第三十九 嗣書
佛佛かならず佛佛に嗣法し、かならずに嗣法する、これ證契なり、これ單傳なり。このゆゑに無上菩提なり。佛にあらざれば佛を印證するにあたはず。佛の印證をえざれば、佛となることなし。佛にあらずよりは、たれかこれを最尊なりとし、無上なりと印することあらん。
佛の印證をうるとき、無師獨悟するなり、無自獨悟するなり。このゆゑに、佛佛證嗣し、證契すといふなり。この道理の宗旨は、佛佛にあらざればあきらむべきにあらず。いはんや十地等覺の所量ならんや。いかにいはんや經師論師等の測度するところならんや。たとひ爲すとも、かれらきくべからず。
佛佛相嗣するがゆゑに、佛道はただ佛佛の究盡にして、佛佛にあらざる時節あらず。たとへば、石は石に相嗣し、玉は玉に相嗣することあり。菊も相嗣あり、松も印證するに、みな前菊後菊如如なり、前松後松如如なるがごとし。かくのごとくなるをあきらめざるともがら、佛佛正傳の道にあふといへども、いかにある道得ならんとあやしむにおよばず。佛佛相嗣の證契すといふ領覽あることなし。あはれむべし、佛種族に相似なりといへども、佛子にあらざることを、子佛にあらざることを。
曹谿あるとき衆にしめしていはく、七佛より慧能にいたるに四十あり、慧能より七佛にいたるに四十あり。
この道理、あきらかに佛正嗣の宗旨なり。いはゆる七佛は、過去莊嚴劫に出現せるものあり、現在賢劫に出現せるもあり。しかあるを、四十の面授をつらぬるは、佛道なり、佛嗣なり。
しかあればすなはち、六より向上して七佛にいたれば四十の佛嗣あり。七佛より向下して六にいたるに四十佛の佛嗣なるべし。佛道道、かくのごとし。證契にあらず、佛にあらざれば、佛智慧にあらず、究盡にあらず。佛智慧にあらざれば、佛信受なし。究盡にあらざれば、證契せず。しばらく四十といふは、ちかきをかつかつ擧するなり。
これによりて、佛佛の相嗣すること、深遠にして、不退不轉なり、不斷不絶なり。その宗旨は、釋牟尼佛は七佛已前に成道すといへども、ひさしく葉佛に嗣法せるなり。降生より三十歳、十二月八日に成道すといへども、七佛以前の成道なり。佛齊肩、同時の成道なり。佛以前の成道なり、一切の佛より末上の成道なり。
さらに葉佛は釋牟尼佛に嗣法すると參究する道理あり。この道理をしらざるは、佛道をあきらめず。佛道あきらめざれば佛嗣にあらず。佛嗣といふは、佛子といふことなり。
釋牟尼佛、あるとき阿難にとはしむ、過去佛、これたれが弟子なるぞ。
釋牟尼佛いはく、過去佛は、これ我釋牟尼佛の弟子なり。
佛の佛義、かくのごとし。この佛に奉覲して、佛嗣し、成就せん、すなはち佛佛の佛道にてあるべし。
この佛道、かならず嗣法するとき、さだめて嗣書あり。もし嗣法なきは天然外道なり。佛道もし嗣法を決定するにあらずよりは、いかでか今日にいたらん。これによりて、佛佛なるには、さだめて佛嗣佛の嗣書あるなり、佛嗣佛の嗣書をうるなり。その嗣書の爲體は、日月星辰をあきらめて嗣法す、あるいは皮肉骨髓を得せしめて嗣法す。あるいは袈裟を相嗣し、あるいは杖を相嗣し、あるいは松枝を相嗣し、あるいは拂子を相嗣し、あるいは優曇花を相嗣し、あるいは金襴衣を相嗣す。鞋の相嗣あり、竹箆の相嗣あり。
これらの嗣法を相嗣するとき、あるいは指血をして書嗣し、あるいは舌血をして書嗣す。あるいは油乳をもてかき、嗣法する、ともにこれ嗣書なり。嗣せるもの、得せるもの、ともにこれ佛嗣なり。まことにそれ佛として現成するとき、嗣法かならず現成す。現成するとき、期せざれどもきたり、もとめざれども嗣法せる佛おほし。嗣法あるはかならず佛佛なり。
第二十八、西來よりこのかた、佛道に嗣法ある宗旨を、東土に正聞するなり。それよりさきは、かつていまだきかざりしなり。西天の論師法師等、およばすしらざるところなり。および十聖三賢の境界およばざるところ、三藏義學の呪師等は、あるらんと疑著するにもおよばず。かなしむべし、かれら道器なる人身をうけながら、いたづらに網にまつはれて透の法をしらず、跳出の期を期せざることを。かるがゆゑに、學道を審細にすべきなり、參究の志氣をもはらすべきなり。
道元在宋のとき、嗣書を禮拜することをえしに、多數の嗣書ありき。そのなかに惟一西堂とて、天童に掛錫せしは、越上の人事なり、前住廣寺の堂頭なり。先師と同人なり。先師つねにいはく、境風は一西堂に問取すべし。
あるとき西堂いはく、古蹟の可觀は人間の珍玩なり、いくばくか見來せる。
道元いはく、見來すくなし。
ときに西堂いはく、吾那裏に壹軸の古蹟あり。恁麼次第なり、與老兄看といひて、携來をみれば、嗣書なり。法眼下の嗣書にてありけるを、老宿の衣鉢のなかよりえたりけり。惟一長老のにはあらざりけり。かれにかきたりしは、
初摩訶葉、悟於釋牟尼佛。釋牟尼佛、悟於葉佛。
かくのごとくかきたり。
道元これをみしに、正嫡の正嫡に嗣法あることを決定信受す。未曾見の法なり。佛の冥感して兒孫を護持する時節なり。感激不勝なり。
雲門下の嗣書とて、宗月長老の天童の首座職に充せしとき、道元にみせしは、いま嗣書をうる人のつぎかみの師、および西天東地の佛をならべつらねて、その下頭に、嗣書をうる人の名字あり。佛より直にいまの新師の名字につらぬるなり。しかあれば、如來より四十餘代、ともに新嗣の名字へきたれり。たとへば、おのおの新にさづけたるがごとし。摩訶葉阿難陀等は、餘門のごとくにつらなれり。
ときに道元、宗月首座にとふ、和尚、いま五家の宗派をつらぬるに、いささか同異あり。そのこころいかん。西天より嫡嫡相嗣せらば、なんぞ同異あらんや。
宗月いはく、たとひ同異はるかなりとも、ただまさに雲門山の佛は、かくのごとくなると學すべし。
釋老子、なにによりてか尊重他なる、悟道によりて尊重なり。雲門大師なにによりてか尊重他なる、悟道によりて尊重なり。
道元この話をきくに、いささか領覽あり。
いま江浙に大刹の主とあるは、おほく臨濟雲門洞山等の嗣法なり。しかあるに、臨濟の遠孫と自稱するやから、ままにくはだつる不是あり。いはく、善知識の會下に參じて、頂相壹幅、法語壹軸を懇して、嗣法の標準にそなふ。しかあるに、一類の狗子あり、尊宿のほとりに法語頂相等を懇して、かくしたくはふることあまたあるに、晩年におよんで、官家に陪錢し、一院を討得して、住持職に補するときは、法語頂相の師に嗣法せず、當代の名譽のともがら、あるいは王臣に親附なる長老等に嗣法するときは、得法をとはず、名譽をむさぼるのみなり。かなしむべし、末法惡時、かくのごとくの邪風あることを。かくのごとくのやからのなかに、いまだかつて一人としても佛の道を夢にも見聞せるあらず。
おほよそ法語頂相等をゆるすことは、家の講師および在家の男女等にもさづく、行者商客等にもゆるすなり。そのむね、家の録にあきらかなり。あるいはその人にあらざるが、みだりに嗣法の證據をのぞむによりて、壹軸の書をもとむるに、有道のいたむところなりといへども、なまじひに援筆するなり。しかのごときのときは、古來の書式によらず、いささか師吾のよしをかく。近來の法は、ただその師の會にて得力すれば、すなはちかの師を師と嗣法するなり。かつてその師の印をえざれども、ただ入室上堂に咨參して、長連牀にあるともがら、住院のときは、その師承を擧するにいとまあらざれども、大事打開するとき、その師を師とせるのみおほし。
また龍門佛眼禪師遠和尚の遠孫にて、傳といふものありき。かの師傳藏主、また嗣書を帶せり。嘉定のはじめに、禪上座、日本國人なりといへども、かの傳藏やまひしけるに、禪よく傳藏を看病しけるに、勤勞しきりなるによりて、看病の勞を謝せんがために、嗣書をとりいだして、禮拜せしめけり。みがたきものなり。與禮拜といひけり。
それよりこのかた、八年ののち、嘉定十六年癸未あきのころ、道元はじめて天童山に寓直するに、禪上座、ねんごろに傳藏主にじて、嗣書を道元にみせし。その嗣書の樣は、七佛よりのち、臨濟にいたるまで、四十五をつらねかきて、臨濟よりのちの師は、一圓相をつくりて、そのなかにめぐらして、法諱と花字とをうつしかけり。新嗣はおはりに、年月の下頭にかけり。臨濟の尊宿に、かくのごとくの不同ありとしるべし。
先師天童堂頭、ふかく人のみだりに嗣法を稱ずることをいましむ。先師の會は、これ古佛の會なり、叢林の中興なり。みづからもまだらなる袈裟をかけず。芙蓉山の道楷禪師の衲法衣つたはれりといへども、上堂陞座にもちゐず。おほよそ住持職として、まだらなる法衣、かつて一生のうちにかけず。こころあるも、物しらざるも、ともにほめき。眞善知識なりと尊重す。
先師古佛、上堂するに、つねに方をいましめていはく、近來おほく道に名をかれるやから、みだりに法衣を搭し、長髪をこのみ、師號に署するを出世の舟航とせり。あはれむべし、たれかこれをすくはん。うらむらくは、方長老無道心にして、學道せざることを。嗣書嗣法の因を見聞せるものなほまれなり、百千人中一箇也無。これ道遅なり。
かくのごとくよのつねにいましむるに、天下の長老うらみず。しかあればすなはち、誠心辨道することあらば、嗣書あることを見聞すべし。見聞することあるは學道なるべし。
臨濟の嗣書は、まづその名字をかきて、某甲子われに參ずともかき、わが會にきたれりともかき、入吾堂奥ともかき、嗣吾ともかきて、ついでのごとく前代をつらぬるなり。かれもいささかいひきたれる法訓あり。いはゆる宗趣は、嗣はをはりはじめにかかはれず、ただ眞善知識を相見する的的の宗旨なり。臨濟にはかくのごとくかけるもあり。まのあたりみしによりてしるす。
了派藏主者、威武人也。今吾子也。光參侍徑山杲和尚、徑山嗣夾山勤、勤嗣楊岐演、演嗣海會端、端嗣楊岐會、會嗣慈明圓、圓嗣汾陽照、照嗣首山念、念嗣風穴沼、沼嗣南院、嗣興化弉。弉是臨濟高之長嫡也(了派藏主は、威武の人なり。今吾が子なり。光は徑山杲和尚に參侍し、徑山は夾山勤に嗣し、勤は楊岐演に嗣し、演は海會端に嗣し、端は楊岐會に嗣し、會は慈明圓に嗣し、圓は汾陽照に嗣し、照は首山念に嗣し、念は風穴沼に嗣し、沼は南院に嗣し、は興化弉に嗣す。弉は是れ臨濟高の長嫡なり)。
これは阿育王山佛照禪師光、かきて派無際にあたふるを、天童の住持なりしとき、小師知庚、ひそかにもちきたりて、了然寮にて道元にみせし。ときに大宋嘉定十七年甲申正月二十一日、はじめてこれをみる、喜感いくそばくぞ。すなはち佛の冥感なり、燒香禮拜して披看す。
この嗣書を出することは、去年七月のころ、師廣都寺、ひそかに寂光堂にて道元にかたれり。
道元ちなみに都寺にとふ、如今たれ人かこれを帶持せる。
都寺いはく、堂頭老漢那裏有相似。のちに出ねんごろにせば、さだめてみすることあらん。
道元このことばをききしより、もとむるこころざし、日夜に休せず。このゆゑに今年ねんごろに小師の智庚をし、一片心をなげて得せりしなり。
そのかける地は、白絹の表背せるにかく。表紙はあかき錦なり。軸は玉なり。長九寸ばかり、闊七尺餘なり。閑人にはみせず。
道元すなはち智庚を謝す、さらに時に堂頭に參じて燒香、禮拜無際和尚。
ときに無際いはく、遮一段事、少得見知。如今老兄知得、便是學道之實歸也(この一段の事、見知すること得るもの少なし。如今老兄知得せり、便ち是れ學道の實歸なり)。
ときに道元喜感無勝。
のちに寶慶のころ、道元、台山鴈山等に雲遊するついでに、平田の萬年寺にいたる。ときの住持は州の元和尚なり。宗鑑長老退院ののち、和尚補す、叢席を一興せり。
人事のついでに、むかしよりの佛の家風往來せしむるに、大仰山の令嗣話を擧するに、長老いはく、曾看我箇裏嗣書也否。
道元いはく、いかにしてかみることをえん。
長老すなはちみづからたちて、嗣書をささげていはく、這箇はたとひ親人なりといへども、たとひ侍のとしをへたるといへども、これをみせしめず。これすなはち佛の法訓なり。しかあれども、元ひごろ出城し、見知府のために在城のとき、一夢を感ずるにいはく、大梅山法常禪師とおぼしき高ありて、梅花一枝をさしあげていはく、もしすでに船舷をこゆる實人あらんには、花ををしむことなかれといひて、梅花をわれにあたふ。元おぼえずして夢中に吟じていはく、未跨船舷、好與三十(未だ船舷を跨せざるに、好し、三十を與へんに)。しかあるに、不經五日、與老兄相見。いはんや老兄すでに船舷跨來、この嗣書また梅花綾にかけり。大梅のおしふるところならん。夢想と符合するゆゑにとりいだすなり。老兄もしわれに嗣法せんともとむや。たとひもとむとも、をしむべきにあらず。
道元、信感おくところなし。嗣書をずべしといへども、ただ燒香禮拜して、恭敬供養するのみなり。ときに燒香侍者法寧といふあり、はじめて嗣書をみるといひき。
道元ひそかに思惟しき、この一段の事、まことに佛の冥資にあらざれば見聞なほかたし。邊地の愚人として、なにのさいはひありてか數番これをみる。感涙霑袖。ときに維摩室大舍堂等に、閑闃無人なり。
この嗣書は、落地梅綾のしろきにかけり。長九寸餘、闊一尋餘なり。軸子は黄玉なり、表紙は錦なり。
道元、台山より天童にかへる路程に、大梅山護聖寺の旦過に宿するに、
大梅師きたり、開花せる一枝の梅花をさづくる靈夢を感ず。鑑もとも仰憑するものなり。その一枝花の縱横は、壹尺餘なり。梅花あに優曇花にあらざらんや。夢中と覺中と、おなじく眞實なるべし。道元在宋のあひだ、歸國よりのち、いまだ人にかたらず。
いまわが洞山門下に、嗣書をかけるは、臨濟等にかけるにはことなり。佛の衣裏にかかれりけるを、原高したしく曹谿の几前にして、手指より淨血をいだしてかき、正傳せられけるなり。この指血に、曹谿の指血を合して書傳せられけると相傳せり。初二のところにも、合血の儀おこなはれけりと相傳す。これ吾子參吾などはかかず、佛および七佛のかきつたへられける嗣書の儀なり。
しかあればしるべし、曹谿の血氣は、かたじけなく原の淨血に和合し、原の淨血、したしく曹谿の親血に和合して、まのあたり印證をうることは、ひとり高原和尚のみなり。餘のおよぶところにあらず。この事子をしれるともがらは、佛法はただ原のみに正傳せると道取す。
嗣書
先師古佛天童堂上大和尚、しめしていはく、佛かならず嗣法あり、いはゆる、
釋牟尼佛者、葉佛に嗣法す、葉佛者、拘那含牟尼佛に嗣法す、拘那含牟尼佛者、拘留孫佛に嗣法するなり。かくのごとく佛佛相嗣して、いまにいたると信受すべし。これ學佛の道なり。
ときに道元まうす、葉佛入涅槃ののち、釋牟尼佛はじめて出世成道せり。いはんやまた賢劫の佛、いかにしてか莊嚴劫の佛に嗣法せん。この道理いかん。
先師いはく、なんぢがいふところは聽の解なり、十聖三賢等の道なり、佛嫡嫡のみちにあらず。わが佛佛相傳のみちはしかあらず。
釋牟尼佛、まさしく葉佛に嗣法せり、とならひきたるなり。釋佛の嗣法してのちに、葉佛は入涅槃すと參學するなり。釋佛もし葉佛に嗣法せざらんは、天然外道とおなじかるべし。たれか釋佛を信ずるあらん。かくのごとく佛佛相嗣して、いまにおよびきたれるによりて、箇箇佛ともに正嗣なり。つらなれるにあらず、あつまれるにあらず。まさにかくのごとく佛佛相嗣すると學するなり。阿笈摩のいふところの劫量壽量等にかかはれざるべし。もしひとへに釋佛よりおこれりといはば、わづかに二千餘年なり、ふるきにあらず。相嗣もわづかに四十餘代なり、あらたなるといひぬべし。この佛嗣は、しかのごとく學するにあらず。釋佛は葉佛に嗣法すると學し、葉佛は釋佛に嗣法せりと學するなり。かくのごとく學するとき、まさに佛の嗣法にてあるなり。
このとき道元、はじめて佛の嗣法あることを稟受するのみにあらず、從來の舊をも落するなり。
于時日本仁治二年歳次辛丑三月二十七日觀音導利興聖寶林寺 入宋傳法沙門道元記
元癸卯九月二十四日掛錫於越前吉田縣吉峰古寺草庵 (花押)