第十二 法華轉法華

十方佛土中者、法華の唯有なり。これに十方三世一切佛、阿耨多羅三藐三菩提衆は、轉法華あり、法華轉あり。これすなはち、本行菩薩道の不退不轉なり、佛智慧、甚深無量なり、難解難入の安詳三昧なり。あるいはこれ文殊師利佛として、大海佛土なる唯佛與佛の如是相あり。あるいはこれ釋牟尼佛として、唯我知是相、十方佛亦然なる出現於世あり。これすなはち、我及十方佛、乃能知是事と欲令衆生、開示悟入せしむる一時なり。あるいはこれ普賢なり。不思議の功なる法華轉を成就し、深大久遠なる阿耨多羅三藐三菩提を閻浮提に流布せしむるに、三草二木、大小樹を能生する地なり、能潤するあめなり。法華轉を所不能知に盡行成就なるのみなり。普賢の流布いまだをはらざるに、靈山の大會きたる。普賢の往來する、釋尊これを白毫光相と證す。釋の佛會いまだなかばにあらざるに、文殊の惟忖すみやかに彌勒に授記する法華轉あり。普賢、佛、文殊、大會、ともに初中後善の法華轉を知見波羅蜜なるべし。
このゆゑに、唯以一乘、爲一大事(唯一乘を以て一大事と爲す)として出現せるなり。この出現、すなはち一大事なるがゆゑに、唯佛與佛、乃能究盡、法實相とあるなり。その法かならず一佛乘にして、唯佛さだめて唯佛に究盡せしむるなり。佛七佛、おのおの佛佛に究盡せしめ、釋牟尼佛に成就せしむるなり。
西天竺東震旦にいたる、十方佛土中なり。三十三大鑑禪師にいたるも、すなはち究盡にてある唯佛一乘法なり。唯以のさだめて一大事なる、一佛乘なり。いま出現於世なり、出現於此なり。原の佛風いまにつたはれ、南嶽の法門よに開演する、みな如來如實知見なり。まことに唯佛與佛の究盡なり、嫡佛佛嫡の開示悟入なりと法華轉すべし。これを妙法蓮華經ともなづく、菩薩法なり。これを法となづけきたれるゆゑに、法華を國土として、靈山も空もあり、大海もあり、大地もあり。これはすなはち實相なり、如是なり。法住法位なり、一大事因なり。佛之知見なり、世相常住なり。如實なり、如來壽量なり。甚深無量なり、行無常なり。法華三昧なり、釋牟尼佛なり。轉法華なり、法華轉なり。正法眼藏涅槃妙心なり、現身度生なり。授記作佛なる保任あり、住持あり。

大唐國廣南東路、韶州曹谿山寶林寺大鑑禪師の會に、法達といふまゐれりき。みづから稱す、われ法華經を讀誦することすでに三千部なり。
いはく、たとひ萬部におよぶとも、經をえざらんは、とがをしるにもおよばざらん。
法達いはく、學人は愚鈍なり、從來ただ文字にまかせて誦念す。いかでか宗趣をあきらめん。
いはく、なんぢ、こころみに一遍を誦すべし、われなんぢがために解せん。
法達すなはち誦經す。
方便品にいたりて、いはく、とどまるべし。この經は、もとより因出世を宗旨とせり。たとひおほくの譬諭をとくも、これよりこゆることなし。何者因といふに、唯一大事なり。唯一大事は、佛知見なり、開示悟入なり。おのづからこれ佛之知見なり。己具知見、彼是佛なり(已に知見を具す、彼はに是れ佛なり)。なんぢいままさに信ずべし、佛知見者、只汝自心なり(佛知見とは、只汝が自心なり)。
かさねてしめす偈にいはく、
心迷法華轉、心悟轉法華。
(心迷へば法華に轉ぜらる、心悟れば法華を轉ず)
誦久不明己、與義作讐家。
(誦すること久くして己を明めざれば、義と讐家と作る)
無念念正、有念念成邪。
(無念の念はち正なり、有念の念は邪と成る)
有無倶不計、長御白牛車。
(有無倶に計せざれば、長く白牛車を御る)
法達すなはち偈をききて、かさねてにまうす、經にいはく、大聲聞、乃至菩薩、みな盡思度量する(思ひを盡して度り量る)に、佛智はかることあたはず。いま凡夫をしてただし自心をさとらしめんを、すなはち佛之知見となづけん、上根にあらずよりは、疑謗をまぬかれがたし。又經に三車をとくに、大牛車と白牛車と、いかなる區別かあらん。ねがはくは和尚ふたたび宣をたれんことを。
いはく、經意はあきらかなり、なんぢおのづから迷背す。三乘人の佛智をはかることあたはざる患は、度量にあるなり。たとひかれら盡思共推すとも、うたた懸遠ならん。佛は本爲凡夫(本より凡夫の爲にく)のみなり、不爲佛(佛の爲にかず)なり。この理を信ずること不肯にして退席すとも、ことにしらず、白牛車に坐しながら、さらに門外にして三車をもとむることを。經文あきらかになんぢにむかひていふ、無二亦無三と。なんぢいかがさとらざる。三車はこれ假なり、昔時なるがゆゑに。一乘はこれ實なり、今時なるがゆゑに。ただなんぢをして假をば去とし、實をば歸とせしむ。歸實するには、實も名にあらず。しるべし、所有はみな珍寶なり、ことごとくなんぢに囑す。由汝受用(汝に由りて受用する)なり。さらに父想ならず、また子想ならず、また用想なしといへども、これは法華經となづくるなり。劫より劫にいたり、晝より夜にいたるに、手不釋卷なれども、誦念にあらざるときなきなり。
法達すでに啓發をかうぶりて、誦躍歡喜して、偈を呈し贊していはく、
經誦三千部、曹谿一句亡。
(經を誦すること三千部、曹谿の一句に亡ず)
未明出世旨、寧歇累生狂。
(未だ出世の旨を明らめずは、寧んぞ累生の狂を歇めん)
羊鹿牛權設、初中後善揚。
(羊鹿牛權に設く、初中後善く揚ぐ)
誰知火宅内、元是法中王。
(誰か知らん火宅の内、元是れ法中の王なることを)
この偈を呈するに、いはく、なんぢいまよりは念經となづけつべし。
法達禪師の曹谿に參ぜし因、かくのごとし。これより法華轉と轉法華との法華は開演するなり。それよりさきはきかず。まことに佛之知見をあきらめんことは、かならず正法眼藏ならん佛なるべし。いたづらに沙石をかぞふる文字の學者はしるべきにあらずといふこと、いまこの法達の從來にてもみるべし。法華の正宗をあきらめんことは、師の開示を唯一大事因と究盡すべし、餘乘にとぶらはんとすることなかれ。いま法華轉の實相實性實體實力、實因實果の如是なる、師より以前には、震旦國にいまだきかざるところ、いまだあらざるところなり。

いはゆる法華轉といふは心迷なり、心迷はすなはち法華轉なり。しかあればすなはち、心迷は法華に轉ぜらるるなり。その宗趣は、心迷たとひ萬象なりとも、如是相は法華に轉ぜらるるなり。この轉ぜらるる、よろこぶべきにあらず、まつべきにあらず。うるにあらず、きたるにあらず。しかあれども、法華轉はすなはち無二亦無三なり。唯有一佛乘にてあれば、如是相の法華にてあれば、能轉所轉といふとも、一佛乘なり、一大事なり。唯以の赤心片片なるのみなり。
しかあれば、心迷をうらむることなかれ。汝等所行、是菩薩道(汝等が行ずる所は是れ菩薩道)なり。本行菩薩道の奉覲於佛(菩薩に奉覲する)なり。開示悟入みな各各の法華轉なり。火宅に心迷あり、當門に心迷あり、門外に心迷あり、門前に心迷あり、門内に心迷あり。心迷に門内門外、乃至當門火宅等を現成せるがゆゑに、白牛車のうへにも開示悟入あるべし。この車上の莊校として入を存ぜんとき、露地を所入とや期せん、火宅を所出とや認ぜん。當門は經歴のところなるとのみ究盡すべきか。まさにしるべし、くるまのなかに火宅を開示悟入せしむる轉もあり、露地に火宅を開示悟入せしむる轉もあり。當門の全門に開示悟入を転ずるあり、普門の一門に開示悟入を転ずるあり。開示悟入の各各に、普門を開示悟入する轉あり。門内に開示悟入を転ずるあり、門外に開示悟入を転ずるあり。火宅に露地を開示悟入するあり。
このゆゑに、火宅も不會なり、露地も不識なり。輪轉三界を、たれかくるまと一乘せん。開示悟入を、たれか門なりと出入せん。火宅よりくるまをもとむれば、いくばくの輪轉ぞ。露地より火宅をのぞめば、そこばくの深遠のみなり。露地に靈山を安穩せりとや究盡せん、靈山に露地の平坦なるとや修行せん。衆生所遊樂を我淨土不毀と常在せるをも、審細に本行すべきなり。
一心欲見佛は、みづからなりとや參究する、他なりとや參究する。分身と成道せしときあり、全身と成道せしときあり。倶出靈鷲山は、身命を自惜せざるによりてなり。常在此法なる開示悟入あり、方便現涅槃なる開示悟入あり。而不見の雖近なる、たれか一心の會不會を信ぜざらん。天人常充滿のところは、すなはち釋牟尼佛毘盧遮那の國土、常寂光土なり。おのづから四土に具するわれら、すなはち如一の佛土に居するなり。微塵をみるとき法界をみざるにあらず。法界を證するに微塵を證せざるにあらず。佛の法界を證するに、われらを證にあらざらしむるにあらず。その初中後善なり。
しかあれば、いまも證の如是相なり、驚疑怖畏も如是にあらざるなし。ただこれ佛之知見をもて微塵をみると、微塵に坐するとの、ことなるのみなり。法界に坐せるとき廣にあらず、微塵に坐するときせばきにあらざるゆゑは、保任にあらざれば坐すべからず、保任するには廣狹に驚疑なきなり。これ法華の體力を究盡せるによりてなり。
しかあれば、われらがいまの相性、この法界に本行すとやせん、微塵に本行すとやせん。驚疑なし、怖畏なし。ただ法華轉の本行なる、深遠長遠なるのみなり。この微塵をみると法界をみると、有作有量にあらざるなり。有量有作も、法華量をならひ、法華作をならふべし。開示悟入をきかんには、欲令衆生ときくべし。いはゆる、開佛知見の法華轉なる、示佛知見にならふべし。悟佛知見の法華轉なる、入佛知見にならふべし。示佛知見の法華轉なる、悟佛知見にならふべし。かくのごとく、開示悟入の法華轉、おのおの究盡のみちあるべし。
おほよそこの佛如來の知見波羅蜜は、廣大深遠なる法華轉なり。授記はすなはち自己の開佛知見なり、他のさづくるにあらざる法華轉なり。これすなはち心迷法華轉なり。

心悟轉法華といふは、法華を転ずるといふなり。いはゆる、法華のわれらを転ずるちから究盡するときに、かへりてみづからを転ずる如是力を現成するなり。この現成は轉法華なり。從來の轉いまもさらにやむことなしといへども、おのづからかへりて法華を転ずるなり。驢事いまだをはらざれども、馬事到來すべし。出現於此の唯以一大事因あり。地涌千界の衆、ひさしき法華の大聖尊なりといへども、みづからに轉ぜられて地涌し、他に轉ぜられて地涌す。地涌のみを轉法華すべからず、空涌をも轉法華すべし、地空のみにあらず、法華涌とも佛智すべし。
おほよそ法華のときは、かならず父少而子老なり。子の子にあらざるにはあらず、父の父にあらざるにはあらず。まさに子は老なり、父は少なりとならふべし。世の不信にならふておどろくことなかれ。世の不信なるは法華の時なり。これをもて一時佛住を轉法華すべし。開示悟入に轉ぜられて地涌し、佛之知見に轉ぜられて地涌す。この轉法華のとき、法華の心悟あるなり、心悟の法華あるなり。あるいは下方といふ、すなはち空中なり。この下この空、すなはち轉法華なり、すなはち佛壽量なり。佛壽と法華と法界と一心とは、下とも現成し、空とも現成すると轉法華すべし。かるがゆゑに、下方空といふは、すなはち轉法華の現成なり。おほよそこのとき、法華を轉じて三草ならしむることあり、法華を轉じて二木ならしむることもあり。有覺とまつべきにあらず、無覺とあやしむべきにあらず。
自轉して發菩提なるとき、すなはち南方なり。この成道、もとより南方に集會する靈山なり、靈山かならず轉法華なり。空に集會する十方佛土あり、これ轉法華の分身なり。すでに十方佛土と轉法華す、一微塵のいるべきところなし。色是空の轉法華あり、若退若出にあらず。空是色の轉法華あり、無有生死なるべし。在世といふべきにあらず、滅度のみにあらんや。われに親友なるは、われもかれに親友なり。親友の禮勤わするべからざるゆゑに。髻珠をもあたふ、衣珠をもあたふる時節、よくよく究盡すべし。佛前に寶塔ある轉法華あり、高五百由旬なり。塔中に佛坐する轉法華あり、量二百五十由旬なり。從地涌出、住在空中の轉法華あり、心も礙なし、色も礙なし。從空涌出、住在地中の轉法華あり、まなこにもさへらる、身にもさへらる。
塔中に靈山あり。靈山に寶塔あり。寶塔は空に寶塔し、空は寶塔を空す。塔中の古佛は、座を靈山のほとけにならべ、靈山のほとけは、證を塔中のほとけに證す。靈山のほとけ、塔中へ證入するには、すなはち靈山の依正ながら、轉法華入するなり。塔中のほとけ、靈山に涌出するには、古佛土ながら、久滅度ながら、涌出するなり。涌出も轉入も、凡夫二乘にならはざれ、轉法華を學すべし。久滅度は、佛上にそなはれる證莊嚴なり。塔中と佛前と、寶塔と空と、靈山にあらず、法界にあらず。半段にあらず、全界にあらず。是法位のみにかかはれず、非思量なるのみなり。
或現佛身、而爲法、或現此身、而爲法なる轉法華あり。或現提婆達多なる轉法華あり、或現退亦佳矣なる轉法華あり。合掌瞻仰待、かならず六十小劫とはかることなかれ。一心待の量をつづめて、しばらくいく無量劫といふとも、なほこれ不能測佛智なり。待なる一心、いく佛智の量とかせん。この轉法華は、本行菩薩道のみなりと認ずることなかれ。法華一座のところ、今日如來大乘と轉法華なる功なり。法華のいまし法華なる、不覺不知なれども、不識不會なり。しかあれば、五百塵點はしばらく一毛許の轉法華なり、赤心片片の佛壽の開演せらるるなり。

おほよそ震旦にこの經つたはれ、轉法華してよりこのかた數百歳、あるいは疏釋をつくるともがら、ままにしげし。又この經によりて、上人の法をうるもあれども、いまわれらが高曹谿古佛のごとく、法華轉の宗旨をえたるなし、轉法華の宗旨つかふあらず。いまこれをきき、いまこれにあふ、古佛の古佛にあふにあへり、古佛土にあらざらんや。よろこぶべし、劫より劫にいたるも法華なり、晝より夜にいたるも法華なり。法華これ從劫至劫なるがゆゑに。法華これ乃晝乃夜なるがゆゑに。たとひ自身心を強弱すとも、さらにこれ法華なり。あらゆる如是は珍寶なり、光明なり、道場なり。廣大深遠なり、深大久遠なり。心迷法華轉なり、心悟轉法華なる、實にこれ法華轉法華なり。
心迷法華轉、心悟轉法華。
究盡能如是、法華轉法華。
(心迷へば法華に轉ぜられ、心悟れば法華を轉ず。究盡すること能く是の如くなれば、法華、法華を轉ず。)
かくのごとく供養恭敬、尊重讃歎する、法華是法華なるべし。

正法眼藏法華轉法華第十二

仁治二年辛丑夏安居日、これをかきて慧達禪人にさづく。これ出家修道を感喜するなり。ただ鬢髪をそる、なほ好事なり。かみをそり又かみをそる、これ眞出家兒なり。今日の出家は、從來の轉法華の如是力の如是果報なり。いまの法華、かならず法華の法華果あらん。釋の法華にあらず、佛の法華にあらず、法華の法華なり。ひごろの轉法華は、如是相も不覺不知にかかれり。しかあれども、いまの法華さらに不識不會にあらはる。昔時も出息入息なり、今時も出息入息なり。これを妙難思の法華と保任すべし。
開山觀音導利興聖寶林寺 入宋傳法沙門記[在御判]
嘉元三年乙巳孟春初、於寶慶寺書寫了