第十五 光明

大宋國湖南長沙招賢大師、上堂示衆云、
盡十方界、是沙門眼。
(盡十方界、是れ沙門の眼)
盡十方界、是沙門家常語。
(盡十方界、是れ沙門の家常語)
盡十方界、是沙門全身。
(盡十方界、是れ沙門の全身)
盡十方界、是自己光明。
(盡十方界、是れ自己の光明)
盡十方界、自己在光明裏。
(盡十方界、自己の光明裏に在り)
盡十方界、無一人不是自己。
(盡十方界、一人として是れ自己にあらざる無し)
佛道の參學、かならず勤學すべし。轉疎轉遠なるべからず。これによりて光明を學得せる作家、まれなるものなり。
震旦國、後漢の孝明皇帝、帝諱は莊なり、廟號は顯宗皇帝とまうす。光武皇帝の第四の御子なり。孝明皇帝の御宇、永平十年戊辰のとし、摩騰、竺法蘭、はじめて佛を漢國に傳來す。焚經臺のまへに道士の邪徒を降伏し、佛の力をあらはす。それよりのち、梁武帝の御宇、普通年中にいたりて、初みづから西天より南海の廣州に幸す。これ正法眼藏正傳の嫡嗣なり、釋牟尼佛より二十八世の法孫なり。ちなみに嵩山の少室峰少林寺に掛錫しまします。法を二禪師に正傳せりし、これ佛光明の親曾なり。それよりさきは佛の光明を見聞せるなかりき、いはんや自己の光明をしれるあらんや。たとひその光明は頂より擔來して相逢すといへども、自己の眼睛に參學せず。このゆゑに、光明の長短方圓をあきらめず、光明の卷舒斂放をあきらめず。光明の相逢を却するゆゑに、光明と光明と轉疎轉遠なり。この疎遠たとひ光明なりとも、疎遠に礙せらるるなり。
轉疎轉遠の臭皮袋おもはくは、佛光も自己光明も、赤白黄にして火光水光のごとく、珠光玉光のごとく、龍天の光のごとく、日月の光のごとくなるべしと見解す。或從知識し、或從經卷すといへども、光明の言をきくには、螢光のごとくならんとおもふ、さらに眼睛頂の參學にあらず。漢より隋唐宋および而今にいたるまで、かくのごとくの流類おほきのみなり。文字の法師に學することなかれ、禪師胡亂の、きくべからず。
いはゆる佛の光明は盡十方界なり、盡佛盡なり、唯佛與佛なり。佛光なり、光佛なり。佛は佛を光明とせり。この光明を修證して、作佛し、坐佛し、證佛す。このゆゑに、此光照東方萬八千佛土の道著あり。これ話頭光なり。此光は佛光なり、照東方は東方照なり。東方は彼此の俗論にあらず、法界の中心なり、拳頭の中央なり。東方を礙すといへども、光明の八兩なり。此土に東方あり、他土に東方あり、東方に東方ある宗旨を參學すべし。萬八千といふは、萬は半拳頭なり、半心なり。かならずしも十千にあらず、萬萬百萬等にあらず。佛土といふは、眼睛裡なり。照東方のことばを見聞して、一條白練去を東方へひきわたせらんがごとくに憶想參學するは學道にあらず。盡十方界は東方のみなり、東方を盡十方界といふ。このゆゑに盡十方界あるなり。盡十方界と開演する話頭すなはち萬八千佛土の聞聲するなり。

唐憲宗皇帝は、穆宗、宣宗、兩皇帝の帝父なり。敬宗、文宗、武宗、三皇帝の父なり。佛舍利を拜して、入内供養のちなみに、夜放光明あり。皇帝大し、早朝の群臣、みな賀表をたてまつるにいはく、陛下の聖聖感なり。
ときに一臣あり、韓愈文公なり。字は退之といふ。かつて佛の席末に參學しきたれり。文公ひとり賀表せず。
憲宗皇帝宣問す、群臣みな賀表をたてまつる、卿なんぞ賀表せざる。
文公奏對す、微臣かつて佛書をみるにいはく、佛光は黄赤白にあらず。いまのこれ龍衞護の光明なり。
皇帝宣問す、いかにあらんかこれ佛光なる。
文公無對なり。
いまこの文公、これ在家の士俗なりといへども、丈夫の志氣あり。囘天轉地の材といひぬべし。かくのごとく參學せん、學道の初心なり。不如是學は非道なり。たとひ講經して天花をふらすとも、いまだこの道理にいたらずは、いたづらの功夫なり。たとひ十聖三賢なりとも、文公と同口の長舌を保任せんとき、發心なり修證なり。
しかありといへども、韓文公なほ佛書を見聞せざるところあり。いはゆる佛光非黄赤白等の道、いかにあるべしとか學しきたれる。卿もし黄赤白をみて佛光にあらずと參學するちからあらば、さらに佛光をみて黄赤白とすることなかれ。憲宗皇帝もし佛ならんには、かくのごとくの宣問ありぬべし。
しかあれば明明の光明は百草なり。百草の光明、すでに根莖枝葉、花菓光色、いまだ與奪あらず。五道の光明あり、六道の光明あり。這裏是什麼處在なればか、明する。云何忽生山河大地なるべし。長沙道の盡十方界、是自己光明の道取を審細に參學すべきなり。光明、自己、盡十方界を參學すべきなり。
生死去來は光明の去來なり。超凡越聖は、光明の藍朱なり。作佛作は、光明の玄黄なり。修證はなきにあらず、光明の染汚なり。草木牆壁、皮肉骨髓、これ光明の赤白なり。烟霞水石、鳥道玄路、これ光明の廻環なり。自己の光明を見聞するは、値佛の證驗なり、見佛の證驗なり。盡十方界は是自己なり。是自己は盡十方界なり。廻避の餘地あるべからず。たとひ廻避の地ありとも、これ出身の活路なり。而今の髑髏七尺、すなはち盡十方界の形なり、象なり。佛道に修證する盡十方界は、髑髏形骸、皮肉骨髓なり。

雲門山大慈雲匡眞大師は、如來世尊より三十九世の兒孫なり。法を雪峰眞覺大師に嗣す。佛衆の晩進なりといへども、席の英雄なり。たれか雲門山に光明佛の未曾出世と道取せん。
あるとき、上堂示衆云、人人盡有光明在、看時不見暗昏昏、作麼生是人光明在(人人盡く光明の在る有り、看る時見ず暗昏昏なり。作麼生ならんか是れ人の光明在ること)。
衆無對(衆、對ふること無し)。
自代云(自ら代て云く)、堂佛殿廚庫三門。
いま大師道の人人盡有光明在は、のちに出現すべしといはず、往世にありしといはず、傍觀の現成といはず。人人、自有、光明在と道取するを、あきらかに聞持すべきなり。百千の雲門をあつめて同參せしめ、一口同音に道取せしむるなり。人人、盡有、光明在は、雲門の自構にあらず、人人の光明みづから拈光爲道なり。人人盡有光明とは、渾人自是光明在なり。光明といふは人人なり。光明を拈得して、依報正報とせり。光明盡有人人在なるべし、光明自是人人在なり、人人自有人人在なり、光光自有光光在なり、有有盡有有有在なり、盡盡有有盡盡在なり。
しかあればしるべし、人人盡有の光明は、現成の人人なり。光光、盡有の人人なり。しばらく雲門にとふ、なんぢなにをよんでか人人とする、なにをよんでか光明とする。
雲門みづからいはく、作麼生是光明在。
この問著は、疑殺話頭の光明なり。しかあれども、恁麼道著すれば、人人、光光なり。
ときに衆無對。
たとひ百千の道得ありとも、無對を拈じて道著するなり。これ佛使用傳の正法眼藏涅槃妙心なり。
雲門自代云、堂佛殿廚庫三門。
いま道取する自代は、雲門に自代するなり、大衆に自代するなり、光明に自代するなり。堂佛殿廚庫三門に自代するなり。しかあれども、雲門なにをよんでか堂佛殿廚庫三門とする。大衆および人人をよんで堂佛殿廚庫三門とすべからず。いくばくの堂佛殿廚庫三門かある。雲門なりとやせん、七佛なりとやせん。四七なりとやせん、二三なりとやせん。拳頭なりとやせん、鼻孔なりとやせん。いはくの堂佛殿廚庫三門、たとひいづれの佛なりとも、人人をまぬかれざるものなり。このゆゑに人人にあらず。しかありしよりこのかた、有佛殿の無佛なるあり、無佛殿の無佛なるあり。有光佛あり、無光佛あり。無佛光あり、有佛光あり。

雪峰山眞覺大師、示衆云、堂前、與人相見了也(堂前に、人と相見し了れり)。
これすなはち雪峰の通身是眼睛時なり、雪峰の雪峰を見する時節なり。堂の堂と相見するなり。
、擧問鵞湖、堂前且置、什麼處望州亭、烏石嶺相見(保、擧して鵞湖に問ふ、堂前は且く置く、什麼の處か望州亭、烏石嶺の相見なる)。
鵞湖、驟歩歸方丈(鵞湖、驟歩して方丈に歸る)。
、便入堂(保便ち堂に入る)。
いま歸方丈、入堂、これ話頭出身なり。相見底の道理なり、相見了也堂なり。

地藏院眞應大師云、典座入庫堂(典座庫堂に入る)。
この話頭は、七佛已前事なり。

正法眼藏光明第十五

仁治三年壬寅夏六月二日夜、三更四點、示衆于觀音導利興聖寶林寺。于時梅雨霖霖、簷頭滴滴。作麼生是光明在。大家未免雲門道
元甲辰臘月中三日在越州大佛寺之侍司書寫之 懷弉