出版の案内

 このたび二十年來の正法眼藏の提唱をまとめ「正法眼藏提唱 現成公案・有時・諸惡莫作・梅花」とし
 て唯学書房より出版することになりました。發賣は2月7日です。書店で注文するか、アマゾンあるいは
 版元ドットコムで「正法眼藏提唱」を検索して下さい。

 「図書新聞」(3165号、6月28日発売) 兼子正勝氏書評

          

本文より

正法眼藏現成公案
諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。
 実は佛法というものはない。坐禅というものもないのだ。本来のことを言うとき本来と言ってしまっては本来という意味になってしまう。本来という意味以前の本来をあるときは、佛法と言ったり、坐禅と言ったりするのだ。その本来のところでは、「私」のはたらきを含めて本来なのである。私を否定するのが佛教ではない。そこには迷う人、衆生があり、悟る人、諸佛がいる。生があり死があるのが本来のこの世なのである。
萬法ともにわれにあらざる時節、迷ひなく悟りなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。
 しかしながら「私」というものが、この世に様々な対立する見解をもたらす。汚れる、清められる、生じる、滅する、増える、減る。本来のところで何が汚れるというのだろうか、何が清められるというのだろうか、何が生じるというのだろうか、何が滅するというのだろうか、何が増えるというのだろうか、何が減るというのだろうか。本来とは本来そのものでしかない。今は今なのだ。


HOME