第三十 看經

阿耨多羅三藐三菩提の修證、あるいは知識をもちゐ、あるいは經卷をもちゐる。知識といふは、全自己の佛なり。經卷といふは、全自己の經卷なり。全佛の自己、全經卷の自己なるがゆゑにかくのごとくなり。自己と稱ずといへども我の拘牽にあらず。これ活眼睛なり、活拳頭なり。
しかあれども念經、看經、誦經、書經、受經、持經あり。ともに佛の修證なり。しかあるに、佛經にあふことたやすきにあらず。於無量國中、乃至名字不可得聞(無量國の中に於て、乃至名字だも聞くこと得べからず)なり、於佛中、乃至名字不可得聞なり、於命脈中、乃至名字不可得聞なり。佛にあらざれば、經卷を見聞讀誦解義せず。佛參學より、かつかつ經卷を參學するなり。このとき、耳處、眼處、舌處、鼻處、身心塵處、到處、聞處、話處の聞、持、受、經等の現成あり。爲求名聞故外道論議(名聞を求めんが爲の故に、外道の論議をく)のともがら、佛經を修行すべからず。そのゆゑは、經卷は若樹若石の傳持あり、若田若里の流布あり。塵刹の演出あり、空の開講あり。

藥山曩弘道大師、久不陞堂(藥山曩弘道大師、久しく陞堂せず)。
院主白云、大衆久思和尚慈晦(大衆久しく和尚の慈晦を思ふ)。
山云、打鐘著(打鐘せよ)。
院主打鐘、大衆才集(院主打鐘し、大衆才に集まる)。
山陞堂、良久便下座、歸方丈(山、陞堂し、良久して便ち下座し、方丈に歸る)。
院主隨後白云、和尚適來聽許爲衆法、如何不垂一言(院主、後に隨つて、白して云く、和尚、適來爲衆法を聽許せり、如何が一言を垂れざる)。
山云、經有經師、論有論師、爭怪得老(經に經師有り、論に論師有り、爭か老を怪得せん)。
の慈晦するところは、拳頭有拳頭師、眼睛有眼睛師なり。しかあれども、しばらく曩に拜問すべし、爭怪得和尚はなきにあらず、いぶかし、和尚是什麼師。

韶州曹谿山、大鑑高會下、誦法花經法達來參(韶州曹谿山、大鑑高の會下に、誦法花經法達といふもの來參す)。
爲法達偈云(高、法達が爲に偈して云く)、
心迷法華轉、心悟轉法華、
(心迷は法華に轉ぜられ、心悟は法華を轉ず)
誦久不明己、與義作讎家。
(誦すること久しくして己れを明らめずは、義と讎家と作る)
無念念正、有念念成邪、
(無念なれば念はち正なり、有念なれば念は邪と成る)
有無倶不計、長御白牛車。
(有無倶に計せざれば、長に白牛車を御らん)
しかあれば、心迷は法花に轉ぜられ、心悟は法花を轉ず。さらに迷悟を跳出するときは、法花の法花を轉ずるなり。
法達、まさに偈をききて踊躍歡喜、以偈贊曰(偈を以て贊じて曰く)、
經誦三千部、曹谿一句亡。
(經、誦すること三千部、曹谿の一句に亡す)
未明出世旨、寧歇累生狂。
(未だ出世の旨を明らめずは、寧んぞ累生の狂を歇めん)
羊鹿牛權設、初中後善揚。
(羊鹿牛權に設く、初中後善く揚ぐ)
誰知火宅内、元是法中王。
(誰か知らん火宅の内、もと是れ法中の王なることを)
そのとき高曰、汝今後方可名爲念經也(汝、今より後、方に名づけて念經と爲すべし)。
しるべし、佛道に念經あることを。曹谿古佛の直指なり。この念經の念は、有念無念等にあらず、有無倶不計なり。ただそれ從劫至劫手不釋卷、從晝至夜無不念時(劫より劫に至るも手に卷を釋かず、晝より夜に至りて念ぜざる時無し)なるのみなり。從經至經無不經(經より經に至りて經ならざる無し)なるのみなり。

第二十七東印度般若多羅尊者、因東印度國王、尊者齋次(第二十七、東印度の般若多羅尊者、因みに東印度國王、尊者をじて齋する次に)、
國王乃問、人盡轉經、唯尊者爲甚不轉(人盡く轉經す、ただ尊者のみ甚としてか轉ぜざる)。
曰、貧道出息不隨衆、入息不居蘊界、常轉如是經、百千萬億卷、非但一卷兩卷(貧道は出息衆に隨はず、入息蘊界に居せず、常に如是經を轉ずること、百千萬億卷なり、ただ一卷兩卷のみに非ず)。
般若多羅尊者は、天竺國東印度の種草なり。葉尊者より第二十七世の正嫡なり。佛家の調度ことごとく正傳せり。頂眼睛、拳頭鼻孔、杖鉢盂、衣法骨髓等を住持せり。われらが曩なり、われらは雲孫なり。いま尊者の渾力道は、出息の衆に不隨なるのみにあらず、衆も出息に不隨なり。衆たとひ頂眼睛にてもあれ、衆たとひ渾身にてもあれ、衆たとひ渾心にてもあれ、擔來擔去又擔來(擔ひ來り擔ひ去りて又擔ひ來る)、ただ不隨衆なるのみなり。不隨は渾隨なり。このゆゑに築著著なり。出息これ衆なりといへども、不隨衆なり。無量劫來、いまだ出息入息の消息をしらざれども、而今まさにはじめてしるべき時節到來なるがゆゑに不居蘊界をきく、不隨衆をきく。衆はじめて入息等を參究する時節なり。この時節、かつてさきにあらず、さらにのちにあるべからず。ただ而今のみにあるなり。
蘊界といふは、五蘊なり。いはゆる色受想行識をいふ。この五蘊に不居なるは、五蘊いまだ到來せざる世界なるがゆゑなり。この關子を拈ぜるゆゑに、所轉の經ただ一卷兩卷にあらず、常轉百千萬億卷なり。百千萬億卷はしばらく多の一端をあぐといへども、多の量のみにあらざるなり。一息出の不居蘊界を百千萬億卷の量とせり。しかあれども、有漏無漏智の所測にあらず、有漏無漏法の界にあらず。このゆゑに、有智の智の測量にあらず、有知の智の卜度にあらず。無智の知の商量にあらず、無知の智の所到にあらず。佛佛の修證、皮肉骨髓、眼睛拳頭、頂鼻孔、杖拂子、跳造次なり。

趙州觀音院眞際大師、因有婆子、施淨財、大師轉大藏經(趙州觀音院眞際大師、因みに婆子有り、淨財を施して、大師に轉大藏經をず)。
師下禪牀、遶一匝、向使者云、轉藏已畢(師、禪牀を下りて、遶ること一匝して、使者に向つて云く、轉藏已畢ぬ)。
使者廻擧似婆子(使者、廻つて婆子に擧似す)。
婆子曰、比來轉一藏、如何和尚只轉半藏(比來轉一藏をず、如何が和尚只だ半藏を轉ずる)。
あきらかにしりぬ。轉一藏半藏は婆子經三卷なり。轉藏已畢は趙州經一藏なり。おほよそ轉大藏經のていたらくは、禪牀をめぐる趙州あり、禪牀ありて趙州をめぐる。趙州をめぐる趙州あり、禪牀をめぐる禪牀あり。しかあれども、一切の轉藏は、遶禪牀のみにあらず、禪牀遶のみにあらず。

州大隋山照大師、法諱法眞、嗣長慶寺大安禪師。因有婆子、施淨財、師轉大藏經(州大隋山照大師、法諱は法眞、長慶寺の大安禪師に嗣す。因みに婆子有り、淨財を施して、師に轉大藏經をず)。
師下禪牀一匝、向使者曰、轉大藏經已畢(師、禪牀を下りて一匝し、使者に向つて曰く、轉大藏經已畢ぬ)。
使者歸擧似婆子(使者、歸つて婆子に擧似す)。
婆子云、比來轉一藏、如何和尚只轉半藏(比來轉一藏をず、如何が和尚只だ半藏を轉ずる)。
いま大隋の禪牀をめぐると學することなかれ、禪牀の大隋をめぐると學することなかれ。拳頭眼睛の團のみにあらず、作一圓相せる打一圓相なり。しかあれども、婆子それ有眼なりや、未具眼なりや。只轉半藏たとひ道取を拳頭より正傳すとも、婆子さらにいふべし、比來轉大藏經、如何和尚只管弄魂(比來轉大藏經をず、如何が和尚只管に魂を弄する)。あやまりてもかくのごとく道取せましかば、具眼睛の婆子なるべし。

洞山悟本大師、因有官人、設齋施淨財、師看轉大藏經。大師下禪牀向官人揖。官人揖大師。引官人倶遶禪牀一匝、向官人揖。良久向官人云、會麼(高洞山悟本大師、因みに官人有り、齋を設け淨財を施し、師に看轉大藏經をず。大師、禪牀より下りて、官人に向つて揖す。官人、大師を揖す。官人を引いて倶に禪牀を遶ること一匝し、官人に向つて揖す。良久して、官人に向つて云く、會すや)。
官人云、不會。
大師云、我與汝看轉大藏經、如何不會(我れ汝が與に看轉大藏經せり、如何が不會なる)。
それ我與汝看轉大藏經、あきらかなり。遶禪牀を看轉大藏經と學するにあらず、看轉大藏經を遶禪牀と會せざるなり。しかありといへども、高の慈晦を聽取すべし。
この因、先師古佛、天童山に住せしとき、高麗國の施主、入山施財、大衆看經、先師陞座(山に入りて財を施し、大衆看經し、先師に陞座をずる)のとき擧するところなり。擧しをはりて、先師すなはち拂子をもておほきに圓相をつくること一匝していはく、天童今日、與汝看轉大藏經。
便擲下拂子下座(便ち拂子を擲下して下座せり)。
いま先師の道處を看轉すべし、餘者に比準すべからず。しかありといふとも、看轉大藏經には、壹隻眼をもちゐるとやせん、半隻眼をもちゐるとやせん。高の道處と先師の道處と、用眼睛、用舌頭、いくばくをかもちゐきたれる。究辨看。

藥山弘道大師、尋常不許人看經。一日、將經自看、因問、和尚尋常不許人看經、爲甚麼却自看(曩藥山弘道大師、尋常人に看經を許さず。一日、經を將て自ら看す、因みに問ふ、和尚尋常、人の看經するを許さず、甚麼としてか却つて自ら看する)。
師云、我只要遮眼(我れは只だ遮眼せんことをを要するのみ)。
云、某甲學和尚得麼(某甲和尚を學してんや)。
師云、若看、牛皮也須穿(若し看せば、牛皮もまた穿るべし)。
いま我要遮眼の道は、遮眼の自道處なり。遮眼は打失眼睛なり、打失經なり、渾眼遮なり、渾遮眼なり。遮眼は遮中開眼なり、遮裡活眼なり、眼裡活遮なり、眼皮上更添一枚皮(眼皮上更に一枚の皮を添ふ)なり。遮裡拈眼なり、眼自拈遮なり。しかあれば、眼睛經にあらざれば遮眼の功いまだあらざるなり。
牛皮也須穿は、全牛皮なり、全皮牛なり、拈牛作皮なり。このゆゑに、皮肉骨髓、頭角鼻孔を牛の活計とせり。學和尚のとき、牛爲眼睛(牛を眼睛と爲す)なるを遮眼とす、眼睛爲牛(眼睛を牛と爲す)なり。

冶父道川禪師云、
億千供佛無邊、
爭似常將古看。
白紙上邊書墨字、
君開眼目前觀。
(億千の供佛無邊なり、爭か似かん、常に古を將て看ぜんには。白紙上邊に墨字を書す、すらくは君、眼を開いて目前に觀んことを。)
しるべし、古佛を供すると古をみると、齊肩なるべし、超過なるべし。古といふは、白紙の上に墨字を書せる、たれかこれを古としらん。當恁麼の道理を參究すべし。

雲居山弘覺大師、因有一、在房内念經。大師隔窓問云、闍梨念底、是什麼經(雲居山弘覺大師、因みに一有り、房の内に在つて念經す。大師、窓を隔てて問うて云く、闍梨が念底、是れ什麼の經ぞ)。
對曰、維摩經。
師曰、不問維摩經、念底是什麼經(に維摩經を問はず、念底は是れ什麼の經ぞ)。
從此得入(此の、此れより得入せり)。
大師道の念底是什麼經は、一條の念底、年代深遠なり、不欲擧似於念(念に擧似せんとは欲はず)なり。路にしては死蛇にあふ、このゆゑに什麼經の問著現成せり。人にあふては錯擧せず、このゆゑに維摩經なり。おほよそ看經は、盡佛を把拈しあつめて、眼睛として看經するなり。正當恁麼時、たちまちに佛作佛し、法し、佛し、佛作するなり。この看經の時節にあらざれば、佛の頂面目いまだあらざるなり。

現在佛の會に、看經の儀則それ多般あり。いはゆる施主入山、大衆看經(施主山に入り大衆をじてする看經)、あるいは常轉看經(常にじて轉ずる看經)、あるいは衆自發心看經等(衆自ら發心してする看經)なり。このほか大衆爲亡看經(大衆亡の爲にする看經)あり。
施主入山、看經は、當日の粥時より、堂司あらかじめ看經牌を堂前および衆寮にかく。粥罷に拜席を聖前にしく。ときいたりて堂前鐘を三會うつ、あるいは一會うつ。住持人の指揮にしたがふなり。
鐘聲罷に、首座大衆、搭袈裟、入雲堂、就被位、正面而坐(首座大衆、袈裟を搭し、雲堂に入り、被位に就き、正面して坐す)。
つぎに住持人入堂し、向聖問訊燒香罷、依位而坐(聖に向つて問訊し、燒香罷りて、位に依つて坐す)。
つぎに童行をして經を行ぜしむ。この經、さきより庫院にととのへ、安排しまうけて、ときいたりて供達するなり。經は、あるいは經凾ながら行じ、あるいは盤子に安じて行ず。大衆すでに經をじて、すなはちひらきよむ。
このとき、知客いまし施主をひきて雲堂にいる。施主まさに雲堂前にて手爐をとりて、ささげて入堂す。手爐は院門の公界にあり。あらかじめ裝香して、行者をして雲堂前にまうけて、施主まさに入堂せんとするとき、めしによりて施主にわたす。手爐をめすことは、知客これをめすなり。入堂するときは、知客さき、施主のち、雲堂の前門の南頬よりいる。
施主、聖前にいたりて、燒一片香、拜三拜あり。拜のあひだ、手爐をもちながら拜するなり。拜のあひだ、知客は拜席の北に、おもてをみなみにして、すこしき施主にむかひて、叉手してたつ。
施主の拜をはりて、施主みぎに轉身して、住持人にむかひて、手爐をささげて曲躬し揖す。住持人は椅子にゐながら、經をささげて合掌して揖をうく。施主つぎに北にむかひて揖す。揖をはりて、首座のまへより巡堂す。巡堂のあひだ、知客さきにひけり。巡堂一匝して、聖前にいたりて、なほ聖にむかひて、手爐をささげて揖す。このとき、知客は雲堂の門限のうちに、拜席のみなみに、面を北にして叉手してたてり。
施主、揖聖をはりて、知客にしたがひて雲堂前にいでて、巡堂前一匝して、なほ雲堂内にいりて、聖にむかひて拜三拜す。拜をはりて、交椅につきて看經を證明す。交椅は、聖のひだりの柱のほとりに、みなみにむかへてこれをたつ。あるいは南柱のほとりに、きたにむかひてたつ。
施主すでに座につきぬれば、知客すべからく施主にむかひて揖してのち、くらゐにつく。あるいは施主巡堂のあひだ、梵音あり。梵音の座、あるいは聖のみぎ、あるいは聖のひだり、便宜にしたがふ。
手爐には、沈香箋香の名香をさしはさみ、たくなり。この香は、施主みづから辨備するなり。
施主巡堂のときは、衆合掌す。
つぎに看經錢を俵す。錢の多少は、施主のこころにしたがふ。あるいは綿、あるいは扇等の物子、これを俵す。施主みづから俵す、あるいは知事これを俵す、あるいは行者これを俵す。俵する法は、のまへにこれをおくなり、の手にいれず。衆は、俵錢をまへに俵するとき、おのおの合掌してうくるなり。俵錢、あるいは當日の齋時にこれを俵す。もし齋時に俵するがごときは、首座施食ののち、さらに打槌一下して、首座施財す。
施主囘向の旨趣を紙片にかきて、聖の左の柱に貼せり。
雲堂裡看經のとき、揚聲してよまず、低聲によむ。あるいは經卷をひらきて文字をみるのみなり。句讀におよばず、看經するのみなり。
かくのごとくの看經、おほくは金剛般若經、法華經普門品、安樂行品、金光明經等を、いく百千卷となく、常住にまうけおけり。毎一卷を行ずるなり。看經をはりぬれば、もとの盤、もしは凾をもちて、座のまへをすぐれば、大衆おのおの經を安ず。とるとき、おくとき、ともに合掌するなり。とるときは、まづ合掌してのちにとる。おくときは、まづ經を安じてのちに合掌す。そののち、おのおの合掌して、低聲に囘向するなり。
もし常住公界の看經には、都鑑寺、燒香、禮拜、巡堂、俵錢、みな施主のごとし。手爐をささぐることも、施主のごとし。もし衆のなかに、施主となりて大衆の看經をずるも、俗施主のごとし。燒香、禮拜、巡堂、俵錢等あり。知客これをひくこと、俗施主のごとくなるべし。

聖節の看經といふことあり。かれは、今上の聖誕の、假令もし正月十五日なれば、まづ十二月十五日より、聖節の看經はじまる。今日上堂なし。佛殿の釋佛のまへに、連牀を二行にしく。いはゆる東西にあひむかへて、おのおの南北行にしく。東西牀のまへに盤をたつ。そのうへに經を安ず。金剛般若經、仁王經、法華經、最勝王經、金光明經等なり。堂裡を一日に幾じて、齋前に點心をおこなふ。あるいは麺一椀、羮一杯を毎に行ず。あるいは饅頭六七箇、羮一分、毎に行ずるなり。饅頭これも椀にもれり。はしをそへたり、かひをそへず。おこなふときは、看經の座につきながら、座をうごかずしておこなふ。點心は、經を安ぜる盤に安排せり。さらに棹子をきたせることなし。行點心のあひだ、經は盤に安ぜり。點心おこなひをはりぬれば、おのおの座をたちて、嗽口して、かへりて座につく。すなはち看經す。粥罷より齋時にいたるまで看經す。齋時三下鼓響に座をたつ。今日の看經は、齋時をかぎりとせり。
はじむる日より、建祝聖道場の牌を、佛殿の正面の東の簷頭にかく、黄牌なり。また佛殿のうちの正面の東の柱に、祝聖の旨趣を、障子牌にかきてかく、これ黄牌なり。住持人の名字は、紅紙あるいは白紙にかく。その二字を小片紙にかきて、牌面の年月日の下頭に貼せり。かくのごとく看經して、その御降誕の日にいたるに、住持人上堂し、祝聖するなり。これ古來の例なり。いまにふりざるところなり。
またのみづから發心して看經するあり。寺院もとより公界の看經堂あり。かの堂につきて看經するなり。その儀、いま規のごとし。

藥山弘道大師、問高沙彌云、汝從看經得、從得(高藥山弘道大師、高沙彌に問うて云く、汝看經よりや得たる、よりや得たる)。
高沙彌云、不從看經得、亦不從得(看經より得たるにあらず、またより得たるにあらず)。
師云、大有人、不看經、不、爲什麼不得(大いに人有り、看經せず、せず、什麼としてか不得なる)。
高沙彌云、不道他無、只是他不肯承當(他無しとは道はず、只だ是れ他の承當を肯せざるのみ)。
の屋裡に承當あり、不承當ありといへども、看經は家常の調度なり。

正法眼藏看經第三十

爾時仁治二年辛丑秋九月十五日在雍州宇治郡興聖寶林寺示衆
元三年乙巳七月八日在越州吉田縣大佛寺侍司書寫之 懷弉