第六十八 大修行

洪州百丈山大智禪師[嗣馬、諱懷海]、凡參次、有一老人、常隨衆聽法。大衆若退、老人亦退。忽一日不退(洪州百丈山大智禪師[馬に嗣す、諱は懷海]、凡そ參次に一りの老人有つて、常に衆に隨つて聽法す。大衆若し退すれば老人もまた退す。忽ちに一日退せず)。
師遂問、面前立者、復是何人(師遂に問ふ、面前に立せる者、復た是れ何人ぞ)。
老人對云、某甲是非人也、於過去葉佛時、曾住此山。因學人問、大修行底人、還落因果也無。某甲答他云、不落因果。後五百生、墮野狐身。今和尚代一轉語、貴野狐身(老人對して云く、某甲は是れ非人也。過去葉佛の時に、曾て此の山に住せり。因みに學人問ふ、大修行底の人、還た因果に落つや無や。某甲他に答へて云く、因果に落ちず。後五百生まで、野狐の身に墮す。今すらくは和尚、一轉語を代すべし。貴すらくは野狐の身をれんことを)。
遂問云、大修行底人、還落因果也無(大修行底の人、還た因果に落つや無や)。
師云、不昧因果(因果に昧からず)。
老人於言下大悟。作禮云、某甲已野狐身、住在山後。敢告和尚、乞依亡事例(老人言下に大悟す。禮を作して云く、某甲已に野狐身をれぬ、山後に住在せらん。敢告すらくは和尚、乞ふ亡の事例に依らんことを)。
師令維那白槌告衆云、食後送亡(師、維那に令して白槌して衆に告して云く、食後に亡を送るべし)。
大衆言議、一衆皆安、涅槃堂又無病人、何故如是(大衆言議す、一衆皆安なり、涅槃堂に又病人無し、何が故ぞ是の如くなる)。
食後只見、師領衆至山後岩下、以杖指出一死野狐。乃依法火葬(食後に只見る、師、衆を領して山後の岩下に至り、杖を以て一つの死野狐を指出するを。乃ち法に依つて火葬す)。
師至晩上堂、擧前因(師、至晩に上堂して、前の因を擧す)。
黄檗便問、古人錯對一轉語、墮五百生野狐身。轉轉不錯、合作箇什麼(黄檗便ち問ふ、古人の一轉語を錯對する、五百生野狐の身に墮す。轉轉錯らざらん、箇の什麼にか作る合き)。
師云、近前來、與道(近前來、が與に道はん)。
檗遂近前、與師一掌(檗、遂に近前して、師に一掌を與ふ)。
師拍手笑云、將爲胡鬚赤、更有赤鬚胡(師、拍手して笑つて云く、將に胡の鬚の赤きかと爲へば、更に赤き鬚の胡有り)。
而今現成の公案、これ大修行なり。
老人道のごときは、過去葉佛のとき、洪州百丈山あり。現在釋牟尼佛のとき、洪州百丈山あり。これ現成の一轉語なり。かくのごとくなりといへども、過去葉佛時の百丈山と、現在釋牟尼佛の百丈山と、一にあらず異にあらず、前三三にあらず後三三にあらず。過去の百丈山にきたりて而今の百丈山となれるにあらず、いまの百丈山さきだちて葉佛時の百丈山にあらざれども、曾住此山の公案あり。爲學人道、それ今百丈の爲老人道のごとし。因學人問、それ今老人問のごとし。擧一不得擧二、放過一著、落在第二なり。
過去學人問、過去百丈山の大修行底人、還落因果也無。
この問、まことに卒爾に容易會すべからず。そのゆゑは、後漢永平のなかに佛法東漸よりのち、梁代普通のなか、師西來ののち、はじめて老野狐の道より過去の學人問をきく。これよりさきはいまだあらざるところなり。しかあれば、まれにきくといふべし。
大修行を摸得するに、これ大因果なり。この因果かならず圓因滿果なるがゆゑに、いまだかつて落不落の論あらず、昧不昧の道あらず。不落因果もしあやまりならば、不昧因果もあやまりなるべし。將錯就錯すといへども、墮野狐身あり、野狐身あり。不落因果たとひ葉佛時にはあやまりなりとも、釋佛時はあやまりにあらざる道理もあり。不昧因果たとひ現在釋佛のときは野狐身すとも、葉佛時しかあらざる道理も現成すべきなり。
老人道の後五百生墮野狐身は、作麼生是墮野狐身(作麼生ならんか是れ野狐に墮したる身)。さきより野狐ありて先百丈をまねきおとさしむるにあらず。先百丈もとより野狐なるべからず。先百丈の魂いでて野狐皮袋に撞入すといふは外道なり。野狐きたりて先百丈を呑却すべからず。もし先百丈さらに野狐となるといはば、まづ先百丈身あるべし、のちに墮野狐身すべきなり。以百丈山換野狐身なるべからず。因果のいかでかしかあらん。因果の本有にあらず、始起にあらず、因果のいたづらなるありて人をまつことなし。たとひ不落因果の祗對たとひあやまれりとも、かならず野狐身に墮すべからず。學人の問著を錯對する業因によりて野狐身に墮すること必然ならば、近來ある臨濟、山、およびかの門人等、いく千萬枚の野狐にか墮在せん。そのほか二三百年來の杜撰長老等、そこばくの野狐ならん。しかあれども、墮野狐せりときこえず。おほからば見聞にもあまるべきなり。あやまらずもあるらんといふつべしといへども、不落因果よりもはなはだしき胡亂答話のみおほし。佛法の邊におくべからざるもおほきなり。參學眼ありてしるべきなり、未具眼はわきまふべからず。
しかあればしりぬ、あしく祗對するによりて野狐身となり、よく祗對するによりて野狐身とならずといふべからず。この因のなかに、野狐身ののち、いかなりといはず。さだめて破袋につつめる眞珠あるべきなり。
しかあるに、すべていまだ佛法を見聞せざるともがらいはく、野狐をしをはりぬれば、本覺の性海に歸するなり。迷妄によりてしばらく野狐に墮生すといへども、大悟すれば、野狐身はすでに本性に歸するなり。
これは外道の本我にかへるといふ義なり、さらに佛法にあらず。もし野狐は本性にあらず、野狐に本覺なしといふは佛法にあらず。大悟すれば野狐身ははなれぬ、すてつるといはば、野狐の大悟にあらず、閑野狐あるべし。しかいふべからざるなり。
今百丈の一轉語によりて、先百丈五百生の野狐たちまちに野狐すといふ、この道理あきらむべし。もし傍觀の一轉語すれば傍觀野狐身すといはば、從來のあひだ、山河大地いく一轉語となく、おほくの一轉語しきりなるべし。しかあれども、從來いまだ野狐身せず。いまの百丈の一轉語に野狐身す。これ疑殺古先なり。山河大地いまだ一轉語せずといはば、今百丈つひに開口のところなからん。

また往往の古、おほく不落不昧の道おなじく道是なるといふを競頭道とせり。しかあれども、いまだ不落不昧の語脈に體達せず。かるがゆゑに、墮野狐身の皮肉骨髓を參ぜず、野狐身の皮肉骨髓を參ぜず。頭正あらざれば尾正いまだし。老人道の後五百生墮野狐身、なにかこれ能墮、なにかこれ所墮なる。正當墮野狐身のとき、從來の盡界、いまいかなる形段かある。不落因果の語脈、なにとしてか五百枚なる。いま山後岩下の一條皮、那裏得來なりとかせん。不落因果の道は墮野狐身なり、不昧因果の聞は野狐身なり。墮ありといへども、なほこれ野狐の因果なり。
しかあるに、古來いはく、不落因果は撥無因果に相似の道なるがゆゑに遂墮すといふ。この道、その宗旨なし、くらき人のいふところなり。たとひ先百丈ちなみありて不落因果と道取すとも、大修行の瞞他不得なるあり、撥無因果なるべからず。
またいはく、不昧因果は、因果にくらからずといふは、大修行は超の因果なるがゆゑに野狐身すといふ。まことにこれ八九成の參學眼なり。しかありといへども、葉佛時、曾住此山。釋佛時、今住此山。曾身今身、日面月面。遮野狐、現野狐するなり。
野狐いかにしてか五百生の生をしらん。もし野狐の知をもちゐて五百生をしるといはば、野狐の知、いまだ一生の事を盡知せず、一生いまだ野狐皮に撞入するにあらず。野狐はかならず五百生の墮を知取する公案現成するなり。一生の生を盡知せず、しることあり、しらざることあり。もし身知ともに生滅せずは、五百生を算數すべからず。算數することあたはずは、五百生の言、それなるべし。もし野狐の知にあらざる知をもちゐてしるといはば、野狐のしるにあらず。たれ人か野狐のためにこれを代知せん。知不知の通路すべてなくは、墮野狐身といふべからず。墮野狐身せずは野狐身あるべからず、墮ともになくは先百丈あるべからず、先百丈なくは今百丈あるべからず。みだりにゆるすべからず。かくのごとく參詳すべきなり。この宗旨を擧拈して、梁陳隋唐宋のあひだに、ままにきこゆる謬、ともに勘破すべきなり。

老非人また今百丈に告していはく、乞依亡事例。
この道しかあるべからず。百丈よりこのかた、そこばくの善知識、この道を疑著せず、おどろかず。その宗趣は、死野狐いかにしてか亡ならん。得戒なし、夏臘なし、威儀なし、宗なし。かくのごとくなる物類、みだりに亡の事例に依行せば、未出家の何人死、ともに亡の例に準ずべきならん。死優婆塞、死優婆夷、もしずることあらば、死野狐のごとく亡の事例に依準すべし。依例をもとむるに、あらず、きかず。佛道にその事例を正傳せず、おこなはんとおもふとも、かなふべからず。いま百丈の依法火葬すといふ、これあきらかならず。おそらくはあやまりなり。しるべし、亡の事例は、入涅槃堂の功夫より、到菩提園の辨道におよぶまで、みな事例ありてみだりならず。岩下の死野狐、たとひ先百丈の自稱すとも、いかでか大の行李あらん、佛の骨髓あらん。たれか先百丈なることを證據する。いたづらに野狐の變怪をまことなりとして、佛の法儀を輕慢すべからず。
の兒孫としては、佛の法儀をおもくすべきなり。百丈のごとく、ずるにまかすることなかれ。一事一法もあひがたきなり。世俗にひかれ、人にひかれざるべし。この日本國のごとくは、佛儀儀あひがたく、ききがたかりしなり。而今まれにもきくことあり、みることあらば、ふかく髻珠よりもおもく崇重すべきなり。無のともがら、尊崇の信心あつからず、あはれむべし。それ事の輕重を、かつていまだしらざるによりてなり。五百歳の智なし、一千年の智なきによりてなり。
しかありといふとも、自己をはげますべし、他己をすすむべし。一禮拜なりとも、一端坐なりとも、佛より正傳することあらば、ふかくあひがたきにあふ大慶快をなすべし、大を懽喜すべし。このこころなからんともがら、千佛の出世にあふとも、一功あるべからず、一得あるべからず。いたづらに附佛法の外道なるべし。くちに佛法をまなぶに相似なりとも、くちに佛法をとくに證實あるべからず。
しかあればすなはち、たとひ國王大臣なりとも、たとひ梵天釋天なりとも、未作のともがら、きたりて亡の事例をぜんに、さらに聽許することなかれ。出家受戒し、大となりてきたるべしと答すべし。三界の業報を愛惜して、三寶の尊位を願求せざらんともがら、たとひ千枚の死皮袋を拈來して亡の事例をけがしやぶるとも、さらにこれ、をかしのはなはだしきなり、功となるべからず。もし佛法の功を結良せんとおもはば、すみやかに佛法によりて出家受戒し、大となるべし。

今百丈、至晩上堂、擧前因
この擧底の道理、もとも未審なり。作麼生擧ならん。老人すでに五百生來のをはり、從來身といふがごとし。いまいふ五百生、そのかず人間のごとく算取すべきか、野狐道のごとく算取すべきか。佛道のごとく算數するか。いはんや老野狐の眼睛、いかでか百丈を見することあらん。野狐に見せらるるは野狐なるべし。百丈に見せらるるは佛なり。このゆゑに、
枯木禪師法成和尚、頌曰、
百丈親曾見野狐、
爲渠參太心麁。
而今敢問參學、
吐得狐涎盡也無。
(百丈親曾に野狐を見る、渠に參せられて太だ心麁なり。而今敢へての參學に問ふ、狐涎を吐得し盡くすや無や。)
しかあれば、野狐は百丈親曾眼睛なり。吐得狐涎たとひ半分なりとも、出廣長舌、代一轉語なり。正當恁麼時、野狐身、百丈身、老非人身、盡界身なり。

黄檗便問、古人錯對一轉語、墮五百生野狐身。轉轉不錯、合作箇什麼(古人錯對の一轉語、五百生野狐身に墮す。轉轉不錯ならば、箇の什麼にか作るべき)。
いまこの問、これ佛道現成なり。南嶽下の尊宿のなかに黄檗のごとくなるは、さきにもいまだあらず、のちにもなし。しかあれども老人いまだいはず、錯對學人と。百丈もいまだいはず、錯對せりけると。なにとしてかいま黄檗みだりにいふ、古人錯對一轉語と。もし錯によれりといふならんといはば、黄檗いまだ百丈の大意をえたるにあらず。佛道の錯對不錯對は黄檗いまだ參究せざるがごとし。この一段の因に、先百丈も錯對といはず、今百丈も錯對といはずと參學すべきなり。
しかありといへども、野狐皮五百枚、あつさ三寸なるをもて、曾住此山し、爲學人道するなり。野狐皮に落の尖毛あるによりて、今百丈一枚の臭皮袋あり。度量するに、半野狐皮の來なり。轉轉不錯の墮あり、轉轉代語の因果あり、歴然の大修行なり。
いま黄檗きたりて、轉轉不錯、合作箇什麼と問著せんに、いふべし、也墮作野狐身(也墮して野狐身と作る)と。黄檗もしなにとしてか恁麼なるといはば、さらにいふべし、這野狐。かくのごとくなりとも、錯不錯にあらず。黄檗の問を、問得是なりとゆるすことなかれ。
また黄檗、合作箇什麼と問著せんとき、摸索得面皮也未(摸索して面皮を得たりや未だしや)といふべし。また野狐身也未(野狐身をせりや未だしや)といふべし。また答他學人、不落因果也未(、他の學人に不落因果と答へしや未だしや)といふべし。
しかあれども、百丈道の近前來、與道、すでに合作箇這箇(合に箇の這箇を作すべし)の道處あり。
黄檗近前す、亡前失後なり。
與百丈一掌する、そこばくの野狐變なり。
百丈、拍手笑云、將爲胡鬚赤、更有赤鬚胡。
この道取、いまだ十成の志氣にあらず、わづかに八九成なり。たとひ八九成をゆるすとも、いまだ八九成あらず。十成をゆるすとも、八九成なきものなり。しかあれどもいふべし、
百丈道處通方、雖然未出野狐窟。黄檗脚跟點地、雖然猶滯螂徑。與掌拍手、一有二無。赤鬚胡、胡鬚赤(百丈の道處通方せり、然りと雖も未だ野狐の窟を出でず。黄檗の脚跟點地せり、然りと雖もなほ螂の徑に滯れり。與掌と拍手と、一は有二は無。赤鬚胡、胡鬚赤)。

正法眼藏第六十八

爾時元二年甲辰三月九日在越宇吉峰古舍示衆
同三月十三日在同舍侍者寮書寫之 懷弉