第十六 行持 下

眞丹初の西來東土は、般若多羅尊者の敕なり。航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや、雲煙いくかさなりの嶮浪なりとかせん。不知のくににいらんとす、身命ををしまん凡類、おもひよるべからず。これひとへに傳法救迷の大慈よりなれる行持なるべし。傳法の自己なるがゆゑにしかあり、傳法の遍界なるがゆゑにしかあり。盡十方界は眞實道なるがゆゑにしかあり、盡十方界自己なるがゆゑにしかあり、盡十方界盡十方界なるがゆゑにしかあり。いづれの生か王宮にあらざらん、いづれの王宮か道場をさへん。このゆゑにかくのごとく西來せり。救迷の自己なるゆゑに驚疑なく、怖畏せず。救迷の遍界なるゆゑに驚疑せず、怖畏なし。ながく父王の國土を辭して、大舟をよそほうて、南海をへて廣州にとづく。使船の人おほく、巾瓶のあまたありといへども、史者失録せり。著岸よりこのかた、しれる人なし。すなはち梁代の普通八年丁未歳九月二十一日なり。
廣州の刺史蕭昂といふもの、主禮をかざりて迎接したてまつる。ちなみに表を修して武帝にきこゆる、蕭昂が勤恪なり。武帝すなはち奏を覽じて、欣して、使に詔をもたせて迎したてまつる。すなはちそのとし十月一日なり。
金陵にいたりて、梁武と相見するに、
梁武とふ、朕位已來、造寺寫經度、不可勝紀、有何功(朕位よりこのかた、造寺寫經度、勝げて紀すべからず、何の功か有る)。
師曰、竝無功(竝びに功無し)。
帝曰、何以無功(何の以にか功無き)。
師曰、此但人天小果、有漏之因。如影隨形、雖有非實(此れは但人天の小果、有漏の因なり。影の形に隨ふが如し、有りと雖も實に非ず)。
帝曰、如何是眞功(如何ならんか是れ眞の功なる)。
師曰、淨智妙圓、體自空寂。如是功、不以世求(淨智妙圓、體自ら空寂なり。是の如き功は、世を以て求めず)。
帝又問、如何是聖諦第一義諦(如何ならんか是れ聖諦第一義諦)。
師曰く、廓然無聖。
帝曰く、對朕者誰(朕に對する者は誰そ)。
師曰く、不識。
帝、不領悟。師、知機不契(帝領悟せず。師、機の不契なるを知る)。
ゆゑにこの十月十九日、ひそかに江北にゆく。そのとし十一月二十三日、洛陽にいたりぬ。嵩山少林寺に寓止して、面壁而坐、終日默然なり。しかあれども、魏主も不肖にしてしらず、はぢつべき理もしらず。

師は南天竺の刹利種なり、大國の皇子なり。大國の王宮、その法ひさしく慣熟せり。小國の風俗は、大國の帝者に爲見のはぢつべきあれども、初、うごかしむるこころあらず。くにをすてず、人をすてず。ときに菩提流支の謗を救せず、にくまず。光統律師が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。かくのごとくの功おほしといへども、東地の人物、ただ尋常の三藏および經論師のごとくにおもふは至愚なり。小人なるゆゑなり。あるいはおもふ、禪宗とて一途の法門を開演するが、自餘の論師等の所云も、初の正法もおなじかるべきとおもふ。これは佛法を濫穢せしむる小畜なり。
は釋牟尼佛より二十八世の嫡嗣なり、父王の大國をはなれて、東地の衆生を救濟する、たれのかたをひとしくするかあらん。もし、師西來せずは、東地の衆生いかにしてか佛正法を見聞せん。いたづらに名相の沙石にわづらふのみならん。いまわれらがごときの邊地遠方の披毛戴角までも、あくまで正法をきくことをえたり。いまは田夫農父、野老村童までも見聞する、しかしながら師航海の行持にすくはるるなり。西天と中華と、土風はるかに勝劣せり、方俗はるかに邪正あり。大忍力の大慈にあらずよりは、傳持法藏の大聖、むかふべき處在にあらず。住すべき道場なし、知人の人まれなり。しばらく嵩山に掛錫すること九年なり。人これを壁觀婆羅門といふ。史者これを禪の列に編集すれども、しかにはあらず。佛佛嫡嫡相傳する正法眼藏、ひとり師のみなり。

石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。經行嵩山之下、倚杖於少林。面壁燕坐而已、非禪也。久之人莫測其故。因以達磨爲禪。夫禪那、行之一耳。何足以盡聖人。而當時之人、以之、爲史者、又從而傳於禪之列、使與枯木死灰之徒爲伍。雖然、聖人非止於禪那、而亦不違禪那。如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽(石門の林間録に云く、菩提達磨、初め梁より魏に之く。嵩山の下に經行し、少林に倚杖す。面壁燕坐するのみなり、禪には非ず。久しくなりて人其の故を測ること莫し。因て達磨を以て禪とす。夫れ禪那は、行の一のみなり。何ぞ以て聖人を盡すに足らん。而も當時の人、之を以てし、爲史の者、又從へて禪の列に傳ね、枯木死灰の徒と伍ならしむ。然りと雖も、聖人はただ禪那のみ非ず、而も亦禪那に違せず。易の陰陽より出でて、而も亦陰陽に違せざるが如し)。
梁武初見達磨之時、問、如何是聖諦第一義(梁武初めて達磨を見し時、ち問ふ、如何ならんか是れ聖諦第一義)。
答曰、廓然無聖。
進曰、對朕者誰(朕に對する者は誰そ)。
又曰、不識。
使達磨不通方言、則何於是時、使能爾耶(使達磨方言に不通ならんには、則ち何ぞ是の時に於て、能くしかあらしむるにいたらんや)。
しかあればすなはち、梁より魏へゆくことあきらけし。嵩山に經行して少林に倚杖す。面壁燕坐すといへども、禪にはあらざるなり。一卷の經書を將來せざれども、正法傳來の正主なり。しかあるを、史者あきらめず、禪の篇につらぬるは、至愚なり、かなしむべし。
かくのごとくして嵩山に經行するに、犬あり、尭をほゆ。あはれむべし、至愚なり。たれのこころあらんか、この慈恩をかろくせん。たれのこころあらんか、この恩を報ぜざらん。世恩なほわすれず、おもくする人おほし、これを人といふ。師の大恩は父母にもすぐるべし、師の慈愛は親子にもたくらべざれ。
われらが卑賤おもひやれば、驚怖しつべし。中土をみず、中華にむまれず、聖をしらず、賢をみず、天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。開闢よりこのかた化俗の人なし、國をすますときをきかず。いはゆるは、いかなるか、いかなるか濁としらざるによる。二柄三才の本末にくらきによりてかくのごとくなり。いはんや五才の盛衰をしらんや。この愚は、眼前の聲色にくらきによりてなり。くらきことは、經書をしらざるによりてなり、經書に師なきによりてなり。その師なしといふは、この經書いく十卷といふことをしらず、この經いく百偈、いく千言としらず、ただ文の相をのみよむ。いく千偈、いく萬言といふことをしらざるなり。すでに古經をしり、古書をよむがごときは、すなはち慕古の意旨あるなり。慕古のこころあれば、古經きたり現前するなり。漢高および魏太、これら天象の偈をあきらめ、地形の言をつたへし帝者なり。かくのごときの經典あきらむるとき、いささか三才あきらめきたるなり。いまだかくのごとくの聖君の化にあはざる百姓のともがらは、いかなるを事君とならひ、いかなるを事親とならふとしらざれば、君子としてもあはれむべきものなり。親族としてもあはれむべきなり。臣となれるも子となれるも、尺璧もいたづらにすぎぬ、寸陰もいたづらにすぎぬるなり。かくのごとくなる家門にむまれて、國土のおもき職なほさづくる人なし、かろき官位なほをしむ。にごれるときなほしかあり、すめらんときは見聞もまれならん。かくのごときの邊地、かくのごときの卑賤の身命をもちながら、あくまで如來の正法をきかんみちに、いかでかこの卑賤の身命ををしむこころあらん。をしんでのちになにもののためにかすてんとする。おもくかしこからん、なほ法のためにをしむべからず、いはんや卑賤の身命をや。たとひ卑賤なりといふとも、爲道爲法のところにをしまずすつることあらば、上天よりも貴なるべし、輪王よりも貴なるべし、おほよそ天地祇、三界衆生よりも貴なるべし。
しかあるに初は南天竺國香至王の第三皇子なり。すでに天竺國の帝胤なり、皇子なり。高貴のうやまふべき、東地邊國には、かしづきたてまつるべき儀もいまだしらざるなり。香なし、花なし、坐褥おろそかなり、殿臺つたなし。いはんやわがくには、遠方の絶岸なり、いかでか大國の皇をうやまふ儀をしらん。たとひならふとも、迂曲してわきまふべからざるなり。侯と帝者と、その儀ことなるべし、その禮も輕重あれどもわきまへしらず。自己の貴賤をしらざれば、自己を保任せず。自己を保任せざれば、自己の貴賤もともあきらむべきなり。初は釋尊第二十八世の附法なり。道にありてよりこのかた、いよいよおもし。かくのごとくなる大聖至尊、なほ師敕によりて身命ををしまざるは傳法のためなり、救生のためなり。眞丹國には、いまだ初西來よりさきに嫡嫡單傳の佛子をみず、嫡嫡面授の面を面授せず、見佛いまだしかりき。のちにも初の遠孫のほか、さらに西來せざるなり。曇花の一現はやすかるべし、年月をまちて算數しつべし、初の西來はふたたびあるべからざるなり。しかあるに、師の遠孫と稱ずるともがらも、楚國の至愚にゑうて、玉石いまだわきまへず、經師論師を齊肩すべきとおもへり。少聞薄解によりてしかあるなり。宿殖般若の正種なきやからは道の遠孫とならず、いたづらに名相の邪路にするもの、あはれむべし。
梁の普通よりのち、なほ西天にゆくものあり、それなにのためぞ。至愚のはなはだしきなり。惡業のひくによりて、他國にするなり。歩歩に謗法の邪路におもむく、歩歩に親父の家を逃逝す、なんだち西天にいたりてなんの所得かある。ただ山水に辛苦するのみなり。西天の東來する宗旨を學せずは、佛法の東漸をあきらめざるによりて、いたづらに西天に迷路するなり。佛法をもとむる名稱ありといへども、佛法をもとむる道念なきによりて、西天にしても正師にあはず、いたづらに論師經師にのみあへり。そのゆゑは、正師は西天にも現在せれども、正法をもとむる正心なきによりて、正法なんだちが手にいらざるなり。西天にいたりて正師をみたるといふたれか、その人いまだきこえざるなり。もし正師にあはば、いくそばくの名稱をも自稱せん。なきによりて自稱いまだあらず。
また眞丹國にも、師西來よりのち、經論に倚解して、正法をとぶらはざる侶おほし。これ經論を披閲すといへども經論の旨趣にくらし。この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の惡業力なり。今生つひに如來の眞訣をきかず、如來の正法をみず、如來の面授にてらされず、如來の佛心を使用せず、佛の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。隋唐宋の代、かくのごときのたぐひおほし、ただ宿殖般若の種子ある人は、不期に入門せるも、あるは算沙の業を解して、師の遠孫となれりしは、ともに利根の機なり、上上の機なり、正人の正種なり。愚蒙のやから、ひさしく經論の草庵に止宿するのみなり。しかあるに、かくのごとくの嶮難あるさかひを辭せずといはず、初西來する玄風、いまなほあふぐところに、われらが臭皮袋を、をしんでつひになににかせん。
香嚴禪師いはく、
百計千方只爲身、
不知身是中塵。
莫言白髪無言語、
此是黄泉傳語人。
(百計千方只身の爲なり、知らず、身は是れの中の塵なること。言ふこと莫れ白髪に言語無しと、此れは是れ黄泉傳語の人なり。)
しかあればすなはち、をしむにたとひ百計千方をもてすといふとも、つひにはこれ中一堆の塵と化するものなり。いはんやいたづらに小國の王民につかはれて、東西に馳走いるあひだ、千辛萬苦いくばくの身心をかくるしむる。義によりては身命をかろくす、殉死の禮わすれざるがごし。恩につかはるる前途、ただ暗頭の雲霧なり。小臣につかはれ、民間に身命をすつるもの、むかしよりおほし。をしむべき人身なり、道器となりぬべきゆゑに。いま正法にあふ、百千恆沙の身命をすてても正法を參學すべし。いたづらなる小人と、廣大深遠の佛法と、いづれのためにか身命をすつべき。賢不肖ともに進退にわづらふべからざるものなり。
しづかにおもふべし、正法よに流布せざらんときは、身命を正法のために抛せんことをねがふともあふべからず。正法にあふ今日のわれらをねがふべし、正法にあうて身命をすてざるわれらを慚愧せん。はづべくは、この道理をはづべきなり。しかあれば、師の大恩を報謝せんことは、一日の行持なり。自己の身命をかへりみることなかれ。禽獸よりもおろかなる恩愛、をしんですてざることなかれ。たとひ愛惜すとも、長年のともなるべからず。あくたのごとくなる家門、たのみてとどまることなかれ。たとひとどまるとも、つひの幽棲にあらず。むかし佛のかしこかりし、みな七寶千子をなげすて、玉殿朱樓をすみやかにすつ。涕唾のごとくみる、糞土のごとくみる。これらみな、古來の佛の古來の佛を報謝しきたれる知恩報恩の儀なり。病雀なほ恩をわすれず、三府の環よく報謝あり。窮龜なほ恩をわすれず、餘不の印よく報謝あり。かなしむべし、人面ながら畜類よりも愚劣ならんことは。
いまの見佛聞法は、佛面面の行持よりきたれる慈恩なり。佛もし單傳せずは、いかにしてか今日にいたらん。一句の恩なほ報謝すべし、一法の恩なほ報謝すべし。いはんや正法眼藏無上大法の大恩、これを報謝せざらんや。一日に無量恆河沙の身命すてんこと、ねがふべし。法のためにすてんかばねは、世世のわれら、かへりて禮拜供養すべし。天龍ともに恭敬尊重し、守護讃歎するところなり、道理それ必然なるがゆゑに。
西天竺國には、髑髏をうり髑髏をかふ婆羅門の法、ひさしく風聞せり。これ聞法の人の髑髏形骸の功おほきことを尊重するなり。いま道のために身命をすてざれば、聞法の功いたらず。身命をかへりみず聞法するがごときは、その聞法成熟するなり。この髑髏は、尊重すべきなり。いまわれら、道のためにすてざらん髑髏は、他日にさらされて野外にすてらるとも、たれかこれを禮拜せん、たれかこれを賣買せん。今日の魂、かへりてうらむべし。鬼の先骨をうつありき、天の先骨を禮せしあり。いたづらに塵土に化するときをおもひやれば、いまの愛惜なし、のちのあはれみあり。もよほさるるところは、みん人のなみだのごとくなるべし。いたづらに塵土に化して人にいとはれん髑髏をもて、よくさいはひに佛正法を行持すべし。
このゆゑに、寒苦をおづることなかれ、寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。ただ不修をおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、暑熱いまだ道をやぶらず。不修よく人をやぶり、道をやぶる。麥をうけ、蕨をとるは、道俗の勝躅なり。血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。ただまさに行持なる一日は、佛の行履なり。

眞丹第二正宗普覺大師は、鬼ともに嚮慕す、道俗おなじく尊重せし高の師なり、曠達の士なり。伊洛に久居して群書を博覽す。くにのまれなりとするところ、人のあひがたきなり。法高重のゆゑに、物倏見して、にかたりていふ、
將欲受果、何滯此耶。大道匪遠、汝其南矣(將に受果を欲はば、何ぞ此に滯るや。大道遠きに匪ず、汝其れ南へゆくべし)。
あくる日、にはかに頭痛すること刺がごとし。其師洛陽龍門香山寶靜禪師、これを治せんとするときに、
空中有聲曰、此乃換骨、非常痛也(空中に聲有りて曰く、此れ乃ち骨を換ふるなり、常の痛みに非ず)。
遂以見事、白于師。師視其頂骨、如五峰秀出矣。乃曰、汝相吉祥、當有所證。汝南者、斯則少林寺達磨大士、必汝之師也(遂に見の事を以て、師に白す、師その頂骨を視るに、ち五峰の秀出せるが如し。乃ち曰く、汝が相、吉祥なり、當に所證有るべし。の汝南へゆけといふは、斯れ則ち少林寺の達磨大士、必ず汝が師なり)。
このをききて、すなはち少室峰に參ず。はみづからの久遠修道の守道なり。このとき窮臈寒天なり。十二月初九夜といふ。天大雨雪ならずとも、深山高峰の冬夜は、おもひやるに、人物の窓前に立地すべきにあらず。竹節なほ破す、おそれつべき時候なり。しかあるに、大雪匝地、埋山沒峰なり。破雪して道をもとむ、いくばくの嶮難なりとかせん。つひに室にとづくといへども、入室ゆるされず、顧眄せざるがごとし。この夜、ねぶらず、坐せず、やすむことなし。堅立不動にしてあくるをまつに、夜雪なさけなきがごとし。ややつもりて腰をうづむあひだ、おつるなみだ滴滴こほる。なみだをみるになみだをかさぬ、身をかへりみて身をかへりみる。
自惟すらく、
昔人求道、敲骨取髓、刺血濟饑。布髪淹泥、投崖虎。古尚若此、我又何人(昔の人、道を求むるに、骨を敲ちて髓を取り、血を刺して饑ゑたるを濟ふ。髪を布きて泥を淹ひ、崖に投げて虎にふ。古尚此の若し、我又何人ぞ)。
かくのごとくおもふに、志氣いよいよ勵志あり。
いまいふ古尚若此、我又何人を、晩進もわすれざるべきなり。しばらくこれをわするるとき、永劫の沈溺あるなり。
かくのごとく自惟して、法をもとめ道をもとむる志氣のみかさなる。澡雪の操を操とせざるによりて、しかありけるなるべし。遲明のよるの消息、はからんとするに肝膽もくだけぬるがごとし。ただ身毛の寒怕せらるるのみなり。
、あはれみて昧旦にとふ、汝久立雪中、當求何事(汝、久しく雪中に立つて、當に何事をか求むる)。
かくのごとくきくに、二、悲涙ますますおとしていはく、惟願和尚、慈悲開甘露門、廣度群品(惟し願はくは和尚、慈悲をもて甘露門を開き、廣く群品を度すべし)。
かくのごとくまうすに、
曰、佛無上妙道、曠劫勤、難行能行、非忍而忍。豈以小小智、輕心慢心、欲冀眞乘、徒勞勤苦(佛無上の妙道は、曠劫に勤して難行能行す、非忍にして忍なり。豈小小智、輕心慢心を以て、眞乘を冀はんとせん、徒勞に勤苦ならん)。
このとき、二ききていよいよ誨勵す。ひそかに利刀をとりて、みづから左臂を斷て、置于師前するに、初ちなみに二これ法器なりとしりぬ。
乃曰、佛最初求道、爲法忘形。汝今斷臂吾前、求亦可在(佛、最初に道を求めしとき、法の爲に形を忘じき。汝今臂を吾が前に斷ず、求むること亦可なること在り)。
これより堂奥にいる。執侍八年、勤勞千萬、まことにこれ人天の大依怙なるなり、人天の大導師なるなり。かくのごときの勤勞は、西天にもきかず、東地はじめてあり。
破顔は古をきく、得髓はに學す。しづかに觀想すらくは、初いく千萬の西來ありとも、二もし行持せずば、今日の學措大あるべからず。今日われら正法を見聞するたぐひとなれり、の恩かならず報謝すべし。その報謝は、餘外の法はあたるべからず、身命も不足なるべし、國城もおもきにあらず。國城は他人にもうばはる、親子にもゆづる。身命は無常にもまかす、主君にもまかす、邪道にもまかす。しかあれば、これを擧して報謝に擬するに不道なるべし。ただまさに日日の行持、その報謝の正道なるべし。
いはゆるの道理は、日日の生命を等閑にせず、わたくしにつひやさざらんと行持するなり。そのゆゑはいかん。この生命は、前來の行持の餘慶なり、行持の大恩なり。いそぎ報謝すべし。かなしむべし、はづべし、佛行持の功分より生成せる形骸を、いたづらなる妻子のつぶねとなし、妻子のもちあそびにまかせて、破落ををしまざらんことは。邪狂にして身命を名利の羅刹にまかす。名利は一頭の大賊なり。名利をおもくせば名利をあはれむべし。名利をあはれむといふは、佛となりぬべき身命を、名利にまかせてやぶらしめざるなり。妻子親族あはれまんことも、またかくのごとくすべし。名利は夢幻空花と學することなかれ、衆生のごとく學すべし。名利をあはれまず、罪報をつもらしむることなかれ。參學の正眼、あまねく方をみんこと、かくのごとくなるべし。
世人のなさけある、金銀珍玩の蒙惠なほ報謝す、好語好聲のよしみ、こころあるはみな報謝のなさけをはげむ。如來無上の正法を見聞する大恩、たれの人面か、わするるときあらん。これをわすれざらん、一生の珍寶なり。この行持を不退轉ならん形骸髑髏は、生時死時、おなじく七寶塔におさめ、一切人天皆應供養の功なり。かくのごとく大恩ありとしりなば、かならず草露の命をいたづらに零落せしめず、如山のをねんごろに報ずべし。これすなはち行持なり。
この行持の功は、佛として行持するわれありしなり。おほよそ初、かつて藍を草創せず、薙草の繁務なし。および三もまたかくのごとし。五の寺院を自草せず、原南嶽もまたかくのごとし。

石頭大師は草庵を大石にむすびて石上に坐禪す。晝夜にねぶらず、坐せざるときなし。衆務を虧闕せずといへども、十二時の坐禪かならずつとめきたれり。いま原の一派の天下に流通すること、人天を利潤せしむることは、石頭大力の行持堅固のしかあらしむるなり。いまの雲門法眼のあきらむるところある、みな石頭大師の法孫なり。

第三十一大醫禪師は、十四歳のそのかみ、三大師をみしより、服勞九載なり。すでに佛風を嗣續するより、攝心無寐にして脅不至席なること僅六十年なり。化、怨親にかうぶらしめ、、人天にあまねし。眞丹の第四なり。
貞觀癸卯歳、太宗嚮師道味、欲瞻風彩、詔赴京。師上表遜謝、前後三返、竟以疾辭。第四度、命使曰、如果不赴、取首來。使至山諭旨。師乃引頚就刄、色儼然。使異之、廻以状聞。帝彌加歎慕。就賜珍、以遂其志(貞觀癸卯の歳、太宗、師の道味を嚮び、風彩を瞻んとして、赴京を詔す。師、上表して遜謝すること前後三返、竟に疾を以て辭す。第四度、使に命じて曰く、如果して赴せずは、ち首を取りて來れ。使、山に至つて旨を諭す。師乃ち頚を引いて刄に就く、色儼然たり。使、之を異とし、廻つて状を以て聞す。帝彌加歎慕す。珍を就賜して、以てその志を遂ぐ)。
しかあればすなはち、四禪師は身命を身命とせず、王臣に親近せざらんと行持せる行持、これ千歳の一遇なり。太宗は有義の國主なり、相見のものうかるべきにあらざれども、かくのごとく先達の行持はありけると參學すべきなり。人主としては、引頚就刄して身命ををしまざる人物をも、なほ歎慕するなり。これいたづらなるにあらず、光陰ををしみ、行持を專一にするなり。上表三返、奇代の例なり。いま澆季には、もとめて帝者にまみえんとねがふあり。
高宗永徽辛亥歳、閏九月四日、忽垂誡門人曰、一切法悉皆解。汝等各自護念、流化未來。言訖安坐而逝。壽七十有二、塔于本山。明年四月八日、塔戸無故自開、儀相如生。爾後、門人不敢復閉(高宗の永徽辛亥の歳、閏九月四日、忽ちに門人に垂誡して曰く、一切法は悉く皆解なり。汝等各自護念すべし、未來を流化すべし。言ひ訖りて安坐して逝す。壽七十有二。本山に塔たつ。明年四月八日、塔の戸、故無く自ら開く、儀相生ける如し。爾後、門人敢てまた閉ぢず)。
しるべし、一切法悉皆解なり、法の空なるにあらず、法の法ならざるにあらず、悉皆解なる法なり。いま四には、未入塔時の行持あり、在塔時の行持あるなり。生者かならず滅ありと見聞するは小見なり、滅者は無思覺と知見せるは小聞なり。學道にはこれらの小聞小見をならふことなかれ。生者の滅なきもあるべし、滅者の有思覺なるもあるべきなり。

州玄沙宗一大師、法名師備、縣人也。姓謝氏。幼年より垂釣をこのむ。小艇を南臺江にうかめて、もろもろの漁者になれきたる。唐の咸通のはじめ、年甫三十なり。たちまちに出塵をねがふ。すなはち釣舟をすてて、芙蓉山靈訓禪師に投じて落髪す。豫章開元寺道玄律師に具足戒をうく。
布衲芒履、食纔接氣、常終日宴坐。衆皆異之。與雪峰義存、本法門昆仲、而親近若師資。雪峰以其苦行、呼爲頭陀(布衲芒履なり、食は纔かに氣を接す、常に終日宴坐す。衆皆之を異なりとす、雪峰義存と、本と法門の昆中なり、而して親近すること師資の若し。雪峰其の苦行を以て、呼んで頭陀と爲す)。
一日雪峰問曰、阿那箇是備頭陀(一日、雪峰問ふて曰く、阿那箇か是れ備頭陀)。
師對曰、終不敢誑於人(師對へて曰く、終に敢て人を誑かさず)。
異日雪峰召曰、備頭陀何不參去(異日雪峰召んで曰く、備頭陀何ぞ參去せざる)。
師曰く、達磨不來東土、二不往西天。
雪峰然之。
つひに象骨山にのぼるにおよんで、すなはち師と同力締構するに、玄徒臻萃せり。師の入室咨決するに、晨昏にかはることなし。方の玄學のなかに所未決あるは、かならず師にしたがひてするに、雪峰和尚いはく、備頭陀にとふべし。師まさに仁にあたりて不讓にしてこれをつとむ。拔群の行持にあらずよりは、恁麼の行履あるべからず。終日宴坐の行持、まれなる行持なり。いたづらに聲色に馳騁することはおほしといへども、終日の宴坐はつとむる人まれなるなり。いま晩學としては、のこりの光陰のすくなきことをおそりて、終日宴坐、これをつとむべきなり。

長慶の慧稜和尚は、雪峰下の尊宿なり。雪峰と玄沙とに往來して、參學すること僅二十九年なり。その年月に蒲團二十枚を坐破す。いまの人の坐禪を愛するあるは、長慶をあげて慕古の勝躅とす。したふはおほし、およぶすくなし。しかあるに、三十年の功夫むなしからず、あるとき涼簾を卷起せしちなみに、忽然として大悟す。
三十來年かつて土にかへらず、親族にむかはず、上下肩と談笑せず、專一に功夫す。師の行持は三十年なり。疑滯を疑滯とせること三十年、さしおかざる利機といふべし、大根といふべし。勵志の堅固なる、傳聞するは或從經卷なり。ねがふべきをねがひ、はづべきをはぢとせん、長慶に相逢すべきなり。實を論ずれば、ただ道心なく、操行つたなきによりて、いたづらに名利には繋縛せらるるなり。

山大圓禪師は、百丈の授記より、直に山の峭絶にゆきて、鳥獸爲伍して結草修練す。風雪を辭勞することなし。橡栗充食せり。堂宇なし、常住なし。しかあれども、行持の見成すること四十來年なり。のちには海内の名藍として龍象蹴踏するものなり。
梵刹の現成を願ぜんにも、人をめぐらすことなかれ、佛法の行持を堅固にすべきなり。修練ありて堂閣なきは古佛の道場なり、露地樹下の風、とほくきこゆ。この處在、ながく結界となる。まさに一人の行持あれば、佛の道場につたはるなり。末世の愚人、いたづらに堂閣の結構につかるることなかれ。佛いまだ堂閣をねがはず。自己の眼目いまだあきらめず、いたづらに殿堂藍を結構する、またく佛の佛宇を供養せんとにはあらず、おのれが名利の窟宅とせんがためなり。山のそのかみの行持、しづかにおもひやるべきなり。おもひやるといふは、わがいま山にすめらんがごとくおもふべし。深夜のあめの聲、こけをうがつのみならんや、巖石を穿却するちからもあるべし。冬天のゆきの夜は、禽獸もまれなるべし、いはんや人煙のわれをしるあらんや。命をかろくし法をおもくする行持にあらずは、しかあるべからざる活計なり。薙草すみやかならず、土木いとなまず。ただ行持修練し、辨道功夫あるのみなり。あはれむべし、正法傳持の嫡、いくばくか山中の嶮岨にわづらふ。山をつたへきくには、池あり、水あり、こほりかさなり、きりかさなるらん。人物の堪忍すべき幽棲にあらざれども、佛道と玄奥と、化、成ずることあらたなり。かくのごとく行持しきたれりし道得を見聞す、身をやすくしてきくべきにあらざれども、行持の勤勞すべき報謝をしらざれば、たやすくきくといふとも、こころあらん晩學、いかでかそのかみの山を、目前のいまのごとくおもひやりてあはれまざらん。
この山の行持の道力化功によりて、風輪うごかず、世界やぶれず。天衆の宮殿おだいかなり、人間の國土も保持せるなり。山の遠孫にあらざれども、山は宗なるべし。のちに仰山きたり侍奉す。仰山、もとは百丈先師のところにして、問十答百の子なりといへども、山に參侍して、さらに看牛三年の功夫となる。近來は斷絶し、見聞することなき行持なり。三年の看牛、よく道得を人にもとめざらしむ。

芙蓉山の楷、もはら行持見成の本源なり。國主より定照禪師號ならびに紫袍をたまふに、、うけず、修表具辭す。國主とがめあれども、師、つひに不受なり。米湯の法味つたはれり。芙蓉山に庵せしに、道俗の川湊するもの、僅數百人なり。日食粥一杯なるゆゑに、おほく引去す。師、ちかふて赴齋せず。あるとき衆にしめすにいはく、
夫出家者、爲厭塵勞。求生死、休心息念、斷絶攀。故名出家。豈可以等閑利養、埋沒平生。直須兩頭撒開、中間放下。遇聲遇色、如石上栽華。見利見名、似眼中著屑。況從無始以來、不是不曾經歴、又不是不知次第、不過頭作尾。止於如此、何須苦苦貪戀。如今不歇、更待何時。所以先聖、人只要盡却。今時能盡今時、更有何事。若得心中無事、佛猶是冤家。一切世事、自然冷淡、方始那邊相應(夫れ出家は、塵勞を厭はん爲なり。生死求め、休心息念し攀を斷絶す。故に出家と名づく。豈に等閑の利養を以て、平生を埋沒す可けんや。直に須らく兩頭撒開し、中間放下すべし。聲に遇ひ色に遇ふも、石上華を栽うるが如し。利を見名を見るも、眼中に著屑に似たるべし。況んや無始より以來、是れ曾て經歴せざるにあらず、又是れ次第を知らざるにあらず、頭作尾に過ぎず。止此の如くなるに於て、何ぞ須らく苦苦に貪戀せん。如今歇めずは、更に何れの時をか待たん。所以に先聖、人をして只要ず盡却せしむ。今時能く今時を盡さば、更に何事か有らん。若し心中の無事を得れば、佛も猶是れ冤家なるがごとし。一切世事、自然冷淡なり、方に始めて那邊相應す)。
不見、隱山至死、不肯見人。趙州至死、不肯告人、擔拾橡栗爲食、大梅以荷葉爲衣、紙衣道者は只披紙、玄太上座只著布。石霜置枯木堂、與衆坐臥、只要死了心。投子使人辨米、同煮共餐、要得省取事。且從上聖、有如此榜樣。若無長處、如何甘得。仁者、若也於斯體究、的不虧人。若也不肯承當、向後深恐費力(見ずや、隱山死に至るまで人に見えんことを肯せず。趙州は死に至るまで人に告げんことを肯せず。擔は橡栗を拾つて食とし、大梅は荷葉を以て衣とし、紙衣道者は只だ紙を披る、玄太上座は只だ布を著る。石霜は枯木堂を置きて衆と與に坐臥す。只が心を死了せんことを要す。投子は人をして米を辨じ、同煮共餐せしむ、が事を省取することを要得す。且く從上の聖、此の如くの榜樣有り。若し長處無くんば、如何甘得せん。仁者、若也斯に於て體究すれば、的不虧人なり。若也承當を肯せずは、向後深く恐らくは費力せん)。
行業無取、忝主山門。豈可坐費常住、頓忘先聖附屬。今者輙欲略學古人爲住持體例。與人議定、更不下山、不赴齋、不發化主。唯將本院莊課一歳所得、均作三百六十分、日取一分用之、更不隨人添減。可以備則作、作不足則作粥。作粥不足、則作米湯。新到相見、茶湯而已、更不煎點。唯置一茶堂、自去取用。務要省、專一辨道(山行業取無くして、忝く山門を主す。豈に坐ら常住を費やし、頓に先聖の附屬を忘る可けんや。今は輙ち古人の住持たる體例に略學せんとす。人と議定して更に山を下らず、齋に赴かず、化主を發せず。唯、本院の莊課一歳の所得を將て、均しく三百六十分に作して、日に一分を取つて之を用ゐる、更に人に隨つて添減せず。以てに備すべきには則ち作す、作不足なれば則ち作粥す。作粥不足なれば、則ち米湯に作る。新到の相見は、茶湯のみなり、更に煎點せず。唯一の茶堂を置いて、自去取用す。務要省し、專一に辨道す)。
又況活計具足、風景不疎。華解笑、鳥解啼。木馬長鳴、石牛善走。天外之山寡色、耳畔之鳴泉無聲。嶺上猿啼、露濕中霄之月。林鶴唳、風囘曉之松。春風起時枯木龍吟、秋葉凋而寒林花散。玉階鋪苔蘚之紋、人面帶煙霞之色。音塵寂爾、消息宛然。一味蕭條、無可趣向(又況んや活計具足し、風景疎ならず。華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す。木馬長く鳴き、石牛善く走る。天外の山色寡く、耳畔の鳴泉聲無し。嶺上猿啼んで露中霄の月を濕らす。林鶴唳いて風曉の松を囘る。春風起こる時枯木龍吟す、秋葉凋みおちて寒林花を散ず。玉階苔蘚の紋を鋪き、人面煙霞の色を帶す。音塵寂爾にして、消息宛然なり。一味蕭條として、趣向すべき無し)。
今日、向人面前家門。已是不著便、豈可更去陞堂入室、拈槌豎拂、東喝西棒、張眉努目、如癇病發相似。不唯屈沈上座、況亦辜負先聖(山今日、人の面前に向つて家門をく。已に是れ不著便なり、豈に更に去いて陞堂し入室し、拈槌豎拂し、東喝西棒し、張眉怒目して、癇病發相似の如くなるべけんや。唯上座を屈沈するのみにあらず、況に亦先聖を辜負せん)。
不見、達磨西來、到少室山下、面壁九年。二至立雪斷臂、可謂受艱辛。然而達磨不曾措了、二不曾問著一句。還喚達磨作不爲人得麼、喚二做不求師得麼。山毎至著古聖做處、便無覺地容身。慚愧後人軟弱。又況百味珍羞、逓相供養、道我四事具足、方可發心。只恐做手脚不迭、便是隔生隔世去也。時光似箭、深爲可惜。雖然如是、更在他人從長相度。山也強不得(見ずや、達磨西來して、少室山の下に到つて、面壁九年す。二立雪斷臂するに至るまで、謂つべし、艱辛を受くと。然れども達磨曾て措了せず、二曾て一句を問著せず。還つて達磨を喚んで不爲人と作んや、二を喚んで不求師と做んや。山古聖の做處を著するに至る毎に、便ち地の容身すべき無きを覺ゆ。慚愧づらくは後人軟弱なること。又況に百味珍羞、逓に相供養し、道ふ、我れは四事具足して、方に發心すべしと。只恐らくは做手脚不迭にして、便ち是れ隔生隔世せん。時光箭に似たり、深く可惜たり。然も是の如くなりと雖も、更に他人の從長して相度する在らん。山也強ひてふること不得なり)。
人者、還見古人偈麼(人者、還古人の偈を見るや)、
山田
野菜淡黄齏、
喫則從君喫、
不喫任東西。
(山田粟の、野菜淡黄の齏、喫することは則ち君の喫するに從す、喫せざれば東西に任す。)
伏惟同道、各自努力。珍重(伏して惟んみれば同道、各自努力よや。珍重)。
これすなはち宗單傳の骨髓なり。
の行持おほしといへども、しばらくこの一枚を擧するなり。いまわれらが晩學なる、芙蓉高の芙蓉山に修練せし行持、したひ參學すべし。それすなはち祇園の正儀なり。

洪州江西開元寺大寂禪師、諱道一、漢州十方縣人なり。南嶽に參侍すること十餘載なり。あるとき、里にかへらんとして半路にいたる。半路よりかへりて燒香禮拜するに、南嶽ちなみに偈をつくりて馬にたまふにいはく、
勸君莫歸
道不行。
竝舍老婆子、
汝舊時名。
(勸君すらく歸すること莫れ、歸は道行はれず。竝舍の老婆子、汝が舊時の名をかん。)
この法話をたまふに、馬、うやまひたまはりて、ちかひていはく、われ生生にも漢州にむかはざらんと誓願して、漢州にむかひて一歩をあゆまず。江西に一往して十方を往來せしむ。わづかに佛を道得するほかに、さらに一語の爲人なし。しかありといへども南嶽の嫡嗣なり、人天の命脈なり。
いかなるかこれ莫歸。莫歸とはいかにあるべきぞ。東西南北の歸去來、ただこれ自己の倒起なり。まことに歸道不行なり。道不行なる歸なりとや行持する、歸にあらざるとや行持する、歸なにによりてか道不行なる。不行にさへらるとやせん、自己にさへらるとやせん。
竝舍老婆子は汝舊時名なりとはいはざるなり。竝舍老婆子、汝舊時名なりといふ道得なり。南嶽いかにしてかこの道得ある、江西いかにしてかこの法語をうる。その道理は、われ向南行するときは大地おなじく向南行するなり、餘方もまたしかあるべし。須彌大海を量としてしかあらずと疑殆し、日月星辰に格量して猶滯するは小見なり。

第三十二大滿禪師は黄梅人なり。俗姓は周氏なり。母の姓を稱なり。師は無父而生なり。たとへば、李老君のごとし。七歳傳法よりのち、七十有四にいたるまで、佛正法眼藏、よくこれを住持し、ひそかに衣法を慧能行者に付屬する、不群の行持なり。衣法を秀にしらせず、慧能に付屬するゆゑに正法の壽命不斷なるなり。

先師天童和尚は越上人事なり。十九歳にして學をすてて參學するに、七旬におよんでなほ不退なり。嘉定の皇帝より紫衣師號をたまはるといへどもつひにうけず、修表辭謝す。十方の雲衲ともに崇重す、遠近の有識ともに隨喜するなり。皇帝大して御茶をたまふ。しれるものは奇代の事と讃歎す、まことにこれ眞實の行持なり。そのゆゑは、愛名は犯禁よりもあし。犯禁は一事の非なり、愛名は一生の累なり。おろかにしてすてざることなかれ、くらくしてうくることなかれ。うけざるは行持なり、すつるは行持なり。六代の師、おのおの師號あるは、みな滅後の敕謚なり、在世の愛名にあらず。しかあれば、すみやかに生死の愛名をすてて、佛の行持をねがふべし。貪愛して禽獸にひとしきことなかれ。おもからざる吾我をむさぼり愛するは禽獸もそのおもひあり、畜生もそのこころあり。名利をすつることは人天もまれなりとするところ、佛いまだすてざるはなし。
あるがいはく、衆生利のために貪名愛利すといふ、おほきなる邪なり。附佛法の外道なり、謗正法の魔黨なり。なんぢいふがごとくならば、不貪名利の佛は利生なきか。わらふべし、わらふべし。又、不貪の利生あり、いかん。又そこばくの利生あることを學せず、利生にあらざるを利生と稱ずる、魔類なるべし。なんぢに利せられん衆生は、墮獄の種類なるべし。一生のくらきことをかなしむべし、愚蒙を利生に稱ずることなかれ。しかあれば、師號を恩賜すとも上表辭謝する、古來の勝躅なり、晩學の參究なるべし。まのあたり先師をみる、これ人にあふなり。
先師は十九歳より離尋師、辨道功夫すること、六十五歳にいたりてなほ不退不轉なり。帝者に親近せず、帝者にみえず。丞相と親厚ならず、官員と親厚ならず。紫衣師號を表辭するのみにあらず、一生まだらなる袈裟を搭せず、よのつねに上堂入室、みなくろき袈裟子をもちゐる。
衲子を訓するにいはく、參禪學道は第一有道心、これ學道のはじめなり。いま二百來年、師道すたれたり、かなしむべし。いはんや一句を道得せる皮袋すくなし。某甲そのかみ徑山に掛錫するに、光佛照そのときの粥頭なりき。上堂していはく、佛法禪道かならずしも他人の言句をもとむべからず、ただ各自理會。かくのごとくいひて、堂裏都不管なりき、雲水兄弟也都不管なり。祗管與官客相見追尋(祗管に官客と相見追尋)するのみなり。佛照、ことに佛法の機關をしらず、ひとへに貪名愛利のみなり。佛法もし各自理會ならば、いかでか尋師訪道の老古錐あらん。眞箇是光佛照、不曾參禪也(眞箇是れ光佛照、曾て參禪せざるなり)。いま方長老無道心なる、ただ光佛照箇子也。佛法那得他手裏有(佛法那んぞ他が手裏に有ることを得ん)。可惜、可惜。
かくのごとくいふに、佛照兒孫おほくきくものあれど、うらみず。
又いはく、參禪者身心落也、不用燒香禮拜念佛修懺看經、祗管坐始得(參禪は身心落なり、燒香禮拜念佛修懺看經を用ゐず、祗管に坐して始得なり)。
まことに、いま大宋國の方に、參禪に名字をかけ、宗の遠孫と稱ずる皮袋、ただ一、二百のみにあらず、稻竹葦なりとも、打坐を打坐に勸誘するともがら、たえて風聞せざるなり。ただ四海五湖のあひだ、先師天童のみなり。方もおなじく天童をほむ、天童方をほめず。又すべて天童をしらざる大刹の主もあり。これは中華にむまれたりといへども、禽獸の流類ならん。參ずべきを參ぜず、いたづらに光陰を蹉過するがゆゑに。あはれむべし、天童をしらざるやからは、胡亂道をかまびすしくするを佛の家風と錯認せり。

先師よのつねに普す、われ十九載よりこのかた、あまねく方の叢林をふるに、爲人師なし。十九載よりこのかた、一日一夜も不礙蒲團の日夜あらず。某甲未住院よりこのかた、人とものがたりせず。光陰をしきによりてなり。掛錫の所在にあり、庵裏寮舍すべていりてみることなし。いはんや游山翫水に功夫をつひやさんや。雲堂公界の坐禪のほか、あるいは閣上、あるいは屏處をもとめて、獨子ゆきて、穩便のところに坐禪す。つねに袖裏に蒲團をたづさへて、あるいは岩下にも坐禪す。つねにおもひき、金剛座を坐破せんと。これ、もとむる所期なり。臀肉の爛壞するときどきもありき。このとき、いよいよ坐禪をこのむ。某甲今年六十五載、老骨頭懶、不會坐禪なれども、十方兄弟をあはれむによりて、住持山門、曉諭方來、爲衆傳道なり。方長老、那裏有什麼佛法なるゆゑに。
かくのごとく上堂し、かくのごとく普するなり。
又、方の雲水の人事の産をうけず。

趙提擧は嘉定聖主の胤孫なり。知明州軍州事、管内勸農使なり。先師をじて州府につきて陞座せしむるに、銀子一萬を布施す。
先師、陞座了に、提擧にむかうて謝していはく、某甲依例出山陞座、開演正法眼藏涅槃妙心、謹以薦先公冥府。只是銀子、不敢拜領。家不要這般物子。千萬賜恩、依舊拜還(某甲例に依つて出山して陞座し、正法眼藏涅槃妙心を開演す。謹んで以て先公の冥府に薦す。只だ是の銀子、敢へて拜領せじ。家、這般の物子を要せず。千萬賜恩、舊に依つて拜還せん)。
提擧いはく、和尚、下官悉以皇帝陛下親族、到處且貴、寶貝見多。今以先父冥之日、欲資冥府。和尚如何不納。今日多幸、大慈大悲、卒留小襯(和尚、下官悉く皇帝陛下の親族なるを以て、到る處に且つ貴なり、寶貝見に多し。今、先父の冥の日を以て、冥府に資せんと欲ふ。和尚如何不納めたまはざる。今日多幸、大慈大悲をもて、小襯を卒留したまへ)。
先師曰、提擧台命且嚴、不敢遜謝。只有道理、某甲陞座法、提擧聰聽得否(提擧の台命且つ嚴なり、敢へて遜謝せず。只し道理有り、某甲陞座法す、提擧聰かに聽得すや否や)。
提擧曰、下官只聽歡喜(下官只だ聽いて歡喜す)。
先師いはく、提擧聰明、照鑑山語、不勝皇恐。更望台臨、鈞候萬。山陞座時、得甚麼法。試道看。若道得、拜領銀子一萬、若道不得、便府使收銀子(提擧聰明にして、山語を照鑑す、皇恐に勝へず。更に望むらくは台臨、鈞候萬。山陞座の時、甚麼の法をか得する。試道看。若し道ひ得ば、銀子一萬を拜領せん。若し道ひ得ずは、便ち府使銀子を收めよ)。
提擧起向先師曰、辰伏惟、和尚法候、動止萬
先師いはく、這箇是擧來底、那箇是聽得底(這箇は是れ擧し來る底、那箇か是れ聽得底なる)。
提擧擬議。
先師いはく、先公冥圓成、襯施且待先公台判(先公冥圓成なり、襯施は且く先公の台判を待つべし)。
かくのごとくいひて、すなはち暇するに、提擧いはく、未恨不領、且喜見師(未だ不領なるをば恨みず、且喜ぶ師を見ることを)。
かくのごとくてひて、先師をおくる。浙東浙西の道俗、おほく讃歎す。このこと、平侍者が日録にあり。
平侍者いはく、這老和尚、不可得人。那裏容易得見(這の老和尚は、不可得人なり。那裏にか容易く見ることを得ん)。
たれか方にうけざる人あらん、一萬の銀子。ふるき人のいはく、金銀珠玉、これをみんこと糞土のごとくみるべし。たとひ金銀のごとくみるとも、不受ならんは衲子の風なり。先師にこの事あり、餘人にこのことなし。
先師つねにいはく、三百年よりこのかた、わがごとくなる知識いまだいでず。人審細に辨道功夫すべし。

先師の會に、西蜀の綿州人にて、道昇とてありしは道家流なり。徒儻五人、ともにちかうていはく、われら一生に佛の大道を辨取すべし。さらに土にかへるべからず。
先師ことに隨喜して、經行道業ともに衆と一如ならしむ。その排列のときは比丘尼のしもに排立す、奇代の勝躅なり。
又、州の、その名善如、ちかひていはく、善如平生さらに一歩をみなみにむかひてうつすべからず。もはら佛の大道を參ずへし。
先師の會に、かくのごとくのたぐひあまたあり。まのあたりみしところなり。餘師のところになしといへども、大宋國の宗の行持なり。われらにこの心操なし、かなしむべし。佛法にあふときなほしかあり、佛法にあはざらんときの身心、はぢてもあまりあり。
しづかにおもふべし、一生いくばくにあらず、佛の語句、たとひ三三兩兩なりとも、道得せんは佛を道得せるならん。ゆゑはいかん。佛は身心如一なるがゆゑに、一句兩句、みな佛のあたたかなる身心なり。かの身心きたりてわが身心を道得す。正當道取時、これ道得きたりてわが身心を道取するなり。此生道取累生身なるべし。かるがゆゑに、ほとけとなりとなるに、佛をこゑをこゆるなり。三三兩兩の行持の句、それかくのごとし。いたづらなる聲色の名利に馳騁することなかれ。馳騁せざれば、佛單傳の行持なるべし。すすむらくは大隱小隱、一箇半箇なりとも、萬事萬をなげすてて、行持を佛に行持すべし。

行持

仁治三年壬寅四月五日書于觀音導利興聖寶林寺