無門關

自序
佛語心を宗と爲し、無門を法門と爲す。に是れ無門、且らく作麼生か透らん。豈に道うことを見ずや、「門より入る者は是れ家珍にあらず、によりて得る者は始終成壞す」と。恁麼の話、大いに風無きに浪を起し、好肉に瘡をるに似たり。何ぞ况んや言句に滞って解會を覓むるをや。棒を掉って月を打ち、靴を隔てて痒を爬く、甚んの交渉か有らん。慧開、紹定戊子の夏、東嘉の龍翔に首衆たり。衲子のするに因んで、遂に古人の公案を將って、門を敲く瓦子と作し、機に隨って學者を引導す。竟爾として抄するに、覺えず集を成す。初めより前後を以て叙列せず、共に四十八則と成る。通じて無門關と曰う。若し是れ箇の漢ならば、危亡を顧みず、單刀直入せん。八臂の那、他をれども住まらず。縱使い西天の四七、東土の二三も、只だ風を望んで命を乞うことを得るのみ。設し或は躊躇せば、也た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼を得し來らば、早く已に蹉過せん。
頌に曰く、
大道無門、千差路有り。
此の關を透得せば、乾坤に獨歩せん。

第一 趙州狗子 ‐趙州の狗子‐
趙州和尚、因みに問う、「狗子に還って佛性有りや也た無しや。」州云く、「無。」
無門曰く、「參禪は須らく師の關を透るべし、妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。關透らず、心路絶せずんば、盡く是れ依草附木の靈ならん。且らく道え、如何が是れ師の關。只だ者の一箇の無の字、乃ち宗門の一關なり。遂に之を目けて禪宗無門關と曰う。透得過する者は、但だ親しく趙州に見ゆるのみならず、便ち歴代の師と手を把って共に行き、眉毛厮い結んで同一眼に見、同一耳に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。
透關を要する底有ること莫しや。三百六十の骨節、八万四千の毫竅を將って、通身に箇の疑團を起して、箇の無の字に參じ、晝夜に提撕せよ。無の會を作すこと莫れ、有無の會を作すこと莫れ。箇の熱鐵丸を呑了するが如くに相似て、吐けども又た吐き出さず、從前の惡知惡覺を蕩盡し、久久に純熟して自然に内外打成一片す。唖子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。驀然として打發せば、天を驚かし地を動じて、關將軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、佛に逢うては佛を殺し、に逢うてはを殺し、生死岸頭に於て大自在を得、六道四生の中に向って、遊戲三昧ならん。且らく作麼生か提撕せん。平生の氣力を盡して箇の無の字を擧せよ。若し間斷せずんば、好はだ法燭の一點すれば便ち著くるに似ん。」
頌に曰く、
狗子佛性、全提正令。
纔かに有無に渉れば、喪身失命せん。

第二 百丈野狐 ‐百丈の野狐‐
百丈和尚、凡そ參の次で、一老人有り、常に衆に隨って法を聽く。衆人退けば老人も亦た退く。忽ち一日退かず。師遂に問う、「面前に立つ者は復も是れ何人ぞ。」老人云く、「諾、某甲は非人なり。過去葉佛の時に於いて曾つて此の山に住す。因みに學人問う、大修行底の人、還って因果に落つるや也た無や。某甲對えて云く、不落因果と。五百生野狐身に墮す。今う和尚、一轉語を代り、貴えに野狐をっせしめよ。」遂に問う、「大修行底の人、還って因果に落つるや也た無や。」師云く、「不昧因果。」老人言下に於いて大悟し、作禮して云く、「某甲、已に野狐身をして山後に住在す。敢て和尚に告ぐ、乞うらくは、亡の事例に依れ。」
師、維那をして白槌して衆に告げしむ、「食後に亡を送らん」と。大衆言議すらく、「一衆皆な安く、涅槃堂に又た人の病む無し。何が故ぞ是くの如くなる」と。食後に只だ師の衆を領して山後の巖下に至り、杖を以って一死野狐を挑出して、乃ち火葬に依らしむるを見る。師、晩に至って上堂、前の因を擧す。黄檗便ち問う、「古人錯って一轉語を祇對し、五百生野狐身に墮す。轉轉錯らずんば、合に箇の甚麼にか作るべき。」師云く、「近前來。伊れが與に道わん。」黄檗、遂に近前して師に一掌を與う。師、手を拍って笑って云く、「將に謂えり胡鬚赤と、更に赤鬚胡有り。」
無門曰く、「不落因果、甚と爲てか野狐に墮す。不昧因果、甚と爲てか野狐をする。若し者裏に向って一隻眼を著得せば、便ち前百丈の風流五百生を贏ち得たることを知得せん。」
頌に曰く、
不落と不昧と、兩采一賽なり。
不昧と不落と、千錯萬錯なり。

第三 倶胝竪指 ‐倶胝の一指‐
倶胝和尚、凡そ詰問あれば唯だ一指を擧す。後に童子あり、因みに外人問う、「和尚何の法要をかく。」童子も亦た指頭を竪つ。胝、聞いて遂に刃を以って其の指を斷つ。童子負痛號哭して去る。胝、復た之を召す。童子、首を廻らす。胝、却って指を竪起す。童子忽然として領悟す。胝、將に順世せんとして、衆に謂って曰く、「吾、天龍一指頭の禪を得て、一生受用不盡」と。言い訖って滅を示す。
無門曰く、「倶胝并びに童子、悟處は指頭上に在らず、若し者裏に向って見得せば、天龍、同じく倶胝并びに童子とは、自己と一串に穿却せん。」
頌に曰く、
倶胝鈍置す老天龍、利刃單提して小童を勘す。
巨靈手を擡ぐるに多子無し、分破す華山の千萬里。

第四 胡子無鬚 ‐或庵の釋
或庵曰く、「西天の胡子、甚に因ってか鬚無き。」
無門曰く、「參は須らく實參なるべし、悟は須らく實悟なるべし。者箇の胡子、直に須らく親見一回して始めて得べし。親見とくも、早や兩箇と成る。」
頌に曰く、
癡人面前、夢をく可からず。
胡子無鬚、惺惺にを添う。

第五 香嚴上樹 ‐香嚴樹に上る‐
香嚴和尚云く、「人の樹に上るが如し。口は樹枝を啣み、手は枝を攀じず、脚は樹を踏まず。樹下に人有って西來意を問わんに、對えずんばち他の所問に違く、若し對うれば又た喪身失命せん。正恁麼の時、作麼生か對えん。」
無門曰く、「縱い懸河の辯有るも、總に用不著、一大藏き得るも、亦た用不著。若し者裏に向って對得著せば、從前の死路頭を活却し、從前の活路頭を死却せん。其れ或は未だ然らずんば、直に當來を待って彌勒に問え。」
頌に曰く、
香嚴は眞に杜撰、惡毒盡限無し。
の口を唖却して、通身に鬼眼を迸しらしむ。

第六 世尊拈花 ‐世尊の拈花‐
世尊、昔、靈山會上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時衆皆な黙然たり。惟だ葉尊者のみ破顔微笑す。世尊云く、「吾に正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙の法門有り。不立文字、外別傳、摩訶葉に付囑す。」
無門曰く、「黄面の瞿曇、傍若無人、良を壓して賎と爲し、羊頭を懸けて狗肉を賣る。將に謂えり、多少の奇特と。只だ當時大衆都て笑うが如きんば、正法眼藏作麼生か傳えん。設し葉をして笑わざらしめば、正法眼藏又た作麼生か傳えん。若し正法眼藏に傳授有りと道わば、黄面の老子、閭閻を誑す。若し傳授無しと道わば、甚麼としてか獨り葉を許す。」
頌に曰く、
花を拈起し來って、尾巴已に露る。
葉破顔、人天措くこと罔し。

第七 趙州洗鉢 ‐趙州の洗鉢‐
趙州因みに問う、「某甲、乍入叢林、乞う師指示せよ。」州云く、「喫粥し了るや未だしや。」云く、「喫粥し了る。」州云く、「鉢盂を洗い去れ。」其の省有り。
無門曰く、「趙州口を開いて膽を見し、心肝を露出す。者の、事を聽いて眞ならず、鐘を喚んで甕と作す。」
頌に曰く、
只だ分明なること極まれるが爲に、って所得をして遅からしむ。
早く燈は是れ火なることを知らば、熟すること已に多時なりしならんに。

第八 奚仲造車 ‐月庵の造車‐
月庵和尚、に問う、「奚仲は車を造ること一百輻。兩頭を拈却し、軸を去却す。甚麼邊の事か明らむ。」
無門曰く、「若也直下に明らめ得ば、眼は流星に似、機は掣電の如くならん。」
頌に曰く、
機輪轉ずる處、達者も猶お迷う。
四維上下、南北東西。

第九 大通智勝 ‐興陽の大通智勝佛‐
興陽の讓和尚、因みに問う、「大通智勝佛、十劫坐道場、佛法不現前、不得成佛道の時如何。」讓曰く、「其の問甚だ諦當なり。」云く、「に是れ坐道場、甚麼としてか不得成佛道なる。」讓曰く、「伊が不成佛なるが爲めなり。」
無門曰く、「只だ老胡の知を許して老胡の會を許さず。凡夫若し知らばち是れ聖人、聖人若し會せばち是れ凡夫。」
頌に曰く、
身を了ずるは、心を了じて休するに何似ぞや。心を了得すれば、身は愁えず。
若也心身倶に了了ならば、仙何ぞ必ずしも更に封ぜん。

第十 孤貧 ‐曹山と
曹山和尚、因みに曹問うて云く、「孤貧、乞う師、賑濟したまえ。」山云く、「闍梨。」應諾す。山曰く、「原白家の酒、三盞し了って、猶お道う未だ唇を沾さずと。」
無門曰く、「の輸機、是れ何の心行ぞ。曹山の具眼、深く來機を辯ず。是の如くなりと然雖も、且く道え、那裏か是れ闍梨の酒を喫する處。」
頌に曰く、
貧は范丹に似、氣は項羽の如し。
活計無しと雖も、敢て與に富を鬪わしむ。

第十一 州勘庵主 ‐趙州と庵主‐
趙州、一庵主の處に到って問う、「有りや有りや。」主、拳頭を竪起す。州云く、「水淺うして是れを泊する處にあらず。」便ち行く。又た一庵主の處に到って云く、「有りや有りや。」主、亦た拳頭を竪起す。州云く、「能縱能奪、能殺能活。」便ち作禮す。
無門曰く、「一般に拳頭を竪起す、甚麼としてか一箇を肯い、一箇を肯わざる。且く道え、訛甚れの處にか在る。若し者裏に向って一轉語を下し得ば、便ち趙州の舌頭に骨無きことを見て、扶起放倒、大自在なるを得ん。是の如くなりと雖然も、爭奈せん趙州却って二庵主に勘破せらるることを。若し二庵主に優劣有りと道わば、未だ參學の眼を具せず。若し優劣無しと道うも、亦た未だ參學の眼を具せず。」
頌に曰く、
眼は流星、機は掣電。
殺人の刀、活人の劒。

第十二 巖喚主人 ‐瑞巖の主人公‐
瑞巖の彦和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら應諾し、乃ち云く、「惺惺著、。他時異日、人の瞞を受くること莫れ、。」
無門曰く、「瑞巖老子、自ら買い自ら賣って、許多の頭鬼面を弄出す。何が故ぞ、。一箇の喚ぶ底、一箇の應ずる底、一箇の惺惺底、一箇の人の瞞を受けざる底。認著すれば依前として還って不是。若也他に傚わば、總て是れ野狐の見解ならん。」
頌に曰く、
學道の人眞を識らざるは、只だ從前より識を認むるが爲めなり。
無量劫來生死の本、癡人喚んで本來人と作す。

第十三 山托鉢 ‐山の托鉢‐
山、一日托鉢して堂に下る。雪峰に「者の老漢、鐘も未だ鳴らず鼓も未だ響かざるに、托鉢して甚れの處に向って去る。」と問われて、山、便ち方丈に回る。峰、巖頭に擧似す。頭云く、「大小の山、未だ末後の句を會せず。」山、聞いて侍者をして巖頭を喚び來らしめて、問うて云く、「汝、老を肯わざるか。」巖頭、密に其の意を啓す。山乃ち休し去る。明日陞座、果して尋常と同じからず。巖頭、堂前に至り、掌を拊し、大笑して云く、「且らく喜び得たり老漢末後の句を會せしことを。他後天下の人、伊を奈何ともせず。」
無門曰く、「若し是れ末後の句ならば、巖頭、山倶に未だ夢にも見ざる在。檢點し將ち來れば、好だ一棚の傀儡に似たり。」
頌に曰く、
最初の句を識得すれば、便ち末後の句を會す。
末後と最初と、是れ者の一句にあらず。

第十四 南泉斬猫 ‐南泉の斬猫‐
南泉和尚、東西の兩堂が猫兒を爭うに因んで、泉乃ち提起して云く、「大衆、道い得ばち救わん、道い得ずんばち斬却せん。」衆、對うる無し。泉遂に之を斬る。晩に趙州、外より歸る。泉、州に擧似す。州乃ち履をして頭上に安じて出づ。泉云く、「子若し在りしなば、ち猫兒を救い得たらん。」
無門曰く、「且く道え、趙州草鞋を頂く意作麼生。若し者裏に向って一轉語を下し得ば、便ち南泉の令、りに行ぜざりしことを見ん。其れ或は未だ然らずんば、險。」
頌に曰く、
趙州若し在りしなば、倒に此の令を行ぜん。
刀子を奪却して、南泉も命を乞わん。

第十五 洞山三頓 ‐洞山三頓の棒‐
雲門、因みに洞山の參ずる次で、門、問うて曰く、「近離甚れの處ぞ。」山云く、「査渡。」門曰く、「夏、甚れの處にか在る。」山云く、「湖南の報慈。」門曰く、「幾時か彼を離る。」山云く、「八月二十五。」門曰く、「汝に三頓の棒を放す。」山、明日に至って却って上って問訊す、「昨日、和尚の三頓の棒を放すことを蒙る、知らず過甚麼の處にか在る。」問曰く、「袋子、江西湖南、便ち恁麼にし去るか。」山、此に於て大悟す。
無門曰く、「雲門、當時、便ち本分の草料を與えて、洞山をして別に生機の一路あり、家門をして寂寥を致さざらしむ。一夜是非海裏に在って著倒し、直に天明を待って再來するや、又た他の與に注破す。洞山直下に悟り去るも、未だ是れ性燥ならず。且く人に問う、洞山三頓の棒、喫すべきか喫すべからざるか。若し喫すべしと道わば、草木叢林皆な棒を喫すべし。若し喫すべからずと道わば、雲門又た誑語を成す。者裏に向って明らめ得ば、方に洞山の與に一口の氣を出さん。」
頌に曰く、
獅子、兒を救う迷子の訣、前まんと擬して跳躑して早く身す。
端無く再び叙ぶ當頭著、前箭は猶お輕く後箭は深し。


第十六 鐘聲七條 ‐雲門の鐘聲‐
雲門曰く、「世界恁麼に廣闊たり。甚に因ってか鐘聲裏に向って七條を披す。」
無門曰く、「大凡そ參禪學道は、切に忌む聲に隨い色を逐うことを。縱使い聞聲悟道、見色明心するも、也た是れ尋常なり。殊に知らず、衲家は聲に騎り色を蓋い、頭頭上に明らに、著著上に妙なることを。是の如くなりと然雖も、且く道え、聲、耳畔に來るか、耳、聲邊に往くか。直饒い響と寂と雙び忘ずるも、此に到って如何が話會せん。若し耳を將って聽かば應に會し難かるべし、眼處に聲を聞いて方に始めて親し。」
頌に曰く、
會するときんば事、同一家、會せざるときは萬別千差。
會せざるときも事、同一家、會するときんば萬別千差。

第十七 國師三喚 ‐忠國師と侍者‐
國師三たび侍者を喚ぶ。侍者三たび應ず。國師云く、「將に謂えり、吾、汝に辜負すと、元來却って是れ汝、吾に辜負す。」
無門曰く、「國師三喚、舌頭地に墮つ。侍者三たび應ず、光に和して吐出す。國師年老い心孤にして、牛頭を按じて草を茶せしむ。侍者未だ肯て承當せず、美食人のに中らず。且く道え、那裏か是れ他の辜負の處ぞ。國うして才子貴く、家富んで小兒嬌る。」
頌に曰く、
鐵枷無孔、人の擔わんことを要す、累兒孫に及んで等閑ならず。
門をえ并に戸をえんと欲得せば、更に須らく赤脚にして刀山に上るべし。

第十八 洞山三斤 ‐洞山の三斤‐
洞山和尚、因みに問う、如何なるか是れ佛。山云く、三斤。
無門曰く、「洞山老人、些の蚌蛤の禪に參得して、纔かに兩片を開いて肝腸を露出す。是の如くなりと然雖も、且く道え、甚れの處に向ってか洞山を見ん。」
頌に曰く、
突出す三斤、言親しうして意更に親し。
來って是非をく者は、便ち是れ是非の人。

第十九 平常是道 ‐南泉の平常心‐
南泉因みに趙州問う、「如何なるか是れ道。」泉云く、「平常心是れ道。」州云く、「還って趣向すべきや否や。」泉云く、「向わんと擬すればち乖く。」州云わく、「擬せざれば爭か是れ道なることを知らん。」泉云く、「道は知にも属せず、不知にも属せず、知は是れ妄覺、不知は是れ無記。若し眞に不疑の道に達せば、猶お太の廓然として洞豁なるが如し。豈に強いて是非すべけんや。」州、言下に頓悟す。
無門曰く、「南泉、趙州に發問せられて、直に得たり瓦解氷消、分疎不下なることを。趙州、縱饒い悟り去るも、更に參ずること三十年にして始めて得ん。」
頌に曰く、
春に百花有り秋に月有り、夏に涼風有り冬に雪有り。
若し閑事の心頭に挂くる無くんば、便ち是れ人間の好時節。

第二十 大力量人 ‐松源の大力量の人‐
松源和尚云く、「大力量の人、甚に因ってか脚を擡げ起こさざる。」又云く、「口を開くこと舌頭上に在らず。」
無門曰く、「松源謂つべし、腸を傾け腹を倒すと。只だ是れ人の承當することを欠く。縱饒い直下に承當するも、正に好し無門が處に來って痛棒を喫せんに。何が故ぞ、。眞金を識らんと要せば火裏に看よ。」
頌に曰く、
脚を擡げて踏す香水海、頭を低れて俯して視る四禪天。
一箇の渾身著くるに處無し、う一句を續げ。

第二十一 雲門屎 ‐雲門の乾屎
雲門因みに問う、「如何なるか是れ佛。」門云く、「乾屎。」
無門曰く、「雲門謂つべし、家貧にして素食を辨じ難く、事忙しうして草書するに及ばずと。動もすれば便ち屎を將ち來って、門をえ戸をう。佛法の興衰見つべし。」
頌に曰く、
閃電光、撃石火。
眼を得すれば、已に蹉過す。

第二十二 葉刹竿 ‐葉の刹竿‐
葉因みに阿難問うて云く、「世尊、金襴の袈裟を傳うる外、別に何物をか傳う。」葉、喚んで云く、「阿難」と。難、應諾す。葉云く、「門前の刹竿を倒却著せよ。」
無門曰く、「若し者裏に向って一轉語を下し得て親切ならば、便ち靈山の一會儼然として未だ散ぜざることを見ん。其れ或は未だ然らずんば、毘婆尸佛早くより心を留むるも、直に而今に至るまで妙を得ず。」
頌に曰く、
問處は答處の親しきに何如、幾人か此に於て眼に筋を生ず。
兄呼び弟應じて家醜を揚ぐ、陰陽に屬せず別に是れ春。

第二十三 不思善惡 ‐六の善惡‐
、因みに明上座趁うて大嶺に至る。、明の至るを見て、ち衣鉢を石上に擲って云く、「此の衣は信を表わす、力をもて爭うべけんや、君が將ち去るに任す。」明、遂に之を擧ぐるに、山の如くに動ぜず。踟悚慄す。明曰く、「我は來って法を求む、衣の爲めにするに非らず。願わくは行者開示したまえ。」云く、「不思善、不思惡、正與麼の時、那箇か是れ明上座が本來の面目。」明、當下に大悟し、遍体汗流る。泣涙作禮し、問うて曰く、「上來の密語密意の外、還って更に意旨有りや否や。」曰く、「我、今汝が爲めにく者は、ち密に非ず。汝若し自己の面目を返照すれば、密は却って汝が邊に在らん。」明云く、「某甲、黄梅に在って衆に隨うと雖も、實に未だ自己の面目を省せず。今入處を指授することを蒙って、人の水を飲んで冷暖自知するが如し。今行者はち是れ某甲の師なり。」云く、「汝若し是の如くんば、則ち吾、汝と同じく黄梅を師とせん、善く自から護持せよ。」
無門曰く、「六謂つべし、是の事は急家より出で、老婆心切なりと。譬えば新茘支の、殻を剥ぎ了り、核を去り了って、が口裏に送在して、只だが嚥一嚥せんことをようするが如し。」
頌に曰く、
描けども成らず画けども就らず、賛するも及ばず生受することを休めよ。
本來の面目藏すに處没し、世界壞する時も渠は朽ちず。

第二十四 離却語言 ‐風穴の語言‐
風穴和尚因みに問う、「語黙、離微に渉り、如何にせば通じて不犯なる。」穴云く、「長えに憶う江南三月の裏、鷓鴣啼く處百花香し。」
無門曰く、「風穴、機掣電の如く、路を得て便ち行く。爭奈せん前人の舌頭を坐して不斷なることを。若し者裏に向って見得して親切ならば、自ら出身の路有らん。且く語言三昧を離却して、一句を道い將ち來れ。」
頌に曰く、
風骨の句を露わさず、未だ語らざるに先ず分付す。
歩を進めて口喃喃、知んぬ君が大いに措くこと罔きを。

第二十五 三座法 ‐仰山と彌勒‐
仰山和尚、夢に彌勒の所に往いて第三座に安ぜらるるを見る。一尊者有り、白槌して云く、「今日第三座の法に當る。」山乃ち起って白槌して云く、「摩訶衍の法は四句を離れ百非を絶す。諦聽、諦聽」と。
無門曰く、「且く道え、是れ法するか、法せざるか。口を開けばち失し、口を閉ずれば又た喪す。開かず閉じざるも十萬八千。」
頌に曰く、
白日天、夢中に夢をく。
捏怪捏怪、一衆を誑す。

第二十六 二巻簾 ‐法眼の簾‐
涼の大法眼、因みに齋前に上參す。眼、手を以て簾を指す。時に二有り、同じく去って簾を巻く。眼曰く、「一得一失。」
無門曰く、「且く道え、是れ誰か得、誰か失。若し者裏に向って一隻眼を著け得ば、便ち涼國師敗闕の處を知らん。是の如くなりと然雖も、切に忌む得失裏に向って商量することを。」
頌に曰く、
巻起すれば明明として太空に徹す、太空すら猶お未だ吾宗に合わず。
爭でか似かん空より都べて放下して、綿綿密密、風を通ぜざらんには。

第二十七 不是心佛 ‐南泉の不是心佛‐
南泉和尚、因みに問うて云く、「還って人の與にかざる底の法有りや。」泉云く、「有り。」云く、「如何なるか是れ人の與にかざる底の法。」泉云く、「不是心。不是佛。不是物。」
無門曰く、「南泉は者の一問を被りて、直に得たり家私を揣盡し、郎當少なからざることを。」
頌に曰く、
叮嚀は君を損す、無言眞に功有り。
任從い滄海は變ずるとも、終に君が爲めに通ぜじ。

第二十八 久響龍潭 ‐山と龍潭‐
龍潭、因みにして夜に抵る。潭云く、「夜深けぬ、子何ぞ下り去らざる。」山遂に珍重して簾を掲げて出づ。外面の黒きを見て、却回して云く、「外面黒し。」潭乃ち紙燭を點じて度與す。山接せんと擬す。潭便ち吹滅す。山此に於て忽然として省あり。便ち作禮す。潭云く、「子箇の甚麼の道理をか見る。」山云く、「某甲、今日より去って天下の老和尚の舌頭を疑わず。」明日に至って龍潭陞堂して云く、「可中箇の漢有り、牙は劒樹の如く、口は血盆に似て、一棒に打てども頭を回らさざれば、他時異日、孤峰頂上に向って吾が道を立する在ん。」山遂に疎抄を取って、法堂前に於て一炬火を將って提起して云く、「の玄辨を窮むるも、一毫を太に致くが若く、世の樞機を竭すも、一滴を巨壑に投ずるに似たり。」疎抄を將って便ち焼き、是に於て禮辞す。
無門曰く、「山未だ關を出でざる時、心憤憤。口たり。得得として南方に來り、外別傳の旨を滅却せんと要す。州の路上に到に及んで、婆子に問うて點心を買わんとす。婆云く、『大の車子の内は是れ甚麼の文字ぞ。』山云く、『金剛經の抄疎。』婆云く、『ただ經中に道うが如きんば、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得と。大、那箇の心をか點ぜんと要す。』山、者の一問を被って、直に得たり口擔に似たることを。是の如くなりと然雖も、未だ肯て婆子の句下に向って死却せず。遂に婆子に問う、『近處に甚麼の宗師か有る。』婆云く、『五里の外に龍潭和尚有り。』龍潭に到るに及んで敗闕を納れ盡す。謂つべし是れ前言後語に應ぜずと。龍潭大いに兒を憐んで醜きことを覺えざるに似たり。他の些子の火種有るを見て、郎忙して惡水を將って驀頭に一澆に澆殺す。冷地に看來らば一場の好笑なり。」
頌に曰く、
名を聞かんよりは面を見んに如かじ、面を見んよりは名を聞かんに如かじ。
鼻孔を救い得たりと雖然も、爭奈せん眼睛を瞎却することを。

第二十九 非風非幡 ‐六の風幡‐
、因みに風刹幡をぐ。二有り、對論す。一は云く、「幡動く。」一は云く、「風動く」と。往復して曾て未だ理に契わず。云く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者の心動くのみ」と。二悚然たり。
無門曰く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず、甚れの處にか師を見ん。若し者裏に向って見得して親切ならば、方に二鐵を買って金を得るを知る。師忍俊不禁にして、一場の漏逗なり。」
頌に曰く、
風幡心動、一状に領過す。
只だ口を開くことを知って、話墮することを覺えず。

第三十 佛 ‐馬佛‐
、因みに大梅問う、「如何なるか是れ佛。」云く、「佛。」
無門曰く、「若し能く直下に領略し得去らば、佛衣を著け佛を喫し、佛語をき佛行を行ずる、ち是れ佛なり。是の如くなりと然雖も、大梅多少の人を引いて、錯って定盤星を認めしむ。爭でか知道らん箇の佛の字をけば、三日口を漱ぐことを。若し是れ箇の漢ならば、心是佛とくを見て、耳を掩うて便ち走らん。」
頌に曰く、
天白日、切に忌む尋覓することを。
更に如何と問えば、贓を抱いて屈と叫ぶ。

第三十一 趙州勘婆 ‐趙州の勘婆‐
趙州、因みに、婆子に問う、「台山の路、甚れの處に向ってか去る。」婆云く、「驀直去。」纔かに行くこと三五歩。婆云く、「好箇の師、又た恁麼にし去る。」後に有りて州に擧似す。州云く、「我が去ってが與に這の婆子を勘過するを待て。」明日便ち去って亦た是の如く問う、婆も亦た是の如く答う。州歸って衆に謂って曰く、「台山の婆子、吾、が與に勘破し了れり。」
無門曰く、「婆子は只だ坐ながらに帷幄に籌ることを解して、要且つ賊に著くことを知らず。趙州老人は、善く營を偸み塞を劫かすの機を用ゆるも、又た且つ大人の相無し。檢點し將ち來れば、二り倶に過有り。且らく道え、那裏か是れ趙州、婆子を勘破する處。」
頌に曰く、
に一般なるに、答も亦た相い似たり。
裏に砂有り、泥中に刺有り。

第三十二 外道問佛 ‐世尊と外道‐
世尊、因みに外道問う、「有言を問わず、無言を問わず。」世尊據座す。外道讃歎して云く、「世尊は大慈大悲にして、我が迷雲を開き、我をして得入せしめたまう」と。乃ち禮を具して去る。阿難尋いで佛に問う、「外道は何の所證有ってか讃歎して去る。」世尊云く、「世の良馬の鞭影を見て行くが如し。」
無門曰く、「阿難は乃ち佛弟子、宛かも外道の見解に如かず。且らく道え、外道と佛弟子と相い去ること多少ぞ。」
頌に曰く、
劒刄上に行き、氷稜上に走る。
階梯に渉らず、懸崖に手を撒す。

第三十三 非心非佛 ‐馬の非心非佛‐
、因みに問う、「如何なるか是れ佛。」曰く、「非心非佛。」
無門曰く、「若し者裏に向って見得せば、參學の事畢んぬ。」
頌に曰く、
路に劒客に逢わば須らく呈すべし、詩人に遇わずんば獻ずること莫れ。
人に逢うては且らく三分をけ、未だ全く一片を施すべからず。

第三十四 智不是道 ‐南泉の心不是佛‐
南泉云く、「心は是れ佛にあらず、智は是れ道にあらず。」
無門曰く、「南泉謂つべし、老いて羞を識らずと。纔かに臭口を開けば家醜外に揚がる。是の如くなりと然雖も、恩を知る者は少し。」
頌に曰く、
天睛れて日頭出で、雨下って地上濕う。
を盡して都べてき了る、只だ恐らくは信不及なることを。

第三十五 倩女離魂 ‐五の倩女離魂‐
に問うて云く、「倩女離魂、那箇か是れ眞底。」
無門曰く、「若し者裏に向って眞底を悟り得ば、便ち知らん殼を出でて殼に入ること、旅舍に宿するが如くなるを。其れ或は未だ然らずんば、切に亂走すること莫れ。驀然として地水火風一散せば、湯に落つる蟹の七手八脚なるが如くならん。那時言うことなかれ、道わずと。」
頌に曰く、
雲月是れ同じ、溪山各各異なり。
、是れ一か是れ二か。

第三十六 路逢達道 ‐五の達道の人‐
曰く、「路に達道の人に逢わば、語默を將って對せず。且らく道え、甚麼を將ってか對せん。」
無門曰く、「若し者裏に向って對得して親切ならば、妨げず慶快なることを。其れ或は未だ然らずんば、也た須らく一切處に眼を著くべし。」
頌に曰く、
路に達道の人に逢わば、語默を將って對せず。
腮劈面に拳す、直下に會せば便ち會す。

第三十七 庭前柏樹 ‐趙州の柏樹子‐
趙州、因みに問う、「如何なるか是れ師西來の意。」州云く、「庭前の柏樹子。」
無門曰く、「若し趙州の答處に向って見得して親切ならば、前に釋無く、後に彌勒無し。」
頌に曰く、
言、事を展ぶること無く、語、機に投ぜず。
言を承くる者は喪し、句に滯る者は迷う。

第三十八 牛過窓櫺 ‐五と牛‐
曰く、「譬えば水牛の窓櫺を過ぐるが如き、頭角四蹄都べて過ぎ了るに、甚麼に因ってか尾巴過ぐることを得ざる。」
無門曰く、「若し者裏に向って顛倒して、一隻眼を著け得、一轉語を下し得ば、以て上四恩に報じ、下三有を資くべし。其れ或は未だ然らずんば、更に須らく尾巴を照顧して始めて得べし。」
頌に曰く、
過ぎ去れば坑に墮ち、囘り來れば却って壞らる。
者些の尾巴子、直に是れ甚だ奇怪なり。

第三十九 雲門話墮 ‐雲門の話墮‐
雲門、因みに問う、「光明寂照遍河沙。」一句未だ絶せざるに門遽かに曰く、「豈に是れ張拙秀才の語にあらずや。」云く、「是。」門云く、「話墮せり。」後來、死心拈じて云く、「且らく道え、那裏か是れ者のが話墮の處。」
無門曰く、「若し者裏に向って雲門の用處孤危、者の甚に因ってか話墮すと見得せば、人天の與に師と爲るに堪えん。若也未だ明らめずんば、自救不了。」
頌に曰く、
急流に釣を垂る、餌を貪る者は著く。
口縫纔かに開けば、性命喪却せん。

第四十 倒淨瓶 ‐山の淨瓶‐
山和尚、始め百丈の會中に在って典座に充たる。百丈將に大の主人を選ばんとす。乃ちじて首座と同じく衆に對して下語せしめ、出格の者往く可しと。百丈遂に淨瓶を拈じて、地上に置いて問を設けて云く、「喚んで淨瓶と作すことを得ず、汝喚んで甚麼とか作さん。」首座乃ち云く、「喚んで木と作す可からず。」百丈却って山に問う。山乃ち淨瓶を倒して去る。百丈笑って云く、「第一座、山子に輸却せらる」と。因って之に命じて開山と爲す。
無門曰く、「山一期の勇、爭奈せん百丈の圏を跳り出でざることを。檢點し將ち來れば、重きに便りして輕きに便りせず。何が故ぞ、。盤頭を得して鐵枷を擔起す。」
頌に曰く、
笊籬并びに木杓を下して、當陽の一突周遮を絶す。
百丈の重關もり住めず、脚尖出して、佛の如し。

第四十一 達磨安心 ‐達磨の安心‐
達磨面壁す。二雪に立つ。臂を斷って云く、「弟子は心未だ安からず、乞う師安心せしめよ。」磨云く、「心を將ち來れ、汝が爲めに安んぜん。」云く、「心を覓むるに了に不可得なり。」磨云く、「汝が爲めに安心し竟んぬ。」
無門曰く、「缺齒の老胡、十萬里の海を航して特特として來る。謂つべし是れ風無きに浪を起すと。末後に一箇の門人を接得して、又た却って六根不具。、謝三郎四字を識らず。」
頌に曰く、
西來の直指、事は囑するに因って起る。
叢林を撓聒するは、元來是れ

第四十二 女子出定 ‐女子の出定‐
世尊、昔、因みに文殊、佛の集る處に至って、佛各各本處に還るに値う。惟だ一りの女人有って、彼の佛坐に近づいて三昧に入る。文殊乃ち佛に白さく、「云何ぞ女人は佛坐に近づくを得て、我は得ざる。」佛、文殊に告ぐ、「汝但だ此の女を覺して三昧より起たしめて、汝自から之を問え。」文殊、女人を遶ること三匝、指を鳴らすこと一下して、乃ち托して梵天に至って、其の力を盡すも出だすこと能わず。世尊云く、「假使い百千の文殊も亦た此の女人を定より出だすことを得ず。下方一十二億河沙の國土を過ぎて、罔明菩薩有り。能く此の女人を定より出ださん。」須臾に罔明大士、地より湧出して世尊を禮拜す。世尊、罔明に敕す。却って女人の前に至って指を鳴らすこと一下す。女人是に於て定より出づ。
無門曰く、「釋老子、者の一場の雜劇を做す、小小を通ぜず。且らく道え、文殊は是れ七佛の師、甚んに因ってか女人を定より出だすことを得ざる。罔明は初地の菩薩、甚んとしてか却って出だし得る。若し者裏に向って見得して親切ならば、業識忙忙として那伽大定ならん。」
頌に曰く、
出得するも出不得なるも、渠と儂と自由を得たり。
頭并に鬼面、敗闕當に風流。

第四十三 首山竹箆 ‐首山の竹箆‐
首山和尚、竹箆を拈じて衆に示して云く、「汝等人、若し喚んで竹箆と作さば則ち觸る、喚んで竹箆と作さざれば則ち背く。汝人、且らく道え、喚んで甚麼とか作さん。」
無門曰く、「喚んで竹箆と作さば、則ち觸る、喚んで竹箆と作さざれば、則ち背く。有語なることを得ず、無語なることを得ず。速かに道え、速かに道え。」
頌に曰く、
竹箆を拈起して、殺活の令を行ず。
背觸交馳、佛も命を乞う。

第四十四 芭蕉杖 ‐芭蕉の杖子‐
芭蕉和尚、衆に示して云く、「杖子有らば、我れ杖子を與えん。杖子無くんば、我れ杖子を奪わん。」
無門曰く、「扶けては斷橋の水を過ぎ、伴っては無月の村に歸る。若し喚んで杖と作さば、地獄に入ること箭の如くならん。」
頌に曰く、
方の深と淺と、都べて掌握の中に在り。
天をえ并びに地をえて、隨處に宗風を振う。

第四十五 他是阿誰 ‐五の釋彌勒‐
東山演師曰く、「釋彌勒は猶お是れ他の奴。且らく道え、他は是れ阿誰ぞ。」
無門曰く、「若也他を見得して分曉ならば、譬えば十字街頭に親爺に撞見するが如くに相似て、更に別人に問うて是と不是とを道うことを須いず。」
頌に曰く、
他の弓を挽くこと莫れ、他の馬に騎ること莫れ。
他の非を辨ずること莫れ、他の事を知ること莫れ。

第四十六 竿頭進歩 ‐石霜の百尺竿頭‐
石霜和尚曰く、「百尺竿頭、如何が歩を進めん。」又た古云く、「百尺竿頭に坐する底の人は、得入すと雖然も、未だ眞と爲さず。百尺竿頭に須らく歩を進めて、十方世界に全身を現ずべし」と。
無門曰く、「歩を進め得、身をし得ば、更に何れの處を嫌ってか尊と稱せざる。是の如くなりと雖然も、且らく道え、百尺竿頭如何が歩を進めん。嗄。」
頌に曰く、
頂門の眼を瞎却し、錯って定盤星を認む。
身をて能く命をて、一盲衆盲を引く。

第四十七 兜率三關 ‐兜率の三關‐
兜率和尚、三關を設けて學者に問う、「撥草參玄は只だ見性を圖る。今上人の性、甚れの處にか在る。」「自性を識得すれば方に生死をす、眼光落つる時作麼生かせん。」「生死を得すれば便ち去處を知る、四大分離して甚れの處に向ってか去る。」
無門曰く、「若し能く此の三轉語を下し得ば、便ち以って隨處に主と作り、に遇うてち宗なるべし。其れ或は未だ然らずんば、麁き易く、細嚼は飢え難し。」
頌に曰く、
一念普く觀ず無量劫、無量劫の事ち如今。
如今箇の一念を破すれば、如今る底の人を破す。

第四十八 乾峰一路 ‐乾峰の一路‐
乾峰和尚、因みに問う、「十方薄伽梵、一路涅槃門。未審し路頭甚麼の處にか在る。」峰、杖を拈起して劃一劃して云く、「者裏に在り。」後に、雲門にす。門、扇子を拈起して云く、「扇子跳して三十三天に上り、帝釋の鼻孔を築著す。東海の鯉魚、打つこと一棒すれば、雨盆を傾くに似たり。」
無門曰く、「一人は深深たる海底に向って行いて、簸土揚塵し、一人は高高たる山頂に立って、白浪滔天す。把定放行、各一隻手を出して宗乘を扶豎す。大いに兩箇の馳子相撞著するに似たり。世上應に直底の人無かるべし。正眼に觀來れば、二大老惣に未だ路頭を識らざる在。」
頌に曰く、
未だ歩を擧せざる時、先づ已に到る。未だ舌を動ぜざる時、先づき了る。
直饒い著著機先に在るも、更に須らく向上の竅有ることをしるべし。

後序
從上の佛垂示の機、欸に據って案を結し、初めより剩語無し。腦蓋を掲し眼睛を露出す。肯て人の直下に承當して、它に從って覓めざらんことを要す。若し是れ通方の上士ならば、纔かに擧著するを聞いて、便ち落處を知らん。了に門戸の入る可き無く、亦た階級の升る可き無し。臂を掉って關を度って關吏を問わじ。豈に見ずや、玄沙の道うことを、「無門は解の門、無意は道人の意」と。又た白雲道わく、「明明として知道るに、只だ是れ者箇、甚麼としてか透不過なる」と。恁麼の話、也た是れ赤土もて牛る。若し無門關を透得せば、早く是れ無門を鈍置す。若し無門關を透り得ずんば、亦た乃ち自己に辜負す。所謂、涅槃心は曉め易く、差別智は明め難し。差別智を明め得ば、家國自から安寧ならん。
時に紹定改元解制の前五日 楊岐八世の孫、無門比丘慧開謹んで識す。