禪の言葉には例えば「隨處に主となれば立處皆眞なり」(臨濟錄)などがあり、ともすれば「常に獨り行き常に獨り歩す」(證道歌)とともに「主體性を持って生きることが大事」と誤解されることが多い。「主體性を持って生きる」ということは「私」という主語を抱えるということに他ならない。それでは「自己をわするるなり」(正法眼藏)の本分を正に忘れていることになる。
「常に獨り行き常に獨り歩す」とは「私」という主語を立てる以前に「常に獨り行き常に獨り歩している」ということなのである。わざわざ「私が」ということはいらないというのである。「私」という主語が付いていたら「獨り」ではないではないか。
私たちはもう既に「常に獨り行き常に獨り歩している」。だから安心して行きなさい、ということなのである。
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