第五十七 遍參

の大道は、究竟參徹なり。足下無絲去なり。足下雲生なり。しかもかくのごとくなりといへども、花開世界起なり、吾常於此切なり。このゆゑに甜瓜徹蔕甜なり、苦瓠連根苦なり。甜甜徹蔕甜なり。かくのごとく參學しきたれり。
玄沙山宗一大師、因雪峰召師曰、備頭陀、何不遍參去(備頭陀、何ぞ遍參し去らざる)。
師云、達磨不來東土、二不往西天。
雪峰深然之。
いはゆる遍參底の道理は、巾斗參なり。聖諦の亦不爲なり、何階級之有なり。

南嶽大慧禪師、はじめて曹谿古佛に參ずるに、古佛いはく、是甚麼物恁麼來。
この泥彈子を遍參すること、始終八年なり。
末上に遍參する一著子を古佛に白してまをさく、懷讓會得當初來時、和尚接懷讓、是甚麼物恁麼來(懷讓當初來りし時、和尚懷讓を接せし、是甚麼物恁麼來を會し得たり)。
ちなみに曹谿古佛道、作麼生會。
ときに大慧まうさく、似一物不中。
これ遍參現成なり、八年現成なり。
曹谿古佛とふ、還假修證否(還た修證を假るや否や)。
大慧まうさく、修證不無、染汚不得(修證は無きにあらず、染汚することはち得じ)。
すなはち曹谿いはく、吾亦如是、汝亦如是、乃至西天亦如是。
これよりさらに八載遍參す。頭正尾正かぞふるに十五白の遍參なり。恁麼來は遍參なり。似一物不中にを開殿參見する、すなはち亦如是遍參なり。入畫看よりこのかた、六十五百千萬億の轉身遍參す。等閑の入一叢林、出一叢林を遍參とするにあらず。全眼睛の參見を遍參とす。打得徹を遍參とす。面皮厚多少を見徹する、すなはち遍參なり。
雪峰道の遍參の宗旨、もとより出嶺をすすむるにあらず、北往南來をすすむるにあらず。玄沙道の達磨不來東土、二不往西天の遍參を助發するなり。
玄沙道の達磨不來東土は、來而不來の亂道にあらず、大地無寸土の道理なり。いはゆる達磨は、命脈一尖なり。たとひ東土の全土たちまちに極涌して參侍すとも、轉身にあらず。さらに語脈の身にあらず。不來東土なるゆゑに東土に見面するなり。東土たとひ佛面面相見すとも、來東土にあらず。拈得佛、失却鼻孔なり。
おほよそ土は東西にあらず、東西は土にかかはれず。二不往西天は、西天を遍參するには、不往西天なり。二もし西天にゆかば、一臂落了也。しばらく、二なにとしてか西天にゆかざる。いはゆる碧眼の眼睛裏に跳入するゆゑに不往西天なり。もし碧眼裏に跳入せずは、必定して西天にゆくべし。抉出達磨眼睛を遍參とす。西天にゆき東土にきたる、遍參にあらず。天台南嶽にいたり、五臺上天にゆくをもて遍參とするにあらず。四海五湖もし透せざらんは遍參にあらず。四海五湖に往來するは四海五湖をして遍參せしめず、路頭を滑ならしむ、脚下を滑ならしむ。ゆゑに遍參を打失せしむ。
おほよそ盡十方界、是箇眞實人體の參徹を遍參とするゆゑに、達磨不來東土、二不往西天の參究あるなり。遍參は石頭大底大、石頭小底小なり。石頭を動著せしめず、大參小參ならしむるなり。百千萬箇を百千萬頭に參見するは、いまだ遍參にあらず。半語脈裏に百千萬轉身なるを遍參とす。たとへば、打地唯打地は遍參なり。一番打地、一番打空、一番打四方八面來は遍參にあらず。倶胝參天龍、得一指頭は遍參なり。倶胝唯豎一指は遍參なり。

玄沙示衆云、與我釋老子同參(我れと釋老子と同參なり)。
時有出問(時に有り出でて問ふ)、未審、參見甚麼人(未審、甚麼人にか參見する)。
師云、釣魚船上謝三郎(釣魚船上の謝三郎)。
老子參底の頭正尾正、おのづから釋老子と同參なり。玄沙老漢參底の頭正尾正、おのづから玄沙老漢と同參なるゆゑに、釋老子と玄沙老漢と同參なり。釋老子と玄沙老漢と、參足參不足を究竟するを遍參の道理とす。釋老子は玄沙老漢と同參するゆゑに古佛なり。玄沙老漢は釋老子と同參なるゆゑに兒孫なり。この道理、審細に遍參すべし。
釣魚船上謝三郎。この宗旨、あきらめ參學すべし。いはゆる釋老子と玄沙老漢と、同時同參の時節を遍參功夫するなり。釣魚船上謝三郎を參見する玄沙老漢ありて同參す。玄沙山上禿頭漢を參見する謝三郎ありて同參す。同參不同參、みづから功夫せしめ、他づから功夫ならしむべし。玄沙老漢と釋老子と同參す、遍參す。謝三郎與我、參見甚麼人の道理を遍參すべし、同參すべし。いまだ遍參の道理現在前せざれば、參自不得なり、參自不足なり。參他不得なり、參他不足なり。參人不得なり、參我不得なり。參拳頭不得なり、參眼睛不得なり。自釣自上不得なり、未釣先上不得なり。
すでに遍參究盡なるには、落遍參なり。海枯不見底なり、人死不留心なり。海枯といふは、全海全枯なり。しかあれども、海もし枯竭しぬれば不見底なり。不留全留、ともに人心なり。人死のとき、心不留なり。死を拈來せるがゆゑに、心不留なり。このゆゑに、全人は心なり、全心は人なりとしりぬべし。かくのごとくの一方の表裏を參究するなり。

先師天童古佛、あるとき方の長老の道舊なる、いたりあつまりて上堂をずるに、
上堂云、大道無門、方頂上跳出。空絶路、涼鼻孔裏入來。恁麼相見、瞿曇賊種、臨濟禍胎。。大家顛倒舞春風、驚落杏花飛亂紅(上堂に云く、大道無門なり、方の頂上に跳出す。空絶路なり、涼が鼻孔裏に入來せり。恁麼に相見する、瞿曇の賊種、臨濟の禍胎なり。。大家顛倒して春風に舞ふ、驚落する杏花飛亂して紅なり)。
而今の上堂は、先師古佛、ときに建康府の涼寺に住持のとき、方の長老きたれり。これらの道舊とは、あるときは賓主とありき、あるいは隣單なりき。方にしてかくのごとくの舊友なり、おほからざらめやは。あつまりて上堂をずるときなり。渾無箇話の長老は交友ならず、ずるとものかずにあらず。大尊貴なるをかしつきずるなり。
おほよそ先師の遍參は、方のきはむるところにあらず。大宋國二三百年來は、先師のごとくなる古佛あらざるなり。
大道無門は、四五千條花柳巷、二三萬座管絃樓なり。しかあるを、渾身跳出するに、餘外をもちゐず、頂上に跳出するなり、鼻孔裏に入來するなり。ともにこれ參學なり。頂上の跳いまだあらず、鼻孔裏の轉身いまだあらざるは、參學人ならず、遍參漢にあらず。遍參の宗旨、ただ玄沙に參學すべし。
かつて三に參學すること九載せし、すなはち遍參なり。南泉願禪師、そのかみ池陽に一住してやや三十年やまをいでざる、遍參なり。雲巖道吾等、在藥山四十年のあひだ功夫參學する、これ遍參なり。二そのかみ嵩山に參學すること八載なり。皮肉骨髓を遍參しつくす。
遍參はただ祗管打坐、身心落なり。而今の去那邊去、來遮裏來、その間隙あらざるがごとくなる、渾體遍參なり、大道の渾體なり。毘盧頂上行は、無諍三昧なり。決得恁麼は毘盧行なり。跳出の遍參を參徹する、これ葫蘆の葫蘆を跳出する、葫蘆頂上を選佛道場とせることひさし。命如絲なり。葫蘆遍參葫蘆なり。一莖草を建立するを遍參とせるのみなり。

正法眼藏遍參第五十七

爾時元元年癸卯十一月二十七日在越宇禪師峰下茅庵示衆