第五 供養
佛
佛言、
若無過去世(若し過去世無くんば)、
應無過去佛(應に過去佛無かるべし)。
若無過去佛(若し過去佛無くんば)、
無出家受具(出家受具無けん)。
あきらかにしるべし、三世にかならず
佛ましますなり。しばらく過去の
佛におきて、そのはじめありといふことなかれ、そのはじめなしといふことなかれ。もし始終の有無を邪計せば、さらに佛法の
學にあらず。過去の
佛を供養したてまつり、出家し、隨順したてまつるがごとき、かならず
佛となるなり。供佛の功
によりて作佛するなり。いまだかつて一佛をも供養したてまつらざる衆生、なにによりてか作佛することあらん。無因作佛あるべからず。
佛本行集經言、
佛告目
連、我念往昔、於無量無邊
世尊所、種
善根、乃至求於阿耨多羅三藐三菩提(佛、目
連に告げたまはく、我れ往昔を念ふに、無量無邊の
の世尊の所に於て、
の善根を種ゑ、乃至阿耨多羅三藐三菩提を求めき)。
目
連、我念往昔、作轉輪聖王身、値三十億佛。皆同一號、號釋
。如來及聲聞衆、尊重承事、恭敬供養、四事具足。所謂衣服、飮食、臥具、湯藥。時彼
佛、不與我記、汝當得阿耨多羅三藐三菩提、及世間解、天人師、佛世尊、於未來世、得成正覺(目
連、我れ往昔を念ふに、轉輪聖王の身と作りて、三十億の佛に値ひたてまつりき。皆な同じく一號にして、釋
と號けき。如來及び聲聞衆まで、尊重し承事し、恭敬し供養して四事具足せり。所謂る衣服、飮食、臥具、湯藥なり。時に彼の
佛、我れに記を與へて、汝、當に阿耨多羅三藐三菩提を得、及び世間解、天人師、佛世尊として、未來世に於て、正覺を成ずることを得べしとしたまはざりき)。
目
連、我念往昔、作轉輪聖王身、値八億
佛。皆同一號、號燃燈。如來及聲聞衆、尊重恭敬、四事供養。所謂衣服、飮食、臥具、湯藥、幡蓋、華香。時彼
佛、不與我記、汝當得阿耨多羅三藐三菩提、及世間解、天人師、佛世尊(目
連、我れ往昔を念ふに、轉輪聖王の身と作りて、八億の
佛に値ひたてまつりき。皆な同じく一號にして、燃燈と號けき。如來及び聲聞衆まで、尊重し恭敬して、四事供養せり。所謂る衣服、飮食、臥具、湯藥、幡蓋、華香なり。時に彼の
佛、我れに記を與へて、汝、當に阿耨多羅三藐三菩提を得、及び世間解、天人師、佛世尊たるべしとしたまはざりき)。
目
連、我念往昔、作轉輪聖王身、値三億
佛。皆同一號、號弗沙。如來及聲聞衆、四事供養、皆悉具足。時彼
佛、不與我記、汝當作佛(目
連、我れ往昔を念ふに、轉輪聖王の身と作りて、三億の
佛に値ひたてまつりき。皆な同じく一號にして弗沙と號けき。如來及び聲聞衆まで、四事供養し、皆な悉く具足せり。時に彼の
佛、我れに記を與へて、汝、當に作佛すべしとしたまはざりき)。
このほかそこばくの
佛を供養しまします。轉輪聖王身としては、かならず四天下を統領すべし、供養
佛の具、まことに豐饒なるべし。もし大轉輪王ならば、三千界に王なるべし。そのときの供佛、いまの凡慮はかるべからず。ほとけときましますとも、解了することをえがたからん。
佛藏經淨見品第八云、
佛告舍利弗、我念過世、求阿耨多羅三藐三菩提、値三十億佛。皆號釋
牟尼。我時皆作轉輪聖王、盡形供養及
弟子、衣服、飮食、臥具、醫藥、爲求阿耨多羅三藐三菩提。而是
佛、不記我、言汝於來世、當得作佛。何以故。以我有所得故(佛、舍利弗に告げたまはく、我れ過世を念ふに、阿耨多羅三藐三菩提を求めて、三十億の佛に値ひたてまつりき。皆な釋
牟尼と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、形を盡くすまで、
弟子に及ぶまで、衣服、飮食、臥具、醫藥を供養せり、阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。而も是の
佛、我れを記して、汝、來世に於て當に作佛することを得べしと言はざりき。何を以ての故に。我れ有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、得値八千佛。皆號定光。時皆作轉輪聖王、盡形供養及
弟子、衣服、飮食、臥具、醫藥、爲求阿耨多羅三藐三菩提。而是
佛、不記我汝於來世、當得作佛。何以故。以我有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、八千佛に値ひたてまつることを得たり。皆な定光と號けき。時に皆な轉輪聖王と作りて、形を盡くすまで、
弟子に及ぶまで、衣服、飮食、臥具、醫藥を供養せり、阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。而も是の
佛、我れを汝、來世に於て當に作佛することを得べしと記したまはざりき。何を以ての故に。我れ有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、値六萬佛。皆號光明。我時皆作轉輪聖王、盡形供養及
弟子、衣服、飮食、臥具、醫藥、爲求阿耨多羅三藐三菩提。而是
佛、亦不記我汝於來世、當得作佛。何以故。以我有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、六萬佛に値ひたてまつりき。皆な光明と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、形を盡くすまで、
弟子に及ぶまで、衣服、飮食、臥具、醫藥を供養せり、阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。而も是の
佛、亦た我れを汝、來世に於て、當に作佛することを得べしと記したまはざりき。何を以ての故に。我れ有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、値三億佛。皆號弗沙。我時作轉輪聖王、四事供養、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、三億佛に値ひたてまつりき。皆な弗沙と號けき。我れ時に轉輪聖王と作りて、四事供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、得値萬八千佛。皆號山王、劫名上八。我皆於此萬八千佛所、剃髪法衣修
阿耨多羅三藐三菩提、皆不記我。以我有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、萬八千佛に値ひたてまつることを得たり。皆な山王と號け、劫を上八と名づけき。我れ皆な此の萬八千佛の所に於て、剃髪法衣して阿耨多羅三藐三菩提を修
せしに、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、得値五百佛。皆號華上。我時皆作轉輪聖王、悉以一切、供養
佛及
弟子、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、五百佛に値ひたてまつることを得たり。皆な華上と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、悉く一切を以て、
佛及び
弟子を供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、得値五百佛。皆號威
。我悉供養、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、五百佛に値ひたてまつることを得たり。皆な威
と號けき。我れ悉く供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、得値二千佛。皆號
陳如。我時皆作轉輪聖王、悉以一切、供養
佛、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、二千佛に値ひたてまつることを得たり。皆な
陳如と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、悉く一切を以て
佛を供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、値九千佛。皆號
葉。我以四事、供養
佛及
弟子衆、皆不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、九千佛に値ひたてまつれり。皆な
葉と號けき。我れ四事を以て、
佛及び
弟子衆を供養せしも、皆な我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過去、於萬劫中、無有佛出。爾時初五百劫、有九萬辟支佛。我盡形壽、悉皆供養衣服、飮食、臥具、醫藥、尊重讃嘆。次五百劫、復以四事、供養八萬四千億
辟支佛、尊重讃嘆(舍利弗、我れ過去を念ふに、萬劫の中に於て、佛の出でたまふこと有ること無し。爾の時に初めの五百劫に、九萬の辟支佛有りき。我れ盡形壽に、悉く皆な衣服、飮食、臥具、醫藥を供養して、尊重し讃嘆しき。次の五百劫に、復た四事を以て、八萬四千億の
の辟支佛を供養し、尊重し讃嘆しき)。
舍利弗、過是千劫已、無復辟支佛。我時閻浮提死、生梵世中、作大梵王。如是展轉、五百劫中、常生梵世作大梵王、不生閻浮提。過是五百劫已、下生閻浮提、治化閻浮提、命終生四天王天。於中命終、生
利天、作釋提桓因。如是展轉、滿五百劫生閻浮提、滿五百劫生於梵世、作大梵王(舍利弗、是の千劫を過ぎ已りて、復た辟支佛無し。我れ時に閻浮提に死して、梵世の中に生れて大梵王と作りき。是の如く展轉して、五百劫の中に、常に梵世に生れ大梵王と作りて、閻浮提に生ぜず。是の五百劫を過ぎ已りて、閻浮提に下生して、閻浮提を治化して、命終して四天王天に生れき。中に於て命終して
利天に生れ、釋提桓因と作りき。是の如く展轉して、五百劫を滿てて閻浮提に生れ、五百劫を滿てて梵世に生れ、大梵王と作りき)。
舍利弗、我於九千劫中、但一生閻浮提、九千劫中、但生天上。劫盡燒時、生光音天。世界成已、還生梵世。九千劫中生、都不生人中(舍利弗、我れ九千劫の中に、但だ一たび閻浮提に生れ、九千劫の中に、但だ天上にのみ生る。劫盡きて燒けし時、光音天に生る。世界成じ已りて、還た梵世に生る。九千劫の中の生、都て人中に生れざりき)。
舍利弗、是九千劫、無有
佛、辟支佛、多
衆生墮在惡道(舍利弗、是の九千劫に、
佛、辟支佛有ること無く、
の衆生の惡道に墮在するもの多かりき)。
舍利弗、是萬劫過已、有佛出世。號曰普守如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊。我於爾時、梵世命終生閻浮提、作轉輪聖王。號曰共天。人壽九萬歳。我盡形壽、以一切樂具、供養彼佛及九十億比丘。於九萬歳、爲求阿耨多羅三藐三菩提。是普守佛亦不記我汝於來世、當得作佛。何以故。我於爾時、不能通達
法實相、貪著計我有所得見(舍利弗、是の萬劫過ぎ已りて、佛有りて出世したまひき。號けて普守如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊と曰ふ。我れ爾の時に於て、梵世に命終して閻浮提に生れ、轉輪聖王と作りき。號けて共天と曰ふ。人壽九萬歳なりき。我れ盡形壽に、一切の樂具を以て、彼の佛及び九十億の比丘を供養せり。九萬歳に於て阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。是の普守佛も亦た我れを汝、來世に於て、當に作佛することを得べしと記したまはざりき。何を以ての故に。我れ爾の時に、
法實相に通達すること能はず、計我、有所得の見に貪著したればなり)。
舍利弗、於是劫中、有百佛出、名號各異。我時皆作轉輪聖王、盡形供養及
弟子。爲求阿耨多羅三藐三菩提。而是
佛亦不記我汝於來世、當得作佛。以有所得故(舍利弗、是の劫の中に、百佛有りて出でたまひ、名號各異なりき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、形を盡くすまで供養すること、
弟子に及べり。阿耨多羅三藐三菩提を求めんが爲なりき。而も是の
佛も亦た我れを汝、來世に於て當に作佛することを得べしと記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、第七百阿
祇劫中、得値千佛。皆號閻浮檀。我盡形壽四事供養、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、第七百阿
祇劫の中に、千佛に値ひたてまつることを得たり。皆な閻浮檀と號けき。我れ盡形壽に四事供養せしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、亦於第七百阿
祇劫中、得値六百二十萬
佛。皆號見一切儀。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養及
弟子、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、亦た第七百阿
祇劫の中に、六百二十萬の
佛に値ひたてまつることを得たり。皆な、見一切儀と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養すること
弟子に及びしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、亦於第七百阿
祇劫中、得値八十四佛。皆號帝相。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養及
弟子、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、亦た第七百阿
祇劫の中に、八十四佛に値ひたてまつることを得たり。皆な、帝相と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養すること
弟子に及びしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、亦於第七百阿
祇劫中、得値十五佛。皆號日明。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養及
弟子、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、亦た第七百阿
祇劫の中に、十五佛に値ひたてまつることを得たり。皆な日明と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養すること
弟子に及びしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、亦於第七百阿
祇劫中、得値六十二佛。皆號善寂。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、また第七百阿
祇劫の中に、六十二佛に値ひたてまつることを得たり。皆な善寂と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養せしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
如是展轉、乃至見定光佛、乃得無生忍。
記我言、汝於來世過阿
祇劫、當得作佛、號釋
牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊(是の如く展轉して、乃至定光佛を見たてまつりて、乃ち無生忍を得たり。
ち我れを記して言はく、汝、來世に於て阿
祇劫を過ぎて、當に作佛することを得て、釋
牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊と號くべしと)。
はじめ三十億の釋
牟尼佛にあひたてまつりて、盡形壽供養よりこのかた、定光如來にあふたてまつらせたまふまで、みなつねに轉輪聖王のみとして、盡形壽供養したてまつりまします。轉輪聖王、おほくは八萬已上なるべし。あるいは九萬歳、八萬歳の壽量、そのあひだの一切樂具の供養なり。定光佛とは燃燈如來なり。三十億の釋
牟尼佛にあひたてまつりまします、佛本行集經ならびに佛藏經の
、おなじ。
釋
菩薩、初阿
企耶、逢事供養七萬五千佛。最初名釋
牟尼、最後名寶髻。第二阿
企耶、逢事供養七萬六千佛。最初
寶髻、最後名燃燈。第三阿
企耶、逢事供養七萬七千佛。最初
燃燈、最後名勝觀。於修相異熟業九十一劫中、逢事供養六佛。最初名勝觀、最後名
葉波(釋
菩薩、初阿
企耶に、七萬五千佛に逢事し供養したてまつりき。最初を釋
牟尼と名づけ、最後を寶髻と名づけき。第二阿
企耶に、七萬六千佛に逢事し供養したてまつりき。最初は
ち寶髻、最後を燃燈と名づけき。第三阿
企耶に、七萬七千佛に逢事し供養したてまつりき。最初は
ち燃燈、最後名勝觀と名づけき。相異熟業を修する九十一劫の中に、六佛に逢事し供養したてまつりき。最初は
ち勝觀、最後名
葉波と名づけき)。
おほよそ三大阿
祇劫の供養
佛、はじめ身命より、國城妻子、七寶男女等、さらにをしむところなし。凡慮のおよぶところにあらず。あるいは黄金の粟を白銀の
にもりみて、あるいは七寶の粟を金銀の
にもりみてて供養したてまつる。あるいは小豆、あるいは水陸の花、あるいは栴檀、沈水香等を供養したてまつり、あるいは五莖の
蓮華を、五百の金銀をもて買取て、燃燈佛を供養したてまつりまします。あるいは鹿皮衣、これを供養したてまつる。
おほよそ供佛は、
佛の要樞にましますべきを供養したてまつるにあらず。いそぎわがいのちの存ぜる光陰をむなしくすごさず、供養したてまつるなり。たとひ金銀なりとも、ほとけの御ため、なにの
かあらん。たとひ香花なりとも、またほとけの御ため、なにの
かあらん。しかあれども、納受せさせたまふは、衆生をして功
を
長せしめんための大慈大悲なり。
大般涅槃經第二十二云、
佛言、善男子、我念過去無量無邊那由他劫、爾時世界名曰裟婆。有佛世尊、號釋
牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊。爲
大衆、宣
如是大涅槃經。我於爾時、從善友所轉、聞彼佛當爲大衆
大涅槃。我聞是已、其心歡喜、欲設供養。居貧無物。欲自賣身、薄
不售。
欲還家、路見一人(佛言はく、善男子、我れ過去無量無邊那由他劫を念ふに、爾の時に世界を名づけて裟婆と曰へり。佛世尊有り、釋
牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊と號けき。
の大衆の爲に、是の如くの大涅槃經を宣
したまひき。我れ爾の時に於て、善友の所より轉じて、彼の佛當に大衆の爲に大涅槃を
きたまふと聞きき。我れ是れを聞き已りて、其の心歡喜し、供養を設けんと欲へり。貧に居して物無し。自ら身を賣らんと欲へども、薄
にして售れず。
ち家に還らんと欲ふに、路に一人を見たり)。
而便語言、吾欲賣身、若能買不(吾れ身を賣らんと欲ふ、若能く買ふや不や)。
其人答曰、我家作業、人無堪者、汝設能爲、我當買汝(我が家の作業は、人の堪ふる者無し、汝設し能く爲さば、我れ當に汝を買ふべし)。
我
問言、有何作業、人無能堪(何なる作業有りてか、人の能く堪ふること無き)。
其人見答、吾有惡病、良醫處藥、應當日服人肉三兩。卿若能以身肉三兩日日見給、便當與汝金錢五枚(其の人見答すらく、吾れに惡病有り、良醫の處藥、應當に日に人肉三兩を服すべしといふ。卿若し能く身肉三兩を以て日日に見給せば、便ち當に汝に金錢五枚を與ふべし)。
我時聞已、心中歡喜(我れ時に聞き已りて、心中歡喜しき)。
我復語言、汝與我錢、假我七日。須我事訖、便還相就(我れ復た語りて言く、汝、我に錢を與へ、我れに七日を假すべし。我が事訖るを須ちて、便ち還た相就かん)。
其人見答、七日不可、審能爾者、當許一日(其の人見答すらく、七日は不可なり、審し能く爾あらば、當に一日を許すべし)。
善男子、我於爾時、
取其錢、還至佛所、頭面禮足、盡其所有、而以奉獻。然後、誠心聽受是經。我時闇鈍、雖得聞經、唯能受持一偈文句(善男子、我れ爾の時に於て、
ち其の錢を取りて、還た佛の所に至り、頭面に足を禮し、其の所有を盡くして、以て奉獻しき。然して後、誠心に是の經を聽受せり。我れ時に闇鈍にして、經を聞くことを得と雖も、唯能く一偈の文句を受持したり)。
如來證涅槃(如來涅槃を證したまひ)、
永斷於生死(永く生死を斷ず)。
若有至心聽(若し至心に聽くこと有らば)、
常得無量樂(常に無量の樂を得べし)。
受是偈已、
便還至彼病人家(是の偈を受け已りて、
便ち還た彼の病人の家に至りぬ)。
善男子、我時雖復日日與三兩肉、以念偈因
故、不以爲痛。日日不癈、具滿一月(善男子、我れ時に復た日日に三兩の肉を與ふと雖も、念偈の因
を以ての故に、以て痛と爲さざりき。日日癈せず、具に一月を滿てり)。
善男子、以是因
其病得
、我身平復亦無瘡痍。我時見身具足完具、
發阿耨多羅三藐三菩提心。一偈之力尚能如是、何況具足受持讀誦。我見此經有如是利、復倍發心、願於未來、得成佛道、字釋
牟尼(善男子、是の因
を以て其の病
ゆることを得、我が身も平復して亦た瘡痍無かりき。我れ時に身の具足完具せるを見て、
ち阿耨多羅三藐三菩提心を發しき。一偈の力尚ほ能く是の如し、何に況んや具足して受持し讀誦せんをや。我れ此の經の是の如く利有るを見て、復た倍發心し、未來に於て佛道を成ずることを得て、釋
牟尼と字せんことを願ひき)。
善男子、以是一偈因
力故、令我今日於大衆中、爲
天人具足宣
(善男子、是の一偈の因
力を以ての故に、我れをして今日大衆の中に於て、
の天人の爲に具足して宣
せしむ)。
善男子、以是因
、是大涅槃不可思議、成就無量無邊功
。乃是
佛如來甚深秘密之藏(善男子、是の因
を以て、是の大涅槃不可思議なり、無量無邊の功
を成就せり。乃ち是れ
佛如來甚深秘密之藏なり)。
そのときの賣身の菩薩は、今釋
牟尼佛の往因なり。他經を會通すれば、初阿
祇劫の最初、古釋
牟尼佛を供養したてまつりましますときなり。かのときは瓦師なり、その名を大光明と稱ず。古釋
牟尼佛ならびに
弟子に供養するに三種の供養をもてす、いはゆる草座、石蜜漿、燃燈なり。そのときの發願にいはく、
國土、名號、壽命、弟子、一如今釋
牟尼佛(今釋
牟尼佛に一如ならん)。
かのときの發願、すでに今日成就するものなり。しかあればすなはち、ほとけを供養したてまつらんとするに、その身まづしといふことなかれ、そのいへまづしといふことなかれ。みづから身をうりて
佛を供養したてまつるは、いま大師釋尊の正法なり。たれかこれを隨喜歡喜したてまつらざらん。このなかに、日日に三兩の身肉を割取するぬしにあふ、善知識なりといへども、他人のたふべからざるなり。しかあれども、供養の深志のたすくるところ、いまの功
あり。いまわれら如來の正法を聽聞する、かの往古の身肉を處分せられたるなるべし。いまの四句の偈は、五枚の金錢にかふるところにあらず。三阿
祇、一百大劫のあひだ、受生
生にわするることなく、彼佛是佛のところに證明せられきたりましますところ、まことに不可思議の功
あるべし。遺法の弟子、ふかく頂戴受持すべし。如來すでに一偈之力、尚能如是と宣
しまします、もともおほきにふかかるべし。
法華經云、
若人於塔廟、寶像及畫像(若し人、塔廟、寶像及び畫像に)、
以華香幡蓋、敬心而供養(華香幡蓋を以て、敬心に而も供養せん)、
若使人作樂、撃鼓吹角唄(若しは人をして樂を作さしめ、鼓を撃ち角唄を吹き)、
簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅
(簫笛琴箜篌、琵琶鐃銅
)、
如是衆妙音、盡持以供養(是の如くの衆妙の音、盡く持以て供養せん)、
或以歡喜心、歌唄頌佛
(或いは歡喜心を以て、歌唄して佛
を頌せん)、
乃至一少音、皆已成佛道(乃至一少音せんすら、皆な已に佛道を成ぜり)。
若人散亂心、乃至以一華(若し人、散亂の心もて、乃至一華を以て)、
供養於畫像、漸見無數佛(畫像に供養せん、漸くに無數の佛を見たてまつらん)。
或有人禮拜、或復但合掌(或いは人有りて禮拜し、或いは復た但だ合掌し)、
乃至擧一手、或復少低頭(乃至一手を擧げ、或いは復た少しく低頭せん)、
以此供養像、漸見無量佛(此れを以て像を供養せしもの、漸くに無量佛を見たてまつり)、
自成無上道、廣度無數衆(自ら無上道を成じて、廣く無數の衆を度せん)。
これすなはち、三世
佛の頂
なり、眼睛なり。見賢思齊の猛利
進すべし。いたづらに光陰をわたることなかれ。
石頭無際大師云、光陰莫
度(光陰
しく度ること莫れ)。
かくのごときの功
、みな成佛す。過去、現在、未來おなじかるべし。さらに二あり、三あるべからず。供養佛の因によりて、作佛の果を成ずること、かくのごとし。
龍樹
師曰、如求佛果、讃歎一偈、稱一南謨、燒一捻香、奉獻一華、如是小行、必得作佛(龍樹
師曰く、佛果を求むるが如きは、一偈を讃歎し、一南謨を稱じ、一捻香を燒き、一華を奉獻せん、是の如くの小行も、必ず作佛することを得ん)。
これひとり龍樹
師菩薩の所
といふとも、歸命したてまつるべし。いかにいはんや大師釋
牟尼佛
を、龍樹
師、正傳擧揚しましますところなり。われらいま佛道の寶山にのぼり、佛道の寶海にいりて、さいはひにたからをとれる、もともよろこぶべし。曠劫の供佛のちからなるべし。必得作佛うたがふべからず、決定せるものなり。
釋
牟尼佛の所
、かくのごとし。
復次、有小因大果、小
大報。如求佛道、讃一偈、一稱南無佛、燒一捻香、必得作佛。何況聞知
法實相、不生不滅、不不生不不滅、而行因
業、亦不失(復た次に、小因大果、小
大報といふこと有り。佛道を求むるが如き、一偈を讃め、一たび南無佛を稱じ、一捻香を燒く、必ず作佛することを得ん。何に況んや
法實相、不生不滅、不不生不不滅を聞知して、而も因
の業を行ぜん、また失せじ)。
世尊の所
、かくのごとくあきらかなるを、龍樹
師したしく正傳しましますなり。誠諦の金言、正傳の相承あり。たとひ龍樹
師の所
なりとも、餘師の
に比すべからず。世尊の所示を正傳流布しましますにあふことをえたり、もともよろこぶべし。これらの聖
を、みだりに東土の凡師の
に比量することなかれ。
龍樹
師曰、復次
佛、恭敬法故、供養於法、以法爲師。何以故。三世
佛皆以
法實相爲師(復た次に
佛は、法を恭敬したまふが故に、法を供養し、法を以て師と爲す。何を以ての故に。三世の
佛は皆な
法實相を以て師と爲したまへばなり)。
問曰、何以不自供養身中法、而供養他法(何を以てか自ら身中の法を供養せずして、而も他法を供養したまふや)。
答曰、隨世間法。如比丘欲供養法寶、不自供養身中法、而供養餘持法、知法、解法者。佛亦如是、雖身中有法、而供養餘佛法(世間の法に隨へばなり。如し比丘、法寶を供養せんと欲はば、自ら身中の法を供養せずして、而も餘の持法、知法、解法の者を供養すべし。佛も亦た是の如し、身中に法有りと雖も、而も餘佛の法を供養したまふなり)。
問曰、如佛不求
、何以故供養(佛の如きは、
を求めず、何を以ての故に供養したまふや)。
答曰、佛從無量阿
祇劫中、修
功
、常行
善。不但求報敬功
故、而作供養(佛は無量阿
祇劫の中より、
の功
を修し、常に
の善を行じたまへり。但だ報を求めずして功
を敬ふが故に、而も供養を作したまふなり)。
如佛在時、有一盲比丘。眼無所見、而以手縫衣、時針衽
。便言、誰愛
、爲我衽針(佛在しし時の如き、一りの盲比丘有りき。眼に見る所無くして、而も手を以て衣を縫ふに、時に針衽
せり。便ち言く、誰か
を愛して、我が爲に衽針せん)。
是時佛、到其所語比丘、我是愛
人、爲汝衽來(是の時に佛、其の所に到りて、比丘に語りたまはく、我れは是れ
を愛する人なり、汝が爲に衽し來らん)。
是比丘、識佛聲、疾起著衣、禮佛足、白佛言、佛功
已滿、云何言愛
(是の比丘、佛の聲を識りて、疾く起ちて衣を著け、佛の足を禮し、佛に白して言さく、佛は功
已に滿じたまへり、云何が
を愛すと言ふや)。
佛報言、我雖功
已滿、我深知功
因、功
果報、功
力。今我於一切衆生中得最第一、由此功
、是故我愛(佛報げて言はく、我れ功
已に滿ぜりと雖も、我れは深く功
の因、功
の果報、功
の力を知る。今我れ一切衆生の中に於て最第一を得たるは此の功
に由る、是の故に我れは愛するなり)。
佛爲此比丘讃功
已、次爲隨意
法、是比丘、得法眼淨、肉眼更明(佛、此の比丘の爲に功
を讃め已りて、次いで爲に意に隨つて
法したまひしに、是の比丘、法眼淨を得て、肉眼更に明らかなりき)。
この因
、むかしは先師の室にして夜話をきく、のちには智度論の文にむかうてこれを檢校す。傳法
師の示誨、あきらかにして遺落せず。この文、智度論第十にあり。
佛かならず
法實相を大師としましますこと、あきらけし。釋尊また
佛の常法を證しまします。
いはゆる
法實相を大師とするといふは、佛法
三寶を供養恭敬したてまつるなり。
佛は無量阿
祇劫そこばくの功
善根を積集して、さらにその報をもとめず。ただ功
を恭敬して供養しましますなり。佛果菩提のくらゐにいたりてなほ小功
を愛し、盲比丘のために衽針しまします。佛果の功
をあきらめんとおもはば、いまの因
、まさしく消息なり。
しかあればすなはち、佛果菩提の功
、
法實相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。いまの凡夫のおもふところは、造惡の
法實相ならんとおもふ、有所得のみ佛果菩提ならんとおもふ。かくのごとくの邪見は、たとひ八萬劫をしるといふとも、いまだ本劫、本見、末劫、末見をのがれず。いかでか唯佛與佛の究盡しましますところの
法實相を究盡することあらん。ゆゑいかんとなれば、唯佛與佛の究盡しましますところ、これ
法實相なるがゆゑなり。
おほよそ供養に十種あり。いはゆる、
一者身供養。 二者支提供養。
三者現前供養。 四者不現前供養。
五者自作供養。 六者他作供養。
七者財物供養。 八者勝供養。
九者無染供養。 十者至處道供養。
このなかの第一身供養とは、於佛色身、而設供養、名身供養(佛の色身に於て供養を設くるを、身供養と名づく)。
第二供佛靈廟、名支提供養。
祇律云、有舍利者名爲塔婆、無舍利者
爲支提。或云、通名支提。又梵云塔婆、復稱偸婆、此
方墳、亦言靈廟。阿含言支徴[知荷反](第二に佛の靈廟に供ずるを、支提供養と名づく。
祇律云く、舍利有るをば名づけて塔婆と爲す、舍利無きをば
いて支提と爲すと。或いは云く、通じて支提と名づくと。又梵に塔婆と云ひ、復た偸婆と稱ず、此に方墳と
ず、亦た靈廟と言ふ。阿含に支徴[知荷の反]と言ふ)。
あるいは塔婆と稱じ、あるいは支提と稱ずる、おなじきににたれども、南嶽思大禪師の法華懺法言、
一心敬禮、十方世界、舍利尊像、支提妙塔、多寶如來、全身寶塔。
あきらかに支提と妙塔とは、舍利と尊像、別なるがごとし。
祇律第三十三云、塔法者、佛住拘薩羅國遊行時、有婆羅門畊地。見世尊行過、持牛杖
地禮佛。世尊見已、便發微笑(
祇律第三十三に云く、塔法とは、佛、拘薩羅國に住して遊行したまひし時、婆羅門有りて地を畊せり。世尊の行き過ぎたまふを見て、牛杖を持ちて地に
きて佛を禮せり。世尊見已りて便ち微笑を發したまへり)。
比丘白佛、何因
故笑、唯願欲聞(
の比丘、佛に白さく、何の因
の故にか笑ひたまふ、唯願はくは聞かんことを欲ふ)。
便告
比丘、是婆羅門、今禮二世尊(便ち
の比丘に告げたまはく、是の婆羅門、今二世尊を禮せり)。
比丘白佛言、何等二佛(
の比丘、佛に白して言さく、何等か二佛なる)。
佛告比丘、禮我當其杖下、有
葉佛塔(佛、比丘に告げたまはく、我れを禮せし其の杖の下に當りて、
葉佛塔有り)。
比丘白佛、願見
葉佛塔(
の比丘、佛に白さく、願はくは
葉佛塔を見んことを)。
佛告比丘、汝從此婆羅門、索土塊并是地(佛、比丘に告げたまはく、汝、此の婆羅門從り、土塊并びに是の地を索むべし)。
比丘、
便索之。時婆羅門便與之得已(
の比丘、
便ち之を索む。時に婆羅門便ち之を與ふるに得已りぬ)。
爾時世尊、
現出
葉佛七寶塔、高一由延、面廣半由延(爾の時に世尊、
ち
葉佛の七寶塔の、高さ一由延、面の廣さ半由延なるを現出したまへり)。
婆羅門見已、
便白佛言、世尊、我姓
葉、是我
葉塔(婆羅門、見已りて、
便ち佛に白して言さく、世尊、我が姓は
葉なり、是れ我が
葉塔なり)。
爾時世尊、
於彼家、作
葉佛塔、
比丘白佛言、世尊、我得授泥土不(爾の時に世尊、
ち彼の家に於て、
葉佛塔を作りたまふに、
の比丘、佛に白して言さく、世尊、我れ泥土を授くることを得んや不や)。
佛言、得授(授くることを得)。
時
偈言(
ち時に偈を
いて言はく)、
眞金百千擔(眞金百千擔)、
持用行布施(持用つて布施を行ぜんよりは)、
不如一團
(如かじ、一團
をもて)、
敬心持佛塔(敬心もて佛塔を持せんには)。
爾時世尊、自起
葉佛塔、下基四方周匝欄楯、圓起二重、方牙四出、上施盤蓋、長表輪相(爾の時に世尊、自ら
葉佛塔を起てたまふに、下基は四方に欄楯を周匝し、圓起すること二重にして、方牙四出し、上に盤蓋を施し、長く輪相を表はしつ)。
佛言、作塔法應如是(作塔の法は、應に是の如くなるべし)。
塔成已、世尊敬過去佛故、便自作禮(塔成り已りて、世尊、過去佛を敬ひたまふが故に、便ち自ら禮を作したまひき)。
比丘白佛言、世尊、我得作禮不(
の比丘、佛に白して言さく、世尊、我れ禮を作すこと得てんや不や)。
佛言、得(得べし)。

偈言(
ち偈を
いて言はく)、
人等百千金(人等百千の金)、
持用行布施(持用つて布施を行ぜんよりは)、
不如一善心(如かじ、一善心もて)、
恭敬禮佛塔(恭敬して佛塔を禮せんには)。
爾時世人、聞世尊作塔、持香華來奉世尊。世尊恭敬過去佛故、
受華香持供養塔(爾の時に世人、世尊の塔を作りたまふを聞きて、香華をもち來りて世尊に奉りき。世尊、過去佛を恭敬したまふが故に、
ち華香を受けて持つて塔に供養したまひき)。
比丘白佛言、我等得供養不(
の比丘、佛に白して言さく、我等、供養することを得てんや不や)。
佛言、得(得べし)。

偈言(
ち偈を
いて言はく)、
百千車眞金(百千車の眞金)、
持用行布施(持用つて布施を行ぜんよりは)、
不如一善心(如かじ、一善心もて)、
恭敬禮佛塔(華香もて塔に供養せんには)。
爾時大衆雲集、佛告舍利弗、汝爲
人
法(爾の時に大衆雲集するに、佛、舍利弗に告げたまはく、汝、
人の爲に法を
くべし)。
佛
偈言(佛、
ち偈を
いて言はく)、
百千閻浮提(百千の閻浮提)、
滿中眞金施(中に滿てる眞金の施も)、
不如一法施(如かじ、一の法施もて)、
隨順令修行(隨順して修行せしめんには)。
爾時坐中有得道者。佛
偈言(爾の時に坐中に得道の者有りき。佛、
ち偈を
いて言はく)、
百千世界中(百千世界の中)、
滿中眞金施(中に滿てる眞金の施も)、
不如一法施(如かじ、一の法施もて)、
隨順見眞諦(隨順して眞諦を見んには)。
爾時婆羅門、不壞信、
於塔前、
佛及
(爾の時に婆羅門、不壞の信もて、
ち塔の前に於て、佛及び
に
せり)。
時波斯匿王、聞世尊造
葉佛塔、
敕載七百車
、來詣佛所、頭面禮足、白佛言、世尊、我欲廣作此塔、爲得不(時に波斯匿王、世尊の
葉佛塔を造りたまふを聞きて、
ち敕て七百車の
を載せて、佛の所に來詣りて、頭面に足を禮して、佛に白して言さく、世尊、我れ廣く此の塔を作らんと欲ふに、爲得てんや不や)。
佛言、得(得べし)。
佛告大王、過去世時、
葉佛般泥
時、有王名吉利。欲作七寶塔。時有臣白王、未來世當有非法人出。當破此塔得重罪。唯願大王當以
作、金銀覆上。若取金銀者、塔故在得全(佛、大王に告げたまはく、過去世の時、
葉佛般泥
したまひし時、王有り吉利と名づく。七寶の塔を作らんと欲ひき。時に臣有り、王に白さく、未來世に當に非法の人有りて出づべし。當に此の塔を破して重罪を得べし。唯願はくは大王、當に
を以て作り、金銀もて上を覆ふべし。若し金銀を取る者あらんも、塔は故のごとくに在りて全きことを得ん)。
王
如臣言、以
作金薄覆上。高一由延、面廣半由延。銅作欄楯、經七年七月七日乃成。作成已香華供養及比丘
(王、
ち臣の言の如く、
を以て作り、金薄もて上を覆ひき。高さ一由延、面の廣さ半由延なり。銅もて欄楯を作り、七年七月七日を經て乃ち成る。作成し已りて香華もて供養すること、比丘
に及べり)。
波斯匿王白佛言、彼王
多有珍寶。我今當作、不及彼王(波斯匿王、佛に白して言さく、彼の王、
にして多く珍寶有り。我れ今當に作るべきも、彼の王に及ばじ)。
便作經七月七日乃成。成已、供養佛比丘
(
便ち作ること七月七日を經て乃ち成る。成り已りて佛と比丘
とに供養しき)。
作塔法者、下基四方、周匝欄楯、圓起二重、方牙四出。上施盤蓋、長表輪相。若言世尊已除貪欲、瞋恚、愚癡、用是塔爲得越毘尼罪、業報重故。是名塔法(作塔の法は、下基は四方に欄楯を周匝し、圓起すること二重にして、方牙四出す。上に盤蓋を施し、長く輪相を表す。若し、世尊は已に貪欲、瞋恚、愚癡を除きたまひたれば、是の塔を用ゐたまふに爲んと言はば、越毘尼罪を得べし、業報重きが故に。是れを塔法と名づく)。
塔事者、起
伽藍時、先預度好地作塔處。塔不得在南、不得在西、應在東、應在北。不得
地侵佛地、佛地不得侵
地。若塔近死尸林、若狗食殘、持來汚地、應作垣牆。應在西若南作
坊。不得使
地水流入佛地、佛地水得流入
地。塔應在高顯處作。不得在塔垣中、浣染
衣、著革履、覆頭覆肩、涕唾地。若作是言、世尊、貪欲、瞋恚、愚癡已除、用是塔爲、得越毘尼罪業、業報重。是名塔事(塔事とは、
伽藍を起つる時、先づ預て好地を度りて塔處と作すべし。塔は南に在ること得ざれ、西に在ること得ざれ、應に東に在るべし、應に北に在るべし。
地は佛地を侵すこと得ざれ、佛地は
地を侵すこと得ざれ。若しは塔、死尸林に近く、若しは狗の食ひ殘して持ち來つて地を汚さば、應に垣牆を作るべし。應に西若しは南に在つて
坊を作るべし。
地の水を佛地に流入せしむること得ざれ、佛地の水は
地に流入せしむることを得。塔は應に高顯の處に在つて作るべし。塔垣の中に在つて浣染
衣し、革履を著け、頭を覆ひ肩を覆ひ、地に涕唾すること得ざれ。若し是の言を作して、世尊は貪欲、瞋恚、愚癡已に除こほれるに、是の塔を用ゐたまひて爲んといはば、越毘尼罪業を得て、業報重かるべし。是れを塔事と名づく)。
塔龕者、爾時波斯匿王、往詣佛所、頭面禮足、白佛言、世尊、我等爲
葉佛作塔。得作龕不(塔龕とは、爾の時に波斯匿王、佛の所に往詣りて、頭面に足を禮し、佛に白して言さく、世尊、我等
葉佛の爲に塔を作れり。龕を作ること得べしや不や)。
佛言、得。過去世時、
葉佛、般泥
後、吉利王爲佛起塔。面四面作龕、上作師子像、種種綵畫。前作欄楯安置華處、龕内懸幡蓋。若人言世尊貪欲、瞋恚、愚癡已除、但自莊嚴而受樂者、得越毘尼罪、業報重。是名塔龕法(佛言はく、得べし。過去世の時、
葉佛般泥
したまひし後、吉利王、佛の爲に塔を起てき。面、四面に龕を作り、上に師子像、種種の綵畫を作る。前に欄楯を作りて華處を安置し、龕の内には幡蓋を懸けたり。若し人、世尊は貪欲、瞋恚、愚癡已に除きたまひたれば、但だ自ら莊嚴して樂を受けたまはんやと言はば、越毘尼罪を得て、業報重かるべし。是れを塔龕法と名づく)。
あきらかにしりぬ、佛果菩提のうへに、古佛のために塔をたて、これを禮拜供養したてまつる、これ
佛の常法なり。かくのごとくの事おほけれど、しばらくこれを擧揚す。
佛法は有部すぐれたり、そのなか、
祇律もとも根本なり。
祇律は、法顯はじめて荊棘をひらきて西天にいたり、靈山にのぼれりしついでに將來するところなり。
正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり。
第三現前供養。面對佛身及與支提、而設供養(第三に現前供養。面り佛身と及び支提とに對ひて、供養を設く)。
第四不現前供養。於不現前佛及支提、廣設供養。謂現前共不現前、供養佛及支提塔廟、并供不現前佛及支提塔廟(第四に不現前供養。不現前の佛及び支提に於て、廣く供養を設く。謂ゆる現前と不現前と共に、佛及び支提、塔廟に供養す、并びに不現前の佛及び支提、塔廟に供ず)。
現前供養得大功
、不現前供養、得大大功
、境
廣故。現前不現前供養者、得最大大功
(現前供養は大功
を得、不現前供養は大大功
を得。境、
廣なるが故に。現前、不現前の供養者は、最大大功
を得)。
第五自作供養。自身供養佛及支提(第五に自作供養。自身に佛及び支提に供養す)。
第六他作供養佛及支提。有少財物、不依懈怠、
他施作也(第六に他作供養佛及支提。少しき財物有らば、懈怠に依らずして、他をして施作せしむるなり)。
謂自他供養、彼此同爲。自作供養得大功
、
他供養得大大功
、自他供養得最大大功
(謂ゆる自他供養は彼此同爲なり。自作供養は大功
を得、
他供養は大大功
を得、自他供養は最大大功
を得)。
第七財物供養佛及支提、塔廟、舍利。謂財有三種。一資具供養。謂、衣食等。二敬具供養。謂香花等。三嚴具供養。謂餘一切寶莊嚴等(第七に財物供養佛及支提、塔廟、舍利。謂ゆる財に三種有り。一には資具供養。謂く衣食等なり。二には敬具供養。謂く香花等なり。三には嚴具供養。謂く餘の一切の寶莊嚴等なり)。
第八勝供養。勝有三。一專設種種供養。二純淨信心、信佛
重、理合供養。三囘向心。求佛心中而設供養(第八に勝供養。勝に三有り。一には專ら種種の供養を設く。二には純淨の信心もて、佛
の重きを信ずれば、理、供養に合ふ。三には囘向心。求佛心中にして而も供養を設く)。
第九無染供養。無染有二。一心無染、離一切過。二財物無染、離非法過(第九に無染供養。無染に二有り。一には心無染、一切の過を離る。二には財物無染、非法の過を離る)。
第十至處道供養。謂供養順果、名至處道供養。佛果是其所至之處、供養之行、能至彼處、名至處道。至處道供養、或名法供養。或名行供養。就中有三。一者財物供養爲至處道供養。二隨喜供養、爲至處道供養。三修行供養、爲至處道供養(第十に至處道供養。謂ゆる供養、果に順ふを至處道供養と名づく。佛果は是れ其の所至の處、供養の行、能く彼處に至るを、至處道と名づく。至處道供養、或いは法供養と名づけ、或いは行供養と名づく。中に就きて三有り、一には財物供養を至處道供養と爲。二には隨喜供養を至處道供養と爲。三には修行供養を至處道供養と爲)。
供養於佛、
有此十供養。於法於
、類亦同然(佛に供養すること、
に此の十供養有り。法に於ても
に於ても、類するに亦た同然なり)。
謂供養法者、供養佛所
理
行法、并供養經卷。供養
者、謂供養一切三乘聖衆及其支提、并其形像、塔廟及凡夫
(謂ゆる供養法とは、佛所
の理
行法に供養し、并びに經卷に供養す。供養
とは、謂ゆる一切三乘の聖衆及び其の支提、并びに其の形像、塔廟及び凡夫
に供養す)。
次供養心有六種(次に供養の心に六種有り)。
一、
田無上心。生
田中最勝(
田中の最勝を生ず)。
二、恩
無上心。一切善樂、依三寶出生(一切の善樂は、三寶に依つて出生す)。
三、生一切衆生最勝心。
四、如優曇鉢華難遇心。
五、三千大千世界殊獨一心。
六、一切世間出世間、具足依義心。謂如來具足世間出世間法、能與衆生爲依止處、名具足依義(謂ゆる如來は、世間、出世間の法を具足したまひて、能く衆生の與に依止處と爲りたまふを、具足依義と名づく)。
以此六心、雖是少物、供養三寶、能獲無量無邊功
。何況其多(此の六心を以て、是れ少物なりと雖も、三寶に供養ずれば、能く無量無邊の功
を獲しむ。何に況んや其の多からんをや)。
かくのごとくの供養、かならず誠心に修設すべし。
佛かならず修しきたりましますところなり。その因
、あまねく經律にあきらかなれども、なほ佛
まのあたり正傳しきたりまします。執事服勞の日月、すなはち供養の時節なり。形像舍利を安置し、供養禮拜し、塔廟をたて、支提をたつる儀則、ひとり佛
の屋裏に正傳せり、佛
の兒孫にあらざれば正傳せず。またもし如法に正傳せざれば法儀相違す、法儀相違するがごときは供養まことならず、供養まことならざれば功
おろそかなり。かならず如法供養の法、ならひ正傳すべし。令韜禪師は曹溪の塔頭に陪侍して年月をおくり、盧行者は晝夜にやすまず碓米供衆する、みな供養の如法なり。これその少分なり、しげくあぐるにいとまあらず。かくのごとく供養すべきなり。
正法眼藏供養
佛第五
弘安第二己卯六月廿三日在永平寺衆寮書寫之