻を拭ふことを得ざれ)。

 四者以用拭膩汚當卽浣之(四つには以用つて膩を拭ひ、汚れば當に卽ち之を浣ふべし)。

 五者不得拭身體、若澡浴各當自有巾(五つには身體を拭ふことを得ざれ。澡浴の若きは、おのおの當に自ら巾有るべし)。

 まさに手巾を持せんに、かくのごとく護持すべし。手巾をふたつにをりて、左のひぢにあたりて、そのうへにかく。手巾は半分はおもてをのごひ、半分にては手をのごふ。はなをのごふべからずとは、はなのうち、および鼻涕をのごはず。わきせなかはらへそももはぎを、手巾をしてのごふべからず。垢膩にけがれたらんに、洗浣すべし。ぬれしめれらんは、火に烘じ、日にほしてかわかすべし。手巾をもて沐浴のときもちゐるべからず。

 雲堂の洗面處は後架なり。後架は照堂の西なり、その屋圖つたはれり。庵内および單寮は、便宜のところにかまふ。住持人は方丈にて洗面す。耆年老宿居處に、便宜に洗面架をおけり。住持人もし雲堂に宿するときは、後架にして洗面すべし。

 洗面架にいたりて、手巾の中分をうなじにかく。ふたつのはしを左右のかたよりまへにひきこして、左右の手にて、左右のわきより手巾の左右のはしをうしろへいだして、うしろにておのおのひきちがへて、左のはしは右へきたし、右のはしは左にきたして、むねのまへにあたりてむすぶなり。かくのごとくすれば、褊衫のくびは手巾におほはれ、兩袖は手巾にゆひあげられて、ひぢよりかみにあがりぬるなり。ひぢよりしも、うでたなごころ、あらはなり。たとへば、たすきかけたらんがごとし。そののち、もし後架ならば、面桶をとりて、かまのほとりにいたりて、一桶の湯をとりて、かへりて洗面架のうへにおく。もし餘處にては、打湯桶の湯を面桶にいる。

 

 つぎに楊枝をつかふべし。今大宋國諸山には、嚼楊枝の法、ひさしくすたれてつたはれざれば、嚼楊枝のところなしといへども、今吉祥山永平寺、嚼楊枝のところあり。すなはち今案なり。これによれば、まづ嚼楊枝すべし。楊枝を右手にとりて、呪願すべし。

 華嚴經淨行品云、手執楊枝、當願衆生、心得正法、自然淸淨(手に楊枝を執りては當に願ふべし、衆生、心に正法を得、自然に淸淨ならんことを)。

 この文を誦しをはりて、さらに楊枝をかまんとするに、すなはち誦すべし。

 晨嚼楊枝、當願衆生、得調伏牙、噬諸煩惱(晨に楊枝を嚼まんには當に願ふべし、衆生、調伏の牙を得て、諸の煩惱を噬まんことを)。

 この文を誦しをはりて、また嚼楊枝すべし。楊枝のながさ、あるいは四指、あるいは八指、あるいは十二指、あるいは十六指なり。

 摩訶僧祇律第三十四云、齒木應量用。極長十六指、極短四指(齒木は量に應じて用ゐるべし。極長は十六指、極短は四指なり)。

 しるべし、四指よりもみぢかくすべからず。十六指よりもながきは量に應ぜず。ふとさは手小指大なり。しかありといへども、それよりもほそき、さまたげなし。そのかたち、手小指形なり。一端はふとく、一端ほそし。ふときはしを、微細にかむなり。

 三千威儀經云、嚼頭不得過三分(嚼頭は三分に過ぐることを得ざれ)。

 よくかみて、はのうへ、はのうら、みがくがごとくとぎあらふべし。たびたびとぎみがき、あらひすすぐべし。はのもとのししのうへ、よくみがきあらふべし。はのあひだ、よくかきそろへ、きよくあらふべし。嗽口たびたびすれば、すすぎきよめらる。しかうしてのち、したをこそぐべし。

 三千威儀經云、刮舌有五事(刮舌に五事有り)、

 一者不得過三返(一つには三返に過ぐることを得ざれ)。

 二者舌上血出當止(二つには舌上血出でば當に止むべし)。

 三者不得大振手、汚僧伽梨衣若足(三つには大きに手を振りて、僧伽梨衣若しくは足を汚すことを得ざれ)。

 四者棄楊枝莫當人道(四つには楊枝を棄てんには、人の道に當ること莫れ)。

 五者常當屏處(五つには常に屏處に當りてすべし)。

 いはゆる刮舌三返といふは、水を口にふくみて舌をこそげこそげすること、三返するなり。三刮にはあらず。血いでばまさにやむべしといふにこころうべし。

 よくよく刮舌すべしといふことは、

 三千威儀經云、淨口者、嚼楊枝、漱口、刮舌。

 しかあれば、楊枝は佛祖ならびに佛祖兒孫の護持しきたれるところなり。

 

 佛在王舍城竹園之中、與千二百五十比丘倶。臘月一日、波斯匿王是日設食。淸晨躬手授佛楊枝。佛受嚼竟、擲殘著地便生、蓊鬱而起。根莖湧出、高五百由旬。枝葉雲布。周匝亦爾。漸復生花、大如車輪。遂復有菓、大如五斗瓶。根莖枝葉、純是七寶。若干種色、映て殊麗妙。隨色發光、掩蔽日月。食其菓、菓者美喩甘露。甘露香氣四塞。聞者情悅。香風來吹、更相撑角、枝葉皆出和雅之音、暢演法要、聞者無厭。一切人民、覩茲樹變、敬信之心、倍益純厚。佛乃説法、應適其意、心皆開解。志求佛者、得果生天、數甚衆多(佛王舍城の竹園の中に在して、千二百五十の比丘と倶なりき。臘月一日、波斯匿王是の日設食す。淸晨に躬ら手づから佛に楊枝を授けたてまつる。佛受けて嚼み竟りて、殘りを擲げて地に著くるに便ち生じ、蓊鬱として起つ。根莖湧出して高さ五百由旬なり。枝葉雲布せり。周匝も亦爾なり。漸くまた生花、大きさ車輪の如し。遂にまた菓有り、大きさ五斗瓶の如くなり。根莖枝葉、純ら是れ七寶なり。若干種の色、映殊麗妙なり。色に隨つて光を發し、日月を掩蔽せり。その菓を食するに、菓美きこと甘露の喩し。甘露の香氣四に塞てり。聞く者情悅す。香風來吹し、更に相撑角に、枝葉より皆和雅の音を出して、法要を暢演す、聞くもの無厭なり。一切人民、茲樹の變を覩るに、敬信の心、倍益純厚なり。佛乃ち説法したまふに、其の意に應適して、心皆な開解す。佛を志求するものあり、得果生天するものあり、數甚だ衆多なり)。

 佛および衆僧を供養する法は、かならず晨旦に楊枝をたてまつるなり。そののち種種の供養をまうく。ほとけに楊枝をたてまつれることおほく、ほとけ楊枝をもちゐさせたまふことおほけれども、しばらくこの波斯匿王みづからてづから供養しまします因緣ならびにこの高樹の因緣、しるべきゆゑに擧するなり。

 またこの日すなはち外道六師、ともにほとけに降伏せられたてまつりて、おどろきおそりてにげはしる。つひに六師ともに投河而死(河に投じて死す)。

 六師徒類九億人、皆來師佛求爲弟子。佛言善來比丘、鬚髪自落、法衣在身、皆成沙門。佛爲説法、示其法要、漏盡結解、悉得羅漢(六師の徒類九億人、皆な來りて佛を師として弟子と爲らんことを求む。佛善來比丘と言ふに、鬚髪自落し、法衣在身なり、皆な沙門と成る。佛爲に説法し、其の法要を示すに、漏盡結解し、悉く羅漢を得たり)。

 しかあればすなはち、如來すでに楊枝をもちゐましますゆゑに、人天これを供養したてまつるなり。あきらかにしりぬ、嚼楊枝これ諸佛菩薩、ならびに佛弟子のかならず所持なりといふことを。もしもちゐざらんは、その法失墜せり、かなしまざらんや。

 梵網菩薩戒經云、若佛子、常應二時頭陀、冬夏坐禪、結夏安居。常用楊枝、澡豆、三衣、缾、鉢、坐具、錫杖、香爐、漉水嚢、手巾、刀子、火燧、鑷子、繩牀、經律、佛像菩薩形像。而菩薩行頭陀時、及遊方時、行來百里千里、此十八種物、常隨其身。頭陀者、從正月十五日至三月十五日、從八月十五日、至十月十五日。是二時中、此十八種物、常隨其身、如鳥二翼(梵網菩薩戒經に云く、若佛子、常に應に二時に頭陀し、冬夏に坐禪し、結夏安居すべし。常に楊枝と澡豆と、三衣と缾と鉢と、坐具と錫杖と、香爐と漉水嚢と、手巾と刀子と、火燧と鑷子と、繩牀と經律と、佛像と菩薩の形像とを用ゐるべし。而して菩薩頭陀を行ずる時、及び遊方の時、百里千里を行來せんに、此の十八種物、常に其の身に隨ふべし。頭陀は正月十五日より三月十五日に至り、八月十五日より十月十五日に至る。是の二時の中、此の十八種物、常に其の身に隨へて、鳥の二翼の如くすべし)。

 この十八種物、ひとつも虧闕すべからず。もし虧闕すれば、鳥の一翼おちたらんがごとし。一翼のこれりとも、飛行することあたはじ、鳥道の機緣にあらざらん。菩薩もまたかくのごとし。この十八種の羽翼そなはらざれば、行菩薩道あたはず。十八種のうち楊枝すでに第一に居せり、最初に具足すべきなり。この楊枝の用不をあきらめんともがら、すなはち佛法をあきらむる菩提薩埵なるべし。いまだかつてあきらめざらんは、佛法也未夢見在ならん。

 しかあればすなはち、見楊枝は見佛祖なり。

 或有人問意旨如何、幸値永平老漢嚼楊枝(或し人有つて意旨如何と問はん。幸ひに永平老漢の嚼楊枝に値ふ)。

 この梵網菩薩戒は、過去現在未來の諸佛菩薩、かならず過現當に受持しきたれり。しかあれば、楊枝また過現當に受持しきたれり。

 

 禪苑淸規云、大乘梵網經、十重四十八輕、並須讀誦通利、善知持犯開遮。但依金口聖言、莫擅隨於庸輩(大乘梵網經、十重四十八輕、並びに須らく讀誦し通利し、善く持犯開遮を知るべし。但金口の聖言に依るべし、擅に庸輩に隨ふこと莫れ)。

 まさにしるべし、佛佛祖祖正傳の宗旨、それかくのごとし。これに違せんは佛道にあらず、佛法にあらず、祖道にあらず。

 しかあるに、大宋國いま楊枝たえてみえず。嘉定十六年癸未四月のなかに、はじめて大宋に諸山諸寺をみるに、僧侶の楊枝をしれるなく、朝野の貴賎おなじくしらず。僧家すべてしらざるゆゑに、もし楊枝の法を問著すれば失色して度を失す。あはれむべし、白法の失墜せることを。わづかにくちをすすぐともがらは、馬の尾を寸餘にきりたるを、牛の角のおほきさ三分ばかりにて方につくりたるが、ながさ六七寸なる、そのはし二寸ばかりに、うまのたちがみのごとくにうゑて、これをもちて牙齒をあらふのみなり。僧家の器にもちゐがたし。不淨の器ならん、佛法の器にあらず。俗人の祠天するにも、なほきらひぬべし。かの器、また俗人僧家、ともにくつのちりをはらふ器にもちゐる、また梳鬢のときもちゐる。いささかの大小あれども、すなはちこれひとつなり。かの器をもちゐるも、萬人が一人なり。

 しかあれば、天下の出家在家、ともにその口氣はなはだくさし。二三尺をへだててものをいふとき、口臭きたる。かぐものたへがたし。有道の尊宿と稱じ、人天の導師と號するともがらも、漱口刮舌嚼楊枝の法、ありとだにもしらず。これをもて推するに、佛祖の大道いま陵夷をみるらんこと、いくそばくといふことしらず。いまわれら露命を萬里の蒼波にをしまず、異域の山川をわたりしのぎて道をとぶらふとすれども、澆雲かなしむべし、いくばくの白法か、さきだちて滅沒しぬらん。をしむべしをしむべし。

 しかあるに、日本一國朝野の道俗、ともに楊枝を見聞す、佛光明を見聞するならん。しかあれども、嚼楊枝それ如法ならず、刮舌の法つたはれず、倉卒なるべし。しかあれども、宋人の楊枝をしらざるにたくらぶれば、楊枝をもちゐるべしとしれるは、おのづから上人の法をしれり。仙人の法にも楊枝をもちゐる。しるべし、みな出塵の器なり、淸淨の調度なりといふことを。

 三千威儀經云、用楊枝有五事(楊枝を用ゐるに五事有り)、

 一者斷當如度(一つには斷つこと當に度の如くなるべし)。

 二者破當如法(二つには破すること當に如法なるべし)。

 三嚼頭不得過三分(三つには嚼頭して三分を過ることを得ざれ)。

 四者踈齒當中三齧(四つには齒を踈へんには、中に當りて三たび齧むべし)。

 五者當汁澡目用(五つには汁をもて目を澡ふ用に當つべし)。

 いま嚼楊枝漱口の水を、右手にうけてもて目をあらふこと、みなもと三千威儀經の説なり。いま日本國の往代の庭訓なり。

 刮舌の法は、僧正榮西つたふ。楊枝つかひてのち、すてんとするとき、兩手をもて楊枝のかみたるかたより二片に擘破す。その破口のとき、かほをよこさまに舌上にあててこそぐ。すなはち右手に水をうけて、くちにいれて漱口し刮舌す。漱口、刮舌、たびたびし、擘楊枝の角にてこそげこそげして、血出を度とせんとするがごとし。

 漱口のとき、この文を密誦すべし。

 華嚴經云、澡漱口齒、當願衆生、向淨法門、究竟解脱(口齒を澡漱するには當に願ふべし、衆生淨法門に向ひて究竟して解脱せんことを)。

 たびたび漱口して、くちびるのうちと、したのした、あぎにいたるまで、右手の第一指、第二指、第三指等をもて、指のはらにてよくよくなめりたるがごとくなること、あらひのぞくべし。油あるもの食せらんことちかからんには、皀莢をもちゐるべし。

 楊枝つかひをはりて、すなはち屏處にすつべし。楊枝すててのち、三彈指すべし。後架にしては、棄楊枝をうくる斗あるべし、餘處にては屏處にすつべし。漱口の水は、面桶のほかにはきすつべし。

 

 つぎにまさしく洗面す。兩手に面桶の湯を掬して、額より兩眉毛、兩目、鼻孔、耳中、顱頬、あまねくあらふ。まづよくよく湯をすくひかけて、しかうしてのち摩沐すべし。涕唾鼻涕を面桶の湯におとしいるることなかれ。かくのごとくあらふとき、湯を無度につひやして、面桶のほかにもらしおとしちらして、はやくうしなふことなかれ。あかおち、あぶらのぞこほりぬるまであらふなり。耳裏あらふべし、著水不得なるがゆゑに。眼裏あらふべし、著沙不得なるがゆゑに。あるいは頭髪頂𩕳までもあらふ、すなはち威儀なり。洗面をはりて、面桶の湯をすててのちも、三彈指すべし。

 つぎに手巾のおもてをのごふはしにて、のごひかはかすべし。しかうしてのち、手巾もとのごとく脱しとりて、ふたへにして左臂にかく。雲堂の後架には、公界の拭面あり。いはゆる一疋布をまうけたり、烘櫃あり、衆家ともに拭面するに、たらざるわづらひなし。かれにても頭面のごふべし。また自己の手巾をもちゐるも、ともにこれ法なり。

 洗面のあひだ、桶杓ならしておとをなすこと、かまびすしくすることなかれ。湯水を狼藉にして、近邊をぬらすことなかれ。ひそかに觀想すべし、後五百歳にむまれて、邊地遠島に處すれども、宿善くちずして古佛の威儀を正傳し、染汚せず修證する、隨喜歡喜すべし。雲堂にかへらんに、輕歩低聲なるべし。

 耆年宿徳の草庵、かならず洗面架あるべし。洗面せざるは非法なり。洗面のとき、面藥をもちゐる法あり。

 おほよそ嚼楊枝、洗面、これ古佛の正法なり。道心辨道のともがら、修證すべきなり。あるいは湯をえざるには水をもちゐる、舊例なり、古法なり。湯水すべてえざらんときは、早晨よくよく拭面して、香草抹香等をぬりてのち、禮佛誦經、燒香坐禪すべし。いまだ洗面せずは、もろもろのつとめ、ともに無禮なり。

 

正法眼藏第五十

 

 延應元年己亥十月二十三日在雍州觀音導利興聖寶林寺示衆

 

 天竺國、震旦國者、國王王子、大臣百官、在家出家、朝野男女、百姓萬民、みな洗面す。家宅の調度にも面桶あり、あるいは銀、あるいは鑞なり。天祠神廟にも、毎朝に洗面を供ず。佛祖の搭頭にも洗面をたてまつる。在家出家、洗面ののち、衣裳をただしくして、天をも拜し、神をも拜し、祖宗をも拜し、父母をも拜す。師匠を拜し、三寶を拜し、三界萬靈、十方眞宰を拜す。いまは農夫田夫、漁樵翁までも洗面わするることなし、しかあれども嚼楊枝なし。日本國は、國王大臣、老少朝野、在家出家の貴賎、ともに嚼楊枝、漱口の法をわすれず、しかあれども洗面せず。一得一失なり。いま洗面、嚼楊枝、ともに護持せん、補虧闕の興隆なり、佛祖の照臨なり。

 

 寛元元年癸卯十月二十日在越州吉田縣吉峰寺重示衆

 建長二年庚戌正月十一日在越州吉田縣吉祥山永平寺示衆

 

 

正法眼藏第五十一 面授

 爾時釋迦牟尼佛、西天竺國靈山會上、百萬衆中、拈優曇花瞬目。於時摩訶迦葉尊者、破顔微笑。(爾の時に釋迦牟尼佛、西天竺國靈山會上、百萬衆の中にして、優曇花を拈じて瞬目したまふ。時に摩訶迦葉尊者、破顔微笑せり)。

 釋迦牟尼佛言、吾有正法眼藏涅槃妙心、附囑摩訶迦葉(釋迦牟尼佛言はく、吾有の正法眼藏涅槃妙心、摩訶迦葉に附囑す)。

 これすなはち、佛佛祖祖、面授正法眼藏の道理なり。七佛の正傳して迦葉尊者にいたる、迦葉尊者より二十八授して菩提達磨尊者にいたる、菩提達磨尊者、みづから震旦國に降儀して、正宗太祖普覺大師慧可尊者に面授す。五傳して曹谿山大鑑慧能大師にいたる。一十七授して先師大宋國慶元府太白名山天童古佛にいたる。

 大宋寶慶元年乙酉五月一日、道元はじめて先師天童古佛を妙高臺に燒香禮拜す。先師古佛はじめて道元をみる。そのとき道元に指授面授するにいはく、

 佛佛祖祖、面授の法門現成せり。これすなはち靈山の拈花なり、嵩山の得髓なり。黄梅の傳衣なり、洞山の面授なり。これは佛祖の眼藏面授なり。吾屋裡のみあり、餘人は夢也未見聞在なり。

 この面授の道理は、釋迦牟尼佛まのあたり迦葉佛の會下にして面授し護持しきたれるがゆゑに、佛祖面なり。佛面より面授せざれば諸佛にあらざるなり。釋迦牟尼佛まのあたり迦葉尊者をみること親附なり。阿難羅睺羅といへども迦葉の親附におよばず、諸大菩薩といへども迦葉の親附におよばず、迦葉尊者の座に坐することえず。世尊と迦葉と、同座し同衣しきたるを、一代の佛儀とせり。迦葉尊者したしく世尊の面授を面授せり。心授せり、身授せり、眼授せり。釋迦牟尼佛を供養恭敬、禮拜奉覲したてまつれり。その粉骨碎身、いく千萬變といふことをしらず。自己の面目は面目にあらず、如來の面目を面授せり。

 釋迦牟尼佛まさしく迦葉尊者をみまします。迦葉尊者まのあたり阿難尊者をみる。阿難尊者まのあたり迦葉尊者の佛面を禮拜す。これ面授なり。阿難尊者この面授を住持して、商那和修を接して面授す。商那和修尊者まさしく阿難尊者を奉覲するに、唯面與面、面授し面受す。かくのごとく代代嫡嫡の祖師、ともに弟子は師にみえ、師は弟子をみるによりて面授しきたれり。一祖一師一弟としても、あひ面授せざるは佛佛祖祖にあらず。たとへば、水を朝宗せしめて宗派を長ぜしめ、燈を續して光明つねならしむるに、億千萬法するにも、本枝一如なるなり。また啐啄の迅機なるなり。

 

 しかあればすなはち、まのあたり釋迦牟尼佛をまぼりたてまつりて一期の日夜をつめり。佛面に照臨せられたてまつりて一代の日夜をつめり。これいく無量を往來せりとしらず。しづかにおもひやりて隨喜すべきなり。

 釋迦牟尼佛の佛面を禮拜したてまつり、釋迦牟尼佛の佛眼をわがまなこにうつしたてまつり、わがまなこを佛眼にうつしたてまつりし佛眼睛なり、佛面目なり。これをあひつたへていまにいたるまで、一世も間斷せず面授しきたれるはこの面授なり。而今の數十代の嫡嫡は、面面なる佛面なり。本初の佛面に面受なり。この正傳面授を禮拜する、まさしく七佛釋迦牟尼佛を禮拜したてまつるなり。迦葉尊者等の二十八佛祖を禮拜供養したてまつるなり。

 佛祖の面目眼睛かくのごとし。この佛祖にまみゆるは、釋迦牟尼佛等の七佛にみえたてまつるなり。佛祖したしく自己を面授する正當恁麼時なり。面授佛の面授佛に面授するなり。葛藤をもて葛藤に面授してさらに斷絶せず。眼を開して眼に眼授し、眼受す。面をあらはして面に面授し、面受す。面授は面處の受授なり。心を拈じて心に心授し、心受す。身を現じて身を身授するなり。他方他國もこれを本祖とせり。震旦國以東、ただこの佛正傳の屋裏のみ面授面受あり。あらたに如來をみたてまつる正眼をあひつたへきたれり。

 釋迦牟尼佛面を禮拜するとき、五十一世ならびに七佛祖宗、ならべるにあらず、つらなるにあらざれども、倶時の面授あり。一世も師をみざれば弟子にあらず、弟子をみざれば師にあらず。さだまりてあひみ、あひみえて、面授しきたれり。嗣法しきたれるは、祖宗の面授處道現成なり。このゆゑに、如來の面光を直拈しきたれるなり。

 しかあればすなはち、千年萬年、百劫億劫といへども、この面授これ釋迦牟尼佛の面現成授なり。この佛祖現成せるには、世尊、迦葉、五十一世、七代祖宗の影現成なり、光現成なり。身現成なり、心現成なり。尖脚來なり、尖鼻來なり。一言いまだ領覽せず、半句いまだ不會せずといふとも、師すでに裏頭より弟子をみ、弟子すでに頂𩕳より師を拜しきたれるは、正傳の面授なり。

 かくのごとくの面授を尊重すべきなり。わづかに心跡を心田にあらはせるがごとくならん、かならずしも太尊貴生なるべからず。換面に面授し、廻頭に面授あらんは、面皮厚三寸なるべし、面皮薄一丈なるべし。すなはちの面皮、それ諸佛大圓鏡なるべし。大圓鑑を面皮とせるがゆゑに、内外無瑕翳なり。大圓鑑の大圓鑑を面授しきたれるなり。

 まのあたり釋迦牟尼佛をみたてまつる正法を正傳しきたれるは、釋迦牟尼佛よりも親曾なり。眼尖より前後三三の釋迦牟尼佛を見出現せしむるなり。かるがゆゑに、釋迦牟尼佛をおもくしたてまつり、釋迦牟尼佛を戀慕したてまつらんは、この面授正傳をおもくし尊崇し、難値難遇の敬重禮拜すべし。すなはち如來を禮拜したてまつるなり。如來に面授せられたてまつるなり。あらたに面授如來の正傳參學の宛然なるを拜見するは、自己なりとおもひきたりつる自己なりとも、他己なりとも、愛惜すべきなり、護持すべきなり。

 

 屋裏に正傳しいはく、八塔を禮拜するものは罪障解脱し、道果感得す。これ釋迦牟尼佛の道現成處を生處に建立し、轉法輪處に建立し、成道處に建立し、涅槃處に建立し、曲女城邊にのこり、菴羅衞林にのこれる、大地を成じ、大空を成ぜり。乃至聲香味觸法色處等に塔成せるを禮拜するによりて、道果現感す。この八塔を禮拜するを、西天竺國のあまねき勤修として、在家出家、天衆人衆、きほうて禮拜供養するなり。これすなはち一卷の經典なり。佛經はかくのごとし。いはんやまた、三十七品の法を修行して、道果を箇箇生生に成就するは、釋迦牟尼佛の亙古亙今の修行修治の蹤跡を、處處の古路に流布せしめて、古今に歴然せるがゆゑに成道す。

 しるべし、かの八塔の層層なる、霜華いくばくかあらたまる。風雨しばしばをかさんとすれど、空にあとせり、色にあとせるその功徳を、いまの人にをしまざること減少せず。かの根力覺道、いま修行せんとするに、煩惱あり、惑障ありといへども、修證するに、そのちからなほいまあらたなり。

 釋迦牟尼佛の功徳、それかくのごとし。いはんやいまの面授は、かれらに比準すべからず。かの三十七品菩提分法は、かの佛面佛心、佛身佛道、佛光佛舌等を根元とせり。かの八塔の功徳聚、また佛面等を本基とせり。いま學佛法の漢として、透脱の活路に行履せんに、靜の晝夜、つらつら思量功夫すべし、歡喜隨喜すべきなり。

 いはゆるわがくには他國よりもすぐれ、わが道はひとり無上なり。他方にはわれらがごとくならざるともがらおほかり。わがくに、わが道の無上獨尊なるといふは、靈山の衆會、あまねく十方に化導すといへども、少林の正嫡まさしく震旦の教主なり。曹谿の兒孫、いまに面授せり。このとき、これ佛法あらたに入泥入水の好時節なり。このとき證果せずは、いづれのときか證果せん。このとき斷惑せずは、いづれのときか斷惑せん。このとき作佛ならざらんは、いづれのときか作佛ならん。このとき坐佛ならざらんは、いづれのときか行佛ならん。審細の功夫なるべし。

 

 釋迦牟尼佛かたじけなく迦葉尊者に附囑面授するにいはく、吾有正法眼藏、附囑摩訶迦葉とあり。

 嵩山會上には、菩提達磨尊者まさしく二祖にしめしていはく、汝得吾髓。

 はかりしりぬ、正法眼藏を面授し、汝得吾髓の面授なるは、ただこの面授のみなり。この正當恁麼時、なんぢがひごろの骨髓を透脱するとき、佛祖面授あり。大悟を面授し、心印を面授するも、一隅の特地なり。傳盡にあらずといへども、いまだ欠悟の道理を參究せず。

 おほよそ佛祖大道は、唯面授面受、受面授面のみなり。さらに剩法あらず、虧闕あらず。この面授のあふにあへる自己の面目をも、隨喜歡喜、信受奉行すべきなり。

 道元、大宋寶慶元年乙酉五月一日、はじめて先師天童古佛を禮拜面授す。やや堂奥を聽許せらる。わづかに身心を脱落するに、面授を保任することありて、日本國に本來せり。

 

正法眼藏第五十一

 

 爾時寛元元年癸卯十月二十日在越宇吉田縣吉峰精舍示衆

 

 佛道の面授かくのごとくなる道理をかつて見聞せず、參學なきともがらあるなかに、大宋國仁宗皇帝の御宇、景祐年中に薦福寺の承古禪師といふものあり。

 上堂云、雲門匡眞大師、如今現在、諸人還見麼。若也見得、便是山僧同參。見麼見麼。此事直須諦當始得、不可自謾(雲門匡眞大師、如今現在せり、諸人還た見麼。若し也た見得ならば便ち是れ山僧と同參ならん。見麼、見麼。此の事直に須らく諦當にして始得ならん、自ら謾ずべからず)。

 且如往古黄檗、聞百丈和尚擧馬大師下喝因緣、他因大省(且く往古の黄檗の如き、百丈和尚の馬大師下喝の因緣を擧するを聞いて、他因みに大省せり)。

 百丈問、子向後莫嗣大師否(子向後大師に嗣すること莫しや否や)。

 黄檗云、某雖識大師、要且不見大師。若承嗣大師、恐喪我兒孫(某大師を識ると雖も、要且不見大師。若し大師に承嗣せば、恐らくは我が兒孫を喪せん)。

 大衆、當時馬大師遷化、未得五年。黄檗自言不見、當知、黄檗見所不圓。要且祗具一隻眼。山僧卽不然、識得雲門大師、亦見得雲門大師。方可雲門承嗣大師。祗如雲門、入滅已得一百餘年。如今作麼生説箇親見底道理。會麼。通人達士、方可證明。眇劣之徒、心生疑謗、見得不在言之、未見者、如今看取不。請久立珍重(大衆、當時馬大師遷化して未得五年なり。黄檗自ら不見と言ふ。當に知るべし、黄檗の見所不圓なり。要且祗一隻眼を具せり。山僧は卽ち然らず。雲門大師を識得し、亦雲門大師を見得せり。方に雲門大師を承嗣すべし。祗雲門の如きは、入滅して已得一百餘年なり。如今作麼生か箇の親見底の道理を説かん。會麼。通人達士にして方に證明すべし。眇劣の徒らは心に疑謗を生ず。見得は之を言ふこと在らず。未見の者、如今看取すや不や。請すらくは久立珍重)。

 いまなんぢ雲門大師をしり、雲門大師をみることをたとひゆるすとも、雲門大師まのあたりなんぢをみるやいまだしや。雲門大師なんぢをみずは、なんぢ承嗣雲門大師不得ならん。雲門大師いまだなんぢをゆるさざるがゆゑに、なんぢもまた雲門大師われをみるといはず。しりぬ、なんぢ雲門大師といまだ相見せざりといふことを。

 七佛諸佛の過去現在未來に、いづれの佛祖か師資相見せざるに嗣法せる。なんぢ黄檗を見處不圓といふことなかれ。なんぢいかでか黄檗の行履をはからん。黄檗の言句をはからん。黄檗は古佛なり、嗣法に究參なり。なんぢは嗣法の道理かつて夢也未見聞參學在なり。黄檗は師に嗣法せり、祖を保任せり。黄檗は師にまみえ、師をみる。なんぢはすべて師をみず、祖をしらず。自己をしらず、自己をみず。なんぢをみる師なし、なんぢ師眼いまだ參開せず。眞箇なんぢ見處不圓なり、嗣法未圓なり。

 なんぢしるやいなや。雲門大師はこれ黄檗の法孫なることを。なんぢいかでか百丈黄檗の道處を測量せん。雲門大師の道處、なんぢなほ測量すべからず。百丈黄檗の道處は、參學のちからあるもの、これを拈擧するなり。直指の落處あるもの、測量すべし。なんぢは參學なし、落處なし。しるべからず、はかるべからざるなり。

 馬大師遷化未得五年なるに、馬大師に嗣法せずといふ、まことにわらふにもたらず。たとひ嗣法すべくは、無量劫ののちなりとも嗣法すべし。嗣法すべからざらんは、半日なりとも須臾なりとも、嗣法すべからず。なんぢすべて佛道の日面月面をみざる、暗者愚蒙なり。

 雲門大師入滅已得一百餘年なれども雲門に承嗣すといふ、なんぢにゆゆしきちからありて雲門に承嗣するか。三歳の孩兒よりはかなし。一千年ののち雲門に嗣法せんものは、なんぢに十倍せるちからあらん。われいまなんぢをすくふ、いばらく話頭を參學すべし。

 百丈の道取する、子向後莫承嗣大師否の道取は、馬大師に嗣法せよといふにはあらぬなり。しばらくなんぢ師子奮迅話を參學すべし、烏龜倒上樹話を參學して、進歩退歩の活路を參學すべし。嗣法に恁麼の參學力あるなり。黄檗のいふ恐喪我兒孫のことば、すべてなんぢはかるべからず。我の道取および兒孫の人、これたれなりとかしれる。審細に參學すべし。かくれずあらはして道現成せり。

 しかあるを、佛國禪師惟白といふ、佛祖の嗣法にくらきによりて、承古を雲門の法嗣に排列せり、あやまりなるべし。晩進しらずして、承古も參學あらんとおもふことなかれ。

 なんぢがごとく文字によりて嗣法すべくは、經書をみて發明するものはみな釋迦牟尼佛に嗣法するか、さらにしかあらざるなり。經書によれる發明、かならず正師の印可をもとむるなり。

 なんぢ承古がいふごとくには、なんぢ雲門の語録なほいまだみざるなり。雲門の語をみしともがらのみ雲門には嗣法せり。なんぢ自己眼をもていまだ雲門をみず、自己眼をもて自己をみず、雲門眼をもて雲門をみず、雲門眼をもて自己をみず。かくのごとくの未參究おほし。さらに草鞋を買來買去して、正師をもとめて嗣法すべし。なんぢ雲門大師に嗣すといふことなかれ。もしかくのごとくいはば、すなはち外道の流類なるべし。たとひ百丈なりとも、なんぢがいふがごとくいはば、おほきなるあやまりなるべし。

 

 

正法眼藏第五十二 佛祖

 宗禮

 佛祖の現成は、佛祖を擧拈して奉覲するなり。過現當來のみにあらず、佛向上よりも向上なるべし。まさに佛祖の面目を保任せるを拈じて、禮拜し相見す。佛祖の功徳を現擧せしめて住持しきたり、體證しきたれり。

 毘婆尸佛大和尚   此云廣説

 尸棄佛大和尚    此云火

 毘舍浮佛大和尚   此云一切慈

 拘留孫佛大和尚   此云金仙人

 拘那含牟尼佛大和尚 此云金色仙

 迦葉佛大和尚    此云飮光

 釋迦牟尼佛大和尚  此云能忍寂默

 摩訶迦葉大和尚

 阿難陀大和尚

 商那和修大和尚

 優婆毱多大和尚

 提多迦大和尚

 彌遮迦大和尚

 婆須蜜多大和尚

 佛陀難提大和尚

 伏駄蜜多大和尚

 婆栗濕縛大和尚

 富那夜奢大和尚

 馬鳴大和尚

 迦毘摩羅大和尚

 那伽閼刺樹那大和尚 又龍樹、又龍勝、又龍猛

 伽那提婆大和尚

 羅睺羅多大和尚

 僧伽難提大和尚

 伽耶舍多大和尚

 鳩摩羅多大和尚

 闍夜多大和尚

 婆修盤頭大和尚

 摩拏羅大和尚

 鶴勒那大和尚

 獅子大和尚

 婆舍斯多大和尚

 不如蜜多大和尚

 般若多羅大和尚

 菩提達磨大和尚

 慧可大和尚

 僧璨大和尚

 道信大和尚

 弘忍大和尚

 慧能大和尚

 行思大和尚

 希遷大和尚

 惟儼大和尚

 曇晟大和尚

 良价大和尚

 道膺大和尚

 道丕大和尚

 觀志大和尚

 緣觀大和尚

 警玄大和尚

 義靑大和尚

 道楷大和尚

 子淳大和尚

 淸了大和尚

 宗珏大和尚

 智鑑大和尚

 如淨大和尚[東地廿三代]

 道元

 大宋國寶慶元年乙酉夏安居時、先師天童古佛大和尚に參侍して、この佛祖を禮拜頂戴することを究盡せり。唯佛與佛なり。

 

正法眼藏第五十二佛祖

 

 爾時仁治二年辛丑正月三日書于日本國雍州宇治縣觀音導利興聖寶林寺而示衆

 

 

正法眼藏第五十三 梅花

 先師天童古佛者、大宋慶元府太白名山天童景徳寺第三十代堂上大和尚なり。

 上堂示衆云、天童仲冬第一句、槎槎牙牙老梅樹。忽開花一花兩花、三四五花無數花。淸不可誇、香不可誇。散作春容吹草木、衲僧箇箇頂門禿。驀箚變怪狂風暴雨、乃至交袞大地雪漫漫。老梅樹、太無端、寒凍摩挲鼻孔酸(上堂の示衆に云く、天童仲冬の第一句、槎槎たり牙牙たり老梅樹。忽ちに開花す一花兩花、三四五花無數花。淸誇るべからず、香誇るべからず。散じては春の容と作りて草木を吹く、衲僧箇箇頂門禿なり。驀箚に變怪する狂風暴雨あり、乃至大地に交袞てる雪漫漫たり。老梅樹、太だ無端なり、寒凍摩挲として鼻孔酸し)。

 いま開演ある老梅樹、それ太無端なり、忽開花す、自結果す。あるいは春をなし、あるいは冬をなす。あるいは狂風をなし、あるいは暴雨をなす。あるいは衲僧の頂門なり、あるいは古佛の眼睛なり。あるいは草木となれり、あるいは淸香となれり。驀箚なる神變神怪きはむべからず。乃至大地高天、明日淸月、これ老梅樹の樹功より樹功せり。葛藤の葛藤を結纏するなり。老梅樹の忽開花のとき、花開世界起なり。花開世界起の時節、すなはち春到なり。この時節に、開五葉の一花あり。この一花時、よく三花四花五花あり。百花千花萬花億花あり。乃至無數花あり。これらの花開、みな老梅樹の一枝兩枝無數枝の不可誇なり。優曇華優鉢羅花等、おなじく老梅樹花の一枝兩枝なり。おほよそ一切の花開は、老梅樹の恩給なり。人中天上の老梅樹あり、老梅樹中に人間天堂を樹功せり。百千花を人天花と稱ず。萬億花は佛祖花なり。恁麼の時節を、諸佛出現於世と喚作するなり。祖師本來茲土と喚作するなり。

 

 先師古佛、上堂示衆云、瞿曇打失眼睛時、雪裏梅花只一枝。而今到處成荊棘、却笑春風繚亂吹(瞿曇眼睛を打失する時、雪裏の梅花只だ一枝なり。而今到處に荊棘を成す、却つて笑ふ春風の繚亂として吹くことを)。

 いまこの古佛の法輪を盡界の最極に轉ずる、一切人天の得道の時節なり。乃至雲雨風水および草木昆蟲にいたるまでも、法益をかうむらずといふことなし。天地國土もこの法輪に轉ぜられて活鱍鱍地なり。未曾聞の道をきくといふは、いまの道を聞著するをいふ。未曾有をうるといふは、いまの法を得著するを稱ずるなり。おほよそおぼろげの福徳にあらずは、見聞すべからざる法輪なり。

 いま現在大宋國一百八十州の内外に、山寺あり、人里の寺あり、そのかず稱計すべからず。そのなかに雲水おほし。しかあれども、先師古佛をみざるはおほく、みたるはすくなからん。いはんやことばを見聞するは少分なるべし。いはんや相見問訊のともがらおほからんや。いはんや堂奥をゆるさるる、いくばくにあらず。いかにいはんや先師の皮肉骨髓、眼睛面目を禮拜することを聽許せられんや。

 先師古佛たやすく僧家の討掛搭をゆるさず。よのつねにいはく、無道心慣頭、我箇裏不可也。すなはちおひいだす。出了いはく、不一本分人、要作甚麼。かくのごときの狗子は騷人なり、掛搭不得といふ。

 まさしくこれをみ、まのあたりこれをきく。ひそかにおもふらくは、かれらいかなる罪根ありてか、このくにの人なりといへども、共住をゆるされざる。われなにのさいはひありてか、遠方外國の種子なりといへども、掛搭をゆるさるるのみにあらず、ほしきままに堂奥に出入して尊儀を禮拜し、法道をきく。愚暗なりといへども、むなしかるべからざる結良緣なり。先師の宋朝を化せしとき、なほ參得人あり、參不得人ありき。先師古佛すでに宋朝をさりぬ、暗夜よりもくらからん。ゆゑはいかん。先師古佛より前後に、先師古佛のごとくなる古佛なきがゆゑにしかいふなり。

 しかあれば、いまこれを見聞せんときの晩學おもふべし、自餘の諸方の人天も、いまのごとくの法輪を見聞すらん、參學すらんとおもふことなかれ。雪裏梅花は一現の曇花なり。ひごろはいくめぐりか我佛如來の正法眼睛を拜見しながら、いたづらに瞬目を蹉過して破顔せざる。而今すでに雪裏の梅花まさしく如來の眼睛なりと正傳し、承當す。これを拈じて頂門眼とし、眼中睛とす。さらに梅花裏に參到して梅花を究盡するに、さらに疑著すべき因緣いまだきたらず。これすでに天上天下唯我獨尊の眼睛なり、法界中尊なり。

 しかあればすなはち、天上の天花、人間の天花、天雨曼陀羅華、摩訶曼陀羅花、曼殊沙花、摩訶曼殊沙花および十方無盡國土の諸花は、みな雪裏梅花の眷屬なり。梅花の恩徳分をうけて花開せるがゆゑに、百億花は梅花の眷屬なり、小梅花と稱ずべし。乃至空花地花三昧花等、ともに梅花の大小の眷屬群花なり。花裡に百億國をなす、國土に開花せる、みなこの梅花の恩分なり。梅花の恩分のほかは、さらに一恩の雨露あらざるなり。命脈みな梅花よりなれるなり。

 ひとへに嵩山少林の雪漫漫地と參學することなかれ。如來の眼睛なり。頭上をてらし、脚下をてらす。ただ雪山雪宮のゆきと參學することなかれ、老瞿曇の正法眼睛なり。五眼の眼睛このところに究盡せり。千眼の眼睛この眼睛に圓成すべし。

 まことに老瞿曇の身心光明は、究盡せざる諸法實相の一微塵あるべからず。人天の見別ありとも、凡聖の情隔すとも、雪漫漫は大地なり、大地は雪漫漫なり。雪漫漫にあらざれば盡界に大地あらざるなり。この雪漫漫の表裏團圝、これ瞿曇老の眼睛なり。

 しるべし、花地悉無生なり、花無生なり。花無生なるゆゑに地無生なり。花地悉無生のゆゑに、眼睛無生なり。無生といふは無上菩提をいふ。正當恁麼時の見取は、梅花只一枝なり。正當恁麼時の道取は、雪裏梅花只一枝なり。地花生生なり。

 これをさらに雪漫漫といふは、全表裏雪漫漫なり。盡界は心地なり、盡界は花情なり。盡界花情なるゆゑに、盡界は梅花なり。盡界梅花なるがゆゑに、盡界は瞿曇の眼睛なり。而今の到處は、山河大地なり。到事到時、みな吾本來茲土、傳法救迷情、一花開五葉、結果自然成の到處現成なり。西來東漸ありといへども、梅花而今の到處なり。

 而今の現成かくのごとくなる、成荊棘といふ。大枝に舊枝新枝の而今あり、小條に舊條新條の到處あり。處は到に參學すべし、到は今に參學すべし。三四五六花裏は、無數花裏なり。花に裏功徳の深廣なる具足せり、表功徳の高大なるを開闡せり。この表裏は、一花の花發なり。只一枝なるがゆゑに、異枝あらず、異種あらず。一枝の到處を而今と稱ずる、瞿曇老漢なり。只一枝のゆゑに、附囑嫡嫡なり。

 このゆゑに、吾有の正法眼藏、附囑摩訶迦葉なり。汝得は吾髓なり。かくのごとく到處の現成、ところとしても大尊貴生にあらずといふことなきがゆゑに、開五葉なり、五葉は梅花なり。このゆゑに、七佛祖あり。西天二十八祖、東土六祖、および十九祖あり。みな只一枝の開五葉なり、五葉の一枝なり。一枝を參究し、五葉を參究しきたれば、雪裏梅花の正傳附囑相見なり。只一枝の語脈裏に轉身轉心しきたるに、雲月是同なり、谿山各別なり。

 しかあるを、かつて參學眼なきともがらいはく、五葉といふは、東地の五代と初祖とを一花として、五世をならべて、古今前後にあらざるがゆゑに五葉といふと。この言は、擧して勘破するにたらざるなり。これらは參佛參祖の皮袋にあらず、あはれむべきなり。五葉一花の道、いかでか五代のみならん。六祖よりのちは道取せざるか。小兒子の説話におよばざるなり。ゆめゆめ見聞すべからず。

 

 先師古佛、歳旦上堂曰、元正啓祚、萬物咸新。伏惟大衆、梅開早春(元正祚を啓き、萬物咸く新たなり。伏して惟れば大衆、梅、早春に開く)。

 しづかにおもひみれば、過現當來の老古錐、たとひ盡十方に脱體なりとも、いまだ梅開早春のみちあらずは、たれかなんぢを道盡箇といはん。ひとり先師古佛のみ古佛中の古佛なり。

 その宗旨は、梅開に帶せられて萬春はやし。萬春は梅裏一兩の功徳なり。一春なほよく萬物を咸新ならしむ、萬法を元正ならしむ。啓祚は眼睛正なり。萬物といふは、過現來のみにあらず、威音王以前乃至未來なり。無量無盡の過現來、ことごとく新なりといふがゆゑに、この新は新を脱落せり。このゆゑに伏惟大衆なり。伏惟大衆は恁麼なるがゆゑに。

 

 先師天童古佛、上堂示衆云、一言相契、萬古不移。柳眼發新條、梅花滿舊枝(一言相契すれば萬古不移なり。柳眼新條を發き、梅花舊枝に滿つ)。

 いはく百大劫の辨道は、終始ともに一言相契なり。一念頃の功夫は、前後おなじく萬古不移なり。新條を繁茂ならしめて眼睛を發明する、新條なりといへども眼睛なり。眼睛の他にあらざる道理なりといへども、これを新條と參究す。新は萬物咸新に參學すべし。梅花滿舊枝といふは、梅花全舊枝なり、通舊枝なり。舊枝是梅花なり。たとへば、花枝同條參、花枝同條生、花枝同條滿なり。花枝同條滿のゆゑに、吾有正法、附囑迦葉なり。面面滿拈花、花花滿破顔なり。

 

 先師古佛、上堂示大衆云、楊柳粧腰帶、梅花絡臂鞲(先師古佛、上堂して大衆に示すに云く、楊柳腰帶を粧ひ、梅花臂鞲を絡く)。

 かの臂鞲は、蜀錦和璧にあらず、梅花開なり。梅華開は、隨吾得汝なり。

 

 波斯匿王、請賓頭盧尊者齋次、王問、承聞、尊者親見佛來。是不(波斯匿王、賓頭盧尊者を請じて齋する次でに、王問ふ、承聞すらくは、尊者親り佛を見來ると。是なりや不や)。

 尊者以手策起眉毛示之(尊者、手を以て眉毛を策起して之を示す)。

 先師古佛頌云(先師古佛頌して云く)、

 策起眉毛答問端、

 親曾見佛不相瞞。

 至今應供四天下、

 春在梅梢帶雲寒。

 (眉毛を策起して問端に答ふ、親曾の見佛相瞞ぜず。今に至るまで四天下に應供す、春梅梢に在りて雲を帶して寒し。)

 この因緣は、波斯匿王ちなみに尊者の見佛未見佛を問取するなり。見佛といふは作佛なり。作佛といふは策起眉毛なり。尊者もしただ阿羅漢果を證すとも、眞阿羅漢にあらずは見佛すべからず。見佛にあらずは作佛すべからず。作佛にあらずは策起眉毛佛不得ならん。

 しかあればしるべし、釋迦牟尼佛の面授の弟子として、すでに四果を證して後佛の出世をまつ、尊者いかでか釋迦牟尼佛をみざらん。この見釋迦牟尼佛は見佛にあらず。釋迦牟尼佛のごとく見釋迦牟尼佛なるを見佛と參學しきたれり。波斯匿王この參學眼を得開せるところに、策起眉毛の好手にあふなり。親曾見佛の道旨、しづかに參學眼あるべし。この春は人間にあらず、佛國にかぎらず、梅梢にあり。なにとしてかしかるとしる、雪寒の眉毛策なり。

 

 先師古佛云、本來面目無生死、春在梅花入畫圖(本來の面目生死無し、春は梅花に在って畫圖に入る)。

 春を畫圖するに、楊梅桃李を畫すべからず。まさに春を畫すべし。楊梅桃李を畫するは楊梅桃李を畫するなり、いまだ春を畫せるにあらず。春は畫せざるべきにあらず。しかあれども、先師古佛のほかは、西天東地のあひだ、春を畫せる人はいまだあらず。ひとり先師古佛のみ、春を畫する尖筆頭なり。

 いはゆるいまの春は畫圖の春なり、入畫圖のゆゑに。これ餘外の力量をとぶらはず、ただ梅花をして春をつかはしむるゆゑに、畫にいれ、木にいるるなり。善巧方便なり。

 先師古佛、正法眼藏あきらかなるによりて、この正法眼藏を過去現在未來の十方に聚會する佛祖に正傳す。このゆゑに眼睛を究徹し、梅花を開明せり。

 

正法眼藏第五十三

 

 爾時日本國寛元元年癸卯十一月六日在越州吉田縣吉嶺寺深雪參尺大地漫漫

 

 もしおのづから自魔きたりて、梅花は瞿曇の眼睛ならずとおぼえば、思量すべし、このほかに何法の梅花よりも眼睛なりぬべきを擧しきたらんにか、眼睛とみん。そのときもこれよりほかに眼睛をもとめば、いづれのときも對面不相識なるべし、相逢未拈出なるべきがゆゑに。今日はわたくしの今日にあらず、大家の今日なり。直に梅花眼睛を開明なるべし、さらにもとむることやみね。

 

 先師古佛云、

 明明歴歴、

 梅花影裏休相覓。

 爲雨爲雲自古今、

 古今寥寥有何極。

 (明明歴歴たり、梅花の影裏に相覓むること休みね。雨を爲し雲を爲すこと古今よりす、古今寥寥たり何の極まりか有らん。)

 しかあればすなはち、くもをなしあめをなすは、梅花の云爲なり。行雲行雨は梅花の千曲萬重色なり、千功徳なり。自古今は梅花なり。梅花を古今と稱ずるなり。

 古來、法演禪師いはく、

 朔風和雪振谿林、

 萬物濳藏恨不深。

 唯有嶺梅多意氣、

 臘前吐出歳寒心。

 (朔風雪に和して谿林に振ひ、萬物濳し藏るること恨み深からず。唯嶺の梅のみ有りて意氣多し、臘前に吐出す歳寒の心。)

 しかあれば、梅花の消息を通ぜざるほかは、歳寒心をしりがたし。梅花小許の功徳を朔風に和合して雪となせり。はかりしりぬ、風をひき雪をなし、歳を序あらしめ、および溪林萬物をあらしむる、みな梅花力なり。

 

 太原孚上座、頌悟道云(悟道を頌するに云く)、

 憶昔當初未悟時、

 一聲畫角一聲悲。

 如今枕上無閑夢、

 一任梅花大小吹。

 (憶昔る當初未悟の時、一聲の畫角一聲悲なり。如今枕の上に閑なる夢なし、一任す梅花大小に吹くことを。)

 孚上座はもと講者なり。夾山の典座に開發せられて大悟せり。これ梅花の春風を大小吹せしむるなり。

 

 

正法眼藏第五十四 洗淨

 佛祖の護持しきたれる修證あり、いはゆる不染汚なり。

 南嶽山觀音院大慧禪師、因六祖問、還假修證不(また修證を假るや不や)。

 大慧云、修證不無、染汚卽不得(修證は無きにあらず、染汚することは卽ち不得なり)。

 六祖云、只是不染汚、諸佛之所護念。汝亦如是吾亦如是、乃至西天祖師亦如是云云(只是の不染汚、諸佛の所護念なり。汝もまた如是、吾もまた如是、乃至西天の祖師もまた如是なり云云)。

 

 大比丘三千威儀經云、淨身者、洗大小便、剪十指爪(淨身とは、大小便を洗ひ、十指の爪を剪るなり)。

 しかあれば、身心これ不染汚なれども、淨身の法あり、心あり。ただ身心をきよむるのみにあらず、國土樹下をもきよむるなり。國土いまだかつて塵穢あらざれども、きよむるは諸佛之所護念なり。佛果にいたりてなほ退せず、癈せざるなり。その宗旨、はかりつくすべきことかたし。作法これ宗旨なり、得道これ作法なり。

 

 華嚴經淨行品云、

 左右便利、當願衆生、蠲除穢汚、無婬怒癡(便利を左右せんには當に願ふべし、衆生、穢汚を蠲除きて婬怒癡無からんことを)。

 已而就水、當願衆生、向無上道、得出世法(已に水に就かんには當に願ふべし、衆生、無上道に向ひて出世の法を得んことを)。

 以水滌穢、當願衆生、具足淨忍、畢竟無垢(水を以て穢を滌がんには當に願ふべし、衆生、淨忍を具足して畢竟垢無からんことを)。

 水かならずしも本淨にあらず、本不淨にあらず。身かならずしも本淨にあらず、本不淨にあらず。諸法またかくのごとし。水いまだ情非情にあらず、身いまだ情非情にあらず、諸法またかくのごとし。佛世尊の説、それかくのごとし。しかあれども、水をもて身をきよむるにあらず。佛法によりて佛法を保任するにこの儀あり。これを洗淨と稱ず。佛祖の一身心をしたしくして正傳するなり。佛祖の一句子をちかく見聞するなり。佛祖の一光明をあきらかに住持するなり。おほよそ無量無邊の功徳を現成せしむるなり。身心に修行を威儀せしむる正當恁麼時、すなはち久遠の本行を具足圓成せり。このゆゑに、修行の身心本現するなり。

 

 十指の爪をきるべし。十指といふは、左右の兩手の指のつめなり。足指の爪、おなじくきるべし。

 經にいはく、つめのながさもし一麥ばかりになれば罪をうるなり。

 しかあれば、爪をながくすべからず。爪のながきは、おのづから外道の先蹤なり。ことさらつめをきるべし。

 しかあるに、いま大宋國の僧家のなかに、參學眼そなはらざるともがら、おほく爪をながからしむ。あるいは一寸兩寸、および三四寸にながきもあり。これ非法なり。佛法の身心にあらず。佛家の稽古あらざるによりてかくのごとし。有道の尊宿はしかあらざるなり。あるいは長髪ならしむるともがらあり、これも非法なり。大國の僧家の所作なりとして、正法ならんとあやまることなかれ。

 先師古佛、ふかくいましめのことばを、天下の僧家の長髪長爪のともがらにたまふにいはく、不會淨髪、不是俗人、不是僧家、便是畜生。古來佛祖、誰是不淨髪者。如今不會淨髪箇、眞箇是畜生(淨髪を會せざらんは、是れ俗人にあらず、是れ僧家にあらず、便是畜生なり。古來の佛祖、誰か是れ淨髪せざる者ならんや。如今淨髪箇を會せざらんは、眞箇是畜生なり)。

 かくのごとく示衆するに、年來不剃頭のともがら、剃頭せるおほし。

 あるいは上堂、あるいは普説のとき、彈指かまびすしくして責呵す。いかなる道理としらず。胡亂に長髪長爪なる、あはれむべし、南閻浮の身心をして非道におけること。近來二三百年、祖師道癈せるゆゑにしかのごとくのともがらおほし。かくのごとくのやから、寺院の主人となり、師號に署して爲衆の相をなす、人天の無福なり。いま天下の諸山に、道心箇渾無なり、得道箇久絶なり、祇管破落儻のみなり。

 かくのごとく普説するに、諸方に長老の名をみだりにせるともがら、うらみず、陳説なし。しるべし、長髪は佛祖のいましむるところ、長爪は外道の所行なり。佛祖の兒孫、これらの非法をこのむべからず。身心をきよらしむべし、剪爪剃髪すべきなり。

 

 洗大小便おこたらしむることなかれ。舍利弗この法をもて外道を降伏せしむることありき。外道の本期にあらず、身子が素懷にあらざれども、佛祖の威儀現成するところに、邪法おのづから伏するなり。

 樹下露地に修習するときは起屋なし、便宜の溪谷河水等によりて、分土洗淨するなり。これは灰なし、ただ二七丸の土をもちゐる。二七丸をもちゐる法は、まづ法衣をぬぎてたたみおきてのち、くろからず、黄色なる土をとりて、一丸のおほきさ、大なる大豆許に分して、いしのうへ、あるいは便宜のところに、七丸をひとならべにおきて、二七丸をふたへにならべおく。そののち、磨石にもちゐるべき石をまうく。そののち屙す。屙後使籌、あるいは使紙。そののち水邊にいたりて洗淨する、まづ三丸の土をたづさへて洗淨す。一丸土を掌にとりて、水すこしばかりをいれて、水に合してときて、泥よりもうすく、漿ばかりになして、まづ小便を洗淨す。つぎに一丸の土をもてさきのごとくして大便處を洗淨す。つぎに一丸の土をさきのごとくして略して觸手をあらふ。

 寺舍に居してよりこのかたは、その屋を起立せり。これを東司と稱ず。ふるきには圊といひ、廁といふときもありき。僧家の所住にかならずあるべき屋舍なり。

 

 東司にいたる法は、かならず手巾をもつ。その法は、手巾をふたへにをりて、ひだりのひぢのうへにあたりて、衫袖のうへにかくるなり。すでに東司にいたりては、淨竿に手巾をかくべし。かくる法は、臂にかけたりつるがごとし。もし九條七條等の袈裟を著してきたれらば、手巾にならべてかくべし。おちざらんやうに打併すべし。倉卒になげかくることなかれ。よくよく記號すべし。記號といふは、淨竿に字をかけり。白紙にかきて月輪のごとく圓にして、淨竿につけ列せり。しかあるを、いづれの字にわが直裰はおけりとわすれず、みだらざるを記號といふなり。衆家おほくきたらんに、自他の竿位を亂すべからず。

 このあひだ、衆家きたりてたちつらなれば、叉手して揖すべし。揖するに、かならずしもあひむかひて曲躬せず。ただ叉手をむねのまへにあてて氣色ある揖なり。東司にては、直裰を著せざるにも、衆家と揖し氣色するなり。もし兩手ともにいまだ觸せず、兩手ともにものをひさげざるには、兩手を叉して揖すべし。もしすでに一手を觸せしめ、一手にものを提せらんときは、一手にて揖すべし。一手にて揖するには、手をあふげて、指頭すこしきかがめて、水を掬せんとするがごとくしてもちて、頭をいささか低頭せんとするがごとく揖するなり。他、かくのごとくせば、おのれかくのごとくすべし。おのれかくのごとくせば、他またしかあるべし。

 褊衫および直裰を脱して、手巾のかたはらにかくる法は、直裰をぬぎとりて、ふたつのそでをうしろへあはせて、ふたつのわきのしたをとりあはせてひきあぐれば、ふたつのそでかさなれる。このときは、左手にては直裰のうなぢのうらのもとをとり、右手にてはわきをひきあぐれば、ふたつのたもとと左右の兩襟と、かさなるなり。兩袖と兩襟とをかさねて、又たてざまになかよりをりて、直裰のうなぢを淨竿の那邊へなげこす。直裰の裙ならびに袖口等は、竿の遮邊にかかれり。たとへば、直裰の合腰、淨竿にかくるなり。つぎに竿にかけたりつる手巾の遮那兩端をひきちがへて、直裰よりひきこして、手巾のかからざりつるかたにて又ちがへてむすびとどむ。兩三匝もちがへちがへしてむすびて、直裰を淨竿より落地せしめざらんとなり。あるいは直裰にむかひて合掌す。

 つぎに絆子をとりて兩臂にかく。つぎに淨架にいたりて、淨桶に水を盛て、右手に提して淨廁にのぼる。淨桶に水をいるる法は、十分にみつることなかれ、九分を度とす。廁門のまへにして換鞋すべし。蒲鞋をはきて、自鞋を廁門の前に脱するなり。これを換鞋といふ。

 

 禪苑淸規云、欲上東司、應須預往。勿致臨時内逼倉卒。乃疊袈裟、安寮中案上、或淨竿上(東司に上らんと欲はば、須らく預め往くべし。臨時にして内に逼めて倉卒に致すこと勿れ。乃ち袈裟を疊みて寮中の案上或いは淨竿の上に安ずべし)。

 廁内にいたりて、左手にて門扉を掩す。つぎに淨桶の水すこしばかり槽裏に瀉す。つぎに淨桶を當面の淨桶位に安ず。つぎにたちながら槽にむかひて彈指三下すべし。彈指のとき、左手は拳にして、左腰につけてもつなり。[禪苑淸規、三千威儀經文事、入べし]

 つぎに袴口衣角ををさめて、門にむかひて兩足に槽唇の兩邊をふみて、蹲居し、屙す。兩邊をけがすことなかれ、前後にそましむることなかれ。このあひだ默然なるべし。隔壁と語笑し、聲をあげて吟詠することなかれ。涕唾狼藉なることなかれ、怒氣卒暴なることなかれ。壁面に字をかくべからず、廁籌をもて地面を劃すことなかれ。

 

 屙屎退後、すべからく使籌すべし。又かみをもちゐる法あり。故紙をもちゐるべからず。字をかきたらん紙、もちゐるべからず。淨籌觸籌わきまふべし。籌はながさ八寸につくりて三角なり。ふとさは手拇指大なり。漆にてぬれるもあり、未漆なるもあり。觸は籌斗になげおき、淨はもとより籌架にあり。籌架は槽のまへの版頭のほとりにおけり。

 使籌、使紙ののち、洗淨する法は、右手に淨桶をもちて、左手をよくよくぬらしてのち、左手を掬につくりて水をうけて、まづ小便を洗淨す、三度。つぎに大便をあらふ。洗淨如法にして淨潔ならしむべし。このあひだ、あらく淨桶をかたぶけて、水をして手のほかにあましおとし、あましちらして、水をはやくうしなふことなかれ。

 洗淨しおわりて、淨桶を安桶のところにおきて、つぎに籌をとりてのごひかはかす。あるいは紙をもちゐるべし。大小兩處、よくよくのごひかはかすべし。つぎに右手にて袴口衣角をひきつくろいて、右手に淨桶を提して廁門をいづるちなみに、蒲鞋をぬぎて自鞋をはく。つぎに淨架にかへりて、淨桶を本所に安ず。

 

 つぎに洗手すべし。右手に灰匙をとりて、まづすくひて、瓦石のおもてにおきて、右手をもて滴水を點じて觸手をあらふ。瓦石にあててとぎあらふなり。たとへば、さびあるかたなをとにあててとぐがごとし。かくのごとく、灰にて三度あらふべし。つぎに土をおきて、水を點じてあらふこと三度すべし。つぎに右手に皀莢をとりて、小桶の水にさしひたして、兩手あはせてもみあらふ。腕にいたらんとするまでも、よくよくあらふなり。誠心に住して慇懃にあらふべし。灰三、土三、皀莢一なり。あはせて一七度を度とせり。つぎに大桶にてあらふ。このときは面藥土灰等をもちゐず、ただ水にてもゆにてもあらふなり。一番あらひて、その水を小桶にうつして、さらにあたらしき水をいれて兩手をあらふ。

 華嚴經に云く、以水盥掌、當願衆生、得上妙手、受持佛法(水を以て掌を盥ふには當に願ふべし、衆生、上妙の手を得て佛法を受持せんことを)。

 水杓をとらんことは、かならず右手にてすべし。このあひだ、桶杓おとをなし、かまびすしくすることなかれ。水をちらし、皀莢をちらし、水架の邊をぬらし、おほよそ倉卒なることなかれ。狼藉なることなかれ。つぎに公界の手巾に手をのごふ。あるいはみづからが手巾にのごふ。手をのごひをはりて、淨竿のした、直裰のまへにいたりて、絆子を脱して竿にかく。つぎに合掌してのち、手巾をとき、直裰をとりて著す。つぎに手巾を左臂にかけて塗香す。公界に塗香あり、香木を寶瓶形につくれり。その大は拇指大なり。ながさ四指量につくれり。纖索の尺餘なるをもちて、香の兩端に穿貫せり。これを淨竿にかけおけり。これを兩掌をあはせてもみあはすれば、その香氣おのづから兩手に薰ず。絆子を竿にかくるとき、おなじうへにかけかさねて、絆と絆とみだらしめ、亂縷せしむることなかれ。かくのごとくする、みなこれ淨佛國土なり、莊嚴佛國なり。審細にすべし、倉卒にすべからず。いそぎをはりてかへりなばやと、おもひいとなむことなかれ。ひそかに東司上不説佛法の道理を思量すべし。

 

 衆家のきたりゐる面をしきりにまぼることなかれ。廁中の洗淨には冷水をよろしとす、熱湯は腸風をひきおこすといふ。洗手には温湯をもちゐる、さまたげなし。釜一隻をおくことは、燒湯洗手のためなり。

 淸規云、晩後燒湯上油、常令湯水相續、無使大衆動念(晩後には燒湯し上油して、常に湯水を相續せしめ、大衆を動念せしむること無かれ)。

 しかあればしりぬ、湯水ともにもちゐるなり。もし廁中の觸せることあらば、門扉を掩して觸牌をかくべし。もしあやまりて落桶あらば、門扉を掩して落桶牌をかくべし。これらの牌かかれらん局には、のぼることなかれ。もしさきより廁上にのぼれらんに、ほかに人ありて彈指せば、しばらくいづべし。

 

 淸規云、若不洗淨、不得坐僧牀及禮三寶。亦不得受人禮拜(若し洗淨せずは、僧牀に坐し及び三寶を禮すること得ざれ。また人の禮拜を受くること得ざれ)。

 三千威儀經云、若不洗大小便、得突吉羅罪。亦不得僧淨坐具上坐、及禮三寶。設禮無福徳(若し大小便を洗はざれば、突吉羅罪を得。また僧の淨坐具上に坐し、及び三寶を禮すること得ざれ。設禮するとも福徳無からん)。

 しかあればすなはち、辨道功夫の道場、この儀をさきにすべし。あに三寶を禮せざらんや、あに人の禮拜をうけざらんや、あに人を禮せざらんや。佛祖の道場かならずこの威儀あり。佛祖道場中人、かならずこの威儀具足あり。これ自己の強爲にあらず、威儀の云爲なり。諸佛の常儀なり、諸祖の家常なり。ただ此界の諸佛のみにあらず、十方の佛儀なり、淨土穢土の佛儀なり。少聞のともがらおもはくは、諸佛には廁屋の威儀あらず、裟婆世界の諸佛の威儀は淨土の諸佛のごとくにあらずとおもふ。これは學佛道にあらず。しるべし、淨穢は離人の滴血なり。あるときはあたたかなり、あるときはすさまじ。諸佛に廁屋ありしるべし。

 

 十誦律第十四云、羅睺羅沙彌、宿佛廁。佛覺了、佛以右手摩羅睺羅頂、説是偈言(羅睺羅沙彌のとき、佛の廁に宿す。佛覺し了りて佛右手を以て羅睺羅の頂を摩でて、是の偈を説いて言く)、

 汝不爲貧窮、

 亦不失富貴。

 但爲求道故、

 出家應忍苦。

 (汝貧窮の爲にあらず、また富貴を失せるにあらず。但だ求道の爲の故なり、出家は應に苦を忍ぶべし。)

 しかあればすなはち、佛道場に廁屋あり、佛廁屋裏の威儀は洗淨なり。祖祖相傳しきたれり。佛儀のなほのこれる、慕古の慶快なり、あひがたきにあへるなり。いはんや如來かたじけなく廁屋裏にして羅睺羅のために説法しまします。廁屋は佛轉法輪の一會なり。この道場の進止、これ佛祖正傳せり。

 

 摩訶僧祇律第三十四云、廁屋不得在東在北、應在南在西。小行亦如是(廁屋は東に在り北に在ること得ざれ。南に在り西に在るべし。小行もまた是の如し)。

 この方宜によるべし。これ西天竺國の諸精舍の圖なり。如來現在の建立なり。しるべし、一佛の佛儀のみにあらず、七佛の道場なり、精舍なり。諸佛の道場なり、精舍なり。はじめたるにあらず、諸佛の威儀なり。これらをあきらめざらんよりさきは、寺院を草創し、佛法を修行せん、あやまりはおほく、佛威儀そなはらず、佛菩提いまだ現前せざらん。もし道場を建立し、寺院を草創せんには、佛祖正傳の法儀によるべし。これ正嫡正傳の法儀によるべし、これ正嫡正傳なるがゆゑに、その功徳あつめかさなれり。佛祖正傳の嫡嗣にあらざれば佛法の身心いまだしらず、佛法の身心しらざれば佛家の佛業あきらめざるなり。いま大師釋迦牟尼佛の佛法あまねく十方につたはれるといふは、佛身心の現成なり。佛身心現成の正當恁麼時、かくのごとし。

 

正法眼藏第五十四

 

 爾時延應元年己亥冬十月二十三日在雍州宇治縣觀音導利院興聖寶林寺示衆

 

 

正法眼藏第五十五 十方

 拳頭一隻、只箇十方なり。赤心一片、玲瓏十方なり。敲出骨裏髓了也(骨裏の髓を敲出し了れり)。

 釋迦牟尼佛、告大衆言、十方佛土中、唯有一乘法。

 いはゆる十方は、佛土を把來してこれをなせり。このゆゑに、佛土を拈來せざれば十方いまだあらざるなり、佛土なるゆゑに以佛爲主(佛を以て主と爲す)なり。この裟婆國土は、釋迦牟尼佛土なるがごとし。この裟婆世界を擧拈して、八兩半斤をあきらかに記して、十方佛土の七尺八尺なることを參學すべし。

 この十方は、一方にいり一佛にいる、このゆゑに現十方せり。十方一方、是方自方、今方なるがゆゑに眼睛方なり、拳頭方なり、露柱方なり、燈籠方なり。かくのごとくの十方佛土の十方佛、いまだ大小あらず、淨穢あらず。このゆゑに十方の唯佛與佛、あひ稱揚讃歎するなり。さらにあひ誹謗してその長短好惡をとくを轉法輪とし、説法とせず。諸佛および佛子として、助發問訊するなり。

 佛祖の法を稟受するには、かくのごとく參學するなり。外道魔儻のごとく是非毀辱することあらざるなり。いま眞丹國につたはれる佛經を披閲して、一化の始終を覰見するに、釋迦牟尼佛いまだかつて他方の諸佛それ劣なりととかず、他方の諸佛それ勝なりととかず。また他方の諸佛は諸佛にあらずととかず。おほよそ一代の説教にすべてみえざるところは、諸佛のあひ是非する佛語なり。他方の諸佛また釋迦牟尼佛を是非したてまつる佛語つたはれず。このゆゑに、

 釋迦牟尼佛、告大衆言、唯我知是相、十方佛亦然(唯だ我れのみ是の相を知る、十方佛も亦た然り)。

 

 しるべし、唯我知是相の相は、打圓相なり。圓相は遮竿得恁麼長、那竿得恁麼短なり。十方佛道は、唯我知是相、釋迦牟尼佛亦然の説著なり。唯我證是相、自方佛亦然なり。我相、知相、是相、一切相、十方相、裟婆國土相、釋迦牟尼佛相なり。

 この宗旨は、これ佛經なり。諸佛ならびに國土は兩頭にあらず。有情にあらず無情にあらず、迷悟にあらず、善惡無記等にあらず。淨にあらず穢にあらず、成にあらず住にあらず、壞にあらず空にあらず、常にあらず無常にあらず、有にあらず無にあらず、自にあらず。離四句なり、絶百非なり。ただこれ十方なるのみなり、佛土なるのみなり。しかあれば、十方は有頭無尾漢なるのみなり。

 

 長沙景岑禪師、告大衆言、盡十方界、是沙門壹隻眼。

 いまいふところは、瞿曇沙門眼の壹隻なり。瞿曇沙門眼は、吾有正法眼藏なり、阿誰に附囑するとも瞿曇沙門眼なり。盡十方界の角角尖尖、瞿曇の眼處なり。この盡十方界は、沙門眼のなかの壹隻なり。これより向上に如許多眼あり。

 盡十方界、是沙門家常語。

 家常は尋常なり。日本國の俗のことばには、よのつねといふ。しかあるに、沙門家のよのつねの言語はこれ盡十方界なり。言端語端なり。家常語は盡十方界なるがゆゑに、盡十方界は家常語なる道理、あきらかに參學すべし。この十方無盡なるゆゑに盡十方なり。家常にこの語をもちゐるなり。かの索馬索鹽、索水索器のごとし。奉水奉器、奉鹽奉馬のごとし。たれかしらん、沒量大人この語脈裏に轉身轉腦することを。語脈裏に轉語するなり。海口山舌、言端語直の家常なり。しかあれば、掩口し掩耳する、十方の眞箇是なり。

 盡十方界、沙門全身。

 一手指天是天、一手指地是地。雖然如是、天上天下唯我獨尊(一手は天を指す是れ天、一手は地を指す是れ地。然も是の如くなりと雖も、天上天下唯我獨尊なり)。

 これ沙門全身なる十方盡界なり。頂𩕳、眼睛、鼻孔、皮肉骨髓の箇箇、みな透脱盡十方の沙門身なり。盡十方を動著せず、かくのごとくなり。擬議量をまたず、盡十方界沙門身を拈來して、見盡十方界沙門身するなり。

 盡十方界、是自己光明。

 自己とは、父母未生已前の鼻孔なり。鼻孔あやまりて自己の手裏にあるを盡十方界といふ。しかあるに、自己現成して現成公案なり、開殿見佛なり。しかあれども、眼睛被別人換却木槵子了也(眼睛別人に木槵子を換却せられ了りぬ)。しかあれども、劈面來、大家相見することをうべし。さらに呼則易、遣則難(呼ぶことは則ち易く、遣ることは則ち難し)なりといへども、喚得廻頭、自廻頭、堪作何用。便著者漢廻頭(喚んで廻頭することを得ば、自ら廻頭す。何の用を可作すべき。便ち著者漢の廻頭)なり。飯待喫人、衣待著人(飯は人の喫はんことを待ち、衣は人の著んことを待つ)のとき、模索不著なるがごとくなりとも、可惜許、曾與儞三十棒(曾て儞に三十棒を與ふ)。

 盡十方界、在自己光明裏。

 眼皮一枚、これを自己の光明とす。忽然として打綻するを在裏とす。見由在眼を盡十方界といふ。しかもかくのごとくなりといへども、同牀眠知被穿(牀を同じうして眠れば被の穿げたることを知る)。

 盡十方界、無一人不自己(一人として自己ならざる無し)。

 しかあればすなはち、箇箇の作家、箇箇の拳頭、ひとりの十方としても自己にあらざるなし。自己なるがゆゑに、自自己己みなこれ十方なり。自自己己の十方、したしく十方を罣礙するなり。自自己己の命脈、ともに自己の手裏にあるがゆゑに、還他本分草料(他に本分の草料を還せ)なり。いまなにとしてか達磨眼睛、瞿曇鼻孔あらたに露柱の胎裏にある。いはく、出入也、十方十面一任なり。

 

 玄沙院宗一大師云、盡十方界、是一顆明珠。

 あきらかにしりぬ、一顆明珠はこれ盡十方界なり。神頭鬼面これを窟宅とせり、佛祖兒孫これを眼睛とせり。人家男女これを頂𩕳拳頭とせり。初心晩學これを著衣喫飯とせり。先師これを泥彈子として兄弟を打著す。しかもこれ單提の一著子なりといへども、祖宗の眼睛を抉出しきたれり。抉出するとき、祖宗ともに壹隻手をいだす。さらに眼睛裏放光するのみなり。

 

 乾峰[所名也]和尚因僧問、十方薄伽梵、一路涅槃門。未審、路頭在什麼處(十方薄伽梵、一路涅槃門。未審、路頭什麼處にか在る)。

 乾峰以拄杖畫一畫云(乾峰、拄杖を以て畫すること一畫して云く)、在遮裏。

 いはゆる在遮裏は十方なり。薄伽梵とは拄杖なり。拄杖とは在遮裏なり。一路は十方なり。しかあれども、瞿曇の鼻孔裏に拄杖をかくすことなかれ。拄杖の鼻孔に拄杖を撞著することなかれ。しかもかくのごとくなりとも、乾峰老漢すでに十方薄伽梵、一路涅槃門を料理すると認ずることなかれ。ただ在遮裏と道著するのみなり。在遮裏はなきにあらず、乾峰老漢、はじめより拄杖に瞞ぜられざらんよし。

 おほよそ活鼻孔を十方と參學するのみなり。

 

正法眼藏十方第五十五

 

 爾時寛元元年癸卯十一月十三日在日本國越州吉峰精舍示衆

 寛元三年乙巳窮冬廿四日在越州大佛寺侍司書寫 懷弉

 

 

正法眼藏第五十六 見佛

 釋迦牟尼佛、告大衆言、若見諸相非相、卽見如來。

 いまの見諸相と見非相と、透脱せる體達なり。ゆゑに見如來なり。この見佛眼すでに參開なる現成を見佛とす。見佛眼の活路、これ參佛眼なり。自佛を他方にみ、佛外に自佛をみるとき、條條の蔓枝なりといへども、見佛を參學せると、見佛を辨肯すると、見佛を脱落すると、見佛を得活すると、見佛を使得すると、日面佛見なり、月面佛見なり。恁麼の見佛、ともに無盡面、無盡身、無盡心、無盡手眼の見佛なり。而今脚尖に行履する發心發足よりこのかた、辨道功夫、および證契究徹、みな見佛裏に走入する活眼睛なり、活骨髓なり。しかあれば、自盡界他盡方、遮箇頭那箇頭、おなじく見佛功夫なり。

 如來道の若見諸相非相を拈來するに、參學眼なきともがらおもはくは、諸相を相にあらずとみる、すなはち見如來といふ。そのおもむきは、諸相は相にはあらず、如來なりとみるといふとおもふ。まことに小量の一邊は、しかのごとくも參學すべしといへども、佛意の道成はしかにはあらざるなり。しるべし、諸相を見取し、非相を見取する、卽見如來なり、如來あり、非如來あり。

 

 淸涼院大法眼禪師云、若見諸相非相、卽不見如來。

 いまこの大法眼道は、見佛道なり。これに法眼道あり、見佛道ありて、通語するに、競頭來なり、共出手なり。法眼道は耳處に聞著すべし、見佛道は眼處聞聲すべし。

 しかあるを、この宗旨を參學する從來のおもはくは、諸相は如來相なり、一相の如來相にあらざる、まじはれることなし。この相を、かりにも非相とすべからず。もしこれを非相とするは捨父逃逝なり。この相すなはち如來相なるがゆゑに、諸相は諸相なるべしと道取するなりといひきたれり。まことにこれ大乘の極談なり、諸方の所證なり。しかのごとく決定一定して、信受參受すべし。さらに隨風東西の輕毛なることなかれ。諸相は如來相なり、非相にあらずと參究見佛し、決定證信して受持すべし。諷誦通利すべし。かくのごとくして、自己の耳目に見聞ひまなからしむべし。自己の身心骨髓に脱落ならしむべし。自己の山河盡界に透脱ならしむべし。これ參學佛祖行李なり。自己の云爲にあれば、自己の眼睛を發明せしむべからずとおもふことなかれ。自己の一轉語に轉ぜられて、自己の一轉佛祖を見脱落するなり。これ佛祖の家常なり。

 このゆゑに、參取する隻條道あり。いはゆる諸相すでに非相にあらず、非相すなはち諸相なり。非相これ諸相なるがゆゑに、非相まことに非相なり。喚作非相の相ならびに喚作諸相の相、ともに如來相なりと參學すべし。參學の屋裏に兩部の典籍あり。いはゆる參見典と參不見典となり。これ活眼睛の所參學なり。もしいまだこれらの典籍を著眼看の參徹せざれば參徹眼にあらず、參徹眼にあらざれば見佛にあらず。見佛に諸相處見、非相處見あり。吾不會佛法なり。不見佛に諸相處不見、非相處不見あり。會佛法人得なり。法眼道の八九成、それかくのごとし。

 しかありといへども、この一大事因緣、さらにいふべし、若見諸相實相、卽見如來。

 かくのごとくの道取、みなこれ釋迦牟尼佛之所加被力なり。異面目の皮肉骨髓にあらず。

 

 爾時釋迦牟尼佛、在靈鷲山。因藥王菩薩告大衆言、若親近法師、卽得菩薩道。隨順是師學、得見恆沙佛(爾の時に釋迦牟尼佛、靈鷲山に在しき。因みに藥王菩薩大衆に告げて言く、若し法師に親近せば、卽ち菩薩道を得ん。是の師に隨順して學せば、恆沙の佛を得見す)。

 いはゆる親近法師といふは、二祖の八載事師のごとし。しかうしてのち、全臂得髓なり。南嶽の十五年の辨道のごとし。師の髓をうるを親近といふ。菩薩道といふは、吾亦如是、汝亦如是なり。如許多の蔓枝行李を卽得するなり。卽得は、古來より現ぜるを引得するにあらず、未生を發得するにあらず、現在の漫漫を策把するにあらず、親近得を脱落するを卽得といふ。このゆゑに一切の得は卽得なり。

 隨順是師學は、猶是侍者(猶是れ侍者のごとし)の古蹤なり、參究すべし。この正當恁麼行李時、すなはち得見の承當あり。そのところ、見恆沙佛なり。恆沙佛は、頭頭活鱍鱍聻なり。あながちに見恆沙佛をわしりへつらふことなかれ。まづすべからく隨師學をはげむべし。隨師學得佛見なり。

 

 釋迦牟尼佛、告一切證菩提衆言、深入禪定、見十方佛。

 盡界は深なり、十方佛土なるがゆゑに。これ廣にあらず、大にあらず、小にあらず、窄にあらず。擧すれば隨他擧す、これを全收と道す。これ七尺にあらず、八尺にあらず、一丈にあらず。全收無外にして入之一字なり。この深入は禪定なり、深入禪定は見十方佛なり。深入裏許無人接渠にして得在なるがゆゑに、見十方佛なり。設使將來、他亦不受のゆゑに、佛十方在なり。深入は長長出不得なり、見十方佛は只見臥如來なり。禪定は入來出頭不得なり。眞龍をあやしみ恐怖せずは、見佛の而今、さらに疑著を抛捨すべからず。見佛より見佛するゆゑに、禪定より禪定に深入す。この禪定見佛深入等の道理、さきより閑工夫漢ありて造作しおきて、いまの漢に傳授するにあらず。而今の新條にあらざれども、恁麼の道必然なり。一切の傳道受業かくのごとし。修因得果かくのごとし。

 

 釋迦牟尼佛、告普賢菩薩言、若有受持、讀誦正憶念修習書寫、是法華經者、當知是人、則見釋迦牟尼佛、如從佛口、聞此經典(釋迦牟尼佛、普賢菩薩に告げて言はく、若し是の法華經を受持し讀誦し正憶念し、修習し書寫せん者有らん、當に知るべし、是の人、則ち釋迦牟尼佛を見たてまつり、佛の口より此の經典を聞くが如し)。

 おほよそ一切諸佛は、見釋迦牟尼佛、成釋迦牟尼佛するを成道作佛といふなり。かくのごとくの佛儀、もとよりこの七種の行處の條條よりうるなり。七種行人は、當知是人なり、如是當人なり。これすなはち見釋迦牟尼佛處なるがゆゑに、したしくこれ如來佛口、聞此經典なり。釋迦牟尼佛は、見釋迦牟尼佛よりこのかた釋迦牟尼佛なり。これによりて舌相あまねく三千を覆す、いづれの山海か佛經にあらざらん。このゆゑに書寫の當人、ひとり見釋迦牟尼佛なり。佛口はよのつねに萬古に開す、いづれの時節か經典にあらざらん。このゆゑに、受持の行者のみ見釋迦牟尼佛なり。乃至眼耳鼻等の功徳もまたかくのごとくなるべきなり。および前後左右、取捨造次、かくのごとくなり。いまの此經典にむまれあふ、見釋迦牟尼佛をよろこばざらんや、生値釋迦牟尼佛なり。身心をはげまして受持讀誦、正憶念、修習書寫是法花經者則見釋迦牟尼佛なるべし、如從佛口、聞此經典、たれかこれをきほひきかざらん。いそがず、つとめざるは、貧窮無福慧の衆生なり、修習するは當知是人、則見釋迦牟尼佛なり。

 

 釋迦牟尼佛、告大衆言、若善男子善女人、聞我説壽命長遠、深心信解、則爲見佛、常在耆闍崛山、共大菩薩、諸聲聞衆、圍遶説法。又見此裟婆世界、其地瑠璃、坦然平正(釋迦牟尼佛、大衆に告げて言く、若し善男子善女人、我が壽命の長遠なりと説くを聞きて、深心に信解せば、則ちため佛、常に耆闍崛山に在して、共に大菩薩、諸聲聞衆に、圍遶せられて説法したまふを見る。又此の裟婆世界は、其の地瑠璃にして、坦然平正なりと見る)。

 この深心といふは裟婆世界なり。信解といふは無廻避處なり。誠諦の佛語、たれか信解せざらん。この經典にあひたてまつれるは、信解すべき機緣なり。深心信解是法華、深心解壽命長遠のために、願生此裟婆國土しきたれり。如來の神力、慈悲力、壽命長遠力、よく心を拈じて信解せしめ、身を拈じて信解せしめ、盡界を拈じて信解せしめ、佛祖を拈じて信解せしめ、諸法を拈じて信解せしめ、實相を拈じて信解せしめ、皮肉骨髓を拈じて信解せしめ、生死去來を拈じて信解せしむるなり。これらの信解、これ見佛なり。

 しかあればしりぬ、心頭眼ありて見佛す、信解眼をえて見佛す。ただ見佛のみにあらず、常在耆闍崛山をみるといふは、耆闍崛山の常在は、如來壽命と一齊なるべし。しかあれば、見佛常在耆闍崛山は、前頭來も如來および耆闍崛山ともに常在なり、後頭來も如來および耆闍崛山ともに常在なり。菩薩聲聞もおなじく常在なるべし、説法もまた常在なるべし。裟婆世界、其地瑠璃、坦然平正をみる、裟婆世界をみること動著すべからず、高處高平、低處低平なり。この地はこれ瑠璃地なり、これを坦然平正なるとみる目をいやしくすることなかれ。瑠璃爲地の地はかくのごとし。この地を瑠璃にあらずとせば、耆闍崛山は耆闍崛山にあらず、釋迦牟尼佛は釋迦牟尼佛にあらざらん。其地瑠璃を信解する、すなはち深信解相なり、これ見佛なり。

 

 釋迦牟尼佛、告大衆言、一心欲見佛、不自惜身命。時我及衆僧、倶出靈鷲山。

 いふところの一心は、凡夫二乘等のいふ一心にあらず。見佛の一心なり。見佛の一心といふは、靈鷲山なり、及衆僧なり。而今の箇箇、ひそかに欲見佛をもよほすは、靈鷲山心をこらして欲見佛するなり。しかあれば、一心すでに靈鷲山なり、一身それ心に倶出せざらんや。倶一身心ならざらんや。身心すでにかくのごとし、壽者命者またかくのごとし。かるがゆゑに、自惜を靈鷲山の但惜無上道に一任す。このゆゑに我及衆僧、靈鷲山倶出なるを、見佛の一心と道取す。

 

 釋迦牟尼佛、告大衆言、若説此經、則爲見我、多寶如來、及諸化佛(若し此の經を説けば、則ち我と多寶如來及び諸の化佛を見ると爲す)。

 説此經は、我常住於此、以諸神通力、令顚倒衆生、雖近而不見(我れ常に此に住するも、諸の神通力を以て、顚倒の衆生をして、近しと雖も見ざらしむ)なり。この表裏の神力如來に、則爲見我等の功徳そなはる。

 

 釋迦牟尼佛、告大衆言、能持是經者、則爲已見我。亦見多寶佛、及諸分身者(能く是の經を持すれば、則ち已に我を見ると爲す。亦た多寶佛及び諸の分身者を見る者なり)。

 この經を持することかたきゆゑに、如來よのつねにこれをすすむ。もしおのづから持是經者あるは、すなはち見佛なり。はかりしりぬ、見佛すれば持經す。持經のもの、見佛のものなり。しかあればすなはち、乃至聞一偈一句受持するは、得見釋迦牟尼佛なり。亦見多寶佛なり、見諸分身佛なり、傳佛法藏なり、得佛正眼なり、得見佛命なり、得佛向上眼なり、得佛頂𩕳眼なり、得佛鼻孔なり。

 

 雲雷音宿王華智佛、告妙莊嚴王言、大王當知、善知識者、是大因緣。所謂化導、令得見佛、發阿耨多羅三藐三菩提心(大王當に知るべし、善知識は、是れ大因緣なり。所謂化導は、佛を見て、阿耨多羅三藐三菩提心を發すことを得しむ)。

 いまこの大會は、いまだむしろをまかず。過去現在未來の諸佛と稱ずといへども、凡夫の三世に準的すべからず。いはゆる過去は心頭なり、現在は拳頭なり、未來は腦後なり。しかあれば、雲雷音宿王華智佛は、心頭現成の見佛なり。見佛の通語いまのごとし。化導は見佛なり、見佛は發阿耨多羅三藐三菩提心なり。發菩提心は見佛の頭正尾正なり。

 

 釋迦牟尼佛言、諸有修功徳、柔和質直者、則皆見我身、在此而説法(諸の功徳を修すること有りて、柔和質直なる者は、則ち皆我が身此に在りて而も法を説くと見る)。

 あらゆる功徳と稱ずるは拕泥帶水なり、隨波逐浪なり。これを修するを吾亦如是、汝亦如是の柔和質直者といふ。これを泥裏に見佛しきたり、波心に見佛しきたる、在此而説法にあづかる。

 

 しかあるに、近來大宋國に禪師と稱ずるともがらおほし。佛法の縱横をしらず、見聞いとすくなし。わづかに臨濟雲門の兩三語を諳誦して、佛法の全道とおもへり。佛法もし臨濟雲門の兩三語に道盡せられば、佛法今日にいたるべからず。臨濟雲門を佛法の爲尊と稱じがたし。いかにいはんやいまのともがら、臨濟雲門におよばず、不足言のやからなり。かれら、おのれが愚鈍にして佛經のこころあきらめがたきをもて、みだりに佛經を謗す。さしおきて修習せず。外道の流類といひぬべし。佛祖の兒孫にあらず、いはんや見佛の境界におよばんや。孔子老子の宗旨になほいたらざるともがらなり。佛祖の屋裡兒、かの禪師と稱ずるやからにあひあふことなかれ。ただ見佛眼の眼睛を參究體達すべし。

 

 先師天童古佛擧(先師天童古佛擧す)、

 波斯匿王問賓頭盧尊者、承聞尊者、親見佛來、是否(波斯匿王、賓頭盧尊者に問ふ、承聞すらくは尊者、親り佛を見來ると、是なりや否や)。

 尊者以手策起眉毛示之(尊者、手を以て眉毛を策起して之を示す)。

 先師頌云、

 策起眉毛答問端、

 親曾見佛不相瞞。

 至今應供四天下、

 春在梅梢帶雪寒。

 (眉毛を策起して問端に答ふ、親曾の見佛相瞞ぜず。今に至るまで四天下に應供す、春は梅梢に在り雪を帶して寒し。)

 いはゆる見佛は、見自佛にあらず、見他佛にあらず、見佛なり。一枝梅は見一枝梅のゆゑに、開花明明なり。

 いま波斯匿王の問取する宗旨は、尊者すでに見佛なりや、作佛なりやと問取するなり。尊者あきらかに眉毛を策起せり、見佛の證驗なり、相瞞すべからず。至今していまだ休罷せず。應供あらはれてかくるることなし。親曾の見佛たどるべからず。かの三億家の見佛といふは、この見佛なり。見三十二相にはあらず。見三十二相は、たれか境界をへだてん。この見佛の道理をしらざる人天聲聞緣覺の類おほかるべし。たとへば、拂子を豎起するおほしといへども、拂子を豎起するはおほきにあらずといふがごとし。見佛は被佛見成なり。たとひ自己は覆藏せんことをおもふとも、見佛さきだちて漏泄せしむるなり。これ見佛の道理なり。如恆河沙數量の身心を功夫して、審細にこの策起眉毛の面目を參究すべし。たとひ百千萬劫の晝夜、つねに釋迦牟尼佛に共住せりとも、いまだ策起眉毛の力量なくは、見佛にあらず。たとひ二千餘載よりこのかた、十萬餘里の遠方にありとも、策起眉毛の力量したしく見成せば、空王以前より見釋迦牟尼佛なり。見一枝梅なり、見梅梢春なり。しかあれば、親曾見佛は禮三拜なり、合掌問訊なり。破顔微笑なり、拳頭飛霹靂なり、跏趺坐蒲團なり。

 

 賓頭盧尊者、赴阿育王宮大會齋。王行香次、作禮問尊者曰、承聞尊者、親見佛來、是否(賓頭盧尊者、阿育王宮の大會に赴いて齋す。王、行香の次でに、作禮して尊者に問うて曰く、承聞すらくは尊者、親り佛を見來ると、是なりや否や)。

 尊者以手撥開眉毛曰、會麼(尊者、手を以て眉毛を撥開して曰く、會すや)。

 王曰、不會。

 尊者曰、阿那婆達多龍王、請佛齋時、貧道亦預其數(尊者曰く、阿那婆達多龍王、佛を請じて齋せし時、貧道も亦其の數に預かりき)。

 いはゆる阿育王問の宗旨は、尊者親見佛來是否の言、これ尊者すでに尊者なりやと問著するなり。ときに尊者すみやかに眉毛を撥開す。これ見佛を出現於世せしむるなり、作佛を親見せしむるなり。

 阿那婆達多龍王請佛齋時、貧道亦預其數といふ、しるべし、請佛の會には、唯佛與佛、稻麻竹葦すべし。四果支佛のあづかるべきにあらず。たとひ四果支佛きたれりとも、かれを擧して請佛のかずにあづかるべからず。

 尊者すでに自稱す、請佛齋時、貧道またそのかずなりきと。無端にきたれる自道取なり。見佛なる道理あきらかなり。

 請佛といふは、請釋迦牟尼佛のみにあらず、請無量無盡三世十方一切諸佛なり。請諸佛の數にあづかる無諱不諱の親曾見佛なり。見佛見師、見自見汝の指示、それかくのごとくなるべし。

 阿那婆達多龍王といふは、阿耨達池龍王なり。阿耨達池、ここには無熱惱池といふ。

 保寧仁勇禪師頌曰、

 我佛親見賓頭盧、

 眉長髪短雙眉麁。

 阿育王猶狐疑、

 唵摩尼悉哩蘇嚧。

 (我佛親り賓頭盧を見る、眉長く髪短く雙眉麁なり。阿育王なほ狐疑す、唵摩尼悉哩蘇嚧。)

 この頌は、十成の道にあらざれども、趣向の參學なるがゆゑに拈來するなり。

 

 趙州眞際大師、因僧問、承聞和尚、親見南泉、是否(承聞すらくは和尚、親り南泉を見ると、是なりや否や)。

 師曰、鎭州出大蘿蔔頭(鎭州に大蘿蔔頭を出す)。

 いまの道現成は、親見南泉の證驗なり。有語にあらず、無語にあらず。下語にあらず、通語にあらず。策起眉毛にあらず、撥開眉毛にあらず、親見眉毛なり。たとひ軼才の獨歩なりとも、親見にあらずよりは、かくのごとくなるべからず。

 この鎭州出大蘿蔔頭の語は、眞際大師の鎭州竇家園眞際院に住持なりしときの道なり。のちに眞際大師の號をたてまつれり。

 かくのごとくなるがゆゑに、見佛眼を參開するよりこのかた、佛祖正法眼藏を正傳せり。正法眼藏の正傳あるとき、佛見雍容の威儀現成し、見佛ここに巍巍堂堂なり。

 

正法眼藏見佛第五十六

 

 爾時寛元元年癸卯冬十一月朔十九日在禪師峰山示衆

 寛元二年甲辰冬十月朔十六日在越州吉田縣大佛寺侍者寮書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第五十七 遍參

 佛祖の大道は、究竟參徹なり。足下無絲去なり。足下雲生なり。しかもかくのごとくなりといへども、花開世界起なり、吾常於此切なり。このゆゑに甜瓜徹蔕甜なり、苦瓠連根苦なり。甜甜徹蔕甜なり。かくのごとく參學しきたれり。

 玄沙山宗一大師、因雪峰召師曰、備頭陀、何不遍參去(備頭陀、何ぞ遍參し去らざる)。

 師云、達磨不來東土、二祖不往西天。

 雪峰深然之。

 いはゆる遍參底の道理は、翻巾斗參なり。聖諦の亦不爲なり、何階級之有なり。

 

 南嶽大慧禪師、はじめて曹谿古佛に參ずるに、古佛いはく、是甚麼物恁麼來。

 この泥彈子を遍參すること、始終八年なり。

 末上に遍參する一著子を古佛に白してまをさく、懷讓會得當初來時、和尚接懷讓、是甚麼物恁麼來(懷讓當初來りし時、和尚懷讓を接せし、是甚麼物恁麼來を會し得たり)。

 ちなみに曹谿古佛道、儞作麼生會。

 ときに大慧まうさく、説似一物卽不中。

 これ遍參現成なり、八年現成なり。

 曹谿古佛とふ、還假修證否(還た修證を假るや否や)。

 大慧まうさく、修證不無、染汚卽不得(修證は無きにあらず、染汚することは卽ち得じ)。

 すなはち曹谿いはく、吾亦如是、汝亦如是、乃至西天諸佛祖亦如是。

 これよりさらに八載遍參す。頭正尾正かぞふるに十五白の遍參なり。恁麼來は遍參なり。説似一物卽不中に諸佛諸祖を開殿參見する、すなはち亦如是遍參なり。入畫看よりこのかた、六十五百千萬億の轉身遍參す。等閑の入一叢林、出一叢林を遍參とするにあらず。全眼睛の參見を遍參とす。打得徹を遍參とす。面皮厚多少を見徹する、すなはち遍參なり。

 雪峰道の遍參の宗旨、もとより出嶺をすすむるにあらず、北往南來をすすむるにあらず。玄沙道の達磨不來東土、二祖不往西天の遍參を助發するなり。

 玄沙道の達磨不來東土は、來而不來の亂道にあらず、大地無寸土の道理なり。いはゆる達磨は、命脈一尖なり。たとひ東土の全土たちまちに極涌して參侍すとも、轉身にあらず。さらに語脈の翻身にあらず。不來東土なるゆゑに東土に見面するなり。東土たとひ佛面祖面相見すとも、來東土にあらず。拈得佛祖、失却鼻孔なり。

 おほよそ土は東西にあらず、東西は土にかかはれず。二祖不往西天は、西天を遍參するには、不往西天なり。二祖もし西天にゆかば、一臂落了也。しばらく、二祖なにとしてか西天にゆかざる。いはゆる碧眼の眼睛裏に跳入するゆゑに不往西天なり。もし碧眼裏に跳入せずは、必定して西天にゆくべし。抉出達磨眼睛を遍參とす。西天にゆき東土にきたる、遍參にあらず。天台南嶽にいたり、五臺上天にゆくをもて遍參とするにあらず。四海五湖もし透脱せざらんは遍參にあらず。四海五湖に往來するは四海五湖をして遍參せしめず、路頭を滑ならしむ、脚下を滑ならしむ。ゆゑに遍參を打失せしむ。

 おほよそ盡十方界、是箇眞實人體の參徹を遍參とするゆゑに、達磨不來東土、二祖不往西天の參究あるなり。遍參は石頭大底大、石頭小底小なり。石頭を動著せしめず、大參小參ならしむるなり。百千萬箇を百千萬頭に參見するは、いまだ遍參にあらず。半語脈裏に百千萬轉身なるを遍參とす。たとへば、打地唯打地は遍參なり。一番打地、一番打空、一番打四方八面來は遍參にあらず。倶胝參天龍、得一指頭は遍參なり。倶胝唯豎一指は遍參なり。

 

 玄沙示衆云、與我釋迦老子同參(我れと釋迦老子と同參なり)。

 時有僧出問(時に僧有り出でて問ふ)、未審、參見甚麼人(未審、甚麼人にか參見する)。

 師云、釣魚船上謝三郎(釣魚船上の謝三郎)。

 釋迦老子參底の頭正尾正、おのづから釋迦老子と同參なり。玄沙老漢參底の頭正尾正、おのづから玄沙老漢と同參なるゆゑに、釋迦老子と玄沙老漢と同參なり。釋迦老子と玄沙老漢と、參足參不足を究竟するを遍參の道理とす。釋迦老子は玄沙老漢と同參するゆゑに古佛なり。玄沙老漢は釋迦老子と同參なるゆゑに兒孫なり。この道理、審細に遍參すべし。

 釣魚船上謝三郎。この宗旨、あきらめ參學すべし。いはゆる釋迦老子と玄沙老漢と、同時同參の時節を遍參功夫するなり。釣魚船上謝三郎を參見する玄沙老漢ありて同參す。玄沙山上禿頭漢を參見する謝三郎ありて同參す。同參不同參、みづから功夫せしめ、他づから功夫ならしむべし。玄沙老漢と釋迦老子と同參す、遍參す。謝三郎與我、參見甚麼人の道理を遍參すべし、同參すべし。いまだ遍參の道理現在前せざれば、參自不得なり、參自不足なり。參他不得なり、參他不足なり。參人不得なり、參我不得なり。參拳頭不得なり、參眼睛不得なり。自釣自上不得なり、未釣先上不得なり。

 すでに遍參究盡なるには、脱落遍參なり。海枯不見底なり、人死不留心なり。海枯といふは、全海全枯なり。しかあれども、海もし枯竭しぬれば不見底なり。不留全留、ともに人心なり。人死のとき、心不留なり。死を拈來せるがゆゑに、心不留なり。このゆゑに、全人は心なり、全心は人なりとしりぬべし。かくのごとくの一方の表裏を參究するなり。

 

 先師天童古佛、あるとき諸方の長老の道舊なる、いたりあつまりて上堂を請ずるに、

 上堂云、大道無門、諸方頂𩕳上跳出。虛空絶路、淸涼鼻孔裏入來。恁麼相見、瞿曇賊種、臨濟禍胎。咦。大家顚倒舞春風、驚落杏花飛亂紅(上堂に云く、大道無門なり、諸方の頂𩕳上に跳出す。虛空絶路なり、淸涼が鼻孔裏に入來せり。恁麼に相見する、瞿曇の賊種、臨濟の禍胎なり。咦。大家顚倒して春風に舞ふ、驚落する杏花飛亂して紅なり)。

 而今の上堂は、先師古佛、ときに建康府の淸涼寺に住持のとき、諸方の長老きたれり。これらの道舊とは、あるときは賓主とありき、あるいは隣單なりき。諸方にしてかくのごとくの舊友なり、おほからざらめやは。あつまりて上堂を請ずるときなり。渾無箇話の長老は交友ならず、請ずるとものかずにあらず。大尊貴なるをかしつき請ずるなり。

 おほよそ先師の遍參は、諸方のきはむるところにあらず。大宋國二三百年來は、先師のごとくなる古佛あらざるなり。

 大道無門は、四五千條花柳巷、二三萬座管絃樓なり。しかあるを、渾身跳出するに、餘外をもちゐず、頂𩕳上に跳出するなり、鼻孔裏に入來するなり。ともにこれ參學なり。頂𩕳上の跳脱いまだあらず、鼻孔裏の轉身いまだあらざるは、參學人ならず、遍參漢にあらず。遍參の宗旨、ただ玄沙に參學すべし。

 四祖かつて三祖に參學すること九載せし、すなはち遍參なり。南泉願禪師、そのかみ池陽に一住してやや三十年やまをいでざる、遍參なり。雲巖道吾等、在藥山四十年のあひだ功夫參學する、これ遍參なり。二祖そのかみ嵩山に參學すること八載なり。皮肉骨髓を遍參しつくす。

 遍參はただ祗管打坐、身心脱落なり。而今の去那邊去、來遮裏來、その間隙あらざるがごとくなる、渾體遍參なり、大道の渾體なり。毘盧頂上行は、無諍三昧なり。決得恁麼は毘盧行なり。跳出の遍參を參徹する、これ葫蘆の葫蘆を跳出する、葫蘆頂上を選佛道場とせることひさし。命如絲なり。葫蘆遍參葫蘆なり。一莖草を建立するを遍參とせるのみなり。

 

正法眼藏遍參第五十七

 

 爾時寛元元年癸卯十一月二十七日在越宇禪師峰下茅庵示衆

 

 

正法眼藏第五十八 眼睛

 億千萬劫の參學を拈來して團圝せしむるは、八萬四千の眼睛なり。

 先師天童古佛、住瑞巖時、上堂示衆云、秋風淸、秋月明。大地山河露眼睛。瑞巖點瞎重相見。棒喝交馳驗衲僧(先師天童古佛、瑞巖に住せし時、上堂の示衆に云く、秋風淸く、秋月明らかなり。大地山河露眼睛なり。瑞巖點瞎して重ねて相見す。棒喝交馳して衲僧を驗す)。

 いま衲僧を驗すといふは、古佛なりやと驗するなり。その要機は、棒喝の交馳せしむるなり、これを點瞎とす。恁麼の見成活計は眼睛なり。山河大地、これ眼睛裏の朕兆不打なり。秋風淸なり、一老なり。秋月明なり、一不老なり。秋風淸なる、四大海も比すべきにあらず。秋月明なる、千日月よりもあきらかなり。淸明は眼睛なる山河大地なり。衲僧は佛祖なり。大悟をえらばず、不悟をえらばず、朕兆前後をえらばず、眼睛なるは佛祖なり。驗は眼睛露なり。瞎現成なり、活眼睛なり。相見は相逢なり。相逢相見は眼頭尖なり、眼睛霹靂なり。おほよそ渾身はおほきに、渾眼はちひさかるべしとおもふことなかれ。往往に老老大大なりとおもふも、渾身大なり、渾眼小なりと解會せり。これ未具眼睛のゆゑなり。

 

 洞山悟本大師、在雲巖會時、遇雲巖作鞋次、師白雲巖曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巖の會に在りし時、雲巖の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巖に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。

 雲巖曰、汝底與阿誰去也(汝底を阿誰にか與へ去るや)。

 師曰、某甲無(某甲無し)。

 雲巖曰、有汝向什麼處著(有らば汝什麼處に向つてか著せん)。

 師無語。

 雲巖曰、乞眼睛底、是眼睛否(乞眼睛底、是れ眼睛なりや否や)。

 師曰、非眼睛。

 雲巖咄之(雲巖之を咄す)。

 しかあればすなはち、全彰の參學は乞眼睛なり。雲堂に辨道し、法堂に上參し、寢堂に入室する、乞眼睛なり。おほよそ隨衆參去、隨衆參來、おのれづからの乞眼睛なり。眼睛は自己にあらず、他己にあらざる道理あきらかなり。

 いはく、洞山すでに就師乞眼睛の請益あり。はかりしりぬ、自己ならんは、人に乞請せらるべからず。他己ならんは、人に乞請すべからず。

 汝底與誰去也と指示す。汝底の時節あり、與誰の處分あり。

 某甲無。

 これ眼睛の自道取なり。かくのごとくの道現成、しづかに究理參學すべし。

 雲巖いはく、有向什麼處著。

 この道眼睛は、某甲無の無は有向什麼處著なり。向什麼處著は有なり。その恁麼道なりと參究すべし。

 洞山無語。

 これ茫然にあらず。業識獨豎の標的なり。

 雲巖爲示するにいはく、乞眼睛底、是眼睛否。

 これ點瞎眼睛の節目なり、活碎眼睛なり。いはゆる雲巖道の宗旨は、眼睛乞眼睛なり。水引水なり、山連山なり。異類中行なり、同類中生なり。

 洞山いはく、非眼睛。

 これ眼睛の自擧唱なり。非眼睛の身心慮知、形段あらんところをば、自擧の活眼睛なりと相見すべきなり。三世諸佛は、眼睛の轉大法輪、説大法輪を立地聽しきたれり。畢竟じて參究する堂奥には、眼睛裏に跳入して、發心修行、證大菩提するなり。この眼睛、もとよりこのかた、自己にあらず、他己にあらず。もろもろの罣礙なきがゆゑに、かくのごとくの大事も罣礙あらざるなり。このゆゑに、

 古先いはく、奇哉十方佛、元是眼中花(奇なる哉十方佛、元より是れ眼中花なり)。

 いはゆる十方佛は眼睛なり。眼中花は十方佛なり。いまの進歩退歩する、打坐打睡する、しかしながら眼睛づからのちからを承嗣して恁麼なり。眼睛裡の把定放行なり。

 

 先師古佛云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。

 高聲云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。

 これは淸涼寺の方丈にして、海衆に爲示するなり。しかあれば、打人といふは、作人といはんがごとし。打のゆゑに、人人は箇箇の面目あり。たとへば、達磨の眼睛にて人人をつくれりといふなり。つくれるなり。その打人の道理かくのごとし。眼睛にて打生せる人人なるがゆゑに、いま雲堂打人の拳頭、法堂打人の拄杖、方丈打人の竹箆拂子、すなはち達磨眼睛なり。達磨眼睛を抉出しきたりて、泥團子につくりて打人するは、いまの人、これを參請請益、朝上朝參、打坐功夫とらいふなり。打著什麼人。いはく、海枯徹底、浪高拍天なり。

 

 先師古佛上堂、讃歎如來成道云(先師古佛上堂に、如來の成道を讃歎して云く)、

 六年落草野狐精、

 跳出渾身是葛藤。

 打失眼睛無處覓、

 誑人剛道悟明星。

 (六年落草す野狐精、渾身を跳出する是れ葛藤。眼睛を打失して覓むる處無し、人を誑いて剛に道ふ明星に悟ると。)

 その明星にさとるといふは、打失眼睛の正當恁麼時の傍觀人話なり。これ渾身の葛藤なり、ゆゑに容易跳出なり。覓處覓は、現成をも無處覓す、未現成にも無處覓なり。

 

 先師古佛上堂云、

 瞿曇打失眼睛時、

 雪裡梅花只一枝。

 而今到處成荊棘、

 却笑春風繚亂吹。

 (瞿曇眼睛を打失する時、雪裡の梅花只だ一枝。而今到處に荊棘を成す、却つて笑ふ春風の繚亂として吹くことを。)

 且道すらくは、瞿曇眼睛はただ一二三のみにあらず。いま打失するはいづれの眼睛なりとかせん。打失眼睛と稱ずる眼睛のあるならん。さらにかくのごとくなるなかに、雪裡梅花只一枝なる眼睛あり。はるにさきだちて、はるのここを漏泄するなり。

 

 先師古佛上堂云、霖霪大雨、豁達大晴。蝦啼、蚯蚓鳴。古佛不曾過去、發揮金剛眼睛。咄。葛藤葛藤(霖霪たる大雨、豁達たる大晴。蝦啼き、蚯蚓鳴く。古佛曾て過去せず、金剛の眼睛を發揮す。咄。葛藤葛藤)。

 いはくの金剛眼睛は、霖霪大雨なり、豁達大晴なり。蝦啼なり、蚯蚓鳴なり。不曾過去なるゆゑに古佛なり。古佛たとひ過去すとも、不古佛の過去に一齊なるべからず。

 

 先師古佛上堂云、日南長至、眼睛裡放光、鼻孔裏出氣(日南長く至り、眼睛裡に放光し、鼻孔裏に出氣す)。

 而今綿綿なる一陽三陽、日月長至、連底脱落なり。これ眼睛裏放光なり、日裏看山なり。このうちの消息威儀、かくのごとし。

 

 先師古佛ちなみに臨安府淨慈寺にして上堂するにいはく、

 今朝二月初一、拂子眼睛凸出。明似鏡、黒如漆。驀然𨁝跳、呑却乾坤。一色衲僧門下、猶是撞牆撞壁。畢竟如何。盡情拈却笑呵呵、一任春風沒奈何(今朝二月初一なり、拂子眼睛凸出す。明なること鏡に似たり、黒きこと漆の如し。驀然として𨁝跳し、乾坤を呑却す。一色衲僧の門下、なほ是れ撞牆撞壁す。畢竟如何。情を盡して拈却して笑ふこと呵呵たり、一任す春風の沒奈何なるに)。

 いまいふ撞牆撞壁は、渾牆撞なり、渾壁撞なり。この眼睛あり。今朝および二月ならびに初一、ともに條條の眼睛なり、いはゆる拂子眼睛なり。驀然として𨁝跳するゆゑに今朝なり。呑却乾坤いく千萬箇するゆゑに二月なり。盡情拈却のとき、初一なり。眼睛の見成活計かくのごとし。

 

正法眼藏眼睛第五十八

 

 爾時寛元元年癸卯十二月十七日在越州禪師峰下示衆

 同廿八日書寫之在同峰下侍者寮 懷弉

 

 

正法眼藏第五十九 家常

 おほよそ佛祖の屋裡には、茶飯これ家常なり。この茶飯の儀、ひさしくつたはれて而今の現成なり。このゆゑに、佛祖茶飯の活計きたれるなり。

 大陽山楷和尚、問投子曰、佛祖意句、如家常茶飯。離此之餘、還有爲人言句也無(大陽山楷和尚、投子に問うて曰く、佛祖の意句は、家常茶飯の如し。此れと離れて餘に、還た爲人の言句有りや無や)。

 投子曰、汝道、寰中天子敕、還假禹湯尭舜也無(汝道ふべし、寰中の天子敕するに、還た禹湯尭舜を假るや無や)。

 大陽擬開口(大陽、開口を擬す)。

 投子拈拂子掩師口曰、汝發意來時、早有三十棒分也(投子、拂子を拈じて師の口を掩ひて曰く、汝發意せしよりこのかた、早く三十棒の分有り)。

 大陽於此開悟、禮拜便行(大陽、此に開悟し、禮拜して便ち行く)。

 投子曰、且來闍梨。

 大陽竟不囘頭(大陽、竟に囘頭せず)。

 投子曰、子到不疑之地耶(子不疑の地に到れりや)。

 大陽以手掩耳而去(大陽、手を以て耳を掩ひて去る)。

 しかあれば、あきらかに保任すべし、佛祖意句は、佛祖家常の茶飯なり。家常の麁茶淡飯は、佛意祖句なり。佛祖は茶飯をつくる。茶飯、佛祖を保任せしむ。しかあれども、このほかの茶飯力をからず、このうちの佛祖力をつひやさざるのみなり。還假禹湯尭舜也無の見示を、功夫參學すべきなり。

 離此之餘、還有爲人言句也無。この問頭の頂𩕳を參跳すべし。跳得也、跳不得也と試參看すべし。

 

 南嶽山石頭庵無際大師いはく、吾結草庵無寶貝。飯了從容圖睡快(吾れ草庵を結ぶに寶貝無し。飯了には從容として睡快を圖る)。

 道來道去、道來去する飯了は、參飽佛祖意句なり。未飯なるは未飽參なり。しかあるに、この飯了從容の道理は、飯先にも現成す、飯中にも現成す、飯後にも現成す。飯了の屋裡に喫飯ありと錯認する、四五升の參學なり。

 

 先師古佛示衆曰、記得、僧問百丈、如何是奇特事。百丈曰、獨坐大雄峰(先師古佛示衆に曰く、記得す、僧、百丈に問ふ、如何ならんか是れ奇特の事。百丈曰く、獨坐大雄峰)。

 大衆不得動著、且教坐殺者漢。今日忽有人問淨上座、如何是奇特事。只向他道、有甚奇特事。畢竟如何。淨慈鉢盂、移過天童喫飯(大衆、動著すること得ざれ、且く者漢を坐殺せしめん。今日忽ちに人有つて淨上座に問はん、如何ならんか是れ奇特の事と。ただ他に向つて道ふべし、甚の奇特の事か有らん。畢竟如何。淨慈の鉢盂、天童に移過して喫飯す)。

 佛祖の家裏にかならず奇特事あり。いはゆる獨坐大雄峰なり。いま坐殺者漢せしむるにあふとも、なほこれ奇特事なり。さらにかれよりも奇特なるあり、いはゆる淨慈鉢盂、移過天童喫飯なり。奇特事は條條面面みな喫飯なり。しかあれば、獨坐大雄峰すなはちこれ喫飯なり。鉢盂は喫飯用なり、喫飯用は鉢盂なり。このゆゑに淨慈鉢盂なり、天童喫飯なり。飽了知飯あり、喫飯了飽あり。知了飽飯あり、飽了更喫飯あり。しばらく作麼生ならんかこれ鉢盂。おもはくは、祗是木頭にあらず、黒如漆にあらず。頑石ならんや、鐵漢ならんや。無底なり、無鼻孔なり。一口呑虛空、虛空合掌受なり。

 

 先師古佛、ちなみに台州瑞巖淨土禪院の方丈にして示衆するにいはく、飢來喫飯、困來打眠。爐韛亙天(飢來れば喫飯し、困來れば打眠す。爐韛亙天なり)。

 いはゆる飢來は、喫飯來人の活計なり。未曾喫飯人は、飢不得なり。

 しかあればしるべし、飢一家常ならんわれは、飯了人なりと決定すべし。困來は困中又困なるべし。困の頂𩕳上より全跳しきたれり。このゆゑに、渾身の活計に、都撥轉渾身せらるる而今なり。打眠は佛眼法眼、慧眼祖眼、露柱燈籠眼を假借して打眠するなり。

 

 先師古佛、ちなみに台州瑞巖寺より臨安府淨慈寺の請におもむきて、上堂にいはく、

 半年喫飯坐峰。

 坐斷烟雲千萬里。

 忽地一聲轟霹靂、

 帝郷春色杏花紅。

 (半年喫飯して峰に坐す。坐斷す烟雲千萬里。忽地の一聲轟霹靂、帝郷の春色杏花紅なり。)

 佛代化儀の佛祖、その化みなこれ坐峰喫飯なり。續佛慧命の參究、これ喫飯の活計見成なり。坐峰の半年、これを喫飯といふ。坐斷する烟雲いくかさなりといふことをしらず。一聲の霹靂たとひ忽地なりとも、杏花の春色くれなゐなるのみなり。帝郷といふは、いまの赤赤條條なり。これらの恁麼は喫飯なり。峰は瑞巖寺の峰の名なり。

 

 先師古佛、ちなみに明州慶元府の瑞巖寺の佛殿にして示衆するにいはく、黄金妙相、著衣喫飯、因我禮儞。早眠晏起。咦。談玄説妙太無端。切忌拈花自熱瞞(黄金の妙相著衣喫飯、我に因つて儞を禮す。早眠晏起。咦。談玄説妙太だ無端なり。切忌すらくは拈花自から熱瞞することを)。

 たちまちに透擔來すべし、黄金妙相といふは、著衣喫飯なり、著衣喫飯は黄金妙相なり。さらにたれ人の著衣喫飯すると摸索せざれ、たれ人の黄金妙相なるといふことなかれ。かくのごとくするはこれ道著なり。因我禮儞のしかあるなり。我既喫飯、儞揖喫飯(我れ既に喫飯すれば、儞喫飯を揖す)なり。切忌拈花のゆゑにしかあるなり。

 

 福州長慶院圓智禪師大安和尚、上堂示衆云、大安在潙山三十來年、喫潙山飯、屙潙山屎、不學潙山禪。只看一頭水牯牛。若落路入草便牽出。若犯人苗稼卽鞭撻。調伏既久、可憐生、受人言語。如今變作箇露地白牛。常在面前、終日露囘囘地。趁亦不去也(福州長慶院圓智禪師大安和尚、上堂の示衆に云く、大安、潙山に在ること三十來年なり。潙山の飯を喫し、潙山の屎を屙して、潙山の禪を學せず。ただ一頭の水牯牛を看す。若し落路入草すれば便ち牽出す。若し人の苗稼を犯さば卽ち鞭撻す。調伏すること既に久しくして、可憐生、人の言語を受く。如今變じて箇の露地の白牛と作る。常に面前に在つて、終日露囘囘地なり。趁へども亦た去らず)。

 あきらかにこの示衆を受持すべし。佛祖の會下に功夫なる三十來年は喫飯なり。さらに雜用心あらず。喫飯の活計見成するは、おのづから看一頭水牯牛の標格あり。

 

 趙州眞際大師、問新到僧曰、曾到此間否(趙州眞際大師、新到僧に問うて曰く、曾て此間に到れりや否や)。

 僧曰、曾到。

 師曰、喫茶去。

 又問一僧(又、一僧に問ふ)、曾到此間否。

 僧曰、不曾到。

 師曰、喫茶去。

 院主問師、爲甚曾到此間也喫茶去、不曾到此間也喫茶去(院主、師に問ふ、甚と爲てか曾到此間も喫茶去、不曾到此間も喫茶去なる)。

 師召院主(師、院主を召す)。

 主應諾(主、應諾す)。

 師曰、喫茶去。

 いはゆる此間は、頂𩕳にあらず、鼻孔にあらず、趙州にあらず。此間を跳脱するゆゑに曾到此間なり、不曾到此間なり。遮裏是甚麼處在、祗管道曾到不曾到なり。このゆゑに、 先師いはく、誰在畫樓沽酒處、相邀來喫趙州茶(誰か畫樓沽酒の處に在つて、相邀へ來つて趙州の茶を喫せん)。

 しかあれば、佛祖の家常は喫茶喫飯のみなり。

 

正法眼藏家常第五十九

 

 爾時寛元元年癸卯十二月十七日在越宇禪師峰下示衆

 同二年壬辰正月一日書寫之在峰下侍者寮 懷弉

 

 

正法眼藏第六十 三十七品菩提分法

 古佛の公案あり、いはゆる三十七品菩提分法の教行證なり。昇降階級の葛藤する、さらに葛藤公案なり。喚作諸佛なり、喚作諸祖なり。

 

四念住 四念處とも稱ず

 一者、觀身不淨

 二者、觀受是苦

 三者、觀心無常

 四者、觀法無我

 觀身不淨といふは、いまの觀身の一袋皮は盡十方界なり。これ眞實體なるがゆゑに、活路に跳跳する觀身不淨なり。不跳ならんは觀不得ならん、若無身ならん。行取不得ならん、説取不得ならん、觀取不得ならん。すでに觀得の現成あり、しるべし、跳跳得なり。いはゆる觀得は、毎日の行履、掃地掃牀なり。第幾月を擧して掃地し、正是第二月を擧して掃地掃牀するゆゑに、盡大地の恁麼なり。

 觀身は身觀なり、身觀にて餘物觀にあらず。正當觀は卓卓來なり。身觀の現成するとき、心觀すべて摸未著なり、不現成なり。しかあるゆゑに金剛定なり、首楞嚴定なり。ともに觀身不淨なり。

 おほよそ夜半見明星の道理を、觀身不淨といふなり。淨穢の比論にあらず。有身是不淨なり、現身便不淨なり。かくのごとくの參學は、魔作佛のときは魔を拈じて降魔し作佛す。佛作佛のときは佛を拈じて圖佛し作佛す。人作佛のときは、人を拈じて調人し、作佛するなり。まさに拈處に通路ある道理を參究すべし。たとへば、浣衣の法のごとし。水は衣に染汚せられ、衣は水に浸却せらる。この水を用著して浣洗し、この水を換却して浣洗すといへども、なほこれ水をもちゐる、なほこれ衣をあらふなり。一番洗、兩番洗に見淨ならざれば、休歇に滯累することなかれ。水盡更用水なり。衣淨更浣衣なり。水は諸類の水ともにもちゐる、洗衣によろし。水濁知有魚(水濁りて魚有ることを知る)の道理を參究するなり。衣は諸類の衣ともに浣洗あり。恁麼功夫して、浣衣公案現成なり。しかあれども、淨潔を見取するなり。この宗旨、かならずしも衣を水に浸却するを本期とせず、水のころもに染却するを本期とせず。染汚水をもちて衣を浣洗するに、浣衣の本期あり。さらに火風土水空を用著して、衣をあらひ物をあらふ法あり。地水火風空をもちて、地水火風空をあらひきよむる法あり。

 いまの觀身不淨の宗旨、またかくのごとし。これによりて蓋身蓋觀蓋不淨、すなはち孃生袈裟なり。袈裟もし孃生袈裟にあらざれば、佛祖いまだもちゐざるなり、ひとり商那和修のみならんや。この道理よくよくこころをとめて參學究盡すべし。

 觀受是苦といふは、苦これ受なり。自受にあらず他受にあらず、有受にあらず無受にあらず。生身受なり、生身苦なり。甜熟苽を苦葫蘆に換却するをいふ。これ皮肉骨髓ににがきなり。有心無心等ににがきなり。これ一上の神通修證なり。徹蔕より跳出し、連根より跳出する神通なり。このゆゑに、將謂衆生苦、更有苦衆生なり。衆生は自にあらず、衆生は他にあらず。更有苦衆生、つひに瞞他不得なり。甜苽徹蔕甜、苦匏連根苦なりといへども、苦これたやすく摸索著すべきにあらず。自己に問著すべし、作麼生是苦(作麼生ならんか是れ苦)。

 觀心無常は、曹谿古佛いはく、無常者卽佛性也。

 しかあれば、諸類の所解する無常、ともに佛性なり。

 永嘉眞覺大師云、諸行無常一切空、卽是如來大圓覺。

 いまの觀心無常、すなはち如來大圓覺なり、大圓覺如來なり。心もし不觀ならんとするにも、隨他去するがゆゑに、心もしあれば觀もあるなり。おほよそ無上菩提にいたり、無上正等覺の現成、すなはち無常なり、觀心なり。心かならずしも常にあらず、離四句、絶百非なるがゆゑに、牆壁瓦礫、石頭大小、これ心なり、これ無常なり、すなはち觀なり。

 觀法無我は、長者長法身、短者短法身なり。現成活計なるがゆゑに無我なり。狗子佛性無なり、狗子佛性有なり。一切衆生無佛性なり、一切佛性無衆生なり。一切諸佛無衆生なり、一切諸佛無諸佛なり。一切佛性無佛性なり、一切衆生無衆生なり。かくのごとくなるがゆゑに、一切法無一切法を觀法無我と參學するなり。しるべし、跳出渾身自葛藤なり。

 釋迦牟尼佛言、一切諸佛菩薩、長安此法、爲聖胎也(一切諸佛菩薩、長に此の法に安んずる、爲聖胎なり)。

 しかあれば、諸佛菩薩、ともにこの四念住を聖胎とせり。しるべし、等覺の聖胎なり、妙覺の聖胎なり。すでに一切諸佛菩薩とあり、妙覺にあらざらん諸佛も、これを聖胎とせり。等覺よりさき、妙覺よりほかに超出せる菩薩、またこの四念住を聖胎とするなり。まことに諸佛諸祖の皮肉骨髓、ただ四念住のみなり。

 

四正斷 あるいは四正勤と稱ず

 一者、未生惡令不生(未生の惡をば不生ならしむ)

 二者、已生惡令滅(已生の惡をば滅ならしむ)

 三者、未生善令生(未生の善をば生ぜしむ)

 四者、已生善令増長(已生の善をば増長せしむ)

 未生惡令不生といふは、惡の稱、かならずしもさだまれる形段なし。ただ地にしたがひ、界によりて立稱しきたれり。しかあれども、未生をして不生ならしむるを佛法と稱じ、正傳しきたれり。外道の解には、これ未萌我を根本とせりといふ。佛法にはかくのごとくなるべからず。しばらく問取すべし、惡未生のとき、いづれのところにかある。もし未來にありといはば、ながくこれ斷滅見の外道なり。もし未來きたりて現在となるといはば、佛法の談にあらず、三世混亂しぬべし。三世混亂せば諸法混亂すべし、諸法混亂せば實相混亂すべし、實相混亂せば唯佛與佛混亂すべし。かるがゆゑに、未來はのちに現在となるといはざるなり。さらに問取すべし、未生惡とは、なにを稱ずべきぞ、たれかこれを知取見取せる。もし知取見取することあらば、未生時あり、非未生時あらん。もししかあらば、未生法と稱ずべからず、已滅の法と稱じつべし。外道および小乘聲聞等に學せずして、未生惡令不生の參學すべきなり。彌天の積惡、これを未生惡と稱ず、不生惡なり。不生といふは、昨日説定法、今日説不定法なり。

 已生惡令滅といふは、已生は盡生なり、盡生なりとは半生なり、半生なりとは此生なり。此生は被生礙なり、跳出生之頂𩕳なり。これをして滅ならしむといふは、調達生身入地獄なり、調達生身得授記なり。生身入驢胎なり、生身作佛なり。かくのごとく道理を拈來して、令滅の宗旨を參學すべきなり。滅は滅を跳出透脱するを滅とす。

 未生善令生といふは、父母未生前面目參飽なり、朕兆已前明擧なり、威音王以前の會取なり。

 已生善令増長は、しるべし、已生善令生といはず、令増長するなり。自見明星訖、更教他見明星(自ら明星を見ること訖りて、更に他をして明星を見しむ)なり。眼睛作明星なり。胡亂後三十年、不曾闕鹽醋(胡亂より後三十年、曾て鹽と醋とを闕かず)なり。たとへば増長するゆゑに已生するなり。このゆゑに、溪深杓柄長なり、只爲有所以來(只有るが爲に所以に來る)なり。

 

四神足

 一者、欲神足

 二者、心神足

 三者、進神足

 四者、思惟神足

 欲神足は、圖作佛の身心なり。圖睡快なり、因我禮儞なり。おほよそ欲神足、さらに身心の因緣にあらざるなり。莫涯空の鳥飛なり、徹底水の魚行なり。

 心神足は、牆壁瓦礫なり、山河大地なり。條條の三界なり、赤赤の椅子竹木なり。盡使得なるがゆゑに、佛祖心あり、凡聖心あり。草木心あり、變化心あり。盡心は心神足なり。

 進神足は、百尺竿頭驀直歩なり。いづれのところかこれ百尺竿頭。いはゆる不驀直不得なり。驀直一歩はなきにあらず、遮裏是甚麼處在、説進説退。正當進神足時、盡十方界、隨神足到也、隨神足至なり。

 思惟神足は、一切佛祖、業識忙忙、無本可據なり。身思惟あり、心思惟あり、識思惟あり。草鞋思惟あり、空劫已前自己思惟あり。

 これをまた四如意足といふ、無躊躇なり。

 釋迦牟尼佛言、未運而到名如意足(未だ運らさずして到るを如意足と名づく)。

 しかあればすなはち、ときこと、きりのくちのごとし。方あること、のみのはのごとし。

 

五根

 一者、信根

 二者、精進根

 三者、念根

 四者、定根

 五者、慧根

 信根は、しるべし、自己にあらず、他己にあらず。自己の強爲にあらず、自己の結構にあらず、他の牽挽にあらず、自立の規矩にあらざるゆゑに、東西密相附なり。渾身似信を信と稱ずるなり。かならず佛果位と隨他去し隨自去す。佛果位にあらざれば信現成にあらず。このゆゑにいはく、佛法大海信爲能入(佛法の大海は信を能入と爲す)なり。おほよそ信現成のところは、佛祖現成のところなり。

 精進根は、省來祗管打坐なり。休也休不得なり、休得更休得なり。大驅驅生なり、不驅驅者なり。大驅不驅、一月二月なり。

 釋迦牟尼佛言、我常勤精進、是故我已得成阿耨多羅三藐三菩提(我れ常に勤め精進せり、是の故に我れ已に阿耨多羅三藐三菩提を成ることを得たり)。

 いはゆる常勤は、盡過現當來、頭正尾正なり。我常勤精進を我已得成菩提とせり。我已得成阿耨菩提のゆゑに、我常勤精進なり。しかあらずは、いかでか常勤ならん。しかあらずは、いかでか我已得ならん。論師經師、この宗旨を見聞すべからず、いはんや參學せるあらんや。

 念根は、枯木の赤肉團なり。赤肉團を枯木といふ。枯木は念根なり。摸索當の自己、これ念なり。有身のときの念あり、無心のときも念あり。有心の念あり、無身の念あり。盡大地人の念根、これを念根とせり。盡十方佛の命根、これは念根なり。一念に多人あり、一人に多念あり。しかあれども、有念人あり、無念人あり。人にかならずしも念あるにあらず、念かならずしも人にかかれるにあらず。しかありといへども、この念根、よく持して究盡の功徳あり。

 定根は、惜取眉毛なり、策起眉毛なり。このゆゑに不昧因果なり、不落因果なり。ここをもて、入驢胎、入馬胎なり。いしの玉をつつめるがごとし、全石全玉なりといふべからず。地の山をいただけるがごとし。盡地盡山といふべからず。しかあれども、頂𩕳より跳出し跳入す。

 慧根は、三世諸佛不知有なり、狸奴白牯却知有なり。爲甚如此(なにとしてかかくの如くなる)といふべからず、いはれざるなり。鼻孔有消息なり、拳頭有指尖なり。驢は驢を保任す、井は井に相見す。おほよそ根嗣根なり。

 

五力

 一者、信力

 二者、精進力

 三者、念力

 四者、定力

 五者、慧力

 信力は、被自瞞無廻避處(自に瞞ぜられて廻避の處無し)なり、被他喚必廻頭(他に喚ばれては必ず廻頭す)なり。從生至老、只是這箇なり。七顛也放行なり、八倒也拈來なり。このゆゑに信如水淸珠(信は水淸珠の如し)なり。傳法傳衣を信とす、傳佛傳祖なり。

 精進力は、説取行不得底なり、行取説不得底なり。しかあればすなはち、説得一寸、不如説得一寸なり。行得一句、不如行得一句なり。力裏得力、これ精進力なり。

 念力は、拽人鼻孔太殺人なり。このゆゑに、鼻孔拽人なり。抛玉引玉なり、抛塼引塼なり。さらに、未抛也三十棒なり。天下人用著未磷なり。

 定力は、或者如子得其母(或いは子の其の母を得るが如し)なり、或者如母得其子なり、或者如子得其子なり、或者如母得其母なり。しかあれども、以頭換面にあらず、以金買金にあらず。唱而彌高なるのみなり。

 慧力は、年代深遠なり。如船遇度(船の度に遇ふが如し)なり。かるがゆゑに、ふるくはいはく、如度得船(度に船を得たるが如し)。いふこころは、度必是船(度は必ず是れ船)なり。度の度を罣礙せざるを船といふ。春氷自消氷(春の氷自ら氷を消す)なり。

 

七等覺支

 一者、擇法覺支

 二者、精進覺支

 三者、喜覺支

 四者、除覺支

 五者、捨覺支

 六者、定覺支

 七者、念覺支

 擇法覺支は、毫釐有差、天地懸隔なり。このゆゑに、至道不難易、唯要自揀擇(至道難易にあらず、唯自ら揀擇せんことを要す)のみなり。

 精進覺支は、不曾攙奪行市なり。自買自賣、ともに定價あり、知貴あり。屈己推人(己を屈して人を推す)に相似なりといへども通身撲不碎なり。一轉語を自賣することいまだやまざるに、一轉心を自買する商客に相逢す。驢事未了、馬事到來なり。

 喜覺支は、老婆心切血滴滴なり。大悲千手眼、遮莫太多端。臘雪梅花先漏泄、來春消息大家寒(大悲千手眼、遮莫太だ多端なり。臘雪の梅花先づ漏泄す、來春の消息大家寒し)なり。しかもかくのごとくなりといへども、活鱍鱍、笑呵呵なり。

 除覺支は、もしみづからがなかにありてはみづからと群せず、他のなかにありては他と群せず。我得儞不得なり。灼然道著、異類中行なり。

 捨覺支は、設使將來、他亦不受(設使將來すとも他もまた受けじ)なり。唐人赤脚學唐歩、南海波斯求象牙(唐人赤脚にして唐歩を學し、南海の波斯象牙を求む)なり。

 定覺支は、機先保護機先眼(機先に保護す機先の眼)なり。自家鼻孔自家穿(自家の鼻孔自家穿ぐ)なり。自家把索自家牽(自家の索を把りて自家牽く)なり。しかもかくのごとくなりといへども、さらに牧得一頭水牯牛なり。

 念覺支は、露柱歩空行(露柱、空を歩みて行く)なり。このゆゑに、口似椎、眼如眉(口は椎に似たり、眼は眉の如し)なりといふとも、なほこれ栴檀林裏爇栴檀、獅子窟中獅子吼(栴檀林裏に栴檀爇し、獅子窟中に獅子吼す)なり。

 

八正道支 また八聖道とも稱ず

 一者、正見道支

 二者、正思惟道支

 三者、正語道支

 四者、正業道支

 五者、正命道支

 六者、正精進道支

 七者、正念道支

 八者、正定道支

 正見道支は、眼睛裏藏身なり。しかあれども、身先須具身先眼(身先には須らく身先眼を具すべし)なり。向前の堂堂成見なりといへども、公案見成なり、親曾見なり。おほよそ眼裏藏身せざれば、佛祖にあらざるなり。

 正思惟道支は、作是思惟時、十方佛皆現なり。しかあれば、十方佛、諸佛現、これ作是思惟時なり。作是思惟時は、自己にあらず、他己をこえたりといへども、而今も思惟是事已、卽趣波羅奈(是の事を思惟し已りて、卽ち波羅奈に趣く)なり、思惟の處在は波羅奈なり。

 古佛いはく、思量箇不思量底、不思量底如何思量。非思量。

 これ正思量、正思惟なり。破蒲團、これ正思惟なり。

 正語道支は、唖子自己不唖子なり。諸人中の唖子は未道得なり。唖子界の諸人は唖子にあらず。不慕諸聖なり、不重己靈なり。口是掛壁の參究なり。一切口掛一切壁なり。

 正業道支は、出家修道なり、入山取證なり。

 

 釋迦牟尼佛言、三十七品是僧業。

 僧業は大乘にあらず、小乘にあらず。僧は佛僧、菩薩僧、聲聞僧等あり。いまだ出家せざるものの、佛法の正業を嗣續せることあらず、佛法の大道を正傳せることあらず。在家わづかに近事男女の學道といへども、達道の先蹤なし。達道のとき、かならず出家するなり。出家に不堪ならんともがら、いかでか佛位を嗣續せん。

 しかあるに、二三百年來のあひだ、大宋國に禪宗僧と稱ずるともがら、おほくいはく、在家の學道と出家の學道と、これ一等なりといふ。これただ在家人の屎尿を飮食とせんがために狗子となれる類族なり。あるいは國王大臣にむかひていはく、萬機の心はすなはち祖佛心なり、さらに別心あらずといふ。王臣いまだ正説正法をわきまへず、大悅して師號等をたまふ。かくのごとくの道ある諸僧は調達なり。唾をくらはんがために、かくのごとくの小兒の狂語あり。啼哭といふべし。七佛の眷屬にあらず、魔儻畜生なり。いまだ身心學道をしらず、參學せず、身心出家をしらず。王臣の法政にくらく、佛祖の大道をゆめにもみざるによりてかくのごとし。

 維摩居士の佛出世時にあふし、道未盡の法おほし。學未到すくなからず。龐蘊居士が祖席に參歴せし、藥山の堂奥をゆるされず、江西におよばず。ただわづかに參學の名をぬすめりといへども、參學の實あらざるなり。自餘の李附馬、楊文公等、おのおの參飽とおもふといへども、乳餠いまだ喫せず、いはんや畫餠を喫せんや。いはんや喫佛祖粥飯せんや、未有鉢盂なり。あはれむべし、一生の皮袋いたづらなることを。

 普勸すらくは盡十方の天衆生、人衆生、龍衆生、諸衆生、はるかに如來の法を慕古して、いそぎて出家修道し、佛位祖位を嗣續すべし。禪師等が未達の道をきくことなかれ。身をしらず、心をしらざるがゆゑに、しかのごとくいふなり。あるいは又すべて衆生をあはれむこころなく、佛法をまぼるおもひなく、ただひとすぢに在家の人の屎糞をくらはんとして惡狗となれる人面狗、人皮狗、かくのごとくいふなり。同坐すべからず、同語すべからず、同依止すべからず。かれらはすでに生身墮畜生なり。出家人もし屎糞ゆたかならば、出家人すぐれたりといはまし。出家人の屎糞、この畜生におよばざるゆゑにかくのごとく道取するなり。在家心と出家心と一等なりといふこと、證據といひ、道理といひ、五千餘軸の文にみえず、二千餘年のあとなし。五十代四十餘世の佛祖、いまだその道取なし。たとひ破戒無戒の比丘となりて、無法無慧なりといふとも、在家の有智持戒にはすぐるべきなり。僧業これ智なり、悟なり、道なり、法なるがゆゑに。在家たとひ隨分の善根功徳あれども、身心の善根功徳おろそかなり。一代の化儀、すべて在家得道せるものなし。これ在家いまだ學佛道の道場ならざるゆゑなり。遮障おほきゆゑなり。萬機心と祖師心と一等なりと道取するともがらの身心をさぐるに、いまだ佛法の身心にあらず、佛祖の皮肉骨髓つたはれざらん。あはれむべし、佛正法にあひながら畜生となれることを。

 かくのごとくなるによりて、曹谿古佛たちまちに辭親尋師す、これ正業なり。金剛經をききて發心せざりしときは樵夫として家にあり、金剛經をききて佛法の薰力あるときは重擔を放下して出家す。しるべし、身心もし佛法あるときは、在家にとどまることあたはずといふことを。諸佛祖みなかくのごとし。出家すべからずといふともがらは、造逆よりもおもき罪條なり、調達よりも猛惡なりといふべし。六群比丘、六群尼、十八群比丘等よりもおもしとしりて、共語すべからず。一生の壽命いくばくならず、かくのごとくの魔子畜生等と共語すべき光陰なし。いはんやこの人身心は、先世に佛法を見聞せし種子よりうけたり。公界の調度なるがごとし。魔族となすべきにあらず、魔族とともならしむべきにあらず。佛祖の深恩をわすれず、法乳の徳を保護して、惡狗の叫吠をきくことなかれ。惡狗と同坐同食することなかれ。

 

 嵩山高祖古佛、はるかに西天の佛國をはなれて、邊邦の神丹に西來するとき、佛祖の正法まのあたりつたはれしなり。これ出家得道にあらずは、かくのごとくなるべからず。祖師西來已前は、東地の衆生人天、いまだかつて正法を見聞せず。しかあればしるべし、正法正傳、ただこれ出家の功徳なり。

 大師釋尊、かたじけなく父王のくらゐをすてて嗣續せざることは、王位の貴ならざるにあらず、佛位の最貴なるを嗣續せんがためなり。佛位はこれ出家位なり、三界の天衆生、人衆生、ともに頂戴恭敬するくらゐなり。梵王、釋王の同坐するところにあらず。いはんや下界の諸人王、諸龍王の同坐するくらゐならんや。無上正等覺位なり。くらゐよく説法度生し、放光現瑞す。この出家位の諸業、これ正業なり、諸佛七佛の懷業なり。唯佛與佛にあらざれば究盡せざるところなり。いまだ出家せざらんともがらは、すでに出家せるに奉覲給仕し、頭頂敬禮し、身命を抛捨して供養すべし。

 

 釋迦牟尼佛言、出家受戒、是佛種子也、已得度人(出家受戒すれば、是れ佛種子なり。已に得度せる人なり)。

 しかあればすなはちしるべし、得度といふは出家なり。未出家は沈淪にあり、かなしむべし。おほよそ一代の佛説のなかに、出家の功徳を讃歎せること、稱計すべからず。釋尊誠説し、諸佛證明す。出家人の破戒不修なるは得道す、在家人の得道いまだあらず。帝者の僧尼を禮拜するとき、僧尼答拜せず。諸天の出家人を拜するに、比丘比丘尼またく答拜せず。これ出家の功徳すぐれたるゆゑなり。もし出家の比丘比丘尼に拜せられば、諸天の宮殿、光明、果報等、たちまちに破壞墜墮すべきがゆゑにかくのごとし。

 おほよそ佛法東漸よりこのかた、出家人の得道は稻麻竹葦のごとし。在家ながら得道せるもの、一人もいまだあらず。すでに佛法その眼耳におよぶときは、いそぎて出家をいとなむ。はかりしりぬ、在家は佛法の在處にあらず。しかあるに、萬機の身心すなはち佛祖の身心なりといふやからは、いまだかつて佛法を見聞せざるなり。黒闇獄の罪人なり。おのれが言語なほ見聞せざる愚人なり、國賊なり。萬機の心をもて佛祖の心に同ずるを詮とするは、佛法のすぐれたるによりて、しかいふを帝者よろこぶ。しるべし、佛法すぐれたりといふこと。萬機の心は假令おのづから佛祖の心に同ずとも、佛祖の身心おのづから萬機の身心とならんとき、萬機の身心なるべからず。萬機心と佛祖心と一等なりといふ禪師等、すべて心法のゆきがた、樣子をしらざるなり。いはんや佛祖心をゆめにもみることあらんや。

 おほよそ梵王、釋王、人王、龍王、鬼神王等、おのおの三界の果報に著することなかれ。はやく出家受戒して、諸佛諸祖の道を修習すべし。曠大劫の佛因ならん。みずや、維摩老もし出家せましかば、維摩よりもすぐれたる維摩比丘をみん。今日はわづかに空生、舍利子、文殊、彌勒等をみる、いまだ半維摩をみず。いはんや三四五の維摩をみんや。もし三四五維摩をみず、しらざれば、一維摩いまだみず、しらず、保任せざるなり。一維摩いまだ保任せざれば維摩佛をみず、維摩佛みざれば維摩文殊、維摩彌勒、維摩善現、維摩舍利子等、いまだあらざるなり。いはんや維摩山河大地、維摩草木瓦礫、風雨水火、過去現在未來等あらんや。維摩いまだこれらの光明功徳みえざることは、不出家のゆゑなり。維摩もし出家せば、これらの功徳あるべきなり。當時唐朝、宋朝の禪師等、これらの宗旨に達せず、みだりに維摩を擧して作得是とおもひ、道得是といふ。これらのともがら、あはれむべし、言教をしらず、佛法にくらし。

 あるいは又あまりさへは、維摩と釋尊と、その道ひとしとおもひいへるおほし。これらまたいまだ佛法をしらず、祖道をしらず、維摩をもしらず、はからざるなり。かれらいはく、維摩默然無言して諸菩薩にしめす、これ如來の無言爲人にひとしといふ。これおほきに佛法をしらず、學道の力量なしといふべし。如來の有言、すでに自餘とことなり、無言もまた諸類とひとしかるべからず。しかあれば、如來の一默と維摩一默と、相似の比論にすらおよぶべからず。言説はことなりとも默然はひとしかるべしと憶想せるともがらの力量をさぐるには、佛邊人とするにもおよばざるなり。かなしむべし、かれらいまだ聲色の見聞なし、いはんや跳聲色の光明あらんや。いはんや默の默を學すべしとだにもしらず、ありとだにもきかず。おほよそ諸類と諸類と、その動靜なほことなり。いかでか釋尊と諸類とおなじといひ、おなじからずと比論せん。これ佛祖の堂奥に參學せざるともがら、かくのごとくいふなり。

 あるいは邪人おほくおもはく、言説動容はこれ假法なり、寂默凝然はこれ眞實なり。かくのごとくいふ、また佛法にあらず。梵天自在天等の經教を傳聞せるともがらの所許なり。佛法いかでか動靜にかかはらん。佛道に動靜ありや、動靜なしや、動靜を接すや、動靜に接せらるやと、審細に參學すべし。而今の晩學、たゆむことなかれ。

 現在大宋國をみるに、佛祖の大道を參學せるともがら、斷絶せるがごとし。兩三箇あるにあらず。維摩は是にして一默あり、いまは一默せざるは維摩よりも劣なりとおもへるともがらのみあり。さらに佛法の活路なし。あるいは又、維摩の一默はすなはち世尊の一默なりとおもふともがらのみあり、さらに分別の光明あらざるなり。かくのごとくおもひいふともがら、すべていまだかつて佛法見聞の參學なしといふべし。大宋國人にあればとて、佛法なるらんとおもふことなかれ。その道理、あきらめやすかるべし。

 いはゆる正業は僧業なり。論師經師のしるところにあらず。僧業といふは、雲堂裏の功夫なり、佛殿裏の禮拜なり、後架裏の洗面なり。乃至合掌問訊、燒香燒湯する、これ正業なり。以頭換尾するのみにあらず、以頭換頭なり、以心換心なり、以佛換佛なり、以道換道なり。これすなはち正業道支なり。あやまりて佛法の商量すれば、眉鬚墮落し、面目破顔するなり。

 

 正命道支とは、早朝粥、午時飯なり。在叢林弄精魂なり。曲木座上直指なり。老趙州の不滿二十衆、これ正命の現成なり。藥山の不滿十衆、これ正命の命脈なり。汾陽の七八衆、これ正命のかかれるところなり。もろもろの邪命をはなれたるがゆゑに。

 釋迦牟尼佛言、諸聲聞人、未得正命。

 しかあればすなはち、聲聞の教行證、いまだ正命にあらざるなり。しかあるを、近日庸流いはく、聲聞、菩薩を分別すべからず、その威儀戒律ともにもちゐるべしといひて、小乘聲聞の法をもて、大乘菩薩法の威儀進止を判ず。

 釋迦牟尼佛言、聲聞持戒、菩薩破戒。

 しかあれば、聲聞の持戒とおもへる、もし菩薩戒に比望するがごときは、聲聞戒みな破戒なり。自餘の定慧もまたかくのごとし。たとひ不殺生等の相、おのづから聲聞と菩薩にあひにたりとも、かならず別なるべきなり。天地懸隔の論におよぶべからざるなり。いはんや佛佛祖祖正傳の宗旨と諸聲聞と、ひとしからんや。正命のみにあらず、淸淨命あり。しかあればすなはち、佛祖に參學するのみ正命なるべし。論師等の見解、もちゐるべからず。未得正命なるがゆゑに、本分命にあらず。

 正精進道支とは、抉出通身の行李なり、抉出通身打人面なり。倒騎佛殿打一匝、兩匝三四五匝なるがゆゑに、九九算來八十二なり。重報君(重ねて君に報ず)の千萬條なり。換頭也十字縱横なり、換面也縱横十字なり。入室來、上堂來なり。望州亭相見了なり、烏石嶺相見了なり。僧堂前相見了なり、佛殿裡相見了なり。兩鏡相對して三枚影あるをいふ。

 正念道支は、被自瞞の八九成なり。念よりさらに發智すると學するは捨父逃逝なり。念中發智と學するは、纏縛之甚(纏縛の甚しき)なり。無念はこれ正念といふは外道なり。また地水火風の精靈を念とすべからず、心意識の顚倒を念と稱ぜず。まさに汝得吾皮肉骨髓、すなはち正念道支なり。

 正定道支とは、脱落佛祖なり、脱落正定なり。他是能擧(他是れ能く擧す)なり、剖來頂𩕳作鼻孔(頂𩕳を剖き來つて鼻孔と作す)なり。正法眼藏裏、拈優曇花なり。優曇花裏、有百千枚迦葉破顔微笑(百千枚の迦葉有りて破顔微笑す)なり。活計ひさしくもちゐきたりて木杓破なり。このゆゑに、落草六年、花開一夜なり。劫火洞燃、大千倶壞、隨他去なり。

 

 この三十七品菩提分法、すなはち佛祖の眼睛鼻孔、皮肉骨髓、手足面目なり。佛祖一枚、これを三十七品菩提分法と參學しきたれり。しかあれども、一千三百六十九品の公案現成なり、菩提分法なり。坐斷すべし、脱落すべし。

 

正法眼藏三十七品菩提分法第六十

 

 爾時寛元二年甲辰二月二十四日在越宇吉峰精舍示衆

 

 

正法眼藏第六十一 龍吟

 舒州投子山慈濟大師、因僧問、枯木裏還有龍吟也無(枯木裏還龍吟有りや無や)。

 師曰、我道、髑髏裏有師子吼(我が道は、髑髏裏に師子吼有り)。

 枯木死灰の談は、もとより外道の所教なり。しかあれども、外道のいふところの枯木と、佛祖のいふところの枯木と、はるかにことなるべし。外道は枯木を談ずといへども枯木をしらず、いはんや龍吟をきかんや。外道は枯木は朽木ならんとおもへり、不可逢春(春に逢ふべからず)と學せり。佛祖道の枯木は海枯の參學なり。海枯は木枯なり、木枯は逢春なり。木の不動著は枯なり。いまの山木、海木、空木等、これ枯木なり。萌芽も枯木龍吟なり。百千萬圍とあるも、枯木の兒孫なり。枯の相、性、體、力は、佛祖道の枯樁なり。非枯樁なり。山谷木あり、田里木あり。山谷木、よのなかに松栢と稱ず。田里木、よのなかに人天と稱ず。依根葉分布(根に依つて葉分布す)、これを佛祖と稱ず。本末須歸宗(本末須らく宗に歸すべし)、すなはち參學なり。かくのごとくなる、枯木の長法身なり、枯木の短法身なり。もし枯木にあらざればいまだ龍吟せず、いまだ枯木にあらざれば龍吟を打失せず。幾度逢春不變心(幾度か春に逢ひて心を變ぜず)は、渾枯の龍吟なり。宮商角徴羽に不群なりといへども、宮商角徴羽は龍吟の前後二三子なり。

 しかあるに、遮僧道の枯木裏還有龍吟也無は、無量劫のなかにはじめて問頭に現成せり、話頭の現成なり。

 投子道の我道髑髏裏有師子吼は有甚麼掩處(甚麼の掩ふ處か有らん)なり。屈己推人也未休(己れを屈して人を推すこと也未だ休せず)なり。髑髏遍野なり。

 

 香嚴寺襲燈大師、因僧問、如何是道(如何ならんか是れ道)。

 師云、枯木裡龍吟。

 僧曰、不會。

 師云、髑髏裏眼睛。

 後有僧問石霜、如何是枯木裡龍吟(後に僧有つて石霜に問ふ、如何ならんか是れ枯木裡の龍吟)。

 霜云、猶帶喜在(猶喜を帶すること在り)。

 僧曰、如何是髑髏裏眼睛(如何ならんか是れ髑髏裏の眼睛)。

 霜云、猶帶識在(猶識を帶すること在り)。

 又有僧問曹山、如何是枯木裡龍吟(後に僧有つて石霜に問ふ、如何ならんか是れ枯木裡の龍吟)。

 山曰、血脈不斷。

 僧曰、如何是髑髏裏眼睛(如何ならんか是れ髑髏裏の眼睛)。

 山曰、乾不盡。

 僧曰、未審、還有得聞者麼(未審、還た得聞者有りや)。

 山曰、盡大地未有一箇不聞(盡大地に未だ一箇の不聞有らず)。

 僧曰、未審、龍吟是何章句(未審、龍吟是れ何の章句ぞ)。

 山曰、也不知是何章句(也た是れ何の章句なるかを知らず)。

 聞者皆喪(聞く者皆喪しぬ)。

 いま擬道する聞者吟者は、吟龍吟者に不齊なり。この曲調は龍吟なり。

 枯木裡髑髏裏、これ内外にあらず、自他にあらず。而今而古なり。

 猶帶喜在はさらに頭角生なり、猶帶識在は皮膚脱落盡なり。

 曹山道の血脈不斷は、道不諱なり。語脈裏轉身なり。

 乾不盡は海枯不盡底(海枯れて底を盡さず)なり、不盡是乾なるゆゑに乾上又乾なり。

 聞者ありやと道著せるは、不得者ありやといふがごとし。

 盡大地未有一箇不聞は、さらに問著すべし。未有一箇不聞はしばらくおく、未有盡大地時、龍吟在甚麼處、速道速道(未だ盡大地有らざる時、龍吟甚麼の處にか在る。速やかに道へ、速やかに道へ)なり。

 未審、龍吟是何章句は、爲問すべし。吟龍はおのれづから泥裡の作聲擧拈なり。鼻孔裏の出氣なり。

 也不知、是何章句は、章句裏有龍なり。

 聞者皆喪は、可惜許なり。

 いま香嚴、石霜、曹山等の龍吟來、くもをなし、水をなす。不道道、不道眼睛髑髏(道とも道はず、眼睛髑髏とも道はず)。只是龍吟の千曲萬曲なり。猶帶喜在也蝦啼、猶帶識在也蚯蚓鳴。これによりて血脈不斷なり、葫蘆嗣葫蘆なり。乾不盡のゆゑに、露柱懷胎生なり、燈籠對燈籠なり。

 

正法眼藏龍吟第六十一

 

 爾時寛元元年癸卯十二月廿五日在越宇禪師峰下示衆

 弘安二年三月五日於永平寺書寫之

 

 

正法眼藏第六十二 祖師西來意

 香嚴寺襲燈大師[嗣大潙、諱智閑]示衆云、如人千尺懸崖上樹、口㘅樹枝、脚不蹈樹、手不攀枝。樹下忽有人問、如何是祖師西來意。當恁麼時、若開口答他、卽喪身失命、若不答他、又違他所問。當恁麼時、且道、作麼生卽得(香嚴寺襲燈大師[大潙に嗣す、諱は智閑]示衆に云く、人の千尺の懸崖にして樹に上るが如き、口に樹枝を㘅み、脚は樹を蹈まず、手は枝を攀ぢず。樹下にして忽ち人有つて問はん、如何ならんか是れ祖師西來意と。當恁麼の時、若し口を開いて他に答へば、卽ち喪身失命せん、若し他に答へずは、又他の所問に違す。當恁麼の時、且く道ふべし、作麼生か卽ち得ん)。

 時有虎頭照上座、出衆云、上樹時卽不問、未上樹時、請和尚道、如何(時に虎頭の照上座有り、出衆して云く、上樹の時は卽ち問はず、未上樹の時、請すらくは和尚道ふべし、如何)。

 師乃呵呵大笑(師、乃ち呵呵大笑す)。

 而今の因緣、おほく商量拈古あれど、道得箇まれなり。おそらくはすべて茫然なるがごとし。しかありといへども、不思量を拈來し、非思量を拈來して思量せんに、おのづから香嚴老と一蒲團の功夫あらん。すでに香嚴老と一蒲團上に兀坐せば、さらに香嚴未開口已前にこの因緣を參詳すべし。香嚴老の眼睛をぬすみて覰見するのみにあらず、釋迦牟尼佛の正法眼藏を拈出して覰破すべし。

 如人千尺懸崖上樹。

 この道、しづかに參究すべし。なにをか人といふ。露柱にあらずは、木橛といふべからず。佛面祖面の破顔なりとも、自己他己の相見あやまらざるべし。いま人上樹のところは盡大地にあらず、百尺竿頭にあらず、これ千尺懸崖なり。たとひ脱落去すとも、千尺懸崖裡なり。落時あり、上時あり。如人千尺懸崖裏上樹といふ、しるべし、上時ありといふこと。しかあれば、向上也千尺なり、向下也千尺なり。左頭也千尺なり、右頭也千尺なり。這裏也千尺なり、那裏也千尺なり。如人也千尺なり、上樹也千尺なり。向來の千尺は恁麼なるべし。且問すらくは、千尺量多少。いはく、如古鏡量なり、如火爐量なり、如無縫塔量なり。

 口㘅樹枝。

 いかにあらんかこれ口。たとひ口の全闊全口をしらずといふとも、しばらく樹枝より尋枝摘葉しもてゆきて、口の所在しるべし。しばらく樹枝を把拈して口をつくれるあり。このゆゑに全口是枝なり、全枝是口なり。通身口なり、通口是身なり。

 樹自踏樹(樹の自ら樹を踏む)、ゆゑに脚不踏樹といふ。脚自踏脚(脚の自ら脚を踏む)のごとし。枝自攀枝(枝の自ら枝を攀づ)、ゆゑに手不攀枝といふ、手自攀手(手の自ら手を攀づ)のごとし。しかあれども、脚跟なほ進歩退歩あり、手頭なほ作拳開拳あり。自他の人家しばらくおもふ、掛虛空なりと。しかあれども、掛虛空それ㘅樹枝にしかんや。

 樹下忽有人問、如何是祖師西來意。

 この樹下忽有人は、樹裏有人といふがごとし、人樹ならんがごとし。人下忽有人問、すなはちこれなり。しかあれば、樹問樹なり、人問人なり、擧樹擧問なり、擧西來意問西來意なり。問著人また口㘅樹枝して問來するなり。口㘅枝にあらざれば、問著することあたはず。滿口の音聲なし、滿言の口あらず。西來意を問著するときは、㘅西來意にて問著するなり。

 若開口答他、卽喪身失命。

 いま若開口答他の道、したしくすべし。不開口答他もあるべしときこゆ。もししかあらんときは、不喪身失命なるべし。たとひ開口不開口ありとも、口㘅樹枝をさまたぐるべからず。開閉かならずしも全口にあらず、口に開閉もあるなり。しかあれば、㘅枝は全口の家常なり。開閉口をさまたぐべからず。開口答他といふは、開樹枝答他するをいふか、開西來意答他するをいふか。もし開西來意答他にあらずは、答西來意にあらず。すでに答他にあらず、これ全身保命なり。喪身失命といふべからず。さきより喪身失命せば答他あるべからず。しかあれども、香嚴のこころ答他を辭せず、ただおそらくは喪身失命のみなり。しるべし、未答他時、護身保命なり。忽答他時、翻身活命なり。はかりしりぬ、人人滿口是道なり。口㘅道なり。口㘅道を口㘅枝といふなり。若答他時、口上更開壹隻口なり。若不答他、違他所問なりといへども、不違自所問なり。

 しかあればしるべし、答西來意する一切の佛祖は、みな上樹口㘅樹枝の時節にあひあたりて答來するなり。問西來意する一切の佛祖は、みな上樹口㘅樹枝の時節にあひあたりて答來するなり。

 

 雪竇明覺禪師重顯和尚云、樹上道卽易、樹下道卽難。老僧上樹也、致將一問來(雪竇明覺禪師重顯和尚云く、樹上の道は卽ち易し、樹下の道は卽ち難し。老僧樹に上るや、一問を致將し來るべし)。

 いま致將一問來は、たとひ盡力來すとも、この問きたることおそくして、うらむらくは答よりものちに問來せることを。

 あまねく古今の老古錐にとふ、香嚴呵呵大笑する、これ樹上道なりや、樹下道なりや。答西來意なりや、不答西來意なりや。試看道。

 

正法眼藏西來意第六十二

 

 爾時寛元二年甲辰二月四日在越宇深山裏示衆

 弘安二年己卯六月二日在吉祥山永平寺書寫之

 

 

正法眼藏第六十三 發菩提心

 西國高祖曰、雪山喩大涅槃(雪山を大涅槃に喩ふ)。

 しるべし、たとふべきをたとふ。たとふべきといふは、親曾なるなり、端的なるなり。いはゆる雪山を拈來するは喩雪山なり。大涅槃を拈來する、大涅槃にたとふるなり。

 

 震旦初祖曰、心心如木石。

 いはゆる心は心如なり。盡大地の心なり。このゆゑに自他の心なり。盡大地人および盡十方界の佛祖および天、龍等の心心は、これ木石なり。このほかさらに心あらざるなり。この木石、おのれづから有、無、空、色等の境界に籠籮せられず。この木石心をもて發心修證するなり、心木心石なるがゆゑなり。この心木心石のちからをもて、而今の思量箇不思量底は現成せり。心木心石の風聲を見聞するより、はじめて外道の流類を超越するなり。それよりさきは佛道にあらざるなり。

 

 大證國師曰、牆壁瓦礫、是古佛心。

 いまの牆壁瓦礫、いづれのところにかあると參詳看あるべし。是什麼物恁麼現成と問取すべし。古佛心といふは、空王那畔にあらず。粥足飯足なり、草足水足なり。かくのごとくなるを拈來して、坐佛し作佛するを、發心と稱ず。

 

 おほよそ發菩提心の因緣、ほかより拈來せず、菩提心を拈來して發心するなり。菩提心を拈來するといふは、一莖草を拈じて造佛し、無根樹を拈じて造經するなり。いさごをもて供佛し、漿をもて供佛するなり。一摶の食を衆生にほどこし、五莖の花を如來にたてまつるなり。他のすすめによりて片善を修し、魔に嬈せられて禮佛する、また發菩提心なり。しかのみにあらず、知家非家、捨家出家、入山修道、信行法行するなり。造佛造塔するなり。讀經念佛するなり。爲衆説法するなり、尋師訪道するなり。跏趺坐するなり、一禮三寶するなり、一稱南無佛するなり。

 かくのごとく、八萬法蘊の因緣、かならず發心なり。あるいは夢中に發心するもの、得道せるあり、あるいは醉中に發心するもの、得道せるあり。あるいは飛花落葉のなかより發心得道するあり、あるいは桃花翠竹のなかより發心得道するあり。あるいは天上にして發心得道するあり、あるいは海中にして發心得道するあり。これみな發菩提心中にしてさらに發菩提心するなり。身心のなかにして發菩提心するなり。諸佛の身心中にして發菩提心するなり、佛祖の皮肉骨髓のなかにして發菩提心するなり。

 しかあれば、而今の造塔造佛等は、まさしくこれ發菩提心なり。直至成佛の發心なり、さらに中間に破癈すべからず。これを無爲の功徳とす、これを無作の功徳とす。これ眞如觀なり、これ法性觀なり。これ諸佛集三昧なり、これ得諸佛陀羅尼なり。これ阿耨多羅三藐三菩提心なり、これ阿羅漢果なり、これ佛現成なり。このほかさらに無爲無作等の法なきなり。

 しかあるに、小乘愚人いはく、造像起塔は有爲の功業なり。さしおきていとなむべからず。息慮凝心これ無爲なり、無生無作これ眞實なり、法性實相の觀行これ無爲なり。かくのごとくいふを、西天東地の古今の習俗とせり。これによりて、重罪逆罪をつくるといへども造像起塔せず、塵勞稠林に染汚すといへども念佛讀經せず。これただ人天の種子を損壞するのみにあらず、如來の佛性を撥無するともがらなり。まことにかなしむべし、佛法僧の時節にあひながら、佛法僧の怨敵となりぬ。三寶の山にのぼりながら空手にしてかへり、三寶の海に入りながら空手にしてかへらんことは、たとひ千佛萬祖の出世にあふとも、得度の期なく、發心の方を失するなり。これ經卷にしたがはず、知識にしたがはざるによりてかくのごとし。おほく外道邪師にしたがふによりてかくのごとし。造塔等は發菩提心にあらずといふ見解、はやくなげすつべし。こころをあらひ、身をあらひ、みみをあらひ、めをあらうて見聞すべからざるなり。まさに佛經にしたがひ、知識にしたがひて、正法に歸し、佛法を修學すべし。

 佛法の大道は、一塵のなかに大千の經卷あり、一塵のなかに無量の諸佛まします。一草一木ともに身心なり。萬法不生なれば一心も不生なり、諸法實相なれば一塵實相なり。しかあれば、一心は諸法なり、諸法は一心なり、全身なり。造塔等もし有爲ならんときは、佛果菩提、眞如佛性もまた有爲なるべし。眞如佛性これ有爲にあらざるゆゑに、造像起塔すなはち有爲にあらず、無爲の發菩提心なり、無爲無漏の功徳なり。ただまさに、造像起塔等は發菩提心なりと決定信解すべきなり。億劫の行願、これより生長すべし、億億萬劫くつべからざる發心なり。これを見佛聞性といふなり。

 しるべし、木石をあつめ泥土をかさね、金銀七寶をあつめて造佛起塔する、すなはち一心をあつめて造塔造像するなり。空空をあつめて作佛するなり、心心を拈じて造佛するなり。塔塔をかさねて造塔するなり、佛佛を現成せしめて造佛するなり。

 かるがゆゑに、經にいはく、作是思惟時、十方佛皆現。

 しるべし、一思惟の作佛なるときは、十方思惟佛皆現なり。一法の作佛なるときは、諸法作佛なり。

 

 釋迦牟尼佛言、明星出現時、我與大地有情、同時成道。

 しかあれば、發心修行、菩提涅槃は、同時の發心、修行、菩提、涅槃なるべし。佛道の身心は草木瓦礫なり、風雨水火なり。これをめぐらして佛道ならしむる、すなはち發心なり。虛空を撮得して造塔造佛すべし。溪水を掬啗して造佛造塔すべし。これ發阿耨多羅三藐三菩提なり。一發菩提心を百千萬發するなり。修證もまたかくのごとし。

 しかあるに、發心は一發にしてさらに發心せず、修行は無量なり、證果は一證なりとのみきくは、佛法をきくにあらず、佛法をしれるにあらず、佛法にあふにあらず。千億發の發心は、さだめて一發心の發なり。千億人の發心は、一發心の發なり。一發心は千億の發心なり、修證轉法もまたかくのごとし。草木等にあらずはいかでか身心あらん、身心にあらずはいかでか草木あらん、草木にあらずは草木あらざるがゆゑにかくのごとし。

 坐禪辨道これ發菩提心なり。發心は一異にあらず、坐禪は一異にあらず、再三にあらず、處分にあらず。頭頭みなかくのごとく參究すべし。草木七寶をあつめて造塔造佛する始終、それ有爲にして成道すべからずは、三十七品菩提分法も有爲なるべし。三界人天の身心を拈じて修行せん、ともに有爲なるべし、究竟地あるべからず。草木瓦礫と四大五蘊と、おなじくこれ唯心なり、おなじくこれ實相なり。盡十方界、眞如佛性、おなじく法住法位なり。眞如佛性のなかに、いかでか草木等あらん。草木等、いかでか眞如佛性ならざらん。諸法は有爲にあらず、無爲にあらず、實相なり。實相は如是實相なり、如是は而今の身心なり。この身心をもて發心すべし。水をふみ石をふむをきらふことなかれ。ただ一莖草を拈じて丈六金身を造作し、一微塵を拈じて古佛塔廟を建立する、これ發菩提心なるべし。見佛なり、聞佛なり。見法なり、聞法なり。作佛なり、行佛なり。

 

 釋迦牟尼佛言、優婆塞優婆夷、善男子善女人、以妻子肉供養三寶、以自身肉供養三寶。諸比丘既受信施、云何不修(優婆塞優婆夷、善男子善女人、妻子の肉を以て三寶に供養し、自身の肉を以て三寶に供養すべし。諸の比丘既に信施を受く、云何が修せざらん)。

 しかあればしりぬ、飮食衣服、臥具醫藥、僧房田林等を三寶に供養するは、自身および妻子等の身肉皮骨髓を供養したてまつるなり。すでに三寶の功徳海にいりぬ、すなはち一味なり。すでに一味なるがゆゑに三寶なり。三寶の功徳すでに自身および妻子の皮肉骨髓に現成する、精勤の辨道功夫なり。いま世尊の性相を擧して、佛道の皮肉骨髓を參取すべきなり。いまこの信施は發心なり。受者比丘、いかでか不修ならん。頭正尾正なるべきなり。これによりて、一塵たちまちに發すれば一心したがひて發するなり、一心はじめて發すれば一空わづかに發するなり。おほよそ有覺無覺の發心するとき、はじめて一佛性を種得するなり。四大五蘊をめぐらして誠心に修行すれば得道す、草木牆壁をめぐらして誠心に修行せん、得道すべし。四大五蘊と草木牆壁と同參なるがゆゑなり、同性なるがゆゑなり。同心同命なるがゆゑなり、同身同機なるがゆゑなり。

 これによりて、佛祖の會下、おほく拈草木心の辨道あり。これ發菩提心の樣子なり。五祖は一時の栽松道者なり、臨濟は黄檗山の栽杉松の功夫あり。洞山には劉氏翁あり、栽松す。かれこれ松栢の操節を拈じて、佛祖の眼睛を抉出するなり。これ弄活眼睛のちから、開明眼睛なることを見成するなり。造塔造佛等は弄眼睛なり、喫發心なり、使發心なり。

 造塔等の眼睛をえざるがごときは、佛祖の成道あらざるなり。造佛の眼睛をえてのちに、作佛作祖するなり。造塔等はつひに塵土に化す、眞實の功徳にあらず、無生の修練は堅牢なり、塵埃に染汚せられずといふは佛語にあらず。塔婆もし塵土に化すといはば、無生もまた塵土に化するなり。無生もし塵土に化せずは、塔婆また塵土に化すべからず。遮裡是甚麼處在、説有爲説無爲なり。

 

 經云、

 菩薩於生死、最初發心時、一向求菩提、堅固不可動(菩薩生死に於て最初に發心せん時、一向に菩提を求む、堅固にして動かすべからず)。

 彼一念功徳、深廣無涯際、如來分別説、窮劫不能盡(彼の一念の功徳、深廣無涯際なり、如來分別して説きたまひ、劫を窮むるも盡すこと能はじ)。

 あきらかにしるべし、生死を拈來して發心する、これ一向求菩提なり。彼一念は一草一木とおなじかるべし、一生一死なるがゆゑに。しかあれども、その功徳の深も無涯際なり、廣も無涯際なり。窮劫を言語として如來これを分別すとも、盡期あるべからず。海かれてなほ底のこり、人は死すとも心のこるべきがゆゑに不能盡なり。彼一念の深廣無涯際なるがごとく、一草一木、一石一瓦の深廣も無涯際なり。一草一石もし七尺八尺なれば、彼一念も七尺八尺なり、發心もまた七尺八尺なり。

 しかあればすなはち、入於深山、思惟佛道は容易なるべし、造塔造佛は甚難なり。ともに精進無怠より成熟すといへども、心を拈來すると、心に拈來せらるると、はるかにことなるべし。かくのごとくの發菩提心、つもりて佛祖現成するなり。

正法眼藏發菩提心第六十三

 

 爾時寛元二年甲辰二月十四日在越州吉田縣吉峰精舍示衆

 弘安二年己卯三月十日在永平寺書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第六十四 優曇華

 靈山百萬衆前、世尊拈優曇華瞬目。于時摩訶迦葉、破顔微笑(靈山百萬衆の前にして、世尊、優曇華を拈じて瞬目したまふ。時に摩訶迦葉、破顔微笑せり)。

 世尊云、我有正法眼藏涅槃妙心、附屬摩訶迦葉(我に正法眼藏涅槃妙心有り、摩訶迦葉に附屬す)。

 七佛諸佛はおなじく拈華來なり、これを向上の拈華と修證現成せるなり。直下の拈花と裂破開明せり。

 しかあればすなはち、拈華裏の向上向下、自他表裡等、ともに渾華拈なり。華量佛量、心量身量なり。いく拈華も面面の嫡嫡なり。附屬有在なり。世尊拈華來、なほ放下著いまだし。拈華世尊來、ときに嗣世尊なり。拈花時すなはち盡時のゆゑに同參世尊なり、同拈華なり。

 いはゆる拈花といふは、花拈華なり。梅華春花、雪花蓮華等なり。いはくの梅花の五葉は三百六十餘會なり、五千四十八卷なり、三乘十二分教なり、三賢十聖なり。これによりて三賢十聖およばざるなり。大藏あり、奇特あり、これを華開世界起といふ。一華開五葉、結果自然成とは、渾身是己掛渾身なり。桃花をみて眼睛を打失し、翠竹をきくに耳處を不現ならしむる、拈花の而今なり。腰雪斷臂、禮拜得髓する、花自開なり。石碓米白、夜半傳衣する、華已拈なり。これら世尊手裡の命根なり。

 おほよそ拈華は世尊成道より已前にあり、世尊成道と同時なり、世尊成道よりものちにあり。これによりて、華成道なり。拈華はるかにこれらの時節を超越せり。諸佛諸祖の發心發足、修證保任、ともに拈華の春風を蝶舞するなり。しかあれば、いま瞿曇世尊、はなのなかに身をいれ、空のなかに身をかくせるによりて、鼻孔をとるべし、虛空をとれり、拈華と稱ず。拈花は眼睛にて拈ず、心識にて拈ず、鼻孔にて拈ず、華拈にて拈ずるなり。

 おほよそこの山かは天地、日月風雨、人畜草木のいろいろ、角角拈來せる、すなはちこれ拈優曇花なり。生死去來も、はなのいろいろなり、はなの光明なり。いまわれらが、かくのごとく參學する、拈華來なり。

 佛言、譬如優曇花、一切皆愛樂(譬へば優曇花の如し、一切皆愛樂す)。

 いはくの一切は、現身藏身の佛祖なり、草木昆蟲の自有光明在なり。皆愛樂とは、面面の皮肉骨髓、いまし活鱍鱍地なり。

 しかあればすなはち、一切はみな優曇華なり。かるがゆゑに、すなはちこれをまれなりといふ。

 瞬目とは、樹下に打坐して明星に眼睛を換却せしときなり。このとき摩訶迦葉、破顔微笑するなり。顔容はやく破して拈華顔に換却せり。如來瞬目のときに、われらが眼睛はやく打失しきたれり。この如來瞬目、すなはち拈華なり。優曇華のこころづからひらくるなり。

 拈花の正當恁麼時は、一切の瞿曇、一切の迦葉、一切の衆生、一切のわれら、ともに一隻の手をのべて、おなじく拈華すること、只今までもいまだやまざるなり。さらに手裡藏身三昧あるがゆゑに、四大五陰といふなり。

 我有は附囑なり、附囑は我有なり。附囑はかならず我有に罣礙せらるるなり。我有は頂𩕳なり。その參學は、頂𩕳量を巴鼻して參學するなり。我有を拈じて附囑に換却するとき、保任正法眼藏なり。祖師西來、これ拈花來なり。拈華を弄精魂といふ。弄精魂とは、祗管打坐、脱落身心なり。佛となり祖となるを弄精魂といふ、著衣喫飯を弄精魂といふなり。おほよそ佛祖極則事、かならず弄精魂なり。佛殿に相見せられ、僧堂を相見する、はなにいろいろいよいよそなはり、いろにひかりますますかさなるなり。さらに僧堂いま板をとりて雲中に拍し、佛殿いま笙をふくんで水底にふく。到恁麼のとき、あやまりて梅華引を吹起せり。

 

 いはゆる先師古佛いはく、

 瞿曇打失眼睛時、

 雪裡梅花只一枝。

 而今到處成荊棘、

 却笑春風繚亂吹。

 (瞿曇眼睛を打失する時、雪裡の梅花只だ一枝なり。而今到處に荊棘を成す、却つて笑ふ春風の繚亂として吹くことを。)

 いま如來の眼睛あやまりて梅花となれり。梅花いま彌綸せる荊棘をなせり。如來は眼睛に藏身し、眼睛は梅花に藏身す、梅花は荊棘に藏身せり。いまかへりて春風をふく。しかもかくのごとくなりといへども、桃花樂を慶快す。

 

 先師天童古佛云、靈雲見處桃花開、天童見處桃花落(靈雲の見處は桃花開、天童の見處は桃花落なり)。

 しるべし、桃花開は靈雲の見處なり、直至如今更不疑なり。桃花落は天童の見處なり。桃花のひらくるは春のかぜにもよほされ、桃花のおつるは春のかぜににくまる。たとひ春風ふかく桃花をにくむとも、桃花おちて身心脱落せん。

 

正法眼藏優曇華第六十四

 

 爾時寛元二年甲辰二月十二日在越宇吉峰精藍示衆

 

 

正法眼藏第六十五 如來全身

 爾時、釋迦牟尼佛、住王舍城耆闍崛山、告藥王菩薩摩訶薩言、藥王、在在處處、若説若讀、若誦若書、若經卷所住之處、皆應起七寶塔、極令高廣嚴飾。不須復安舍利、所以者何。此中已有如來全身、此塔應以一切華香瓔珞、繒蓋幢幡、妓樂歌頌、供養恭敬、尊重讃歎。若有人得見此塔、禮拜供養、當知、是等皆近阿耨多羅三藐三菩提(爾の時に釋迦牟尼佛、王舍城耆闍崛山に住したまひ、藥王菩薩摩訶薩に告げて言はく、藥王、在在處處に、若しは説き若しは讀み、若しは誦し若しは書し、若しは經卷所住の處には、皆應に七寶の塔を起て、極めて高廣嚴飾ならしむべし。須らく復舍利を安くべからず、所以は者何。此の中に已に如來の全身有り、此の塔は應に一切の華香瓔珞、繒蓋幢幡、妓樂歌頌をもて供養し恭敬し、尊重し讃歎すべし。若し人有つて此の塔を見ることを得て、禮拜供養せば、當に知るべし、是等は皆阿耨多羅三藐三菩提に近づけりといふことを)。

 いはゆる經卷は、若説これなり、若讀これなり、若誦これなり、若書これなり。經卷は實相これなり。應起七寶塔は、實相を塔といふ。極令の高廣、その量かならず實相量なり。此中已有如來全身は、經卷これ全身なり。

 しかあれば、若説若讀、若誦若書等、これ如來全身なり。一切の華香瓔珞、繒蓋幢幡、妓樂歌頌をもて供養恭敬、尊重讃歎すべし。あるいは天華天香、天繒蓋等なり。みなこれ實相なり。あるいは人中上華上香、名衣名服なり。これらみな實相なり。供養恭敬、これ實相なり。起塔すべし。

 不須復安舍利といふ、しりぬ、經卷はこれ如來舍利なり、如來全身なりといふことを。まさしく佛口の金言、これを見聞するよりもすぎたる大功徳あるべからず。いそぎて功をつみ、徳をかさぬべし。もし人ありて、この塔を禮拜供養するは、まさにしるべし、皆近阿耨多羅三藐三菩提なり。この塔をみんとき、この塔を誠心に禮拜供養すべし。すなはち阿耨多羅三藐三菩提に皆近ならん。近は、さりて近なるにあらず、きたりて近なるにあらず。阿耨多羅三藐三菩提を皆近といふなり。而今われら受持讀誦、解説書寫をみる、得見此塔なり。よろこぶべし、皆近阿耨多羅三藐三菩提なり。

 しかあれば、經卷は如來全身なり、經卷を禮拜するは如來を禮拜したてまつるなり。經卷にあふたてまつるは如來にまみえたてまつるなり。經卷は如來舍利なり。かくのごとくなるゆゑに、舍利は此經なるべし。たとひ經卷はこれ舍利なりとしるといふとも、舍利はこれ經卷なりとしらずは、いまだ佛道にあらず。而今の諸法實相は經卷なり。人間天上、海中虛空、此土他界、みなこれ實相なり。經卷なり、舍利なり。舍利を受持讀誦、解説書寫して開悟すべし、これ或從經卷なり。古佛舍利あり、今佛舍利あり。辟支佛舍利あり、轉輪王舍利あり、獅子舍利あり。あるいは木佛舍利あり、繪佛舍利あり、あるいは人舍利あり。現在大宋國諸代の佛祖、いきたるとき舍利を現出せしむるあり。闍維ののち舍利を生ぜる、おほくあり。これみな經卷なり。

 

 釋迦牟尼佛告大衆言、我本行菩薩道、所成壽命、今猶未盡、復倍上數(我れ本より菩薩道を行じて、成る所の壽命、今なほ未だ盡きず、復た上の數に倍せり)。

 いま八斛四斗の舍利は、なほこれ佛壽なり。本行菩薩道の壽命は、三千大千世界のみにあらず、そこばくなるべし。これ如來全身なり、これ經卷なり。

 

 智積菩薩いはく、我見釋迦如來、於無量劫、難行苦行、積功累徳、求菩薩道、未曾止息。觀三千大千世界、乃至無有如芥子許、非是菩薩捨身命處。然後乃得爲衆生故、成菩提道(我れ釋迦如來を見たてまつるに、無量劫に於て、難行苦行し、積功累徳して、菩薩道を求め、未だ曾て止息したまはず。三千大千世界を觀るに、乃至芥子の如き許りも是れ菩薩捨身命の處に非ざること有ること無し。然して後乃ち衆生の爲の故に、菩提道を成ることを得たまへり)。

 はかりしりぬ、この三千大千世界は、赤心一片なり、虛空一隻なり。如來全身なり。捨未捨にかかはるべからず。舍利は佛前佛後にあらず、佛とならべるにあらず。無量劫の難行苦行は、佛胎佛腹の活計消息なり、佛皮肉骨髓なり。すでに未曾止息といふ、佛にいたりてもいよいよ精進なり。大千界に化してもなほすすむるなり。全身の活計かくのごとし。

 

正法眼藏如來全身第六十五

 

 爾時寛元二年甲辰二月十五日在越州吉田縣吉峰精舍示衆

 弘安二年六月廿三日在永平禪寺衆寮書寫之

 

 

正法眼藏第六十六 三昧王三昧

 驀然として盡界を超越して、佛祖の屋裏に太尊貴生なるは、結跏趺坐なり。外道魔儻の頂𩕳を踏飜して、佛祖の堂奥に箇中人なることは結跏趺坐なり。佛祖の極之極を超越するはただこの一法なり。このゆゑに、佛祖これをいとなみて、さらに餘務あらず。

 まさにしるべし、坐の盡界と餘の盡界と、はるかにことなり。この道理をあきらめて、佛祖の發心、修行、菩提、涅槃を辨肯するなり。正當坐時は、盡界それ豎なるか横なるかと參究すべし。正當坐時、その坐それいかん。飜巾斗なるか、活鱍鱍地なるか。思量か不思量か。作か無作か。坐裏に坐すや、身心裏に坐すや。坐裡、身心裏等を脱落して坐すや。恁麼の千端萬端の參究あるべきなり。身の結跏趺坐すべし、心の結跏趺坐すべし。身心脱落の結跏趺坐すべし。

 

 先師古佛云、參禪者身心脱落也、祗管打坐始得。不要燒香、禮拜、念佛、修懺、看經(參禪は身心脱落なり、祗管に打坐して始得ならん。燒香、禮拜、念佛、修懺、看經を要せず)。

 あきらかに佛祖の眼睛を抉出しきたり、佛祖の眼睛裏に打坐すること、四五百年よりこのかたは、ただ先師ひとりなり、震旦國に齊肩すくなし。打坐の佛法なること、佛法は打坐なることをあきらめたるまれなり。たとひ打坐を佛法と體解すといふとも、打坐を打坐としれる、いまだあらず。いはんや佛法を佛法と保任するあらんや。

 しかあればすなはち、心の打坐あり、身の打坐とおなじからず。身の打坐あり、心の打坐とおなじからず。身心脱落の打坐あり、身心脱落の打坐とおなじからず。既得恁麼ならん、佛祖の行解相應なり。この念想觀を保任すべし、この心意識を參究すべし。

 

 釋迦牟尼佛告大衆言(釋迦牟尼佛、大衆に告げて言はく)、

 若結跏趺坐(結跏趺坐するが若きは)、

 身心證三昧(身心證三昧なり)。

 威徳衆恭敬(威徳衆恭敬す)、

 如日照世界(日の世界を照すが如し)。

 除睡懶覆心(睡懶覆心を除き)、

 身輕不疲懈(身輕くして疲懈せず)、

 覺悟亦輕便(覺悟もまた輕便なり)、

 安坐如龍蟠(安坐は龍の蟠まるが如し)。

 見畫跏趺坐(畫ける跏趺坐を見るに)、

 魔王亦驚怖(魔王もまた驚怖す)。

 何況證道人(何に況んや證道の人の)、

 安坐不傾動(安坐して傾動せざるをや)。

 しかあれば、跏趺坐を畫圖せるを見聞するを、魔王なほおどろきうれへおそるるなり。いはんや眞箇に跏趺坐せん、その功徳はかりつくすべからず。しかあればすなはち、よのつねに打坐する、福徳無量なり。

 

 釋迦牟尼佛告大衆言、以是故、結跏趺坐(釋迦牟尼佛、大衆に告げて言はく、是を以ての故に結跏趺坐す)。

 復次如來世尊、教諸弟子、應如是坐。或外道輩、或常翹足求道、或常立求道、或荷足求道、如是狂涓心、沒邪海、形不安穩。以是故、佛教弟子、結跏趺坐直身坐。何以故。直身心易正故。其身直坐、則心不懶。端心正意、繋念在前。若心馳散、若身傾動、攝之令還。欲證三昧、欲入三昧、種種馳念、種種散亂、皆悉攝之。如此修習、證入三昧王三昧(復た次に如來世尊、諸の弟子に教へたまはく、應に是の如く坐すべし。或いは外道の輩、或いは常に翹足して道を求むる、或いは常に立ちて道を求むる、或いは荷足して道を求むる、是の如き狂涓心は邪海に沒す。形安穩ならず。是を以ての故に、佛は弟子に教へたまはく、結跏趺坐し、直身に坐すべしと。何を以ての故に。直身は心正し易きが故に。其の身直坐すれば、則ち心、懶ならず。端心正意にして繋念在前なり。若しは心馳散し、若しは身傾動すれば、之を攝して還らしむ。三昧を證せんと欲ひ、三昧に入らんと欲はば、種種の馳念、種種の散亂、皆悉くに之を攝すべし。此の如く修習して、三昧王三昧に證入す)。

 

 あきらかにしりぬ、結跏趺坐、これ三昧王三昧なり、これ證入なり。一切の三昧は、この王三昧の眷屬なり。結跏趺坐は直身なり、直心なり直身心なり。直佛祖なり、直修證なり。直頂𩕳なり、直命脈なり。

 いま人間の皮肉骨髓を結跏して、三昧中王三昧を結跏するなり。世尊つねに結跏趺坐を保任しまします、諸弟子にも結跏趺坐を正傳しまします、人天にも結跏趺坐ををしへましますなり。七佛正傳の心印、すなはちこれなり。

 

 釋迦牟尼佛、菩提樹下に跏趺坐しましまして、五十小劫を經歴し、六十劫を經歴し、無量劫を經歴しまします。あるいは三七日結跏趺坐、あるいは時間の跏坐、これ轉妙法輪なり。これ一代の佛化なり、さらに虧缺せず。これすなはち黄卷朱軸なり。ほとけのほとけをみる、この時節なり。これ衆生成佛の正當恁麼時なり。

 初祖菩提達磨尊者、西來のはじめより、嵩嶽少室峰少林寺にして面壁跏趺坐禪のあひだ、九白を經歴せり。それより頂𩕳眼睛、いまに震旦國に遍界せり。初祖の命脈、ただ結跏趺坐のみなり。初祖西來よりさきは、東土の衆生、いまだかつて結跏趺坐をしらざりき。祖師西來よりのち、これをしれり。

 しかあればすなはち、一生萬生、把尾收頭、不離叢林、晝夜祗管跏趺坐して餘務あらざる、三昧王三昧なり。

 

正法眼藏第六十六

 

 爾時寛元二年甲辰二月十五日在越宇吉峰精舍示衆

 

正法眼藏第六十七 轉法輪

 先師天童古佛上堂擧、世尊道、一人發眞歸源、十方虛空、悉皆消殞(先師天童古佛、上堂に擧す、世尊道はく、一人發眞歸源すれば、十方虛空悉皆消殞す)。

 師拈云、既是世尊所説、未免盡作奇特商量。天童則不然、一人發眞歸源、乞兒打破飯椀(師、拈じて云く、既に是れ世尊の所説なり、未だ免れず盡く奇特の商量を作すことを。天童は則ち然らず、一人發眞歸源すれば、乞兒飯椀を打破す)。

 五祖山法演和尚道、一人發眞歸源、十方虛空、築著磕著。

 佛性法泰和尚道、一人發眞歸源、十方虛空、只是十方虛空。

 夾山圜悟禪師克勤和尚云、一人發眞歸源、十方虛空、錦上添花。

 大佛道、一人發眞歸源、十方虛空、發眞歸源。

 いま擧するところの一人發眞歸源、十方虛空、悉皆消殞は首楞嚴經のなかの道なり。この句、かつて數位の佛祖おなじく擧しきたれり。いまよりこの句、まことに佛祖骨髓なり、佛祖眼睛なり。しかいふこころは、首楞嚴經一部拾軸、あるいはこれを僞經といふ、あるいは僞經にあらずといふ。兩説すでに往往よりいまにいたれり。舊譯あり、新譯ありといへども、疑著するところ、神龍年中の譯をうたがふなり。しかあれども、いますでに五祖の演和尚、佛性泰和尚、先師天童古佛、ともにこの句を擧しきたれり。ゆゑにこの句すでに佛祖の法輪に轉ぜられたり、佛祖法輪轉なり。このゆゑにこの句すでに佛祖を轉じ、この句すでに佛祖をとく。佛祖に轉ぜられ、佛祖を轉ずるがゆゑに、たとひ僞經なりとも、佛祖もし轉擧しきたらば眞箇の佛經祖經なり、親曾の佛祖法輪なり。たとひ瓦礫なりとも、たとひ黄葉なりとも、たとひ優曇花なりとも、たとひ金襴衣なりとも、佛祖すでに拈來すれば佛法輪なり、佛正法眼藏なり。

 しるべし、衆生もし超出成正覺すれば佛祖なり、佛祖の師資なり、佛祖の皮肉骨髓なり。さらに從來の兄弟衆生を兄弟とせず。佛祖これ兄弟なるがごとく、拾軸の文句たとひ僞なりとも、而今の句は超出の句なり。佛句祖句なり、餘文餘句に群すべからず。たとひこの句は超越の句なりとも、一部の文句性相を佛言祖語に擬すべからず、參學眼睛とすべからず。而今の句を諸句に比論すべからざる道理おほかる、そのなかに一端を擧拈すべし。

 いはゆる轉法輪は、佛祖儀なり。佛祖いまだ不轉法輪あらず。その轉法輪の樣子、あるいは聲色を擧拈して聲色を打失す。あるいは聲色を跳脱して轉法輪す。あるいは眼睛を抉出して轉法輪す。あるいは拳頭を擧起して轉法輪す。あるいは鼻孔をとり、あるいは虛空をとるところに、法輪自轉なり。而今の句をとる、いましこれ明星をとり、鼻孔をとり、桃花をとり、虛空をとるすなはちなり。佛祖をとり、法輪をとるはすなはちなり。この宗旨、あきらかに轉法輪なり。

 轉法輪といふは、功夫參學して一生不離叢林なり、長連牀上に請益辨道するをいふ。

 

正法眼藏第六十七

 

 爾時寛元二年甲辰二月二十七日在越宇吉峰精舍示衆

 同三月一日在同精舍侍者寮書寫之 後以御再治本校勘書寫之畢

 

 

正法眼藏第六十八 大修行

 洪州百丈山大智禪師[嗣馬祖、諱懷海]、凡參次、有一老人、常隨衆聽法。大衆若退、老人亦退。忽一日不退(洪州百丈山大智禪師[馬祖に嗣す、諱は懷海]、凡そ參次に一りの老人有つて、常に衆に隨つて聽法す。大衆若し退すれば老人もまた退す。忽ちに一日退せず)。

 師遂問、面前立者、復是何人(師遂に問ふ、面前に立せる者、復た是れ何人ぞ)。

 老人對云、某甲是非人也、於過去迦葉佛時、曾住此山。因學人問、大修行底人、還落因果也無。某甲答他云、不落因果。後五百生、墮野狐身。今請和尚代一轉語、貴脱野狐身(老人對して云く、某甲は是れ非人也。過去迦葉佛の時に、曾て此の山に住せり。因みに學人問ふ、大修行底の人、還た因果に落つや無や。某甲他に答へて云く、因果に落ちず。後五百生まで、野狐の身に墮す。今請すらくは和尚、一轉語を代すべし。貴すらくは野狐の身を脱れんことを)。

 遂問云、大修行底人、還落因果也無(大修行底の人、還た因果に落つや無や)。

 師云、不昧因果(因果に昧からず)。

 老人於言下大悟。作禮云、某甲已脱野狐身、住在山後。敢告和尚、乞依亡僧事例(老人言下に大悟す。禮を作して云く、某甲已に野狐身を脱れぬ、山後に住在せらん。敢告すらくは和尚、乞ふ亡僧の事例に依らんことを)。

 師令維那白槌告衆云、食後送亡僧(師、維那に令して白槌して衆に告して云く、食後に亡僧を送るべし)。

 大衆言議、一衆皆安、涅槃堂又無病人、何故如是(大衆言議す、一衆皆安なり、涅槃堂に又病人無し、何が故ぞ是の如くなる)。

 食後只見、師領衆至山後岩下、以杖指出一死野狐。乃依法火葬(食後に只見る、師、衆を領して山後の岩下に至り、杖を以て一つの死野狐を指出するを。乃ち法に依つて火葬す)。

 師至晩上堂、擧前因緣(師、至晩に上堂して、前の因緣を擧す)。

 黄檗便問、古人錯對一轉語、墮五百生野狐身。轉轉不錯、合作箇什麼(黄檗便ち問ふ、古人の一轉語を錯對する、五百生野狐の身に墮す。轉轉錯らざらん、箇の什麼にか作る合き)。

 師云、近前來、與儞道(近前來、儞が與に道はん)。

 檗遂近前、與師一掌(檗、遂に近前して、師に一掌を與ふ)。

 師拍手笑云、將爲胡鬚赤、更有赤鬚胡(師、拍手して笑つて云く、將に胡の鬚の赤きかと爲へば、更に赤き鬚の胡有り)。

 而今現成の公案、これ大修行なり。

 老人道のごときは、過去迦葉佛のとき、洪州百丈山あり。現在釋迦牟尼佛のとき、洪州百丈山あり。これ現成の一轉語なり。かくのごとくなりといへども、過去迦葉佛時の百丈山と、現在釋迦牟尼佛の百丈山と、一にあらず異にあらず、前三三にあらず後三三にあらず。過去の百丈山にきたりて而今の百丈山となれるにあらず、いまの百丈山さきだちて迦葉佛時の百丈山にあらざれども、曾住此山の公案あり。爲學人道、それ今百丈の爲老人道のごとし。因學人問、それ今老人問のごとし。擧一不得擧二、放過一著、落在第二なり。

 過去學人問、過去百丈山の大修行底人、還落因果也無。

 この問、まことに卒爾に容易會すべからず。そのゆゑは、後漢永平のなかに佛法東漸よりのち、梁代普通のなか、祖師西來ののち、はじめて老野狐の道より過去の學人問をきく。これよりさきはいまだあらざるところなり。しかあれば、まれにきくといふべし。

 大修行を摸得するに、これ大因果なり。この因果かならず圓因滿果なるがゆゑに、いまだかつて落不落の論あらず、昧不昧の道あらず。不落因果もしあやまりならば、不昧因果もあやまりなるべし。將錯就錯すといへども、墮野狐身あり、脱野狐身あり。不落因果たとひ迦葉佛時にはあやまりなりとも、釋迦佛時はあやまりにあらざる道理もあり。不昧因果たとひ現在釋迦佛のときは脱野狐身すとも、迦葉佛時しかあらざる道理も現成すべきなり。

 老人道の後五百生墮野狐身は、作麼生是墮野狐身(作麼生ならんか是れ野狐に墮したる身)。さきより野狐ありて先百丈をまねきおとさしむるにあらず。先百丈もとより野狐なるべからず。先百丈の精魂いでて野狐皮袋に撞入すといふは外道なり。野狐きたりて先百丈を呑却すべからず。もし先百丈さらに野狐となるといはば、まづ脱先百丈身あるべし、のちに墮野狐身すべきなり。以百丈山換野狐身なるべからず。因果のいかでかしかあらん。因果の本有にあらず、始起にあらず、因果のいたづらなるありて人をまつことなし。たとひ不落因果の祗對たとひあやまれりとも、かならず野狐身に墮すべからず。學人の問著を錯對する業因によりて野狐身に墮すること必然ならば、近來ある臨濟、徳山、およびかの門人等、いく千萬枚の野狐にか墮在せん。そのほか二三百年來の杜撰長老等、そこばくの野狐ならん。しかあれども、墮野狐せりときこえず。おほからば見聞にもあまるべきなり。あやまらずもあるらんといふつべしといへども、不落因果よりもはなはだしき胡亂答話のみおほし。佛法の邊におくべからざるもおほきなり。參學眼ありてしるべきなり、未具眼はわきまふべからず。

 しかあればしりぬ、あしく祗對するによりて野狐身となり、よく祗對するによりて野狐身とならずといふべからず。この因緣のなかに、脱野狐身ののち、いかなりといはず。さだめて破袋につつめる眞珠あるべきなり。

 しかあるに、すべていまだ佛法を見聞せざるともがらいはく、野狐を脱しをはりぬれば、本覺の性海に歸するなり。迷妄によりてしばらく野狐に墮生すといへども、大悟すれば、野狐身はすでに本性に歸するなり。

 これは外道の本我にかへるといふ義なり、さらに佛法にあらず。もし野狐は本性にあらず、野狐に本覺なしといふは佛法にあらず。大悟すれば野狐身ははなれぬ、すてつるといはば、野狐の大悟にあらず、閑野狐あるべし。しかいふべからざるなり。

 今百丈の一轉語によりて、先百丈五百生の野狐たちまちに脱野狐すといふ、この道理あきらむべし。もし傍觀の一轉語すれば傍觀脱野狐身すといはば、從來のあひだ、山河大地いく一轉語となく、おほくの一轉語しきりなるべし。しかあれども、從來いまだ脱野狐身せず。いまの百丈の一轉語に脱野狐身す。これ疑殺古先なり。山河大地いまだ一轉語せずといはば、今百丈つひに開口のところなからん。

 

 また往往の古徳、おほく不落不昧の道おなじく道是なるといふを競頭道とせり。しかあれども、いまだ不落不昧の語脈に體達せず。かるがゆゑに、墮野狐身の皮肉骨髓を參ぜず、脱野狐身の皮肉骨髓を參ぜず。頭正あらざれば尾正いまだし。老人道の後五百生墮野狐身、なにかこれ能墮、なにかこれ所墮なる。正當墮野狐身のとき、從來の盡界、いまいかなる形段かある。不落因果の語脈、なにとしてか五百枚なる。いま山後岩下の一條皮、那裏得來なりとかせん。不落因果の道は墮野狐身なり、不昧因果の聞は脱野狐身なり。墮脱ありといへども、なほこれ野狐の因果なり。

 しかあるに、古來いはく、不落因果は撥無因果に相似の道なるがゆゑに遂墮すといふ。この道、その宗旨なし、くらき人のいふところなり。たとひ先百丈ちなみありて不落因果と道取すとも、大修行の瞞他不得なるあり、撥無因果なるべからず。

 またいはく、不昧因果は、因果にくらからずといふは、大修行は超脱の因果なるがゆゑに脱野狐身すといふ。まことにこれ八九成の參學眼なり。しかありといへども、迦葉佛時、曾住此山。釋迦佛時、今住此山。曾身今身、日面月面。遮野狐精、現野狐精するなり。

 野狐いかにしてか五百生の生をしらん。もし野狐の知をもちゐて五百生をしるといはば、野狐の知、いまだ一生の事を盡知せず、一生いまだ野狐皮に撞入するにあらず。野狐はかならず五百生の墮を知取する公案現成するなり。一生の生を盡知せず、しることあり、しらざることあり。もし身知ともに生滅せずは、五百生を算數すべからず。算數することあたはずは、五百生の言、それ虛説なるべし。もし野狐の知にあらざる知をもちゐてしるといはば、野狐のしるにあらず。たれ人か野狐のためにこれを代知せん。知不知の通路すべてなくは、墮野狐身といふべからず。墮野狐身せずは脱野狐身あるべからず、墮脱ともになくは先百丈あるべからず、先百丈なくは今百丈あるべからず。みだりにゆるすべからず。かくのごとく參詳すべきなり。この宗旨を擧拈して、梁陳隋唐宋のあひだに、ままにきこゆる謬説、ともに勘破すべきなり。

 

 老非人また今百丈に告していはく、乞依亡僧事例。

 この道しかあるべからず。百丈よりこのかた、そこばくの善知識、この道を疑著せず、おどろかず。その宗趣は、死野狐いかにしてか亡僧ならん。得戒なし、夏臘なし、威儀なし、僧宗なし。かくのごとくなる物類、みだりに亡僧の事例に依行せば、未出家の何人死、ともに亡僧の例に準ずべきならん。死優婆塞、死優婆夷、もし請ずることあらば、死野狐のごとく亡僧の事例に依準すべし。依例をもとむるに、あらず、きかず。佛道にその事例を正傳せず、おこなはんとおもふとも、かなふべからず。いま百丈の依法火葬すといふ、これあきらかならず。おそらくはあやまりなり。しるべし、亡僧の事例は、入涅槃堂の功夫より、到菩提園の辨道におよぶまで、みな事例ありてみだりならず。岩下の死野狐、たとひ先百丈の自稱すとも、いかでか大僧の行李あらん、佛祖の骨髓あらん。たれか先百丈なることを證據する。いたづらに野狐精の變怪をまことなりとして、佛祖の法儀を輕慢すべからず。

 佛祖の兒孫としては、佛祖の法儀をおもくすべきなり。百丈のごとく、請ずるにまかすることなかれ。一事一法もあひがたきなり。世俗にひかれ、人情にひかれざるべし。この日本國のごとくは、佛儀祖儀あひがたく、ききがたかりしなり。而今まれにもきくことあり、みることあらば、ふかく髻珠よりもおもく崇重すべきなり。無福のともがら、尊崇の信心あつからず、あはれむべし。それ事の輕重を、かつていまだしらざるによりてなり。五百歳の智なし、一千年の智なきによりてなり。

 しかありといふとも、自己をはげますべし、他己をすすむべし。一禮拜なりとも、一端坐なりとも、佛祖より正傳することあらば、ふかくあひがたきにあふ大慶快をなすべし、大福徳を懽喜すべし。このこころなからんともがら、千佛の出世にあふとも、一功徳あるべからず、一得益あるべからず。いたづらに附佛法の外道なるべし。くちに佛法をまなぶに相似なりとも、くちに佛法をとくに證實あるべからず。

 しかあればすなはち、たとひ國王大臣なりとも、たとひ梵天釋天なりとも、未作僧のともがら、きたりて亡僧の事例を請ぜんに、さらに聽許することなかれ。出家受戒し、大僧となりてきたるべしと答すべし。三界の業報を愛惜して、三寶の尊位を願求せざらんともがら、たとひ千枚の死皮袋を拈來して亡僧の事例をけがしやぶるとも、さらにこれ、をかしのはなはだしきなり、功徳となるべからず。もし佛法の功徳を結良緣せんとおもはば、すみやかに佛法によりて出家受戒し、大僧となるべし。

 

 今百丈、至晩上堂、擧前因緣。

 この擧底の道理、もとも未審なり。作麼生擧ならん。老人すでに五百生來のをはり、脱從來身といふがごとし。いまいふ五百生、そのかず人間のごとく算取すべきか、野狐道のごとく算取すべきか。佛道のごとく算數するか。いはんや老野狐の眼睛、いかでか百丈を覰見することあらん。野狐に覰見せらるるは野狐精なるべし。百丈に覰見せらるるは佛祖なり。このゆゑに、

 枯木禪師法成和尚、頌曰、

 百丈親曾見野狐、

 爲渠參請太心麁。

 而今敢問諸參學、

 吐得狐涎盡也無。

 (百丈親曾に野狐を見る、渠に參請せられて太だ心麁なり。而今敢へて諸の參學に問ふ、狐涎を吐得し盡くすや無や。)

 しかあれば、野狐は百丈親曾眼睛なり。吐得狐涎たとひ半分なりとも、出廣長舌、代一轉語なり。正當恁麼時、脱野狐身、脱百丈身、脱老非人身、脱盡界身なり。

 

 黄檗便問、古人錯對一轉語、墮五百生野狐身。轉轉不錯、合作箇什麼(古人錯對の一轉語、五百生野狐身に墮す。轉轉不錯ならば、箇の什麼にか作るべき)。

 いまこの問、これ佛祖道現成なり。南嶽下の尊宿のなかに黄檗のごとくなるは、さきにもいまだあらず、のちにもなし。しかあれども老人いまだいはず、錯對學人と。百丈もいまだいはず、錯對せりけると。なにとしてかいま黄檗みだりにいふ、古人錯對一轉語と。もし錯によれりといふならんといはば、黄檗いまだ百丈の大意をえたるにあらず。佛祖道の錯對不錯對は黄檗いまだ參究せざるがごとし。この一段の因緣に、先百丈も錯對といはず、今百丈も錯對といはずと參學すべきなり。

 しかありといへども、野狐皮五百枚、あつさ三寸なるをもて、曾住此山し、爲學人道するなり。野狐皮に脱落の尖毛あるによりて、今百丈一枚の臭皮袋あり。度量するに、半野狐皮の脱來なり。轉轉不錯の墮脱あり、轉轉代語の因果あり、歴然の大修行なり。

 いま黄檗きたりて、轉轉不錯、合作箇什麼と問著せんに、いふべし、也墮作野狐身(也墮して野狐身と作る)と。黄檗もしなにとしてか恁麼なるといはば、さらにいふべし、這野狐精。かくのごとくなりとも、錯不錯にあらず。黄檗の問を、問得是なりとゆるすことなかれ。

 また黄檗、合作箇什麼と問著せんとき、摸索得面皮也未(摸索して面皮を得たりや未だしや)といふべし。また儞脱野狐身也未(儞野狐身を脱せりや未だしや)といふべし。また儞答他學人、不落因果也未(儞、他の學人に不落因果と答へしや未だしや)といふべし。

 しかあれども、百丈道の近前來、與儞道、すでに合作箇這箇(合に箇の這箇を作すべし)の道處あり。

 黄檗近前す、亡前失後なり。

 與百丈一掌する、そこばくの野狐變なり。

 百丈、拍手笑云、將爲胡鬚赤、更有赤鬚胡。

 この道取、いまだ十成の志氣にあらず、わづかに八九成なり。たとひ八九成をゆるすとも、いまだ八九成あらず。十成をゆるすとも、八九成なきものなり。しかあれどもいふべし、

 百丈道處通方、雖然未出野狐窟。黄檗脚跟點地、雖然猶滯螗螂徑。與掌拍手、一有二無。赤鬚胡、胡鬚赤(百丈の道處通方せり、然りと雖も未だ野狐の窟を出でず。黄檗の脚跟點地せり、然りと雖もなほ螗螂の徑に滯れり。與掌と拍手と、一は有二は無。赤鬚胡、胡鬚赤)。

 

正法眼藏第六十八

 

 爾時寛元二年甲辰三月九日在越宇吉峰古精舍示衆

 同三月十三日在同精舍侍者寮書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第六十九 自證三昧

 諸佛七佛より、佛佛祖祖の正傳するところ、すなはち修證三昧なり。いはゆる或從知識、或從經卷なり。これはこれ佛祖の眼睛なり。このゆゑに、

 曹谿古佛、問僧云、還假修證也無(還修證を假るや無や)。

 僧云、修證不無、染汚卽不得(修證は無きにあらず、染汚することは卽ち得ず)。

 しかあればしるべし、不染汚の修證、これ佛祖なり。佛祖三昧の霹靂風雷なり。

 或從知識の正當恁麼時、あるいは半面を相見す、あるいは半身を相見す。あるいは全面を相見す、あるいは全身を相見す。半自を相見することあり、半他を相見することあり。神頭の披毛せるを相證し、鬼面の戴角せるを相修す。異類行の隨他來あり、同條生の變異去あり。かくのごとくのところに爲法捨身すること、いく千萬廻といふことしらず。爲身求法すること、いく億百劫といふことしらず。これ或從知識の活計なり、參自從自の消息なり。瞬目に相見するとき破顔あり、得髓を禮拜するちなみに斷臂す。おほよそ七佛の前後より、六祖の左右にあまれる見自の知識、ひとりにあらず、ふたりにあらず。見他の知識、むかしにあらず、いまにあらず。

 或從經卷のとき、自己の皮肉骨髓を參究し、自己の皮肉骨髓を脱落するとき、桃花眼睛づから突出來相見せらる、竹聲耳根づから、霹靂相聞せらる。おほよそ經卷に從學するとき、まことに經卷出來す。その經卷といふは、盡十方界、山河大地、草木自他なり。喫飯著衣、造次動容なり。この一一の經典にしたがひ學道するに、さらに未曾有の經卷、いく千萬卷となく出現在前するなり。是字の句ありて宛然なり、非字の偈あらたに歴然なり。これらにあふことをえて、拈身心して參學するに、長劫を消盡し、長劫を擧起すといふとも、かならず通利の到處あり。放身心して參學するに、朕兆を抉出し、朕兆を趯飛すといふとも、かならず受持の功成ずるなり。

 いま西天の梵文を、東土の法本に翻譯せる、わづかに半萬軸にたらず。これに三乘五乘、九部十二部あり。これらみな、したがひ學すべき經卷なり。したがはざらんと廻避せんとすとも、うべからざるなり。かるがゆゑに、あるいは眼睛となり、あるいは吾髓となりきたれり。頭角正なり、尾條正なり。他よりこれをうけ、これを他にさづくといへども、ただ眼睛の活出なり、自他を脱落す。ただ吾髓の附囑なり、自他を透脱せり。眼睛吾髓、それ自にあらず他にあらざるがゆゑに、佛祖むかしよりむかしに正傳しきたり、而今より而今に附囑するなり。拄杖經あり、横説縱説、おのれづから空を破し有を破す。拂子經あり、雪を澡し霜を澡す。坐禪經の一會兩會あり。袈裟經一卷十袟あり。これら諸佛祖の護持するところなり。かくのごとくの經卷にしたがひて、修證得道するなり。あるいは天面人面、あるいは日面月面あらしめて、從經卷の功夫現成するなり。

 しかあるに、たとひ知識にもしたがひ、たとひ經卷にもしたがふ、みなこれ自己にしたがふなり。經卷おのれづから自經卷なり。知識おのれづから自知識なり。しかあれば、遍參知識は遍參自己なり、拈百草は拈自己なり、拈萬木は拈自己なり。自己はかならず恁麼の功夫なりと參學するなり。この參學に、自己を脱落し、自己を契證するなり。

 

 これによりて、佛祖の大道に自證自悟の調度あり、正嫡の佛祖にあらざれば正傳せず。嫡嫡相承する調度あり、佛祖の骨髓にあらざれば正傳せず。かくのごとく參學するゆゑに、人のために傳授するときは、汝得吾髓の附囑有在なり。吾有正法眼藏、附囑摩訶迦葉なり。爲説はかならずしも自他にかかはれず、他のための説著すなはちみづからのための説著なり。自と自と、同參の聞説なり。一耳はきき、一耳はとく。一舌はとき、一舌はきく。乃至眼耳鼻舌身意根識塵等もかくのごとし。さらに一身一心ありて證するあり、修するあり。みみづからの聞説なり、舌づからの聞説なり。昨日は他のために不定法をとくといへども、今日はみづからのために定法をとかるるなり。かくのごとくの日面あひつらなり、月面あひつらなれり。他のために法をとき法を修するは、生生のところに法をきき法をあきらめ、法を證するなり。今生にも法をたのためにとく誠心あれば、自己の得法やすきなり。あるいは他人の法をきくをも、たすけすすむれば、みづからが學法よきたよりをうるなり。身中にたよりをえ、心中にたよりをうるなり。聞法を障礙するがごときは、みづからが聞法を障礙せらるるなり。生生の身身に法をとき法をきくは、世世に聞法するなり。前來わが正傳せし法を、さらに今世にもきくなり。法のなかに生じ、法のなかに滅するがゆゑに。盡十方界のなかに法を正傳しつれば、生生にきき、身身に修するなり。生生を法に現成せしめ、身身を法ならしむるゆゑに、一塵法界ともに拈來して法を證せしむるなり。

 しかあれば、東邊にして一句をききて、西邊にきたりて一人のためにとくべし。これ一自己をもて聞著説著を一等に功夫するなり。東自西自を一齊に修證するなり。なにとしてもただ佛法祖道を自己の身心にあひちかづけ、あひいとなむを、よろこび、のぞみ、こころざすべし。一時より一日におよび、乃至一年より一生までのいとなみとすべし。佛法を精魂として弄すべきなり。これを生生をむなしくすごさざるとす。

 しかあるを、いまだあきらめざれば人のためにとくべからずとおもふことなかれ。あきらめんことをまたんは、無量劫にもかなふべからず。たとひ人佛をあきらむとも、さらに天佛あきらむべし。たとひ山のこころをあきらむとも、さらに水のこころをあきらむべし。たとひ因緣生法をあきらむとも、さらに非因緣生法をあきらむべし。たとひ佛祖邊をあきらむとも、さらに佛祖向上をあきらむべし。これらを一世にあきらめをはりて、のちに他のためにせんと擬せんは、不功夫なり、不丈夫なり、不參學なり。

 およそ學佛祖道は、一法一儀を參學するより、すなはち爲他の志氣を衝天せしむるなり。しかあるによりて、自他を脱落するなり。さらに自己を參徹すれば、さきより參徹他己なり。よく他己を參徹すれば、自己參徹なり。この佛儀は、たとひ生知といふとも、師承にあらざれば體達すべからず、生知いまだ師にあはざれば不生知をしらず、不生不知をしらず。たとひ生知といふとも、佛祖の大道はしるべきにあらず、學してしるべきなり。

 自己を體達し、他己を體達する、佛祖の大道なり。ただまさに自初心の參學をめぐらして、他初心の參學を同參すべし。初心より自他ともに同參しもてゆくに、究竟同參に得到するなり。自功夫のごとく、他功夫をもすすむべし。

 しかあるに、自證自悟等の道をききて、麁人おもはくは、師に傳授すべからず、自學すべし。これはおほきなるあやまりなり。自解の思量分別を邪計して師承なきは、西天の天然外道なり、これをわきまへざらんともがら、いかでか佛道人ならん。いはんや自證の言をききて、積聚の五陰ならんと計せば、小乘の自調に同ぜん。大乘小乘をわきまへざるともがら、おほく佛祖の兒孫と自稱するおほし。しかあれども、明眼人たれか瞞ぜられん。

 

 大宋國紹興のなかに、徑山の大慧禪師宗杲といふあり、もとはこれ經論の學生なり。遊方のちなみに、宣州の珵禪師にしたがひて、雲門の拈古および雪竇の頌古拈古を學す。參學のはじめなり。雲門の風を會せずして、つひに洞山の微和尚に參學すといへども、微、つひに堂奥をゆるさず。微和尚は芙蓉和尚の法子なり、いたづらなる席末人に齊肩すべからず。

 杲禪師、ややひさしく參學すといへども、微の皮肉骨髓を摸著することあたはず、いはんや塵中の眼睛ありとだにもしらず。あるとき、佛祖の道に臂香嗣書の法ありとばかりききて、しきりに嗣書を微和尚に請ず。しかあれども微和尚ゆるさず。つひにいはく、なんぢ嗣書を要せば、倉卒なることなかれ、直須功夫勤學すべし。佛祖受授不妄付授也。吾不惜付授、只是儞未具眼在(佛祖の受授は妄りに付授せず。吾れ付授を惜しむにあらず、ただ是れ儞未だ眼を具せざることあり)。

 ときに宗杲いはく、本具正眼自證自悟、豈有不妄付授也(本具の正眼は自證自悟なり、豈に妄りに付授せざること有らんや)。

 微和尚笑而休矣(微和尚、笑つて休みぬ)。

 

 のちに湛堂準和尚に參ず。

 湛堂一日問宗杲云、儞鼻孔因什麼、今日無半邊(湛堂一日、宗杲に問うて云く、儞が鼻孔什麼に因つてか今日半邊無き)。

 杲云、寶峰門下。

 湛堂云、杜撰禪和。

 

 杲、看經次、湛堂問、看什麼經(什麼經をか看る)。

 杲曰、金剛經。

 湛堂云、是法平等無有高下。爲什麼、雲居山高、寶峰山低(是法平等にして高下有ること無し。什麼と爲てか雲居山は高く、寶峰山は低なる)。

 杲曰、是法平等、無有高下。

 湛堂云、儞作得箇座主(儞箇の座主と作り得たり)。

 使下(下せしむ)。

 

 又一日、湛堂見於粧十王處。問宗杲上座曰、此官人、姓什麼(又一日、湛堂、十王を粧ふを見て、宗杲上座に問うて曰く、此の官人、姓は什麼ぞ)。

 杲曰、姓梁(姓は梁なり)。

 湛堂以手自摸頭曰、爭奈姓梁底少箇幞頭(湛堂、手を以て自ら摸頭して曰く、姓の梁底なる、箇の幞頭を少くを爭奈せん)。

 杲曰、雖無幞頭、鼻孔髣髴(幞頭無しと雖も、、鼻孔髣髴たり)。

 湛堂曰、杜撰禪和。

 

 湛堂一日、問宗杲云、杲上座、我這裏禪、儞一時理會得。教儞説也説得、教儞參也參得。教儞做頌古拈古、小參普説、請益、儞也做得。祗是儞有一件事未在、儞還知否(湛堂一日、宗杲に問うて云く、杲上座、我が這裏の禪、儞一時に理會得なり。儞をして説かしむれば也た説得す、儞をして參ぜしむれば也た參得す。儞をして頌古拈古、小參普説、請益を做さしむれば、儞也た做得す。ただ是れ儞一件事の未だしき在ること有り、儞還た知るや否や)。

 杲曰、甚麼事未在(甚麼事か未在なる)。

 湛堂曰、儞祗缺這一解在。。若儞不得這一解、我方丈與儞説時、便有禪、儞纔出方丈、便無了也。惺惺思量時、便有禪、纔睡著、便無了也。若如此、如何敵得生死(儞ただ這の一解を缺くこと在り。。若し儞這の一解を不得ならば、我れ方丈にして儞がために説く時は便ち禪有り、儞纔かに方丈を出づれば便ち無了也。惺惺に思量する時は便ち禪有り、纔かに睡著すれば便ち無了也。若し此の如くならば、如何が生死を敵得せん)。

 杲曰、正是宗杲疑處(正しく是れ宗杲が疑處なり)。

 後稍經載、湛堂示疾(後稍載を經て、湛堂疾を示す)。

 宗杲問曰、和尚百年後、宗杲依附阿誰、可以了此大事(和尚百年の後、宗杲阿誰に依附してか以て此の大事を了ずべき)。

 湛堂囑曰、有箇勤巴子、我亦不識他。雖然、儞若見他、必能成就此事。儞若見他了不可更他遊。後世出來參禪也(湛堂囑して曰く、箇の勤巴子といふもの有り、我れもまた他を識らず。然りと雖も、儞若し他を見ば、必ず能く此の事を成就せん。儞若し他を見んよりは、了に更に他遊すべからず。後世參禪を出來せん)。

 この一段の因緣を撿點するに、湛堂なほ宗杲をゆるさず、たびたび開發を擬すといへども、つひに缺一件事なり。補一件事あらず、脱落一件事せず。微和尚そのかみ嗣書をゆるさず、なんぢいまだしきことありと勸勵する、微和尚の觀機あきらかなること、信仰すべし。正是宗杲疑處を究參せず、脱落せず。打破せず、大疑せず、被疑礙なし。そのかみみだりに嗣書を請ずる、參學の倉卒なり、無道心のいたりなり、無稽古のはなはだしきなり。無遠慮なりといふべし、道機ならずといふべし、疎學のいたりなり。貪名愛利によりて、佛祖の堂奥ををかさんとす。あはれむべし、佛祖の語句をしらざることを。

 稽古はこれ自證と會せず、萬代を渉獵するは自悟ときかず、學せざるによりて、かくのごとくの不是あり、かくのごとくの自錯あり。かくのごとくなるによりて、宗杲禪師の門下に、一箇半箇の眞巴鼻あらず、おほくこれ假底なり。佛法を會せず、佛法を不會せざるはかくのごとくなり。而今の雲水、かならず審細の參學すべし、疎慢なることなかれ。

 

 宗杲因湛堂之囑、而湛堂順寂後、參圜悟禪師於京師之天寧。圜悟一日陞堂、宗杲有神悟、以悟告呈圜悟(宗杲、湛堂の囑に因つて、湛堂順寂の後、圜悟禪師に京師の天寧に參ず。圜悟一日陞堂するに、宗杲、神悟有りといつて、悟を以て圜悟に告呈す)。

 悟曰、未也、子雖如是、而大法故未明(未だし、子是くの如くなりと雖も、大法故らに未だ明らめず)。

 又一日圜悟上堂、擧五祖演和尚有句無句語。宗杲聞而言下得大安樂法。又呈解圜悟(又一日、圜悟上堂して、五祖演和尚の有句無句の語を擧す。宗杲聞いて言下に大安樂の法を得たりといふ。又、解を圜悟に呈す)。

 圜悟笑曰、吾不欺汝耶(吾れ汝を欺かざらんや)。

 これ宗杲禪師、のちに圜悟に參ずる因緣なり。圜悟の會にして書記に充す。しかあれども、前後いまだあらたなる得處みえず。みづから普説陞堂のときも得處を擧せず。しるべし、記録者は神悟せるといひ、得大安樂法と記せりといへども、させることなきなり。おもくおもふことなかれ、ただ參學の生なり。

 圜悟禪師は古佛なり。十方中の至尊なり。黄檗よりのちは、圜悟のごとくなる尊宿いまだあらざるなり。他界にもまれなるべき古佛なり。しかあれども、これをしれる人天まれなり、あはれむべき裟婆國土なり。いま圜悟古佛の説法を擧して、宗杲上座を撿點するに、師におよべる智いまだあらず、師にひとしき智いまだあらず、いかにいはんや師よりもすぐれたる智、ゆめにもいまだみざるがごとし。

 しかあればしるべし、宗杲禪師は減師半徳の才におよばざるなり。ただわづかに華嚴、楞嚴等の文句を諳誦して傳説するのみなり。いまだ佛祖の骨髓あらず。宗杲おもはくは、大小の隱倫、わづかに依草附木の精靈にひかれて保任せるところの見解、これを佛法とおもへり。これを佛法と計せるをもて、はかりしりぬ、佛祖の大道いまだ參究せずといふことを。圜悟よりのち、さらに他遊せず、知識をとぶらはず。みだりに大刹の主として雲水の參頭なり。のこれる語句、いまだ大法のほとりにおよばず。しかあるを、しらざるともがらおもはくは、宗杲禪師、むかしにもはぢざるとおもふ。みしれるものは、あきらめざると決定せり。つひに大法をあきらめず、いたづらに口吧吧地のみなり。

 しかあればしりぬ、洞山の微和尚、まことに後鑑あきらかにあやまらざりけりといふことを。宗杲禪師に參學せるともがらは、それすゑまでも微和尚をそねみねたむこと、いまにたえざるなり。微和尚はただゆるさざるのみなり。準和尚のゆるさざることは、微和尚よりもはなはだし。まみゆるごとには勘過するのみなり。しかあれども、準和尚をねたまず。而今およびこしかたのねたむともがら、いくばくの懡なりとかせん。

 

 おほよそ大宋國に佛祖の兒孫と自稱するおほかれども、まことを學せるはすくなきゆゑに、まことををしふるすくなし。そのむね、この因緣にてもはかりしりぬべし。紹興のころ、なほかくのごとし。いまはそのころよりもおとれり、たとふるにもおよばず。いまは佛祖の大道なにとあるべしとだにもしらざるともがら、雲水の主人となれり。

 しるべし、佛佛祖祖、西天東土、嗣書正傳は、靑原山下これ正傳なり。靑原山下よりのち、洞山おのづから正傳せり。自餘の十方、かつてしらざるところなり。しるものはみなこれ洞山の兒孫なり、雲水に聲名をほどこす。宗杲禪師なほ生前に自證自悟の言句をしらず、いはんや自餘の公案を參徹せんや。いはんや宗杲禪老よりも晩進、たれか自證の言をしらん。

 しかあればすなはち、佛祖道の道自道他、かならず佛祖の身心あり、佛祖の眼睛あり。佛祖の骨髓なるがゆゑに、庸者の得皮にあらず。

 

正法眼藏第六十九

 

 爾時寛元二年甲辰二月二十九日在越宇吉峰精舍示衆

 同四月十二日越州在吉峰下侍者寮書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第七十 虛空

 這裏是什麼處在のゆゑに、道現成をして佛祖ならしむ。佛祖の道現成、おのれづから嫡嫡するゆゑに、皮肉骨髓の渾身せる、掛虛空なり。虛空は、二十空等の群にあらず。おほよそ、空ただ二十空のみならんや、八萬四千空あり、およびそこばくあるべし。

 撫州石鞏慧藏禪師、問西堂智藏禪師、汝還解捉得虛空麼(撫州石鞏慧藏禪師、西堂智藏禪師に問ふ、汝還た虛空を捉得せんことを解する麼)。

 西堂曰、解捉得(捉得せんことを解す)。

 師曰、儞作麼生捉(儞作麼生か捉する)。

 西堂以手撮虛空(西堂、手を以て虛空を撮す)。

 師曰、儞不解捉虛空(儞虛空を捉せんことを解せず)。

 西堂曰、師兄作麼生捉(師兄作麼生か捉する)。

 師把西堂鼻孔拽(師、西堂が鼻孔を把りて拽く)。

 西堂作忍痛聲曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去(西堂、忍痛の聲を作して曰く、太殺人、人の鼻孔を拽いて、直得脱去す)。

 師曰、直得恁地捉始得(直に恁地に捉することを得て始得ならん)。

 石鞏道の汝還解捉得虛空麼。

 なんぢまた通身是手眼なりやと問著するなり。

 西堂道の解捉得。

 虛空一塊觸而染汚なり。染汚よりこのかた、虛空落地しきたれり。

 石鞏道の儞作麼生捉。

 換作如如、早是變了也(換んで如如と作すも、早く是れ變じ了りぬ)なり。しかもかくのごとくなりといへども、隨變而如去也(變るに隨ひて如にして去る也)なり。

 西堂以手撮虛空。

 只會騎虎頭、未會把虎尾(ただ虎頭に騎るを會して、未だ虎尾を把るを會せず)なり。

 石鞏道、儞不解捉虛空。

 ただ不解捉のみにあらず、虛空也未夢見在なり。しかもかくのごとくなりといへども、年代深遠、不欲爲伊擧似(伊が爲に擧似せんと欲はず)なり。

 西堂道、師兄作麼生。

 和尚也道取一半、莫全靠某甲(和尚も也た一半を道取すべし、全く某甲に靠ること莫かれ)なり。

 石鞏把西堂鼻孔拽。

 しばらく參學すべし、西堂の鼻孔に石鞏藏身せり。あるいは鼻孔拽石鞏の道現成あり。しかもかくのごとくなりといへども、虛空一團、磕著築著なり。

 西堂作忍痛聲曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去。

 從來は人にあふとおもへども、たちまちに自己にあふことをえたり。しかあれども、染汚自己卽不得(自己を染汚することは卽ち得ず)なり、修己すべし。

 石鞏道、直得恁地捉始得。

 恁地捉始得はなきにあらず、ただし石鞏と石鞏と、共出一隻手の捉得なし。虛空と虛空と、共出一隻手の捉得あらざるがゆゑに、いまだみづからの費力をからず。

 おほよそ盡界には、容虛空の間隙なしといへども、この一段の因緣、ひさしく虛空の霹靂をなせり。石鞏、西堂よりのち、五家の宗匠と稱ずる參學おほしといへども、虛空を見聞測度せるまれなり。石鞏、西堂より前後に、弄虛空を擬するともがら面面なれども、著手せるすくなし。石鞏は虛空をとれり、西堂は虛空を覰見せず。大佛まさに石鞏に爲道すべし、いはゆるそのかみ西堂の鼻孔をとる、捉虛空なるべくは、みづから石鞏の鼻孔をとるべし。指頭をもて指頭をとることを會取すべし。しかあれども、石鞏いささか捉虛空の威儀をしれり。たとひ捉虛空の好手なりとも、虛空の内外を參學すべし。虛空の殺活を參學すべし。虛空の輕重をしるべし。佛佛祖祖の功夫辨道、發心修證、道取問取、すなはち捉虛空なると保任すべし。

 

 先師天童古佛曰、渾身似口掛虛空(渾身口に似て虛空に掛る)。

 あきらかにしりぬ、虛空の渾身は虛空にかかれり。

 

 洪州西山亮座主、因參馬祖。祖問、講什麼經(洪州西山の亮座主、因みに馬祖に參ず。祖問ふ、什麼經をか講ずる)。

 師曰、心經。

 祖曰、將什麼講(什麼を將てか講ずる)。

 師曰、將心講(心を將て講ず)。

 祖曰、心如工伎兒、意如和伎者。六識爲伴侶、爭解講得經(心は工伎兒の如く、意は和伎者の如し。六識伴侶たり、爭でか經を講得することを解せん)。

 師曰、心既講不得、莫是虛空講得麼(心既に講不得ならば、是れ虛空講得すること莫き麼)。

 祖曰、却是虛空講得(却つて是れ虛空講得せん)。

 師拂袖而退(師、拂袖して退く)。

 祖召云、座主。

 師廻首(師、廻首す)。

 祖曰、從生至老、只是這箇(生より老に至るまで、只是這箇)。

 師因而有省。遂隱西山、更無消息(師、因みに省有り。遂に西山に隱れて更に消息無し)。

 しかあればすなはち、佛祖はともに講經者なり。講經はかならず虛空なり。虛空にあらざれば一經をも講ずることをえざるなり。心經を講ずるにも、身經を講ずるにも、ともに虛空をもて講ずるなり。虛空をもて思量を現成し、不思量を現成せり。有師智をなし、無師智をなす。生知をなし、學而知をなす、ともに虛空なり。作佛作祖、おなじく虛空なるべし。

 

 第二十一祖婆修盤頭尊者道、

 心同虛空界、

 示等虛空法。

 證得虛空時、

 無是無非法。

 (心は虛空界に同じ、等虛空の法を示す。虛空を證得する時、是も無く非法も無し。)

 いま壁面人と人面壁と、相逢相見する牆壁心、枯木心、これはこれ虛空界なり。應以此身得度者、卽現此身、而爲説法、これ示等虛空法なり。應以他身得度者、卽現他身、而爲説法、これ示等虛空法なり。被十二時使、および使得十二時、これ證得虛空時なり。石頭大底大、石頭小底小、これ無是無非法なり。

 かくのごとくの虛空、しばらくこれを正法眼藏涅槃妙心と參究するのみなり。

 

正法眼藏虛空第七十

 

 爾時寛元三年乙巳三月六日在越宇大佛寺示衆

 弘安二年己卯五月十七日在同國中濱新善光寺書寫之 義雲

 

 

正法眼藏第七十一 鉢盂

 七佛向上より七佛に正傳し、七佛裏より七佛に正傳し、渾七佛より渾七佛に正傳し、七佛より二十八代正傳しきたり、第二十八代の祖師、

菩提達磨高祖、みづから神丹國にいりて、二祖大祖正宗普覺大師に正傳し、六代つたはれて曹谿にいたる。東西都盧五十一代、すなはち正法眼藏涅槃妙心なり、袈裟、鉢盂なり。ともに先佛は先佛の正傳を保任せり。かくのごとくして佛佛祖祖正傳せり。

 しかあるに佛祖を參學する皮肉骨髓、拳頭眼睛、おのおの道取あり。いはゆる、あるいは鉢盂はこれ佛祖の身心なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の飯埦なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の眼睛なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の光明なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の眞實體なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の正法眼藏涅槃妙心なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の轉身處なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛祖の緣底なりと參學するあり。かくのごとくのともがらの參學の宗旨、おのおの道得の處分ありといへども、さらに向上の參學あり。

 先師天童古佛、大宋寶慶元年、住天童日(天童に住せし日)、上堂云、記得、僧問百丈(記し得たり、僧百丈に問ふ)、如何是奇特事(如何ならんか是れ奇特の事)。百丈云、獨坐大雄峰。

 大衆不得動著、且教坐殺者漢。今日忽有人問淨上座、如何是奇特事。只向他道、有甚奇特。畢竟如何、淨慈鉢盂、移過天童喫飯(大衆、動著することを得ざれ、且く者漢を坐殺せしめん。今日忽ちに人有つて淨上座に問はん、如何ならんか是れ奇特の事と。ただ他に向つて道ふべし。甚の奇特か有らん。畢竟如何。淨慈の鉢盂、天童に移過して喫飯す)。

 しるべし、奇特事はまさに奇特人のためにすべし。奇特事には奇特の調度をもちゐるべきなり。これすなはち奇特の時節なり。しかあればすなはち、奇特事の現成せるところ、奇特鉢盂なり。これをもて四天王をして護持せしめ、諸龍王をして擁護せしむる、佛道の玄軌なり。このゆゑに佛祖に奉獻し、佛祖より附囑せらる。

 佛祖の堂奥に參學せざるともがらいはく、佛袈裟は、絹なり、布なり、化絲のをりなせるところなりといふ。佛鉢盂は、石なり、瓦なり、鐵なりといふ。かくのごとくいふは、未具參學眼のゆゑなり。佛袈裟は佛袈裟なり、さらに絹、布の見あるべからず。絹布等の見は舊見なり。佛鉢盂は佛鉢盂なり、さらに石瓦といふべからず、鐵木といふべからず。

 

 おほよそ佛鉢盂は、これ造作にあらず、生滅にあらず。去來せず、得失なし。新舊にわたらず、古今にかかはれず。佛祖の衣盂は、たとひ雲水を採集して現成せしむとも、雲水の籮籠にあらず。たとひ草木を採集して現成せしむとも、草木の籮籠にあらず。その宗旨は、水は衆法を合成して水なり、雲は衆法を合成して雲なり。雲を合成して雲なり、水を合成して水なり。鉢盂は但以衆法、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成衆法なり。但以渾心、合成鉢盂なり。但以虛空、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成鉢盂なり。鉢盂は鉢盂に罣礙せられ、鉢盂に染汚せらる。

 いま雲水の傳持せる鉢盂、すなはち四天王奉獻の鉢盂なり。鉢盂もし四天王奉獻せざれば現前せず。いま諸方に傳佛正法眼藏の佛祖の正傳せる鉢盂、これ透脱古今底の鉢盂なり。しかあれば、いまこの鉢盂は、鐵漢の舊見を覰破せり、木橛の商量に拘牽せられず、瓦礫の聲色を超越せり。石玉の活計を罣礙せざるなり。碌塼といふことなかれ、木橛といふことなかれ。かくのごとく承當しきたれり。

 

正法眼藏鉢盂第七十一

 

 爾時寛元三年乙巳三月十二日在越宇大佛精舍示衆

 寛元乙巳七月廿七日在大佛寺侍司書寫 懷弉

 

 

正法眼藏第七十二 安居

 先師天童古佛、結夏小參云、平地起骨堆、虛空剜窟籠。驀透兩重關、拈却黒漆桶(先師天童古佛、結夏の小參に云く、平地に骨堆を起し、虛空に窟籠を剜る。驀に兩重の關を透すれば、黒漆桶を拈却せり)。

 しかあれば、得遮巴鼻子了、未免喫飯伸脚睡、在這裏三十年(遮の巴鼻子を得ぬれば、未だ免れず飯を喫しては脚を伸べて睡り、這裏に在つて三十年することを)なり。すでにかくのごとくなるゆゑに、打併調度、いとまゆるくせず。その調度に九夏安居あり。これ佛佛祖祖の頂𩕳面目なり。皮肉骨髓に親曾しきたれり。佛祖の眼睛頂𩕳を拈來して、九夏の日月とせり。安居一枚、すなはち佛佛祖祖と喚作せるものなり。

 安居の頭尾、これ佛祖なり。このほかさらに寸土なし、大地なし。夏安居の一橛、これ新にあらず舊にあらず、來にあらず去にあらず。その量は拳頭量なり、その樣は巴鼻樣なり。しかあれども、結夏のゆゑにきたる、虛空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆゑにさる、迊地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆゑに結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、親曾の面面ともに結解を罣礙するのみなり。萬里無寸草なり、還吾九十日飯錢來(吾れに九十日の飯錢を還し來れ)なり。

 

 黄檗死心和尚云、山僧行脚三十餘年、以九十日爲一夏。増一日也不得、減一日也不得(黄檗死心和尚云く、山僧行脚すること三十餘年、九十日を以て一夏と爲す。一日を増すこと也た不得なり、一日を減ずること也た不得なり)。

 しかあれば、三十餘年の行脚眼、わづかに見徹するところ、九十日爲一夏安居のみなり。たとひ増一日せんとすとも、九十日かへりきたりて競頭參すべし。たとひ減一日せんとすといふとも、九十日かへりきたりて競頭參するものなり。さらに九十日の窟籠を跳脱すべからず。この跳脱は、九十日の窟籠を手脚として𨁝跳するのみなり。九十日爲一夏は、我箇裏の調度なりといへども、佛祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆゑに、佛佛祖祖、嫡嫡正稟して今日にいたれり。

 しかあれば、夏安居にあふは諸佛諸祖にあふなり。夏安居にあふは見佛見祖なり。夏安居ひさしく作佛祖せるなり。この九十日爲一夏、その時量たとひ頂𩕳量なりといへども、一劫十劫のみにあらず、百千無量劫のみにあらざるなり。餘時は百千無量等の劫波に使得せらる、九十日は百千無量等の劫波を使得するゆゑに、無量劫波たとひ九十日にあふて見佛すとも、九十日かならずしも劫波にかかはれず。

 しかあれば參學すべし、九十日爲一夏は眼睛量なるのみなり。身心安居者それまたかくのごとし。夏安居の活鱍鱍地を使得し、夏安居の活鱍鱍地を跳脱せる、來處あり、職由ありといへども、他方他時よりきたりうつれるにあらず、當處當時より起興するにあらず。來處を把定すれば九十日たちまちにきたる、職由を摸索すれば九十日たちまちにきたる。凡聖これを窟宅とせり、命根とせりといへども、はるかに凡聖の境界を超越せり。思量分別のおよぶところにあらず、不思量分別のおよぶところにあらず、思量不思量の不及のみにあらず。

 

 世尊在摩竭陀國、爲衆説法。是時將欲白夏、乃謂阿難曰、諸大弟子、人天四衆、我常説法、不生敬仰。我今入因沙臼室中、坐夏九旬。忽有人、來問法之時、汝代爲我説、一切法不生、一切法不滅(世尊、摩竭陀國に在して衆の爲に説法したまふ。是の時まさに白夏せんとしたまひて、乃ち阿難に謂つて曰はく、諸大弟子、人天四衆、我れ常に説法すれども敬仰を生ぜず。我れ今因沙臼室中に入つて坐夏九旬すべし。忽ちに人有り、來つて法を問はん時、汝代つて我が爲に説くべし、一切法不生、一切法不滅と)。

 言訖掩室而坐(言ひ訖つて掩室して坐したまふ)。

 しかありしよりこのかた、すでに二千一百九十四年[當日本寛元三年乙巳歳]なり。堂奥にいらざる兒孫、おほく摩竭掩室を無言説の證據とせり。いま邪黨おもはくは、掩室坐夏の佛意は、それ言説をもちゐるはことごとく實にあらず、善巧方便なり。至理は言語道斷し、心行處滅なり。このゆゑに、無言無心は至理にかなふべし、有言有念は非理なり。このゆゑに、掩室坐夏九旬のあひだ、人跡を斷絶せるなりとのみいひいふなり。これらのともがらのいふところ、おほきに世尊の佛意に孤負せり。

 いはゆる、もし言語道斷、心行處滅を論ぜば、一切の治生産業みな言語道斷し、心行處滅なり。言語道斷とは、一切の言語をいふ。心行處滅とは、一切の心行をいふ。いはんやこの因緣、もとより無言をたうとびんためにはあらず。通身ひとへに泥水し入草して、説法度人いまだのがれず、轉法拯物いまだのがれざるのみなり。もし兒孫と稱ずるともがら、坐夏九旬を無言説なりといはば、還吾九旬坐夏來(吾れに九旬坐夏を還し來るべし)といふべし。

 阿難に敕令していはく、汝代爲我説、一切法不生、一切法不滅と代説せしむ。この佛儀、いたづらにすごすべからず。おほよそ、掩室坐夏、いかでか無言無説なりとせん。しばらく、もし阿難として當時すなはち世尊に白すべし、一切法不生、一切法不滅。作麼生説。縱説恁麼、要作什麼(一切法不生、一切法不滅。作麼生か説かん。縱ひ恁麼に説くも、什麼を作すことをか要せん)。かくのごとく白して、世尊の道を聽取すべし。

 おほよそ而今の一段の佛儀、これ説法轉法の第一義諦、第一無諦なり。さらに無言説の證據とすべからず。もしこれを無言説とせば、可憐三尺龍泉劒、徒掛陶家壁上梭(憐れむべし三尺龍泉の劒、徒らに掛る陶家壁上の梭)ならん。

 しかあればすなはち、九旬坐夏は古轉法輪なり、古佛祖なり。而今の因緣のなかに、時將欲白夏とあり。しるべし、のがれずおこなはるる九旬坐夏安居なり、これをのがるるは外道なり。

 おほよそ世尊在世には、あるいは忉利天にして九旬安居し、あるいは耆闍崛山靜室中にして五百比丘とともに安居す。五天竺國のあひだ、ところを論ぜず、ときいたれば白夏安居し、九夏安居おこなはれき。いま現在せる佛祖、もとも一大事としておこなはるるところなり。これ修證の無上道なり。梵網經中に冬安居あれども、その法つたはれず、九夏安居の法のみつたはれり。正傳まのあたり五十一世なり。

 

 淸規云、行脚人欲就處所結夏、須於半月前掛搭。所貴茶湯人事、不倉卒(淸規に云く、行脚の人、處所に就て結夏せんと欲はば、須らく半月前に於て掛搭すべし。貴するところは、茶湯人事倉卒ならざらんことを)。

 いはゆる半月前とは、三月下旬をいふ。しかあれば、三月内にきたり掛搭すべきなり。すでに四月一日よりは、比丘僧ありきせず。諸方の接待および諸寺の旦過、みな門を鎖せり。しかあれば、四月一日よりは、雲衲みな寺院に安居せり、庵裡に掛搭せり。あるいは白衣舍に安居せる、先例なり。これ佛祖の儀なり、慕古し修行すべし。拳頭鼻孔、みな面面に寺院をしめて、安居のところに掛搭せり。

 しかあるを、魔儻いはく、大乘の見解、それ要樞なるべし。夏安居は聲聞の行儀なり、あながちに修習すべからず。かくのごとくいふともがらは、かつて佛法を見聞せざるなり。阿耨多羅三藐三菩提、これ九旬安居坐夏なり。たとひ大乘小乘の至極ありとも、九旬安居の枝葉花菓なり。

 

 四月三日の粥罷より、はじめてことをおこなふといへども、堂司あらかじめ四月一日より戒臘の榜を理會す。すでに四月三日の粥罷に、戒臘牌を衆寮前にかく。いはゆる前門の下間の窓外にかく。寮窓みな櫺子なり。粥罷にこれをかけ、放參鐘ののち、これををさむ。三日より五日にいたるまでこれをかく。をさむる時節、かくる時節、おなじ。

 かの榜、かく式あり。知事頭首によらず、戒臘のままにかくなり。諸方にして頭首知事をへたらんは、おのおの首座監寺とかくなり。數職をつとめたらんなかには、そのうちにつとめておほきならん職をかくべし。かつて住持をへたらんは、某甲西堂とかく。小院の住持をつとめたりといへども、雲水にしられざるは、しばしばこれをかくして稱ぜず。もし師の會裏にしては、西堂なるもの、西堂の儀なし。某甲上座とかく例もあり。おほくは衣鉢侍者寮に歇息する、勝躅なり。さらに衣鉢侍者に充し、あるいは燒香侍者に充する、舊例なり。いはんやその餘の職、いづれも師命にしたがふなり。他人の弟子のきたれるが、小院の住持をつとめたりといへども、おほきなる寺院にては、なほ首座書記、都寺監寺等に請ずるは、依例なり、芳躅なり。小院の小職をつとめたるを稱ずるをば、叢林わらふなり。よき人は、住持をへたる、なほ小院をばかくして稱ぜざるなり。榜式かくのごとし。

 

 某國某州某山某寺、今夏結夏海衆、戒臘如後。

 陳如尊者

 堂頭和尚

  建保元戒

   某甲上座   某甲藏主

   某甲上座   某甲上座

  建保二戒

   某甲西堂   某甲維那

   某甲首座   某甲知客

   某甲上座   某甲浴主

  建暦元戒

   某甲直歳   某甲侍者

   某甲首座   某甲首座

   某甲化主   某甲上座

   某甲典座   某甲堂主

  建暦三戒

   某甲書記   某甲上座

   某甲西堂   某甲首座

   某甲上座   某甲上座

 右、謹具呈、若有誤錯、各請指揮。謹状(右、謹んで具呈す。若し誤錯有らば、各請すらくは指揮せんことを。謹んで状す)。

 某年四月三日 堂司比丘某甲謹状

 かくのごとくかく。しろきかみにかく。眞書にかく、草書隷書等をもちゐず。かくるには、布線のふとさ兩米粒許なるを、その紙榜頭につけてかくなり。たとへば、簾額のすぐならんがごとし。四月五日の放參罷にをさめをはりぬ。

 

 四月八日は佛生會なり。

 四月十三日の齋罷に、衆寮の僧衆、すなはち本寮につきて煎點諷經す。寮主ことをおこなふ。點湯燒香、みな寮主これをつとむ。寮主は衆寮の堂奥に、その位を安排せり。寮首座は、寮の聖僧の左邊に安排せり。しかあれども、寮主いでて燒香行事するなり。首座、知事等、この諷經におもむかず。ただ本寮の僧衆のみおこなふなり。

 維那、あらかじめ一枚の戒臘牌を修理して、十五日の粥罷に、僧堂前の東壁にかく、前架のうへにあたりてかく。正面のつぎのみなみの間なり。

 淸規云、堂司預設戒臘牌、香華供養[在僧堂前設之](淸規に云く、堂司預め戒臘牌を設けて、香華もて供養すべし[僧堂前に在りて之を設く])。

 

 四月十四日の齋後に、念誦牌を僧堂前にかく。諸堂おなじく念誦牌をかく。至晩に、知事あらかじめ土地堂に香華をまうく、額のまへにまうくるなり。集衆念誦す。

 念誦の法は、大衆集定ののち、住持人まづ燒香す。つぎに知事、頭首、燒香す。浴佛のときの燒香の法のごとし。つぎに維那、くらゐより正面にいでて、まづ住持人を問訊して、つぎに土地堂にむかうて問訊して、おもてをきたにして、土地堂にむかうて念誦す。詞云、

 竊以薰風扇野、炎帝司方。當法王禁足之辰、是釋子護生之日。躬裒大衆、肅詣靈祠、誦持萬徳洪名、囘向合堂眞宰。所祈加護得遂安居。仰憑尊衆念(竊に以みるに、薰風野を扇ぎ、炎帝方を司る。法王禁足の辰に當る、是れ釋子護生の日なり。躬ら大衆を裒めて、肅んで靈祠に詣し、萬徳の洪名を誦持し、合堂の眞宰に囘向す。祈る所は加護して安居を遂ぐるを得んことを。仰いで尊衆を憑んで念ず)。

 淸淨法身毘盧遮那佛   金打

 圓滿報身盧遮那佛    同

 千百億化身釋迦牟尼佛  同

 當來下生彌勒尊佛    同

 十方三世一切諸佛    同

 大聖文殊師利菩薩    同

 大聖普賢菩薩      同

 大悲觀世音菩薩     同

 諸尊菩薩摩訶薩     同

 摩訶般若波羅蜜     同

 上來念誦功徳、竝用囘向、護持正法、土地龍神。伏願、神光協贊、發揮有利之勳。梵樂興隆、亦錫無私之慶。再憑尊衆念(上來念誦の功徳、竝びに用つて正法を護持せん土地龍神に囘向す。伏して願はくは神光協贊し、有利の勳を發揮せんことを。梵樂興隆して、亦た無私の慶を錫はらんことを。再び尊衆を憑んで念ず)。

 十方三世一切諸佛、

 諸尊菩薩摩訶薩、

 摩訶般若波羅蜜。

 ときに鼓響すれば、大衆すなはち雲堂の點湯の座に赴す。點湯は庫司の所辨なり。大衆赴堂し、次第巡堂し、被位につきて正面而坐す。知事一人行法事す。いはゆる燒香等をつとむるなり。

 淸規云、本合監院行事。有改維那代之(淸規に云く、本としては監院行事すべし。改むること有らば維那之に代るべし)。

 すべからく念誦已前に寫牓して首座に呈す。知事、搭袈裟帶坐具して首座に相見するとき、あるいは兩展三拜しをはりて、牓を首座に呈す。首座、答拜す。知事の拜とおなじかるべし。牓は箱に複子をしきて、行者にもたせてゆく。首座、知事をおくりむかふ。

 牓式

  庫司今晩就

  雲堂煎點、特爲

  首座

  大衆、聊表結制之儀。伏冀

  衆慈同垂

  光降。

 寛元元年四月十四日  庫司比丘某甲等謹白

 知事の第一の名字をかくなり。牓を首座に呈してのち、行者をして雲堂前に貼せしむ。堂前の下間に貼するなり。前門の南頬の外面に、牓を貼いる板あり。このいた、ぬれり。

 殼漏子あり。殼漏子は、牓の初にならべて、竹釘にてうちつけたり。しかあれば、殼漏子もかたはらに押貼せり。この牓は如法につくれり。五分許の字にかく、おほきにかかず。殼漏子の表書は、かくのごとくかく。

  状請 首座 大衆     庫司比丘某甲等謹封

 煎點をはりぬれば、牓ををさむ。

 

 十五日の粥前に、知事、頭首、小師、法眷、まづ方丈内にまうでて人事す。住持人もし隔宿より免人事せば、さらに方丈にまうづべからず。

 免人事といふは、十四日より、住持人、あるいは頌子あるいは法語をかける牓を、方丈門の東頬に貼せり。あるいは雲堂前にも貼す。

 十五日の陞座罷、住持人、法座よりおりて堦のまへにたつ。拜席の北頭をふみて、面南してたつ。知事、近前して兩展三拜す。

 一展云、此際安居禁足、獲奉巾瓶。唯仗和尚法力資持、願無難事(一展して云く、此際の安居禁足、巾瓶奉することを獲たり。ただ和尚の法力の資持に仗りて、願はくは難事無からんことを)。

 一展、叙寒暄(一展して寒暄を叙す)、觸禮三拜。

 叙寒暄云者、展坐具三拜了、收坐具、進云、卽辰孟夏漸熱。法王結制之辰、伏惟、堂頭和尚、法候動止萬福、下情不勝感激之至(叙寒暄といふは、展坐具三拜了に、坐具を收め、進んで云く、卽辰孟夏漸くに熱なり。法王結制の辰、伏して惟れば堂頭和尚、法候動止萬福、下情感激の至りに勝へず)。

 かくのごとくして、その次、觸禮三拜。ことばなし、住持人みな答拜す。

 住持人念、此者多幸得同安居、亦冀某[首座監寺]人等、法力相資、無諸難事(此者多幸にも同じく安居すること得たり、亦た冀はくは某[首座監寺]人等、法力相資け、諸の難事無からんことを)。

 首座大衆、同此式也(此の式に同ず)。

 このとき、首座大衆、知事等、みな面北して禮拜するなり。住持人ひとり面南にして、法座の堦前に立せり。住持人の坐具は、拜席のうへに展ずるなり。

 つぎに首座大衆、於住持人前、兩展三拜(首座大衆、住持人の前に兩展三拜す)。このとき、小師、侍者、法眷、沙彌、在一邊立。未得與大衆雷同人事(小師、侍者、法眷、沙彌、一邊に在りて立す。未だ大衆と雷同して人事することを得ず)。

 いはゆる一邊にありてたつとは、法堂の東壁のかたはらにありてたつなり。もし東壁邊に施主の垂箔のことあらば、法鼓のほとりにたつべし、また西壁邊にも立すべきなり。

 大衆禮拜をはりて、知事まづ庫堂にかへりて主位に立す。つぎに首座すなはち大衆を領して庫司にいたりて人事す。いはゆる知事と觸禮三拜するなり。

 このとき小師、侍者、法眷等は、法堂上にて住持人を禮拜す。法眷は兩展三拜すべし、住持人の答拜あり。小師、侍者、おのおの九拜す。答拜なし。沙彌九拜、あるいは十二拜なり。住持人合掌してうくるのみなり。

 つぎに首座、僧堂前にいたりて、上間の知事牀のみなみのはしにあたりて、雲堂の正面にあたりて、面南にて大衆にむかうてたつ。大衆面北して、首座にむかうて觸禮三拜す。首座、大衆をひきて入堂し、戒臘によりて巡堂立定す。知事入堂し、聖僧前にて大展禮三拜しておく。つぎに首座前にて觸禮三拜す。大衆答拜す。知事、巡堂一迊して、いでてくらゐによりて叉手してたつ。

 住持人入堂、聖僧前にして燒香、大展三拜起(大展三拜して起く)。このとき、小師於聖僧後避立。法眷隨大衆(小師、聖僧の後に避けて立つ。法眷、大衆に隨ふ)。

 つぎに住持人、於首座觸禮三拜(首座に於て觸禮三拜す)。

 いはく、住持人、ただくらゐによりてたち、面南にて觸禮す。首座大衆答拜、さきのごとし。

 住持人、巡堂していづ。首座、前門の南頬よりいでて住持人をおくる。

 住持人出堂ののち、首座已下、對禮三拜していはく、此際幸同安居、恐三業不善、且望慈悲(此の際幸ひに安居を同じうす、三業不善ならんことを恐る、且望すらくは慈悲あらんことを)。

 この拜は、展坐具三拜なり。かくのごとくして首座、書記、藏主等、おのおのその寮にかへる。もしそれ衆寮僧は、寮主、寮首座已下、おのおの觸禮三拜す。致語は堂中の法におなじ。

 

 住持人こののち、庫堂よりはじめて巡堂す。次第に大衆相隨、送至方丈。大衆乃退(大衆相隨ひて、送つて方丈に至りて、大衆乃ち退す)。

 いはゆる住持人まづ庫堂にいたる、知事と人事しをはりて、住持人いでて巡堂すれば、知事しりへにあゆめり。知事のつぎに、東廊のほとりにあるひとあゆめり。住持人このとき延壽院にいらず。東廊より西におりて、山門をとほりて巡寮すれば、山門の邊の寮にある人、あゆみつらなる。みなみより西の廊下および諸寮にめぐる。このとき、西をゆくときは北にむかふ。このときより、安老、勤舊、前資、頤堂、單寮のともがら、淨頭等、あゆみつらなれり。維那、首座等あゆみつらなるつぎに、衆寮の僧衆あゆみつらなる。巡寮は、寮の便宜によりてあゆみくははる。これを大衆相送とはいふ。

 かくのごとくして、方丈の西階よりのぼりて、住持人は方丈の正面のもやの住持人のくらゐによりて、面南にて叉手してたつ。大衆は知事已下みな面北にて住持人を問訊す。この問訊、ことにふかくするなり。住持人、答問訊あり。大衆退す。

 先師は方丈に大衆をひかず、法堂にいたりて、法座の堦前にして面南叉手してたつ、大衆問訊して退す、これ古往の儀なり。

 しかうしてのち、衆僧おのおのこころにしたがひて人事す。

 人事とは、あひ禮拜するなり。たとへば、おなじ郷間のともがら、あるいは照堂、あるいは廊下の便宜のところにして、幾十人もあひ拜して、同安居の理致を賀す。しかあれども、致語は堂中の法になずらふ。人にしたがひて今案のことばも存ず。あるいは小師をひきゐたる本師あり、これ小師かならず本師を拜すべし、九拜をもちゐる。法眷の住持人を拜する、兩展三拜なり。あるいはただ大展三拜す。法眷のともに衆にあるは、拜おなじかるべし。師叔、師伯、またかならず拜あり。隣單隣肩みな拜す、相識道舊ともに拜あり。單寮にあるともがらと、首座、書記、藏主、知客、浴司等と、到寮拜賀すべし。單寮にあるともがらと、都寺、監寺、維那、典座、直歳、西堂、尼師、道士等とも、到寮到位して拜賀すべし。到寮せんとするに、人しげくして入寮門にひまをえざれば、牓をかきてその寮門におす。その牓は、ひろさ一寸餘、ながさ二寸ばかりなる白紙にかくなり。かく式は、

 某寮   某甲

  拜賀

 又の式

 巣雲   懷昭等

  拜賀

 又の式

 某甲

  禮賀

 又の式

 某甲

  拜賀

 又の式

 某甲

  禮拜

 かくしき、おほけれど、大旨かくのごとし。しかあれば、門側にはこの牓あまたみゆるなり。門側には左邊におさず、門の右におすなり。この牓は、齋罷に、本寮主をさめとる。今日は、大小諸堂諸寮、みな門簾をあげたり。

 堂頭、庫司、首座、次第に煎點といふことあり。しかあれども、遠島深山のあひだには省略すべし。ただこれ禮數なり。退院の長老、および立僧の首座、おのおの本寮につきて、知事、頭首のために特爲煎點するなり。

 かくのごとく結夏してより、功夫辨道するなり。衆行を辨肯せりといへども、いまだ夏安居せざるは佛祖の兒孫にあらず、また佛祖にあらず。孤獨園、靈鷲山、みな安居によりて現成せり。安居の道場、これ佛祖の心印なり、諸佛の住世なり。

 

 解夏七月十三日、衆寮煎點諷經。またその月の寮主これをつとむ。

 十四日、晩念誦。

 來日陞堂。人事、巡寮、煎點、竝同結夏。唯牓状詞語、不同而已(人事、巡寮、煎點、竝びに結夏に同じ。唯牓状の詞語、不同なるのみ)。

 庫司湯牓云、庫司今晩、就雲堂煎點、特爲首座大衆、聊表解制之儀。伏冀衆慈同垂光降(庫司湯牓に云く、庫司今晩、雲堂に就て煎點す。特に首座大衆の爲にし、聊か解制の儀を表す。伏して冀はくは衆慈同じく光降を垂れんことを)。

                庫司比丘某甲   白

 土地堂念誦詞云、切以金風扇野、白帝司方。當覺皇解制之時、是法歳周圓之日。九旬無難、一衆咸安。誦持諸佛洪名、仰報合堂眞宰。仰憑大衆念(土地堂念誦の詞に云く、切に以みれば金風野を扇ぎ、白帝方を司る。覺皇解制の時に當り、是れ法歳周圓の日なり。九旬難無く、一衆咸安なり。諸佛の洪名を誦持し、仰いで合堂の眞宰に報ず。仰いで大衆を憑んで念ず)。

 これよりのちは結夏の念誦におなじ。

 陞堂罷、知事等、謝詞にいはく、伏喜法歳周圓、無諸難事。此蓋和尚道力廕林、下情無任感激之至(伏して喜すらくは法歳周圓し、もろもろの難事無かりしことを。此れ蓋し和尚道力の廕林なり、下情感激の至りに任へず)。

 住持人謝詞いはく、此者法歳周圓、皆謝某[首座監寺]人等法力相資、不任感激之至(此者法歳周圓す、皆な某[首座監寺]人等の法力相資せるを謝す、感激の至りに任へず)。

 堂中首座已下、寮中寮主已下、謝詞いはく、九夏相依、三業不善、惱亂大衆、伏望慈悲(九夏相依す、三業不善なり、大衆を惱亂せり。伏して望むらくは慈悲あらんことを)。

 知事、頭首告云、衆中兄弟行脚、須候茶湯罷、方可隨意[如有緊急緣事、不在此限](知事、頭首告して云く、衆中の兄弟行脚せんには、須らく茶湯罷を候つて、方に隨意なるべし[如し緊急の緣事有らば、此の限りに在らず])。

 この儀は、これ威音、空王の前際後際よりも頂𩕳量なり。佛祖のおもくすること、ただこれのみなり。外道天魔のいまだ惑亂せざるは、ただこれのみなり。三國のあひだ、佛祖の兒孫たるもの、いまだひとりもこれをおこなはざるなし。外道はいまだまなびず、佛祖一大事の本懷なるがゆゑに、得道のあしたより涅槃のゆふべにいたるまで、開演するところ、ただ安居の宗旨のみなり。西天の五部の僧衆ことなれども、おなじく九夏安居を護持してかならず修證す。震旦の九宗の僧衆、ひとりも破夏せず。生前にすべて九夏安居せざらんをば、佛弟子、比丘僧と稱ずべからず。ただ因地に修習するのみにあらず、果位の修證なり。大覺世尊すでに一代のあひだ、一夏も闕如なく修證しましませり。しるべし、果上の佛證なりといふこと。

 しかあるを、九夏安居は修證せざれども、われは佛祖の兒孫なるべしといふは、わらふべし。わらふにたへざるおろかなるものなり。かくのごとくいはんともがらのこと葉をばきくべからず。共語すべからず、同坐すべからず、ひとつみちをあゆむべからず。佛法には、梵壇の法をもて惡人を治するがゆゑに。

 

 ただまさに九夏安居これ佛祖と會取すべし、保任すべし。その正傳しきたれること、七佛より摩訶迦葉におよぶ。西天二十八祖、嫡嫡正傳せり。第二十八祖みづから震旦にいでて、二祖大祖正宗普覺大師をして正傳せしむ。二祖よりこのかた、嫡嫡正傳して而今に正傳せり。震旦にいりてまのあたり佛祖の會下にして正傳し、日本國に正傳す。すでに正傳せる會にして九旬坐夏しつれば、すでに夏法を正傳するなり。この人と共住して安居せんは、まことの安居なるべし。まさしく佛在世の安居より嫡嫡面授しきたれるがゆゑに、佛面祖面まのあたり正傳しきたれり。佛祖身心したしく證契しきたれり。かるがゆゑにいふ、安居をみるは佛をみるなり、安居を證するは佛を證するなり。安居を行ずるは佛を行ずるなり、安居をきくは佛をきくなり、安居をならふは佛を學するなり。

 おほよそ九旬安居を、諸佛諸祖いまだ違越しましまさざる法なり。しかあればすなはち、人王、釋王、梵王等、比丘僧となりて、たとひ一夏なりといふとも安居すべし。それ見佛ならん。人衆、天衆、龍衆、たとひ一九旬なりとも、比丘比丘尼となりて安居すべし。すなはち見佛ならん。佛祖の會にまじはりて九旬安居しきたれるは見佛來なり。われらさいはひにいま露命のおちざるさきに、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、すでに一夏安居するは、佛祖の皮肉骨髓をもて、みづからが皮肉骨髓に換却せられぬるものなり。佛祖きたりてわれらを安居するがゆゑに、面面人人の安居を行ずるは、安居の人人を行ずるなり。恁麼なるがゆゑに、安居あるを千佛萬祖といふのみなり。ゆゑいかんとなれば、安居これ佛祖の皮肉骨髓、心識身體なり。頂𩕳眼睛なり、拳頭鼻孔なり。圓相佛性なり、拂子拄杖なり、竹箆蒲團なり。安居はあたらしきをつくりいだすにあらざれども、ふるきをさらにもちゐるにはあらざるなり。

 

 世尊告圓覺菩薩、及諸大衆、一切衆生言、若經夏首三月安居、當爲淸淨菩薩止住。心離聲聞、不假徒衆。至安居日、卽於佛前作如是言。我比丘比丘尼、優婆塞優婆夷某甲、踞菩薩乘修寂滅行、同入淸淨實相住持。以大圓覺爲我伽藍、心身安居。平等性智、涅槃自性、無繋屬故。今我敬請、不依聲聞、當與十方如來及大菩薩、三月安居。爲修菩薩無上妙覺大因緣故、不繋徒衆。善男子、此名菩薩示現安居(世尊、圓覺菩薩、及び諸の大衆、一切衆生に告げて言はく、若し夏首より三月の安居を經ば、當に淸淨菩薩の止住たるべし。心、聲聞を離れて徒衆を假らざれ。安居の日に至りなば、卽ち佛前に於て是の如くの言を作すべし。我れ比丘比丘尼、優婆塞優婆夷某甲、菩薩乘に踞して寂滅の行を修す、同じく淸淨實相に入りて住持せん。大圓覺を以て我が伽藍と爲して心身安居せん。平等性智、涅槃自性、繋屬無きが故に。今我れ敬請す、聲聞に依らず、當に十方如來、及び大菩薩とともに、三月安居すべし。菩薩の無上妙覺大因緣を修せんが爲の故に、徒衆を繋せず。善男子、此れを菩薩の示現安居と名づく)。

 しかあればすなはち、比丘比丘尼、優婆塞優婆夷等、かならず安居三月にいたるごとには、十方如來および大菩薩とともに、無上妙覺大因緣を修するなり。しるべし、優婆塞優婆夷も安居すべきなり。この安居のところは大圓覺なり。しかあればすなはち、鷲峰山、孤獨園、おなじく如來の大圓覺伽藍なり。十方如來及大菩薩、ともに安居三月の修行あること、世尊のをしへを聽受すべし。

 

 世尊於一處、九旬安居、至自恣日、文殊倏來在會(世尊一處に九旬安居したまひしに、自恣の日に至つて、文殊倏ちに來つて會に在り)。

 迦葉問文殊、今夏何處安居(迦葉文殊に問ふ、今夏何れの處にか安居せる)。

 文殊云、今夏在三處安居(文殊云く、今夏三處に在つて安居せり)。

 迦葉於是集衆白槌欲擯文殊。纔擧犍槌、卽見無量佛刹顯現、一一佛所有一一文殊、有一一迦葉、擧槌欲擯文殊(迦葉是に於て集衆し白槌して文殊を擯せんとす。纔かに犍槌を擧するに、卽ち無量の佛刹顯現し、一一の佛所に一一の文殊有り、一一の迦葉有り、擧槌して文殊を擯せんとするを見る)。

 世尊於是告迦葉云、汝今欲擯阿那箇文殊(世尊是に於て迦葉に告げて云く、汝今阿那箇の文殊を擯せんとするや)。

 于時迦葉茫然(時に迦葉茫然たり)。

 圜悟禪師拈古云、

 鐘不撃不響(鐘撃たざれば響かず)、

 鼓不打不鳴(鼓打たざれば鳴らず)。

 迦葉既把定要津(迦葉既に要津を把定すれば)、

 文殊乃十方坐斷(文殊乃ち十方坐斷す)。

 當時好一場佛事(當時好一場の佛事なり)。

 可惜放過一著(惜しむべし、一著を放過せることを)。

 待釋迦老子道欲擯阿那箇文殊、便與撃一槌看、他作什麼合殺(釋迦老子の阿那箇の文殊をか擯せんとすると道せんを待つて、便ち撃一槌を與へて看るべし、他什麼の合殺をか作す)。

 圜悟禪師頌古云、

 大象不遊兔徑(大象は兔徑に遊ばず)、

 燕雀安知鴻鵠(燕雀安くんぞ鴻鵠を知らん)。

 據令宛若成風(據令宛も風を成すが若し)、

 破的渾如囓鏃(破的渾て鏃を囓むが如し)。

 徧界是文殊(徧界是れ文殊)、

 徧界是迦葉(徧界是れ迦葉)、

 相對各儼然(相對しておのおの儼然たり)。

 擧椎何處罰好一箚(擧椎何れの處か罰せん好一箚)、

 金色頭陀曾落却(金色の頭陀曾て落却せり)。

 しかあればすなはち、世尊一處安居、文殊三處安居なりといへども、いまだ不安居あらず。もし不安居は、佛及菩薩にあらず。佛祖の兒孫なるもの安居せざるはなし、安居せんは佛祖の兒孫としるべし。安居するは佛祖の身心なり、佛祖の眼睛なり、佛祖の命根なり。安居せざらんは佛祖の兒孫にあらず、佛祖にあらざるなり。いま泥木、素金、七寶の佛菩薩、みなともに安居三月の夏坐おこなはるべし。これすなはち住持佛法僧寶の故實なり、佛訓なり。

 おほよそ佛祖の屋裏人、さだめて坐夏安居三月、つとむべし。

 

正法眼藏第七十二

 

 爾時寛元三年乙巳夏安居六月十三日在越宇大佛寺示衆

 

 

正法眼藏第七十三 他心通

 西京光宅寺慧忠國師者、越州諸曁人也。姓冉氏。自受心印、居南陽白崖山黨子谷、四十餘祀。不下山門、道行聞于帝里。唐肅宗上元二年、敕中使孫朝進賚詔徴赴京。待以師禮。敕居千福寺西禪院。及代宗臨御、復迎止光宅精藍、十有六載、隨機説法。時有西天大耳三藏、到京。云得他心慧眼。帝敕令與國師試驗(西京光宅寺慧忠國師は、越州諸曁の人なり。姓は冉氏なり。心印を受けしより、南陽白崖山黨子谷に居すこと四十餘祀なり。山門を下らず、道行帝里に聞ゆ。唐の肅宗の上元二年、中使孫朝進に敕して、詔を賚せて赴京を徴す。待つに師禮を以てす。敕して千福寺の西禪院に居せしむ。代宗の臨御に及んで、復た光宅の精藍に迎止すること十有六載、隨機説法す。時に西天の大耳三藏といふものありて到京せり。他心慧眼を得たりと云ふ。帝、敕して國師と試驗せしむ)。

 

 三藏才見師便禮拜、立于右邊(三藏才に師を見て、便ち禮拜して右邊に立つ)。

 師問曰、汝得他心通耶(汝他心通を得たりや)。

 對曰、不敢。

 師曰、汝道、老僧卽今在什麼處(汝道ふべし、老僧卽今什麼處にか在る)。

 三藏曰、和尚是一國之師、何得却去西川看競渡(和尚は是れ一國の師なり、何ぞ西川に却去いて競渡を看ることを得んや)。

 師再問、老僧卽今在什麼處(汝道ふべし、老僧卽今什麼處にか在る)。

 三藏曰、和尚是一國之師、何得却在天津橋上、看弄猢猻(和尚は是れ一國の師なり、何ぞ天津橋の上に在つて、猢猻を弄するを看ることを得んや)。

 師第三問、老僧卽今在什麼處(汝道ふべし、老僧卽今什麼處にか在る)。

 三藏良久、罔知去處(三藏良久して去處を知ること罔し)。

 師曰、遮野狐精、他心通在什麼處(遮の野狐精、他心通什麼處にか在る)。

 三藏無對(三藏無對なり)。

 

 僧問趙州曰、大耳三藏、第三度、不見國師在處、未審、國師在什麼處(僧、趙州に問うて曰く、大耳三藏、第三度、國師の在處を見ず、未審、國師什麼處にか在る)。

 趙州云、在三藏鼻孔上(三藏が鼻孔上に在り)。

 僧問玄沙、既在鼻孔上、爲什麼不見(僧、玄沙に問ふ、既に鼻孔上に在り、什麼と爲てか見ざる)。

 玄沙云、只爲太近(只だ太だ近きが爲なり)。

 僧問仰山曰、大耳三藏、第三度、爲什麼、不見國師(僧、仰山に問うて曰く、大耳三藏、第三度、什麼と爲てか國師を見ざる)。

 仰山曰、前兩度是渉境心、後入自受用三昧、所以不見(前の兩度は是れ渉境心なり、後には自受用三昧に入る、所以に見ず)。

 海會端曰、國師若在三藏鼻孔上、有什麼難見。殊不知、國師在三藏眼睛裏(國師若し三藏が鼻孔上に在らば、什麼の難見か有らん。殊に知らず、國師、三藏の眼睛裏に在ることを)。

 玄沙徴三藏曰、汝道、前兩度還見麼(玄沙、三藏を徴して曰く、汝道ふべし、前の兩度、還た見る麼)。

 雪竇明覺重顯禪師曰、敗也、敗也。

 

 大證國師の大耳三藏を試驗せし因緣、ふるくより下語し道著する臭拳頭おほしといへども、ことに五位の老拳頭あり。しかあれども、この五位の尊宿、おのおの諦當甚諦當はなきにあらず、國師の行履を覰見せざるところおほし。ゆゑいかんとなれば、古今の諸員みなおもはく、前兩度は三藏あやまらず國師の在處をしれりとおもへり。これすなはち古先のおほきなる不是なり、晩進しらずはあるべからず。

 いま五位の尊宿を疑著すること兩般あり。一者いはく、國師の三藏を試驗する本意をしらず。二者いはく、國師の身心をしらず。

 しばらく國師の三藏を試驗する本意をしらずといふは、第一番に、國師いはく、汝道、老僧卽今在什麼處といふ本意は、三藏もし佛法を見聞する眼睛なりやと試問するなり。三藏おのづから佛法の他心通ありやと試問するなり。當時もし三藏に佛法あらば、老僧卽今在什麼處としめされんとき、出身のみちあるべし、親曾の便宜あらしめん。いはゆる國師道の老僧卽今在什麼處は、作麼生是老僧と問著せんがごとし。老僧卽今在什麼處は、卽今是什麼時節と問著するなり。在什麼處は、這裏是什麼處在と道著するなり。喚什麼作老僧の道理あり。國師かならずしも老僧にあらず、老僧かならず拳頭なり。大耳三藏、はるかに西天よりきたれりといへども、このこころをしらざることは、佛道を學せざるによりてなり、いたづらに外道二乘のみちをのみまなべるによりてなり。

 國師かさねてとふ、汝道、老僧卽今在什麼處。ここに三藏さらにいたづらのことばをたてまつる。

 國師かさねてとふ、汝道、老僧卽今在什麼處。ときに三藏ややひさしくあれども、茫然として祗對なし。國師ときに三藏を叱していはく、這野狐精、他心通在什麼處。かくのごとく叱せらるといへども、三藏なほいふことなし、祗對せず、通路なし。

 しかあるを、古先みなおもはくは、國師の三藏を叱すること、前兩度は國師の所在をしれり、第三度のみしらず、みざるがゆゑに、國師に叱せらるとおもふ。これおほきなるあやまりなり。國師の三藏を叱することは、おほよそ三藏はじめより佛法也未夢見在なるを叱するなり。前兩度はしれりといへども、第三度をしらざると叱するにあらざるなり。おほよそ他心通をえたりと自稱しながら、他心通をしらざることを叱するなり。

 國師まづ佛法に他心通ありやと問著し試驗するなり。すでに不敢といひて、ありときこゆ。そののち、國師おもはく、たとひ佛法に他心通ありといひて、他心通を佛法にあらしめば恁麼なるべし。道處もし擧處なくは、佛法なるべからずとおもへり。三藏たとひ第三度わづかにいふところありとも、前兩度のごとくあらば道處あるにあらず、摠じて叱すべきなり。いま國師三度こころみに問著することは、三藏もし國師の問著をきくことをうるやと、たびたびかさねて三番の問著あるなり。

 二者いはく、國師の身心をしれる古先なし。いはゆる國師の身心は、三藏法師のたやすく見及すべきにあらず、知及すべきにあらず。十聖三賢およばず、補處等覺のあきらむるところにあらず。三藏學者の凡夫なる、いかでか國師の渾身をしらん。

 この道理、かならず一定すべし。國師の身心は三藏の學者しるべし、みるべしといふは謗佛法なり。經論師と齊肩なるべしと認ずるは狂顛のはなはだしきなり。他心通をえたらんともがら、國師の在處しるべしと學することなかれ。

 他心通は、西天竺國の土俗として、これを修得するともがら、ままにあり。發菩提心によらず、大乘の正見によらず。他心通をえたるともがら、他心通のちからにて佛法を證究せる勝躅、いまだかつてきかざるところなり。他心通を修得してのちにも、さらに凡夫のごとく發心し修行せば、おのづから佛道に證入すべし。ただ他心通のちからをもて佛道を知見することをえば、先聖みなまづ他心通を修得して、そのちからをもて佛果をしるべきなり。しかあること、千佛萬祖の出世にもいまだあらざるなり。すでに佛祖の道をしることあたはざらんは、なににかはせん。佛道に不中用なりといふべし。他心通をえたるも、他心通をえざる凡夫も、ただひとしかるべし。佛性を保任せんことは、他心通も凡夫もおなじかるべきなり。學佛のともがら、外道二乘の五通六通を、凡夫よりもすぐれたりとおもふことなかれ。ただ道心あり、佛法を學せんものは、五通六通よりもすぐれたるべし。頻伽の卵にある聲、まさに衆鳥にすぐれたるがごとし。いはんやいま西天に他心通といふは、他念通といひぬべし。念起はいささか緣ずといへども、未念は茫然なり、わらふべし。いかにいはんや心かならずしも念にあらず、念かならずしも心にあらず。心の念ならんとき、他心通しるべからず。念の心ならんとき、他心通しるべからず。

 しかあればすなはち、西天の五通六通、このくにの薙草修田にもおよぶべからず。都無所用なり。かるがゆゑに、震旦國より東には、先徳みな五通六通をこのみ修せず、その要なきによりてなり。尺璧はなほ要なるべし、五六通は要にあらず。尺璧はなほ寶にあらず、寸陰これ要樞なり。五六通、たれの寸陰をおもくせん人かこれを修習せん。おほよそ他心通のちから、佛智の邊際におよぶべからざる道理、よくよく決定すべし。しかあるを、五位の尊宿、ともに三藏さきの兩度は國師の所在をしれりとおもへる、もともあやまれるなり。國師は佛祖なり、三藏は凡夫なり。いかでか相見の論にもおよばん。

 

 國師まづいはく、汝道、老僧卽今在什麼處。

 この問、かくれたるところなし、あらはれたる道處あり。三藏のしらざらんはとがにあらず、五位の尊宿のきかずみざるはあやまりなり。すでに國師いはく、老僧卽今在什麼處とあり。さらに汝道、老僧心卽今在什麼處といはず。老僧念卽今在什麼處といはず。もともききしり、みとがむべき道處なり。しかあるを、しらずみず、國師の道處をきかずみず。かるがゆゑに、國師の身心をしらざるなり。道處あるを國師とせるがゆゑに、もし道處なきは國師なるべからざるがゆゑに。いはんや國師の身心は、大小にあらず、自他にあらざること、しるべからず。頂𩕳あること、鼻孔あること、わすれたるがごとし。國師たとひ行李ひまなくとも、いかでか作佛を圖せん。かるがゆゑに、佛を拈じて相待すべからず。

 國師すでに佛法の身心あり、神通修證をもて測度すべからず。絶慮忘緣を擧して擬議すべからず。商量不商量のあたれるところにあらざるべし。國師は有佛性にあらず、無佛性にあらず、虛空身にあらず。かくのごとくの國師の身心、すべてしらざるところなり。いま曹谿の會下には、靑原、南嶽のほかは、わづかに大證國師、その佛祖なり。いま五位の尊宿、おなじく勘破すべし。

 

 趙州いはく、國師は三藏の鼻孔上にあるがゆゑにみずといふ。この道處、そのいひなし。國師なにとしてか三藏の鼻孔上にあらん。三藏いまだ鼻孔あらず、もし三藏に鼻孔ありとゆるさば、國師かへりて三藏をみるべし。國師の三藏をみること、たとひゆるすとも、ただこれ鼻孔對鼻孔なるべし。三藏さらに國師と相見すべからず。

 玄沙いはく、只爲太近。

 まことに太近はさもあらばあれ、あたりにはいまだあたらず。いかならんかこれ太近。おもひやる、玄沙いまだ太近をしらず、太近を參ぜず。ゆゑいかんとなれば、太近に相見なしとのみしりて、相見の太近なることをしらず。いふべし、佛法におきて遠之遠なりと。もし第三度のみを太近といはば、前兩度は太遠在なるべし。しばらく玄沙にとふ、なんぢなにをよんでか太近とする。拳頭をいふか、眼睛をいふか。いまよりのち、太近にみるところなしといふことなかれ。

 仰山いはく、前兩度是渉境心、後入自受用三昧、所以不見。

 仰山なんぢ東土にありながら小釋迦のほまれを西天にほどこすといへども、いまの道取、おほきなる不是あり。渉境心と自受用三昧と、ことなるにあらず。かるがゆゑに、渉境心と自受用とのことなるゆゑにみず、といふべからず。しかあれば、自受用と渉境心とのゆゑを立すとも、その道取いまだ道取にあらず。自受用三昧にいれば、他人われをみるべからずといはば、自受用さらに自受用を證すべからず、修證あるべからず。仰山なんぢ前兩度は實に國師の所在を三藏みるとおもひ、しれりと學せば、いまだ學佛の漢にあらず。

 おほよそ大耳三藏は、第三度のみにあらず、前兩度も國師の所在はしらず、みざるなり。この道取のごとくならば、三藏の國師の所在をしらざるのみにあらず、仰山もいまだ國師の所在をしらずといふべし。しばらく仰山にとふ、國師卽今在什麼處。このとき、仰山もし開口を擬せば、まさに一喝をあたふべし。

 玄沙の徴にいはく、前兩度還見麼。

 いまこの前兩度還見麼の一言、いふべきをいふときこゆ。玄沙みづから自己の言句を學すべし。この一句、よきことはすなはちよし。しかあれども、ただこれ見如不見といはんがごとし。ゆゑに是にあらず。これをききて、

 雪竇明覺重顯禪師いはく、敗也、敗也。

 これ玄沙のいふところを道とせるとき、しかいふとも、玄沙の道は道にあらずとせんとき、しかいふべからず。

 海會端いはく、國師若在三藏鼻孔上、有什麼難見。殊不知、國師在三藏眼睛裏。

 これまた第三度を論ずるのみなり。前兩度もかつていまだみざることを、呵すべきを呵せず。いかでか國師を三藏の鼻孔上に、眼睛裏にあるともしらん。もし恁麼いはば、國師の言句いまだきかずといふべし。三藏いまだ鼻孔なし、眼睛なし。たとひ三藏おのれが眼睛鼻孔を保任せんとすとも、もし國師きたりて鼻孔眼睛裏にいらば、三藏の鼻孔眼睛、ともに當時裂破すべし。すでに裂破せば、國師の窟籠にあらず。

 五位の尊宿、ともに國師をしらざるなり。國師はこれ一代の古佛なり、一世界の如來なり。佛正法眼藏あきらめ正傳せり。木槵子眼たしかに保任せり。自佛に正傳し、他佛に正傳す。釋迦牟尼佛と同參しきたれりといへども、七佛と同時參究す。かたはらに三世諸佛と同參しきたれり、空王のさきの成道せり、空王ののちに成道せり。正當空王佛に同參成道せり。國師もとより裟婆世界を國土とせりといへども、裟婆かならずしも法界のうちにあらず、盡十方界のうちにあらず。釋迦牟尼佛の裟婆國の主なる、國師の國土をうばはず、罣礙せず。たとへば、前後の佛祖おのおのそこばくの成道あれど、あひうばはず、罣礙せざるがごとし。前後の佛祖の成道、ともに成道に罣礙せらるるがゆゑにかくのごとし。

 

 大耳三藏の國師をしらざるを證據として、聲聞緣覺人、小乘のともがら、佛祖の邊際をしらざる道理、あきらかに決定すべし。國師の三藏を叱する宗旨、あきらめ學すべし。

 いはゆるたとひ國師なりとも、前兩度は所在をしられ、第三度はわづかにしられざらんを叱せんはそのいひなし、三分に兩分しられんは全分をしれるなり。かくのごとくならん、叱すべきにあらず。たとひ叱すとも、全分の不知にあらず。三藏のおもはんところ、國師の懡なり。わづかに第三度しられずとて叱せんには、たれか國師を信ぜん。三藏の前兩度をしりぬるちからをもて、國師をも叱しつべし。

 國師の三藏を叱せし宗旨は、三度ながら、はじめてよりすべて國師の所在所念、身心をしらざるゆゑに叱するなり。この宗旨あるゆゑに、第一度より第三度にいたるまで、おなじことばにて問著するなり。

 第一番に三藏まうす、和尚是一國之師、何却去西川看競渡。しかいふに、國師いまだいはず、なんぢ三藏、まことに老僧所在をしれりとゆるさず。ただかさねざまに三度しきりに問するのみなり。この道理をしらずあきらめずして、國師よりのち數百歳のあひだ、諸方の長老、みだりに下語、説道理するなり。

 前來の箇箇、いふことすべて國師の本意にあらず、佛法の宗旨にかなはず。あはれむべし、前後の老古錐、おのおの蹉過せること。いま佛法のなかに、もし他心通ありといはば、まさに他身通あるべし、他拳頭通あるべし、他眼睛通あるべし。すでに恁麼ならば、まさに自心通あるべし、自身通あるべし。すでにかくのごとくならんには、自心の自拈、いまし自心通なるべし。かくのごとく道取現成せん、おのれづから心づからの他心通ならん。しばらく問著すべし、拈他心通也是、拈自心通也是。速道速道(他心通を拈ずる也た是なりや、自心通を拈ずる也た是なりや。速やかに道へ速やかに道へ)。

 是則且置、汝得吾髓、是他心通也(是なることは則ち且く置く、汝得吾髓、是れ他心通也)。

 

正法眼藏第七十三

 

 爾時寛元三年乙巳七月四日在越宇大佛寺示衆

 

 

正法眼藏第七十四 王索仙陀婆

 有句無句、如藤如樹。餧驢餧馬、透水透雲(有句も無句も、藤の如く樹の如し。驢に餧ひ馬に餧ふ、水を透り雲を透る)。

 すでに恁麼なるゆゑに、

 大般涅槃經中、世尊道、譬如大王告諸群臣仙陀婆來。仙陀婆者、一名四實。一者鹽、二者器、三者水、四者馬。如是四物、共同一名。有智之臣善知此名。若王洗時索仙陀婆、卽便奉水。若王食時索仙陀婆、卽便奉鹽。若王食已欲飮漿時索仙陀婆、卽便奉器。若王欲遊索仙陀婆、卽便奉馬。如是智臣、善解大王四種密語(大般涅槃經中に、世尊道はく、譬へば大王の、諸の群臣に仙陀婆來と告ぐるが如し。仙陀婆とは一名にして四實あり。一つには鹽、二つには器、三つには水、四つには馬なり。是の如くの四物、共同一名なり。有智の臣は善く此の名を知る。若し王、洗時に索仙陀婆せんには、卽便ち水を奉る。若し王、食時に索仙陀婆せんには、卽便ち鹽を奉る。若し王、食し已りて欲漿を飮まんとせん時索仙陀婆せんには、卽便ち器を奉る。若し王、遊ばんとして索仙陀婆せんには、卽便ち馬を奉る。是の如く智臣、善く大王の四種の密語を解するなり)。

 この王索仙陀婆ならびに臣奉仙陀婆、きたれることひさし、法服とおなじくつたはれり。世尊すでにまぬかれず擧拈したまふゆゑに、兒孫しげく擧拈せり。疑著すらくは、世尊と同參しきたれるは仙陀婆を履踐とせり、世尊と不同參ならば、更買草鞋行脚、進一歩始得(更に草鞋を買ひて行脚して、一歩を進めて始得なるべし)。すでに佛祖屋裏の仙陀婆、ひそかに漏泄して大王家裏に仙陀婆あり。

 

 大宋慶元府天童山宏智古佛上堂示衆云、擧、僧問趙州、王索仙陀婆時如何。趙州曲躬叉手(大宋慶元府天童山宏智古佛上堂の示衆に云く、擧す、僧趙州に問ふ、王索仙陀婆の時如何。趙州曲躬叉手す)。

 雪竇拈云、索鹽奉馬(雪竇拈じて云く、鹽を索むるに馬を奉れり)。

 師云、雪竇一百年前作家、趙州百二十歳古佛。趙州若是雪竇不是、雪竇若是趙州不是。且道、畢竟如何(雪竇は一百年前の作家、趙州は百二十歳の古佛なり。趙州若し是ならんには雪竇不是なり、雪竇若し是ならんには趙州不是なり。且く道ふべし、畢竟如何)。

 天童不免下箇注脚。差之毫釐、失之千里。會也打草驚蛇、不會也燒錢引鬼。荒田不揀老倶胝、只今信手拈來底(天童免れず箇の注脚を下さん。之に差ふこと毫釐ならば、之を失ふこと千里。會するも草を打つて蛇を驚かす、不會なるも錢を燒きて鬼を引く。荒田揀ばず老倶胝、只今手に信せて拈じ來る底なり)。

 先師古佛上堂のとき、よのつねにいはく、宏智古佛。

 しかあるを、宏智古佛を古佛と相見せる、ひとり先師古佛のみなり。宏智のとき、徑山の大慧禪師宗杲といふあり、南嶽の遠孫なるべし。大宋一國の天下おもはく、大慧は宏智にひとしかるべし、あまりさへ宏智よりもその人なりとおもへり。このあやまりは、大宋國内の道俗、ともに疎學にして、道眼いまだあきらかならず、知人のあきらめなし、知己のちからなきによりてなり。

 宏智のあぐるところ、眞箇の立志あり。

 趙州古佛、曲躬叉手の道理を參學すべし。正當恁麼時、これ王索仙陀婆なりやいなや、臣奉仙陀婆なりやいなや。

 雪竇の索鹽奉馬の宗旨を參學すべし。いはゆる索鹽奉馬、ともに王索仙陀婆なり、臣索仙陀婆なり。世尊索仙陀婆、迦葉破顔微笑なり。初祖索仙陀婆、四子、馬鹽水器を奉す。馬鹽水器のすなはち索仙陀婆なるとき、奉馬奉水する關棙子、學すべし。

 

 南泉一日見鄧隱峰來、遂指淨缾曰、淨缾卽境、缾中有水、不得動著境、與老僧將水來(南泉一日、鄧隱峰の來るを見て、遂に淨缾を指して曰く、淨缾は卽ち境なり、缾中に水有り、境を動著することを得ず、老僧が與に水を將ち來るべし)。

 峰遂將缾水、向南泉面前瀉(峰、遂に缾の水を將つて、南泉の面前に向つて瀉す)。

 泉卽休(泉、卽ち休す)。

 すでにこれ南泉索水、徹底海枯。隱峰奉器、缾漏傾湫(南泉水を索むる、底に徹し海枯る。隱峰器を奉る、缾漏れて湫を傾く)。しかもかくのごとくなりといへども、境中有水、水中有境を參學すべし。動水也未、動境也未。

 

 香嚴襲燈大師、因僧問、如何是王索仙陀婆(如何ならんか是れ王索仙陀婆)。

 嚴云、過遮邊來(遮邊を過ぎ來れ)。

 僧過去(僧、過ぎ去く)。

 嚴云、鈍置殺人。

 しばらくとふ、香嚴道底の過遮邊來、これ索仙陀婆なりや、奉仙陀婆なりや。試請道看(試みに道ひ看んことを請ふ)。

 ちなみに僧過遮邊去せる、香嚴の索底なりや、香嚴の奉底なりや、香嚴の本期なりや。もし本期にあらずは鈍置殺人といふべからず。もし本期ならば鈍置殺人なるべからず。香嚴一期の盡力道底なりといへども、いまだ喪身失命をまぬかれず。たとへばこれ敗軍之將さらに武勇をかたる。おほよそ説黄道黒、頂𩕳眼睛(黄と説き黒と道ふ、頂𩕳と眼睛と)、おのれづから仙陀婆の索奉、審審細細なり。拈拄杖、擧拂子、たれかしらざらんといひぬべし。しかあれども、膠柱調絃するともがらの分上にあらず。このともがら、膠柱調絃をしらざるがゆゑに、分上にあらざるなり。

 

 世尊一日陞座、文殊白槌云、諦觀法王法、法王法如是(世尊一日陞座したまふに、文殊白槌して云く、諦觀法王法、法王法如是)。

 世尊下座。

 雪竇山明覺禪師重顯云、

 列聖叢中作者知(列聖叢中、作者のみ知る)、

 法王法令不如欺(法王法令欺の如くならず)。

 衆中若有仙陀客(衆中若し仙陀の客有らんには)、

 何必文殊下一槌(何ぞ必ずしも文殊一槌を下さん)。

 しかあれば、雪竇道は、一槌もし渾身無孔ならんがごとくは、下了未下、ともに脱落無孔ならん。もしかくのごとくならんは、一槌すなはち仙陀婆なり。すでに恁麼人ならん、これ列聖一叢仙陀客なり。このゆゑに法王法如是なり。使得十二時、これ索仙陀婆なり。被十二時使、これ索仙陀婆なり。索拳頭、奉拳頭すべし。索拂子、奉拂子すべし。

 しかあれども、いま大宋國の諸山にある長老と稱ずるともがら、仙陀婆すべて夢也未見在なり。苦哉苦哉、祖道陵夷なり。苦學おこたらざれ、佛祖命脈まさに嗣續すべし。たとへば、如何是佛(如何ならんか是れ佛)といふがごとき、卽心是佛と道取する、その宗旨いかん。これ仙陀婆にあらざらんや。卽心是佛といふはたれといふぞと、審細に參究すべし。たれかしらん、仙陀婆の築著磕著なることを。

 

正法眼藏第七十四

 

 爾時寛元三年十月二十二日在越州大佛寺示衆

 

 

正法眼藏第七十五 出家

 禪苑淸規云、三世諸佛、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、傳佛心印、盡是沙門。蓋以嚴淨毘尼、方能洪範三界。然則、參禪問道、戒律爲先。既非離過防非、何以成佛作祖(禪苑淸規に云く、三世諸佛、皆な出家成道と曰ふ。西天二十八祖、唐土六祖、佛心印を傳ふるは、盡く是れ沙門なり。蓋し毘尼を嚴淨するを以て、方に能く三界に洪範たり。然れば則ち參禪問道は戒律爲先なり。既に過を離れ非を防ぐに非ざれば、何を以てか成佛作祖せん)。

 受戒之法、應備三衣鉢具并新淨衣物。如無新衣、浣染令淨、入壇受戒。不得借衣鉢。一心專注、愼勿異緣。像佛形儀、具佛戒律、得佛受用、此非小事、豈可輕心。若借衣鉢、雖登壇受戒、竝不得戒。若不曾受、一生爲無戒之人。濫廁空門、虛受信施。初心入道、法律未諳、師匠不言、陷人於此。今茲苦口、敢望銘心(受戒の法は、應に三衣、鉢具并に新淨の衣物を備ふべし。新衣無きが如きは、浣染して淨からしめて、入壇受戒すべし。衣鉢を借ること得ざれ。一心專注して、愼んで異緣なかるべし。佛の形儀を像り、佛の戒律を具す、佛受用を得。此れは小事に非ず、豈に輕心すべけんや。若し衣鉢を借らば、登壇受戒すと雖も竝びに得戒せず。若し曾受せずは、一生無戒の人爲り。濫りに空門に廁つて、虛しく信施を受けん。初心の入道は、法律未だ諳んぜず、師匠言はずは、人を此に陷さん。今茲に苦口す、敢へて望すらくは心に銘ずべし)。

 既受聲聞戒、應受菩薩戒。此入法之漸也(既に聲聞戒を受けては、應に菩薩戒を受くべし。此れ入法の漸なり)。

 あきらかにしるべし、諸佛諸祖の成道、ただこれ出家受戒のみなり。諸佛諸祖の命脈、ただこれ出家受戒のみなり。いまだかつて出家せざるものは、ならびに佛祖にあらざるなり。佛をみ、祖をみるとは、出家受戒するなり。

 

 摩訶迦葉、隨順世尊、志求出家、冀度諸有。佛言善來比丘、鬢髪自落、袈裟著體(摩訶迦葉、世尊に隨順して出家を志求す、諸有を度せんことを冀ふ。佛、善來比丘と言へば、鬢髪自落し、袈裟著體す)。

 ほとけを學して諸有を解脱するとき、みな出家受戒する勝躅、かくのごとし。

 

 大般若波羅蜜經第三云、

 佛世尊言、若菩薩摩訶薩、作是思惟、我於何時、當捨國位、出家之日、卽成無上正等菩提、還於是日、轉妙法輪。卽令無量無數有情、遠塵離垢、生淨法眼、復令無量無數有情、永盡諸漏、心慧解脱、亦令無量無數有情、皆於無上正等菩提、得不退轉。是菩薩摩訶薩、欲成斯事、應學般若波羅蜜(佛世尊言はく、若し菩薩摩訶薩是の思惟を作さん、我れ何れの時に於てか當に國位を捨て、出家せん日、卽ち無上正等菩提を成じ、還た是の日に於て妙法輪を轉ずべき。卽ち無量無數の有情をして遠塵離垢し、淨法眼を生ぜしめ、復た令無量無數の有情をして永く諸漏を盡くし、心慧解脱せしめ、亦た無量無數の有情をして皆な無上正等菩提に於て不退轉を得せしめん。是れ菩薩摩訶薩、斯の事を成ぜんと欲はば、應に般若波羅蜜を學すべし)。

 

 おほよそ無上菩提は、出家受戒のとき滿足するなり。出家の日にあらざれば成滿せず。しかあればすなはち、出家之日を拈來して、成無上菩提の日を現成せり。成無上菩提の日を拈出する、出家の日なり。この出家の翻筋斗する、轉妙法輪なり。この出家、すなはち無數有情をして無上菩提を不退轉ならしむるなり。しるべし、自利利他ここに滿足して、阿耨菩提不退不轉なるは、出家受戒なり。成無上菩提かへりて出家の日を成菩提するなり。まさにしるべし、出家の日は、一異を超越せるなり。出家の日のうちに、三阿僧祇劫を修證するなり。出家之日のうちに、住無邊劫海、轉妙法輪するなり。出家の日は、謂如食頃にあらず、六十小劫にあらず。三際を超越せり、頂𩕳を脱落せり。出家の日は、出家の日を超越せるなり。しかもかくのごとくなりといへども、籮籠打破すれば、出家の日すなはち出家の日なり。成道の日、すなはち成道の日なり。

 

 大論第十三曰、

 佛在祇洹、有醉婆羅門、來至佛所、欲作比丘。佛敕諸比丘、與剃頭著袈裟。酒醒驚怪見身、變異忽爲比丘、卽便走去(佛祇洹に在しますに、醉婆羅門有つて佛所に來至し、比丘と作らんことを欲ひき。佛、諸比丘に敕して、剃頭を與へ、袈裟を著せしむ。酒醒めて身を見るに、變異して忽ちに比丘と爲れることを驚怪し、卽便ち走り去りぬ)。

 諸比丘問奉佛、何以聽此醉婆羅門、而作比丘、而今歸去(諸比丘佛に問ひ奉らく、何を以てか此の醉婆羅門を聽して比丘と作し、而も今歸去するや)。

 佛言、此婆羅門、無量劫中、無出家心。今因醉後、暫發微心、爲此緣故、後出家(佛言はく、此の婆羅門は、無量劫中にも出家の心無し。今醉後に因つて暫く微心を發す。此の緣の爲の故に、後に出家すべし)。

 如是種種因緣、出家破戒、猶勝在家持戒。以在家戒不爲解脱(是の如く種種の因緣ありて、出家の破戒は猶在家の持戒に勝れたり。在家の戒は、解脱の爲ならざるを以てなり)。

 佛敕の宗旨あきらかにしりぬ、佛化はただ出家それ根本なり。いまだ出家せざるは佛法にあらず。如來在世、もろもろの外道、すでにみづからが邪道をすてて佛法に歸依するとき、かならずまづ出家をこふしなり。

 世尊あるいはみづから善來比丘とさづけまします、あるいは諸比丘に敕して剃頭鬚髪、出家受戒せしめましますに、ともに出家受戒の法、たちまちに具足せしなり。

 しるべし、佛化すでに身心にかうぶらしむるとき、頭髪自落し、袈裟覆體するなり。もし諸佛いまだ聽許しましまさざるには、鬚髪剃除せられず、袈裟覆體せられず、佛戒受得せられざるなり。しかあればすなはち、出家受戒は、諸佛如來の親受記なり。

 

 釋迦牟尼佛言、

 諸善男子、如來見諸衆生樂於小法、徳薄垢重者、爲是人説、我小出家、得阿耨多羅三藐三菩提。然我實成佛已來、久遠若斯。但以方便教化衆生、令入佛道、作如是説(諸の善男子、如來、諸の衆生の小法を樂ひ、徳薄垢重なる者を見たまひて、是の人の爲に説きたまはく、我れ小きより出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たり。然るに我れ實に成佛してよりこのかた、久遠なること斯の若し。但だ方便を以て衆生を教化し、佛道に入らしめんとして、是の如くの説を作す)。

 しかあれば、久遠實成は我小出家なり、得阿耨多羅三藐三菩提は我小出家なり。我小出家を擧拈するに、徳薄垢重の樂小法する衆生、ならびに我小出家するなり。我小出家の説法を見聞參學するところに、見佛阿耨多羅三藐三菩提なり。樂小法の衆生を救度するとき、爲是人説、我小出家、徳阿耨多羅三藐三菩提なり。

 しかもかくのごとくなりといふとも、畢竟じてとふべし、出家功徳、それいくらばかりなるべきぞ。

 かれにむかうていふべし、頂𩕳許なり。

 

正法眼藏第七十五

 

 爾時寛元四年丙午九月十五日在越于永平寺示衆

 右出家後、有御龍草本、以之可書改之。仍可破之

 

 

十二巻正法眼藏

正法眼藏第一 出家功徳

 龍樹菩薩言、

 問曰、若居家戒、得生天上、得菩薩道、亦得涅槃。復何用出家戒(問うて曰く、居家戒の若きは、天上に生ずることを得、菩薩の道を得、亦た涅槃を得。復た何ぞ出家戒を用ゐんや)。

 答曰、雖倶得度、然有難易。居家生業、種種事務。若欲專心道法家業則癈、若專修家業道事則癈。不取不捨、能應行法、是名爲難。若出家、離俗絶諸忿亂、一向專心行道爲易(答へて曰く、倶に得度すと雖も、然も難易有り。居家は生業、種種の事務あり。若し道法に專心せんと欲へば、家業則ち癈す、若し家業を專修すれば道事則ち癈す。取せず捨せずして能く應に法を行ずべし、是れを名づけて難と爲す。若し出家なれば、俗を離れて諸の忿亂を絶し、一向專心に行道するを易と爲す)。

 復次居家、憒鬧多事多務。結使之根、衆罪之府、是爲甚難。若出家者、譬若有人出在空野無人之處、而一其心、無心無慮。内想既除、外事亦去。如偈説(復た次に居家は、憒鬧にして多事多務なり。結使の根、衆罪の府なり、是れを甚難と爲す。出家の若きは、譬へば、人有りて、出でて空野無人の處に在りて、其の心を一にして、心無く慮無きが若し。内想既に除こほり、外事亦た去りぬ。偈に説くが如し)。

 閑坐林樹間、寂然滅衆惡(林樹の間に閑坐すれば、寂然として衆惡を滅す)、

 恬澹得一心、斯樂非天樂(恬澹として一心を得たり、斯の樂は天の樂に非ず)。

 人求富貴利、名衣好牀褥(人は富貴の利、名衣、好牀褥を求む)、

 斯樂非安穩、求利無厭足(斯の樂は安穩に非ず、利を求むれば厭足無し)。

 衲衣行乞食、動止心常一(衲衣にして乞食を行ずれば、動止、心、常に一なり)、

 自以智慧眼、觀知諸法實(自ら智慧の眼を以て、諸法の實を觀知す)。

 種種法門中、皆以等觀入(種種の法門の中に、皆な以て等しく觀入す)、

 解慧心寂然、三界無能及(解慧の心寂然として、三界に能く及ぶもの無し)。

 以是故知、出家修戒行道、爲甚易(是れを以ての故に知りぬ、出家して戒を修し行道するを、甚易なりと爲す)。

 

 復次出家修戒、得無量善律儀、一切具足滿。以是故、白衣等應當出家受具足戒(復た次に出家して戒を修すれば、無量の善律儀を得、一切具足して滿ず。是れを以ての故に、白衣等應當に出家して具足戒を受くべし)。

 復次佛法中、出家法第一難修(復た次に佛法の中には、出家の法第一に修し難し)。

 如閻浮呿提梵志問舍利弗、於佛法中、何者最難(閻浮呿提梵志の舍利弗に問ひしが如き、佛法の中に、何者か最も難き)。

 舍利弗答曰、出家爲難(出家を難しと爲す)。

 又問、出家有何等難(出家には何等の難きことか有る)。

 答曰、出家内樂爲難(出家は内樂を難しと爲す)。

 既得内樂、復次何者爲難(既に内樂を得ぬれば、復た次に何者をか難しと爲す)。

 修諸善法難(諸の善法を修すること難し)。

 以是故應出家(是れを以ての故に、應に出家すべし)。

 復次若人出家時、魔王驚愁言、此人諸結使欲薄、必得涅槃、墮僧寶數中(復た次に若し人出家せん時、魔王驚愁して言く、此の人は諸の結使薄らぎなんず、必ず涅槃を得て、僧寶の數中に墮すべし)。

 

 復次佛法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解脱、如優鉢羅華比丘尼本生經中説(復た次に佛法の中の出家人は、破戒して墮罪すと雖も、罪畢りぬれば解脱を得ること、優鉢羅華比丘尼本生經の中に説くが如し)。

 佛在世時、此比丘尼、得六神通阿羅漢。入貴人舍、常讃出家法、語諸貴人婦女言、姉妹、可出家(佛在世の時、此の比丘尼、六神通阿羅漢を得たり。貴人の舍に入りて、常に出家の法を讃めて、諸の貴人婦女に語りて言く、姉妹、出家すべし)。

 諸貴婦女言、我等少壯、容色盛美、持戒爲難、或當破戒(諸の貴婦女言く、我等少壯して、容色盛美なり、持戒を難しと爲す、或いは當に破戒すべし)。

 比丘尼言、破戒便破、但出家(戒を破らば便ち破すべし、但だ出家すべし)。

 問言、破戒當墮地獄、云何可破(戒を破らば當に地獄に墮すべし、云何が破すべき)。

 答言、墮地獄便墮(地獄に墮さば便ち墮すべし)。

 諸貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮(諸貴婦女、之を笑つて言く、地獄にては罪を受く、云何が墮すべき)。

 比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種種衣服而説舊語。或時著比丘尼衣、以爲戲笑。以是因緣故、迦葉佛時、作比丘尼。自恃貴姓端正、心生憍慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種種罪。受畢竟値釋迦牟尼佛出家、得六神通阿羅漢道(比丘尼言く、我れ自ら本宿命の時を憶念するに、戲女と作り、種種の衣服を著して舊語を説きき。或る時比丘尼衣を著して、以て戲笑を爲しき。是の因緣を以ての故に、迦葉佛の時、比丘尼と作りぬ。自ら貴姓端正なるを恃んで、心に憍慢を生じ、而も禁戒を破りつ。禁戒を破りし罪の故に、地獄に墮して種種の罪を受けき。受け畢竟りて釋迦牟尼佛に値ひたてまつりて出家し、六神通阿羅漢道を得たり)。

 以是故知、出家受戒、雖復破戒、以戒因緣故、得阿羅漢道。若但作惡無戒因緣、不得道也。我乃昔時、世世墮地獄、從地獄出爲惡人。惡人死還入地獄、都無所得。今以此證知、出家受戒、雖復破戒、以是因緣、可得道果(是れを以ての故に知りぬ、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、戒の因緣を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但だ惡を作して戒の因緣無からんには、道を得ざるなり。我れ乃ち昔時、世世に地獄に墮し、地獄より出でては惡人爲り。惡人死して還た地獄に入りて、都て所得無かりき。今此れを以て證知す、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、是の因緣を以て、道果を得べしといふことを)。

 

 復次如佛在祇桓、有一醉婆羅門。來到佛所、求作比丘。佛敕阿難、與剃頭著法衣。醉酒既醒、驚怪己身忽爲比丘、卽便走去(復た次に佛、祇桓に在ししが如き、一りの醉婆羅門有りき。佛の所に來到りて比丘と作らんことを求む。佛、阿難に敕して、剃頭を與へ法衣を著せしむ。醉酒既に醒めて、己が身の忽ちに比丘と爲れるを驚怪し、卽便ち走り去りぬ)。

 諸比丘問佛、何以聽此婆羅門作比丘(諸比丘、佛に問ひたてまつらく、何を以てか此の婆羅門を聽して比丘と作したまひしや)。

 佛言、此婆羅門、無量劫中、初無出家心、今因醉後、暫發微心。以此因緣故、後當出家得道(佛言はく、此の婆羅門は、無量劫の中にも、初めより出家の心無し、今醉に因るが故に、暫く微心を發せり。此の因緣を以ての故に、後に當に出家得道すべし)。

 如是種種因緣、出家之功徳無量。以是白衣雖有五戒、不如出家(是の如くの種種の因緣ありて、出家の功徳無量なり。是れを以て白衣に五戒有りと雖も、出家には如かず)。

 

 世尊すでに醉婆羅門に出家受戒を聽許し、得道最初の下種とせしめまします。あきらかにしりぬ、むかしよりいまだ出家の功徳なからん衆生、ながく佛果菩提うべからず。この婆羅門、わづかに醉酒のゆゑに、しばらく微心をおこして剃頭受戒し、比丘となれり。酒醉さめざるあひだ、いくばくにあらざれども、この功徳を保護して、得道の善根を増長すべきむね、これ世尊誠諦の金言なり、如來出世の本懷なり。一切衆生あきらかに已今當の中に信受奉行したてまつるべし。まことにその發心得道、さだめて刹那よりするものなり。この婆羅門しばらくの出家の功徳、なほかくのごとし。いかにいはんやいま人間一生の壽者命者をめぐらして出家受戒せん功徳、さらに醉婆羅門よりも劣ならめやは。

 轉輪聖王は八萬歳以上のときにいでて四州を統領せり、七寶具足せり。そのとき、この四州みな淨土のごとし。輪王の快樂、ことばのつくすべきにあらず。あるいは三千界統領するもありといふ、金銀銅鐵輪の別ありて、一二三四州の統領あり。かならず身に十惡なし。この轉輪聖王、かくのごときの快樂にゆたかなれども、かうべにひとすぢの白髪おひぬれば、くらゐを太子にゆづりて、わがみ、すみやかに出家し、袈裟を著して山林にいり、修練し、命終すればかならず梵天にむまる。このみづからがかうべの白髪を銀凾にいれて、王宮にをさめたり。のちの輪王に相傳す。のちの輪王、また白髪おひぬれば先王に一如なり。轉輪聖王の出家ののち、餘命のひさしきこと、いまの人にたくらぶべからず。すでに輪王八萬上といふ、その身に三十二相を具せり、いまの人およぶべからず。しかあれども、白髪をみて無常をさとり、白業を修して功徳を成就せんがために、かならず出家修道するなり。いまの諸王、轉輪聖王におよぶべからず。いたづらに光陰を貪欲の中にすごして出家せざるは、來世くやしからん。いはんや小國邊地は、王者の名あれども王者の徳なし、貪じてとどまるべからず。出家修道せば、諸天よろこびまぼるべし、龍神うやまひ保護すべし。諸佛の佛眼あきらかに證明し、隨喜しましまさん。

 戲女のむかしは信心にあらず、戲笑のために比丘尼の衣を著せり。おそらくは輕法の罪あるべしといへども、この衣をそのみに著せしちから、二世に佛法にあふ。比丘尼衣とは袈裟なり。戲笑著袈裟のちからによりて、第二生迦葉佛のときにあふたてまつる。出家受戒し、比丘尼となれり。破戒によりて墮獄受罪すといへども、功徳くちずしてつひに釋迦牟尼佛にあひたてまつり、見佛聞法、發心修習して、ながく三界をはなれて大阿羅漢となれり、六通三明を具足せり、かならず無上道なるべし。

 しかあればすなはち、はじめより一向無上菩提のために、淸淨の信心をこらして袈裟を信受せん。その功徳の増長、かの戲女の功徳よりもすみやかならん。いはんやまた、無上菩提のために菩提心をおこし出家受戒せん、その功徳無量なるべし。人身にあらざればこの功徳を成就することまれなり、西天東土、出家在家の菩薩、祖師おほしといふとも、龍樹祖師におよばず。醉婆羅門、戲女等の因緣、もはら龍樹祖師これを擧して衆生の出家受戒をすすむ、龍樹祖師すなはち世尊金口の所記なり。

 

 世尊言、南州有四種最勝。一見佛、二聞法、三出家、四得道(南州に四種の最勝有り。一に見佛、二に聞法、三に出家、四に得道)。

 あきらかにしるべし、この四種最勝、すなはち北州にもすぐれ、諸天にもすぐれたり。いまわれら宿善根力にひかれて最勝の身をえたり、歡喜隨喜して出家受戒すべきものなり。最勝の善身をいたづらにして、露命を無常の風にまかすることなかれ。出家の生生をかさねば、積功累徳ならん。

 

 世尊言、於佛法中、出家果報不可思議。假使有人起七寶塔、高至三十三天、所得功徳、不如出家。何以故。七寶塔者、貪惡愚人能破壞故。出家功徳無有壞毀。是故若教男女、若放奴婢、若聽人民、若自己身、出家入道者、功徳無量(世尊言はく、佛法の中に於て、出家の果報不可思議なり。假使人有りて七寶の塔を起てて、高さ三十三天に至るも、得る所の功徳、出家には如かず。何を以ての故に。七寶の塔は貪惡の愚人能く破壞するが故に。出家の功徳は壞毀すること有ること無し。是の故に若しは男女を教へ、若しは奴婢を放し、若しは人民を聽し、若しは自己の身をもて、出家し入道せば、功徳無量なり)。

 世尊あきらかに功徳の量をしろしめて、かくのごとく校量しまします。福増これをききて、一百二十歳の耄及なれども、しひて出家受戒し、少年の席末につらなりて修練し、大阿羅漢となれり。

 しるべし、今生の人身は、四大五蘊、因緣和合してかりになせり、八苦つねにあり。いはんや刹那刹那に生滅してさらにとどまらず、いはんや一彈指のあひだに六十五の刹那生滅すといへども、みづからくらきによりて、いまだしらざるなり。すべて一日夜があひだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて五蘊生滅すといへども、しらざるなり。あはれむべし、われ生滅すといへども、みづからしらざること。この刹那生滅の量、ただ佛世尊ならびに舍利弗とのみしらせたまふ。餘聖おほかれども、ひとりもしるところにあらざるなり。この刹那生滅の道理によりて、衆生すなはち善惡の業をつくる、また刹那生滅の道理によりて、衆生發心得道す。

 かくのごとく生滅する人身なり、たとひをしむともとどまらじ。むかしよりをしんでとどまれる一人いまだなし。かくのごとくわれにあらざる人身なりといへども、めぐらして出家受戒するがごときは、三世の諸佛の所證なる阿耨多羅三藐三菩提、金剛不壞の佛果を證するなり。たれの智人か欣求せざらん。これによりて、過去日月燈明佛の八子、みな四天下を領する王位をすてて出家す。大通智勝佛の十六子、ともに出家せり。大通入定のあひだ、衆のために法華をとく、いまは十方の如來となれり。父王轉輪聖王の所將衆中八萬億人も、十六王子の出家をみて出家をもとむ、輪王すなはち聽許す。妙莊嚴の二子ならびに父王、夫人、みな出家せり。

 しるべし、大聖出現のとき、かならず出家するを正法とせりといふこと、あきらけし。このともがら、おろかにして出家せりといふべからず、賢にして出家せりとしらば、ひとしからんことをおもふべし。今釋迦牟尼佛のときは、羅睺羅、阿難等みな出家し、また千釋の出家あり、二萬釋の出家あり、勝躅といふべし。はじめ五比丘出家より、をはり須跋陀羅が出家にいたるまで、歸佛のともがらすなはち出家す。しるべし、無量の功徳なりといふこと。

 しかあればすなはち、世人もし子孫をあはれむことあらば、いそぎ出家せしむべし。父母をあはれむことあらば、出家をすすむべし。かるがゆゑに偈にいはく、

 若無過去世(若し過去世無からんには)、

 應無過去佛(應に過去佛無かるべし)。

 若無過去佛(若し過去佛無からんには)、

 無出家受具(出家受具無けん)。

 この偈は、諸佛如來の偈なり、外道の過去世なしといふを破するなり。しかあればしるべし、出家受具は過去諸佛の法なり。われらさいはひに諸佛の妙法なる出家受戒するときにあひながら、むなしく出家受戒せざらん、何のさはりによるとしりがたし。最下品の依身をもて、最上品の功徳を成就せん、閻浮提および三界の中には最上品の功徳なるべし。この閻浮の人身いまだ滅せざらんとき、かならず出家受戒すべし。

 

 古聖云、出家之人、雖破禁戒、猶勝在俗受持戒者。故經偏説、勸人出家、其恩難報(古聖云く、出家の人は、禁戒を破ると雖も、猶ほ在俗にして戒を受持せん者に勝る。故に經に偏に説かく、人を勸めて出家せしむる、其の恩報じ難し)。

 復次、勸出家者、卽是勸人修尊重業。所得果報、勝琰魔王、輪王、帝釋。故經偏説、勸人出家、其恩難報(復た次に、出家を勸むる者は、卽ち是れ人を勸めて尊重業を修せしむ。所得の果報、琰魔王、輪王、帝釋にも勝る。故に經に偏に説かく、人を勸めて出家せしむる、其の恩報じ難し)。

 勸人受持近事戒等、無如是事、故經不證(人を勸めて近事戒等を受持せしめんには、是の如くの事無し、故に經に證せず)。

 しるべし、出家して禁戒を破すといへども、在家にて戒をやぶらざるにはすぐれたり。歸佛かならず出家受戒すぐれたるべし。出家をすすむる果報、琰魔王にもすぐれ、輪王にもすぐれ、帝釋にもすぐれたり。たとひ毘舍、首陀羅なれども、出家すれば刹利にもすぐるべし。なほ琰魔王にもすぐれ、輪王にもすぐれ、帝釋にもすぐる。在家戒かくのごとくならず、ゆゑに出家すべし。

 しるべし、世尊の所説、はかるべからざるを。世尊および五百大阿羅漢、ひろくあつめたり。まことにしりぬ、佛法におきて道理あきらかなるべしといふこと。一聖、三明、六通の智慧、なほ近代の凡師のはかるべきにあらず、いはんや五百の聖者をや。近代の凡師らがしらざるところをしり、みざるところをみ、きはめざるところをきはめたりといへども、凡師らがしれるところ、しらざるにあらず。しかあれば、凡師の黒闇愚鈍の説をもて、聖者三明の言に比類することなかれ。

 

 婆沙一百二十云、發心出家尚名聖者、況得忍法(發心出家するすら尚ほ聖者と名づく、況んや忍法を得んや)。

 しるべし、發心出家すれば聖者となづくるなり。

 

 釋迦牟尼佛五百大願のなかの第一百三十七願、我未來、成正覺已、或有諸人、於我法中欲出家者、願無障礙。所謂羸劣、失念、狂亂、憍慢、無有畏懼、癡無智惠、多諸結使、其心散亂、若不爾者、不成正覺(我れ未來に正覺を成じ已らんに、或し諸人有りて、我が法中に於て出家せんと欲はん者、願、障礙無けん。所謂羸劣、失念、狂亂、憍慢にして、畏懼有ること無く、癡にして智惠無く、諸の結使多く、其の心散亂せらんにも、若し爾らざれば、正覺を成ぜじ)。

 第一百三十八願、我未來、成正覺已、或有女人、欲於我法出家學道、受大戒者、願令成就。若不爾者、不成正覺(第一百三十八願に、我れ未來に正覺を成じ已らんに、或し女人有りて、我が法に於て出家學道し、大戒を受けんと欲はん者、願、成就せしめん。若し爾らざれば、正覺を成ぜじ)。

 第三百十四願、我未來、成正覺已、若有衆生、少於善根、於善根中、心生愛樂、我當令其於未來世、在佛法中、出家學道。安止令住梵淨十戒。若不爾者、不成正覺(第三百十四願に、我れ未來に正覺を成じ已らんに、若し衆生有りて、善根に少け、善根の中に於て心、愛樂を生ぜん、我れ當に其をして未來世に、佛法の中に在りて出家學道せしむべし。安止して梵淨の十戒に住せしめん。若し爾らざれば、正覺を成ぜじ)。

 しるべし、いま出家する善男子善女人、みな世尊の往昔の大願力にたすけられて、さはりなく出家受戒することをえたり。如來すでに誓願して出家せしめまします、あきらかにしりぬ、最尊最上の大功徳なりといふことを。

 

 佛言、及有依我剃除鬚髪、著袈裟片、不受戒者、供養是人、亦得乃至入無畏城。以是緣故、我如是説(佛言はく、及び我れに依りて鬚髪を剃除し、袈裟片を著して、受戒せざらん者有らん、是の人を供養するも、亦た乃至無畏城に入ることを得ん。是の緣を以ての故に、我れ是の如く説く)。

 あきらかにしる、剃除鬚髪して袈裟を著せば、戒をうけずといふとも、これを供養せん人、無畏城にいらん。

 又云、若復有人、爲我出家、不得禁戒、剃除鬚髪、著袈裟片、有以非法惱害此者、乃至破壞三世諸佛法身報身、乃至盈滿三惡道故(又云く、若し復た人有りて、我が爲に出家して禁戒を得ざるも、鬚髪を剃除し、袈裟片を著せん、非法を以て此れを惱害する者有らば、乃至三世諸佛の法身報身を破壞するなり、乃至三惡道盈滿するが故に)。

 佛言、若有衆生、爲我出家、剃除鬚髪、被服袈裟、設不持戒、彼等悉已爲涅槃印之所印也(佛言はく、若し衆生有りて、我が爲に出家し、鬚髪を剃除し、袈裟を被服せん、設ひ戒を持たざらんも、彼等悉く已に涅槃の印の爲に印せらるる也)。

 若復出家、不持戒者、有以非法、而作惱亂、罵辱、毀呰、以手刀杖打縛斫截、若奪衣鉢、及奪種種資生具者、是人則壞三世諸佛眞實報身、則挑一切人天眼目。是人爲欲隱沒諸佛所有正法三寶種故。令諸天人不得利益墮地獄故。爲三惡道増長盈滿故(若し復た出家して、戒を持たざらん者、非法を以て惱亂、罵辱、毀呰を作し、手に刀杖を以て打縛斫截し、若しは衣鉢を奪ひ、及び種種の資生の具を奪ふ者有らん、是の人は則ち三世諸佛の眞實の報身を壞するなり、則ち一切人天の眼目を挑るなり。是の人は諸佛所有の正法、三寶の種を隱沒せんとするが爲の故に。諸の天人をして利益を得ず、地獄に墮せしむるが故に。三惡道増長盈滿するが爲の故に)。

 しるべし、剃髪染衣すれば、たとひ不持戒なれども、無上大涅槃の印のために印せらるるなり。ひとこれを惱亂すれば、三世諸佛の報身を壞するなり。逆罪とおなじかるべし。あきらかにしりぬ、出家の功徳、ただちに三世諸佛にちかしといふことを。

 

 佛言、夫出家者、不應起惡。若起惡者、則非出家。出家之人、身口相應。若不相應、則非出家。我棄父母、兄弟、妻子、眷屬、知識、出家修道。正是修集諸善覺時、非是修集不善覺時。善覺者、憐愍一切衆生、猶如赤子。不善覺者、與此相違(佛言はく、夫れ出家は、應に惡を起すべからず。若し惡を起さば、則ち出家に非ず。出家の人は、身口相應すべし。若し相應せざれば、則ち出家に非ず。我れ父母、兄弟、妻子、眷屬、知識を棄てて、出家修道す。正に是れ諸の善覺を修集すべき時なり、是れ不善覺を修集すべき時に非ず。善覺とは、一切衆生を憐愍すること、猶ほ赤子の如し。不善覺とは、此と相違す)。

 それ出家の自性は、憐愍一切衆生、猶如赤子なり。これすなはち不起惡なり、身口相應なり。その儀すでに出家なるがごときは、その徳いまかくのごとし。

 

 佛言、復次舍利弗、菩薩摩訶薩、若欲出家日、卽成阿耨多羅三藐三菩提、卽是日轉法輪、轉法輪時、無量阿僧祇衆生、遠塵離垢、於諸法中、得法眼淨、無量阿僧祇衆生、得一切法不受故、諸漏心得解脱、無量阿僧祇衆生、於阿耨多羅三藐三菩提、得不退轉、當學般若波羅蜜(佛言はく、復た次に舍利弗、菩薩摩訶薩、若し出家の日に、卽ち阿耨多羅三藐三菩提を成じ、卽ち是の日に轉法輪し、轉法輪の時、無量阿僧祇の衆生、遠塵離垢し、諸法の中に於て、法眼淨を得、無量阿僧祇の衆生、一切法不受を得るが故に、諸漏の心、解脱を得、無量阿僧祇の衆生、阿耨多羅三藐三菩提に於て、不退轉を得んと欲はば、當に般若波羅蜜を學すべし)。

 いはゆる學般若菩薩とは祖祖なり。しかあるに、阿耨多羅三藐三菩提は、かならず出家卽日に成熟するなり。しかあれども、三阿僧祇劫に修證し、無量阿僧祇に修證するに、有邊無邊に染汚するにあらず。學人しるべし。

 

 佛言、若菩薩摩訶薩、作是思惟、我於何時、當捨國位、出家之日、卽成無上正等菩提、還於是日、轉妙法輪、卽令無量無數有情、遠塵離垢、生淨法眼。復令無量無數有情、永盡諸漏、心慧解脱、亦令無量無數有情、皆於無上正等菩提、得不退轉。是菩薩摩訶薩、欲成斯事、應學般若波羅蜜(佛言はく、若し菩薩摩訶薩、是の思惟を作さく、我れ何れの時に於てか、當に國位を捨て、出家の日、卽ち無上正等菩提を成じ、還た是の日に於て妙法輪を轉じ、卽ち無量無數の有情をして遠塵離垢し、淨法眼を生ぜしむべき。復た無量無數の有情をして永く諸漏を盡くし、心慧解脱せしめん。亦た無量無數の有情をして、皆な無上正等菩提に於て不退轉を得せしめん。是の菩薩摩訶薩、斯の事を成らんと欲はば、應に般若波羅蜜を學すべし)。

 これすなはち最後身の菩薩として、王宮に降生し、捨國位、成正覺、轉法輪、度衆生の功徳を宣説しましますなり。

 

 悉達太子、從車匿邊、索取摩尼雜餝莊嚴七寶把刀、自以右手、執於彼刀、從鞘拔出、卽以左手、攬捉紺靑優鉢羅色螺髻之髪、右手自持利刀割取、以右手擎、擲置空中。時天帝釋、以希有心、生大歡喜、捧太子髻、不令墮地、以天妙衣、承受接取。爾時諸天、以彼勝上天諸供具、而供養之(悉達太子、車匿が邊より、摩尼雜餝莊嚴の七寶の把刀を索取し、自ら右の手を以て彼の刀を執り、鞘より拔き出し、卽ち左の手を以て、紺靑の優鉢羅色の螺髻の髪を攬捉て、右手に自ら利刀を持ちて割取し、右手を以て擎げて空中に擲置せり。時に天帝釋、希有の心を以て大歡喜を生じ、太子の髻を捧げて地に墮せしめず、天の妙衣を以て承受接取つ。爾の時に諸天、彼の上天に勝れたる諸の供具を以て之を供養せり)。

 

 これ釋迦如來そのかみ太子のとき、夜半に踰城し、日たけてやまにいたりて、みづから頭髪を斷じまします。ときに淨居天きたりて頭髪を剃除したてまつり、袈裟をさづけたてまつれり。これかならず如來出世の瑞相なり、諸佛世尊の常法なり。

 三世十方諸佛、みな一佛としても、在家成佛の諸佛ましまさず。過去有佛のゆゑに、出家受戒の功徳あり。衆生の得道、かならず出家受戒によるなり。おほよそ出家受戒の功徳、すなはち諸佛の常法なるがゆゑに、その功徳無量なり。聖教のなかに在家成佛の説あれど正傳にあらず、女身成佛の説あれどまたこれ正傳にあらず、佛祖正傳するは出家成佛なり。

 

 第四優婆毱多尊者、有長者子、名曰提多伽。來禮尊者、志求出家(第四優婆毱多尊者、長者子有り、名を提多伽と曰ふ。來りて尊者を禮し、出家を志求せり)。

 尊者曰、汝身出家耶、心出家(汝、身の出家なりや、心の出家なりや)。

 答曰、我來出家、非爲身心(我れ來りて出家する、身心の爲にあらず)。

 尊者曰、不爲身心、復誰出家(身心の爲にあらずは、復た誰か出家する)。

 答曰、夫出家者、無我我所故、卽心不生滅、心不生滅故、卽是常道。諸佛亦常心無形相、其躰亦然(夫れ出家は、我と我所と無きが故に、卽ち心、生滅せず。心、生滅せざる故に、卽ち是れ常道なり。諸佛も亦た常に心、形相無く、其の躰も亦た然り)。

 尊者曰、汝當大悟心自通達。宜依佛法僧紹隆聖種(汝當に大悟して心、自ら通達すべし。宜しく佛法僧に依りて聖種を紹隆すべし)。

 卽與出家受具(卽ち與に出家受具せしめたり)。

 それ諸佛の法にあふたてまつりて出家するは、最第一の勝果報なり。その法すなはち我のためにあらず、我所のためにあらず。身心のためにあらず、身心の出家するにあらず。出家の我我所にあらざる道理かくのごとし。我我所にあらざれば諸佛の法なるべし。ただこれ諸佛の常法なり。諸佛の常法なるがゆゑに、我我所にあらず、身心にあらざるなり。三界のかたをひとしくするところにあらず。かくのごとくなるがゆゑに、出家これ最上の法なり。頓にあらず、漸にあらず。常にあらず、無常にあらず。來にあらず、去にあらず。住にあらず、作にあらず。廣にあらず、狹にあらず。大にあらず、小にあらず、無作にあらず。佛法單傳の祖師、かならず出家受戒せずといふことなし。いまの提多伽、はじめて優婆毱多尊者にあふたてまつりて出家をもとむる道理かくのごとし。出家受具し、優婆毱多に參學し、つひに第五祖師となれり。

 

 第十七祖僧伽難提尊者、室羅閥城寶莊嚴王之子也。生而能言、常讃佛事。七歳卽厭世樂、以偈告其父母曰(第十七祖僧伽難提尊者は、室羅閥城寶莊嚴王の子なり。生れて能く言ひ、常に佛事を讃む。七歳にして卽ち世樂を厭ひ、偈を以て其の父母に告げて曰く)、

 稽首大慈父(稽首す大慈父)、

 和南骨血母(和南す骨血母)。

 我今欲出家(我れ今出家せんと欲ふ)、

 幸願哀愍故(幸願はくは哀愍したまふが故に)。

 父母固止之。遂終日不食。乃許其在家出家、號僧伽難提、復命沙門禪利多、爲之師。積十九載、未甞退倦。尊者毎自念言、身居王宮、胡爲出家(父母固く之れを止む。遂に終日食はず。乃ち其の家に在りて出家せんことを許す。僧伽難提と號け、復た沙門禪利多に命じて之が師たらしむ。十九載を積むに、未だ甞て退倦せず。尊者毎に自ら念言すらく、身、王宮に居す、胡んぞ出家たらん)。

 一夕天光下屬、見一路坦平。不覺徐行約十里許、至大岩前有石窟焉。乃燕寂于中。父既失子、卽擯禪利多、出國訪尋其子、不知所在。經十年、尊者得法授記已、行化至摩提國(一夕、天光下り屬し、一路坦平なるを見る。覺えず徐ろに行くこと約十里許りにして、大岩の前に至るに石窟有り焉。乃ち中に燕寂せり。父、既に子を失ひ、卽ち禪利多を擯し、國を出でて其の子を訪尋ねしむるも、所在を知らず。十年を經て、尊者、得法授記し已りて、行化して摩提國に至る)。

 在家出家の稱、このときはじめてきこゆ。ただし宿善のたすくるところ、天光のなかに坦路をえたり。つひに王宮をいでて石窟にいたる。まことに勝躅なり。世樂をいとひ俗塵をうれふるは聖者なり。五欲をしたひ出離をわするるは凡愚なり。代宗、肅宗、しきりに僧徒にちかづけりといへども、なほ王位をむさぼりていまだなげすてず。盧居士はすでに親を辭して祖となる、出家の功徳なり。龐居士はたからをすててちりをすてず、至愚なりといふべし。盧公の道力と龐公が稽古と、比類にたらず。あきらかなるはかならず出家す、くらきは家にをはる、黒業の因緣なり。

 

 南嶽懷讓禪師、一日自歎曰、夫出家者、爲無生法、天上人間、無有勝者(南嶽懷讓禪師、一日自ら歎じて曰く、夫れ出家は、無生法の爲にす、天上人間、勝る者有ること無し)。

 いはく、無生法とは如來の正法なり、このゆゑに天上人間にすぐれたり。天上といふは、欲界に六天あり、色界に十八天あり、無色界に四種、ともに出家の道におよぶことなし。

 

 盤山寶積禪師曰、禪徳、可中學道、似地擎山、不知山之孤峻。如石含玉、不知玉之無瑕。若如是者、是名出家(盤山寶積禪師曰く、禪徳、可中學道は、地の山を擎げて、山の孤峻を知らざるに似たり。石の玉を含んで、玉の瑕無きを知らざるが如し。若し是の如くならば、是れを出家と名づく)。

 佛祖の正法かならずしも知不知にかかはれず、出家は佛祖の正法なるがゆゑに、その功徳あきらかなり。

 

 鎭州臨濟院義玄禪師曰、夫出家者、須辨得平常眞正見解、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖。若如是辨得、名眞出家。若魔佛不辨、正是出一家入一家、喚作造業衆生。未得名爲眞正出家(鎭州臨濟院義玄禪師曰く、夫れ出家は、須らく平常眞正の見解を辨得し、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖すべし。若し是の如く辨得せば、眞の出家と名づく。若し魔佛辨ぜざれば、正に是れ一家を出でて一家に入るなり、喚んで造業の衆生と作す。未だ名づけて眞正の出家と爲すこと得ず)。

 いはゆる平常眞正見解といふは、深信因果、深信三寶等なり。辨佛といふは、ほとけの因中果上の功徳を念ずることあきらかなるなり。眞僞凡聖をあきらかに辨肯するなり。もし魔佛をあきらめざれば、學道を沮壞し、學道を退轉するなり。魔事を覺知してその事にしたがはざれば、辨道不退なり。これを眞正出家の法とす。いたづらに魔事を佛法とおもふものおほし、近世の非なり。學者、はやく魔をしり佛をあきらめ、修證すべし。

 

 如來般涅槃時、迦葉菩薩、白佛言、世尊、如來具足知諸根力、定知善星當斷善根。以何因緣、聽其出家(如來般涅槃したまひし時、迦葉菩薩、佛に白して言さく、世尊、如來は諸の根を知る力を具足したまふ、定んで善星當に善根を斷ずべきを知りたまひしならん。何の因緣を以てか、其の出家を聽したまひしや)。

 佛言、善男子、我於往昔、初出家時、吾弟難陀、從弟阿難、調達多、子羅睺羅、如是等輩、皆悉隨我出家修道。我若不聽善星出家、其人次當王得紹王位、其力自在、當壞佛法。以是因緣、我便聽其出家修道(佛言はく、善男子、我れ往昔に於て、初めて出家せし時、吾が弟難陀、從弟阿難、調達多、子羅睺羅、是の如き等の輩、皆な悉く我に隨つて出家修道せり。我れ若し善星が出家を聽さずは、其の人次に當に王として王位を紹ぐことを得て、其の力自在にして、當に佛法を壞るべし。是の因緣を以て、我れ便ち其の出家修道を聽しき)。

 善男子、善星比丘、若不出家、亦斷善根、於無量世、都無利益。令出家已、雖斷善根、能受持戒、供養恭敬耆舊、長宿、有徳之人、修習初禪乃至四禪。是名善因。如是善因、能生善法。善法既生、能修習道。既修習道、當得阿耨多羅三藐三菩提。是故我聽善星出家。善男子、若我不聽善星比丘出家受戒、則不得稱我爲如來具足十力(善男子、善星比丘若し出家せざるも、亦た善根を斷じ、無量世に於て都て利益無けん。出家せしめ已りぬれば、善根を斷ずと雖も、能く戒を受持し、耆舊、長宿、有徳の人を供養し恭敬し、初禪乃至四禪を修習す。是れを善因と名づく。是の如くの善因は、能く善法を生ず。善法既に生じぬれば、能く道を修習す。既に道を修習しぬれば、當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。是の故に我れ善星が出家を聽しき。善男子、若し我れ善星比丘が出家受戒を聽さずは、則ち我れを稱して如來具足十力と爲すこと得じ)。

 善男子、佛觀衆生、具足善法及不善法。是人雖具如是二法、不久能斷一切善根、具不善根。何以故、如是衆生、不親善友、不聽正法、不善思惟、不如法行。以是因緣、能斷善根、具不善根(善男子、佛、衆生を觀じたまふに、善法と及び不善法とを具足す。是の人是の如くの二法を具すと雖も、久しからずして能く一切善根を斷じて不善根を具せん。何を以ての故に、是の如くの衆生は、善友に親しまず、正法を聽かず、善思惟せず、如法に行せず。是の因緣を以て、能く善根を斷じて不善根を具す)。

 しるべし、如來世尊、あきらかに衆生の斷善根となるべきをしらせたまふといへども、善因をさづくるとして出家をゆるさせたまふ、大慈大悲なり。斷善根となること、善友にちかづかず、正法をきかず、善思惟せず、如法に行ぜざるによれり。いま學者、かならず善友に親近すべし、善友とは、諸佛ましますととくなり、罪福ありとをしふるなり。因果を撥無せざるを善友とし、善知識とす。この人の所説、これ正法なり。この道理を思惟する、善思惟なり。かくのごとく行ずる、如法行なるべし。

 しかあればすなはち、衆生は親疎をえらばず、ただ出家受戒をすすむべし。のちの退不退をかへりみざれ、修不修をおそるることなかれ。これまさに釋尊の正法なるべし。

 

 佛告比丘、當知、閻羅王、便作是説、我當何日脱此苦難、於人中生、以得人身、便得出家、剃除鬚髪、著三法衣、出家學道。閻羅王尚作是念。何況汝等、今得人身、得作沙門。是故諸比丘、當念行身口意行、無令有缺。當滅五結、修行五根。如是諸比丘、當作是學(佛、比丘に告げたまはく、當に知るべし、閻羅王便ち是の説を作さく、我れ當に何れの日にか此の苦難を脱し、人中に生じ、以て人身を得て、便ち出家し、剃除鬚髪し、三法衣を著して、出家學道することを得べきと。閻羅王すら尚ほ是の念を作す。何に況んや汝等、今、人身を得て沙門と作ることを得るをや。是の故に諸比丘、當に身口意の行を行じて缺有らしむること無けんと念ずべし。當に五結を滅し、五根を修行すべし。是の如く諸比丘、當に是の學を作すべし)。

 爾時諸比丘、聞佛所説、歡喜奉行(爾の時に諸比丘、佛の所説を聞いて、歡喜奉行しき)。

 あきらかにしりぬ、たとひ閻羅王なりといへども、人中の生をこひねがふことかくのごとし。すでにむまれたる人、いそぎ剃除鬚髪し、著三法衣して、學佛道すべし。これ餘趣にすぐれたる人中の功徳なり。しかあるを、人間にむまれながら、いたづらに官途世路を貪求し、むなしく國王大臣のつかはしめとして、一生を夢幻にめぐらし、後世は黒闇におもむき、いまだたのむところなきは至愚なり。すでにうけがたき人身をうけたるのみにあらず、あひがたき佛法にあひたてまつれり。いそぎ諸緣を抛捨し、すみやかに出家學道すべし。國王、大臣、妻子、眷屬は、ところごとにかならずあふ、佛法は優曇花のごとくにしてあひがたし。おほよそ無常たちまちにいたるときは、國王、大臣、親昵、從僕、妻子、珍寶たすくるなし、ただひとり黄泉におもむくのみなり。おのれにしたがひゆくは、ただこれ善惡業等のみなり。人身を失せんとき、人身ををしむこころふかかるべし。人身をたもてるとき、はやく出家すべし、まさにこれ三世の諸佛の正法なるべし。

 

 その出家行法に四種あり。いはゆる四依なり。

 一、盡形壽樹下坐。

 二、盡形壽著糞掃衣。

 三、盡形壽乞食。

 四、盡形壽有病服陳棄藥。

 共行此法、方名出家、方名爲僧。若不行此、不名爲僧。是故名出家行法(共に此の法を行ぜば、方に出家と名づけ、方に名づけて僧と爲す。若し此を行ぜずは、名づけて僧と爲さず。是の故に出家行法と名づく)。

 いま西天東地、佛祖正傳するところ、これ出家行法なり。一生不離叢林なればすなはちこの四依の行法そなはれり、これを行四衣と稱ず。これに違して五依を建立せん、しるべし、邪法なり。たれか信受せん、たれか忍聽せん。佛祖正傳するところ、これ正法なり。これによりて出家する、人間最上最尊の慶幸なり。このゆゑに、西天竺國にすなはち難陀、阿難、調達、阿那律、摩訶男、拔提、ともにこれ師子頬王のむまご、刹利種姓のもとも尊貴なるなり、はやく出家せり。後代の勝躅なるべし。いま刹利にあらざらんともがら、そのみ、をしむべからず。王子にあらざらんともがら、なにのをしむところかあらん。閻浮提最第一の尊貴より、三界最第一の尊貴に歸するはすなはち出家なり。自餘の諸小國王、諸離車衆、いたづらにをしむべからざるををしみ、ほこるべからざるにほこり、とどまるべからざるにとどまりて出家せざらん、たれかつたなしとせざらん、たれか至愚なりとせざらん。

 羅睺羅尊者は菩薩の子なり、淨飯王のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。しるべし、出家の法最尊なりと。密行第一の弟子として、いまにいたりていまだ涅槃にいりましまさず、衆生の福田として世間に現住しまします。

 西天傳佛正法眼藏の祖師のなかに、王子の出家せるしげし。いま震旦の初祖、これ香至王第三皇子なり。王位をおもくせず、正法を傳持せり。出家の最尊なる、あきらかにしりぬべし。これらにならぶるにおよばざる身をもちながら、出家しつべきにおきていそがざらん、いかならん明日をかまつべき。出息、入息をまたず。いそぎ出家せん、それかしこかるべし。またしるべし、出家受戒の師、その恩徳、すなはち父母にひとしかるべし。

 

 禪苑淸規第一云、三世諸佛、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、傳佛心印、盡是沙門。蓋以嚴淨毘尼、方能洪範三界。然則參禪問道、戒律爲先。既非離過防非、何以成佛作祖(禪苑淸規第一に云く、三世諸佛、皆な出家成道と曰ふ。西天二十八祖、唐土六祖、佛心印を傳ふる、盡く是れ沙門なり。蓋し以て毘尼を嚴淨して、方に能く三界に洪範たり。然あれば則ち參禪問道は戒律爲先なり。既に過を離れ非を防ぐに非ずは、何を以てか成佛作祖せん)。

 たとひ澆風の叢林なりとも、なほこれ薝蔔の林なるべし。凡木凡草のおよぶところにあらず。また合水の乳のごとし。乳をもちゐんとき、この和水の乳をもちゐるべし、餘物をもちゐるべからず。

 しかあればすなはち、三世諸佛、皆曰出家成道の正傳、もともこれ最尊なり。さらに出家せざる三世諸佛おはしまさず。これ佛佛祖祖正傳の正法眼藏涅槃妙心、無上菩提なり。

 

正法眼藏出家功徳第一

 

 延慶三年八月六日書寫之

 

 

正法眼藏第二 受戒

 禪苑淸規云、三世諸佛、皆曰出家成道。西天二十八祖、唐土六祖、傳佛心印、盡是沙門。蓋以嚴淨毘尼、方能洪範三界。然則參禪問道、戒律爲先。既非離過防非、何以成佛作祖(禪苑淸規に云く、三世諸佛、皆な出家成道と曰ふ。西天二十八祖、唐土六祖、佛心印を傳ふる、盡く是れ沙門なり。蓋し以て毘尼を嚴淨して方に能く三界に洪範たり。然あれば則ち參禪問道は戒律爲先なり。既に過を離れ非を防ぐに非ずは、何を以てか成佛作祖せん)。

 受戒之法、應備三衣鉢具并新淨衣物。如無新衣、浣洗令淨。入壇受戒、不得借賃衣鉢。一心專注、愼勿異緣。像佛形儀、具佛戒律、得佛受用、此非小事。豈可輕心。若借賃衣鉢、雖登壇受戒、竝不得戒。若不曾受、一生爲無戒之人。濫廁空門、虛消信施。初心入道、法律未諳、師匠不言、陷人於此。今茲苦口、敢望銘心(受戒の法は、應に三衣鉢具并びに新淨の衣物を備ふべし。新衣無きが如きは、浣洗して淨からしむべし。入壇受戒には、衣鉢を借賃すること得ざれ。一心專注して、愼んで異緣あること勿れ。佛の形儀に像り、佛の戒律を具す、佛受用を得る、此れ小事に非ず。豈に輕心なるべけんや。若し衣鉢を借賃せば、登壇受戒すと雖も、竝びに得戒せず。若し曾受せずは、一生無戒の人爲らん。濫りに空門に廁り、虛しく信施を消せん。初心の入道は、法律未だ諳んぜず、師匠言はずは、人を此に陷れん。今茲に苦口す、敢て望すらくは心に銘ずべし)。

 既受聲聞戒、應受菩薩戒。此入法之漸也(既に聲聞戒を受くれば、應に菩薩戒を受くべし。此れ入法の漸なり)。

 西天東地、佛祖相傳しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざればいまだ諸佛の弟子にあらず、祖師の兒孫にあらざるなり。離過防非を參禪問道とせるがゆゑなり。戒律爲先の言、すでにまさしく正法眼藏なり。成佛作祖、かならず正法眼藏を傳持するによりて、正法眼藏を正傳する祖師、かならず佛戒を受持するなり、佛戒を受持せざる佛祖あるべからざるなり。あるいは如來にしたがひたてまつりてこれを受持し、あるいは佛弟子にしたがひてこれを受持す、みなこれ命脈稟受するところなり。

 いま佛佛祖祖正傳するところの佛戒、ただ嵩嶽曩祖まさしく傳來し、震旦五傳して曹谿高祖にいたれり。靑原、南嶽等の正傳、いまにつたはれりといへども、杜撰の長老等かつてしらざるもあり、もともあはれむべし。

 いはゆる應受菩薩戒、此入法之漸也、これすなはち參學のしるべきところなり。その應受菩薩戒の儀、ひさしく佛祖の堂奥に參學するもの、かならず正傳す。疎怠のともがらのうるところにあらず。

 

 その儀は、かならず祖師を燒香禮拜し、應受菩薩戒を求請するなり。すでに聽許せられて、沐浴淸淨にして新淨の衣服を著し、あるいは衣服を浣洗して、花を散じ、香をたき、禮拜恭敬してその身に著す。あまねく形像を禮拜し、三寶を禮拜し、尊宿を禮拜し、諸障を除去し、身心淸淨なることをうべし。その儀ひさしく佛祖の堂奥に正傳せり。

 そののち、道場にして和尚、阿闍梨、まさに受者ををしへて禮拜し、長跪せしめて合掌し、この語をなさしむ。

 歸依佛、歸依法、歸依僧。

 歸依佛陀兩足中尊、歸依達磨離欲中尊、歸依僧伽衆中尊。

 歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟。

 如來至眞無上正等覺是我大師。我今歸依、從今已後、更不歸依邪魔外道。慈愍故。[三説。第三疊慈愍故三遍](如來至眞無上正等覺は是れ我が大師なり。我れ今歸依したてまつる、今より已後、更に邪魔外道に歸依せじ。慈愍したまふが故に。[三説。第三には慈愍故三遍を疊す])

 

 善男子、既捨邪歸正、戒已周圓。應受三聚淸淨戒(善男子、既に邪を捨し正に歸して、戒已に周圓せり。應に三聚淸淨戒を受くべし)。

 第一、攝律儀戒。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第二、攝善法戒。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第三、饒益衆生戒。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 上來三聚淸淨戒、一一不得犯。汝從今身至佛身、能持否(上來三聚の淸淨戒、一一犯すること得ざれ。汝、今身より佛身に至るまで、能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 是事如是持(是の事、是の如く持すべし)。

 受者禮三拜、長跪合掌。

 

 善男子、汝既受三聚淸淨戒、應受十戒。是乃諸佛菩薩淸淨大戒也(善男子、汝、既に三聚淸淨戒を受けたり、應に十戒を受くべし。是れ乃ち諸佛菩薩淸淨大戒也)。

 第一、不殺生。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第二、不偸盗。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第三、不貪婬。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第四、不妄語。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第五、不酤酒。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第六、不説在家出家菩薩罪過。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第七、不自讃毀他。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第八、不慳法財。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第九、不瞋恚。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 第十、不癡謗三寶。汝從今身至佛身、此戒能持否(汝、今身より佛身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 上來十戒、一一不得犯。汝從今身至佛身、能持否(上來の十戒、一一犯すること得ざれ。汝、今身より佛身に至るまで、能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 是事如是持(是の事、是の如く持すべし)。

 受者禮三拜。

 

 上來三歸、三聚淨戒、十重禁戒、是諸佛之所受持。汝從今身至佛身、此十六支戒、能持否(上來の三歸、三聚淨戒、十重禁戒は、是れ諸佛の受持したまふ所なり。汝、今身より佛身に至るまで、此の十六支戒、能く持つや否や)。

 答云、能持。[三問三答]

 是事如是持(是の事、是の如く持すべし)。

 受者禮三拜。

 次作處世界梵訖云(次に處世界梵を作し訖つて云く)、

 歸依佛、歸依法、歸依僧。

 次受者出道場(次に受者、道場を出づ)。

 

 この受戒の儀、かならず佛祖正傳せり。丹霞天然、藥山高沙彌等、おなじく受持しきたれり。比丘戒をうけざる祖師、かくのごとくあれども、この佛祖正傳菩薩戒うけざる祖師、いまだあらず。必ず受持するなり。

 

正法眼藏第二受戒

 

 

正法眼藏第三 袈裟功徳

 佛佛祖祖正傳の衣法、まさしく震旦國に正傳することは、嵩嶽の高祖のみなり。高祖は、

釋迦牟尼佛より第二十八代の祖なり。西天二十八傳、嫡嫡あひつたはれり。二十八祖、したしく震旦にいりて初祖たり。震旦國人五傳して、曹溪にいたりて三十三代の祖なり、これを六祖と稱ず。第三十三代の祖大鑑禪師、この衣法を黄梅山にして夜半に正傳し、一生護持、いまなほ曹溪山寶林寺に安置せり。

 諸代の帝王、あひつぎて内裡に奉請し、供養禮拜す、神物護持せるものなり。唐朝中宗、肅宗、代宗、しきりに歸内供養しき。奉請のとき、奉送のとき、ことさら勅使をつかはし、詔をたまふ。代宗皇帝、あるとき佛衣を曹溪山におくりたてまつる詔にいはく、

 今遣鎭國大將軍劉崇景頂戴而送。朕爲之國寶。卿可於本寺安置、令僧衆親承宗旨者、嚴加守護、勿令遺墜(今、鎭國大將軍劉崇景をして、頂戴して送らしむ。朕、之を國寶とす。卿、本寺に安置し、僧衆の親しく宗旨を承けし者をして嚴しく守護を加へ、遺墜せしむることなからしむべし)。

 まことに無量恆河沙の三千大千世界を統領せんよりも、佛衣現在の小國に王としてこれを見聞供養したてまつらんは、生死のなかの善生、最勝の生なるべし。佛化のおよぶところ、三千界いづれのところか袈裟なからん。しかありといへども、嫡嫡面授して佛袈裟を正傳せるは、ただひとり嵩嶽の曩祖のみなり、旁出は佛袈裟をさづけられず。二十七祖の旁出、跋陀婆羅菩薩の傳、まさに肇法師におよぶといへども、佛袈裟の正傳なし。震旦の四祖大師、また牛頭山の法融禪師をわたすといへども、佛袈裟を正傳せず。

 しかあればすなはち、正嫡の相承なしといへども、如來の正法その功徳むなしからず、千古萬古みな利益廣大なり。正嫡相承せらんは、相承なきとひとしかるべからず。

 しかあればすなはち、人天もし袈裟を受持せんは、佛祖相傳の正傳を傳受すべし。印度震旦、正法像法のときは、在家なほ袈裟を受持す。いま遠方邊土の澆季には、剃除鬚髪して佛弟子と稱ずる、袈裟を受持せず、いまだ受持すべきと信ぜず、しらず、あきらめず、かなしむべし。いはんや體色量をしらんや、いはんや著用の法をしらんや。

 

 袈裟はふるくより解脱服と稱ず、業障、煩惱障、報障等、みな解脱すべきなり。龍もし一縷をうれば三熱をまぬかる、牛もし一角にふるればその罪おのづから消滅す。諸佛成道のとき、かならず袈裟を著す。しるべし、最尊最上の功徳なりといふこと。

 まことにわれら邊地にうまれて末法にあふ、うらむべしといへども、佛佛嫡嫡相承の衣法にあふたてまつる、いくそばくのよろこびとかせん。いづれの家門か、わが正傳のごとく釋尊の衣法ともに正傳せる。これにあふたてまつりて、たれか恭敬供養せざらん。たとひ一日に無量恆河沙の身命をすてても、供養したてまつるべし、なほ生生世世の値遇頂戴、供養恭敬を發願すべし。われら佛生國をへだつること十萬餘里の山海はるかにして通じがたしといへども、宿善のあひもよほすところ、山海に擁塞せられず、邊鄙の愚蒙きらはるることなし。この正法にあふたてまつり、あくまで日夜に修習す、この袈裟を受持したてまつり、常恆に頂戴護持す。ただ一佛二佛のみもとにして、功徳を修せるのみならんや、すでに恆河沙等の諸佛のみもとにして、もろもろの功徳を修習せるなるべし。たとひ自己なりといふとも、たふとぶべし、隨喜すべし。祖師傳法の深恩、ねんごろに報謝すべし。畜類なほ恩を報ず、人類いかでか恩をしらざらん。もし恩をしらずは、畜類よりも愚なるべし。

 

 この佛衣佛法の功徳、その傳佛正法の祖師にあらざれば、餘輩いまだあきらめず、しらず。諸佛のあとを欣求すべくは、まさにこれを欣樂すべし。たとひ百千萬代ののちも、この正傳を正傳とすべし。これ佛法なるべし、證驗まさにあらたならん。水を乳に入るるに相似すべからず。皇太子の帝位に卽位するがごとし。かの合水の乳なりとも、乳をもちゐん時は、この乳のほかにさらに乳なからんには、これをもちゐるべし。たとひ水と合せずとも、あぶらをもちゐるべからず、うるしをもちゐるべからず、さけをもちゐるべからず。この正傳もまたかくのごとくならん。たとひ凡師の庸流なりとも、正傳あらんは用乳のよろしきときなるべし。いはんや佛佛祖祖の正傳は、皇太子の卽位のごとくなるなり。俗なほいはく、先王の法服にあらざれば服せず。佛子いづくんぞ佛衣にあらざらんを著せん。後漢孝明皇帝、永平十年よりのち、西天東地に往還する出家在家、くびすをつぎてたえずといへども、西天にして佛佛祖祖正傳の祖師にあふといはず。如來より面授相承の系譜なし。ただ經論師にしたがうて、梵本の經教を傳來せるなり。佛法正嫡の祖師にあふといはず、佛袈裟相傳の祖師ありとかたらず。あきらかにしりぬ、佛法の閫奥にいらざりけりといふことを。かくのごときのひと、佛祖正傳のむね、あきらめざるなり。

 釋迦牟尼如來、正法眼藏無上菩提を、摩訶迦葉に附授しましますに、迦葉佛正傳の袈裟、ともに傳授しまします。嫡嫡相承して曹溪山大鑑禪師にいたる、三十三代なり。その體色量、親傳せり。それよりのち、靑原南嶽の法孫、したしく傳法しきたり、祖宗の法を搭し、祖宗の法を製す。浣洗の法および受持の法、この嫡嫡面授の堂奥に參學せざれば、しらざるところなり。

 

 袈裟言有三衣、五條衣七條衣、九條衣等大衣也。上行之流、唯受此三衣、不畜餘衣、唯用三衣、供身事足(袈裟は言く三衣有り、五條衣七條衣、九條衣等の大衣也。上行の流は、唯此の三衣を受けて餘衣を畜へず、唯三衣を用て身に供じて事足す)。

 若經營作務、大小行來、著五條衣。爲諸善事入衆、著七條衣。教化人天、令其敬信、須著九條等大衣(若し經營作務、大小の行來には、五條衣を著す。諸の善事を爲し入衆せんには、七條衣を著す。人天を教化し、其をして敬信せしめんには、須らく九條等の大衣を著すべし)。

 又在屏處、著五條衣、入衆之時、著七條衣。若入王宮聚落、須著大衣(又屏處に在らんには五條衣を著し、入衆の時には七條衣を著す。若し王宮聚落に入らんには、須らく大衣を著すべし)。

 又復調和熅燸之時、著五條衣、寒冷之時、加著七條衣、寒苦嚴切、加以著大衣(又復調和熅燸の時には五條衣を著し、寒冷の時には七條衣を加著し、寒苦嚴切ならんには加ふるに以て大衣を著す)。

 故往一時、正冬入夜、天寒裂竹。如來於彼初夜分時、著五條衣。夜久轉寒、加七條衣、於夜後分、天寒轉盛、加以大衣(故往の一時、正冬に夜に入りて、天寒くして竹を裂く。如來、彼の初夜の分時に於て、五條衣を著したまひき。夜久しく轉た寒きには七條衣を加へ、夜の後分に於て、天寒轉た盛んなるには、加ふるに大衣を以てしたまひき)。

 佛便作念、未來世中、不忍寒苦、諸善男子、以此三衣、足得充身(佛便ち念を作したまはく、未來世の中に、寒苦を忍びざるには、諸の善男子、此の三衣を以て、足らはして充身することを得ん)。

 

 搭袈裟法

 偏袒右肩、これ常途の法なり。通兩肩搭の法あり、如來および耆年老宿の儀なり。兩肩を通ずといふとも、胸臆をあらはすときあり、胸臆をおほふときあり。通兩肩搭は六十條衣以上の大袈裟のときなり。搭袈裟のとき、兩端ともに左臂肩にかさねかくるなり。前頭は左端のうへにかけて臂外にたれたり。大袈裟のとき、前頭を左肩より通じて背後にいだしたれたり。このほか種種の著袈裟の法あり、久參咨問すべし。

 梁陳隋唐宋あひつたはれて數百歳のあひだ、大小兩乘の學者、おほく講經の業をなげすてて、究竟にあらずとしりて、すすみて佛祖正傳の法を習學せんとするとき、かならず從來の弊衣を脱落して、佛祖正傳の袈裟を受持するなり。まさしくこれ捨邪歸正なり。

 如來の正法は、西天すなはち法本なり。古今の人師、おほく凡夫の情量局量の小見をたつ。佛界衆生界、それ有邊無邊にあらざるがゆゑに、大小乘の教行人理、いまの凡夫の局量にいるべからず。しかあるに、いたづらに西天を本とせず、震旦國にして、あらたに局量の小見を今案して佛法とせる、道理しかあるべからず。

 しかあればすなはち、いま發心のともがら、袈裟を受持すべくは、正傳の袈裟を受持すべし。今案の新作袈裟を受持すべからず。正傳の袈裟といふは、少林曹溪正傳しきたれる、如來の嫡嫡相承なり。一代も虧闕なし。その法子法孫の著しきたれる、これ正傳袈裟なり。唐土の新作は正傳にあらず。いま古今に、西天よりきたれる僧徒の所著の袈裟、みな佛祖正傳の袈裟のごとく著せり。一人としても、いま震旦新作の律學のともがらの所製の袈裟のごとくなるなし。くらきともがら、律學の袈裟を信ず、あきらかなるものは抛却するなり。

 おほよそ、佛佛祖祖相傳の袈裟の功徳、あきらかにして信受しやすし。正傳まさしく相承せり。本樣まのあたりつたはれり、いまに現在せり。受持しあひ嗣法していまにいたる。受持せる祖師、ともにこれ證契傳法の師資なり。

 しかあればすなはち、佛祖正傳の作袈裟の法によりて作法すべし。ひとりこれ正傳なるがゆゑに。凡聖人天龍神、みなひさしく證知しきたれるところなり。この法の流布にむまれあひて、ひとたび袈裟を身體におほひ、刹那須臾も受持せん、すなはちこれ決定成無上菩提の護身符子ならん。一句一偈を身心にそめん、長劫光明の種子として、つひに無上菩提にいたる。一法一善を身心にそめん、亦復如是なるべし。心念も刹那生滅し無所住なり、身體も刹那生滅し無所住なりといへども、所修の功徳、かならず熟脱のときあり。袈裟また作にあらず無作にあらず、有所住にあらず無所住にあらず、唯佛與佛の究盡するところなりといへども、受持する行者、その所得の功徳、かならず成就するなり、かならず究竟するなり。もし宿善なきものは、一生二生乃至無量生を經歴すといふとも、袈裟をみるべからず、袈裟を著すべからず、袈裟を信受すべからず、袈裟をあきらめしるべからず。いま震旦國日本國をみるに、袈裟をひとたび身體に著することうるものあり、えざるものあり。貴賎によらず、愚智によらず。はかりしりぬ、宿善によれりといふこと。

 しかあればすなはち、袈裟を受持せんは宿善よろこぶべし、積功累徳うたがふべからず。いまだえざらんはねがふべし、今生いそぎ、そのはじめて下種せんことをいとなむべし。さはりありて受持することえざらんものは、諸佛如來、佛法僧の三寶に、慚愧懺悔すべし。他國の衆生いくばくかねがふらん、わがくにも震旦國のごとく、如來の衣法まさしく正傳親臨せましと。おのれがくにに正傳せざること、慚愧ふかかるらん、かなしむうらみあるらん。われらなにのさいはひありてか、如來世尊の衣法正傳せる法にあひたてまつれる。宿殖般若の大功徳力なり。

 いま末法惡時世は、おのれが正傳なきをはぢず、他の正傳あるをそねむ、おもはくは魔黨ならん。おのれがいまの所有所住は、前業にひかれて眞實にあらず。ただ正傳佛法に歸敬せん、すなはちおのれが學佛の實歸なるべし。

 およそしるべし、袈裟はこれ諸佛の恭敬歸依しましますところなり。佛身なり、佛心なり。解脱服と稱じ、福田衣と稱じ、無相衣と稱じ、無上衣と稱じ、忍辱衣と稱じ、如來衣と稱じ、大慈大悲衣と稱じ、勝幡衣と稱じ、阿耨多羅三藐三菩提衣と稱ず。まさにかくのごとく受持頂戴すべし。かくのごとくなるがゆゑに、こころにしたがうてあらたむべきにあらず。

 

 その衣財、また絹布よろしきにしたがうてもちゐる。かならずしも布は淸淨なり、絹は不淨なるにあらず。布をきらうて絹をとる所見なし、わらふべし。諸佛の常法、かならず糞掃衣を上品とす。

 糞掃に十種あり、四種あり。

 いはゆる火燒、牛嚼、鼠噛、死人衣等。五印度人、如此等衣、棄之巷野。事同糞掃、名糞掃衣。行者取之、浣洗縫治、用以供身(火燒、牛嚼、鼠噛、死人衣等なり。五印度の人、此の如き等の衣、之を巷野に棄つ。事、糞掃に同じ、糞掃衣と名づく。行者之を取つて、浣洗縫治して、用以て身に供ず)。

 そのなかに絹類あり、布類あり。絹布の見をなげすてて、糞掃を參學すべきなり。

 糞掃衣は、むかし阿耨達池にして浣洗せしに、龍王讃歎、雨花禮拜しき。

 小乘教師また化絲の説あり、よところなかるべし、大乘人わらふべし。いづれか化絲にあらざらん。なんぢ化をきくみみを信ずとも、化をみる目をうたがふ。

 しるべし、糞掃をひろふなかに、絹に相似なる布あらん、布に相似なる絹あらん。土俗萬差にして造化はかりがたし、肉眼のよくしるところにあらず。かくのごときのものをえたらん、絹布と論ずべからず、糞掃と稱ずべし。たとひ人天の糞掃と生長せるありとも、有情ならじ、糞掃なるべし。たとひ松菊の糞掃と生長せるありとも、非情ならじ、糞掃なるべし。糞掃の絹布にあらず、金銀珠玉にあらざる道理を信受するとき、糞掃現成するなり。絹布の見解いまだ脱落せざれば、糞掃也未夢見在なり。

 ある僧かつて古佛にとふ、黄梅夜半の傳衣、これ布なりとやせん、絹なりとやせん。畢竟じてなにものなりとかせん。

 古佛いはく、これ布にあらず、これ絹にあらず。

 しるべし、袈裟は絹布にあらざる、これ佛道の玄訓なり。

 

 商那和修尊者は第三の附法藏なり、むまるるときより衣と倶生せり。この衣、すなはち在家のときは俗服なり、出家すれば袈裟となる。また鮮白比丘尼、發願施氎ののち、生生のところ、および中有、かならず衣と倶生せり。今日釋迦牟尼佛にあふたてまつりて出家するとき、生得の俗衣、すみやかに轉じて袈裟となる。和修尊者におなじ。あきらかにしりぬ、袈裟は絹布等にあらざること。いはんや佛法の功徳、よく身心諸法を轉ずること、それかくのごとし。われら出家受戒のとき、身心依正すみやかに轉ずる道理あきらかなれど、愚蒙にしてしらざるのみなり。諸佛の常法、ひとり和修鮮白に加して、われらに加せざることなきなり。隨分の利益、うたがふべからざるなり。

 かくのごとくの道理、あきらかに功夫參學すべし。善來得戒の披體の袈裟、かならずしも布にあらず、絹にあらず。佛化難思なり、衣裏の寶珠は算沙の所能にあらず。

 諸佛の袈裟の體色量の有量無量、有相無相、あきらめ參學すべし。西天東地、古往今來の祖師、みな參學正傳せるところなり。祖祖正傳のあきらかにしてうたがふところなきを見聞しながら、いたづらにこの祖師に正傳せざらんは、その意樂ゆるしがたからん。愚癡のいたり、不信のゆゑなるべし。實をすてて虛をもとめ、本をすてて末をねがふものなり。これ如來を輕忽したてまつるならん。菩提心をおこさんともがら、かならず祖師の正傳を傳受すべし。われらあひがたき佛法にあひたてまつるのみにあらず、佛袈裟正傳の法孫としてこれを見聞し、學習し、受持することをえたり。すなはちこれ如來をみたてまつるなり。佛説法をきくなり、佛光明にてらさるるなり、佛受用を受用するなり。佛心を單傳するなり、佛髓をえたるなり。まのあたり釋迦牟尼佛の袈裟におほはれたてまつるなり。釋迦牟尼佛まのあたりわれに袈裟をさづけましますなり。ほとけにしたがふたてまつりて、この袈裟はうけたてまつれり。

 

 浣袈裟法

 袈裟をたたまず、淨桶にいれて、香湯を百沸して、袈裟をひたして、一時ばかりおく。またの法、きよき灰水を百沸して、袈裟をひたして、湯のひややかになるをまつ。いまはよのつねに灰湯をもちゐる。灰湯、ここにはあくのゆといふ。灰湯さめぬれば、きよくすみたる湯をもて、たびたびこれを浣洗するあひだ、兩手にいれてもみあらはず、ふまず。あかのぞこほり、あぶらのぞこほるを期とす。そののち、沈香栴檀香等を冷水に和してこれをあらふ。そののち淨竿にかけてほす。よくほしてのち、摺襞してたかく安じて、燒香散花して、右遶數匝して禮拜したてまつる。あるいは三拜、あるいは六拜、あるいは九拜して、胡跪合掌して、袈裟を兩手にささげて、くちに偈を誦してのち、たちて如法に著したてまつる。

 

 世尊告大衆言、我往昔在寶藏佛所時、爲大悲菩薩。爾時大悲菩薩摩訶薩、在寶藏佛前、而發願言(世尊大衆に告げて言はく、我れ往昔寶藏佛の所に在りし時、大悲菩薩たり。爾の時に大悲菩薩摩訶薩、寶藏佛の前に在りて發願して言さく)、

 世尊、我成佛已、若有衆生入我法中出家著袈裟者、或犯重戒、或行邪見、若於三寶輕毀不信、集諸重罪、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、若於一念中、生恭敬心、尊重僧伽梨衣、生恭敬心、尊重世尊或於法僧、世尊如是衆生、乃至一人、不於三乘得受記莂、而退轉者、則爲欺誑十方世界、無量無邊阿僧祇等、現在諸佛。必定不成阿耨多羅三藐三菩提(世尊、我成佛し已らんに、若し衆生有つて、我が法の中に入りて、出家して袈裟を著する者の、或いは重戒を犯し、或いは邪見を行じ、若しは三寶に於て輕毀して信ぜず、諸の重罪を集たらん比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、若し一念の中に恭敬心を生じて、僧伽梨衣を尊重し、恭敬心を生じて世尊或いは法僧に於て尊重せん。世尊、是の如くの衆生、乃至一人も、三乘に於て記莂を受くることを得ずして而も退轉せば、則ち爲十方世界の無量無邊阿僧祇等の現在の諸佛を欺誑したてまつるなり。必定じて阿耨多羅三藐三菩提を成らじ)。

 世尊、我成佛已來、諸天龍鬼神、人及非人、若能於此著袈裟者、恭敬供養、尊重讃歎。其人若得見此袈裟少分、卽得不退於三乘中(世尊、我れ成佛してより已來、諸の天龍鬼神、人及び非人、若し能く此の著袈裟の者に於て、恭敬供養し、尊重讃歎せん。其の人若し此の袈裟の少分を見ることを得ば、卽ち三乘の中に於て不退なることを得ん)。

 若有衆生、爲飢渇所逼、若貧窮鬼神、下賎諸人、乃至餓鬼衆生、若得袈裟少分乃至四寸、卽得飮食充足、隨其所願、疾得成就(若し衆生有つて、飢渇の爲に逼められん、若しは貧窮の鬼神、下賎の諸人、乃至餓鬼の衆生までも、若し袈裟の少分の乃至四寸を得たらんには、卽ち飮食充足することを得ん。その所願に隨ひて疾く成就することを得ん)。

 若有衆生、共相違反、起怨賊想、展轉鬪諍、若諸天龍鬼神、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、狗辨荼、毘舍遮、人及非人、共鬪諍時、念此袈裟、依袈裟力、尋生悲心、柔軟之心、無怨賊心、寂滅之心、調伏善心、還得淸淨(若し衆生有つて、共に相違反し、怨賊の想を起して、展轉鬪諍せん、若しは諸の天龍、鬼神、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、狗辨荼、毘舍遮、人及非人、共に鬪諍せん時、此の袈裟を念ぜば、袈裟の力に依りて、尋いで悲心、柔軟の心、無怨賊の心、寂滅の心、調伏の善心を生じて、還た淸淨なることを得ん)。

 有人若在兵甲鬪訟斷事之中、持此袈裟少分至此輩中、爲自護故、供養恭敬尊重、是諸人等、無能侵毀觸嬈輕弄。常得勝他、過此諸難(人有つて若し兵甲鬪訟斷事の中に在らんに、此の袈裟の少分を持つて此の輩の中に至らん、自護の爲の故に、供養し恭敬し尊重せん、是の諸人等、能く侵毀觸嬈輕弄すること無けん。常に他に勝つことを得て、此の諸難を過ぎん)。

 世尊、若我袈裟、不能成就如是五事聖功徳者、則爲欺誑十方世界、無量無邊阿僧祇等、現在諸佛。未來不應成就阿耨多羅三藐三菩提作佛事也。沒失善法、必定不能破壞外道(世尊、若し我が袈裟の、是の如くの五事の聖功徳を成就すること能はずは、則ち十方世界の無量無邊阿僧祇等の現在したまふ諸佛を欺誑したてまつるなり。未來に應に阿耨多羅三藐三菩提を成就し、佛事を作すべからず。善法を沒失し、必定じて外道を破壞すること能はじ)。

 善男子、爾時寶藏如來、申金色右臂、摩大悲菩薩頂、讃言、善哉善哉、大丈夫、汝所言者、是大珍寶、是大賢善。汝成阿耨多羅三藐三菩提已、是袈裟服、能成就此五聖功徳、作大利益(善男子、爾の時に寶藏如來、金色の右臂を申べて、大悲菩薩の頂を摩でて讃めて言はく、善哉善哉、大丈夫、汝が所言は、是れ大珍寶なり、是れ大賢善なり。汝、阿耨多羅三藐三菩提を成じ已らんに、是の袈裟服は、能く此の五聖功徳を成就して大利益を作さん)。

 善男子、爾時大悲菩薩摩訶薩、聞佛讃歎已、心生歡喜、踊躍無量。因佛申此金色之臂、長作合縵。其手柔軟、猶如天衣、摩其頭已、其身卽變、状如僮子二十歳(善男子、爾の時に大悲菩薩摩訶薩、佛の讃歎したまふを聞き已りて、心に歡喜を生じ、踊躍すること無量なり。因みに佛此の金色の臂を申べたまふに、長作合縵なり。その手柔軟なること、猶ほ天衣の如く、其の頭を摩で已るに、其の身卽ち變じて、状僮子二十歳ばかりの人の如し)。

 善男子、彼會大衆、諸天龍神乾闥婆、人及非人、叉手恭敬、向大悲菩薩、供養種種華、乃至伎樂而供養之、復種種讃歎已、默然而住(善男子、彼の會の大衆、諸天龍神乾闥婆、人及非人、叉手恭敬し、大悲菩薩に向ひて種種の花を供養し、乃至伎樂して之を供養し、復た種種に讃歎し已りて、默然として住せり)。

 如來在世より今日にいたるまで、菩薩聲聞の經律のなかより、袈裟の功徳をえらびあぐるとき、かならずこの五聖功徳をむねとするなり。

 まことにそれ、袈裟は三世諸佛の佛衣なり。その功徳無量なりといへども、釋迦牟尼佛の法のなかにして袈裟をえたらんは、餘佛の法のなかにして袈裟をえんにもすぐれたるべし。ゆゑいかんとなれば、

釋迦牟尼佛むかし因地のとき、大悲菩薩摩訶薩として、寶藏佛のみまへにて五百大願をたてましますとき、ことさらこの袈裟の功徳におきて、かくのごとく誓願をおこしまします。その功徳、さらに無量不可思議なるべし。しかあればすなはち、世尊の皮肉骨髓いまに正傳するといふは袈裟衣なり。正法眼藏を正傳する祖師、かならず袈裟を正傳せり。この衣を傳持し頂戴する衆生、かならず二三生のあひだに得道せり。たとひ戲笑のため利益のために身を著せる、かならず得道の因緣なり。

 

 龍樹祖師曰、復次佛法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解脱、如優鉢羅華比丘尼本生經中説(復た次に佛法中の出家人は、破戒して墮罪すと雖も、罪畢りぬれば解脱を得ること、優鉢羅華比丘尼本生經の中に説くが如し)。

 佛在世時、此比丘尼、得六神通阿羅漢。入貴人舍、常讃出家法、語諸貴人婦女言、姉妹可出家(佛在世の時、此の比丘尼、六神通阿羅漢を得たり。貴人の舍に入りて、常に出家の法を讃めて、諸の貴人婦女に語りて言く、姉妹、出家すべし)。

 諸貴婦女言、我等少壯容色盛美、持戒爲難、或當破戒(我等少壯くして容色盛美なり、持戒を難しと爲す、或いは當に破戒すべし)。

 比丘尼言、破戒便破、但出家(戒を破らば便ち破すべし、但だ出家すべし)。

 問言、破戒當墮地獄、云何可破(戒を破らば當に地獄に墮すべし、云何が破すべき)。

 答曰、墮地獄便墮(地獄に墮さば便ち墮すべし)。

 諸貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮(地獄にては罪を受く、云何が墮すべき)。

 比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種種衣服而説舊語。或時著比丘尼衣、以爲戲笑。以是因緣故、迦葉佛時、作比丘尼。時自恃貴姓端正生憍慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種種罪。受畢竟價釋迦牟尼佛出家、得六神通阿羅漢道(比丘尼言く、我れ自ら本宿命の時を憶念するに、戲女と作り、種種の衣服を著して舊語を説きき。或る時比丘尼衣を著して、以て戲笑と爲しき。是の因緣を以ての故に、迦葉佛の時、比丘尼と作りぬ。時に自ら貴姓端正なるを恃んで憍慢を生じ、而も禁戒を破りつ。禁戒を破りし罪の故に、地獄に墮して種種の罪を受けき。受け畢竟りて釋迦牟尼佛に値ひたてまつりて出家し、六神通阿羅漢道を得たり)。

 以是故知。出家受戒、雖復破戒、以戒因緣故、得阿羅漢道。若但作惡無戒因緣、不得道也。我乃昔時世世墮地獄、從地獄出爲惡人。惡人死還入地獄、都無所得。今以證知、出家受戒、雖復破戒、以是因緣可得道果(是れを以ての故に知りぬ。出家受戒せば、復た破戒すと雖も、戒の因緣を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但だ惡を作して戒の因緣無からんには、道を得ざるなり。我れ乃ち昔時、世世に地獄に墮し、地獄より出でては惡人爲り。惡人死しては還た地獄に入りて、都て所得無かりき。今以て證知す、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、是の因緣を以て道果を得べしといふことを)。

 この蓮花色阿羅漢得道の初因、さらに他の功にあらず。ただこれ袈裟を戲笑のためにその身に著せし功徳によりて、いま得道せり。二生に迦葉佛の法にあふたてまつりて比丘尼となり、三生に釋迦牟尼佛にあふたてまつりて大阿羅漢となり、三明六通を具足せり。三明とは、天眼宿命漏盡なり。六通とは、神境通、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、漏盡通なり。まことにそれただ作惡人とありしときは、むなしく死して地獄にいる。地獄よりいでてまた作惡人となる。戒の因緣あるときは、禁戒を破して地獄におちたりといへども、つひに得道の因緣なり。いま戲笑のため袈裟を著せる、なほこれ三生に得道す。いはんや無上菩提のために淸淨の信心をおこして袈裟を著せん、その功徳、成就せざらめやは。いかにいはんや一生のあひだ受持したてまつり、頂戴したてまつらん功徳、まさに廣大無量なるべし。

 もし菩提心をおこさん人、いそぎ袈裟を受持頂戴すべし。この好世にあふて佛種をうゑざらん、かなしむべし。南州の人身をうけて、釋迦牟尼佛の法にあふたてまつり、佛法嫡嫡の祖師にむまれあひ、單傳直指の袈裟をうけたてまつりぬべきを、むなしくすごさん、かなしむべし。

 いま袈裟正傳は、ひとり祖師正傳これ正嫡なり、餘師の肩をひとしくすべきにあらず。相承なき師にしたがふて袈裟を受持する、なほ功徳甚深なり。いはんや嫡嫡面授しきたれる正師に受持せん、まさしき如來の法子法孫ならん。まさに如來の皮肉骨髓を正傳せるなるべし。おほよそ袈裟は、三世十方の諸佛正傳しきたれること、いまだ斷絶せず。三世十方の諸佛菩薩、聲聞緣覺、おなじく護持しきたれるところなり。

 

 袈裟をつくるには麁布を本とす、麁布なきがごときは細布をもちゐる。麁細の布、ともになきには絹素をもちゐる、絹布ともになきがごときは綾羅等をもちゐる。如來の聽許なり。絹布綾羅等の類、すべてなきくにには、如來また皮袈裟を聽許しまします。

 おほよそ袈裟、そめて靑黄赤黒紫色ならしむべし。いづれも色のなかの壞色ならしむ。如來はつねに肉色の袈裟を御しましませり。これ袈裟色なり。初祖相傳の佛袈裟は靑黒色なり、西天の屈眴布なり、いま曹溪山にあり。西天二十八傳し、震旦五傳せり。いま曹谿古佛の遺弟、みな佛衣の故實を傳持せり、餘僧のおよばざるところなり。

 おほよそ衣に三種あり。

 一者糞掃衣、二者毳衣、三者衲衣

なり。糞掃は、さきにしめすがごとし。毳衣者、鳥獸細毛、これをなづけて毳とす。

 行者若無糞掃可得、取此爲衣。衲衣者、朽故破弊、縫衲供身、不著世間好衣(行者若し糞掃の得べき無からんには、此を取りて衣を爲るべし。衲衣は、朽故破弊したるを、縫衲して身に供ず。世間の好衣を著せざれ)。

 具壽鄔波離、請世尊曰、大徳世尊、僧伽胝衣、條數有幾(具壽鄔波離、世尊に請ひたてまつりて曰さく、大徳世尊、僧伽胝衣は條數幾か有る)。

 佛言、有九。何謂爲九、謂(佛言はく、九有り。何を謂つてか九と爲る、謂ゆる)、

 九條、十一條、十三條、

 十五條、十七條、十九條、

 二十一條、二十三條、二十五條。

 其僧伽胝衣、初之三品、其中壇隔、兩長一短、如是應持。次三品、三長一短、後三品、四長一短。過是條外、便成破衲(其の僧伽胝衣、初の三品は、其の中の壇隔は兩長一短なり、是の如く持すべし。次の三品は三長一短、後の三品は四長一短なり。是の條を過ぐるの外は、便ち破衲と成る)。

 鄔波離、復白世尊曰、大徳世尊、有幾種僧伽胝衣(鄔波離、復た世尊に白して曰さく、大徳世尊、幾種の僧伽胝衣か有る)。

 佛言、有三種、謂上中下。上者豎三肘、横五肘。下者豎二肘半、横四肘半。二内名中(佛言はく、三種有り、謂ゆる上中下なり。上は豎三肘、横五肘。下は豎二肘半、横四肘半。二の内を中と名づく)。

 鄔波離白世尊曰、大徳世尊、嗢咀羅僧伽衣、條數有幾(鄔波離、世尊に白して曰さく、大徳世尊、嗢咀羅僧伽衣、條數幾か有る)。

 佛言、但有七條、壇隔兩長一短(佛言はく、但だ七條のみ有りて、壇隔兩長一短なり)。

 鄔波離、白世尊曰、大徳世尊、七條復有幾種(鄔波離、世尊に白して曰さく、大徳世尊、七條復た幾種か有る)。

 佛言、有其三品、謂上中下。上者三五肘、下各減半肘、二内名中(佛言はく、其れに三品有り、謂ゆる上中下なり。上は三五肘、下は各半肘を減ず、二の内を中と名づく)。

 鄔波離白世尊曰、大徳世尊、安咀婆裟衣、條數有幾(鄔波離、世尊に白して曰さく、大徳世尊、安咀婆裟衣、條數幾か有る)。

 佛言、有五條、壇隔一長一短(佛言はく、五條有り、壇隔一長一短なり)。

 鄔波離白世尊曰、大徳世尊、安咀婆裟衣有幾種(鄔波離、世尊に白して曰さく、大徳世尊、安咀婆裟衣幾種か有る)。

 佛言、有三、謂上中下。上者三五肘、中下同前(佛言はく、三有り、謂ゆる上中下なり。上は三五肘、中下は前に同じ)。

 佛言、安咀婆裟衣、復有二種。何爲二。一者豎二肘、横五肘。二者豎二、横四(佛言はく、安咀婆裟衣、復た二種有り。何をか二と爲す。一は豎二肘、横五肘。二は豎二、横四なり)。

 

 僧伽胝者、譯爲重複衣。嗢咀羅僧伽者、譯爲上衣。安咀婆裟衣者、譯爲内衣。又云下衣(僧伽胝は、譯して重複衣と爲す。嗢咀羅僧伽は、譯して上衣と爲す。安咀婆裟衣は、譯して内衣と爲す。又下衣と云ふ)。

 

 又云、僧伽梨衣、謂大衣也。云、入王宮衣、説法衣。欝多羅僧、謂七條衣。中衣、又云、入衆衣。安陀會、謂五條衣。云、小衣、又云、行道衣、作務衣(又云く、僧伽梨衣は、謂ゆる大衣也。云く、入王宮衣、説法衣なり。欝多羅僧は、謂く七條衣なり。中衣、又云く、入衆衣。安陀會は、謂く五條衣なり。云く、小衣。又云く、行道衣、作務衣)。

 この三衣、かならず護持すべし。又僧伽胝衣に六十條袈裟あり。かならず受持すべし。

 おほよそ、八萬歳より百歳にいたるまで、壽命の増減にしたがうて、身量の長短あり。八萬歳と一百歳と、ことなることありといふ、また平等なるべしといふ。そのなかに、平等なるべしといふを正傳とせり。佛と人と、身量はるかにことなり。人身ははかりつべし。佛身はつひにはかるべからず。このゆゑに、迦葉佛の袈裟、いま釋迦牟尼佛著しましますに、長にあらず、ひろきにあらず。今釋迦牟尼佛の袈裟、彌勒如來著しましますに、みぢかきにあらず、せばきにあらず。佛身の長短にあらざる道理、あきらかに觀見し、決斷し、照了し、警察すべきなり。梵王のたかく色界にある、その佛頂をみたてまつらず。目連はるかに光明幡世界にいたる、その佛聲をきはめず。遠近の見聞ひとし、まことに不可思議なるものなり。如來の一切の功徳、みなかくのごとし。この功徳を念じたてまつるべし。

 

 袈裟を裁縫するに、割截衣あり、揲葉衣あり、攝葉衣あり、縵衣あり。ともにこれ作法なり。その所得にしたがうて受持すべし。

 佛言、三世佛袈裟、必定却刺(三世佛の袈裟は、必定して却刺なるべし)。

 その衣財をえんこと、また淸淨を善なりとす。いはゆる糞掃衣を最上淸淨とす。三世の諸佛、ともにこれを淸淨としまします。そのほか、信心檀那の所施の衣、また淸淨なり。あるいは淨財をもていちにしてかふ、また淸淨なり。作衣の日限ありといへども、いま末法澆季なり、遠方邊邦なり。信心のもよほすところ、裁縫をえて受持せんにはしかじ。

 

 在家の人天なれども、袈裟を受持することは、大乘最極の秘訣なり。いまは梵王釋王、ともに袈裟を受持せり。欲色の勝躅なり、人間には勝計すべからず。在家の菩薩、みなともに受持せり。震旦國には梁武帝、隋煬帝、ともに袈裟を受持せり。代宗、肅宗ともに袈裟を著し、僧家に參學し、菩薩戒を受持せり。その餘の居士婦女等の受袈裟、受佛戒のともがら、古今の勝躅なり。

 日本國には聖徳太子、袈裟を受持し、法華勝鬘等の諸經講説のとき、天雨寶花の奇瑞を感得す。それよりこのかた、佛法わがくにに流通せり。天下の攝籙なりといへども、すなはち人天の導師なり。ほとけのつかひとして衆生の父母なり。いまわがくに、袈裟の體色量ともに訛謬せりといへども、袈裟の名字を見聞する、ただこれ聖徳太子の御ちからなり。そのとき、邪をくだき正をたてずは、今日かなしむべし。のちに聖武皇帝、また袈裟を受持し、菩薩戒をうけまします。

 しかあればすなはち、たとひ帝位なりとも、たとひ臣下なりとも、いそぎ袈裟を受持し、菩薩戒をうくべし。人身の慶幸、これよりもすぐれたるあるべからず。

 有言、在家受持袈裟、一名單縫、二名俗服。乃未用却刺針而縫也。又言、在家趣道場時、具三法衣楊枝澡水食器坐具、應如比丘修行淨行(有るが言く、在家の受持する袈裟は、一に單縫と名づく、二に俗服と名づく。乃ち未だ却刺針して縫ふことを用ゐず。又言く、在家道場に趣く時は、三法衣楊枝澡水食器坐具を具して、應に比丘の如まにして淨行を修行すべし)。

 古徳の相傳かくのごとし。ただしいま佛祖單傳しきたれるところ、國王大臣、居士士民にさづくる袈裟、みな却刺なり。盧行者すでに佛袈裟を正傳せり、勝躅なり。

 

 おほよそ袈裟は、佛弟子の標幟なり。もし袈裟を受持しをはりなば、毎日に頂戴したてまつるべし。頂上に安じて、合掌してこの偈を誦す。

 大哉解脱服、

 無相福田衣。

 披奉如來教、

 廣度諸衆生。

 (大いなる哉解脱服、無相福田の衣。如來の教を披奉して、廣く諸の衆生を度さん。)

 しかうしてのち著すべし。袈裟におきては、師想塔想をなすべし。浣衣頂戴のときも、この偈を誦するなり。

 

 佛言、剃頭著袈裟、諸佛所加護、一人出家者、天人所供養(剃頭して袈裟を著せば、諸佛に加護せらる。一人出家せば、天人に供養せらる)。

 あきらかにしりぬ、剃頭著袈裟よりこのかた、一切諸佛に加護せられたてまつるなり。この諸佛の加護によりて、無上菩提の功徳圓滿すべし。この人をば、天衆人衆ともに供養するなり。

 

 世尊告智光比丘言、法衣得十勝利(世尊、智光比丘に告げて言はく、法衣は十勝利を得)。

 一者、能覆其身、遠離羞耻、具足慚愧、修行善法。

 (一つには、能く其の身を覆うて、羞耻を遠離し、慚愧を具足して、善法を修行す。)

 二者、遠離寒熱及以蚊蟲惡獸毒蟲、安穩修道。

 (二つには、寒熱及以び蚊蟲惡獸毒蟲を遠離して、安穩に修道す。)

 三者、示現沙門出家相貌、見者歡喜、遠離邪心。

 (三つには、沙門出家の相貌を示現し、見る者歡喜して、邪心を遠離す。)

 四者、袈裟卽是人天寶幢之相、尊重敬禮、得生梵天。

 (四つには、袈裟は卽ち是れ人天の寶幢の相なり、尊重し敬禮すれば、梵天に生ずることを得。)

 五者、著袈裟時、生寶幢想、能滅衆罪、生諸福徳。

 (五つには、著袈裟の時、寶幢の想を生ぜば、能く衆罪を滅し、諸の福徳を生ず。)

 六者、本制袈裟、染令壞色、離五欲想、不生貪愛。

 (六つには、本制の袈裟は、染めて壞色ならしむ、五欲の想を離れ、貪愛を生ぜず。)

 七者、袈裟是佛淨衣、永斷煩惱、作良田故。

 (七つには、袈裟は是れ佛の淨衣なり、永く煩惱を斷じて、良田と作るが故に。)

 八者、身著袈裟、罪業消除、十善業道、念念増長。

 (八つには、身に袈裟を著せば、罪業消除し、十善業道、念念に増長す。)

 九者、袈裟猶如良田、能善増長菩薩道故。

 (九つには、袈裟は猶ほ良田の如し、能善く菩薩の道を増長するが故に。)

 十者、袈裟猶如甲冑、煩惱毒箭、不能害故。

 (十には、袈裟は猶ほ甲冑の如し、煩惱の毒箭、害すること能はざるが故に。)

 智光當知、以是因緣、三世諸佛、緣覺聲聞、淸淨出家、身著袈裟、三聖同坐解脱寶牀。執智慧劔、破煩惱魔、共入一味諸涅槃界(智光當に知るべし、是の因緣を以て、三世の諸佛、緣覺聲聞、淸淨の出家、身に袈裟を著して、三聖同じく解脱の寶牀に坐す。智慧の劔を執り、煩惱の魔を破り、共に一味の諸の涅槃界に入る)。

 爾時世尊、而説偈言(爾の時に世尊、而も偈を説いて言く)、

 智光比丘應善聽(智光比丘應に善く聽くべし)、

 大福田衣十勝利(大福田衣に十勝利あり)。

 世間衣服増欲染(世間の衣服は欲染を増す)、

 如來法服不如是(如來の法服は是の如くならず)。

 法服能遮世羞耻(法服は能く世の羞耻を遮り)、

 慚愧圓滿生福田(慚愧圓滿して福田を生ず)。

 遠離寒熱及毒蟲(寒熱及び毒蟲を遠離して)、

 道心堅固得究竟(道心堅固にして究竟を得)。

 示現出家離貪欲(出家を示現して貪欲を離れ)、

 斷除五見正修行(五見を斷除して正修行す)。

 瞻禮袈裟寶幢相(袈裟寶幢の相を瞻禮し)、

 恭敬生於梵王福(恭敬すれば梵王の福を生ず)。

 佛子披衣生塔想(佛子披衣しては塔想を生ずべし)、

 生福滅罪感人天(福を生じ罪を滅し人天を感ず)。

 肅容致敬眞沙門(肅容致敬すれば眞の沙門なり)、

 所爲諸不染塵俗(所爲諸の塵俗に不染なり)。

 諸佛稱讃爲良田(諸佛稱讃して良田と爲したまふ)、

 利樂郡生此爲最(郡生を利樂するには此れを最れたりと爲す)。

 

 袈裟神力不思議(袈裟の神力不思議なり)、

 能令修植菩提行(能く菩提の行を修植せしむ)。

 道芽増長如春苗(道の芽の増長することは春の苗の如く)、

 菩提妙果類秋實(菩提の妙果は秋の實に類たり)。

 堅固金剛眞甲冑(堅固金剛の眞甲冑なり)、

 煩惱毒箭不能害(煩惱の毒箭も害すること能はず)。

 我今略讃十勝利(我今略して十勝利を讃む)、

 歴劫廣説無有邊(歴劫に廣説すとも邊あること無けん)。

 若有龍身披一縷(若し龍有りて身に一縷を披せば)、

 得脱金翅鳥王食(金翅鳥王の食を脱るることを得ん)。

 若人渡海持此衣(若し人海を渡らんに、此の衣を持せば)、

 不怖龍魚諸鬼難(龍魚諸鬼の難を怖れじ)。

 雷電霹靂天之怒(雷電霹靂して天の怒りあらんにも)、

 披袈裟者無恐畏(袈裟を披たる者は恐畏無けん)。

 白衣若能親捧持(白衣若し能く親しく捧持せば)、

 一切惡鬼無能近(一切の惡鬼能く近づくこと無けん)。

 若能發心求出家(若し能く發心して出家を求め)、

 厭離世間修佛道(世間を厭離して佛道を修せば)、

 十方魔宮皆振動(十方の魔宮皆な振動し)、

 是人速證法王身(是の人速やかに法王の身を證せん)。

 この十勝利、ひろく佛道のもろもろの功徳を具足せり。長行偈頌にあらゆる功徳、あきらかに參學すべし。披閲してすみやかにさしおくことなかれ。句句にむかひて久參すべし。この勝利は、ただ袈裟の功徳なり、行者の猛利恆修のちからにあらず。

 佛言、袈裟神力不思議。

 いたづらに凡夫賢聖のはかりしるところにあらず。

 おほよそ速證法王身のとき、かならず袈裟を著せり。袈裟を著せざるものの法王身を證せること、むかしよりいまだあらざるところなり。その最第一淸淨の衣財は、これ糞掃衣なり。その功徳、あまねく大乘小乘の經律論のなかにあきらかなり。廣學諮問すべし。その餘の衣財、またかねあきらむべし。佛佛祖祖、かならずあきらめ、正傳しましますところなり、餘類のおよぶべきにあらず。

 

 中阿含經曰(中阿含經曰く)、

 復次諸賢、或有一人、身淨行、口意不淨行、若慧者見、説生恚惱、應當除之(復た次に諸賢、或し一人有りて、身淨行、口意不淨行ならんに、若し慧者見て、説し恚惱を生ぜば、應當に之を除すべし)。

 諸賢或有一人、身不淨行、口淨行、若慧者見、説生恚惱、當云何除(諸賢、或し一人有りて、身不淨行、口淨行ならんに、若し慧者見て、説し恚惱を生ぜば、當に云何が除くべき)。

 諸賢猶如阿練若比丘、持糞掃衣、見糞掃中所棄弊衣、或大便汚、或小便洟唾、及餘不淨之所染汚、見已、左手執之、右手舒張、若非大便小便洟唾、及餘不淨之所汚處、又不穿者、便裂取之。如是諸賢、或有一人、身不淨行、口淨行、莫念彼身不淨行。但當念彼口之淨行。若慧者見、設生恚惱、應如是除(諸賢、猶ほ阿練若比丘の如き、糞掃衣を持ち、糞掃の中の所棄の弊衣の、或いは大便に汚れ、或いは小便洟唾、及び餘の不淨に染汚せられたるを見んに、見已りて、左の手に之を執り、右の手に舒べ張りて、若し大便小便洟唾、及び餘の不淨に汚さるる處に非ず、又穿げざる者をば、便ち裂きて之を取る。是の如く諸賢、或し一人有りて、身不淨行、口淨行ならんに、彼の身の不淨行を念ふこと莫れ。但だ當に彼の口の淨行を念ふべし。若し慧者見て、設し恚惱を生ぜば、應に是のの如く除くべし)。

 これ阿練若比丘の、拾糞掃衣の法なり。四種の糞掃あり、十種の糞掃あり。その糞掃をひろふとき、まづ不穿のところをえらびとる。つぎには大便小便、ひさしくそみて、ふかくして浣洗すべからざらん、またとるべからず。浣洗しつべからん、これをとるべきなり。

 十種糞掃

 一、牛嚼衣。

 二、鼠噛衣。

 三、火燒衣。

 四、月水衣。

 五、産婦衣。

 六、神廟衣。

 七、塚間衣。

 八、求願衣。

 九、王職衣。

 十、往還衣。

 この十種、ひとのすつるところなり、人間のもちゐるところにあらず。これをひろうて袈裟の淨財とせり。三世諸佛の讃歎しましますところ、もちゐきたりましますところなり。

 しかあればすなはち、この糞掃衣は、人天龍等のおもくし擁護するところなり。これをひろうて袈裟をつくるべし。これ最第一の淨財なり、最第一の淸淨なり。いま日本國、かくのごとく糞掃衣なし、たとひもとめんとすともあふべからず、邊地小國かなしむべし。ただ檀那所施の淨財、これをもちゐるべし。人天の布施するところの淨財、これをもちゐるべし。あるいは淨命よりうるところのものをもて、いちにして貿易せらん、またこれ袈裟につくりつべし。かくのごときの糞掃、および淨命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず。金銀珠玉、綾羅錦繍等にあらず、ただこれ糞掃衣なり。この糞掃は、弊衣のためにあらず、美服のためにあらず、ただこれ佛法のためなり。これを用著する、すなはち三世の諸佛の皮肉骨髓を正傳せるなり、正法眼藏を正傳せるなり。この功徳さらに、人天に問著すべからず、佛祖に參學すべし。

 

 正法眼藏袈裟功徳第三

 

 予在宋のそのかみ、長連牀に功夫せしとき、齊肩の隣單をみるに、開靜のときごとに、袈裟をささげて頂上に安じ、合掌恭敬し、一偈を默誦す。その偈にいはく、

 大哉解脱服、無相福田衣。

 披奉如來教、廣度諸衆生。

 ときに予、未曾見のおもひを生じ、歡喜身にあまり、感涙ひそかにおちて衣襟をひたす。その旨趣は、そのかみ阿含經を披閲せしとき、頂戴袈裟の文をみるといへども、その儀則いまだあきらめず。いままのあたりにみる、歡喜隨喜し、ひそかにおもはく、あはれむべし、郷土にありしとき、をしふる師匠なし、すすむる善友あらず。いくばくかいたづらにすぐる光陰ををしまざる、かなしまざらめやは。いまの見聞するところ、宿善よろこぶべし。もしいたづらに郷間にあらば、いかでかまさしく佛衣を相承著用せる僧寶に隣肩することをえん。悲喜ひとかたならず、感涙千萬行。

 ときにひそかに發願す、いかにしてかわれ不肖なりといふとも、佛法の嫡嗣となり、正法を正傳して、郷土の衆生をあはれむに、佛祖正傳の衣法を見聞せしめん。かのときの發願いまむなしからず、袈裟を受持せる在家出家の菩薩おほし、歡喜するところなり。受持袈裟のともがら、かならず日夜に頂戴すべし、殊勝最勝の功徳なるべし。一句一偈を見聞は、若樹若石の見聞、あまねく九道にかぎらざるべし。袈裟正傳の功徳、わづかに一日一夜なりとも、最勝最上なるべし。

 大宋嘉定十七年癸未十月中に、高麗僧二人ありて、慶元府にきたれり。一人は智玄となづけ、一人は景雲といふ。この二人、しきりに佛經の義を談ずといへども、さらに文學士なり。しかあれども、袈裟なし、鉢盂なし、俗人のごとし。あはれむべし、比丘形なりといへども比丘法なし、小國邊地のしかあらしむるならん。日本國の比丘形のともがら、他國にゆかんとき、またかの智玄等にひとしからん。

 釋迦牟尼佛、十二年中頂戴してさしおきましまさざりき。すでに遠孫なり、これを學すべし。いたづらに名利のために天を拜し神を拜し、王を拜し臣を拜する頂門をめぐらして、佛衣頂戴に廻向せん、よろこぶべきなり。

 

 ときに仁治元年庚子開冬日在觀音導利興聖寶林寺示衆

 建長乙卯夏安居日令義演書記書寫畢

 同七月初五日一校了 以御草案爲本

 建治元年丙子五月廿五日書寫了

 

 

正法眼藏第四 發菩提心

 おほよそ、心三種あり。

 一者質多心、此方稱慮知心(一つには質多心、此の方に慮知心と稱ず)。

 二者汗栗多心、此方稱草木心(二つには汗栗多心、此の方に草木心と稱ず)。

 三者矣栗多心、此方稱積聚精要心(三つには矣栗多心、此の方に積聚精要心と稱ず)。

 このなかに、菩提心をおこすこと、かならず慮知心をもちゐる。菩提は天竺の音、ここには道といふ。質多は天竺の音、ここには慮知心といふ。この慮知心にあらざれば、菩提心をおこすことあたはず。この慮知をすなはち菩提心とするにはあらず、この慮知心をもて菩提心をおこすなり。菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと發願しいとなむなり。そのかたちいやしといふとも、この心をおこせば、すでに、一切衆生の導師なり。

 この心もとよりあるにあらず、いまあらたに歘起するにあらず。一にあらず、多にあらず。自然にあらず、凝然にあらず。わが身のなかにあるにあらず、わが身は心のなかにあるにあらず。この心は、法界に周遍せるにあらず。前にあらず、後にあらず。なきにあらず。自性にあらず、他性にあらず。共性にあらず、無因性にあらず。しかあれども、感應道交するところに、發菩提心するなり。諸佛菩薩の所授にあらず、みづからが所能にあらず、感應道交するに發心するゆゑに、自然にあらず。

 この發菩提心、おほくは南閻浮の人身に發心すべきなり。八難處等にもすこしきはあり、おほからず。菩提心をおこしてのち、三阿僧祇劫、一百大劫修行す。あるいは無量劫おこなひてほとけになる。あるいは無量劫おこなひて、衆生をさきにわたして、みづからはつひにほとけにならず、ただし衆生をわたし、衆生を利益するもあり。菩薩の意樂にしたがふ。

 おほよそ菩提心は、いかがして一切衆生をして菩提心をおこさしめ、佛道に引導せましと、ひまなく三業にいとなむなり。いたづらに世間の欲樂をあたふるを、利益衆生とするにはあらず。この發心、この修證、はるかに迷悟の邊表を超越せり。三界に勝出し、一切に拔群せり。なほ聲聞辟支佛のおよぶところにあらず。

 

 迦葉菩薩、偈をもて釋迦牟尼佛をほめたてまつるにいはく、

 發心畢竟二無別(發心と畢竟と二、別無し)、

 如是二心先心難(是の如くの二心は先の心難し)。

 自未得度先度他(自れ未だ度ることを得ざるに先づ他を度す)、

 是故我禮初發心(是の故に我れは初發心を禮す)。

 初發已爲天人師(初發已に天人師たり)、

 勝出聲聞及緣覺(聲聞及び緣覺に勝出す)。

 如是發心過三界(是の如くの發心は三界に過えたり)、

 是故得名最無上(是の故に最無上と名づくることを得)。

 發心とは、はじめて自未得度先度他の心をおこすなり、これを初發菩提心といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸佛にあふたてまつり、供養したてまつるに、見佛聞法し、さらに菩提心をおこす、霜上加霜なり。

 いはゆる畢竟とは、佛果菩提なり。阿耨多羅三藐三菩提と初發菩提心と、格量せば劫火、螢火のごとくなるべしといへども、自未得度先度他のこころをおこせば、二無別なり。

 毎自作是念(毎に自ら是の念を作さく)、

 以何令衆生(何を以てか衆生をして)。

 得入無上道(無上道に入り)、

 速成就佛身(速やかに佛身を成就することを得しめん)。

 これすなはち如來の壽量なり。ほとけは發心、修行、證果、みなかくのごとし。

 衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度他のこころをおこさしむるなり。自未得度先度他の心をおこせるちからによりて、われほとけにならんとおもふべからず。たとひほとけになるべき功徳熟して圓滿すべしといふとも、なほめぐらして衆生の成佛得道に囘向するなり。この心、われにあらず、他にあらず、きたるにあらずといへども、この發心よりのち、大地を擧すればみな黄金となり、大海をかけばたちまちに甘露となる。これよりのち、土石砂礫をとる、すなはち菩提心を拈來するなり。水沫泡焰を參ずる、したしく菩提心を擔來するなり。

 しかあればすなはち、國城妻子、七寶男女、頭目髓腦、身肉手足をほどこす、みな菩提心の鬧聒聒なり、菩提心の活鱍鱍なり、いまの質多、慮知の心、ちかきにあらず、とほきにあらず、みづからにあらず、他にあらずといへども、この心をもて、自未得度先度他の道理にめぐらすこと不退轉なれば、發菩提心なり。

 しかあれば、いま一切衆生の我有と執せる草木瓦礫、金銀珍寶をもて菩提心にほどこす、また發菩提心ならざらめやは。心および諸法、ともに自他共無因にあらざるがゆゑに、もし一刹那この菩提心をおこすより、萬法みな増上緣となる。おほよそ發心、得道、みな刹那生滅するによるものなり。もし刹那生滅せずは、前刹那の惡さるべからず。前刹那の惡いまださらざれば、後刹那の善いま現生すべからず。この刹那の量は、ただ如來ひとりあきらかにしらせたまふ。一刹那心、能起一語、一刹那語、能説一字(一刹那の心、能く一語を起し、一刹那の語、能く一字を説く)も、ひとり如來のみなり。餘聖不能なり。

 

 おほよそ壯士の一彈指のあひだに、六十五の刹那ありて五蘊生滅すれども、凡夫かつて不覺不知なり。怛刹那の量よりは、凡夫もこれをしれり。一日一夜をふるあひだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて、五蘊ともに生滅す。しかあれども、凡夫かつて覺知せず。覺知せざるがゆゑに菩提心をおこさず。佛法をしらず、佛法を信ぜざるものは、刹那生滅の道理を信ぜざるなり。もし如來の正法眼藏涅槃妙心をあきらむるがごときは、かならずこの刹那生滅の道理を信ずるなり。いまわれら如來の説教にあふたてまつりて、曉了するににたれども、わづかに怛刹那よりこれをしり、その道理しかあるべしと信受するのみなり。世尊所説の一切の法、あきらめずしらざることも、刹那量をしらざるがごとし。學者みだりに貢高することなかれ。極少をしらざるのみにあらず、極大をもまたしらざるなり。もし如來の道力によるときは、衆生また三千界をみる。おほよそ本有より中有にいたり、中有より當本有にいたる、みな一刹那一刹那にうつりゆくなり。かくのごとくして、わがこころにあらず、業にひかれて流轉生死すること、一刹那もとどまらざるなり。かくのごとく流轉生死する身心をもて、たちまちに自未得度先度他の菩提心をおこすべきなり。たとひ發菩提心のみちに身心ををしむとも、生老病死して、つひに我有なるべからず。

 衆生の壽行生滅してとどまらず、すみやかなること、

 世尊在世有一比丘、來詣佛所、頂禮雙足、却住一面、白世尊言、衆生壽行、云何速疾生滅(世尊在世に一比丘有り、佛の所に來詣りて、雙足を頂禮し、却つて一面に住して、世尊に白して言さく、衆生の壽行、云何が速疾に生滅する)。

 佛言、我能宣説、汝不能知(我れ能く宣説するも、汝知ること能はじ)。

 比丘言、頗有譬喩能顯示不(頗る譬喩の能く顯示しつべき有りや不や)。

 佛言、有、今爲汝説。譬如四善射夫、各執弓箭、相背攅立、欲射四方、有一捷夫、來語之、曰汝等今可一時放箭、我能遍接、倶令不墮。於意云何、此捷疾不(佛言く、有り、今汝が爲に説かん。譬へば四の善射夫、各弓箭を執り、相背きて攅り立ちて、四方を射んと欲んに、一の捷夫有りて、來りて之に語げて、汝等今一時に箭を放つべし、我れ能く遍く接りて、倶に墮せざらしめんと曰はんが如し。意に於て云何、此れは捷疾なりや不や)。

 比丘白佛、其疾、世尊(比丘、佛に白さく、其だ疾し、世尊)。

 佛言、彼人捷疾、不及地行夜叉。地行夜叉捷疾、不及空行夜叉。空行夜叉捷疾、不及四天王天捷疾。彼天捷疾、不及日月二輪捷疾。日月二輪捷疾、不及堅行天子捷疾。此是導引日月輪車者。此等諸天、展轉捷疾。壽行生滅、捷疾於彼。刹那流轉、無有暫停(佛言く、彼の人の捷疾なること、地行夜叉に及ばず。地行夜叉の捷疾なること、空行夜叉に及ばず。空行夜叉の捷疾なること、四天王天の捷疾なるに及ばず。彼の天の捷疾なること、日月二輪の捷疾なるに及ばず。日月二輪の捷疾なること、堅行天子の捷疾なるに及ばず。此れは是れ日月の輪車を導引する者なり。此等の諸天、展轉して捷疾なり。壽行の生滅は、彼よりも捷疾なり。刹那に流轉し、暫くも停ること有ること無し)。

 われらが壽行生滅、刹那流轉捷疾なること、かくのごとし。念念のあひだ、行者この道理をわするることなかれ。この刹那生滅、流轉捷疾にありながら、もし自未得度先度他の一念をおこすごときは、久遠の壽量、たちまちに現在前するなり。三世十方の諸佛、ならびに七佛世尊、および西天二十八祖、東地六祖、乃至傳佛正法眼藏涅槃妙心の祖師、みなともに菩提心を保任せり、いまだ菩提心をおこさざるは祖師にあらず。

 

 禪苑淸規一百二十問云、發悟菩提心否(菩提心を發悟せりや否や)。

 あきらかにしるべし、佛祖の學道、かならず菩提心を發悟するをさきとせりといふこと。これすなはち佛祖の常法なり。發悟すといふは、曉了なり。これ大覺にはあらず。たとひ十地を頓證せるも、なほこれ菩薩なり。西天二十八祖、唐土六祖等、および諸大祖師は、これ菩薩なり。ほとけにあらず、聲聞辟支佛等にあらず。いまのよにある參學のともがら、菩薩なり、聲聞にあらずといふこと、あきらめしれるともがら一人もなし。ただみだりに衲僧、衲子と自稱して、その眞實をしらざるによりて、みだりがはしくせり。あはれむべし、澆季祖道癈せること。

 しかあればすなはち、たとひ在家にもあれ、たとひ出家にもあれ、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、苦にありといふとも、樂にありといふとも、はやく自未得度先度他の心をおこすべし。衆生界は有邊無邊にあらざれども、先度一切衆生の心をおこすなり。これすなはち菩提心なり。

 一生補處菩薩、まさに閻浮提にくだらんとするとき、覩史多天の諸天のために、最後の教をほどこすにいはく、菩提心是法明門、不斷三寶故(菩提心は是れ法明門なり、三寶を斷ぜざるが故に)。

 あきらかにしりぬ、三寶の不斷は菩提心のちからなりといふことを。菩提心をおこしてのち、かたく守護し、退轉なかるべし。

 

 佛言、云何菩薩守護一事。謂、菩提心。菩薩摩訶薩、常勤守護是菩提心、猶如世人守護一子。亦如瞎者護餘一目。如行曠野守護導者。菩薩守護菩提心、亦復如是。因護如是菩提心故、得阿耨多羅三藐三菩提。因得阿耨多羅三藐三菩提故、常樂我淨具足而有。卽是無上大般涅槃。是故菩薩守護一法(佛言はく、云何が菩薩一事を守護せん。謂く、菩提心なり。菩薩摩訶薩、常に勤めて是の菩提心を守護すること、猶ほ世人の一子を守護するが如し。亦た瞎者の餘の一目を護るが如し。曠野を行くに、導者を守護するが如し。菩薩の菩提心を守護することも、亦た復た是の如し。是の如くの菩提心を護るに因るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得。阿耨多羅三藐三菩提を得るに因るが故に、常樂我淨具足して有り。卽ち是れ無上大般涅槃なり。是の故に菩薩は一法を守護すべし)。

 菩提心をまぼらんこと、佛語あきらかにかくのごとし。守護して退轉なからしむるゆゑは、世間の常法にいはく、たとひ生ずれども熟せざるもの三種あり。いはく、魚子、菴羅果、發心菩薩なり。おほよそ退大のものおほきがゆゑに、われも退大とならんことを、かねてよりおそるるなり。このゆゑに菩提心を守護するなり。

 菩薩の初心のとき、菩提心を退轉すること、おほくは正師にあはざるによる。正師にあはざれば正法をきかず、正法をきかざればおそらくは因果を撥無し、解脱を撥無し、三寶を撥無し、三世等の諸法を撥無す。いたづらに現在の五欲に貪著して、前途菩提の功徳を失す。

 あるいは天魔波旬等、行者をさまたげんがために、佛形に化し、父母師匠、乃至親族諸天等のかたちを現じて、きたりちかづきて、菩薩にむかひてこしらへすすめていはく、佛道長遠、久受諸苦、もともうれふべし。しかじ、まづわれ生死を解脱し、のちに衆生をわたさんには。行者このかたらひをききて、菩提心を退し、菩薩の行を退す。まさにしるべし、かくのごとくの説すなはちこれ魔説なり、菩薩しりてしたがふことなかれ。もはら自未得度先度他の行願を退轉せざるべし。自未得度先度他の行願にそむかんがごときは、これ魔説としるべし、外道説としるべし、惡友説としるべし。さらにしたがふことなかれ。

 

 魔有四種。一煩惱魔、二五衆魔、三死魔、四天子魔(魔に四種有り。一には煩惱魔、二には五衆魔、三には死魔、四には天子魔)。

 煩惱魔者、所謂百八煩惱等、分別八萬四千諸煩惱(煩惱魔とは、所謂る百八煩惱等、分別するに八萬四千の諸の煩惱なり)。

 五衆魔者、是煩惱和合因緣、得是身。四大及四大造色、眼根等色、是名色衆。百八煩惱等諸受和合、名爲受衆。大小無量所有想、分別和合、名爲想衆。因好醜心發、能起貪欲瞋恚等心、相應不相應法、名爲行衆。六情六塵和合故生六識、是六識分別和合無量無邊心、是名識衆(五衆魔とは、是れ煩惱和合の因緣にして、是の身を得。四大及び四大の造色、眼根等の色、是れを色衆と名づく。百八煩惱等の諸受和合せるを、名づけて受衆と爲す。大小無量の所有の想、分別和合せるを、名づけて想衆と爲す。好醜の心發るに因つて、能く貪欲瞋恚等の心、相應不相應の法を起すを、名づけて行衆と爲す。六情六塵和合するが故に六識を生ず、是の六識分別和合すれば無量無邊の心あり、是れを識衆と名づく)。

 死魔者、無常因緣故、破相續五衆壽命、盡離三法識熱壽故、名爲死魔(死魔とは、無常因緣の故に、相續せる五衆の壽命を破り、三法なる識熱壽を盡離するが故に、名づけて死魔と爲す)。

 天子魔者、欲界主、深著世樂、用有所得故生邪見、憎嫉一切賢聖、涅槃道法。是名天子魔(天子魔とは、欲界の主として、深く世樂に著し、有所得を用ての故に邪見を生じ、一切賢聖、涅槃の道法を憎嫉す。是れを天子魔と名づく)。

 魔是天竺語、秦言能奪命者。雖死魔實能奪命、餘者亦能作奪命因緣、亦奪智惠命。是故名殺者(魔は是れ天竺の語、秦には能奪命者と言ふ。死魔は實に能く命を奪ふと雖も、餘の者も亦た能く奪命の因緣を作し、亦た智惠の命を奪ふ。是の故に殺者と名づく)。

 問曰、一五衆魔接三種魔、何以故別説四(一の五衆魔に三種の魔を接す、何を以ての故に別にして四と説くや)。

 答曰、實是一魔、分別其義故有四(實に是れ一魔なり、其の義を分別するが故に四有り)。

 上來これ龍樹祖師の施設なり、行者しりて勤學すべし。いたづらに魔嬈をかうぶりて、菩提心を退轉せざれ、これ守護菩提心なり。

 

正法眼藏發菩提心第四

 

 建長七年乙卯四月九日以御草案書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第五 供養諸佛

 佛言、

 若無過去世(若し過去世無くんば)、

 應無過去佛(應に過去佛無かるべし)。

 若無過去佛(若し過去佛無くんば)、

 無出家受具(出家受具無けん)。

 あきらかにしるべし、三世にかならず諸佛ましますなり。しばらく過去の諸佛におきて、そのはじめありといふことなかれ、そのはじめなしといふことなかれ。もし始終の有無を邪計せば、さらに佛法の習學にあらず。過去の諸佛を供養したてまつり、出家し、隨順したてまつるがごとき、かならず諸佛となるなり。供佛の功徳によりて作佛するなり。いまだかつて一佛をも供養したてまつらざる衆生、なにによりてか作佛することあらん。無因作佛あるべからず。

 

 佛本行集經言、

 佛告目犍連、我念往昔、於無量無邊諸世尊所、種諸善根、乃至求於阿耨多羅三藐三菩提(佛、目犍連に告げたまはく、我れ往昔を念ふに、無量無邊の諸の世尊の所に於て、諸の善根を種ゑ、乃至阿耨多羅三藐三菩提を求めき)。

 目犍連、我念往昔、作轉輪聖王身、値三十億佛。皆同一號、號釋迦。如來及聲聞衆、尊重承事、恭敬供養、四事具足。所謂衣服、飮食、臥具、湯藥。時彼諸佛、不與我記、汝當得阿耨多羅三藐三菩提、及世間解、天人師、佛世尊、於未來世、得成正覺(目犍連、我れ往昔を念ふに、轉輪聖王の身と作りて、三十億の佛に値ひたてまつりき。皆な同じく一號にして、釋迦と號けき。如來及び聲聞衆まで、尊重し承事し、恭敬し供養して四事具足せり。所謂る衣服、飮食、臥具、湯藥なり。時に彼の諸佛、我れに記を與へて、汝、當に阿耨多羅三藐三菩提を得、及び世間解、天人師、佛世尊として、未來世に於て、正覺を成ずることを得べしとしたまはざりき)。

 目犍連、我念往昔、作轉輪聖王身、値八億諸佛。皆同一號、號燃燈。如來及聲聞衆、尊重恭敬、四事供養。所謂衣服、飮食、臥具、湯藥、幡蓋、華香。時彼諸佛、不與我記、汝當得阿耨多羅三藐三菩提、及世間解、天人師、佛世尊(目犍連、我れ往昔を念ふに、轉輪聖王の身と作りて、八億の諸佛に値ひたてまつりき。皆な同じく一號にして、燃燈と號けき。如來及び聲聞衆まで、尊重し恭敬して、四事供養せり。所謂る衣服、飮食、臥具、湯藥、幡蓋、華香なり。時に彼の諸佛、我れに記を與へて、汝、當に阿耨多羅三藐三菩提を得、及び世間解、天人師、佛世尊たるべしとしたまはざりき)。

 目犍連、我念往昔、作轉輪聖王身、値三億諸佛。皆同一號、號弗沙。如來及聲聞衆、四事供養、皆悉具足。時彼諸佛、不與我記、汝當作佛(目犍連、我れ往昔を念ふに、轉輪聖王の身と作りて、三億の諸佛に値ひたてまつりき。皆な同じく一號にして弗沙と號けき。如來及び聲聞衆まで、四事供養し、皆な悉く具足せり。時に彼の諸佛、我れに記を與へて、汝、當に作佛すべしとしたまはざりき)。

 このほかそこばくの諸佛を供養しまします。轉輪聖王身としては、かならず四天下を統領すべし、供養諸佛の具、まことに豐饒なるべし。もし大轉輪王ならば、三千界に王なるべし。そのときの供佛、いまの凡慮はかるべからず。ほとけときましますとも、解了することをえがたからん。

 

 佛藏經淨見品第八云、

 佛告舍利弗、我念過世、求阿耨多羅三藐三菩提、値三十億佛。皆號釋迦牟尼。我時皆作轉輪聖王、盡形供養及諸弟子、衣服、飮食、臥具、醫藥、爲求阿耨多羅三藐三菩提。而是諸佛、不記我、言汝於來世、當得作佛。何以故。以我有所得故(佛、舍利弗に告げたまはく、我れ過世を念ふに、阿耨多羅三藐三菩提を求めて、三十億の佛に値ひたてまつりき。皆な釋迦牟尼と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、形を盡くすまで、諸弟子に及ぶまで、衣服、飮食、臥具、醫藥を供養せり、阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。而も是の諸佛、我れを記して、汝、來世に於て當に作佛することを得べしと言はざりき。何を以ての故に。我れ有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、得値八千佛。皆號定光。時皆作轉輪聖王、盡形供養及諸弟子、衣服、飮食、臥具、醫藥、爲求阿耨多羅三藐三菩提。而是諸佛、不記我汝於來世、當得作佛。何以故。以我有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、八千佛に値ひたてまつることを得たり。皆な定光と號けき。時に皆な轉輪聖王と作りて、形を盡くすまで、諸弟子に及ぶまで、衣服、飮食、臥具、醫藥を供養せり、阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。而も是の諸佛、我れを汝、來世に於て當に作佛することを得べしと記したまはざりき。何を以ての故に。我れ有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、値六萬佛。皆號光明。我時皆作轉輪聖王、盡形供養及諸弟子、衣服、飮食、臥具、醫藥、爲求阿耨多羅三藐三菩提。而是諸佛、亦不記我汝於來世、當得作佛。何以故。以我有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、六萬佛に値ひたてまつりき。皆な光明と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、形を盡くすまで、諸弟子に及ぶまで、衣服、飮食、臥具、醫藥を供養せり、阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。而も是の諸佛、亦た我れを汝、來世に於て、當に作佛することを得べしと記したまはざりき。何を以ての故に。我れ有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、値三億佛。皆號弗沙。我時作轉輪聖王、四事供養、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、三億佛に値ひたてまつりき。皆な弗沙と號けき。我れ時に轉輪聖王と作りて、四事供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、得値萬八千佛。皆號山王、劫名上八。我皆於此萬八千佛所、剃髪法衣修習阿耨多羅三藐三菩提、皆不記我。以我有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、萬八千佛に値ひたてまつることを得たり。皆な山王と號け、劫を上八と名づけき。我れ皆な此の萬八千佛の所に於て、剃髪法衣して阿耨多羅三藐三菩提を修習せしに、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、得値五百佛。皆號華上。我時皆作轉輪聖王、悉以一切、供養諸佛及諸弟子、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、五百佛に値ひたてまつることを得たり。皆な華上と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、悉く一切を以て、諸佛及び諸弟子を供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、得値五百佛。皆號威徳。我悉供養、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、五百佛に値ひたてまつることを得たり。皆な威徳と號けき。我れ悉く供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、得値二千佛。皆號憍陳如。我時皆作轉輪聖王、悉以一切、供養諸佛、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、二千佛に値ひたてまつることを得たり。皆な憍陳如と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、悉く一切を以て諸佛を供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、値九千佛。皆號迦葉。我以四事、供養諸佛及諸弟子衆、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、九千佛に値ひたてまつれり。皆な迦葉と號けき。我れ四事を以て、諸佛及び諸弟子衆を供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過去、於萬劫中、無有佛出。爾時初五百劫、有九萬辟支佛。我盡形壽、悉皆供養衣服、飮食、臥具、醫藥、尊重讃嘆。次五百劫、復以四事、供養八萬四千億諸辟支佛、尊重讃嘆(舍利弗、我れ過去を念ふに、萬劫の中に於て、佛の出でたまふこと有ること無し。爾の時に初めの五百劫に、九萬の辟支佛有りき。我れ盡形壽に、悉く皆な衣服、飮食、臥具、醫藥を供養して、尊重し讃嘆しき。次の五百劫に、復た四事を以て、八萬四千億の諸の辟支佛を供養し、尊重し讃嘆しき)。

 舍利弗、過是千劫已、無復辟支佛。我時閻浮提死、生梵世中、作大梵王。如是展轉、五百劫中、常生梵世作大梵王、不生閻浮提。過是五百劫已、下生閻浮提、治化閻浮提、命終生四天王天。於中命終、生忉利天、作釋提桓因。如是展轉、滿五百劫生閻浮提、滿五百劫生於梵世、作大梵王(舍利弗、是の千劫を過ぎ已りて、復た辟支佛無し。我れ時に閻浮提に死して、梵世の中に生れて大梵王と作りき。是の如く展轉して、五百劫の中に、常に梵世に生れ大梵王と作りて、閻浮提に生ぜず。是の五百劫を過ぎ已りて、閻浮提に下生して、閻浮提を治化して、命終して四天王天に生れき。中に於て命終して忉利天に生れ、釋提桓因と作りき。是の如く展轉して、五百劫を滿てて閻浮提に生れ、五百劫を滿てて梵世に生れ、大梵王と作りき)。

 舍利弗、我於九千劫中、但一生閻浮提、九千劫中、但生天上。劫盡燒時、生光音天。世界成已、還生梵世。九千劫中生、都不生人中(舍利弗、我れ九千劫の中に、但だ一たび閻浮提に生れ、九千劫の中に、但だ天上にのみ生る。劫盡きて燒けし時、光音天に生る。世界成じ已りて、還た梵世に生る。九千劫の中の生、都て人中に生れざりき)。

 舍利弗、是九千劫、無有諸佛、辟支佛、多諸衆生墮在惡道(舍利弗、是の九千劫に、諸佛、辟支佛有ること無く、諸の衆生の惡道に墮在するもの多かりき)。

 舍利弗、是萬劫過已、有佛出世。號曰普守如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊。我於爾時、梵世命終生閻浮提、作轉輪聖王。號曰共天。人壽九萬歳。我盡形壽、以一切樂具、供養彼佛及九十億比丘。於九萬歳、爲求阿耨多羅三藐三菩提。是普守佛亦不記我汝於來世、當得作佛。何以故。我於爾時、不能通達諸法實相、貪著計我有所得見(舍利弗、是の萬劫過ぎ已りて、佛有りて出世したまひき。號けて普守如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊と曰ふ。我れ爾の時に於て、梵世に命終して閻浮提に生れ、轉輪聖王と作りき。號けて共天と曰ふ。人壽九萬歳なりき。我れ盡形壽に、一切の樂具を以て、彼の佛及び九十億の比丘を供養せり。九萬歳に於て阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。是の普守佛も亦た我れを汝、來世に於て、當に作佛することを得べしと記したまはざりき。何を以ての故に。我れ爾の時に、諸法實相に通達すること能はず、計我、有所得の見に貪著したればなり)。

 舍利弗、於是劫中、有百佛出、名號各異。我時皆作轉輪聖王、盡形供養及諸弟子。爲求阿耨多羅三藐三菩提。而是諸佛亦不記我汝於來世、當得作佛。以有所得故(舍利弗、是の劫の中に、百佛有りて出でたまひ、名號各異なりき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、形を盡くすまで供養すること、諸弟子に及べり。阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。而も是の諸佛も亦た我れを汝、來世に於て當に作佛することを得べしと記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、第七百阿僧祇劫中、得値千佛。皆號閻浮檀。我盡形壽四事供養、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、第七百阿僧祇劫の中に、千佛に値ひたてまつることを得たり。皆な閻浮檀と號けき。我れ盡形壽に四事供養せしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、亦於第七百阿僧祇劫中、得値六百二十萬諸佛。皆號見一切儀。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養及諸弟子、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、亦た第七百阿僧祇劫の中に、六百二十萬の諸佛に値ひたてまつることを得たり。皆な、見一切儀と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養すること諸弟子に及びしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、亦於第七百阿僧祇劫中、得値八十四佛。皆號帝相。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養及諸弟子、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、亦た第七百阿僧祇劫の中に、八十四佛に値ひたてまつることを得たり。皆な、帝相と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養すること諸弟子に及びしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、亦於第七百阿僧祇劫中、得値十五佛。皆號日明。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養及諸弟子、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、亦た第七百阿僧祇劫の中に、十五佛に値ひたてまつることを得たり。皆な日明と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養すること諸弟子に及びしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 舍利弗、我念過世、亦於第七百阿僧祇劫中、得値六十二佛。皆號善寂。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、また第七百阿僧祇劫の中に、六十二佛に値ひたてまつることを得たり。皆な善寂と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養せしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。

 如是展轉、乃至見定光佛、乃得無生忍。卽記我言、汝於來世過阿僧祇劫、當得作佛、號釋迦牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊(是の如く展轉して、乃至定光佛を見たてまつりて、乃ち無生忍を得たり。卽ち我れを記して言はく、汝、來世に於て阿僧祇劫を過ぎて、當に作佛することを得て、釋迦牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊と號くべしと)。

 はじめ三十億の釋迦牟尼佛にあひたてまつりて、盡形壽供養よりこのかた、定光如來にあふたてまつらせたまふまで、みなつねに轉輪聖王のみとして、盡形壽供養したてまつりまします。轉輪聖王、おほくは八萬已上なるべし。あるいは九萬歳、八萬歳の壽量、そのあひだの一切樂具の供養なり。定光佛とは燃燈如來なり。三十億の釋迦牟尼佛にあひたてまつりまします、佛本行集經ならびに佛藏經の説、おなじ。

 

 釋迦菩薩、初阿僧企耶、逢事供養七萬五千佛。最初名釋迦牟尼、最後名寶髻。第二阿僧企耶、逢事供養七萬六千佛。最初卽寶髻、最後名燃燈。第三阿僧企耶、逢事供養七萬七千佛。最初卽燃燈、最後名勝觀。於修相異熟業九十一劫中、逢事供養六佛。最初名勝觀、最後名迦葉波(釋迦菩薩、初阿僧企耶に、七萬五千佛に逢事し供養したてまつりき。最初を釋迦牟尼と名づけ、最後を寶髻と名づけき。第二阿僧企耶に、七萬六千佛に逢事し供養したてまつりき。最初は卽ち寶髻、最後を燃燈と名づけき。第三阿僧企耶に、七萬七千佛に逢事し供養したてまつりき。最初は卽ち燃燈、最後名勝觀と名づけき。相異熟業を修する九十一劫の中に、六佛に逢事し供養したてまつりき。最初は卽ち勝觀、最後名迦葉波と名づけき)。

 おほよそ三大阿僧祇劫の供養諸佛、はじめ身命より、國城妻子、七寶男女等、さらにをしむところなし。凡慮のおよぶところにあらず。あるいは黄金の粟を白銀の埦にもりみて、あるいは七寶の粟を金銀の埦にもりみてて供養したてまつる。あるいは小豆、あるいは水陸の花、あるいは栴檀、沈水香等を供養したてまつり、あるいは五莖の靑蓮華を、五百の金銀をもて買取て、燃燈佛を供養したてまつりまします。あるいは鹿皮衣、これを供養したてまつる。

 おほよそ供佛は、諸佛の要樞にましますべきを供養したてまつるにあらず。いそぎわがいのちの存ぜる光陰をむなしくすごさず、供養したてまつるなり。たとひ金銀なりとも、ほとけの御ため、なにの益かあらん。たとひ香花なりとも、またほとけの御ため、なにの益かあらん。しかあれども、納受せさせたまふは、衆生をして功徳を増長せしめんための大慈大悲なり。

 

 大般涅槃經第二十二云、

 佛言、善男子、我念過去無量無邊那由他劫、爾時世界名曰裟婆。有佛世尊、號釋迦牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊。爲諸大衆、宣説如是大涅槃經。我於爾時、從善友所轉、聞彼佛當爲大衆説大涅槃。我聞是已、其心歡喜、欲設供養。居貧無物。欲自賣身、薄福不售。卽欲還家、路見一人(佛言はく、善男子、我れ過去無量無邊那由他劫を念ふに、爾の時に世界を名づけて裟婆と曰へり。佛世尊有り、釋迦牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊と號けき。諸の大衆の爲に、是の如くの大涅槃經を宣説したまひき。我れ爾の時に於て、善友の所より轉じて、彼の佛當に大衆の爲に大涅槃を説きたまふと聞きき。我れ是れを聞き已りて、其の心歡喜し、供養を設けんと欲へり。貧に居して物無し。自ら身を賣らんと欲へども、薄福にして售れず。卽ち家に還らんと欲ふに、路に一人を見たり)。

 而便語言、吾欲賣身、若能買不(吾れ身を賣らんと欲ふ、若能く買ふや不や)。

 其人答曰、我家作業、人無堪者、汝設能爲、我當買汝(我が家の作業は、人の堪ふる者無し、汝設し能く爲さば、我れ當に汝を買ふべし)。

 我卽問言、有何作業、人無能堪(何なる作業有りてか、人の能く堪ふること無き)。

 其人見答、吾有惡病、良醫處藥、應當日服人肉三兩。卿若能以身肉三兩日日見給、便當與汝金錢五枚(其の人見答すらく、吾れに惡病有り、良醫の處藥、應當に日に人肉三兩を服すべしといふ。卿若し能く身肉三兩を以て日日に見給せば、便ち當に汝に金錢五枚を與ふべし)。

 我時聞已、心中歡喜(我れ時に聞き已りて、心中歡喜しき)。

 我復語言、汝與我錢、假我七日。須我事訖、便還相就(我れ復た語りて言く、汝、我に錢を與へ、我れに七日を假すべし。我が事訖るを須ちて、便ち還た相就かん)。

 其人見答、七日不可、審能爾者、當許一日(其の人見答すらく、七日は不可なり、審し能く爾あらば、當に一日を許すべし)。

 善男子、我於爾時、卽取其錢、還至佛所、頭面禮足、盡其所有、而以奉獻。然後、誠心聽受是經。我時闇鈍、雖得聞經、唯能受持一偈文句(善男子、我れ爾の時に於て、卽ち其の錢を取りて、還た佛の所に至り、頭面に足を禮し、其の所有を盡くして、以て奉獻しき。然して後、誠心に是の經を聽受せり。我れ時に闇鈍にして、經を聞くことを得と雖も、唯能く一偈の文句を受持したり)。

 如來證涅槃(如來涅槃を證したまひ)、

 永斷於生死(永く生死を斷ず)。

 若有至心聽(若し至心に聽くこと有らば)、

 常得無量樂(常に無量の樂を得べし)。

 受是偈已、卽便還至彼病人家(是の偈を受け已りて、卽便ち還た彼の病人の家に至りぬ)。

 善男子、我時雖復日日與三兩肉、以念偈因緣故、不以爲痛。日日不癈、具滿一月(善男子、我れ時に復た日日に三兩の肉を與ふと雖も、念偈の因緣を以ての故に、以て痛と爲さざりき。日日癈せず、具に一月を滿てり)。

 善男子、以是因緣其病得瘥、我身平復亦無瘡痍。我時見身具足完具、卽發阿耨多羅三藐三菩提心。一偈之力尚能如是、何況具足受持讀誦。我見此經有如是利、復倍發心、願於未來、得成佛道、字釋迦牟尼(善男子、是の因緣を以て其の病瘥ゆることを得、我が身も平復して亦た瘡痍無かりき。我れ時に身の具足完具せるを見て、卽ち阿耨多羅三藐三菩提心を發しき。一偈の力尚ほ能く是の如し、何に況んや具足して受持し讀誦せんをや。我れ此の經の是の如く利有るを見て、復た倍發心し、未來に於て佛道を成ずることを得て、釋迦牟尼と字せんことを願ひき)。

 善男子、以是一偈因緣力故、令我今日於大衆中、爲諸天人具足宣説(善男子、是の一偈の因緣力を以ての故に、我れをして今日大衆の中に於て、諸の天人の爲に具足して宣説せしむ)。

 善男子、以是因緣、是大涅槃不可思議、成就無量無邊功徳。乃是諸佛如來甚深秘密之藏(善男子、是の因緣を以て、是の大涅槃不可思議なり、無量無邊の功徳を成就せり。乃ち是れ諸佛如來甚深秘密之藏なり)。

 そのときの賣身の菩薩は、今釋迦牟尼佛の往因なり。他經を會通すれば、初阿僧祇劫の最初、古釋迦牟尼佛を供養したてまつりましますときなり。かのときは瓦師なり、その名を大光明と稱ず。古釋迦牟尼佛ならびに諸弟子に供養するに三種の供養をもてす、いはゆる草座、石蜜漿、燃燈なり。そのときの發願にいはく、

 國土、名號、壽命、弟子、一如今釋迦牟尼佛(今釋迦牟尼佛に一如ならん)。

 かのときの發願、すでに今日成就するものなり。しかあればすなはち、ほとけを供養したてまつらんとするに、その身まづしといふことなかれ、そのいへまづしといふことなかれ。みづから身をうりて諸佛を供養したてまつるは、いま大師釋尊の正法なり。たれかこれを隨喜歡喜したてまつらざらん。このなかに、日日に三兩の身肉を割取するぬしにあふ、善知識なりといへども、他人のたふべからざるなり。しかあれども、供養の深志のたすくるところ、いまの功徳あり。いまわれら如來の正法を聽聞する、かの往古の身肉を處分せられたるなるべし。いまの四句の偈は、五枚の金錢にかふるところにあらず。三阿僧祇、一百大劫のあひだ、受生捨生にわするることなく、彼佛是佛のところに證明せられきたりましますところ、まことに不可思議の功徳あるべし。遺法の弟子、ふかく頂戴受持すべし。如來すでに一偈之力、尚能如是と宣説しまします、もともおほきにふかかるべし。

 

 法華經云、

 若人於塔廟、寶像及畫像(若し人、塔廟、寶像及び畫像に)、

 以華香幡蓋、敬心而供養(華香幡蓋を以て、敬心に而も供養せん)、

 若使人作樂、撃鼓吹角唄(若しは人をして樂を作さしめ、鼓を撃ち角唄を吹き)、

 簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅鈸(簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅鈸)、

 如是衆妙音、盡持以供養(是の如くの衆妙の音、盡く持以て供養せん)、

 或以歡喜心、歌唄頌佛徳(或いは歡喜心を以て、歌唄して佛徳を頌せん)、

 乃至一少音、皆已成佛道(乃至一少音せんすら、皆な已に佛道を成ぜり)。

 若人散亂心、乃至以一華(若し人、散亂の心もて、乃至一華を以て)、

 供養於畫像、漸見無數佛(畫像に供養せん、漸くに無數の佛を見たてまつらん)。

 或有人禮拜、或復但合掌(或いは人有りて禮拜し、或いは復た但だ合掌し)、

 乃至擧一手、或復少低頭(乃至一手を擧げ、或いは復た少しく低頭せん)、

 以此供養像、漸見無量佛(此れを以て像を供養せしもの、漸くに無量佛を見たてまつり)、

 自成無上道、廣度無數衆(自ら無上道を成じて、廣く無數の衆を度せん)。

 これすなはち、三世諸佛の頂𩕳なり、眼睛なり。見賢思齊の猛利精進すべし。いたづらに光陰をわたることなかれ。

 

 石頭無際大師云、光陰莫虛度(光陰虛しく度ること莫れ)。

 かくのごときの功徳、みな成佛す。過去、現在、未來おなじかるべし。さらに二あり、三あるべからず。供養佛の因によりて、作佛の果を成ずること、かくのごとし。

 

 龍樹祖師曰、如求佛果、讃歎一偈、稱一南謨、燒一捻香、奉獻一華、如是小行、必得作佛(龍樹祖師曰く、佛果を求むるが如きは、一偈を讃歎し、一南謨を稱じ、一捻香を燒き、一華を奉獻せん、是の如くの小行も、必ず作佛することを得ん)。

 これひとり龍樹祖師菩薩の所説といふとも、歸命したてまつるべし。いかにいはんや大師釋迦牟尼佛説を、龍樹祖師、正傳擧揚しましますところなり。われらいま佛道の寶山にのぼり、佛道の寶海にいりて、さいはひにたからをとれる、もともよろこぶべし。曠劫の供佛のちからなるべし。必得作佛うたがふべからず、決定せるものなり。

 釋迦牟尼佛の所説、かくのごとし。

 

 復次、有小因大果、小緣大報。如求佛道、讃一偈、一稱南無佛、燒一捻香、必得作佛。何況聞知諸法實相、不生不滅、不不生不不滅、而行因緣業、亦不失(復た次に、小因大果、小緣大報といふこと有り。佛道を求むるが如き、一偈を讃め、一たび南無佛を稱じ、一捻香を燒く、必ず作佛することを得ん。何に況んや諸法實相、不生不滅、不不生不不滅を聞知して、而も因緣の業を行ぜん、また失せじ)。

 世尊の所説、かくのごとくあきらかなるを、龍樹祖師したしく正傳しましますなり。誠諦の金言、正傳の相承あり。たとひ龍樹祖師の所説なりとも、餘師の説に比すべからず。世尊の所示を正傳流布しましますにあふことをえたり、もともよろこぶべし。これらの聖教を、みだりに東土の凡師の虛説に比量することなかれ。

 

 龍樹祖師曰、復次諸佛、恭敬法故、供養於法、以法爲師。何以故。三世諸佛皆以諸法實相爲師(復た次に諸佛は、法を恭敬したまふが故に、法を供養し、法を以て師と爲す。何を以ての故に。三世の諸佛は皆な諸法實相を以て師と爲したまへばなり)。

 問曰、何以不自供養身中法、而供養他法(何を以てか自ら身中の法を供養せずして、而も他法を供養したまふや)。

 答曰、隨世間法。如比丘欲供養法寶、不自供養身中法、而供養餘持法、知法、解法者。佛亦如是、雖身中有法、而供養餘佛法(世間の法に隨へばなり。如し比丘、法寶を供養せんと欲はば、自ら身中の法を供養せずして、而も餘の持法、知法、解法の者を供養すべし。佛も亦た是の如し、身中に法有りと雖も、而も餘佛の法を供養したまふなり)。

 問曰、如佛不求福徳、何以故供養(佛の如きは、福徳を求めず、何を以ての故に供養したまふや)。

 答曰、佛從無量阿僧祇劫中、修諸功徳、常行諸善。不但求報敬功徳故、而作供養(佛は無量阿僧祇劫の中より、諸の功徳を修し、常に諸の善を行じたまへり。但だ報を求めずして功徳を敬ふが故に、而も供養を作したまふなり)。

 如佛在時、有一盲比丘。眼無所見、而以手縫衣、時針衽脱。便言、誰愛福徳、爲我衽針(佛在しし時の如き、一りの盲比丘有りき。眼に見る所無くして、而も手を以て衣を縫ふに、時に針衽脱せり。便ち言く、誰か福徳を愛して、我が爲に衽針せん)。

 是時佛、到其所語比丘、我是愛福徳人、爲汝衽來(是の時に佛、其の所に到りて、比丘に語りたまはく、我れは是れ福徳を愛する人なり、汝が爲に衽し來らん)。

 是比丘、識佛聲、疾起著衣、禮佛足、白佛言、佛功徳已滿、云何言愛福徳(是の比丘、佛の聲を識りて、疾く起ちて衣を著け、佛の足を禮し、佛に白して言さく、佛は功徳已に滿じたまへり、云何が福徳を愛すと言ふや)。

 佛報言、我雖功徳已滿、我深知功徳因、功徳果報、功徳力。今我於一切衆生中得最第一、由此功徳、是故我愛(佛報げて言はく、我れ功徳已に滿ぜりと雖も、我れは深く功徳の因、功徳の果報、功徳の力を知る。今我れ一切衆生の中に於て最第一を得たるは此の功徳に由る、是の故に我れは愛するなり)。

 佛爲此比丘讃功徳已、次爲隨意説法、是比丘、得法眼淨、肉眼更明(佛、此の比丘の爲に功徳を讃め已りて、次いで爲に意に隨つて説法したまひしに、是の比丘、法眼淨を得て、肉眼更に明らかなりき)。

 この因緣、むかしは先師の室にして夜話をきく、のちには智度論の文にむかうてこれを檢校す。傳法祖師の示誨、あきらかにして遺落せず。この文、智度論第十にあり。諸佛かならず諸法實相を大師としましますこと、あきらけし。釋尊また諸佛の常法を證しまします。

 いはゆる諸法實相を大師とするといふは、佛法僧三寶を供養恭敬したてまつるなり。諸佛は無量阿僧祇劫そこばくの功徳善根を積集して、さらにその報をもとめず。ただ功徳を恭敬して供養しましますなり。佛果菩提のくらゐにいたりてなほ小功徳を愛し、盲比丘のために衽針しまします。佛果の功徳をあきらめんとおもはば、いまの因緣、まさしく消息なり。

 しかあればすなはち、佛果菩提の功徳、諸法實相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。いまの凡夫のおもふところは、造惡の諸法實相ならんとおもふ、有所得のみ佛果菩提ならんとおもふ。かくのごとくの邪見は、たとひ八萬劫をしるといふとも、いまだ本劫、本見、末劫、末見をのがれず。いかでか唯佛與佛の究盡しましますところの諸法實相を究盡することあらん。ゆゑいかんとなれば、唯佛與佛の究盡しましますところ、これ諸法實相なるがゆゑなり。

 

 おほよそ供養に十種あり。いはゆる、

 一者身供養。    二者支提供養。

 三者現前供養。   四者不現前供養。

 五者自作供養。   六者他作供養。

 七者財物供養。   八者勝供養。

 九者無染供養。   十者至處道供養。

 このなかの第一身供養とは、於佛色身、而設供養、名身供養(佛の色身に於て供養を設くるを、身供養と名づく)。

 第二供佛靈廟、名支提供養。僧祇律云、有舍利者名爲塔婆、無舍利者説爲支提。或云、通名支提。又梵云塔婆、復稱偸婆、此翻方墳、亦言靈廟。阿含言支徴[知荷反](第二に佛の靈廟に供ずるを、支提供養と名づく。僧祇律云く、舍利有るをば名づけて塔婆と爲す、舍利無きをば説いて支提と爲すと。或いは云く、通じて支提と名づくと。又梵に塔婆と云ひ、復た偸婆と稱ず、此に方墳と翻ず、亦た靈廟と言ふ。阿含に支徴[知荷の反]と言ふ)。

 あるいは塔婆と稱じ、あるいは支提と稱ずる、おなじきににたれども、南嶽思大禪師の法華懺法言、

 一心敬禮、十方世界、舍利尊像、支提妙塔、多寶如來、全身寶塔。

 あきらかに支提と妙塔とは、舍利と尊像、別なるがごとし。

 

 僧祇律第三十三云、塔法者、佛住拘薩羅國遊行時、有婆羅門畊地。見世尊行過、持牛杖拄地禮佛。世尊見已、便發微笑(僧祇律第三十三に云く、塔法とは、佛、拘薩羅國に住して遊行したまひし時、婆羅門有りて地を畊せり。世尊の行き過ぎたまふを見て、牛杖を持ちて地に拄きて佛を禮せり。世尊見已りて便ち微笑を發したまへり)。

 諸比丘白佛、何因緣故笑、唯願欲聞(諸の比丘、佛に白さく、何の因緣の故にか笑ひたまふ、唯願はくは聞かんことを欲ふ)。

 便告諸比丘、是婆羅門、今禮二世尊(便ち諸の比丘に告げたまはく、是の婆羅門、今二世尊を禮せり)。

 諸比丘白佛言、何等二佛(諸の比丘、佛に白して言さく、何等か二佛なる)。

 佛告比丘、禮我當其杖下、有迦葉佛塔(佛、比丘に告げたまはく、我れを禮せし其の杖の下に當りて、迦葉佛塔有り)。

 諸比丘白佛、願見迦葉佛塔(諸の比丘、佛に白さく、願はくは迦葉佛塔を見んことを)。

 佛告比丘、汝從此婆羅門、索土塊并是地(佛、比丘に告げたまはく、汝、此の婆羅門從り、土塊并びに是の地を索むべし)。

 諸比丘、卽便索之。時婆羅門便與之得已(諸の比丘、卽便ち之を索む。時に婆羅門便ち之を與ふるに得已りぬ)。

 爾時世尊、卽現出迦葉佛七寶塔、高一由延、面廣半由延(爾の時に世尊、卽ち迦葉佛の七寶塔の、高さ一由延、面の廣さ半由延なるを現出したまへり)。

 婆羅門見已、卽便白佛言、世尊、我姓迦葉、是我迦葉塔(婆羅門、見已りて、卽便ち佛に白して言さく、世尊、我が姓は迦葉なり、是れ我が迦葉塔なり)。

 爾時世尊、卽於彼家、作迦葉佛塔、諸比丘白佛言、世尊、我得授泥土不(爾の時に世尊、卽ち彼の家に於て、迦葉佛塔を作りたまふに、諸の比丘、佛に白して言さく、世尊、我れ泥土を授くることを得んや不や)。

 佛言、得授(授くることを得)。

 卽時説偈言(卽ち時に偈を説いて言はく)、

 眞金百千擔(眞金百千擔)、

 持用行布施(持用つて布施を行ぜんよりは)、

 不如一團埿(如かじ、一團埿をもて)、

 敬心持佛塔(敬心もて佛塔を持せんには)。

 爾時世尊、自起迦葉佛塔、下基四方周匝欄楯、圓起二重、方牙四出、上施盤蓋、長表輪相(爾の時に世尊、自ら迦葉佛塔を起てたまふに、下基は四方に欄楯を周匝し、圓起すること二重にして、方牙四出し、上に盤蓋を施し、長く輪相を表はしつ)。

 佛言、作塔法應如是(作塔の法は、應に是の如くなるべし)。

 塔成已、世尊敬過去佛故、便自作禮(塔成り已りて、世尊、過去佛を敬ひたまふが故に、便ち自ら禮を作したまひき)。

 諸比丘白佛言、世尊、我得作禮不(諸の比丘、佛に白して言さく、世尊、我れ禮を作すこと得てんや不や)。

 佛言、得(得べし)。

 卽説偈言(卽ち偈を説いて言はく)、

 人等百千金(人等百千の金)、

 持用行布施(持用つて布施を行ぜんよりは)、

 不如一善心(如かじ、一善心もて)、

 恭敬禮佛塔(恭敬して佛塔を禮せんには)。

 爾時世人、聞世尊作塔、持香華來奉世尊。世尊恭敬過去佛故、卽受華香持供養塔(爾の時に世人、世尊の塔を作りたまふを聞きて、香華をもち來りて世尊に奉りき。世尊、過去佛を恭敬したまふが故に、卽ち華香を受けて持つて塔に供養したまひき)。

 諸比丘白佛言、我等得供養不(諸の比丘、佛に白して言さく、我等、供養することを得てんや不や)。

 佛言、得(得べし)。

 卽説偈言(卽ち偈を説いて言はく)、

 百千車眞金(百千車の眞金)、

 持用行布施(持用つて布施を行ぜんよりは)、

 不如一善心(如かじ、一善心もて)、

 恭敬禮佛塔(華香もて塔に供養せんには)。

 爾時大衆雲集、佛告舍利弗、汝爲諸人説法(爾の時に大衆雲集するに、佛、舍利弗に告げたまはく、汝、諸人の爲に法を説くべし)。

 佛卽説偈言(佛、卽ち偈を説いて言はく)、

 百千閻浮提(百千の閻浮提)、

 滿中眞金施(中に滿てる眞金の施も)、

 不如一法施(如かじ、一の法施もて)、

 隨順令修行(隨順して修行せしめんには)。

 爾時坐中有得道者。佛卽説偈言(爾の時に坐中に得道の者有りき。佛、卽ち偈を説いて言はく)、

 百千世界中(百千世界の中)、

 滿中眞金施(中に滿てる眞金の施も)、

 不如一法施(如かじ、一の法施もて)、

 隨順見眞諦(隨順して眞諦を見んには)。

 爾時婆羅門、不壞信、卽於塔前、飯佛及僧(爾の時に婆羅門、不壞の信もて、卽ち塔の前に於て、佛及び僧に飯せり)。

 時波斯匿王、聞世尊造迦葉佛塔、卽敕載七百車塼、來詣佛所、頭面禮足、白佛言、世尊、我欲廣作此塔、爲得不(時に波斯匿王、世尊の迦葉佛塔を造りたまふを聞きて、卽ち敕て七百車の塼を載せて、佛の所に來詣りて、頭面に足を禮して、佛に白して言さく、世尊、我れ廣く此の塔を作らんと欲ふに、爲得てんや不や)。

 佛言、得(得べし)。

 佛告大王、過去世時、迦葉佛般泥洹時、有王名吉利。欲作七寶塔。時有臣白王、未來世當有非法人出。當破此塔得重罪。唯願大王當以塼作、金銀覆上。若取金銀者、塔故在得全(佛、大王に告げたまはく、過去世の時、迦葉佛般泥洹したまひし時、王有り吉利と名づく。七寶の塔を作らんと欲ひき。時に臣有り、王に白さく、未來世に當に非法の人有りて出づべし。當に此の塔を破して重罪を得べし。唯願はくは大王、當に塼を以て作り、金銀もて上を覆ふべし。若し金銀を取る者あらんも、塔は故のごとくに在りて全きことを得ん)。

 王卽如臣言、以塼作金薄覆上。高一由延、面廣半由延。銅作欄楯、經七年七月七日乃成。作成已香華供養及比丘僧(王、卽ち臣の言の如く、塼を以て作り、金薄もて上を覆ひき。高さ一由延、面の廣さ半由延なり。銅もて欄楯を作り、七年七月七日を經て乃ち成る。作成し已りて香華もて供養すること、比丘僧に及べり)。

 波斯匿王白佛言、彼王福徳多有珍寶。我今當作、不及彼王(波斯匿王、佛に白して言さく、彼の王、福徳にして多く珍寶有り。我れ今當に作るべきも、彼の王に及ばじ)。

 卽便作經七月七日乃成。成已、供養佛比丘僧(卽便ち作ること七月七日を經て乃ち成る。成り已りて佛と比丘僧とに供養しき)。

 作塔法者、下基四方、周匝欄楯、圓起二重、方牙四出。上施盤蓋、長表輪相。若言世尊已除貪欲、瞋恚、愚癡、用是塔爲得越毘尼罪、業報重故。是名塔法(作塔の法は、下基は四方に欄楯を周匝し、圓起すること二重にして、方牙四出す。上に盤蓋を施し、長く輪相を表す。若し、世尊は已に貪欲、瞋恚、愚癡を除きたまひたれば、是の塔を用ゐたまふに爲んと言はば、越毘尼罪を得べし、業報重きが故に。是れを塔法と名づく)。

 

 塔事者、起僧伽藍時、先預度好地作塔處。塔不得在南、不得在西、應在東、應在北。不得僧地侵佛地、佛地不得侵僧地。若塔近死尸林、若狗食殘、持來汚地、應作垣牆。應在西若南作僧坊。不得使僧地水流入佛地、佛地水得流入僧地。塔應在高顯處作。不得在塔垣中、浣染曬衣、著革履、覆頭覆肩、涕唾地。若作是言、世尊、貪欲、瞋恚、愚癡已除、用是塔爲、得越毘尼罪業、業報重。是名塔事(塔事とは、僧伽藍を起つる時、先づ預て好地を度りて塔處と作すべし。塔は南に在ること得ざれ、西に在ること得ざれ、應に東に在るべし、應に北に在るべし。僧地は佛地を侵すこと得ざれ、佛地は僧地を侵すこと得ざれ。若しは塔、死尸林に近く、若しは狗の食ひ殘して持ち來つて地を汚さば、應に垣牆を作るべし。應に西若しは南に在つて僧坊を作るべし。僧地の水を佛地に流入せしむること得ざれ、佛地の水は僧地に流入せしむることを得。塔は應に高顯の處に在つて作るべし。塔垣の中に在つて浣染曬衣し、革履を著け、頭を覆ひ肩を覆ひ、地に涕唾すること得ざれ。若し是の言を作して、世尊は貪欲、瞋恚、愚癡已に除こほれるに、是の塔を用ゐたまひて爲んといはば、越毘尼罪業を得て、業報重かるべし。是れを塔事と名づく)。

 塔龕者、爾時波斯匿王、往詣佛所、頭面禮足、白佛言、世尊、我等爲迦葉佛作塔。得作龕不(塔龕とは、爾の時に波斯匿王、佛の所に往詣りて、頭面に足を禮し、佛に白して言さく、世尊、我等迦葉佛の爲に塔を作れり。龕を作ること得べしや不や)。

 佛言、得。過去世時、迦葉佛、般泥洹後、吉利王爲佛起塔。面四面作龕、上作師子像、種種綵畫。前作欄楯安置華處、龕内懸幡蓋。若人言世尊貪欲、瞋恚、愚癡已除、但自莊嚴而受樂者、得越毘尼罪、業報重。是名塔龕法(佛言はく、得べし。過去世の時、迦葉佛般泥洹したまひし後、吉利王、佛の爲に塔を起てき。面、四面に龕を作り、上に師子像、種種の綵畫を作る。前に欄楯を作りて華處を安置し、龕の内には幡蓋を懸けたり。若し人、世尊は貪欲、瞋恚、愚癡已に除きたまひたれば、但だ自ら莊嚴して樂を受けたまはんやと言はば、越毘尼罪を得て、業報重かるべし。是れを塔龕法と名づく)。

 あきらかにしりぬ、佛果菩提のうへに、古佛のために塔をたて、これを禮拜供養したてまつる、これ諸佛の常法なり。かくのごとくの事おほけれど、しばらくこれを擧揚す。

 佛法は有部すぐれたり、そのなか、僧祇律もとも根本なり。僧祇律は、法顯はじめて荊棘をひらきて西天にいたり、靈山にのぼれりしついでに將來するところなり。祖祖正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり。

 

 第三現前供養。面對佛身及與支提、而設供養(第三に現前供養。面り佛身と及び支提とに對ひて、供養を設く)。

 第四不現前供養。於不現前佛及支提、廣設供養。謂現前共不現前、供養佛及支提塔廟、并供不現前佛及支提塔廟(第四に不現前供養。不現前の佛及び支提に於て、廣く供養を設く。謂ゆる現前と不現前と共に、佛及び支提、塔廟に供養す、并びに不現前の佛及び支提、塔廟に供ず)。

 現前供養得大功徳、不現前供養、得大大功徳、境寬廣故。現前不現前供養者、得最大大功徳(現前供養は大功徳を得、不現前供養は大大功徳を得。境、寬廣なるが故に。現前、不現前の供養者は、最大大功徳を得)。

 第五自作供養。自身供養佛及支提(第五に自作供養。自身に佛及び支提に供養す)。

 第六他作供養佛及支提。有少財物、不依懈怠、教他施作也(第六に他作供養佛及支提。少しき財物有らば、懈怠に依らずして、他をして施作せしむるなり)。

 謂自他供養、彼此同爲。自作供養得大功徳、教他供養得大大功徳、自他供養得最大大功徳(謂ゆる自他供養は彼此同爲なり。自作供養は大功徳を得、教他供養は大大功徳を得、自他供養は最大大功徳を得)。

 第七財物供養佛及支提、塔廟、舍利。謂財有三種。一資具供養。謂、衣食等。二敬具供養。謂香花等。三嚴具供養。謂餘一切寶莊嚴等(第七に財物供養佛及支提、塔廟、舍利。謂ゆる財に三種有り。一には資具供養。謂く衣食等なり。二には敬具供養。謂く香花等なり。三には嚴具供養。謂く餘の一切の寶莊嚴等なり)。

 第八勝供養。勝有三。一專設種種供養。二純淨信心、信佛徳重、理合供養。三囘向心。求佛心中而設供養(第八に勝供養。勝に三有り。一には專ら種種の供養を設く。二には純淨の信心もて、佛徳の重きを信ずれば、理、供養に合ふ。三には囘向心。求佛心中にして而も供養を設く)。

 第九無染供養。無染有二。一心無染、離一切過。二財物無染、離非法過(第九に無染供養。無染に二有り。一には心無染、一切の過を離る。二には財物無染、非法の過を離る)。

 第十至處道供養。謂供養順果、名至處道供養。佛果是其所至之處、供養之行、能至彼處、名至處道。至處道供養、或名法供養。或名行供養。就中有三。一者財物供養爲至處道供養。二隨喜供養、爲至處道供養。三修行供養、爲至處道供養(第十に至處道供養。謂ゆる供養、果に順ふを至處道供養と名づく。佛果は是れ其の所至の處、供養の行、能く彼處に至るを、至處道と名づく。至處道供養、或いは法供養と名づけ、或いは行供養と名づく。中に就きて三有り、一には財物供養を至處道供養と爲。二には隨喜供養を至處道供養と爲。三には修行供養を至處道供養と爲)。

 供養於佛、既有此十供養。於法於僧、類亦同然(佛に供養すること、既に此の十供養有り。法に於ても僧に於ても、類するに亦た同然なり)。

 謂供養法者、供養佛所説理教行法、并供養經卷。供養僧者、謂供養一切三乘聖衆及其支提、并其形像、塔廟及凡夫僧(謂ゆる供養法とは、佛所説の理教行法に供養し、并びに經卷に供養す。供養僧とは、謂ゆる一切三乘の聖衆及び其の支提、并びに其の形像、塔廟及び凡夫僧に供養す)。

 次供養心有六種(次に供養の心に六種有り)。

 一、福田無上心。生福田中最勝(福田中の最勝を生ず)。

 二、恩徳無上心。一切善樂、依三寶出生(一切の善樂は、三寶に依つて出生す)。

 三、生一切衆生最勝心。

 四、如優曇鉢華難遇心。

 五、三千大千世界殊獨一心。

 六、一切世間出世間、具足依義心。謂如來具足世間出世間法、能與衆生爲依止處、名具足依義(謂ゆる如來は、世間、出世間の法を具足したまひて、能く衆生の與に依止處と爲りたまふを、具足依義と名づく)。

 以此六心、雖是少物、供養三寶、能獲無量無邊功徳。何況其多(此の六心を以て、是れ少物なりと雖も、三寶に供養ずれば、能く無量無邊の功徳を獲しむ。何に況んや其の多からんをや)。

 かくのごとくの供養、かならず誠心に修設すべし。諸佛かならず修しきたりましますところなり。その因緣、あまねく經律にあきらかなれども、なほ佛祖まのあたり正傳しきたりまします。執事服勞の日月、すなはち供養の時節なり。形像舍利を安置し、供養禮拜し、塔廟をたて、支提をたつる儀則、ひとり佛祖の屋裏に正傳せり、佛祖の兒孫にあらざれば正傳せず。またもし如法に正傳せざれば法儀相違す、法儀相違するがごときは供養まことならず、供養まことならざれば功徳おろそかなり。かならず如法供養の法、ならひ正傳すべし。令韜禪師は曹溪の塔頭に陪侍して年月をおくり、盧行者は晝夜にやすまず碓米供衆する、みな供養の如法なり。これその少分なり、しげくあぐるにいとまあらず。かくのごとく供養すべきなり。

 

正法眼藏供養諸佛第五

 

 弘安第二己卯六月廿三日在永平寺衆寮書寫之

 

 

正法眼藏第六 歸依佛法僧寶

 禪苑淸規曰、敬佛法僧否(佛法僧を敬ふや否や)。一百二十門第一

 あきらかにしりぬ、西天東土、佛祖正傳するところは、恭敬佛法僧なり。歸依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば歸依すべからず。この歸依佛法僧の功徳、かならず感應道交するとき成就するなり。たとひ天上人間、地獄鬼畜なりといへども、感應道交すれば、かならず歸依したてまつるなり。すでに歸依したてまつるがごときは、世世生生、在在處處に増長し、かならず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。おのづから惡友にひかれ、魔障にあふて、しばらく斷善根となり、一闡提となれども、つひには續善根し、その功徳増長するなり。歸依三寶の功徳、つひに不朽なり。

 その歸依三寶とは、まさに淨信をもはらにして、あるいは如來現在世にもあれ、あるいは如來滅後にもあれ、合掌し低頭して、口にとなへていはく、

 我某甲、今身より佛身にいたるまで、

 歸依佛、歸依法、歸依僧。

 歸依佛兩足尊、歸依法離欲尊、歸依僧衆中尊。

 歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟。

 はるかに佛果菩提をこころざして、かくのごとく僧那を始發するなり。しかあればすなはち、身心いまも刹那刹那に生滅すといへども、法身かならず長養して、菩提を成就するなり。

 いはゆる歸依とは、歸は歸投なり、依は依伏なり。このゆゑに歸依といふ。歸依の相は、たとへば子の父に歸するがごとし。依伏は、たとへば民の王に依するがごとし。いはゆる救濟の言なり。佛はこれ大師なるがゆゑに歸依す、法は良藥なるがゆゑに歸依す、僧は勝友なるがゆゑに歸依す。

 

 問、何故、偏歸此三(何が故にか偏に此の三に歸するや)。

 答、以此三種畢竟歸處、能令衆生出離生死、證大菩提故歸(此の三種は畢竟歸處にして、能く衆生をして生死を出離し、大菩提を證せしむるを以ての故に歸す)。

 此三、畢竟不可思議功徳なり。

 佛、西天には佛陀耶と稱ず、震旦には覺と翻ず。無上正等覺なり。

 法は西天には達磨と稱ず、また曇無と稱ず。梵音の不同なり。震旦には法と翻ず。一切の善、惡、無記の法、ともに法と稱ずといへども、いま三寶のなかの歸依するところの法は、軌則の法なり。

 僧は西天には僧伽と稱ず、震旦には和合衆と翻ず。

 かくのごとく稱讃しきたれり。

 

住持三寶

 形像塔廟、佛寶。

 黄紙朱軸所傳、法寶。

 剃髪染衣、戒法儀相、僧寶。

化儀三寶

 釋迦牟尼世尊、佛寶。

 所轉法輪、流布聖教、法寶。

 阿若憍陳如等五人、僧寶。

理體三寶

 五分法身、名爲佛寶。

 滅理無爲、名爲法寶。

 學無學功徳、名爲僧寶。

一體三寶

 證理大覺、名爲佛寶。

 淸淨離染、名爲法寶。

 至理和合、無擁無滯、名爲僧寶。

 かくのごとくの三寶に歸依したてまつるなり。もし薄福少徳の衆生は、三寶の名字なほききたてまつらざるなり。いかにいはんや歸依したてまつることをえんや。

 

 法華經曰、

 是諸罪衆生(是の諸の罪の衆生は)、

 以惡業因緣(惡業の因緣を以て)、

 過阿僧祇劫(阿僧祇劫を過ぐとも)、

 不聞三寶名(三寶の名を聞かず)。

 法華經は、諸佛如來一大事の因緣なり。大師釋尊所説の諸經のなかには、法華經これ大王なり、大師なり。餘經、餘法は、みなこれ法華經の臣民なり、眷屬なり。法華經中の所説これまことなり、餘經中の所説みな方便を帶せり、ほとけの本意にあらず。餘經中の説をきたして法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。法華の功徳力をかうぶらざれば餘經あるべからず、餘經はみな法華に歸投したてまつらんことをまつなり。この法華經のなかに、いまの説まします。しるべし、三寶の功徳、まさに最尊なり、最上なりといふこと。

 

 世尊言、

 衆人怖所逼、多歸依諸山(衆人所逼を怖れて、多く諸山)、

 園苑及叢林、孤樹制多等(園苑及び叢林、孤樹制多等に歸依す)、

 此歸依非勝、此歸依非尊(此の歸依は勝に非ず、此の歸依は尊に非ず)、

 不因此歸依、能解脱衆苦(此の歸依に因りては、能く衆苦を解脱せず)。

 諸有歸依佛、及歸依法僧(諸の佛に歸依し、及び法僧に歸依すること有るは)、

 於四聖諦中、恆以慧觀察(四聖諦の中に於て、恆に慧を以て觀察し)、

 知苦知苦集、知永超衆苦(苦を知り苦の集を知り、永く衆苦を超えんことを知り)、

 知八支聖道、趣安穩涅槃(八支の聖道を知り、安穩涅槃に趣く)。

 此歸依最勝、此歸依最尊(此の歸依は最勝なり、此の歸依は最尊なり)、

 必因此歸依、能解脱衆苦(必ず此の歸依に因つて、能く衆苦を解脱す)。

 世尊あきらかに一切衆生のためにしめしまします。衆生いたづらに所逼をおそれて、山神、鬼神等に歸依し、あるいは外道の制多に歸依することなかれ。かれはその歸依によりて衆苦を解脱することなし。おほよそ外道の邪教にしたがうて、

 牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、瘂戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒。以灰塗身、長髪爲相、以羊祠時、先呪後殺、四月事火、七日服風。百千億華供養諸天、諸所欲願、因此成就。如是等法、能爲解脱因者、無有是處。智者處不讃、唐苦無善報(牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、瘂戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒あり。灰を以て身に塗り、長髪もて相を爲し、羊を以て時を祠り、先に呪して後に殺す。四月火に事へ、七日風に服し、百千億の華もて諸天に供養し、諸の欲ふ所の願、此れに因りて成就すといふ。是の如き等の法、能く解脱の因なりと爲さば、是の處有ること無けん。智者の讃めざる所なり、唐しく苦しんで善報無し)。

 かくのごとくなるがゆゑに、いたづらに邪道に歸せざらんこと、あきらかに甄究すべし。たとひこれらの戒にことなる法なりとも、その道理、もし孤樹、制多等の道理に符合せらば、歸依することなかれ。人身うることかたし、佛法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷屬として一生をわたり、むなしく邪見の流類として多生をすごさん、かなしむべし。はやく佛法僧三寶に歸依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべし。

 

 希有經云、教化四天下及六欲天、皆得四果、不如一人受三歸功徳(四天下及び六欲天を教化して、皆な四果を得しむとも、一人の三歸を受くる功徳には如かじ)。

 四天下とは、東西南北州なり。そのなかに、北州は三乘の化いたらざるところ。かしこの一切衆生を教化して阿羅漢となさん、まことにはなはだ希有なりとすべし。たとひその益ありとも、一人ををしへて三歸をうけしめん功徳にはおよぶべからず。また六天は、得道の衆生まれなりとするところなり。かれをして四果をえしむとも、一人の受三歸の功徳のおほくふかきにおよぶべからず。

 

 増一阿含經云、有忉利天子、五衰相現、當生猪中。愁憂之聲、聞於天帝(増一阿含經に云く、忉利天子有り、五衰の相現じて、當に猪の中に生ずべし。愁憂の聲、天帝聞えき)。

 天帝聞之、喚來告曰、汝可歸依三寶(天帝之を聞きて、喚び來りて告げて曰く、汝、三寶に歸依すべし)。

 卽時如教、便免生猪(卽時に教の如くせしに、便ち猪に生ずることを免れたり)。

 佛説偈言(佛、偈を説いて言はく)、

 諸有歸依佛(諸有、佛に歸依せば)、

 不墜三惡道(三惡道に墜ちざらん)。

 盡漏處人天(漏を盡くして人天に處し)、

 便當至涅槃(便ち當に涅槃に至るべし)。

 受三歸已、生長者家、還得出家、成於無學(三歸を受け已りて、長者の家に生じて、還た出家することを得て、無學を成ぜり)。

 

 おほよそ歸依三寶の功徳、はかりはかるべきにあらず、無量無邊なり。

 世尊在世に、二十六億の餓龍、ともに佛所に詣し、みなことごとくあめのごとくなみだをふらして、まうしてまうさく、

 唯願哀愍、救濟於我。大悲世尊、我等憶念過去世時、於佛法中雖得出家、備造如是種種惡業。以惡業故、經無量身在三惡道。亦以餘報故、生在龍中受極大苦(唯願はくは哀愍して、我れを救濟したまへ。大悲世尊、我等過去世の時を憶念するに、佛法の中に於て出家することを得と雖も、備さに是の如くの種種の惡業を造りき。惡業を以ての故に、無量身を經て三惡道に在りき。亦た餘の報を以ての故に、生れて龍の中に在りて極大苦を受く)。

 佛告諸龍、汝等今當盡受三歸、一心修善。以此緣故、於賢劫中値最後佛名曰樓至。於彼佛世、罪得除滅(佛、諸龍に告げたまはく、汝等今當に盡く三歸を受け、一心に善を修すべし。此の緣を以ての故に、賢劫の中に於て最後佛の名を樓至と曰ふに値ひたてまつり、彼の佛の世に於て、罪、除滅することを得べし)。

 時諸龍等聞是語已、皆悉至心、盡其形壽、各受三歸(時に諸龍等、是の語を聞き已りて、皆な悉く至心に、其の形壽を盡すまで、各三歸を受けたり)。

 ほとけみづから諸龍を救濟しましますに、餘法なし、餘術なし。ただ三歸をさづけまします。過去世に出家せしとき、かつて三歸をうけたりといへども、業報によりて餓龍となれるとき、餘法のこれをすくふべきなし。このゆゑに三歸をさづけまします。しるべし、三歸の功徳、それ最尊最上、甚深不可思議なりといふこと。世尊すでに證明しまします、衆生まさに信受すべし。十方の諸佛の各號を稱念せしめましまさず、ただ三歸をさづけまします。佛意の甚深なる、たれかこれを測量せん。いまの衆生、いたづらに各各の一佛の名號を稱念せんよりは、すみやかに三歸をうけたてまつるべし。愚闇にして大功徳をむなしくすることなかれ。

 

 爾時衆中有盲龍女。口中膖爛、滿諸雜蟲、状如屎尿。乃至穢惡猶若婦人根中不淨。臊臭難看。種種噬食、膿血流出。一切身分、常有蚊虻諸惡毒蝿之所唼食、身體臭處、難可見聞(爾の時に衆中に盲龍女有りき。口中膖爛し、諸の雜蟲滿てり、状、屎尿の如し。乃至穢惡なること猶ほ婦人の根中の不淨の若し。臊臭看難し。種種に噬食せられて、膿血流出す。一切の身分、常に蚊虻諸の惡毒蝿に唼食せらるる有り、身體の臭處、見聞すべきこと難し)。

 爾時世尊、以大悲心、見彼龍婦眼盲困苦如是、問言、妹何緣故得此惡身、於過去世曾爲何業(爾の時に世尊、大悲心を以て、彼の龍婦の眼盲ひ困苦すること是の如くなるを見たまひて、問うて言はく、妹、何の緣の故にか此の惡身を得たる、過去世に曾て何の業をか爲りし)。

 龍婦答言、世尊、我今此身、衆苦逼迫無暫時停。設復欲言、而不能説。我念過去三十六億、於百千年、惡龍中受如是苦、乃至日夜刹那不停。爲我往昔九十一劫、於毘婆尸佛法中、作比丘尼、思念欲事、過於醉人。雖復出家不能如法。於伽藍内敷施牀褥、數數犯於非梵行事、以快欲心、生大樂受。或貪求他物、多受信施。以如是故、於九十一劫、常不得受天人之身、恆三惡道受諸燒煮(龍婦答へて言さく、世尊、我が今此の身、衆苦逼迫して暫時も停まること無し。設し復た言はんと欲ふも、而も説くこと能はじ。我れ過去三十六億を念ふに、百千年に於て、惡龍の中に是の如くの苦を受け、乃至日夜刹那も停まざりき。我が往昔九十一劫を爲ふに、毘婆尸佛の法の中に於て、比丘尼と作り、欲事を思念すること醉人よりも過ぎたり。復た出家すと雖も如法なること能はず。伽藍の内に牀褥を敷施て、數數非梵行の事を犯し、以て欲心を快くして大樂受を生じき。或いは他の物を貪求し、多く信施を受く。是の如くなるを以ての故に、九十一劫に、常に天人の身を受くること得ず、恆に三惡道にして諸の燒煮を受けき)。

 佛又問言、若如是者、此中劫盡、妹何處生(佛又問うて言はく、若し是の如くならば、此の中の劫盡きて、妹、何れの處にか生ずべき)。

 龍婦答言、我以過去業力因緣、生餘世界、彼劫盡時、惡業風吹、還來生此(龍婦答へて言さく、我れ過去の業力の因緣を以て、餘の世界に生れ、彼の劫盡くる時、惡業の風吹いて、還た來つて此に生ずべし)。

 時彼龍婦、説此語已作如是言、大悲世尊、願救濟我、願救濟我(時に彼の龍婦、此の語を説き已りて是の如くの言を作さく、大悲世尊、願はくは我を救濟したまへ、願はくは我を救濟したまへ)。

 爾時世尊、以手掬水、告龍女言、此水名爲瞋陀留脂藥和。我今誠實發言語汝、我於往昔、爲救鴿故、棄捨身命、終不疑念起慳惜心。此言若實、令汝惡患、悉皆除瘥(爾の時に世尊、手を以て水を掬ひ、龍女に告げて言はく、此の水を名づけて瞋陀留脂藥和と爲す。我れ今誠實に言を發して汝に語らん、我れ往昔に於て、鴿を救はんが爲の故に、身命を棄捨しも、終に疑念して慳惜の心を起さざりき。此の言若し實ならば、汝が惡患をして悉皆に除瘥しむべし)。

 時佛世尊、以口含水、灑彼盲龍婦女之身、一切惡患臭處皆瘥。既得瘥已、作如是説言、我今於佛、乞受三歸(時に佛世尊、口を以て水を含み、彼の盲龍婦女の身に灑ぎたまふに、一切の惡患臭處皆な瘥えたり。既に瘥ゆることを得已りて、是の如くの説を作して言さく、我れ今佛に於て、三歸を受けんことを乞ふ)。

 是時世尊、卽爲龍女授三歸依(是の時に世尊、卽ち龍女の爲に三歸依を授けたまへり)。

 この龍女、むかしは毘婆尸佛の法のなかに比丘尼となれり。禁戒を破すといふとも、佛法の通塞を見聞すべし。いまはまのあたり釋迦牟尼佛にあひたてまつりて三歸を乞授す、ほとけより三歸をうけたてまつる、厚殖善根といふべし。見佛の功徳、かならず三歸によれり。われら盲龍にあらず、畜身にあらざれども、如來をみたてまつらず、ほとけにしたがひたてまつりて三歸をうけず、見佛はるかなり、はぢつべし。世尊みづから三歸をさづけまします、しるべし、三歸の功徳、それ甚深無量なりといふこと。天帝釋の野干を拜して三歸をうけし、みな三歸の功徳の甚深なるによりてなり。

 

 佛在迦毘羅衞尼拘陀林時、釋摩男來至佛所、作如是言云、何名爲優婆塞也(佛、迦毘羅衞尼拘陀林に在しし時、釋摩男、佛の所に來至して、是の如くの言を作して云く、何をか名づけて優婆塞と爲すや)。

 佛卽爲説、若有善男子善女人、諸根完具、受三歸依、是卽名爲優婆塞也(佛卽ち爲に説きたまはく、若し善男子善女人有りて、諸根完具し、三歸依を受けん、是れを卽ち名づけて優婆塞と爲す)。

 釋摩男言、世尊、云何名爲一分優婆塞(釋摩男言さく、世尊、云何が名づけて一分の優婆塞と爲すや)。

 佛言、摩男、若受三歸、及受一戒、是名一分優婆塞(佛言はく、摩男、若し三歸を受け、及び一戒をも受くれば、是れを一分の優婆塞と名づく)。

 佛弟子となること、かならず三歸による。いづれの戒をうくるも、かならず三歸をうけて、そののち諸戒をうくるなり。しかあればすなはち、三歸によりて得戒あるなり。

 

 法句經云、昔有天帝、自知命終生於驢中、愁憂不已曰、救苦厄者、唯佛世尊(法句經云く、昔天帝有り、自ら、命終して驢中に生ぜんことを知り、愁憂已まずして曰く、苦厄を救はん者は、唯佛世尊のみなり)。

 便至佛所、稽首伏地、歸依於佛。未起之間、其命便終生於驢胎。母驢鞚斷、破陶家坏器。器主打之、遂傷其胎、還入天帝身中(便ち佛の所に至り、稽首伏地し、佛に歸依したてまつる。未だ起たざる間に、其の命便ち終りて驢胎に生ぜり。母の驢、鞚斷たれて、陶家の坏器を破りつ。器主之を打つに、遂に其の胎を傷り、天帝の身中に還り入れり)。

 佛言、殞命之際、歸依三寶、罪對已畢(佛言はく、殞命の際、三寶に歸依したれば、罪對已に畢りぬ)。

 天帝聞之得初果(天帝、之を聞きて初果を得たり)。

 おほよそ世間の苦厄をすくふこと、佛世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎に生ず。歸佛の功徳により、驢母の鞚やぶれて陶家の坏器を踏破す。器主これをうつ、驢母の身いたみて託胎の驢やぶれぬ。すなはち天帝の身にかへりいる。佛説をききて初果をうる、歸依三寶の功徳力なり。

 しかあればすなはち、世間の苦厄すみやかにはなれて、無上菩提を證得せしむること、かならず歸依三寶のちからなるべし。おほよそ三歸のちから、三惡道をはなるるのみにあらず、天帝釋の身に還入す。天上の果報をうるのみにあらず、須陀洹の聖者となる。まことに三寶の功徳海、無量無邊にましますなり。世尊在世は人天この慶幸あり、いま如來滅後、後五百歳のとき、人天いかがせん。しかあれども、如來形像舍利等、なほ世間に現住しまします。これに歸依したてまつるに、またかみのごとくの功徳をうるなり。

 

 未曾有經云、佛言、憶念過去無數劫時、毘摩大國徙陀山中、有一野干。而爲師子所逐欲食。奔走墮井不能得出。經於三日、開心分死、而説偈言(未曾有經云く、佛言はく、過去無數劫時を憶念するに、毘摩大國徙陀山中に一野干有りき。而も師子に逐はれ、食はれなんとす。奔走して井に墮ちて出づること得ること能はず。三日を經るに、開心して死を分へ、而も偈を説いて言く)、

 禍哉今日苦所逼(禍ひなる哉今日苦に逼られ)、

 便當沒命於丘井(便ち當に命を丘井に沒せんとす)。

 一切萬物皆無常(一切萬物皆な無常なり)、

 恨不以身飴師子(恨むらくは身を以て師子に飴はざりしことを)。

 南無歸依十方佛、表知我心淨無己(我が心淨にして己れ無きことを表知したまへ)。

 時天帝釋聞佛名、肅然毛豎念古佛。自惟孤露無導師、耽著五欲自沈沒。卽與諸天八萬衆、飛下詣井、欲問詰。乃見野干在井底、兩手攀土不得出(時に天帝釋、佛の名を聞きて、肅然として毛豎ちて古佛を念へり。自ら惟へらく、孤露にして導師無く、五欲に耽著して自ら沈沒すと。卽ち諸天八萬衆と與に、飛下して井に詣りて、問詰せんと欲へり。乃ち野干の井底に在りて、兩手をもて土を攀づれども出づること得ざるを見たり)。

 天帝復自思念言、聖人應念無方術。我今雖見野干形、斯必菩薩非凡器。仁者向説非凡言、願爲諸天説法要(天帝復た自ら思念して言く、聖人應に方術無からんと念ふべし。我れ今野干の形を見ると雖も、斯れは必ず菩薩にして凡器に非ざらん。仁者向説する、凡言に非ず、願はくは諸天の爲に法要を説きたまへ)。

 於時野干仰答曰、汝爲天帝無教訓。法師在下自處上、都不修敬問法要。法水淸淨能濟人、云何欲得自貢高(時に野干、仰いで答へて曰く、汝、天帝として教訓無し。法師は下に在りて自らは上に處る、都て敬を修せずして法要を問ふ。法水淸淨にして能く人を濟ふ、云何が自ら貢高ならんと欲得ふや)。

 天帝聞是大慚愧(天帝、是を聞きて大きに慚愧せり)。

 給侍諸天愕然笑、天王降趾大無利(給侍の諸天愕然として笑ふ、天王降趾すれども大きに利無し)。

 天帝卽時告諸天、愼勿以此懷驚怖。是我頑蔽徳不稱、必當因是聞法要(天帝卽ち時に諸天に告ぐらく、愼んで此れを以て驚怖を懷くこと勿れ。是れ我が徳を頑蔽して稱げざるなり。必ず當に是れに因りて法要を聞くべし)。

 卽爲垂下天寶衣、接取野干出於上。諸天爲設甘露食、野干得食生活望。非意禍中致斯福。心懷勇躍慶無量。野干爲天帝及諸天、廣説法要(卽ち爲に天寶衣を垂下して、野干を接取して上に出しつ。諸天、爲に甘露の食を設け、野干、食することを得て活望を生ぜり。意はざりき、禍中に斯の福を致さんとは。心に勇躍を懷きて慶ぶこと無量なり。野干、天帝及び諸天の爲に廣く法要を説きき)。

 これを天帝拜畜爲師の因緣と稱ず。あきらかにしりぬ、佛名、法名、僧名のききがたきこと、天帝の野干を師とせし、その證なるべし。いまわれら宿善のたすくるによりて、如來の遺法にあふたてまつり、晝夜に三寶の寶號をききたてまつること、時とともにして不退なり。これすなはち法要なるべし。天魔波旬なほ三寶に歸依したてまつりて患難をまぬかる、いかにいはんや餘者の、三寶の功徳におきて積功累徳せらん、はかりしらざらめやは。

 

 おほよそ佛子の行道、かならずまづ十方の三寶を敬禮したてまつり、十方の三寶を勸請したてまつりて、そのみまへに燒香散華して、まさに諸行を修するなり。これすなはち古先の勝躅なり、佛祖の古儀なり。もし歸依三寶の儀、いまだかつておこなはざるは、これ外道の法なりとしるべし、または天魔の法ならんとしるべし。佛佛祖祖の法は、かならずそのはじめに歸依三寶の儀軌あるなり。

 

正法眼藏歸依三寶第六

 

 建長七年乙卯夏安居日、以先師之御草本書寫畢。未及中書淸書等。定御再治之時有添削欤。於今不可叶其儀。仍御草如此云。

 弘安二年己卯夏安居五月廿一日在越宇中濱新善光寺書寫之義雲

 

 

正法眼藏第七 深信因果

 百丈山大智禪師懷海和尚、凡參次、有一老人、常隨衆聽法。衆人退老人亦退。忽一日不退(百丈山大智禪師懷海和尚、凡そ參次に一りの老人有つて、常に衆に隨つて聽法す。衆人退すれば老人もまた退す。忽ちに一日退せず)。

 師遂問、面前立者、復是何人(師、遂に問ふ、面前に立せるは、復た是れ何人ぞ)。

 老人對曰、某甲是非人也。於過去迦葉佛時、曾住此山。因學人問、大修行底人、還落因果也無。某甲答曰、不落因果。後五百生、墮野狐身。今請和尚代一轉語、貴脱野狐身(老人對して曰く、某甲は是れ非人なり。過去迦葉佛の時に、曾て此の山に住せり。因みに學人問ふ、大修行底の人、還た因果に落つや無や。某甲答へて曰く、因果に落ちず。後五百生まで、野狐の身に墮す。今請すらくは和尚、一轉語を代すべし。貴すらくは野狐の身を脱れんことを)。

 遂問曰、大修行底人、還落因果也無(大修行底の人、還た因果に落つや無や)。

 師曰、不昧因果(因果に昧からず)。

 老人於言下大悟、作禮曰、某甲已脱野狐身、住在山後。敢告和尚、乞依亡僧事例(老人言下に大悟し、禮を作して云く、某甲已に野狐身を脱かれぬ、山後に住在せらん。敢告すらくは和尚、乞ふ亡僧の事例に依らんことを)。

 師令維那白槌告衆曰、食後送亡僧(師、維那に令して白槌して衆に告して曰く、食後に亡僧を送るべし)。

 大衆言議、一衆皆安、涅槃堂又無病人、何故如是(大衆言議すらく、一衆皆安なり、涅槃堂にまた病人無し、何が故ぞ是の如くなる)。

 食後只見、師領衆、至山後岩下、以杖指出一死野狐。乃依法火葬(食後に只見る、師、衆を領して、山後の岩下に至り、杖を以て一つの死野狐を指出するを。乃ち法に依つて火葬せり)。

 師至晩上堂、擧前因緣(師、至晩に上堂して、前の因緣を擧す)。

 黄檗便問、古人錯祗對一轉語、墮五百生野狐身。轉轉不錯、合作箇什麼(黄檗便ち問ふ、古人錯つて一轉語を祗對し、五百生野狐身に墮す。轉轉錯らざらん、箇の什麼にか作る合き)。

 師曰、近前來、與儞道(近前來、儞が與に道はん)。

 檗遂近前、與師一掌(檗、遂に近前して、師に一掌を與ふ)。

 師拍手笑云、將謂胡鬚赤、更有赤鬚胡在(師、拍手して笑つて云く、將に胡の鬚の赤きかと謂へば、更に赤き鬚の胡在ること有り)。

 この一段の因緣、天聖廣燈録にあり。しかあるに、參學のともがら、因果の道理をあきらめず、いたづらに撥無因果のあやまりあり。あはれむべし、澆風一扇して祖道陵替せり。不落因果はまさしくこれ撥無因果なり、これによりて惡趣に墮す。不昧因果はあきらかにこれ深信因果なり、これによりて聞くもの惡趣を脱す。あやしむべきにあらず、疑ふべきにあらず。近代參禪學道と稱ずるともがら、おほく因果を撥無せり。なにによりてか因果を撥無せりと知る、いはゆる不落と不昧と一等にしてことならずとおもへり、これによりて因果を撥無せりと知るなり。

 

 第十九祖鳩摩羅多尊者曰、且善惡之報、有三時焉。凡人但見仁夭暴壽、逆吉義凶、便謂亡因果虛罪福。殊不知、影響相隨、毫釐靡忒。縱經百千萬劫、亦不磨滅(第十九祖鳩摩羅多尊者曰く、且く善惡の報に三時有り。凡そ人、但だ仁は夭に暴は壽く、逆は吉く義は凶なりとのみ見て、便ち因果を亡じ、罪福虛しと謂へり。殊に知らず、影響相隨ひて毫釐も忒ふこと靡きを。縱ひ百千萬劫を經とも、亦た磨滅せず)。

 あきらかにしりぬ、曩祖いまだ因果を撥無せずといふことを。いまの晩進、いまだ祖宗の慈誨をあきらめざるは稽古のおろそかなるなり。稽古おろそかにしてみだりに人天の善知識と自稱するは、人天の大賊なり、學者の怨家なり。汝ち前後のともがら、亡因果のおもむきを以て、後學晩進のために語ることなかれ。これは邪説なり、さらに佛祖の法にあらず。汝等が疎學によりて、この邪見に墮せり。

 今神旦國の衲僧等、ままにいはく、われらが人身をうけて佛法にあふ、一生二生のことなほしらず。前百丈の野狐となれる、よく五百生をしれり。はかりしりぬ、業報の墜墮にあらじ。金鎖玄關留不往、行於異類且輪廻(金鎖玄關留むれども往せず、異類に行じて且く輪廻す)なるべし。大善知識とあるともがらの見解かくのごとし。この見解は、佛祖の屋裡におきがたきなり。あるいは人、あるいは狼、あるいは餘趣のなかに、生得にしばらく宿通をえたるともがらあり。しかあれども、明了の種子にあらず、惡業の所感なり。この道理、世尊ひろく人天のために演説しまします。これをしらざるは疎學のいたりなり。あはれむべし、たとひ一千生、一萬生をしるとも、かならずしも佛法なるべからず。外道すでに八萬劫をしる、いまだ佛法とせず。わづかに五百生をしらん、いくばくの能にあらず。

 近代宋朝の參禪のともがら、もともくらきところ、ただ不落因果を邪見の説としらざるにあり。あはれむべし、如來の正法の流通するところ、祖祖正傳せるにあひながら、撥無因果の邪儻とならん。參學のともがら、まさにいそぎて因果の道理をあきらむべし。今百丈の不昧因果の道理は、因果にくらからずとなり。しかあれば、修因感果のむね、あきらかなり。佛佛祖祖の道なるべし。おほよそ佛法いまだあきらめざらんとき、みだりに人天のために演説することなかれ。

 

 龍樹祖師云、如外道人、破世間因果、則無今世後世。破出世因果、則無三寶、四諦、四沙門果(龍樹祖師云く、外道の人の如く、世間の因果を破せば、則ち今世後世無けん。出世の因果を破せば、則ち三寶、四諦、四沙門果無けん)。

 あきらかにしるべし、世間出世の因果を破するは外道なるべし。今世なしといふは、かたちはこのところにあれども、性はひさしくさとりに歸せり、性すなはち心なり、心は身とひとしからざるゆゑに。かくのごとく解する、すなはち外道なり。あるいはいはく、人死するとき、かならず性海に歸す、佛法を修習せざれども、自然に覺海に歸すれば、さらに生死の輪轉なし。このゆゑに後世なしといふ。これ斷見の外道なり。かたちたとひ比丘にあひにたりとも、かくのごとくの邪解あらんともがら、さらに佛弟子にあらず。まさしくこれ外道なり。おほよそ因果を撥無するより、今世後世なしとはあやまるなり。因果を撥無することは、眞の知識に參學せざるによりてなり。眞知識に久參するがごときは、撥無因果等の邪解あるべからず。龍樹祖師の慈誨、深く信仰したてまつり、頂戴したてまつるべし。

 永嘉眞覺大師玄覺和尚は、曹谿の上足なり。もとはこれ天台の法華宗を習學せり。左谿玄朗大師と同室なり。涅槃經を披閲せるところに、金光その室にみつ。ふかく無生の悟を得たり。すすみて曹谿に詣し、證をもて六祖に告す。六祖つひに印可す。のちに證道歌をつくるにいはく、

 豁達空、撥因果(空に豁達し、因果を撥へば)、

 漭漭蕩蕩招殃禍(漭漭蕩蕩として殃禍を招く)。

 あきらかにしるべし、撥無因果は招殃禍なるべし。往代は古徳ともに因果をあきらめたり、近世には晩進みな因果にまどへり。いまのよなりといふとも、菩提心いさぎよくして、佛法のために佛法を習學せんともがらは、古徳のごとく因果をあきらむべきなり。因なし、果なしといふは、すなはちこれ外道なり。

 

 宏智古佛、かみの因緣を頌古するにいはく、

 一尺水、一丈波(一尺の水、一丈の波)、

 五百生前不奈何(五百生前奈何ともせず)。

 不落不昧商量也(不落不昧商量するや)、

 依前撞入葛藤窠(依前として葛藤窠に撞入す)。

 阿呵呵。會也麼(阿呵呵。會也麼)。

 若是儞洒洒落落(若し是れ儞洒洒落落たらば)、

 不妨我哆哆和和(妨げず我が哆哆和和なるを)。

 神歌社舞自成曲(神歌社舞自ら曲を成し)、

 拍手其間唱哩囉(其の間に拍手して哩囉を唱ふ)。

 いま不落不昧商量也、依前撞入葛藤窠の句、すなはち不落と不昧と、おなじかるべしといふなり。

 おほよそこの因緣、その理、いまだつくさず。そのゆゑいかんとなれば、脱野狐身は、いま現前せりといへども、野狐身をまぬかれてのち、すなはち人間に生ずといはず、天上に生ずといはず、および餘趣に生ずといはず。人の疑ふところなり。脱野狐身のすなはち、善趣にうまるべくは天上人間にうまるべし、惡趣にうまるべくは四惡趣等にうまるべきなり。脱野狐身ののち、むなしく生處なかるべからず。もし衆生死して性海に歸し、大我に歸すといふは、ともにこれ外道の見なり。

 

 夾山圜悟禪師克勤和尚、頌古に云く、

 魚行水濁、鳥飛毛落(魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ)、

 至鑑難逃、太虛寥廓(至鑑逃れ難く、太虛寥廓たり)。

 一往迢迢五百生(一往迢迢たり五百生)、

 只緣因果大修行(只因果に緣つて大修行す)。

 疾雷破山風震海(疾雷、山を破り、風、海を震はす)、

 百錬精金色不改(百錬の精金、色改まらず)。

 この頌なほ撥無因果のおもむきあり、さらに常見のおもむきあり。

 

 杭州徑山大慧禪師宗杲和尚、頌に云、

 不落不昧、石頭土塊(不落不昧、石頭土塊)、

 陌路相逢、銀山粉碎(陌路に相逢ふて、銀山粉碎す)。

 拍手呵呵笑一場(拍手呵呵笑ひ一場)。

 明州有箇憨布袋(明州に箇の憨布袋有り)。

 これらをいまの宋朝のともがら、作家の祖師とおもへり。しかあれども、宗杲が見解、いまだ佛法の施權のむねにおよばず、ややもすれば自然見解のおもむきあり。

 

 おほよそこの因緣に、頌古、拈古のともがら三十餘人あり。一人としても、不落因果是れ撥無因果なりと疑ふものなし。あはれむべし。このともがら、因果をあきらめず、いたづらに紛紜のなかに一生をむなしくせり。佛法參學には、第一因果をあきらむるなり。因果を撥無するがごときは、おそらくは猛利の邪見おこして、斷善根とならんことを。

 おほよそ因果の道理、歴然としてわたくしなし。造惡のものは墮し、修善のものはのぼる、毫釐もたがはざるなり。もし因果亡じ、むなしからんがごときは、諸佛の出世あるべからず、祖師の西來あるべからず、おほよそ衆生の見佛聞法あるべからざるなり。因果の道理は、孔子、老子等のあきらむるところにあらず。ただ佛佛祖祖、あきらめつたへましますところなり。澆季の學者、薄福にして正師にあはず、正法をきかず、このゆゑに因果をあきらめざるなり。撥無因果すれば、このとがによりて、漭漭蕩蕩として殃禍をうくるなり。撥無因果のほかに餘惡いまだつくらずといふとも、まづこの見毒はなはだしきなり。

 しかあればすなはち、參學のともがら、菩提心をさきとして、佛祖の洪恩を報ずべくは、すみやかに諸因諸果をあきらむべし。

 

正法眼藏深信因果第七

 

 彼御本奥書に云、建長七年乙卯夏安居日以御草案書寫之

 未及中書、淸書、定有可再治事也、雖然書寫之 懷弉

 

 

正法眼藏第八 三時業

 第十九祖鳩摩羅多尊者、至中天竺國、有大士、名闍夜多。問曰、我家父母、素信三寶。而甞縈疾瘵、凡所營事、皆不如意。而我鄰家、久爲栴陀羅行、而身常勇健、所作和合。彼何幸、而我何辜(第十九祖鳩摩羅多尊者、中天竺國に至るに、大士有り、闍夜多と名づく。問うて曰く、我が家の父母、素三寶を信ず。而も甞より疾瘵に縈はれ、凡そ營む所の事、皆な不如意なり。而も我が鄰家、久しく栴陀羅の行を爲して、而も身は常に勇健なり、所作和合す。彼れ何の幸かある、而も我れ何の辜かある)。

 尊者曰、何足疑乎、且善惡之報有三時焉。凡人但見仁夭、暴壽、逆吉義凶、便謂亡因果虛罪福。殊不知、影響相隨、毫釐靡忒。縱經百千萬劫、亦不磨滅(尊者曰く、何ぞ疑ふに足らんや、且く善惡の報に三時有り。凡そ人、但だ仁は夭に、暴は壽く、逆は吉く義は凶なりとのみ見て、便ち因果を亡じ、罪福虛しと謂へり。殊に知らず、影響相隨ひて、毫釐も忒ふこと靡きを。縱ひ百千萬劫を經とも、亦た磨滅せず)。

 時闍夜多、聞是語已、頓釋所疑(時に闍夜多、是の語を聞き已りて、頓に所疑を釋せり)。

 鳩摩羅多尊者は、如來より第十九代の附法なり。如來まのあたり名字を記しまします。ただ釋尊一佛の法をあきらめ正傳せるのみにあらず、かねて三世の諸佛の法をも曉了せり。闍夜多尊者、いまの問をまうけしよりのち、鳩摩羅多尊者にしたがひて、如來の正法を修習し、つひに第二十代の祖師となれり。これもまた、世尊はるかに第二十祖は闍夜多なるべしと記しましませり。しかあればすなはち、佛法の批判、もともかくのごとくの祖師の所判のごとく習學すべし。いまのよに因果をしらず、業報をあきらめず、三世をしらず、善惡をわきまへざる邪見のともがらに群すべからず。

 

 いはゆる、善惡之報有三時焉といふは、

 三時、

 一者順現法受。二者順次生受。三順後次受。

 これを三時といふ。

 佛祖の道を修習するには、その最初より、三時の業報の理をならひあきらむるなり。しかあらざれば、おほくあやまりて邪見に墮するなり。ただ邪見に墮するのみにあらず、惡道におちて長時の苦をうく。續善根せざるあひだは、おほくの功徳をうしなひ、菩提の道ひさしくさはりあり、をしからざらめや。この三時の業は、善惡にわたるなり。

 第一順現法受業者、謂若業此生造作増長、卽於此生受異熟果、是名順現法受業(第一に順現法受業とは、謂く、若し業を此生に造作増長して、卽ち此生に於て異熟果を受く、是れを順現法受業と名づく)。

 いはく、人ありて、あるいは善にもあれ、あるいは惡にもあれ、この生につくりて、すなはちこの生にその報をうくるを、順現報受業といふ。

 惡をつくりて、この生にうけたる例。

 曾有採樵者、入山遭雪、迷失途路。時會日暮、雪深寒凍、將死不久。卽前入一蒙密林中、乃見一羆。先在林内。形色靑紺、眼如雙炬。其人惶恐、分當失命。此實菩薩現受羆身。見其憂恐、尋慰諭言、汝今勿怖。父母於子或有異心、吾今於汝終無悪意(曾採樵の者有りて、山に入りて雪に遭ひ、途路を迷失す。時會日暮れなり、雪深く寒凍えて、將に死せんとすること久しからじ。卽ち前んで一の蒙密林の中に入るに、乃ち一の羆を見る。先より林の内に在り。形色靑紺にして、眼は雙つの炬の如し。其の人惶恐し、當に失命すべきを分とせり。此れは實に菩薩の、羆の身を現受せるなり。其の憂恐するを見て、尋いで慰諭して言く、汝、今怖るること勿れ。父母は子に於て或しは異心有らんも、吾れは今、汝に於て終に悪意無けん)。

 卽前捧取、將入窟中、温燸其身、令蘇息已、取諸根果、勸隨所食。恐冷不消、抱持而臥。如是恩養經於六日。至第七日天晴路現。人有歸心。羆既知已、復取甘果飽而餞之。送至林外慇懃告別(卽ち前んで捧取して將て窟の中に入り、其の身を温燸めて、蘇息せしめ已りて、諸の根果を取りて、勸めて所食に隨はしむ。冷にして消せざらしめんことを恐りて、抱持して臥せり。是の如く恩養して六日を經たり。第七日に至つて天晴れ路現ず。人に歸の心有り。羆既に知り已りて、復た甘果を取つて飽かしめて之に餞ひせり。送りて林外に至つて慇懃に別れを告ぐ)。

 人跪謝曰、何以報(人、跪いて謝して曰く、何を以てか報ぜん)。

 羆言、我今不須餘報、但如比日我護汝身、汝於我命、亦願如是(羆言く、我れ今餘の報を須めず、但だ比日我が汝の身を護りしが如く、汝、我が命に於ても亦た願はくは是の如くすべし)。

 其人敬諾、擔樵下山、逢二獵師。問曰、山中見何蟲獸(其の人敬諾し、擔樵して山を下るに、二の獵師に逢へり。問うて曰く、山中にして何なる蟲獸をか見つる)。

 樵人答曰、我亦不見餘獸、唯見一羆(我れ亦た餘の獸を見ず、唯一の羆を見る)。

 獵師求請、能示我不(能く我れに示すべしや不や)。

 樵人答曰、若能與三分之二、吾當示汝(若し能く三分の二を與へば、吾れ當に汝に示すべし)。

 獵師依許、相與倶行、竟害羆命、分肉爲三。樵人兩手欲取羆肉、惡業力故、雙臂倶落。如珠縷斷、如截藕根。獵師危忙、驚問所以、樵人恥愧、具述委曲(獵師依許し、相與て倶に行き、竟に羆の命を害せり、肉を分ちて三と爲す。樵人兩手をもて羆の肉を取らんと欲るに、惡業力の故に、雙の臂、倶に落つ。珠の縷を斷るが如く、藕の根を截るが如し。獵師危忙し、驚いて所以を問ふ、樵人恥愧ぢて、具さに委曲を述ぶ)。

 是二獵師、責樵人曰、他既於汝有此大恩、汝今何忍行斯惡逆。怪哉、汝身何不糜爛(是の二の獵師、樵人を責めて曰く、他、既に汝に於て此の大恩有り、汝、今何ぞ斯の惡逆を行ずるに忍びんや。怪しき哉。汝が身何ぞ糜爛せざる)。

 於是獵師、共其肉施僧伽藍(是に於て獵師、共に其の肉を僧伽藍に施す)。

 時僧上座、得妙願智、卽時入定、觀是何肉、卽知是與一切衆生作利樂者、大菩薩肉。卽時出定、以此事白衆。衆聞驚歎、共取香薪焚燒其肉。收其餘骨、起窣堵婆禮拜供養(時に僧の上座、妙願智を得て、卽時に入定して、是れ何の肉ぞと觀ずるに、卽ち、是れ一切衆生の與に利樂を作す者、大菩薩の肉なることを知れり。卽時に出定して、此の事を以て衆に白す。衆、聞きて驚歎し、共に香薪を取りて其の肉を焚燒す。其の餘骨を收めて、窣堵婆を起てて禮拜供養せり)。

 如是惡業、待相續、或度相續、方受其果(是の如きの惡業は、相續を待つて、或いは相續に度りて、方に其の果を受くべし)。

 かくのごとくなるを、惡業の順現報受業となづく。おほよそ恩をえては報をこころざすべし、他に恩しては報をもとむることなかれ。いまも恩ある人を逆害をくはへんとせん、その惡業かならずうくべきなり。衆生ながくいまの樵人のこころなかれ。林外にして告別するには、いかがしてこの恩を謝すべきといふといへども、やまのふもとに獵師にあふては二分の肉をむさぼる。貪欲にひかれて大恩所を害す。在家出家、ながくこの不知恩のこころなかれ。惡業力のきるところ、兩手を斷ずること、刀劒のきるよりもはやし。

 

 この生に善をつくりて、順現報受に善報をえたる例。

 昔健駄羅國迦膩色迦王、有一黄門、恆監内事。暫出城外、見有群牛、數盈五百、來入城内。問駈牛者、此是何牛(昔、健駄羅國の迦膩色迦王に、一の黄門有りて、恆に内事を監す。暫く城外に出でて、群牛有るを見るに、數五百に盈れり、城内に來入す。駈牛の者に問ふ、此れは是れ何の牛ぞ)。

 答言、此牛將去其種(此の牛は將に其の種を去らんとす)。

 於是黄門卽自思惟、我宿惡業受不男身、今應以財救此牛難。遂償其債悉令得脱。善業力故、令此黄門卽復男身。深生慶祝、尋還城内、侍立宮門。附使啓王、請入奉覲。王令喚入、怪問所由。於是黄門、具奏上事。王聞驚喜、厚賜珍財、轉授高官、令知外事(是に於て黄門卽ち自ら思惟すらく、我れ宿惡業に不男の身を受く、今應に財を以て此の牛の難を救ふべし。遂に其の債を償つて悉く得脱せしめつ。善業力の故に、此の黄門をして卽ち男身に復せしめぬ。深く慶祝を生じ、尋いで城内に還つて、宮門に侍立す。使に附して王に啓し、入つて奉覲せんことを請ふ。王、喚び入れしめ、怪しんで所由を問ふ。是に黄門、具に上の事を奏す。王聞きて驚喜して、厚く珍財を賜ひ、轉た高官を授けて、外事を知らしめき)。

 如是善業、要待相續、或度相續、方受其果(是の如きの善業は、要ず相續を待つて、或いは相續を度りて、方に其の果を受くべし)。

 あきらかにしりぬ、牛畜の身、をしむべきにあらざれども、すくふ人、善果をうく。いはんや恩田をうやまひ、徳田をうやまひ、もろもろの善を修せんをや。かくのごとくなるを、善の順現報受業となづく。善によりて惡によりて、かくのごとくのことおほかれど、つくしあぐるにいとまあらず。

 

 第二順次生受業者、謂若業此生造作増長、於第二生受異熟果、是名順次生受業(第二に順次生受業者、謂く、若し業を此の生に造作し増長して、第二生に異熟果を受くるを、是れを順次生受業と名づく)。

 いはく、もし人ありて、この生に五無間業をつくれる、かならず順次生に地獄におつるなり。順次生とは、この生つぎの生なり。餘のつみは、順次生に地獄におつるもあり。また順後次受のひくべきあれば、順次生に地獄におちず、順後業となることもあり。この五無間業は、さだめて順次生受業に地獄におつるなり。順次生、また第二生とも、これをいふなり。

 

五無間業

 一者殺父、二者殺母、三者殺阿羅漢、四者出佛身血、五者破和合僧。

 いはく、もし人ありて、この生に五無間業をつくるもの、かならず順次生に地獄に墮するなり。あるいはつぶさに五無間業ともにつくるものあり、いはゆる迦葉波佛のときの華上比丘これなり。あるいは一無間をつくるものあり、いはゆる釋迦牟尼佛のときの阿闍世王なり。そのちちをころす。あるいは三無間業をつくれるものあり、釋迦牟尼佛のときの阿逸多これなり。ちちをころし、ははをころし、阿羅漢をころす。この阿逸多は在家のときつくる、のちに出家をゆるさる。

 提婆達多、比丘として三無間業をつくれり。いはゆる破僧、出血、殺阿羅漢なり。あるいは提婆達兜といふ。此翻天熟(此に天熟と翻ず)。その破僧といふは、

 將五百新學愚蒙比丘、吉伽耶山作五邪法而破法輪僧、身子厭之眠熟、目連擎衆將還。提婆達多眠起發誓、誓報此恩捧縱三十肘、廣十五肘石、擲佛。山神以手遮石、小石迸傷佛足、血出(五百の新學愚蒙の比丘を將ゐて吉伽耶山に五邪法を作して法輪僧を破す。身子、之を厭ひて眠熟せしめ、目連、衆を擎げて將に還らしめんとせり。提婆達多、眠より起きて誓を發し、此の恩に報いんと誓ひ、縱三十肘、廣十五肘の石を捧げて佛に擲ちつ。山神、手を以て石を遮り、小石迸りて佛の足を傷つけ、血出でぬ)。

 もしこの説によらば、破僧さき、出血のちなり。もし餘説によらば、破僧、出血の前後、いまだあきらめず。また拳をもて蓮華色比丘尼をうちころす。この比丘尼は阿羅漢なり。これを三無間業をつくれりといふなり。

 破僧罪につきては、破羯磨僧あり、破法輪僧あり。破羯磨僧は三洲にあるべし、北洲をのぞく。如來在世より、法滅のときにいたるまでこれあり。破法輪僧はただ如來在世のみにあり。餘時はただ南洲にあり、三洲になし。この罪、最大なり。この三無間業をつくれるによりて、提婆達多、順次生に阿鼻地獄に墮す。かくのごとく五逆つぶさにつくれるものあり、一逆をつくれるものあり。提婆達多がごときは三逆をつくれり。ともに阿鼻地獄に墮すべし。その一逆をつくれるがごとき、阿鼻地獄一劫の壽報なるべし。具造五逆のひと、一劫のなかにつぶさに五報をうくとやせん、また前後にうくとやせん。

 先徳曰く、阿含、涅槃同在一劫、火有厚薄(阿含、涅槃に同じく一劫在り、火に厚薄有り)と。

 あるいはいはく、唯在増苦増(唯だ増苦増すこと在り)と。

 いま提婆達多、かさねて三逆をつくれり、一逆をつくれる人の罪には三倍すべし。しかあれども、すでに臨命終のときは南無の言をとなへて惡心すこしきまぬかる。うらむらくは具足して南無佛と稱ぜざること。阿鼻にしてははるかに釋迦牟尼佛に歸命したてまつる。續善ちかきにあり。なほ阿鼻地獄に四佛の提婆達多あり。

 瞿伽離比丘は千釋出家の時、そのなかの一人なり。調達、瞿伽離、二人出城門のとき、二人ののれる馬、たちまちに仆倒し、二人のむまよりおち、冠ぬげておちぬ。ときのみる人、みないはく、この二人は佛法におきて益をうべからず。

 この瞿伽離比丘、また倶伽離といふ。此生に舍利弗、目犍連を謗ずるに、無根の波羅夷をもてす。世尊みづからねんごろにいさめましますにやまず。梵王くだりていさむるにやまず。二尊を謗ずるによりて、次生に墮すべし。又、いまに續善根の緣にあはず。

 四禪比丘、臨命終のとき謗佛せしによりて四禪の中陰かくれて阿鼻地獄に墮せり。かくのごとくなるを順次生受業となづく。

 この五無間業を、なにによりて無間業となづく。そのゆゑ五あり。

 一者趣果無間。故名無間。捨此身已、次身卽受。故名無間(一つには趣果無間なり。故に無間と名づく。此の身を捨し已りて次の身を卽ち受く。故に無間と名づく)。

 二者受苦無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄一劫之中、受苦相續無有樂間。因從果稱名無間業(二つには受苦無間なり。故に無間と名づく。五逆の罪、阿鼻獄に生ずる一劫の中、受苦相續して樂間有ること無し。因つて果に從つて稱して無間業と名づく)。

 三者時量無間故、名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。決定一劫時不斷故。故名無間(三つには時量無間の故に無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄に生ず。決定して一劫時に不斷なるが故に。故に無間と名づく)。

 四者壽命無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。一劫之中、壽命無絶。因從果稱名爲無間(四つには壽命無間なり。故に無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄に生ず。一劫の中、壽命絶ゆること無し。因つて果に從つて名を稱じて無間と爲す)。

 五者身形無間。故名無間。五逆之罪、生阿鼻獄。阿鼻地獄、縱廣八萬四千由旬、一人入中身亦遍滿。一切人入、身亦遍滿。不相障礙。因從果號名曰無間(五つには身形無間なり。故に無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄に生ず。阿鼻地獄は、縱廣八萬四千由旬なり。一人中に入るも身亦た遍滿す。一切人入るも身亦た遍滿す。相障礙せず。因つて果に從つて號名て無間と曰ふ)。

 

 第三順後次受業者、謂若業此生造作増長、墮第三生、或墮第四生、或復過此、雖百千劫、受異熟果、是名順後次受業(第三に順後次受業とは、謂く、若し業を此生に造作し増長して、第三生に墮し、或いは第四生に墮し、或いは復た此れを過ぎて、百千劫なりと雖も異熟果を受く、是れを順後次受業と名づく)。

 いはく、人ありて、この生に、あるいは善にもあれ、あるいは惡にもあれ、造作しをはれりといへども、あるいは第三生、あるいは第四生、乃至百千生のあひだにも、善惡の業を感ずるを、順後次受業となづく。菩薩の三祇劫の功徳、おほく順後次受業なり。かくのごとくの道理しらざるがごときは、行者おほく疑心をいだく。いまの闍夜多尊者の在家のときのごとし。もし鳩摩羅多尊者にあはずは、そのうたがひ、とけがたからん。行者もし思惟それ善なれば、惡すなはち滅す。それ惡思惟すれば、善すみやかに滅するなり。

 室羅筏國昔有二人、一恆修善、一常作惡。修善行者、於一身中、恆修善行、未甞作惡。作惡行者、於一身中、常作惡行、未甞修善(室羅筏國に昔二の人有り、一は恆に善を修す、一は常に惡を作る。善行を修する者は、一身の中に、恆に善行を修して、未だ甞て惡を作らず。惡行を作る者は、一身の中に、常に惡行を作りて、未だ甞て善を修せず)。

 修善行者、臨命終時、順後次受惡業力故、歘有地獄中有現前、便作是念、我一身中、恆修善行、未甞作惡、應生天趣、何因緣有此中有現前。遂起念言、我定應有順後次受惡業今熟故、此地獄中有現前(善行を修せる者は、臨命終の時に、順後次受の惡業の力の故に、歘に地獄の中有有りて現前するに、便ち是の念を作さく、我れ一身の中に恆に善行を修す、未だ甞て惡を作らず。應に天趣に生ずべきに、何の因緣にてか此の中有有りて現前する。遂に念を起して言く、我れ定んで應に順後次受の惡業有りて今熟すべきが故に、此の地獄の中有、現前す)。

 卽自憶念一身已來所修善業、深生歡喜。由勝善思現在前故、地獄中有卽便隱歿、天趣中有歘爾現前。從此命終、生於天上(卽ち自ら一身已來の所修の善業を憶念して、深く歡喜を生ず。勝善思現在前するに由るが故に、地獄の中有卽便ち隱歿して、天趣の中有歘爾に現前す。此れより命終して、天上に生ぜり)。

 この恆修善行のひと、順後次受のさだめてうくべきがわが身にありけるとおもふのみにあらず、さらにすすみておもはく、一身の修善もまたさだめてのちにうくべし。ふかく歡喜すとはこれなり。この憶念まことなるがゆゑに、地獄の中有すなはちかくれて、天趣の中有たちまちに現前して、いのちをはりて天上にむまる。この人もし惡人ならば、命終のとき、地獄の中有現前せば、おもふべし、われ一身の修善その功徳なし、善惡あらんにはいかでかわれ地獄の中有をみん。このとき因果を撥無し、三寶を毀謗せん。もしかくのごとくならば、すなはち命終し、地獄におつべし。かくのごとくならざるによりて、天上にむまるるなり。この道理、あきらめしるべし。

 作惡行者、臨命終時、順後次受善業力故、歘有天趣中有現前、便作是念、我一身中常作惡行、未甞修善、應生地獄、何緣有此中有現前。遂起邪見、撥無善惡及異熟果。邪見力故、天趣中有尋卽隱歿、地獄中有歘爾現前。從此命終、生於地獄(惡行を作れる者は、臨命終の時、順後次受の善業力の故に、歘ちに天趣の中有有りて現前するに、便ち是の念を作さく、我れ一身の中に常に惡行を作る、未だ甞て善を修せず、應に地獄に生ずべし、何の緣にてか此の中有有りて現前する。遂に邪見を起して、善惡及び異熟果を撥無す。邪見力の故に、天趣の中有尋いで卽ち隱歿し、地獄の中有歘爾に現前す。此れより命終して地獄に生ぜり)。

 この人いけるほど、つねに惡をつくり、さらに一善を修せざるのみにあらず、命終のとき、天趣の中有の現前せるをみて、順後次受をしらず、われ一生のあひだ惡をつくれりといへども、天趣にむまれんとす。はかりしりぬ、さらに善惡なかりけり。かくのごとく善惡を撥無する邪見力のゆゑに、天趣の中有たちまちに隱歿して、地獄の中有すみやかに現前し、いのちをはりて地獄におつ。これは邪見のゆゑに、天趣の中有かくるるなり。

 しかあればすなはち、行者かならず邪見なることなかれ。いかなるか邪見、いかなるか正見と、かたちをつくすまで學習すべし。

 まづ因果を撥無し、佛法を毀謗し、三世および解脱を撥無する、ともにこれ邪見なり。まさにしるべし、今生のわが身、ふたつなしみつなし。いたづらに邪見におちて、むなしく惡業を感得せん、をしからざらんや。惡をつくりながら惡にあらずとおもひ、惡の報あるべからずと邪思惟するによりて、惡報の感得せざるにはあらず。

 

 皓月供奉、問長沙景岑和尚、古徳云、了卽業障本來空、未了應須償宿債。只如師子尊者、二祖大師、爲什麼得償債去(皓月供奉、長沙の景岑和尚に問ふ、古徳云く、了ずれば卽ち業障本來空なり、未だ了ぜずは應に須らく宿債を償ふべし。只師子尊者、二祖大師の如きは、什麼としてか償債を得去るや)。

 長沙云、大徳不識本來空(大徳、本來空を識らず)。

 彼云、如何是本來空(如何ならんか是れ本來空)。

 長沙云、業障是(業障是れなり)。

 彼云、如何是業障(如何ならんか是れ業障)。

 長沙云、本來空是(本來空是れなり)。

 皓月無語。

 長沙便示一偈云(長沙便ち一偈を示して云く)、

 假有元非有(假の有も元と有に非ず)、

 假滅亦非無(假の滅も亦た無に非ず)。

 涅槃償債義(涅槃償債の義)、

 一性更無殊(一性更に殊なること無し)。

 長沙景岑は南泉の願禪師の上足なり。久しく參學のほまれあり。ままに道得是あれども、いまの因緣は渾無理會得なり。ちかくは永嘉の語を會せず、つぎに鳩摩羅多の慈誨をあきらめず。はるかに世尊の所説、ゆめにもいまだみざるがごとし。佛祖の道處すべてつたはれずは、たれかなんぢを尊崇せん。

 業障とは三障のなかの一障なり。いはゆる三障とは、業障、報障、煩惱障なり。業障とは五無間業をなづく。皓月が問、このこころなしといふとも、先來いひきたること、かくのごとし。皓月が問は、業不亡の道理によりて順後業のきたれるにむかふてとふところなり。長沙のあやまりは、如何是本來空と問するとき、業障是とこたふる、おほきなる僻見なり。業障なにとしてか本來空ならん。つくらずは業障ならじ。つくられば本來空にあらず。つくるはこれつくらぬなり。業障の當躰をうごさかずながら空なりといふは、すでにこれ外道の見なり。業障本來空なりとして放逸に造業せん、衆生さらに解脱の期あるべからず。解脱のひなくは、諸佛の出世あるべからず。諸佛の出世なくは、祖師西來すべからず。祖師西來せずは、南泉あるべからず。南泉なくは、たれかなんぢが參學眼を換却せん。また如何是業障と問するとき、さらに本來空是と答する、ふるくの縛馬答に相似なりといふとも、おもはくはなんぢ未了得の短才をもて久學の供奉に相對するがゆゑに、かくのごとくの狂言を發するなるべし。

 のち偈にいはく、涅槃償債義、一性更無殊。

 なんぢがいふ一性は什麼性なるぞ。三性のなかにいづれなりとかせん。おもふらくは、なんぢ性をしらず。涅槃償債義とはいかに。なんじがいふ涅槃はいづれの涅槃なりとかせん。聲聞の涅槃なりとやせん、支佛の涅槃なりとやせん、諸佛の涅槃なりとやせん。たとひいづれなりとも、償債義にひとしかるべからず。なんぢが道處さらに佛祖の道處にあらず。更買草鞋行脚(更に草鞋を買ひて行脚)すべし。師子尊者、二祖大師等、惡人のために害せられん、なんぞうたがふにたらん。最後身にあらず、無中有の身にあらず、なんぞ順後次受業のうくべきなからん。すでに後報のうくべきが熟するあらば、いまのうたがふところにあらざらん。あきらかにしりぬ、長沙いまだ三時業をあきらめずといふこと。參學のともがら、この三時業をあきらめんこと、鳩摩羅多尊者のごとくなるべし。すでにこれ祖宗の業なり、癈怠すべからず。

 このほか不定業等の八種の業あること、ひろく參學すべし。いまだこれをしらざれば、佛祖の正法つたはるべからず。この三時業の道理あきらめざらんともがら、みだりに人天の導師と稱ずることなかれ。

 

 世尊言、

 假令經百劫(假令百劫を經とも)、

 所作業不亡(所作の業は亡ぜじ)。

 因緣會遇時(因緣會遇せん時)、

 果報還自受(果報還つて自ら受く)。

 汝等當知、若純黒業得純黒異熟、若純白業得純白異熟、若黒白業得雜異熟。是故、應離純黒及黒白雜業、當勤修學純白之業(汝等當に知るべし、若し純黒業なれば純黒の異熟を得ん、若し純白業なれば純白の異熟を得ん、若し黒白業なれば雜の異熟を得ん。是の故に、應に純黒及び黒白の雜業を離るべし、當に純白の業を勤修學すべし)。

 時諸大衆、聞佛説已、歡喜信受(時に諸の大衆、佛説を聞き已りて、歡喜信受しき)。

 世尊のしめしましますがごときは、善惡の業つくりをはりぬれば、たとひ百千萬劫をふといふとも不亡なり。もし因緣にあへばかならず感得す。しかあれば、惡業は懺悔すれば滅す。また轉重輕受す。善業は隨喜すればいよいよ増長するなり。これを不亡といふなり。その報なきにはあらず。

 

正法眼藏三時業第八

 

 

正法眼藏第九 四馬

 世尊一日、外道來詣佛所問佛、不問有言、不問無言(世尊一日、外道、佛の所に來詣りて佛に問ひたてまつらく、有言を問はず、無言を問はず)。

 世尊據坐良久(世尊、據坐良久したまふ)。

 外道禮拜讃歎云、善哉世尊、大慈大悲、開我迷雲、令我得入(外道、禮拜し讃歎して云く、善哉世尊、大慈大悲、我が迷雲を開き、我れをして得入せしめたまへり)。

 乃作禮而去(乃ち作禮して去りぬ)。

 外道去了、阿難尋白佛言、外道以何所得、而言得入、稱讃而去(外道去り了りて、阿難、尋いで佛に白して言さく、外道何の所得を以てか、而も得入すと言ひ、稱讃して去るや)。

 世尊云、如世間良馬、見鞭影而行(世間の良馬の、鞭影を見て行くが如し)。

 祖師西來よりのち、いまにいたるまで、諸善知識おほくこの因緣を擧して參學のともがらにしめすに、あるいは年載をかさね、あるいは日月をかさねて、ままに開明し、佛法に信入するものあり。これを外道問佛話と稱ず。しるべし、世尊に聖默聖説の二種の施設まします。これによりて得入するもの、みな如世間良馬見鞭影而行なり。聖默聖説にあらざる施設によりて得入するも、またかくのごとし。

 

 龍樹祖師曰、爲人説句、如快馬見鞭影、卽入正路(人の爲に句を説くに、快馬の鞭影を見て、卽ち正路に入るが如し)。

 あらゆる機緣、あるいは生不生の法をきき、三乘一乘の法をきく、しばしば邪路におもむかんとすれども、鞭影しきりにみゆるがごときは、すなはち正路にいるなり。もし師にしたがひ、人にあひぬるがごときは、ところとして説句にあらざることなし、ときとして鞭影をみずといふことなきなり。卽坐に鞭影をみるもの、三阿僧祇をへて鞭影をみるものあり、無量劫を經て鞭影をみ、正路にいることをうるなり。

 

 雜阿含經曰、佛告比丘、有四種馬、一者見鞭影、卽便驚悚隨御者意。二者觸毛、便驚悚隨御者意。三者觸肉、然後乃驚。四者徹骨、然後方覺。初馬如聞他聚落無常、卽能生厭。次馬如聞己聚落無常、卽能生厭。三馬如聞己親無常、卽能生厭。四馬猶如己身病苦、方能生厭(雜阿含經に曰く、佛、比丘に告げたまはく、四種の馬有り、一つには鞭影を見るに、卽便ち驚悚して御者の意に隨ふ。二つには毛に觸るれば、便ち驚悚して御者の意に隨ふ。三つには肉に觸れて、然して後乃ち驚く。四つには骨に徹つて、然して後方に覺す。初めの馬は、他の聚落の無常を聞きて、卽ち能く厭を生ずるが如し。次の馬は、己が聚落の無常を聞きて、卽ち能く厭を生ずるが如し。三の馬は、己が親の無常を聞きて、卽ち能く厭を生ずるが如し。四の馬は、猶ほ己が身の病苦によりて、方に能く厭を生ずるが如し)。

 これ阿含の四馬なり。佛法を參學するとき、かならず學するところなり。眞善知識として人中天上に出現し、ほとけのつかひとして祖師なるは、かならずこれを參學しきたりて、學者のために傳授するなり。しらざるは人天の善知識にあらず。學者もし厚殖善根の衆生にして、佛道ちかきものは、かならずこれをきくことをうるなり。佛道とほきものは、きかず、しらず。

 しかあればすなはち、師匠いそぎとかんことをおもふべし、弟子いそぎきかんとこひねがふべし。いま生厭といふは、

 佛以一音演説法(佛、一音を以て法を演説したまふに)、

 衆生隨類各得解(衆生、類に隨つて各解を得)。

 或有恐怖或歡喜(或いは恐怖する有り、或いは歡喜し)、

 或生厭離或斷疑(或いは厭離を生じ、或いは疑ひを斷ず)。

なり。

 

 大經曰、佛言、復次善男子、如調馬者、凡有四種。一者觸毛、二者觸皮、三者觸肉、四者觸骨。隨其所觸、稱御者意。如來亦爾、以四種法、調伏衆生。一爲説生、便受佛語。如觸其毛隨御者意。二説生老、便受佛語。如觸毛皮、隨御者意。三者説生及以老病、便受佛語。如觸毛皮肉隨御者意。四者説生及老病死、便受佛語。如觸毛皮肉骨、隨御者意(大經に曰く、佛言はく、復た次に善男子、調馬者の如き、凡さ四種有り。一つには觸毛、二つには觸皮、三つには觸肉、四つには觸骨なり。其の觸るる所に隨つて、御者の意に稱ふ。如來も亦た爾なり、四種の法を以て、衆生を調伏したまふ。一つには爲に生を説きたまふに、便ち佛語を受く。其の毛に觸るれば御者の意に隨ふが如し。二つには生、老を説きたまふに、便ち佛語を受く。毛、皮に觸るれば御者の意に隨ふが如し。三つには生及以び老、病を説きたまふに便ち佛語を受く。毛、皮、肉に觸るれば御者の意に隨ふが如し。四つには生及び老、病、死を説きたまふに、便ち佛語を受く。毛、皮、肉、骨に觸るれば御者の意に隨ふが如し)。

 善男子、御者調馬、無有決定。如來世尊、調伏衆生、必定不虛。是故號佛調御丈夫(善男子、御者の馬を調ふること、決定有ること無し。如來世尊、衆生を調伏したまふこと、必定して虛しからず。是の故に佛を調御丈夫と號く)。

 これを涅槃經の四馬となづく。學者ならはざるなし、諸佛ときたまはざるおはしまさず。ほとけにしたがひたてまつりてこれをきく、ほとけをみたてまつり、供養したてまつるごとには、かならず聽聞し、佛法を傳授するごとには、衆生のためにこれをとくこと、歴劫におこたらず。つひに佛果にいたりて、はじめ初發心のときのごとく、菩薩聲聞、人天大會のためにこれをとく。このゆゑに、佛法僧寶種不斷なり。

 かくのごとくなるがゆゑに、諸佛の所説と菩薩の所説と、はるかにことなり。しるべし、調馬師の法におほよそ四種あり。いはゆる觸毛、觸皮、觸肉、觸骨なり。これなにものを觸毛せしむるとみえざれども、傳法の大士おもはくは、鞭なるべしと解す。しかあれども、かならずしも調馬の法に鞭をもちゐるもあり、鞭をもちゐざるもあり。調馬かならず鞭のみにはかぎるべからず。たてるたけ八尺なる、これを龍馬とす。このむまととのふること、人間にすくなし。また千里馬といふむまあり、一日のうちに千里をゆく。このむま五百里をゆくあひだ、血汗をながす、五百里すぎぬれば、淸涼にしてはやし、このむまにのる人すくなし。ととのふる法、しれるものすくなし。このむま、神丹國にはなし、外國にあり。このむま、おのおのしきりに鞭を加すとみえず。

 しかあれども、古徳いはく、調馬かならず鞭を加す。鞭にあらざればむまととのほらず。これ調馬の法なり。いま觸毛皮肉骨の四法あり、毛をのぞきて皮に觸することあるべからず。毛、皮をのぞきて肉、骨に觸すべからず。かるがゆゑにしりぬ、これ鞭を加すべきなり。いまここにとかざるは文の不足なり。

 諸經かくのごときのところおほし、如來世尊調御丈夫またしかあり。四種の法をもて、一切衆生を調伏して、必定不虛なり。いはゆる生を爲説するにすなはち佛語をうくるあり、生、老を爲説するに佛語をうくるあり、生、老、病を爲説するに佛語をうくるあり、生、老、病、死を爲説するに佛語をうくるあり。のちの三をきくもの、いまだはじめの一をはなれず。世間の調馬の、觸毛をはなれて觸皮肉骨あらざるがごとし。生老病死を爲説すといふは、如來世尊の生老病死を爲説しまします、衆生をして生老病死をはなれしめんがためにあらず。生老病死すなはち道ととかず、生老病死すなはち道なりと解せしめんがためにとくにあらず。この生老病死を爲説するによりて、一切衆生をして阿耨多羅三藐三菩提の法をえしめんがためなり。これ如來世尊、調伏衆生、必定不虛、是故號佛調御丈夫なり。

 

正法眼藏四馬第九

 

 建長七年乙卯夏安居日以御草案書寫之畢

 

 

正法眼藏第十 四禪比丘

 第十四祖龍樹祖師言、佛弟子中有一比丘、得第四禪、生増上慢、謂得四果。初得初禪、謂得須陀洹。得第二禪時、謂是斯陀含果、得第三禪時、謂是阿那含果、得第四禪時、謂是阿羅漢。恃是自高、不復求進。命欲盡時、見有四禪中陰相來、便生邪見、謂無涅槃、佛爲欺我。惡邪見故、失四禪中陰、便見阿毘泥梨中陰相、命終卽生阿毘泥梨中(第十四祖龍樹祖師言く、佛弟子の中に一の比丘有りき、第四禪を得て、増上慢を生じ、四果を得たりと謂へり。初め初禪を得ては、須陀洹を得たりと謂へり。第二禪を得し時、是れを斯陀含果と謂ひ、第三禪を得し時、是れを阿那含果と謂ひ、第四禪を得し時、是れを阿羅漢と謂へり。是れを恃んで自ら高ぶり、復た進まんことを求めず。命盡きなんとする時、四禪の中陰の相有りて來るを見て、便ち邪見を生じ、涅槃無し、佛、爲に我を欺くと謂へり。惡邪見の故に、四禪の中陰を失ひ、便ち阿毘泥梨の中陰の相を見、命終して卽ち阿毘泥梨中に生ぜり)。

 諸比丘問佛、阿蘭若比丘、命終生何處(諸の比丘、佛に問ひたてまつらく、阿蘭若比丘、命終して何れの處にか生ぜし)。

 佛言、是人生阿毘泥梨中(是の人は阿毘泥梨中に生ぜり)。

 諸比丘大驚、坐禪持戒便至爾耶(諸の比丘大きに驚き、坐禪持戒して便ち爾るに至るやといふ)。

 佛如前答言、彼皆因増上慢。得四禪時、謂得四果。臨命終時、見四禪中陰相、便生邪見、謂無涅槃、我是羅漢、今還復生、佛爲虛誑。是時卽見阿毘泥梨中陰相、命終卽生阿毘泥梨中(佛、前の如く答へて言はく、彼は皆な増上慢に因る。四禪を得し時、四果を得たりと謂へり。臨命終の時、四禪の中陰の相を見て、便ち邪見を生じて謂へらく、涅槃無し、我れは是れ羅漢なり、今還つて復た生ず、佛は虛誑せりと。是の時卽ち阿毘泥梨の中陰の相を見、命終して卽ち阿毘泥梨の中に生ぜり)。

 是時佛説偈言(是の時に佛、偈を説いて言はく)、

 多聞、持戒、禪(多聞、持戒、禪も)、

 未得漏盡法(未だ漏盡の法を得ず)。

 雖有此功徳(此の功徳有りと雖も)、

 此事難可信(此の事信ずべきこと難し)。

 墮獄由謗佛(墮獄は謗佛に由る)、

 非關第四禪(第四禪は關るに非ず)。

 この比丘を稱じて四禪比丘といふ、または無聞比丘と稱ず。四禪をえたるを四果と僻計せることをいましめ、また謗佛の邪見をいましむ。人天大會みなしれり。如來在世より今日にいたるまで、西天東地ともに是にあらざるを是と執せるをいましむとして、四禪をえて四果とおもふがごとしとあざける。

 この比丘の不是、しばらく略して擧するに三種あり。第一には、みづから四禪と四果とを分別するにおよばざる無聞の身ながら、いたづらに師をはなれて、むなしく阿蘭若に獨處す。さいはひにこれ如來在世なり、つねに佛所に詣して、常恆に見佛聞法せば、かくのごとくのあやまりあるべからず。しかあるに、阿蘭若に獨處して佛所に詣せず、つねに見佛聞法せざるによりてかくのごとし。たとひ佛所に詣せずといふとも、諸大阿羅漢の處にいたりて、教訓を請ずべし。いたづらに獨處する、増上慢のあやまりなり。第二には、初禪をえて初果とおもひ、二禪をえて第二果とおもひ、三禪をえて第三果とおもひ、四禪をえて第四果とおもふ、第二のあやまりなり。初二三四禪の相と、初二三四果の相と、比類に及ばず。たとふることあらんや。これ無聞のとがによれり。師につかへず、くらきによれるとがなり。

 

 優婆毱多弟子中有一比丘。信心出家、獲得四禪、謂爲四果。毱多方便令往他處。於路化作群賊、復化作五百賈客。賊劫賈客、殺害狼藉。比丘見生怖、卽便自念、我非羅漢、應是第三果(優婆毱多の弟子の中に、一の比丘有りき。信心もて出家し、四禪を獲得て謂ひて四果と爲り。毱多、方便して他處に往かしむ。路に於て群賊を化作し、復た五百の賈客を化作せり。賊、賈客を劫かし、殺害狼藉す。比丘、見て怖を生じ、卽便ち自ら念へらく、我れは羅漢に非ず、應に是れ第三果なるべしと)。

 賈客亡後、有長者女、語比丘言、唯願大徳、與我共去(賈客亡げて後、長者女有り、比丘に語りて言く、唯願はくは大徳、我れと共に去るべし)。

 比丘答言、佛不許我與女人行(佛、我が女人と行くことを許したまはず)。

 女言、我望大徳而隨其後(我れ大徳を望んで而も其の後に隨はん)。

 比丘憐愍相望而行、尊者次復變作大河(比丘、憐愍して相望んで行くに、尊者次に復た大河を變作せり)。

 女人言、大徳、可共我渡(大徳、我れと共に渡るべし)。

 比丘在下、女在上流(比丘は下に在り、女は上流に在り)。

 女便墮水、白言、大徳濟我(女、便ち水に墮し、白して言く、大徳、我れを濟ふべし)。

 爾時比丘、手接而出、生細滑想、起愛欲心、卽便自知非阿那含(爾の時に比丘、手接して出し、細滑の想を生じて、愛欲の心を起し、卽便ち自ら阿那含に非ずと知りぬ)。

 於此女人極生愛着、將向屏處、欲共交通、方見是師、生大慚愧、低頭而立(此の女人に於て極めて愛着を生じ、將ゐて屏處に向ひて、共に交通せんと欲ふに、方に是れ師なるを見て、大慚愧を生じ、低頭して立ちたり)。

 尊者語言、汝昔自謂是阿羅漢、云何欲爲如此惡事(尊者語りて言く、汝、昔自ら是れ阿羅漢なりと謂へり、云何が此の如きの惡事を爲さんと欲るや)。

 將至僧中、教其懺悔、爲説法要、得阿羅漢(將ゐて僧中に至り、其れをして懺悔せしめ、爲に法要を説きて、阿羅漢を得しめき)。

 この比丘、はじめ生見のあやまりあれど、殺害の狼藉をみるにおそりを生ず。ときにわれ羅漢にあらずとおもふ、なほ第三果なるべしとおもふあやまりあり。のちに細滑の想によりて愛欲心を生ずるに、阿那含にあらずとしる、さらに謗佛のおもひを生ぜず、謗法のおもひなし、聖教にそむくおもひあらず。四禪比丘にはひとしからず。この比丘は、聖教を習學せるちからあるによりて、みづから阿羅漢にあらず、阿那含にあらずとしるなり。いまの無聞のともがらは、阿羅漢はいかなりともしらず、佛はいかなりともしらざるがゆゑに、みづから阿羅漢にあらず、佛にあらずともしらず、みだりにわれは佛なりとのみおもひいふは、おほきなるあやまりなり、ふかきとがあるべし。學者まづすべからく佛はいかなるべしとならふべきなり。

 

 古徳云、習聖教者、薄知次位、縱生逾濫、亦易開解(聖教を習ふ者、薄次位を知るは、縱逾濫を生ずれども、亦た開解し易し)。

 まことなるかな、古徳の言。たとひ生見のあやまりありとも、すこしきも佛法を習學せらんともがらは、みづからに欺誑せられじ、他人にも欺誑せられじ。

 曾聞、有人自謂成佛。待天不曉、謂爲魔障。曉已不見梵王請説、自知非佛。自謂是阿羅漢。又被他人罵之、心生異念、自知非是阿羅漢。乃謂是第三果也。又見女人起欲想、知非聖人。此亦良由知教相故、乃如是也(曾て聞く、人有りて自ら佛と成ると謂ふ。待つに天曉けず、爲に魔障ならんと謂ふ。曉け已るに梵王の請説を見ず、自ら佛に非ずと知りぬ。自ら是れ阿羅漢なりと謂へり。又他人の之を罵ることを被りて心異念を生ず、自ら是れ阿羅漢に非ずと知りぬ。仍て是れ第三果なりと謂へり。又女人を見て欲想を起す、聖人に非ずと知りぬ。此れ亦た良く教相を知るに由ての故に、乃ち是の如し)。

 それ佛法をしれるは、かくのごとくみづからが非を覺知し、はやくそのあやまりをなげすつ。しらざるともがらは、一生むなしく愚蒙のなかにあり。生より生を受くるも、またかくのごとくなるべし。

 この優婆毱多の弟子は、四禪をえて四果とおもふといへども、さらに我非羅漢の智あり。無聞比丘も、臨命終のとき、四禪の中陰みゆることあらんに、我非羅漢としらば、謗佛の罪あるべからず。いはんや四禪をえてのちひさし、なんぞ四果にあらざるとかへりみしらざらん。すでに四果にあらずとしらば、なんぞ改めざらん。いたづらに僻計にとどこほり、むなしく邪見にしづめり。

 

 第三には、命終の時おほきなる誤りあり、そのとがふかくしてつひに阿鼻地獄におちぬるなり。たとひなんぢ一生のあひだ、四禪を四果とおもひきたれりとも、臨命終の時、四禪の中陰みゆることあらば、一生の誤りを懺悔して、四果にはあらざりとおもふべし。いかでか佛われを欺誑して、涅槃なきに涅槃ありと施設せさせたまふとおもふべき。これ無聞のとがなり。このつみすでに謗佛なり。これによりて、阿鼻の中陰現じて、命終して阿鼻地獄におちぬ。たとひ四果の聖者なりとも、いかでか如來におよばん。

 舍利弗は久しくこれ四果の聖者なり。三千大千世界所有の智惠をあつめて、如來をのぞきたてまつりてほかを一分とし、舍利弗の智惠を十六分にせる一分と、三千大千世界所有の智惠とを格量するに、舍利弗の十六分之一分に及ばざるなり。しかあれども、如來未曾説の法をときましますをききて、前後の佛説ことにして、われを欺誑しましますとおもはず。波旬無此事(波旬に此事無し)とほめたてまつる。如來は福増をわたし、舍利弗は福増をわたさず。四果と佛果と、はるかにことなること、かくのごとし。たとひ舍利弗及びもろもろの弟子のごとくならん、十方界にみちみてたらん、ともに佛智を測量せんことうべからず。孔老にかくのごとくの功徳いまだなし。佛法を習學せんもの、たれか孔老を測度せざらん。孔老を習學するもの、佛法を測量することいまだなし。いま大宋國のともがら、おほく孔老と佛道と一致の道理をたつ。僻見もともふかきものなり。しもにまさに廣説すべし。

 四禪比丘、みづからが僻見をまこととして、如來の欺誑しましますと思ふ、ながく佛道を違背したてまつるなり。愚癡のはなはだしき、六師等にひとしかるべし。

 古徳云、大師在世、尚有僻計生見之人、況滅後無師、不得禪者(大師在世すら、尚ほ僻計生見の人有り、況んや滅後師無く、禪を得ざる者をや)。

 いま大師とは佛世尊なり。まことに世尊在世、出家受具せる、なほ無聞によりては僻計生見の誤りのがれがたし。いはんや如來滅後、後五百歳、邊地下賎の時處、誤りなからんや。四禪を發せるもの、なほかくのごとし。いはんや四禪を發するに及ばず、いたづらに貪名愛利にしづめらんもの、官途世路を貪るともがら、不足言なるべし。いま大宋國に寡聞愚鈍のともがら多し、かれらがいはく、佛法と老子、孔子の法と、一致にして異轍あらず。

 

 大宋嘉泰中、有僧正受。撰進普燈録三十卷云、臣聞孤山智圓之言曰、吾道如鼎也、三教如足也。足一虧而鼎覆焉。臣甞慕其人稽其説。乃知、儒之爲教、其要在誠意。道之爲教、其要在虛心。釋之爲教、其要在見性。誠意也虛心也見性也、異名躰同。究厥攸歸、無適而不與此道會云云(大宋嘉泰中に僧正受といふもの有り。普燈録三十卷を撰進するに云く、臣、孤山智圓の言ふを聞くに曰く、吾が道は鼎の如し、三教は足の如し。足一も虧くれば鼎覆へると。臣、甞て其の人を慕ひ其の説を稽ふ。乃ち知りぬ、儒の教たること、其の要は誠意に在り。道の教たること、其の要は虛心に在り、釋の教たること、其の要は見性に在ることを。誠意と虛心と見性と、名を異にして躰同じ。厥の歸する攸を究むるに、適として此の道と會せずといふこと無し云云)。

 かくのごとく僻計生見のともがらのみ多し、ただ智圓、正受のみにはあらず。このともがらは、四禪を得て四果と思はんよりも、その誤りふかし。謗佛、謗法、謗僧なるべし。すでに撥無解脱なり、撥無三世なり、撥無因果なり。莽莽蕩蕩招殃禍、疑ひなし。三寶、四諦、四沙門なしとおもふしともがらにひとし。佛法いまだその要見性にあらず、西天二十八祖、七佛、いづれのところにか佛法のただ見性のみなりとある。六祖壇經に見性の言あり、かの書これ僞書なり、附法藏の書にあらず、曹溪の言句にあらず、佛祖の兒孫またく依用せざる書なり。正受、智圓いまだ佛法の一隅をしらざるによりて、一鼎三足の邪計をなす。

 古徳云、老子莊子、尚自未識小乘能著所著、能破所破。況大乘中、若著若破。是故不與佛法少同。然世愚者迷於名相、濫禪者惑於正理、欲將道徳、逍遥之名齊於佛法解脱之説、豈可得乎(老子、莊子は尚ほ自ら未だ小乘の能著所著、能破所破を識らず。況んや大乘の中の若しは著し若しは破するをや。是の故に佛法と少しく同じからず。然れば、世の愚かなる者は名相に迷ひ、濫禪の者は正理に惑ひ、道徳、逍遥の名を將つて佛法解脱の説に齊しめんと欲ふ、豈に得べけんや)。

 むかしより名相にまどふもの、正理をしらざるともがら、佛法をもて莊子、老子にひとしむるなり。いささかも佛法の稽古あるともがら、むかしより莊子、老子をおもくする一人なし。

 

 淸淨法行經云、月光菩薩、彼稱顔囘、光淨菩薩、彼稱仲尼、迦葉菩薩、彼稱老子云云(月光菩薩、彼に顔囘と稱ず、光淨菩薩、彼に仲尼と稱ず、迦葉菩薩、彼に老子と稱ず、云云)。

 むかしよりこの經の説を擧して、孔子、老子等も菩薩なれば、その説ひそかに佛説に同じかるべしといひ、また佛のつかひならん、その説おのづから佛説ならんといふ。この説みな非なり。

 古徳云、準諸目録、皆推此經。以爲疑僞、云云(諸の目録に準じ、皆な此の經を推す。以爲くは疑僞ならん云云)。

 いまこの説によらば、いよいよ佛法と孔老とことなるべし。すでにこれ菩薩なり、佛果にひとしかるべからず。また和光應迹の功徳は、ひとり三世諸佛菩薩の法なり。俗人凡夫の所能にあらず、實業の凡夫、いかでか應迹に自在あらん。孔老いまだ應迹の説なし、いはんや孔老は、先因をしらず、當果をとかず。わづかに一世の忠をもて、君につかへ家ををさむる術をむねとせり、さらに後世の説なし。すでにこれ斷見の流類なるべし。莊老をきらふに、小乘なほしらず、いはんや大乘をやといふは上古の明師なり。三教一致といふは智圓、正受なり、後代澆季愚闇の凡夫なり。なんぢなんの勝出あればか、上古の先徳の所説をさみして、みだりに孔老と佛法とひとしかるべしといふ。なんだちが所見、すべて佛法の通塞を論ずるにたらず。負笈して明師に參學すべし、智圓、正受、なんぢら大小兩乘すべていまだしらざるなり。四禪をえて四果とおもふよりもくらし。悲しむべし、澆風のあふぐところ、かくのごとくの魔子おほかることを。

 古徳云、如孔丘、姫旦之語、三皇五帝之書、孝以治家、忠以治國、輔國利民、只是一世之内、不濟過未。齊佛法之益於三世、不謬乎(孔丘、姫旦の語、三皇五帝の書の如きは、孝以て家を治め、忠以て國を治め、國を輔し民を利する、只是れ一世の内のみにして、過未に濟らず。佛法の三世を益するに齊しめん、謬らざらんや)。

 まことなるかなや、古徳の語。よく佛法の至理に達せり、世俗の道理にあきらかなり。三皇五帝の語、いまだ轉輪聖王の教に及ぶべからず。梵王、帝釋の説にならべ論ずべからず。統領するところ、所得の果報、はるかに劣なるべし。輪王、梵王、帝釋、なほ出家受具の比丘に及ばず。いかにいはんや如來にひとしからんや。孔丘、姫旦の書、また天竺の十八大經に及ぶべからず。四韋陀の典籍にならべがたし。西天婆羅門教、いまだ佛教にひとしからざるなり。なほ小乘聲聞教にひとしからず。あはれむべし。振旦小國邊方にして、三教一致の邪説あり。

 

 第十四祖龍樹菩薩云、大阿羅漢辟支佛知八萬大劫、諸大菩薩及佛知無量劫(大阿羅漢辟支佛は、八萬大劫を知り、諸大菩薩及び佛は無量劫を知りたまふ)。

 孔老等、いまだ一世中の前後をしらず、一生二生の宿通あらんや。いかにいはんや一劫をしらんや、いかにいはんや百劫千劫をしらんや、いかにいはんや八萬大劫をしらんや、いかにいはんや無量劫をしらんや。この無量劫をあきらかにてらししれること、たなごころをみるよりもあきらかなる諸佛菩薩を、孔老等に比類せん、愚闇といふにもたらざるなり。耳をおほうて三教一致の言をきくことなかれ。邪説中最邪説なり。

 莊子云、貴賎苦樂、是非得失、皆是自然。

 この見、すでに西國の自然見の外道の流類なり、貴賎苦樂、是非得失、みなこれ善惡業の感ずるところなり。滿業、引業をしらず、過世、未世をあきらめざるがゆゑに現在にくらし、いかでか佛法にひとしからん。

 あるがいはく、諸佛如來ひろく法界を證するゆゑに、微塵法界、みな諸佛如來の所證なり。しかあれば、依正二報ともに如來の所證となりぬるがゆゑに、山河大地、日月星辰、四倒三毒、みな如來の所證なり。山河をみるは如來をみるなり、三毒四倒佛法にあらずといふことなし。微塵をみるは法界をみるにひとし。造次顛沛、みな三菩提なり。これを大解脱といふ。これを單傳直指の祖道となづく。

 かくのごとくいふともがら、大宋國に稻麻竹葦のごとく、朝野に遍滿せり。しかあれども、このともがら、たれ人の兒孫といふことあきらかならず、おほよそ佛祖の道をしらざるなり。たとひ諸佛の所證となるとも、山河大地たちまちに凡夫の所見なかるべきにあらず、諸佛の所證となる道理をならはず、きかざるなり。なんぢ微塵をみるは法界をみるにひとしといふ、民の王にひとしといはんがごとし。またなんぞ法界をみて微塵にひとしといはざる。もしこのともがらの所見を佛祖の大道とせば、諸佛出世すべからず、祖師出現すべからず、衆生得道すべからざるなり。たとひ生卽無生と體達すとも、この道理にあらず。

 眞諦三藏云、振旦有二福、一無羅刹、二無外道(振旦に二福有り、一には羅刹無し、二には外道無し)。

 この言、まことに西國の外道婆羅門の傳來せるなく、得道の外道なしといふとも、外道の見おこすともがらなかるべきにあらず。羅刹はいまだみえず、外道の流類はなきにあらず。小國邊地のゆゑに、中印度のごとくにあらざることは、佛法をわづかに修習すといへども、印度のごとくに證をとれるなし。

 

 古徳云、今時多有還俗之者、畏憚王、入外道中。偸佛法義、竊解莊老、遂成混雜、迷惑初心孰正孰邪。是爲發得韋陀法之見也(今時多く還俗する者有り、王を畏り憚りて、外道の中に入る。佛法の義を偸み、竊かに莊老を解して、遂に混雜を成し、初心孰れか正、孰れか邪なるを迷惑す。是れ韋陀の法を發得する見と爲る也)。

 しるべし、佛法と莊老と、いづれか正、いづれか邪をしらず、混雜するは初心のともがらなり、いまの知圓、正受等これなり。ただ愚昧のはなはだしきのみにあらず、稽古なきいたり、顯然なり、炳焉なり。近日宋朝の僧徒、ひとりとしても、孔老は佛法に及ばずとしれるともがらなし。名を佛祖の兒孫にかれるともがら、稻麻竹葦のごとく、九州の山野にみてりといふとも、孔老のほかに佛法すぐれいでたりと曉了せる一人半人あるべからず。ひとり先師天童古佛のみ、佛法と孔老とひとつにあらずと曉了せり。晝夜に施設せり。經論師、また講者の名あれども、佛法はるかに孔老の邊を勝出せりと曉了せるなし。近代一百年來の講者、おほく參禪學道のともがらの儀をまなび、その解會をぬすまんとす、もともあやまれりといふべし。

 

 孔子書有生知、佛教無生知。佛法有舍利之説、孔老不知舍利之有無(孔子の書に生知有り、佛教には生知無し。佛法には舍利の説有り、孔老は舍利の有無を知らず)。

 ひとつにして混雜せんと思ふとも、廣説の通塞、つひに不得ならん。

 論語云、生而知之上、學而知之者次、困而學之、又其次也。困而不學、民斯爲下矣(生れながらにして之を知るは上なり、學んで之を知るは次なり、困しんで之を學ぶは又其の次なり。困しみて學ばざるは、民にして斯れを下と爲す矣)。

 もし生知あらば無因のとがあり、佛法には無因の説なし。四禪比丘は臨命終の時、たちまちに謗佛の罪に墮す。佛法をもて孔老の教にひとしとおもはん、一生中より謗佛の罪ふかかるべし。學者はやく孔老と佛法と一致なりと邪計する解をなげすつべし。この見たくはへてすてずは、つひに惡趣におつべし。學者あきらかにしるべし、孔老は三世の法をしらず、因果の道理をしらず、一洲の安立をしらず、いはんや四洲の安立をしらんや。六天のことなほしらず、いはんや三界九地の法をしらんや。小千界しらず、中千界しるべからず。三千大千世界をみることあらんや、しることあらんや。振旦一國なほ小臣にして帝位にのぼらず、三千大千世界に王たる如來に比すべからず。如來は梵王、帝釋、轉輪聖王等、晝夜に恭敬侍衞し、恆時に説法を請じたてまつる。孔老かくのごとくの徳なし、ただこれ流轉の凡夫なり。いまだ出離解脱のみちをしらず。いかでか如來のごとく諸法實相を究盡することあらん。もしいまだ究盡せずは、なにによりてか世尊にひとしとせん。孔老内徳なし、外用なし、世尊におよぶべからず、三教一致の邪説をはかんや。孔老、世界の有邊際、無邊際を通達すべからず。廣をしらず、みず、大をしらず、みざるのみにあらず、極微色をみず、刹那量をしるべからず。世尊あきらかに極微色をみ、刹那量をしらせたまふ。いかにしてか孔老にひとしめたてまつらん。孔老、莊子、惠子等は、ただこれ凡夫なり。なほ小乘の須陀洹におよぶべからず。いかにいはんや第二、第三、第四阿羅漢におよばんや。

 しかあるを、學者くらきによりて諸佛にひとしむる、迷中深迷なり。孔老は三世をしらず、多劫をしらざるのみにあらず、一念しるべからず、一心しるべからず。なほ日月天に比すべからず、四大王、衆天に及ぶべからざるなり。世尊に比するは、世間出世間に迷惑せるなり。

 

 列傳云、喜爲周大夫善星象。因見異氣、而東迎之、果得老子。請著書五千有言。喜亦自著書九篇。名關令子。準化胡經。老過關西、喜欲從聃求去(列傳云く、喜、周の大夫として星象を善くす。因みに異氣を見て東にゆきて之を迎ふるに、果して老子を得たり。請うて書五千有言を著はさしむ。喜も亦た自ら書九篇を著はす。關令子と名づく。化胡經に準ず。老、關西に過かんとするに、喜、聃に從ひて去くことを求めんと欲ふ)。

 聃云、若欲志心求去、當將父母等七人頭來、乃可得去(若し志心去くことを求めんと欲はば、當に父母等の七人の頭を將ち來るべし、乃ち去くことを得べし)。

 喜乃從教、七頭皆變豬頭(喜、乃ち教に從ひしに、七頭皆な豬頭に變ぜり)。

 古徳云、然俗典孝儒尚尊木像、老聃設化、令喜害親。如來教門大慈爲本、如何老氏逆爲化原(古徳云く、然あるに、俗典の孝儒は尚ほ木像を尊ぶ、老聃は化を設けて喜をして親を害せしむ。如來の教門は大慈を本とす、如何が老氏の逆をもて化原と爲ん)。

 むかしは老聃をもて世尊にひとしむる邪儻あり、いまは孔老ともに世尊にひとしといふ愚侶あり、あはれまざらめやは。孔老なほ轉輪聖王の十善をもて世間を化するにおよぶべからず。三皇五帝、いかでか金銀銅鐵諸輪王の七寶、千子具足して、あるいは四天下を化し、あるいは三千界を領ぜるにおよばん。孔子はいまだこれにも比すべからず。過現當來の諸佛諸祖、ともに孝順父母師僧三寶(父母師僧三寶に孝順し)、病人等を供養ずるを化原とせり。害親を化原とせる、いまだむかしよりあらざるところなり。

 しかあればすなはち、老聃と佛法とひとつにあらず。父母を殺害するは、かならず順次生業にして泥梨に墮すること必定なり。たとひ老聃みだりに虛無を談ずとも、父母を害せんもの、生報まぬかれざらん。

 

 傳燈録云、二祖毎歎曰、孔老之教、禮術風規、莊易之書、未盡妙理。近聞達磨大士、住止少林。至人不遠、當造玄境(傳燈録云く、二祖毎に歎いて曰く、孔老の教は禮術風規なり、莊易の書は未だ妙理を盡さず。近ごろ聞く、達磨大士少林に住止せり。至人遠からず當に玄境に造るべし)。

 いまのともがら、あきらかに信ずべし、佛法の振旦に正傳せることは、ただひとへに二祖の參學力なり。初祖たとひ西來せりとも、二祖をえずは佛法つたはれざらん。二祖もし佛法をつたへずは、東地いまに佛法なからん。おほよそ二祖は餘輩に群すべからず。

 傳燈録云、僧神光者、曠達之士也。久居伊洛、博覽群書、善談玄理(傳燈録云く、僧神光といふものあり、曠達の士也。久しく伊洛に居して群書を博覽せり、善く玄理を談ず)。

 むかし二祖の群書を博覽すると、いまの人の書卷をみると、はるかにことなるべし。得法傳衣ののちも、むかしわれ孔老之教、禮術風規とおもふしは誤りなりとしめすことばなし。しるべし、二祖すでに孔老は佛法にあらずと通達せり。いまの遠孫、なにとしてか祖父に違背して佛法と一致なりといふや。まさにしるべし、これ邪説なり。二祖の遠孫にあらずは、正受等が説、たれかもちゐん。二祖の兒孫たるべくは、三教一致といふことなかれ。

 

 如來在世有外道、名論力。自謂論議無與等者、其力最大。故云論力。受五百梨昌募、撰五百明難、來難世尊。來至佛所、而問佛云、爲一究竟道、爲衆多究竟道(如來在世に外道有り、論力と名づく。自ら論議與に等しき者無く、其の力最大なりと謂へり。故に論力と云ふ。五百梨昌の募を受けて、五百の明難を撰じ、來つて世尊を難ず。佛の所に來至りて、佛に問ひたてまつりて云く、一究竟道とやせん、衆多究竟道とやせん)。

 佛言、唯一究竟道(唯一究竟道なり)。

 論力云、我等諸師、各説有究竟道。以外道中、各各自謂是、毀訾他人法、互相是非故、有多道(我等が諸師は、各究竟道有りと説く。外道の中に、各各自ら是なりと謂うて、他人の法を毀訾して、互ひに相是非するを以ての故に多道有り)。

 世尊其時、已化鹿頭、成無學果、在佛邊立(世尊其の時、已に鹿頭を化して、無學果を成ぜしめて、佛の邊に在りて立てり)。

 佛問論力、衆多道中、誰爲第一(佛、論力に問ひたまはく、衆多の道の中に、誰をか第一と爲す)。

 論力云、鹿頭第一(鹿頭第一なり)。

 佛言、其若第一、云何捨其道、爲我弟子入我道中(其れ若し第一ならんには、云何ぞ其の道を捨てて、我が弟子となりて我が道の中に入るや)。

 論力見已慚愧低頭、歸依入道(論力、見已りて、慚愧し低頭して、歸依し道に入れり)。

 是時佛説義品偈言(是の時に佛、義品の偈を説いて言はく)、

 各各謂究竟、而各自愛著(各各究竟なりと謂ひて、而も各自ら愛著し)、

 各自是非彼、是皆非究竟(各自ら是として彼を非なりとす、是れ皆な究竟に非ず)。

 是人入論衆、辯明義理時(是の人論衆に入りて、義理を辯明する時)、

 各各相是非、勝負懷憂苦(各各相是非し、勝負して憂苦を懷く)。

 勝者墮憍坑、負者墮憂獄(勝者は憍坑に墮し、負者は憂獄に墮す)、

 是故有智者、不墮此二法(是の故に有智の者は、此の二法に墮せず)。

 論力汝當知、我諸弟子法(論力、汝當に知るべし、我が諸の弟子の法は)、

 無虛亦無實、汝欲何所求(虛も無く亦た實も無し、汝、何れの所をか求めんと欲ふ)。

 汝欲壞我論、終已無此處(汝、我が論を壞せんと欲はば、終に已に此の處無し)、

 一切智難明、適足自毀壞(一切智も明らめ難し、適自ら毀壞するに足らんのみ)。

 いま世尊の金言かくのごとし。東土愚闇の衆生、みだりに佛教に違背して、佛道とひとしきみちありといふことなかれ。すなはち謗佛謗法となるべきなり。西天の鹿頭ならびに論力、乃至長爪梵志、先尼梵志等は、博學のいたり、東土にむかしよりいまだなし、孔老さらに及ぶべからざるなり。これらみなみづからが道をすてて佛道に歸依す、いま孔老の俗人をもて佛法に比類せんは、きかんものもつみあるべし。いはんや阿羅漢、辟支佛も、みなつひに菩薩となる。一人としても小乘にしてをはるものなし。いかでかいまだ佛道にいらざる孔老を諸佛にひとしといはん。大邪見なるべし。

 おほよそ如來世尊、はるかに一切を超越しましますこと、すなはち諸佛如來、諸大菩薩、梵天帝釋、みなともにほめたてまつり、しりたてまつるところなり。西天二十八祖、唐土六祖、ともにしれるところなり。おほよそ參學力あるもの、みなともにしれり。いま澆運のともがら、宋朝愚闇のともがらの三教一致の狂言、用ゐるべからず、不學のいたりなり。

 

正法眼藏四禪比丘第十

 

 建長七年乙卯夏安居日以御草案本書寫畢 懷弉

 

 

正法眼藏第十一 一百八法明門

 爾時護明菩薩、觀生家已。時兜率陀有一天宮、名曰高幢、縱廣正等六十由旬。菩薩時時上彼宮中、爲兜率天説於法要。是時菩薩、上於彼宮、安坐訖已、告於兜率諸天子言、汝等諸天、應來聚集、我身不久下於人間。我今欲説一法明門、名入諸法相方便門。留教化汝最後。汝等憶念我故、汝等若聞此法門者、應生歡喜(爾の時に護明菩薩、生家を觀じ已りぬ。時に兜率陀に一天宮有り、名を高幢と曰ふ、縱廣正等六十由旬なり。菩薩時時に彼の宮の中に上り、兜率天の爲に法要を説けり。是の時に菩薩、彼の宮に上りて、安坐し訖已りて、兜率諸天子に告げて言く、汝等諸天、應に來り聚集るべし、我が身久しからずして人間に下るべし。我れ今一の法明門を説かんと欲ふ、入諸法相方便門と名づく。教を留めて汝を化すること最後なり。汝等我れを憶念するが故に、汝等若し此の法門を聞かば、應に歡喜を生ずべし)。

 時兜率陀諸天大衆、聞於菩薩如此語已、及天玉女、一切眷屬、皆來聚集、上於彼宮(時に兜率陀諸天の大衆、菩薩の此の如く語るを聞き已りて、天の玉女、一切の眷屬に及ぶまで、皆な來り聚集りて、彼の宮に上りぬ)。

 護明菩薩、見彼天衆聚會畢已、欲爲説法、卽時更化作一天宮、在彼高幢本天宮上。高大廣闊、覆四天下、可喜微妙、端正少雙、威徳巍巍、衆寶莊餝。一切欲界天宮殿中、無匹喩者。色界諸天、見彼化殿、於自宮殿、生如是心、如塚墓相(護明菩薩、彼の天衆の聚會り畢已れるを見て、爲に法を説かんと欲ひて、卽時更に一天宮を化作して、彼の高幢を本天宮の上に在けり。高大廣闊にして四天下を覆ひ、喜ぶべき微妙、端正雙び少く威徳巍巍たり、衆寶もて莊餝せり。一切欲界の天宮殿の中に、匹喩すべき者無し。色界の諸天、彼の化殿を見て、自が宮殿に於て是の如くの心を生ぜり、塚墓の相の如しと)。

 時護明菩薩、已於過去、行於寶行、種諸善根、成就福聚、功徳具足、所成莊嚴、師子高座昇上而坐(時に護明菩薩、已に過去に於て、寶行を行じ、諸の善根を種ゑて、福聚を成就し、功徳具足して、成ぜる所の莊嚴の師子の高座に昇上りて坐せり)。

 護明菩薩、在彼師子高座之上、無量諸寶、莊嚴間錯無量無邊。種種天衣而敷彼座、種種妙香以薰彼座。無量無邊寶爐燒香、出於種種微妙香花、散其地上。高座周匝有諸珍寶、百千萬億莊嚴放光、顯耀彼宮。彼宮上下寶網羅覆、於彼羅網多懸金鈴。彼諸金鈴出聲微妙。彼大寶宮、復出無量種種光明。彼寶宮殿千萬幡蓋、種種妙色映覆於上。彼大宮殿、垂諸旒蘇、無量無邊百千萬億諸天玉女、各持種種七寶、音聲作樂讃歎、説於菩薩往昔無量無邊功徳。護世四王百千萬億、在於左右守護彼宮。千萬帝釋禮拜彼宮、千萬梵天恭敬彼宮。又諸菩薩百千萬億那由他衆、護持彼宮。十方諸佛、有於萬億那由他數、護念彼宮。百千萬億那由他劫所修行、行諸波羅蜜、福報成就、因緣具足、日夜増長、無量功徳、悉皆莊嚴。如是如是、難説難説(護明菩薩、彼の師子の高座の上に在り、無量の諸寶、莊嚴間錯して無量無邊なり。種種の天衣而も彼の座に敷き、種種の妙香以て彼の座に薰ず。無量無邊の寶爐に燒香し、種種微妙の香花を出して其の地上に散ず。高座を周匝して諸の珍寶有り、百千萬億の莊嚴放光、彼の宮を顯耀かす。彼の宮の上下は寶網羅もて覆ひ、彼の羅網には多く金鈴を懸く。彼の諸の金鈴、聲を出すこと微妙なり。彼の大寶宮、復た無量種種の光明を出す。彼の寶宮殿の千萬の幡蓋、種種の妙色あつて映つて上に覆ふ。彼の大宮殿、諸の旒蘇を垂れ、無量無邊百千萬億の諸の天の玉女、各種種の七寶を持し、音聲もて作樂し讃歎して、菩薩往昔よりの無量無邊の功徳を説く。護世の四王百千萬億、左右に在りて彼の宮を守護す。千萬の帝釋彼の宮を禮拜し、千萬の梵天彼の宮を恭敬す。又諸の菩薩百千萬億那由他衆、彼の宮を護持す。十方の諸佛、萬億那由他數有りて、彼の宮を護念したまふ。百千萬億那由他劫に修せし所の行、諸波羅蜜を行ぜし、福報成就し、因緣具足し、日夜に増長し、無量の功徳、悉皆莊嚴せり。是の如く是の如く、難説難説なり)。

 彼大微妙師子高座、菩薩坐上、告於一切諸天衆言、汝等諸天、今此一百八法明門、一生補處菩薩大士、在兜率宮、欲下託生於人間者、於天衆前、要須宣暢説此一百八法明門。留與諸天以作憶念、然後下生。汝等諸天、今可至心諦聽諦受、我今説之(彼の大微妙なる師子の高座に、菩薩、上に坐して一切諸天衆に告げて言く、汝等諸天、今此の一百八法明門、一生補處の菩薩大士、兜率宮に在つて、下つて人間に託生せんと欲る者、天衆の前に於て、要らず須らく此の一百八法明門を宣暢して説くべし。諸天に留與して以て憶念を作さしめ、然る後下生す。汝等諸天、今至心に諦聽し諦受すべし、我れ今之を説くべし)。

 

 一百八法明門者何(一百八法明門とは何ぞや)。

 正信是法明門、不破堅牢心故(正信是れ法明門なり、堅牢の心を破せざるが故に)。

 淨心是法明門、無濁穢故(淨心是れ法明門なり、濁穢なきが故に)。

 歡喜是法明門、安穩心故(歡喜是れ法明門なり、安穩心の故に)。

 愛樂是法明門、令心淸淨故(愛樂是れ法明門なり、心をして淸淨ならしむるが故に)。

 身行正行是法明門、三業淨故(身行正行是れ法明門なり、三業淨きが故に)。

 口行淨行是法明門、斷四惡故(口行淨行是れ法明門なり、四惡を斷ずるが故に)。

 意行淨行是法明門、斷三毒故(意行淨行是れ法明門なり、三毒を斷ずるが故に)。

 念佛是法明門、觀佛淸淨故(念佛是れ法明門なり、觀佛淸淨なるが故に)。

 念法是法明門、觀法淸淨故(念法是れ法明門なり、觀法淸淨なるが故に)。

 念僧是法明門、得道堅牢故(念僧是れ法明門なり、得道堅牢なるが故に)。

 念施是法明門、不望果報故(念施是れ法明門なり、果報を望まざるが故に)。

 念戒是法明門、一切願具足故(念戒是れ法明門なり、一切の願具足するが故に)。

 念天是法明門、發廣大心故(念天是れ法明門なり、廣大心を發すが故に)。

 慈是法明門、一切生處善根攝勝故(慈是れ法明門なり、一切の生處に善根攝勝なるが故に)。

 悲是法明門、不殺害衆生故(悲是れ法明門なり、衆生を殺害せざるが故に)。

 喜是法明門、捨一切不喜事故(喜是れ法明門なり、一切不喜の事を捨するが故に)。

 捨是法明門、厭離五欲故(捨是れ法明門なり、五欲を厭離するが故に)。

 無常觀是法明門、觀三界慾故(無常觀是れ法明門なり、三界の慾を觀ずるが故に)。

 苦觀是法明門、斷一切願故(苦觀是れ法明門なり、一切の願を斷ずるが故に)。

 無我觀是法明門、不染著我故(無我觀是れ法明門なり、我に染著せざるが故に)。

 寂定觀是法明門、不擾亂心意故(寂定觀是れ法明門なり、心意を擾亂せざるが故に)。

 慚愧是法明門、内心寂定故(慚愧是れ法明門なり、内心寂定なるが故に)。

 羞恥是法明門、外惡滅故(羞恥是れ法明門なり、外惡滅するが故に)。

 實是法明門、不誑天人故(實是れ法明門なり、天人を誑かさざるが故に)。

 眞是法明門、不誑自身故(眞是れ法明門なり、自身を誑かさざるが故に)。

 法行是法明門、隨順法行故(法行是れ法明門なり、法行に隨順するが故に)。

 三歸是法明門、淨三惡道故(三歸是れ法明門なり、三惡道を淨からしむるが故に)。

 知恩是法明門、不捨善根故(知恩是れ法明門なり、善根を捨せざるが故に)。

 報恩是法明門、不欺負他故(報恩是れ法明門なり、他を欺負せざるが故に)。

 不自欺是法明門、不自譽故(不自欺是れ法明門なり、自ら譽めざるが故に)。

 爲衆生是法明門、不毀呰他故(爲衆生是れ法明門なり、他を毀呰せざるが故に)。

 爲法是法明門、如法而行故(爲法是れ法明門なり、如法にして行ずるが故に)。

 知時是法明門、不輕言説故(知時是れ法明門なり、言説を輕んぜざるが故に)。

 攝我慢是法明門、智惠滿足故(攝我慢是れ法明門なり、智惠滿足するが故に)。

 不生惡心是法明門、自護護他故(不生惡心是れ法明門なり、自ら護し他を護するが故に)。

 無障礙是法明門、心無疑惑故(無障礙是れ法明門なり、心、疑惑無きが故に)。

 信解是法明門、決了第一義故(信解是れ法明門なり、第一義を決了するが故に)。

 不淨觀是法明門、捨欲染心故(不淨觀是れ法明門なり、欲染の心を捨するが故に)。

 不諍鬪是法明門、斷瞋訟故(不諍鬪是れ法明門なり、瞋訟を斷ずるが故に)。

 不癡是法明門、斷殺生故(不癡是れ法明門なり、殺生を斷ずるが故に)。

 樂法義是法明門、求法義故(樂法義是れ法明門なり、法義を求むるが故に)。

 愛法明是法明門、得法明故(愛法明是れ法明門なり、法明を得るが故に)。

 求多聞是法明門、正觀法相故(求多聞是れ法明門なり、法相を正觀するが故に)。

 正方便是法明門、具正行故(正方便是れ法明門なり、正行を具するが故に)。

 知名色是法明門、除諸障礙故(知名色是れ法明門なり、諸の障礙を除くが故に)。

 除因見是法明門、得解脱故(除因見是れ法明門なり、解脱を得るが故に)。

 無怨親心是法明門、於怨親中生平等故(無怨親心是れ法明門なり、怨親の中に平等を生ずるが故に)。

 陰方便是法明門、知諸苦故(陰方便是れ法明門なり、諸の苦を知るが故に)。

 諸大平等是法明門、斷於一切和合法故(諸大平等是れ法明門なり、一切和合の法を斷ずるが故に)。

 諸入是法明門、修正道故(諸入是れ法明門なり、正道を修するが故に)。

 無生忍是法明門、證滅諦故(無生忍是れ法明門なり、滅諦を證するが故に)。

 受念處是法明門、斷一切諸受故(受念處是れ法明門なり、一切の諸受を斷ずるが故に)。

 心念處是法明門、觀心如幻化故(心念處是れ法明門なり、心を觀ずること幻化の如きが故に)。

 法念處是法明門、智惠無翳故(法念處是れ法明門なり、智惠無翳なるが故に)。

 四正懃是法明門、斷一切惡成諸善故(四正懃是れ法明門なり、一切惡を斷じて諸の善を成ずるが故に)。

 四如意足是法明門、身心輕故(四如意足是れ法明門なり、身心輕きが故に)。

 信根是法明門、不隨他語故(信根是れ法明門なり、他の語に隨はざるが故に)。

 精進根是法明門、善得諸智故(精進根是れ法明門なり、善く諸の智を得るが故に)。

 念根是法明門、善作諸業故(念根是れ法明門なり、善く諸の業を作すが故に)。

 定根是法明門、心淸淨故(定根是れ法明門なり、心淸淨なるが故に)。

 慧根是法明門、現見諸法故(慧根是れ法明門なり、諸法を現見するが故に)。

 信力是法明門、過諸魔力故(信力是れ法明門なり、諸の魔の力に過ぐるが故に)。

 精進力是法明門、不退轉故(精進力是れ法明門なり、不退轉なるが故に)。

 念力是法明門、不共他故(念力是れ法明門なり、他と共ならざるが故に)。

 定力是法明門、斷一切念故(定力是れ法明門なり、一切の念を斷ずるが故に)。

 慧力是法明門、離二邊故(慧力是れ法明門なり、二邊を離るるが故に)。

 念覺分是法明門、如諸法智故(念覺分是れ法明門なり、諸法智の如くなるが故に)。

 法覺分是法明門、照明一切諸法故(法覺分是れ法明門なり、一切諸法を照明するが故に)。

 精進覺分是法明門、善知覺故(精進覺分是れ法明門なり、善く知覺するが故に)。

 喜覺分是法明門、得諸定故(喜覺分是れ法明門なり、諸の定を得るが故に)。

 除覺分是法明門、所作已辨故(除覺分是れ法明門なり、所作已に辨ずるが故に)。

 定覺分是法明門、知一切法平等故(定覺分是れ法明門なり、一切法平等を知るが故に)。

 捨覺分是法明門、厭離一切生故(捨覺分是れ法明門なり、一切の生を厭離するが故に)。

 正見是法明門、得漏盡聖道故(正見是れ法明門なり、漏盡聖道を得るが故に)。

 正分別是法明門、斷一切分別無分別故(正分別是れ法明門なり、一切の分別と無分別とを斷ずるが故に)。

 正語是法明門、一切名字、音聲語言、知如響故(正語是れ法明門なり、一切の名字、音聲、語言は、響きの如しと知るが故に)。

 正業是法明門、無業無報故(正業是れ法明門なり、業無く報無きが故に)。

 正命是法明門、除滅一切惡道故(正命是れ法明門なり、一切の惡道を除滅するが故に)。

 正行是法明門、至彼岸故(正行是れ法明門なり、彼岸に至るが故に)。

 正念是法明門、不思念一切法故(正念是れ法明門なり、一切法を思念せざるが故に)。

 正定是法明門、得無散亂三昧故(正定是れ法明門なり、無散亂三昧を得るが故に)。

 菩提心是法明門、不斷三寶故(菩提心是れ法明門なり、三寶を斷ぜざるが故に)。

 依倚是法明門、不樂小乘故(依倚是れ法明門なり、小乘を樂はざるが故に)。

 正信是法明門、得最勝佛法故(正信是れ法明門なり、最勝の佛法を得るが故に)。

 増進是法明門、成就一切諸善根法故(増進是れ法明門なり、一切諸の善根の法を成就するが故に)。

 檀度是法明門、念念成就相好、莊嚴佛土、教化慳貪諸衆生故(檀度是れ法明門なり、念念に相好を成就し、佛土を莊嚴し、慳貪の諸の衆生を教化するが故に)。

 戒度是法明門、遠離惡道諸難、教化破戒諸衆生故(戒度是れ法明門なり、惡道の諸難を遠離し、破戒の諸の衆生を教化するが故に)。

 忍度是法明門、捨一切嗔恚、我慢、諂曲、調戲、教化如是諸惡衆生故(忍度是れ法明門なり、一切の嗔恚、我慢、諂曲、調戲を捨し、是の如きの諸の惡衆生を教化するが故に)。

 精進度是法明門、悉得一切諸善法、教化懈怠諸衆生故(精進度是れ法明門なり、悉く一切の諸の善法を得て、懈怠の諸の衆生を教化するが故に)。

 禪度是法明門、成就一切禪定及諸神通、教化散亂諸衆生故(禪度是れ法明門なり、一切の禪定及び諸の神通を成就し、散亂の諸の衆生を教化するが故に)。

 智度是法明門、斷無明黒暗及著諸見、教化愚癡諸衆生故(智度是れ法明門なり、無明の黒暗及び諸見に著することを斷じ、愚癡の諸の衆生を教化するが故に)。

 方便是法明門、隨衆生所見威儀、而示現教化、成就一切諸佛法故(方便是れ法明門なり、衆生所見の威儀に隨つて、教化を示現し、一切諸佛の法を成就するが故に)。

 四攝法是法明門、攝受一切衆生、得菩提已、施一切衆生法故(四攝法是れ法明門なり、一切衆生を攝受し、菩提を得已つて、一切衆生に法を施すが故に)。

 教化衆生是法明門、自不受樂、不疲倦故(教化衆生是れ法明門なり、自ら樂を受けず、疲倦せざるが故に)。

 攝受正法是法明門、斷一切衆生諸煩惱故(攝受正法是れ法明門なり、一切衆生の諸の煩惱を斷ずるが故に)。

 福聚是法明門、利益一切諸衆生故(福聚是れ法明門なり、一切諸の衆生を利益するが故に)。

 修禪定是法明門、滿足十力故(修禪定是れ法明門なり、十力を滿足するが故に)。

 寂定是法明門、成就如來三昧具足故(寂定是れ法明門なり、如來の三昧を成就して具足するが故に)。

 慧見是法明門、智惠成就滿足故(慧見是れ法明門なり、智惠成就して滿足するが故に)。

 入無礙辯是法明門、得法眼成就故(入無礙辯是れ法明門なり、法眼を得て成就するが故に)。

 入一切行是法明門、得佛眼成就故(入一切行是れ法明門なり、佛眼を得て成就するが故に)。

 成就陀羅尼是法明門、聞一切諸佛法能受持故(成就陀羅尼是れ法明門なり、一切諸佛の法を聞いて能く受持するが故に)。

 得無礙辯是法明門、令一切衆生皆歡喜故(得無礙辯是れ法明門なり、一切衆生をして皆な歡喜せしむるが故に)。

 順忍是法明門、順一切諸佛法故(順忍是れ法明門なり、一切諸佛の法に順ふが故に)。

 得無生法忍是法明門、得受記故(得無生法忍是れ法明門なり、受記を得るが故に)。

 不退轉地是法明門、具足往昔諸佛法故(不退轉地是れ法明門なり、往昔の諸佛の法を具足するが故に)。

 從一地至一地智是法明門、潅頂成就一切智故(從一地至一地智是れ法明門なり、潅頂して一切智を成就するが故に)。

 潅頂地是法明門、從生出家、乃至得成阿耨多羅三藐三菩提故(潅頂地是れ法明門なり、生れて出家するより、乃至阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得るが故に)。

 爾時護明菩薩、説是語已、告彼一切諸天衆言、諸天當知、此是一百八法明門、留與諸天、汝等受持、心常憶念、勿令忘失(爾の時に護明菩薩、是の語を説き已りて、彼の一切の諸の天衆に告げて言く、諸天、當に知るべし、此れは是れ一百八法明門なり、諸天に留與す。汝等受持し、心に常に憶念して、忘失せしむることなかるべし)。

 これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。

 護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。

 

正法眼藏一百八法明門第十一

 

 

正法眼藏第十二 八大人覺

 諸佛是大人也、大人之所覺知、所以稱八大人覺也。覺知此法、爲涅槃因(諸佛は是れ大人也。大人の覺知する所、所以に八大人覺と稱ず。此の法を覺知するを、涅槃の因と爲)。

 我本師釋迦牟尼佛、入般涅槃夜、最後之所説也(我が本師釋迦牟尼佛、入般涅槃したまひし夜の、最後の所説也)。

 一者少欲。於彼未得五欲法中、不廣追求、名爲少欲(一つには少欲。彼の未得の五欲の法の中に於て、廣く追求せざるを、名づけて少欲と爲す)。

 佛言、汝等比丘、當知、多欲之人、多求利故、苦惱亦多。少欲之人、無求無欲、則無此患。直爾少欲尚應修習、何況少欲能生諸功徳。少欲之人、則無諂曲以求人意、亦復不爲諸根所牽。行少欲者、心則坦然、無所憂畏、觸事有餘、常無不足。有少欲者、則有涅槃、是名少欲(佛言はく、汝等比丘、當に知るべし、多欲の人は、多く利を求むるが故に苦惱も亦た多し。少欲の人は、求むること無く欲無ければ則ち此の患ひ無し。直爾の少欲なるすら尚ほ應に修習すべし、何に況んや少欲の能く諸の功徳を生ずるをや。少欲の人は、則ち諂曲して以て人の意を求むること無く、亦復諸根に牽かれず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然として、憂畏する所無し、事に觸れて餘あり、常に足らざること無し。少欲有る者は則ち涅槃有り。是れを少欲と名づく)。

 二者知足。已得法中、受取以限、稱曰知足(二つには知足。已得の法の中に、受取するに限りを以てするを、稱じて知足と曰ふ)。

 佛言、汝等比丘、若欲脱諸苦惱、當觀知足。知足之法、卽是富樂安穩之處。知足之人、雖臥地上猶爲安樂。不知足者、雖處天堂亦不稱意。不知足者、雖富而貧。知足之人、雖貧而富。不知足者、常爲五欲所牽、爲知足者之所憐愍。是名知足(佛言はく、汝等比丘、若し諸の苦惱を脱れんと欲はば、當に知足を觀ずべし。知足の法は、卽ち是れ富樂安穩の處なり。知足の人は、地上に臥すと雖も猶ほ安樂なりと爲す。不知足の者は、天堂に處すと雖も亦た意に稱はず。不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。知足の人は、貧しと雖も而も富めり。不知足の者は、常に五欲に牽かれて、知足の者に憐愍せらる。是れを知足と名づく)。

 三者樂寂靜。離諸憒鬧、獨處空閑、名樂寂靜(三つには樂寂靜。諸の憒鬧を離れ、空閑に獨處するを、樂寂靜と名づく)。

 佛言、汝等比丘、欲求寂靜無爲安樂、當離憒鬧獨處閑居。靜處之人、帝釋諸天、所共敬重。是故當捨己衆他衆、空閑獨處、思滅苦本。若樂衆者、則受衆惱。譬如大樹衆鳥集之、則有枯折之患。世間縛著沒於衆苦、辟如老象溺泥、不能自出。是名遠離(佛言はく、汝等比丘、寂靜無爲の安樂を求めんと欲はば、當に憒鬧を離れて獨り閑居に處すべし。靜處の人は、帝釋諸天、共に敬重する所なり。是の故に當に己衆他衆を捨して、空閑に獨處し、苦本を滅せんことを思ふべし。若し衆を樂はん者は、則ち衆惱を受く。譬へば、大樹の、衆鳥之に集まれば、則ち枯折の患有るが如し。世間の縛著は衆苦に沒す、辟へば老象の泥に溺れて、自ら出ること能はざるが如し。是れを遠離と名づく)。

 四者懃精進。於諸善法、懃修無間、故云精進。精而不雜、進而不退(四つには懃精進。諸の善法に於て、懃修すること無間なり、故に精進と云ふ。精にして雜ならず、進んで退かず)。

 佛言、汝等比丘、若勤精進、則事無難者。是故汝等當勤精進。辟如小水常流、則能穿石。若行者之心數數懈癈、譬如鑽火未熱而息、雖欲得火、火難可得。是名精進(佛言はく、汝等比丘、若し勤精進すれば、則ち事として難き者無し。是の故に汝等當に勤精進すべし。辟へば小水の常に流るれば、則ち能く石を穿つが如し。若し行者の心數數懈癈せんには、譬へば火を鑽るに未だ熱からざるに而も息めば、火を得んと欲ふと雖も、火を得べきこと難きが如し。是れを精進と名づく)。

 五者不忘念。亦名守正念。守法不失、名爲正念。亦名不忘念(五つには不忘念。亦た守正念と名づく。法を守つて失せざるを、名づけて正念と爲。亦た不忘念と名づく)。

 佛言、汝等比丘、求善知識、求善護助、無如不忘念。若有不忘念者、諸煩惱賊則不能入。是故汝等、常當攝念在心。若失念者則失諸功徳。若念力堅強、雖入五欲賊中、不爲所害。譬如著鎧入陣、則無所畏。是名不忘念(佛言はく、汝等比丘、善知識を求め、善護助を求むるは、不忘念に如くは無し。若し不忘念有る者は、諸の煩惱の賊則ち入ること能はず。是の故に汝等、常に念を攝めて心に在らしむべし。若し念を失せば則ち諸の功徳を失す。若し念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖も爲に害せられず。譬へば鎧を著て陣に入れば、則ち畏るる所無きが如し。是れを不忘念と名づく)。

 六者修禪定。住法不亂、名曰禪定(六つには修禪定。法に住して亂れず、名づけて禪定と曰ふ)。

 佛言、汝等比丘、若攝心者、心則在定。心在定故、能知世間生滅法相。是故汝等、常當精勤修習諸定。若得定者、心則不散。譬如惜水之家、善治堤塘。行者亦爾、爲智惠水故、善修禪定、令不漏失。是名爲定(佛言はく、汝等比丘、若し心を攝むれば、心則ち定に在り。心、定に在るが故に、能く世間生滅の法相を知る。是の故に汝等、常に當に精勤して諸の定を修習すべし。若し定を得ば、心則ち散ぜず。譬へば水を惜しむ家の、善く堤塘を治むるが如し。行者も亦た爾り、智惠の水の爲の故に、善く禪定を修して漏失せざらしむ。是れを名づけて定と爲す)。

 七者修智惠。起聞思修證爲智惠(七つには修智惠。聞思修證を起すを智惠と爲す)。

 佛言、汝等比丘、若有智惠則無貪著、常自省察不令有失。是則於我法中能得解脱。若不爾者、既非道人、又非白衣、無所名也。實智惠者則是度老病死海堅牢船也、亦是無明黒暗大明燈也、一切病者之良藥也、伐煩惱樹之利斧也。是故汝等當以聞思修慧、而自増益。若人有智惠之照、雖是肉眼、而是明眼人也。是爲智惠(佛言はく、汝等比丘、若し智惠有れば則ち貪著無し、常に自ら省察して失有らしめず。是れ則ち我が法の中に於て能く解脱を得。若し爾らずは、既に道人に非ず、又白衣に非ず、名づくる所なし。實智惠は則ち是れ老病死海を度る堅牢の船なり、亦た是れ無明黒暗の大明燈なり、一切病者の良藥なり、煩惱の樹を伐る利斧なり。是の故に汝等當に聞思修慧を以て而も自ら増益すべし。若し人智惠の照あらば、是れ肉眼なりと雖も、而も是れ明眼の人なり。是れを智惠と爲す)。

 八者不戲論。證離分別、名不戲論。究盡實相、乃不戲論(八つには不戲論。證して分別を離るるを、不戲論と名づく。實相を究盡す、乃ち不戲論なり)。

 佛言、汝等比丘、若種種戲論、其心則亂。雖復出家猶未得脱。是故比丘、當急捨離亂心戲論。汝等若欲得寂滅樂者、唯當善滅戲論之患。是名不戲論(佛言はく、汝等比丘、若し種種の戲論あらば、其の心則ち亂る。復た出家すと雖も猶ほ未だ得脱せず。是の故に比丘、當に急ぎて亂心と戲論とを捨離すべし。汝等若し寂滅の樂を得んと欲はば、唯當に善く戲論の患を滅すべし。是れを不戲論と名づく)。

 これ八大人覺なり。一一各具八、すなはち六十四あるべし。ひろくするときは無量なるべし、略すれば六十四なり。

 大師釋尊、最後之説、大乘之所教誨。二月十五日夜半の極唱、これよりのち、さらに説法しましまさず、つひに般涅槃しまします。

 

 佛言、汝等比丘、常當一心勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壞不安之相。汝等且止、勿得復語。時將欲過、我欲滅度、是我最後之所教誨(佛言はく、汝等比丘、常に當に一心に勤めて出道を求むべし。一切世間の動不動の法は、皆な是れ敗壞不安の相なり。汝等且く止みね、復た語ふこと得ること勿れ。時將に過ぎなんとす、我れ滅度せんとす。是れ我が最後の教誨する所なり)。

 このゆゑに、如來の弟子は、かならずこれを習學したてまつる。これを修習せず、しらざらんは佛弟子にあらず。これ如來の正法眼藏涅槃妙心なり。しかあるに、いましらざるものはおほく、見聞せることあるものはすくなきは、魔嬈によりてしらざるなり。また宿殖善根すくなきもの、きかず、みず。むかし正法、像法のあひだは、佛弟子みなこれをしれり、修習し參學しき。いまは千比丘のなかに、一兩この八大人覺しれる者なし。あはれむべし、澆季の陵夷、たとふるにものなし。如來の正法、いま大千に流布して、白法いまだ滅せざらんとき、いそぎ習學すべきなり、緩怠なることなかれ。

 佛法にあふたてまつること、無量劫にかたし。人身をうること、またかたし。たとひ人身をうくといへども、三洲の人身よし。そのなかに、南洲の人身すぐれたり。見佛聞法、出家得道するゆゑなり。如來の般涅槃よりさきに涅槃にいり、さきだちて死せるともがらは、この八大人覺をきかず、ならはず。いまわれら見聞したてまつり、習學したてまつる、宿殖善根のちからなり。いま習學して生生に増長し、かならず無上菩提にいたり、衆生のためにこれをとかんこと、釋迦牟尼佛にひとしくしてことなることなからん。

 

正法眼藏八大人覺第十二

 

 本云建長五年正月六日書于永平寺

 

 如今建長七年乙卯解制之前日、令義演書記書寫畢。同一校之(如今建長七年乙卯解制の前日、義演書記をして書寫せしめ畢んぬ。同じく之を一校せり)。

 右本、先師最後御病中之御草也。仰以前所撰假名正法眼藏等、皆書改、并新草具都盧壹百卷、可撰之云云(右の本は、先師最後の御病中の御草なり。仰せには以前所撰の假名正法眼藏等、皆な書き改め、并びに新草具に都盧壹百卷、之を撰ずべしと云云)。

 既始草之御此卷、當第十二也。此之後、御病漸漸重増。仍御草案等事卽止也。所以此御草等、先師最後教敕也。我等不幸不拜見一百卷之御草、尤所恨也。若奉戀慕先師之人、必書此十二卷、而可護持之。此釋尊最後之教敕、且先師最後之遺教也(既に始草の御此の卷は、第十二に當れり。此の後、御病漸漸重増したまふ。仍つて御草案等の事も卽ち止みぬ。所以に此の御草等は、先師最後の教敕なり。我等不幸にして一百卷の御草を拜見せず、尤も恨むる所なり。若と先師を戀慕し奉らん人は、必ず此の十二卷を書して、之を護持すべし。此れ釋尊最後の教敕にして、且つ先師最後の遺教也)。