示庫院文

元四年八月六日示衆云、齋之法、以敬爲宗。
はるかに西天竺の法を正傳し、ちかくは震旦國の法を正傳するに、如來滅度ののち、あるいは天の天供を、佛ならびにに奉獻し、あるいは國王の王膳を、佛ならびにに供養し、たてまつりき。そのほか長者居士のいへよりたてまつり、毘闍首陀のいへよりたてまつるもありき。かくのごとくの供養、ともに敬重するところ、ねんごろなり。よく天上人間のなかに、極重の敬禮をもちゐ、至極の尊言をして、うやまひたてまつりて、饌等の供養のそなへを造作するなり、深意あり。いま遠方の深山なりとも、寺院の香積局、その禮儀言語、したしく正傳すべきなり、これ天上人間の佛法を學するなり。
いはゆる粥をば、御粥とまをすべし、朝粥とも、まをすべし、粥とまをすべからず。齋をば、御齋とまをすべし、齋時ともまをすべし、齋とまをすべからず、よねしろめ、まゐらせよと、まをすべし、よねつけと、いふべからず。よねあらひ、まゐらするをば、淨米し、まゐらせよと、まをすべし、よねかせと、まをすべからず。御菜の御料のなにもの、えりまゐらせよと、まをすべし、菜えれと、まをすべからず。御汁のもの、しまいらせよと、まをすべし、汁によと、まをすべからず。御羮しまゐらせよとまをすべし、羮せよとまをすべからず。御齋、御粥は、むませさせ、たまひたると、まをすべし。齋粥いれたてまつらん調度、みなかくのごとく、うやまふべし、不敬は、かへりて殃過をまねく、功をうることなきなり。
齋粥をととのへ、まゐらするとき、人の息にて米菜および、いづれの、ものをも、ふくべからず。たとひ、かはきたるものなりとも、綴袖に觸することなかれ、頭顔に觸たる手を、いまだあらはずして、齋粥の器、および齋粥に手ふるることなかれ。よねをえりまゐらするより、乃至羮に、つくり、まゐらする、經營のあひだ、身のかゆき、ところ、かきては、かならず、その手をあらふべし。齋粥ととのへまゐらするところにては、佛經の文、および師の語を諷誦すべし、世間の語、雜穢の話、いふべからず。
おほよそ、米菜鹽醤等の、いろいろのもの、ましますと、まをすべし、米あり菜ありと、まをすべからず。齋粥のあらんところをすぎんには、行者は問訊したてまつるべし、零菜零米等ありとも、齋粥ののち使用すべし、齋粥をはらざらんほど、をかすべからず。齋粥ととのへまゐらする調度、ねんごろに護惜すべし、他事に、もちゐるべからず。在家より、きたれらん、ともがらの、いまだ手をきよめざらんには、手をふれさすべからず、在家よりきたれらん菜果等、いまだきよめずは、洒水して行香し行火してのちに、三寶衆にたてまつるべし。
現在大宋國の寺には、もし在家より饅頭乳餠、蒸餠等、きたらんは、かさねてむしまゐらせて、衆にたてまつる、これきよむるなり、いまだむさざれば、たてまつらざるなり。これおほかるなかに、すこしばかりなり、この大旨をえて、庫院香積、これを行すべし、萬事非儀なることなかれ。
右條條、佛之命脈、衲之眼睛也、外道未知、天魔不堪、唯有佛子、乃能傳之、庫院之知事、明察莫失焉。

開闢沙門 道元示
永平寺
今告知事、自今已後、若過午後、檀那供、留待翌日、如其麪餠菓子、般粥等、雖晩猶行、乃佛會下藥石也、況大宋國内、有道之勝躅也。
如來曾許雪山裏服衣、當山亦許雪時之藥石矣。
開闢永平寺 希玄印