目次

自序        2

無門關        1

第一 趙州狗子        3

第二 百丈野狐        4

第三 倶胝竪指        5

第四 胡子無鬚        6

第五 香嚴上樹        7

第六 世尊拈花        8

第七 趙州洗鉢        9

第八 奚仲造車        10

第九 大通智勝        11

第十 淸税孤貧        12

第十一 州勘庵主        13

第十二 巖喚主人        14

第十三 徳山托鉢        15

第十四 南泉斬猫        16

第十五 洞山三頓        17

第十六 鐘聲七條        18

第十七 國師三喚        19

第十八 洞山三斤        20

第十九 平常是道        21

第二十 大力量人        22

第二十一 雲門屎橛        23

第二十二 迦葉刹竿        24

第二十三 不思善惡        25

第二十四 離却語言        26

第二十五 三座説法        27

第二十六 二僧巻簾        28

第二十七 不是心佛        29

第二十八 久響龍潭        30

第二十九 非風非幡        31

第三十 卽心卽佛        32

第三十一 趙州勘婆        33

第三十二 外道問佛        34

第三十三 非心非佛        35

第三十四 智不是道        36

第三十五 倩女離魂        37

第三十六 路逢達道        38

第三十七 庭前柏樹        39

第三十八 牛過窓櫺        40

第三十九 雲門話墮        41

第四十 趯倒淨瓶        42

第四十一 達磨安心        43

第四十二 女子出定        44

第四十三 首山竹箆        45

第四十四 芭蕉拄杖        46

第四十五 他是阿誰        47

第四十六 竿頭進歩        48

第四十七 兜率三關        49

第四十八 乾峰一路        50

後序        51

自序

 

 佛語心を宗と爲し、無門を法門と爲す。既に是れ無門、且らく作麼生か透らん。豈に道うことを見ずや、「門より入る者は是れ家珍にあらず、緣によりて得る者は始終成壞す」と。恁麼の説話、大いに風無きに浪を起し、好肉に瘡を剜るに似たり。何ぞ况んや言句に滞って解會を覓むるをや。棒を掉って月を打ち、靴を隔てて痒を爬く、甚んの交渉か有らん。慧開、紹定戊子の夏、東嘉の龍翔に首衆たり。衲子の請益するに因んで、遂に古人の公案を將って、門を敲く瓦子と作し、機に隨って學者を引導す。竟爾として抄録するに、覺えず集を成す。初めより前後を以て叙列せず、共に四十八則と成る。通じて無門關と曰う。若し是れ箇の漢ならば、危亡を顧みず、單刀直入せん。八臂の那吒、他を攔れども住まらず。縱使い西天の四七、東土の二三も、只だ風を望んで命を乞うことを得るのみ。設し或は躊躇せば、也た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼を眨得し來らば、早く已に蹉過せん。

 

 頌に曰く、

大道無門、千差路有り。

此の關を透得せば、乾坤に獨歩せん。

 

 

第一 趙州狗子

 

 趙州和尚、因みに僧問う、「狗子に還って佛性有りや也た無しや。」州云く、「無。」

 

 無門曰く、「參禪は須らく祖師の關を透るべし、妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。祖關透らず、心路絶せずんば、盡く是れ依草附木の精靈ならん。且らく道え、如何が是れ祖師の關。只だ者の一箇の無の字、乃ち宗門の一關なり。遂に之を目けて禪宗無門關と曰う。透得過する者は、但だ親しく趙州に見ゆるのみならず、便ち歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛厮い結んで同一眼に見、同一耳に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。

透關を要する底有ること莫しや。三百六十の骨節、八万四千の毫竅を將って、通身に箇の疑團を起して、箇の無の字に參じ、晝夜に提撕せよ。虛無の會を作すこと莫れ、有無の會を作すこと莫れ。箇の熱鐵丸を呑了するが如くに相似て、吐けども又た吐き出さず、從前の惡知惡覺を蕩盡し、久久に純熟して自然に内外打成一片す。唖子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。驀然として打發せば、天を驚かし地を動じて、關將軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭に於て大自在を得、六道四生の中に向って、遊戲三昧ならん。且らく作麼生か提撕せん。平生の氣力を盡して箇の無の字を擧せよ。若し間斷せずんば、好はだ法燭の一點すれば便ち著くるに似ん。」

 

 頌に曰く、

狗子佛性、全提正令。

纔かに有無に渉れば、喪身失命せん。

 

 

第二 百丈野狐

 

 百丈和尚、凡そ參の次で、一老人有り、常に衆に隨って法を聽く。衆人退けば老人も亦た退く。忽ち一日退かず。師遂に問う、「面前に立つ者は復も是れ何人ぞ。」老人云く、「諾、某甲は非人なり。過去迦葉佛の時に於いて曾つて此の山に住す。因みに學人問う、大修行底の人、還って因果に落つるや也た無や。某甲對えて云く、不落因果と。五百生野狐身に墮す。今請う和尚、一轉語を代り、貴えに野狐を脱っせしめよ。」遂に問う、「大修行底の人、還って因果に落つるや也た無や。」師云く、「不昧因果。」老人言下に於いて大悟し、作禮して云く、「某甲、已に野狐身を脱して山後に住在す。敢て和尚に告ぐ、乞うらくは、亡僧の事例に依れ。」

師、維那をして白槌して衆に告げしむ、「食後に亡僧を送らん」と。大衆言議すらく、「一衆皆な安く、涅槃堂に又た人の病む無し。何が故ぞ是くの如くなる」と。食後に只だ師の衆を領して山後の巖下に至り、杖を以って一死野狐を挑出して、乃ち火葬に依らしむるを見る。師、晩に至って上堂、前の因緣を擧す。黄檗便ち問う、「古人錯って一轉語を祇對し、五百生野狐身に墮す。轉轉錯らずんば、合に箇の甚麼にか作るべき。」師云く、「近前來。伊れが與に道わん。」黄檗、遂に近前して師に一掌を與う。師、手を拍って笑って云く、「將に謂えり胡鬚赤と、更に赤鬚胡有り。」

 

 無門曰く、「不落因果、甚と爲てか野狐に墮す。不昧因果、甚と爲てか野狐を脱する。若し者裏に向って一隻眼を著得せば、便ち前百丈の風流五百生を贏ち得たることを知得せん。」

 

 頌に曰く、

不落と不昧と、兩采一賽なり。

不昧と不落と、千錯萬錯なり。

 

 

第三 倶胝竪指

 

 倶胝和尚、凡そ詰問あれば唯だ一指を擧す。後に童子あり、因みに外人問う、「和尚何の法要をか説く。」童子も亦た指頭を竪つ。胝、聞いて遂に刃を以って其の指を斷つ。童子負痛號哭して去る。胝、復た之を召す。童子、首を廻らす。胝、却って指を竪起す。童子忽然として領悟す。胝、將に順世せんとして、衆に謂って曰く、「吾、天龍一指頭の禪を得て、一生受用不盡」と。言い訖って滅を示す。

 

 無門曰く、「倶胝并びに童子、悟處は指頭上に在らず、若し者裏に向って見得せば、天龍、同じく倶胝并びに童子とは、自己と一串に穿却せん。」

 

 頌に曰く、

倶胝鈍置す老天龍、利刃單提して小童を勘す。

巨靈手を擡ぐるに多子無し、分破す華山の千萬里。

 

 

第四 胡子無鬚

 

 或庵曰く、「西天の胡子、甚に因ってか鬚無き。」

 

 無門曰く、「參は須らく實參なるべし、悟は須らく實悟なるべし。者箇の胡子、直に須らく親見一回して始めて得べし。親見と説くも、早や兩箇と成る。」

 

 頌に曰く、

癡人面前、夢を説く可からず。

胡子無鬚、惺惺に懵を添う。

 

 

第五 香嚴上樹

 

 香嚴和尚云く、「人の樹に上るが如し。口は樹枝を啣み、手は枝を攀じず、脚は樹を踏まず。樹下に人有って西來意を問わんに、對えずんば卽ち他の所問に違く、若し對うれば又た喪身失命せん。正恁麼の時、作麼生か對えん。」

 

 無門曰く、「縱い懸河の辯有るも、總に用不著、一大藏教を説き得るも、亦た用不著。若し者裏に向って對得著せば、從前の死路頭を活却し、從前の活路頭を死却せん。其れ或は未だ然らずんば、直に當來を待って彌勒に問え。」

 

 頌に曰く、

香嚴は眞に杜撰、惡毒盡限無し。

衲僧の口を唖却して、通身に鬼眼を迸しらしむ。

 

 

第六 世尊拈花

 

 世尊、昔、靈山會上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時衆皆な黙然たり。惟だ迦葉尊者のみ破顔微笑す。世尊云く、「吾に正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙の法門有り。不立文字、教外別傳、摩訶迦葉に付囑す。」

 

 無門曰く、「黄面の瞿曇、傍若無人、良を壓して賎と爲し、羊頭を懸けて狗肉を賣る。將に謂えり、多少の奇特と。只だ當時大衆都て笑うが如きんば、正法眼藏作麼生か傳えん。設し迦葉をして笑わざらしめば、正法眼藏又た作麼生か傳えん。若し正法眼藏に傳授有りと道わば、黄面の老子、閭閻を誑謼す。若し傳授無しと道わば、甚麼としてか獨り迦葉を許す。」

 

 頌に曰く、

花を拈起し來って、尾巴已に露る。

迦葉破顔、人天措くこと罔し。

 

 

第七 趙州洗鉢

 

 趙州因みに僧問う、「某甲、乍入叢林、乞う師指示せよ。」州云く、「喫粥し了るや未だしや。」僧云く、「喫粥し了る。」州云く、「鉢盂を洗い去れ。」其の僧省有り。

 

 無門曰く、「趙州口を開いて膽を見し、心肝を露出す。者の僧、事を聽いて眞ならず、鐘を喚んで甕と作す。」

 

 頌に曰く、

只だ分明なること極まれるが爲に、翻って所得をして遅からしむ。

早く燈は是れ火なることを知らば、飯熟すること已に多時なりしならんに。

 

 

第八 奚仲造車

 

 月庵和尚、僧に問う、「奚仲は車を造ること一百輻。兩頭を拈却し、軸を去却す。甚麼邊の事か明らむ。」

 

 無門曰く、「若也直下に明らめ得ば、眼は流星に似、機は掣電の如くならん。」

 

 頌に曰く、

機輪轉ずる處、達者も猶お迷う。

四維上下、南北東西。

 

 

第九 大通智勝

 

 興陽の讓和尚、因みに僧問う、「大通智勝佛、十劫坐道場、佛法不現前、不得成佛道の時如何。」讓曰く、「其の問甚だ諦當なり。」僧云く、「既に是れ坐道場、甚麼としてか不得成佛道なる。」讓曰く、「伊が不成佛なるが爲めなり。」

 

 無門曰く、「只だ老胡の知を許して老胡の會を許さず。凡夫若し知らば卽ち是れ聖人、聖人若し會せば卽ち是れ凡夫。」

 

 頌に曰く、

身を了ずるは、心を了じて休するに何似ぞや。心を了得すれば、身は愁えず。

若也心身倶に了了ならば、神仙何ぞ必ずしも更に封ぜん。

 

 

第十 淸税孤貧

 

 曹山和尚、因みに僧問うて云く、「淸税孤貧、乞う師、賑濟したまえ。」山云く、「税闍梨。」税應諾す。山曰く、「靑原白家の酒、三盞し了って、猶お道う未だ唇を沾さずと。」

 

 無門曰く、「淸税の輸機、是れ何の心行ぞ。曹山の具眼、深く來機を辯ず。是の如くなりと然雖も、且く道え、那裏か是れ税闍梨の酒を喫する處。」

 

 頌に曰く、

貧は范丹に似、氣は項羽の如し。

活計無しと雖も、敢て與に富を鬪わしむ。

 

 

第十一 州勘庵主

 

 趙州、一庵主の處に到って問う、「有りや有りや。」主、拳頭を竪起す。州云く、「水淺うして是れ舡を泊する處にあらず。」便ち行く。又た一庵主の處に到って云く、「有りや有りや。」主、亦た拳頭を竪起す。州云く、「能縱能奪、能殺能活。」便ち作禮す。

 

 無門曰く、「一般に拳頭を竪起す、甚麼としてか一箇を肯い、一箇を肯わざる。且く道え、訛甚れの處にか在る。若し者裏に向って一轉語を下し得ば、便ち趙州の舌頭に骨無きことを見て、扶起放倒、大自在なるを得ん。是の如くなりと雖然も、爭奈せん趙州却って二庵主に勘破せらるることを。若し二庵主に優劣有りと道わば、未だ參學の眼を具せず。若し優劣無しと道うも、亦た未だ參學の眼を具せず。」

 

 頌に曰く、

眼は流星、機は掣電。

殺人の刀、活人の劒。

 

 

第十二 巖喚主人

 

 瑞巖の彦和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら應諾し、乃ち云く、「惺惺著、喏。他時異日、人の瞞を受くること莫れ、喏喏。」

 

 無門曰く、「瑞巖老子、自ら買い自ら賣って、許多の神頭鬼面を弄出す。何が故ぞ、聻。一箇の喚ぶ底、一箇の應ずる底、一箇の惺惺底、一箇の人の瞞を受けざる底。認著すれば依前として還って不是。若也他に傚わば、總て是れ野狐の見解ならん。」

 

 頌に曰く、

學道の人眞を識らざるは、只だ從前より識神を認むるが爲めなり。

無量劫來生死の本、癡人喚んで本來人と作す。

 

 

第十三 徳山托鉢

 

 徳山、一日托鉢して堂に下る。雪峰に「者の老漢、鐘も未だ鳴らず鼓も未だ響かざるに、托鉢して甚れの處に向って去る。」と問われて、山、便ち方丈に回る。峰、巖頭に擧似す。頭云く、「大小の徳山、未だ末後の句を會せず。」山、聞いて侍者をして巖頭を喚び來らしめて、問うて云く、「汝、老僧を肯わざるか。」巖頭、密に其の意を啓す。山乃ち休し去る。明日陞座、果して尋常と同じからず。巖頭、僧堂前に至り、掌を拊し、大笑して云く、「且らく喜び得たり老漢末後の句を會せしことを。他後天下の人、伊を奈何ともせず。」

 

 無門曰く、「若し是れ末後の句ならば、巖頭、徳山倶に未だ夢にも見ざる在。檢點し將ち來れば、好だ一棚の傀儡に似たり。」

 

 頌に曰く、

最初の句を識得すれば、便ち末後の句を會す。

末後と最初と、是れ者の一句にあらず。

 

 

第十四 南泉斬猫

 

 南泉和尚、東西の兩堂が猫兒を爭うに因んで、泉乃ち提起して云く、「大衆、道い得ば卽ち救わん、道い得ずんば卽ち斬却せん。」衆、對うる無し。泉遂に之を斬る。晩に趙州、外より歸る。泉、州に擧似す。州乃ち履を脱して頭上に安じて出づ。泉云く、「子若し在りしなば、卽ち猫兒を救い得たらん。」

 

 無門曰く、「且く道え、趙州草鞋を頂く意作麼生。若し者裏に向って一轉語を下し得ば、便ち南泉の令、虛りに行ぜざりしことを見ん。其れ或は未だ然らずんば、險。」

 

 頌に曰く、

趙州若し在りしなば、倒に此の令を行ぜん。

刀子を奪却して、南泉も命を乞わん。

 

 

第十五 洞山三頓

 

 雲門、因みに洞山の參ずる次で、門、問うて曰く、「近離甚れの處ぞ。」山云く、「査渡。」門曰く、「夏、甚れの處にか在る。」山云く、「湖南の報慈。」門曰く、「幾時か彼を離る。」山云く、「八月二十五。」門曰く、「汝に三頓の棒を放す。」山、明日に至って却って上って問訊す、「昨日、和尚の三頓の棒を放すことを蒙る、知らず過甚麼の處にか在る。」問曰く、「飯袋子、江西湖南、便ち恁麼にし去るか。」山、此に於て大悟す。

 

 無門曰く、「雲門、當時、便ち本分の草料を與えて、洞山をして別に生機の一路あり、家門をして寂寥を致さざらしむ。一夜是非海裏に在って著倒し、直に天明を待って再來するや、又た他の與に注破す。洞山直下に悟り去るも、未だ是れ性燥ならず。且く諸人に問う、洞山三頓の棒、喫すべきか喫すべからざるか。若し喫すべしと道わば、草木叢林皆な棒を喫すべし。若し喫すべからずと道わば、雲門又た誑語を成す。者裏に向って明らめ得ば、方に洞山の與に一口の氣を出さん。」

 

 頌に曰く、

獅子、兒を救う迷子の訣、前まんと擬して跳躑して早く翻身す。

端無く再び叙ぶ當頭著、前箭は猶お輕く後箭は深し。

 

 

 

第十六 鐘聲七條

 

 雲門曰く、「世界恁麼に廣闊たり。甚に因ってか鐘聲裏に向って七條を披す。」

 

 無門曰く、「大凡そ參禪學道は、切に忌む聲に隨い色を逐うことを。縱使い聞聲悟道、見色明心するも、也た是れ尋常なり。殊に知らず、衲僧家は聲に騎り色を蓋い、頭頭上に明らに、著著上に妙なることを。是の如くなりと然雖も、且く道え、聲、耳畔に來るか、耳、聲邊に往くか。直饒い響と寂と雙び忘ずるも、此に到って如何が話會せん。若し耳を將って聽かば應に會し難かるべし、眼處に聲を聞いて方に始めて親し。」

 

 頌に曰く、

會するときんば事、同一家、會せざるときは萬別千差。

會せざるときも事、同一家、會するときんば萬別千差。

 

 

第十七 國師三喚

 

 國師三たび侍者を喚ぶ。侍者三たび應ず。國師云く、「將に謂えり、吾、汝に辜負すと、元來却って是れ汝、吾に辜負す。」

 

 無門曰く、「國師三喚、舌頭地に墮つ。侍者三たび應ず、光に和して吐出す。國師年老い心孤にして、牛頭を按じて草を茶せしむ。侍者未だ肯て承當せず、美食飽人の飡に中らず。且く道え、那裏か是れ他の辜負の處ぞ。國淸うして才子貴く、家富んで小兒嬌る。」

 

 頌に曰く、

鐵枷無孔、人の擔わんことを要す、累兒孫に及んで等閑ならず。

門を撑え并に戸を拄えんと欲得せば、更に須らく赤脚にして刀山に上るべし。

 

 

第十八 洞山三斤

 

 洞山和尚、因みに僧問う、如何なるか是れ佛。山云く、麻三斤。

 

 無門曰く、「洞山老人、些の蚌蛤の禪に參得して、纔かに兩片を開いて肝腸を露出す。是の如くなりと然雖も、且く道え、甚れの處に向ってか洞山を見ん。」

 

 頌に曰く、

突出す麻三斤、言親しうして意更に親し。

來って是非を説く者は、便ち是れ是非の人。

 

 

第十九 平常是道

 

 南泉因みに趙州問う、「如何なるか是れ道。」泉云く、「平常心是れ道。」州云く、「還って趣向すべきや否や。」泉云く、「向わんと擬すれば卽ち乖く。」州云わく、「擬せざれば爭か是れ道なることを知らん。」泉云く、「道は知にも属せず、不知にも属せず、知は是れ妄覺、不知は是れ無記。若し眞に不疑の道に達せば、猶お太虛の廓然として洞豁なるが如し。豈に強いて是非すべけんや。」州、言下に頓悟す。

 

 無門曰く、「南泉、趙州に發問せられて、直に得たり瓦解氷消、分疎不下なることを。趙州、縱饒い悟り去るも、更に參ずること三十年にして始めて得ん。」

 

 頌に曰く、

春に百花有り秋に月有り、夏に涼風有り冬に雪有り。

若し閑事の心頭に挂くる無くんば、便ち是れ人間の好時節。

 

 

第二十 大力量人

 

 松源和尚云く、「大力量の人、甚に因ってか脚を擡げ起こさざる。」又云く、「口を開くこと舌頭上に在らず。」

 

 無門曰く、「松源謂つべし、腸を傾け腹を倒すと。只だ是れ人の承當することを欠く。縱饒い直下に承當するも、正に好し無門が處に來って痛棒を喫せんに。何が故ぞ、聻。眞金を識らんと要せば火裏に看よ。」

 

 頌に曰く、

脚を擡げて踏翻す香水海、頭を低れて俯して視る四禪天。

一箇の渾身著くるに處無し、請う一句を續げ。

 

 

第二十一 雲門屎橛

 

 雲門因みに僧問う、「如何なるか是れ佛。」門云く、「乾屎橛。」

 

 無門曰く、「雲門謂つべし、家貧にして素食を辨じ難く、事忙しうして草書するに及ばずと。動もすれば便ち屎橛を將ち來って、門を撑え戸を拄う。佛法の興衰見つべし。」

 

 頌に曰く、

閃電光、撃石火。

眼を眨得すれば、已に蹉過す。

 

 

第二十二 迦葉刹竿

 

 迦葉因みに阿難問うて云く、「世尊、金襴の袈裟を傳うる外、別に何物をか傳う。」葉、喚んで云く、「阿難」と。難、應諾す。葉云く、「門前の刹竿を倒却著せよ。」

 

 無門曰く、「若し者裏に向って一轉語を下し得て親切ならば、便ち靈山の一會儼然として未だ散ぜざることを見ん。其れ或は未だ然らずんば、毘婆尸佛早くより心を留むるも、直に而今に至るまで妙を得ず。」

 

 頌に曰く、

問處は答處の親しきに何如、幾人か此に於て眼に筋を生ず。

兄呼び弟應じて家醜を揚ぐ、陰陽に屬せず別に是れ春。

 

 

第二十三 不思善惡

 

 六祖、因みに明上座趁うて大庾嶺に至る。祖、明の至るを見て、卽ち衣鉢を石上に擲って云く、「此の衣は信を表わす、力をもて爭うべけんや、君が將ち去るに任す。」明、遂に之を擧ぐるに、山の如くに動ぜず。踟蹰悚慄す。明曰く、「我は來って法を求む、衣の爲めにするに非らず。願わくは行者開示したまえ。」祖云く、「不思善、不思惡、正與麼の時、那箇か是れ明上座が本來の面目。」明、當下に大悟し、遍体汗流る。泣涙作禮し、問うて曰く、「上來の密語密意の外、還って更に意旨有りや否や。」祖曰く、「我、今汝が爲めに説く者は、卽ち密に非ず。汝若し自己の面目を返照すれば、密は却って汝が邊に在らん。」明云く、「某甲、黄梅に在って衆に隨うと雖も、實に未だ自己の面目を省せず。今入處を指授することを蒙って、人の水を飲んで冷暖自知するが如し。今行者は卽ち是れ某甲の師なり。」祖云く、「汝若し是の如くんば、則ち吾、汝と同じく黄梅を師とせん、善く自から護持せよ。」

 

 無門曰く、「六祖謂つべし、是の事は急家より出で、老婆心切なりと。譬えば新茘支の、殻を剥ぎ了り、核を去り了って、你が口裏に送在して、只だ你が嚥一嚥せんことをようするが如し。」

 

 頌に曰く、

描けども成らず画けども就らず、賛するも及ばず生受することを休めよ。

本來の面目藏すに處没し、世界壞する時も渠は朽ちず。

 

 

第二十四 離却語言

 

 風穴和尚因みに僧問う、「語黙、離微に渉り、如何にせば通じて不犯なる。」穴云く、「長えに憶う江南三月の裏、鷓鴣啼く處百花香し。」

 

 無門曰く、「風穴、機掣電の如く、路を得て便ち行く。爭奈せん前人の舌頭を坐して不斷なることを。若し者裏に向って見得して親切ならば、自ら出身の路有らん。且く語言三昧を離却して、一句を道い將ち來れ。」

 

 頌に曰く、

風骨の句を露わさず、未だ語らざるに先ず分付す。

歩を進めて口喃喃、知んぬ君が大いに措くこと罔きを。

 

 

第二十五 三座説法

 

 仰山和尚、夢に彌勒の所に往いて第三座に安ぜらるるを見る。一尊者有り、白槌して云く、「今日第三座の説法に當る。」山乃ち起って白槌して云く、「摩訶衍の法は四句を離れ百非を絶す。諦聽、諦聽」と。

 

 無門曰く、「且く道え、是れ説法するか、説法せざるか。口を開けば卽ち失し、口を閉ずれば又た喪す。開かず閉じざるも十萬八千。」

 

 頌に曰く、

白日靑天、夢中に夢を説く。

捏怪捏怪、一衆を誑謼す。

 

 

第二十六 二僧巻簾

 

 淸涼の大法眼、因みに僧齋前に上參す。眼、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼曰く、「一得一失。」

 

 無門曰く、「且く道え、是れ誰か得、誰か失。若し者裏に向って一隻眼を著け得ば、便ち淸涼國師敗闕の處を知らん。是の如くなりと然雖も、切に忌む得失裏に向って商量することを。」

 

 頌に曰く、

巻起すれば明明として太空に徹す、太空すら猶お未だ吾宗に合わず。

爭でか似かん空より都べて放下して、綿綿密密、風を通ぜざらんには。

 

 

第二十七 不是心佛

 

 南泉和尚、因みに僧問うて云く、「還って人の與に説かざる底の法有りや。」泉云く、「有り。」僧云く、「如何なるか是れ人の與に説かざる底の法。」泉云く、「不是心。不是佛。不是物。」

 

 無門曰く、「南泉は者の一問を被りて、直に得たり家私を揣盡し、郎當少なからざることを。」

 

 頌に曰く、

叮嚀は君徳を損す、無言眞に功有り。

任從い滄海は變ずるとも、終に君が爲めに通ぜじ。

 

 

第二十八 久響龍潭

 

 龍潭、因みに徳山請益して夜に抵る。潭云く、「夜深けぬ、子何ぞ下り去らざる。」山遂に珍重して簾を掲げて出づ。外面の黒きを見て、却回して云く、「外面黒し。」潭乃ち紙燭を點じて度與す。山接せんと擬す。潭便ち吹滅す。山此に於て忽然として省あり。便ち作禮す。潭云く、「子箇の甚麼の道理をか見る。」山云く、「某甲、今日より去って天下の老和尚の舌頭を疑わず。」明日に至って龍潭陞堂して云く、「可中箇の漢有り、牙は劒樹の如く、口は血盆に似て、一棒に打てども頭を回らさざれば、他時異日、孤峰頂上に向って吾が道を立する在ん。」山遂に疎抄を取って、法堂前に於て一炬火を將って提起して云く、「諸の玄辨を窮むるも、一毫を太虛に致くが若く、世の樞機を竭すも、一滴を巨壑に投ずるに似たり。」疎抄を將って便ち焼き、是に於て禮辞す。

 

 無門曰く、「徳山未だ關を出でざる時、心憤憤。口悱悱たり。得得として南方に來り、教外別傳の旨を滅却せんと要す。灃州の路上に到に及んで、婆子に問うて點心を買わんとす。婆云く、『大徳の車子の内は是れ甚麼の文字ぞ。』山云く、『金剛經の抄疎。』婆云く、『ただ經中に道うが如きんば、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得と。大徳、那箇の心をか點ぜんと要す。』徳山、者の一問を被って、直に得たり口匾擔に似たることを。是の如くなりと然雖も、未だ肯て婆子の句下に向って死却せず。遂に婆子に問う、『近處に甚麼の宗師か有る。』婆云く、『五里の外に龍潭和尚有り。』龍潭に到るに及んで敗闕を納れ盡す。謂つべし是れ前言後語に應ぜずと。龍潭大いに兒を憐んで醜きことを覺えざるに似たり。他の些子の火種有るを見て、郎忙して惡水を將って驀頭に一澆に澆殺す。冷地に看來らば一場の好笑なり。」

 

 頌に曰く、

名を聞かんよりは面を見んに如かじ、面を見んよりは名を聞かんに如かじ。

鼻孔を救い得たりと雖然も、爭奈せん眼睛を瞎却することを。

 

 

第二十九 非風非幡

 

 六祖、因みに風刹幡を颺ぐ。二僧有り、對論す。一は云く、「幡動く。」一は云く、「風動く」と。往復して曾て未だ理に契わず。祖云く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者の心動くのみ」と。二僧悚然たり。

 

 無門曰く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず、甚れの處にか祖師を見ん。若し者裏に向って見得して親切ならば、方に二僧鐵を買って金を得るを知る。祖師忍俊不禁にして、一場の漏逗なり。」

 

 頌に曰く、

風幡心動、一状に領過す。

只だ口を開くことを知って、話墮することを覺えず。

 

 

第三十 卽心卽佛

 

 馬祖、因みに大梅問う、「如何なるか是れ佛。」祖云く、「卽心卽佛。」

 

 無門曰く、「若し能く直下に領略し得去らば、佛衣を著け佛飯を喫し、佛語を説き佛行を行ずる、卽ち是れ佛なり。是の如くなりと然雖も、大梅多少の人を引いて、錯って定盤星を認めしむ。爭でか知道らん箇の佛の字を説けば、三日口を漱ぐことを。若し是れ箇の漢ならば、卽心是佛と説くを見て、耳を掩うて便ち走らん。」

 

 頌に曰く、

靑天白日、切に忌む尋覓することを。

更に如何と問えば、贓を抱いて屈と叫ぶ。

 

 

第三十一 趙州勘婆

 

 趙州、因みに僧、婆子に問う、「台山の路、甚れの處に向ってか去る。」婆云く、「驀直去。」僧纔かに行くこと三五歩。婆云く、「好箇の師僧、又た恁麼にし去る。」後に僧有りて州に擧似す。州云く、「我が去って儞が與に這の婆子を勘過するを待て。」明日便ち去って亦た是の如く問う、婆も亦た是の如く答う。州歸って衆に謂って曰く、「台山の婆子、吾、儞が與に勘破し了れり。」

 

 無門曰く、「婆子は只だ坐ながらに帷幄に籌ることを解して、要且つ賊に著くことを知らず。趙州老人は、善く營を偸み塞を劫かすの機を用ゆるも、又た且つ大人の相無し。檢點し將ち來れば、二り倶に過有り。且らく道え、那裏か是れ趙州、婆子を勘破する處。」

 

 頌に曰く、

問既に一般なるに、答も亦た相い似たり。

飯裏に砂有り、泥中に刺有り。

 

 

第三十二 外道問佛

 

 世尊、因みに外道問う、「有言を問わず、無言を問わず。」世尊據座す。外道讃歎して云く、「世尊は大慈大悲にして、我が迷雲を開き、我をして得入せしめたまう」と。乃ち禮を具して去る。阿難尋いで佛に問う、「外道は何の所證有ってか讃歎して去る。」世尊云く、「世の良馬の鞭影を見て行くが如し。」

 

 無門曰く、「阿難は乃ち佛弟子、宛かも外道の見解に如かず。且らく道え、外道と佛弟子と相い去ること多少ぞ。」

 

 頌に曰く、

劒刄上に行き、氷稜上に走る。

階梯に渉らず、懸崖に手を撒す。

 

 

第三十三 非心非佛

 

 馬祖、因みに僧問う、「如何なるか是れ佛。」祖曰く、「非心非佛。」

 

 無門曰く、「若し者裏に向って見得せば、參學の事畢んぬ。」

 

 頌に曰く、

路に劒客に逢わば須らく呈すべし、詩人に遇わずんば獻ずること莫れ。

人に逢うては且らく三分を説け、未だ全く一片を施すべからず。

 

 

第三十四 智不是道

 

 南泉云く、「心は是れ佛にあらず、智は是れ道にあらず。」

 

 無門曰く、「南泉謂つべし、老いて羞を識らずと。纔かに臭口を開けば家醜外に揚がる。是の如くなりと然雖も、恩を知る者は少し。」

 

 頌に曰く、

天睛れて日頭出で、雨下って地上濕う。

情を盡して都べて説き了る、只だ恐らくは信不及なることを。

 

 

第三十五 倩女離魂

 

 五祖、僧に問うて云く、「倩女離魂、那箇か是れ眞底。」

 

 無門曰く、「若し者裏に向って眞底を悟り得ば、便ち知らん殼を出でて殼に入ること、旅舍に宿するが如くなるを。其れ或は未だ然らずんば、切に亂走すること莫れ。驀然として地水火風一散せば、湯に落つる螃蟹の七手八脚なるが如くならん。那時言うことなかれ、道わずと。」

 

 頌に曰く、

雲月是れ同じ、溪山各各異なり。

萬福萬福、是れ一か是れ二か。

 

 

第三十六 路逢達道

 

 五祖曰く、「路に達道の人に逢わば、語默を將って對せず。且らく道え、甚麼を將ってか對せん。」

 

 無門曰く、「若し者裏に向って對得して親切ならば、妨げず慶快なることを。其れ或は未だ然らずんば、也た須らく一切處に眼を著くべし。」

 

 頌に曰く、

路に達道の人に逢わば、語默を將って對せず。

攔腮劈面に拳す、直下に會せば便ち會す。

 

 

第三十七 庭前柏樹

 

 趙州、因みに僧問う、「如何なるか是れ祖師西來の意。」州云く、「庭前の柏樹子。」

 

 無門曰く、「若し趙州の答處に向って見得して親切ならば、前に釋迦無く、後に彌勒無し。」

 

 頌に曰く、

言、事を展ぶること無く、語、機に投ぜず。

言を承くる者は喪し、句に滯る者は迷う。

 

 

第三十八 牛過窓櫺

 

 五祖曰く、「譬えば水牯牛の窓櫺を過ぐるが如き、頭角四蹄都べて過ぎ了るに、甚麼に因ってか尾巴過ぐることを得ざる。」

 

 無門曰く、「若し者裏に向って顛倒して、一隻眼を著け得、一轉語を下し得ば、以て上四恩に報じ、下三有を資くべし。其れ或は未だ然らずんば、更に須らく尾巴を照顧して始めて得べし。」

 

 頌に曰く、

過ぎ去れば坑壍に墮ち、囘り來れば却って壞らる。

者些の尾巴子、直に是れ甚だ奇怪なり。

 

 

第三十九 雲門話墮

 

 雲門、因みに僧問う、「光明寂照遍河沙。」一句未だ絶せざるに門遽かに曰く、「豈に是れ張拙秀才の語にあらずや。」僧云く、「是。」門云く、「話墮せり。」後來、死心拈じて云く、「且らく道え、那裏か是れ者の僧が話墮の處。」

 

 無門曰く、「若し者裏に向って雲門の用處孤危、者の僧甚に因ってか話墮すと見得せば、人天の與に師と爲るに堪えん。若也未だ明らめずんば、自救不了。」

 

 頌に曰く、

急流に釣を垂る、餌を貪る者は著く。

口縫纔かに開けば、性命喪却せん。

 

 

第四十 趯倒淨瓶

 

潙山和尚、始め百丈の會中に在って典座に充たる。百丈將に大潙の主人を選ばんとす。乃ち請じて首座と同じく衆に對して下語せしめ、出格の者往く可しと。百丈遂に淨瓶を拈じて、地上に置いて問を設けて云く、「喚んで淨瓶と作すことを得ず、汝喚んで甚麼とか作さん。」首座乃ち云く、「喚んで木𣔻と作す可からず。」百丈却って山に問う。山乃ち淨瓶を趯倒して去る。百丈笑って云く、「第一座、山子に輸却せらる」と。因って之に命じて開山と爲す。

 

 無門曰く、「潙山一期の勇、爭奈せん百丈の圏圚を跳り出でざることを。檢點し將ち來れば、重きに便りして輕きに便りせず。何が故ぞ、聻。盤頭を脱得して鐵枷を擔起す。」

 

 頌に曰く、

笊籬并びに木杓を颺下して、當陽の一突周遮を絶す。

百丈の重關も攔り住めず、脚尖潙出して、佛麻の如し。

 

 

第四十一 達磨安心

 

 達磨面壁す。二祖雪に立つ。臂を斷って云く、「弟子は心未だ安からず、乞う師安心せしめよ。」磨云く、「心を將ち來れ、汝が爲めに安んぜん。」祖云く、「心を覓むるに了に不可得なり。」磨云く、「汝が爲めに安心し竟んぬ。」

 

 無門曰く、「缺齒の老胡、十萬里の海を航して特特として來る。謂つべし是れ風無きに浪を起すと。末後に一箇の門人を接得して、又た却って六根不具。咦、謝三郎四字を識らず。」

 

 頌に曰く、

西來の直指、事は囑するに因って起る。

叢林を撓聒するは、元來是れ儞。

 

 

第四十二 女子出定

 

 世尊、昔、因みに文殊、諸佛の集る處に至って、諸佛各各本處に還るに値う。惟だ一りの女人有って、彼の佛坐に近づいて三昧に入る。文殊乃ち佛に白さく、「云何ぞ女人は佛坐に近づくを得て、我は得ざる。」佛、文殊に告ぐ、「汝但だ此の女を覺して三昧より起たしめて、汝自から之を問え。」文殊、女人を遶ること三匝、指を鳴らすこと一下して、乃ち托して梵天に至って、其の神力を盡すも出だすこと能わず。世尊云く、「假使い百千の文殊も亦た此の女人を定より出だすことを得ず。下方一十二億河沙の國土を過ぎて、罔明菩薩有り。能く此の女人を定より出ださん。」須臾に罔明大士、地より湧出して世尊を禮拜す。世尊、罔明に敕す。却って女人の前に至って指を鳴らすこと一下す。女人是に於て定より出づ。

 

 無門曰く、「釋迦老子、者の一場の雜劇を做す、小小を通ぜず。且らく道え、文殊は是れ七佛の師、甚んに因ってか女人を定より出だすことを得ざる。罔明は初地の菩薩、甚んとしてか却って出だし得る。若し者裏に向って見得して親切ならば、業識忙忙として那伽大定ならん。」

 

 頌に曰く、

出得するも出不得なるも、渠と儂と自由を得たり。

神頭并に鬼面、敗闕當に風流。

 

 

第四十三 首山竹箆

 

 首山和尚、竹箆を拈じて衆に示して云く、「汝等諸人、若し喚んで竹箆と作さば則ち觸る、喚んで竹箆と作さざれば則ち背く。汝諸人、且らく道え、喚んで甚麼とか作さん。」

 

 無門曰く、「喚んで竹箆と作さば、則ち觸る、喚んで竹箆と作さざれば、則ち背く。有語なることを得ず、無語なることを得ず。速かに道え、速かに道え。」

 

 頌に曰く、

竹箆を拈起して、殺活の令を行ず。

背觸交馳、佛祖も命を乞う。

 

 

第四十四 芭蕉拄杖

 

 芭蕉和尚、衆に示して云く、「儞に拄杖子有らば、我れ儞に拄杖子を與えん。儞に拄杖子無くんば、我れ儞が拄杖子を奪わん。」

 無門曰く、「扶けては斷橋の水を過ぎ、伴っては無月の村に歸る。若し喚んで拄杖と作さば、地獄に入ること箭の如くならん。」

 頌に曰く、

諸方の深と淺と、都べて掌握の中に在り。

天を撐え并びに地を拄えて、隨處に宗風を振う。

 

 

第四十五 他是阿誰

 

 東山演師祖曰く、「釋迦彌勒は猶お是れ他の奴。且らく道え、他は是れ阿誰ぞ。」

 

 無門曰く、「若也他を見得して分曉ならば、譬えば十字街頭に親爺に撞見するが如くに相似て、更に別人に問うて是と不是とを道うことを須いず。」

 

 頌に曰く、

他の弓を挽くこと莫れ、他の馬に騎ること莫れ。

他の非を辨ずること莫れ、他の事を知ること莫れ。

 

 

第四十六 竿頭進歩

 

 石霜和尚曰く、「百尺竿頭、如何が歩を進めん。」又た古徳云く、「百尺竿頭に坐する底の人は、得入すと雖然も、未だ眞と爲さず。百尺竿頭に須らく歩を進めて、十方世界に全身を現ずべし」と。

 

 無門曰く、「歩を進め得、身を翻し得ば、更に何れの處を嫌ってか尊と稱せざる。是の如くなりと雖然も、且らく道え、百尺竿頭如何が歩を進めん。嗄。」

 

 頌に曰く、

頂門の眼を瞎却し、錯って定盤星を認む。

身を𢬵て能く命を捨て、一盲衆盲を引く。

 

 

第四十七 兜率三關

 

 兜率悅和尚、三關を設けて學者に問う、「撥草參玄は只だ見性を圖る。卽今上人の性、甚れの處にか在る。」「自性を識得すれば方に生死を脱す、眼光落つる時作麼生か脱せん。」「生死を脱得すれば便ち去處を知る、四大分離して甚れの處に向ってか去る。」

 

 無門曰く、「若し能く此の三轉語を下し得ば、便ち以って隨處に主と作り、緣に遇うて卽ち宗なるべし。其れ或は未だ然らずんば、麁飡は飽き易く、細嚼は飢え難し。」

 

 頌に曰く、

一念普く觀ず無量劫、無量劫の事卽ち如今。

如今箇の一念を覰破すれば、如今覰る底の人を覰破す。

 

 

第四十八 乾峰一路

 

 乾峰和尚、因みに僧問う、「十方薄伽梵、一路涅槃門。未審し路頭甚麼の處にか在る。」峰、拄杖を拈起して劃一劃して云く、「者裏に在り。」後に僧、雲門に請益す。門、扇子を拈起して云く、「扇子𨁝跳して三十三天に上り、帝釋の鼻孔を築著す。東海の鯉魚、打つこと一棒すれば、雨盆を傾くに似たり。」

 

 無門曰く、「一人は深深たる海底に向って行いて、簸土揚塵し、一人は高高たる山頂に立って、白浪滔天す。把定放行、各一隻手を出して宗乘を扶豎す。大いに兩箇の馳子相撞著するに似たり。世上應に直底の人無かるべし。正眼に觀來れば、二大老惣に未だ路頭を識らざる在。」

 

 頌に曰く、

未だ歩を擧せざる時、先づ已に到る。未だ舌を動ぜざる時、先づ説き了る。

直饒い著著機先に在るも、更に須らく向上の竅有ることをしるべし。

 

 

後序

 

 從上の佛祖垂示の機緣、款に據って案を結し、初めより剩語無し。腦蓋を掲翻し眼睛を露出す。肯て諸人の直下に承當して、它に從って覓めざらんことを要す。若し是れ通方の上士ならば、纔かに擧著するを聞いて、便ち落處を知らん。了に門戸の入る可き無く、亦た階級の升る可き無し。臂を掉って關を度って關吏を問わじ。豈に見ずや、玄沙の道うことを、「無門は解脱の門、無意は道人の意」と。又た白雲道わく、「明明として知道るに、只だ是れ者箇、甚麼としてか透不過なる」と。恁麼の説話、也た是れ赤土もて牛嬭を搽る。若し無門關を透得せば、早く是れ無門を鈍置す。若し無門關を透り得ずんば、亦た乃ち自己に辜負す。所謂、涅槃心は曉め易く、差別智は明め難し。差別智を明め得ば、家國自から安寧ならん。

 時に紹定改元解制の前五日 楊岐八世の孫、無門比丘慧開謹んで識す。